Quantcast
Channel: 時遊人SUZUのひとり言
Viewing all 1757 articles
Browse latest View live

郡山の昔話(映画館とデパート編)

$
0
0

  郡山に住んで半世紀近くが過ぎた。学区が芳山・二中という郡山の中心市街地に住み、町並みの移ろいや変わりようを間近で見てきた私だ。
 小学生の頃、郡山駅前や中町・大町周辺を遊び場にしていた私にとって、昔のことを話すのは実に容易いことだ。大学時代の4年間と初任の勤務先だった4年間のみ、郡山を離れたが、実家は市内中心部にあったため、私の中では半世紀以上、郡山にいたようなものだ。それくらい愛着を持っている。
 今日は郡山の昔話をしたいが、今は無き映画館とデパートについて語りたい。

 「映画館」

 昭和30年代頃から庶民の娯楽と言えば「映画」だった。テレビは一般家庭に普及しておらず、専ら映画館に足しげく通い、上原健や赤木圭一郎、石原裕次郎、加山雄三などの二枚目スター、女優でも美空ひばり、原節子、岡田嘉子、吉永早百合などの絶世の美女スターが銀幕を彩った。日活、東映、大映、東宝、松竹など多くの映画会社があったことでも時代背景を窺い知れるだろう。当時は映画館が庶民のよりどころであった。「喜びも悲しみも幾歳月」や「青い山脈」、森繁久弥の「社長シリーズ」「若大将シリーズ」、裕次郎の日活シリーズなどはドル箱だった。私は志村喬主演の「生きる」が好きだった。小津安二郎や今村昌平、黒澤明、山田洋次などの名監督の作品が大ヒットした。

 私が生まれた1964年は東京オリンピックが行われ、インフラ整備によって好景気に沸いていた。その後の高度経済成長と池田勇人首相の「所得倍増計画」によって世相的に勢いがあった。テレビが普及し、映画業界が廃れるという皮肉的な結果に終わったが、私が幼少の頃は、その名残で駅前を中心に多くの映画館が存在した。


 1 「東宝」
 
 今のアーケード内の富士館ビルにあった。郡山で一番大きかったと記憶している。隣りがワタナベスポーツでそのまた隣りが郡山初の回転寿司「元禄寿司」があった。私は東宝では親に連れられ、「怪獣シリーズ」を何度も見に行った。ゴジラ、モスラ、ガメラなどのシリーズ映画だ。

 2 「郡山東映」
 
 略して「郡映」。確か堂前、今の文化センターの北側あたりにあった。ほったて小屋のような小劇場だった。入口が資材置き場みたいな造りで、オンボロ屋敷に入っていくような印象だった。そこで小6の頃に、友達4~5人で「キングコング」を見に行った記憶がある。もちろんカラー映像になってからの作品だ。そしてその帰り道、中華料理屋の「なるき」でタンメンを食うのが定石だった。

 3 「東映パレス」

 こちらはあまり印象にないが、駅の目の前にあった。今は吉野屋がある北隣りくらいにあった。私は浪人時代に予備校をさぼって見に行ったのが、ミーハー極まりないが、当時流行った東宝の「たのきん映画」で、近藤真彦主演の「ハイティーンブギ」と「嵐を呼ぶ男」の二本立てを見た。当時、マッチに似ていた私は高校生に爆発的人気のあったその映画を見ておきたかった。平日の昼間だったので、客は3~4人しかいなかったと思う。

 また、同じ映画館で、元カノと「波の数だけ抱きしめて」というホイチョイプロ制作の三部作(ほかの2作は「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」)の青春ストーリーを見た記憶がある。

Daieipalace2Daieipalace

 湘南を舞台に、大学生たちがひと夏、ミニFM曲を開局するという設定で、その中で叶わぬ恋を演出した。織田裕二、中山美穂、松下由樹らが出演した映画だった。
  
 4 「スカラ座」

 よく覚えていないが、大町のアーケードを西側に抜けた四つ角にあった映画館だったと思う。その東向いが中学の同級生の肉屋だった。斜め向いには成人映画の殿堂の「大勝館」があった。今は、「テアトル5」になっているため、同じ映画館だけに昔の面影が若干残っている。割烹居酒屋「くし膳」の姉妹店である「まめ膳」がの隣りにある。残念ながら、私はここでは映画を見た記憶がない。

Taisyoukan

 5 「郡山ピカデリー」

 郡山のさくら通り沿いの清水台。4号国道の西側に八幡坂があるが、安積国造神社まで登る手前にあった映画館。ちょっとわかりづらい場所にあり、階段で降りた地下にあった。映画館自体狭く、200席もなかったと思う。
 私はここで中1の頃、初公開となった「STAR WARS」の初回作品(現在はエピソード4)を見た。しかし、大人気作品だったため、立ち見で見た。その優れた映像技術は既知のものではなく、CG技術や大音量に圧倒された覚えがある。

SakuradoriHachimanzaka

 このように昭和30~40年代は映画が隆盛し、それらを見るために人々は大挙して駅前に繰り出し、映画鑑賞の後で百貨店に立ち寄り買い物をしていた。だから駅前が賑やかで、消費活動も活発だった。駅前には多くの書店があった。東北書店佐藤書店・叶屋書店・松文堂などだ。よく立ち読みして怒られたものだ。 古き佳き時代だったとつくづく思う。

 ちなみに「松竹」は駅前大通り沿い、アーケード入口の角に鮨屋があるが、そこからはなの舞までの当たりの巨大ビルにあった。

Dvc00215

 「デパート(百貨店)」

 郡山の老舗百貨店と言えば、私が幼少の頃は3店しかなかった。アニメCMが一世を風靡した「うすい百貨店」、仙台が本店の「丸光」、そして呉服屋のイメージが強かった「津野デパート」だ。

 まず、「うすい」は中町の商店街通りを挟んで「第一うすい」と「第二うすい」に分かれていた。 「第二うすい」ではエレベーターが珍しい時代で、何度も乗って上下を繰り返した。制服を纏ったエレベーターガールもいた時代だ。私はここでは切手購入で訪れたものだ。そして親と買い物に訪れた際に、7階のレストランで「お子様ランチ」を食べるのが何よりの楽しみだった。また最上階が狭い空間だったが、ちょっとした遊具やゲーム機がおいてあって、そこで小銭を握り締めて遊んだ記憶がある。一度も見たことはなかったが、銀色の円形の構造物があった。もしかするとあれは天体望遠鏡を囲うドームだったと思う。

Usui1Img_8022_r

 また「うすい」の特設会場は、時々奇妙な展示を開催した。一番気味悪かったのは「世
界の爬虫類展」だった。世界の珍しい蛇やトカゲ、ワニなどを展示する気色悪い内容の見世物だった。

 一方、「第一うすい」の思い出は、何といっても昭和51年頃に屋上で開催された「スーパーカーフェア」だった。ガルウィングの「カウンタック」や「フェラーリ」など超絶スポーツカーが郡山にやって来たのだった。新聞やマスコミの過熱報道も手伝って、連日それを見たくて多くの買い物客が列を作った。「スーパーカー」フィーバーは凄まじく、ガチャガチャのカプセルの消しゴムになったこともあるくらい一大ブームが沸き起こった。「うすい」でも集客の目玉としてうすいの屋上に「スーパーカー」をクレーン車で吊り上げ、数台の超かっこいいマシンを並べて展示した。一説では搬入の際に、うっかり傷を入れてしまい、多額の賠償金を払ったという噂まで飛び交った。

Img_5391_r

 「デパ地下」という言葉が後から流行したが、私はよく友達と食品売り場に行き、夕方の小腹が空いた時間に試食コーナーを回った記憶がある。また、おもちゃ売り場があって、そこで手当たり次第、置いてあるおもちゃを弄繰り回して遊んだことも覚えている。

 なんだか泣けてくる・・・デパートの最上階にあった食堂の思い出

 https://www.youtube.com/watch?v=BPZwzP3z6sI

 【昭和の思い出】昔のデパートは夢が詰まってたのに何でこんなつまんなくなっ
ちゃったんだろ?【懐古】
 
 https://www.youtube.com/watch?v=a847AACDB6o

 続いて「丸光デパート」。駅前のアーケードの入口角に7階建てでデーンと聳え立っていた。今も建物自体は残り、朝日生命ビルとなっている。駅前大通りの地下通路から地下1階に直結して店に入ることができた。その地下通路では、ストリートミュージシャンがギター一本で歌っていたし、たまにはシートを広げ、自作ネックレスやアクセを売る若い行商もいた。
 確か「丸光デパート」は、床が木のタイル張りだったと思う。いつ訪れてもワックスの独特な臭いがした。各階ともに商品の割りにスペースが広く、ガランとした印象があった。ここでの思い出は、地下1Fの食品売り場で、友人と訪れ、格安の学生ラーメンを食たことが何度もあったし、6階のおもちゃ売り場、そして屋上の遊園地&ゲームコーナーは行きつけだった。
 屋上遊園地は私と同年代以上の方は特に懐かしいと思う。回転飛行機は徐々に高度
を増して廻旋速度も早くなるのだが、恐ろしいのは客が乗る飛行機型のキャビンがビルの外に出てしまうことだ。子どもながらに恐怖心を植え付けられた。初めて乗った時にはたぶん泣いて親を恨んだと思う。ほかにも回転するコーヒーカップもあったし端には幌屋根つきのゲームコーナーがあった。今思えば子ども騙しのピンボール型の長方形のゲームだが、それはかつて麓山にあった「児童文化会館」や「磐光パラダイス」に置いてあったゲームに似ていた。

Img_8027_rMarumitsu2

 「うすい」と「丸光」は特に古くからあったため、思い入れが強いデパートだった。
 
 一方「津野デパート」は窓がない総銀張りの外観でいかつい印象があった。駅前大通りと国道4号線の北東側の角にあった。その後「第一イン」というホテルになった。
 ここは呉服屋的な位置づけで、婦人服や着物を扱っていた。私は中高の学生服を設える際にお世話になった。当時は「トンボ学生服」と「富士ヨット学生服」が人気を二分していた。その取扱店というイメージしかない。
 その真向かいには「丸藤」という婦人服専門のスーパーもあった。
 
 その後、昭和52年頃に、百貨店競争が過熱する出来事があった。本店が東京にある全国チェーンの大型デパートがこぞって郡山に進出した。ご存知の通り、それは郡山駅が新幹線の停車駅となり、駅舎が建て替えられる頃の話で、駅前には「西友」、「丸井」が出店し、駅前の風景はガラリと変わってしまった。
 また、大手スーパーの位置づけだった「ダイエー」が来た時には、地元のスーパーや「うすい百貨店」は警戒を強めた。しかもダイエーは売り場面積が大きく、駅前の大町の一等地に店を構え、しかも当時は斬新な本館と別館を渡り通路で結ぶ作りだった。郡山市民は買い物の選択肢が増え、駅前は活性化し人通りも多くなった。東北有数の商都と呼ばれるまでになった。

Img_5293_rImg_5270_r
                                                      
 しかし、その後、地元の「うすい」と「ダイエー」の安売り合戦が過熱し、客の争奪戦が展開された。結果的に昭和の終わりにはダイエーが同系列のディスカウントストア「トポス」に身売り。それよりも前に西友ストアが百貨店色の濃い「西武デパート」に切り替わったが、集客が思うように伸びず採算が合わず、共倒れの様相が明確になり、結果、平成に入り、西武と丸井は撤退し、トポスも閉店に追い込まれた。

 そして、市民に根強い人気があった「丸光」「津野」も閉店に追い込まれた。その後、校外の大駐車場を構える「ジャスコ」が日和田に完成。旧日東紡跡地に「THE MALL郡山」が出店し、客足が取られる形になった。イオン系列のスーパーセンターである「イオンタウン」が駅の東口に完成し、客の分散化が進んだ。
 私はダイエーは気に入っていたが、売り場面積が各フロアともに狭く、敷居の高い「丸井」はあまり訪れた記憶がない。 
 「西武」はNゲージやレコードを買い求めに行った記憶がある。何より、駅前に面したガラス張りのエレベーターが当時は珍しく、またエレベーターガールが一番可愛かったことから、小学生時分には、わざわざエレベーターを乗りに行った記憶がある。

Img_5389_r

 さて、いろいろと書き綴ったが、これほど駅前周辺にあった映画館とデパートは、思い入れが強い。それは小中高と郡山で学生生活を送った私にとって、駅前は刺激が多く、いろいろな誘惑があったからだ。見るものすべて新鮮で、活力があった。

 最後に、本記事で掲載した箇所以外で、私がよく通い詰めた駅前の店を挙げて結びとしたい。
 
 チロンヌップ アメリカ屋 BLUE HOUSE  靴のタカマツ 山の井
 郡山中央スケートリンク トイスかんの 東北書店 ワタナベスポーツ
 松英堂(楽器)角海老 
 

 サービス映像 「昭和45年の郡山」


 
 記事作成:1月25日(木) 


2018年1月期のCMベスト5

$
0
0

 その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。今回もこの1月に放送されたCMから個人的に気に入っているCMを5作品お送りします。

 1位 第94回箱根駅伝 みんな、がんばれ(理由)篇 60秒   SAPPORO

 「走る選手全員を応援したくなってしまう」。その理由のひとつとして、それぞれがスタートラインにたどり着くまでに様々な背景があり、それぞれが負けられない想いを抱えている。そんなことが挙げられると思います。各選手たちの「止まれない理由」、それを箱根を走る姿と重ねながら見せていくことで、なぜ箱根駅伝を観る私たちがこんなに熱くなるのか、なぜ思わず全員を応援したくなってしまうのかをもう一度思い出してもらう。そんなCMを目指しました。

