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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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AIR SUPPLYに魅せられた頃

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 私が高校生時分に洋楽にハマリ、どっぷり浸かったことは当ブログで何度も記事にしてきた。1980年代初頭は、自分にとって人生の過渡期にあたるような重要な時間を過ごした。そんな時節に、多大な影響を与えてくれたユニットがいた。それはタイトルに示した通り「AIR SUPPLY」である。TOTOやCHICAGO、EAGLESも好きだったが、彼らに敵うものはないほど魅せられ、夢中になって聴き漁ったものだ。そして彼らの奏でる楽曲から、私は英語を習得したといっても過言ではない。私の英語好きは今を遡ること中学時代のBCLを趣味とし、「Voice of America」などの海外の短波放送を聴いたことによるところが大きいが、高校時代は紛れもなく彼らに洗脳されたと言って良い。そこで、今日は、昔を懐かしみ、今の若い世代には知らない人が多いと思い、改めて彼らの秀逸した楽曲の数々に触れて欲しいと思い、このテーマを設定した次第だ。では早速、彼らの曲で私がお気に入りの順にランキング形式で紹介したい。

 エア・サプライ(Air Supply)はオーストラリア メルボルン出身のバンド。非常に伸びの あるハイトーンボイスとドラマチックなバラードで1980年代に数々のヒットを放つ。 オーストラリアでいくつかのヒットを出した後、世界進出する。1980年に「ロスト・イン・ラブ 」が大ヒット。その後も「シーサイド・ラブ」(原題:The One That You Love)、「さよならロンリー・ラブ」(原題:Even the Nights Are Better)、「渚の誓い」(原題:Making Love Out of Nothing at All)といったヒット曲を連発した。日本でも当時流行したAORブームの波に乗り、さわやかでロマンチックな夏の海の代名詞的なイメージで非常に高い人気を博した。

 第1位 Without you

 第2位  Lost in Love

http://www.youtube.com/watch?v=MNqji6FjekQ

 第3位 Even the Nights Are Better

http://www.youtube.com/watch?v=NY86Y-Ejj6E

 第4位 Here I am

 第5位 Making Love Out of Nothing At All

 第6位 The One That You Love

http://www.youtube.com/watch?v=nY31ZH6hAFI

 第7位 All Out of Love

http://www.youtube.com/watch?v=JWdZEumNRmI

  第8位  I Can't Wait Forever

http://www.youtube.com/watch?v=QiGFVxHLEnM

 第9位  Goodbye

http://www.youtube.com/watch?v=J6qxMP3deU8

第10位 The Power of Love

http://www.youtube.com/watch?v=me_BhryXKZ8

 THE BEST OF AIR SUPPLY

 1980年代、私にとって最も輝いていた時代に影響を与えてくれた彼ら。彼らがいてくれたおかげで、充実した高校生活を送れたと言っても過言ではない。彼らの曲を通して英語を学び、洋楽の素晴らしさを知った。当時はレコードを近くのレンタル屋で借りて、ステレオセットで針がすり減るまで繰り返し聴いていた。心まで豊かになるような、そんな古き佳き時代だった。今聴き返しても決して色褪せることはない名曲として、私の記憶の中に刻み込まれている。

 記事作成:4月26日(金)


今週の山岸舞彩キャスター(5/6~5/9)

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 今週の山岸舞彩キャスターの様子です。

 まず、5月5日は築地署の一日署長を務めた。聖路加病院で生まれた彼女にとって、地元の警察署の署長を務めるということで、感無量だったようだ。詳しくは彼女のブログ記事をどうぞ!警察官の制服もよく似合っている。

http://ameblo.jp/yamagishi-mai/day-20130505.html 

 5月6日(月)

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 パンツスタイルで登場。脚が細いのでカッコよく決まっていた。

 5月7日(火)

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  2日連続のパンツルックだった。細いのでスタイリッシュ。何を着ても似合うし、全身を写した姿は小顔で八頭身に見える。モデルも十分務まる。

 5月8日(水)

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 この日は「ゆず」へのインタビューがあった。

 5月9日(木)

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 サンサタを卒業してから1か月余り、週4回も会えることが嬉しい。毎週見ているが、日に日に大人の女性になっている。

国民栄誉賞に値する人物

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 平成25年5月5日(日)に東京ドームにおいて、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督と巨人の4番として活躍し、日本人初のワールドシリーズMVPに輝き、昨年現役を引退した松井秀喜に対し、安倍晋三首相自らがプレゼンターとして登場し、国民栄誉賞を授与するセレモニーが行われた。長嶋氏はあまりにも遅い授賞となったが、松井はイチローでも2度辞退している本賞を、どのような心境で受け入れたのかわからないが、まことそれに値する活躍と誰もが認めているのだろう。これまで福田内閣が創設し、芸能界やスポーツ界などで、国民に夢と希望を与える顕著な活躍や功績があった方々を表彰する名目でこの「国民栄誉賞」は誕生した。その後、その明確な受賞基準がないため、その存在価値や日和見的な受賞理由がたびたび取り沙汰されてきた。今回も長嶋茂雄「ミスタープロ野球」への受賞は完全に時機を誤ったとしか言い様がない。
 血液型を30年以上研究している私としては、推薦者がB型の安倍晋三だったからだと深読みしている。B型は同じB型の才能を高く評価し、同型の功績しか認めたがらない傾向が強い。だから同じB型で彼の現役時代の華々しい経歴を知っている安倍氏だからこそ、今回の受賞に至ったと思っている。本来なら昭和52年に、王貞治氏が756号ホームランの世界新記録を樹立したことに端を発してこの賞が制定されたのだから、その後、長嶋氏が巨人軍の監督を退いた昭和55年にこの賞を彼に与えるべきった。

 一方、松井秀喜は、名球会入りこそしているが、記録だけを見れば、まだまだ国民栄誉賞に値するような成績を残しているわけではない。よっぽど赤バットを操り「打撃の神様」とまで呼ばれ、監督としてもV9という大金字塔を成し得た川上哲治氏のほうが受賞資格は十分であるように思える。川上氏はA型なので、B型の安倍晋三首相はその価値を認めないのかもしれない。

 前置きが長くなったが、本日は、過去に当ブログで二度この話題に触れ、その選考理由が明確でないことを指摘してきたが、過去23人が受賞しているこの栄えある褒賞に関して、今回で三度目となる「国民栄誉賞」絡みの記事を掲載したい。では早速テーマに設定したように、個人的に私が「国民栄誉賞に値する人物」を列挙していきたい。

 <プロ野球界>

 2012年までは王貞治と鉄人として連続試合出場の世界記録を樹立した衣笠祥雄しか受賞していなかった。

 川上哲治・・・・血液型A 「打撃の神様」「赤バット」「監督としてV9達成の大金字塔」

 金田正一・・・血液型B 「400勝投手」

 野茂英雄・・・血液型B メジャーリーグへの道筋を作ったパイオニア。「トルネード旋風」を巻き起こし、日米通算200勝利以上を成し遂げた功績。

 イチロー・・・血液型B 過去二度この賞を打診され、辞退したが、遅かれ早かれ引退時には受賞しないと国民が納得しない。 

 その他 王貞治を越える三冠王三度の落合博満(O型)、「安打製造機」の異名を取り、前人未到の3,000本安打記録張本勲(O型)、同じ連続試合出場記録でも連続イニング・連続試合フルイニング出場数の世界記録保持者となった金本知憲(O型)も、手首に死球を受け、骨折してもなお試合に出続けた不屈の精神の持ち主で、その頑張りは受賞の資格は十分ある。なお、世界の盗塁王、元阪急の福本豊(B型)は打診されたものの、固辞した経緯がある。

 <その他のスポーツ界>

 相撲界の千代の富士と大鵬、女子ワールドカップ優勝の「なでしこJAPAN」、女子レスリングオリンピック3連覇の吉田沙保里しか受賞していない。

 三浦知良・・・血液型A Jリーグの普及や人気獲得に多大な貢献を果たした功績。

 東洋の魔女・・・大松監督率いる日本女子チームが1964年の東京五輪で宿敵ソ連を破り、金メダルを獲得した功績。

 日の丸飛行隊・・・1972年の札幌五輪で70m級ジャンプで表彰台を独占し、日本中に希望と感動を与えた功績。(笠谷・今野・青地)

 長野五輪ジャンプ男子団体・・・札幌五輪の再来としてリレハンメルでの失速を挽回し、見事地元での金メダル奪取した功績は顕著。(斎藤・岡部・原田・船木)

 野村忠宏・・・血液型B 天才柔道家として君臨。3季連続金メダル獲得という前人未到の大記録を樹立した。柔道界ではロサンゼルス五輪金メダルの山下泰裕しか受賞していない。

 北島康介・・・血液型B アテネと北京で100mと200m平泳ぎで金メダルを獲得し、2連覇を達成した功績。

 具志堅用高・・・血液型A 今でこそモノマネされたり、おバカ芸能人としての地位だが、かつては天才的なボクサーだった。沖縄出身のため「カンムリワシ」というニックネームがついた。ファイタータイプで、アフロヘアがトレードマークだった。ジュニアフライ級のチャンピオンとして13度の防衛に成功した偉大な世界チャンプである。

 他にもオリンピックで金メダルを獲得した野口みづき、鈴木大地、岩崎恭子、船木和喜、清水宏保、谷亮子などもその資格はあると思うのだが。そしてボクシングでは、伝説のチャンプと言われた大場政夫も可能性はある。戦後の暗い世相の日本に、夢と希望を与えたプロレスの力道山やジャイアント馬場では何が不足というのだろうか。

 <芸能界>

 女優にして歌手の美空ひばり(O型)、俳優の長谷川一夫、森繁久彌(B型)、森光子(B型)、大作曲家の古賀政男と遠藤実、服部良一、吉田正、更には歌手の藤山一郎とこの世界は受賞者が多い。でもなぜかB型の受賞者が目に付く。日本人の2割しかいないのに芸能界にはうってつけのこの型だからである。では私が受賞に値する方々を取り上げたい。

 吉永小百合・・・血液型O 「サユリスト」という人がいるくらい熱狂的なファンが多く、日本映画の黎明期からその屋台骨を支えた功績。

 高倉健・・・血液型B 数多くの名作に主演し、日本映画ひとすじに取り組んだ功績。「寅さんシリーズ」の渥美清がもらっているのに、高倉健がもらっていないのは不釣り合いだ。

 石原裕次郎・・・血液型A 日活のホープとして君臨。シリーズものの映画に数多く出演した。美空ひばりと人気を二分した昭和を代表する大スターで、その功績は顕著。テレビの刑事ドラマのボス役でも国民的な人気を得た。受賞資格は十分すぎるほどである。

 俳優や歌手では、これ以外に1970年代後半に一大旋風を巻き起こしたピンクレディーや国民的アイドルとして頂点を極め、引退した山口百恵(A型)、あるいはサザンオールスターズとして長年、若者をしびれさせるようなご機嫌サウンドを生み出した桑田佳祐(A型)も受賞資格は十分あると考える。また、私はAKBこそ「国民栄誉賞」を受賞しても何ら不思議ではないと考える。老若男女を問わず、国民の誰もが認知し、何人にも渡ってミリオンセラーを連発。レコード大賞を連続受賞しているし、何より、被災者支援を大規模に展開しているアイドルグループである。彼ら以外では、CM出演料が最高額であり、日本ロック界の大御所にしてカリスマの「矢沢永吉」(B型)もまた役不足ということは断じてない。その選定基準がまちまちだから不公平感を生むのであろう。 

 <漫画家・作家>

 漫画家で受賞者は「サザエさん」の長谷川町子のみ。そして作家はひとりもこの賞をもらっていないという驚愕の事実。

 手塚治虫・・・「漫画の神様」として漫画の黎明期を支え、数多くの漫画家の手本として君臨した。

 藤子不二雄・・・「ドラえもん」は日本国内だけでなく、全世界で翻訳され愛読されている。

 松本清張・・・「点と線」を始め、「ゼロの焦点」、「砂の器」など多くの作品を世に発表し、映画化やドラマ化されている。

 漫画家や作家では、他にも「仮面ライダー」「サイボーグ009」を書いた石ノ森章太郎氏や天才バカボン、ニャロメなどのギャグマンガを確立した赤塚不二夫氏も可能性としては十分ある。

 <映画監督>

 「世界の黒澤」と呼ばれた黒澤明監督(B型)のみの受賞。

 円谷英二・・・1960年代から70年代にかけて、特撮という分野を確立し、ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズを発表し、子供たちに夢と希望を与えた功績は大きい。

 小津安二郎・・・「晩春」「麦秋」 「東京物語」など戦前戦後の映画界に多くの功績を残した。

 市川崑・・・「ビルマの竪琴」「野火」「東京オリンピック」「細雪」「おはん」、「犬神家の一族」など娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ功績。

 山田洋次・・・「男はつらいよ」シリーズで数多くの名作を残した。

 他にも鈴木清順監督や深作欣二監督、溝口健二監督、今村昌平監督、成瀬巳喜男監督、ジブリ映画の草分けの宮崎駿監督、カンヌ映画祭で何度もノミネートされ、実際に受賞もしている北野武監督らが候補となろう。

 さて、本日の記事は、5月5日(日)に長嶋茂雄と松井秀喜がW受賞した「国民栄誉賞」に絡めてお送りした。この賞は誠に名誉ながら、その選考基準はまちまちで、その時節の政府の判断一つに委ねられている。だから、功績があってから20年後だったり、肝心の本人の没後に贈られたりする矛盾点が生じやすい。できれば、一定の基準を設け、誰もが納得するような形で授与されるのが筋だし、モノの道理であろう。政府関係筋には、是が非でも公正な判断と、死後ではなく、生前のうちに授与することをお願いしたいものである。

 関連ブログ

「国民栄誉賞の妙」 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-9239.html

「国民栄誉賞の光と影」http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-b598.html

 記事作成:5月5日(日)

一世を風靡したCMたちPart2

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 2012年4月9日付で公開した「一世を風靡したCMたち」の第二弾。これまで当ブログで、懐かしいCMや想い出に残る作品を随分と紹介してきた。それほど私は物心ついた時から大のテレビ好きで、同時に番組の中で放送されるCMもかなりの本数見てきた。前回は11作品取り上げたが、今日は合計で20となるよう、9作品紹介したい。私の青春時代に流行ったCMばかりなので、記憶にないものや初めて見るという世代も多いだろう。じっくりご覧いただきたい。まずは、前回の記事をどうぞ!

