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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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私の好きだったアイドル~夢見る少女編~

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 1980年代はアイドル全盛だったことは当ブログで何度も記事にして紹介したが、本日は、その中でも多少ロリコンが入ったメルヘン少女系のアイドルたちを7人セレクトしたい。以前紹介したアイドルもかぶっているのであしからず。なお今回は、長々としたプロフ&来歴は省き、生年月日、出身地、血液型、代表曲のみの紹介としたい。

 伊藤つかさ

 生年月日:1967年2月21日
 出身地:東京都渋谷区
 血液型:O型
 代表曲:「少女人形」「夢見るSEASON」

http://www.youtube.com/watch?v=h2UZajU4Ai8

 私が高1の時のアイドル。3年B組金八先生のセカンドシーズンに登場。色白で、八重歯と大きな瞳がトレードマーク。あどけない印象で妹的で守ってやりたい衝動に駆られたアイドル。同性に好かれ、歌唱中、手拍子や歓声が沸き起こっていた。私はEPレコードとLPアルバム、それに写真集を持っていた。

 菊池桃子

 生年月日:1968年5月4日
 出身地:東京都品川区
 血液型:B型
 代表曲:「雪にかいたLOVE LETTER」「SUMMER EYES」「夏色片想い」「Say Yes!」

http://www.youtube.com/watch?v=EBb-PPhAMTQ

http://www.youtube.com/watch?v=cN1i9vKFfRo

http://www.youtube.com/watch?v=26IvUJ4T_3o

 私が浪人生~大学1年頃のスーパーアイドル。アンニュイな雰囲気。二重まぶたでクリッとした大きな瞳と一途な性格が魅力。彼女が歌うと会場のファンが手拍子や声援で盛り上げていた。同性にも人気があった。

 Wink

 生年月日:相田翔子1970年2月23日 鈴木早智子1969年2月22日
 出身地:相田翔子 東京都東村山市 鈴木早智子 愛知県名古屋市
 血液型:相田翔子B型 鈴木早智子A型
 代表曲:「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」

 2人共、フランス人形を彷彿させる雰囲気で、可愛らしいドレスに身を包み、独特な踊りでファンを魅了した。緊張感からほとんど無表情だったが、爆発的な人気が出て、ヒット曲を連発した。2人組ユニットのアイドルは、ピンクレディー以来だった。

 河合その子

 生年月日:1965年6月20日
 出身地:愛知県横須賀町
 血液型:B型
 代表曲:「涙の茉莉花LOVE」「青いスタスィオン」「哀愁のカルバナル」

http://www.youtube.com/watch?v=Xr8-8lF9QqA

http://www.youtube.com/watch?v=yg7-lXGGrGA

http://www.youtube.com/watch?v=_tFbDIM_4_Q

 「夕やけニャンニャン」の「アイドルを探せ!」のコーナーから誕生したおニャン子クラブの会員番号12番。一番可愛さが際立っていて、他のメンバーに先駆けていち早くソロデビューを果たした。立見里歌と共に一番の年長者でもあり、番組1年目で20歳を迎えた。私と1歳違いのため、身近に感じたアイドルだった。大学生の頃に横浜スタジアムでのコンサートを見に行ったほどだった。

 島田奈美

 生年月日:1971年2月1日
 出身地:東京都練馬区
 血液型:O型
 代表曲:「パステルブルーのため息」「内気なキューピット」

http://www.youtube.com/watch?v=iLHPNekfrhg

http://www.youtube.com/watch?v=RuQVgkA0Dwk

http://www.youtube.com/watch?v=ef7pQ1MQd1k

http://www.youtube.com/watch?v=nHaRxFxg35c

http://www.youtube.com/watch?v=AX97kwMwlmA&list=PLA4853E3EBCC0C3BB

http://www.youtube.com/watch?v=xUPUU0H1WXA

http://www.youtube.com/watch?v=HUK-rkj5viQ

http://www.youtube.com/watch?v=MQR8G2yHHsA

 とにかく可愛いのひと言。アイドルらしいアイドル。歌手のやまがたすみこと今の長野美郷を足して2で割ったような顔立ち。ドラマ「おぼっちゃまにはわかるまい」のとんねるず木梨憲武の妹分としてドラマデビューし、人気が沸騰してソロでの歌手デビューに繋がった。アイドルパンチなどの若者向けアイドル番組の常連だった。ベストテン番組にもランキングして出演した。クレアラシルのCMも印象深い。

 吉田真里子

 生年月日:1970年11月19日
 出身地:兵庫県姫路市
 血液型:B型
 代表曲:「とまどい」「夢を追いかけて」

http://www.youtube.com/watch?v=ls7gi2S7uME

http://www.youtube.com/watch?v=nyOoyvY1GcY

http://www.youtube.com/watch?v=ux1v8701gmE

 私が大学生から社会人になりたての頃のアイドル。A級アイドルとまではいかなかったが、詩集やグラビアを出したり、特にヤング系雑誌(ジャンプ・マガジン)では「神」的なもの凄い人気を誇った。実際に私も彼女の詩集とCDを持っていた。

 この系統のアイドルは、B型とO型が圧倒的に多い。他にもこのテーマに合うアイドルには浜田朱里(O型)、坂上とし恵(O型)、伊藤美紀(B型)、伊藤麻衣子(B型)、中山忍(B型)、小川範子(B型)らがいる。A型では佐野量子と坂上香織くらいしか思い浮かばない。いずれもほんわかした雰囲気と色白で優しい顔立ち、そして明るくてなんでも言うことを聞いてくれそうな人形っぽい印象を共通して受ける。メルヘンチックで夢見る少女の面影がある。だから熱狂的だったり、夢中になるファンが多かったのだろう。つまり昔ことばでいう「君に首ったけ」という感じだ。

 最近はAKB48やSKE、HKT、乃木坂46など多人数アイドルが全盛の時代。時代は各世代で繰り返すと思うが、今が80年代アイドルの再燃ならば、もうじき90年代を席巻したバンドブームの再来が必ず来るはずだ。ミュージックシーンとは摩訶不思議なものである。

 記事作成:5月6日(月)


珠玉のシンガー「久保田利伸」

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 昭和末期から平成初期にかけて私がある意味「神」として崇拝していたロックシンガーが久保田利伸だった。日本人離れしたリズム感とソウルフルハートな歌い方、楽曲にR&Bを取り入れ、アメリカンナイズドしたファンキーでご機嫌サウンドを提供し、当時は新しいミュージックシーンの幕開けを予感させた。何を隠そう私は彼の後輩にあたるが、就職して1年目に出会った究極のトレンディ歌手であった。デート中の際、ドライブのカーステやCDで何度お世話になったか知れないし、当時バブル期にあってディスコが全盛だった頃に、時代の寵児として華々しく登場したと言って過言ではない。彼の楽曲を耳にしたときはとにかく衝撃だった。カルチャーショック以上のものだった。アイドルブームからバンドブームへの過渡期の不毛の時代に彗星のごとく現れた彼は、次々とヒット曲を飛ばし、新しい音楽分野に確かな足跡を刻んだ。とにかくメロディーはもちろん、歌唱法やダンシングもオシャレでかっこよかった。では彼のプロフと私が選んだお気に入りの10曲をランキング形式でお送りしたい。

 久保田利伸

 1962年7月24日、静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区)出身。身長170cm、体重59kg。血液型O型。別名・愛称は「ファンキー久保田」「クボジャー」「キング・オブ・Jソウル」「久保やん」「クボトシ」等。自他共に認めるファンキーなキャラとして知られている。1986年のメジャーデビュー当時には、日本ではまだ市民権を得ていなかったブラックミュージックを浸透させるのに一役買った功績は大きく、現在も国内外でR&Bシンガーとして活動している。ブラックミュージックと言う事で、久保田自身の音楽スタイルは山下達郎、大沢誉志幸、吉田美奈子、佐野元春、井上陽水、忌野清志郎、キングトーンズ、ハイクオリティなシティ・ポップスという点で角松敏生や稲垣潤一、小田和正等によって確立されたジャンルであるが、ヴォーカルスタイル、リズム感、ソングライティング等の部分でブラックミュージックに大きく影響を受け、又それを自身の音楽性に取り入れ、さらにセールス的にも大成功を収めたのは、彼以前には居なかったと言っても過言では無く、その事から彼自身は「ブラック・ミュージックのパイオニア」とも称されている。

 第1位 Missing(1989年)



http://www.youtube.com/watch?v=aEcUeMIEbiA

http://www.youtube.com/watch?v=1p_YTRf_pxI

 第2位 LA・LA・LA LOVE SONG(1996年)

http://www.youtube.com/watch?v=BPprCmZmh48

 第3位  タイムシャワーに射たれて(1986年)

http://www.youtube.com/watch?v=Zx42TWOCEEE

 第4位 流星のサドル(1989年)

http://www.youtube.com/watch?v=fU3IlFNqaGk

http://www.youtube.com/watch?v=r9MmuGV5QAQ

 第5位 You Were Mine(1988年)



 第6位 北風と太陽(1989年)

http://www.youtube.com/watch?v=xZfWHu-UEbw

 第7位 永遠の翼(1989年)

http://www.youtube.com/watch?v=Aics32cHVOM
http://www.youtube.com/watch?v=Hvz_3MBkH30

 第8位 失意のダウンタウン(1986年)

http://www.youtube.com/watch?v=5UtCnSAV614

 第9位 GODDES~新しい女神~(1987年)

http://www.youtube.com/watch?v=XzKkvQZ5BE4&playnext=1&list=PLA0F507070344D735

http://www.youtube.com/watch?v=A1FUtGlgHeQ

第10位 CRY ON YOUR SMILE(1987年)

http://www.youtube.com/watch?v=sVL_aH7DhoY

彼は1985年に大学を卒業したが、私は1984年の入学。ということは1年間は同じキャンパスで過ごしたということになる。学部も違うのでお互い面識はないが、もしかしたら校舎で会っていたかもしれない。私は彼の曲を聴くなり、すっかり虜になった。そして大学も同じだったので、なおさら親しみを持って聴き漁った。もちろん衝撃的な1stアルバム「BADDEST」や「SHAKE IT PARADISE」、「GROOVIN'」のCDも所有しているし、シングルCDも結構持っていた。彼がミュージックシーンに登場したことにより、彼の音楽スタイルや新感覚に影響を受けたシンガーは数多い。日本に本物と呼べるシンガーの誕生が久しく叫ばれていた時期に颯爽と登場した彼は、まさしく時代の寵児だった。私は「神に選ばれしシンガー」だと思ってやまない。

 記事作成:5月6日(日)

2013年5月のプロファイル

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5月1日(水)

富士山、世界文化遺産登録へ 鎌倉は「不登録」
ダルビッシュ5勝目、リーグトップに並ぶ 大リーグ
将棋の里見香奈、初の女流五冠達成 残るは女流王座のみ
闘牛に胸突かれ男性死亡 鹿児島・徳之島
「憲法96条改正、参院選公約に」 安倍首相が表明
大阪湾のムール貝、規制値超える貝毒 2人が食中毒
改憲手続き緩和 賛成38%、反対54% 本社世論調査

5月2日(木)

行方不明の長男、電車事故で死亡 大阪の72歳殺人事件
校舎水浸し、被害額67万円 犯人は13歳女子2人 市教委「弁償求める」
米で5歳児が誤射、2歳の妹死亡 子ども向けライフルで
フィリピンで日本人経営者射殺される 殺人事件で捜査
女性教諭「借金で…」、風俗店で働く 懲戒処分 大阪
UAEと原子力協定署名 安倍首相、福島事故後で初

5月3日(金)

カラス大量死、胃から殺虫剤成分 横浜、インフルは陰性
PC遠隔操作、法廷で否認の片山容疑者を追起訴 幼稚園児の襲撃予告
三河湾アサリ不漁 潮干狩り中止も 漁獲量全国一の愛知
中国の軍備増強、日米優位崩れる恐れ 米専門家が予測
朝日新聞阪神支局襲撃事件から26年 遺影に花、黙祷

5月4日(土)

水遊びでおぼれ、駒大生の男女2人死亡 長野・野尻湖
ネズミや病死肉、偽装販売も 中国で900人摘発
4階ベランダから2歳長女を投げ落とした疑い 中国籍の母を逮捕
駒大生水死「飛び込みは部の恒例行事」 大学は強要否定

5月5日(日)

国家公務員採用にTOEFL 15年度にも導入へ
MRI、巧みな勧誘術 1300億円消失問
長嶋氏・松井氏に国民栄誉賞授与 東京ドームで表彰式
富士山で行方不明男性の遺体収容 東京の会社員
17歳桐生、向かい風で9秒台に届かず3位 陸上男子100
滑落の福岡県職員、遺体で発見 北アルプス・富士ノ折立

5月6日(月)

中央アルプス・池山で滑落、東京の男性死亡
長野・白馬の雪崩事故、1人の遺体を発見
山菜採りの男性が死亡 福島・喜多方の山林

5月7日(火)

東京円、円安進み99円台に 連休中の欧米市場を反映
自転車にはねられ、97歳男性死亡 横浜
北朝鮮、ミサイル2基を撤収 米メディア報道
女性3人を約10年ぶり保護 米、50代の3兄弟逮捕
米「中国の尖閣領海基線は不適切」 領海侵犯と併せ批判

5月8日(水)

PC遠隔操作、4度目逮捕へ 伊勢神宮の爆破予告容疑
電気ショック・暴行…入所者が暴露 中国の労働教養所
朝鮮総連本部、再入札へ 45億円落札の最福寺、資金難
トヨタ営業益、6年ぶり2兆円規模へ 14年3月期
福島の駐車場、土から高濃度セシウム 立ち入り禁止に
放火未遂容疑で53歳逮捕 環7沿いでは相次ぎ不審火

5月9日(木)

82億円詐取、実刑 U.F.O.元社長に懲役10年
入れ墨調査拒否した職員、配置転換撤回求め提訴 大阪市
男子寮が全焼、焼け跡から遺体発見 愛知の私立高
川口・参院環境委員長が解任 常任委員長では両院通じ初
憲法96条改正へ各党が意見表明 衆院憲法審査会
国民の「共通番号制度」導入法案を可決 衆院本会議
福島第一1号機、建屋カバー撤去 4年後核燃料取り出し

5月10日(金)

殺人と傷害容疑で6人に逮捕状 神戸港の男性水死で
中国4大銀行、北朝鮮へ送金停止 「制裁」政府から指示
オウム事件・松本死刑囚、2度目の再審請求棄却 最高裁
脱法ドラッグ、麻薬取締官にも捜査権限 対策を強化

5月11日(土)

国の借金、991兆円 13年度末には1千兆円台へ
2050年の高速無料化、断念 改修で借金返済先延ばし
少年脳死、臓器提供へ 家族承諾による4例目 広島
グアテマラ、元将軍に禁錮80年 内戦時に大量虐殺の罪

5月12日(日)

トルコ南部で爆発、40人死亡 シリア国境付近
「脱法ハーブを吸って運転」、危険運転致傷容疑で男逮捕
俳優の夏八木勲さん死去 映画「白昼の死角」主演
痛くない注射針、より細く 世界最細0.18ミリ、輸出
新種コロナウイルス、ヒト・ヒト感染か 中東・欧州で

5月13日(月)

「母さん助けて詐欺」定着するか 振り込めも併用継続
シリア内戦の死者、8万人超える 半数近くは民間人
中国の監視船3隻、領海侵入 尖閣諸島沖
福島第一の地下水を海へ放出、東電が漁連に説明 結論は先送り
改造拳銃85丁所持容疑、納豆製造社会長を逮捕 熊本
国籍不明潜水艦、接続水域を潜行 沖縄・久米島沖
フラガール、カウボーイ姿で田植え 福島の米をPR
殺人予告の男、帰らせた直後に隣人刺す 埼玉県警が謝罪
バレー日本女子、主将に木村沙織 口説かれ引退を翻意

5月14日(火)

未明のマクドナルドに強盗、200万円奪い逃走 浜松
父に刺され中高生2人死亡 殺人未遂容疑で逮捕 広島
ゴルフ場でスキミング容疑、被害2億円か 中国人を逮捕
橋下氏発言に波紋「風俗女性への差別だ」
シャープ、純損益が過去最悪5453億円の赤字
糖尿病の人、がんのリスク1・2倍に 肝臓がんは2倍
「軍と売春、つきもの」 維新・石原氏の発言
反町さん・松嶋さん夫妻に賠償命令 飼い犬巡りトラブル

5月15日(水)

長期金利、0.9%台に上昇 1年1カ月ぶり水準
ホンダF1復帰正式決定 15年、英名門マクラーレンにエンジン供給
奄美地方が梅雨入り 気象庁発表
敦賀原発直下に活断層と断定 規制委 廃炉になる公算大
元アサヒビール社長・瀬戸雄三氏死去 「ドライ」立役者
ガソリン10週連続値下がり 下げ止まりの傾向も
ドコモ、人気機種を大幅値下げへ 2端末「重点機種」
覆面パトカー1千台リコール サイレン鳴らない恐れ
総額92兆円、13年度予算案が成立 衆院優越規定で

5月16日(木)

稚内港で貨物船火災、6人の遺体発見 カンボジア船籍
ネパールで小型機オーバーラン 日本人2人けが
駒大が単独首位、優勝へ前進 東都大学野球
マンションに家族4人の遺体 千葉・柏、無理心中か
超党派女性議員、橋下氏発言の撤回求める
NATO軍狙い自爆、子供ら12人死亡 アフガニスタン
公園のコイ、9匹殺される 口に打ち上げ花火 千葉
ベッカム、現役引退を表明 「ちょうどいいときだ」

5月17日(金)

大卒就職率、2年連続増93.9% 女子が男子上回る
ダル7勝目 イチローは23打席ぶり安打 大リーグ
「韓国人売春婦うようよいる」 維新・西村氏、すぐ撤回
福島・大熊でボーリング調査 中間貯蔵施設建設地選定で
ロト7、8億円が3本 宝くじ国内史上最高額
ヤフーに不正アクセス ID2200万人分、流出の恐れ

5月18日(土)

自動車保険料、2社値上げへ 「車離れ」で収益悪化 三井住友とあいおいニッセイ
鶏舎全焼、4万5千羽焼け死ぬ 愛知
福島のフラガール、伝える復興 全国出前授業スタート
マヤ遺跡のピラミッド、壊される 建設業者が重機で採石
DeNAブランコ、20本52打点 二冠独走

5月19日(日)

滝から転落か、登山の59歳男性死亡 三重の御在所岳
路上で男に切られる 女子大学生軽傷 神奈川・厚木
母親と元同棲相手、傷害致死容疑で再逮捕 女児遺棄事件
北朝鮮、短距離ミサイル発射 日本海に向け2日連続

5月20日(月)

橋下氏発言「問題」75% 内閣支持率65% 世論調査
北朝鮮が中国漁船拿捕 船員16人拘束、1千万円要求
日経平均、一時1万5300円台を回復 5年5カ月ぶり
北朝鮮、3日連続で短距離弾発射 通常訓練と主張
スカイツリー、来場者634万人突破 当初予想上回る

5月21日(火)

トルコで熱気球墜落、2人死亡 観光地のカッパドキア
米オクラホマで竜巻、死者51人 児童20人が下敷き
通学中の女子高生、バット?で頭を殴られる少年が逮捕 長野・飯田
長期金利が上昇、一時0.865%
成年被後見人に選挙権付与へ 公選法改正案が衆院通過
新型コロナウイルス、中東で感染拡大 医療機関で発症も
東電、賠償資金に1549億円 原賠機構から受け取る

5月22日(水)

生活保護受給者、過去最多を更新 増加率は徐々に鈍化
猪瀬知事の標準時変更案、「子午線の街」明石市長が批判

5月23日(木)

三浦雄一郎さん、エベレスト登頂成功 史上最高齢80歳
山崎製パン、食パンなど15品目値上げへ 原料価格上昇
日本人3人、韓国から竹島上陸 「韓国に説得力」と主張
久保田や月桂冠も…ニセ日本酒売りつけ暴利 中国・上海
円安・原料高、値上げの初夏 小麦粉もマヨも家具も

5月24日(金)

北朝鮮、ミサイル7基も撤去 日米韓との緊張緩和模索か
親のカードで豪遊、470万円分無効 京都地裁判決
「最も治安悪い国」はベネズエラ 米ギャラップ社調査
円安で食品値上げ相次ぐ 山崎製パンは最大6%
共通番号制度が成立 税や社会保障の個人情報を集約
元慰安婦ら、橋下氏との面談中止 「発言撤回してない」

5月25日(土)

大津いじめ自殺、元同級生2人を家裁送致
中国での著作権侵害、年間6.5兆円 日本アニメなど
M8超の南海トラフ地震「50年以内に90%」 調査委

5月26日(日)

