タイトルのように書くと聞こえはいいが、実際は主なヒット曲が一曲だけの「一発屋」で終わってしまった感のあるシンガーを取り上げる。3年ほど前に「さすらいの一発野郎たち」という記事を前編と後編に分けて書いたことがあったが、こと女性歌手に対しては、「一発屋」という言葉は、シャレで済まないことから実に使いづらい。失礼な印象を与えるばかりか、一生懸命に頑張っている人に対して何か侮辱しているように聞こえるからだ。したがって当ブログをご覧頂いている賢明なブロガーの方は、やむを得ずこのようなタイトルにしなければならなかった、当方の苦しい胸の内をお察し願いたい。そして今回は、1960年代から2010年代にかけての50年近い歳月を範囲とするために、該当者が多いことから、いつもの映像埋込みは回避し、「YouTube」のアドレスのみ、さらには順不同で掲載しますので、あしからず。
1 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)
http://www.youtube.com/watch?v=PpRthIn_IvM
ご存知、宇多田ヒカルの実母。そして前川清との結婚歴有。10週連続1位77万枚を記録し、ファーストアルバム「新宿の女」が21週連続1位、セカンドアルバム「女のブルース」も17週連続1位を記録した。
2 平山みき「真夏の出来事」(1971年)
http://www.youtube.com/watch?v=R1pGSrMwRus
1971年(昭和46年)、2枚目の当初はB面予定であった『真夏の出来事』がオリコン最高位5位と大ヒットする。続く『ノアの箱舟』も10万枚を売り上げるヒットを記録しスター歌手への仲間入りを果たす。
3 千賀かほる「真夜中のギター」(1969年)
http://www.youtube.com/watch?v=vt3fBQyEtDQ
1969年10月20日から1970年1月5日までベストテンにランクイン。最高位は1969年11月24日から12月8日までの3週にわたって記録した4位である。売上げ枚数は、44.8万枚。
千賀かほるは、この曲で1969年の第11回日本レコード大賞新人賞を受賞している。
4 日吉ミミ「男と女のお話」(1969年)
http://www.youtube.com/watch?v=DZLok90P-Cw
1969年11月に改名して再デビュー。改名第2作となる『男と女のお話』が大ヒット(累計売上は60万枚超)、選出後辞退した江利チエミの代替出演ながら同年の「NHK紅白歌合戦」に本作で初出場を果たす。
5 丸山圭子「どうぞこのまま」(1976年)
http://www.youtube.com/watch?v=4YB2ROp1YGA
1976年7月にリリースした「どうぞこのまま」が翌年にかけてロングヒットした。
6 水越けいこ「ほほにキスして」(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=NqyIShflGio
1978年「しあわせをありがとう」でデビュー。また、TBS系「8時の空」に歌のお姉さんとして出演していた。ほほにキスして (1979.07.01)- 1990年に酒井法子がシングル「幸福なんてほしくないわ」のc/wとして、また2013年にさんみゅ〜がカバー。
7 小坂明子「あなた」(1974年)
http://www.youtube.com/watch?v=XLgGwOkfzow
1973年 第4回世界歌謡祭にて、自身の作詞作曲による「あなた」で最優秀グランプリを受賞。1974年 前年11月に発表したデビュー曲「あなた」が200万枚を超える大ヒット。第2回サンプラザ音楽祭では熱演賞グランプリを受賞した。
8 桑江知子「私のハートはストップモーション」(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=XtPOUgova68
1979年1月25日、SMSレコードから「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)でデビューし、この曲がポーラ化粧品のCMでブレイク。沖縄県出身。
9 松村和子「帰ってこいよ」(1980年)
http://www.youtube.com/watch?v=1na-cwD6QNM
1980年4月21日、ロングヘアー姿で津軽三味線をギターの様に操る、演歌歌手としては異色のスタイルでビクター音楽産業からデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは、「帰ってきた男衆(やんしゅう)演歌」。デビュー曲の「帰ってこいよ」(作詞:平山忠夫、作曲:一代のぼる、編曲:斉藤恒夫)がヒットを記録し、この年の第22回日本レコード大賞新人賞を受賞した。翌1981年には『NHK紅白歌合戦』に出場を果たした。
10 久保田早紀「異邦人」(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=B-P1Ef2HQJI