 「一世を風靡したCMたち」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-57f1.html

 コカ・コーラ「YES COKE YES」

http://www.youtube.com/watch?v=dlqEfvThmP4

 1980年代のバブル時代を象徴するCM。イッキ飲みなどが流行っていた頃で、躍動感や一体感を演出している。

  グリコアーモンドチョコ&セシルチョコレート 田原俊彦&松田聖子

http://www.youtube.com/watch?v=2vkp45h9Qc8 (60秒作品)

 当時はトップアイドル同士の共演作品。旅先での予期せぬ出会いから高原デートに発展するという内容。当時のファンは2人の恋の行方にヤキモキした。このグリコチョコレートシリーズはその後、渡辺徹と小泉今日子、石黒賢と沢口靖子へ受け継がれた。

http://www.youtube.com/watch?v=4voXP13b_48 (渡辺徹・小泉今日子編)

http://www.youtube.com/watch?v=DJhmgH6ONsc (石黒賢・沢口靖子編)

 国鉄 山口百恵「いい日旅立ち」

 チャレンジ3万キロとか青春18切符とかが持て囃された時代、「愛国から幸福へ」の記念切符ブームやエキゾチックジャパンキャンペーンが展開された栄華を極めた時代も作品。今ではクリーム色と赤のツートンカラーの485系特急電車も少なくなった。

 ライオン 「ブルーダイヤ」(1980年)

 こちらは10年以上続いたロングランCMだった。青空に映えるように何列にも並べて干されたおびただしいほどの洗濯物の数。そしてラストにはお決まりの♪「金~銀~パ~ル、プレゼント~」♫のフレーズ。

 日清カップヌードル「hungry?」 1992年

http://www.youtube.com/watch?v=fJmEVECEwtY

http://www.youtube.com/watch?v=jfdk19dVync

 原始時代の様子を描いた作品。はじめ人間ギャートルズやゴンを彷彿させる。太古の時代の狩りの様子が蘇るような印象を残した。この作品もシリーズ化した。

 サントリーオールド 「恋は遠い日の花火ではない」

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=cDFgPmkjIyc&feature=endscreen

http://www.youtube.com/watch?v=a-Sa9Ix70NA

http://www.youtube.com/watch?v=ah2KF6s8Psw

 田中裕子と長塚京三が哀愁を漂わせながら大人の恋を演じきった作品。こちらも以前、当ブログで紹介した。20代の頃は、私より年上だった彼女の良さがあまり理解できなかったが、40代になった今、彼女の独特の雰囲気や癒し系の存在を愛おしく感じてしまう。

 ミノルタXー7 宮崎美子

http://www.youtube.com/watch?v=zCU1w6RkHl4 (続編)

 1980年、ジーンズを脱ぐCMで一世を風靡した。当時、熊本大学の大学生だった彼女がこのCMで大ブレイクした。私は高校生の頃にこのCMを見て、彼女の大ファンになった。可愛いのだが、国立大生だっただけに、妙に落ち着いた印象があった。今でもQサマでその秀才ぶりを発揮し、博学で知性が光る。

 「クイントリックス」 坊屋三郎(1974年)

 このCMはあまりにも古すぎ。オンタイムで見て知っているのは50代以上という方々だろう。何度も外国人に同じフレーズを言わせ、発音の間違いを指摘する作品。ナショナル(松下電器)のパナカラーだったが、この頃はソニーの「トリニトロン」などのCMが花盛りだった。

 日立製作所「この木なんの木」(1971年~)

 ハワイにある巨木をテーマにしたお馴染みのCM。番組のラストに日立グループの紹介を兼ねた大掛かりなCMだ。おそらく初期の頃から数えて半世紀もの月日が流れた由緒あるCMだろう。

 おそらく、今人気が高いCMは「ソフトバンク」のホワイト家族だろう。父親が犬という奇想天外な発想ながら、シリーズ作品としてCMは続く。ここでお断りしておくが、私は地方都市出身のため、大都市圏の方々が見ているであろう「ヨドバシカメラ」、「石丸電気」、「ハトヤ」、「スタイリー」などは流れていなかった。したがってこの類のCMはここでは取り上げないことにする。さて、次回はどんな時代の寵児とも言えるCMが登場するだろう。どうぞお楽しみに!

 記事作成:4月30日(火)

 

 

会津武士道を貫いた女性たち

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 今年のGWに異変が起きた。昨年までは東日本大震災による「福島第一原子力発電所事故」の放射線被害の余波で、ここ福島県は観光客が激減し、何かと暗いニュースに打ちのめされていた。しかし、震災から2年を経た今年、異変が起きている。それは、幕末の戦乱に見舞われた血生臭い時代にあって、「ならぬものはならぬものです」という会津武士道を貫き、懸命に生き抜いた女性たちがいたことは既に知っているでしょうが、今年のNHK大河ドラマで砲術家の会津藩士の娘「山本八重子(後の新島八重)」の生涯を描いた「八重の桜」が放送されて以降、その影響で観光客が花見を兼ねてわんさか繰り出したからである。もともと大内宿や塔のへつり、七日町通り、飯盛山、鶴ヶ城と観光には事欠かない、「誘客資源」が山ほどあった会津だが、折からの「八重ブーム」に肖って今年は大変な人出を記録した。
 実は今回と同じ状況が昭和末期にもあったのをご存知だろうか。それは日本テレビ系で毎年放送していた年末大型時代劇で、1986年に「白虎隊」が取り上げられ、2日間、延べ6時間番組として放送にされたことによるものだった。今回の大河ドラマでは、幕末期の会津戊辰戦争で男勝りの活躍をし、「ハンサムウーマン」とか「和製ジャンヌダルク」という言葉だけが独り歩きし、そうした名で呼ばれた女傑「山本(新島)八重子」にばかり注目が集まっているが、その時代を懸命に生き抜いた女性にスポットを当ててみたい。

 中野竹子

 会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれた。聡明で学問に長じ、また薙刀術の名手であった。戊辰戦争が始まると会津若松城下に戻り、学問や薙刀を教える。新政府軍が城下に侵攻した際、母・こう子らと共に娘子軍を結成し奮戦したが被弾。首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯により果てた。首級は農兵の手により法界寺に埋葬された。享年18。
 辞世の句は「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」。

 涙なくして見られない、壮絶な最期を遂げる殉死のシーンはコチラ

 中野竹子の生涯を綴ったブログはコチラ

http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/takeko.htm

 NHK大河ドラマ「八重の桜」では黒木メイサが演じている。NTV年末大型時代劇では岩崎良美が演じた。

 西郷千恵子

 会津藩氏・飯沼粂之進の二女として生まれる。会津藩国家老の西郷頼母のもとに嫁ぎ、一男五女をもうける。
 1868年(慶応4年)、戊辰戦争の10月8日(旧暦の8月23日)に薩長を中心とする西軍が若松城下に進軍し、城郭に迫ると、長男の吉十郎のみを城中に送り、その後、家族や家僕を邸宅に集め、国難に殉ずる大義を説き、娘、義妹ら西郷一族21名がことごとく自刃して果てた。夫を立て、会津武士道の流儀に則り、敵に辱めを受ける前に自らが覚悟の上の集団自決であった。

 西郷千恵子の辞世の句

 「なよたけの 風にまかする身ながらも たわまぬふしはありとこそ聞け」

 

 新島八重(山本八重子)

 江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生。会津戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃と刀を持って奮戦した。会津戦争が始まる前、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川崎尚之助と結婚し、会津若松城籠城戦を一緒に戦ったが、敗戦後に捕虜となった夫と離ればなれとなり、以降二度と再会しなかったと思われる。戦後、新島襄と出会い、結婚した。

 山本八重が落城の際に壁に刻んだ句である。

 「あすの夜は いづくの誰か眺むらむ なれしお城に残す月影」

 「白虎隊」では、今は亡き元キャンディーズの田中好子さんが演じ、まるで水戸黄門の由美かおるのようなスタイルで、夜襲をかけて敵を倒すなど、その迫真の演技が好評を得た。

 「新嶋八重の墓」の映像はコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=XlVWyU9TG0w

 「八重の桜」オープニング映像はコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=tIxFTmhaKW0

 賊軍の汚名を着せられ、負けるはずのない戦に敗れ、戦場に散った会津の英傑たち。彼らの魂を想うと、心が痛み、涙なくしては語れない。会津の精神である保科正之公が定めた会津藩の家訓15か条を貫き、愛する故郷のために最後まで戦い抜き、壮絶な最期を遂げていった。私自身も祖父母は会津の生まれ。私にも脈々と会津武士道の血が受け継がれている。これを読んだ方々が、どういう気持ちで会津を思うかしれないが、飯盛山や鶴ヶ城を訪れる際は、歴史認識を新たにし、霊験あらたかな気持ちで足を運んでほしい。ただ単に一時のブームに乗っかって、物見遊山の観光気分ではなく、会津武士道を学び、英霊たちを敬い、心からの哀悼の意を捧げてほしいと思う。

一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
  若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。

一、武備はおこたるべからず。士を選ぶを本とすべし 上下の分を乱るべからず

一、兄をうやまい、弟を愛すべし

一、婦人女子の言 一切聞くべからず

一、主をおもんじ、法を畏るべし

一、家中は風儀をはげむべし

一、賄(まかない)をおこない 媚(こび)を もとむべからず

一、面々 依怙贔屓(えこひいいき)すべからず

一、士をえらぶには便辟便侫(こびへつらって人の機嫌をとるもの
  口先がうまくて誠意が
ない)の者をとるべからず

一、賞罰は 家老のほか これに参加すべからず
  もし位を出ずる者あらば これを厳格にすべし。

一、近侍の もの をして 人の善悪を 告げしむ べからず。

一、政事は利害を持って道理をまぐるべからず。
  評議は私意をはさみ人言を拒ぐべらず。
  思うところを蔵せずもってこれを争うそうべし 
  はなはだ相争うといえども我意をかいすべからず

一、法を犯すものは ゆるす べからず

一、社倉は民のためにこれをおく永利のためのものなり 
  歳餓えればすなわち発出してこれを救うべしこれを他用すべからず

一、若し志をうしない 
  遊楽をこのみ 馳奢をいたし 土民をしてその所を失わしめば
  すなわち何の面目あって封印を戴き土地を領せんや必ず上表蟄居すべし

  右15件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり
  寛文8年戊申4月11日

               「会津若松市観光公社」HPより抜粋させていただきました。

 記事作成:5月4日(土)

亡くなった人を回想する歌

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 最近は韓国ドラマを見なくなった。かつては「冬ソナ」にハマリ、結構韓流ブームに乗っかって、韓国の美人女優の動向を探った時期があった。しかし、最近はネタバレ。主人公のどちらかが、最後は不治の病にかかり、必ず死別するという結末。残されたパートナーが、彼(彼女)を想い、回想や追憶しながら永遠の愛を誓ってエンディングというワンパターンに飽き飽きしてしまった。それに韓国女優の美容整形疑惑も怪しい部分だし、ネットによる中傷があまりにも過激で、それを苦にして自殺する若い俳優も多い。もちろん韓国だけの話ではないが、日本人の感覚からすると、北朝鮮や中国もそうだが、あまりにも直情的で被害妄想が強く、威圧的で挑戦的、あるいは高圧的で好戦的な性格が見て取れる。やはり大陸に暮らすものは、いつ侵略されるかわからない不安の中、神経過敏に敵対行動を取る民族という印象を抱く。これは私個人の勝手な思い込みかもしれないが、歴史的背景からして、どうも心底打ち解けて仲良くなれそうにない気概がどこかに残る。

 まぁ、前置きはこれくらいにして、ここ日本においても、実は歌の世界でも亡くなった友や恋人を回想し、想い出に浸るような感傷的な歌詞の曲は少なからずあった。今日は4月14日掲載の「鎮魂の歌」に引き続き、そうした「亡くなった人を回想する名曲」をピックアップしてお送りしたい。

