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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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震災の記憶(7周年)

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 今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸7年が経過し、8年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸7年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

 平成23年3月11日(月)午後2時46分

 その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

                     ↓

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間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。

                     ↓
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この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

                     ↓

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  車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

 そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

 動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

 ① ラジオ福島(2分41秒から)

 スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

 ② 郡山市内の店舗のカメラ

http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

 ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

 ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

 ⑤ FTVの社内カメラ

http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

 ⑦ うすい百貨店周辺

http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

 ⑧ 郡山駅

http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

 ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

 ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

 ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

 「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

 「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

 「1000年後に残したい映像」

http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

 「MIRAI2061」

 これは私の中学の同級生(同じクラスだった)箭内道彦がプロデュースしたムービーだ。私の好きな清野菜名さんが出演している。

 今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

 今、あの日から6年たっても未だに疑問に思うことがある。それは2,556人もの人たちが津波で行方不明になっているが、海沿いに住んでいた人たちは、あれほどの体験したことがない巨大地震に襲われ、「大津波警報」が出されていたにもかかわらず、なぜ津波の犠牲になったのか?津波の襲来まで20~30分は逃げる時間があった筈だ。津波に対しての過信があって逃げなかったのか?それとも逃げるための足が無かったのか?みすみす津波が来るのを傍観していたのか?家族の安否を気遣い、自宅に戻る途中で巻き込まれて犠牲になったのか?防波堤を越えて、まさかここまでは津波がやって来ないだろうという油断があったのか?
 私だったら、海釣りをやる身として、海の近くに住んでいる方々というのは、私以上に、地震や津波に対する備えや気構えはあったと思うのだが・・・。
 犠牲になられた方には不謹慎かもしれないが、逃げずしてみすみす命を落とした人も多いのではないだろうか?

 最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

  門馬よし彦 「願い」

https://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc

 震災からの記録「願い」」が完成しました。写真は、3月11日の東日本大震災以来、ラジオ福島の大和田新アナウンサーが報道取材時に撮影したものです。写真一枚一枚に人々の苦悩や悲しみを感じ、復興への道を力強く歩まなければならないことを再認識させられます。まだまだこれからです。私たちは歩み続けます。子どもたちの未来のために・・・・

 群青

 福島県南相馬市小高区。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置し、原発事故後に「警戒区域」に指定された。今もおよそ1万2000人の住民が避難生活を送っている。その小高区で唯一の中学校だった小高中学校は、現在、原発から北に37キロ離れた鹿島小学校の一角に建てられた仮設校舎で授業を行っている。

 <普天間かおり 「Smile Again」

  ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

           がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

  福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

 また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌


人気記事再掲①

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 これまで当ブログで、30回以上も血液型ネタの記事を掲載し、なおかつ35年もの長きに渡って血液型別性格診断を研究し、「血液型マイスター」を自称している私だが、この手の話題に触れずに来たことに気づいた。それはタイトルに掲げた通り、1道1都2府43県ある日本において、どの都道府県にどの血液型が多いか、その統計をとっていなかった。
 とはいえ、私は研究者でもないし、調査や統計のプロでもない、何のとりえも無い凡人のため、今回はあるサイトの資料に助けを借り、それを独自の視点で編集して公表したいと考えた次第です。私が参考にした資料は以下の2点です。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

 <参考資料>

 「図録都道府県別の血液型分布」 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7308.html

 「goo地図―都道府県血液型分布(A型)」

http://map.goo.ne.jp/datamap/datamap.php?map_id=1132

 「goo地図―都道府県血液型分布O型)」

http://map.goo.ne.jp/datamap/datamap.php?map_id=1135

 「goo地図―都道府県血液型分布(B型)」

http://map.goo.ne.jp/datamap/datamap.php?map_id=1134

 「goo地図―都道府県血液型分布(AB型)」

http://map.goo.ne.jp/datamap/datamap.php?map_id=1136

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 では、早速ですが、都道府県別に傾向を掲載し、その後、血液型別に編集し、どのような統計結果が見られ、結論が得られるか探ってみたい。

           A型    O型     B型     AB型

日本全国    38.0%  30.7%  21.8%   9.4%

 北海道     37.0%  34.9%  18.9%   9.2%

 青  森    33.2%  33.2%  25.1%   8.4%
 岩  手    34.2%  33.0%  24.4%   8.5%
 宮  城    36.6%  32.1%  22.7%   8.6%
 秋  田    34.2%  31.3%  25.2%   9.4%
 山   形    37.1%  30.2%  23.7%   8.9%
 福   島    35.6%  30.0%  23.3%  11.1%

 北海道・東北は面白い。私が北海道に2年間住んでいたときに、周囲の地元の方々はO型がやたら多いと思っていたら、やはりそうだった。O型の比率は全国1位。北海道を代表する有名人に松山千春、中島みゆき、北島三郎、倉本聰らがいるが、いずれもO型。もちろん、他の血液型でも千代の富士や細川たかし、玉置浩二、吉田美和はA型で、大泉洋がB型という例はあるが。バイタリティのあるO型を厳しい環境の「北の大地」が育んでいるという印象がある。
 東北地方を見ると、青森県はA型が全国最下位と少なく、O型と同数。そして福島県に住んでいる私は、私が親友と呼べる友達(身内も含め)には、不思議とB型ばかりだと思ったら、東北を始め、寒い地方はB型が多いことが判明。東北六県すべてが全国平均を上回っている。確かにここ郡山市もB型が多すぎ。私の友人のうち、7割はB型だ。秋田はB型が全国1位だ。色白の秋田美人はO型とB型が支えている。藤あや子はB型。ちなみに桜田淳子と壇蜜はO型、佐々木希はAB型。青森も全国2位。北東北はB型が比較的多く、性格が真逆のA型は住みにくい傾向がある。
 韓国人にB型が多いのも寒さに強いからか。B型は基本的に体がパンパンに張っていてムチムチ肌が多い。
 また、東北はAB型が少ないが、福島だけは突出している。なんと全国1位。これは福島県もB型の割合が高く、A型と結婚する率が比較的高いため。A型は7道県いずれも全国平均より少なく、生活がしづらいかもしれない。のっけから面白いのは、接している隣接県であってもその分布には差異が顕著だということ。

           A型    O型     B型     AB型

 茨   城    34.8%  31.5%  23.2%  10.5%
 栃   木    35.2%  31.9%  24.2%   8.7%
 群   馬    36.5%  30.2%  22.7%  10.6%
 埼   玉    39.4%  29.2%  21.7%   9.8%
 千   葉    36.3%  33.3%  22.2%   8.1%
 東   京    37.8%  31.1%  22.1%   9.1%
 神奈川    37.6%  31.5%  21.0%   9.9%

 関東地方は、埼玉のA型が4割近くに上る。しかし関東の他県のA型は、全国平均をすべて下回る。また、大島優子を輩出した栃木のB型は多すぎ。4人に1人はB型。千葉のO型もかなりで、青森のA型よりも多い。勤勉で責任感が強いA型が、集団就職で都会へ出稼ぎに出ている影響か?関東は、埼玉を除き、O型が多いことがわかる。都会でも自活して頑張っていけるO型のバイタリティーの強さと社交性抜群の性質がなせる業だ。

           A型    O型     B型     AB型

 新  潟    37.2%  29.8%  22.7%  10.2%
 富   山    37.8%  30.9%  21.7%   9.6%
 石   川    37.2%  30.5%  22.5%   9.8%
 福   井    37.2%  33.1%  21.4%   8.4%

 北陸地方はほぼ同じ比率。A型はいずれも37%。しかし米どころ、酒どころの新潟はO型が少なく、合理性の塊であるAB型が多い。一方、福井は反対にO型が多く集まり、AB型が少ない土地柄。北日本、つまり寒い場所はA型が少ない傾向。石川は日本のほぼ平均値。物腰が穏やかで尽くすタイプが多い石川の女性。お武家出身だけあって「嫁にもらうなら金沢の女性」と言われるが、血液型との因果関係はなさそう。

           A型    O型     B型     AB型

 山   梨    39.6%  29.6%  20.9%   9.9%
 長   野    36.5%  27.8%  24.7%  11.0%
 岐   阜    40.2%  31.8%  20.3%   7.9%
 静   岡    37.0%  31.9%  22.8%   8.4%
 愛   知    37.4%  30.7%  22.6%   9.4%

 中部(東海・信越含む)地方は実に興味深い。A型は岐阜と山梨に集中。岐阜はB型とAB型が異常に少ない。長野はO型が少なすぎて、その分B型の25%近い数値は高い。長野は日本第2位のB型産地。AB型の11%も全国2位。県境を接し、御獄山のある岐阜と長野はAB型で3%以上も違う。同様にA型も3.5%も差がある。静岡はO型が多い傾向。

           A型    O型     B型     AB型

 三  重    36.2%  30.1%  23.8%   9.9%
 滋   賀    39.0%  27.7%  22.9%  10.4%
 京   都    38.8%  29.1%  22.3%   9.9%
 大   阪    39.8%  31.6%  20.3%   8.3%
 兵   庫    38.9%  30.6%  21.0%   9.5%
 奈   良    39.5%  31.3%  19.7%   9.5%
 和歌山    37.3%  31.4%  22.3%   9.1%

 近畿地方は三重と和歌山を除き、いずれもA型が多い。格好良さと都会への憧れが強いことを反映している。一方で滋賀県のO型は極端に少ない。一般的にO型が少ないとAB型が増える傾向がある。血液型遺伝子構造から説明がつく。

           A型    O型     B型     AB型

 鳥   取    40.6%  30.1%  20.4%   8.9%
 島   根    40.3%  28.5%  21.0%  10.2%
 岡   山    38.4%  29.1%  22.0%  10.5%
 広   島    40.2%  29.6%  21.2%   9.0%
 山   口    39.0%  30.7%  20.8%   9.5%

 中国地方は「桃太郎」でお馴染みの岡山県を除き、A型偏重傾向は顕著。というか西日本方面に向かうにしたがってA型が多くなる。それに伴い、AB型も増え、O型は減少傾向。出雲大社で有名な島根はO型は少ない。どの地方もそうだが、AB型は1割前後。自分以外の9割が自分とは異なる血液型で、性格や発想が違うとしたら、AB型は世渡り上手になるしかない。そのへんがAB型が事務能力に長け、協調性があって合理的な考え方を生み出したのかもしれない。鳥取のA型は日本で第3位。

           A型    O型     B型     AB型

 徳   島    41.6%  30.2%  20.4%   7.8%
 香   川    39.6%  30.6%  21.0%   8.8%
 愛   媛    41.0%  27.8%  21.0%  10.2%
 高   知    40.3%  28.1%  21.9%   9.7%

 四国地方はやはりA型上位。徳島は全国1位のA型産出県。逆にAB型が全国一少ない。両極端だ。阿波踊りはA型中心に成り立っている。調和が売り。みかんの産地と坊ちゃんの故郷・愛媛のO型が少ないのは意外だが全国最下位。ちなみに夏目漱石はA型。温暖な瀬戸内気候はA型が多いようだ。嫁にするなら「石川県の女性」に反して、高知の女性を嫁にすると気が荒くて喧嘩が絶えないと言われている。それは地域性によるもので、血液型は因果関係はなさそう。

           A型    O型     B型     AB型

 福  岡    41.5%  28.6%  20.6%   9.2%
 佐  賀    38.7%  28.3%  22.6%  10.4%
 長  崎    39.3%  29.4%  21.1%  10.3%
 熊  本    39.9%  30.1%  20.3%   9.7%
 大  分    39.9%  28.0%  21.2%  10.9%
 宮  崎    40.0%  30.1%  19.3%  10.7%
 鹿児島    39.8%  30.8%  20.5%   8.9%
 沖   縄    36.0%  33.0%  21.6%   9.4%

 九州地方はA型が圧倒。全国1位の福岡を始め、すべての県で全国平均を上回る情勢。A型は真面目で勤勉、責任感が強いと思われがちだが、キレやすく、喧嘩っ早い性格でもある。ドスの利いた特徴のある話し方で、福岡=やくざという認識を持った時代があったが、かっこつけや自分を大きく見せたがったり、威圧傾向もA型の特徴を汲んでいる。
 一方、O型とB型は少ない。軒並み全国を下回る。AB型の比率は興味深いものがあり、大分と鹿児島では、同じ九州なのに2%も違う。

 一方、沖縄は傾向が異なる。O型が33%と全国4位。暑過ぎる所や北海道のように寒すぎる所、つまりは離島については、体力があって、生きる力やバイタリティに溢れるO型の天下である。一方で、A型は全国で7番目に少ない。

 総括すれば、気管支が弱く、風邪を引きやすいA型は温暖な土地を好み、楽天的で脂性で骨が丈夫なB型は寒い東北に多い。また寒暖の差が激しい離島には、生きる力があるO型が多数分布している傾向。AB型はO型が少ない県に多いことが判明。なぜならO型の血からはAB型は生まれないからだ。

 続いて血液型別の順位として、上位トップ10と下位トップテンを掲載したい。

 <A型>

 A型が多い都道府県    A型が少ない都道府県

 1位  徳島          1位  青森
 2位  福岡          2位  岩手
 3位  愛媛          3位  秋田
 4位  鳥取          4位  茨城
 5位  高知          5位  栃木
 5位  島根          6位  福島
 7位  岐阜          7位  沖縄
 7位  広島          8位  三重
 9位  宮崎          9位  千葉
10位  大分・熊本      10位  群馬・長野

 A型が比較的温暖な瀬戸内海周辺や九州に多く分布していることが判明。逆に、東北地方など、寒い地域には少ないことがわかった。忍耐強いA型という私の固定概念は覆された。

<O型>

 O型が多い都道府県    O型が少ない都道府県

 1位  北海道         1位  滋賀
 2位  千葉          2位  長野
 3位  青森          3位  愛媛
 4位  福井          4位  大分
 5位  岩手          5位  高知
 6位  沖縄          6位  佐賀
 7位  宮城          7位  島根
 8位  静岡          8位  福岡
 8位  栃木          9位  岡山
10位  大阪・岐阜       9位  京都 

 O型は、北海道や沖縄などの離島に多い。日本地図を広げれば、北日本・東日本に多く生息していることが判明した。反対に、四国・九州、中国地方には極端に少なくなっている。O型特有の絆や共同社会向きで社交性のある性格がデータに顕著に現れている。北海道や沖縄などは、助け合いの精神がなければ務まらない。 

<B型>

 B型が多い都道府県    B型が少ない都道府県

 1位  秋田          1位  北海道
 2位  青森          2位  宮崎
 3位  長野          3位  奈良
 4位  岩手          4位  大阪
 5位  栃木          5位  熊本
 6位  三重          6位  岐阜
 7位  山形          7位  徳島
 8位  福島          8位  鳥取
 9位  茨城          9位  鹿児島
10位  滋賀         10位  福岡

 B型は北海道を除く寒い地域で、山々が多く自然環境が豊かな場所に多く分布。東北6県のうち5県がベスト8に入っている。B型は東北地方が安住の地なのかもしれない。反対に近畿、九州地方はB型が少ない。ごみごみした場所や暑いのは苦手かもしれない。

<AB型>

 AB型が多い都道府県    AB型が少ない都道府県

 1位  福島           1位  徳島
 2位  長野           2位  岐阜
 3位  大分           3位  千葉
 4位  宮崎           4位  大阪
 5位  群馬           5位  福井
 6位  茨城           5位  静岡
 7位  岡山           5位  青森
 8位  滋賀           8位  岩手
 9位  佐賀           9位  宮城
10位  長崎          10位  栃木

 不思議なことにO型とB型が多い県にはAB型が少ない。ベスト10に九州が4県入っている。一方、AB型は、福島は別として東北地方に少ない。

 さて、今日の記事はいかがだったでしょうか。地方や地域によって、結構異なる傾向が見られたのは、私自身も正直驚いた。こうした資料は、その都道府県の民族性や特徴を顕著に物語っている。
 最後に、血液型による性格の特徴を挙げるが、どの都道府県がそうした傾向が強いか窺い知ることができると思う。つまり、それがその都道府県の県民性ということだ。

 A型性格・・・真面目・几帳面・責任感強い・他人行儀・一匹狼・我慢強い・神経質
         悲観的・取り越し苦労・プレッシャーに弱い・呼吸器系に弱い・筋肉質

 O型性格・・・肯定的・個性好き・赤色好む・色白・風見鶏・おおざっぱ・無神経
         球技が得意・力関係に敏感・バイタリティあり・親分肌・グループ形成

 B型性格・・・マイペース・あまのじゃく・楽天家・好奇心旺盛・原色好む・自分スタイル
         神出鬼没・固定概念打破・話術達者・脂性・骨ばっている・細身体型

AB型性格・・・事務的応対抜群・合理的な発想・存在感薄い・頭脳的・50:50
         疲れに弱い・平和主義者・霊媒能力有・協調性・ボランティア精神旺盛 

 記事作成:2014年10月13日(月)

 

人気記事再掲②

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる有名人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 「あなたは○○に似ている」と言われてどう思いますか?
イケメン芸能人や、美人女優で名が通っている人であれば悪い気がしないだろう。しかし、不細工な芸人にそっくりなどと罵られれば、不機嫌になることこの上ない。
 では芸能人や有名人同士ではどうなるのか?芸能人は顔を売ってなんぼの職業なので、政治家と同様に公人扱いで、プライベートも常に衆人環視の下に置かれ、これでは
怖くて外も歩けない。マスクやサングラスなど、変装は日常茶飯事だし、いつ何時カメラで狙われているのか気にしながらの生活を強いられる。大変な職業だ。
 この流行廃りが激しい芸能界において、過去何年もテレビを見続けてきた私にとって、次々デビューする芸能人にある、共通点が見えてきた。それは雰囲気が似ている方々
が多いという点だ。人間には、そっくりな人が3人いるというが、まさにドッペルゲンガー状態を地で行くのがこの世界だと思う。これをテーマにした記事は、以前に当ブログ内のシリーズ記事「芸能人そっくりさん」で取り上げているが、その特別編ということになる。
 では、私が思う、「イメージがダブる芸能人」を列挙したい。予想通り、タイプを分ける際、同じ血液型で括りが出来ることを証明したい。なお、このグルーピングは、個人的な感想ですので予めご了承ください。  

 女性アイドル・タレント・モデル・女子アナ・アスリート

 鈴木奈々(B型)・金田朋子(B型)・野沢直子(B型)・篠原ともえ(AB型)
 押切もえ(A型)・山口もえ(AB型) 
 佐藤かよ(A型)・真鍋かをり(A型)
 奏音(A型)・神田沙也加(A型)
 高島彩(B型)・古畑星夏(B型)・鈴木あきえ(A型)

