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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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ありえない動画集

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 今日は、常識では考えられないような「ありえない動画」を集めてみた。もしかすると中にはCGやトリックを使った物もあるかもしれないが、とにかく驚きの映像集です。

https://www.youtube.com/watch?v=YChFBkWfGxI

 突然変異なのか、直視するのも憚りたいような衝撃的な巨大生物たち。このような不気味な生き物には生涯出会いたくないものだ。

 大鷲が狩りをする様子

 大鷲がこのような方法で狩りをするとは・・・。どれだけ頭がいいのか。カラスも賢いが、鳥類はかなり脳が発達していると見える。

 宇宙からスカイダイビング

 高度 3万9044メートルから落下の世界記録」と題された動画だが、本当なのかCGの類なのかは不明。宇宙服を着こんで、生命維持装置も見えることから、おそらくは本物の映像っぽいが、大気圏のぎりぎり手前からのジャンプでないと、宇宙服ですら燃え尽き、人も燃えカスになってしまう筈。僅か数分で地上に帰還。   

 信じられない映像集アクション編

 サンデーモーニングの張本ではないが、「どこがそんなに面白いの?」とか「おやめなさいよ危ないから」という言葉が出てきそうな映像を集めた動画集。Xゲームもそうだが、アメリカ人が好みそうなエキサイティングな無茶苦茶なアクションばかり。アメリカ人はスリルとサスペンスを追求する国民性を有しているのが見て取れる。

 豪華キャストが総出演の「特捜最前線」「大空港」「俺たちは天使だ」

現代版「大空港」https://www.youtube.com/watch?v=Pj5usE3vywA

現代版「太陽にほえろ!」

https://www.youtube.com/watch?v=7Xp5G8_ejLY

 これはファン必見の動画。よくぞここまで制作したのものだ。私が中学時代に放送していた「特捜最前線」。刑事ドラマでは、「太陽にほえろ!」「Gメン’75」と並んで人気があった。二谷英明扮する神代課長が率いたあの名作が現代版で甦る!よくぞ作ってくれたと賞賛したい。
 また、鶴田浩二が主演した空港を舞台にした捜査官を描いた名作で、私も大好きで毎週見ていた「大空港」。その現代版リメイク版も傑作だ。

 そして沖雅也と愉快な仲間たちがくりなす「ずっこけ探偵事務所」の「俺たちは天使だ」も良くできている。

 さて、いろいろな動画をピックアップしてみたが、いずれも驚きの内容だった。特別に温めていた訳ではないが、9か月前に執筆を開始してなかなか公開できなかった動画を本日はやっとお送りすることができ安堵している。実はこのようなまだ公開していない記事が30作品以上も溜まっている。タイミングを見計らい、そしてネタ探しに困窮した際に、順次繰り出していきたいと思う。

 記事作成:平成27年6月頃

 


歴代の話題作となったドラマ

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 各テレビ局のテレビはそれぞれ特徴と言うか特有の傾向がある。もちろん、テレビ局自体が制作するのではなく、ドラマの制作会社に委託し、演出家や脚本家などを選定し、撮影を手がけるのが通例だ。

 しかし、各局には独自色というのがある。下の例を見て欲しい。

 <日本テレビ>

 青春学園ドラマや家族のふれあいなどを描いたアットホームな印象がある。「飛び出せ青春」「われら青春」、「ゆうひヶ丘の総理大臣」、「俺たちの旅」シリーズ、「熱中時代」など日テレは特定の世代にターゲットを絞るのではなく、家族ぐるみで楽しめるような明るいドラマが多かった。
 刑事ドラマでも「太陽にほえろ」や探偵の「俺たちは天使だ」などが印象に残る。最近では「あぶない刑事」シリーズだろう。

 ほかには話題作として挙げられるのは「同情するなら金をくれ」という名台詞で高視聴率を叩き出した「家なき子」。しかし、21世紀以降は「家政婦のミタ」以外の高視聴率のドラマはなく、不作状態。唯一「ごくせん」や「金田一少年の事件簿」くらいが記憶に残る程度。

 やはり日テレはドラマ部門は昔から不調で、ドキュメンタリーや19時台に放送されたバラエティ部門、娯楽系エンターテイメントに力を入れすぎる。
 「木曜スペシャル」、「びっくり日本新記録」、「それは秘密です」、「天才たけしの元気がでるテレビ」、「鉄腕DASH」、「笑点」、「スーパーテレビ情報最前線」などがいい例だ。

 <TBS> 

 昔から話題作はTBSだった。人間の本質に焦点を当てたドラマが多かった。

 「ありがとう」、「積み木くずし」、「時間ですよ」「3年B組金八先生」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」、「スチュワーデス物語」、「スクールウォーズ」、「渡る世間は鬼ばかり」、「金曜日の妻たちへ」、「高校教師」、「誰にも言えない」、「魔女の条件」、「ずっとあなたが好きだった」など、人生そのものを包み隠さず泥臭く描写したり、家族とは何かとか時節の社会問題を取り上げ社会風刺を巧みにドラマの題材として利用した。したがって、その時代の話題作になることが多かった。
 「金妻」の不倫や「冬彦さん」などがブームになったのもTBS作品からだ。

 最近でも「半沢直樹」や「下町ロケット」などの話題作を世に送ったのは記憶に新しい。
 TBSは昔からJNNで報道に力を入れてきたが、実はドラマの分野でも問題提起して力を
注いできた。大映テレビの無理があるコンセプト設定や台詞の臭さはどうかと思うが、歴代ドラマでは、人間の心理を突いたり、情に訴えるような番組が多かった。その最たるものが坂上二郎主演の「明日の刑事」だった。

 <テレビ朝日>

 アクション系やシリアスな刑事ドラマ

 「大都会」や「西部警察」シリーズに代表されるようなド派手な爆破やアクション系の刑事ドラマのイメージが強い。1970年代以降、「土曜ワイド劇場」にあるような殺人事件や探偵シリーズの作品が目を引く。
 ほかにも「特捜最前線」や、「科捜研の女」「相棒」などが一種独特な作風を醸すのがこの局の特徴だと思う。


 

 <フジテレビ>

 昔は「白い巨塔」のような大作があったが、1980年代頃からは、月9に代表されるように、若いカップルの恋愛模様を描いたトレンディドラマがまず目に浮かぶ。
 「あすなろ白書」、「東京ラブストーリー」、「愛という名のもとに」、「逢いたい時にあなたはいない」、「ラブジェネレーション」、「やまとなでしこ」、「プライド」、「101回目のプロポーズ」 

 木村拓哉、織田裕二、鈴木保奈美、柳葉敏郎、三上博史、江口洋介、中山美穂、小泉今日子、松嶋菜々子

 申し訳ないが、私が居住する福島県では「テレビ東京系」の番組はネットしていないため、ドラマはほぼ見られないので、今回は割愛させていただいた。
 NHKもまた同様で、「連続テレビ小説」や「大河ドラマ」と民放ドラマでは比較にならないからだ。

 ではここで、これまでにいったいどの放送局のドラマが人気を博し、国民的支持を得たかたか「視聴率のランキング」をご覧いただきたい。

 「歴代ドラマの視聴率ランキング」

 1位 積み木くずし        1983年   45.3% TBS
 2位 水戸黄門9部        1979年   43.7% TBS
 3位 半沢直樹          2013年   42.2% TBS
 4位 ビューティフルライフ    2000年   41.3% TBS
 5位 熱中時代             1979年    40.0% 日本テレビ
 5位 太陽にほえろ          1979年    40.0% 日本テレビ
 5位 家政婦のミタ           2011年    40.0% 日本テレビ
 8位 3年B組金八先生       1980年    39.9% TBS
 9位 ひとつ屋根の下        1993年    37.8% フジテレビ
10位 GOOD LUCK!         2003年    37.6% TBS
11位 赤い激流             1977年    37.2% TBS
11位 家なき子              1994年    37.2% 日本テレビ
13位 HERO                2001年    36.8% フジテレビ
14位 江戸を斬る            1979年    36.7% TBS
14位 101回目のプロポーズ   1991年    36.7% フジテレビ
14位 ロングバケーション      1996年    36.7% フジテレビ
17位 男女7人秋物語        1987年    36.6% TBS
18位 GTO                 1998年    35.7%  フジテレビ 
19位 ドラマ人間模様        1978年    34.8%  NHK
19位 3年B組金八先生第2シリーズ1981年 34.8% TBS

 ざっと20位までの歴代高視聴率の順位を見たが、TBSの上位が目に付く。半分の10作品がTBS系列のドラマだ。しかも10位以内には6作品というひとり勝ちの様相。フジテレビの恋愛シチュエーションドラマは、1990年代以降で、大掛かりなてこ入れによって改革が奏功した結果だ。しかしここ数年は大苦戦。奥様世代に迎合し、韓国ドラマばかりBSで放送してきたツケが回って来た。
 上位を見てもわかるように、恋愛ドラマは10~20代限定のターゲットであり、やはり全世代に幅広く見て貰える話題作の番組でないと高視聴率を残せない。そのことを念頭に置いて製作者側は番組コンセプトを考えて貰いたいものだ。

   記事作成:2月18日(木)

70年代の青春ドラマの挿入歌

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 昔話をするのは歳をとった証拠だが、1970年代から80年代に小中高時代を過ごした私にとって、この手の話題はルーティーンも同様。ついつい懐かしくて取り上げてしまう。おそらくは今の若い世代(10~30代)の方々とは世俗が違うし、時代観も価値観も異なるため、単に昔の古めかしい曲としか映らないかもしれないが、当時の青春世代には、激励を与えてくれる心の支えであったし、今を生きていることを実感するようなコンセプトだった。
 今日は40代以上の方々限定ではあるが、そんな古き佳き若き時代の遺産に触れてみたい。
 なお、これまで似た話題は多数掲載しているため、敢えて主題歌ではなく、番組内で流れた挿入歌やエンディング曲に限定したい。

 「青春貴族」

 ラグビーに青春を捧げた学園ドラマ「われら青春」。中村雅俊が破天荒な教師役で、マドンナが島田陽子。この番組では様々な俳優が出世作として成長していった。石橋正次、竹下景子などがそうだ。この番組の挿入歌で大ヒットした「ふれあい」は過去に何度も取り上げているので割愛したい。こうした青春ドラマの挿入歌でヒットしたのは、竜雷太が教師役として出演した「これが青春だ」のテーマソング、森田健作主演の剣道青春学園ドラマ「俺は男だ」の挿入歌「友達よ泣くんじゃない」もある。1960年代に遡れば「青春とは何だ」の挿入歌「貴様と俺」がヒットした。

 これが青春だ https://www.youtube.com/watch?v=i_S4JUu9RrM

 友達よ泣くんじゃない https://www.youtube.com/watch?v=wNjLYJmRm3E

 貴様と俺 https://www.youtube.com/watch?v=b7veC3Ijg8Q

 「海を抱きしめて」

 歌う青春スターだった中村雅俊が教師欲のドラマで「われら青春」と並んで人気があった学園ドラマが「ゆうひが丘の総理大臣」だった。神田正輝、由美かおるが同僚役で出演し、私が大好きな岡田奈々も妹役で出演していた。そして生徒役には当時定番だった井上純一、藤谷美和子、そして私がファンだった美少女JK役が北村優子だった。斎藤とも子も出演したことがあった。
 番組終盤に、相田みつを張りの詩がテロップで流れ、それを見て感動していた世代だ。明日もまた頑張ろうと励まされたものだ。アコースティックギターの音色が時代を感じさせるが、これがまた青春時代には欠かせないアイテムだった。

 「ただお前がいい」

 1970年代を代表する青春ドラマと言えば、真っ先に「俺たちの旅」を挙げる先輩諸氏も多いことだろう。この番組がポエムで締めくくる先駆けとなった。

 地方から東京に出てきて頑張っていた学生やサラリーマンのどれだけ励みになったことかしれないドラマだ。こちらも「俺たちの朝」(勝野洋・小倉一郎・長谷直美、)「俺たちの祭」(中村雅俊・檀ふみ)に受け継がれていった。この曲い関しては、小学生の頃だったが、レコードを持っていた。あの頃は1枚500円の時代だったが、子供の私には大金だった。

 私にとって1970年代は小中学校時代を過ごしたかけがえのない思春期と青春時代だった。その頃はテレビでは「青春学園ドラマ」と「刑事ドラマ」が主流で、名物番組が続々登場した。そうした青春群像を見て、自分の身の振り方を考えさせられたものだ。若い時分の人生の羅針盤のような存在で、文字通り先生役となった。その主役となっていたのは森田健作、中村雅俊だった。彼らから生き方や人間としての在り方を学んだような気がする。最近は、ドライな人間関係を描いたドラマが多く、こうした人間の泥臭い本質を突くような学園青春モノが少なくなった。そして回数も短くして完結してしまう。人間としての根本部分を見つめさせてくれるようなドラマの再来を待ちわびたいと思う。

 記事作成:3月13日(日)

芸能人の意外な才能

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  以前にも似たような記事を掲載したことがあったが、その後、発掘した芸能人の意外な才能を続編として掲載したい。芸能人というだけあって、さすがに芸に長けているし、本業以外にも唸るような天賦の才能を発揮している。では早速ご覧ください。