 ロード THE 虎舞竜

http://www.youtube.com/watch?v=jj6RykVHJRk

http://www.youtube.com/watch?v=WsGpVatggV4

http://www.youtube.com/watch?v=mW8SrHP0IP4

http://www.youtube.com/watch?v=tXWRxGRy8G8

 会いたい 沢田知可子

http://www.youtube.com/watch?v=5fVVO3piGoo

 春雷 ふきのとう

http://www.youtube.com/watch?v=rafU3aEoMJM

 ギザギザハートの子守唄、涙のリクエスト、星屑のステージ、Song for USA(ザ・チェッカーズ)

http://www.youtube.com/watch?v=zY8t0OhwvQ8

http://www.youtube.com/watch?v=KuECszPublM

http://www.youtube.com/watch?v=HTH7UHcndYM

http://www.youtube.com/watch?v=oH10ZbwX6ig

 風・蕾 コブクロ

http://www.youtube.com/watch?v=vEMUZvnlRPU

http://www.youtube.com/watch?v=TfUVtF9AW34

 精霊流し、椎の実のママへ、償い、祈り、あなたへ、広島の空、長崎の空、記憶(とこしへ) きみを忘れない グレープ・さだまさし

http://www.youtube.com/watch?v=fmWr8Ysb4po

http://www.youtube.com/watch?v=QoO64Vg28QI

http://www.youtube.com/watch?v=k1ecRxlfkKI

http://www.youtube.com/watch?v=A1HyGHehdHU

http://www.youtube.com/watch?v=n2OtVC8JxBg

http://www.youtube.com/watch?v=ar_AwCEG_Q0

http://www.youtube.com/watch?v=mQbHEuK1Z6g

http://www.youtube.com/watch?v=714sZD7uijw

http://www.youtube.com/watch?v=N-UCBabtQ3Y

 僕にまかせてください クラフト・さだまさし

http://www.youtube.com/watch?v=G7bHx8lAusQ

 祈り 長渕剛

http://www.youtube.com/watch?v=V6RZItWixO0

 喝采 ちあきなみ

http://www.youtube.com/watch?v=HKjujDEDBnE

 あの人の手紙 かぐや姫

http://www.youtube.com/watch?v=6Ax2HhR7V8U

 初夏の出来事 矢野真紀

http://www.youtube.com/watch?v=UjFeOfLUqQM

 亡くなったお父さんを想って作った歌だそうです。

 緑のアーチ 湯川潮音

http://www.youtube.com/watch?v=Gof9Xd51FRU

 息吹 エアリアル

http://www.youtube.com/watch?v=BMSbrNZhRmk

 東京の下町を中心に活動するミュージシャンAERIALから、震災からの復興に向けてがんばるハ­ワイアンズ、いわき、そして福島の人々を応援するために贈られた応援歌。

 古くは被差別部落として人権問題に発展した「竹田の子守唄」や北朝鮮との関係悪化を懸念し、発禁や放送禁止に追い込まれた「イムジン河」などもあった。昭和40年代は世相を反映してか、なぜか暗めの歌がフォークソングを中心に多かった。レクイエムと呼ぶにはあまりにも稚拙な印象の曲が多い気がするが、人の死を悼み、そしてどこかにその人の面影を残し、記憶の片隅に置いておきたいという心情は理解できる。かく言う私も祖父母、父を亡くし、今もどこかで生きている気がしている・・・。

 記事作成:4月29日(月)

人生の落日 ~花散る日~

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 この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日なので、今回で四度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

 人生の落日 ~花散る日~

また僕は人生で大切な人を失った 
親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
あなたは僕にとって大きな存在 
幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
尊敬する人は誰かと聞かれれば 
僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

明治生まれの生粋の会津人 
「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
あなたは僕の人生そのもの 
身を持ってその手本を示してくれた

忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
そして自らが創設した踊りの協会
幾つもの役職をこなし 
すべて一銭にもならない慈善活動 
社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
黙ってついて行った 
苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
あなたの演説は「金べろ」と称され 
あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

そんなあなたでも僕が困った時は必ず
救いの手を差しのべてくれた
いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
長年連れ添った妻との死別
それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
元気を装っていた

その後あなたは寂しさを振り払おうと
孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
でも寂しくない筈はなかった

その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
あなたは健康を患い入院をした
年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
気弱な面を見せるようになると
不思議にあなたは穏やかになり 
とても身近な存在に思えてきた

そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
どんなにあなたは辛かったことだろう
戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
次は自分の番がいつ来るのかと
背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
そして周囲の誰も気づかぬうちに 
少しずつ病魔が忍び寄っていた
 


その後 あなたはすっかり元気を失くし 
表舞台から身を引き 寝たきりとなった
「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
細く長く生きるかの何れかだろう 
長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

やがてあなたの体に病変が見つかり 
少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
寄る年波の前でたじろいで見えた
「年内持てば良い」と医師から宣告され
十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
初めてあなたは病院で正月を迎えた 
見舞い客の前では決して弱気を見せず 
何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
それが自分への勇気づけ 

その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
何度も危機を乗り越えた
春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
あなたがこよなく愛し 
何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
桜吹雪が車道を埋め 
その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

「嗚呼 綺麗だな・・」
あなたはポツリ独り言のように呟き 
静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
「危篤 すぐ来い・・・」
とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
涙で滲んで前が見えない

前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
付き纏う不安
あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
これが僕にできる最後の孝行となった

「待っていて もうすぐ行くよ」
焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
仕事帰りに通い慣れた病院への道 
来るべきものが来たことを悟った
階段を駆け上がるといつもと違う病室 
扉を開けると一縷の望みを賭け
懸命の救命処置が続いていた 
しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

別れの時刻が主治医から告げられ 
張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
その言葉しか見つからなかった

ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
それは立派な大往生だった・・・

愛妻と死に別れてから十八年後 
ようやくあの世で再会を果たした

今 同じ位牌に二つの戒名 
それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
最期の別れに集まる
皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
故人を偲んで語り合う 

晩年あなたが過ごした一軒家にて 
遺品の整理で出てきた想い出の品々
従軍時代の貴重な日記 
そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
そして所々に添えられた見事な挿絵
隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
そんな祖父の生涯だった

耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
凛としたあなたの声
背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
この胸に去来する

「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


 平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十二歳 合掌



Cherry_trees

 あれから丸8年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

私のイメージする3人衆

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 有難いことに、5月2日付の当ブログ記事で掲載した「私がイメージする3人娘」にアクセスが殺到し、大変な反響を頂いた。前回は女子限定で公開したが、もしかしたら、男子編も作成可能ではないかと素朴な疑問を抱いた小生が、無い知恵を絞って続編らしき記事をしたためてみた。一部に女性も混じっているが、まぁかなりひとりよがりで、主観的すぎるが、懲りずにご覧いただければ幸いだ。本日は解説抜きで、名前だけ列挙していきたい。それでは早速どうぞ!

 1 時代を彩ったアイドルグループ

 光GENJI・SMAP・嵐

 2 90年代の個性派バンド

 柳ジョージ&レイニーウッド・THE虎舞竜・J-WALK

 3 コミック系バンド

 米米クラブ・BBクィーンズ・アラジン

 4 硬派系バンド

 キャロル・クールス・ダウンタウンブギウギバンド

 5 一発屋ユニット

 ヴィーナス・クリスタルキング・トムキャット

 6 シンセ系ユニット

 YMO・TMネットワーク・C-C-B

 7 70年代系大御所バンド①

 アリス・オフコース・サザンオールスターズ

  8 70年代系大御所バンド②

 ゴダイゴ・ツイスト・甲斐バンド

 9 フォーク系ソロシンガー

 松山千春・さだまさし・南こうせつ

10 3人組フォークユニット

 かぐや姫・ガロ・海援隊

11 大御所シンガー

 浜田省吾・佐野元春・山下達郎

12 80年代ソロシンガー

 織田哲郎・三好鉄生・小野正利

13 特徴ボイスシンガー

 もんたよしのり・徳永英明・久保田利伸

14 今は亡きミュージシャン①

 尾崎豊・河島英五・村下孝蔵

15 今は亡きミュージシャン②

 桑名正博・柳ジョージ・大塚博堂

16 70年代の大物アーティスト

 因幡晃・吉田拓郎・井上陽水 

17 80年代2人組デュオ

 チャゲ&飛鳥・雅夢・H2O

18 トレンディー系シンガー

 稲垣潤一・中西圭三・山本達彦

19 ハートフルボイスシンガー

 来生たかお・南佳孝・大滝詠一

20 ハードロック系バンド

 X-JAPAN・GLAY・LUNA SEA

21 70年代ニューミュージック系ソロシンガー

 永井龍雲・原田真二・長渕剛

22 ポプコン系シンガー

 円広志・五十嵐浩晃・伊藤敏博

23 プロデューサー系シンガー

 小室哲哉・奥田民生・つんく

24 異色バンド系

 RCサクセション・筋肉少女帯・聖飢魔II

25 番組から誕生したユニット①

 ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツ・羞恥心

26 番組から誕生したユニット②

 イモ欽トリオ・寄せ鍋トリオ・わらべ

27 当時は斬新だったシンガー

 Char・SHOGUN・ユニコーン

28 ハーモニー系ユニット

 ゆず・コブクロ・あみん

29 ラップ系ユニット

 ケツメイシ・湘南乃風・m.c.A.T

30 覆面バンド系

 GReeeeN・ZARD・Sister M

31 ヴィジュアル系人気バンド

 一風堂・SHAZNA・黒夢

32 80年代聴かせる系ソロシンガー

 ばんばひろふみ・さとう宗幸・堀江淳

33 80~90年代硬派系

 一世風靡セピア・横浜銀蝿・聖飢魔II

34 軽快ポップスバンド

 C-C-B・1986オメガトライブ・ポルノグラフィティー

35 奇妙な名前のシンガー

 T.M.Revolution(西川貴教)・つんく(シャ乱Q)・きゃりーぱみゅぱみゅ

36 伝説のロックバンド①

 BOOWY・ザ・ブルーハーツ・バービーボーイズ

37 伝説のロックバンド②

 T-BOLAN・WANDS・COMPLEX

38 実力派系バンド(80年代)

 ハウンドドッグ・TUBE・安全地帯

39 ピアニスト系シンガー

 崎谷健次郎・K・槇原敬之

40 韓国人グループ

 超新星・BIG BANG・東方神起

41 外タレ(80年代)①

 デーブスペクター・ケントデリカット・チャックウィルソン

42 外タレ(80年代)②

 オスマンサンコン・ケントギルバート・ピーターフランクル

43 外タレ(90年代)

 セインカミュ・ジローラモ・ジェロ

44 外タレ

 ダニエルカール・ケントフリック・セロ

45 コミック系シンガー

 嘉門達夫、バラクーダー、ビジーフォー

46 お笑いトリオ

 レッツゴー三匹、コント赤信号、ロバート

47 好きなお笑いコンビ

 アンジャッシュ、アンタッチャブル、サンドウィッチマン

48 B型モノマネ芸人

 栗田貫一、コロッケ、青木隆治

49 番組司会A型三人衆①

 萩本欽一、みのもんた、関口宏

50 番組司会者A型三人衆②

 久米宏、愛川欽也、森本毅郎

51 番組司会B型三人衆①

 辛坊治郎、宮根誠司、田原総一朗

52 番組司会B型三人衆②

 徳光和夫、小倉智昭、三宅裕司

53 番組司会大御所三人衆

 明石家さんま、ビートたけし、タモリ

54 人気男性局アナ三人衆

 軽部真一、安住紳一郎、中村光宏

55 イケメン局アナ

 桝太一、山本匠晃、富川悠太

56 グルメリポーター三人衆

 石塚英彦、彦摩呂、阿藤海 

57 イケメンプロ野球選手

 中島裕之、片岡易之、川崎宗則

58 女性が好きな男の顔O型三人衆①

 向井理、木村拓哉、福山雅治

59 女性が好きな男の顔O型三人衆②

 小栗旬、玉山鉄二、妻夫木聡

60 女性が好きな男の顔O型三人衆③

 錦戸亮、オダギリジョー、上地雄輔

61 女性が好きな男の顔B型三人衆

 岡田准一、亀梨和也、玉森裕太

62 女性が好きな男の顔AB型三人衆

 三浦春馬、岡田将生、藤ヶ谷太輔

63 40歳以上イケメン

 堤真一、稲葉浩志、豊川悦司

64 女性が好きな男の顔A型三人衆

 市原隼人、櫻井翔、山下智久

65 A-B型のお笑いコンビ3組

 オール巨人阪神・ダウンタウン、ナインティナイン

66 B-B型のお笑いコンビ3組

 アンタッチャブル、インパルス、フットボールアワー

 このリストは、あくまで私個人の見解や私見であり、世間一般の動向を示すものではないことを再度お断りしておきます。なんでも十把一絡げにすれば良いというものではないが、似たようなコンセプトのユニットや音楽の方向性はあるように思える。70年代はGSブームとカレッジフォーク、ニューミュージックブームに沸き、80年代はアイドルブーム、90年代はインディーズから有名になったバンドブーム、2000年代はダンスユニット、2010年代は多人数アイドルブームというように、各世代や時代ごとに音楽の傾向や趣が異なっているのは実に興味深い。親の影響も少なからずあるだろう。