 藤田ニコル(A型)・市川美織(O型)
  佐野量子(A型)・清野菜名(B型)
 後藤久美子(O型)・鷲尾いさ子(AB型)
  皆藤愛子(B型)・重太みゆき(AB型)
  研ナオコ(A型)・久本雅美(A型)
 インリンオブジョイトイ(O型)・えれな(O型)

 田代さやか(B型)・優香(O型)
 河北麻友子(O型)・山本美月(O型)・能勢慶子(O型)
 小嶋陽菜(O型)・市川結衣(A型)
 桜井日菜子(O型)・滝口ひかり(O型)  
 中野美奈子(B型)・林寛子(B型)

 桑子真帆(A型)・岩崎ひろみ(A型)
 八木かなえ(B型)・近野成美(B型)
 小野紗由利(A型)・菊池麻衣子(O型)
  朝長美桜(O型)・小嶋真子(O型)・市川美織(O型)
 川口春奈(O型)・桜庭ななみ(O型)・小池里奈(O型)
  長野美郷・伊藤友里・島田奈美・やまがたすみこ・岡本舞子・尾崎ナナ(全員O型)色白・
 丸顔・ロリ顔

 篠崎愛(A型)・大沢あかね・中村静香(O型)
 宮澤智(O型)・宮司愛海(O型)
 長野翼(A型)・椿原慶子(A型)
 芳本美代子(B型)・伊藤美紀(B型)
 坂口杏里(B型)・仲里依紗(B型)

 中野美奈子(B型)・加藤ローサ(A型)
 戸川純(B型)・シンディ・ローパー
 新井恵理那(O型)・松井玲奈(O型)
 田中萌(O型)・森田美位子(みいこ)(B型)
 小林麻耶(A型)・森崎友紀(A型・料理研究家)・misono(B型)

 根本美鶴代(A型)・松坂慶子(A型)
 藤井美菜(A型)・山本博美(A型)
 佐藤江梨子(AB型)・岸明日香(B型)
 インリンオブジョイトイ(O型)・柳ゆり菜(O型)
 酒井千佳(O型)・坂下千里子(B型)

 尾崎ナナ(O型)・おかもとまり(O型)
 大場久美子(A型)・小林麻耶(A型)ぶりっ子系
 二階堂ふみ(O型)・平愛梨(O型)・MIOちゃんとYAEちゃん
 浅野温子(A型)・清水富美加(A型)筧美和子(A型)・・戸川純(B型)・高梨臨(A型)・森下愛子(AB型)
 山川恵里佳・矢口真里・岡村真美子(3人ともA型)
                       
 牧野結美(B型)・阿部華也子(B型)
 夏目三久(O型)・林美沙希(O型)
 上野由比(B型)・磯部さちよ(A型)
 川田裕美(B型)・鈴木沙喜代(B型)・小倉優子(B型)
 蒼井優(A型)・永野芽都(AB型)

 安達祐美(A型)・橋本環奈(AB型)
 栁ゆり菜(O型)・熊江琉唯
 東尾理子(A型)・中村江里子(O型) 
 永島優美(A型)・遠藤玲子(A型)
 渡辺麻友(AB型)・吉木誉絵(A型)

 泉里香(A型)・蛯原友里(O型)
 加藤紗里(O型)・辻希美(O型)
 中島遥(A型)・佐野量子(A型)・小倉優子(B型)
 井森美幸(A型)・にしおかすみこ(A型)
 紗栄子(O型)・舟山久美子(O型)

 浅尾美和(O型)・木之内みどり(O型)
 木村文乃(AB型)・藤澤五月(?)
 

 女性シンガー

 坂井泉水(A型)・吉岡美穂(A型)・小野彩香(A型)
 尾崎亜美(B型)・平松愛理(A型)
 伊藤蘭(O型)・桜田淳子(O型)・森高千里(O型)
 Ami(B型)・石野陽子(AB型)
 鈴木亜美(A型)・住吉美紀(A型)

 吉澤ひとみ(O型)・宮澤佐江(O型)
 きゃりーぱみゅぱみゅ(B型)・益若つばさ(B型)
 家入レオ(A型)・MEGUMI(A型)
 桜井日奈子(O型)・浜辺美波(B型)
 越智志帆(SUPERFLY)(A型)・豊田真由子(A型)

  女優
                                           
 伊藤つかさ(O型)・瀧本美織(O型)・有森也実(O型)・高井麻巳子(O型)
 北川景子(O型)・菜々緒(O型) 小顔・ロングヘアの美形
 蛯原友里(O型)・伊東美咲(O型)
 加藤あい(O型)・相武紗季(O型)
 井川遥(B型)・優木まおみ(B型)・鹿沼優紀(B型)

 吉高由里子(O型)・蝦名由紀子(O型)
 土屋太鳳(O型)・瀧本美織(O型)
 吉永小百合(O型)・曽田麻衣子(O型)
 吹石一恵(A型・・雛形あきこ(A型)・杉野真実(A型)
 竹内結子(A型)と松たか子(A型)

 本田翼(O型)・比嘉愛未(B型)
 黒木華(B型)・田中裕子(B型)
 高畑充希(AB型)・有村架純(B型)
 富田靖子(AB型)・広瀬すず(AB型)・藤巻紗月(B型)
 片瀬那奈(A型)・紺野まひる(A型)

 黒川智花(O型)・・松島花(O型)・波留(O型)
 星野知子(O型)・江口ともみ(O型)
 武井咲(A型)・藤井美菜(A型)・山本博美(A型)
 桜庭ななみ(O型)・宮武美桜(O型)・小池里奈(O型)・篠原愛美(O型)・南沢奈央(O型)
 能年玲奈(A型)・野崎舞夏星(女子相撲)

 大塚寧々(B型)・坂下千里子(B型)
 松岡茉優(B型)・絵美里(B型)・黒島結菜(A型)・石橋杏奈(A型)・花岡なつみ(O型)
 ミムラ(B型)・本上まなみ(B型)
 稲森いずみ(B型)・榎本加奈子(B型)
 市毛良枝(O型)・原日出子(O型)・山田べにこ(たぶんO型)

 野村真美(O型)・新妻さと子(O型)
 石田ひかり(A型)・石原さとみ(A型)・斎藤とも子(AB型)
 藤吉久美子(AB型)・石田ゆり子(A型)・本仮屋ユイカ(A型)
 高橋ひかる(O型)・蓮佛美沙子(O型) 
  桐谷美怜(A型)・新垣結衣(A型)・岡副麻希(A型)

 木村佳乃(A型)・秋野陽子(A型)
 長谷直美(O型)・浅茅陽子(A型)・森下愛子(AB型)
 内田有紀(O型)・瀬戸朝香(A型)
 藤原紀香(A型)・奥居香(O型)
 西田尚美(B型)・大塚寧々(B型)・深津絵里(O型)

 手塚理美(AB型)・香坂みゆき(AB型)
 仲間由紀恵(A型)・貫地谷しほり(A型)
 小雪(O型)・壇蜜(O型) 
 小泉今日子(O型)・長澤まさみ(A型)
  いとうまいこ(B型)・石野真子A型)

 小林麻美(O型)・柴咲コウ(B型) ・藤村美樹(A型)
 広末涼子(O型)・国谷裕子(B型)
 相武紗季(O型)・南明奈(O型)
 白石美帆(A型)・三浦理恵子(A型)
 古村比呂(O型)・田中好子(A型)

 原千晶(O型)・岡崎友紀(AB型)
 田中麗奈(A型)・岩本乃蒼(A型)
 井上真央(O型)・中村静香(O型)
 多岐川裕美(O型)・平愛梨(O型)・夏純子(O型)
 林寛子(B型)・アイリス(マレーシア人シンガー)

 広瀬アリス(AB型)・比嘉愛未(B型)
 南野陽子(B型)・林寛子(B型)
 石原さとみ(A型)・今野杏南(A型)
 上戸彩(O型)・本田真凜(A型)
 田中美佐子(O型)・安田美沙子(O型)

 仲里依紗(B型)・坂口杏里(B型)
 波瑠(O型)・葉月里緒菜(B型)
 吉岡里帆(B型)・飯豊まりえ(B型)・綾瀬はるか(B型)
 小芝風花(A型)・古畑星夏(B型)
  芦田愛菜(A型)・我孫子里香(?)

 比嘉愛未(B型)・相田翔子(B型)
 土屋太凰(O型)と恒松祐里(B型)
 吹石一恵(A型)と雛形あき子(A型)
 川島海荷(O型)と山口恵梨子(女流棋士)
 水谷果穂(B型)と阿部華也子(B型)と荻野目洋子(B型)と福田典子(AB型)

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 男性シンガー

 山下達郎(B型)・佐野元春(B型)
 大瀧泳一(AB型)・河島英五(B型)
 前田宣輝(A型)・大友康平(A型)・世良公則(A型)
 小田和正(A型)・財津和夫(O型)
 浜田省吾(O型)・甲斐よしひろ(O型)

 中西圭三(AB型)・久保田利伸(O型)
 村下孝蔵(O型)・千住明(作曲家)
 氷室京介(O型)・石井竜也(O型)
 因幡晃(?)・井上陽水(AB型)・佐村河内守(?) 
  滝沢秀明(A型)・瀬戸康史(A型)

 近藤真彦(O型)・植草克秀(O型)
 ピーター(A型)・美川憲一(A型)
 桜井和寿(O型)・坂口健太郎(O型)
 堂本光一(B型)・山田涼介(B型)・京本政樹(B型) B型の典型顔
 

 男優・男性タレント・アナウンサー・アスリート

 石橋凌(AB型)・竹内力(A型)
 松村雄基(B型)・清水宏次朗(B型)
 陣内孝則(B型)・佐野史郎(B型)
 藤村俊二(B型)・稲川淳二(AB型)
 仲雅美(B型)・沖雅也(B型)

Oki

 永岡佑(AB型)・永瀬正敏(B型)
 佐藤隆太(A型)・田原俊彦(B型)
 佐藤健(A型)・松坂桃李(A型)・成宮寛貴(A型)
 小出恵介(A型)・中村蒼(A型)
 JOY(A型)・ユージ(O型)

 川崎麻世(B型)・湯江健幸(AB型)
 上川隆也(A型)・富川悠太(A型 O型という説もあるがA型)
  今井雅之(O型)・千昌夫(O型)
 宮根誠司(B型・橋下徹(B型)
 中島裕翔(A型)・三浦春馬(AB型) 

 上川隆也(A型)・富川悠太(A型)
 松山ケンイチ(B型)・松山英樹(B型)
 池田勇太(O型)・小久保裕紀(AB型)
 瀬戸康史(A型)・中島健人(A型)・千葉雄大(O型)・渡辺和弘(O型)
 舘ひろし(A型)・イ・ビョンホ(O型)

 西島秀俊(A型)・奥秋直人(O型/TUFアナウンサー)
 風間トオル(O型)・坂井有生(O型/FTVアナウンサー)
  玉山鉄二(O型)・長瀬智也(O型)
  村上弘明(A型)・阿部寛(A型)・岩城滉一(A型)
 里見浩太朗(A型)・北大路欣也(A型)・萬屋錦之助(A型)

 土井正三(O型)・杉原輝雄(O型)
 小泉進次郎(AB型)・宮崎謙介(O型)・野茂英雄(B型)
 ディーン・フジオカ(A型)・武豊(O型)
 高知東生(B型)・桐谷健太(O型)・坂本昌行(O型)
 伊藤英明(O型)・加藤泰平(テレ朝アナ)

 反町隆史(AB型)・成宮寛貴(A型)
 竹野内豊(O型)・大谷亮平(O型)
 林遣都(O型)・新田真剣佑(B型)
 田中実(O型)・羽生結弦(B型)
  市原隼人(A型)と鈴木伸之(AB型)

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 芸人

 東MAX(O型)・ピース綾部(O型)
 山里亮太(AB型)・六角精児(O型)
 西野亮廣(O型)・敦士(A型)
 ヒッキー北風(B型)・タカ(B型)
 おかずクラブ・オカリナ(A型)・山田花子(A型)

 萩本欽一(A型)・林家木久扇(A型)
 スギちゃん(B型)・とにかく明るい安村(B型)
 所ジョージ(O型)・テリー伊藤(O型)
 タカトシのタカ(B型)・ヒッキー北風(B型)
 明石家さんま(B型)・柱谷哲二(B型) 切れ長の目はB型の特徴

 ざっと見てきたが、顔が似ていたり雰囲気が似ている方たちは、血液型が同じだったりする。私の思い込みかもしれないが、不思議と印象が似ているものだ。これはB型の人が血液型について否定したり、嫌ったりするのと同じくらい覆しようのない事実なのだ。気づけばA型の男性がO型が好きになるのも、A型の女性がB型男性を好きになるのもそういう傾向からだ。もちろん育った環境も大事な要素だが、こうした血液型の性格を知ることで、相性が良いか否かを前もって判断材料にすれば、恋愛や結婚生活が上手くいくかもしれない。

 記事作成:2016年12月17日(木)

 なお、この記事は、似ている芸能人同士を発掘した場合、順に不定期に追記して行きたいと思います。
 

人気記事再掲③

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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はじめに

 今回の記事は、宗教に関しての個人の私見を述べたものであり、特定の宗教団体を中傷するものではありません。かつて宗教の名のもとに、それに没頭するあまり、前後不覚に陥ってしまい、その結果、犯罪行為に走り、世間を騒がせた教団が複数あった。再発防止に向け、警鐘を鳴らす意味でここに掲載したい。 

 日本は憲法で「信教の自由」を定めており、誰がどの宗教を信仰してもお咎めがない時代である。かつては隠れキリシタンとして踏み絵や西洋では魔女狩りが横行した時期があった。しかし、いくら信教の自由があっても、それに没頭し、のめり込むと、理想と現実の区別が無くなり、その中でしか生きられなくなる。そして法を侵し、犯罪行為に走る例も少なくはない。外国ではイスラム教徒を中心に、宗教差別や派閥争いで紛争や戦争が絶えることは無かった。「宗教」の名のもとに殺戮や人殺しを行っては、その存在意義が失われてしまい、それこそ本末転倒だ。
 今日は、宗教は人の死に切っても切れない存在だが、陶酔しすぎた挙句、常識を見失い、周りが見えなくなり、犯罪に走った教団を取り上げたい。ここでいう「カルト教団」とは、信者を死に至らしめたり、逮捕者を出すなどの犯罪行為を行った一味ということだ。日本で起きたもの限定で掲載したい。

 イエスの方舟

  65年頃から、聖書を研究する宗教団体「イエスの方舟」 に入信した女性が家出し、家族から捜索願が出されるということがあった。彼女たちは 教祖「千石イエス」らと共同生活を送っていたが、その家族たちが「娘を返せ」と押しかけ、イエスの方舟の一行は各地を転々とした。
       80年7月、行方をくらませた「方舟」の一行が熱海で発見された。

Yes

 しかし、この団体は強制的な拉致などではなく、信者自らの意思で出家したものであり、逮捕者はなく、教祖も不起訴となったが、当時世間を騒がせ、ビートたけし主演でドラマ化もされた。

 真理(みち)の友教会

 1950年に和歌山県で宮本清治が教祖となり設立された。「正しい人生を歩んで心を清めること」、「救いを死後の天国に求めること」などを教義に掲げる。一部の信者たちは宮本の自宅で集団生活を送っていた。
 1986年10月、教祖の宮本清治が病死し、その夜、真理の友教会は、浜の宮海岸に近い集会所に信者70人ほどが集って「お別れ会」を行なった。翌日の早朝、浜の宮海岸で、宮本の妻、義母、養女を含む7人の女性信者の焼死体が発見され、灯油を用いた集団焼身自殺とされた。

 オウム真理教

 かつて存在した麻原彰晃を開祖とする日本の仏教系(原始仏教、チベット仏教)の(新興)宗教団体。一般市民に向けて、日本で初めて化学兵器のサリンを使用し、大量殺戮を行ったことで世界を震撼させたテロリズム行為を行った組織でもある。上九一色村に巨大なサティアンと呼ばれる施設を建設し、一般社会と隔離した中で、修行と称し、信者を出家させ、財産を差し出させ、共同生活を行っていた。信者はヘッドギアを被り、微弱の電波を流すなど。洗脳行為を施し、脱走できないようにした。
 また坂本一家弁護士殺害や松本サリン事件、VXガス噴霧、目黒公証役場の職員を誘拐拉致して殺害、国家公安委員長の狙撃、更には地下鉄サリン事件を起こし、組織的な凶悪犯罪を次々実行した。犯罪史上まれに見る凶悪事件で、未だに教祖であった麻原以下、死刑判決が確定した幹部たちが刑を執行されないのも疑問だ。

OumOum2

  このカルト教壇が怖いのは、東大出の医師や有名大学出身者が幹部を務め、トップエリートたちが入信し、ピラミッド型の組織を形成し、絶対神だった麻原の指示命令で動いていた。

 女性祈祷師による信者連続殺人事件

 別名「福島悪魔払い殺人事件」と呼ばれる、凶悪犯罪事件であり、1995年に福島県 須賀川市で発覚した自称祈祷師の女と信者らが、除霊と称して信者7人に激しい暴行を加え、殺害と重傷を負わせた事件。
 1994年の暮れから1995年の6月まで、祈祷師の女E宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、Eの娘Fと信者の男Gと同じく信者の男Hが中心となって『悪魔払い』や『御用』と称して殴る蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。
 同年7月5日、重傷を負った女性信者Iの入院をきっかけに、警察がE宅を家宅捜査したところ、信者6名の腐乱遺体を発見、4人を逮捕した。後に被害者であるIも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。この事件による死亡者は、逮捕されたGの妻、男性信者J、Jの妻、Jの娘、男性信者K、女性信者Nの6名。

 この主犯格の江藤幸子は死刑判決を受け、最高裁で判決が確定後、2012年9月27日、宮城刑務所において死刑が執行された。

 https://www.youtube.com/watch?v=cboUOf_fA9I

 私は2年前、この現場となった民家を訪れ、遠巻きに写真を撮ろうとしたが、それまで一度も壊れたことがないデジカメのSDカードがぶっ壊れた。悪霊的な作用があったとしか思えない。それ以来、もう二度と近くには行かないことに決めた。

 パナウェーブ研究所

 千乃裕子を教祖及び代表とする千乃正法会という宗教組織の一部門で、新宗教団体の一つである。「スカラー電磁波は人体にとって有害である」と主張している。また、電磁波から身を守るために白装束を身にまとっている。また、移動用の車両には、電磁波を防ぐ効果があるという渦巻き模様の図柄を貼り付けている。 