 2位 Tokyo Desney Resort 「夢がかなう場所」

 いつの時代も東京ディズニーランド&シーは夢の国。大人でも子どもに帰れる不思議な魔力を秘めている。小さい頃に憧れた空想世界を具現し、一歩ランドに足を踏み入れればそこは魔法にかかったかのようにお伽の国へといざなってくれる。そんな夢の世界を演出した秀作CM。

 60秒はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=Knoqi57egUo

 3位 日本生命

 毎回、オリンピック直前にはアスリート達を応援するCMで秀でている。今年は45歳にして8回目の五輪出場を果たした葛西紀明選手。亡き母が残した言葉を胸に最後の?飛躍を誓う涙ものの内容。

 「どん底から這い上がってくるお母さんは楽しみに待っています。」

 どんな時も母は強し・・・。

 4位 ユーキャン 「佐々木希」篇

 

 https://www.youtube.com/watch?v=Id-mS8x1ESE

 食生活アドバイザーの資格取得にチャレンジした女優の佐々木希。忙しい合間を縫ってユーキャンのサポートで勉強し、見事合格。しかし、この資格取得の目的が、夫である渡部建を喜ばせるためだとしたら、少し複雑・・・。
 年末年始はこのCMばかり流れていた。

 5位 コインチェック

 出川哲朗が兄と弟の二役を演じている傑作CM。単純なやりとりだが、彼がやるとなぜか笑える。
 しかし、1月20日以降の週に、大変なことが起きた。ビットコインで580億円の流出が出たという報道があった。若き27歳の和田社長が目を真っ赤にはらして記者会見で謝罪した。やはりセキュリティーが脆弱だったようで、ハッカーが不正操作すればこのような甚大な被害が出る。たぶん、こういうずる賢い輩は中国人の仕業だろう。
 これが原因かは不明だが、それ以降、このCMはパタッとやらなくなった。いくら一攫千金の夢とはいえ、実体のないものに投資するのは危険極まりない博打行為だったという訳だ。
 今となっては出川哲朗の「知らないんだ~」という台詞が痛々しい。本当に知らなかったのは「コインチェック」そのものだったと・・・。

今月の名切万里菜アナウンサー⑩

$
0
0

 2017年3月で福島テレビを退社し、フリーアナウンサーが集う会社「ライムライト」に所属し、日本テレビのニュースキャスターに就任した名切万里菜アナ。福島県で2年間、「みんなのニュース」のキャスターとして親しまれた彼女。異動先でも活躍している姿を見れることは、福島県民として純粋に嬉しく思う。長崎県出身の彼女が、何のゆかりもない当地に赴任し、福島のニュースを伝えてくれたことに感謝すると共に、今後の活躍にエールを送る意味で、これからの彼女のキャスターとしての出演場面を伝えたくて、この記事を執筆することを決意した。そして昨夏、めでたく彼女は結婚した。左手の薬指にキラリと光るマリッジリングが確認できる。

 今日は2018年1月の彼女の出演場面を紹介したい。

 1月4日(木)

Img_7063_rImg_7064_r
Img_7065_rImg_7066_r

 1月11日(木)

Img_7067_rImg_7068_r
Img_7069_rImg_7070_r

 1月18日(木)

Img_7071_rImg_7072_r
Img_7073_rImg_7074_r

 1月25日(木)

Img_7133_rImg_7134_r
Img_7135_rImg_7136_r

FCT・小野紗由利アナウンサー38

$
0
0

 FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第38弾。
 では今回も、主に平成30年1月期の彼女の出演番組(ゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。

 1月7日(日)ゴジてれ×SUN

Img_7075_rImg_7076_r
Img_7077_rImg_7078_r
Img_7079_rImg_7080_r
Img_7081_rImg_7082_r

 1月10日(水)ゴジてれchu !の「水曜ウォーカー」に出演

 この日はリニューアルした観光物産館からの中継だった筈だが、間違いなく番組予約をしたのに録画保存されず、画像等の掲載ができなくなりました。相次ぐ「東芝レグザ」の保存機能不良に嫌気が差している。

 1月14日(日)ゴジてれ×SUN

Img_7084_rImg_7085_r
Img_7088_rImg_7089_r
Img_7091_rImg_7092_r
Img_7093_rImg_7094_r
Img_7095_rImg_7096_r
Img_7097_rImg_7098_r

 1月17日(水)ゴジてれchu !の「水曜ウォーカー」に出演

Img_7099_rImg_7100_r
Img_7101_rImg_7102_r

 1月21日(日)ゴジてれ×SUN

Img_7111_rImg_7112_r
Img_7113_rImg_7114_r
Img_7117_rImg_7118_r
Img_7119_rImg_7120_r

  1月24日(水)ゴジてれchu !の「水曜ウォーカー」に出演

Img_7158_rImg_7159_r
Img_7160_rImg_7161_r

 1月28日(日)ゴジてれ×SUN

Img_7162_rImg_7163_r
Img_7164_rImg_7165_r
Img_7166_rImg_7167_r

郡山の昔話(今は無き遊び場編)

$
0
0

 本日は昔話として「今は無き郡山の遊び場(プレイスポット)」を回顧したい。子どもの頃に私がよく遊んだ、懐かしい想い出がたくさん詰まった場所たちだ。

 「郡山レジャーセンター」

 昭和50年代まで、安積町の国道4号線に面し、現在は結婚式場がある辺りにあった遊園地。
 国道沿い側がガラス張りの建物で、世界中の国旗(万国旗)が張り巡らせてあった。中は南国を思わせる椰子の木などが置かれていたと思う。100円で動く遊具やゲームコーナーなどがあった。その建物の西側の奥が屋外遊園地と動物園で、回転飛行機やコーヒーカップ、園内を巡るミニSL、私は幼少の頃、3~4回訪れているのだが、あまりよく覚えていない。 
 私は怖くて近づけなかったが、ライオンなどの猛獣が檻に入っていた記憶がある。しかし、小学生の女の子が熊の檻に手を伸ばし、腕から下を噛みちぎられるというショッキングで痛ましい事故が起きた。

Koriyama_leisurecenter

Img_8017_rImg_8028_r

 「磐光パラダイス」

 磐梯熱海駅の北側に広がる広大な敷地にかつてあった建物。隣りが「磐梯グランドホテル」だった。旧磐光ホテルは、昭和44年の2月の寒い夜に火災に遭い、宿泊客ら大勢の方が犠牲(使者30名)になった。その跡に再建された大型リゾートホテルだ。
 ホテルの西側に隣接していたのが「磐光パラダイス」だった。3階建てて、エスカレーターで上がると畳敷きの大宴会場になっていて、ここで売りの「金粉ショー」を始め、大物歌手などが興行で来ていろいろなショーやリサイタルを行った。周囲には2階席もあった。
 
 私はその頃、人気絶頂だった「フィンガー5」のショーを見た。その後を追いかけて、ゲーセンで遊ぶ玉元妙子を目の前で見たし、ホテルに忍び込み、探検していて、メンバー5人がエレベーターから出て来たところに出くわしたこともあった。確か1階はホテルと繋がる長い通路(廊下)があった。

 とにかく想い出深い場所だ。5~6回は遊びに行ったと思う。

Img_8002_r

 ホテルの懐かしいCMはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=VHavUr4hdfA

 火災のニュース映像はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=L6xM5Noeb5g

 磐光パラダイス関連の記事(本宮映画劇場さんのTwitter)はコチラ

 

 「郡山スケートセンター」

 昭和50年代に市民のオアシスとしてオープンした本格的な屋内リンク。それまではスケートと言えば、郡山駅前にあった狭い「中央スケートリンク」しかなかった。
 そこは阿武隈川沿いのR49の金屋橋の北側、東部幹線沿いにあった。確か二中の後輩にあたる本田武史の本拠地で練習場でもあった。
 その後、ここが潰れ、「アミューズパーク」として生まれ変わり、ゲームセンターと化した。ゴーカートのレーシングカート場になった時期もあった。また隣りには釣り堀やパターゴルフ場などが併設され、何度か遊びに行った記憶がある。

Amusepark

 「大島バッティングセンター」

 10年前くらいまで今のKFB(福島放送)の東隣りにあった。オートテニスや卓球場、ゲーセンも併設されていた。ここでバッティングの腕を磨いたし、スピードガンやソフトボールのマシンもあったと思う。よく姉とテニスをやりに行った記憶がある。
 昭和の時代、バッティングセンターは郡山市内のあちこちにあった。安積町の坪井病院近くの山にもあったし、本町の旧国道沿いにもあった。小学生の頃、よく遊びに行ったものだ。

 釣り堀(長者・菜根)

 郡山は海が無い。猪苗代湖へも自転車で行くのには遠く、小学生の頃は専ら近くの荒池や釣り堀で魚釣りをした。友人は雷魚を釣り上げ、芳山小学校のプールで放し飼いした。冬まで生きていたから、雷魚の生命力は凄まじかったことを覚えている。
 また、私が通った芳山小学校の北側には、小さな屋外釣り堀があった。ビニールハウスと併設されていたが、そこで初めて釣りをやった。鮒しかいなかったと思う。どぶ臭いにおいが周辺に漂っていたと思う。また、そのずっと後になるが、「ベニマル菜根店」の北側にあった室内釣り堀にも2回くらい遊びに行った記憶がある。

 「アミューズメントパーク」

 あさか野バイパス下に3年前まで営業していたが、急に閉店した。バッティングセンターやゲーセン、バスケットのフリースロー、ストラックアウト、チョーザメがいる室内釣り堀があった。採算が合わなくなってなのか、遊び場が減っていくのが残念でならない。

Superfishing

 「巨大迷路」

 平成2年~3年頃まであったと思うが、作られてから1年くらいで無くなった。男女七人秋物語で登場したように、バブル以降は、このような遊び場が多く建設された。場所は郡山市の「こおりやま会館」(今は「ニコニコこども館」)の北側の空き地。そこに東西に縦長で木製の巨大迷路が作られた。確か1回500円だった気がする。元カノと遊んだし、グループで遊びに行った記憶もある。ブームに乗って市街地のど真ん中に出来たが、客の入りはさほどではなく、1年も持たずに解体されたと記憶している。

 「開成山公園にあったジェットコースター」

 これは覚えている人は少ないかもしれないが、1972年頃、郡山の開成山周辺では人気版づを多数招いての「ワンステップフェスティバル」や子どもを楽しませるために「子ども祭り」のイベントが行われた。開成山公園をメイン会場に多くの遊園地が作られた。五十鈴湖では、軍艦のラジコンの競走があったり、のど自慢大会もあって、私も友達3人と「母に捧げるバラード」を歌った。また、今のバラ園の近くには大掛かりなジェットコースターが建造され、郡山初上陸のコースターに市民は大興奮で、観客は大いに楽しんだ。確か滝が流れていて、短いトンネルを潜る際、その滝の水が止まった。また、市役所側では、自衛隊のヘリコプターが市街地の上空を飛び回る遊覧飛行が出来た。

 「麓山公園」

 これは知る人は少ないだろう。私も知らない。たぶん70代以上の方しか体験していないだろう。麓山公園の敷地内に線路を張り、人を乗せて園内を走るミニ列車があったらしい。
 私はここは怖くて嫌な想い出しかない。探検ごっこをして慰霊塔の裏手の階段を下りたらドアがあって、鍵穴から中をのぞき込んだら、奥の棚に数多くの位牌が並んでいた。ぞっとした。おそらくは戦争で犠牲になった方の身元不明者や無縁仏の位牌を収めてあったのだ。ここで私は右足を5針縫う大けがを負ったが、その罰が当たったとしか思えない。そしてここの小高い丘にある神社がまた不気味で、ここで首吊りがあったとか物騒な噂が流れた。
 そして塾で一緒だった可愛い女の子と初デートをしようと、ここで待ち合わせをしたら、当時は携帯などない時代で、うっかり私が時間を間違えて会えなくなり、それ以来、疎遠になってしまった苦い想い出がある。どうやらこの公園は、私にとっては鬼門と言える。

Hayamapark

 麓山公園の紹介PVはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=xRgdeu-jG4o

 「少年文化会館」

 現在の郡山中央図書館(麓山)がある場所は、少年文化会館があった。二階建てで、1階は学習体験のためのフロア、2階は展示やなぜかゲームがあった。ドライビングゲームは作りが雑で、それでも子供の頃は夢中になって遊んだ。宇宙をモチーフにした展示物などもあったと思う。天体望遠鏡もあったとは思うが、利用したためしがない。また、その建物は通路で別館に繋がっていて、確か工作室のような造りで、長机で粘土細工を作ったりした記憶がある。NHKの西隣りは現在は駐車場になっているが、ここに昔は郡山市民会館があった。のど自慢(ゲストに榊原郁恵)やスター誕生(ゲストは西城秀樹)、笑点の公開収録を見に行った記憶がある。 

Img_7998_rImg_9703_r

  「イオンフェスタ大観覧車」

 昨年、老朽化のために解体され、今は跡形もない。どこかで開催された「万博」の払い下げで、日和田の「ケーズデンキ郡山北店」の東側にどでかく聳え立っていた。郡山市内の夜景や安達太良山を一望できる絶好のロケーションだったが、ここは強風が吹き荒れる場所で、しばし営業停止になることが多かった。1回500円は高かったかもしれない。私は一度も乗ったことが無いが、新幹線からも見えたし、ビッグアイと同様、ラウンドマーク的な役割を担っていた。福島方面から車で走ると、これが見えると郡山に帰ったことを実感したものだった。

Ferris_wheel

 解体の様子を撮影した映像はコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=89v6FyIeBZM

 さて、今思えば、無くなる前にたくさん写真を撮っておけばよかったのにと思う。学生時代からずっと想い出を刻んできた場所が無くなってしまうのは本当に惜しい。時が経てば、ここに何があったのかさえ忘れてしまいがちだ。郡山市はここ30年で劇的に変わったし、今でも発展を続ける都市だ。震災を契機に無くなってしまったものも多いが、新たに生まれ変わって新しい郡山のシンボルになっているものも多い。
 あと何年生きられるかわからないが、幼少期からの想い出と共に、郡山を愛し、過ごしていきたいと思う。ここは私のたったひとつの故郷なのだから。

 記事作成:1月30日(火)

 

NHK福島・平川沙英アナウンサー⑲

$
0
0

 大阪出身の新人アナウンサー「平川沙英」さんを応援する記事を書き始めたが、今回はその第19弾。NHK福島放送局で平日の18時10分から19時まで放送している「はまなかあいづtoday」のMCを務めている彼女だが、出演は岩間瞳アナと交互に隔週出演している。したがって、週単位で2週間に一度、初々しい彼女の成長を見守るために、この記事を「サポーター」的な立場で掲載していきたいと思う。
 皆さんも、ぜひ彼女を温かく見守り、応援していただければ幸いです。では、第19弾の今日は、1月29日(月)~2月2日(金)以降の出演場面をどうぞ!