1979年10月1日に、「異邦人」でレコードデビュー。三洋電機のCMに使用され、そのオリエンタルで神秘的なムードに注目が集まり、じわじわと売上げを伸ばしてブレイクする。12月13日に、「ザ・ベストテン」に第5位で初登場した際にはその美貌にも注目が集まる。12月27日には第1位を獲得、1980年1月17日まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後3月6日迄12週の長きにわたり連続ベストテン入りする大ヒットとなった。同年12月に発表したアルバム『夢がたり』もヒットし、一躍話題のニューミュージック歌手となる。現在は久米小百合として活動中。敬虔なクリスチャンでもある。
11 中原理恵「東京ららばい」(1978年)
http://www.youtube.com/watch?v=YWIqx19fUik
1978年、CBS・ソニーから歌手デビュー。1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽ってい]。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。
12 中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」(1982年)
http://www.youtube.com/watch?v=OpiodIhOB2A
1982年に『今夜だけDANCE・DANCE・DANCE』でデビューする。1984年にはカネボウ化粧品夏のキャンペーンソングとなった『君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。』が大ヒットする。グルーヴ溢れる曲やブラス・セクションが入った曲が多く、ラテン音楽を取り入れたポップスやバラード、都会的でスマートな曲を数多く歌った。詞と曲も自分で手掛け、脳天気な少女の感性と愁いを帯びた大人の感性が同居する独自の作風を作り上げたが、1990年にニューヨークへ拠点を移し1992年歌手活動を休止する。
13 辛島美登里「サイレント・イヴ」(1990年)
http://www.youtube.com/watch?v=Edv3pdlO5wg
1990年、9月下旬にリリースしたシングル「笑顔を探して」(テレビアニメ「YAWARA!」主題歌)、11月上旬にリリースした「サイレント・イヴ」(テレビドラマ「クリスマス・イブ」主題歌)が大ヒットし、世間に認知される。サイレント・イヴはオリコンチャート1位を獲得したほか、日本ゴールドディスク大賞ベスト5シングル賞を受賞した。
14 石井明美「CHA CHA CHA」(1986年)
http://www.youtube.com/watch?v=i1TALdvTln8
1986年(昭和61年)、テレビドラマ『男女7人夏物語』の主題歌「CHA CHA CHA」(イタリアのダンスグループ「フィンツィ・コンティーニ(Finzy Kontini)」の楽曲のカバー)でデビュー。80万枚を売り上げ、オリコン年間シングルチャート1位になっている。1987年(昭和62年)春の第59回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用された。15 森川由加里「SHOW ME」(1987年)
http://www.youtube.com/watch?v=4JBeZXV-83M
1987年10月、セカンドシングル『SHOW ME』がTBS系のテレビドラマ『男女7人秋物語』の主題歌としてヒットし、数々の賞を受賞。以後、そのボーイッシュなキャラクターを武器にバラエティーアイドルとしてテレビのバラエティ番組やドラマ、CMなどに出演した。今年、突如。布施明との結婚を発表した。
16 沢田知可子「会いたい」(1990年)
http://www.youtube.com/watch?v=Eyf54l_UnTQ&list=RD025fVVO3piGoo
1990年にアルバム『I MISS YOU』からシングルカットされた『会いたい』(テレビ朝日『トゥナイト』テーマ曲)が長期にわたるロングヒットでシングルセールス130万枚を達成、オリコンシングルチャートにも100位以内に87週の長期にわたってランクインを果たし、1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』に出場、『第24回全日本有線放送大賞』ではグランプリを受賞した。
17 石川ひとみ「まちぶせ」(1981年)
http://www.youtube.com/watch?v=BGVi-Pu5zO4
オーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなり、1978年5月25日、「右向け右」でキャニオンレコードのNAVレーベルよりデビュー。1981年の「まちぶせ」(三木聖子のカバー)がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。またNHKの人形劇『プリンプリン物語』(1979-82)で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当、同局の歌番組『レッツゴーヤング』で太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍した。