 山中に砦やアジトを築き、信者が共同生活を送っていた。車や建物、周囲を白い布やトイレットペーパーで覆うなど、とにかく白装束で異様な服装、怪しげないでたちであった。マスコミが連日のように押しかけ、話題になったが、映像のように重機で威嚇するなど、言動・行動ともに異常であった。

 ライフスペース

 もともと自己啓発セミナーであったが、次第に変質していき、主宰者がインドのサイババに指名された「シャクティパット・グル」であると自称(サイババはこの件を否定)するようになったり、「シャクティパット」と称する相手の頭部を手で軽く叩く行為で病気を治せるといった主張をするようになる。
 1999年11月11日、あるホテルから成田警察署に「4か月以上も宿泊している不審な客がいる」との通報を受け、署員が同ホテルの部屋を捜索。ミイラ化した男性遺体が発見された。
 主宰者は「ミイラには15℃の体温があり、死んでいれば0℃になるはずであり、従ってミイラは生きている」「自らの体には血液ではなく空気が流れている」と荒唐無稽な主張を行い有名となる。
 後に、この「ミイラ事件」で主宰者に殺人罪での有罪判決が出ている。これは、脳内出血で入院していた男性を連れ出し、適切な治療を受けさせねば死亡する可能性が高いことを知りながらも、適切な治療を受けさせず死亡させたという趣旨の判決である。

 法の華三法行

 かつて存在した新宗教団体。教祖は福永法源(本名:福永輝義)。「宗教を超えるもの」だとして『超宗』を自称し、『天行力』の大看板を掲げ、テレビやラジオで放送枠買い取り番組を流したり、著書の広告を四大新聞に打つなどして知名度を上げ、東京ドームで『天行力大祭』を挙行した1995年の最盛期には、公称信徒数10万人を豪語した。

 しかし、足裏診断と称する個人面談において「前生の悪い因縁を放っておくとガンになる」「このままでは2001年に人類は滅亡する」等の脅し文句で信者の不安を煽り、仏舎利と称する物や福永の手形色紙等を売り付けた他、「法納料」の名目で多額の金銭を巻き上げた行為が詐欺罪に問われた。
 2000年に教組の福永と幹部のほぼ全員に当る12名が摘発された。被害総額は600億円以上に達し、事件発生当時には豊田商事事件に次ぐ大型詐欺事件であった。
 翌2001年3月29日に教団は破産宣告を受け、宗教法人としても解散処分を受けた。

 「最高ですか~」が決め台詞で、信者は「最高で~す!」と叫ぶ異様な雰囲気だった。

 https://www.youtube.com/watch?v=Q2XMMXcVYs0

 エホバの証人

 1985年、交通事故で輸血しないと自分の息子が死亡する危機的状況にもかかわらず、信教の聖書に則り、両親が輸血を拒否し、結果、息子を死に至らしめた事件が発生。

 http://www.jwstudy.com/ja/blood_suzuki_dai/

 わが子の命よりも宗教の掟を優先させた親の所業に、当時物議を醸した。

 また、宗教ではないが、矯正施設でシゴキが原因で暴行して生徒を死なせた「戸塚ヨットスクール」事件もあった。また、千葉県君津市にある某寺では、飼っていた虎二頭が逃げ出し、山狩りなどを決行したが、結局一か月見つからず、最後は射殺される事件も発生した。寺の境内で猛獣を飼うなど、宗教家は一般人の感覚とはズレ、麻痺しているとしか思えない事件が続発した。

 それにしても、日本には様々な新興宗教が存在する。郡山にも「創価学会」、「立正佼成会」、「幸福の科学」、「霊波之光」、「生長の家」、「エホバの証人」、「顕正会」、 「真澄寺院」などの支部がある。これらは危険なカルト教団ではないし、それらが悪いとは言わないが、自分で信仰するだけならいっこうに構わないが、周囲を巻き込んだり、勧誘をしないで貰いたい。自らの信じる宗教があるのは良いが、それを他人に押し付けるのは趣旨が違う。
 かくいう私も北海道に住んでいた時に、当時、日本でもっとも信者の多い超有名な宗教法人の勧誘を受けたが、きっぱりと断った。勧誘された友達だと思っていた奴とはそれっきり疎遠になった。人を巻き込むのはやはり違うと思う。それに宗教に嵌ったり、凝る人というのは、或る意味信念が強く、人の意見に耳を貸さない人が多い。攻撃性があったり、批判的であったり。得たいの知れない宗教団体(教団)は、何をしでかすか怖いし、断ると報復されるのではという不安が付きまとう。存在しているだけで脅威となる。自分の信念に基づき、自分だけで信仰して貰いたいものだ。
 
 また、本来、人を救うためにある筈の宗教で、中東や西欧では宗派対立が激化し、宗教の名のもとに殺し合いを演じている。何事もバランスが大事で、それにのめり込むとろくなことがない。活動資金を得るために虚偽の献金報告や不正送金問題、政治家への違法贈賄などで悪質な犯罪を組織ぐるみで行っている団体もあるやに聞く。反社会的行動を行うのは宗教の名を語る暴力団と一緒だ。

 なりふり構わず自分が信じた道を邁進するのが宗教の恐ろしさで、まぁ何事もほどほどで、あまりのめり込まないことをお勧めしたい。

 最後に、日本の宗教団体の信者数のトップ10を付記したい。(西野神社社務日記より)

 1位 神社本庁       約 6,800万人
 2位 幸福の科学      約 1,100万人
 3位 創価学会             約 827万人
 4位 浄土真宗本願寺派 約 694万人
 5位 浄土宗                 約 606万人
 6位 立正佼成会         約 428万人
 7位 高野山真言宗     約 410万人
 8位 日蓮宗                 約 385万人
 9位 天理教                 約 163万人
10位 霊友会        約157万人

 この統計を見てびっくり!新興宗教が数多くランクインしている事実。他人には内緒で、こっそり信仰している人がいかに多いことか・・・。結婚してその宗教が判明してびっくりするケースも多そうだ。ちなみに私は上のどこにも属していない。檀家が如宝寺なのでバレバレだが・・・。弘法大師・空海が祖だ。

 記事作成:2017年2月11日(土)

 追記

 この記事を書いた翌日、またしても芸能界に衝撃的なニュースが沸き起こった。前日、「にじいろジーン」を体調不良を理由に番組を欠席した女優の清水富美加が「幸福の科学」への出家を理由に、芸能界を電撃引退することを発表した。信じられない。事務所との契約がまだ残っているのに、出演予定の番組をすべて一方的に自主キャンセルするなど、やはり宗教にのめりこんだ結果、周囲が見えなくなり、お世話になった方々にまでも迷惑をかけることになった。それにしてもこの番組はベッキー、その代役の清水と不祥事が連続し、祟られているとしか思えない。

 私が取り上げたテーマが、その直後に注目を浴びるというジンクスはまたしても証明された。
 

人気記事再掲④

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 おことわり

 本記事は、著作権および故人の名誉に関わる記載が多分に含まれているため、自主規制により公開日、時間を限定してお送りしていますことをご了承願います。

 昨年12月は、あまり有名人が亡くならなかったので安心していたら、年が明けて相次ぎ訃報が飛び込んで来くるようになった。まず、1月8日に名テレビプロデューサーだった横澤彪さんが亡くなった。ほどなく14日には、甘い語り口調と低い声で女性を魅了した細川俊之さんが自宅で転倒し、硬膜下血種により不慮の死を遂げた。そして同じ日には、一時期、華々しくブラウン管に登場し、そのユニークな風貌と「ガハハ」という明るい笑い方が特徴的だった名演出家の和田勉さんまでが逝ってしまった。それぞれ亡くなった年齢はまちまちだが、テレビを賑わしていた有名人が亡くなるたびに、私は人生というものについて深く考えさせられる。私の身内を考えても、まず昭和62年に祖母が病気で亡くなり、平成15年に父親が急死、そしてその二年後の平成17年には私が尊敬して止まなかった祖父までもが天国へと召されていった。母方の祖父母も既に他界している。そしてつい先月には伯父までもが旅立った。かつての同僚や知人、友人などを含めたら、一体何人の方をお送りしたのだろう。葬式は、故人と最後の決別を行う大事な人生のエピローグのセレモニーなのだが、私は参列するのが年と共に辛く思えて来た。人間、いつかは死ぬと言う避けようのない事実を付きつけられるからだ。亡くなった人は、周囲の親しい人の記憶には残るだろうが、二度と生きては戻らない。時々記憶を辿りながら思い起こし、その人となりを回顧することで供養したいと考える次第である。そういう意図から、今回は、芸能界などで特に若くして亡くなった方々を20人、アットランダムにピックアップし、彼等を偲んでみたい。

Ozaki 尾崎豊(1965年11月29日-1992年4月25日 26歳で没)

 日本版ジェームスディーンであり、B型の特徴らしくカリスマ(教祖)的な存在として若者に支持された。優等生としての生活に嫌気がさし、青山学院の高等部を中退。音楽にのめり込んだ。1983年、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビュー。4枚目のシングル「卒業」が大ヒットする。愛や夢を追い求め、学校や社会の不条理に立ち向かう少年の心の叫びのようなその歌の世界が若者の共感を呼び、カリスマ的存在となる。代表曲は他に「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」など。26歳という若さでの突然の死はファンに大きな衝撃を与え、今なお尾崎を慕うファンは絶えず、その曲の数々は現在でも多くのアーティストにカバーされ続けている。1992年年(平成4年)4月25日、早朝の足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、通報で病院に運び込まれる。体が傷だらけだったが、診察した医師は深酒によるアルコール依存という診断で尾崎は妻とともに自宅マンションに戻る。しかし、午後になり呼吸が止まっているのに気がついた家族が消防に通報。搬送先の日本医科大学付属病院で死亡した。葬儀は東京都文京区の護国寺にてファン葬が行われ、参列者は4万人近くに上り、美空ひばり、吉田茂に次ぐ規模であった。彼がこの世を去って19年が経つとはとても信じられない。今でも「尾崎信者」はごまんといる。

http://www.youtube.com/watch?v=4R4EVAfaamE

Hide hide(1964年12月13日-1998年5月2日 33歳で没)

 本名は松本秀人。日本のミュージシャン、アーティストであり、ご存知ロックバンド、X JAPANのギタリストであった。1987年初めに当時のXに加入。PATAも加わって、メジャーデビュー時のメンバー構成になり、たいていの楽曲でリードギターを担当した。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンス、ビジュアルで自らを主張し、YOSHIKIとはまた一味違う存在感を放った。他のメンバーが派手なビジュアルを止め、徐々に素顔を見せるようになる中で、HIDEだけは「ファンからどう見られるか」に徹底して拘り、ヘアースタイル、ステージ衣装にビジュアル性を重視し、独自の個性を貫き続けた。1993年から開始したソロ活動では、作詞、作曲、ボーカル、ギター、ベース(一部曲)、プロデューサーなどほとんどを自らが行ったマルチプレーヤーである。1998年5月2日、朝7時30分頃にhideは自宅マンションの寝室にて、ドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態で、同居していた婚約者によって発見された。病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。この後ファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。その後ワイドショーなどで死亡の原因について麻薬中毒などの憶測を呼んだこともあった。警察の発表では、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われると語っているが、真相はわかっていない。しかし、私達は1990年代を代表する人気ギタリストのひとりを失ったことに変わりはない。AB型。

http://www.youtube.com/watch?v=qbeWAt6nRfk&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=poe932qQykc

Takahashi   高橋良明(1972年9月2日-1989年1月23日 16歳で没)

 彼は僅か16歳という若さで人生の幕を下ろした。アイドル俳優として、TBS系列の「うちの子にかぎって」というドラマに出演し、人気が沸騰していた。また「天使の反乱」という曲もリリースした。しかし、1989年(昭和64年)1月5日夜、オートバイを運転していた高橋は、車道を横断してきた中学生の歩行者に接触、バランスを崩して路上駐車していた自動車に激突、負傷した。現場は横浜市青葉区から川崎区麻生区にかけての地域であり、事故後、高橋は東京都稲城市の脳外科病院に救急搬送された。初期治療後、様態は回復に向かっていたとも思われたものの、同月22日に容態が急変、意識不明となり、翌23日午前2時46分に帰らぬ人となった。死亡当日、聖マリアンナ医科大学において司法解剖が行われ、死因は頭部打撲による小脳くも膜下出血及び中脳出血と診断された。将来を嘱望された俳優だっただけに当時のファンの悲しみは大きかった。彼の弟もまた同じ事故で意識不明の重体を負い、役者としての再起は果たせていない。O型。

http://www.youtube.com/watch?v=mLR1Ojc5DG0

Horie 堀江しのぶ(1965年8月18日-1988年9月13日 23歳で没)

 1985年、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を受賞し、イエローキャブに所属。芸能界デビュー時からグラビア・ドラマ・バラエティーなど、各分野において活躍した。しかし、1988年前半頃から腹痛や食欲不振などで体調を崩し、4月8日に緊急入院。その時点で、既に末期の「スキルス性胃がん」が卵巣にも転移しており(後に卵巣を全摘)、余命数ヶ月と診断されたが、本人には本当の病名を伏せていた。それから約5か月後の同年9月13日、わずか23歳の若さで逝去。最期の言葉は「わたし…仕事がしたい…」だったという。生前は礼儀正しい人柄と性格の良さにおいても評判が高かったこともあり、彼女の夭折は故人の関係者やファンだけでなく、芸能界全体にも多大な衝撃を与えた。大の親友同士でもあったマリアンは彼女の死に号泣し、親子のように交流を持ち、他界直前に実姉をガンで亡くしていた横山ノックも、参列した葬儀の席で「ガンが憎い」と悲嘆したという。代表作は「毎度お騒がせします」、「野球狂の詩」、「誇りの報酬」、「男女7人秋物語」など。A型。

http://www.youtube.com/watch?v=BEuppn4dtOM

Akagi 赤木圭一郎(1939年5月8日-1961年2月21日 21歳で没)

 1958年、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。その西洋的風貌や退廃的な雰囲気がこれまでの日本人俳優にはない個性として評判を呼び、「トニー」の愛称(1950年代~1960年代にかけ人気のあったハリウッドスター・トニーカーチスにどことなく風貌が似ていたことが由来)で主人公の弟分や準主役級として出演するようになった。鈴木青順監督の『素っ裸の年令』(1959年)で初主演。その後『拳銃無頼帖』シリーズなど20本以上の無国籍アクション映画に主演し、日活のアクション俳優として、“マイトガイ”小林旭、“タフガイ”石原裕次郎に続く「第三の男」と呼ばれた。『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では少年時代からの憧れだったという船乗りを演じ、「マドロス姿が最もさまになる日活俳優」と評価された。より多忙になる中でステレオやスポーツカー、オートバイなどに趣味を広げ、カーマニアとしても知られるようになった。1961年2月14日の昼下がり、映画『激流に生きる男』セット撮影中の昼休憩時にセールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセル(乗用車とは逆位置)を踏み違え60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突、慈恵医大病院に緊急入院。一時は意識が戻ったものの、1週間後の2月21日、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため21歳の若さでこの世を去った。

http://www.youtube.com/watch?v=0H24IuR0IOg

Ohba 大場政夫(1949年10月21日-1973年1月25日 23歳で没)

 WBA世界フライ級王座を合計5度防衛した。現役世界王者のまま事故死したため「永遠のチャンプ」と称される。1965年6月1日に帝拳ジムに入門。1970年10月、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイを13回KOに降し、WBA世界フライ級王座獲得。帝拳ジム初の世界王者となった。1973年1月2日、日大講堂で行われた5度目の防衛戦の相手は「稲妻小僧」の異名を持つベテラン、チャチャイ・チオノイ(タイ)。初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに12回、チャチャイから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転ノックアウト勝利を収めた。しかし1973年の1月25日午前11時22分頃、愛車シボレー・コルベットを運転中に、首都高速5号線池袋線・大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越えて反対車線に出たところで大型トラックと正面衝突。現場はトラックの下に車がめり込んだ状態でつぶれており、駆けつけた救急隊も生存の可能性がないものと判断せざるをえないほどの惨状であった。この事故で現役世界王者のまま死去した。

http://www.youtube.com/watch?v=kkRMyUtb0e4&feature=fvst

https://www.youtube.com/watch?v=kkRMyUtb0e4

Takahashitoru 高橋徹(1960年10月6日-1983年10月23日 23歳で没)

 彼は天才と呼ぶにふさわしい自動車レーサーだった。1983年、ヒーローズレーシングからF2とGCの全シリーズに参戦することになった。全日本F2選手権第1戦の予選前に行われた公開練習で、並み居る強豪を尻目に高橋が最速タイムを記録し、関係者の度肝を抜く。更に予選ではいきなり4位、本戦でも最終ラップ、ヘアピンで星野をかわして中嶋悟に次ぐ2位に付け衝撃のデビューを飾る。国内トップ・フォーミュラにおける新人のデビュー戦最高成績を挙げ、一躍トップドライバーの仲間入りをした。5月の全日本F2選手権第4戦「鈴鹿J.P.Sトロフィーレース」に於いては予選で当時の鈴鹿サーキットのコースレコード1分56秒46を叩き出しポールポジションを奪取。これほど速く頂点に上り詰めたドライバーは、日本のレース史上、過去にも現在にも存在しないと言われる。ただし決勝は3位で悲願の優勝は成らず、高橋自ら体力不足を敗因に挙げた。全8戦で行われる全日本F2は前半を終えランキング6位。新人としては決して悪くない位置だったが、デビュー戦で2位を獲った事で周囲もファンも優勝を期待。高橋自身も「1位しか価値がない」と周囲に漏らしていたと言われる。また、富士での事故の直前には、成績が伸び悩んでいた。そんな状況の中で迎えた、10月23日の富士GCシリーズ最終戦「富士マスターズ250キロレース」。高橋は決勝レースでトップを走る星野一義を追走していたが、2周目の最終コーナー立ち上がりでスピンを喫する。車体は木の葉のように舞い上がり、車体上面(運転席付近)から観客席フェンスに突き刺さるようにクラッシュ。マシンやその破片の直撃を受けた観客一人が即死、一人重傷、二人が軽傷を負うという大事故となった。高橋は富士スピードウェイの医務室に運ばれたが死亡が確認された。まだ23歳と17日だった。彼の死後、富士スピードウェイは改装され、高速バンクは姿を消した。私はその3年後の1986年に、彼の死を悼み、友人とバイクでそのサーキット場を訪れ、実際に使用されなくなったコースを歩いてみた。すると傾斜がきつく、とても立っていられないほどバンク角度は凄まじかったことを覚えている。

http://www.youtube.com/watch?v=nxfW638zUyg ← レースの模様

http://www.youtube.com/watch?v=mH-iErDw

http://www.youtube.com/watch?v=CG0pWI8VsSY&feature=fvwrel

Abe 阿部典史(1975年9月7日-2007年10月7日 32歳で没)