 1月24日(水) 下郷町から雪合戦チームの紹介で生中継に登場した

    Img_7125_rImg_7127_r
Img_7129_rImg_7130_rImg_7131_rImg_7132_r

 1月29日(月)

Img_7137_rImg_7138_r
Img_7140_rImg_7141_r
Img_7145_rImg_7147_r
Img_7148_rImg_7150_r

 1月30日(火)

Img_7170_rImg_7171_r
Img_7172_rImg_7173_r
Img_7174_rImg_7175_r
Img_7176_rImg_7178_r

  1月31日(水)

Img_7179_rImg_7183_r
Img_7184_rImg_7186_r
Img_7187_rImg_7188_r

  この日は皆既月食「スーパーブルーブラッドムーン」で、その特集を放送した。

 2月 1日(木)

Img_7190_rImg_7193_r
Img_7194_rImg_7197_r
Img_7199_rImg_7200_r
Img_7201_rImg_7202_r

 2月 2日(金) 

Img_7213_rImg_7217_r
Img_7219_rImg_7222_r
Img_7224_rImg_7227_r
Img_7228_rImg_7230_r
Img_7231_rImg_7232_r

 この日の話題で「福島五七GO」では、3月21日(水)の祝日に「こむこむ」で公開イベントを行う告知があった。平川アナも出演されるというので、早速HPから「観覧希望」の申し込みを行った。ぜひ、お気に入りの平川アナにお目にかかりたい。返信が来ないが大丈夫か?

 ところでふと思ったのだが、平川アナはAKBの大家志津香に似ていると思った。大家は加藤綾子に似ているということは、平川アナはカトパンに似ているということか?だとしたら大家と加藤の2人はO型なので、やはり平川アナはO型なのか?私が好きな伊藤友里アナもO型。彼女は伊藤アナにも似ている気がする。

 なお、大変勝手ながら、この記事は2月10日(土)までの期間限定で公開いたします。

郡山の迷惑なる輩たち(体験談)

$
0
0

  おことわり

 本日の記事は、読み手によっては不快になる表現も一部含まれています。興味の無い方はここで退室願います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 当ブログが閉鎖に近づいてきたことで、これまで取り上げることを自粛してきた内容を一部ぶちまけたいと思う。
 これまで「郷土愛」ということで「郡山の魅力再発見」というシリーズ記事や「郡山の昔話」に関する記事を100種類近く書いてきた。それは外部に誇れるべき記事だったが、本日はその陰の部分というか、断じて許しがたき悪行を断罪したく、負の部分を敢えてしたためたい。

 それは郡山市が委託しているお年寄りによる管理業務従事者があまりにも酷い対応をしていることを暴露する内容だ。4つのエピソードに分けて、実際に私が被った腹立たしいくもぞんざいな扱われ方をした経験談を暴露したい。
                                                         

 1 郡山駅前南側駐輪場の最悪の管理人

 今から10年ほど前、アティとピボットの間を南側に行った通路のところにある駐輪場だが、そこにちゃんとツーロックをかけて駐輪していた自転車が盗難に遭った。そこで、寸借した犯人が再び何食わぬ顔で駐輪してはいないか、つまり自分の自転車が舞い戻っていないか確認しようと、自転車置き場を回って探していた。すると管理人らしき70過ぎのじいさんが血相を変えてやって来て、大声で怒鳴り喚き散らして来た。
 事情も聞かず、俺を自転車窃盗犯と決めつけ、犯人扱いはするは説教を始めるは散々だった。こういう一方的に見下し、人を傷つける行為は断じて許せない。こちらは自転車を盗まれ、落ち込んでいる被害者の身の上にも関わらず、その管理人が泣きっ面に蜂とばかりに責め立てる。もう二度とこんな管理人がいる駐輪場は使いたくないと、市に質問状を叩きつけたが回答は一切なかった。
 半月以上残っていた契約を破棄し、西口駐輪場に移動したのは言うまでもない。
                                                        

 2 公衆の面前で怒鳴り散らす老害じいさん

 1年以上前、大人数で喜久田にある「ワールドビュッフェ」で昼食をしていた時のこと。他の客から苦情が出ないよう細心の注意を払い、努めて食事をしていた。すると突然、冷水器付近で客と思しきじいさんの怒鳴り声が聞こえて来た。案の定、私の連れともめていた。その事情がトレイ(お盆)の置き方が悪いとか冷水器を使って水を飲もうとしたら割り込まれたなどというものだった。本人に確認したら、そんな行動は一切していないという。退屈凌ぎや暇つぶしにビュッフェに現れて、何かに因縁をつけて喧嘩を吹っかけるいちゃもんファイターやクレイマーの類だろう。年を食っているだけで何でも自分の思い通りになると勘違いしている老害じいさんだ。年上が言うことがすべて正しいと思ったら大間違いだ。

 大勢の前で恥をかかせいい気になっている輩は「老害」以外の何物でもない。ここ数年でこういう非常識極まりない迷惑老人が圧倒的に増えた。歳をとると、自分が偉いと勘違いし、命令口調になったり、横柄な態度をとるようになり、図々しくなる。こうなると謙虚さを忘れ、手がつけられなくなる。よく新聞に投書して社会批判を展開している者はその類だ。
                                                          

 3 市役所新庁舎北側の駐車場の管理人

 住民票を取りに250ccバイクで市役所を訪れた時のこと。初めて新庁舎に行き、駐車場がどこかわからず、うろうろしていた。北側のそれらしい箇所を見つけ、白線の中にバイクを停めて中に入ろうとした時に事件は起きた。いきなり警備員の制服を来たじいさん職員が、私を怒鳴った。「そこはバイクをとめる場所じゃない!」と。

 実際、バイクや自転車の駐車個所などどこにも表示されていない。初めて訪れた私にわかる筈がない。なのに、このシルバー人材と思しき市の委託職員は、懇切丁寧に説明どころか、いきなり他の客の前で恥をかかせるような怒鳴り散らす対応をしてきた。こうなるとその人物の性格丸出しだ。絶えず他人にそうした対応をし、不快感を与えている張本人だ。さも自分が正しいとばかりに、知らないものにもきつく当たる。よほどバイク乗りが気に入らないのか他に言い方がある筈だ。その時、私は42歳。もうそこらへんの若造と違い、分別や善悪の判断のできる大人だ。それなのに、さもたいそうな違反行為をしているかのように、鬼の首を取ったかのような口調でまくしたてる厄介な頑固じじいだった。

 もう二度と市役所に行きたくなくなったのは言うまでもない。あれ以来、不信感を抱いた私は、市関係の書類はすべて至近の行政センターで取るようにしている。
 たぶん、現在の駐車場係(警備員)は、当時とは異なる人に代わっているかもしれない。

 結局、お役所仕事は所詮「親方日の丸」。危機感に乏しい。狭い世界で閉鎖的に生きている。やってもやらなくても給料が同じであれば面倒臭いことを極力避け、やらずに楽な道を選ぶのは世の常。そうなると人間は堕落する一方だ。

 一方、私がよく訪れる富久山町と富田町の行政センターの職員の応対は素晴らしい。客を待たせることもないし、嫌な思いをしたことは無い。つい先日も融雪剤を貰いに訪れたが、すぐに応対し、係の方は台車で車まで運び、25kgもある大袋の融雪剤をトランクに積むところまでやってくれた。本庁とは大違いだ。

 4 待合室で、待つことができずに大声で文句ばかりを言う老人

 銀行、病院、市の窓口で「早くしろ」「いつまで待たせるんだ」と係員に大声で文句を言ったり苦情を訴えるのは決まって70過ぎの老人だ。仕事をしていない隠居の身なのだから時間はいくらでも余っているだろうに、気が短い輩が大勢いる。これから高齢化がさらに進むとこうした光景はさらに増えるだろう。無駄に年齢を重ねて来たとしか言いようがない。 
 係員が可哀想になるくらいの毒の吐き方だ。論より証拠。時間があれば役場に行って見るといい。若い人のほうが列にちゃんと並び、静かに待っている光景がみられるから。
 「最近の若いもんは・・・」といわれたのは昔であって、近頃は「最近の年寄りは・・・」が主流だ。私自身は、あと7年で定年を迎えるが、そうした老人にはなりたくないとつくづく思っている。

 70過ぎの老人は、物忘れがひどくなり、まして体力の衰えも著しいのに、いつまでも若い気でいて、「年寄り扱いするな」とばかりに妙に無理して元気を振りまく方々が多い。こういう年代の方にはもう教育する機会がない。或る年齢を過ぎると、出来ることが狭まり、加齢と共に思考力も体力も、そして判断力までも赤ん坊並みに戻ると言われている。「運転が怖いから」と免許証を返納するは賢い方で、いつまでも若いつもりで80過ぎても運転を続けている人は、いずれ重大事故を起こし、取り返しがつかない事態に追い込まれる。注意力が散漫で人を撥ねたり、運転操作を誤ったり、逆走しても気づかなかったり、「老害」でしかない行動に走るのだ。
 それでも自身は気づかないから始末が悪い。「自分は大丈夫」と思っていても周囲には大迷惑だ。電車の中でトラブルを起こすのも老人が多いし、昔の感覚でいるから、事件や事故を平気で起こすのだ。

 特定の年齢に達したら年相応の立ち居振る舞いをしないと、周囲の大顰蹙を買い、煙たがれる存在になることは間違いない。下は動画サイトにアップされていた市内を走る高齢者運転の映像だ。

 この類の記事を書く度、私は断りを入れて来た。お年寄りは本来、人生の先輩として敬うべき存在であり、いたわって共存共栄を図っていくべきだと思っていた。そして私も祖父母を尊敬し心から慕っていたし、尊敬の念を持っていたし、労わっていた。

 ところが、高齢化でお年寄りが増えるたび、多くの問題が露呈するようになった。市内赤木町と菜根にゴミ屋敷を築き、近所で苦情の的になった身勝手な70代の老人は、最後は自業自得とも言うべき火事を出し焼死した。誰もが「身から出た錆」と同情さえしなかった。
 
 また、車を我が物顔で運転し、周囲を危険に晒すのもお年寄りが殆どだ。ニュース映像などで何度も運転の危険を指摘されながら、性懲りもなく若者の命を奪う重大事故を起こしているのも高齢者だ。また、ニュースで毎日のように振り込め詐欺に引っかかっているのもお年寄りだし、何ら学習もしない。身勝手な振る舞いは社会の迷惑以外の何物でもない。

 こんなに社会問題化すると、平成の「姥捨て山」が復活するかもしれない。もちろん大多数のお年よりは良識を持って過ごしている筈だが、平均寿命が世界一の日本にあって、ますますこういう「迷惑老人」が増えるかと思うとお先真っ暗だ。
 お年寄りは人生経験がある分、余裕を持って謙虚に、いくつになっても勉強心や向上心を持って生活して貰いたいものだ。

 記事作成:1月24日(水)

ニューミュージックブームに君臨したバンド

$
0
0

 ブログを始めた頃、「伝説のバンド」というシリーズ記事を書いていたが、今日取り上げる「世良公則&ツイスト(後のツイスト)」も御多分に漏れず取り上げたことがあった。
 その再来ではないが、前回掲載時は動画サイトに彼らの映像はほとんどなかったが、昔の映像がアップされるようになり、嬉しい限りだ。
 「ツイスト」はYAMAHAポプコン出身のロックバンドで、当時最先端を行っていた「セクシーバンド」だった。ボーカルの世良は今でこそ俳優業がメインだが、1970年代はバリバリのロックシンガーで、登場した当時は衝撃的だった。ハスキーボイスとド派手なアクションが売りで、彼が作る楽曲はいずれも刺激的なものばかりだった。メンバーも男臭さムンムンで、特に世良は「ちょい悪」的な雰囲気とセクシーさを漂わせ、若い女性に大人気だった。