 さて、21世紀の今、今後はどのようなミュージックシーンが展開し、またその媒体はどのように変化していくのか大いに楽しみだ。

 関連ブログ  「私のイメージする3人娘」はコチラ

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-c1d4.html

 記事作成:5月2日(木)

 


今週の山岸舞彩キャスター(5/13~5/16)

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 今週の「ニュースZERO」に出演した山岸舞彩キャスター(5/13~5/16)の様子です。

 5月13日(月)

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 5月14日(火) 

 予約録画登録したにもかかわらず録画保存されず。録画ランプついていたのに、録画ナビに登録されず。これは先週末のBS「北の国から’87初恋」に続き、二度目の症状。東芝のレコーダー「REGZA」は怪しい・・・。この日の様子は残念ながら報告できません。あしからず。

 5月15日(水)

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 5月16日(木)

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 追記

 5月18日(土)より、ココログのカレンダーに前月・翌月表示機能を加えましたのでご活用ください。

時代を彩った女性デュオ

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 東京オリンピックに生を受けた私が長年芸能界を見てきて、特に歌謡曲事情には明るいことは何度も触れてきた。今日は、半世紀近く時間が経ち、私が記憶に残る話題に触れたい。それは各時代、各世代において持て囃され、その時代を彩ってきた黄金の女性デュオについて取り上げたい。

 1 ザ・ピーナッツ

  1960年代から70年代にかけて人気絶頂を誇った双子の姉妹デュオ。しゃぼん玉ホリデーの司会や映画「モスラ」シリーズで小美人役で出演した。今でもカラオケの女性デュエットとして人気が高い。「恋のバカンス」、「恋のフーガ」、「コーヒールンバ」などが代表作。昨年6月に、姉の伊藤エミ(元沢田研二夫人)が亡くなった。

http://www.youtube.com/watch?v=_-wJxo4vqtg (恋のフーガ)

http://www.youtube.com/watch?v=fkmACCvZQD0 (コーヒールンバ)

http://www.youtube.com/watch?v=G7AYWANc2pk (モスラの歌)

 2 リンリン・ランラン

 1959年1月3日生まれの香港出身の双子姉妹によるポップデュオ。

アメリカ人の父と中国人の母を持つハーフ。1972年から香港で「樂家姊妹(ロッカーシスターズ、The Lokka Sisters)」として活躍していたのをスカウトされ、1974年に日本テレビのテレビ番組『スター誕生!』でアシスタントとしてデビュー。代表曲は、デビュー曲ながら最大のヒット曲となった「恋のインディアン人形」(オリコン最高27位・シングル売上8.4万枚)で、ロングのお下げ髪に、インディアンのような衣装を着て歌い、アジア系の雰囲気も持っていたため、先住民族と誤解されることも多かった。ほかに「陽気な恋のキューピッド」、「恋のパッコンNO.1」など。



 3 ピンクレディー

 昭和50年代半ばにピンク旋風を巻き起こしたユニット。ミー(根本美鶴代)とケイ(増田恵子)のコンビで超ミニスカートと激しい踊りで一世を風靡した。ちびっこは彼女たちに憧れ、踊りの振り付けを真似したり、彼女たちのレギュラー番組は数多くあった。私は「ピンク百発百中」が好きだった。2ヶ月に一度のハイペースで新曲をリリースし、いずれも大ヒットした。「UFO」で初めてアイドルでレコード大賞を受賞した。以下、私が好きな順に曲を並べたい。



 第1位 渚のシンドバッド
 第2位 透明人間 http://www.youtube.com/watch?v=JHbxvd09stw
 第3位 サウスポー http://www.youtube.com/watch?v=3Zw0ZBSozXo
 第4位 S.O.S http://www.youtube.com/watch?v=iJemIvx0DHM
 第5位 ペッパー警部 http://www.youtube.com/watch?v=ZWaX7IKS-w0
 第6位 ウォンテッド http://www.youtube.com/watch?v=RRnR0W5vAlU
 第7位 UFO http://www.youtube.com/watch?v=0HAEOaIPPtI
 第8位 モンスター http://www.youtube.com/watch?v=7etPz-3aNKo
 第9位 カメレオンアーミー http://www.youtube.com/watch?v=peC2cXmp9Dw
第10位 波乗りパイレーツ http://www.youtube.com/watch?v=WCJXcsf1n2g
 

 4 あみん

 岡村孝子と、加藤晴子の2人による音楽グループ。1980年代前半にシングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースののち活動休止、2007年に活動再開。名古屋の椙山女学園大学の同級生として出会った岡村と加藤が、意気投合しデュオを結成。デュオ名は、さだまさしの楽曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から採った。1981年秋、第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場し、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞。だが本選(全国大会)へは進めずじまい。ちなみに、このとき同じブロックからアラジンの「完全無欠のロックンローラー」が本選に進みグランプリを獲得した。1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場。5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。1982年7月21日、「待つわ」でレコードデビュー。楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まって同年のトップセールスを記録するほどの大ヒットとなる。

http://www.youtube.com/watch?v=v0uS79EfCRg (初期の頃の「待つわ」)

 5 Wink

 1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、女性アイドル・ポップス・ユニット。鈴木早智子と相田翔子の二人組。フランス人形のような可愛らしい風貌ながら、無表情でダンスを踊りながら歌うスタイルに違和感があった。二人はともにワニブックス社の雑誌『Up to Boy』が1987年に開催したミスコンテストの入賞者(早智子が上半期グランプリ。翔子は下半期グランプリ)。1988年、Winkを結成。同年4月「Sugar Baby Love」でレコードデビュー。Winkというユニット名は、最初、事務所が「キラキラ輝く」という意味のTwinkleを提案したが、発音しにくいということで、トゥインクル→ウインクル→ウィンクとなったのが由来。1989年、「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(上期)を受賞。同年「淋しい熱帯魚」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(年間)、第31回日本レコード大賞を受賞。また同曲で第40回NHK紅白歌合戦に出場した。1996年3月末をもって活動停止。活動期間は7年11ヶ月だった。現在はタレントおよび女優としてそれぞれ活動している。

http://www.youtube.com/watch?v=Els6abk3DYo (愛が止まらない)

http://www.youtube.com/watch?v=C0XqlGoRSXM (SUGAR BABY LOVE)

 6 BaBe

 1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。メンバーは近藤智子と二階堂ゆかり。1987年、流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、色白で奔放な性格の近藤と、色黒で控えめな性格の二階堂というキャラクターの組み合わせであった。洋楽のカバーを多数リリースしてヒットしたことでも知られたが、1990年に解散。ヒット曲は他に「I Don't Know!」や「Hold Me」。

http://www.youtube.com/watch?v=qWk2LVzmjaY (I Don't Know!)

http://www.youtube.com/watch?v=BI94oJ377BE (Hold Me)

http://www.youtube.com/watch?v=keX4SAojniY (Get a Chance!)

http://www.youtube.com/watch?v=vw0Qem2V0EY (WAKE UP)

 7 PUFFY

 1994年、SMAに所属する大貫亜美と吉村由美が出会い、95年にユニットを結成。同事務所の奥田民生プロデュースの下、96年5月にCDデビュー。結成翌年の1996年5月13日、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューし、自身の出演するCMとともに話題となった。デビューから4連続でミリオンヒットを飛ばし大ブレーク。96年は日本の音楽史上最高の売り上げがあった年であり、その年の新人アーティストで最高の売上を記録。二人のキャラクターと音楽性はデビュー当時から異彩を放ち、他のアジア各国でも人気を得、2002年には北米でもCDデビューしツアーを行う。2004年、二人をモデルにしたアニメ番組『Hi Hi Puffy AmiYumi』が全米でスタートし、現在まで、世界110カ国以上で放映されている。ヒット曲は他に「これが私の生きる道」。

http://www.youtube.com/watch?v=ixEL1CXwCP0 (これが私の生きる道) 

http://www.youtube.com/watch?v=028isbwIKAY (渚にまつわるエトセトラ)

 8 安田祥子と由紀さおり

 実力派のベテラン歌手の姉妹のデュオ。早口でまくし立てるように歌う「トルコ行進曲」は圧巻。姉の安田祥子さんの透き通るような高音域の声を聞くと鳥肌が立つ。

http://www.youtube.com/watch?v=RssrQevAUXI (トルコ行進曲)

 9 花*花

 1998年にデビューした女性デュオ。 結成当時はシャンプーを捩っ て「RINSE(リンス)」という名前だった。その後「花*花」という名前でインディーズ活動を 経て、メジャーデビューした。メンバーはこじまいづみとおのまきこ。基本的にこじまがメインボーカル。おのは低音パートを担当したりピアノに専念したりするが自身が作詞作曲した曲ではメインボーカルも務める。女性の気持ちを美しい風景や身近に有る雑貨などを背景にしたり歌詞を反復させたりするような曲が多い。メジャーデビュー曲の「あ〜よかった(Setagaya Mix)」はよみうりテレビの『ダウンタウンDX』のテーマ曲に使われるなどして大ヒット、続く「さよなら大好きな人」もTBS系ドラマ『オヤジぃ。』の主題歌に起用されるなどし、同局の『第33回全日本有線放送大賞』では新人賞を受賞したり、『第51回NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、将来を有望視されていた。2001年に「今年ブレイクしそうなアーティスト」で1位を獲得するも、2003年に活動休止を発表。

10 Kiroro

 沖縄県出身の2人組デュオ。メンバーは玉城千春と金城綾乃。

 2人は沖縄県立読谷高等学校の同級生。その後、玉城が長崎ウエスレヤン短期大学、金城が医療事務の専門学校に進学し、在学中の1996年にインディーズデビュー。沖縄限定で発売されたインディーズデビュー曲『長い間』は、地元沖縄のローカルCM(「安信輸送サービス」の引越しCM)にも使われ、1万枚以上を売り上げる。楽曲制作を手掛けているのは主にボーカルの玉城の方である。玉城は作詞・作曲の才能はあるものの、ピアノはあまり弾けず、書く音符も暗号のような状態である。それを、ピアノが弾ける金城が玉城の「暗号」を解読するような形で活動を始めた。ただし、活動が進むに連れ、金城の作詞・作曲のものや玉城が作詞、金城が作曲というものも登場するようになった。
 Kiroroという名の由来は、玉城が小学生の時、地域交流で北海道池田町に行った際、なんとなく耳に残ったアイヌ語に由来する。公式サイトによると、元になったアイヌ語はKiroru(人間が踏み固めた広い路)とKiroro-an(強い・健やか・盛ん・大きい・かたくな)である。1998年1月に『長い間』でメジャーデビュー。1998年・1999年・2001年にはNHK紅白歌合戦に出場した。個人的には「ベストフレンド」や「未来へ」、「生きてこそ」が大好きだ。

http://www.youtube.com/watch?v=RffL0i5eszg (長い間)

http://www.youtube.com/watch?v=t5rM2d62trA (未来へ)

http://www.youtube.com/watch?v=PrRyJBo7VEw (生きてこそ)

 他にもザ・リリーズ、うしろゆびさされ組などもいる。

 ちなみに男性はグレープ、狩人、チャゲ&飛鳥、H2O、雅夢、コブクロ、ゆず、B'z、CHEMISTRY、KinkiKidsなどがいる。

 また、男女のデュオは、ヒデとロザンナ、チェリッシュ、ダ・カーポ、ルクプル、カズン、トワエモア、紙風船などがいた。

 記事作成:4月中旬~5月1日(水)

今では貴重なお宝CM ①

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 今週はCMウィークとしたい。本日は、かつて歌手や女優として第一線で活躍した方々で、もっとも輝いていた時期に残した貴重なお宝CMをお送りしたい。本日は3名限定で、できればシリーズ化したいと考えている。

 田中裕子

 ご存知、1970年代から80年代にかけてトップスターして君臨した沢田研二の妻。本人は話題作「ザ・レイプ」という映画に体当たり主演。その存在を世に知らしめた。性格はまったり系で、今で言う天然や不思議少女だったが、同時に演技派女優のひとりだった。CMにも引っ張りだこで、結婚後はしばらく芸能界から離れていた。

 花王メリット

 サントリー樹氷(30秒から)

http://www.youtube.com/watch?v=80CBhHMydPQ

 「タコが言うの」は名言。サントリーオールド「恋は遠い日の花火ではない」の名作CMは、5月13日付の「一世を風靡したCMたちPart2」でもお送りしたし、何度も当ブログで紹介しているので、今回は割愛したい。

 大場久美子

 1970年代後半の極カワアイドルだった。ドラマ「コメットさん」が当たり役で、当時は石野真子と共に人気を二分したほどだった。「キラキラ星あげる」「スプリングサンバ」「ディスコドリーム」などのヒット曲を残した。

 ハウスククレカレー

 「ん~たまりませんわ~」は名言で流行語にもなった。可愛すぎる!