 ノリックの愛称で人気があった若き天才2輪レーサーだった。5歳からバイクに乗り、ポケバイ、ミニバイクレースを経験した。15歳で渡米しダートトラック、モトクロスの修行をする。全日本ロードレース選手権フル参戦一年目の1993年に最高峰クラスの500ccクラスにおいて、史上最年少の18歳でチャンピオン、そして500ccクラス最後のチャンピオンとなった。1995年よりWGPフル参戦。1996年の世界GP第3戦日本GP(鈴鹿)では、1982年のスウェーデンGPでの片山敬済以来の日本人ライダーによる500ccクラスの優勝を飾った。しかしながら、運命の2007年の10月の或る夕方、川崎市の片側2車線の市道の右側車線を500ccスクーター型バイクで北上中、左側車線から突然Uターンてきたコンビニエンスストア配送用の4トントラックに衝突し、午後8時50分過ぎ、搬送先の病院にて32歳の若さで急逝した。AB型。

http://www.youtube.com/watch?v=IMyliAYs7NU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=CLDo-msRHWA

Natsume 夏目雅子(1957年12月17日 - 1985年9月11日 27歳で没)

 東京女学館の小中高を卒業。1976年日本テレビ・愛のサスペンス劇場のオーディション486人の応募者の中から盲目のヒロイン役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優デビューした。1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名する。またブレイクのきっかけを作ったこの時のCMディレクターが後の直木賞作家で夫の伊集院静であった。なお、このときの撮影ロケ地はチュニジアであった。
 その後、TBSの『すぐやる一家青春記』で二回目の連ドラ出演し、東映『トラック野郎』にも6代目マドンナに抜擢された。1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を得る。1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、出演続行を望む本人を何とか説得して、翌2月15日慶應病院に緊急入院した。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。8月下旬からずっと高熱を発し、9月8日に突然熱が一時的に引いたが、翌日から高熱を発して意識不明の重体に。1985年9月11日午前10時16分、帰らぬ人となった。まだ27歳だった。彼女の美しさは永遠のものとなって人々の記憶に刻まれ、時々CMなどで彼女の在りし日の姿を偲ぶことができる。B型。

http://www.youtube.com/watch?v=YYD65lRsvBg&feature=related

Matsuda 松田優作(1949年9月21日 - 1989年11月6日 40歳で没)

 刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。1970年代後半から東映セントラルフィルム作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。主演したドラマ『探偵物語』など、後進への影響も大きく、男気にあふれ情に厚く、その勇猛な人間性と卓越した演技力から、1980年代を通じてもっとも重要な日本の映画俳優の1人と評価されている。身長185センチの長身でタフなキャラクター・抜群の運動神経と長い手足を生かしたその動きはそれまでの俳優にはない独自のものであり、アクション シーンにスタントマンを使わなかった。1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優・吉永小百合と共に主役を演じる。この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。1989年(平成元年)11月6日、午後6時45分、入院中の西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため死去。主な出演作は「探偵物語」、「蘇える金狼」、「家族ゲーム」、「ブラックレイン」、「暴力教室」、「野獣死すべし」など。A型。

http://www.youtube.com/watch?v=Klc27EJgw8g

 さて、ここで一息。一様に言えることは、若くして亡くなるとそれだけ衝撃的だし、その影響力もずば抜けて大きいということだ。 本日20人を一気に紹介するつもりだったが、それぞれに歴史とエピソード、そして伝説があるため、どうしても長くなってしまった。焦らすようで悪いが、今回の記事も前編と後編に振り分けてお送りしたい。本日の10人は、いずれも急死した人が多く、病気ということを世間には伏せていたケースや事故で何の前触れもなくあっという間に命を絶たれた方々である。それだけに世間に与えたショックは甚大であった。だから「運命」という言葉では片付けられないくらい、人生とは儚きものである。本人は死という観念も覚悟もないままに命を奪われている訳で、おそらく死と向き合う時間すら与えられなかったであろうし、志半ばでさぞかし無念であったろう。今も存命ならば、スクリーンを賑わす大スターになっていたとさえ思えてならない。謹んでご冥福をお祈りします。

 記事作成:2011年1/18(火)

人気記事再掲⑤

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
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 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
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 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 本日は昨日と同じテーマである。今日は日本だけでなく外国の有名人も加えてみたい。そして今日は、もちろん集めた訳ではないのだが、不思議にも自ら命を絶った方々が多くなってしまった。若くして亡くなるのは病気ももちろんあるのだが、やはり将来を悲観したり、役者や歌手としての壁にぶつかり、もがき苦しみ、鬱傾向に陥り、衝動的に死を選ぶケース、また、芸能人に多いとされる薬物に依存し、やがては中毒に至り、正当な判断が出来なくなったケース、更には女性に多いのが失恋を苦にしての自殺が多いように思える。私達ファンからすれば、理解しがたいほどの強い衝撃を受けることになるが、同時に後追い自殺ということも決して珍しいことでないのだ。芸能人は文字通りスターであり、光輝く存在であってほしいと常々願っている。では志半ばで散って逝った往年の若きスター達の人生劇場を振り返ってみたい。 

Okadayukiko 岡田有希子(1967年8月22日-1986年4月8日 18歳で没)

 1980年代中期のトップアイドルの一人。ポスト松田聖子として期待され、活躍 していたが、アイドルとしての絶頂期に自殺してしまった。それは衝撃的だった。当時の報道では思いを寄せる俳優にフラれたことがきっかけで(真相は謎だが)、自宅マンションで手首を切り、それでも死に切れず、ガス自殺未遂、更にはその治療直後に所属する四谷の芸能事務所の屋上近くから投身自殺を遂げてしまった。1986年の夕方の番組中、ニュース速報で伝えられ、我が目と耳を疑った。その時、自分は大学3年生で東京(三軒茶屋)に住んでいた。私は彼女のファンではなかったが、人気アイドル歌手の衝撃の急死のニュースはショックだった。もちろん若者にも大きな影響と波紋を与えた。彼女は名古屋市熱田区の出身で、1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りした。1984年4月に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。「ユッコ」の愛称でファンから慕われた。1986年1月、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がオリコン初登場1位となる。憧れだった歌手として順風満帆そのものだったのに、あのようなショッキングな自殺をしたことがあまりにも唐突で信じがたい事実だった。その後、後にユッコ・シンドロームと呼ばれることになる、類例のない規模の後追い自殺(ウェルテル効果)が起こり、当時の衆議院文教委員会で取り上げられる大きな社会問題になった。その人数はなんと115人とも言われた。O型。

 当時のニュース映像 https://www.youtube.com/watch?v=NJ968RkzApM

 ワイドショー映像(閲覧注意) https://www.youtube.com/watch?v=B7cPgL70fHo

Honda 本田美奈子(1967年7月31日-2005年11月6日 38歳没)

 1985年にデビューしたアイドル歌手で、当時は珍しいへそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出と相俟って本田の名を広く世間に知らしめた。代表作は「Temptation(誘惑)」と「1986年のマリリン」だった。1990年代以降は主にミュージカルで活動した。代表作は「ミス・サイゴン」。オーディションでは、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。天使の歌声とまで称された美声で観客を心酔させた。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーにも挑戦した。しかし、2004年末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。本田は翌年1月12日、急性骨髄性白血病との診断を受けて緊急入院、その翌日にはその事実が公表された。その後、2度に渡る化学療法を行ったり、治療として骨髄移植が考慮され、骨髄バンクではドナーが見つからず、同年5月、臍帯血移植を受けた。同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月初旬に再入院し、輸入新薬による抗がん剤治療を受けた。その後、肺への合併症から容態が急変し、同年11年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、永遠の眠りについた。親友のひとりの南野陽子は、追悼番組で気丈に振舞ったものの、その姿が痛々しく、視聴者の同情を誘った。O型。

http://www.youtube.com/watch?v=pHxE5tpNzbI&feature=related

Kawai 可愛かずみ(1964年7月9日-1997年5月9日 32歳で没)

 彼女の死もまた衝撃的だった。当時交際を噂されていた元ヤクルトスワローズの主力投手だったK選手の自宅マンションの7階から飛び降り非業の死を遂げたのだった。これに至るまでも3回に渡り、リストカットを繰り返していた。彼女は私と同い年だっただけに残念である。彼女に関しての印象はA型らしく生真面目で、精神面が脆く、傷つくと立ち直りが遅い。出演では「ひょうきんベストテン」の中森明菜役や私が大好きだったドラマ「季節はずれの海岸物語」の新井徳子(とっこちゃん)という役柄で鶴太郎がマスターをしていた喫茶店を手伝う役柄を演じ、好評を得ていた。優としての評価は高く、特に悲哀な内容の演技には周囲が絶賛していた。「若手女優でも将来が期待された一人だった」と多くの関係者が語っている。可愛の演技力が増していくことで、晩年のものぐさにも見えるアンニュイな雰囲気を漂わせる役柄の印象が、ありのままの可愛だと思う人が多かった。1992年に実力派女優として認められ、日活80周年記念作品『女猫~美しき復讐者~』の主役に抜擢された。

http://www.youtube.com/watch?v=qrsbkOn_ERs

Okita 沖田浩之(1963年1月7日-1999年3月27日 36歳で没)

 神奈川県川崎市出身の元アイドル、俳優。青山学院大学の夜間部を中退。デビューのきっかけは、1980年代に若者の中で大流行した「たけの子族」のリーダーをして躍って人気を博していたことから芸能人事務所にスカウトされた。TBS系列のテレビドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズの松浦悟役で出演し、人気を博した。1981年には「E気持(イーきもち)」で歌手デビュー、曲がヒットした。また熱狂的ファンの親衛隊も多数結成された 。数ある親衛隊統制による、ステージ用の応援コールとして、「HIROはとってもいい男、今日は絶対チャンピオン、スーパーアイドル沖田浩之G.U.T.SガッツヒーローH.I.R.O.Y.U.K.Iいつでもヒーローチャンピオンゴー」というコールも作られた。その後は歌手、俳優として活躍していた。代表作は映画「私をスキーに連れてって」やVシネマにも出演するなど芸の幅を広げようと必死だった。そして俳優・津川雅彦が代表を務めるグランパパプロダクションに移籍、その後も俳優として堅実な歩みを続けていた。津川からは死ぬまで芸を磨けと叱られてばかりだったという。そして、1999年3月27日に自宅で首吊り自殺を図り死去、その理由は不明である。自殺の原因は当時、仕事が減っていた事に悩んでの自殺ではないかと囁かれた。なお沖田だけでなく、弁護士の祖父、企業経営者であった父(1996年9月)、父の生前から経営を引き継いでいた兄(2002年4月)など、本名である置鮎家は3代で4人の自殺者を出している。A型

Iijima 飯島愛(1972年10月31日-2008年12月17日:死亡推定日36歳で没)

 彼女の人生は数奇で波瀾万丈に満ちていた。AV女優から女優になり、テレビタレント、会社の取締役、そしてベストセラー作家になるなどマルチの才能を発揮した。感情表現がストレートで、歯に衣を着せぬ発言が多いが、不思議と交友関係が広く、友人が多かった。A型の彼女には珍しく、B型の支持者が多かった。中山秀征とはツーカーの仲だったし、あの徳光和夫やバラエティ番組で共演したテリー伊藤も彼女の前では一切の嘘も見透かされるので本音でしか付き合えないと絶賛し、飯島には一目置いていた。1990年代前半、『とんねるずのみなさんのおかげです』のスタッフととんねるずの木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。2000年、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害、AV出演や性病感染、中絶手術、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる。事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、3月いっぱいで引退することを本人が発表した。これは腎臓病が悪化していたから治療に専念したいという意図からであったと推測される。しかし、2008年12月24日、東京都渋谷区にある21階の自室にて死亡しているのが、親戚の女性によって発見された。その後、警察などの調査によって、発見時現在で死後1週間ほど経過していたことが判明した。死亡推定日は発見日から起算して12月17日前後であると考えられた。その後病理検査の結果が警察より発表され、死因は肺炎であったことが判明した。

http://www.youtube.com/watch?v=VnUCOnjZ2t0&feature=relmfu

http://www.youtube.com/watch?v=AYDG9gDQ5ZE&feature=relmfu

http://www.youtube.com/watch?v=6I3zUjECCPE&feature=relmfu

http://www.youtube.com/watch?v=B8CcV6a1d5Q

http://www.youtube.com/watch?v=iKirG9esECg&feature=relmfu

http://www.youtube.com/watch?v=H3V5KY5MrIg&feature=relmfu

Mouri 毛利公子(1960年9月29日-1990年4月7日 29歳で没)

 彼女はご存知女性3人組のポップスグループ「Sugar(シュガー)」のメンバーだった。その代名詞である大ヒット曲「ウェディングベル」は1982年の年間売上13位を記録した。Sugarはこの曲でその年の第33回NHK紅白歌合戦に出場。これが最初で最後の紅白歌合戦出場となった。その中でボーカル、ベース、リーダーを担当していたのがモーリこと毛利公子だった。彼女はSugar解散後、タレントとして活動していたが、第一子の出産直前に、胎児が死亡し老廃物が母体に逆流するという病気のため夭折した。女性として母親になれる手前の幸せの絶頂にあって信じられない最期であった。彼女が天に召されて22年が経過したとは俄かには信じられない。O型

http://www.youtube.com/watch?v=RXpyrX8Q3Gc

Yanagihara 柳原尋美(1979年10月19日1999年7月16日 19歳で没)

 彼女は1999年7月ににデビューした「カントリー娘」という3人組のアイドルユニットの初代メンバー(他に戸田鈴音・小林梓)であった。カントリー娘は以前はハロープロジェクト所属のアイドルグループで、モーニング娘。の妹分として結成された。里田まいやモー娘の石川梨華や紺野あさみ、藤本美貴らも一時期所属していた。しかし「二人の北海道」というファーストシングルをリリースする直前(一週間前)に不幸が起きた。デビュー直前の1999年7月16日に修業と称して、行われていた田中義剛の牧場での作業中に、柳原が交通事故で急死してしまったのだ。その僅か1か月後には小林が心労が祟り脱退。これによりカントリー娘。は戸田1人のみとなってしまった。事故の詳細は次の記事の通り。23日にデビューを控えていた女性3人組新ユニット、カントリー娘。のメンバー柳原尋美さん(19=やなぎはら・ひろみ、本名同じ)が16日、北海道で車を運転中に事故を起こし死亡した。帯広署によると、柳原さんは16日午後5時すぎ、北海道河西郡中札内村の村道を、自ら運転する三菱パジェロで走行中にハンドル操作を誤った。車が右に蛇行したため、慌てて左に切り返したところ車が横転、柳原さんは車外に放り出されて、車の下敷きになったという。救急車で帯広救急救命センターに運ばれたが、午後7時10分、緊張性気胸による急性心不全で死去した。

http://www.youtube.com/watch?v=vy1ADApm1SM

http://www.youtube.com/watch?v=vy1ADApm1SM ←生前の映像はコチラ

Yamada 山田かまち(1960年7月21日-1977年8月10日 17歳で没)

 彼は非業の死を遂げたひとりである。日本の画家・詩人 。死後に遺作となった詩や絵画によって知られるようになった。彼は幼少より類稀な絵画の才能を発揮する。中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。同級生であり後にミュージシャンとして活躍する氷室京介とバンドを組んだこともあった。高校受験に嫌気が差し、16歳の1年を浪人として過ごす。群馬県立高崎高等学校1年生の17歳の時、自宅でエレキギターの練習中に死去。このエレキギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった(死因には感電事故、自殺など諸説があるが遺族らの意向により公表されていない。没後、母親が出版した本には「改造したエレキギターの電源コードが原因の感電死」と記されており、一般にはこの説が流布しているが、この本は様々な点で創作箇所があると指摘されている。また本自体もノンフィクションの人物伝として書かれたものではない)。死後、保管されていた詩を書き付けたノートやデッサン水彩画を、母親や恩師などが中心となり詩集や画集として出版、一躍注目を集める。個展なども開かれた。これを機に、1992年に高崎市片岡町に「山田かまち水彩デッサン美術館」が設立された。残された詩、デッサンに対する評価は定まっていないが、一部マスコミによる「夭折した天才」という偶像化には批判の声も多い。彼の生きざまは教科書の題材にもなった。

James ジェームズ・ディーン(1931年2月8日-1955年9月30日 24歳で没)

彼はインディアナ州マリオンで生まれる。ジェームズが9歳の時母親のミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。高校時代から演劇に興味をもち、UCLAの演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、 『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔して、ハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。「底抜け艦隊」等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年には代表作『エデンの東』のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて、認められた。彼はこの役でアカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。但し同作のジェット役を演じることをジェームズは乗り気ではなかったようである。しかし、 ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ550スパイダーでカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時59分にコレーム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた学生の運転する車と衝突した。ラルフは車外に投げ出されて骨折、学生も軽傷で済んだが、ジェームズは複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった。ジェームズは特に『理由なき反抗』の演技で1950年代の若者の反抗を端的に表現した。このため同時代の多くの若者は彼をモデルにし、そしてその死は多くの同世代の人々に暗い影を落とした。スターダムにのし上がって半年足らずというあまりにも短いキャリアと突然の死、それに公開葬儀がジェームズを時代を超えた青春の象徴とした。日本では赤木圭一郎が彼と同じようにして急逝したことから「和製ジェームズディーン」と呼ばれている。

Jimi ジミ・ヘンドリックス(1942年11月27日-1970年9月18日 27歳で没)

 天才ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えた。ロックミュージックのパイオニアの一人。右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルで知られる。ギターを歯や背中で弾いたり、火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスでも有名。『ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト』において第1位に選ばれている。その他にもブラジルのメタル専門誌『ROADIE CREW』で2008年5月に行った「HR/HM系ミュージシャンの選ぶギタリスト・ランキング」、『ギターマガジン』2010年12月号の「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」でも第1位に選ばれている。「ジミヘン」の愛称で日本でもカリスマ的存在である。しかし、1970年に彼は謎の死を遂げた。9月18日未明(深夜から早朝)、モニカ・ダンネマンという女性と二人でロンドンのホテルに滞在中に急逝したのだ。死亡時は27歳。デビューからわずか4年ほどでの死だった。死亡原因としては、睡眠前に飲酒しながらバルビツール酸系睡眠薬を併用したことによる中毒、及び睡眠中に嘔吐したことによる窒息死とされる。「自殺したのでは」などの憶測も飛んだが、現在では否定されている。