18 松原みき「Stay with me」(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=f4Me0NzdWdU
1979年11月5日にファーストシングル「真夜中のドア〜Stay with me」でデビュー。複数の新人賞を受賞した。以降1991年1月21日までにカップリング曲を含むシングル17枚、ベスト盤を含むアルバム15枚を発表。全国各地で演奏活動を展開した。2004年10月7日、子宮頸癌のため44歳で死去。
19 やや 「夜霧のハウスマヌカン」(1986年)
1986年1月、「夜霧のハウスマヌカン」(東芝EMI)で歌手デビュー。「シャケ弁当」「ハウスマヌカン」が流行語になるほど大ヒットし、日本有線大賞優秀新人賞などを受賞。90年には、石井明美らと競作となった「ランバダ」(同)で再ブレーク。その後も、モノマネ、演歌も歌えるエンタテイナーとして活躍中。現在、独身。
20 島谷ひとみ「亜麻色の髪の乙女」(2002年)
http://www.youtube.com/watch?v=qtPHhHmb3Sw
2002年1月にTBSのドラマ『プリティガール』の主題歌「シャンティ」を発売し、週間オリコンチャート初登場7位を記録。自身初のオリコン・トップ10入りの作品となった。同年、花王エッセンシャルダメージケアシャンプーのCMソングとして、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」をカバー、島谷自らがモデルとして出演したCMの反響は大きく、同曲はオリコンのカラオケチャートで新記録となる18週連続1位、オリコン年間カラオケチャート1位、週間オリコンチャート最高位4位、年間オリコンチャート22位となり、カバーブームの先駆となった。同年6月に発売された2ndアルバム『シャンティ』では週間オリコンチャート初登場1位を記録し、シングルアルバム通じて初の1位獲得作品となった。同年、『第53回NHK紅白歌合戦』に「亜麻色の髪の乙女」で初出場。以後、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』まで4年連続で出場している。歌唱曲にはアッパーチューン、バラード、異国情緒を醸し出すナンバーがあり、ポップス、ロック、ラテン、R&B、ジャズ、ハウス、ボサノヴァ、レゲエ、演歌などの幅広いジャンルを歌う。21 中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」(1985年)
http://www.youtube.com/watch?v=oRiZUJ5evZ8
1984年9月5日に高橋研プロデュースによるシングル「MIDNIGHT KIDS」でハミングバードレコードよりデビュー。翌1985年4月21日にリリースした3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」が日清カップヌードルのCMに起用されて大ヒットを記録する。ハスキーボイスでパンチのある歌い方が特徴だった。
22 葛城ユキ 「ボヘミアン」(1983年)
http://www.youtube.com/watch?v=EVhdYFjNuOI
1983年に飛鳥涼が大友裕子に提供した『ボヘミアン』をカバーし大ヒット(以後自身の代表曲となる)。現在はインディーズで活動している。声量豊かな、独特のハスキーボイスを持ち味とする。
23 GAO「サヨナラ」(1992年)
http://www.youtube.com/watch?v=e45yonxddBA
代表曲のひとつがミリオンセラーとなった「サヨナラ」(日本テレビ系ドラマ『素敵にダマして!』主題歌、『NNNニュースプラス1』エンディング)。一発屋と言われることもあるが、第一興商「DAM」CMソングへの起用や、『第43回NHK紅白歌合戦』への出場経験もある。一見少年の様に見えるユニセックス的なルックスとハスキーボイスが特徴。「GAO」とは発声練習中に声をつぶし、その声からつけられたあだ名。身長:165cm。
24 りりぃ「私は泣いています」(1972年)
http://www.youtube.com/watch?v=PXMtJt26mnc
1972年、東芝EMIより歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで一世を風靡。 1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒット[1]を記録する。
25 金井克子「他人の関係」(1973年)
http://www.youtube.com/watch?v=AvvsA2uIrCg
1973年、「他人の関係」が振付けで話題を呼び、自身では初めてオリコン・シングルチャートでTOP10にランクインし、公称ではあるが100万枚以上の売上げを記録。その年の第15回日本レコード大賞企画賞を受賞し、第24回NHK紅白歌合戦にも出場した。
26 奥村チヨ「恋の奴隷」(1969年)