日本ダービー、キズナが優勝 武豊騎手は歴代最多5勝目
白鵬、全勝で25度目V 朝青龍に並ぶ 大相撲夏場所
放射能漏れ事故の実験施設、被曝30人に 東海村
B787、日本での運航再開 ANA便4カ月ぶり
千葉市長選、35歳の熊谷氏再選

5月27日(月)

中国の中学生、ルクソール神殿に落書き 両親謝罪
九州・四国・中国地方で梅雨入り 気象庁、平年より早く
母子遺体発見の室内にメモ 「食べさせられずごめんね」餓死か
成年被後見人の選挙権回復 改正公職選挙法が成立
ホームから線路に転落、小5男児が軽傷 携帯電話操作中

5月28日(火)

マン島TTレース、日本人選手が事故死 松下ヨシナリ氏
バグダッドで連続爆破、70人以上死亡か イラク首都
日経平均、荒い値動き続く 円相場は一時102円台に
鎌倉のユネスコ推薦取り下げ 世界文化遺産で文化庁方針
交通事故死、12年連続減 2012年、全国4411人

5月29日(水)

クマに襲われ警察官ら4人重軽傷 遺体を収容途中 福島
関東甲信地方で梅雨入り 統計開始以来3位タイの早さ
夫婦別姓認めぬ規定「合憲」 東京地裁
ヤフー、IDとメアド9万人分誤送信 大規模流出相次ぐ
台湾で「毒でんぷん」騒動 名物デザートに違法添加物

5月30日(木)

住宅ローン金利、引き上げへ 大手行、2カ月連続
矢口真里さんと中村昌也さんが離婚
問責可決なら出直し大阪市長選 維新・松井幹事長が意向
ザックJ、0―2で敗れる ブルガリア戦
橋下市長への問責決議案を否決 公明が反対に転じる

5月31日(金)

パナソニック5千人削減 車機器や電子部品など
藤原竜也さんが結婚へ 一般女性と年内にも
東北6大祭りが集結 1日から福島で東北六魂祭
慰安婦問題、国連委が勧告 「日本の政治家が事実否定」

今週の山岸舞彩キャスター(5/27~5/30)

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 この記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 今週の「NEWS ZERO」に出演した山岸舞彩キャスター(5/27~5/30)の様子です。

 5月27日(月)

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 村尾キャスターは外国からのリポート。安倍首相へのインタビューがあった。

 5月28日(火)

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 5月29日(水)

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 この日は髪の毛をストレートにし、大人っぽい雰囲気だった。

5月30日(木)

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 この日はアクティブでスタリリッシュな装いだった。彼女の雰囲気に合っていてドキドキしてしまうほどだった。

 追記

 6月2日(日)のYahoo!ニュースで、彼女が出演している「NEWS ZERO」の番組プロデューサーからセクハラ&パワハラを受けていたことが判明。関係者にショックを与えている。私自身もそうした私的な行為は許せない。そういう状況下にあったにもかかわらず、番組ではおクビにも出さない彼女のプロ根性に拍手を送りたい。こうした出来事があると、番組の出演に影響がないかどうか心配だ。

 記事はコチラ↓

http://www.cyzo.com/2013/05/post_13332.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130602-00000051-sph-ent

ドライブレコーダー取り付け悪戦苦闘記

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 本日は「ドライブレコーダー」の交換に関する悪戦苦闘ぶりとその顛末記をお送りしたい。

 5月28日(火)の昼過ぎ、同僚と市内某所へ出張に出かけようと車に乗り込み、自慢のドライブレコーダーをちょっぴり見せびらかそうとして、ドラレコの液晶の蓋を開けた途端、異音がして蓋が閉まらなくなった。それどころか、支えを失ったようにブランブランとスイングする始末。どうやら留め具のツメが破損した模様。まだ1年半しか使っていないのにショック!

 その後16時半過ぎに出張を終え、職場に戻り、本日昼に、掲示板に貼られてあった文書で昨春まで同僚だった女性の実母が亡くなったことを知り、急遽、今晩17時から須賀川の斎場で執り行われる通夜に参列しようと決断。16時45分に職場を後にし、一旦自宅へ。取り急ぎ礼服に着替え、17時に自宅を出て、郡山IC~須賀川ICを往復。17時18分に「金沢斎苑セレカ」という名前の斎場に到着し、香典を差し出し、焼香。その後Uターン。何と自宅に18時過ぎに戻るという神業往復をやってのけた。

 その後、ドラレコを修理しようと分解していじくりまわしているうちにフラットケーブルが抜け、その後、電源が入るものの、液晶が何も映らなくなってしまい、早い話が破壊してしまった。修理不能に・・・。「やってもうた!」 昨年5,000円弱で購入し、まだ1年くらいしか使っていなかったのに、早くも寿命が尽きた。やはり中国製のまがい物だった。液晶の扉の開閉だけでお釈迦になってしまった。ゴミ箱行きである。

 <修理を試みようと分解し、破壊してしまった旧ドライブレコーダー>

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 H11/12に購入した時の現品とフロントガラスに装着したドラレコ  

 ドライブレコーダーを装着してからというもの、それまでの危険運転や暴走運転はめっきり影を潜めていた。抜かれても腹を立てなくなった。他人に常に自分の運転を見られている意識で、超優良運転者に化してしまった。この日の高速往復も制限速度内をきっちり守り、のろのろの大型トラックしか抜かず、大部分は抜かさせた。やはりドラレコの装着は血圧上昇を回避し、気分穏やかに運転ができて良かった。したがって、要らぬ出費とは言え、代替品が欲しくなった。

 そこでネットで調べてみた。すると破壊した商品を購入した業者を検索したところ、なんと倒産したらしく、ネットショッピングを取りやめたことが判明した。それは「アイラボ」というネット専門通販会社だった。台座が壊れた際にも結構対応はよく、気に入っていたのだが・・・。

 同等品を買えないことを悟り、仕方なく、別の会社の商品を捜索したところ、5,000円未満で、ミラー一体型のドラレコを発見!それは「コムショット」という販売元の商品だった。4倍ズーム可能で、ハイビジョン撮影、2.7型液晶モニター内蔵、人体感視システム搭載の掘り出し物だった。マイクロSDは付いていないが、激安特価の4,980円表示でよさげなので、夜の23時前に、ネットショッピングで衝動買いしてしまった。

http://item.rakuten.co.jp/com-shot/room-dr/

 そして翌29日(水)には、仕事の合間を縫ってケーズデンキに外出し、記録メディアのmicroSDカードを購入。何とバファロー製で、8GB class4だが、663円という激安価格。合計5,563円で代替品が入手でき、ホッとした。前回の壊れた製品は4GBのSDカードだったので倍の録画が可能になった。

 そして5月29日は飲み会だった。カフェ・ベトナム澤上商店で5名のみの歓迎会を催した。寒った。21時で切り上げ、代行で帰ったが、今回は早い時間帯だったためか、最安の1,600円で帰宅できた。何か風が吹いている印象。雨降って地固まるという感じ。

 5月31日、注文から69時間後の18時20分に、佐川急便の宅急便によって注文した商品を受け取るという早業だった。発送が29日だったので、翌30日に届くかなと期待したが、発送の元のこの会社は広島県にあるので、やはり2日かかった。

 <商品到着時のパッケージ>

 開けてびっくり。他の人のネット画面のレビューに、英語での取扱説明書や簡易の日本語の説明書が添付されているという書き込みがあったが、一切説明書らしき用紙は梱包されておらず。パッケージの箱の外側に機能を英語で説明しているだけで、実際の設定方法や操作の仕方などは書いていなかった。欠陥商品?一気に不安になった。

P5313813

 <商品の内容>

 ミラーとクリーニング用の白のウエス。USBプラグのシガーライター電源用のアダプター、TV接続のコード、パソコン取り込み時に使用するUSBコード、それに保証書。

  <取り付け時&各種設定時の状況>

 5月31日の夕刻の商品到着から20分後には取り付け開始。取り付けはいたって簡単。ルームミラーにダイレクトでセットし、配線を内部ルーフの中からドアのサイドラバーの中を外から見えないように通し、フロアマットの下を潜らせ、シガレットライターへ。私の場合、GPSレーダー探知機を装着しているのでWソケットを利用。ほんの10分で完了。

 次に各種設定だが、取説がなくてもMENUからUP DOWN操作で日本語表示に変更すれば楽勝。でも最初にマイクロSDカードをセットしてしまうと、一切のMENU操作を受け付けないので、その都度、カードを外さなければならない。設定自体は様々な設定と変更が可能。オートパワーオフにしたほうが、後方の視界を遮らなくて済む。私は2分後に液晶画面が消えるよう設定。夜間は綺麗に見えるものの、昼間は全く見えないので邪魔以外の何物でもない。また、取り付ける際に、純正のミラーのかなり左側に取り付けないと、元々あるミラーが写り込んでしまい、何も表示されなくなってしまう。そしてドライバーの目線から液晶を確認すると、左側の端っこ部分に液晶画面の切れ目が視界に入り、かなり違和感ある。

 <装着後の状態>

P5313817

 ミラー自体がかなり左右に長いので、視界は広く保てて良好。

 <使用後の感想>

 2分で液晶が消えるようにセットしたが、なかなか画面が消えない。いちいちSDカードを外さないとMODEやMENUの操作ができないのが難点。

 ミラー一体型は、夏場に粘着力が低下する吸盤ではなく、直接ルームミラーに取り付けるので視界も妨げず、配線も綺麗。却って壊れてくれて良かったかも・・・。これまで車内温度が上昇し、途中で吸盤が外れ、何度も本体が落下したが、これはそんな心配はなく便利。あとは暑い夏に車内温度が上昇して誤作動や破損が起きないかが鍵。

 <トラブル発生>

 取り付けた翌日、最悪の事態に。仕事に出かけようと車に乗り込んだら、昨日無事装着を終えたはずのミラー型ドラレコだったが、今朝確認したら、カックンと下向いて垂れ下がっているではないか。ドラレコ本体の重みで純正ミラーのボール型留め具が緩んで、無残にもその状況に陥ったようだ。その後、何度も角度を調整しようと試みても、カックンと下に垂れてしまう。最悪。せっかく買ったのに意味がない。午前中、田村町での仕事を終え、本日のパレードイベントの渋滞にハマりながらも、12時半に内環状線沿いのトヨタへ駆け込み、接合部分がきつく締まらないか見てもらう。いつもの担当が休みで、チーフが登場。交換しても直るかどうか微妙。応急処置でシリコン液を注入してもらう。しかしこれが裏目。油を注いだ形となり、潤滑油の如く、逆に滑りがよくなってしまい、余計ゆるゆるになり、前より簡単にミラーが首をもたげる結果に・・・。まったくろくなことがない。

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 → ミラー自体の重さに耐え切れず、このようにカックンと首をもたげ、下を向いてしまう。応急処置をしても同じ症状が現れ、戻らず。まったく踏んだり蹴ったり。その後、自宅に帰った後で、ゆるゆるを解消し、目線ポイントに固定すべく、木工ボンドを流し込んだり、ビニールテープをグルグル巻きにしてストッパーとなるようあれこれ小細工したりと四苦八苦。現物もかなり不格好に。

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 これでも角度が自動的に下がるため、やむを得ず、透明テープとビニールテープで無作為にグルグル巻いて、更に見た目にも格好悪くなる。フロントガラスの外から車内を見るとかなり汚いし目立つ。何とかならないものか。28日以降、やることなすことが全て裏目に出て嫌になった。

 6月2日(日)も気温上昇に伴い、ビニールテープ類が緩んで、重さで手前に傾く。これはやはり純正ミラー交換しか手はなさそう。

 6月3日(火)

 10時45分~10時35分に外出し、市内日和田のR4沿いにある「トヨタ部品共販」に出向く。純正品のルームミラーが5,985円で在庫有り。実物を出してもらい、動作チエック。すると新品はボール型の角度調整部が固くて、ドラレコの重さに耐えられそう。6千円近い臨時出費は痛いが、せっかく買って使わずでは意味がないので、やむを得ず購入。窓口担当者曰く、長く使っているとプラ製品やゴム製品は消耗や劣化が激しく、特に炎天下さらされる場所なのでヘタるのが早いとのこと。結局、合計10,965円と高く付いた。

 早速、駐車場の日陰となる場所で装着してみた。ビクともしない感じ。予想外の出費がかさみ、懐具合は厳しいが、これで一件落着となった。あとはドラレコが5年以上持ってくれればいいのだが・・・。

 後記

 今回は日記みたいな内容で恐縮だが、突発的に発生したアクシデントをどうしても自分の胸の内に閉まっておけなくて一連のエピソードと悪戦苦闘ぶりを暴露してしまった。昔から比べれば、ドラレコもかなり格安で、2,000円台から買えてしまう。もし購入を考えている人がいたら、ぜひ今回の記事を参考にしてほしいと思います。

 記事作成:5月30日(木)~6月1日(土)

一世を風靡したCMたちPart3

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 今回で第3弾を迎える記事。懐かしいCMは山ほどあるが、一世を風靡したとなると個人の主観や、好き嫌いとかもあってなかなか線引きが難しい。私は少年時代に見たCMがかなり印象と記憶に残っている。現代の20~30代の比較的若い世代には、受け入れられない代物かもしれないが、かつて時代を風刺したようなその時代を代表するようなCMがあった。今回は3回目として、1970年代から80年代初頭にかけての味のあるCM作品を6点セレクトしたい。なぜか嗜好品に集中した。

 サントリーゴールド900(1976年)

 ウィスキーといえばトリスに始まり、サミーデービスJr.の名作、当時話題作となった大原麗子のサントリーレッド、それに「昴」のテーマに乗せ、壮大なスケールで描いた「スーパーニッカ」があった。そんな強者が肩を並べる中で、私が最も印象深いCMがこれだ。映像だけでなく、この名文句の歌も流行った。「ソソッソクラテスかプラトンか~ニッニニーチェかサルトルか~み~んな悩んで大きくなった~」というものだった。世紀の偉人を捕まえて堂々と歌にしてしまう図々しさと気骨さを兼ね備えていた。

 出演した野坂昭如もまた一風変わった作家だった。独自の視点と価値観を持ち、性格も変わっていた。自分が「大物だ~!」と中々言えるものではない。

 以前にも紹介済みだが、同じ洋酒ということで、1981年頃に大きな話題を呼んだ「トリス」と1974年の名作CMの「サントリーホワイト」、更には1980年の「スーパーニッカ」のCMをリンクしたい。

http://www.youtube.com/watch?v=6b0cOimGSCo

http://www.youtube.com/watch?v=yyN-aHtAVzs

http://www.youtube.com/watch?v=jdz8-JWzuw8

 サントリーのウィスキーでは、ほかにローヤルがあった。バブル期のクラブやスナック、バーにはこれらの瓶がズラッと並んでいたことを覚えている。それは壮観だった。

 LUCKY STRIKE

 かつては青少年に悪影響を及ぼす可能性があるとしてタバコのCMは深夜23時過ぎの時間帯に限定されていた。私の父は10年前に他界しているが、家族の静止に耳を貸さず、大変なヘビースモーカーで、最後は肺呼吸ができないほど悪化し、肺気腫によって急逝した。その当時は専売公社の和製のタバコに人気があった。父が吸っていたタバコは、一番人気だった「ハイライト」、「ピース(缶ピーを含む)」、「ホープ」、その後台頭した「セブンスター」、そして純日本風の「わかば」であった。どれもパッケージのデザインが凝っていて、それに憧れてタバコに手を出した若者が多かった。やがて、よりオシャレでカッコイイ横文字のタバコが流行った「CABIN(マイルドを含む)」、「LARK」、「CAMEL」、「パーラメント」、そして本日取り上げた「LUCKY STRIKE」である。この手の洋モクは外人をCMに起用し、決まって大型アメリカンバイクが登場し、ドラマ仕立てでストーリーが進行した。雰囲気を味わいたくてタバコを吸うものまでいた。CMをご覧いただければわあるが、男の憧れが随所に詰まっていて、男臭い雰囲気のCMに仕上がっている。そしてお馴染みだったこのBGMも有名になった。

 「CABIN」、「LARK」のCMはコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=Ijc5-jfVOiI

http://www.youtube.com/watch?v=R1LY7_Y2nFg

http://www.youtube.com/watch?v=QS4Uofq5NFg&list=PL9D2EFC3D8921145B

http://www.youtube.com/watch?v=HLIyH_NpZ7U

http://www.youtube.com/watch?v=JzIVJ5cuVtw

 バドワイザー

 バドワイザーは1980年代の流行りだった。缶のデザインとネーミングが響きがよくてかっこ良かったし、おしゃれだった。このCMも一世を風靡した。私が大学生の頃にアサヒがスーパードライを開発し、売れに売れた。一方のキリンもモルツで対抗。ビール戦争が勃発し、熾烈なシェア争いを演じた。私は20代の社会人になりたての頃、あの独特なプルタップに見出され、この上ないバドフリークになった。ボディコンギャルによるイベント開催も多かった。バドホールも都内には多くあった。渋谷の道玄坂にもGSを改装した専用のビアホールがあった。

 外国産ビールでは、当時は「カールスバーグ」、「ハイネケン」が人気が高かった。

http://www.youtube.com/watch?v=iGIt240KpX0

 参考までに今年人気の外国産ビールは「ベルモルト」「コロナエキストラ」「ユーロホップ」「ヒューガルデン」「スーパープライムグリーン」がベスト5らしい。

 ネスカフェエクセラ

 エクセラといえば、この曲とこの絵しか思い浮かばない。夏の定番CMだった。

 ネスカフェゴールドブレンド

 また、ゴールドブレンドといえば長年制作されている「違いのわかる男」シリーズである。観世栄夫、山本寛斎、阿川弘之、沢井忠夫、宮本輝、宮本亜門、由良拓也、石丸寛、遠藤周作、石丸幹二、熊川哲也、錦織健、和泉元彌などその道のプロを集めた名作が多いが、私は山口の錦帯橋を上空から描いたCMが好きだった。昔は「ネッスル」だったが、途中から「ネスレJAPAN」と名称が変わった。

http://www.youtube.com/watch?v=labBXNzEfRg 

http://www.youtube.com/watch?v=sg7QoxtW9BE

http://www.youtube.com/watch?v=fYd2qsugZx4

http://www.youtube.com/watch?v=JURAuofuFhQ

 他にも「ミロ」というCMもシリーズとして流れていた。

 本日ラストを飾るのは以前も別テーマで紹介した「エメロンシャンプー&リンス」。

 街角で髪が綺麗で長い女性を見つけ、一緒に歩いてインタビューし、最後に「後ろを振り向いてくれませんか」とリポーターが告げ、振り向くとカメラが。照れた女性を映し出す。

http://www.youtube.com/watch?v=IKf2OMA4ktE

 他にもその当時流行ったシャンプーは花王のフェザーオイルシャンプーと「フケかゆみなしね」というのが決めセリフだった花王メリット。「リンスのいらないメリット」というフレーズも一世を風靡した。このCMの出来栄えも売上に影響があったので、製作者は心血を注いだ。

http://www.youtube.com/watch?v=HPGkq-7PEfs (レモンパイ ビバエメロン)

http://www.youtube.com/watch?v=Zvzzpp1n-LM (レモンパイ)

http://www.youtube.com/watch?v=1RwuuvOSSa4

http://www.youtube.com/watch?v=gV_W3ItVroU

http://www.youtube.com/watch?v=3At83dKJV9Y (アクアチェック)

http://www.youtube.com/watch?v=Sgr9btsbBLo

 いかがでしたか。昔のCMだらけで恐縮ですが、懐かしんでもらえたでしょうか。今見ると古臭さは否めないが、これらは正真正銘時代を風刺し、人気があったものばかり。好評なら第4弾、第5弾を企画していきたいと考えている。さて、あなたの好きなCMは何でしょうか?時代を彩ったCMがあればぜひ教えてください。

 記事作成:5月7日(火)

外国人から見た日本人

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お断り

今回の記事は、初めに wordで作成したものをコピペしたために、フォントサイズが合わずに文字の大きさがバラバラになっていることを予めお断りいたします。 

 現在、フジテレビで放送中の「めざまし土曜日」で「ジャパンダルフル」という実に興味深いコーナーがある。旅行で日本を訪問したり、実際に日本で暮らしている外国人が、日本で体験した事象、たとえばの文化や風俗、習慣、あるいは規律に触れ、いかに日本人が優れているかを例証して検証しているものである。

一例を挙げると、公共の交通機関が1分たりとも遅れずに、時刻表どおりにやってくることや日本人が時間に正確で待ち合わせに遅れないで来ること、さらには飲食店では機械で注文できたりと優れた科学技術を生活の中に取り入れ、それを普通の出来事のように毎日の生活に利用しているなどである。また、外国人が日本に来て驚くことは、買い物した時に見事なまでに無料でラッピングをしてくれることである。日本人のさりげない心遣いや美意識を感じるという。そして相手への細かい心配りや相手をもてなす感覚が備わっていて、そうした客に礼を尽くす日本人は凄いと感心すること仕切りなのだそうだ。