 他にもZARDの美人ボーカルだった坂井泉水さんやニック・ドレイクもいる。しかし、坂井さんについては以前に当ブログで「我が永遠なる歌姫」と題して追悼記事を掲載したし、英国のシンガソングライターだったニックドレイクは、フォークの分野で活躍して26歳という若さで亡くなっている。原因は鬱病を患っていた彼が抗鬱剤の過剰服用したことであったようだが、詳しくはここでは述べないようにしたい。さて、昨日と今日の2日間に渡ってお送りした「若くして亡くなった有名人」、どうだったでしょうか。昔の彼等の活躍を思い起こし、懐かしんで貰えたでしょうか。そして彼等の残した確かな足跡や功績を後世に伝えて行きたいものである。彼等はいずれも「太く短く生きた」面々であろう。人生は長さではなく、その濃さであるという人もいる。この世に生きた証として何を残すのか、それがわかれば、いつ死んでも悔いはないだろう。ただ不自由な体と満たされぬ心で生きながらえるよりも、彼等のように、死んでなお、人々の記憶から離れず、いつまでも愛され続ける人でありたいものである。

 記事作成:2011年1/19(水)

 追記

 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」三代目の主役で、「仮面ライダー響鬼」にも出演されていた神戸みゆきさん(24歳で没)やNHK「どんな問題Qテレビ」のお姉さん役で活躍し、アイドル歌手としてもデビューしながら、アメリカで不慮の交通事故で、僅か19歳で命を落とした志賀真理子、モデルやタレントとして売れっ子だった上原美優さん(24歳で没)も若くして惜しまれながら亡くなった方々だ。もし続編を執筆する機会があれば、そこで改めて紹介したい。

 11月24日(金)にアップした「若くして亡くなった有名人~続編~」はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-67df.html

おことわり

 本記事は、著作権および故人の名誉に関わる記載が多分に含まれているため、自主規制により公開日、時間を限定してお送りしていますことをご了承願います。

人気記事再掲⑥

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 「2017年春・福島を去ったアナウンサー」

 私が最も恐れていた異動が現実になってしまった。昨年、TUFの梅田澪理アナを見送った時もショックが大きかったが、その後、絶対に福島県に残ってほしいと思っていた2人のアナウンサーがこの3月に福島を去っていった。

 ひとり目は「サタふく」MCを2年間務め、通算4年の間、お茶の間にいつも笑顔で元気を与えてくれた鈴木康一郎アナと、「みんなのニュース」に出演し、そのお姉さん風で落ち着いた印象と、前職がNHK長崎放送局だっただけあって安定感抜群で、高いアナウンス技術を発揮し、ニュースを伝えてくれた名切万里菜アナが異動となってしまった。
 
 このふたりは私が大好きなアナウンサーだった。つい先日(3月14日付)の当ブログ記事で、名切アナの異動だけは現実に起きて欲しくないと訴えたばかりで、3月29日(水)の番組最後に行われた彼女から県民に向けた挨拶は衝撃的で、一気に気落ちしてしまった。なぜなら、何を隠そう、私は彼女が2年前に「みんなのニュース」に出演した時から、その雰囲気が大好きで、彼女の出演番組は欠かさず録画して来たからだ。仕事で疲れて帰った後、彼女の姿を見ることでどれだけ癒されていたことかしれない。

 同じ時期に入社した松永安奈アナと寺本緒麻里アナは契約継続で残るのに、どうして名切アナが福島を去っていくのか・・・・。契約アナは2~3年で任期切れとなるのは重々承知しているが、もったいないし、福島テレビの損失になる。
 そういうわけで今回は、お二人の最後の出演場面をお送りしたい。

 鈴木康一郎

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サヨナラ企画で一緒にロケをすることが多かったたんぽぽ白鳥久美子
がサタふく終わりの鈴木アナを内緒で連れ出した・・・
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お別れ会の企画が続々登場・・・福島の母親たちが登場!
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新人時代の鈴木アナで、福島にきて間もない頃の映像が紹介された
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涙、涙の鈴木アナ
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藺草アナも乱入 同じ早稲田大学の先輩後輩という2人は、入社したての新人時代の鈴木アナの教育係をしていたのが藺草アナだった!
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自称「斎藤工」と言って譲らなかった鈴木康一郎アナだった
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  彼は4年前に「サタふく」に初登場した時は、大学新卒で、大学生のノリのまま来たと思ったが、4年経つうちにすっかり福島県に溶け込み、県民に愛される「番組の顔」に成長した。最後の2年は「サタふく」には無くてはならない存在になった。安定感もあり、藺草アナとコンビで体当たりでチャレンジしたいた姿が脳裏に焼きついている。「サタふく」のオープニングでもう彼の愛嬌ある笑顔を見られないと思うとかなり寂しい。神谷アナとも掛け合いが上手く、こらからという矢先に、故郷の静岡に戻り、東海の或るテレビ局へ異動となった。FTVでは正社員だったので、京都出身の浜中アナや東京出身の藺草アナ、大阪出身の坂井アナと同じように、福島県にずっといて欲しかった。

 3月25日(土)放送の「サタふく」内でのお別れの言葉

 「私事ながら今日でサタふく最後になります。多くの方に本当にメッセージを頂いていました。メールだとか、あとは直接手紙を頂いた方もいました。その度に言ってくださるのが、鈴木さんの笑顔に元気を貰っていました。そういった言葉をいただきました。今日も2時間、笑顔で頑張ろうって思ってたんですけど、最後に涙出てきちゃいました。でも本当にこの笑顔で頑張って行こうと教えてくれたのは、自分の笑顔は誰かの力になるんだと教えてくれたのは福島の皆さんです。掛けて下さった温かいお言葉、数々の言葉、絶対に忘れません。この後は故郷、東海地方でアナウンサーとして勤めます。福島の今を外から伝えて行きたいと思っています。ありがとうございました。」

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書道13年間の集大成、最初の書初めと同じく、「LOVE」の文字で締めた。

 想い出のマネキンチャレンジ https://www.youtube.com/watch?v=EZRONypA_cg

 FTV公式HPのお別れの挨拶はコチラ 

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2017/03/post-320.html

 共演していた神谷アナのメッセージはコチラ↓

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2017/03/post-321.html

 追記

 その後、彼は愛知県にある「中京テレビ」のアナウンサーになった。
 プロフはコチラ

 http://www.ctv.co.jp/announce/profile/

 http://www2.ctv.co.jp/suzuki-k/

 名切万里菜

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気象予報士・斎藤さんの隣でいつも微笑んでいた名切アナ

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 みんなのニュースの顔、このツーショットもこれで見納め・・・

 プロフィールページ http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/nakiri.html

 3月29日(水)放送の「みんなのニュース」内でのお別れの言葉↓

 「このたび福島テレビを卒業することになりました。初めての東北での一人暮らしでしたが、美味しい食べ物、そして美しい景色、何より温かい人々と出逢い、本当に充実した2年間でした。ありがとうございました。」

Img_1813_rImg_1815_r
Img_1816_rNakiri13

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左から斎藤さん、寺本アナ、坂井アナ、そして名切万里菜アナ
2年間、この布陣で県内のニュースを伝えて来たことを忘れない

 FTV公式HPのお別れの挨拶はコチラ↓

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/nakiri/index.html

               FTVの公式HPより
Nakiri7
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 彼女は恐らくは、他県のテレビ局、もしくは故郷の長崎県に戻ってアナウンサーを続けると思う。 彼女が福島にいる間に、TVイベントなどでひと目お目にかかりたかった。今頃後悔しても遅いが・・・。「みんなのニュース(月~水)」を見ても彼女が出ていない報道スタジオは見るのが辛い。それほど女神的な存在だった。2015年4月に「私のへんしん」の宣伝VTRで、彼女が桃をテーマにしたPR動画が流れたのがつい昨日のことのように思い出される。「この春、長崎県民から福島県民へ この桃も裏返すとハート、真心こめてお伝えします。皆さんと一緒にがんばっぺ!」と訴えたPRCMだ。
 それ以来、「みんなのニュース」やお昼の「FTVニュース」など、主にニュース報道をメインに活躍した。

 やはり春は出会いと別れの季節を実感してしまう。ニュース番組のラストということもあり、4月からのことや、プライベートのことは触れなかったが、もし結婚が退社理由だったら、素直に喜び、お祝いしたいと思う。もしかすると契約満了以外の理由だったら、家庭の事情や彼女が帰郷のために退社を希望したのかもしれない。たぶん4月以降「名切ロス」に陥っている視聴者が多いと思う。、私が2年間、彼女が出演した番組を録画し続けた中から名場面を紹介した記事もいずれ掲載したい。

 追記

 その後、彼女は4月からなんと在京キー局である「日本テレビ」の「NEWS24」に出演していることが判明した。もう地方へ行って二度とお目にかかれないと思っていただけに、ネットやBS深夜でたまに彼女の活躍を見れるだけで嬉しい。

 それにしてもFTV(福島テレビ)は契約アナが多すぎる。福島県に馴染み、県民にも親しまれた頃(2年前後)に退社を迎えてしまう。岸野文絵アナや鈴木康一郎アナは正社員だったのに、それでも福島県を去って行ってしまった。残念でならない。毎年、この3月末の番組を見るのが怖かった。番組のラストで今日の番組がラストですという紹介と、ご本人からのお別れの挨拶があると、一気に落ち込むからだ。
 そして残念なのは、4月1日(土)になった途端、福島テレビ公式HPのアナウンサー日記の項目で、鈴木康一郎アナと名切万里菜アナの「アナウンサー日記」の記事がお別れの挨拶の記事を除き、すべて削除されてしまったことだ。このあたりに福島テレビの非情さを感じる。

 そしてこの記事を書いた後の3月31日(金)、またひとり福島テレビを巣立っていった。それは郡山支社前の路上から「先取り郡山リポート」を担当していた富永琴美アナだ。いつも笑うと目が無くなるほどの笑顔で私たち視聴者を和ませてくれた。これで今春のFTVの異動は3人。ちょっと多すぎる。では富永さんの最後の出演場面をどうぞ!

 富永琴美

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  3月31日(金)放送の「みんなのニュース」内でのお別れの言葉

 今、私の目の前にいる大好きな皆さん、毎日毎日画面を通して皆さんと出逢うことが出来て、本当に幸せでした。夢のような2年間、毎日の取材を通して福島のいいところ、温かいところをたくさん発見しました。私がこうして育ってきた故郷が福島県であることを心から誇りに思います。改めまして今まで温かく見守っていただきまして本当にありがとうございました。

 最後の出演では、福島から仲の良かった寺本アナも駆けつけ、花束を手渡した。すると富永さんは号泣しながらも、最後までしっかりとした口調で挨拶を行った。最後には、来週から出演する公認で喜多方出身の新人アナウンサー、菅家ひかるアナも登場し、バトンを渡した。

 プロフィール http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/tominaga.html

 FTVの公式HPのお別れの挨拶はコチラ↓

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/index.html

 彼女は福島県郡山市出身で、番組とFTVは卒業したが、福島を去るわけではない。同じ市内に過ごす者として、いつかどこかで会える日を楽しみにしたいと思う。j実は郡山支社のあるホテルハマツの東隣りは、私の実家から徒歩3分の場所。そんな場所から平日夕方に街角に立って、懸命にリポートしていたので、情が移りっぱなしだった。

  しかし、春は旅立ちの季節。3人の新天地での活躍をお祈りしたいと思う。私も4月からは心にポッカリと穴が開いたようになり、落ち込むような試練の日々になることが予想されるが、3人の活躍を福島の地からお祈りしたいと思う。

 なお、今回は、今日紹介した3人のアナウンサーに関するエピソードや想い出話を募集したいと考え、特別にコメント欄を設けたいと思います。
 また、今回はFTVのアナウンサーに特化しましたが、他局の異動も判明次第、編集して掲載したいと思います。

 記事作成:2017年3月29日(水)~31日(金)

人気記事再掲⑦

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 来月4月27日で当ブログが終了するのに伴い、もう二度と見られない人気記事を今週は取り上げて行きたいと思います。

 1 3/12(月) 都道府県別血液型分布
 2 3/13(火) イメージがダブる芸能人
 3 3/14(水) 日本にもあった危険なカルト教団
 4  3/15(木) 若くして亡くなった有名人~前編~
 5 3/16(金) 若くして亡くなった有名人~後編~
 6 3/17(土) 2017年春・福島を去ったアナウンサー
 7 3/18(日) 記憶に残るスポーツ名実況

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 「記憶に残るスポーツ名実況

 「アナウンサーという職業は責任が重い」ことを今年ほど感じた出来事はなかっただろう。目の前で起きた出来事を正確に伝えなければならない。しかしそこは人が行う仕事。主観がどうしても入るし、アナウンサー自身の感情が出てしまうこともある。特に今夏に開催されたロンドン五輪では、一度出された判定が覆ったり、ビデオ裁定で思いのほか時間がかかったり、抗議によって勝ち負けが逆転するという前代未聞のジャッジが相次いだ。その人の伝え方、言葉一つで重みが全く違う。万が一、誤った事実を伝えたら、どれだけ影響が大きいだろう。そんな重圧が著しいであろう職業で、これまで記憶に残る歴史的な名言名句を発したアナウンサーを取り上げてみたい。

 第1位 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ~!」

 アテネオリンピック男子体操団体で、NHKの刈屋富士雄アナが絶叫した語り草となっている名セリフ。僅少さで3チームがひしめき合う中、最終演技者の冨田の鉄棒の着地シーンで生まれた名言。よくぞあの緊張する場面でこれだけの言葉が出たと思う。金メダルを獲得した直後のセリフも泣かせるものだった。解説の小西さんを気遣い、「どうぞ泣いてください」という人柄が滲み出る優しい言葉、「オリンピックの聖地、オリンピック発祥の地このアテネで、陽はまた昇りそうです!」は生涯記憶に残る名実況だった。

 第2位 「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」の連呼

 オリンピックなど世界大会で日本人が表彰台に上がることが夢だった時代の頃の話だ。時は1936年、ベルリンオリンピック。女子競泳200m平泳ぎで、金メダルを争っていた前畑秀子に対し、NHKの河西三省アナがラジオ放送で「前畑ガンバレ !前畑ガンバレ!」と連呼した。この実況は、日本放送史に残る名実況であるとの声が高い。1936年といえば昭和11年。太平洋戦争が勃発する前の出来事だ。

 第3位 「ブロードアピールが飛んで来た!」

  フジテレビの競馬中継の実況でお馴染みの青嶋アナの神とも思えるような名セリフ!この伝説のレースは2000年のGⅢ根岸ステークスのダートコースで行われた。最終コーナーをまわって残り400標識を切った地点では長い列の最後方にいた武幸四郎騎乗の「ブロードアピール」だったが、そこから末脚よろしくぐんぐんトップスピードに乗ってみるみる前方の馬を交わし、ゴール寸前で見事に差し切って勝利した、手に汗握る大興奮のレースだった。ゴール直前の「前に届くか、届くか、届くか、届いた~」は語り草だ。

 第4位 「探していた、見失っていた光は、ロンドンの風の中にありました~!」

 これは今年のロンドンオリンピックの女子バレーボールの3位決定戦で飛び出した名言。それまではツイッターで気の抜けた冷めた実況と評判が悪かったNHKの広坂安伸アナだったが、この試合のラッキーガール迫田さおりがスパイクアウトで宿敵韓国をストレートで下しコート内が歓喜の輪で最高潮に盛り上がった時に生まれた。この名言で、それまでの冷めた実況に対してツイッターなどに寄せられた批判的な声は激変したのだった。そして解説の大林素子が感極まって「待ってましたこの瞬間、止まっていた時間を動かしてくれた選手が・・・ありがとう~!」という言葉もまた感動的だった。

 残念ですが、NHKのテレビ放送の動画は、この記事を公開する直前にユーザーにより動画が削除されてしまいました。

 第5位 「立て、立て、立て、立ってくれ~!・・・・立った~!」

 それは伝説となった言葉だ。1998年に行われた長野冬季オリンピックのスキーのジャンプ競技のラージヒルで、それまで不調に苦しんでいた原田雅彦が因縁の二回目、汚名返上の大ジャンプを成し遂げた際に生まれた。日本国民の感情を代弁してアナウンサーに言わせた感じがした。当の声の主はNHKの工藤三郎アナ。映像の埋込み無効処理のため、下のアドレスをクリックしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=PWjkrQmtyF4&playnext=1&list=PL201DE1473F806935&feature=results_main

 実際は、ラージヒル個人戦の際に生まれた名言でした。本番に弱い原田のイメージを払拭するかのように、実況が絶叫した。

 第6位 「まだ続く、繋いだ、繋いだ、日本文理の夏はまだ終わらな~い~!」

 今も記憶に新しい2009年夏の全国高校野球甲子園大会決勝。現在、広島で活躍する堂林投手率いる強豪・中京大中京と対戦した新潟の日本文理高校。最終回4対10という6点ビハインドの中、決して諦めず、繋いで繋いで1点差まで詰め寄り、一打同点のチャンスを築いた。しかも9回二死ランナー無し、2ストライクを取られてからの猛反撃だった。抜群の選球眼とファールで粘りに粘り、気づけば球場全体が日本文理に大声援を送っていた。最後は三塁ライナーでゲームセットとなり、惜しくもあと一歩及ばなかったが、大観衆は日本文理に惜しみない拍手を送った。この試合を実況したのは、元朝日放送アナウンサーの植草貞夫氏。歩く名言集とも呼ばれるほど、球史に残る名言を数多く残した。「甲子園は清原のためにあるのか~!」も彼の発言。

 伝説の実況は4分36秒頃です。「なんと表現していいのかわからない。日本文理の最後の最後のすごい粘りだ~」という絶叫も素晴らしかった。

https://www.youtube.com/watch?v=TULcy3DD1Bo

  第7位 伝説のバックスクリーン3連発 「こ~れも行くのか~」

 1985年に甲子園球場で行われた伝統の巨人阪神戦でその名言は誕生した。この年、巨人のエース格だった槙原からバース・掛布・岡田のクリーンアップが相次いでバックスクリーン付近に叩き込んだ3連発。確かこの劇的シーンは4月に行われたが、この勢いそのままに阪神が21年振りにリーグ優勝を飾った。その年の阪神の破竹の勢いを象徴するシーンがこの場面で、当時のABC朝日放送の有名アナだった植草貞夫氏の絶叫がすべてを物語っている。
 それにしても阪神ベンチと甲子園のファンのお祭り騒ぎは凄い!