 長野美郷のピアノ演奏

 アナウンサーでは「山岸舞彩」が出現するまでは、私の中でNo.1のお気に入りアナウンサーだった。もうお年頃なのに、浮いた話がなかなか出てこない。上智大学卒の才媛だが、おっとり系で丸顔色白は、O型の典型的な女性そのもの。私の好みにぴったり。今は「サンデーモーニング」でアシスタントを務める「伊藤友里」アナと双璧。彼女もO型で、セント・フォース所属まで一緒。
 その彼女が嗜んでいるピアノは本格的で、Teppanに出演し、あの難しい「子犬のワルツ」をほぼ完璧に演奏しきった。ますます惚れ直した。知性と教養、そしてまるでドラえもんの静香ちゃんのように、女性らしい才能をいかんなく発揮してくれ、驚きの連続だった。

 山本耕史のものまね

 彼は昨年、女優の堀北真希と電撃結婚。いかにもB型同士らしいなれそめ。瞬間湯沸かし器の如く、セオリー無視の一気に燃え上がる恋愛模様はB型そのもの。その彼は、ところどころでものまね上手な一面を見せている。それがなかなかの完成度。もとからものまね芸人はB型が圧倒的に多い。青木隆治、清水ミチ子、コロッケ、栗田貫一などはB型。根っからのエンターテイナーなのだ。もっともこの型は、他人を喜ばせたりもてなすのではなく、自らが楽むという理由でものまねを行う。相手を思いやって楽しんでもらうという腹などもとからない。だからわざとらしさもなく自然な振る舞いに映る。

 レイザーラモンHGの絵画

 2013年11月22日 東京・渋谷デスペラード 両手を広げて「フォー!」のポーズで大人気となったが、現在は一発屋芸人と言われてい­るレイザーラモンHGさん。初個展「レイザーラモンHGの絵うまいでしょ」を開催しま­した。会場のすぐ近くにあるシュートボクシングジムに通っている際にこちらの洋服店(­ギャラリー付き)に入ってスタッフと付き合いを始めたのが個展するきっかけ。「個展を­するとしても新宿2丁目のこじんまりとしたスペースだと思っていた。」
 ライブペインティングとしてウィンドウの中で筆を進めるHGさん。およそ1時間で作品­は完成。ハードゲイとファッションを融合した作品だといいます。

「パソコン悪魔」はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=ZQ89ZXjOkXM

 画家として活躍しているのは、前回に掲載した工藤静香、五月みどり、八代亜紀がいる。

 他にも個展を開くほどの腕前は、片岡鶴太郎、木梨憲武、大野智が秀逸している。

 やはり芸能人は才能の塊だ。芸は身を助くを地で行くのが彼ら。天はニ物も三物も与えてしまっている。一見華やかな世界だが、流行り廃りが激しいのもまた芸能界の常。そんな激しい競争で生き残るのは、カッコ良さではなく、自らが苦労して磨き上げた芸であったり、本業とは違う分野で、好きで長年継続してきた芸術性溢れる長所である。もちろん生まれながらの才能も一理あるが、それを生かした本人の決断や努力も必要不可欠だったに違いない。
 

 記事作成:3月20日(日)

心を打つ鉄拳のパラパラ漫画(続編)

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 鉄拳という人は人間の深層心理を知り尽くしているのか?人生の悲哀だったり、喜びであったり、如実な描写で独特の世界観を表現している。それはパラパラ漫画。彼の描く世界は、まぎれもなく人間の真理を突き、嘘偽りのない人生そのものだ。年を重ねると、素直に泣けなくなったり、つまらぬ意地を張って失敗したり、余計なことを言って相手を傷つけたり、周囲に自分を支えてくれる大切な存在に気づかない振りをしてみたり、後悔先立たずというのはいつになってもついて回る。しかし、鉄拳の漫画を見ると、心なごみ、素直になれる自分がいる。ずいぶん前に同じタイトルで記事を書いてから早3年4か月。今日はそんな気持ちに戻りたくて再び続編を掲載します。

 『キズナ』

 名曲「思い出のアルバム」に乗せて、人のとして歩む道を描いた秀作。

 両親へ感動サプライズ!パラパラ漫画で親孝行!   

 この動画に寄せられた感動コメント

 お母さん、ありがとう。   

勉強は嫌い。お母さんはうるさい。
でも、やっぱり僕の事をいつも一番考えてくれていたのは、お母さんだった。心配ばっか­りかけて、ごめんね。味方でいてくれて、ありがとう。

 「約束」

この動画に寄せられた感動コメント

自分の気持ちをわかってくれるのはやっぱり親しかいないんですね。親がどれだけの苦労をしてるか知らずあーだこーだいう自分がほんとに情けない。

絵と、動きと、BGMの合い具合が半端なくやばい。何ないみても涙かこぼれそうになる。はじめみた時は号泣しました。この動画をみて自分も両親を大切にして行きたいなと思いました。

 記事作成:3月8日(火)

 なお、明日掲載の記事は、TUFの梅田澪理アナウンサーが番組を卒業する最終回の「げっきんチェック」のため、編集後に掲載いたします。遅くに更新となりますことを予めご報告いたします。

梅田澪理アナが福島で過ごした日々

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 福島県の人気女子アナがまたひとり、この春、福島県を巣立っていった。この季節は人事異動の季節で、契約アナウンサーにとっては、任期満了に伴って、このように新天地を求めて他県に移る方々がいる。
 県内の女子アナで、私が個人的にお気に入りだったアナウンサーはFCTの小野紗由利アナ、FTVの名切万里菜アナ、そしてTUFの梅田アナだった。なぜか3人とも血液型がA型。この型ならではの気配り、優しさ、細やかさ、女性らしさに加え、おっとり感やふんわか感といったものを感じる。
 今回、福島県民に愛され、惜しまれながら福島県を離れたのはTUFの梅田澪理アナ。「梅ちゃん」の愛称で、2年半前から「はぴスタ」や「げっきんチェック」にメインで出演し、県民に愛嬌を振りまいて来た。彼女の退社は私がもっとも恐れていた別れだった。
 今回は「梅田澪理アナメモリアル」にあたり、彼女を忘れないために「梅田澪理アナが福島にいた日々」と題し、ここにしたためたい。

 まずは彼女のプロフを改めて掲載したい。

 梅田澪理

 1990年6月15日生まれの25歳。血液型はA型。大阪府箕面市出身。
 大阪府立箕面高等学校を経て青山学院大学法学部法学科を卒業。
 TBS アナウンススクール出身でもある。
 青山学院大学在学時に、日本テレビイベントコンパニオン28期生を務める。
 2013年4月、テレビユー福島に契約アナウンサーとして入社。情報番組『はぴスタ』のメインMCや、『TUFニュース』などを担当。
 趣味は買い物とひとりカラオケ、書道、ランニングであり、大学時も陸上部のマネージャーとして活動する。秘書検定2級の資格を持つ。
 チャームポイントは笑うとできるえくぼ。
  番組内で明かした好きな男性のタイプは向井理。

 げっきんチェック(2015年3月30日 -2016年3月25日)メインMC担当。
 
 TUFプロフ http://www.tuf.co.jp/announcer/index.cgi?rm=detail&id=19

 TUFブログ http://www.tuf.co.jp/blog/?author=21

 <彼女の想い出の名場面>

 げっきんチェック第1回放送(H27/3/30)

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 梅ちゃんもぞっこんの看板男子(H27/6/24)

 5分23秒からの梅ちゃんの発言に注目!

 浴衣で登場(H27/6/29)

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   大好きな向井理をイメージして枕を抱く梅ちゃん(H27/7/21)

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       サンドウィッチマン生放送乱入(H27/10/5と11/19)

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実家への帰省で夏休みをとった筈の梅ちゃんが海外旅行を暴露され苦笑・・・。

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          青学出身の同級生女子アナ対決

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 マツコデラックスと福島県物産館(東京)からの中継(H27/12/31)

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    梅ちゃん最終回放送(H28/3/25)でのひとコマ

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       梅ちゃんが人生初の運転士に挑戦!(飯坂線)
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      アナウンサーになりたての頃の可愛い梅ちゃん
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         テレビ初登場時の初々しい梅ちゃん!
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    最後の挨拶のシーン 結婚を機に退社することを公表
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 最後まで涙は見せず、笑顔でのお別れとなった。

 私は昨年春の「げっきんチェック」放送開始から、すべての放送をブルーレイに録画してきた。東芝の機器が不調で保存されなかった回数が3~4回あったが、それ以外は全部彼女の出演場面を中心に編集して保存している。それほど彼女の存在は大きいものがあった。
 放送中に、サンドウィッチマンの突然の訪問やマツコデラックスのマイペースな行動に振り回されても、常に笑顔を絶やさず、県民に明るい話題を提供し、何を隠そう私自身も録画した番組を夕刻に見て癒されていた。

 彼女の今後だが、私の予想では福島を離れた後は、4月から「セント・フォース」のようなアナウンス専門の事務所に所属し、全国区のフリーの女子アナとして活躍するか、また彼女の故郷である大阪近辺に赴任されるのではないかと考えていた。
 ところが、3月23日(水)放送の「げっきんチェック」で、久本雅美がゲスト出演し、梅ちゃんに向かって「結婚おめでとう!」と拍手をして賛辞を送った。ということは、寿退社ということもあり得る。だとしたら、私は嬉しいし、素直に結婚を喜びたい。

  そして、最終回の放送では、彼女は自分の口から「結婚を機に福島を離れることになりました。アナウンサーの仕事を続ける予定は今のところはありません」と話した。ということは、結婚後は、しばらくは家庭に入られるようだ。どこに嫁ぐかは番組では公表しなかった。でも年齢的に考えても、あの美貌を考えても、結婚するのは当然。ぜひ彼女には幸せな家庭を築いて欲しいと思う。そして3年間を過ごした福島のことを時々思い出して、また訪れて欲しいと願う。彼女にとって福島が第二の故郷になってくれれば本当に嬉しい。

 春は出会いと別れの季節。彼女を失うことは大ショックで、ある意味、来週から「梅ロス」に陥り、生きる生き甲斐をなくしそうだが、彼女の決断や福島を愛してくれた彼女のこれまでの恩に報いる意味でも、明るく見送りたいと思う。そして次の新天地での活躍をお祈りしたい。

 「ありがとう梅ちゃん!」 

 これからも福島で過ごした時間を忘れず、健康に気をつけてお過ごし下さい。お幸せに!

Umeda2

Umetyann

 TUFの彼女の挨拶の記事はコチラ http://www.tuf.co.jp/blog/?p=14913

 ヒッキー北風さんのブログとTUFのアナブロから引用させていただきました。

 記事作成:3月21日(月)~25日(金)

 追記

 春は卒業シーズンであり、アナウンサーの異動の季節でもある。梅田澪理アナに限らず、3月26日(土)にはKFBの「ドミソラ」のMCを5年間務めてきた猪俣理恵アナも番組卒業となる。
さらには「サタふく」の松永安奈アナも卒業し、夕方のニュースへ配置転換となった。

 春は卒業と異動の季節。会社の方針で転勤などはやむを得ないが、これまで親しんできたアナウンサーがその番組で見られなくなるのは寂しいとしか言いようがない。

プロ野球に関する素朴な疑問(続編)

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 昨年の同じ時期(3月24日付)に同じタイトルで記事を書いた。野球が開幕に近づくとこの手の話題に触れたくて体がうずうずしてしまう。プロ野球は高校野球とは異なり一度負けてもまだ次がある。チャンスは一度だけではない。しかし全国各地あるいはMLB などで腕に覚えがある実績十分な選手だらけの世界で、そこで成功を収めるのはほんの一握りである。その厳しくも華やかな世界において、長年野球を見続けた私が疑問に思う出来事やルールなどを率直に書き表したのがこの記事だ。今回も思うままに書き出して、知恵袋や教えてgooなどにそれにふさわしい回答例がある場合には、それを転記したい。

 疑問1  野球で右投手対右打者はさほど苦にならないのに、左対左は打者不利になる
      のはなぜ?
 