http://www.youtube.com/watch?v=HKhxmrFQb4E
1969年 - 1970年に発表した「恋の奴隷」(100万枚突破)「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立した。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たした。
27 伊藤咲子「ひまわり娘」(1974年)
http://www.youtube.com/watch?v=gbVAHD2ZotM
1973年 15歳で、オーディション番組「スター誕生!」優勝し、1974年に「ひまわり娘」でアイドル歌手としてデビュー。当時は森昌子と共に短髪娘として頑張っていた。結婚後、歌手活動を休止していたが、2004年に再開した。28 金井夕子「パステルラブ」(1978年)
http://www.youtube.com/watch?v=rdWuImVorzw
1978年、デビュー曲の『パステル・ラブ』は松本典子と星野真里が、アルバム収録の『走れウサギ』は越美晴が、『マヤマヤ ビーチ』は『月の浜辺』と改題して岩崎良美がカバーしている。
29 麻生よう子「逃避行」(1974年)
http://www.youtube.com/watch?v=4azO728sRRE
1974年にデビュー曲『逃避行』が大ヒットし、その歌唱力が評価され同年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。
30 安西マリア「涙の太陽」(1973年)
http://www.youtube.com/watch?v=0VTI1-B8Fs4
1973年、“チョコレート・マリア”のキャッチフレーズで『涙の太陽』(エミー・ジャクソンのカバー曲)で歌手デビュー。昭和48年度・第15回日本レコード大賞新人賞受賞。欧州人とのクオーターで、小麦色の肌・彫りの深いルックスがトレードマークだった。
31 中村晃子「虹色の湖」(1965年)
http://www.youtube.com/watch?v=tn2ssDHOReg&list=RD024azO728sRRE
1965年に『青い落葉』にてレコードデビュー。1967年に『虹色の湖』をリリース。グループサウンズ全盛の時期にあって一人GS調が見事に話題を呼び80万枚を売り上げるヒットとなる[
32 黛ジュン「天使の誘惑」(1968年)
http://www.youtube.com/watch?v=DpYFtO0gZqc
1968年にリリースされた「天使の誘惑」は大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。自身のヒット曲が主題歌となった映画にも出演。「天使の誘惑」「夕月」では主演に抜擢、売れっ子女優にもなった。また年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年連続で通算4回の出場を果たしている。ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集める。
33 松坂慶子「愛の水中花」(1979年)
http://www.youtube.com/watch?v=CaS5V6VVPLE
1972年(昭和47年)、松竹へ移籍。看板女優として飛躍し始める。1975年(昭和50年)、TBSで放送された江戸を斬るで世間での人気を得る。後に人気シリーズになる。1978年(昭和53年)の『事件』では初ヌードも披露し、清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放映のテレビドラマ『水中花』に主演し、主題歌『愛の水中花』を歌うとともに、妖艶なバニーガール姿を披露する。父親は在日韓国人。母親は日本人。
34 いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」(1969年)
http://www.youtube.com/watch?v=JZuiyjCb0GM
1962年に上京し、いずみたくに師事。1964年『ネェ、聞いてよママ』でレコードデビューを果たした。1968年、イメージチェンジと歌手活動に専念のためレコード会社を移籍。同年末に発売された『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒットし、150万枚の売り上げを記録。]NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場、1993年には16年ぶりに復帰し通算10回出場した。
35 中山千夏「あなたの心に」(1969年)
http://www.youtube.com/watch?v=5oJqSlO9nZA