 植草アナと言えば、KKコンビが活躍していた1980年代の高校野球の実況でも有名。彼の怪物・清原のホームランを形容したアナウンスも語り草になっている。それは・・・

 「甲子園は清原のためにあるのか~!」という絶叫だった。

 最後に、今回のテーマにおよそおあつらいむきな映像が「Youtube」にアップされていた。サッカーにおける山本浩アナの名実況なのだが、サッカーひとつをとってもこれだけエキサイトするのだ。実況の価値の重さをまざまざと知らされた思いだ。

 ぜひ今回のブログを現職のアナウンサーに見てもらい、言葉の魔術師となれるよう研鑽を積んでいただきたいものだ。それは決して多事雑言ではないし、他人の真似言であってはならない。わざとらしい予め用意した言葉ではなく、その場でとったさに出た、臨場感あふれる卓越した味のある「ひとこと」であるように・・・。 

 記事作成:2012年8月22日(水)


NHK福島・平川沙英アナウンサー22

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 大阪出身の新人アナウンサー「平川沙英」さんを応援する記事を書き始めたが、今回はその第22弾。NHK福島放送局で平日の18時10分から19時まで放送している「はまなかあいづtoday」のMCを務めている彼女だが、出演は岩間瞳アナと交互に隔週出演している。したがって、週単位で2週間に一度、初々しい彼女の成長を見守るために、この記事を「サポーター」的な立場で掲載していきたいと思う。
 皆さんも、ぜひ彼女を温かく見守り、応援していただければ幸いです。では、第22弾の今日は、3月7日(水)と3月12日(月)~3月16日(金)以降の出演場面をどうぞ!

 3月7日(水) 楢葉町の寄宿舎からの中継に出演

 録画したものの、東芝レグザの不具合で「予期せぬエラー」表示が出て保存できず、録画に失敗したため掲載できません。あしからず。
 東芝は全くのダメメーカーで、これまで購入後6年間で同じエラーでの保存失敗は50回以上に上る。買い替えの際はもう二度と買わない。

 3月11日(日)震災特番に出演

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 3月12日(月)

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 3月13日(火)

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 3月14日(水)

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 3月15日(木)

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 3月16日(金)

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 この記事は3月24日(土)までの期間限定で公開します。

 

世紀の脱出王日米対決

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 あなたは「スーパーマジシャン」と聞いて誰を想像しますか?
 1970年代の日本を超能力ブームに陥れた「ユリ・ゲラー」?それともサイキックエンターティナーとして1980年代後半から華々しく登場し、「超魔術」の世界を確立した「Mr.マリック」?はたまた異次元の奇才「セロ」?私なら迷わず2人の魔術師を挙げる。魔術師と言っても手品やマジックのような生易しい類ではなく、命を張った脱出劇を演じたスパーエキセントリックなHEROだ。ひとり目は、オーストリアが生んだ脱出王の「ハリー・フーディーニ」だ。彼は欧州出身だが米国で名声を挙げたため、アメリカ人として扱いたい。

 ハリー・フーディーニ

 1874年生まれの彼は、「脱出王」の異名を取った、オーストリア=ハンガリー二重君主国ハンガリー王国ブダペスト市七区(エルジェーベト町)出身のユダヤ人で、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師。本名ヴェイス・エリク (Weisz Erik) [ˈvæjsˌerik](ハンガリー人は姓を先に、名を後に表記するので、ヴェイスが姓)。「現在でもアメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度は高く、奇術師の代名詞ともなっている。

Harry1Harry2

 飛行機や陸上競技への造詣が深かった。超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られる。
 脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されての手錠外しによる脱出や、また凍った運河やミルク缶からの脱出を行い、話題となった。「フーディーニに脱出できない所は無い」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝するなど、マスコミを利用した売り込み技術はずば抜けた才能があり、当時のアメリカのトップスターとなった。 また、それまであったトランクからの脱出を、助手と奇術師が一瞬で入れ替わるトリックへと進化させ、奇術にスピード性と鮮やかさをもたらした。妻のベアトリス(ベス)  と行ったこの入れ替わりマジックは「メタモルフォーゼ(完全変態)」と呼ばれる。

 https://www.youtube.com/watch?v=TFMngeJ8IHs

 https://www.youtube.com/watch?v=KrnCPoTky9s

 https://www.youtube.com/watch?v=iKG_S-nKu0I

 しかし1926年、楽屋に訪れた大学生のホワイトヘッドに「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際、フーディーニが準備していない段階で殴られたことが原因の急性虫垂炎で10月31日に死亡した。葬儀に参列したフローレンツ・ジーグフェルドは、棺の前で「賭けても良いが、彼はこの棺の中にもういない!」と言ったという。フーディーニは死の直前、妻ベスに対して「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えたが、その後何のコンタクトも無かったとベスは語っている。

 彼の死に様もまだ予期せぬものだった。誰にも死を予感させず、急に逝った。

 引田天功(初代)

 水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし、「日本の脱出王」の異名を取った。また催眠術にも長けていた。
 1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)として放送された脱出イリュージョンは「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」といった従来のマジックからは考えられないほどのスケールの大きさで毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こした。脱出のアイディアは自身が尊敬する“脱出王”ハリー・フーディーニの脱出劇にヒントを得たものであり、大量の火薬をセッティングした大掛かりなパフォーマンスであった。彼はこれらの脱出を成功させるため、練習中に瀕死のアクシデントを経験している。脱出の際の爆薬の威力は凄まじく音と熱と煙に相当悩まされたとも自身の著書に記している。

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 テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在だったが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しんだ。しかし、自身の病状の進行等の事情から果たせず、1979年大晦日に死去。45歳没。「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」との噂もたったが、公式の死因発表は心臓病死である。

 一世を風靡した世紀の大脱出

1.ダイジェスト

 2.「死のジェットコースター大脱出」(昭和48年3月)

 3.「死の火煙塔大脱出」(昭和50年4月)

 4.「油地獄水面炎上大脱出」(昭和50年10月)

 この油壺の脱出については、彼の死後、今から25年ほど前に彼がどのようにしてこの脱出を成功させたか、事細かに検証する番組を放送した。福留功男アナのナレーションで、いかに緻密に仕組んだ計画だったかを逐一解説して行った。私は当時VHSビデオに録画し、繰り返し何度も見て、彼の天才ぶりを賞賛した覚えがある。また、初期の「死の水道管大脱出」については映像がないので、こちらのHPをどうぞ!(削除の場合あり)

 http://homepage3.nifty.com/arb/subpage4-03.htm  

 フーディーニに憧れて脱出マジックを考案し、世間に衝撃を与えた彼は、奇しくも同じような境遇を辿り、早世してしまった。

 私は当時、小学生だったが、彼の織り成すスペクタクルな脱出劇にテレビの前でハラハラドキドキしながら手に汗握って固唾を呑んで見ていたのを覚えている。彼の急死の知らせもまた衝撃的だった。マジシャンの彼が病気で死ぬなどと思わなかったからだ。
 彼の壮大な計画の下で繰り広げられた世紀の脱出劇は、死後、彼の弟子だった2代目引田天功(現:プリンセス天功)に引き継がれた。
 あまりにも突然に死の報に、当時私は悲しみに暮れた覚えがある。今も存命ならば、その後も壮絶な脱出劇を見せていたに違いない。いや、逆に彼は早世したからこそ、伝説になっているのかもしれない。

 <参考資料>

 当ブログで掲載した記事「引田天功の「世紀の大脱出」」はコチラ

 記事作成:3月12日(月)

高校野球で選手宣誓をしたことがない都道府県

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 「春はセンバツから」とか「球春」という言葉がある。3月下旬に開幕する「全国選抜高校野球」を形容するものだが、文字通り甲子園の選抜大会が始まる頃から急に暖かくなり、南から桜前線が北上する一年でもっとも美しい季節を迎える。日本人にとって、その春の到来を告げる風物詩の最たるものが「全国選抜高校野球」ということが言えるだろう。

 さて、今年で90回を迎えた「センバツ」だが、各地区ブロックを勝ち抜き、選ばれた代表校(33校)に、21世紀枠3校を加えた計36校が出場する。とりわけ、選手宣誓は瀬戸内高校の主将が務めることに決まった。
 そこで疑問だが、ふと我が福島県代表は、春夏通じて一度も「選手宣誓」をした記憶がないことに気づいた。そこで、この90回を数えるセンバツ、昨年102回を数えた夏の選手権大会で、一度も選手宣誓をしたことがない都道府県を調べてみた。すると、案の定、宣誓をしたことがないのは、47都道府県の中で福島県と青森県の二県しかないことが判明した。しかもいずれも東北のチームだ。

 その原因はセンバツは、各地区から選出されたチームが出場できるが、東北だけが優勝経験が無いことで知られるとおり、この地区の代表校は、大きく負け越しており、全国レベルで比較しても、かなり低いため、この地区(六県)からは例年2チームしか選出されていない。近畿の6校や四国の3校とはえらい違いだ。したがって、そもそも東北地区からの出場校が少ないだけでなく、福島と青森は秋の東北大会で決勝に進出することもダントツに少ない。過去に磐城と三沢、東北、仙台育英、光星学院などが甲子園大会で決勝に進んだことはあるが、いずれも優勝は果たせていない。

 東北では、宮城県のレベルが高く、東北高校や仙台育英が常連であり、近年、青森山田や花巻東が台頭し、我が福島県代表は、県内無敵の強さを誇る聖光学院を持ってしても、なかなかセンバツ代表には選ばれなかった。

 では、本題のセンバツでの選手宣誓校になった一覧と都道府県別のランキングを紹介したい。なお資料は下記より引用させていただきました。

「まるほんネット」 http://maruhon38.net/archives/10793#natsu

主将学校
1930三瀬三則台北一中(台湾)
1931野本定川越中(埼玉)
1932河村正夫大分商
1933田中耕司一宮中(愛知)
1934記野良雄岐阜商
1935熊谷直之東邦商(愛知)
1936松井栄造岐阜商
1937竹村朝治愛知商
1938平古場正晴浪華商(大阪)
1939石井豊中京商(愛知)
1940加藤幸一東邦商(愛知)
1941加藤政一岐阜商
1947宮沢澄也松本商(長野)
1948
1952栗橋博鳴門(徳島)☆
1953
1954村田敬岡山東商
1955吉富信雄鹿児島商
1956好田稔滑川(富山)
1957高山元八幡商(滋賀)
1958万丈勉函館工(北海道)
1959杉枝泰生戸畑(福岡)
1960牧志清順那覇(沖縄)
1961長池徳士撫養(徳島)
1962高橋弘滝川(兵庫)
1963笹野辰夫富山商
1964菱川章倉敷工(岡山)
1965渕上澄雄岐阜短大付
1966望月茂男富士宮北(静岡)
1967西森利次高知☆
1968中沢一浜松工(静岡)
1969川本浩次平安(京都)
1970内田竜二三田学園(兵庫)
1971筋原徳夫報徳学園(兵庫)
1972常田昭夫日大桜丘(東京)
1973岩崎斉小倉南(福岡)
1974重田薫防府商(山口)
1975佐藤功東海大相模(神奈川)
1976黒田光弘小山(栃木)☆
1977平田勝男海星(長崎)
1978百合幸二郎郡山(奈良)
1979上野山善久箕島(和歌山)
1980毎熊淳諫早(長崎)
1981乗越孝雄尾道商(広島)
1982鎌田潤郡山(奈良)
1983正路晃弘広島商
1984若木昭仁私神港(兵庫)
1985阿山正人東洋大姫路(兵庫)
1986河田哲也高松西(香川)
1987上羽功晃京都西
1988島崎隆之小松島西(徳島)
1989笠置伸一別府羽室台(大分)
1990伊藤孝充浜松商(静岡)
1991山口努旭川竜谷(北海道)
1992今石将史駒大岩見沢(北海道)
1993佐藤則之国士舘(東京)
1994中川仁拓大一(東京)
1995長谷川大鷲宮(埼玉)
1996林川大希鹿児島実
1997衣川隆夫育英(兵庫)
1998三好剛京都西
1999山口晃弘海星(三重)
2000林公則作新学院(栃木)
2001井戸紀彰南部(和歌山)
2002宮本賢関西(岡山)
2003金森将平福井
2004佐々木陽祐秋田商
2005林裕也駒大苫小牧(北海道)
2006太田恵太岐阜城北
2007飯窪宏太千葉経大付
2008矢澤英典中京大中京(愛知)
2009高市廉今治西(愛媛)
2010西田明央北照(北海道)
2011野山慎介創志学園(岡山)
2012阿部翔人石巻工(宮城)
2013河野祐斗鳴門(徳島)
2014中林航輝広島新庄
2015篠原涼敦賀気比(福井)
2016樋本尚也小豆島(香川)
2017添田真聖作新学院(栃木)
2018新保利於

瀬戸内(広島)

 センバツ出場校の都道府県別選手宣誓ランキング

 1位 愛知県 6回   12位 埼玉県 2回   22位 大阪府 1回
 1位 兵庫県 6回   12位 大分県 2回   22位 長野県 1回
 3位 岐阜県 5回   12位 鹿児島 2回   22位 沖縄県 1回
 3位 北海道 5回   12位 富山県 2回   22位 山口県 1回
 5位 徳島県 4回   12位 福岡県 2回   22位 神奈川 1回
 5位 岡山県 4回   12位 静岡県 2回   22位 滋賀県 1回 
 5位 広島県 4回   12位 長崎県 2回   22位 三重県 1回
 8位 京都府 3回   12位 奈良県 2回   22位 秋田県 1回
 8位 栃木県 3回   12位 和歌山 2回   22位 千葉県 1回
 8位 東京都 3回   12位 福井県 2回   22位 宮城県 1回      
 8位 香川県 3回                   台湾の1回は除く  

                 センバツで選手宣誓をした都道府県 31 
 

 ところで、選手宣誓は1915年の第1回から行われていたわけではなく、1930年からだそうで、開幕戦を戦ったことがない都道府県でも福島県が唯一だったそうだが、この90回大会は、初の開会式直後のオープニングゲームを引き当てた。センバツで選手宣誓の経験のない都道府県は、青森、山形、岩手、福島の東北4県と茨城、群馬、新潟、山梨など北日本・東日本に多い。それ以外は石川、島根、鳥取、高知、愛媛、佐賀、熊本、宮崎だ。

 夏の選手権は、全都道府県の代表が出場できるため、東京と北海道は各2校ずつを除いては、どの府県にもチャンスは平等に与えられているのに、なぜか青森県と福島県は選手宣誓に縁が無い。

 ちなみに、夏の選手権も1930年から選手宣誓が始まったが、長い歴史の中で、実施した都道府県をランキングで見ると以下の通り。

 1位 愛知県 4回   14位 宮城県 2回   21位 茨城県 1回 
 1位 京都府 4回   14位 熊本県 2回   21位 高知県 1回
 3位 山形県 3回   14位 千葉県 2回   21位 岐阜県 1回
 3位 愛媛県 3回   14位 富山県 2回   21位 岡山県 1回
 3位 神奈川 3回   14位 三重県 2回   21位 徳島県 1回
 3位 福井県 3回   14位 新潟県 2回   21位 岩手県 1回
 3位 沖縄県 3回   14位 兵庫県 2回   21位 東京都 1回
 3位 栃木県 3回                   21位  埼玉県  1回
 3位 大阪府 3回   21位 広島県 1回     21位  宮崎県  1回
 3位 石川県 3回   21位 島根県 1回      21位 秋田県  1回
 3位 鳥取県 3回   21位 静岡県 1回      21位 福岡県  1回
 3位 大分県 3回   21位 長野県 1回      21位 山口県  1回
 3位 北海道 3回   21位 和歌山 1回   ほかに21位 山梨県・群馬県・佐賀県

  以上、40都道府県が夏の選手権大会で選手宣誓を実施。こうしてみると、共通しているのは愛知県や京都府、兵庫県、岐阜県など優勝経験が複数回ある強豪県の代表が「選手宣誓」に当るケースが多いようだ。それだけ出場回数が多いということが言える。夏の甲子園で選手宣誓をしたことがない都道府県は、青森、福島、奈良、滋賀、鹿児島、香川、長崎の7県。

 たぶん、これからもくじ引きで選手宣誓が決まるとすれば、春は33分の1、夏はもっと狭き門で毎年47分の1の確率は変わらないので、青森県と福島県が当る可能性は23.5分の1と極めて低い。震災県ということで特例措置でもない限り、当分当りそうも無いのが現状だ。

 さて、今日の記事は、センバツを間近に控えた19日に作成したが、いつも不思議に思うのは、高校野球は特に、春先は西高東低が顕著だ。特に雪が多かった今年は、グラウンドが使えない北日本の各チームは、実践練習の不足が否めない。室内練習場が整っている私立高校はまだしも公立は、優秀な選手が皆、全寮制の強豪校に持っていかれる傾向が強い。ぜひ今年こそ、東北に優勝旗を持ち帰ってほしいと願う。

 最後に、私自身が心に残った感動的な「選手宣誓」の映像を2つリンクして結びとしたい。それは震災直後のセンバツでのひとコマだった。

https://www.youtube.com/watch?v=PBV-9bHzy2c

 被災県の宮城、石巻工業の阿部主将の感動の宣誓


 
 記事作成:3月19日(月)

近頃話題の福島県出身者

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 我が福島県には、野口英世博士を始め、有名人を多く輩出しているが、ここ数年は、良きにつけ悪しにつけ、県内出身者が多くの話題を振りまいている。
 今日は、そうした方々をテーマにしたい。

 唐橋 充

 イラストレーター兼俳優。血液型はB型。文教大学卒業。早稲田大学の演劇研究会・劇団「Cretan Crete」(現在は解散)に所属する舞台専門の俳優だった。祖父は政治家で元喜多方市長の唐橋東、妻は女優の水野美紀。

Karahashi

 喜多方には唐橋という姓が多い。アナウンサーの唐橋ユミも喜多方市出身。

 田母神俊雄

Tamogami  福島県郡山市田村町の農村に生まれる。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学。1967年(昭和42年)3月、福島県立安積高等学校を卒業。防衛大学校に入校し、1971年(昭和46年)3月に卒業(第15期、電気工学専攻)。防衛大学校卒業後、航空自衛官となる。その後、航空自衛隊の主要ポストを歴任した。2007年(平成19年)3月28日:第29代航空幕僚長に就任するほどのエリートとなった。