 なるほど回答1(ヤフー知恵袋)  

 変化球、例えばカーブを左投手が投げた場合、左打者の体から逃げるようにボールが曲がっていきます。体から離れているのだから、当然距離感覚もズレやすくなり打ちづらくなります。
  右投手対右打者でも同様ですが、右投手は左投手よりも私の経験上数が多いため、対戦回数が多くなるので右打者が不利と言われないのです。
  左投手に右打者が有利と言われている理由は、不利と言われている理由と逆で、体にボールが向かってくるためボールを捉えやすいからです。  

 なるほど回答2(ヤフー知恵袋)

 投手とはプレートの真ん中で球を離すわけではないですよね?つまり右も左も同じ利きの場合は「リリースは体より」インからアウトにボールが来ます。これは外から入ってくるより見辛く打ちづらいのてすが、この条件は右対右でも同じです。しかし、なぜ左対左だけが不利と言われるのかと言うと「経験値」か圧倒的に違うからです。打撃には経験値が必要です。リリースから1秒かからずに来るボールはどんなに運動能力が高い人でも考えてたら打てません。生理学的に無理なのです。野球選手は多くのトレーニングを行うことによりボールの質や軌道を記憶し予測することにより反応出来る様になります。だからいんはいの後のアウトローが有効なんです。 

 そして左投手の軌道と言うのは圧倒的に不足しているのです。元々不利な右同士は普段から軌道に、慣れる事が出来ますし、右打者対左投手は打者が慣れてなくても元々が有利な立場ですが左対左は不利な上に慣れてないので、打者に不利な条件しか無いのです。これが左対左は打者が不利と言われる由縁です。

 私が個人的に思った理由は、右投手対右打者の場合、例えばスライダーで外角に流れていくボールにも、一塁に向かう方向に踏み出せるので、おっつけて右に流すバッティングが可能であるのに対し、左投手対左打者は、横に曲がるスラーダーは、おっつけることが出来ず、体が開いてしまい、その分、ミートできる範囲が狭くなる。したがって、泳がされて、バットの芯でボールを捉えられない。しかも走る方向は、ボールの曲がる方向と逆になるため、ますますボールから視線も体も遠のいてしまう。よって線ではなく点で捉えるしかないため、打つのが難しくなるという理由。しかも左打者にとって左投手のボールは、球の出所が見にくい。特に左投手のカーブやスライダーは背中から球が出てくるように見えるのだ。  

 かつて西武に永射保というサイドから投げ込む左キラーの投手がいた。日本シリーズでも、ミートが上手く、バットコントロールが巧みで首位打者を獲ったことのある篠塚利夫がいたが、まったく歯が立たなかった。体を泳がされて面白いようにバットが空を切った。クロスオーバー気味にボールがホームベース上を横切るため、左打者には攻略不能のように思えた。  
 他にも打ちづらい左投手の代表格は、このようにスリークォーター気味やサイドからボールを繰り出す阪神の山本和行や福間、湯舟もそうだった。
 また、ボールの出所が見えづらく、打ちづらい左投手には、ソフトバンクの和田やオリックスの星野、さらには中日の今中、広島の川口らがいた。  

 疑問2 プロ野球ではめったにバントやスクイズをやらないのはなぜ?

 プロ野球の世界ではチームプレーはもちろん大事だが、それ以上に個人の給料に響いてくる。自己犠牲を払ってまで、進塁や得点を狙うのは監督としてサインを出しづらいのか?しかし、選手というのは監督やヘッドコーチのサインで動く。サインを無視して悪い結果が出れば罰金を取られることもある。矛盾といえば矛盾だが、アマチュア以上に生活がかかっているプロは、多くの時間を割いて打撃練習を行っている分、いくらチームプレー優先とは言え、難しいのだ。犠牲バントは成功すれば打数に入らないし、スクイズなら打点になる。何も引け目を感じる必要はないのだが、それ以上に、あまりバントの練習をしていないため、失敗したときのリスクの大きさを考えれば、思い切りの判断に欠けるのだろう。

 疑問3 先発投手の権利はなぜ5回なのか? 

 これは野球は延長戦がなければ9回までであり、その過半数を投げぬくという発想。もし先発投手が4回を投げ、そのままリードし、2番手投手が5回を投げて、そのままリードを保って終戦となった場合、投球回数の多い2番手が勝利投手になれないのは不公平になる。また、先発投手はローテーションで多くても週一回ペースの当番で、次の登板まで休める期間が長くなるが、中継ぎ投手の場合、毎試合ベンチ入りするため、休める期間が少なくなる。先発投手の権利が5回というのは妥当なところだ。

 疑問4 勝利打点が消えた理由 

    勝利打点は1989年に廃止されました(1981~1988年までは公式記録) 廃止の理由は、勝利打点となる得点が、試合の展開によってはチームの勝利に効果的な得点だったと判断できない事もあり評価基準として?なので廃止となったようです。セ・リーグは非公式に2000年までは表彰していました。 より詳しい記載は「ベースボール速報」というHPにその記載がありました。  

 1981年3月1日に発行された「公認野球規則」、その「記録に関する規則 得点打」に以下の条文が追加された。
  《最終的に、チームに勝ちをもたらすこととなった得点を記録した得点打に対して勝得点打(勝利打点)を記録する》  

 これによって日本のプロ野球は81年シーズンから勝利打点を公式記録に取り入れた。その経緯を日本野球機構の公式記録員・山田繁氏が明かす。

「そもそも日本の野球規則は、アメリカのルールブックを基にしたもの。野球規則の改正などはおおむね、ルールブックに記載された翌年に反映されます。 勝利打点についても、80年にルールブックに新規追加されたことを踏まえ、プロ野球は81年シーズンから適用としました」  

 ちなみに、81年4月4日のセ・パ両リーグ開幕試合ではロッテの落合博満、巨人のホワイト、ヤクルトの大杉勝男らが勝利打点を記録している。 しかし、88年のシーズン終了をもって両リーグの公式記録から勝利打点は姿を消した(セ・リーグは2000年まで特別賞として表彰)。なぜか――。 「理由は明らかにされていませんが」と前置きし、前出の山田繁氏が言う。 「野球規則を言い換えれば、勝利打点は“最後に勝ち越し点を決定した打点”ですから、例えば1─0でも10─0でも、10─0から10─9に追い上げられた試合でも、1点目をたたき出した選手に記録されます。こうした10─0や10─9のケースであっても、先制点は貴重です。 ただ、同じ1点なのに重みが違いすぎますよね。そうした価値基準をアメリカは再考し、88年のルールブックから削除したのではないでしょうか」

 もちろん、89年の野球規則に“勝利打点”の文字はない。

 さて、まもなく今年もプロ野球シーズン到来だ。今年は野球賭博問題、円陣声掛け、賭け麻雀など不祥事が相次いでいる。子供たちが夢見るスポーツで、目標とされる職業である以上は、襟を正し、自らの生活を律した振る舞いをしてもらいたい。それが無ければファンは離れていくに違いない。
   

 記事作成:3月7日(月)

2016年春・福島の女子アナ異動

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 毎年お送りしているこの種の記事は、正直執筆するのが寂しい。長く、福島県民に親しまれ、愛されたアナウンサーが退社し、福島を巣立っていくからだ。ルーティーンとして生活の一部だった、「テレビの顔」が4月から見られなくなると思うと、生活に張りを無くしてしまいそうだ。
 しかしながら、彼女たちが自ら下した決断を尊重し、これまでの労苦に報いる意味では、感謝して笑顔で送り出すのが視聴者の役目でもある。
 そこで、今日は、これまでの出演場面を振り返りながら、福島県での功績を讃えたい。

 梅田澪理 A型

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 彼女に関しては、3月25日(金)の「げっきんチェック最終回」で、特集記事を掲載したので、詳細はそちらをご覧ください。

 記事ははコチラ→ http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-0d4e.html

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 続いて退社はしないが、長く親しまれた「番組の顔」を卒業する女子アナを紹介します。

 猪俣理恵 A型

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 1982年8月27日会津若松市出身の33歳。日大東北高校、関西大学を卒業し、KFBのアナウンサーとして入社。2012年4月から「ドミソラ」のメインキャスターに就任した。丸4年を迎え、このたび、番組を卒業することとなった。
 A型らしく、姉御肌で、常に明るく振舞い、細かい気配りと共演者を立てる物腰で存在感があった。



 最終回の挨拶では、泣くつもりはなかったが、感極まる場面もあった。

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 「ドミソラ」では30分番組だった時から、そして第1回目の放送から見続けてきた。高島英里奈アナ、千原礼子アナが卒業し、メインMCだった猪俣アナまで見送ることになるとは・・・。彼女も数年前に結婚し、そろそろおめでた?かなと思っていた。もしかすると出産のための番組卒業?になるかと思うが、彼女はもともと会津若松市出身なので、もし出産ならば、仕事復帰もあり得る。ぜひ、そう願いたい。

 いずれも存在感があり、中心的な立場だった。彼女たちの出演番組だった「げっきんチェック」、「ドミソラ」は全番組を録画してあった。それは、いつの日かこんな日が来ても、彼女たちを追憶できるようにという思いからだった。

 「ドミソラ」の後任には、ベテランの笠置アナが務めることになり、番組名も「ドミソラⅡ」となる見込み。

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 松永安奈 A型

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 1年前、名切万里菜アナと同様、NHKから異動してきた契約アナ。彼女もまたメインMCを務めていた「サタふく」を僅か1年で卒業し、夕方のニュースへ異動となった。番組の顔がすげ変ることに一抹の寂しさを感じる。彼女も以前FTVに在籍していた名和田アナに雰囲気が似ていて、天真爛漫の明るさと愛嬌を振りまき、癒しを与えてくれている。私はかしこまったニュース報道より、「サタふく」のようなバラエティーに打ってつけと思っていた。退社する訳ではないので、局内の配置転換ということで、また彼女の姿を拝見できるのが嬉しい。名切アナも短くてあと1年、長くてもあと2年で福島を去るのではないかという不安がある。ぜひ福島に一日でも長くいてほしいと思う。

 3月は日本では卒業や転勤などのシーズンとなっていて、旅立ちと別れの季節となっている。文字通り人生の節目を迎える。梅田澪理アナは、福島を旅立ってもぜひ、福島のことを忘れずに新しい場所で頑張っていただきたいと思う。

 なお、これ以降の異動が生じた場合には、記事の途中に差し込んで追記し、更新したいと思います。

 記事作成:3月26日(土)


日韓技術力比較

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 韓国人は、世界で最も優秀な民族と思い込んでいる。しかし、日本人の我々から見れば、彼らのねじ曲がった政治思想と同じで、まったくの歪曲した偽善者であり、日本製品をパクリ、その技術を盗み、あるいは模倣しておきながら、それを独自開発の如く主張する愚かな国民気質や低俗な民族性しか持ち合わせていない。地に堕ちた韓国人の自負心。その傲慢な鼻柱をへし折るべく日韓技術力対決と称し、この記事を掲載したい。

 ① 自動車開発

 日本はトヨタが2台に1台近いシェアを占めているが、韓国では国産車と言えば「現代(ヒュンダイ)自動車」だ。その両者は比較するまでもないが、外観のデザインやエンジン、セキュリティーなどはほとんで日本のメーカー製造の車を模倣し、韓国人好みに作り替えているに過ぎない。自動車開発は日本の方が30年先を行っている。それを無理に追いつこうと焦るから、安全性がおざなりとなり、欠陥だらけの自動車が出来上がる。

 信頼性

 ヒュンダイ車暴走の衝撃映像 https://www.youtube.com/watch?v=YhFyBgHSbzE

 こんな制御不能な車には絶対に乗りたくない。もはや走る棺桶で、事故が多発し、殺人車だ。日本ではこんな欠陥車による事故の報告はまず見られない。自動車開発の最大視点をどこに置いているか、実に両国の格差がわかる映像だ。

 加速性能

 日産GT-R対ヒュンダイジェネシスクーペのスタートダッシュ対決でも月とスッポンの差。ゼロヨン対決では、2秒のハンデを貰っても勝てない。日本の物まねでは、本家に勝てる訳がない。

 安全性能

日本の自動車製造では、安全性を第一に追求しているのがよくわかる。衝突実験を繰り返し、骨格の構造からエアバッグの動作まで細かいチェック体制を敷き、事故の場合、キャビンの安全を最優先して設計しているし、フレームの強度も最高品位だ。一方の韓国車は設計段階からの構造上の欠陥がありありだ。韓国人が大嫌いな日本人が開発した日本車に乗る理由がこれでわかる。

 ② 高速列車開発

 新幹線対KTX

 これは日本の技術提供で実用化した台湾新幹線と韓国が独自に開発した高速鉄道KTXの加速比較。比べるまでもなく日本の技術力の圧勝。スムーズな発車とぐんぐん加速する新幹線に対し、KTXはまるでひと昔前の日本の鈍行列車のようなもたつき感がありあり。こんな列車は特急とは言えず、更に、運行にも問題があって、事故が多発している。一方の新幹線は、1964年の開業以来、列車事故による死亡事故は皆無。差は歴然だ。

 リニア対決

 韓国が威信をかけて開発した純国産リニアモーターカーが実にお粗末。開通して8分後には非常停止。高速鉄道には遥か及ばない最高時速35km/h。日本の山手線より遅い。そして開業から20日後には火災に見舞われた。もう笑いを通り越えて開いた口が塞がらない。無人運転で安全に運航する「ゆりかもめ」のほうが遥かに上。

 韓国ではどこに行くにも山を越えることになる。30kmを超える長距離トンネルは、予算不足で実現できない。したがって、連続するカーブや急こう配の山越え走行を強いられるため、物理的に300km/hを超える継続走行は不可能。よって、初めから勝敗は決している。日本の新幹線は直線が多く、踏切は皆無。そしてレールにつなぎ目がないので、走行上の安定性は抜群。揺れも少なく、事故は起きようがない。リニアもまた然り。課題は莫大な建設費用を国家予算でどう賄うかということだけ。
 一方、日本に対するライバル心むき出しの韓国は、負けを認めたくないので、無理な技術開発を行い、その結果、基本的なミスが多くなる。毎回過信とうぬぼれが招き、事故や故障が多いことを認識すべきだろう。つまらぬ意地を捨て、日本に頭を下げて教えを乞うくらいの謙虚さをもったらどうだ。

 日本のリニア技術の高さを思い知れ!