また、日本を訪れた外国人が一番驚くことは、その治安の良さと日本人の規律正しい振る舞いである。大多数の人は信号を守り、交通ルールを遵守する。法に触れることはたいていの人はしない。電車でお年寄りに座席を譲る、困っている人がいれば親切に声をかける、食事などでは秩序を守り、列に並んで待つなどである。日本人からすればさも当然の行為なのだが、これが外国では信じられない光景なのだという。

世界各国から日本人が賞賛された出来事がある。日本人の教養の高さといついかなる時でも、決して取り乱さずに、冷静に行動し、規律や秩序を守り抜くことを実証して見せたのが、先の「東日本大震災」である。被災地では、巨大地震や大津波によって最愛の身内が亡くなり、あるいは住む家を追われたり、ガス電気水道などのライフラインがストップし、生活に不自由を強いられたり、あるいは食料やガソリンの供給がストップした。また大都市圏でも大規模停電が発生し、電車が止まり、帰宅困難者で溢れた。そんな国家の存亡にかかわるような非常事態でも、日本人は努めて冷静に振舞い、暴動や略奪行為などは一切起きなかった。

さらに被災者である私自身も驚いたことだが、東北の沿岸部で津波によって家が流され、あるいは浸水し、家財道具が水浸しになっている住民へインタビューした映像で、悲しみを表に出さず、泣きたい気持ちをこらえ、怒りの表情も見せず、淡々と現状を報告したり、中には視聴者に辛い思いをさせまいと無理に笑顔を取り繕って明るく応じていた場面があった。このような未曾有の被害に直面しても尚、日本人は秩序を保とうとする。給水所や食糧配給所では、我先にと割り込むこともせず、寒い中でも一列に並んで自分の番が来るまでひたすら待っている姿があった。それが東北という特殊な地であるからかもしれないが、日本全国にも共通した性質だと私自身は思っている。かつて井上ひさしの小説「吉里吉里人」の中で、主人公である小説家が物語の舞台となる東北地方の一小村を訪れた。その際、現地の老人がこんな言葉を吐く場面がある。「泣ぐのが嫌で笑って居る者の気持ちコ、お前様にゃ判らねぇべのう」。有名な名文句であるが、これが東北人の負けず嫌いな一面や強がりの性質を如実に示している。震災の際のインタビューを見て、私はこの小説を真っ先に思い浮かべた。

日本人の立場からすれば、こうした秩序を保つ行動は常識の範囲内であって、何も特別なことでもないように映るが、外国人にすれば、何気ない日常であってもかなりの衝撃を受けるらしい。明日をも知れない状況下に置かれた日本人が何ゆえこのように落ち着いた冷静な行動をとれるのかと。日本人として世界からこのような賞賛を受けることは誇りに思える瞬間だし、よくぞ日本人に生まれけりである。

私が思うに、おそらくは、日本の教育が世界水準を遥かに超えている点が挙げられる。昔から学校だけでなく悪いことを許さない周囲の目や地域や集団で教育するコミュニティーの確立があったにほかならない。

 日本人が科学技術の発展や文化だけでなく、いかに人間性で優れているかについては、日本を訪れたことがある外国人のブログを読めば一目瞭然である。彼らは一様に日本や日本人の優秀さに驚嘆し、しきりに関心している。それはアメリカ、フランス、イギリス、オーストラリア、ドイツ、中国、台湾、フィリピンと幅広い。では一例を挙げよう。自らの国家と比較して、文明の遅れを嘆いている。目にするもの触れるものに逐一カルチャーショックを受け、また感銘を受けている。ではそのうした外国人たちが日本に来て感銘を受けた出来事を綴ったブログの一節を紹介しよう。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1026&f=national_1026_150.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1107&f=national_1107_296.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1107&f=national_1107_296.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1201&f=national_1201_116.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0208&f=national_0208_076.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1116&f=national_1116_019.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0527&f=national_0527_098.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0501&f=national_0501_046.shtml

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0429&f=national_0429_071.shtml

中国人は日本に対して大きな誤解を持っている。幼少の頃は日本人は野蛮で悪人しか居ないという教育をしてきた。それは今もそうだ。優れた文明や科学技術にはふたをし、国内に持ち込ませなかった。外国への厳格な渡航制限を設け、外国の優れた文化に触れさせないように策を講じたのである。それは外国文化に触れて帰国すると、自国の文化があまりにも低俗であり、民族的にも劣っていると実感を持ち、それを他人に吹聴されるのを嫌ったからである。今の北朝鮮はまさにそれで、あまりにも閉鎖的で、間違った外国認識を植え付け、敵視しようという腹は見え見栄である。国際社会の現実を知らないで、かごの中の鳥状態で貧困や飢えに苦しみながら死んでいく多くの国民。あまりにも非情である。

また、5月7日放送の「めざましテレビ」の中でも「赤信号を無視する中国人」という特集を放送していた。中国では、大半の中国人が信号を守らず、赤信号でも道路を大挙して横断したり、交通事故の発生件数も膨大であるというのだ。中国人の気質がこれだけでも理解できるだろう。そこにルールはあまり存在しないし、国民の殆どが理解せず、意味も持たないように映る。これは明らかに教育の欠如である。中国は、過去の戦争で旧日本軍が大陸で行った行為を根に持ち、いつまでも引きずり、様々な原因を過大に取り立ててたびたび強烈な日本バッシングを繰り返し展開してきた。また、時には政府公安当局でさえ、暴徒化した国民を制圧できずに、日本企業に対する投石や破壊行為、略奪を許してきた経緯がある。日本人は今でも野蛮な人種で、この世から抹殺したい民族だと思っている。

一方、国民を取り締まれない中国治安とはいかなるものか。そうした悪徳行為を国民自身が正当化してしまう悪の巣窟となるであろう。まさしく無法地帯と化してしまう。そこにはもはや規則や社会規範などは何の効力も持たない。かつての幕末期における動乱のように、「勝てば官軍」を旗印にありとあらゆることがまかり通る結果を生むだけである。特に中国人においては、多民族国家であり、あれだけの広大な国土を有していることから、古の歴史「三国志」でも天下統一がままならなかった状況をかんがみれば、国を治めることなど夢物語にすぎないのだ。したがって、教育力も低下し、地域によって格差が大きくなる。物事の分別や法規をきちんと教育しないまま、ひとたび犯罪を犯せば、死刑で断罪してしまう。これこそ国家としての罪である。まして経済大国化し、国民が富を手にした今、ますます統制や統率はとれなくなる。中国人はまず、自らの非を認めて謝ることをしない。自己主張や自分の意見は堂々とする割りに、自分が間違っていると認めることは負けを意味するのが中国人の根からの発想である。これこそ歪んだナショナリズム教育を行い、愛国心だけを国民に植え付けてきたツケである。

ただ、救いはこのような中国の現状を危惧している中国人もまた居るという点である。国は確かに以前とは比較できぬほど豊かになった。かつての高度経済成長に沸いた日本がそうであったように、そのツケが今、中国人を悩ましている公害問題である。pm2.5という健康被害をもたらす大気汚染が深刻化しているのは既知の事実。それをどう乗り切るかは人間の知恵である。海外への面子を優先する中国では、四川大地震の際の政府当局が行ったように、外国に救いを求めることは絶対にない。いかにこの難局を乗り切るのか見ものである。ではここで、中国を旅行した日本人のブログを紹介したい。あまりにも身勝手でルール無視の中国人の本性が暴露されていた。

http://beibaoke.info/hajimete/hajimete00.php
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130318-00000032-rcdc-cn
http://news.livedoor.com/article/detail/6521961/

http://news.guideme.jp/kiji/356c57cd0645f9d4f5dc2192af6fae77 http://1638002.blog.fc2.com/blog-entry-333.html

 インドもまたしかり。自分の欲望を満たすだけのために、何の罪もない少女を集団で襲い、いとも簡単に人命を奪い去る惨さ。爆発的な人口を抱える国家というのは得てしてそういう悲劇を生み出す。世界の人々は、震災の際の日本人の知性溢れ、人情味溢れる冷静沈着で思いやりのある振る舞いに大いに感銘を受けたことは事実である。それが今の日本経済や優れた最先端の科学技術を生み出した礎になったと考える外国人技術者も少なくない。日本を見習い、それを手本にし、支援や援助を受けて満足している立場ではなく、国際社会に貢献できるだけの国力を目指していきたいと願っているはずである。

 そのために何より大事なのは教育の力であり、そのための人材確保である。誤った教育を今すぐ改め、人々が常識力を高め、素養を持ち、世界が共存共栄し、紛争のない社会を作りあげていくことこそ、現在を生きる人間が子孫へ受け継ぐ最大の贈り物と言えるように思えてならない。

 記事作成:5月7日(火)

 追記

 5月8日(木)のニュースを見て驚いた。中国の横柄さはつけ上がるばかりだ。尖閣を我が物顔で毎日のように領海侵犯している愚国が、今度は「沖縄が中国の領土だ」と抜かした。だから言わんこっちゃない。日本は米軍基地移転など論議している猶予などないのだ。沖縄県民にとっては、米軍基地移転は悲願かもしれないが、中国がその領土を虎視眈々と狙っていることを忘れてはならない。琉球王国の時代から、中国は沖縄を中国固有の領土だた主張していることを忘れてはならない。国内でゴタゴタしている隙を狙っているのだ。今後、中国の勝手な振る舞はますますエスカレートし、何も方策を取らないでいると、今に沖縄を横取りされる危険は高いのだ。当ブログで何度も言ってきたが、沖縄にアメリカが居座ってくれているおかげで、中国はこれまで沖縄に手出しできなかったのだ。それは日本人はしっかりと認識しておく必要がある。有事は近いのだ。だから安倍首相は、憲法改正に向けての手続きを急いでいるのだ。早急に憲法を改正しないと、今の日本は武力行使で守ることはできない。軍事力を増強するにも限度がある。防衛庁が防衛省と格上げになったのもそういう理由だ。中国やロシア、北朝鮮、韓国と、日本の近海は領土問題が山積している。防衛力や軍事力を増強しなければ、国際的な見地からは、敵国のなすがままである。中国はこの日、突然に「沖縄問題が解決していない」と発表した。日本側が抗議すると、「日本の抗議は認められない」とシャーシャーと抜かす。どこまで非常識なのか。盗人猛々しいとはこのことだ。

 もうおわかりだろう。中国の本性は、第二次大戦の恨みを長年持ち続け、虎視眈々と復讐の機を窺っていたのである。何かにつけて、日本バッシングを展開し、是が非でも日本を悪物に仕立て上げ、亡きものにしようとしてるのだ。そこには平和や友好関係構築などという発想はさらさらない。決して自らの非を認めず、自己主張ばかりを繰り返すことしか知らないのだ。これこそが中国の本質だし、中国人の日本に対する本性だということを日本人は常に頭の隅に置いておかなければならない。

懐かしの人形劇

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 「仁義礼智忠信孝悌」と聞いて何を想像、いや思い出すだろうか。すぐにピンときた人は、おそらくは40代以上の方だろうと推察する。今日はこれをテーマにした話題となる。

 最近、ネタに困って(とは言いつつ、既に一ヶ月先まで記事が完成済みだが)、職場で話題になった話やヤフー質問箱に載っていたトピックをすぐに記事にしてしまう悪い癖がある。そして今日は、どういうわけか私に一番縁遠い「人形劇」に関することがテーマである。人形劇と言っても、言わずもがなだが、幼稚園のお遊戯クラスのオペレッタや指人形の類のものを指しているのではない。そもそも「人形劇」は英語で「Puppet」と言い、意外にもその歴史は古く、ある意味、伝統芸能である。代表的な人形劇と言ってすぐに思い浮かべるのは、「サンダーバード」であるが、あれはあくまで洋モノ。そちらは1965年にイギリスで制作された特捜テレビ番組であった。日本においても、古来から大衆娯楽や文化として庶民に親しまれてきた。例えば中世末期に誕生し、江戸時代に全盛期を迎えたとされる「人形浄瑠璃」。こちらは、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語る劇場音楽、音曲である。詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。浄瑠璃の流派は、現在義太夫節・常磐津節・清元節など全部で8流派である。そして文楽は、今でこそ専門の劇団を意味するが、もともとは劇場名で、浄瑠璃の代名詞を指す言葉だ。文楽と聞いて真っ先に思う浮かぶのが、この人形の操作索に鯨のヒゲが用いられていることだろう。

 さて、いつも前置き長くて恐縮だが、今回私が話をしたいのは、このような浄瑠璃の謂れれなど高尚な話を持ち出すわけではない。私がこの世に生を受けて半世紀近く経過し、幼少から主にテレビを通して様々な人形劇を観てきたのだ。それを記事として取り上げることで、同年代の同輩の方たちと当時を懐かしみたいというだけである。では代表的なテレビ制作の「人形劇」を挙げて、解説してみたい。

 1 サンダーバード

 1965年にイギリスで放映された人形劇による1 時間枠の特撮テレビ番組。 1966年に『サンダーバード 劇場版』、1968年に『 サンダーバード6号』を劇場版として公開した。ストーリーは、世界各地で発生した事故や災害で絶体絶命の危機に瀕した人々を、国際救助隊[IR](International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く物語である。
 制作当時に於いて、従来のマリオネットを使った映像作品としては新しい方法の、事前に俳優の台詞を録音した録音テープの音声に連動し、その音声信号により同期させて人形の唇を動かす「リップ・シンクロ・システム」という装置を、マリオネットの頭部に内蔵し、マリオネットの口の動きを台詞と同期した手法を使用して、時折、マリオネットでは表現しにくい「手のアップ」「歩く姿」等の部分に関しては、実写映像を挿入し、より人間的表情を表現して、特撮を駆使して実写に近いリアル感を演出した「スーパーマリオネーション」と呼ばれる映像表現手法を使用している。

 劇中の登場する「サンダーバード1号~5号」の救助用特殊車両に人気が集まり、それぞれのプラモがバカ売れした記憶がある。これを真似たのがウルトラセブンの「スカイフォーク1~3号」だとも言われている。

 2 ひょっこりひょうたん島

 1964年4月から1969年4月までNHK総合テレビで放送された人形劇。 個性豊かなキャラクターたちがミュージカル形式で笑いと風刺、冒険の物語を繰り広げ本放送当時子供たちの多大な人気を得た。この番組で歌われた印象的な歌も含めて、NHK人形劇の代表的作品の一つとして数えられている。
 ストーリーは、子供たちとサンデー先生が遠足に行ったひょうたん島がひょうたん火山の噴火活動により海原へ流れ出してしまった。子供たちとサンデー先生が暮らすようになった島を訪れたへんてこな人や島の流れ着く奇妙奇天烈な所を巡って様々な事件が起きる。ドン・ガバチョ、トラヒゲなどが登場する。

 歌がユニーク。被災者にとっても勇気をもらえる歌詞だ。

 波を ちゃぷちゃぷ ちゃぷちゃぷ 
 かきわけて ちゃぷちゃぷちゃぷ
 雲を すいすい すいすい 
 追い抜いて すいすいすい
 ひょうたん島はどこへゆく僕らを乗せてどこへゆく 
 うううう うううう
 丸い地球の 水平線に 何かがきーっと待っている 
 苦しいこともあるだろさ かなしいこともあるだろさ
 だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ笑っちゃお
 すすめー ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 
 ひょっこりひょうたん島

 3 プリンプリン物語

 1979年4月2日から1982年3月19日 までNHK総合テレビで放送された人形劇。主人公の少女プリンプリンが、まだ見ぬ故郷 を探し求めて仲間たちと旅をする、ミュージカル仕立ての物語である。全656回。

http://www.youtube.com/watch?v=S4h_dKUv3lY

 私はこのシリーズはあまり見なかった。中3から高2までなので、今更人形劇という印象があったのかもしれない。

 4 チロリン村とくるみの木

 1956年4月14日から 1964年4月3日までNHKテレビ→NHK総合テレビで放送されていた人形劇。全812回(未放送1回を含む)。1963年4月1日放送分(第558回)よりカラー放送。

http://www.youtube.com/watch?v=ZJ7ib_05j-E&playnext=1&list=PLjmBnx7KtxfiLQSBUjuCpl0k_0B107-Wr

 私が生まれる前の放送なので知る由もない。

 5 新八犬伝

 1973年4月2日から1975年3月28日までNHK総合 テレビで放送された人形劇。全464話。 原作は曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』だが、一 部は同作者の『椿説弓張月』の設定を借用し、八犬士のひとり、犬塚信乃が琉球に行くくという設定にしている。15分番組(週5日放送)でありながら、平均視聴率20%を記録した番組となった。「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」という文字が浮き出る8つの珠をそれぞれ持つ、伏姫ゆかりの八犬士が、悪代官・悪党・怨霊らによってもたらされる困難・妨害を乗り越えて活躍する。また、八犬士同士の出会いや、お互いの素性を知る前の行き違いなども見所で、特に犬塚信乃と犬飼現八が対決する「芳流閣の決闘」は劇場版の見せ場になっている。

物語だけでなく、黒子姿で語りを担当した九ちゃん(面には○に九の字が書かれ、マル九とも呼ばれた)も人気があった。黒子の九ちゃんは、坂本九本人が顔出しした場面もあるが、スケジュール多忙で、別人が扮していた回もある(後述の『NHKライブラリー選集』で、坂本九が述懐)。九ちゃんの名調子による口上、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」や、番組終了時の「本日、これまで!」は好評で、視聴者の間で流行した。

 

http://www.youtube.com/watch?v=SuHsRJSgzxI

 子供の頃、夢中になって見ていたが、毎回登場する悪霊が「我こそはたまずさが怨霊」と言うセリフを聞くと怖くなった覚えがある。残念なことに、放送終了後、ほとんどのマスターテープが消去されてしまったた。これは少年ドラマシリーズの名作も同じ。

 6 真田十勇士

 1975年4月7日~1977年3月25日まで、NHKで放送された人形劇。全445話(月曜~金曜の帯番組)。ストーリーは、猿飛佐助を武田勝頼の遺児と設定して主役に据え、武田家滅亡から戸沢白雲斎のもとでの忍術修行、十勇士の結集と真田家の家臣としての活躍、大坂の陣を経て佐助ら十勇士の生き残りが豊臣秀頼を蝦夷地に落ち延びさせるまでを描いた。

http://www.youtube.com/watch?v=6D2EA2Ur0-o

 こちらは小学4年生~小学6年生の頃の放送で、当時はソフトボールと合奏に夢中だったので、その時間帯は家にいなくて学校にいたので、ほとんど見られなかった。もし見る時間があったら、歴史認識が変わっていたかもしれない。

 7 三国志

 1982年10月2日から1984年3月24日までNHKでテレビ放送された人形劇である。『三国志演義』をモチーフに魏、呉、蜀三国の興亡を描いた。人形劇本編の合間に、ストーリーテラーとして漫才師の紳助・竜介が出演していた。

 劉備(その死後は諸葛亮)を巡る説話を中心としたストーリーとなっている。呂布の弟として登場する海賊首領「呂王」などのオリジナルキャラクターやオリジナルストーリーを取り入れつつ、桃園の誓いから五丈原の戦いまでを描いている。日本で映像化された三国志作品では、諸葛亮の死まで描いた数少ない作品である。

 私は三国志の大ファンで、横山光輝の漫画を全巻所有している。私が尊敬する人物は諸葛亮孔明だ。私は彼のように知力を携え、軍師として主君を助け、様々な苦境を乗り越えていくような大人物になりたいと思っている。退職後は三国志の舞台となった場所を歩きたいと考えている。

 8 飛べ!孫悟空

 『 西遊記』をモチーフにしたザ・ドリフターズ出演によるテレビ人形劇。TBS系列ほかで放送された。1977年10月11日から1979年3月27日まで、毎週火曜 19:00 - 19:30 に全74話が放送された。それまでアニメ番組の視聴率が低迷していたこの枠に、切り札としてこの番組が企画された。ドリフのメンバーを『西遊記』の登場人物にたとえ、メンバーそっくりの人形を登場させ、各メンバーが声を充てた。『西遊記』の三蔵一行の4人に対してドリフは5人だったため、加藤茶だけは彼の代表キャラクターである酔っ払いハゲ親父の「カトウ」役(オープニングのテロップでは「カトー」)で出演した。また、一行のお供の馬の「ヒヒハハハハー」という特徴ある甲高い鳴き声は、当時ドリフの準メンバーだったすわしんじによるもので、三蔵との掛け合いなどでのセリフもあり、挿入歌にも彼のセリフが入っている。

 「ゴー・ウエスト」はコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=VbO6ToCqS_Q

 「ニンニキニキニキ・・・二人が三蔵」という歌は一世を風靡した。

 9 紅孔雀

 1978年4月3日~1979年3月16日、平日の18時25分~18時40分の枠でNHK総合テレビジョン放送。全223話。アステカ王国最後の王モンテスマの秘宝が、はるばる日本に流れ着き、その宝をめぐって戦う、白鳥党とされこうべ党の物語。軸となるのは恋人同士でありながら、白鳥党の首領・小四郎と、どくかずらの汁を飲んだために悪人となり、されこうべ党の首領となってしまった久美とのすれ違いの愛。