高校時代、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」では多くの挿入歌を歌い、その作曲家・宇野誠一郎の指導を得て、ボイストレーニングを受けた。当時は主としてNHKで子ども番組の主題歌や「みんなのうた」などで活躍し、舞台でもいくつかの東宝ミュージカルに出演した。だが歌手としての本格的なデビューは、1969年9月にビクターレコードより発表されたポップス「あなたの心に」。当年度レコード大賞新人賞にノミネートされるほどのヒット(オリコン2位)となった。この曲はのちに、以下のように多くのカバーを生んだ。1970年代、時の女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画した後、反差別・反戦などの市民運動に取り組み、1980年には参議院選挙に出馬して当選、1期を務めた。 その後は著作活動に専念するかたわら、人権や反戦の市民運動を続けている。
36 森田童子「僕たちの失敗」(1993年)
http://www.youtube.com/watch?v=5ZgS-_akCZ4
1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」が使われ、話題となる。
37 小林麻美「雨音はショパンの調べ」(1984年)
http://www.youtube.com/watch?v=ODTlVy7aPeU
1984年、GAZEBOのカヴァーで「雨音はショパンの調べ」が大ヒットしたが、歌番組で歌ったことはない。長い髪、陰のある表情、背が高く細い身体、柳腰、寡黙などが特徴的で、都会的でアンニュイな雰囲気で人気を得た。
38 やまがたすみこ「」風に吹かれていこう」
http://www.youtube.com/watch?v=rQ88QNy1XFI
1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」で日本コロムビアよりデビュー。ラジオやテレビの主題歌やテーマ曲を歌うことが多かった。
39 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1976年)
http://www.youtube.com/watch?v=eu_Dlu0Wk70
1969年、中学3年のときに友人の代わりにスクールメイツのオーディションをうけ、合格する。1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビュー。キャッチフレーズは「まごころ弾き語り」。デビュー初期はフォーク調で、ピアノ弾き語りの曲が多かった。1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット、翌1976年のオリコンチャート4位を記録。なお、NHK紅白歌合戦には初登場の1976年から1980年まで、5年連続で出場。
40 高樹 澪「ダンスはうまく踊れない」(1982年)
http://www.youtube.com/watch?v=LzhCV_S0hH8
1982年7月、3rdシングル「ダンスはうまく踊れない」(売上80万枚)がアルバム『ナーダ』(売上40万枚以上)と共に大ヒット。
41 五輪真弓「恋人よ」(1980年)
http://www.youtube.com/watch?v=vnjEKojqgVc
1980年にリリースされたシングル『恋人よ』は当初はB面(カップリング)用の曲であったが、歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。『恋人よ』は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞金賞を受賞した。
42 あべ静江「みずいろの手紙」(1974年)
http://www.youtube.com/watch?v=ubw_yAZDqd4
1973年5月25日、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオンレコードから『コーヒーショップで』でデビュー。同デビュー曲はオリコンでベスト10内にランクされ、またシングル売上約28万枚を記録する自身最大のヒット曲となった。1973年9月25日の『みずいろの手紙』も大ヒット、同年12月31日放映の第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。翌1974年12月31日には、『みずいろの手紙』で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。シングル16枚、アルバム8枚を発表した。昔は、このようにセリフで始まる歌が多かった。彼女の場合、デビュー曲のほうが売上げは多かったので「一発屋」と呼ぶにはあまりにも失礼だろう。
さて、思いのほか長くなってしまったが、彼女たちが大ヒット曲がありながら、その後なかなかヒット曲に恵まれずに、その一曲ばかりが記憶に残り、引退もしくは休業してしまった方々である。芸能界で生き残るのは至難の業だが、たとえ一時期であったにせよ、彼女たちが光彩を放ち、輝いていた時期が確かにあったのだ。今回、古くは1960年代から21世紀初頭にかけてのミュージックシーンを彩った彼女たちの活躍に拍手を送りたい。ふたたびリバイバルや懐メロで彼女たちの楽曲が脚光を浴びることを願って結びとしたい。
記事作成:5月9日(木)~11日(土)