一度は執筆を始めながら、時期を逸し、旬でなくなったために掲載できなかった記事や途中で断念した記事がわんさかある。
今回も未完成だが、途中まで書きかけで、ほったらかしにしたボツ記事を一挙公開したい。
今回、蔵出しする未完成記事は今から2年も前に執筆し、あとは実行に移すだけだった旅行(ぶらり旅)3か所だ。実にもったいないが、ブログ終了に伴いここで未完成のまま掲載します。
2016年ぶらり旅伊達・国見周遊
この旅行プランは、去る平成27年11月1日(日)の亡き父親の13回忌法要の食事会(ホテルハマツ8階)で姉夫婦から聞き出した情報を元に、急遽決行を決意した。考えてみれば、福島市よりも北部にはなかなか行く機会がなく、旅したことは皆無に等しい状態だった。そこで郡山の千本鳥居がある「高屋敷稲荷神社」の話をしたところ、県北地方の国見町から、宮城県七ヶ宿に向かう小坂峠に、京都伏見稲荷神社にあるような「千本鳥居」もどきが山の上まで続いている珍名所「萬蔵稲荷神社」があることを聞かされ、ついでに前々から訪れたいと思っていた伊達市の「旧亀山住宅」やその周辺観光地を加えて行ってみることにした。
<予定>
自宅発―本宮IC―国見IC―小坂峠(万蔵稲荷神社)―旧半田銀山二階平坑口跡―
義経の腰掛松―旧鉄道用地跡レンガ積アーチ橋―堰下古墳―奥山家住宅―旧佐藤家
―伊達郡桑折町(桑折町文化祈念館・旧伊達郡役所)―伊達市保原(旧亀岡家住宅)―
旧高子沼グリーンランド跡―文知摺観音―ラジオ福島&ラジオ福島寮(メゾンブランシュ
A-202号室女子アナ殺害現場)―松川事件現場―二本松―郡山
高速代1,100円 所要時間7時間(7:00~14:00)
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2016年ぶらり旅
以前、映画「フラガール」のロケ地を巡った記事を書いたことがあるが、いわき市の常磐湯本周辺の繁栄を支えたのは、紛れもなく昭和初期、黒いダイヤと持て囃された「石炭産業」だった。いわき地区にも、数多くの炭鉱が存在した。昭和30年代後半のエネルギー革命により、石炭から石油、電気へと需要が変化し、一般家庭に普及するにつれて、徐々に石炭産業は廃れ、常磐地区に点在していた炭鉱も徐々に姿を消していった。それから時を経ること40年余り、当時の栄華の足跡を辿りたいと考え、この企画を立てた。まずは参考にしたサイトは以下の通りだ。
いわきの近代産業遺構→ http://www.i-heritage.com/heritage.html
懐かしの「近代化産業遺産」→ http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_03.html
「三凾(みはこ)座」→ http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_07.html
残念ながらこの施設は、東日本大震災で大規模半壊となり、その後解体されました。
記事作成:平成26年6月22日(日)~
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2016年ぶらり旅⑧~茨城エリア~(予告)
このプランは7月28日(火)に思いついた。何気なしにPCをいじっていたら、「ドラマのロケ地マップ」に辿り着いた。そこで、私がかつて大好きで、漫画本まで全巻持っている人気ドラマ「JIN-仁-」のロケ地紹介を見て、橘家や江戸の街並みを再現した場所が「ワープステーション江戸」だと知った。そこでその周囲をグーグルマップで探したら、昨年まで息子が住んでいたアパートへの至近ICがあることがわかり、地の利もあることから、その周囲に点在する牛久大仏と、私が尊敬して止まず、長年訪れたかったシンガーソングライターの故・村下孝蔵の墓参りと最近何かと話題になる牛久大仏を加えたプランを考えた。
では早速、これを近いうち実現する予定だが、そのプランだけ見て頂きたい。
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<旅程表(計画)>
6:00自宅発-6:15郡山東IC-8:45谷田部IC-8:55筑波茎崎霊園(村下孝蔵の墓)
9:20-9:30ワープステーション江戸11:45-12:15牛久大仏(昼食含む)14:00
-14:15牛久阿見IC-16:45郡山東IC-17:00帰宅(約450km)
費用(概算)は以下の通り
高速代(土曜日実施の場合) 郡山東IC~谷田部IC 3,430円
牛久阿見IC~郡山東IC 3,550円
入場料 ワープステーション江戸 400円
牛久大仏拝観量 800円
その他、ガソリン代、食事代、土産代 合計 約15,000円
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なお、訪問地の参考資料は以下の通りです。
① 筑波茎崎霊園(村下孝蔵の墓)
アクセス地図 http://www.tsukuba1100.jp/accsess.html