 時速603km/hはフランスのTGVを抜き、世界一だ。東京~名古屋間を590km/h、54分での走行を目指している。

 ③ ロケット開発(アメリカ・日本・韓国)

 日本のロケット技術開発は、当初は紆余曲折、試行錯誤の連続だった。初期のH2ロケットは失敗もあった。しかし、改良を重ねたH2A型では25回連続打ち上げ成功と、失敗知らず。なんと打ち上げ成功率は97%にも上る。高い精度を誇り、この信頼性はゆるぎない。
 一方の韓国のロケット開発は立ち遅れている。人工衛星の数を比べても、2012年現在、日本はロシア、アメリカに次いで134機の第3位。韓国は16位でたったの11機。つまり日本の10分の1以下。この技術力の格差は歴然だ。

 日本のイプシロンロケット打ち上げ成功に脅威を感じる韓国メディア

 ④ 家電製品

 日本の精密機械や電化製品は世界中で抜群の信頼を誇る。それはメンテナンスフリーで故障知らず。あの中国人ですら日本に来て炊飯器や電子ポットを爆買い。家庭用ビデオカメラ、TV、オーディオ、AV機器から洗濯機やエアコン、冷蔵庫などの白物家電まで、世界中で使用されている。日立、パナソニック、SONY、シャープ、東芝、三菱、富士通など、どれをとっても世界屈指の家電メーカーだ。
 一方の韓国は、電化製品が突然発火したり、故障によるリコール続出し、クレームなど大迷惑を引き起こしている。

 ⑤ 韓国がパクった日本製品

 プリウス、レイコップ、お菓子、食品、CM、登録商標・・・・

 愚かな韓国人は、自らの国が日本製品をパクっていながら、その自覚や認識がなく、韓国製品を日本がパクったと思い込んでいる。実にしたたかで図々しい。恥を知れ!

 韓国人は、錯覚しているため、自らの過ちにすら気づかない。だから反省することもないから進歩は無い。自分たちの非を絶対に認めず、ことあれば日本を敵視し、批判することしかできない。まったくもって愚かな可哀想な民族だ。こういう国の音楽、映画、テレビ番組には騙されないことだ。韓国文化を受け入れることは、他国のパクリや盗作文化を認めることだ。韓流ドラマも、40年前の日本の「赤いシリーズ」の模倣だし、古き佳き時代の日本の産物のリメイクにしか過ぎない。
 こういうパクリドラマを日本人女性がこぞって見るから韓国人はいい気になってますますツケ上がるのだ。いい加減に日本人にも目を覚まして貰いたいものだ。

 傲慢な韓国人をギャフンと言わせたいがための今回の話題提供となったが、これだけの状況証拠を突き付けられて、どんな負け惜しみをいうのか見ものだ。韓国がどんなに頑張っても謙虚な姿勢や自己反省無くして日本を超えることはありえないことを思い知ってほしいものだ。

 記事作成:3月19日(土)

美的センスが光る黒板アート

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 最近、「黒板アート」と呼ばれる芸術分野が脚光を浴びている。教室の黒板にチョークを使って描く、メッセージ性の強い絵画だ。黒板をキャンバスに見立て、そこに学校生活のかけがえのない一瞬を切り取り、その思いのたけを描く。誰もが息をのむ美しさと気の遠くなるような時間の経過を感じ取る。そこには涙に溢れるほどの感動が渦を巻く。
 今日は、卒業シーズンに打ってつけの黒板アートを取り上げ、特に美的センスが高い作品を紹介します。

1 黒板アート

 卒業が近い学校のとある教室の黒板に描いたアート作品。とても情緒豊かで、その季節を描写するのにぴったりの情景は、卒業を迎える生徒たちの琴線にきっと触れる筈。何時間も費やして心を込めて描いたアート作品も、消される定め。時が来れば卒業を余儀なくされる切ない胸の内と似て、心のキャンバスに刻まれることを願いたい。

 ポカリスェットのCMになった受験生へのエールを描いた黒板アート

 受験会場にたどり着くまでの試練を重ねた生活をひとつひとつ丁寧に振り返って、そのひとコマ一コマを切り取って描き上げた力作。製作時間2,623時間、総枚数6,328枚、総勢34 人の美大生たちによる動く黒板アートアニメーション!カロリーメイトのイメージキャラ­クター・平祐奈出演の新CM『見せてやれ、底力。』篇。
 

 【黒板ジャック】凄すぎる黒板アートまとめ【武蔵野美術大学・ムサビ】   


 
 武蔵野美術大生が小中学校の黒板に内緒で絵を描き、子どもたちを驚かせる「黒板ジャッ­ク」が話題になっている。
子どもたちに美術の楽しさを知ってもらいたいと始まったこのプロジェクト。
そんな素晴らしく、そして凄すぎる黒板アートをまとめました。

 チョークで絵画を書く高校教師 衝撃作品   

 スタジオ騒然の黒板アート作品。神に選ばれし天才という印象だ。誰もが書けるものではない。美術の先生であっても、これほどの絵は一筋縄で描けるものではない。空間認識能力や想像力、そして創造力など、五感をフルに駆使して描かないとこのような作品は完成しない。研ぎ澄まされた感性、心の中に完成した絵が浮かんでいないとこのようには仕上がらない。天はニ物を与えてしまったようだ。

 世界が驚いた日本人の芸術的センス



 黒板アートは、時間をかけて描く心の芸術。これを見る人の心情を考えながら、心を込めてチョークを走らせる。思いがけない出来事に、これを見たものはサプライズし、そして書き手の苦労を想い、涙に暮れる。これほど心が通い合った美しき芸術作品もない。それがいずれ消される運命ならばさおさらその価値は高い。

 さて、いかがでしたでしょうか?書き手の思いを感じ取っていただけたでしょうか?このような芸術性を感じる試みは、最近増えており、ほかにも、鉛筆1本で写実的に描く似顔絵や地面に描くトリックアートもこの範疇に入る芸術だと思う。ぜひ、みなさんもこういう新手の芸術を楽しんでみてはいかがでしょうか?目から鱗、新たな創造性が磨かれること請け合いです。

 記事作成:3月24日(木)

旅の目的~日本文学の舞台を旅する~

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 私の趣味のひとつに旅行がある。おそらく人は多かれ少なかれ旅が好きな生き物かもしれない。見知らぬ土地に身を置くことで、自分を見つめ直す契機ととらえたり、都会で生活している人は、日々の喧騒や雑踏を離れ、田舎の長閑な風景に触れることで、癒されたり、あるいは未知の場所を訪ねて、新たな発見があるかもしれない。予期せぬ出逢いを期待するのも旅の醍醐味のひとつと言えるだろう。
 ところで、旅の趣旨や楽しみは人それぞれだが、私がこれまでにテーマにした旅を幾つか紹介すると・・・

 1 北海道バイクツーリング(離島以外はほぼ網羅)
 2 映画やドラマのロケ地めぐり(北海道・東京・尾道)
 3 有名人の墓参り(天知茂・坂井泉水・石原裕次郎)
 4 古都めぐり(奈良・京都・鎌倉)
 5 震災遺構を訪ねて
 6 震災支援感謝のための台湾ツアー
 7 北海道回帰旅行
 8 奥の細道の足跡を辿る
 9 戦地を訪ねて(広島・沖縄)
 
 ほかにも修学旅行や職場旅行、新婚旅行など、旅の種類は多様にあった。何十年振りかで再訪した観光地が、以前の訪問時とどれだけ変化しているのかを確認する旅もまた面白い。最近は、テレビの影響か、路線バスだけを使った旅行や、ヒッチハイクや徒歩だけで日本を縦断する若者さえもいるようだ。

 最近、この歳になって思うのは、ことのほか古典的な日本の純文学に登場する舞台を自分の足で歩いてみるのも乙ではないか?と思い始めてきた。私は純文学にはさほど造詣があるわけではない。むしろ学生時代は、あまり読書に勤しまなかった部類だ。
 しかし、年齢を重ねるうちに、有名な物語の舞台になった場所を訪ねてみたいという衝動に駆られている。例を挙げれば下の通り。
 
 1 武蔵野  (東京)     4 城の崎にて (兵庫県城崎温泉)
 2 金閣寺  (京都)     5 伊豆の踊り子(静岡)  
 3 夜明け前 (木曽・馬籠) 6 智恵子抄  (福島・草津・東京都品川区)

 では主な日本の文豪と呼ばれる有名作家の文学作品の舞台となっている場所を備忘録を兼ねて列挙したい。

      
 1 こころ            夏目漱石     東京都神田・本郷・水道橋周辺
 2 暗夜行路        志賀直哉     東京・金刀比羅宮・尾道・京都・城崎・大山
 3 河童            芥川龍之介   上高地梓川
 4 細雪            谷崎潤一郎   大阪船場
 5 雪国            川端康成     新潟県湯沢温泉   
 6 檸檬            梶井基次郎   京都市中京区二条寺町
 7 黒い雨          井伏鱒二     広島県小畠村・広島市横川駅・比治山公園
 8 津軽・斜陽       太宰治       青森県津軽半島・金木町
 9 潮騒            三島由紀夫   三重県神島(伊勢湾歌島) 
10 たけくらべ        樋口一葉     東京都台東区竜泉・吉原遊郭
11 山椒大夫        森鴎外       京都府由良安寿汐汲み浜
12 カインの末裔     有島武郎     北海道
13 恩讐の彼方に    菊池寛       大分県中津市本耶馬渓町
14 浮雲            二葉亭四迷   東京都神田見附・小川町
15 破戒            島崎藤村     長野県飯山市・千曲川
16 高瀬舟          森鴎外       京都府木屋町・高瀬川
17 野菊の墓        伊藤左千夫   千葉県松戸市矢切
18 風立ちぬ         堀辰雄       富士見高原
19 五重塔          幸田露伴      江戸谷中の感応寺
20 樹木の二人      高村光太郎   福島県安達太良山
21 風の又三郎      宮沢賢治     奥州市江刺区・旧木細工中学校
22 吉里吉里人      井上ひさし     岩手県上閉伊郡大槌町近辺 
23 一握の砂        石川啄木     東京都・岩手県日戸村・渋民村・北海道函館市
24 やわ肌のあつき血潮 与謝野晶子  福島県福島市飯坂温泉
25 ノルウェイの森     村上春樹     東京都飯田橋・水道橋・市ヶ谷周辺     
26 遠野物語         柳田国男     岩手県遠野郷
27 思ひ出           北原白秋     福岡県柳川市水郷
28 田舎教師         田山花袋     埼玉県羽生市
29 金色夜叉         尾崎紅葉     静岡県熱海市
30 二十四の瞳      壺井栄      瀬戸内海

 最後に、本旨は外れるが、私が個人的に是が非でも訪ねたい場所を列挙して締めとしたい。

 1 倉敷(ドラマ「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」ロケ地めぐり)
 2 天空の城めぐり(竹田城・大野城)
 3 長崎端島(軍艦島) 世界遺産になるずっと前から40年越しの悲願  
 4 三大合戦地(関が原・壇ノ浦・桶狭間)
 5 京都(新撰組・坂本龍馬の足跡を尋ねる。池田屋・寺田屋・近江屋)
 6 小京都巡り(角館・飯山・小浜・津和野など)

   

 記事作成:3月22日(火)

2016年3月期のCMベスト5

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 昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、今年からは毎月末に傑作CMを5作品ずつ紹介します。

 1位  ドコモの学割「斉藤さんゲーム」

 今年大ブレーク中のテーブルゲーム。女子中高生の間で大人気。このノリの良さと一体感が人気の秘密だ。綾野剛と高畑充希の記者コンビが織り成すシリーズCMに登場。

 2位 i-phone6 ドコモの学割 「感情のすべて/男女」篇   

 若いカップルにありがちな喧嘩の原因。デートの待ち合わせに遅刻。怒って帰る彼女。焦る彼氏。それが仕事の都合だとわかっていても、約束を守れない人を許せない。しかし、冷静になって気が付くと、「私にはあの人しかいない」と気づく。待ち合わせ場所に戻る彼女と、必死で彼女を探す彼氏。そんな若いカップルのお互いの気持ちの揺れ動くのを巧みに描写している。

 今回はワンツーフィニッシュを飾った「Docomo」のCM。他にも「高畑充希」と「堤真一」が登場する「特ダネじゃないか」のCMも繰り返し放送され、記憶に残っている。

 春は新入生のシーズンで、卒業し、社会人や高校生になるフレッシュマンが大量にケータイやスマホを購入したり、買い替える季節。そこにターゲットを絞って、明るく愉快なCM制作してPRするというのが例年の企業戦略だ。

 3位  Y!mobile  「素晴らしいワイモバイル」編

 15秒はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=NE6Vky-o71U

 ドコモに負けまいと、格安携帯をうたい文句にしているYmobileが逆襲に転じた。マスコットの三毛猫「ふてニャン」がついにステージに立ち、主演の桐谷美玲とあばれる君と共演。新CM「素晴らしいワイモバイル」編では、チアガール風の衣装を着た桐谷さ­んが、歌手の西城秀樹さんの名曲「ヤングマン」のメロディーに乗せ、オリジナルの歌詞­を歌う姿や可愛い「Yポーズ」も披露する。

