昭和50年頃、私が小学生時分に遊び場だった駅前周辺が、ここ数年激変している。一世を風靡した建物やビル、店舗が次々姿を消し、かつての経済県都としての商業都市の面影は駅前周辺には無くなり、寂しい限りだ。昭和50年代にあった有名スポットが、今はどう変わったかというテーマで今回はお送りしたいと思う。
ッグアイの西向かいの三共郡山ビル(北館)がある辺りだ。入口から入ると、まっすぐ進
めばスケートリンク場(貸し靴ロッカーなど)で右側の鉄製の階段(よくマンションの外付
けにあるようなスチール製の非常階段)を半2階ほど上がると、一列しかないベンチつき
の観客席の通路があって、そこから真下で滑っている人たちをガラス越しに見学できた
ものだ。リンク自体は狭くて、テニスコート一面分くらいしかなかったと思う。娯楽が少な
かった時代なので、駅前でこの施設は、逆に若者にとっては有難かった。その見学でき
る通路も寒くて長く居られなかったと記憶している。
→
中央スケートリンクがあった方面を撮影した画像です。
まとまり、東京資本のダイワロイネットホテルが土地を買い取り、建設が始まった。駅前
には信じられないほどのホテルが林立しているが、平日は予約がとれないほど満室らし
い。
ト、ドーミーイン、ホテルロイヤル、プリシード、東横インなど過当競争気味だが、それで
も満室というから凄い。
の安さなので、利用者は多い筈だ。


されるニュースが飛び込んできた。かつては地下にあった食品売り場やラーメン屋で買
い食いした想い出があるし、エレベーターが珍しい時代に、木製ヘリボーンタイル張りの
フロアの7階おもちゃ売り場もよく訪ねたし、屋上の回転遊具やスマートボール型ゲーム
機で遊ぶなど慣れ親しんだ場所だけに、少年時代の想い出が染み付いたスポットとして
残して欲しかった。
→
た。一時期は高級志向が災いし、客足が遠のき、経営難に陥ったが、三越の支援を受
け、再建された。今では7階ワンフロアにジュンク堂書店が入り、十分楽しめる仕様とな
った。
昔の第2うすい 現在のうすい


橋で本館と別館をつなぐほど、巨大スーパーだった敷地を利用し、これまた巨大駐車施
設が誕生した。




あの広大な敷地全体を平面駐車場に
などの飲み会までの時間つぶしによく利用した。確かフロアごとに書の種類が異なり、5
階くらいまであった。奥に向かって細長い売り場だった。
20年ほど前の東北書店(左がアーケード入口で右が西側の裏口)


店し、今では「ホテル第一イン」として改築されて使用している。
→
していて、床が土間であり、照明がやたら暗かった想い出がある。中央通側と、駅前大
通側の両方に出入り口があった。その後、改築し、エスカレーター完備の近代的ビルに
生まれ変わり、「カルチャーセンター」として多彩なスクールを開業した。
→
左上の写真は「郡山商工会議所」のHPより引用させて頂きました。ここでの想い出は、漫画を描くのに、インクやケント紙、羽箒、ペン先、スクリーントーンなどを買いに行ったことだ。私は金遣いの荒いバカ息子だった。
その数軒隣りには、よく父親に連れて行ってもらったが、県内初の回転寿司だった「元禄
寿司」があった。こちらも暗くて狭くて細長い店だった。

駅前に松竹や大映などの映画館もあったと聞く。パレス系は駅前に「東映パレス」や「洋
画パレス」、「パレス1、2」などの映画館を所有していたが、庶民の娯楽が映画だった古
き佳き時代だった。
ロマンポルノの殿堂だった大勝館も2009年11月をもって閉館し、今は駐車場。そし
てスカラ座は現在、第2増子ビルで、居酒屋「まめ膳」などが入る雑居ビルになった。
叶屋書店、ピカデリー郡山(ライブハウスになっていた時期あり)、染本ホテル(現在駐
館もあった。私はピカデリーでスターウォーズ第一作、郡映でキングコングを観た。

なる中央通りの角、つまり現在、郡山ビューホテルアネックスが建つ場所に焼き鳥屋が
あった。その名は「角海老」。近くを通ると食欲をそそる焼き鳥の香ばしい香りと煙が漂
の頃、同じクラスだった。現在は移転し、安積黎明高校の南向かいに建つ、立派な塀構
えの高級割烹料理の料亭「京香」になっている。
では郡山唯一のスクランブル交差点のある繁華街にど~んと店を構えていたから凄
い!専門は「すき焼きと牛鍋店」ということだが、私の印象では「焼き鳥専門店」という

当時、私は会津に1年間住んでいて、この峠を通ったり、スキーの帰りに、あるいはバイクで何度も走行した想い出が詰まった場所だった。特に頂上部にあったトンネルは暗くて不気味。心霊スポット化するほど不気味な所だった。そこの広場からは郡山市街を一望でき、夜は夜景も楽しめた。またトンネルの上には、遺跡の発掘を記念して、縄文式住宅を再現した「古代の村」もあったし、黄色い建物の「峠の茶屋」も存在した。団子が名物だったらしい。
ここを最近、歩いて山を登り訪れた方がいた。やはり、閉鎖後、どうなっているか気になったのだろう。閉鎖前までは、皆、この勾配がきついクネクネ道を必死で登ったに違いない。想い出がいっぱい詰まった生活用道路だったに違いない。では、その方のブログと映像をどうぞ!
今後も、こうした地元の話題を続々提供する予定ですので、ぜひ懐かしんで欲しいと思う。
以前、当ブログで、郡山にあるタウン誌を特集した記事を書いたが、まさかの老舗人気タウン誌がその役目を終え、自らの意思で廃刊を決めた。郡山の歴史や昔の写真など、当ブログも参考にする点が多々あったので、心から感謝し、ご苦労様を言いたい。
記事作成:2月10日(金)~12日(日)