 他にも「あかずきんちゃん」やグリム童話やアンデルセン童話の題材も人形劇として演じられたことがある。しかし、日本での人形劇の草分けは、やはりNHKで、「笛吹童子」、「ネコジャラ市の11人」、「ひげょさらば」、「平家物語」、「ドラムカンナの冒険」があった。残念なことに、古い作品はVTRで残ってはいない。当時はフィルムが貴重で、上書きして撮影していていたため、消去してしまったことと、ご承知のように、少年ドラマシリーズの名作を含め、NHKの名作アーカイブはVTRフィルムを紛失してしまったのだ。信じられないことだが、これは事実だ。昔の名作が見れない以上、自分たちの記憶を頼るしかない。おそらく、私と同年代か年配の方々は、少なからず人形劇に魅せられた世代ではないだろうか。最近は、コンピュータグラフィックスやSFXなどの特殊技術でアニメが主流となっている。誰も好き好んで撮影に多くの時間と労苦を費やすような真似はしない。しかしながら、かつてロボットのようなぎこちない演技ながらも、陰で一生懸命人形を操作し、多くの時間を費やしながら、汗水垂らして僕たちに夢を与えてくれた裏方さんたちがいたことを忘れてはならない気がする。

 記事作成:5月8日(水)


私が衝撃を受けたシンセサウンド

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 ミーハーな話題で恐縮だが、70年代にニューミュージック系のフォークが全盛を迎えた後に登場したのが、これまでにない程のカルチャーショックをもたらしたシンセサイザーを駆使したテクノ系のサウンドだった。そのパイオニアとか草分けとなったのが、YMOであった。KORGのキーボードを複数台器用に操り、それは近未来を予感させるニューウェーブだった。その影響を受け、その弟分で、全員が中学生というシンセバンド「コスミックインベンション」が登場。NHKのヤング向け歌謡番組で堂々たる演奏を披露し、その存在を示した。少女のドラマーがリードボーカルという新しいバンドスタイルを確立した。その後に登場したのは、80年代ビジュアル系サウンドの走りを担ったC-C-Bだった。彼らは髪にメッシュを入れ、シンセドラムを採用し、軽くてポップ調の新感覚のサウンドを創出し、世間の若者に衝撃を与えた。C-C-Bもまた、ドラマーがリードボーカルを担当した。その後で登場したのは、90年代の音楽界を牛耳った小室哲哉が率いるTMNだった。主に1980年代後半は彼等の時代だった。彼らも新スタイルのバンド像をクリエイトし、世に一石を投じた人物であった。では彼等の作り出したオリジナルサウンドをお聞きいただきたい。

 1 「テクノポリス」 by YMO

http://www.youtube.com/watch?v=TxzsZvOI7CQ

 このデジタルサウンドを1970年代末期に作り出していた衝撃。坂本教授が天才と呼ばれるのも合点がいく。メンバー3人いずれもその道のプロフェッショナルミュージシャンだっただけに、非の打ち所がない。今聴いても古さは一切ない。

 「ライディーン」(1980年)

http://www.youtube.com/watch?v=kdalyjjfVxY

 「君に胸キュン」

http://www.youtube.com/watch?v=TRnDxyCtT7o

 YMOは正式名称「イエローマジックオーケストラ」の略で、細野晴臣(ベース)、高橋幸宏(ドラム)、それに東京藝大卒で教授と呼ばれた坂本龍一(キーボード)によるグループで、日本のみならず、欧州や米国で人気を得た「神」的な存在であった。坂本龍一は活動拠点をニューヨークに置いたが、忌野清志郎や矢野顕子とセッションしてCDをリリースし、これまた大ヒットを飛ばした。

 「い・け・な・い・ルージュマジック」

http://www.youtube.com/watch?v=CMiKBG9R42U

 トップミュージシャン同士のユニット。楽曲中に男同士がキスを交わすシーンが反響を生んだミュージックビデオだった。

 2 「YAKIMOKI」 by コスミックインベンション

 「コンピューターおばあちゃん」

http://www.youtube.com/watch?v=zDFABpJwbJ8

 この演奏が、当時全員中学生とは俄かに信じられない。シンセが世間にまだ認知されていなかった時代。天才少年グループだった。しかし、そこは受験生。活動時期は3年程度とすこぶる短かったと記憶している。コスミックインベンションは1980年代初頭に彗星の如く登場した。かつて国内にあった電子楽器メーカ、ヒルウッド/ファーストマンの創業者 森岡一夫が、自身の娘である森岡みまを中心に彼女と同年代の少年少女を集めて結成したバンドである。私はドラム兼ボーカルの森岡みまが可愛くて好きだった。

 3 「ロマンティックが止まらない」 by C-C-B

 中山美穂主演のTBS系ドラマの「毎度お騒がせします」の主題歌として起用されたことから大ブレイクした。このノリノリサウンドは、1980年代の若者を熱狂の坩堝に叩き込み、新風を吹き込んだ。髪を硬め、カラフルなメッシュを入れたり、揉み上げを斜めにカットするテクノヘアも流行した。特にディスコで持て囃された新感覚のリズムと旋律だった。

 「LUCKYチャンスをもう一度」

http://www.youtube.com/watch?v=2JjjtrIqDWs

 「ないものねだりの I Want You」

http://www.youtube.com/watch?v=6GvQcpDZD9k

 「元気なブロークンハート」

http://www.youtube.com/watch?v=eWgf61Zo37E

 「空想 KISS」

http://www.youtube.com/watch?v=J27RGrXZn64

 「GET WILD」(1987年) by TM NETWORK

http://www.youtube.com/watch?v=dNy7qGPMQRw

 一世を風靡した曲。究極のシンセサウンドで、この曲で小室哲哉が天才以外の何者でもないことを証明してみせた。今でもカラオケで人気が高く、盛り上げには最適。今更だが、TMNは1984年、バブルの絶頂期にデビューしたシンセバンド。小室哲哉(シンセサイザー)、宇都宮隆(ボーカル)、木根尚登(ギター)から成る3人組ユニット。アルバムの売上げ総数は公称1,600万枚を突破している。

 「Self Control」

http://www.youtube.com/watch?v=J3AOsx2gaJw

 「Be Togehter」

http://www.youtube.com/watch?v=JrhmDaU28LY

  鈴木あみに楽曲を提供したことでも有名な曲。

  「DIVE INTO YOUR BODY」

http://www.youtube.com/watch?v=bHshWlA5ZK4

 当時は斬新だった。今は30年以上も前のバンドになってしまったが、それでもあまり古臭さは感じないと思う。それはこの30年間、J-POPがあまり進化していないからなのか、それとも新たなサウンドが誕生しないくらい最先端まで行ってしまったのかは不明である。近年は初音ミクのようなバーチャル的なアイドルをPCが作り出す世の中である。偶像が偶像を作り出す謎めいた世界である。これから私はふたたび90年代に流行ったバンドブームが再来すると読んでいる。おそらくは誰も予想だにできない新たなミュージックシーンを引っ提げて登場するに違いないと・・・。

 記事作成:5月9日(木)

女性ソロ歌手のグレイトヒット

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 タイトルのように書くと聞こえはいいが、実際は主なヒット曲が一曲だけの「一発屋」で終わってしまった感のあるシンガーを取り上げる。3年ほど前に「さすらいの一発野郎たち」という記事を前編と後編に分けて書いたことがあったが、こと女性歌手に対しては、「一発屋」という言葉は、シャレで済まないことから実に使いづらい。失礼な印象を与えるばかりか、一生懸命に頑張っている人に対して何か侮辱しているように聞こえるからだ。したがって当ブログをご覧頂いている賢明なブロガーの方は、やむを得ずこのようなタイトルにしなければならなかった、当方の苦しい胸の内をお察し願いたい。そして今回は、1960年代から2010年代にかけての50年近い歳月を範囲とするために、該当者が多いことから、いつもの映像埋込みは回避し、「YouTube」のアドレスのみ、さらには順不同で掲載しますので、あしからず。

 1 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)

http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM

 ご存知、宇多田ヒカルの実母。そして前川清との結婚歴有。10週連続1位77万枚を記録し、ファーストアルバム「新宿の女」が21週連続1位、セカンドアルバム「女のブルース」も17週連続1位を記録した。

 2 平山みき「真夏の出来事」(1971年)

http://www.youtube.com/watch?v=R1pGSrMwRus

 1971年(昭和46年)、2枚目の当初はB面予定であった『真夏の出来事』がオリコン最高位5位と大ヒットする。続く『ノアの箱舟』も10万枚を売り上げるヒットを記録しスター歌手への仲間入りを果たす。

 3 千賀かほる「真夜中のギター」(1969年)

http://www.youtube.com/watch?v=vt3fBQyEtDQ

 1969年10月20日から1970年1月5日までベストテンにランクイン。最高位は1969年11月24日から12月8日までの3週にわたって記録した4位である。売上げ枚数は、44.8万枚。
 千賀かほるは、この曲で1969年の第11回日本レコード大賞新人賞を受賞している。

 4 日吉ミミ「男と女のお話」(1969年)

http://www.youtube.com/watch?v=DZLok90P-Cw

 1969年11月に改名して再デビュー。改名第2作となる『男と女のお話』が大ヒット(累計売上は60万枚超)、選出後辞退した江利チエミの代替出演ながら同年の「NHK紅白歌合戦」に本作で初出場を果たす。

 5 丸山圭子「どうぞこのまま」(1976年)

http://www.youtube.com/watch?v=4YB2ROp1YGA

 1976年7月にリリースした「どうぞこのまま」が翌年にかけてロングヒットした。

 6 水越けいこ「ほほにキスして」(1979年)

http://www.youtube.com/watch?v=NqyIShflGio

 1978年「しあわせをありがとう」でデビュー。また、TBS系「8時の空」に歌のお姉さんとして出演していた。ほほにキスして (1979.07.01)- 1990年に酒井法子がシングル「幸福なんてほしくないわ」のc/wとして、また2013年にさんみゅ〜がカバー。

 7 小坂明子「あなた」(1974年)

http://www.youtube.com/watch?v=XLgGwOkfzow

 1973年 第4回世界歌謡祭にて、自身の作詞作曲による「あなた」で最優秀グランプリを受賞。1974年 前年11月に発表したデビュー曲「あなた」が200万枚を超える大ヒット。第2回サンプラザ音楽祭では熱演賞グランプリを受賞した。

 8 桑江知子「私のハートはストップモーション」(1979年)

http://www.youtube.com/watch?v=XtPOUgova68

 1979年1月25日、SMSレコードから「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)でデビューし、この曲がポーラ化粧品のCMでブレイク。沖縄県出身。

 9 松村和子「帰ってこいよ」(1980年)

http://www.youtube.com/watch?v=1na-cwD6QNM

 1980年4月21日、ロングヘアー姿で津軽三味線をギターの様に操る、演歌歌手としては異色のスタイルでビクター音楽産業からデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは、「帰ってきた男衆(やんしゅう)演歌」。デビュー曲の「帰ってこいよ」(作詞:平山忠夫、作曲:一代のぼる、編曲:斉藤恒夫)がヒットを記録し、この年の第22回日本レコード大賞新人賞を受賞した。翌1981年には『NHK紅白歌合戦』に出場を果たした。

10 久保田早紀「異邦人」(1979年)

http://www.youtube.com/watch?v=B-P1Ef2HQJI

 1979年10月1日に、「異邦人」でレコードデビュー。三洋電機のCMに使用され、そのオリエンタルで神秘的なムードに注目が集まり、じわじわと売上げを伸ばしてブレイクする。12月13日に、「ザ・ベストテン」に第5位で初登場した際にはその美貌にも注目が集まる。12月27日には第1位を獲得、1980年1月17日まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後3月6日迄12週の長きにわたり連続ベストテン入りする大ヒットとなった。同年12月に発表したアルバム『夢がたり』もヒットし、一躍話題のニューミュージック歌手となる。現在は久米小百合として活動中。敬虔なクリスチャンでもある。

11 中原理恵「東京ららばい」(1978年)

http://www.youtube.com/watch?v=YWIqx19fUik

 1978年、CBS・ソニーから歌手デビュー。1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽ってい]。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。

12 中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」(1982年)

http://www.youtube.com/watch?v=OpiodIhOB2A

 1982年に『今夜だけDANCE・DANCE・DANCE』でデビューする。1984年にはカネボウ化粧品夏のキャンペーンソングとなった『君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。』が大ヒットする。グルーヴ溢れる曲やブラス・セクションが入った曲が多く、ラテン音楽を取り入れたポップスやバラード、都会的でスマートな曲を数多く歌った。詞と曲も自分で手掛け、脳天気な少女の感性と愁いを帯びた大人の感性が同居する独自の作風を作り上げたが、1990年にニューヨークへ拠点を移し1992年歌手活動を休止する。

13 辛島美登里「サイレント・イヴ」(1990年)

http://www.youtube.com/watch?v=Edv3pdlO5wg

 1990年、9月下旬にリリースしたシングル「笑顔を探して」(テレビアニメ「YAWARA!」主題歌)、11月上旬にリリースした「サイレント・イヴ」(テレビドラマ「クリスマス・イブ」主題歌)が大ヒットし、世間に認知される。サイレント・イヴはオリコンチャート1位を獲得したほか、日本ゴールドディスク大賞ベスト5シングル賞を受賞した。

14 石井明美「CHA CHA CHA」(1986年)

http://www.youtube.com/watch?v=i1TALdvTln8

  •  1986年(昭和61年)、テレビドラマ『男女7人夏物語』の主題歌「CHA CHA CHA」(イタリアのダンスグループ「フィンツィ・コンティーニ(Finzy Kontini)」の楽曲のカバー)でデビュー。80万枚を売り上げ、オリコン年間シングルチャート1位になっている。1987年(昭和62年)春の第59回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用された。
  • 15 森川由加里「SHOW ME」(1987年)

    http://www.youtube.com/watch?v=4JBeZXV-83M

     1987年10月、セカンドシングル『SHOW ME』がTBS系のテレビドラマ『男女7人秋物語』の主題歌としてヒットし、数々の賞を受賞。以後、そのボーイッシュなキャラクターを武器にバラエティーアイドルとしてテレビのバラエティ番組やドラマ、CMなどに出演した。今年、突如。布施明との結婚を発表した。

    16 沢田知可子「会いたい」(1990年)

    http://www.youtube.com/watch?v=Eyf54l_UnTQ&list=RD025fVVO3piGoo

     1990年にアルバム『I MISS YOU』からシングルカットされた『会いたい』(テレビ朝日『トゥナイト』テーマ曲)が長期にわたるロングヒットでシングルセールス130万枚を達成、オリコンシングルチャートにも100位以内に87週の長期にわたってランクインを果たし、1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』に出場、『第24回全日本有線放送大賞』ではグランプリを受賞した。

    17 石川ひとみ「まちぶせ」(1981年)

    http://www.youtube.com/watch?v=BGVi-Pu5zO4

     オーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなり、1978年5月25日、「右向け右」でキャニオンレコードのNAVレーベルよりデビュー。1981年の「まちぶせ」(三木聖子のカバー)がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。またNHKの人形劇『プリンプリン物語』(1979-82)で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当、同局の歌番組『レッツゴーヤング』で太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍した。

    18 松原みき「Stay with me」(1979年)

    http://www.youtube.com/watch?v=f4Me0NzdWdU

     1979年11月5日にファーストシングル「真夜中のドア〜Stay with me」でデビュー。複数の新人賞を受賞した。以降1991年1月21日までにカップリング曲を含むシングル17枚、ベスト盤を含むアルバム15枚を発表。全国各地で演奏活動を展開した。2004年10月7日、子宮頸癌のため44歳で死去。

    19 やや 「夜霧のハウスマヌカン」(1986年)

     1986年1月、「夜霧のハウスマヌカン」(東芝EMI)で歌手デビュー。「シャケ弁当」「ハウスマヌカン」が流行語になるほど大ヒットし、日本有線大賞優秀新人賞などを受賞。90年には、石井明美らと競作となった「ランバダ」(同)で再ブレーク。その後も、モノマネ、演歌も歌えるエンタテイナーとして活躍中。現在、独身。

    20 島谷ひとみ「亜麻色の髪の乙女」(2002年)

    http://www.youtube.com/watch?v=qtPHhHmb3Sw

  • 2002年1月にTBSのドラマ『プリティガール』の主題歌「シャンティ」を発売し、週間オリコンチャート初登場7位を記録。自身初のオリコン・トップ10入りの作品となった。同年、花王エッセンシャルダメージケアシャンプーのCMソングとして、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」をカバー、島谷自らがモデルとして出演したCMの反響は大きく、同曲はオリコンのカラオケチャートで新記録となる18週連続1位、オリコン年間カラオケチャート1位、週間オリコンチャート最高位4位、年間オリコンチャート22位となり、カバーブームの先駆となった。同年6月に発売された2ndアルバム『シャンティ』では週間オリコンチャート初登場1位を記録し、シングルアルバム通じて初の1位獲得作品となった。同年、『第53回NHK紅白歌合戦』に「亜麻色の髪の乙女」で初出場。以後、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』まで4年連続で出場している。歌唱曲にはアッパーチューン、バラード、異国情緒を醸し出すナンバーがあり、ポップス、ロック、ラテン、R&B、ジャズ、ハウス、ボサノヴァ、レゲエ、演歌などの幅広いジャンルを歌う。
  • 21 中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」(1985年)

    http://www.youtube.com/watch?v=oRiZUJ5evZ8

     1984年9月5日に高橋研プロデュースによるシングル「MIDNIGHT KIDS」でハミングバードレコードよりデビュー。翌1985年4月21日にリリースした3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」が日清カップヌードルのCMに起用されて大ヒットを記録する。ハスキーボイスでパンチのある歌い方が特徴だった。

    22 葛城ユキ 「ボヘミアン」(1983年)

    http://www.youtube.com/watch?v=EVhdYFjNuOI

     1983年に飛鳥涼が大友裕子に提供した『ボヘミアン』をカバーし大ヒット(以後自身の代表曲となる)。現在はインディーズで活動している。声量豊かな、独特のハスキーボイスを持ち味とする。

    23 GAO「サヨナラ」(1992年)

    http://www.youtube.com/watch?v=e45yonxddBA

    代表曲のひとつがミリオンセラーとなった「サヨナラ」(日本テレビ系ドラマ『素敵にダマして!』主題歌、『NNNニュースプラス1』エンディング)。一発屋と言われることもあるが、第一興商「DAM」CMソングへの起用や、『第43回NHK紅白歌合戦』への出場経験もある。一見少年の様に見えるユニセックス的なルックスとハスキーボイスが特徴。「GAO」とは発声練習中に声をつぶし、その声からつけられたあだ名。身長:165cm。

    24 りりぃ「私は泣いています」(1972年)

    http://www.youtube.com/watch?v=PXMtJt26mnc

     1972年、東芝EMIより歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで一世を風靡。 1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒット[1]を記録する。

    25 金井克子「他人の関係」(1973年) 

    http://www.youtube.com/watch?v=AvvsA2uIrCg

    1973年、「他人の関係」が振付けで話題を呼び、自身では初めてオリコン・シングルチャートでTOP10にランクインし、公称ではあるが100万枚以上の売上げを記録。その年の第15回日本レコード大賞企画賞を受賞し、第24回NHK紅白歌合戦にも出場した。

    26 奥村チヨ「恋の奴隷」(1969年)

    http://www.youtube.com/watch?v=HKhxmrFQb4E

     1969年 - 1970年に発表した「恋の奴隷」(100万枚突破)「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立した。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たした。

    27 伊藤咲子「ひまわり娘」(1974年)

    http://www.youtube.com/watch?v=gbVAHD2ZotM

  •  1973年 15歳で、オーディション番組「スター誕生!」優勝し、1974年に「ひまわり娘」でアイドル歌手としてデビュー。当時は森昌子と共に短髪娘として頑張っていた。結婚後、歌手活動を休止していたが、2004年に再開した。
  • 28 金井夕子「パステルラブ」(1978年)

    http://www.youtube.com/watch?v=rdWuImVorzw

     1978年、デビュー曲の『パステル・ラブ』は松本典子と星野真里が、アルバム収録の『走れウサギ』は越美晴が、『マヤマヤ ビーチ』は『月の浜辺』と改題して岩崎良美がカバーしている。

    29 麻生よう子「逃避行」(1974年)

    http://www.youtube.com/watch?v=4azO728sRRE

      1974年にデビュー曲『逃避行』が大ヒットし、その歌唱力が評価され同年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

    30 安西マリア「涙の太陽」(1973年)

    http://www.youtube.com/watch?v=0VTI1-B8Fs4

     1973年、“チョコレート・マリア”のキャッチフレーズで『涙の太陽』(エミー・ジャクソンのカバー曲)で歌手デビュー。昭和48年度・第15回日本レコード大賞新人賞受賞。欧州人とのクオーターで、小麦色の肌・彫りの深いルックスがトレードマークだった。