 4位 「ただいま!いわき」

 このCMは今年ではないが、震災5周年を迎えた月にあたり、どうしても掲載したかった。蒼井優主演の「ただいま!いわき」のCMは50秒後から。

 5位 モノタロウ

 いろいろな業種はあるもので、製造業のプロにターゲットを絞り、まるでASKULの如く、ネットで注文して即発送といううたい文句で売り上げを伸ばしている。逆に、町工場や自動車整備業の強い味方と言える。

 次点 「SONYプレイステーションポータブル」

 昔の「火曜サスペンス劇場」のような設定で、消えたお年玉を巡り、子供探偵が崖っぷちで母親を追い詰める。彼はゲーム機欲しさに、頑張って逆上がりができるようになった。そのご褒美にプレゼントしてもらえる場面を夢に見る。

 さて、お気に入りのCMをお送りしている記事だが、それにしても最近のTVCMを見ていると、広瀬すずと有村架純の露出度は半端ない。彼女たちをテレビで見ない日はないくらいの売れっ子だ。このテーマ記事でも何度も取り上げた。今をときめく旬な若手女優から今後も目が離せない。

 昨年までは流行のCMを2か月に1回取り上げて来たこの記事。今年から毎月更新としたが、その年の世俗・流行などを知る手がかりとなると思い、このようなテーマを設定した次第だ。むろん、個人的な趣向が強いものの、世間的に流行が窺い知れる。そのための資料としたいと考えている。

 記事作成:3月中

郡山の花見スポット10傑

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 季節は春。いよいよ桜の便りがここ郡山でも聞こえはじめた。センバツ高校野球と共に「春の風物詩」の代表格と言える。郡山市は三春滝桜や福島の花見山ほどではないが、市民のオアシスとして花見を楽しめるスポットが点在している。                       
 今日は足掛け40年以上、郡山に暮らす私にとって、「桜が綺麗な場所」を10箇所セレクトし、ランキング形式で紹介したい。 解説は、郡山市のウェブサイトを引用させていただきました。 

 1位 開成山公園  

 映画のロケにも使われるほど、1300本の桜が咲き乱れる。開成山公園は広大な敷地を誇り、その美しさは圧巻。個人的には公園内ではなく、さくら通りに面した土手沿いが気に入っている。夜間の照明のライトアップも幻想的でとにかく美しい。でも桜のシーズン中は、この土手の上は立ち入り禁止となる。映画「時をかける少女」のシーンのようにこの上を歩くことは出来なくなる。

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 2位 上石不動桜  

 不動明王を祀る不動堂の境内にあるため名づけられた桜。 樹齢は約350年といわれ、滝桜の子孫と考えられています。 江戸時代幕末頃、このお堂が寺子屋として使われ、その名残が天井などの落書きに見受けられます。.樹齢は約350年といわれ、滝桜の子孫と考えられています。

Fudozakura 

 3位 藤田川ふれあい桜 

 喜久田駅のそばにある藤田川堀之内橋を中心に両岸3.0kmにわたってソメイヨシノが咲き誇ります。  

Fujitagawa

 4位 笹原川千本桜  

 奥羽山脈の高旗山を源とし、郡山市と須賀川市の境を流れる笹原川。この川にかかる明神橋を中心に上下約2kmにわたって桜並木が続いています。  

Sasaharagawa

 5位 雪村庵  

 室町時代の画僧「雪村」が晩年過ごしたといわれる雪村庵。聞こえるのは風の音だけという静寂に、庵後ろの竹林の緑と桜色が美しいコントラストを奏でています。  

Sessonan

 6位 紅枝垂地蔵ザクラ(中田町)  

 三春滝桜の娘といわれるしだれ桜で、樹齢は約400年。近年、この桜の美しさを聞きつけ、県内外から多くの人が見にきます。この桜の下には、地蔵堂があり、昔から赤ん坊の短命、夭折の難を逃れるため、この地蔵に願をかけていたといわれます。  

Benisidare

 7位 日大正門の桜並木 

 日本大学工学部の敷地内には約350本の桜があり、正門周辺から本館前にかけての桜並木は見事です。まるで桜のトンネル状態で、散り際には文字通り桜吹雪が見られる。

Nihondaigaku 

 8位 逢瀬川の土手沿いの桜  

逢瀬川は市内の中心からやや北部を東西に横切って流れている。むかしは大重川と呼んでいた。一時期は日本一汚ない川と酷評されたが、今はボランティア活動などが実を結び、昔の美しさを取り戻しつつある。 私がお勧めなのは、若葉町と大島周辺。土手に沿って薄紅色の桜が咲き誇る様はうっとりするほど。  

Osegawa

 9位 内出の桜  

 この桜は、樹齢約220年と推定されるしだれ桜で、サクラの一種「ウバヒガン」が突然変異したという珍しい変種の桜です。所有者の先祖が文化、文政年間のころ、金毘羅宮(香川県)に参詣した際、苗木を持ち帰り、記念として植樹したと伝えられています。

Uchide

10位 酒蓋公園  

 この池は江戸時代以前からありましたが、違う池を造るために区切られ、「蓋をした」という意味で名づけられました。

Sakabuta

11位 五百淵公園の桜

 かんがい用ため池のために作られたといわれる五百淵。4月には一円に植えられた桜が咲き誇ります。
 また、自然のままの森が息づく五百淵池とその周辺は野鳥の楽園となっており、池のヨシ原は鳥のすみかに最適で、夏はツバメ、冬はカモなどで賑わい、市街地にある貴重な野鳥の生息地になっています。
  

12位 香久池公園

 昔、この一帯は「香久山」と呼ばれ、そこにある池だから「香久池」と呼ばれるようになり
ました。その後、かんがい用の池としても利用されましたが、現在では公園として親しまれています。

13位 小和滝公園

 郡山市の東部を流れる阿武隈川沿いにある小和滝公園は、桜並木だけでなく、この時期スイセンも身頃です。

14位 荒池公園

 FCTのある坂を南に下った所にある。広大な調整池の西手のほとりに芝生の公園が広がる昔はここで早朝トレーニングの豆野球をやったものだ。園路も整備されているし、犬の散歩にも最適。池の周囲をジョギングしている光景をよく見かける。

15位 郡山市公会堂の桜

 大正時代に築かれた郡山市麓山に建つ公会堂。世界遺産を思わせるような浪漫溢れる造り。その外壁と薄いピンクの桜のコントラストが青空によく映える。

16位 忠七桜

 戊辰戦争時に官軍の荷運びに懲役された宗像忠七翁が、会津の惨状を目の当た
りにし、会津の人々の霊を慰めるため、自宅前に植えてあった桜などを移植。この山を寿命山と名づけ、整備したと言われています。忠七翁は遺言として桜と公園を守り、末代まで手入れを怠らぬよう言い遺しました。桜の樹齢は約160年で、現在の当主は5代目に当たります。

17位 五斗蒔田桜

 藩政時代は馬の産地として知られていた木目沢地区。五斗蒔田桜のある土手下には馬頭観音様がまつられている。(地主は馬頭観音桜と命名する予定であったが、地名の五斗蒔田をとって五斗蒔田桜と呼ばれるようになった。)樹齢は約150年と言われ、滝桜の子孫と考えられています。

18位 建福寺

 小和滝公園から東に向かって県道を走れば、木村公民館がある辺りで、農免道路と交差する。その左手前に建福寺がある。一本桜だが、威風堂々と長い歳月を刻み込んだ見事な枝振りで、通りかかった人は、思わずアクセルを緩め、見上げること間違いなし。

19位 天神夫婦桜

 張子人形で有名な高柴デコ屋敷の近くにある桜で、樹齢は500年程度。学問の神様である菅原道真を奉り、祠建立時に梅と桜を植えられたと言われています。

20位 東山霊園の桜
 
 ほかにも市内東部にある「花木団地の桜」や湖南町の「千手院の種蒔桜」が美しいとの
評判が専らだ。
 郡山市では、観光協会が「郡山さくら物語」というパンフレットを発行している。本日
紹介した桜の名所は、大部分がそれに掲載されている。

 ついでに、福島県内各地にある桜の名所で、私が個人的にベスト7を挙げると・・・

 1位 滝桜(三春)

 2位 日中線のしだれ桜(喜多方)

MiharutakizakuraNichusen

 3位 富岡町夜の森桜のトンネル(富岡)

 4位 合戦場のしだれ桜(二本松)

YonomoriGasenjyou

 5位 夏井千本桜(小野)

 6位 映画「はつ恋」小沢の桜(船引)

NatsuiOzawa

 7位 雪村庵(郡山)

 8位 石部桜(会津若松)

 9位 霞ヶ城の桜(二本松)

10位 小峰城の桜(白河)

 さて、桜のシーズン到来だが、満開は一週間程度。やはり「花の命は短い」。私は個人的には広葉樹の如く、大きく樹勢を広げた枝ぶりの桜も見事だが、どちらかといえばまるで滝を思わせるしだれ桜が好みだ。藤の花を思わせるような枝が無数に垂れ下がり、その威容は見るものを魅了する。上の1位、2位、4位、7位はしだれ桜だ。

 この一週間という限られた時期に、思う存分楽しみたい。

 記事作成:3月28日(月)

FCT・小野紗由利アナウンサー⑯

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 FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第16弾。すっかりFCTの若手の顔として頑張ってニュース報道やレポートをしている彼女。ベビーフェイスの愛くるしい顔立ちと、お嬢様風の風貌に心癒されている福島県民は私だけではないだろう。平日夕方に放送中の「ゴジてれchu !」や日曜日の「ゴジてれ×SUN」、あるいは夜半の「FCTニュース」などでお目に掛かれる。

 では今回も、主に3月期の彼女の出演番組(ゴジてれChu!!とゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。

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 3月2日(水) 水曜ウォーカー 白河から中継 

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 3月4日(金)

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 3月11日(金)震災特番 南相馬から中継

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 3月16日(水)水曜ウォーカー いわき市駅前から中継

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 3月18日(金)

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 3月25日(金)

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 3月29日(火)福島パンマルシェ

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 3月30日(水)水曜ウォーカー 大内宿より中継

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2016年春、名物アナの去り際

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 この春は、名物キャスターたちが番組を卒業し、新たな旅立ちの時を迎えた。福島県でも大好きだった梅ちゃんこと梅田澪理アナが結婚を機に退社し、福島県を巣立っていった。「ドミソラ」を5年間務めた猪俣理恵アナも、「サタふく」の松永安奈アナも番組を卒業した。そんなサラリーマンにとっては、異動の季節に、全国区として大活躍された名物アナウンサーが相次いで番組を卒業していった。視聴者としては寂しい限りで、ルーティーンとして生活の一部になっていたし、番組の顔でもあった方が去るのは残念でならない。
 今日はまず、彼らの功績を讃える意味で、感謝の意を込めてお別れの挨拶をお送りしたい。なおリンクした映像は私が投稿したりアップしたわけではないので、予告なく削除される場合がありますのでご容赦ください。

 加藤綾子めざましテレビ卒業

 「7年半朝の生活を続けてきたけど、ここまで続けられるとは思わなかった。東日本大震災に取材に行かせてもらって、皆さん大変なのに『めざまし見ているよ』と温かい声をかけてもらって、こんな私でも人の力になれることがあるんだなと思ってここまでやってこられた」と涙であいさつ。軽部真一アナに「アナウンサーをやめたいって相談した」と秘話も明かし、「本当に幸せでした」と締めくくった。

 古館伊知郎報道ステーション卒業

 キャスターの古舘伊知郎さんが㋂31日、テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」(­月~金曜午後9時54分)のキャスター最終日を迎えた。古舘さんは報道番組ならではの­言い回しや表現が「窮屈になってきました」としたうえで「自分なりのしゃべりや言葉で­皆さんを楽しませたいという思いが強くなった」と語ったうえで、「何らかの圧力がかか­ってやめされられるということでは一切ございません」と“圧力”を否定。「浪花節だよ­人生は」の一節「人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ」を引用し、「死ん­でまた再生します。ありがとうございました」と12年を締めくくった。

 寺川奈津美、NHKニュースのお天気キャスターを卒業

 寺川奈津美 お天気キャスターがNHKと契約終了 4月からフジ「直撃LIVEグッディ!」のお天気お姉さんに!