訪問者のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mikucharat14/17185215.html
② ワープステーション江戸
公式HP https://www.nhk-ep.co.jp/business/wsedo/
訪問者の動画 https://www.youtube.com/watch?v=MBGq6RB6ptc
ここはドラマのロケとして使われるだけでなく、「戦闘中」で何度も登場した。
③ 牛久大仏
公式HP http://daibutu.net/
訪問者の動画
実行はいつになるか不明だが、今年中には訪れたい。今年は1月に鎌倉・江の島(1泊2日)、7月に盛岡(1泊2日)、8月に東京周辺(1泊2日)、9月に沖縄(3泊4日)、10月に秋田(2泊3日)と遠出も多い。ぜひ実現させたいと考えている。
記事作成:7月28日(火)
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「芸能界を震撼させたニュース」
これまで芸能界はエンタメとも呼ばれ、様々な方面で影響が大きい。誰もが好きな歌手やタレント、俳優に女優はいると思うが、彼らの一挙手一投足に感化される方も多い筈だ。
好意を持っている芸能人の最新ニュースや動向には関心が強いと思う。恋愛や結婚など良いニュースならいいのだが、中にはスキャンダル(不倫・離婚・不仲)も決して少なくない。彼らのニュースに一喜一憂するファンも多いに違いない。
そこで今日は、芸能人のニュースでショッキングだったものばかりを集めてみた。悪意はないので、予めご容赦願いたい。
1 中森明菜が近藤真彦のマンションで自殺未遂
この記事公開の直前にアップしようとした当時のニュース映像が削除されてしまったため、別の動画をリンクします。
それは共にトップアイドルとして人気絶頂だったさなかに起きた。当時、交際が噂されていた「たのきんトリオ」のマッチこと「近藤真彦」の自宅マンションで、彼に思いを寄せていた中森明菜があろうことか自殺未遂を図り、救急車で搬送されたというニュースだ。当時は芸能界が騒然とし、連日芸能リポーターが真相を探ろうと病院や双方の事務所に詰めかけ連日芸能ニュースを賑わすほどの大騒動となった。
しかも、その後、二人は揃って金屏風の前で釈明会見を行った。どうやら中森明菜の一方的な恋心だった。
私は芸能界は恐ろしい世界で、流行り廃りが激しく、売れっ子であっても飽きられれば一巻の終わり。干されれば二度と戻れない。しかもこの世界は、在日と宗教団体員でなければ生き残れないと思っている。
記事作成:2月中
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世間に認知されず、姿を消したもの
昔、「THEブーム」という記事を書いたことがあるが、世の中に認知されずに、いつの間にか姿を消したグッズが多数あった。たとえば、東芝が開発したHD-DVDがそうだ。ソニー陣営のブルーレイに敗れ、開発・実用化は至らなかった。今日はそうしたグッズや事象を取り上げ、忘れ去られたものたちの哀愁を感じてほしい。
省エネスーツ
羽田孜総理のときに発案
プレミアムフライデー
2,000円札
使える自動販売機が少ない。スーパーのレジには2,000円札を入れるトレイがない。不便
5,000円札と間違えそう。そういえば千円札、1万円札に比べて5,000円札の流通は少ない気がする。
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競技別アイドル系アスリート
スポーツアスリートで人気が出たアイドル系はなぜかB型とO型が多い。日本人の約4割近くはA型なのに、スポーツや芸能だとその比率は少ない。
1 卓球・・・福原愛(B型)・石川佳純(O型)、早田ひな
2 バドミントン・・・潮田玲子(A型)
3 陸上
棒高跳び・・・今野美穂 https://www.youtube.com/watch?v=qGm9XZRJO54
ハードル・・・土田菜里香(新潟)
4 バレーボール・・・栗原恵(B型)・木村沙織(O型)
5 ビーチバレー・・・浅尾美和(O型)・坂口佳穂
6 テニス・・・杉山愛(B型)
7 ウェイトリフティング・・・八木かなえ(B型)
8 フィギュアスケート・・・浅田真央(B型)・本田真凜(A型)
9 柔道・・・谷亮子(B型)
10 フリークライミング・・・白石阿島
11 競泳・・・
12 スノーボード・・・伊藤唯(O型)・藤森由香・林亜紀子
13 空手・・・
14 競技かるた・・・
15 サッカー・・・仲田歩夢
16 サーフィン・・・
17 ラクロス・・・
18 体操・・・田中理恵(A型)・村上茉愛
19 新体操・・・皆川
20 バスケットボール・・・
21 剣道・・・
22 カーリング・・・藤沢(LS北見)
23 ライフセーバー・・・
24 シンクロ・・・青木愛(A型)
25 スキージャンプ・・・
26 レスリング・・・
27 ホッケー・・・
28 自転車・・・