    31 中村晃子「虹色の湖」(1965年)

    http://www.youtube.com/watch?v=tn2ssDHOReg&list=RD024azO728sRRE

     1965年に『青い落葉』にてレコードデビュー。1967年に『虹色の湖』をリリース。グループサウンズ全盛の時期にあって一人GS調が見事に話題を呼び80万枚を売り上げるヒットとなる[

    32 黛ジュン「天使の誘惑」(1968年)

    http://www.youtube.com/watch?v=DpYFtO0gZqc

     1968年にリリースされた「天使の誘惑」は大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。自身のヒット曲が主題歌となった映画にも出演。「天使の誘惑」「夕月」では主演に抜擢、売れっ子女優にもなった。また年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年連続で通算4回の出場を果たしている。ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集める。

    33 松坂慶子「愛の水中花」(1979年)

    http://www.youtube.com/watch?v=CaS5V6VVPLE

     1972年(昭和47年)、松竹へ移籍。看板女優として飛躍し始める。1975年(昭和50年)、TBSで放送された江戸を斬るで世間での人気を得る。後に人気シリーズになる。1978年(昭和53年)の『事件』では初ヌードも披露し、清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放映のテレビドラマ『水中花』に主演し、主題歌『愛の水中花』を歌うとともに、妖艶なバニーガール姿を披露する。父親は在日韓国人。母親は日本人。

    34 いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」(1969年)

    http://www.youtube.com/watch?v=JZuiyjCb0GM

     1962年に上京し、いずみたくに師事。1964年『ネェ、聞いてよママ』でレコードデビューを果たした。1968年、イメージチェンジと歌手活動に専念のためレコード会社を移籍。同年末に発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録。]NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場、1993年には16年ぶりに復帰し通算10回出場した。

    35 中山千夏「あなたの心に」(1969年)

    http://www.youtube.com/watch?v=5oJqSlO9nZA 

     高校時代、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」では多くの挿入歌を歌い、その作曲家・宇野誠一郎の指導を得て、ボイストレーニングを受けた。当時は主としてNHKで子ども番組の主題歌や「みんなのうた」などで活躍し、舞台でもいくつかの東宝ミュージカルに出演した。だが歌手としての本格的なデビューは、1969年9月にビクターレコードより発表されたポップス「あなたの心に」。当年度レコード大賞新人賞にノミネートされるほどのヒット(オリコン2位)となった。この曲はのちに、以下のように多くのカバーを生んだ。1970年代、時の女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画した後、反差別・反戦などの市民運動に取り組み、1980年には参議院選挙に出馬して当選、1期を務めた。 その後は著作活動に専念するかたわら、人権や反戦の市民運動を続けている。

    36 森田童子「僕たちの失敗」(1993年)

    http://www.youtube.com/watch?v=5ZgS-_akCZ4

     1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」が使われ、話題となる。

    37 小林麻美「雨音はショパンの調べ」(1984年)

    http://www.youtube.com/watch?v=ODTlVy7aPeU

     1984年、GAZEBOのカヴァーで「雨音はショパンの調べ」が大ヒットしたが、歌番組で歌ったことはない。長い髪、陰のある表情、背が高く細い身体、柳腰、寡黙などが特徴的で、都会的でアンニュイな雰囲気で人気を得た。

    38 やまがたすみこ「」風に吹かれていこう」

    http://www.youtube.com/watch?v=rQ88QNy1XFI

     1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」で日本コロムビアよりデビュー。ラジオやテレビの主題歌やテーマ曲を歌うことが多かった。

    39 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1976年)

    http://www.youtube.com/watch?v=eu_Dlu0Wk70

     1969年、中学3年のときに友人の代わりにスクールメイツのオーディションをうけ、合格する。1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビュー。キャッチフレーズは「まごころ弾き語り」。デビュー初期はフォーク調で、ピアノ弾き語りの曲が多かった。1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット、翌1976年のオリコンチャート4位を記録。なお、NHK紅白歌合戦には初登場の1976年から1980年まで、5年連続で出場。

    40 高樹 澪「ダンスはうまく踊れない」(1982年)

    http://www.youtube.com/watch?v=LzhCV_S0hH8

     1982年7月、3rdシングル「ダンスはうまく踊れない」(売上80万枚)がアルバム『ナーダ』(売上40万枚以上)と共に大ヒット。

    41 五輪真弓「恋人よ」(1980年)

    http://www.youtube.com/watch?v=vnjEKojqgVc

     1980年にリリースされたシングル『恋人よ』は当初はB面(カップリング)用の曲であったが、歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。『恋人よ』は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞金賞を受賞した。

    42 あべ静江「みずいろの手紙」(1974年)

    http://www.youtube.com/watch?v=ubw_yAZDqd4

     1973年5月25日、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオンレコードから『コーヒーショップで』でデビュー。同デビュー曲はオリコンでベスト10内にランクされ、またシングル売上約28万枚を記録する自身最大のヒット曲となった。1973年9月25日の『みずいろの手紙』も大ヒット、同年12月31日放映の第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。翌1974年12月31日には、『みずいろの手紙』で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。シングル16枚、アルバム8枚を発表した。昔は、このようにセリフで始まる歌が多かった。彼女の場合、デビュー曲のほうが売上げは多かったので「一発屋」と呼ぶにはあまりにも失礼だろう。

     さて、思いのほか長くなってしまったが、彼女たちが大ヒット曲がありながら、その後なかなかヒット曲に恵まれずに、その一曲ばかりが記憶に残り、引退もしくは休業してしまった方々である。芸能界で生き残るのは至難の業だが、たとえ一時期であったにせよ、彼女たちが光彩を放ち、輝いていた時期が確かにあったのだ。今回、古くは1960年代から21世紀初頭にかけてのミュージックシーンを彩った彼女たちの活躍に拍手を送りたい。ふたたびリバイバルや懐メロで彼女たちの楽曲が脚光を浴びることを願って結びとしたい。

     記事作成:5月9日(木)~11日(土)

    今週の山岸舞彩キャスター(6/3~6/7)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     今週の「NEWS ZERO」に出演した山岸舞彩キャスター(5/27~5/30)の様子です。

     6月3日(月)

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    この日は10分拡大の特別版。木を植える生態学者へのインタビューを行った。セクハラ問題が浮上して最初の放送だったが、その件には一切触れず、平常心でニュースを読み上げていた。

     6月4日(火)

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     この日はW杯予選の豪州戦があった。 

     6月5日(水)

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     この日はザッケローニ監督へのインタビューがあった。

     6月6日(木)

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     映画「奇跡のリンゴ」のモデルになった青森の果樹園農家への取材があった。

     6月7日(金)

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     ネプ&イモトの世界の番付というゴールデンタイムに「山岸舞彩」が登場し、リアクションを何度も抜かれていた。

     まさかバラエティ番組にも進出とは・・・。匠の金太郎飴張りの巻き寿司の妙に感動していた。おそるべしセントフォース。ここのフリーアナ所属の事務所は、各テレビ局専門に出演させるようだ。例えば、皆藤愛子と長野美郷はフジテレビ、山岸舞彩は日本テレビというように、レギュラーでお世話になっている局に奉公させ、ちょいちょい別番組にも出演させている。

      今週は、「ZERO」の番組プロデューサーのセクハラ&パワハラ疑惑が降りかかり、彼女もその対応に大変だったに相違ない。しかし、プロ根性と持ち前のガッツで、そんな素振りはカメラの前では見せず、懸命にニュースを伝えていた。

    鉄道の路線が題名の歌

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     かつて国鉄の時代から、特異な列車や旅が脚光を浴び、ブームを呼び起こしたことがあった。私が学生の頃は青春18切符があり、何かと重宝したし、昭和40年代後半には、「愛国から幸福へ」の謳い文句で一大ブームをもたらし、広尾線の幸福駅に全国からわんさか観光客が押し寄せたものだ。何を隠そう、今でも私はその2枚セットの記念切符を持っている。また、山口百恵の「いい日旅立ち」が国鉄のキャンペーンソングに起用され、旅行ブームが巻き起こったし、シンデレラエクスプレスやクリスマスエクスプレスのCMが世を席巻した時代もあった。

    http://www.youtube.com/watch?v=8Eb7CxNPdSs

     ところで、そんな旅のお供にしたいものがある。旅と歌は何か切っても切り離せない存在らしい。観光地や旅情を描いた曲は多い。たとえば北海道だけを取っても「宗谷岬」「襟裳岬」「霧の摩周湖」「立待岬」「函館の女」「恋の町札幌」などがある。また「旅情」と名のつく楽曲では「無錫旅情」「知床旅情」「千曲川旅情」などが代表的だ。やはり旅は哀愁や郷愁を誘い、日本人の心に染み渡るものなのだろう。そこでだが、今回は鉄道に関する楽曲の中でも鉄道の路線名が曲名となっている歌を取り上げたい。

     1 池上線(西島三重子)1976年

    http://www.youtube.com/watch?v=Idyb5gRdWKk

     2 井の頭線(あさみちゆき)2004年

    http://www.youtube.com/watch?v=ujPj4sBuG1M

     3 石北本線(多岐川舞子)2008年

    http://www.youtube.com/watch?v=J9vTkcmLPwk

     4 恋の山手線(小林旭)1964年

    http://www.youtube.com/watch?v=U8Jz7wVTyJw

     5 東北本線(田中義剛)1990年

     6 残雪根室本線(山内惠介)

     7 羽越本線(岡ゆう子)2011年

    http://www.youtube.com/watch?v=c_Lyoj9luS4

     8 中央線(THE BOOM)

    http://www.youtube.com/watch?v=JCbu2RQsNhg

     9 北陸本線冬の旅(永井裕子)2011年

    http://www.youtube.com/watch?v=KUH5C8yW7eE

    10 飯田線のバラード(山本正之)

    http://www.youtube.com/watch?v=Ko33nLuXYrc

    11 霧の土讃線(水田竜子)2011年

    http://www.youtube.com/watch?v=nbzy2zXQmi0

    12 函館本線(山川豊)1981年

    http://www.youtube.com/watch?v=Kb07dSLkym8

    13 五能線(水森かおり)2005年

    http://www.youtube.com/watch?v=AhBYPTj6qss

    14 さらばシベリア鉄道(太田裕美)1980年

    http://www.youtube.com/watch?v=3RLrLI9Kl5A

    15 磐越西線(狩人)(田代美代子)2006年

    http://www.youtube.com/watch?v=pVvl9O_xt5E

    http://www.youtube.com/watch?v=pdK-hWi42w0

     惜しいかな、野口五郎の「私鉄沿線」と森昌子の「哀しみ本線日本海」は、具現性がなく、、またヨドバシカメラのテーマ「丸い緑の山手線?」は正式な歌名が不明なことから除外した。こうして見るとご当地ソングとも呼べるような地方の名所を取り上げた楽曲は、やはり演歌が圧倒的に多い。次いでフォークか。旅のお供にぴったりの曲は数多い。人の哀愁や旅愁を噛みしめながら、今日も鉄道は走る。

     記事作成:5月11日(土)

     

    今では貴重なお宝CM④

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     このシリーズ第4弾。今日は「引退・活動休止中の女優編」をお送りしたい。芸能界は生き残りが厳しい世界だが、結婚を機に引退した方もいれば、休養を兼ねて活動を休止している方もいる。また、サイドビジネスに目覚め、そちらを本業とし、ある意味転職した方もいる。今日はざまざまな理由により、芸能界から離れた方々をお宝映像を交えて紹介したい。

     桜井幸子 「ブルボンエリーゼ」

     1988年、サンスターアクアフレッシュのCMオーディションに合格したのをきっかけに芸能界入り。1989年、フジテレビ系の大映ドラマ『スワンの涙』で女優デビュー。1990年には歌手デビューを果たした。その後は女優に専念。1992年、連続テレビ小説『おんなは度胸』でヒロインを務める。翌1993年には、観月ありさの代役として出演した『高校教師』で、真田広之演じる主人公と恋に落ちる女子高生・二宮繭役を演じ、一躍人気女優となる。以後、野島作品の常連となり、野島三部作にも全て出演した。
      2003年12月20日には、音楽プロデューサーの田中聡と結婚するが、2006年4月27日に離婚。2009年12月28日、所属事務所の公式サイト上において、2009年限りで芸能界引退を表明。

    「島津製作所」 http://www.youtube.com/watch?v=g-bd_aJLtfs

    「カネボウ」 http://www.youtube.com/watch?v=OquehX5pkA8

    ライフカード http://www.youtube.com/watch?v=LBMZ574zOTw

     山咲千里 「資生堂サイモンピュア」

     1979年、高校在学中、NHK朝の連続テレビ小説『鮎のうた』ヒロインオーディションに合格し、女優としてデビュー。当初は清純派・おとなしい女性の役が多かった。1990年代にボンデージファッションへの傾倒と清純派一辺倒からのマンネリ脱却を目指し上梓した写真集『ANOTHER SKIN』で一躍セクシー路線へ転換。私生活では30代後半まで独身を通し、その間政財界の名士や子息、青年実業家、美容外科医らとの浮名も流したがDragon Ashファン同士として知り合ったデザイナーの男性と事実婚状態にあることを公表、その後正式に結婚した。

     伊東美咲 「チョーヤ梅酒」

     1999年にアサヒビールイメージガールを務め、「CanCam」の専属モデルも務めた。その他、資生堂「ピエヌ」やゲートウェイ、チョーヤ梅酒などのテレビCMに出演。フジテレビのバレーボール中継では≪全日本・勝利の女神≫として2003年の「ワールドカップ」と2004年の「アテネ五輪世界最終予選」、2005年資生堂「マキアージュ」、初代イメージキャラクターに就任。「ワールドグランプリ」のサポーターを務めた。ドラマ『電車男』に出演し、映画『海猫』では初のベッドシーンに挑んだ。2009年11月18日、大手パチンコ機器メーカー京楽産業社長の榎本善紀と入籍。2010年3月15日には公式ウェブサイト上で妊娠6ヶ月であることを発表した。同年6月27日に第1子(長女)を出産した。

    「MAZDA」 http://www.youtube.com/watch?v=xZTxAKRNdvQ

    「資生堂」 http://www.youtube.com/watch?v=wbVb6JvveZo

     山本博美 「花王オイルクリア」

     1982年から1983年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ“きゃんきゃん”のメンバーとして1982年デビュー、後に芸名を山本ひろ美”に改名する。1984年から1986年、美と健康をテーマにした深夜番組『ミントタイム』(テレビ朝日)で司会を担当する。夫は俳優の京本政樹、長男はジャニーズJr.の京本大我。

    「きゃんきゃん時代」 

    http://www.youtube.com/watch?v=qlJuuVhRDEw

    http://www.youtube.com/watch?v=NNMOTq6M4yY

    「チャームミントタイム」

    http://www.youtube.com/watch?v=dXCtR6oovfk

     三浦リカ 「キリンレモン」

     高校在学中の1974年に、キリンビールの商品・キリンレモンの4代目CMイメージガールに選ばれ、芸能界デビュー。1975年から女優として本格的に活動を開始する。テレビドラマ『水戸黄門』では、史上最多出演のゲスト女優である。細身の体からは想像出来ないほどの、いわゆる巨乳の持ち主で、女優としてのデビューとなった1976年日活映画『サチコの幸』では全裸ヌードも披露した。夫は俳優の堤大二郎。

     竹田かほり 「桃尻娘」

     中学生の時に母親と街を歩いている時にスカウトされ、モデル活動を開始。1977年に東映『ピラニア軍団 ダボシャツの天』にて川谷拓三の恋人役でスクリーンデビュー。1978年からにっかつ『桃尻娘シリーズ』で人気を得る。以後、明るく悲壮感のないお色気路線で映画・ドラマに出演。レギュラー出演した『探偵物語』では、ナンシー・チェニーと共にマスコット的な役割として画面に華を添えた。1982年にミュージシャン・甲斐よしひろとの結婚・出産を機に芸能界を引退。CMが無いため代表作「桃尻娘」をリンクしました。

     仲根かすみ 映画予告「GUNCRAZY3」

     1993年、山崎亜美や宮澤寿梨らと共に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」のねずみっ子クラブで「植 可澄美」の芸名でデビュー。1996年以降、本名に近い仲根かすみの芸名に改名。主にグラビアを中心に活動。ショートカットの整った顔立ちと、アンバランスな豊かなDカップのバストでグラビアを中心に活躍。1999年以降はドラマやバラエティ番組、スポーツ番組、教育番組など幅広いジャンルで活動した。
     2005年12月10日、写真集・SHIZUKU 雫(講談社)発売。翌12月11日、福岡ソフトバンクホークスの和田毅との結婚を発表。合わせて、芸能活動の引退を表明した。
     2006年9月13日午後、都内の病院で第1子(長女)を出産。

     細川ふみえ 「アース製薬バスロマン」

     1990年12月、芸能界にデビュー。雑誌「ORE」の巻頭で、眼帯ブラと呼ばれたビキニ姿を披露。90cm・Fカップのバスト(当時)を武器に、巨乳グラビアアイドルの草分けとして活躍。デビュー時から野田義治が社長を務めていたイエローキャブに所属していたが、2000年6月に個人事務所「ウエルメイド」を設立し独立。1999年7月、大道芸人との婚約を発表するが、2005年3月に婚約を解消。2007年4月に不動産会社を経営する男性とサイパンの教会で挙式したが、その男性が妻帯者だったため、重婚疑惑が持ち上がった。前妻の離婚成立後の同年11月に入籍。同年12月に第一子となる男児を帝王切開で出産。

    「スリムビューティー」 http://www.youtube.com/watch?v=Y5uenT6TFKg

      鷲尾いさ子「鉄骨娘」

     

     1983年から『装苑』の専属モデルとして表紙連載を続け注目を集める。1983年1月号から1984年12月号まで連続24ヶ月の表紙モデルは、『装苑』の最長記録である。
     1985年の全日空水着キャンペーンガールに選ばれたことがきっかけで、メジャーデビュー。1986年に映画『野ゆき山ゆき海べゆき』で初ヌードを披露。
     1987年にはパリコレでモデルを務める。
     1989年(平成元年)、サントリーから発売された「鉄骨飲料」のCMでブレークした。デビュー10年の1995年9月に俳優の仲村トオルと結婚。現在、二児の母親。新・家族シャンプー「メリット」など、花王製品のCMでは夫婦共演した。 2004年ころからは、家事や育児に専念することが多いという。
     2013年(平成25年)4月25日、数年前から重病で闘病中であるとの情報を、一部のメディアが伝えた。

     さて、いかがでしたか。「そういえばあの女優やタレント、最近見かけないな」と思っていた方がいるのでは。さまざまな理由で芸能界から離れた有名芸能人は意外と多い。やはり出入りが激しい業界だから、いつの間にかいなくなっていたという感慨が強いのでは。短い期間であったにせよ、彼女たちが輝いた時間があったことには変わりない。こうした全盛期を振り返れるのも「YouTube]ならではだ。このテーマに相応しい方々は多数いると思うので、機会があれば続編を作成したいと考えている。

     記事作成:5月11日(土)

    ちょっと怖い話

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     最近、急激に気温が上がり、半袖着用、アイスを暴食するようになった。そして少しでも安く涼を求めようとして、「YouTube」で怖い映像を見るようになった。そのひとつが「稲川淳二の怖い話」だ。話だけではない。全国各地に出向き、幽霊の噂が絶えない心霊スポットを訪ねて、その真相を探ろうという、ちょっと間違ったら祟られそうな取材VTRだ。あまりにも危険なのでここではリンクは回避したいが、ご覧になりたい方は「YouTube」を検索してみてください。前置きはこの辺にして、早速本日のテーマに入るが、以前、当ブログで掲載した「郡山のミステリースポット」の記事が、現在も人気記事ランキングに入るなど、大変な反響を頂いた。今回も徐々に暑くなって来たこの時期にちょっとした涼を分け与えたいと考えた結果、「ちょっと怖い話」をお送りすることに決した。耳にしただけで冷や汗が背筋を伝うような事象を列挙し、それらについて簡単な用語解説を添えていきたい。実はこれらは、科学では解明できない死後の世界からのメッセージなのかもしれない。

     1 ドッペルゲンガー?それとも他人の空似?