 ハウスプリン(1977)

http://www.youtube.com/watch?v=io45gpLjAaY

 ダイドーブレンドコーヒー

http://www.youtube.com/watch?v=8jSBWhMWg3c

 オリンパスOM-10(1979年)

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=9UAWCNxQVqk&feature=endscreen

 浅田美代子

 1970年代のアイドルスター。この頃は、グラビア系アイドルだった「松本ちえこ」も人気が高かった。浅田美代子は元祖天然系少女だった。ホームドラマの「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」でブレイクした。屋根の上で秀樹と一緒に歌を歌う場面があって、その時は視聴率が跳ね上がった。吉田拓郎と結婚したが、その後破局してしまった・・・。

 花王フェザーシャンプー

 屋根の上での名シーン(再現)

 1970年代ともなると、当時を覚えている人は少ないかもしれない。この頃は、「ちょっと振り向いて」のフレーズがお馴染みだった「エメロンシャンプー」でブレイクしたCMや「ブルーダイヤ」や「アタック」で一世を風靡した洗剤のCMが幅を利かせていた。

 さて、今回の記事、懐かしく昔を思い出してくれたでしょうか?このような記事を書いているうちに、もっと昔のことを思い出してしまい、勝手ながら、明日と明後日もこの続編をお送りしたいと思います。昔話をいくらでも話せる年代に自分もなってしまったということだ。嬉しいやら悲しいやらだ。このシリーズ、懲りずにもうしばらくお付き合いください。明日も70年代に活躍したスーパーアイドル主演のCM作品を3編、特集してお送りします。

 記事作成:4月30日(火)

今では貴重なお宝CM ②

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 「ネタに困った時のCM頼み」というきらいはあるが、昨日掲載したCMの続編。昔流行ったCMや今では引退してしまったり、休業してしまった芸能人に再びスポットを当て、輝いていた当時の面影を探るという企画の記事だが、今回は好評につき第二弾をお送りしたい。今日は前回同様、3名(組)の方々に登場してもらうことにするが、今では伝説とも言えるアイドルたちをセレクトした。青春時代にプレイバックして当時を懐かしんでほしいと思う。

 ピンクレディー

 昭和50年代半ばに人気絶頂だったスーパーアイドル。超ミニスカートで激しい踊りを繰り広げ、阿久悠と都倉俊一の名コンビでメガヒット曲を連発。2ヶ月に1回の割合でレコードをリリースし続けた。ちびっこが振り付けを真似したり、ユニット名をそのまま使った番組(「ピンク百発百中」など)が数多く存在し、この頃、「アイドルは取れない」と言われていたレコ大をあっさり受賞した。

 牛乳石鹸「シャワランビューティー」

http://www.youtube.com/watch?v=OHDmPLQWi3I

 日清焼きそばUFO

 山口百恵

 公開オーディション番組の「スター誕生」から登場したスーパースター。桜田淳子と森昌子と中3~高3トリオを結成し、トップアイドルの座に君臨した。人気絶頂だった頃に、テレビドラマ「赤いシリーズ」や数多くの映画で共演した俳優の三浦友和と結婚し、電撃引退を果たした。その後、テレビやマスコミから姿を消し、一切姿を見せない徹底ぶりだった。一般的には良妻賢母のお手本とさえ言われている。

 グリコセシルチョコレート 三浦友和との共演作

http://www.youtube.com/watch?v=BSSPDqYe4es

 おまけ① ラブラブショー(2人の出会いのきっかけとなった伝説の番組)

http://www.youtube.com/watch?v=fwtJkBc9IpU (40秒から)

http://www.youtube.com/watch?v=xn6sCYgsTN8

 おまけ② 遠距離電話

 国鉄の「いい日旅立ち」については、当ブログで複数回紹介済みなので、本日は取り上げません。あしからず。

 引退6年後の三浦百恵さんの路上インタビュー

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=IgIGkLyNHNE&feature=endscreen

 キャンディーズ

 スクールメイツ出身で、伊藤蘭、藤村美樹、田中好子の女の子3人組の元祖アイドルユニットだった。多くの歌謡番組に出演し、1970年代のトップアイドルだった。「年下の男の子」や「ハートのエースが出てこない」、「暑中お見舞い申し上げます」などヒット曲を連発した。しかし突然「普通の女の子に戻りたい」とグループ解散と芸能界からの引退を発表。多くの熱狂的なファンに惜しまれながら芸能界を去った。

 ククレカレー

 森のどんぐり(1978年)

http://www.youtube.com/watch?v=DkMuNYWPmmg

 本日お送りした3組は、1970年代の芸能界を牽引したスーパースターたちである。彼女たちが最も輝いていた時分に青春時代を送った方々は、今日の記事は感慨ひとしおで感無量だったに相違ない筈。若かりし頃の自分と重ね合わせて懐かしんで貰えたらこれ幸いだ。次回もとっておきのお宝映像がお送りできるよう頑張りたい。お楽しみに!

 記事作成:4月30日(火)

今では貴重なお宝CM ③

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 シリーズでお送りしている本記事もいよいよ最終回を迎えた。本日も3名の元アイドルを紹介したい。

 石野真子

 私の中1の頃のアイドル。私自身はキャンディーズ引退後、途方に暮れていた時期であり、彗星のごとく現れた彼女にぞっこんとなり、思わずファンクラブに入ってしまったほどお熱を上げていた。ミニスカートと可愛らしい八重歯とタレ目がトレードマークだった。長渕剛と電撃結婚し、周囲を落胆させた。その後、残念ながら離婚してしまった・・・。

 学生服(1980年)

 ムシペール

 ムヒ(2分から)

http://www.youtube.com/watch?v=dj9UMfG66qw

 おまけ① 電撃結婚記者会見

http://www.youtube.com/watch?v=BpMQ2rozvIA

 おまけ② ハプニング映像

 離婚後、公開番組の司会で元夫、長渕剛と再会するハプニング

http://www.youtube.com/watch?v=9-uck5_4-UE

 松本ちえこ

 この子は空気のようなふわふわ感を持った、今で言うグラビア系のタレントだった。「恋人試験」とか「ハイ!授業中」などというスクールソングを歌い、歌謡番組にも出演した。どちらかといえばか弱い系の妹にしたいタイプだった。

 「恋人試験」(1976年)

http://www.youtube.com/watch?v=bMNPxBNfja4

 「ハイ!授業中」

http://www.youtube.com/watch?v=3iiw6un6Qww

 小林麻美

 彼女は既に芸能界を引退して20年以上経つので若い世代は知らないと思う。略歴から掲載したい。

 1970年、文化学院在学中にライオンのコマーシャルに出演しデビュー。
 1971年、TBS系『美人はいかが?』でドラマ初出演。
 1972年、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビュー。
 1973年4月から、神経性胃潰瘍などのため1974年10月まで休養。 
 1975年、ニッポン放送『オールナイトニッポン』(火曜1部)パーソナリティーを務める。
 1978年、舞台『ガラスの家』(西武劇場)に出演。
 1980年、映画『野獣死すべし』に出演。
 1981年、映画『真夜中の招待状』に出演。
 1984年、CBSソニーに移籍し、ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」に松任谷由実が日本語詞を付けたカバー曲、「雨音はショパンの調べ」が大ヒットした。さらにアルバム『CRYPTOGRAPH〜愛の暗号』で第26回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。
 1988年、日本武道館コンサート『HUMIDITY』を開催。
 1991年、所属事務所の社長である田邊昭知と結婚し、引退した。

 「エチケットライオン」

 資生堂「マイピュアレディー」

 今日お送りした3人は、当時の全盛時代を知っている方は少ないかもしれない。しかし、一時的だったのせよ、爆発的な人気が出たことは間違いない事実だ。流行り廃りが激しい世界で、若い頃の輝いていた、文字通りスターだったことに変わりはない。

 さて、今回はシリーズ3回目となり、延べ9人のスターの若かりし頃のCM出演作品を取り上げてみた。あなたが好きだったスターは登場しましたか?次回は紹介したいタレントが出てきて、3人になったら執筆したいと思う。それまでどうかお楽しみに!

  記事作成:4月30日(火)

日本で人気を博した外国人ミュージシャン

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 一度は耳にしたことがあるご機嫌サウンドとか、あるいは知らないうちにCMのBGMなどで聞き覚えのある曲があるだろう。かつてはステレオのプレーヤーにレコード盤を乗せ、針がすり減るまで繰り返しかけていたお気に入りの楽曲、FMのエアチェックをした覚えのある心地よい音楽、イージーリスニングとかヒールサウンドという分野が確立するずっと前から流れている名曲たちである。城達也が夜間飛行のパイロットを務めていた「JET STREEM」で流れていたような、美しくも魅惑的な異国の名盤の数々。今日はそんな古き佳き時代の音楽をセレクトしてお送りしたい。ただし、今回は日本で人気が出た外国人歌手ではなく、演奏を中心に活動した音楽家、すなわちアーティストではなくてミュージシャンを選んでみた。

 ポール・モーリア

 フランスの 作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本では「ラブ・サウンドの 王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名。
 1969年に初来日して以来、ほぼ毎年のように日本での演奏を披露。

 「恋はみずいろ」

「エーゲ海の真珠」 http://www.youtube.com/watch?v=IqfjmiUgONc

「オリーブの首飾り」 http://www.youtube.com/watch?v=OqDMjs6VCeY

「シバの女王」 http://www.youtube.com/watch?v=XikKtgUPjfM

「涙のトッカータ」 http://www.youtube.com/watch?v=Bm4XLzAF7ls

「そよ風のメヌエット」 http://www.youtube.com/watch?v=W_eWFFIpwLk

 ニニ・ロッソ

 イタリア・トリノ出身のトランペット奏者、作曲家である。ジャズ及びイージーリスニングのジャンルで活動した。1962年にイギリスでレコーディングされた「さすらいのマーチ」は、ケン・ソーン(ケネス・ソーン、映画音楽作曲家でありスーパーマンIIなどが有名)率いるオーケストラにカバーされ、映画『前進か死か (Marcia O Crepa) 』テーマ曲に採用、ヒットする。この曲のロッソのオリジナルはイギリスとイタリアを拠点とするレコードレーベル Durium より間を置かずにリリースされるが、カバーバージョンよりも小さく穏やかな成功となった。彼の世界的なヒット作「夜空のトランペット (Il silenzio) 」はイタリア、ドイツ、オーストリア、スイスでチャート1位の座を獲得し、100万枚以上を売り上げている。また、1960年代には俳優としても活動していた。
 1967年以降は日本にたびたび来日するなど国内でも有名であり、日本の歌謡曲や軍歌をカバーした作品も残した。1994年に腫瘍の為、死去。

 「夜空のトランペット」

 幼少の頃、郡山2中の北側にあった古川書店で、有線BGMで何度も耳にしたトランペットの名曲。

「水曜日の夜」 http://www.youtube.com/watch?v=TuUwqgouKYM

「北上夜曲」 http://www.youtube.com/watch?v=_jjYzB1BSns

「ふたりの天使」 http://www.youtube.com/watch?v=J5HXZEv1DEA

「夜明けのトランペット」 http://www.youtube.com/watch?v=mihCl_9kD4U

「ソレアード」 http://www.youtube.com/watch?v=LP15dO9eMjY

「嘆きの天使」 http://www.youtube.com/watch?v=OsRE56kK_7Y

「ロマーナの祈り」 http://www.youtube.com/watch?v=X0jzJ8jH7II

「夢のトランペット」 http://www.youtube.com/watch?v=y3HHV63vuBI

トランペットの名曲では他に「ピエールボルトオーケストラ」の「Friday Night Fantasy」がある。金曜ロードショーで有名になったあの名曲だ。

http://www.youtube.com/watch?v=iZddmczxEZQ

http://www.youtube.com/watch?v=DQjtrDGJ_yo

http://www.youtube.com/watch?v=W84nNW2PQVE

 SHAKATAK

 イギリスのフュージョンバンドである。 アメリカのジャズを起源と するフュージョンとは異なり、アドリブ偏重ではなく旋律と編曲を重視した親しみやすい サウンドが特徴で、1980年代においてレベル42と人気を分かち合い、ブリティッシュ・ジャズ・ファンク・シーンを盛り上げた。
 1980年に結成。同年、シングル「Steppin'」でデビュー。翌1981年に1stアルバム「Drivin' Hard」をリリース。なお、同年、ベガーズ・バンケット・レコードからリリースされ、日本でも輸入盤として一部で注目されたコンピレーションアルバム「Slipstream - The Best of British Jazz Funk」(LP2枚組)に「Feels Like The Right Time」が収録されており、これが日本でシャカタクが一般に認知される最初の機会となった模様である。
 1982年、ビル・シャープのピアノと女性コーラス(ジル・セイワードとジャッキー・ロウ)を前面にフィーチャーしたシングル「Night Birds」で世界的にブレイク、2ndアルバム「Night Birds」・3rdアルバム「Invitations」が大ヒット作となる。
 1984年頃よりジル・セイワードのヴォーカルを前面に出したダンスポップ路線へと移行していったが、特に日本のファンが初期の「女性コーラスをフィーチャーしたインストゥルメンタル」路線を圧倒的に支持していたため、一時期、日本のファンの嗜好に合わせた日本国内限定発売盤のリリースなどで応えていた。近年では比較的ポップ色の強いスムーズジャズ路線が定着、安定した活動を継続している。