 1981年の解散時のメンバーは
 世良公則・・・ヴォーカル&ギター
 ふとがね金太・・・ドラムス
 鮫島秀樹・・・ベース
 神本宗幸・・・キーボード
 松浦善博・・・ギター

 シングルカット集

 1 あんたのバラード・・・デビュー曲 オーバーアクションで人気に火が付く
 2 宿無し・・・この曲が大ヒットしてベストテン1位獲得
 3 銃爪(ひきがね)・・・彼らをNo.1ロックバンドに引き上げた曲
 4 性(さが)・・・強烈なタイトルだった。この曲から「ツイスト」に改称
 5 燃えろいい女・・・資生堂’79夏キャンペーンソング この曲がピーク
 6 SOPPO
 7 LOVE SONG 日本航空’80沖縄キャンペーンソング
 8 身に覚え
 9 レイディ
10 恋のコレクトコール
11 SET ME FREE

  人気絶頂だった割に、メジャーデビューからわずか4年で解散となった。

 では、彼らの映像で当時を懐かしんでほしい。著作権削除を危惧し、4曲だけ埋め込み処理したい。(予告無く削除になる場合があります)

 彼らが全盛だった頃、私は中2だった。当時はニューミュージックブーム全盛で、シンガーソングライターが時代を席巻していた。
 アリス、オフコース、チューリップ、ゴダイゴ、クリスタルキング、甲斐バンド、ツイストがバンドをリードし、ソロは松山千春、中島みゆき、荒井由実、さだまさし、長渕剛、イルカ、南こうせつ、渡辺真知子、大橋純子、竹内まりや、八神純子らがヒット曲を飛ばしていた。ヤマハポプコン出身の一発屋も多かった。
 彼らの織り成す楽曲で成長したと言っても過言ではないほど聴きまくったし、彼らに感化されてアコースティックギターを始めた私は当時流行した楽曲を片っ端からコピーしまくった。あのクリエイティブディレクターの「箭内道彦」と中3の時に同じクラスだったが、実は当時は彼より私の方がギターは上手かったと記憶している。

 そんな中にあって、昭和50年代に颯爽と登場し、そのエネルギッシュなLIVEでのパフォーマンスは、フォーク主体の他のバンドとは一線を画していた。GSやキャロル世代ではなかった私にとっては、ダウンタウンブギウギバンド以来、初めて体験したエレキギンギンのロックだった。

 今、振り返ればもう40年近く前の楽曲だが、ベストテン番組の常連だっただけに、こうして映像で回顧できるのは何より嬉しい。中学生当時の自分に立ち返れる気がする。たぶん、同年代の方々には堪えられない映像だと思う。しかし、不思議なことに、ロックというのは、今聞いてもそんなに古さを感じない。それくらい40年近く前でも最先端の音楽だったということかもしれない。

 記事作成:1月28日(日)


今は亡き大物カリスマ俳優たち

$
0
0

 過去半世紀を振り返ると、かつては銀幕のスターが庶民の憧れとしてスクリーンを賑わし、その後、テレビの普及でテレビドラマなどで演技力に溢れた実力派俳優たちが、夢と希望を与えてくれた。
 とりわけ、時代劇、現代劇(学園・青春・刑事・アクション・恋愛や人間群像)など多種多様に繰り広げられ、私たちを虜にしたカリスマ的で存在感のある俳優たちを回顧したい。
 では、早速だが、私の独断と偏見で選んだ名優たちを印象に残る順に取り上げ、私が思う代表作も掲載したい。

 1 高倉 健   B型 幸福の黄色いハンカチ 鉄道員 駅 網走番外地
 2 三船敏郎   O型 乱 赤ひげ先生 影武者
 3 石原裕次郎 A型 日活映画 嵐を呼ぶ男 大都会 西部警察
 4 松田優作   A型 太陽にほえろ 探偵物語
 5 勝新太郎   O型 座頭市
 6 森繁久彌   B型 社長シリーズ・屋根の上のヴァイオリン弾き
 7 菅原文太   O型 トラック野郎シリーズ 仁義なき戦い
 8 丹波哲郎   O型 Gメン’75 キーハンター 大霊界
 9 渥美 清    B型 男はつらいよシリーズ
10 緒形 拳    B型 太閤記 風林火山 砂の器 鬼畜 楢山節考
11 鶴田浩二   A型 人生劇場 博徒・傷だらけの人生 大空港
12 天知 茂    B型 非情のライセンス 江戸川乱歩の美女シリーズ
13 萬屋錦之助  A型 一心太助 子連れ狼 破奉行 竜馬がゆく
14 松方弘樹   A型 仁義なき戦い 徳川家康 柳生一族の陰謀
15 長谷川一夫      雪之丞変化 近松物語 赤穂浪士
16 市川雷蔵        眠狂四郎 剣・若親分シリーズ 華岡清州の妻 
17 藤田まこと  B型 必殺シリーズ はぐれ刑事純情派
18 夏八木勲  A型 野性の証明 黄金の犬 戦国自衛隊 影の軍団 
19 大川橋蔵       銭形平次 
20 上原 謙   A型 愛染かつら 三百六十五夜 めし 
21 若山富三郎 O型 極道シリーズ 賞金稼ぎシリーズ 事件シリーズ
22 嵐 寛寿郎      鞍馬天狗
23 赤木圭一郎     拳銃無頼帖 霧笛が俺を呼んでいる 
24 名古屋 章 AB型 柔道一直線 刑事くん 日本沈没 麻雀放浪記 
25 三国連太郎AB型 飢餓海峡 八甲田山 釣りバカ日誌 
26 遠野英治郎  A型 水戸黄門シリーズ
27 芦田伸介    O型 七人の刑事 氷点 戦争と人間 人間革命
28 小林桂樹   B型 日本沈没 裸の大将 社長シリーズ 牟田刑事官事件ファイル
29 志村 喬         天と地と 黄金の日日 野良犬 羅生門 生きる
30 二谷英明  B型 特捜最前線 幕末太陽伝 青い山脈 
31 田村高廣  O型 二百三高地
32 石立鉄男  B型 奥様は18歳 パパと呼ばないで 赤い激流
33 渡瀬恒彦  AB型 仁義なき戦い 震える舌 南極物語 タクシードライバーの推理日誌
34 山村 聡  AB型 華麗なる一族  必殺仕掛人 ザ・ハングマン 東京物語
35 西村 晃   B型 水戸黄門 風と雲と虹と 炎立つ ゼロの焦点 赤い殺意 マタギ
36 高松英郎  B型 柔道一直線 藍より青く 虹を織る 夏子の酒 
37 岡田英次   O型 樅の木は残った 白い巨塔 真空地帯 砂の女 また逢う日まで
38 中条静夫   A型 ザ・ガードマン 雲のじゅうたん 赤い衝撃 あぶない刑事 
39 千秋 実    O型 肝っ玉かあさん 国盗り物語 羅生門 七人の侍 はないちもんめ
40 北村和夫   B型 源義経 天と地と 俺たちの旅 おしん 姿三四郎 黒い雨
41 片岡千恵蔵  A型 國士無双 多羅尾伴内・いれずみ捜査官シリーズ 大岡越前
42 いかりや長介A型 8時だよ全員集合 ドリフ大爆笑 踊る大捜査線
43 田宮二郎   B型 白い巨塔 クイズタイムショック
44 大滝秀治   O型 特捜最前線 北の国から 独眼竜政宗
45 杉浦直樹   B型 岸辺のアルバム あ・うん 悪女の季節 おとこ同志おんな同志 
46 本郷功次郎 A型 特捜最前線 武田信玄 大菩薩峠 釈迦
47 山城新伍   O型 白馬童子 桃太郎侍 アイアイゲーム 不良番長 
48 長門裕之   A型 太陽の季節 池中玄太80キロ スケバン刑事 古都 白虎隊
49 川口 浩   O型 キーハンター 川口探検隊
50 蟹江敬三   A型 影の軍団 スケバン刑事Ⅱ 鬼平犯科帳 あまちゃん
51 宇津井 健  A型 赤いシリーズ 渡る世間は鬼ばかり
52 林 隆三    A型 天下御免 国盗り物語 噂の刑事トミーとマツ ザ・ハングマン
53 松村達雄        赤い疑惑 少女に何が起こったか 元禄繚乱 男はつらいよ 
54 竹脇無我   A型 姿三四郎 大岡越前 だいこんの花 岸辺のアルバム
55 佐田啓二   A型 喜びも悲しみも幾歳月 鐘の鳴る丘 彼岸花 人間の条件
56 八名信夫   B型 悪役商会 昭和侠客伝 昭和残侠伝シリーズ 網走番外地
57 金子信雄   A型 生きる 真空地帯 仁義なき戦い 楽しい夕食
58 木村 功         野良犬 生きる 七人の侍 天国と地獄
59 安岡力也   O型 不良番長シリーズ ブラック・レイン
60 松山英太郎      江戸を斬る 非情のライセンス 喜劇駅前シリーズ
61 小沢栄太郎    新・平家物語 元禄太平記 雨月物語 近松物語 白い巨塔

 B型14人 O型13人 A型19人 AB型4人 

 「現在も活躍されている大物カリスマ俳優」

 1 渡 哲也    B型 大都会 西部警察 誘拐 仁義の墓場 坂の上の雲
 2 里見浩太朗 A型 年末時代劇シリーズ 水戸黄門
 3 千葉真一   A型 キーハンター 柳生一族の陰謀 戦国自衛隊 影の軍団シリーズ
 4 仲代達矢   B型 大菩薩峠 新平家物語 二百三高地 不毛地帯 乱
 5 加山雄三   A型 若大将シリーズ パパの結婚 赤ひげ 八甲田山 翔ぶが如く
 6 北大路欣也 A型 華麗なる一族 竜馬がゆく 八甲田山 空海 剣客商売 風林火山
 7 松平 健    B型 暴れん坊将軍 草燃える 峠の群像 義経 
 8 杉良太郎   O型 大江戸捜査網 一心太助 遠山の金さん 武田信玄
 9 高橋英樹   B型 桃太郎侍 国盗り物語 宮本武蔵 西村京太郎トラベルミステリー
10 渡辺 謙    A型 独眼竜政宗 沈まぬ太陽 ラストサムライ 硫黄島からの手紙
11 小林 旭   AB型  渡り鳥シリーズ 
12 田村正和   A型 パパはニュースキャスター 警部補古畑任三郎 眠狂四郎 赤穂浪士
13 藤岡 弘   O型 仮面ライダー 
14 田中邦衛  O型 若大将シリーズ 北の国から
15 西田敏行  B型 おんな太閤記 池中玄太80キロ 白虎隊 釣りバカ日誌
16 露口 茂   B型 太陽にほえろ 白虎隊
17 津川雅彦  O型 八代将軍吉宗 サラリーマン金太郎 相棒 マルサの女 葵・徳川三代   
18 古谷一行  A型 金田一耕助シリーズ オレゴンから愛 失楽園
18 武田鉄矢  O型 3年B組金八先生 101回目のプロポーズ
19 宍戸 錠   B型 渡り鳥シリーズ 国盗り物語 勝海舟 武田信玄
20 梅宮辰夫  A型  不良番長シリーズ 帝王シリーズ 仁義なき戦い 明日の刑事 
21 役所広司 AB型 Shall we dance? うなぎ 失楽園 十三人の刺客 タンポポ 陸王
22 中村雅俊  O型 俺たちの旅 ゆうひが丘の総理大臣 
23 小林稔侍    A型 キャプテンウルトラ 新仁義なき戦い 冬の華 鉄道員 はね駒
24 藤 竜也   O型 「時間ですよ」「大追跡」「愛のコリーダ」「野良猫ロックシリーズ」
25 加藤 剛   A型 大岡越前 剣客商売 砂の器 風と雲と虹と 関ヶ原
26 石坂浩二   O型 天と地と ありがとう 金田一耕助シリーズ 白い巨塔
27 近藤正臣   O型 柔道一直線 国盗り物語 黄金の日日 太平記 動脈列島
28 中村敦夫  A型 木枯し紋次郎 
29 中井貴一   A型 ビルマの竪琴 連合艦隊 ふぞろいの林檎たち 平清盛
30 水谷 豊   A型 熱中時代刑事編・教師編 相棒   
31 伊東四朗  O型 おしん 十津川警部シリーズ 北条時宗 ミンボーの女 IQサプリ
32 草刈正雄  O型 汚れた英雄 復活の日 新撰組始末記 真田太平記 花の乱 火の鳥
33 瑳川哲郎  A型 大江戸捜査網 ウルトラマンタロウ 真田太平記
34 山口 崇     大岡越前 クイズタイムショック 
35 山本 學   B型 白い巨塔 ありがとう 不良少女と呼ばれて 春の波濤

 B型8人 O型11人 A型14人 AB型2人

 映画やドラマのシーンに憧れて恋愛を参考にしたり、主役のヘアスタイルやファッション、そして生き方を自分の中に取り込んだ先輩諸氏も多かったに違いない。
 戦争を描いた作品は、二度と同じ過ちを繰り返さないように警鐘を鳴らし、平和を堅持するメッセージ的な役割を果たすし、学園ドラマでは青春時代にありがちな将来への不安や悩み、葛藤を描き、共感を得る働きをする。