 2016年4月14日、都知事選における選挙運動の中に、公職選挙法違反と疑われる行為があり、逮捕となった。

 立候補した東京都知事選で運動員らに現金を配ったとして、公選法違反(運動員買収)罪に問われた元航空幕僚長、田母神俊雄被告(69)の控訴審判決で、東京高裁(青柳勤裁判長)は3月13日、懲役1年10月、執行猶予5年とした一審東京地裁判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
  判決によると、2014年2月に投開票された都知事選に立候補した田母神被告は同年3~5月、選対事務局長らと共謀し、運動員ら6人に計480万円を渡したとされる。

 佐川宣寿

 元理財局長、前国税庁長官で日本の財務官僚。第48代国税庁長官。
 
 Sagawa福島県平市(現在のいわき市)生まれ。平市立平第一小学校、いわき市立平第一中学校で学ぶ。中学3年の時、父を亡くす。その後、東京都内の中学校に

転校。九段高校に進学した際には、3人の兄が学費を負担してくれた。 1982年、東京大学経済学部卒業、大蔵省入省。 1984年、大阪国税局調査部。 1987年、名古屋国税局高山税務署長。 1998年7月、近畿財務局理財部長。 2001年、財務大臣秘書官。 2004年、財務省主計局主計官。2008年、主税局総務課長。2010年、財務省大臣官房審議官(主税局担当)。2011年7月1日、東日本大震災復興対策本部事務局次長。2012年2月10日、復興庁統括官付審議官。2013年6月28日、大阪国税局長。2014年7月、国税庁次長。2015年7月7日、関税局長。2016年6月17日、理財局長。2017年7月5日、国税庁長官(第48代)などの高級官僚ポストを歴任。

  •  2018年3月9日、森友学園問題で、電子データ書き換えに関与したとして麻生太郎財務大臣により懲戒処分(減給20%3ヶ月)を受け、同日、依願退官。
  •  この問題は「とかげの尻尾切り」という政治家の逃げ細工が見え隠れする。現に自殺者まで出しているのだから徹底的に究明しなければ犠牲になった本人も遺族も浮かばれない。
     だが、予算委員会の審理を見ていると、政治家が佐川氏に全責任をなすりつけて幕引きを図ろうという意図(裏工作)が見え隠れする。
     かつて汚職(ロッキード・リクルート・佐川急便)で自民党の政治家が辞職に追い込まれたように、安倍首相もこの一件で退陣に追い込まれなければいいが。なぜなら、今の日本の政治家で、世界各国首脳と対等に渡り合えるのは安倍氏以外に見当たらないからだ。
  •  岸田氏では党内を指導できない。石破氏はウンチクは素晴らしいが、求心力は無い。政治思想や方向性が独特すぎて、彼を全面バックアップできる挙党一致態勢を築くのは難しく、不協和音が増幅しそうだ。あの仏頂面では若者ウケはしないだろう。
  •  梅沢富美男

    Umezawa かつては下町の玉三郎として女形として活躍した、大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長。血液型はB型。

     福島県福島市出身。1939年に旗揚げした剣劇一座「梅沢劇団」の創設者にして戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期のスターであり、浅草「常盤座」などの劇場を満員にした花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の間に8人兄弟の五男(7番目)として生まれる。

     富美男が中学校に進学した年に兄の武生が清から一座を引き継いだ。富美男は当初男役を演じていたが、1975年以降は兄の勧めで女形に変身する。独学で得た女形の美しさが一躍話題となり、「下町の玉三郎」と呼ばれる一座のスターになった一方で、副座長として兄を支えた。2012年10月に武生から座長を引き継ぎ、武生はその後見に回る。梅沢劇団は、歌舞伎演目のパロディー芝居、ミュージカル仕立てのショー、レビューを得意とする(これらに富美男の歌謡ショーを織りまぜた3部構成で舞台が行われている)。

     歌手としては、1982年に『夢芝居』が大ヒットしている。翌1983年には同曲で『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場。

     最近は、リバイバルで大人気。それは毒舌で世の中の悪しき風潮をバッサリ切り捨てる活舌の良さで、ご意見番としての立ち位置を確立した。
     また、マイペースで自己中ながら、プレバト!!などでは俳句の特待生として、時には生け花のセンスのよさでそのマルチな才能を発揮し、人気が再爆発した。

     ちなみに私が考える福島県出身の有名人は以下の通りだ。

     1 野口英世     11  秋吉久美子    21 本名徹次      31 西郷四郎
     2 西田敏行     12 円谷幸吉     22 田部井淳子    32 松井愛莉
     3 齋藤 清      13 箭内道彦     23 江川卓       33 先代 栃東関
     4 渡部恒三           14 中畑 清       24 芦名 星      34 川島廣守
     5 加藤 茶      15 市川昭介          25 野村沙知代    35 遠藤一彦
     6 佐藤栄佐久        16 児玉誉志夫    26 白鳥久美子    36 山猿
     7 春日八郎           17 あばれる君    27 柏原竜二      37 大熊正二
     8 ディーンフジオカ    18 猪俣公章     28  大山忠作      38  小林浩美
     9 円谷英二     19 高村智恵子       29  三瓶         39 酒井美紀(ゴルフ)
    10 伊東美咲        20 松平容保      30  武田玲奈      40 相楽晴子 

     福島県は東北の田舎というイメージが付きまとうからなのか、福島県出身というのを隠している芸能人がいるのは残念だ。伊東美咲や秋吉久美子もかつてはそうだった。
     あと他には元宝塚の娘役だった白羽ゆりや俳優の佐藤慶、佐藤B作、齋藤暁、千葉麗子、芸人のあかつ、ゴージャス、アルコ&ピースの平子なども福島県出身

     記事作成:3月12日(月)

    私の好きなミュージックビデオ(MV)

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     最近、動画サイトで見て好きになったMV(ミュージックビデオ)がある。年相応ではないが、なぜか郷愁を誘うほのぼのしたストーリーに仕上がっているものに惹かれるようになった。
     今日は、興味本位で申し訳ないが、もうじき終わるこのブログの総仕上げとして備忘録の意味も含めてお送りします。

     1 最後の一歩

     元気が出る曲。歌詞が素晴らしく、耳にすると、勇気をもらえる。「こんなとこで負けんじゃねぇ、絶対に負けんじゃねぇ」というフレーズが心に響く。
     この日のためにずっと頑張ってきた自分なのに、本番を目の前にして臆病になっている自分を叱咤激励するメッセージソングだ。

     2 桜咲く頃

     卒業をテーマにした秀作。「Aniversary」に似たストーリーだが、卒業したくなくても時期が来れば青春の想い出を残して、学び舎を巣立って行かなければならない。過ぎ去ってしまえば、すべてがキラキラ輝く大切な想い出ばかりで、宝物のような存在になっていく。好きだった彼女も、自分と同じ気持ちでいてくれているかなと過去を回顧しながら、学生時代のことをしみじみ思い返すことがあるだろう。そんな切ない想いを描いた作品だ。

     3 ひとりじゃない ~繋がる想い~

     女子サッカーの名門・宮城常盤木学園とDUFFのコラボ企画のMV。スター選手揃いで黄金時代を築いたサッカー部が卒業に際し、友達を想い、そして仲間の大切さを共に歌い上げた作品で、感動を誘う。

     4 君に贈る詩

     

     卒業式シーズンにぴったりの感動ソング。一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、思い出の数が多ければ多いほど卒業での別れは辛くなる。きっと今、辛い日常を過ごしている人も、過ぎ去ってしまえば、きっと「あの頃は良かった」と思える日が来るはずだ。そして仲間の顔がまた見たくなって母校を訪れたくなる。ふるさとを離れた人も、きっとまた自分が過ごした町を訪ねたくなるに違いない。夢を追いかけて過ごした日々は青春時代のかけがえの無い思い出として記憶の片隅にある。
     きっとまたいつか笑顔で逢おう。

     大学生達が大会に向かってモチベーションアップのPVを作成しているが、それによく使用されている。
     私のブログもあと一ヶ月で終了となり、ややセンチメンタルになっている部分もあるが、もうしばらくお付き合いください。

     記事作成:3月12日(月)

    なぜか閉店する私の行きつけ

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     過去、郡山で私が行きつけだったり、常連だった店は、どういうわけか潰れたり、撤退したり、あるいは閉店に追い込まれたりするケースが多かった。とんだ疫病神状態だが、私が気に入ると閉店するというジンクスが生まれた。
     では「論より証拠」そのリストを取り上げたい。

     1 BLUE HOUSE・・・郡山ビューホテルのあるビルの2階にあったおしゃれ雑貨屋
     2 サンテミリオン・・・猪苗代町上戸にあったレストラン スキーの帰りに立ち寄った
     3 ユアファクトリー・・・ブラインドや観葉植物を買った 現在は中古車屋
     4 ユニデン→ジャンボエンチョー・・・自転車を購入した 現在はカワチ薬品とゲオ
     5 庄司デンキ→電激倉庫・・・現在は業務スーパー

     6 カンセキ開成店・・・現在はダイソー ここで花壇用ブロックを大量購入した 
     7 ケイヨーD2・・・現在はTSUTAYAとみどり書房
     8 アルペン・・・うねめ通り沿いにあったスキー専門店 現在は中古カー用品店
     9 創夢館・・・レンタルビデオ&CD店 もちろん会員だった 当時はまだVHSだった
    10 ぽえむはうす・・・現在はマクドナルド 石焼きハンバーグステーキは最高だった

    11 ワンスアポンアタイムインアメリカ(アークアメリカ村)・・・元カノとよく訪れた
    12 カフェ&レストラン飛行船(朝日・横塚・安積町にあった)最近復活した
    13 チムニー・・・イオンタウンにあったバイキング店 
    14 天心・・・郡山北工東向かいにあった中華料理屋 Bランチ(700円)が大好きだった
    15 かっぱ寿司長者店・・・東日本大震災で柱が崩れ、撤去

    16 ブックオフさくら通り店・・・東日本大震災で閉店 行きつけだった
    17 半田屋郡山東口店・・・撤退した 学食スタイルで好きなおかずをチョイスできた
    18 ビデオフォーラム・・・内環状線沿いの朝日にあった2階建てレンタルCD&ビデオ店
    19 ビクトリア・・・内環状線沿いにあったスポーツ店 スキー専門だった
    20 金美堂朝日店・・・3度、メガネを購入した。

    21 亀井鮨・・・緑町の「リトルビル」の隣りにあった鮨屋
    22 ピノキオ・・・中町にあった老舗おもちゃ屋
    23 まるさた・・・震災で解体された野替ビルにあったおもちゃ屋
    24 おのざわ・・・虎丸にあった駄菓子&お好み焼き屋 後継者がいなくて閉店
    25 不二家(八山田店)・・・ペコちゃんでお馴染みの店だった

    26 酒天国八山田店・・・ここの298円弁当は安かった かつ丼やハンバーグ弁当をよく
                   買った
    27 幸楽苑・・・会津っぽ、き伝、チーファンと名前を変えたが、幸楽苑になり、最近「いきな
             りステーキ」とチェーン契約し事業拡大
    28 岩瀬書店(桑野店)・・・よく夜に本を買いに行った 現在は「ビデオ1」
    29 カラオケヒットスタジオ・・・郡山庭球場の向かいにあったカラオケボックス
    30 とんかつなにわ(大町店)・・・現在は朝日町の今泉西病院近くへ移転 

    31 ラーメン麒麟・・・市役所の北隣りにあったラーメン屋 その後「あさひ」 現在は「山ね
                こ亭」
    32 ラーメン鎌倉屋・・・虎丸町のカトリック教会の向かいにあったラーメン屋
    33 大野屋・・・49号線の喜久田安子ヶ島にあった饅頭屋 ここの「きんつば」は最高だっ
             た
    34 赤レンガ・・・清水台の銀座美容室の並びにあったイタリアン中心の洋食屋 とにかく
              おしゃれだった
    35 さざ波(小波)・・・咲田にあった寿司屋でよく母親と食べに行った
    36 志乃屋・・・実家の近くにあったさくら通り沿いのすし屋 よく出前をとった
    37 ボローニャパン・・・さくら通り沿いの虎丸にあった「ほっかほっか亭」を改装して出来た
                  ミニスタンド形式のパン屋 甘いくて大きな食パンが大人気だった
    38 かに料理甲羅(朝日店)・・・かに雑炊が大好きだった
    39 メガマート(イオンタウン内)・・・ここで数多くの雑貨や洋服を買ったものだ
    40 見聞録・・・桑野にあった本屋 細長いオシャレな内装だった

    41 山の井・・・店内でL字型に折れる 漫画を描く道具一式を購入した なぜか土間
    42 ロッテリア朝日店・・・郡山で最初のファーストフード店 イタリアンサンドは絶品だった
    43 ドライバーズスタンド・・・2輪専門店と四輪専門店に分かれていたが、二輪グッズを
                     買った覚えがある
    44 青木書店・・・黎明高校前にあった本屋 オカマの店員が窃盗で逮捕され閉店
    45 朴GS・・・現在のモールの斜め向かいにあった昭和シェルのGS 現在はツルハ

     潰れてはいないが、メニューが無くなったり、営業時間が変更になった店

     1 吉野家・・・大好きだった人気メニューの朝定食の「ハムエッグ納豆定食」が消えた
     2 まるまつ・・・6時からだったのが10時からになり、朝定食が無くなった
               納豆と生卵、ひじき、味噌汁がついて298円だった・・・。1年で60回訪
              問して食べに行ったのに、営業時間短縮以降、一度も行っていない
     3 山忠・・・今でも営業しているが、朝日から桑野に移転した。ランチの定食は美味しい
            茶碗蒸し付きで大好物だった 

     以上のように、私が行きつけになった店はことごとく閉店に追い込まれる。店からすると大迷惑な話だ。私自身が味がわからず、人気がない店に行くから潰れるのか、それとも見えざる何者かの仕業か。この有様では怖くて常連になれない気がする。

     記事作成:3月17日(土)
      

    福島県出身タレント増殖中!

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     我が福島県出身の10代のタレントが今、全国区の人気を得つつある。最近は松井愛莉や武田玲奈、舞木香純(元AKBチーム8)、優希美青、「まこみな」らがいるが、従来とは違うジャンルで、華々しい活躍が期待されるヤングエイジだ。ぜひ応援して欲しい。

     竹内愛紗

     いわき市出身の16歳。血液型はAB型

     「いわき市に、すごくかわいい中学生がいる」という噂を聞きつけたスウィートパワーのスタッフによりスカウトされる。社長も自ら現地へ赴くなど、2016年4月から10か月近くかけて本人や家族と交渉を重ね、デビューにこぎつける。2017年4月の高校入学と同時に上京。

     2017年、芸能界入りとほぼ同時にY!mobileのCM出演を決め、デビュー3か月で『週刊ヤングジャンプ』表紙に起用される。10月スタートの『明日の約束』(フジテレビ)でドラマデビュー。12月23日に公開の『リベンジgirl』で映画デビュー。福島の奇跡と呼ばれる美少女。

  • 趣味:乗馬、音楽鑑賞。
  • 特技:トロンボーン(小中で全国大会出場・県選抜)。
  • 好きな食べ物:苺、オムライス、キャベツの千切り。
  • 尊敬する女優:高畑充希。
  • タイトスカートがお気に入り。
  •  「ブルガリ」Fit My Style Vol.4 ​ 桐谷美玲・竹内愛紗篇 ​ ​​ ブルガリの似合う女性をめざす“美人姉妹”

     https://www.youtube.com/watch?v=dgxwjVnfI34

     

     箭内夢菜

     生年月日:2000/6/21(17歳)
     出身地:福島県須賀川市
    ※郡山市在住(小原田中卒で清陵情報高校在学中との噂がある)
     身長:164cm スリーサイズ:B81 W67 H89
     趣味:雑誌を読むこと特技:柔軟職業:モデル所属事務所:irving(アービング)
     
     2代目ポカリガールに抜擢され、一躍注目のタレントとなった。

     「めざせ甲子園2017」 https://www.youtube.com/watch?v=UwyGhd83IdA

     彼女は地元では「福島民友」や「うすい百貨店」などのCMに出演しており、そのルックスの良さで引っ張りだこな状態。身長が高くスタイルが抜群なので、モデルとしても活躍している。「箭内」という姓は、福島県の田村郡に多い。須賀川市出身の有名人と言えば、ウルトラマンやゴジラの生みの親「円谷英二」、俳優の「ディーン・フジオカ」、東京五輪のマラソン銅メダリストの「円谷幸吉」らがいる。

     さて、今日は2人を紹介したが、今年ブレイクすること間違いない面々だ。福島県出身者がこんなに人気が出ることは、風評被害を払拭するステータスになり得るかもしれない。ぜひ、いろいろなジャンルに挑戦し、福島県の良さをPRして欲しいと願う。

     記事作成:3月20日(火)


    私が一番好きな場所

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     人は誰しも自分のお気に入りの場所があると思う。悩みがある時、苦しい時、何かうれしいことがあった時、決まって訪ねたい場所が。そこに行けば妙に落ち着いて、自分自身を取り戻せる、そんな場所が。

     私にもそういう心のよりどころのような場所がある。それは、当ブログで何度も掲載しているが、郡山の西部、片平町よりさらに奥に行った河内という集落があるが、その外れの森林に覆われた小高い場所にそのスポットがある。

     そこは「菅舩神社」だ。実は、3月25日(日)の午前中にもお参りに行った。その時の模様をルポしたい。

     8:37 自宅発 小雨の中をインター線を西へ R49を横切り、セブンを左折
         片平のベニマルの前を通過し、右折して県道河内線へ。気温7℃
         小雨だが西の空は明るい 王宮伊豆神社前を通過 ここからまだ3.5kmある
         左折すれば逢瀬公園へ向かう十字路交差点をそのまま直進 河内集落を右左折
         菅舩神社の石碑へ。そしてくねくねした田んぼの一本道へ 小さな明神橋を渡る

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     8:52 菅舩神社の鳥居下へ到着 自宅から15分で来た 距離は10.1km
         いつものことながら誰も参拝者はいない。し~んと静まり返っている。
         早速苔むした石段を上る。距離にて150mくらいだ。
         各鳥居をくぐる際に立ち止まって拝礼。いつも誰もいない社務所に明かりが・・・
         みると宮司らしき人と目が合い、挨拶するが、無視された。ちょっと落胆