 「Night Birds」 

「Invitation」 http://www.youtube.com/watch?v=kC5Ui-LkBwY

「DEJA VU」  http://www.youtube.com/watch?v=pGFPt4BWags

「GOLDEN  WINGS」   http://www.youtube.com/watch?v=1e8yZxm31Lc

「STREET WALKIN」 http://www.youtube.com/watch?v=_YIl8pw4T0g

 リチャードクレイダーマン

 1953年12月28日、パリ郊外のロマンヴィルで生まれ、幼少時よりピアノに親しみ5歳で作曲を始めた。6歳でコンセルバトワールを首席で卒業。その後、最終的にポピュラー音楽の道を選び、初めはスタジオ・ミュージシャンや、有名歌手のバック・オーケストラのピアニストを務めていた。)。1978年、日本で初めて彼のレコードが発売されると直ぐに評判になった。現在の日本でのクレイダーマンの楽曲で知られている曲と言えば、『渚のアデリーヌ』が良く知られているが、日本でその名を初めて広めたのは1981年のシーボン化粧品のCMで流れた『愛のコンチェルト』であり、このCMは当時頻繁に流れ、たとえ曲のタイトルを知らなくても曲を聴けば「あの化粧品の曲だ」とわかるほどであった。

 「渚のアデリーヌ」

「星空のピアニスト」 http://www.youtube.com/watch?v=1noXBp-gH6k

「星のセレナーデ」 http://www.youtube.com/watch?v=HRxr36HlVzQ

「愛のコンチェルト」 http://www.youtube.com/watch?v=rMFMeGFXLVk

「愛しのクリスティーヌ」 http://www.youtube.com/watch?v=TOX1MrmtzOw

 クロードチアリ

 フランス・ニース出身のタレントで国際的なギタリスト、音楽家。吉本 興業所属。日本国籍。フランス系日本人一世。
 独学でギターを始め、フランスのECOLE GRENIER SUR L'EAU PARIS卒業。パリ証券取引所のコンピューター室に勤務。16歳でロックバンド「レ・シャンピオンズ(:fr:)」結成。ヨーロッパで大人気となり、演奏前の前座はビートルズが務めた。20歳でバンドから独立し、ソロ・アコースティックギタリストとして活動を始める。
 1964年にギター曲『夜霧のしのび逢い』が世界的にヒットし、「哀愁のギタリスト」として知られる。ただし「夜霧の - 」は日本版タイトルであり、スペイン語の原曲タイトル「La playa」の意味は「浜辺」である。フランスのACCディスク大賞受賞。その後、映画「夜霧のしのび逢い」が公開されたが、世界的にはクロード・チアリの曲「夜霧のしのび逢い」とは関係ない。しかし、日本のみ、この曲を映画の随所に使用し公開された。1967年に初来日し、日本でも顔が売れ、1979年からフジテレビ系列の「アイアイゲーム」でレギュラー回答者として出演し、堪能な日本語で人気を博した。

 「夜霧のしのび逢い」 

「冬の華」 http://www.youtube.com/watch?v=MvebfBhJS3E

「夜霧のシルエット」
http://www.youtube.com/watch?v=Dpa6ftHRyfQ&list=PLB8586B523271F238

 他にギターの名曲といえば「禁じられた遊び」があまりにも有名。この曲はクロードチアリもよくコンサートで演奏するが、オリジナルは「ナルシソ・イエペス」が手がけたものである。

「禁じられた遊び」 

http://www.youtube.com/watch?v=Ai4L8mYWD5Y

http://www.youtube.com/watch?v=vhrH3k_0rPc

「アルハンブラの思い出」 http://www.youtube.com/watch?v=0ahMQDzx7AA

 フランシス・レイ

 フランス・ニース出身の作曲家。 多くの映画音楽の作曲、特にクロード・ルルーシュ監督とのコンビによる作品は良く知 られている。また、『愛と哀しみのボレロ』『恋人たちのメロディー』『流れ者』では出演もしている。1970年度アカデミー作曲賞受賞(『ある愛の詩』)。

 「白い恋人たち」

http://www.youtube.com/watch?v=0gF0AmIpgqY

「さらば夏の日」 http://www.youtube.com/watch?v=36nlorMCLcw

「パリのめぐり逢い」 http://www.youtube.com/watch?v=bMydc0C9Ifw

「あの愛をふたたび」 http://www.youtube.com/watch?v=DqbH13xktH4

「エモーション」 http://www.youtube.com/watch?v=LscjxvHsvQc

「ある愛の詩」 http://www.youtube.com/watch?v=l1DoQhO6gt8

「雨の訪問者のワルツ」 http://www.youtube.com/watch?v=mRvJhQU1d5s

「流れ者のテーマ」 http://www.youtube.com/watch?v=PGscpWS4lr8

 「白い恋人たち」は、最近「冬ソナ」のBGMで使われたことで再ブレイクした。

 パーシーフェイス(オーケストラ)

 パーシーフェイスはアメリカ合衆国の作曲家、編曲家、指揮者、音楽プロデューサー。カナダトロント生まれ。
 1960年が初めての来日で、その時は単身で日本のオーケストラを指揮したという。自らのオーケストラを率いての来日公演は1966年、1971年、1973年、1974年、1975年の計5回あり、この内、1966年の来日公演は、同年6月にNHKにて総合テレビ(カラー放送)とFM放送(ステレオ)にて放送され(映像資料は残っていないが、音声資料に於いては残存が不明)、更に1974年の公演の模様はライブ録音され、アナログLPにてCBSソニーから発売された。1976年2月9日、カリフォルニア州エンシーノにて癌で死去。

 「夏の日の恋’76」

 女子十二楽坊

 12名からなる中国の古楽器演奏女性音楽グループ。中国伝統楽器の演奏家で構成されるインストゥルメンタルバンドであり、中国及びアジアの伝統楽器を使用する。演奏分野は、ポップ・ミュージックからクラシック音楽、中国民族音楽までと幅広い。代表曲は『奇跡』『自由』『輝煌』『敦煌』など。公演によっては参加メンバーおよび人数など変動がある。かつて、多くのメンバーが中国国内の他楽団や音楽学校と掛け持ちをし、他楽団・学校の仕事が優先されることもあった。 全員が幼少の頃から中国伝統楽器の英才教育を受け、各種音楽コンクールの上位入賞歴をもつトップレベルの演奏家である。
 2003年7月24日に『自由』『奇跡』などの代表曲とともに、日本のヒット曲のカバーも含むCD『女子十二楽坊~Beautiful Energy~』で日本に進出。同アルバムは約200万枚(オリコン推計約166万枚)の大ヒットとなった。日本でのプロモーションには約2億円の宣伝費をかけたといわれる。客層としてはCD購買層である年齢の高い層をターゲットとし、「癒しブーム」を狙ったプロデュース、さらにDVDとセットで安く販売するマーケティング手法があたって人気を集めた。
 2003年度ゴールデン・アロー賞音楽新人賞、第18回日本ゴールドディスク大賞ではアーティスト・オブ・ザ・イヤー洋楽部門など3部門を受賞。2003年のNHK紅白歌合戦(第54回)ではオペラ歌手錦織健と共演で出演した。2004年1月2日には武道館コンサート、4月1日から5月8日まで日本全国ツアー32公演をこなす。

 「自由」

http://www.youtube.com/watch?v=O9moGJV9dZw

「奇跡」 http://www.youtube.com/watch?v=Es8g_EGvuWw

「茉莉花」 http://www.youtube.com/watch?v=Jt16c8TlADo

「異邦人」 http://www.youtube.com/watch?v=3ZXeP3nR21o

「敦煌」 http://www.youtube.com/watch?v=tJzqWDoSBaA

「輝煌」 http://www.youtube.com/watch?v=e88LXtlcsSE

「勝利」 http://www.youtube.com/watch?v=bniOEcClunA

 本日挙げた方々は、日本で優れた楽曲を披露し、人気が出た音楽家たちである。私と同年代の方か先輩諸氏にはご存知の顔ぶればかりが並んだと思う。それほど日本での成功はミュージシャンにとって大きな成果である。名曲を引っ提げ、来日した方々はもちろんこれだけではない。邦楽やJ-POPとは一味違う、独特かつ個性的なオリジナルサウンドを聴かせてくれた方々である。すでに亡くなられた方もいるが、今後も、こうした洋楽やオリエンタルな風を日本に吹き込み、また新しい世界観を確立して私たちに感動を分け与えて欲しいと願うものである。

 記事作成:5月3日(金)

カッコ良すぎる国歌ベスト10

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 こういう類の記事は不謹慎かもしれないし、ランキングするような視点ではないかもしれない。しかし、日本の国歌と比べると、どうしても外国の国歌はどこか華があり、勢いと明るい雰囲気がある。日本の君が代もまた、スローテンポで、日本古来の奥ゆかしさや慎ましやか、侘び寂びを感じさせるメロディーラインで日本人として誇りに思うが、どこか外国のそれと比べると地味で物足りなさも感じてしまう。純日本風や和の精神を漂わせる日本の国歌は今回は除外し、「カッコ良すぎる外国の国歌ベスト10」を選んでみた。当然ながら、政治的な部分や歴史的背景、あるいは心情的なものを金輪際度返しし、純粋に歌の印象だけでランキングしてみた。

 第1位 ロシア(旧ソビエト連邦共和国「祖国は我らのために」)

http://www.youtube.com/watch?v=zh67_2IIqb4

 第2位 アメリカ合衆国 「星条旗」(The Star Spangled Banner)

http://www.youtube.com/watch?v=d1NR2K-gazo

http://www.youtube.com/watch?v=u9V5XFjWMaM

 第3位 オーストラリア 「アドバンス・オーストラリア・フェア」

http://www.youtube.com/watch?v=Q3wPm8sY5Ls

 「芸能人格付チェック」のBGMみたい。

 第4位 イギリス 「神よ女王陛下を守り給え」

http://www.youtube.com/watch?v=SHS52snI1ns

 第5位 カナダ 「O Canada」

http://www.youtube.com/watch?v=Uwn_0nonIa0

 冒頭部分を聴くと「ウルトラセブン」のイントロとそっくり。

 第6位 フランス共和国 「ラ・マルセイエーズ」

http://www.youtube.com/watch?v=NsYFFsoFgHI

 第7位 中華人民共和国 「義勇軍行進曲」

http://www.youtube.com/watch?v=CMD7fx0rgH0

 第8位 スペイン国 「国王行進曲(Marcha Real)」

http://www.youtube.com/watch?v=LFy5Aa_j6TM

 第9位 イタリア共和国 「イタリアの兄弟」

http://www.youtube.com/watch?v=4CIpdPzMn9s

第10位 ドイツ連邦共和国 「Deutschland lied」

http://www.youtube.com/watch?v=aieNUMWiT7Q

 国によっては軍歌(行進曲)がそのまま国家として使われていたり、宗教色の強い国は賛美歌が使われているのものが少なくない状況だ。

 国歌と国旗はその国の最大の象徴物である。その観点で言えば、中国と韓国には猛省を促したい。両国は政治的な衝突や軋轢が起こるごとに、一方的に敵国とみなしてその国の国旗をぞんざいに扱い、焼き払ったり、大勢で踏んづける暴挙に出る。こうした行為は両国において謙虚に見られる愚劣にして悪徳行為にすぎない。これで友好関係をどうして築けよう。下手なナショナリズムばかりを優先して愛国教育を率先し、他国との共存共栄を詠わない教育の結果がこれである。情けない。自己中にして自分たちが世界でもっともえらいと勘違いしているだけで、そこには高慢と傲慢しか生まない。些細な意にそぐわない出来事が起こるたびに、敵対行為しかとらない。もう一度、世界各国の国歌を冷静に聴き、他国の人権や文化を受け入れて、互いに尊重しあえるような関係構築に努力して欲しいものだ。

 記事作成:5月3日(金)


今週の山岸舞彩キャスター(5/20~5/23)

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今週の「NEWS ZERO]に出演した山岸舞彩キャスター(5/20~5/23)の様子です。

 5月20日(月)

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 5月21日(火)

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 5月22日(水)

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 5月23日(木)

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 日に日に大人っぽく変わっていく気がする。今週は髪の毛をカラーリングして、また黒系に戻した。

私の好きだった70年代アイドル3人娘

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 アイドルの当たり年といえば、1980年代だが、それ以外が不作だったわけではない。私が小中時代を過ごした1970年代後半にもアイドルは多かった。中3トリオ(山口百恵・桜田淳子・森昌子)やキャンディーズ、ピンクレディーが頂点を極めたが、それ以外にも天地真理、南沙織、安西マリア、あべ静江、太田裕美、麻丘めぐみ、石野真子、大場久美子らがアイドルとしての地位を確保し、レコードと並びブロマイドが飛ぶように売れた。しかし、今日紹介するのは彼女たちではない。私が大好きだった70年代のアイドル3人娘は、彼女たちに人気は及ばないものの、それでも一時期、光り輝く存在だった。では早速、懐かしいアイドル時代に舞い戻って懐かしんでほしいと思う。