 1970年代は「ありがとう」「肝っ玉かあさん」「寺内貫太郎一家」など家族の問題や絆を描いた秀作が多かった。
 1980年代以降はトレンディドラマとして男女の恋愛や職業ドラマが多く制作されるようになった。
 そんな中、本日セレクトした名優たちは、常に主役を張り、名作と呼ばれる映画やドラマに多数出演した方々ばかりだ。
 不思議と心に残る演技をした、いわゆるカリスマにしてアカデミー賞にたぶたび顔を出す大物俳優たちにはB型とO型が多い。日本人に多いA型は意外に少ない。A型は誠実にして真面目で優等生タイプが多く、こと芸能の分野では強い個性が出せずその他大勢に埋もれてしまうことが多い。泥臭い演技や人間味溢れる重厚な芝居はO型やB型には到底及ばないことが今日の記事からもわかると思う。大御所と呼ばれた方々はB型かO型ばかり
が個性が際立つ。
 しかしながら、それにしても最近は「重鎮」と呼ばれる「大御所俳優」が少なくなった。映画でも心に残るような名作が少ないし、怖さや渋さ、個性や存在感があるような名優がめっきり減ったことは芸能界の損失だ。それだけ往年の名優たちが鬼籍に入られたということか。

 今後、熟練の味や経験を重ねないと出せないような味のある演技力のある俳優が出現することを願っている。

 記事作成:1月30日(火)

 

男の花道(それぞれの最終試合)

$
0
0

 ファンから愛されたプロ野球選手たちがいる。真摯に野球と向き合い、チャンスやピンチでもファンと共に戦い、そして長らく活躍し、やがて誰にも引退の時は訪れる。
 「男の花道」という言葉があるが、それそれの選手は着慣れたユニホーム脱ぐ日、一体どんな最終試合を送ったのだろうか。そして最終打席の様子は如何なものだったのだろうか。今日は5人のプロ野球選手たちの男の引き際にスポットを当てたい。

 1 長嶋茂雄の場合

 V9時代の最強時代を牽引した。ON砲として巨人の4番の座を守り、華麗な守備でファンを沸かせ、ミスタープロ野球、チャンスにめっぽう強い燃える男として誰もが憧れる選手だった。引退試合では、ダブルヘッダーの合間に球場内を一周し、ファンの声援にこたえた。また、試合終了後、マウンド上でお別れの挨拶を行った最初の選手で、やることなすことが絵になりド派手な演出だった。しかもその時話した挨拶がレコードになり、伝説として語り継がれている。

 彼は最終試合でもファンを興奮させた。ホームランを打ったのだ。しかも王選手と最後のアベックホームランのおまけつき。やはり彼は最後までファンサービスを忘れなかった。

 2 中畑清の場合

 絶好調男とかヤッターマンという異名をとり、ファンに愛された選手であることに間違いはない。現役当初、自分は記録に残らなくても記憶に残る選手になりたいと話していた。
 最終打席は日本シリーズの第七戦で回って来た。そこでなんとホームランを放ち、自分の花道を自らのバットで飾り、ファンに声援にこたえた。

 3 原辰徳の場合

 彼は常に巨人4番の重責を背負い、厳しいプレッシャーと闘っていた。長嶋監督が成績不良を理由に辞任し、その直後に王貞治選手もホームラン30本を打ったシーズンに引退を表明した。
 ONが去った直後に彼はドラフトで巨人の指名を受けた。新生巨人の屋台骨を支えた。入団当初は三塁に中畑がいたため、セカンドコンバートとなったが、中畑が試合中に怪我をして戦線離脱し、運よくホットコーナーを守り、そのままサードの定位置をゲットした強運の持ち主でもある。藤田監督・王助監督・牧野ヘッドの下、江川・西本・篠塚・中畑らと共に新しい戦力で日本一を成し遂げた。
 原は、若大将と呼ばれ、ルックスも良くその甘いマスクで人気も抜群だった。最終試合でもまだまだやれると思わせるような豪快な一発をレフトスタンドに叩き込んだ。

 4 古田敦也の場合

 彼もまた優秀な選手だった。メガネの捕手と言う珍しい選手で、選手会長、選手権監督など多彩な才能を見せた。社会人野球で野茂とバッテリーを組み、オリンピックにも出場した。強肩強打の捕手は珍しく、監督だった野村克也の頭脳、データ野球を徹底的に叩き込まれた。野村以来となる捕手で2,000本安打を達成。ヤクルト一筋で、オールスターの常連だったし、何度も優勝を飾り、MVPにも選出された華やかな野球人生だった。監督としては振るわなかったが、野村仕込みの野球哲学や理論はピカイチだ。私は彼も日本代表監督に相応しいと思っている。
 本拠地・神宮での引退セレモニーで、内野フェンスの最上部のによじ登り、腰かけて、ファンの一番近い場所でお別れをした。また、敵地の広島でも、広島ファンからも花束が渡されるなど人脈の凄さを披露した。

https://www.youtube.com/watch?v=BCHx1TQXuhU&t=8s

https://www.youtube.com/watch?v=8D_e-cenZe8

https://www.youtube.com/watch?v=CoBrmdyiC2g&t=488s

 

 5 稲葉篤紀の場合

 ヤクルト・日本ハムでの現役生活を終えた稲葉選手。日本代表にも選ばれ、WBCも戦った。最終試合のソフトバンク戦で、試合終了後、なんと彼は敵味方両軍入り乱れての胴上げをされる一幕があった。彼はファンだけでなく、同僚や他チームの選手からも尊敬と愛をもって受け入れられていた選手だ。実はその前年、ソフトバンクの小久保が引退した際に、日本ハムの選手も彼を胴上げした。その返礼の意味合いもあって、胴上げされたのだった。最後の試合で、まさかこんな感激する場面が用意されていたとは、まったく想像だにしえなかったに違いない。

 さて、野球はいつの時代も国民的スポーツと言って良いほど人気が高い。少年野球に始まり、高校野球、そしてプロへと進むのはほんの一握りだ。並大抵の努力や才能では生き残れない厳しい世界だ。そんな中、多くのファンに声援を貰い、第一線で活躍できた選手は幸せだと思う。大多数は、自由契約や任意引退などでひっそりと表舞台から去っていくのが通例だ。今日紹介した選手は、多くのファンや同僚から愛され、惜しまれつつ球界を去った方々だろうと思う。

 記事作成:1月26日(金)

パクリ国家、それは・・・

$
0
0

 平昌五輪がこの日、開幕するが、私自身はこの国にはいい印象は持っていない。なぜなら韓国はあまりオリジナリティーを持たず、日本や外国の真似事(パクリ)しか出来ない盗人民族に思えるからだ。にもかかわらず、反日批判を繰り返す愚族だということを証明する動画を挙げたい。
  なお、韓流ファンの方はここで退室願います。

 1 日本の商品を丸パクリ!えげつない韓国のCM集

 日本の商品を丸パクリした、えげつない韓国のCM集です。
ポッキー・かっぱえびせん・ハイチュウ・十六茶・明治おいしい牛乳・エビスジーンズを丸パクリした、悪びれることなくCMまで作っています。

 2 さわやかテイスティ i feel coke 日本版と韓国版のコカコーラのCM   

 完全コピーだ。日本で1980年代後半から1990年代初頭にかけて制作されて大評判だったCMを2010年代の今、韓国ではパクっている。以前から指摘しているが、韓国は日本の30年遅れだ。ユン・ソクホ監督の春夏秋冬ドラマは、40年前の日本のドラマや赤いシリーズの完コピに過ぎない。だから50代以上の日本のおばさん世代に懐かしまれて受け入れられているだけだ。自分の青春時代に夢中になった純朴な俳優が今の韓国俳優とダブって見えるからその世代にだけ受け入れられているだけだ。自分の若かりし頃の風情を重ね合わせて見ているだけに過ぎない。

 3 ピコ太郎PPAP パロディCM 韓国ロッテリア「ロングチーズスティック」   

 ここまで来ると、韓国は日本や外国の見よう見まねでしか何もできないと思える。

 4 韓国が日本のアニメをパクったが、クオリティー低くて笑劇【韓国の反応】

 これは酷い→ https://www.youtube.com/watch?v=arw-K2TYNd8
 これも酷い→ https://www.youtube.com/watch?v=nq6dZuIWtQk

 やはりパクリである以上、本家本元を越えられる筈がない。

 この動画を見た日本人のコメント

 何においてもチョンはやることなす事全てが泥棒の詐欺師民族。
 純粋にファンを喜ばせようと思うんじゃなく日本を超えて市場を奪うって考えしか持たないからダメ
 だから「パク(朴)」とか「リ(李)」とかの名前が多いんですね。
 パクることしか出来ないんだと思います。だって、彼らが求めているものは、興行収入や、名声だから。子供や後世に残したい文化への献身など考えもつか無いのだから。もう韓国や中国は第二次世界大戦後に出来た新しい国であることを認めなければならないのだと思う。新しい、新興国であることを受け入れられなければ、一生文化を理解できないと思う。

 5 韓国人が考える「韓国が日本からパクったもの20」をめぐり、韓国ネットユーザーが論争   

 1 サッカー・バスケット・野球・バレー  11 「プロデュース101」(テレビ番組)
 2 鶏卵・無鉄砲などの語         12 「無限挑戦」(テレビ番組)
 3 ラーメン                  13 箸でご飯を食べる習慣
 4 カップ麺                  14 「月光宮殿」などのアニメ
 5 コンビニ弁当文化            15 「ポロロGO」(「ポケモンGO」のパクリ)
 6 信号が変わる時の音          16 えびせんなど日本の伝統お菓子
 7 グレンジャーんど90年代の車のデザイン
 8 全プロサッカーチームのユニホーム
 9 全プロ野球チームのユニホーム
10サッカーのサポーターの声かけ 

 5 韓国人が日本からパクってきた物が凄すぎると海外で話題に!!

 「韓国が日本からパクったもの」について韓国ネットが大論争

 https://www.youtube.com/watch?v=Dg2oZPmZI7E

 しかしながら、韓国民族は、これら企業の犯罪を認知できず、日本に旅行してコンビニやスーパーなどで、類似商品を目にし、「あれこれって韓国と同じ商品っぽい」と日本が真似していると思い込むだろう。どっちが先か、商標権などで韓国に損害賠償を請求し、白黒はっきり付けたほうが良いのではないか?

 さて、これを見た日本人はどう感じただろうか?こんな模倣国家に日本を批判する権利などあるのか?
 結局は「日韓併合」で、日本の文化の高さに衝撃を受け、見よう見まねで盗作、パクリを繰り返してきたのが朝鮮文化だ。高度で最先端の技術に驚き、何とか日本に追いつき追い越せでやってきたが、それがパクリである以上、オリジナルにはとうてい及ばないことを理解できていないらしい。そんな国が兄貴分であった日本を批判するなどちゃんちゃら可笑しい。所詮は「負け犬の遠吠え」だろう。

 もう少し、日本に感謝の意を示したらどうだ。日本人の優れた文化のおかげで、韓国はこれほど経済発展もできたし、技術も教えていただき、ここまで成長できましたと。ここに至るまで日本は数百億円もの経済援助をしてきた。それを恩を仇で返すようにありもしない「慰安婦問題」をでっち上げ。「靖国問題」「竹島問題」などでいちゃもんを付け、不和表明や強烈な反日行動ばかりを繰り返す。
 もう少し、自分の立場を弁えたほうがいい。アメリカと日本からそっぽを向かれて、一番困るのは誰なのかを我に返って考え直した方が身のためだろう。

 記事作成:1月28日(日)

免許返納して欲しい面々

$
0
0

 おことわり

 「老害」という言葉はお年寄りを蔑視する差別用語で、使うべきではないと考えている。しかし、このところの高齢者による無謀運転や目に余る威圧行為や場所を弁えない言動に警鐘を鳴らす意味で、本記事ではあえて使うことを予めお断りしておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は不思議に思っていることがある。法律で自動車免許は一律、18歳にならないと取得できないと決まっているのに、どうして年齢の免許有効期限はないのか?
 最近、高齢者の逆走や認知症で自動車を運転して人身事故を起こし、逮捕されるドライバーが社会問題化しニュースを賑わしている。「自分はまだ若い」とか「年寄り扱いするな」と高を喰ってたり、過信しているお年寄りほど事故率が高い。そして若い命を奪う取り返しのつかない事故を起こしてから気づいても後の祭りだ。

 まずは動画サイトで、独善的な高齢ドライバーが、いかに迷惑な運転をしているかを見ていただきたい。

 1 平気で追い越し違反して後続車を停車させ、怒りをぶちまけるDQN

 いつから年寄りはこんな風に落ちぼれてしまったのか?本来人生の先輩として敬うべき方々なのに、こうした態度、行動、言動では尊敬の念など持てやしない。
 私はこういう輩は労りの気持ちも持てないし、こういう老人のために年金など払いたくもない。

 2 逆走しようとする老人、注意するも逆切れ

 人間歳をとると、自分が一番偉いとでも思い込んでしまうのか?それを指摘するとブチ切れてクレーマーと化す。自己中すぎる。無駄に年齢を重ねただけだ。

 3 交差点に無理やり侵入し、クラクションで脅かす老害

 交差点の先が詰まっているのに、無理やり交差点に進入し、先行車を「早く行けよ」と言わんばかりに長いクラクションで威圧する老人。こういう輩はお年寄りではなく、単なる老害じじぃだ。まともに取り合うとすると馬鹿をみる。

 まだまだ腐るほどあるDQN老害運転(クリックすれば見られます)