29 トライアスロン
30 ソフトボール
31 クロケット
32 ゴルフ
33 スピードスケート
34 ボルダリング・・・伊藤ふたば http://wonda.xsrv.jp/kawaii/2017/02/11/post-857/
35 駅伝・・・宮田佳菜代(ユタカ技研)
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郡山の魅力再発見!~町名の由来~
郡山の話題を随分書いて来たが、長年郡山に住んでいてあまり疑問に思わなかったことに、「町名」があったことに気づいた。郡山はかつて周辺の多くの村や集落の合併を繰り返し、次第に大きくなったことは知っていたが、それらの由来はいかなるものなのか、疑問に思い、かつ興味を抱いた。
それらを解き明かした書物が郡山の広報誌「街こおりやま」の特集記事だったが、惜しまれつつこの5月に長年の歴史に幕を下ろした。
したがって独自に調べるしかないと考え、様々な文献を探ってみた。なお、100以上ある町名をすべて調べて掲載するのは難しいし、「駅前」や「本町」、「大町」、「中町」などはどこにでもある当たり前の地名なので割愛し、旧市内を中心に代表的なもののみ取り上げたい。
参考資料:口承文芸刊行物「郡山の地名」
まずは「郡山」という市名(楽都郡山の地名由来より)
「郡山」の地名の由来は、律令制当時の地方行政の仕組みにあります。
大宝元年(701年)中央政府は、『大宝律令』と呼ばれる基本法典を制定し、その中で全国を60余りの国に分け、その下に郡と里を置く「国郡里制」という地方行政の仕組みを完成させました。715年には、里を郷に改め、「国郡郷制」に変更されました。これを現代に当てはめると、国(都道府県)~郡(市町村)~郷(市町村の大字)の関係にあたります。
国には「国府」、郡には「郡衙(ぐんが)」と呼ばれる役所が設置され、国府には中央の上級役人が国司として派遣され、郡衙には地元の有力豪族がその任につきました。当時の福島県は宮城県と岩手県南部とともに「陸奥国」に属し、その中でも現在の郡山市・田村市・田村郡・安達郡を含む地域を「安積郡」と呼ばれていました。
陸奥国府は現在の宮城県多賀城市に、安積郡衙は郡山市清水台にそれぞれ設置されたことが遺跡等の調査でわかっています。
この安積郡衙があった周辺が「郡山」と呼ばれていた時期があり、それが現在の「郡山」の地名のおこりと思われます。
清水台
さくら通り沿いのこの地は多くの遺跡が発掘されている土地柄だ。現在ライオンズマンションが建つ場所や、東邦銀行北隣りの、現在芳山公園になっている場所で多くの遺跡が見つかった。この地名は明治5年に任命されたもので、古くは「清水坂」・「上台」と言った。昔から清水が湧き、古瓦が出土し、焼米が発見され、古社があり、長者伝説が語られているところでもある。
虎丸
長者
開成
桑野
朝日
緑町
西ノ内
並木
富田
村人が田穀の豊かになることを祈願して村名にしたという説や安政4年に富田幹によって記された音路太子堂の縁記による奈良時代初期の元明天皇の頃、陸奥国安積の衛士東安吉麿の子、東巨麿の時に、荘園政治を立てて「臣田(とみた)」と呼び、これが富田に転化したという説、さらには字諏訪地区に祀る諏訪神社の祭神「武御名方刀美命」にあやかって読み名から「富田」にしたという説などがある。
富久山
この地名が登場するのは明治9年、久保田・福原・八山田の3村が合併して富久山村となったのが初めて。昭和12年に町制施行により、昭和29年に小泉村を編入して、現在の富久山町が誕生した。一説には福原・久保田・八山田の各村名から一文字ずつ取って「福久山」とし、後に「富久山」に改めたという。
喜久田
「喜久田」の地名は明治9年当時の早稲原村・前田沢村・堀之内村・下伊豆島村の4村が合併した際に名づけられた。一説では「合併当初は作物など実らない荒地だったため、早く喜びがもたらされる土地にしたいという願いを込めて「喜久田」と名づけたと考えられている。
日和田
近世以前は「部谷田(ヘヤダ)」や「部和田(へわだ)」「辺和田」、「戸和田」、「比谷田」などと書かれていた。いつ頃から「日和田」と書かれるようになったかは定かではないが、寛永末までは「部谷田」と書かれていたらしい。
田村町
田村地方には坂上田村麻呂の伝説が数多く残されており、それが地名の由来にも深く関与されている。
横塚
芳賀
小原田
久留米
大槻
大槻はもと「大豆生」と書き、大豆生産に適した地味に由来するとも、槻の大樹があったからともいう。室町期頃と推定される安積南郷北郷田地注文に「中郷」のうちとして「大槻十三丁」とある。
安積
5~6世紀頃に支配地を全国に広げていた大和政権は有力豪族を国造に任命し、その地域の統治に当たらせた。当時の安積の地には阿尺国造が置かれ、律令体制の中で評(こおり)や郡(こおり)へと継承されていく。この阿尺が現在の安積の地名の由来とされている。阿尺の国は大化の改新後に陸奥国阿尺評または安積評(あさかのこおり)となり、それが陸奥国安積郡へと変化した。
亀田
八山田
記事作成:6月15日(木)~