 岡田奈々

 1959年2月12日、岐阜県岐阜市に生まれで今年54歳になられた。。50歳を越えているとは信じがたいほど今でも若い。1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学時に、オーディション番組『あなたをスターに!』の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日、16歳でシングル『ひとりごと』がNAVレコードより発売され歌手としてデビューした。以来ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、『俺たちの旅』での田中健の妹・中谷真弓役、1976年のシングル『青春の坂道』のヒットなど、アイドルとして活躍。
 1977年3月、堀越高等学校を卒業、同年4月には、戸板女子短期大学に進学した。同年7月15日未明、東京都港区三田4丁目の秀和三田聖坂レジデンス内の自宅に窓から暴漢が押し入る事件が起きた。犯人は岡田を果物ナイフで切りつけ、右手親指の付け根と左手の掌に30針の重傷を負わせるなどし、早朝7時には犯人は玄関から出て行ったという。
 20歳となった1979年(昭和54年)からは女優業に本格転向し、大学は中退した。その後、映画『戦国自衛隊』(1979年)や『里見八犬伝』(1983年)といった全盛期の角川映画、テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』(1984年 - 1985年)などで活躍した。作家の安部譲二は岡田の熱烈なファンで、自身原作の映画作品に出演依頼をしてこれを実現させたのが、1987年(昭和62年)の『塀の中のプレイ・ボール』であった。現在独身。血液型はO

 「お宝映像」

 私は「青春の坂道」のEPレコードとアルバムLPを所有していた。色白で線が細くか弱い印象を持っていた。

 林寛子

 1967年、7歳の時にNHK連続テレビ小説『旅路』で子役としてデビュー。1973年オーディション番組『君こそスターだ!』で第一回グランドチャンピオンに輝く。堀越高等学校卒業。
 1974年、 シングル「ほほえみ」でキャニオンレコードから歌手デビューし、キャッチフレーズは「そよ風みたいな女の子」で人気アイドルに。アイドル時代の愛称は『カンコ』。早稲田と慶應の両方にファンクラブができて話題になった。
 1980年4月 - 俳優・歌手の黒澤久雄(現在映画プロデューサー)と2年半の交際期間を経て結婚(仲人は大橋巨泉夫妻)。同年長男を出産。結婚後は毒舌キャラで鳴らした。公認候補者として所属した自由連合では埼玉県総支部代表を務めた。
 2003年6月に離婚した元夫である黒澤久雄との間に1男2女。長女は元女優の黒澤優、次女は歌手の黒澤萌。娘婿は歌手の松岡充(SOPHIA)。
 個人的には1976年放送の「がんばれ!レッドビッキーズ」の女監督・江咲令子役が大好きで毎週欠かさず見ていた。小顔が特徴で血液型はB

 「お宝映像」

http://www.youtube.com/watch?v=TuApmuoY90o

http://www.youtube.com/watch?v=rZi-r4OI2sA (プッチンプリンのCM)

 彼女はとにかくベビーフェイスで小顔。南野陽子が出てきた時、彼女の再来かと思った。

 木之内みどり

 1957年、北海道出身の日本の元 アイドル歌手、元女優。1976年時点の公称サイズは、身長163 cm、体重42 kg、 B 78 cm、W 57 cm、H 84 cm。9人兄妹の末っ子。15歳中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝、望みは叶わず。「家を建てたい」と16歳の8月、小樽から上京する、歌謡番組のマスコットガールで芸能界入りのきっかけを掴んだ。 1974年5月10日、16歳のときに『めざめ』で歌手としてデビュー、キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。1976年ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』(小学館)の表紙を6回も飾った。そのうち1978年には3回を占め、ラストは引退後の1978年10月12日号であった。
 1977年10月25日発売の『刑事犬カール』の主題歌『走れ風のように』や1978年2月25日発売の『横浜いれぶん』がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった。
 1978年、新曲『一匹狼 (ローン・ウルフ)』発表直後にベーシスト後藤次利(現在は作曲家として活動)との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。5年後の1983年、木之内は後藤と結婚したが、4年後の1987年に離婚した。  
 1990年、俳優の竹中直人と再婚した。竹中との間に2人(1女、1男)の子供がいる。
 血液型はO

 「お宝映像」

http://www.youtube.com/watch?v=i_abPhiKkwU (刑事犬カール)

http://www.youtube.com/watch?v=RLHr-TRpJOw

http://www.youtube.com/watch?v=tjzjnEHeaPw

http://www.youtube.com/watch?v=pKK6L8wRYM8

http://www.youtube.com/watch?v=5XXw5rTXNDo

http://www.youtube.com/watch?v=M4pDbnHXkg8 (野球狂の詩)

 以上、70年代を代表する人気アイドル3人娘を紹介したが、当時のグラビアを飾ったり、ブロマイドの売り上げが多かったのは言うまでもない。

 特別掲載

 1970年代のアイドルで欠かすことができないシンガーがいる。アイドルと呼ぶには失礼なほど透き通るような高音の声が響き、歌が上手な歌手だった。以前、顔立ちが島田奈美に似ていることで紹介したことがある「やまがたすみこ」さんだ。取り立ててメジャーではなかったので、知らない人がほとんどだと思うが、愛くるしい顔立ちに加え、美しい歌い方や何よりもその純粋そうな雰囲気が大好きだった。1970年代に関する記事ということで、特別に紹介したい。

 やまがた すみこ (旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 - ) は、フォーク、歌謡曲等のシンガーソングライター、スタジオミュージシャンである。
 小学校6年生の頃から作詞作曲を始め、上野学園高校1年生在学中の1972年にTBS系の視聴者参加番組『家族そろって歌合戦』に出場して中学生の時の自作曲「夏になったら」を歌い優勝。これをきっかけに日本コロムビアからスカウトされ、芸能事務所のバードコーポレーションに所属。翌1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」で日本コロムビアよりデビュー。マルベル堂には現在もデビュー当時のブロマイドが売られている。
 1973年12月に発売されたシングル「日立ミュージック・イン・ハイフォニックのテーマ/白い船白い鳥」では1960年生まれとある。ニッポン放送の番組のテーマ曲で、毎週やまがたすみこの歌声が流れていた。ファーストアルバム『やまがたすみこフォークアルバム第一集 風、空、そして愛』(1973年3月)発売。
 1985年には、つくば科学万博「住友館」のテーマ曲「空に会おうよ」をモモと言う名前で歌っていた。テレビ媒体では、TBS系TVドラマ『おさななじみ』のテーマ曲「あの日のことは」(1973年)、アニメーション「南の虹のルーシー」のテーマ曲「虹になりたい」「森へおいで」(1982年)で知られている。『おさななじみ』にはギターを持つやまがたすみこが登場して居間や窓辺で「夏になったら」「風に吹かれていこう」「あの日のことは」などの曲を歌う場面があった。また、NHKの番組『あなたのメロディー』で誕生した「風を見たよ」「海のおくりもの」(沖縄海洋博テーマソング)を歌い、同局の『みんなのうた』にも登場した。長野県のローカルテレビ局テレビ信州のテーマソング(社歌)『みつめあえばそこに』などのほか、イソジン、ヒサミツをはじめとするCMソング等が多数ある。

 「白い船白い鳥」 http://www.youtube.com/watch?v=yBqQvgXCowg

 「空に会おうよ」 http://www.youtube.com/watch?v=zCUjmyxJ1lw

 「日曜日のキューピー」 http://www.youtube.com/watch?v=H37n-d-mHR8

 やまがたすみこさんを特集したファンのブログ

 http://members.jcom.home.ne.jp/yosinon/sumiko/

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~ancoro/mfile/006sumi.htm

 記事作成:5月4日(土)

日本で活躍した外国人女性シンガー

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 この手の記事は昨年10月10日付の「日本で売れた異国歌手」で執筆し、掲載したことがあったが、今回は女性限定でお送りしたい。1970年代以降の日本の歌謡界に彗星のごとく現れ、特異なキャラと楽曲で活躍した外国人シンガーがいる。今回はそんな方々をセレクトしたい。ただし、キリがないのでユニットやグループを除き、ハーフを含め、ソロで活躍した歌手に絞ってお送りしたい。今回は著作権抵触ですぐに映像削除になることを危惧するため、「Youtube」の埋込み処理は行いません。ご容赦ください。

 アグネス・チャン

 私が小学校高学年の時に突如ブラウン管に登場した。色白で真ん中分けの髪型。香港出身で多芸。幅広い活動を行い、5ヶ国語以上話せる元祖バイリンガルシンガーだった。「ひなげしの花」「草原の輝き」がヒットした。1973年日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

http://www.youtube.com/watch?v=uR8Idon6Q6w

 山本リンダ

 1966年、15歳でデビュー。『こまっちゃうナ』『どうにもとまらない』『狙いうち』などのヒット曲で知られる。身長168cm。「リンダ」という芸名は、アメリカ人の父親が生前山本に付けた愛称から。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。

http://www.youtube.com/watch?v=1JjN5TYI2n4

http://www.youtube.com/watch?v=qsprkHobiyg

 アン・ルイス

 父親がアメリカ人(アメリカ海軍の軍人)で母親が日本人のハーフ。兵庫県宝塚市に生まれ、横浜市中区本牧に在った米海軍の住宅街ベイサイドコートで育つ。子役として活躍。当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動し、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒット。ロック(歌謡ロックと言われる場合もある)に転向し1970年代から1980年代にかけて「ラ・セゾン」や「六本木心中」「あゝ無情」などヒット曲を放った。

http://www.youtube.com/watch?v=iuCipmyk_Fw

http://www.youtube.com/watch?v=vPW4h870JSc

 欧陽菲菲

 中華民国(台湾)出身の 歌手。1967年に台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした。その後日本のプロダクションより日本での歌手活動が打診されたが、本国での人気をご破算にしての日本行きに周囲は難色を示した。しかしその後観光ビザで来日し、1971年9月に『雨の御堂筋』で日本デビュー。同曲が約136万枚の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がり、同年の第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞。翌1972年には「第23回NHK紅白歌合戦」に在日外国人・日系人やグループを除く外国人ソロ歌手として初めての出場を果たした。その後も活躍を続け、1983年から1984年にかけての『ラヴ・イズ・オーヴァー』のロングセラーなど、数々のヒット曲を飛ばしたことや、その気さくな人柄や片言の日本語で日本の音楽番組のみならず、バラエティ番組でも人気が高い。ソウルフルな歌唱が日本や台湾だけでなく、アジア各地でも高い人気を誇る。「雨の御堂筋」はカラオケでも人気が高い。

http://www.youtube.com/watch?v=L_6CgFlgaTQ

http://www.youtube.com/watch?v=TIXIFDug4cY

 テレサ・テン

 中国名:鄧麗君(デン ・リージュン)、は、台湾出身の歌手。
 1973年に、香港で「日本の父さん」と呼ばれる舟木稔との出会いがきっかけで日本での活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の『今夜かしら明日かしら』により、鳴り物入りで日本デビューを果たす。しかし、売れ行きは思わしくなく、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる『空港』が大ヒット、第16回日本レコード大賞新人賞を獲得する。
 1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。レコード会社もポリドールからトーラスレコードに移籍、『つぐない』で日本再デビューを果たす。日本でリリースした『つぐない』と『愛人』はそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚を売る大ヒットとなる。1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』及び『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。
 1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さだった。

http://www.youtube.com/watch?v=abQ7IQ3O7pM

http://www.youtube.com/watch?v=YRZucY1BLk8

http://www.youtube.com/watch?v=YxFPNKLaO10

http://www.youtube.com/watch?v=paQ-8suxPSA&list=RD02S1n8OsfwGXo

 ジュディ・オング

 台湾名:翁倩玉(ウォン・チエンユィ= Wēng Qiànyù)、英語名:Judy Ongg)は1950年1 月24日・台湾出身の歌手・女優・版画家(版画家としてはジュディ・オング倩玉という。
 1972年、日中国交回復を機に日本に帰化。
 1979年に『エーゲ海のテーマ~魅せられて』が200万枚の大ヒット。女性下着メーカーワコールのCMソングだが、彼女自身のエキゾチックで妖艶な雰囲気と、同年の日米合作の映画『エーゲ海に捧ぐ』のイメージともマッチし(同映画の主題歌ではないが、CMには映画にも主演したチチョリーナが出演し映画上映と同時期に放映されており、一種のタイアップである。英語のサビの歌詞の「Wind is blowing from the Aegean」は、「風はエーゲ海からふいている。」という意味である)、見事第21回日本レコード大賞を受賞。第30回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たす。彼女自身のデザインによる、扇状に広がる袖がついた優雅な衣装も話題になった。

http://www.youtube.com/watch?v=viUqswA8QYk

http://www.youtube.com/watch?v=Xiz-NYChMi8

 マルシア

 ブラジル・サンパウロ州モジダスクルーゼス市出身の日系三世。
 1985年、ブラジルで開かれたTBSの『TBS歌謡選手権』で準優勝。これを契機に翌年、祖父の佐登里と共に来日した。来日後、芸能界にスカウトされ、作曲家の猪俣公章に師事する。デビュー前の当時、日本テレビの情報番組「追跡」にて、猪俣公章の内弟子修行で悪戦苦闘する姿が紹介されている。厳しい修業を乗り越え、1989年1月、「ふりむけばヨコハマ」でメジャーデビュー。『第31回日本レコード大賞』や『FNS歌謡祭』では最優秀新人賞など、多くの新人賞を受賞。マルシアがブラジルに凱旋帰国公演をする直前に、父の千秋は心不全で急死。父はとうとう日本の土を踏むことは出来なかった。後に、テレビドラマ、バラエティー番組などにも出演、女優・タレントとしても幅広く活躍。