 4 信号が変わっているのに交差点の真ん中で停車し、走行を塞ぐ老人

  https://www.youtube.com/watch?v=Bpr1hyRTjF4

 5 左右確認もせず、いきなり出て来るヒヤリ老人

  https://www.youtube.com/watch?v=fscq6BRgVMI

  https://www.youtube.com/watch?v=1H4a_XyqMlk

 6 走行レーンに停車して小便する高齢者

  https://www.youtube.com/watch?v=27SuorIDyck

 7 わけのわからない運転 走行車線に真横に車をとめ、道を塞ぐ高齢者

  https://www.youtube.com/watch?v=Y34pPnW_0w0

 8 信号が赤なのにそのまま突っ込む高齢ドライバー

  https://www.youtube.com/watch?v=j2alzmP2oac

 9 信号が見えていない高齢者

  https://www.youtube.com/watch?v=p3uhwzsQgd0

10 左右確認を怠り、急な飛び出し&割り込みをするDQN

  https://www.youtube.com/watch?v=INTiKaNXXpM

11 交差点の中で車線変更し、バイクと接触しそうになる老人運転

  https://www.youtube.com/watch?v=gd-trA5v1Gs

12 高齢者の煽り運転

  https://www.youtube.com/watch?v=T2dce6wrBno

13 救急車にも道を譲らず我れ先に行こうとする高齢者

  https://www.youtube.com/watch?v=iMO8aGimvdM

14 逆走、信号無視からの高齢ドライバー事故

  https://www.youtube.com/watch?v=wB1v_fuZ9V0

15 パニックになって隣の車線に割り込んで来る高齢運転車

  https://www.youtube.com/watch?v=gVftgasyHWs

16 狭い道で左側からすれ違おうとする身勝手運転

  https://www.youtube.com/watch?v=9zkVztA4aqE

17 一時停止無視、直線道路でブレーキを踏みまくる高齢者

  https://www.youtube.com/watch?v=CIUad-0vTvg 

18 何がしたいかわからない軽 

  https://www.youtube.com/watch?v=1QF1FVKOX9o

19 道路の真ん中を走り、妨害する我が物運転の自転車 (自転車も軽車両です)

  https://www.youtube.com/watch?v=mKcrpNPvFCQ 

20 物陰からいきなり飛び出すじいさん

  https://www.youtube.com/watch?v=O77fAqMe1kk

 ただし、この動画を投稿している津市在住の「五島樹」というユーチューバ―は好きになれない。違法ドライバーを全摘発するかのような警察まがいの撮影で、気に入らないやつをすべて粗探しして排除しようという悪意が見える。毎週20本くらいの悪徳動画を上げ続けているキチ○イ野郎だ。毎回助手席の女性と話をしているが、常に上から目線で、ちょっとでも下手なドライバーを摘発してやろうという腹が見え見えだ。自分が一番運転が上手く正しいと思っている。非難やら批判好きはどこかの国の輩と同じだ。

 http://bakusai.com/thr_res/acode=5/ctgid=104/bid=2567/tid=4868000/

 さて、これらの動画はほんの一部だが、おそらくは、高齢者の中には「自分はまだ若いしまだ運転は大丈夫」と思っているのだろう。中には「人を年寄り扱いするな」と逆ギレする高齢者もいるだろう。私から言わせれば、身の程知らずのDQNとしか言いようがない。人命を奪う大事故を起こしてやっと気づくのだろうが、それでは遅すぎる。
 私は個人差はあるにしても、免許取得年齢の下限があるのなら、上限があっていいと思う。その年齢はズバリ75歳だ。かつては60歳が還暦であったが、平均寿命が延びて、70歳を過ぎても若い老人が増えたが、いつまでも若いつもりでいると痛い目に遭う。思考力、判断力、体力は確実に衰えている。最も衰えるのは視力で、視野も狭まるし、とっさの場合の判断力や対応力も着実に遅くなる。それが75歳だ。本当は70歳でも自動車の運転は自重して欲しい。私は車は一歩間違えれば「走る凶器」だと思っている。年間1万人近い方が、自動車事故で亡くなっている。その死者の6割以上は高齢者だ。それほど事故を起こす確率も事故の被害者になる確率も高い。

 一番怖いのは、自分が違反していることに気づかないまま運転を続けている人だ。周囲が事故をぎりぎりで回避する運転をさせていながら、自分は何食わぬ顔で平然としている奴。性懲りもなく、そんな危険運転を続けるだろう。
 自損で自らが犠牲になるのならまだしも、全く関係ない善良な市民を巻き込んでほしくはない。
 昔なら、お年寄りなら周囲の車は思いやり運転が主流だったと思う。しかし、お年寄りの運転がこれほど危険で、図々しい我が物運転と化している今は、そんな流暢なことは言っていられない。いつ事故に巻き込まれるかわかったものではない。

 ドライブレコーダーの普及で、こうした交通マナーを指摘する動画が数多くサイトにアップされるようになった。私は全車標準装備してほしいと思う。ひき逃げや当て逃げはもちろんだが、四六時中、運転が他人から見られていて、動かぬ証拠があると思えば、下手な運転は出来ないし、事故の際、どちらに落ち度があるか一目瞭然だ。
 今日紹介した動画は、ほんの一部だ。それだけ一般のドライバーが高齢者の運転が危険極まりないことを訴えている。もちろん、高齢者すべてがそうとは限らないが、年齢を重ねればこういう運転になることをきちんと高齢者自身が認識し、周囲に不安を抱かせない安全運転を行うことが求められる。その自信がないのなら、一刻も早く免許証を返納すべきだと思う。

 記事作成:1月28日(日)

郡山の魅力再発見!52 ~郡山三大○○~

$
0
0

 郷土愛から始めたこのシリーズ記事もあと書くのは数回限りだろう。4月下旬の閉鎖に向け、何を残し、何を削除するか迷っているが、旅行記、釣行記とこの「郡山」に関する記事は残す方向で考えたい。
 この記事はもう52回目だが、書いている私自身も気づかずに「へぇそうなんだ」と驚くことがある。それくらい我が街・郡山は知らないことだらけで奥が深い。だから「魅力再発見」なのだ。

 さて、今日のテーマはかつて「日本三大○○」という記事を書いたことがあったが、その地元版と言える内容だ。私が個人的興味と偏見で選んだ郡山に纏わる「三大○○」を列挙したい。

 1 郡山三大スィーツ ①薄皮饅頭 ②ままどおる ③ゆべし  檸檬やエキソンパイも

 2 三大老舗デパート ①うすい百貨店 ②丸光デパート ③津野デパート

 3 撤退した三大大型店 ①西友(西武) ②丸井 ③ダイエー(スーパー)

 4 撤退した三大家電量販店 ①いせや ②そうご電器 ③第一家電  電激倉庫も
   そうご電器はイオンフェスタ店の2Fには残ってはいるが・・・ 

 5 三大ホームセンター ①ダイユー8 ②カインズ ③ビバ

 ビバは安積町、横塚、喜久田にもあったが、今は桑野と針生にしかなくなった。
 ケイヨーD2やジョイフル山新もあるがそれぞれ1店舗しかない。

 6 今は無き三大ホームセンター ①ジャンボエンチョー ②カンセキ ③ユアファクトリー

 6 三大ディスカウント ①トライアル ②ドン・キホーテ ③THE BIG(スーパー)

 7 三大ドラッグストア ①ツルハ ②カワチ ③マツモトキヨシ

 8 三大パン店 ①大友パン ②ガトーナカヤ ③杜のくまさん(三春町)

 9 三大酒屋 ①伊勢屋(大島) ②鎌田屋(本町・安積) ③平野屋(清水台)

   日本酒では ①和泉屋 ②会津屋 ③影山酒店が品揃えNo.1だと思っている。

10 三大公園 ①開成山公園 ②平成こどもの森公園 ③逢瀬公園   

   歴史的には「麓山公園」も捨てがたい。五百渕や荒池公園、大槻公園も大きい

11 三大神社 ①開成山大神宮 ②安積国造神社 ③日吉神社

12 三大旅館 ①華ノ湯 ②四季彩一力 ③八景園

13 三大ホテル ①ハマツ ②郡山ビューホテル ③ダイワロイネット

14 都市型シティホテル ①東横イン ②ルートイン ③アパホテル

  他にもワシントンホテルやα1などもある

15 郡山本社の三大企業 ①ベニマル ②ゼビオグループ ③幸楽苑 

16 三大お気に入り神社 ①菅船神社 ②王宮伊豆神社 ③高屋敷稲荷神社

17 三大奇物 ①ペグマタイト岩脈 ②大安場古墳 ③浄土松公園きのこ岩

18 三大夜景 ①ビッグアイ24F ②あぶくま支援の下行合の坂 ③逢瀬公園展望台

19 ミステリースポット ①河鹿荘 ②磐光グランドホテル跡地 ③東山霊園

20 郡山三大温泉 ①磐梯熱海 ②采女温泉 ③休石温泉

21 三大レジャーランド ①カルチャーパーク ②ペップキッズ郡山 ③ラウンド1

22 今は無きレジャーランド
   ① 郡山レジャーセンター ②アミューズパーク ③磐光パラダイス
 
   社会保険事務所の北隣りにあった「巨大迷路」も今となっては懐かしい。

23 三大寺院 ①如宝寺 ② 善導寺 ③大慈寺

24 今は無き娯楽場 ①ミナミボウル ②郡山スケートセンター ③セントラルホール

25 震災で閉店した三大店 

   ①かっぱ寿司長者店 ②ブックオフさくら通り店 ③ ?

26 今は無きレンタル店 ①ビデオボーイ ②創夢館 ③ビデオフォーラム

   「見聞録」もあった

27 ブームが去って消えた店 
   ①KWAN(プールバー)  ②カラオケヒットスタジオ ③One Day (カラオケスナック)  

28 今は無きスポーツ店 ①アルペン ②ビクトリア ③村上スポーツ    

29 おしゃれ店 ①Bar Watanabe ②ラストワルツ ③カフェ・ド・カフェ

   カフェレストラン「四季」も素敵だ

30 今は無きおしゃれレストラン 

  ①飛行船(再オープン) ②ワンス・アポン・ナ・タイム・インアメリカ ③ぽえむハウス 

31 三大ファミレス ①デニーズ ②ロイヤルホスト ③ガスト

  「びっくりドンキー」や「まるまつ」もある。「半田屋」は郡山から撤退してしまった。

32 三大かくれ家的スポット ①緑水苑 ②21世紀記念公園内茶室 ③にしのみや

33 三大学びスポット ①開成館 ②郡山市立美術館 ③こおりやま文学の森資料館

34 三大ストア ①ブイチェーン ②シミズストア ③鎌倉屋

35 今は無きストア ①イゲタストア ②マルエー(虎丸) ③トキワスーパー

36 三大書店 ①岩瀬書店 ②ジュンク堂 ③みどり書房

37 三大総合病院 ①太田綜合 ②星総合 ③ 寿泉堂

   南東北病院も巨大病院だ

38 三大大学 ①日本大学工学部 ②郡山女子大学 ③奥羽大学(旧東北歯科大学)

39 三大団地 ①柴宮団地 ②日吉ヶ丘団地 ③希望ヶ丘団地

40 三大コンビニ ①セブンイレブン ②ファミリーマート ③ローソン

   いつの間にかハローショップとセーブオンは無くなってしまった

41 郡山三大工場 ①JR郡山総合車両センター ②日本全薬 ③保土ヶ谷化学

42 三大ノッポビル ①ビッグアイ ②D’グランフォートザ・タワー  ③寿泉堂病院

43 今は無き麓山憩いの場 ①遊園地 ②市民会館 ③児童文化会館

44 郡山を通る三大国道 ①4号線 ②49号線 ③288号線

45 三大幼稚園 ①ザベリオ学園 ②郡山女子大幼稚園 ③若竹保育園

46 三大公共建造物 ①ビッグアイ ②ビッグパレット ③開成山屋内水泳場

47 地元密着三大老舗企業 ①小田原屋 ②宝来屋 ③コマツ醤油屋

48 三大レアな店 ①メヒコ ②開成館 ③猛禽類カフェ ファルコン  

49 市民に愛された店 ①ひまわり(営業中) ②ピノキオ(閉店) ③樽川模型(移転)

50 三大蔵元 ①笹の川酒造 ②仁井田本家 ③渡辺酒造本店 

51 三大レアな遊び場スポット ①緑水苑 ②イワナの里 ③アルパカ牧場(②と同じ)

52 三大自慢 ①鯉の産地 ②合唱王国 ③安積疎水

53 三大有名人 ①西田敏行 ②市川昭介 ③湯浅譲二

54 三大プロチーム ①ファイヤーボンズ ②ホープス ③フリーブレイズ(八戸市)

55 三大功労者 ①大高善兵衛 ②太田緑子 ③関口富佐   丹治一郎も功績大

56 三大歴代市長 ①秀瀬日吉  ②和田潤 ③丹治盛重

57 三大ソウルフード ①酪王カフェオレ ②クリームボックス ③グリーンカレー

58 三大カジュアル店 ①Avail  ② gu  ③ユニクロ

59 三大衣料品店 ①しまむら ②サンキ ③シャンブル

60 花見スポット ①開成山 ②花木団地 ③藤田川

61 今は無き三大テイクアウト店 ①小僧寿し ②小銭寿司 ③ほっかほっか亭

62 今は無き三大名店 ①角海老(中町) ②女鳥羽そば(清水台) ③大野屋

63 三大和菓子処 ①愛宕屋 ②丹波屋 ③よしだや  (松風堂もあった)