     ドッペルゲンガーはかなり怖い意味で用いられる。それはドイツ語で、「生きている人間の霊的な生き写し」を意味する。自分の姿を第三者が違うところで見る、または、自分が異なった自分自身を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。ドッペルゲンガーの特徴として、ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。本人に関係のある場所に出現する。等があげられる。死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」という民間伝承が生まれたとも考えられる。つまりは、分身のようにそっくりなもう1人の 自分。日常の中にふと出没する不気味な存在です。自分のドッペルゲンガーに遭遇して しまうと死ぬ、という説のことだ。

     同じ日本人という民族であれば、よく似た人とか、生き写しという人がいても不思議ではない。実際に10年前に亡くなった私の父は、東国原英夫氏と顔が瓜二つである。これは言葉では証明できない事象だ。他人の空似という言葉もあるが、この広い世界、自分にそっくりな他人がいても別段おかしな話ではない。

     また霊を見てしまったら、絶対に話しかけてはならないというのが定説としてある。迂闊にも話しかけたてしまうと、憑依したり、本人を霊界にいざなってしまうと言われている。

     2 デジャヴ

     これは決して霊体験ではない。フランス語が一般言語化したもので、日本語訳では「既視感」と呼ぶ。ある光景を見て、それを前にも見たことがあると錯覚する現象である。基本的には記憶の中にある昔の映像と今見ている映像が脳内で関連付けられたにもかかわらず、その昔の記憶の詳細(場所、時間)を思い出せない場合に生ずる違和感がその正体である。

     3 予知夢と正夢

     よく意味がわからない夢やあの夢はなんだったのかということがないだろうか?ついさっきまで寝床で見ていた夢なのに、起きた途端にはっきりとは思い出せない。そんな夢を見たことがあるでしょう。それこそがあの世との通信だったのでは。前世の姿を寝ている時だけ、記憶を蘇らせてくれるのでは。つまり寝ている時には、意識がなく死んだ状態にいちばん近い状態にあるから。その時に前世の生前の姿をオーバーラップして来るのでは。

     予知夢はこれから未来で起きるかもしれない出来事を夢の中で知らせてくれるもの。偶然にそれが現実的になったら、それは科学では解明できない不思議な超常現象となる。正夢は夢に見たことが、そのまま現実的に起こること。いずれも夢は人間の願望だったり、現在に精神状態を如実に表すものとされている。

     4 エクソシストとは・・・

     1970年代に当時の人々を恐怖に陥れたアメリカのホラー映画。エクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック 教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味である。ホラー映画ではこの映画が基礎となっている節が強い。ラップ現象やポルターガイスト現象という言葉もクローズアップされた。主に「死者の霊魂によって引き起こされるもの」であると、心霊現象研究家や、霊能者などの大部分は解釈している。

     5 輪廻転生と生まれ変わり

     今は亡き歴史上の人物で、何かその生き方や功績に惹かれたり、研究するほど没頭したり、何か同じ感覚で他人のような気がしない、あるいは心底陶酔し、尊敬してしまうほどの影響を受けたことはないでしょうか。それはましかすると前世のあなた自身だった可能性が無きにしも非ずだ。実際は記憶を無くしているだけで、もしかしたら何かのふとしたきっかけで思い出すこともあるかも。一番怪しいのは、その有名人の没年月日とあなたが同じ誕生日だったりすると、その人の生まれ変わりかもしれない。もし輪廻転生があるとして、あなたが生まれ変わる前の姿がハエやゴキブリだったら、虫も殺せなくなってしまう。もし、その蚊が死んだ自分の家族だと考えたら、何もできないし、動物に肉すら口にできなくなってしまうことだろう。記憶が消えてくななるように神様が細工してくれているのかもしれない。

     6 前世

     これも怖い話で、夢枕で一度だけでではなく、何度も決まって見る夢はないだろうか。例えば脂汗をかいて、飛び起きてみたら夢でホッとしたという経験が。例えば、ライオンに追いかけられて、食われそうになった時にパッと目が覚めたり、サメやクマ、ワニに襲われた瞬間に目が覚めたなど。まだまだある。江戸時代末期に、侍に切られて亡くなった途端に目が覚めたとか、現代では大きな爆発で吹き飛ばされて死を覚悟したところで起きたとか。これこそが、あなたが前世で亡くなった場面そのものかもしれないのだ。生まれ変わってから記憶を失っているだけで、不意に同じような場面に出くわしたり、眠っているときは、脳が休止し、死んだ状態に近くなるため、前世の終末の出来事がオーバーラップして、その体験を甦らせるのかもしれない。

     7 幽体離脱

     人間が死んだ直後、魂が肉体(屍)を離れ、宙を舞い、自分の体を上部から見るというもの。双子の芸人の「ザ・たっち」がよくやったネタ。危篤状態から運良く生還した患者がよく臨死体験をしたという話を聞く。すると声を揃えたように「暗いトンネルを抜けると、光に満ち溢れた、明るくて暖かいお花畑が現れ、天使が楽しそうに遊んでいる。そのうちに小川の向こう岸で、先に亡くなった家族が手を振って笑顔で迎えに来てくれている。」と話す。これこそがいわゆる三途の川で、これを渡りきると現世とはサヨナラである。神様が死の淵では、断末魔の苦しみではなく、このような天国のような世界を用意してくれていると思う。がん患者が末期の状態になると、もがき苦しんでいた痛みが嘘のように消え、安らかな最期を迎えるという、あれがまさに天が最後に授けてくれるご褒美なのかもしれない。

     8 死にまつわることわざ、怖そうな言葉

       死人に口なし
       あの世(地獄)の沙汰も金次第
       嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる
       嘘つくと針千本飲ます
       人を呪えば穴二つ
       血で血を争う(骨肉の争い)
       骨肉相馬喰む
       肉を切らせて骨を断つ
       毒を食らわば皿まで
       人の不幸は蜜の味
       草木も眠る丑三つ時
     

     9 虫の知らせ

     何か良くないことが起こりそうなことを警告がてら予兆として起こしたり、それを予想させる出来事がある。その虫とは、実は自分の亡くなったご先祖様であったり、神からのお告げだと解釈する霊能者もいる。虫の知らせの「虫」は、古く、人間の体内に棲み、意識や感情にさまざまな影響を与える と考えられていたもので、潜在意識や感情の動きを表す。 「虫がいい」「腹の虫が治まら ない」などの「虫」も、この考えから生じた語である。 これら「虫」の付く言葉の多くが悪いことを暗示したり予想させるのに使われる。

     「虫の息」、「一寸の虫にも五分の魂」、「飛んで火に入る夏の虫」、「悪い虫が付く」、「虫が好かない」、「虫の居所が悪い」、「苦虫を噛みつぶしたよう」などである。



     10 弱肉強食と食物連鎖

     強いものが弱いものを倒して、その肉を貪り食って、生きながらえていく。これは自然の理である。人間もそうで、動物や植物を食べなければ生きていけない、実に罪深い存在である。でも生きるためには何かを犠牲にしていかなければならない。自分が直接手をくださなくても誰かが殺した食肉や魚を食べていることに変わりはない。天敵に襲われ、一瞬にして終わる命もあれば、何十年もの間、敵を擬態などで欺いて長生きする魚や動物もいる。遅かれ早かれ確実に死を迎えるわけだが、その長さはまちまちで、やはりそのものの持つそれが宿命(さだめ)なのだろう。

     同様に食物連鎖(food chain)とは、生物群集内での生物の捕食(食べる) ・被食(食べられる)という点に着目し、それぞれの生物群集における生物種間の関係を 表す概念である。

    11 仮想体験

     バーチャルリアリティーという。この言葉自体は別に怖いことはない。実際の形はしていないか、形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。略語としてVRとも。日本語では「人工現実感」あるいは「仮想現実」と訳される。

    12 迷信・言い伝え

      夜に口笛吹くと蛇が来る
      夜に靴を下ろしてはいけない
      合わせ鏡
      手鏡を上向きにしておくと悪いものが来る
      落ちている櫛を拾ってはいけない
      畳の縁を踏むと縁起が悪い
      「墓で転んで出来た傷は治らない」
      「霊柩車を見たら親指隠せ 親の死に目に会えない」
      「黒猫やカラスは縁起が悪い」
      「ビワの木を庭に植えると不幸(病気)になる」
      「夜に洗濯物を干すと縁起が悪い」
      「黒猫に行き先を横切られると不吉」
      「カラスが鳴くと人が死ぬ」
      「夜の蜘蛛は親でも殺せ」

     これらは全て戒めである。悪いことが起こることを予知したり、予見したりすることで、予め危険を回避しようとする機能が働く。教訓めいたことも含まれている。食生活では「食べ合わせ」などもこれにあたる。「梅干とウナギ」「松茸とあさり」「卵とにんにく」「ごぼうと鮎」「かき氷と天ぷら」「馬肉と山芋」「スイカとさんま」「スイカとてんぷら」「ハマグリととうもろこし」「きゅうりとこんにゃく」などである。消化が悪くて食あたりや腹痛を招く恐れがある食べ合わせを回避しようとするものである。

    13 童話・昔話

     20年以上前に「本当は怖いグリム童話」という新解説本がベストセラーになったことがあった。出処が不明だったり、作者不詳だったり、得体の知れない話だが、実際は過去の霊体験や不思議な出来事との遭遇などをエピソードとして伝えたのが、その手の物語であるという説。私は幼少期にはフィクションや作り話を疑わなかったが、冷静に考えると、確かに作り話にしては出来すぎている。

     かぐや姫(竹取物語)
     かぐや姫は宇宙人が送り込んだ。だから竹やぶが光り輝き、竹を割ってみると中から赤ん坊が・・・。おじいさんおばあさんに育ててもらっている間、地球を偵察し、それが済み、役目を果たしたから月からの使者が迎えに来た。当時はUFOという概念がないため、馬車と表現したに違いない。事実は昔人が宇宙人と遭遇した出来事を何らかの形で後世に残そうとした伝記だったのでは・・・。

     浦島太郎
     自分が助けた亀に連れられて龍宮城へ。そんな馬鹿な。普通なら亀の背中に乗って海中深くに潜ったら、確実に窒息死。実際は、その亀はUFOだったに相違ないのだ。そして実際は海ではなく、浦島太郎は宇宙旅行をしてきたに違いない。鯛やヒラメの舞い踊りは実際は火星人などの宇宙人の姿を描いたものでは?時空を飛び越え、だから戻ってきた時につじつま合わせでおじいさんになってしまった。宇宙時間は地球時間ではあっという間に過ぎ去ってしまうというこじつけの典型。

     一寸法師
     お椀に乗って旅をし、悪い鬼をやっつける。大体一寸しかない少年が鬼を倒せるはずがない。まさしく超常現象。お椀=UFOで実際は普通の大きさの少年なのだが、UFOをお椀と表現すれば、ミニサイズとなってしまう。悪い宇宙人をそのUFOで攻撃に行ったとしか思えない。

     桃太郎
     これこそ怪しい。おばあさんが川で洗濯していると川上から大きな桃がドンブラコ・・・。大きな桃=UFO?そんな赤ん坊が入るほどの大きな桃を、クレーンも車もない時代に、非力なおばあさんが家に持って帰れるはずがない。しかも包丁で割ってみたら、中から珠のような男の赤ん坊が・・・。普通なら血だらけの斬殺死体が転がり出てきて、一気にサスペンスものになるはずだ。しかも成長した桃太郎が鬼退治?ありえない。これこそスターウォーズ。帝国のダースベイダーのような奴らを成敗に行ったに相違ない。道場破りじゃあるまいし、ある日突然、いきなり鬼ヶ島に乗り込んでいったら、鬼だってたまったもんじゃない。そして財宝を戦利品として持ち帰る桃太郎。やってることは海賊や山賊などの盗賊とおなじではないのか?

     舌切り雀
     舌をおばあさんに切られた雀の復讐劇。お爺さんに助けられてかわいがられていた雀は、お婆さんが障子の張り替えに使おうとしていた糊を食べてしまい、舌を切られて逃げ出す。その雀をお爺さんが追って山へ行くと、雀たちが恩返しにご馳走してくれたり踊りを見せてくれた。お土産として大小2つのつづらのどちらを持って行くか聞かれ、小さい方を持って帰り家に着いて中を見てみると小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらをもらおうと雀の宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取って、帰り道で開けてみると中には妖怪や虫や蜥蜴や蜂や蛙や蛇が詰まっており、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう(妖怪に食い殺されてしまう、又は妖怪から命からがら逃げ切り改心するという説もあり)。 これは怖い。

     三枚のおふだ
     山姥に食い殺されそうになる小僧が、和尚さんからもらった3枚の御札を使って難を逃れていく話。はっきり言ってジェイソン並みの殺人鬼の話だ。二本松にも鬼婆伝説があるが、これも昔話としては恐怖で、冒険する際や危ない橋を渡る時の戒めとして使ったのではないか。

     鶴の恩返し
     「決して覗いてはいけません。」と釘を刺していたにもかかわらず、おじいさんが障子から覗くと何と鶴が機織りをしている。そんなバカな!鶴が娘に化けて・・・・。カフカの化身じゃないって!これこそが宇宙人の仕業ではないのか・・・。大昔の人の想像力でなせる作り話ではない。

     他にも「さるかに合戦」や「かちかち山」など、多くの昔ばなしや民話の類がそうであるように、この話も本来言い伝えられて来たものは残酷でグロテスクな内容を含んでいる。 

    14 金縛り

     主に就寝中、意識がはっきりしていながら体を動かすことができない症状を指す。体が締め付けられるような感覚からこう呼ばれる。医学的には睡眠麻痺と呼ばれる。睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態。不規則な生活、寝不足、過労、時差ぼけやストレスなどから起こるとされる。 脳がしっかり覚醒していないため、人が上に乗っているように感じる、自分の部屋に人が入っているのを見た、耳元で囁かれた、体を触られているといったような幻覚を伴う場合がある。これは夢の一種であると考えられ幽霊や心霊現象と関連づけられる原因になっている。 ただし金縛りの起きる状態がほとんど就寝中であることから学者の説明は睡眠との関係についてである。覚醒状態においての「金縛り」というものについては科学的にはほぼ未解明であり、精神的なものに起因するとされることも多い。霊的なものを信じていない人の場合は、宇宙人に何かをされたなどという形式の認知になるという説がある。

    15 恐怖漫画

     私が子供の頃、怖い漫画が目白押しだった。つのだじろうや楳図かずおがその草分けだったが、「ドカベン」や「がきデカ」、「ブラックジャック」、「マカロニほうれん荘」などの人気で発行部数が「ジャンプ」や「マガジン」を凌いでトップだったのが、秋田書店の「少年チャンピオン」だった。1977年には200万部を突破していた。その「チャンピオン」に連載されていたホラー漫画が「恐怖新聞」と「魔太郎が来る」、「エコエコアザラク」だった。どちらも1970年代のオカルトブームの火付け役を担った作品だった。
     「恐怖新聞」は、人が死ぬ前兆として特定の家庭だけに届く新聞だ。翌日の自分の死亡を掲載する記事が予め配達されたり、大きな事件や事故、災難が降りかかってくることを予知して知らせたりする世にも恐ろしい新聞だった。タッチも極めて怖かったと記憶している。
     「魔太郎が来る」は、典型的「いじめられっ子」である主人公・浦見魔太郎。毎回様々な人物からいじめを受けるが、どうしても許せない行き過ぎたいじめや悪行に対しては自身の持つ超能力「うらみ念法」やオカルトアイテム、残虐な手段をもってして夜な夜な復讐しにまわるという内容。 
     また、後者の「エコエコアザラク」は、黒魔術を駆使する若い魔女が用いる奇妙な呪文だが、それを唱えることで恨みのある人間を呪い殺したり、人間の奥底に潜む深層心理が現実のものとなったり、念力で人を死に至らしめたりする、恐ろしい漫画だった。
     そして大学生の頃、同じアパートの友人が愛読していた漫画を読んで、身の毛がよだち、夜も眠れないほどの恐怖に陥れられたのが、つのだじろう作の「うしろの百太郎」だった。百太郎とは、磨呂のような眉毛と出で立ちで、主人公に背後霊(守護霊)として張り付いている。そして人間の臨死の際に、骸骨の姿をした死神が大きな鎌を持って魂の緒を切りに来る。もしそれを切られたら、絶命するのだ。その漫画では、大木の切り株が死後の世界への入口として描かれていて、その後、しばらく木陰で一休みする行為を躊躇った。

    16 稲川淳二の怖い話

     今は亡き落語家の桂枝雀さんも、独特な語り口調を駆使した怪談話で一世を風靡し、終いには自ら命を絶ったが、こうした怖い話の語り手として第一人者となったのが誰あろうテレビタレントだった稲川淳二だろう。きっかけはラジオ放送での怪談が好評を博し、以後「霊感タレント」としても活動することとなった。彼もそうだが、元来AB型には易者や占い師、イタコ、霊媒師が多いとされているが、霊能力が備わりやすいとされている。
     彼を一躍有名にしたのが、『恐怖の現場』というDVDシリーズで、心霊がいることを証明するために、全国各地に点在する心霊スポットと呼ばれている廃墟や場所に潜入するドキュメントを制作しており、「科学で心霊を説明しようとする考えが大嫌いだ」と番組内で強く発言したことがある。冷やかし半分や生半可な考えでこういう場所に足を踏み入れると霊の反感を買い、絶対に痛い目に遭う。

    17 恐怖のワラ人形

     私が世にも恐ろしいと感じるのは、人形を使って恨みを持つ人間を呪う儀式。そうワラ人形である。相手を心底恨み、相手を呪いながら、誰もが寝静まった夜半(丑の刻)に、人知れず神社の境内の大木に五寸釘で打ち付ける行為で、別名「丑の刻参り」とも言う。そして相手を凄まじい呪術によって殺そうと試みる。怨みの深さよりも、実際の人間が、真夜中に人知れずそういう行いをしている場面に出くわしたら、恐ろしくて声も出ない。ガチで殺してやりたいほどの怨念で、相手を呪っているのだから。京都の貴船神社がそのルーツだと言われている。

    18 怖すぎる実話

     日本で起きた大量殺人をご存知だろうか。最近、西村望の小説「丑三つの村」が映画化されたDVDを借りたが、それこそが、岡山県で実際に起きた津山事件である。何と一晩で村人たちを次々襲い、男女や年齢を問わず、日本刀や猟銃で30人もの人間を惨殺した異常殺戮である。この事件は横溝正史も小説化し、「八ツ墓村」として放映された。それより怖い描写がその「丑三つの村」であった。その映画作品の殺人犯を演じたのが、自ら命を絶った今は亡き古尾谷雅人だけに、何か因縁や怨念を感じざるを得ない。
     また、日本で最も多くの人間を殺害した事件は、何と産婦人科医院の産婆によるものであった。それは東京新宿で起きた「寿産院もらい子殺人事件」である。第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で嬰児は亡くなっていた。寿産院を経営する夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、1人につき4000円から5000円の養育費を受けとりながら食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。この事件が謎にして不可解なのは、100人以上もの子供を殺害したにもかかわらず、東京地方裁判所では、主犯女性に懲役8年、夫に懲役4年、助手は無罪、医師は禁固4年の判決。1952年(昭和27年)4月、東京高等裁判所は、主犯女性に懲役4年、夫には懲役2年の判決を下しただけの極めて異例の軽すぎる結末であった。

    19 軽はずみな気持ちや物見遊山で行ってはけない場所

     事件や事故で人が大勢亡くなった場所には、軽率に訪れてはいけない。幽霊を見てしまったら、間違っても話しかけてはいけないように、そういう場所は得てしてあの世(魔界)への入口になっており、下手に近寄ると、死者に誘われてしまう危険性がある。そういう場所をピックアップしたい。

     恐山(イタコ)、仏ヶ浦、東日本大震災被災地、慰霊の森(雫石)、御巣鷹山、富士樹海、錦ヶ浦、東尋坊、関ヶ原、沖縄などが代表的な場所。他には古戦場、病院の廃墟、夜の墓地、神社仏閣、霊場、自殺の名所などが挙げられる。このような、明らかに神聖な場所を訪れる際は、身を清め、神妙な面持ちで、かつまた死者を敬う気持ちを携えて、真摯に心して赴きたい。そうしないと予期せぬ厄が降りかかったり、祟があるかもしれない。

    20 その他

     人面魚、人面犬、人魚など。人間になりそこねた姿とか人間の生まれ変わり、あるいは生き写しと言われる存在。人魚はマーメイドとか人魚姫とか美人の姿を想像すれば美談だが、実際は上半身が人間で、下半身がウロコに包まれた魚。やっぱりこの世のものではない。また、私自身は「人形」は怖いと感じる。人間が幼少の頃から情をかけて可愛がってきた分情念が移る。北海道に住んでいた頃は、夕張に行く手前に万念寺というお寺があった。そこは髪の毛が伸びる「お菊人形」が奉納されていた。毎年、少しずつ髪が伸びる人形・・・。これこそ超常現象であり、科学では解明できない。だから人形を祀る神社やお寺があったりするのだ。また、最近、ペット霊園も多くなった。家族同様に愛情を注ぎ、可愛がったペットの死後、手厚く懇ろに葬る人が増えている。これも情が移った故の行動である。慣れ親しんだ物に感謝するのも日本人ならでは。人形もそうだが、針供養もまた何気に怖い風習。 