 寺川奈津美(てらかわ・なつみ)1983年(昭58)2月8日、山口県生まれ。05年に慶大理工学部卒業後、一般企業に就職。08年に気象予報士の資格を取得。同年NHK鳥取放送局の契約キャスターとして情報番組にレギュラー出演。11年4月からNHK「ニュース7」のお天気キャスターに就任。04年には慶大の理系美人コンテスト「ミス矢上」グランプリに。趣味はダンス。血液型B。

 小野彩香、めざましテレビお天気キャスターを卒業

 「めざましテレビ」のお天気キャスターの小野彩香が1日、フジテレビ系朝の情報番組「めざましテレビ」を卒業した。小野アナは番組冒頭の天気予報で「2年間という短い間でしたが、感謝感謝の2年間で、お天気キャスターとして周りの方に育てて頂いたなという感謝の気持ちでいっぱいです」と笑顔であいさつ。また番組途中では、同じくこの日卒業を迎える加藤綾子アナウンサーとともに“彩・綾”コンビで天気予報を伝えるサプライズも。「私、(加藤アナと)2ショット初めてかもしれません」というと、加藤アナも「あ、そうかもしれない」と最後の最後で実現した2ショットに笑顔を並べた。(デイリーの記事を引用)

 桑子真帆アナ、ブラタモリを卒業

 NHKの人気番組『ブラタモリ』でタモリのパートナーを務めた同局の桑子真帆アナウンサーが2日の放送分をもって番組を卒業した。おまけコーナーで「1年間、楽しかったです」とあいさつした桑子アナに、タモリは「性格も良かったし、お高くとまっていないし」とほめ言葉で別れを惜しんだ。(スポニチアネックスの記事を引用)

 桑子アナは、細かい気配りとさりげない優しさが持ち味のA型

 私は降板とは言いたくない。彼らは、自分の職務を全うし、惜しまれながら番組を卒業したのだ。
 そこにいるのが当たり前だった存在が、明日からはもう見られない。人は出会いと別れを繰り返し、大人になっていくことを痛感させられた。彼女たちとの善き出会いに感謝し、そして今後の活躍をお祈りしたいと思う。

 記事作成:4月2日(土)


最高のプロポーズ大作戦Ver.5

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 この記事も予想外のシリーズ化となった。それほど他人のことであってもプロポーズは感動的だし、一生残るものだ。最近の若い男性は、想い出に残る、凝った仕掛けを考える。いわゆるサプライズ系だ。そこには彼女にバレないように秘密裏に計画し、準備する涙ぐましい努力がある。しかし、彼氏の頑張りは、彼女にストレートに伝わるし、成功する確率が格段に上がる。世の男性にも見てもらい、一生を添い遂げるパートナーに対する感動的なプロポーズを演出して欲しいと思う。では今回は、最近動画サイトにアップされた4つの新作を紹介したい。

 1. 高度1万700メートルのプロポーズ!涙をこらえきれない彼女に感動!   

 2015年11月22日いい夫婦の日にサプライズ!33組66名の夫婦やカップルを特別な空の旅へ招待。機内のモニターには、二人の出逢いに感謝したり、それぞれのパートナーに対するお礼などが流れていた。そんな中、一組のカップルだけの映像が流れなかった。実は、空の上で直接自分の声で想いを伝えたかった。彼の手の込んだサプライズ演出に感激する彼女。同乗したカップルたちの目の前で永遠の誓いを約束。
 物語はこれで終わりではなく、空港のロビーを出る際、待ち構えていた友人たちの祝福がふたりを優しく包み込んだ・・・・。

 2. 100万分の愛を込めたサプライズプロポーズ~Brownie Wedding~   

 きっかけ作りに「鉄拳」張りのイラスト動画攻撃で、二人の出逢いから想い出を振り返る演出。これは彼女の気持ちを高ぶらせる。彼氏が待つチャペルで彼氏が懸命に考えた最高のプロポーズだけでもいっぱいいっぱいなのに、チャペルn扉を開けると、親友たちが祝福するW演出。世界で一番の幸福を味わう瞬間だと思う。2人だけでなく、自分たちを心から祝ってくれる友達がいる。これは幸福感が倍増すると思う。ぜひお二人には幸せをつかんで欲しいと思う。

 3. チャペルで贈る2つの記念日

 プロポーズをしないまま入籍をしてしまった男性が、せめてもの感謝の気持ちを具現化したくて、彼女に内緒で密かに計画を立てていた。式場スタッフと念入りな打ち合わせ。それぞれの友人たちも秘密裏に集まっていた。何も知らされず、式場の内覧会見学と思って、扉を開けた途端、彼氏がバージンロードの先で迎える。友人たちも参列。その思いがけない光景を目の当たりにして、ビックリの余り腰を抜かし、後ずさりする。涙が溢れる彼女。参列者も思わずもらい泣き。大勢の人に祝福され、幸せな時間を過ごせたふたり。

 4. 彼女に捧げるクリスマスソングプロポーズ

 超恥ずかしがり屋の彼女のリアクションもほのぼのしている。突然のプロポーズに、まず驚き、どう反応していいのかわからない。照れが先立ち、現実と受け止めていいのか、まさかプレイボーイ風の彼氏の気まぐれや冗談では?いろいろな考えが瞬時に渦巻き、頭の中を駆け巡る。これは夢?それでも彼氏の真剣な問いかけに、これが現実と理解する。美男美女カップルが織り成すプロポーズストーリー。

 この動画はプロポーズ世代のヤングカップ限定ではない。先輩諸氏も、この動画を見て、自分にもこういう時期があったと思い返して頂き、あの若い頃の気持ちを取り戻して頂けたらと思い、作成した次第です。

 もちろん時間を巻き戻すことは出来ないが、そうした若い時分を想起したり、回顧したりすることはできる。若い時分に奥さんにプロポーズした時の新鮮な気持ちを少しでも取り戻し、もし今の生活がマンネリしたり、刺激もなく平凡に過ごしているという感覚に陥っていたら、ぜひこの動画をきっかけにしてほしいと思います。

 記事作成:3月28日(月)

私が朝鮮人を嫌う理由

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 おことわり

 本日の記事は、朝鮮人に対する痛烈な批判を個人的持論として掲載しております。この主旨について、不快に思われる方は、ここで退去願います。
 なお、今回の記事はヘイトアーティクルではなく、あくまで個人の感想として述べていることをご容赦ください。

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 私ははっきり言って北朝鮮、韓国のどちらも大嫌いだ。2002年のワールドカップ共催の
頃はこんな気持ちではなかった。まずはそう思うように至った理由をそれぞれ述べたい。

 北朝鮮

 1970年代頃、日本人を不法に連れ去り、北朝鮮に拉致という非人道的な悪行を繰り返
し、彼らを人質や盾とし、国際交渉を優位に行う政治手法に利用した。そして北朝鮮人と無理やり結婚させ、家族を作らせて、日本に戻れないように画策している。人の弱みに付け込むのが北朝鮮の常套手段で悪の根源とも言える所作だ。

 しかも金正恩の暴君、暴政ぶりは過去の比ではなく、自分の体制に背く者を次々と処刑
し、これまで100人以上を意のままに殺害を指示し、執行した。そしてアメリカ、韓国、日本など民主国家の同盟国と敵対し、米韓演習に反発して度々ミサイル発射し、日本海に着弾させて牽制している。この一連の行為も、私には犬の遠吠えにしか映らないし、自らの弱さを露呈しているとしか思えない。
 もっと許しがたいのは、国際社会から孤立し、ここだけが戦前のような古い体質と国家体制を敷き、一般の人民は駕籠の中の鳥、井の中の蛙状態。国際社会がどれだけ進歩し、変化しているのかすら確かめる術を持ち合わせていない。平壌を離れた郊外では、食糧不足で飢餓に苦しみ、飢え死にする子供たちが後を絶たない。そこに自由など存在しない。人民でさえ、強制収容所送りとなり、死ぬまで過酷な労働を強いられる。また、脱北を企てた者は、三代に渡って拷問や死刑に処す恐怖政治を断行している。

 一方、科学者や軍事関係の功労者、スポーツなどで北朝鮮の名声を高めた勇者には手厚くもてなす論功行賞で、「モランボン楽団」など美女軍団を組織し、自らの慰めものにする、いうなれば時代劇の「悪代官」と何ら変らぬ独裁体制である。人民の多くは「生き地獄」を味わっているのに、不満や批判することすら許されない。命賭けで脱北を試み、命を落とす者も過去にどれだけ多くいたことか・・・。

 金正恩体制になってから北朝鮮は戦争への道をひたすら突き進んでいる。あれほど国際社会が批判し、孤立しても核武装化に向かっている。瀬戸際外交でまんまとせしめた外貨を軍事力に費やし、大量破壊兵器の製造に没頭。人工衛星ロケットと称した大陸弾道ミサイルを発射して、周辺国を恐怖に陥れ、さも自国の科学が優れているかを証明し、力の差を見せ付けようとする。あのヒットラー時代のナチスドイツを彷彿させるような軍事パレードの行進は異様で、時代錯誤も甚だしく、20世紀初頭の様相だ。核弾頭を装備し、大陸を横断するミサイルを発射する事態に陥れば、日本とて標的になりかねない。以前も指摘したが、日本各地に点在する原発に照準を定め、狙い撃ちされたら日本はひとたまりもない。軍隊を持たない日本に対抗手段はないし、アメリカに依存しなければ、今の憲法では対処できない。

 自らが問題の種を作り出した張本人にもかかわらず、それを批判されたり、国連決議により、北朝鮮への懲戒措置を実施すると、長年の懸案だった拉致問題への対応を自らが閉じ、交渉を打ち切る始末。このような暗黒政治を21世紀の今、平然と行っている亡国には明るい未来などありえないし、第二次朝鮮戦争勃発や第三次世界大戦開戦へのカウントダウンを行いその引き金を引くのはこの国しかないように思える。
 悪の枢軸であり、巣窟でもあるこの国家を徹底的に打ちのめし、解体しなければ、世界の安全と平和は保たれない。米韓演習で、金正恩の斬首作戦も含まれていたが、ようやく重い腰を上げ、しかるべき措置を断行し始めたようだ。世界を振り回したツケの報いを受ける時期に来ている。
 
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 韓 国

 韓国については再三再四、当ブログで記事にして批判してきたが、朴統領就任以降、その支持率稼ぎのために国民に迎合し、その結果、怒りの矛先が日本に向くように日本批判を強烈に展開してきた。フェリー横転転覆事故では多数の高校生を救助できず、見殺しにした大罪を叩いただけでなく、経済危機による建設資金難で2年後の平昌五輪開催が危ぶまれている状況で、有効策を打てずにいる。大にして、歴代大統領の顔ぶれを見ると、5年の任期中に、韓国大統領は絶大な権力を有するが、ひとたび退任すればたちどころに逮捕され、身柄を拘束の上、裁判にかえれらて、任期中の不始末に対し責任と追及を徹底的に行い、ある意味、罪をなすりつけて死刑判決に追い込む傾向がある。国家元首に君臨した者も、任期満了すればただの人。これだけ変わり身の早い民族はない。

 韓国人の気質で私がもっとも嫌う事由は、一方的に日本を敵視し、70年以上も前の出来事を穿り返し、遺恨を抱き続け、執拗にバッシングするその負け犬根性だ。自分のことを棚に上げて、相手を批判する事で、自らの責任を回避するような気質が見え透いている。
 ベトナム戦争時に韓国軍兵士がありとあらゆる残虐行為(ライダイハン)をベトナム人に
しておきながら、ありもしない「従軍慰安婦問題」を捏造し、それをネタに逆手に取り、逆上して、あるいは事実を歪曲し、自らの正当性を主張する。慰安婦は強制連行などではなく、正規の手順で新聞広告で求人を募り、それに応募してきた韓国人女性に対し、売春行為を行っていただけである。韓国人が主張するような、本人たちの意に反して、半ば強姦気味に強制したということは、当時の規律に厳しい旧日本軍内ではありえない。戦時中の朝鮮半島の暮らしは貧困に苦しみ、明日をも見えない生活だった。その生計を支えるために、若い女性達がこぞって自主的に、日本政府の提案に応じた結果なのである。
 それをさも日本に非があるようにまくし立て、日本を悪者に仕立て上げ、国際社会の共感を得るために、事実を歪曲しているのは、当の韓国人自身である。
 また、竹島を韓国の領土と言い張ったり、靖国問題を日本たたきの格好の材料にし、難癖をつける性質は朝鮮人特有のものである。
 元来負けず嫌いのこの気質は、豊かな教育を受けてこなかった。相手を攻撃する事で、自らを防御する姿勢しかなかった。相手を蹴落としても自分が這い上がる俗物根性だ。だから韓国ではネット批判が横行し、その矢面に立たされた芸能人が自殺に追い込まれていることで証明がつく。これは以前掲載した韓国のことわざを見ても一目瞭然。

泣く子は餅を一つ余計にもらえる(だだをこねれば得をするの発想・泣き女を想像させる)
女は三日殴らないと狐になる (殴って言うことを聞かせるのが韓国流)
姑への腹立ち紛れに犬の腹をける(動物に八つ当たり。虐待以外の何物でもない)
自分の食えない飯なら灰でも入れてやる(嫌がらせの精神と恨み節の情念が見える)
他人の家の火事見物しない君子はいない(他人の不幸を喜んでいる 同情心の欠片も無い)
弟の死は肥やし(家族愛すらなく、自己中の塊)
三日も飢えた犬は、棒で打たれてもうれしがる(キチガイ的発想 歪曲はお手の物)
母(親?)を売って友達を買う。(身内でも平気で裏切る 感謝の念など微塵もない)
他人の牛が逃げ走るのは見ものだ。(他人の不幸を嬉しがるキチガイ発想)
自分が食べるのはいやだが、犬にやるには惜しい。(公共心のひとつもない)
営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。(怒りを転化し腹いせする例え)
銭は汚く儲けても、きれいに使えばよい。(盗作・汚職は当たり前)
川に落ちた犬は、棒で叩け。(助けるどころか死に追いやる発想)
一緒に井戸を掘り、一人で飲む。(欲の塊で 協調性ゼロ 手柄を独り占め)
泥棒をしてばれても弁明する。(自己肯定の塊 反省謝罪などする筈が無い)

 こんな発想が戒めの言葉とは、いったいどんな人間が育つのだろうか?極めて暴力的で
破壊的。これを教育と称して幼少期から叩き込まれたら歪んだ火病を患う性質しか育たない。
 人を憎むのが正しい道で、他人の立場を慮る発想はゼロだし、自分さえ良ければそれでよしの概念しか持ちあわせていない。韓国語には日本語の「おもいやり」に相当する単語が無い。それがこの国の国民性を象徴している。それが儒教の基本精神だとしたら末恐ろし限りだ。

 そして最近のニュースでも、韓国で開催を計画していた「日本酒フェス」を一方的に韓国が中止を要請してきた。今回のフェスティバルには、宮城県の三つの酒蔵をはじめ、岩手県、茨城県、群馬県、栃木県の各一つの酒蔵は参加するが、これらの地域は全て、韓国政府が放射能汚染を懸念し、2013年9月から水産物の輸入を禁止している。
 日本の食べ物=汚染物質という誤った感覚を持ち、難癖をつけて、日本製品や食品のPRまで妨害しようという偏狭な発想。食品に関しては、厳格な放射能検査を経て市場に出荷されているにもかかわらず、韓国は過大解釈し、日本を蹴落とそうという悪意の塊にしか映らない。とにかく日本が嫌いでそういう腹積もりなら、日本は韓国と友好関係など築く理由などない。こっちから払い下げで、韓国と北朝鮮とは断交し、一切の交流を排除すべきではないのか?