64 三大殺人事件 ①広域118号 ②大久保川(未解決) ③町東看護師殺害

65 三大恐怖事件 ①大平町民家立て篭もり ②アーケード銃撃 ③集団暴行事件

66 三大歴史的建造物 ①公会堂 ② 安積歴史博物館 ③金透記念館  (開成館)

67 今は無き三大レア建造物 

   ①今泉学園五重塔(長者) ②飛行場(田村工業団地) ③巨大迷路(朝日)

68 三大タウン誌 ①こおりやま情報 ②街こおりやま(廃刊) ③リビング郡山

69 三大廃墟 ①太田記念病院(中町) ②寿泉堂病院(駅前) ③星総合病院(大町) 

70 三大危険個所 

   ①銚子ヶ滝(熊出没) ②東山霊園(フレコンバックだらけ) ③芳賀(冠水被害)

71 三大ミステリー ①郡山城の在り処 ②陣屋の在り処 ③咲田にあった屠殺場

72 三大好奇心 ①芭蕉が泊まった宿 ②静御前終焉の地 ③赤木遊郭

73 三大オブジェ 

   ①歩き出す街へ(清水台) ②駅前大通りの楽器のベンチ ③自由の女神(富久山)

74 虎丸のシンボルだった場所

   ①ベニマルさくら通り店 ②野替薬局ビル ③常盤湯(銭湯) 虎丸卓球場も

75 三大残念な店

   ①半田屋(閉店) ②まるまつ(営業時間が10時に変更 朝定食廃止) ③ビバ横塚

 記事作成:1月25日(木)~

世界ランキングでの日本メーカーの位置

$
0
0

 ビットコイン(仮想通貨)に絡み、「コインチェック」の580億円流出は衝撃的だった。若き社長は釈明会見で目を真っ赤に腫らし、自らのセキュリティ体制の甘さを謝罪していた。私はおそらく、中国人ハッカーの仕業だと考えているが、ずる賢い輩に対して、日本人の犯罪への警戒感はあまりに希薄でその対応策も疎いから格好の獲物とされるのだ。
 日本は国内だけでなく、グローバルに目を向けて物事を考えなければならない。
 ところで、現代を考えると、日本は様々な分野で¥において世界の中で優位な位置づけをキープしてきた。それは長年、先進国としてアメリカとともに世界経済をリードしてきた自負もあるが、やはり地道に、真面目に努力を重ねる日本人気質によるところが大きい。
 そこで今回の記事だが、産業や経済などさまざまな分野で、日本が世界の中でどれくらいの位置にあるのか、ランキングを見てみたい。

 1 自動車販売台数(2017)

 1位 日産・三菱・ルノー連合  約526万台
 2位 フォルクスワーゲン     約515万台
 3位 トヨタ(ダイハツ・日野)   約513万台
 4位 米ゼネラルモータース   約468万台

 以下はフォード・クライスラー・オートモービルズ、本田技研工業

  2 家庭用パソコン出荷台数(2016年)

 1位 HP シェア  20.7%          
 2位 Lenovo        20.0%
 3位 Dell             14.0%
 4位 ASUS          10.7%
 5位 Apple           10.3%
 6位 acer               9.0%
 7位 Samsung         2.4%
 8位 Toshiba           1.6%

 その他       11.4%

  驚くべきシェア分布だ。日本勢の凋落は顕著で、唯一ベストテンに東芝が入っているだけだ。これは価格が比較的安価で手に入る廉価版タイプが上位にある。日本はNECにしても富士通にしても、故障しにくく、高性能。安定した動作に趣を置いているせいか、価格が高い。国内でのシェアは高いが、世界的には受け入れられていない。これは国内製品は、不要なソフトを最初から山ほどインストールしていたり、添付しているから価格がつり上がる。解せないのは、韓国製品より、日本の製品が下という点だ。改善の余地はありそうだ。確かに日本のPCや携帯電話の利用料はバカ高い。これを国主導で是正しなければならないと思う。

 3 スマホの出荷台数世界ランキング(2016年)

 1位 サムソン    22.8%
 2位 アップル   15.3%
 3位 ファーウェイ 9.6%
 4位 OPPO     7.2%
 5位  vivio        6.0%
 6位 LG       5.5%
 7位 小米      3.7%
 7位 Lenovo     3.7% 
 9位  TCL       3.7% 
10位 ZTE       3.5% 

  日本のソニー(イクスペリア)や富士通、シャープブランドは世界のベストテンにも入らない有様。散々な結果だ。韓国のサムソンが世界一とは・・・。発火など悪い評判が立っていたが、蓋を開けてみれば「Galaxy」ブランドが世界を席巻している。個々だけを見れば日本のメーカーは完敗だ。

  保険会社世界格付けランキング(総資産額)

 1位 アクサ (フランス) 9699億ドル
 2位 アリアンツ(ドイツ) 9282億ドル
 3位 メットライフ(アメリカ)8779億ドル
 4位 プルデンシャル(アメリカ)7573億ドル
 5位 中国平安保険(中国)7532億ドル
 6位 かんぽ生命(日本)6864億ドル
 7位 リーガル&ゼネラル(イギリス)5880億ドル
 8位 日本生命(日本) 5862億ドル
 9位 アビバ(イギリス)5747億ドル
10位 ブルーデンシャル(イギリス)5734億ドル

 11以下で日本の保険会社は16位にJA全京共連、18位に第一生命、21位に明治安田生命がランクされている。

 バイクメーカーの世界市場シェア

 1位 Honda 
 2位 Hero
 3位 YAMAHA
 4位 BAJAJ
 5位 TVS Motor
 6位 Grand River

 アジアはバイク王国だ。特に、台湾、ベトナムは道路上にうじゃうじゃバイクが溢れている。ホンダのスーパーカブは未だに東南アジア系で大人気。故障知らずでメンテナンスも不要で長く走る点がウケているようだ。

 エレベーター業界の世界シェア

 1位 オーチス・エレベーター(アメリカ)
 2位 シンドラー(スイス) 
 3位 ティッセンクルップ(ドイツ)
 4位 コネ(フィンランド)
 5位 三菱

 国内シェアは1位三菱、2位日立エレベーター、3位東芝エレベーターだそうだ。

  デジカメの世界シェア

 1位 キャノン(38%)
 2位 ニコン(32%)
 3位 ソニー(8%)
 4位 アップル(4%)
 5位 富士フィルム(3%)
 6  その他 (12%)

 テレビ世界市場シェアランキング

 1位 サムスン電子(韓国)
 2位 LG電子(韓国)
 3位 TCL(中国)
 4位 ハイセンス(中国)
 5位 ソニー
 6位 スカイワークス(中国)
 7位 フィリップス+AOC(アメリカ)
 8位 ビジオ
 9位 チャンホン
10位 パナソニック

 かつて1980年代~2000年まで日本が市場を席巻していたのはもう過去の話。液晶テレビ分野では中韓にはっきりと水を空けられてしまった。これでは技術立国・ニッポンの名が廃る。

 適当に業種別にセレクトしたが、日本が世界に誇った精密機器や最先端技術を生かした製品も、中国やアジア諸国に工場を建設して安い人件費で大量生産していたことで、技術を盗まれ、日本を超えるような製品開発に成功しているのが現状。いつか中国や韓国メーカーに市場を奪われる日もそう遠くない。モノづくり日本の後継者が減ってきている今、優秀な人材が獲得できない日本メーカーは忌々しき事態に苛まれている。

 記事作成:1月29日(月)

青春っていいなぁ~と思える動画

$
0
0

 最近「ウカスカジー」や「DUFF」、「ベリーグッドマン」の曲が好きになった。それは青春群像を描いた感動する詩や曲調もそうだが、そこに登場する人々の生き生きした姿が印象に残るからだ。自分の青春時代と比較しても、現代の若者たちは、「若き日々」や「尊い時間」を謳歌しているように思える。今日は、そうした羨ましくなるようなPVや動画をセレクトしてお送りしたい。

 DUFF / ひとりじゃない ~繋がる想い~

 今では日本代表を多く輩出している「常盤木学園高校サッカー部」だが、5年前に在籍していた仲田歩夢や京川舞などが出演していたPVだ。女子校だけに、何か独特な連帯感を感じる。

 DUFF / 君に贈る詩

 ライトスタンド

 「明日へ向かう人」(半崎美子)

 https://www.youtube.com/watch?v=NPLOZuFIjpc

 かつて私自身も、息子も所属していた少年野球チーム。
 昔を思い出して涙が出そうだ。そして息子も同じ道を歩んでくれたことへの感謝と試合に出場したひとコマひとコマが瞼に焼きつき、フィードバックして鮮やかに甦る。スポ少で培ったものは仲間意識、連帯感、所属感、そして目標に向かって努力する姿勢。例え負けて報われなくても、そこから生まれる友情があったり、上には上があることを知り、更に努力をする気持ちが芽生えたり、多くのことを幼少期に学べる。

 ウカスカジー『勝利の笑みを 君と』

 小さい頃に描いていた夢に向かって歩き出す。その第一歩へ歩み出す勇気を与えてくれるようなPV。決して一人ではない。君を応援する誰かが必ずいる。連帯感や多くの励ましを感じさせてくれる。客席の大声援がプレーヤーたちを包み込み、共に戦っているような意識を与えてくれる激励ソング&PVだ。

 おそらく今冬は、NHKのオリンピックテーマ曲になっているSEKAINO OWARIの「サザンカ」が脚光を浴びると思う。以前にも当ブログで紹介したPVを再度掲載し、連日熱戦が繰り広げられることを期待して結びとしたい。

 「サザンカ」

 記事作成:2月6日(火)

 


郡山の魅力再発見!53 ~郡山の地酒と酒蔵~

$
0
0

 我が福島県は毎年5月に開催される「全国新酒鑑評会」で、5年連続金賞獲得数日本一を記録するほどの酒どころとして有名だ。特に、米どころでもある会津地方の厳しい気候は、清冽な伏流水とあいまって酒づくりには格好の環境だ。
 そして、福島県の中央に位置する郡山市もまた有名ブランド「あさか舞い」を始め、美味しい米の穫れる産地となっており、酒づくりに適した土地柄といえる。
 ゆえに「商都」として発展を続ける中核都市でありながら、ここ郡山には複数の酒蔵が点在する。今日は、それらの酒蔵とその代表銘柄を紹介したい。

 笹の川酒造

Sasanokawa_2 宝永7年(1710)創業の老舗で、郡山の酒蔵としては最も大きい。市内南部の安積町笹川地区の阿武隈川沿いにある。所在地からネーミングした「笹の川」が主力商品となっている。他にも「ほろ酔い」や「すべて山田錦」など個性ある酒づくりを展開している。
 私の中では、会津の「花春」、「栄川」と並ぶ三大酒造メーカーという印象が濃い。
                                                      
 また、「笹の川酒造」では、結婚式など何かの記念日に使える、自分だけのオリジナルラベル入りの日本酒も作れるから嬉しい。
 この「笹の川酒造」は、日本酒だけでなく合成酒、甲類焼酎、乙類焼酎、ウイスキー、スピッツ、リキュールなどを製造している会社だ。
 銘酒「笹の川」は、平成23酒造年度、平成26酒造年度で「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞している。
Sasanokawa_2

 大吟醸原酒「袋吊り」 6,480円
 特撰純米 「笹の川」 3,240円
 「すべて山田錦」 2,376円
 純米吟醸「桃華」(500ml) 1,234円  

 蔵元のHPはコチラ http://www.sasanokawa.co.jp/

 

 若関酒造

Wakazeki 郡山の市街地から南の方に行くと、「久留米」や「山埼」という地名があり、近くにはバードウォッチングや桜の名所として知られる「五百渕」という広大な公園が鎮座する。その池の南側にあるのが「若関酒造」だ。
 
 文久年間創業の老舗で、昭和36年に福島県中通りの歴史ある 蔵元3社が瓶詰め部門を協業化したことにより、現在の形態を設立されました。
 銘柄「若 関」は、いつまでも若々しく雄々しく酒造業界に躍進することを念願して命名されました。 平成14年の全国新酒鑑評会で入選した実績を持つ蔵元でもあります。阿武隈山系の 自然に恵まれた風土の蔵元では、じっくりと仕込んで酒造りを行っています。
 特に、「純米 大吟醸・さかみずき」は福島県が開発した「うつくしま夢酵母」を使用しており、香りの高いフルーティーな味に仕上がっており、kつてない芳醇さを醸しています。(郡山協同酒造組合のHPより抜粋)

Sakamizuki

 

 純米大吟醸「さかみずき」(720ml) 3,144円
 大吟醸「さかみずき」(720ml) 2,621円
 吟醸「さかみずき」(500ml) 1,519円

 

 なお、郡山市田村町谷田川地区に「たに川酒造」という蔵元があるが、ここは若関酒造の製造元と同一で、ここでも銘酒「さかみずき」を醸造している。

 

 有限会社佐藤酒造

Satosyuzou 郡山駅から北へ約1km、逢瀬川(旧名大重川)を渡り、磐越西線のガードを潜って100mほど北進すると、旧国道4号線沿いに歴史のありそうなレンガ造りの塀に囲まれた場所にたどり着く。そこに「佐藤酒造」はある。

 宝永7(1710)年創業当時は藤屋本店と称し、奥州街道筋に上質の井戸があり、藤の枝が豊かなるを見て、二本松藩主丹羽公より「藤乃井」の銘を授けられ、本日に至る。

 昨年、FTV「みんなのニュース」の「500mの小さな旅」というコーナーで、寺本緒万里アナが訪ね、そこから酒づくりのあらましをリポートした。 
                                
Fujinoi

 