     さて、最後の方はボルテージが上がってしまい、「ちょっと怖い話」どころか眠れないほどの衝撃があったかもしれない。逆に、蒸し暑い夏の夜にはうってつけの話題になったかも。しかし、最先端科学が幅を利かせている現世においても、未だに解明できない超常現象や心霊現象はなくなることはない。なぜ人は怖さやスリルを求めるのだろうか。脳の構造に問題解決への糸口がありそうだが、ジェットコースターに乗るのも、敢えてお化け屋敷に入るのも、肝試しに挑むのも、廃墟探検や心霊スポットへ足を運ぶ人がいるのも、おそらくは普段では体験できないような仮想体験を求めてのことだろう。そこには解き放たれたいという深層心理や願望があるのかもしれない。

     記事作成:5月13日(月)

    社歌&企業イメージソング集

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     企業や会社には社歌やイメージアップソングがあるのをご存知だろうか。例えば、日立グループのCMで歌われる「このきなんの木」はあまりにも有名だが、こうしたCMで使用されているものは日の目を浴びて、誰もが口ずさめる公衆ソング化しているが、あまり表に出てこないものは、耳にしたことがないだろう。本日は、名曲でありながら、社員でしか知らないような、隠れた名曲を紹介したい。

     いすゞのトラック

     いすゞトラックのイメージソングです。1990年代までTBSラジオの深夜放送で一世を風靡した「いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ~」が大好きで、受験勉強をしながら聴いていた。青春時代の一曲かもしれない。

     JR東海~君をのせて~

     人を運び、人生を運び、様々な想いを運び、思い出を運ぶ、鉄道の世界。線路は、その人が歩んできた人生に等しい。歌っているのは高橋真梨子。心に染み渡る。

     「JR東日本 明けゆく空に」

    http://www.youtube.com/watch?v=Y3PangOdgV4&list=PLAA68605CC4C9CC47

     「JR九州 浪漫鉄道」

    http://www.youtube.com/watch?v=8PEwFROochY

     「積水ハウスの歌」

     これは私が幼少の頃から歌い継がれてきた名曲だ。家族のぬくもりが伝わる家、やすらぎの家、各家庭ごとにそれぞれの人生や生き様がある。それを端的に、象徴的に描いたのがこの歌の様な気がする。

     「キャノン 共生のハーモニー」

    http://www.youtube.com/watch?v=loHy6Lb19Aw

     このまま終わると、何か消化不良気味で、閉塞感が否めないので、急遽追記として昔懐かしい、その企業を代表する名曲をお送りしたい。それはかつて一世を風靡したお馴染みのCM曲だ。

     「松下電器」

     「明る~いナショナ~ル、みんな~うちじゅう~な~んでもナショナ~ル~」でお馴染みのCMだ。懐かしすぎる。

     「東芝」

     「光る~光る東芝~、回る~回る東芝~、(中略)み~んな、み~んな東芝~、東芝のマ~ク」 東芝日曜劇場のテーマソングとしてあまりにも有名なジングルだった。

     この記事はGW前に作成したものが、諸般の事情で公開が遅くなってしまった。

     記事作成:4月20日(土)

     


    戦後日本で起きた大惨事事故

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     戦後に我が国で起きた事故について取り上げたい。私がこの世に生を受けて半世紀近く経つが、それだけでも毎年のようにマスコミを賑わす大きな事件や事故が相次いで発生している。もちろん人災と思しきものや自然災害も含まれているが、一度の事故で大勢の人命が奪われるような事故はあってはならない。本来、こういった類のテーマはデリケートな部分であり、被害者遺族の感情を考えると、総合的に推し量るのが得策だが、実際にこうした悲惨な事故が後を絶たない現状を憂い、その再発防止と今後の教訓や戒めとするために敢えてお送りすることを予めお断りしたい。なお、今回掲載するのは、戦後の100名以上の人命が失われてたケースという限定でお伝えしたい。なお、ご遺族の方の心情を最大限考慮し、映像の埋込み処理は自粛し、アドレスだけの紹介にとどめたいと思う。

     ~航空機・船舶・鉄道事故~

     桜木町事故

     1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜東北線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。死者は106人に上った。

    http://www.youtube.com/watch?v=vhSqaNHSIrQ
    http://www.youtube.com/watch?v=NfziGZsaW-s
    http://www.youtube.com/watch?v=ClWXxoJczd4
    http://www.youtube.com/watch?v=8y0SqHR9lKk

     洞爺丸事故

     1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。修学旅行中の中学生を含む、死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=Md6OmZr5w8M
     
     紫雲丸事故

     日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船「紫雲丸」が1947年(昭和22年)6月9日の就航から、わずか9年間に5度にわたって起こした事故の総称である。なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。修学旅行中の広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の児童などを中心に死者168名を出した。

     第五北川丸沈没事故

     1957年4月12日は穏やかな天気であり、「西の日光」といわれる生口島(当時:広島県豊田郡瀬戸田町、現在:広島県尾道市瀬戸田町)・耕三寺には大勢の団体参拝客や花見客が訪れていた。午後0時半に瀬戸田港から尾道港への帰途についた芸備商船の定期客船であった第5北川丸(総トン数39t、旅客定員77名、船員7名、合計定員84名)が出航した。この客船は、定員が84名であったにもかかわらず、235名(うち子供12名)という旅客定員の3倍超の乗客と乗員4名を乗せていた。しかも同船は建造から33年(1924年建造)経過した老朽木造船であり、乗員5名のうちひとりを別の用事のために下船させたため、船長自らが切符整理を行い、舵を当時16歳の甲板員見習(事故により死亡)に任せていた。生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航しておよそ10分後、佐木島西方にある寅丸礁(事故後、灯台が設置された)と呼ばれている暗礁に座礁・転覆し、あっというまに沈没してしまった。付近を航行していた運搬船や漁船がただちに救助に当たったが、船内に閉じ込められるなどして死者・行方不明113名、負傷者49名を出す惨事になった。

     南海丸遭難事故

  •  1958年1月26日の17時ごろ、徳島地方気象台は強風注意報を出したが、紀阿連絡航路の南海汽船(後の南海フェリー)所属の旅客船「南海丸」は、17時30分頃に和歌山市に向け徳島県小松島市(現在の徳島小松島港)から出航した。
  • 同日18時28分ごろに無線電話で危険を知らせる連絡を最期に消息を絶った。当時、南海丸がいた紀伊水道の沼島付近は平均風速17ないし20メートル、平均波高4ないし5メートルの悪天候であったものと推定されたため、直ちに僚船や海上保安庁の巡視船らによる救助体制がとられた。
  •  翌々日の28日16時ごろに紀伊水道沼島の南西2.4海里の水深約40メートルに沈没している船体が発見された。その後船体は引き上げられたが、旅客139名乗組員28名の167人全員が死亡もしくは行方不明となる大惨事になった。

     三河島事故

     1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。「国鉄戦後五大事故」の一つ。

     常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り第287貨物列車(D51 364牽引、45両編成)が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車と次位のタンク車が下り本線上に飛び出した。その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り第2117H電車(6両編成)が下り本線を塞いでいたタキ50044に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。さらに約7分後、その現場に上野行きの上り第2000H電車(9両編成)が進入し、線路上に降りて移動中だった2117Hの乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた2117Hの先頭車と衝突した。これにより2117Hの先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り2000Hは先頭車が原形を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目も築堤下に転落、4両目が脱線した。結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=BShBCb7z95Y
    http://www.youtube.com/watch?v=xcn_076aayA
    http://www.youtube.com/watch?v=FcyBshjoEw0
    http://www.youtube.com/watch?v=_vvI4-zunRs

     鶴見事故

     1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。なお、当日には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱でも死者458人を出す大爆発事故が発生しており、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。

    http://www.youtube.com/watch?v=c2bOpe3DLus

     全日空羽田沖墜落事故

     1966年2月4日に東京湾の羽田空港沖で起きた全日空のボーイング727-100型機の墜落事故。合計133人全員が死亡し、単独機として当時世界最悪の事故となった。

     飛騨川バス転落事故

     1968年(昭和43年)8月18日、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において、乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、岡崎観光自動車所有の2台のバスが、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故である。日本のバス事故史上における最悪の事故となった。

     全日空雫石飛行機衝突事故

    1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。

     現場付近は「慰霊の森」という慰霊碑を伴う追悼施設が建立された。

    http://www.youtube.com/watch?v=t32do07Hz7M

     日航機墜落事故

     1985年(昭和60年)8月12日18時56分に、日本航空(JAL、正式名はJAPAN AIRLINES)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体番号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2013年1月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。この日はお盆の帰省と重なり、満員の乗客が乗っていたことで被害を拡大させた。乗客の中には阪神タイガースの球団社長や相撲部屋の親方、更には世界的なシンガーの坂本九さんも含まれていた。奇跡的に3名が生還した。

    http://www.youtube.com/watch?v=ciDERYL06lk

    http://www.youtube.com/watch?v=jqlC_LphagA

     中華航空140便墜落事故

     1994年4月26日午後8時16分頃、台湾の台北を出発し名古屋空港へ着陸しようとしていた、中華航空140便(エアバスA300-600R型機、機体記号B-1816:1991年製造)が名古屋空港滑走路34へのILS進入中に失速し、滑走路東脇に墜落した。また台北に帰る燃料も積載していたため燃料が炎上した。この事故で乗客256名、乗員15名の合わせて271名のうち日本人154名を含む乗客249名と乗員15名の合わせて264名が犠牲になり、乗客7名が重傷を負った。生存者はいずれも主翼の桁の上付近に着席していた乗客であった。犠牲者数は1985年(昭和60年)の日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ、日本史上ワースト2位であり、国内の空港で起きた事故の犠牲者数では日本史上最悪である。

     JR福知山線脱線事故

     2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡し、562名の負傷者を出した。原因は運転士の精神異常とATC装置のセットミス、更にはオーバーランを起こしたり、カーブを制限速度を大幅に越えるスピードで進入したことによる脱線であり、沿線左側のマンションの駐車場に突っ込み、大破。L字型に折れ曲がり、救出が難航したことが死傷者を増大させた。

    http://www.youtube.com/watch?v=ngWgFz94Eo0
    http://www.youtube.com/watch?v=vB6GMp3rANM
    http://www.youtube.com/watch?v=jN2jH9r1B6g

     他にも交通機関による重大事故には、1968年のK機長の逆噴射による日本航空羽田空港沖墜落事故(1982年)、信楽高原鐵道列車衝突事故(1991年)も記憶に新しい。個人的に印象にあるのは、1988年に横須賀沖で起きた海上自衛隊原子力潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」の衝突事故だ。30名が死亡した。

    http://www.youtube.com/watch?v=wes8j5gufuo

    http://www.youtube.com/watch?v=TK6ZJn0D0rU

     ~炭鉱・トンネル事故~

     二又トンネル爆発事故

     1945年11月12日に、福岡県田川郡添田町落合の日田彦山線彦山駅から南方500mにあった二又トンネル(鉄道路線は未開通)において、アメリカ軍が大日本帝国陸軍の隠していた火薬を焼却処理しようとしたところ大爆発を起こし、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人、負傷者149人を出した事故である。

    http://www.youtube.com/watch?v=gk8dVxRZqFY

     三井三池三川炭鉱炭じん爆発事故

    1963年(昭和38年)11月9日午後3時10分頃に、三井鉱山三池鉱業所三川鉱(三川坑)第一斜坑の坑口から約1,500メートル付近の斜坑で炭塵爆発が起きた。当時、坑内は1,200人以上の労働者が従事しており、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出した。

     他にも93名死亡の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故(1981年)、、三井三池炭鉱有明鉱坑内火災(1984年、死者83人)、三菱南大夕張炭鉱ガス爆発(1985年、死者62人)など痛ましい炭鉱事故が相次いだ。また、トンネル事故では、1979年の日本坂トンネル火災事故 や1996年2月10日の豊浜トンネル岩盤崩落事故 、昨年起きてしまった 笹子トンネル天井板落下事故がある。

    http://www.youtube.com/watch?v=wLmc7j8tn58

     ~火災事故~

     千日デパート火災

     1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区(現在の中央区)千日前の千日デパートで起きた火災。死者118名・重軽傷者78名、沖縄の復帰を間近に控えた日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=hQWvC1h6s1E

     熊本大洋デパート火災事故

     1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に、熊本県熊本市中央区下通1丁目3番10号にあった百貨店の「大洋デパート」(鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建て)で発生した、火災事故である。従業員の誘導で従業員60名・客70名ほどが屋上に避難して助かった。はしごで救出された人数は67名。また、増築用の足場を利用して25名が救出された。この火災で3階以上延べ1万3500平方メートルを全焼し、年末に向けての買い出し客や従業員、工事関係者ら103人が死亡、124人が重軽傷を負うという、日本のビル火災では大阪市の千日デパート火災に次ぐ大惨事となった(千日デパートはいわゆる寄り合い店舗であり、百貨店ではないため、デパート火災としては史上最悪)。当時は衛星回線を使ったテレビの全世界中継が始まっており、ヨーロッパで実況放送が放映されていた。私自身もニュースで生中継される火災現場の映像を今でも覚えている。

    http://www.youtube.com/watch?v=-UYXkRN_52s
    http://www.youtube.com/watch?v=vuLCqZv8ew0

     他には1982年2月8日のホテルニュージャパン火災、2001年に起きた歌舞伎町ビル火災(44名死亡)がある。

    http://www.youtube.com/watch?v=BszKkM2nmAU 
    http://www.youtube.com/watch?v=LSfNju4yD-M



     ~その他~

     彌彦神社将棋倒し事故

    、1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅蒔きに殺到、玉垣が崩れて将棋倒しになった事故並びに事件。群集事故の一つである。当時の弥彦神社は照明設備が整っておらず周囲が暗かった事、多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかった事も事態に拍車をかけ、この状態が午前1時近くまで30~40分間続き、死者124人・重軽傷者77人を出した。

     同様の事故は、2001年の明石花火大会歩道橋将棋倒し事故(247名死傷)である。

    http://www.youtube.com/watch?v=V9TZciSMlnc

     ~外国で起きた日本人絡みの事故~

     高知学芸高校上海列車衝突事故(1988年3月21日、29名死亡)

     水産高校実習船「えひめ丸」ハワイ沖衝突沈没、(2001年2月10日、9名死亡)

    http://www.youtube.com/watch?v=M73dWVhdQDQ

     
     さて、過去をほじくり返すような内容になったが、今回掲載したのは、二度と同じような悲惨な事故を起こさないという切なる願いからである。いつ何時、思いもよらない災難や事故が降りかかり、どこで命を落とすかわからない。このような事故は本来あってはならないもので、基本的に事故は人災であり、細心の注意を払ってさえいれば未然に防げるものである。それを怠ったばかりに巻き込まれ、人生を閉じるようなことがあっては死んでも死にきれない。金で命は買えないという点を再認識し、自己防止に向けた取り組みを厳重にしてもらいたいものだ。

     参考 「日本の事故一覧」は コチラ

     記事作成:5月26日(日)~

    野球の話(新旧変更)

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     久し振りに今日は野球ネタで行こうと思う。これまで4年の間に何度も野球に関するテーマで記事を書いてきた。それは小学校のソフトボールに始まり、青春時代の大部分を野球に身を投じてきた自分にとって、野球は生活の一部であり、今でもプロ野球観戦を含め、野球の熱烈なファンであるからである。しかし、長年野球を愛し続けてきたものの、柔道がそうであるように、野球においても毎年のようにルール改正がなされ、また使用する用具も劇的な変化を遂げてきた。少年時代のそれとは色々な意味で進化していると言えるだろう。そこで本日お送りするのは、そうした野球の変化について取り上げてみたい。

     1 練習方法

     ① 練習中は水を飲むな

     私が中学時代は、休日ともなると朝早くから夕方遅くまで練習づくめだった。郡山一優秀と言われた中学校において、一体いつ勉強すればいいのと首をかしげたくなるほどくだらない練習をさせられていた。フリー打撃中は、10分に1回自分のもとへボールが飛んでくるかわからないような練習で、その間特に運動もせず、何もしないでただ声を出しているだけだった。時間の無駄以外の何者でもなく、単なる時間の浪費であった。しかも当時は、練習が終了するまで炎天下であろうが一切水分を採ってはいけないのが鉄則。単なる我慢大会で、こんなことで精神力を鍛え、忍耐力を高め用などとは愚の骨頂で、よくぞ熱中症で死者が出なかったと呆れるばかりだ。今同じことをやったら大問題で、体罰に等しいだろう。

     ② スパルタ式指導法

     これも体罰紛いの練習法。当時は失敗したり、気が緩んだプレーをしたら、監督やコーチ、あるいは先輩の罵声や鉄拳制裁は当たり前だった。ケツバットやグラウンド10周などの罰則は日常茶飯事で、誰もその方針に異論を唱える者などなかった。もっとも当時は「巨人の星」や「アタックNo.1」などのスポ根ものが主流で、スパルタ式でやらないと強くなれないと信じきっていた。今では時代錯誤もいいところで、体罰やなんだの保護者が黙っていない。

     ③ トレーニングメニュー

     私が中学時代の野球部で基礎体力作りの名目でさんざんやらされたのが「腕立て」「腹筋」「うさぎ跳び」「空気椅子」だった。とれも雨天時の室内練習の基本メニューで、一番きつくつまらない練習だった。私は雨天時が鬱陶しかった。今、後者の2つはどの学校でも練習メニューから外されているだろう。これは医科学的に奨励していない。毛細血管断裂などの負の効果しかないと立証されてから、筋トレからは抹殺された感がある。今は、マシンを使ったウェートトレーニングに取って代わった。

     2 アイシング

     これもまた然り。昔は投手は、「肩を冷やしてはいけない」と云われ、例え100球以上投げて炎症を起こしても冷やすことはしなかった。しかし今は、高校野球であっても、試合後は大げさなほどのギプスのような器具で肩を覆い、急速アイシングで炎症を和らげる措置が取られている。時代は変わったものだ。

     3 ルール改正

     ① SBOカウント

     こちらは昨年からプロアマを問わず、すべて欧米式(国際ルール規格)に変更された。それに伴いスコアボードもあちらこちらで改修が行われた。私は未だに「2ボール1ストライク」というアンパイヤーや実況アナウンサーのコールは違和感がある。

     ② 飛ばないボール

     こちらもWBCに則り、昨年から牛革から馬の革を用いたすべりやすい飛ばない低反発ボールに統一された。結果本塁打数は激減し、投手が圧倒的有利となった。野球の醍醐味を奪われたようで心もとない。

     ③ 審判4人制

     かつてはレフトとライトに線審がいた。よってプロ野球の審判は、従来は6人制であった。それが欧米スタイルのアクティブジャッジの推奨と導入で、4人制になった。これにより、ライン際のきわどいジャッジの際に誤審が多く発生するようになった。人件費削減の名目もあったようだが、日本人にはあまり馴染みがなく、公平性という視点ではあまり歓迎したくない制度だ。審判はミスを犯す人間が行うので、生活がかかっているプロ野球だけは、ホームランやアウトセーフのきわどい判定に関しては、ビデオ判定を導入すべきであろう。

     ④ボーク(15秒と20秒ルール)

     ランナーがいないとき、ピッチャーはキャッチャーの返球を受けてから20秒以内に投球しなければならないというルール。これは試合のスピードアップ化の目的で制定された。しかし、よりゲームの短縮化のため15秒ルールが導入された。無走者のとき、投手が捕手からボールを受けて15秒以内に投球しない 場合に、球審がボールを宣告するというものである。このルールは、2009年より日本プロ 野球において採用された。

     ⑤ ドーム屋根球場の特別ルール

     これもローカルルールで、その球場によって独自のルール制定がなされている。例えば、東京ドームの場合、天井に打球が直撃した場合は、オンプレー。また中央に吊り下げられた巨大スピーカーに当たれば、認定ホームランとなる。実際に近鉄に在籍していたブライアントとがスピーカー直撃弾を放ち、認められたが、推定飛距離160mという強烈弾だった。

     4 難しいルール

     ① 塁上に2人のランナー

     挟殺プレーでよく起きるが、塁上に2人のランナーが残るケース。その場合は前の走者に占有権があるため、塁上の2人にタッチした場合には後ろのランナーがアウトになる。これを知らず、勘違いした前のランナーが塁を離れ、ダブルプレーを取られるシーンがある。プロたるもの、しっかりルールを覚えたいものだ。

     ② 同時はセーフ?アウト?