 2002年、ワールドカップ共催や日本で沸き起こった韓流ブームで一度は雪解けムード
が漂ったが、一方的に展開された政治問題などの日本批判により、今では両者の関係は冷え切っている。それは上に列挙した事情による。「冬ソナ」が大好きで、50回以上も繰り返しDVDを見て来た私ですら、韓国嫌いに転じたのだから、同じ境遇の人は大勢いるのも無理からぬことだ。今でも韓流に嵌っているのは、言葉は悪いが、「イケメン」であれば何でもいい無知で無頓着な一部の主婦層くらいなものだ。
 はっきり言っておきたいが、韓国人の8割は日本人を嫌っている。韓国人が日本に対して言って来た様々な妨害活動を知っていれば、無邪気に韓流スターに溺れることは決してないだろう。それでも日韓友好を叫ぶ人は、よほど「お目出度き人」と言うほかない。

 そして呆れ返るのが、日本人を世界中の嫌われ者に仕立て上げようと横槍を入れたり画策する腐りきった恨み&僻み根性だ。韓国人が日本人を悪役にしようと悪意を感じる書き込みがyahoo!知恵袋に多数投稿されている。質問者はすべて韓国人または在日だ。日本に留学してまで、そんなロビー活動しかできない韓国人とは大馬鹿野郎だ。以下はその内容。

1 私は韓国人です。 日本人って世界中で嫌われてることご存知ですか?

2 韓国は日本に完全勝利した!!!!!!!!!私は在日韓国人です。歴史は嘘を
 つきませんでした!!!!!!!! 韓国が世界中の世論を変えたのです!!!!

 嫌われてる?馬鹿か。そう思っているのは韓国人と一部の中国人だけ。世界各国の人々が日本からの経済支援に感謝しているのか知らないと見える。もっとも不景気と生活苦で苦しむ韓国は、経済援助などできないだろうが・・・
 逆に自分たちが最も嫌われていることをご存知ないようで、それを日本に摩り替えて、いかにも日本が嫌われているように見せかけようとする、いかにも韓国人らしいやり方。でっち上げ、事実の歪曲、そして攻撃性はキムチのような辛いものばかり食って頭がイカれている証拠だ。直情径行で火病を患い、善悪の正しい判断力を無くし、とことん可哀想な民族だ。
 世界中の人々が韓国人を馬鹿にしているのを知らないと見える。そんなことをほざく前に、平昌オリンピック開催を何とかしたら?おそらく、日本人が優勝しても大ブーイング、君が代は途中で打ち切り、日本人選手と対戦する相手をこぞって応援する、審判を買収する、判定に不服ばかり持ち、猛烈な抗議をすれば判定が覆ると思い込んでいる愚かな連中しかいない。スポーツマンシップの微塵もない。そんな国に経済大国日本を非難する権利などない。単に嫉妬して引きづり下したいだけだ。人を批判する前に、自らの身の振り方を考えるべきだ。世界中から相手にされないからと言って、逆恨みするのは情けない。自覚して反省もらいたいものだ。

 それが嫌なら、北朝鮮と韓国で同士討ちし、どちらも滅び、新しい民主国家を建設したほうが人類のためになる。

 また、最近何かと日本の憲法改正による武装化や核保有が話題に上る。これを一番恐れているのが、誰あろう朝鮮人と中国人だ。日本の科学技術力は世界でもトップクラスで、そのような国家が再び強力な軍事力を保有すれば、近隣諸国は過去の歴史が繰り返されるのではないかという脅威と危惧を抱く。それほど韓国は日本の軍事国家化を恐れているのだ。

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 そして日本に暮らす人で、このテーマに合致する気になる人物がいる。野球評論家の張本勲氏だ。
 彼は韓国で生まれ、その後に日本に帰化した。和田アキ子も同様。この方々は直情径行があり、自分の意にそぐわないと一喝したり、虚勢を張り、他人を強烈に批判したり、罵ったりする。厳格なイメージな物言いをするのに、自分の発言の基準がブレて、祖国のことには触れない。サッカーの日韓戦などのコメントは必要最小限だ。それもそのはず、彼は韓国プロ野球統括団体であるKBOのコミッショナー特別補佐官を2005年まで務めたし、2007年、民間人に与えられる韓国最高の勲章「無窮花章」が授与されている日韓の橋渡し役になっている。

 そんな彼は、自分が世界一偉いと思い込んで、それが言葉の節々に出て、いかにも堅物というのが見え透いている。どれだけ自分が偉いのか?これが韓国人の基本精神であり、他人のことはとやかく批判するくせに、自分のことは棚に上げる自己中の性質はその典型的。

 特に許せないのは、自分の意見にそぐわない者は斬り捨てるケツの穴が小さい人間性だ。出演する「サンデーモーニング」では自らの偏狭な判断基準で、一生懸命にトライしている人間を、「2位じゃだめなんですよ、1位じゃなきゃ」とズバズバと相手の立場をわきまえない身勝手な物言いをする。かと思えば、横綱の白鵬が千秋楽の優勝がかかった大一番で立会いを変化しての優勝決定に、日本人の誰もが横綱としての品格を疑い、批判したのに、自分だけは強ければいいと擁護し、「私はいいと思うけどね」と独自の物言いだった。
 周囲の日本人が寛容なだけで、そうした強烈批判にも柔軟な態度で接しているためトラブルには至らないが、ああいう言い方は韓国人独特のものだ。
 かつて江川昭子さんがこの番組のコメンテーターだったが、野球に対し、少し反論しただ
けで、クビに追い込んだ。現役時代はどちらかと言えば好きな選手だったが、今は嫌いな人物の筆頭だ。張本氏の血液型はO型。同じO型の王貞治氏は、台湾国籍だったため、穏やかな発言に終始している。この差はお国柄によるものと容易に想像できる。
 和田アキ子も嫌いな芸能人の上位に毎年のようにランキングされる。自分がもっとも偉いかのような言い方に終始する。男勝りで暴力的。朝鮮人の特徴そのものだ。

 さて、好き放題書き綴ったが、あながち間違いではないと思う。これが一般的な日本人から判断した韓国観だと思う。
 日本人が韓国嫌いに転じた理由は、ほかならぬ韓国人自身の無礼極まりない、ぞんざいな振る舞いが原因であることは明確だ。日本人は何かと寛容で、個性的な人物を高評価する傾向がある。そしてことさら外国文化をあり難がる節がある。謙虚に相手を立てるような日本人のもてなし発想が、逆に彼らを付け上がらせる原因になっている。
 相手を思いやる発想や配慮、公共心に欠ける教育しかしていない韓国が、日本人の感性を理解できる筈が無かろう。
 もし北朝鮮に攻撃されても、国民の大多数が嫌いと主張し、のべつ幕なしにバッシングを続ける韓国を、日本が助ける義理立ては一切無用ということをここで強く訴え、結びとしたい。

 記事作成:3月23日(水)

郡山の魅力再発見!34~今も頑張る老舗店~

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 昭和の時代、商店街というと駅前とさくら通り界隈という印象だ。これは私の学区(芳山小と郡山二中)に集中している。もちろん広い郡山、古くから存続している店舗はかなり多いが、私が知りうる範囲でお送りしたい。

 1 小野屋金物店

 かつてはさくら通り沿いにあった。今は西ノ内の太田病院からうねめ通りに向かう交差点近くに移転した。マック並木店の南側だ。昭和21年創業。リフォームから介護用品の通信販売を行っている。

 2 手芸の店「ひまわり」 

 さくら通り沿いの清水台にある手芸店。東邦銀行郡山本店の向かい側。ここは私が小学生の頃から母親行きつけのお店だった。つまり70年以上の歴史を持つ老舗。最近は郊外にTOKAIなどが開店したが、郡山市民にとっては昔からの主婦の味方のような店だ。

OnoyaHimawari

 3 会津屋酒店

 こちらもさくら通り沿い。屋号に長者町とつくが、店があるのは虎丸町。ここは昔から私の行きつけ。田酒、能代、出羽桜、久保田、大七、飛露喜など全国で人気の酒を取り揃えている。なんと大正時代創業で、今年100周年を迎えられるそうだ。

 4 酒の泉屋

 こちらも会津屋酒店と並ぶ老舗の酒販店。品揃えが豊富で、先代が亡くなった後、店を引き継ぎ、どんどん大きくしている。ここの若き店主は、高校時代に高校野球のエースピッチャーで、プロに進んだ古溝と県大会決勝で惜しくも敗れ、あと一歩で甲子園出場を逃したが、堂々の準優勝投手だ。

AiduyaIzumiya

 5 銀座美容室

 こちらは清水台にある老舗の理美容室。向かい合わせで理容と美容があり、どちらも一族経営。ここの娘さんとは小中学校の頃の同級生だった。さくら通りから曲がって、新装なった商工会議所に向かう途中の通り沿いにある。

 6 スワンクリーニング

 こちらは周辺には沼崎クリーニング屋やオリックスレンタカーの近くにもタバコ屋とジョイントしたクリーニング店があったが、今ではここしか残っていない。つい最近、私が小学生時代にソフトボールの監督として頑張ってくれたおじさんが病気で亡くなってしまった。若い頃からベンツを乗り回し、オシャレな方だった。

GinzaSwan

 7 高島書房

 裁判所に隣接する麓山公園の北西側にあった書店。かつてはその向かい側は日東紡第一工場の表門だった。今はとんがり屋根がトレードマークの21世紀記念公園になっている。また、土屋病院の西側の郡山三中の前にもあった。しかし今では久留米の内環状線から柴宮に移転してしまった。二本松の宮脇書店もそうだが、書店も生き残りに必死だ。

 8 佐藤書店

 ここもあちこち移転した。かつては駅前大通り沿いのオノヤスポーツと同じ並びにあった書店。東北書店と佐藤書店が郡山では老舗書店で、両者ともに3~4階にまたがってフロアが分かれていた。今ではNTTの東側にひっそりと営業している。学校関係の教科書販売などをメインに営業を継続している。

 9 ビバホーム桑野店

 ここも老舗ホームセンター。開店より38年目を迎えた。郡山には針生店、安積店も古いが、最近横塚店が原因不明の閉店をし、10年以上も前に安積店と喜久田店も無くなった。今はこの2店舗のみ。この桑野店は一時期、トステムビバとなったが、業務提携も数年でご破算になった。

TakashimaViva

10 松文堂書店

 かつては叶屋と同様にさくら通りの八幡坂商店街にあった。よく立ち読みしておじさんに怒られた。本家は、金透小学校の南側にあるちっぽけな店だ。ここでも中学時代「Playboy」を買って疑いの視線を浴びせられた。隣がおにぎり専門店の「たけや」。

11 おにぎり「たけや」

 法事には欠かせない郡山の名物おにぎり専門店。如宝寺の南側の一心坂沿いにある老舗。まぜご飯や五目系のおにぎり、もちろん赤飯もある。おいなりもめちゃうまい。味も抜群に美味しい。行列ができることもあるし、売り切れになるほどの人気店。

12 肉のニッタ(新田精肉店)

 かつては日東紡第二工場の西側のT字交差点の北西角地にあった。その後、神明通りのさくら通り交差点から合同庁舎に向かう途中、ライオンズマンションの北東側に移転した。そして数年前には再び元の店舗があった近辺に戻ってきた。今は虎丸町の安達屋さんのビルの1Fで店を再開した。THEモール郡山の東側の通り沿いで、さくら通りから入ったすぐ近くだ。小売の店はどんどん姿を消しているので、ぜひ頑張ってほしい。