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         2分ほどで境内の門へ ここでも一礼 ここは皇后陛下も訪れ、植樹した由緒正し
        き場所。境内(本堂)も立派。もちろん二礼二拍一礼して賽銭を入れ儀礼にのっとっ
        て拝礼し、平成29年度のお礼と新年度からの安全祈願をした。
         ここは訪れる人も少ないのに、なぜか防犯カメラがセットしてある。賽銭泥棒でもい
        るのか?3分ほどで戻る。何か祭事でもあるのか?駐車場の大きな家から荷物を
        持った男の人が石段を上がって社務所へ向かっていた。普段、人影がない場所でこ
        の動きは初だった。

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     9:01 菅舩神社を後にした。帰りトライアル喜久田店で買い物をし、9:44に帰宅した。
         自宅から往復で25.6km 1時間7分で往復し、寄り道も可能なお手軽スポット
         だ。

     さて、私のブログはあとわずかで終了するが、私のブログを読んで、行ってみたいと思ってくれた方がいれば嬉しいし、たまたま偶然に居合わせて、「SUZUさんですか?」と訊かれるのを密かに期待していたが、そんな体験は今まで一度もない。それもそのはず、これまで私は2年前にこの神社の存在を知り、以来、土日を中心に10回以上足を運んで来たが、いつ行っても無人。そういう嬉しい出逢いなど起きようもない環境にある。 
     
     たぶん、郡山市民でもこんな素敵な心安らぐ場所があるなんて気づかない知らない筈だ。足掛け45年間も郡山に住んだ私でも知らなかったくらいだから・・・。

     次回は、逢瀬公園の桜が満開の週末に訪れたい。去年は「サタふく」の浜ちゃんぽの生中継中の浜中さんとすれ違った。今年もそんな偶発的な出逢いを期待したい。

     ぜひこのブログをご覧になった方も一度訪れてほしい。侘び寂を感じられる幽玄なパワースポットで、何か活力を得られる唯一無二の場所だ。「こんなところが郡山にあったのか」と驚くことうけ合いだ。地図はコチラ

     動画サイトに挙がっていた映像

      記事作成:3月25日(日)

    名球会入りしていない名選手

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     投手は200勝以上、打者なら2,000本安打がその加入条件となるNPBの名球会。最近は分業制が常態化しているため、250セーブが付加された。そして日米通算での記録達成でも加入が認められるようになった。
     一方では、いずれの条件も満たしていながら、入会を拒否したり、脱退する方も見られるようになった。一流プロ野球選手の称号とは言えなくなった名球会だが、私達の記憶に残る名選手でありながら、惜しくも名球会に入っていない選手がわんさかいる。

     本日はそうした「名球会入りしていない名選手」をセレクトしてお送りしたい。

     まずは名球会入りの条件を満たした選手を一覧で紹介し、惜しくもあと僅かのところで引退した選手を続けたい。

     <先発投手>

    1400 勝金田 正一1950-1969
    2350 勝米田 哲也1956-1977
    3320 勝小山 正明1953-1973
    4317 勝鈴木 啓示1966-1985
    5310 勝別所 昭(毅彦)1942-1961
    6303 勝V.スタルヒン(須田 博)1936春夏-1955
    7284 勝山田 久志1969-1988
    8276 勝稲尾 和久1956-1969
    9254 勝梶本 隆夫1954-1973
    10251 勝東尾 修1969-1988
    11237 勝若林 忠志1936春夏-1953
    11237 勝野口 二郎1939-1953
    13224 勝工藤 公康1982-2010
    14222 勝村山 昌史1959-1972
    15221 勝皆川 睦男(睦雄)1954-1971
    16219 勝山本 昌広(山本昌)1984-2015
    17215 勝杉下 茂1949-1961
    17215 勝村田 兆治1968-1990
    19213 勝北別府 学1976-1994
    20209 勝中尾 輝三(碩志)1939-1957
    21206 勝江夏 豊1967-1984
    22203 勝堀内 恒夫1966-1983
    23201 勝平松 政次1967-1984
    24200 勝藤本 英雄1942-1955

     日米通算で野茂英雄も条件を満たしている。

     惜しかった投手

     長谷川良平 197勝  あと3勝
     秋山    登 193勝  あと7勝
     松岡    弘 191勝  あと9勝

     一方、一時期エース級の活躍をしながら、名球会に届かなかった投手は・・・

     桑田真澄  173勝 ダイビングキャッチして肘を負傷したことが悔やまれる
     高橋直樹  169勝 東映・日本ハムのエース
     杉浦  忠  187勝 南海のスーパーエース 
     江本孟紀  113勝 南海時代、野村とバッテリーを組み、エースとして活躍 阪神移籍
     高橋一三  167勝 V9時代の左のエース 堀内とともに巨人を支えた
     西崎幸広  127勝 日本ハムのハンサムエース
     阿波野秀幸  75勝 近鉄のエースとして君臨したが、僅か75勝しかしていない驚き
     渡辺久信  125勝 西武のエースとして黄金時代を築いたメンバーのひとり
     川口和久  139勝 広島のエース
     山口高志   50勝 44セーブ 阪急のストッパーとして黄金時代を築いた
     齋藤雅樹  180勝 巨人のエース スリークォーター投で鋭く曲がるスライダーが武器
     西本  聖  165勝 江川と並び、80年代の巨人を支えた
     江川  卓  135勝 鳴り物入りで入団。実働9年で引退 オールスター8者連続三振
     西口文也  182勝 西武のエース ノーヒットノーランをあと一人で2回逃す
     星野仙一  146勝 巨人への対抗意識が強く燃える男だった。
     今中慎二   91勝 1990年代の中日のエース 細身から鋭い速球と球速差50キロも
                  あるスローカーブで打者を翻弄した
     

    <リリーフエース>

    1404 セーブ岩瀬 仁紀1999-
    2286 セーブ高津 臣吾1991-2007
    3252 セーブ佐々木 主浩1990-2005

     セーブポイントでは、たった3人しか名球会入りしていない。

     惜しい選手はコチラ(外国人助っ人を除く)

     小林 雅英 228セーブ  あと22
     藤川 球児 223セーブ  あと27 現役なので達成可能
     江夏  豊  193セーブ 
     馬原 孝浩 182セーブ

     往年の名選手でリリーフといえば、宮田征典、山口高志、大野豊、潮崎哲也などがいる。
     宮田はセーブという概念が確立する前のオールドプレーヤーだし、山口の剛速球は今では伝説だが、長く活躍できたわけではない。大野は晩年に抑えに転向したが、148勝138セーブ止まり。私が尊敬する津田恒美は90セーブだ。

     <打者>

    13085 安打張本 勲1959-1981
    22901 安打野村 克也1954-1980
    32786 安打王 貞治1959-1980
    42566 安打門田 博光1970-1992
    52543 安打衣笠 祥雄1965-1987
    52543 安打福本 豊1969-1988
    72539 安打金本 知憲1992-2012
    82480 安打立浪 和義1988-2009
    92471 安打長嶋 茂雄1958-1974
    102452 安打土井 正博1961-1981
    112432 安打石井 忠徳(琢朗)1989-2012
    122371 安打落合 博満1979-1998
    132351 安打川上 哲治1938春-1958
    142339 安打山本 浩司(浩二)1969-1986
    152314 安打榎本 喜八1955-1972
    162274 安打高木 守道1960-1980
    172271 安打山内 和弘(一弘)1952-1970
    182228 安打大杉 勝男1965-1983
    192204 安打大島 康徳1969-1994
    202178 安打新井 貴浩1999-
    212173 安打若松 勉1971-1989
    222167 安打稲葉 篤紀1995-2014
    232157 安打広瀬 叔功1955-1977
    232157 安打秋山 幸二1981-2002
    252133 安打宮本 慎也1995-2013
    262122 安打清原 和博1986-2008
    272120 安打小笠原 道大1997-2015
    282119 安打前田 智徳1990-2013
    292108 安打谷繁 元信1989-2015
    302101 安打中村 紀洋1992-2014
    312097 安打古田 敦也1990-2007
    322095 安打松原 誠1962-1981
    332084 安打松井 稼頭央1994-
    342081 安打山崎 裕之1965-1984
    352064 安打藤田 平1966-1984
    362062 安打谷沢 健一1970-1986
    372057 安打江藤 慎一1959-1976
    372057 安打有藤 通世(道世)1969-1986
    392055 安打加藤 秀司(英司)1969-1987
    402050 安打和田 一浩1997-2015
    412041 安打小久保 裕紀1994-2012
    422038 安打新井 宏昌1975-1992
    432036 安打阿部 慎之助2001-
    442023 安打荒木 雅博1996-
    452020 安打野村 謙二郎1989-2005
    462018 安打柴田 勲1962-1981
    472017 安打A.ラミレス2001-2013
    482015 安打鳥谷 敬2004-
    492012 安打田中 幸雄1986-2007
    502006 安打駒田 徳広1981-2000

     日米通算でイチロー、松井秀喜も条件を満たしている。投手に比べ倍以上の選手が名を連ねる現状を鑑みれば、打者の2,000本安打のほうが達成しやすいと言える。昔の選手は、先発なら40試合以上登板などザラだったが、今では分業制が進み、先発完投は少ないし、登板数も1シーズンで30試合程度だ。10勝を20年間続けてやっとなのに、そこまでたどり着くのは至難の業だ。

     惜しかった選手は・・・

     飯田徳治 1978安打 あと22本 名球会という組織が出来る前の選手
     毒島章一 1977安打 あと21本 名球会という組織が出来る前の選手
     内川聖一 1975安打 あと25本 現役(今季達成濃厚)
     小玉明利 1963安打 あと37本 名球会という組織が出来る前の選手
     福浦和也 1962安打 あと38本 現役(今季達成濃厚)
     谷  佳知  1928安打 あと72本 かつてはオリックスで首位打者を獲得 右打者
     井端弘和 1912安打 あと88本 高橋由伸の引退に感化されてユニホームを脱ぐ
     松永浩美 1904安打 あと96本 オリックスの核弾頭
     
     記憶に残る名球会に届かなかった名選手

     高田  繁  1384安打 柴田は名球会入りしているが、彼は13年で現役を終えた
     高橋由伸  1753安打 腰痛に苦しんだ まだまだやれたが、巨人監督就任で引退
     新庄剛志  1524安打 阪神、メッツ、ジャイアンツ、メッツ、日本ハムと渡り歩いた
     原  辰徳  1675安打 若大将もスランプに苦しんだ 巨人の4番の重責と闘い続けた
      篠塚利夫  1696安打 巧みなバットコントロールと広角打法で安打を稼いだが、腰痛
     真弓明信  1888安打 ナイスガイ 阪神の監督に就任したが結果出せず
     掛布雅之  1656安打 ミスタータイガースも2千本には遠かった 監督向きではない
     岡田彰布  1520安打 バックスクリーン三連発 阪神・オリックスの監督を歴任 
     石毛宏典  1833安打 原や岡田と同年代で、共に凌ぎを削った
     池山隆寛  1521安打 ブンブン丸の愛称でヤクルトの黄金時代を支えた 
     杉浦  亨    1434安打 若松一緒にヤクルトの功労者 長打力は凄かった
     高橋慶彦  1826安打 広島の俊足巧打の一番打者 遊撃手として守備も上手かった
     田淵幸一  1532安打 ホームランアーチストだったが、死球が選手寿命を縮めた
     大石大二郎 1824安打 近鉄の俊足巧打の一番打者 江川の三振記録を阻んだ
     松中信彦  1767安打 日本人で最後に三冠王を獲得したダイエーのスラッガー
      高木  豊  1716安打 俊足巧打 篠塚とタイプが似ていた スーパーカートリオ
     宇野  勝  1620安打 中日のショート 池山や山田タイプ 細身で長距離砲
     田代富雄  1321安打 中日の大島と似たスラッガー 大洋のオバQ
     島田  誠  1504安打 日本ハムの俊足巧打の中堅手 2074塁打
     柏原純一  1437安打 日本ハムの4番 お腹が出てホームランをかっ飛ばす
                     落合にタイプが似ていた 

     コメントはあくまで個人の感想です。

     さて、こうしてみると、一時期は大活躍しながら、ケガや故障、不調などで名球会に入れなかった名選手は大勢いる。記憶に残る名勝負を展開してくれたこうした選手達。これからも子ども達に夢や希望を与える存在であってほしい。
     

     記事作成:3月20日(火)

    THE 妨害行為

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     世の中やっていいことと悪いことがある。しかし、何かの拍子に魔が差したり、つい調子に乗って善悪の判断が出来なる瞬間が人間にはあるようだ。いつもと違う環境に置かれたとき、例えばスポーツ観戦やライブを見に行った時などは、集団心理も手伝い、つい興奮して普段では考えられない行動に走ることがある。
     今日は、スポーツなどでやってはいけない妨害行為を特集したい。

     1 阪神ファンの不正行為

     ラミレスのレフトスタンドへ一直線に延びるライナーをスタンド最前列に陣取ったファンが故意に弾き返し、ホームランをお釈迦にする事件が発生。しかもこれを審判が二塁打と判定し、ラミレスはホームランを一本損した形となった。なんともファンの妨害によって後味の悪い顛末となった。

     2 汚過ぎる韓国のスポーツ妨害

     歴史的事情でいくら日本が憎らしくても、韓国人の目に余る妨害や心理的にダメージを与えようとあれこれ姑息にも画策するのは愚行と言わざるを得ない。2014年の仁川アジア大会で、空調を操作し、対戦相手の日本人選手に不利となる卑劣な不正工作を行った。
     まぁ2002年日韓ワールドカップでも審判を買収しての不可解な判定が連続したことへの疑惑は消えなかったし、おそらくは今冬の「平昌オリンピック」でも日本人選手への妨害行為や不正な裏工作は必ずあるだろう。君が代演奏ではブーイングの嵐。日の丸は撤去して焼き払ったり、ありとあらゆるで日本を陥れようと画策するのは目に見えている。
     そして大会中、選手や応援者が横断幕で政治メッセージを掲示したり、そうしたアピールを全世界に発信しようと企てるに違いない。

     

     安倍首相は開会式に出席することを発表したが、絶対に取りやめた方がいい。下手すると暴漢に襲われて命を落とす危険があるし、仁川空港到着時から、反日活動家たちの壮絶な「帰れコール」を浴びたり、不快感だらけの在韓期間を送ることになるだろう。韓国とはそういう国だ。

     韓国人に捕球妨害されキレるイチロー

     https://www.youtube.com/watch?v=y2Z-cJFRUQc

     韓国の愚直具合を語りだしたら止まらなくなるが、独善的な大会運営や勝つためには手段を択ばない反則行為や偽装工作があれば、韓国は全世界を敵に回すことになるし、ロシアのように国際スポーツの舞台から追放されることになるだろう。

     今回はこんな内容の記事にするつもりはなかったのだが、動画サイトで「スポーツの妨害行為」の検索すると、韓国の映像しか出てこない。それくらい韓国はスポーツ悪徳国家というレッテルを貼られ、認識されている。ルール無用、スポーツのマナー無き国、正々堂々と勝てないと見るや暴力に訴えたり、審判に文句をつけ、差別的な判定を受けたと審判をなぶり倒す始末に悪い輩たち。バカバカしい。平昌オリンピックは、どうせ不正工作の上に成り立っているのだから、参加する意味などない。ロシアだけでなく、フランス、オーストリア、ドイツに歩調を合わせ、ボイコットしたらどうかとさえ思えてしまう。
     それくらい韓国の日本に対するざんざいかつ粗末な扱いが見えている。実際に日本人選手が出場する試合やレースではバッシングやブーイングの嵐で精神的に追い込まれるのがオチだ。嫌な思いだけを残して帰国する羽目になるだろう。朝鮮人は人を小ばかにし、上から目線で物言いをし、自分たちが優越感に浸れるよう画策し、相手に不快感だけを与える愚弄民族だということを全世界にアピールするだけだと思う。

     記事作成:1月24日(水)
     

    お知らせ

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     平成21年4月27日に開設した「時遊人SUZUのひとり言」ですが、丸9年を迎える今年4月27日をもって閉鎖するとの告知をしてまいりましたが、コメント等で特定の記事だけでも残して欲しいとの要望が多く寄せられましたので、以下の6つに関する記事のみは削除せずに残したいと思います。

     1 郡山の話題(郡山の魅力再発見など)
     2 旅行関係の記事・・・私自身も記録や記憶が消えてしまうため
     3 釣り関係(釣行記事)・・・リンクしている「ようこそ釣り天国へ」の釣行記録が作成できな
                      くなるため 

     4 アクセス数が歴代10位以内に入る人気記事
     5 その他 管理人が必要と考えた記事

     6 ブログ終了後、再掲載を要望するコメントが寄せられた場合

     なお、当ブログを読んでくださった方への感謝として、今後も削除せずに残して欲しい記事がありましたら、コメントでお知らせください。要望が多かった記事は閲覧できる状態にしたおきたいと思います。

     コメント記載例

     掲載希望記事

     1 歴代フラガールラストステージ集
     2 想い出のドラマ「昨日、悲別で」
     3 想い出のドラマ「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」

      上記以外の記事は4月28日以降は閲覧できませんのでご容赦ください。

     また、4月28日以降は、当ブログにおいて釣行記録以外の新規記事の更新はございませんのでご容赦ください。(SUZU)

    今月の名切万里菜アナウンサー⑫

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     2017年3月で福島テレビを退社し、フリーアナウンサーが集う会社「ライムライト」に所属し、日本テレビのニュースキャスターに就任した名切万里菜アナ。福島県で2年間、「みんなのニュース」のキャスターとして親しまれた彼女。異動先でも活躍している姿を見れることは、福島県民として純粋に嬉しく思う。長崎県出身の彼女が、何のゆかりもない当地に赴任し、福島のニュースを伝えてくれたことに感謝すると共に、今後の活躍にエールを送る意味で、これからの彼女のキャスターとしての出演場面を伝えたくて、この記事を執筆することを決意した。そして昨夏、めでたく彼女は結婚した。左手の薬指にキラリと光るマリッジリングが確認できる。

     今日は2018年3月の彼女の出演場面を紹介したいと思いますが、福島テレビを退社後、1年間に渡って彼女のその後の活躍を掲載してきた本記事は、当ブログ終了に伴い、今回が最終回となります。ご了承ください。

     3月1日(木)

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     3月8日(木)

     この日の放送はありませんでした。

     3月15日(木)

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     3月22日(木)

     この日の放送はありませんでした。

     3月29日(木)

     この日の放送はありませんでした。

     今後も福島県ゆかりの長崎出身のアナウンサー、名切万里菜アナのご活躍をお祈りいたします。

     なお、名切アナウンサーに関する記事は4月28日以降は閲覧ができなくなりますのでご容赦願います。

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