     こちらは明確な規定がない。よって同時に見えた場合にでも、その場の審判の目による判定がすべての実権を握る。

     ③ スリーフィートオーバーと1塁の駆け抜けとオーバーラン

     3フィートは約94cm スリーフィートオーバーとは、ランナーがボールを持った野手から 逃げることができる長さを3フィートとし、これを越えて逃げた場合に適用され、その ランナーはアウトとなるルール。

     打者走者は、一塁へ走り込んだ後にオーバーラン(またはオーバースライド)することを許されている。ベースを駆け抜けて離れても、タッチアウトになることはない。ただし、これは「ただちに1塁へ戻る」ことが条件。ベースを離れている時間がいたずらに長いと、タッチアウトとなることもある。1塁をオーバーランした後、2塁へ進もうとする行為を見せると、その瞬間からこの権利が消えてタッチアウトになる可能性が生まれる。

     ④ 故意落球

     ダブルプレー狙いで、一旦グラブに収まった打球をわざと落としても打者にアウトが宣告される。つまり、ダブルプレーは認められない。

     ⑤ 守備妨害と走塁妨害

     打者や走者が守備側の一連の動作を妨げた場合には守備妨害、守備側が走者の塁上に立ちはだかったり、走塁に支障をきたすような行為に及んだと審判が判断すれば走塁妨害で進塁が認められる。ただし、本塁上でのクロスプレーは、キャッチャーがベースを隠すようにブロックしていても走塁妨害にはならない。したがって走者が捕手に体当たりして生還を図ろうとする場面がよく見られる。返球が捕手に来ないのに体当たりすれば守備妨害となるが、クロスプレーでは体当たりして生還しても妨害にならない。また、走者に打者の打球が当たった場合には守備妨害でバッターアウトとなる。

     外野でファンがボールを体に当ててグラウンドに戻した場合にはエンタイトルツーベースとなる。

     ⑥ 退場になる要件

     ストライクボールの判定、フェアとファール、アウトセーフでよくもめる場面がある。基本的に審判への抗議は監督しか認められていない。しかも審判に触れてはならないし、暴言も御法度。つい先日もDeNAの中畑監督が勢い余って審判にどついたようになってしまい、今季2度目の退場をコールされた。しかも2度目は罰金で、シーズン3度となれば出場停止措置も入る。かつての故・大沢お和文、金田正一、星野、ブラウンは今のルールを適用されたらたまったもんじゃない。他にも遅延行為や危険球でも一発退場となるケースが実際に起きている。

     ⑦ ドカベンルール

     これは水島新司の漫画「ドカベン」の中で描かれていた。不知火率いる白新学園と明訓高校の息詰まる投手戦での一節。一死一・三塁の場面でスクイズのサインが出て、三塁走者の岩鬼が不知火が振りかぶったのと同時にスタートを切り、殿間がバント。しかしこれを不知火がダイビングキャッチ。岩鬼はそのまま塁に戻れず、勢い余ってホームに入った。不知火は3塁ではなく、飛び出した1塁走者を刺すため一塁へ転送し、ダブルプレーでチェンジ。そのままベンチに引き上げた。しかし、次の瞬間、スコアボードに1点の文字が・・・。ルールを知らなかった不知火の致命的なミスだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=mlthrVQGWo4

     しかし、これは漫画だけでは終わらず、高校野球の甲子園(済々黌vs鳴門)で再現されたのだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=vPigkWEUD3I

     ⑧ 反則打

     投手が投球動作に入った後のバッターボックスの移動は禁止。また、スクイズや敬遠のボールを打とうとして、バッターボックスを出て打ってはならないという規則。空中であれば構わない。

     ⑨ アピールプレー

     タッチアップが早いとかベースの踏み忘れ、ハーフスイング、デッドボール、自打球などがこれに相当する。守備側のアピールがないとそのまま試合が続行される場合がある。

     ⑩ 攻撃のルール

     インフィールドフライは無死、または一死で塁が埋まっている場合、打者が内野フライを打ち上げて、アウトが確実な場合に審判によってアウトがコールされるルール。もし、このフライを野手が落球したとしてもアウトは変わらない。この措置は、故意に落球してダブルプレーを実行しようとするプレーを回避するためのもの。また、振り逃げは無死・一死ランナー1塁で振り逃げはできない。しかし、振らなくても捕手が落球した際には振り逃げは有り得る。また、バッタースボックス内でバットに二度当たりした場合は、ファウルとなる。

     5 審判の裁量?

     ① 変化するストライクゾーン

     一時期、ストライクゾーンの見直しがなされたことがあった。ストライクゾーンは、打者の身長た体型によって著しく変化する。膝小僧から胸元までとなっているが、欧米並みに低めを有利にしたり、審判によって裁定はまちまちで、高めをよくストライクにとる審判も多い。したがって、プロの投手は真っ先にその試合の審判のストライクゾーンの癖を読み取って、対処することが多い。現役時代の桑田真澄は必ず審判の癖を見抜き、それを巧みに扱ったとされている。

     ② ハーフスイング

     こちらも年によって厳しく取った時期があった。少しでもバットが前に出ればいやおうなくストライクにしていた時期があったと記憶している。

     ころころ変わるルールや試合方式

     ① 制限時間による延長

     記憶に新しいのは東日本大震災の原発事故による電気の供給量が削減されたことによる特別措置。3時間を越えて次のインイングには入らないとか、過去にも省エネが話題になった際に延長は12回までと規定された。

     ② 勝利打点の導入と廃止、ホールドなどのタイトル新設

     20年くらいまでは打者に勝利打点という項目があり、勝利にどれだけ貢献したかのバロメーターがあった。それが今ではそれが姿を消した。また、メジャーの投手起用法の導入によって、各球団の投手が完全分業制が確立されたことに伴い、新たに設けられたタイトル。年間50試合以上も投げていても勝敗がつかない場合が多い中継ぎ投手にとって励みになる嬉しい賞である。

     6 その他

     最近、野球を見ていて、やたらと投手の球種が増えたことに気づかないだろうか。かつてはストレート(直球)、カーブ、シュート、フォーク、チェンジアップくらいしかなかった。それが今や変幻自在な幅広い球種を操り、打者を翻弄するピッチャーが多くなった。

     既述の5種類に加え、スライダー、シンカー、パームボール、ナックル、スクリュー、ジャイロ、スプリットフィンガードファストボールなどそれは多彩になった。投手有利の飛ばないボールとなり、さらに球種が増えれば得点が激減し、ますます投高打低の傾向は当分続きそうだ。

     参考HP http://www.kidtom.com/baseball/

     記事作成:5月26日(日)

     追記

     こんな話題を書いた途端、6月12日になって急に「統一球」(飛ばない低反発ボール)の無断変更問題が浮上した。今年のプロ野球は、DeNAのブランコやヤクルト・バレンティンの本塁打量産などにもわかるように、低反発らしからぬ「飛びすぎるボール」が気になっていた。やはり蓋を開ければこのようなカラクリがあった。これでは投手はたまったものではない。プロの選手は完全出来高制で給料(年俸)が支払われているため、まったくもって死活問題である。例えば、飛距離が出ないだろうと思い込み、多少甘いコースに投げ込んで勝負したら打たれたケースも相当いることだろう。おそらくは、投高打低では得点力が激減し、野球の魅力は半減することだろうと判断し、選手側に無断で勝手に試合球を変更したNPB機構側に問題があることは明白だ。たぶん、バレなければ、このまま隠し通そうとした腹に決まっている。
     今回の事態は却って混乱を招き、選手側や野球ファンなど多方面からの不信感を募らせる結果となった。私たちプロ野球ファンも裏切られた感は否めない。これほどの大罪を働いておきながら、球界トップの加藤コミッショナーは、謝罪こそしたものの、「不祥事だとは思っていないし、責任を取る必要はない」と平然と宣った。自らが承認したことを表明する証として自分の名前を入れた試合球を使用させておきながら、この言い草は何なんだ。「自分は知らなかった」と言い張り、責任を取らない構え。プレーする選手側に知らせず、内々に最も重要な事項を変更しておきながら、それがバレたら開き直って「知らぬ存ぜず」を盾にし責任を取らない最高権力者。この醜態こそが非常識極まりなく、腐った体質以外の何物でもない。こういう責任逃れのトップの下では選手はやる気を失せてしまう。
     もしかすると、事前に告知や説明をしていたのなら、各チームの戦略も異なり、今年のプロ野球はガラリ展開が変わっていたかもしれないのだ。それをコミッショナーともあろうお方が、真っ先に自らの保身を優先させるという暴挙に出た。まさに愚の骨頂。一刻も早く辞任し、再出発を図る方が球界全体のためだと思う。(H25/6/14)

    今週の山岸舞彩キャスター(6/10~6/13)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     今週の「NEWS ZERO」に出演した山岸舞彩キャスター(6/10~6/13)の様子です。

     6月10日(月)

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      6月11日(火)

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    6月12日(水)

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     この日、彼女のブログで19時から放送の「一番ソングSHOW」に出演していることを知ったが、時すでに遅し。最近、日本テレビ系の番組に出演することが多くなった。露出度が半端ない。彼女がいるだけで周りがパッと花が咲いたように明るくなる。

     6月13日(木)

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    民放に出演するようになってから、レギュラー以外の番組への出演や雑誌等への露出が増え、とても忙しそうだ。相変わらずの美貌と知性を振りまいている。私としても嬉しい限りだ。 

    今は亡き刑事ドラマの名優たち

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     小学校、中学校時代にハマっていたテレビドラマに「刑事」ドラマがあったことは何度も当ブログで触れてきた。しかし、30年以上の歳月は、当たり前のように人を老いさせ、死に至らしめるものだと実感している。それは刑事ドラマに出演した名優たちにも避けられない事実で、私たちを楽しませてくれた方がたも数多くの方々が鬼籍に入られた。今回は亡くなられた名優を取り上げ、在りし日のお姿を偲びたい。

     1 太陽にほえろ!

     藤堂俊介(ボス)・・・石原裕次郎
     野崎太郎(長さん)・・・下川辰平
     柴田純(ジーパン)・・・松田優作
     滝隆一(スコッチ)・・・沖雅也
     井川利三(トシさん)・・・地井武男
     澤村誠(ブルース)・・・又野誠治

     「山さん」こと露口茂さんは、今でもご健在だが、すでに芸能界を引退している。
     

     2 特捜最前線

     神代恭介課長・・・二谷英明
     橘剛・・・本郷功次郎
     船村一平・・・大滝秀治
     叶旬一・・・夏夕介
     津上明・・・荒木しげる
     

     3 Gメン’75

     黒木哲也警視・・・丹波哲郎
     山田八兵衛・・・藤木悠
     賀川陽子・・・范文雀 
     古田刑事・・・谷村昌彦
     結城警視正・・・中丸忠雄
     土屋和正・・・長門勇

     4 熱中時代刑事編

     潮田衛太郎・・・藤岡琢也
     矢頭文治・・・小松方正
     前原国彦・・・細川俊之

     5 大都会Ⅰ~Ⅲ

     滝川竜太・・・石原裕次郎
     深町行男・・・佐藤慶
     加賀見乙吉・・・中条静夫
     丸山米三・・・高品格
     高木吾一・・・草薙幸二郎
     平原春夫・・・粟津祐

     徳吉功・・・松田優作
     吉岡務・・・小池朝雄
     武井勉・・・小山田宗徳

     加川乙吉・・・高城淳一
     

     6 西部警察Ⅰ~Ⅲ

     小暮謙三・・・石原裕次郎
     谷大作・・・藤岡重慶
     浜源太郎・・・井上昭文
     佐川勘一・・・高城淳一
     南長太郎・・・小林昭二

     
     7 夜明けの刑事・明日の刑事

     鈴木勇・・・坂上二郎
     小林敦・・・鈴木ヒロミツ
     相馬一郎・・・石立鉄男
     柴田武・・・佐藤允
     佐藤平吉・・・橋本功 

     8 噂の刑事トミーとマツ

     南田刑事・・・神山卓三
     西山刑事・・・井上和行
     東刑事・・・成川哲夫
     相模五郎・・・石立鉄男

     9 大空港

     加賀弘之・・・鶴田浩二
     梶大介・・・緒形拳
     
    10 俺たちの勲章

     中野祐二・・・松田優作
     野上係長・・・北村和夫
     雪子事務員・・・坂口良子

    11 誇りの報酬

     堀井久・・・鈴木ヒロミツ

     主演の根津甚八と篠ひろ子は芸能界引退、喫茶店「バビルゾン」従業員の堀江しのぶは病死した。

    12 あぶない刑事

     吉田春彦・・・秋山武史
     近藤卓造・・・中条静夫
     原熊・・・高城淳一
     

    13 踊る大捜査線
     
     和久平八郎・・・いかりや長介
     中西 修・・・小林すすむ

    14 はぐれ刑事純情派

     安浦吉之助・・・藤田まこと
     
    15 非情のライセンス

     会田健・・・天知茂
     矢部警視・・・山村聡
     橘警部・・・渡辺文雄
     四方刑事・・・葉山良二
     吉田刑事・・・多々良純
     酒井刑事・・・宮口二郎
     岩田刑事・・・岩城力也 
     捜査四係長・・・神田隆
     捜査一課長・・・岡田英次
     浮田刑事・・・松山英太郎
     佐竹総監室長・・・戸浦六宏 

     共演者の大友柳太朗、岸田今日子は刑事役ではないため、除外しました。


    16 私鉄沿線97分署

     本多杏子・・・坂口良子
     本城功・・・古尾谷雅人
     滝村謙三・・・長門裕之
     丸岡吾一・・・武藤章生

    17 キーハンター

     黒木哲也・・・丹波哲郎
     吹雪一郎・・・川口浩
     村岡特別室長・・・仲谷昇
     小田切慎二・・・中丸忠雄
     滝裕二・・・沖雅也

     土曜ワイドの「明智小五郎美女シリーズ」と「俺たちは天使だ」は探偵もの、「ザ・ハングマン」は裏稼業の仕置人的存在から、今回の刑事ものからは外しました。また。同様に最近の刑事ドラマは、お亡くなりになっている方が少なく趣旨を外れるため、割愛しました。

     さて、懐かしんでもらえたでしょうか。名優たちの在りし日の活躍を忘れかけていた記憶の片隅から蘇えらせてくれたでしょうか。すでに放送打ち切りとなった番組もあれば、現在もシリーズとして放送中のものも含まれている。かつては、ゴールデンタイムの花形番組として、お茶の間の人気を独り占めした感のある刑事ドラマの数々だが、現在は、テレビ朝日系列の「相棒」を除いて、あまり視聴率も稼げない状況に陥っている。ひと頃に比べると、刑事ドラマが激減し、2時間ドラマにばかり枠を取られている感が否めない。また、各テレビ局が年間10回以上放送しているノンフィクションものの「警察24時」系の番組に牛耳られているように思えてならない。かつての「俺たちは天使だ」とか「噂の刑事トミーとマツ」、90年代以降の「君の瞳をタイホする!」といったパロディー混じりの刑事ドラマのように創意工夫を重ね、視聴率アップの方策をあれこれ模索した時代もあった。視聴者を惹きつけるような21世紀を代表するような刑事ドラマを期待したいと思う。

     記事作成:5月19日(日)

    私が好きだった番組「プロポーズ大作戦」

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     タイトルを見て早合点してしまった方には謝りたい。本日は2007年にフジテレビ系列で放送された山下智久、長澤まさみ主演のテレビドラマの「プロポーズ大作戦」ではない。おそらくは、40代以上の方でないとオンタイムでは見ていないので理解し難いと思う。ところで、恋のキューピット役や男女の出会いを取り持つ番組には昔からいろいろあった。芸能人の出会いを演出した「ラブラブゲーム」に始まり、桂三枝と西川きよしが司会を務め、ゲーム形式の「パンチDEデート」、昭和末期には「ちょっと待った!」コールがブームとなった「ねるとん紅鯨団」、2000年代には「恋するハニカミ」と「あいのり」、現在では「ナイナイのお見合い大作戦」、さらには週末のシンデレラ「弾丸トラベラー」などが挙げられる。現代のような出会い系や「婚活」という言葉がない私が学生時代を送った昭和にあって、関西のノリの良さで一世を風靡した番組があった。それこそタイトルに掲げた「プロポーズ大作戦」である。まずは、本番組を知らない若者世代の方に、あらましを紹介したい。

     「プロポーズ大作戦」

     1973年4月2日から1985年3月26日まで朝日放送(ABCテレビ)で放映された公開恋愛バラエティ番組である。司会を横山やすし・西川きよし、桂きん枝が務めた。

     前半は、「目当てのお相手」との出会いを求めて番組に応募してくる視聴者の依頼に答えて、スタジオでの「ご対面」を実現させるというコーナーだった。ここでの依頼は、「お相手」が「通勤時にいつもすれ違う」など、どこの誰かが分からないので探して欲しいというものと、「取引先の受付嬢」など、どこの誰かは分かっているが、直接告白するきっかけがないので、番組をきっかけにして気持ちを伝えたいというものに二分された。

     コーナーの進行としては、最初に、司会者と依頼者がトークを行い、「見かけたきっかけ」や「お相手」に対する熱い思いなどを聞き出した後、やすしの「神の御前にて身を委ねたる、○○殿の願いを叶えたまえ~」という台詞とともに、「お相手」がステージのカーテンから登場するというのが、基本的なパターンだった。また、「お相手」の登場後には、キューピットが、「お相手」のプロフィールの紹介や、見つけ出すに至った経過の報告があった。さらに、司会者、キューピット、依頼者、「お相手」によるトークの後、依頼者から「お相手」に対する告白タイムが設けられていた。ただし、「情報が少なすぎる」「相手は判明したが、番組収録日までに連絡が取れなかった」「出演拒否」などの事情により、「お相手」が登場しない場合もあった。この場合には、カーテンは開かずに横からキューピットが出てきて、「経過の報告」や「出演拒否理由の説明」が行われた。

     中間部は今回のゲストに関するコーナーで、ゲストが街であっち向いてホイをやり、ゲストに勝った人はカードを引いて出た事を行う「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」や、ゲストが何かやっているVTRを見せ、観客から募った3名がゲストは誰かを解答する「スターWho's Who」などが行われた。その後、ゲストの歌となり、後期からはそのゲストは後半の見物もする。

     そして後半は「フィーリングカップル5VS5」と題され、大学生が学校対抗形式で、それぞれ男性チーム・女性チームに分かれて5人ずつ登場し、集団お見合いをさせるというコーナーである。参加者はお気に入りの相手を第一印象で選んだ上で、それぞれの個性や学校生活などについて自由に話を持つ。そして最終的に出演者の目前にある大型テーブルを使って判断をし、両想いになるとカップル成立と判断するものであった。番組初期の頃は紐くじ方式で、カップル成立か否かを判断していた。番組中期から使用されていた、ある意味番組の象徴とも言える電光掲示による大型テーブルは、番組終了まで途中リニューアルされながら使われていたが、番組終了後は倉庫に保存される事も無く解体された。

     出場者の入場時には番組テーマ曲が流れる中、客席の入口よりチーム名の入ったプラカードを持ったエスコート役(男性チームは女性、女性チームは男性)の後から出場者が登場するものであった。カップル成立・不成立の結果を見るときは、きよしが「音楽スタート!」と叫んでから行っていたが、その前に代表者1名の結果を見るのがパターンだった。その見方は、代表者が選んだ相手に直接ラインが行く(この時やす・きよは「♪ジャ〜ンジャジャジャジャ〜ン!」と歌っていた)方式だったが、後に1人ずつラインが出る物と、一斉に放射状にラインが出るのが追加された(なお後者は、途中で意地悪く一旦止めるのがしばしば有った)。

     そしてカップルが成立したら、そのカップルにインタビューをした後、「儀式」と称して男性から女性へのキスとなる。そのキスの場所は女性が決めるのだが、時によって「おまかせ」として男性の自由となる時も有った。これが好評なので、後期からは観客が「おーまかせ!!おーまかせ!!」と叫ぶ様になった。

     福島県では福島放送で火曜日(水曜日)の22時から放送していた。

     

     http://www.youtube.com/watch?v=Y2qU2YFqpx8

     http://www.youtube.com/watch?v=8U-JCg4L4uk

     私が中高時代は、好きな人とカップルになれるのは稀で、告白や青年の主張なる風潮もなかった。また、男子校女子高が大部分だったので、交際のきっかけどころか出会いの場面も少なかった。そんな中、この番組は恋愛のバイブル的な要素を多分に含んでいた。しかし、私にはこの番組について苦い想い出がある。私が大学生になったら。絶対に「フィーリングカップル5VS5」に出演したかった。しかし、浪人の末に大学生になった途端、放送打ち切りとなってしまったのだ。長年の夢が一瞬で潰えてしまい、そのショックは相当なものだった。このテーマは、高校や大学の文化祭、学園祭の定番イベントとなった。

     どうですか?40代以上の方々には懐かしんでもらえたでしょうか?おそらく実家に録り溜めしたVHSテープにはこの番組を録画したものも大量にあるはず。でも肝心のVHSデッキが壊れてしまったので今となっては確認しようがない。残念だ。最近は冒頭でも述べた通り、あまりにもネットや携帯主流で、若者の男女の出会いの場を提供するバラエティ向けの番組が少ない。ぜひテレビ局には再考をお願いしたい。

     最後に、この番組のテーマソングを歌っていた「キャンディーズ」の「ラッキーチャンスを逃さないで」をお送りして結びとしたい。

     記事作成:5月26日(日)

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