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13 コバヤシ靴店

 私の実家の近くにある靴の修理専門の店。昔はこの並びは長者通り商店街で、八百屋、魚屋、クリーニング屋、電器商会、駄菓子屋、酒屋、パン屋、大工、工業所、パーマ屋などが軒を連ねていた。それはさながらドリフの全員集合のコントのような配置だった。

14 国分理容所

 私が幼少期から行きつけの理容室。かつてはさくら通り沿いに面して建っていた。しかし、代替わりして手狭になったようで、30mほど南に下がった場所に移転して20年前に再オープンした。

15 和泉肉屋

 郡山の若葉町、逢瀬川沿いに建つ肉屋さん。2階が宴会できる大広間があり、私の実家では建て替える前から祖父の御用達だった。

16 龍宮城

 郡山5中の南側の信号交差点の角に建つ中華料理屋。郡山では郡山女子大学北側の「開成」と並ぶ老舗中華料理レストラン。エビチリ、麻婆豆腐が売り。昭和53年創業。

17 さんぺい釣具

 桑野の49号線沿いにある老舗の釣り具屋。がまかつやSHIMANOのお馴染みの看板にある、昔ながらの商店風の作り。私は一度も買い物をしたことがない。駐車場がないので入りづらい。

18 塚本輪業

 4号線沿いの堤下交差点に聳え立つ会社兼整備工場が郡山が誇る二輪ショップ、塚本輪業だ。

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19 吉田ホンダ販売

 市内長者。長者交番の真向かいに建っている。北海道に住んでいた時に、そこで中古のVTを購入した。その後も何かとお世話になった。

20 タルカワ模型(樽川模型店)

 かつては善導寺の北隣り、福内合名会社の隣にあった。よくNゲージやプラモなどを買いに行った。今も市内北西部、柏山の郡山高校の南側で営業を継続している。

21 大学堂薬局

 麓山交番の斜め向かいに建つ老舗薬局。オレンジ色の象の置物がトレードマークだった。漢方の文字がショーウィンドーに映える。ここは昭和10年開店。現在は3代目で、店構えも近未来を思わせる斬新なデザイン。2階部分が歩道にまで飛び出している・

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22 ヤマト無線

 かつては元町の旧国道沿いにあった。ラジオ部品や無線グッズなどを多数取り寄せ、それは秋葉原のラジオ部品店のような作りだった。しかし、今では20年以上も前に、安積町の内環状線から東側に入った場所に移転した。巨大なアマチュア無線のアンテナが建っているのですぐに見つかる。

23 橋本仏具店

 ここは私の小中学校の同級生の家。かつては100mほど南側の野替薬局ビルの近くに建っていた。テレビCMでも流れている、二本松が本家の仏壇専門店だ。
 しかし、最近さくら通りから神明通りに折れた50m先の虎丸町に建っていたが、200mほど北側の神明町に移転した。 

24 武田呉服店

 神明通りとさくら通りの交差点に建つ、老舗の呉服店。おばちゃんが着るような派手な花柄模様のシャツなどが店からはみ出さんばかりに並んで値札が貼られてる。

25 大友パン

 1976年から販売され、40年間も郡山市民に愛されいるクリームボックスや由緒あるサンドウィッチが大人気。各高校でも、スーパーでも置かれてある、郡山市民のソウルフードだ。

TakedagohukuOtomo

26 中国飯店なるき

 かつては堂前にあった。よく仕事終わりの親父が私たち子供を連れて食べに行った。ここの餃子とタンメンは絶品で、大好きな中華店だった。今でも富久山町の4号線沿いにある。

27 郡山眼鏡院

 何か病院のような屋号だが、郡山市中町の郡山ビューホテルの南側に昔からある眼鏡屋さん。ここは今はもう放送されていないが、CMで有名になった。教室で先生と生徒のやりとりで、「これわかる人?」という問いかけに、生徒がみんな手を挙げているのに、黒板の字が見えない斉藤君が挙手できない。「どうした斉藤?」と心配する先生に、「(黒板の字が)よく見えないですぅ~」。「そっか、じゃあ、ココに、行ってみろ!」と言って、何やら先生が黒板に字を書き、「じゃみんなで読んでみろ」。生徒たちが一斉に「こおりやまがんきょーいん!」と声を合わせて叫ぶ。すると黒縁のめがねをした斉藤君に向かって先生が「よかったな、斉藤」。という。昭和の時代、白黒?の映像が繰り返し流れ、福島県民で50代以上の方なら、誰でも知っている名物CMだった。1940年6月開院なので、76年の老舗だ。

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28 赤とんぼ

 駅前大通りに面した昔ながらの洋食屋さん。創業から40年以上もの長きに渡り、夫婦2人で営業を続けてきた。ハンバーグ、ナポリタン、チキンガーリックなど、懐かしい味を楽しめる。

29 十字屋楽器店

 楽器、楽譜販売はもちろん、楽器修理音楽教室、音響機器レンタルなどトータルに音楽をサポートしている。4号線とさくら通りの交差する一等地に店を構え、1Fと地下に店舗がある。私は中学時代にモーリスギターを購入したし、ストリングスも何度も買いに行った。今はピアノ・ギター・ドラムの各教室を展開している。

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 郡山商工会議所会員の創業から50年以上の小売老舗店舗と言えば・・・。

 (株)タカマツ(中町)1916年4月1日    
 大方薬品(堂前) 1919年4月1日
 名木製帽店(大町)1933年3月1日
 方円堂       1938年5月1日
 テーラーウエキ(安積町)1947年1月1日
 ワタナベスポーツ(駅前)1948年3月1日
 郡山園芸センター 1949年3月1日
 フタバ装飾(大町) 1951年11月20日
 樋口時計店(大町)1959年1月27日
  
 他にも「丸三文具店」や「遊佐商店」、「橋本京染店」、「関川栄達本店」、「佐藤生花店」、「西山生花店」、「菅野生花店」、「トイスかんの」、「開成柏屋」などは老舗だと思う。

 今日は私が個人的に知る得る、実家の界隈にある老舗店をピックアップしたが、潰れずに長く続く店というのは、何か秘訣があるに違いない。顧客最優先で接客態度が素晴らしいとか、品揃えが他にはないとか、愛嬌のいい看板娘がいるとか、単に金儲けの術を知っているだけではない。こうした老舗に、経営術を学ぶべきだと思う。
 そして、まだまだ広域郡山には、古くから頑張って営業を継続している小売り店(商店)が山ほどある。思いついたらどんどん追記して行きたいと思う。

 記事作成:3月20日(日)

福島の神秘的な自然現象

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 福島県は日本で4番目に広い面積を誇る。左右に長く、まるで地図で眺めると、オーストラリアの地形に瓜二つだ。北東の新地町と南西の只見までは直線距離で200kmを超える。それほど広いのだ。そんな広い福島県なのだから、大自然に囲まれ、豊かな風景を楽しむことができるのだ。その福島県において、ここならではの自然現象がもたらす神秘の風景を掲載したいと思う。

 1. 雪うさぎが季節の移り変わりを告げる

 福島市の西側に聳える吾妻連峰。その中に大きな火口を備えた吾妻小富士。その東斜面の中腹あたりに、雪解けと共に姿を現すのが雪ウサギ。春を告げる季節の風物詩だ。二本の耳がピンと立ち、可愛らしい横向きのうさぎの姿がくっきりと山肌に浮かび上がる。

 2. 猪苗代湖のしぶき氷

 厳冬期に、猪苗代湖天神浜から南側の林を抜け、長瀬川の河口に向かうと自然が作る 氷の芸術「しぶき氷」が見られます。これは湖水が強い西風にあおられて、岸辺の樹木 に氷着したもので国内ではきわめて珍しい現象だといわれています。「樹氷」に勝るとも 劣らない。美しさで見飽きることがありません。このほか、湖面や渚では流氷や「御神渡り」に似た氷の隆起などのさまざまな氷の変化を見ることができます。

 3. 雲海に浮かぶ霞ヶ城

Kasumigajyo

 雲海に浮かぶ城と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「竹田城」と「大野城」だろう。しかしそんな遠くに足を運ばなくても、県内でお目にかかれるとしたら・・・。それは二本松市にある霞ヶ城である。しかし、これをお目にかかった人は稀少で、そうやすやすとは拝めない。それもそのはず、すべての気象条件が揃わないと山城である霞ヶ城の石垣まで雲に包まれることは少ない。濃霧に包まれることはあっても、それが晴れて、天守から眼下に雲海が広がる光景に出会える確率は低い。よほど運が強い人ということになる。

 画像は「Papicomの日記」さんの画像を引用させていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

 4.五色沼で棲むハートの鯉

 カップルには格好のデートコースと言えるスポットが、福島県の裏磐梯にあった!なんと見ると幸せになるという「五色沼のハートの鯉」が実在した。嵐の相葉くんがお忍びロケで実際に取材に成功した。特に「毘沙門沼」のボート乗場付近は目撃情報も多く、絶好のポイントと言える。

 5.ハートレイク半田沼

Heartlake

 標高863.1mの半田山山頂まで足を伸ばせば、その眺めはすばらしく、天気が良ければ太平洋を望むことができる。その山頂を目指す登山道に半田沼がハートの形に見えるビューポイント(看板有)がある。
 半田沼は農業用水のため、ハート形に見えるのは期間限定(11月~5月)で、最近では恋人とハートレイクを見ると幸せになれると評判の縁結びスポットとしても話題を集めている。

 さて、今回この記事を掲載しておきながら、私が実際に訪れたのは1.3.4の3か所だけ。未知のスポットには、今年中には訪れたいと考え、今計画中だ。福島県に半世紀近く住んでる、旅好きな私でさえ、まだ足を踏み入れていない場所が多く存在するのだ。それだけ福島県は広大だという証明になる。体が丈夫なうちに、県内をくまなく歩き、このブログで紹介できれば幸いだと思う。

 記事作成:3月24日(木)

新生活の始まりを予感させる企業CM

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 3月は別れの季節だが、その傷が癒えぬうちに、月が改まると、新しい出会いがある日本の風習。4月は新生活がスタートする時期で、新しい何かを予感させてくれる。期待に胸を膨らませ、新しい人生の門出に気持ちは躍る。そんな新生活を演出するのに相応しいような企業PR用のCMをお送りしたい。

 JAL 「I Will Be There With You」

 空の旅へいざなう航空会社。JALはかつては国際線を一手に担い、文字通り空の翼として君臨していた。憧れの職業第1位がパイロットであり、職業ドラマとして何度も描かれた。女子の第1位はスチュワーデスだった。今ではキャビンアテンダントとその名称を変えたが、空の水先案内人としてのステータスと人気は不動だった。

 JAL Historyはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=iIFQBxhOY3k

 全日空 「Departure」

 こちらは2001年のキムタク主演のTBSドラマ「Good Luck!」で脚光を浴びた。こうしたパイロットやC.A、航空管制官が登場するドラマが放映されると、翌年の大学生の就職人気企業で上位に入る傾向があった。だから壮大なスケールを演出するカッコいいBGMや主題歌が作られ、人気を博した。

 いすゞ自動車 「夜明けの仲間たち」

 暗闇を貫くように一筋のヘッドライトが伸びる。白線とガードレールの狭間でドライバーは時空を超える。次第に周囲が薄明りに包まれ、やがて地平線の彼方がざわめき出す。そして真っ赤な朝焼けと共に新しい一日が始まる。そんな気持ちまでリセットさせてくれる情景をトラックドライバーは感じ取りながら、愛する家族を想いつつハンドルを握りしめ、安全運転を続行する。この曲は、かつてTBSラジオで深夜から夜明けの時間帯に放送していた「いすゞ歌うヘッドライト」のエンディング曲だ。私は木曜日担当の石渡のり子さんの声が大好きだった。そして浪人生活を送っていた私の何よりの励みだった。このエンディングを聴き届けた後で、旺文社のラジオ講座に入っていた。それが浪人時代の私の日課だった。

 「いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~」のオープニングはコチラ

 https://www.youtube.com/watch?v=InRiYPhbrWQ

 JR東日本 「シンシア」

 日付を跨いで走る「寝台特急」が姿を消している。「あさかぜ」「さくら」「富士」「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」。惜しまれつつ姿を消し、長距離を旅情に浸りながら旅する楽しみが無くなりつつある。技術革新が先行し、スピードアップが図られる一方で、こうした旅の醍醐味が失われていくのは残念で仕方ない。

 東北電力

 私たちの生活を目に見えない場所、陰で支えてくれている人たちがいることに光を当てた感慨深いCM。電気のある豊かな生活。作る、送る、灯すがテーマのCM。河島英吾の「元気ですか」が心に響き渡る。

 JR東海 「ファイトエクスプレス」

 最後はどうしてもこれ。もう30年近く前のCMだが、新天地で新生活を送る人たちを激励する「ファイトエクスプレス」がJR東海のCM。故郷を離れる寂しさと、大都会などで暮らす期待と一抹の不安が交錯する中で、新しい感動を求め、そして刺激を求め、人は旅立つ。佐野元春の「SOMEDAY」が涙を誘う。

 記事作成:3月21日(月)

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