 「藤乃井 大吟醸」 4,500円、5,000円
 「藤乃井 純米大吟醸」 4,500円
 「みちのくの地酒 純米酒」 1,450円  

 蔵元のHPはコチラ https://satoushuzouten.jp/product.html

 

 仁井田本家

Niidahonke_2 中心市街地から国道49号線をいわき方面に向かっていくと、田村地区に「大安場古墳」や「東山霊園」への入口がある。そこを左に折れ、巨大古墳を横目に通り過ぎ、霊園内を周回道路に沿って進み、事務所に行く道と分かれる十字路分岐に出る。そこを右折し、下り坂の途中、佐藤石材店の前の丁字路を左に入ると「仁井田本家」がある。 
 1711年の創業から300余年「酒は健康に良い飲み物でなければならない」という信条を代々受け継ぎ、日本で最初の自然酒を醸した仁井田本家は、自然米100%、純米100%、天然水100%、の酒造りをしています。 仁井田本家は日本の美しい田んぼを守る酒蔵でありたいと思っています。 (蔵元のHPより)
 歴史のある「金寶自然酒」、田村地区の特定特約店でしか販売していない幻の酒「田村」、そして主力である「穏(おだやか)」など充実したラインナップが目につく。この蔵は「全国新酒鑑評会」の金賞受賞の常連である。この10年間を見ただけでも「穏」は5回金賞に輝いた。

Odayaka
 「にいだしぜんしゅ純米吟醸」 3,240円
 「穏(おだやか)純米大吟醸」  5,940円
 「穏 純米吟醸」          3,024円
 「田村」               3,672円(特定特約店のみで販売)
 

 蔵元のHPはコチラ https://www.kinpou.co.jp/

 

 渡辺酒造本店

Watanabesyuzou 郡山の市街地北西に約10km、阿武隈川にかかる小和滝橋を渡り、剣道を三春方面に行くと、「木村公民館」の十字路にぶつかる。そこを左折し、農免道路の坂を上った道路沿いの左手(西側)にある。ただし、道路からは土手の上の奥にあることから、酒蔵自体は急坂を上らないと見えない。

 明治4年に地元向けの御神酒酒屋として創業し、これまでに全国新酒鑑評会で金賞を7回受賞、入賞2回した輝かしい受賞歴を誇る酒蔵。東北清酒鑑評会でも通算19回、福島県の金賞を24回(うち最高賞の県知事賞を6回)も獲得している実力のある蔵元。

 緑豊かな風土の中で、酒造好適米の生産に精力を注ぎ込み、地元産の酒米を自社田と契約農家で栽培している。その酒米の特性を活かしながら、高品質かつオリジナリティー溢れる大吟醸、吟醸、純米、本醸造を中心に醸造し、日本酒文化を伝承でき得る日本酒ワイナリーを目指しています。仕込み水には、あぶくま鍾乳洞由来のミネラルが溶け込んだ中硬水を使用。蔵人が一丸となって、しっかりとした味わいの中にやわらかさを持たせた日本酒造りに邁進している。オリジナルの「雪小町」は、北国の「雪」と美酒=美人の「小町」から命名し、東北・福島の美味しいお酒であるようにと祈りを込めた銘柄だ。

 私は2年ほど前、酒好きが興じてこの酒蔵を見学させていただいた。個人で飛び込みで行ったにもかかわらず、杜氏でもある気さくな社長さんが蔵内を隅々まで案内してくれて、酒づくりの行程をこと細かく説明してくれた。
 階段を上り、何と最上部から熟成段階の貯蔵タンクの中を覗き、ポツポツと泡を噴いているところまで見学させていただいた。温度管理が徹底されていて、愛飲家を唸らせる名酒というのは、細心まで気を配る地道、かつ酒を我が子同然に大切に扱う蔵元でしか造り出せないことを実感した。

Yukikomachi

 「雪小町 大吟醸蔵元入魂の雫」 11,880円

 「雪小町 純米大吟醸生原酒」    3,240円

 「雪小町 大吟醸美山錦造り」     3,240円

 「雪小町 純米大吟醸美山錦」    3,290円

 また、西田行政センターがある交差点の南東側の角に直系の販売所である「櫻家」という酒屋があり、そこで渡辺酒造本店の地酒を買い求めることが出来る。

 さて、私の酒好きは今に始まったことではないが、日本酒については知識が疎かった。それもそのはず、かつては二級酒、特級酒という区分だった。二級酒は醸造用アルコールをふんだんに入れてしまい、味わいを楽しめる代物ではなく、単に酔っ払うための酒という認識だった。アルコール臭が酷く、若い頃は好まなくなった。
 しかし、政府が重い腰を上げ、日本の宝である清酒を擁護しようという動きが平成に入ってから急に加速した。分類も精米歩合によって本醸造、純米酒、純米吟醸、吟醸酒、大吟醸、純米大吟醸などに分かれ、日本酒度や酸度によって甘口、辛口、淡麗、芳醇に区分けされる。また、酒適合米(山田錦・美山錦・五百万石など)によっても味は異なるし、使用する酵母によっても味がガラリと変わる。実に奥が深い飲み物で、それだけ手間がかかっている。
 愛飲家は、自分好みの酒を自分の舌でじっくりと味わうことが可能となった。
 私自身は20代は「イッキ!」が流行った頃で、ビールとカッコつけで飲んだウィスキーの水割りが主流。30代は焼酎、40代以降は日本酒に転換した。いくら日本酒が好きと言っても大量にがぶ飲みするほど愚かではない。本当に好きな酒をチビリチビリ、酒の肴と一緒にいただくことが何よりの楽しみになった。冬場は純米酒をぬる燗でいただくのが堪らない。

 こんな記事を書いていると、今宵も一杯飲みたくなってきた・・・。

 記事作成:2月1日(木)

昔と今で変わり過ぎのキャラクター

$
0
0

 たぶん、こんな疑問を持ったのは私だけではないだろう。漫画で登場する主人公や登場人物が、何年も連載を続けているうちに、劇的に変貌を遂げているということを。
 私が好きだった「美味しんぼ」の主人公の山岡士郎はげっそり痩せてとげとげしい印象だったのに、回が進むにつれて柔らかい雰囲気になり、結婚後は幸せ太りで急激に太った。
 「こち亀」の両さんは、当初はハードボイルドタッチだったのが、連載終了頃には庶民にも受け入れられるくらいふっくらした。
 「ドラえもん」も漫画発刊当時は目が小さかったのに、今は大きい。「ルパン三世」や「名探偵コナン」も今昔で全くタッチが変わった。
 国民的人気の「サザエさん」も初期の画像と現在は全く違う。
 これは長年書き続けているうちに、デフォルメされて、作者やアシスタントなど「制作プロ」が書きやすいタッチに、そして庶民に受け入れやすい雰囲気のキャラクターに変わっているということだろう。

 では、それらを指摘する動画が「Youtube」にアップされているので、詳しく見てほしい。

 痩せたキャラクターもあれば、逆にふっくらしたものもある。得てしてゆるキャラは「くまモン」にしても「ふなっしー」にしても太めだ。そのほうが愛嬌があるし、可愛らしさが倍増する。しかしながら、映像で比較しても、あまりにも変わっているのが顕著にわかると思う。

 初期を知っている者からすれば、相当なタッチの変化に戸惑ってしまうが、「ルパン三世」にしても「ちびまる子ちゃん」にしても、視聴者や読み手に受け入れやすいタッチに変わっている。

 記事作成:2月5日(月)

昔の郡山を知る映像集

$
0
0

 最近、「郡山の昔話」の記事を複数書いたが、映像で懐かしむことは出来るかと思い、本日、その貴重なものを蔵出ししたい。

 1 郡山機関区の白黒映像

 

 1958年(昭和33年)郡山機関区と磐越東線でロケが行われました。私が生まれる6年前の白黒フィルム映像だ。当時のSLの運転や街並みから当時の時代背景が偲ばれる。

 2 D51498号の復活運転に思いを込めて

 去る昭和43年郡山地区からSLが消え23年を経過した 平成2年、磐越西線復活に思いを寄せた時代、今は亡き旧友の柳沼さんはじめ渡辺さんたちの苦労が改めて思い出される画像です。
 私が好きだったKFBの羽藤淳子アナのリポート。土曜日の朝に放送していた「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」を毎週見ていたし、ニュースキャスターに転身した後も、福島Jチャンネルを見ていた。確か実家は久留米にあったが、結婚されて他県へと嫁いでしまった。時々SNSに近況を報告している。

 3 磐光パラダイス火災

 昭和44年2月に発生した火災映像。福島県郡山市熱海の「磐光ホテル」から火を出し、瞬く間に燃え広がり、宿泊客ら30名が焼死した。
 当時、私は5歳で、夜に多くの消防署がけたたましくサイレンを鳴らしながらさくら通りを西に向かって列をなして走って行ったのを見た。

 4 東北のウィーン

 昭和37年12月の中日ニュースの映像。郡山市が中央の文化を取入れ、音楽による町づくりを進めていることを報道。これが今の合唱王国・郡山の礎となった。わざとボカシが入っているのが残念だ。

 記事作成:1月31日(水)

第69回全国植樹祭ふくしま2018大会テーマソング【GReeeeN/福ある島】

$
0
0

 今年6月、我が福島県で全国的なイベントが開かれる。それは南相馬市で開催する「第69回全国植樹祭ふくしま2018」だ。
 原発事故以降、我が福島県は復興とは名ばかりで、林業や水産業は最盛期の10%程度にしか満たない散々な有り様だ。風評被害は少しずつ払拭されつつあるが、それでも震災前に比べたらまだまだだ。
 そんな中、全国植樹祭がここ福島県で開かれることは喜ばしく、大変意義深い。県民は、復興の旗印の下、普段の生活を取り戻すために並々ならぬ努力をしてきた。もちろん全国、いや世界中の方々の善意の輪の中で、支援を無くしては、ここまでの生活は成し得なかった。
 その方々へのお礼や感謝の気持ちを示す格好の舞台を用意してくれた。
 その後押しをしてくれているのが、我が福島県郡山市にyかりのあるバンド「GReeeeN」だ。今大会のテーマソングの楽曲を提供してくれた。かつて平成7年に開催された「ふくしま国体」のテーマ曲「JUMP!」を「アルフィー」が歌い、大いに大会を盛り上げてくれたように、今年もこの曲が福島を元気づけ、そして世界中の人々に「福島は元気です」とPRすることになるだろう。

 第69回全国植樹祭ふくしま2018大会テーマソング【GReeeeN/福ある島】

 全国植樹祭(ぜんこくしょくじゅさい)は、国土緑化運動の中核的な行事として、1950年に 山梨県で第1回が開催されて以来、毎年春に開催されている。
 大会の前身は、「愛林日植樹行事」に遡り、1950年からは、山梨県で「植樹行事並びに国土緑化大会」として第1回が開催された。1970年の第21回(福島県)から現在の名称になり、今日に至る。かつて参加者の規模が1万人を超えることは珍しくなく、平成14年に山形県金山町で開催された会場では12,000人を数えたが、2000年代にはいると地方自治体の資金難や広い植樹会場を設営することが困難などの理由で縮小傾向となり、平成25年の鳥取県南部町の会場ではスタッフを含めて7,000人規模となっている。

 大会式典では、天皇の「おことば」、天皇・皇后による「お手植え・お手まき」行事、県内外の参加者による記念植樹、国土緑化運動ポスターコンクール等の表彰行事、大会宣言が行われることが恒例となっており、国民体育大会・全国豊かな海づくり大会と並び「三大行幸啓」の一つに位置付けられている。しかし、2009年の第60回(福井県)からは天皇の公務負担軽減策の一環として植樹祭式典での「おことば」は取りやめになった。

 1977年の第28回(和歌山県)からは、秋に過去の植樹祭での手植え・手まきにより成長した木の手入れ(枝払いなど)を行う全国育樹祭が行われている。これは皇太子・皇太子妃が出席するものとされ、現在は皇太子徳仁親王と雅子妃が出席している。

 私の姉夫婦は現在、南相馬市に居住を構えている。しかも、今年のこのビッグイベントは直接指揮する立場にある。ぜひ成功を願っている。

 記事作成:2月6日(火)
 

NHK福島・平川沙英アナウンサー⑳

$
0
0

 大阪出身の新人アナウンサー「平川沙英」さんを応援する記事を書き始めたが、今回はその第20弾。NHK福島放送局で平日の18時10分から19時まで放送している「はまなかあいづtoday」のMCを務めている彼女だが、出演は岩間瞳アナと交互に隔週出演している。したがって、週単位で2週間に一度、初々しい彼女の成長を見守るために、この記事を「サポーター」的な立場で掲載していきたいと思う。
 皆さんも、ぜひ彼女を温かく見守り、応援していただければ幸いです。では、第19弾の今日は、2月14日(水)~2月16日(金)以降の出演場面をどうぞ!

 なお、平昌オリンピック特番のため、この週は「はまなかあいづtoday」はお休み。「645」のニュースと気象情報に出演。ちなみに月曜は「岩間瞳アナ」、火曜日は「吾妻謙アナ」が担当した。 

 2月14日(水)

Img_7267_rImg_7270_r

 2月15日(木)

Img_7272_rImg_7276_r

 2月16日(金))

Img_7278_rImg_7279_r
Img_7280_rImg_7281_r
Img_7283_rImg_7284_r

 なお、大変勝手ながら、この記事は2月23日(土)までの期間限定で公開いたします。

Viewing all 1757 articles
Browse latest View live