http://www.youtube.com/watch?v=Cs57YKmNCpU

 キム・ヨンジャ

 韓国光州出身の演歌歌手。1974年韓国TBCテレビの「全国歌謡新人スターショー」で優勝し、歌手デビューする。1977年には「女の一生」で日本デビューする。しばらくヒットに恵まれなかったが、1981年にトロットアルバム「歌の花束」が韓国のレコード史上最大の360万枚の売上を記録する。1984年、NHKホールコンサート・公演ライブテープ、レコードが日韓同時発売。1988年、ソウルオリンピック讃歌「朝の国から」で日本再デビュー。同曲をソウルオリンピック閉会式エンディングセレモニー会場のメインスタジアムにて10万人観衆の前で歌唱。1989年にNHK紅白歌合戦に「朝の国から」で初出場。その後、「川の流れのように」、「イムジン河」で3回出場している。

http://www.youtube.com/watch?v=GOFFjpyVmvI

http://www.youtube.com/watch?v=xrqrr6zP0t0

 桂銀淑

 韓国ソウル市永東 出身の演歌歌手である。ジャンルは演歌に分けられているが、曲調はド演歌ではなく、 歌謡曲やバラードに分類される。独特なハスキー・ヴォイスで数々のヒット曲を飛ばし、 多くの音楽賞を受賞。身長160cm、体重47.5kg、血液型B型、天戸商業高校(韓国)卒業。作曲家の浜圭介に見出され1984年に来日。浜の元でレッスンに励んだ後、1985年に「大阪暮色」で日本デビュー。以来「すずめの涙」「夢おんな」「酔いどれて」「真夜中のシャワー」「ベサメムーチョ」など次々とヒット曲を連発し、数々の音楽賞を受賞。1988年、「夢おんな」で第21回日本有線大賞グランプリを獲得。同年、『NHK紅白歌合戦』に初出場し(歌唱曲は「すずめの涙」)、以降1994年まで7年連続出場。また、日本レコード大賞の常連にもなり、1990年にはアルバム『真夜中のシャワー』で第32回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。
 1987年に発売された、浜圭介とのデュエット曲「北空港」は、数あるデュエット曲の中でも人気が高く、現在でも多くのカラオケファンに愛され、常にカラオケランキングでは上位に入っている。

http://www.youtube.com/watch?v=GBsyXZbNNHA

 記事作成:5月3日(金)

あったら怖いモノ

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 以前(2012年7月20日付)、当ブログで「笑いのネタ100連発!」と題した記事を書いたことがある。同じ類で「ブラックユーモア」、「笑えないネタ50連発」という記事も書いた。そこで嘉門達夫の歌「あったら怖いセレナ~デ」を引き合いに出し、私なりのオリジナルのアイディアを列挙した。今回はそれに味をしめた私が第二弾として「あったら怖いもの」を思いついたまま発表したい。今回の記事は、はっきり言って嘉門達夫のパクリである。あまり目くじら立てずに聞き流して、綾小路きみまろ風にこの暗い世相を笑い飛ばして欲しい。

 嘉門達夫氏の秀作「あったら怖いセレナ~デ」

 包丁のつかみ取り
 千手観音の往復ビンタ
 全力疾走する大名行列
 時速300キロで回る回転寿司
 本当に海の中にある海の家

http://www.youtube.com/watch?v=OvL2z3LEXCc

 私のパクリネタ 「あったら怖いモノ」 or 「こんな○○はイヤだ!」

 ガラス張りの棺桶(ガラス張りの霊柩車)
 総入れ歯の千年前のミイラ
 片道の燃料しか積んでいない宇宙ロケット
 本物の墓地に作ったお化け屋敷
 扇風機で飛ぼうとするプロペラ飛行機

 ドアが透明アクリル製の「開かずの扉」
 花占いで決める花時計
 ナメクジのおみくじ
 ノンストップなのに乗客が減る列車
 無人で運転する路線バス(ゆりかもめならわかるが・・・)

 外れると1億円請求される宝くじ
 あしながおじさんに対抗して短足おばさん
 舌切り雀に対抗して首切りカラス(なんか怖い・・・)
 寝台車に対抗して手術列車
 食堂車に対抗して

 古戦場でキャンプ(絶対見てはいけないものを見てしまう)
 F1サーキット場での直前横断ごっこ
 ヤクザの組事務所でピンポンダッシュ
 やる気がなく、被告に訴えられた弁護士
 あきらめの早い外科医

 開店休業状態の
 檀家のいない寺
 壇蜜、檀れい、檀ふみしか檀家のいない寺
 火事で全焼した墓地
 99.9%誤診の医者

 到着まで5時間かかる救急車
 2日遅れて届く新聞(どんだけ離島・・・)
 未来新聞が届く家
 明日、自分が死亡する記事が載っている新聞
 日本では残念な名前・名称(アホウドリ・アホネン・ふんころがし)

 エンドレスのマトリョーシカ
 永遠に続くコザックダンス
 エンドレスの太鼓の達人
 100歳以上限定のフルマラソン大会
 シャッターを押すたびに幽霊が写ってしまう人

 死後の世界への入口がある家
 本物の死体が並べてある蝋人形の館
 蝙蝠とゴキブリが1,000匹いる家
 台風の渦に突っ込むジャンボ旅客機
 年間100回落雷のある家

 トイレの便器から声がする家
 鮮血に染まる露天風呂のある旅館
 アイコが100回続くじゃんけん
 3時間、無言が続くお見合い
 意味もなくエンジンから黒煙を吐き続ける飛行機 

 四方八方が墓地に囲まれている家
 町内のすべての電柱に花束が結わえてある地区
 高層ビルの真下に人の形をチョークでなぞってある場所
 竜巻の通り道に建つ家
 殺人事件が相次ぐアパート

 毎晩死神が出てくる夢(金縛りが解けんわ~)
 前世がナメクジだとわかった瞬間
 金のなる木(毎日強盗に襲われる)
 ボディーガードが100人いないと安心できない家
 出口のないトンネル
 
 まわりに人食いザメがうようよいる海上ハウス
 ピラニアのつかみ取り
 うなぎつかみ大会に対抗して電気ウナギつかみ大会
 始発と終電の間がない路線
 ヒルの踊り喰い
 
 クマと格闘する死刑執行(ブラック・・・)
 アナコンダが放し飼いのプール
 心霊写真専用カメラ
 壁・床・天井が総ガラス張りの家(落ち着かない・・・)
 何もしないのに照明が暗くなったり明るくなったりを繰り返す家

 体の悪い部分が写る家庭用デジカメ(ある意味欲しい・・・)
 10年に一回しか点検整備をしない航空会社
 医者と看護師が喪服を着ている病院(用意周到すぎ・・・)
 全身血まみれの救急隊員
 部屋中がカビだらけのホテル

 人の本心まで映し出すX線がある病院
 廃病院をリフォームして売り出したマンション(どこが霊安室?手術室は?)
 地下核実験場の真上に建つ家
 風車に囲まれた家(少なからず健康被害が・・・)
 某国のスパイ(諜報員)がうろちょろしている町
 
 髪の毛が逆立つほど静電気が充満している家
 教えてもいないのに生まれつきスワヒリ語を話す九官鳥
 風が吹くだけで倒れる家
 地震多発地帯に建つ総ブロック造りの家
 5回も当たってしまった裁判員
 
 いくら歌っても0点しか出ないカラオケマシン
 いない人まで写ってしまう心霊プリクラマシン
 地震が来るたび豪快に崩れるピラミッド
 鍵穴が前方後円墳でできている地球
 イグアスの滝で水修行

 硫酸の露天風呂
 地上50mからスカイダイビング
 42.195kmハードル競技
 三原山の噴火口にあるヘリポート
 馬とウマが合う人の上手すぎる話にうまかったと乗せられた話

 死んでも死にきれない人
 30年間潜りっぱなしの原子力潜水艦(浦島太郎状態)
 8割の村人が村八分にされている村
 死亡率が最も高いのが殺人という国
 嘘の表示しかしない嘘発見器
 
 酔っぱらいのアルコールチェッカー
 中国産痩せる石鹸は使うたびに石鹸が痩せるの意味だった(中国人は騙していない)
 オカマの忍者(くノ一とは呼べない・・・)
 強盗防止のために偽札しか扱っていない銀行
 ぐうたらで怠け者のアイドル歌手(idleってことなんだけど・・・わかります?)
 
 ハリセンボンまたはウニで行うお手玉遊び
 おネエ系言葉で脅かしてくるヤクザ
 成功より失敗のほうが多い人体切断マジシャン
 手さばきが下手なカード&コイントリックマジシャン
 握力100以上ある超能力者によるスプーン曲げ

 二級建築士しか持っていないのに「自分は匠だ」と言い張る建築家
 24時間営業のセブンイレブン(いい加減名前変えたら?)
 野次を飛ばす相手チームファンを狙ってファールを打つプロ野球選手
 美人以外は乗車拒否するタクシードライバー 
 ひと場所で「待った」を10回以上する力士

 ひとシーズンで退場10回以上喰らうプロ野球の監督(元広島のブラウン?)
 幽霊と仲の良い友達
 パワーボートで三途の川を渡る船頭
 床下から人骨が次々発見されるアパート(昔墓地?それとも前に住人の仕業?) 
 テレビの街角インタビューに引っかかった不倫カップル

 日本国民全員にGPSを持たせることを義務付けする政府
 透明人間になれる薬を開発して自動車にひき逃げされた発明家
 タイムカプセルを埋めた場所を忘れた卒業生たち
 どこでもドアを開発し、ドアを開けた瞬間に人食いザメの餌食となった発明家 
 標高5000mにある家(毎日酸欠で高山病)

 血を吐くジェット型洗浄機
 ストーカー行為を繰り返す自動お掃除ロボット
 俺が死んだら生命保険の受取人は家内なのに家内が死んだら受取人が子供
 夜泣きを繰り返すテディベア
 お地蔵さんが運転している地蔵車

 感電死したヘビメタのギタリスト
 下駄占いをする気象予報士
 亡霊が運転する路線バス
 プロキシを知らないプロ棋士
 きゃりーぱみゅぱみゅが言えないアナウンサー  

 落雷に遭ったカーネルサンダース人形
 自分ですべて金を出すグルメリポーター
 本当に行水をするカラス
 黒猫に取り囲まれた家
  
 

 記事作成:5月1日(水)~

 

消えゆく日本の佳き風習・伝統文化

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 戦後67年が経過し、日本の伝統文化や風習が随分様変わりしたと感じているのは私だけではないだろう。私は高度経済成長後の昭和39年生まれだが、それでも子供の頃に習慣的に行っていた行事や風習なるものが減ってきている気がして、何か日本古来の文化が失われていることに危惧している。それはまず正月に垣間見れる。

 昭和40年(1965年)と震災前の平成22年(2010年)の45年の日本文化に関する統計の比較を見たい。データは一般家庭のものである。

                     昭和40年     平成22年

祝日に国旗を玄関に掲げる     71.7%     11.5%
門松を飾る               35.5%      5.6%
しめ縄を飾る              80.6%     52.5%
福笑いをする              37.1%      7.4%        
餅を食べる               86.5%     73.7%
おせち料理を食べる          78.3%     66.2%
双六をする               52.9%      9.6%                         
羽子板をする              40.8%     12.6%
独楽まわしをする            44.7%      7.1%
凧揚げをする              68.4%      8.0%
着物を着る               38.2%      9.7%         
鏡餅を飾る               69.3%     19.4%
お雑煮を作って食べる        77.5%      37.1%               

 食生活もそうだが、日本人や日本文化の欧米化が進んでいることが判明。古き佳き日本の伝統が薄らいでいることが露骨にも顕著になった。

 次に正月ではないが、失われつつある日本文化や慣習について取り上げたい。

 墓参り

 私は春と秋のお彼岸に加え、お盆、家族の命日と法事には欠かさず墓参りに出向き、墓石を清め、お供え物をし、線香を手向け、ご先祖様のご冥福を祈る。こうした習慣が現代では希薄になってしまった。これではご先祖を敬う機会が無くなり、ますます上下関係を体験的に学ぶこともなくなろう。忌忌しき事態である。

 若者の車離れ

 私が20代の頃はバブル景気に沸き、それは豊かな時代だった。首都圏では電車や地下鉄が発達し、乗り物に不便は感じないが、地方では通勤やレジャーには必需品。汗水たらして働いて、貯めたお金でカッコイイスポーツカーに乗りたいと思ったものだ。セリカXXやプレリュード、シルビア、ソアラ、Be-1、RX-7、フェアレディーZ、スカイラインGT-R、ロードスター、ハイラックスサーフ、パジェロなどが流行った。小型でもフェスティバのキャンバストップなどが流行った。ところが今の若者は、無理して高い車を購入したいという意識が低い。身の丈にあった生活をしたいという堅実な生き方を選ぶ若者が多いようだ。「いつかはクラウン」という夢の時代はもう過去の遺物のようだ。

 選挙権を行使する 

 20代の平均値は32%、60代以上の77%とは半分以下の悲惨な状況。参政権を放棄し、政治に無関心で、政は政治家に一任してしまう傾向がありあり。暴言雑言の多い政治家任せではなく、自らの主張を堂々と行える若者層の政治参加を期待したい。

 一家団欒の時間

 1970年代にはよく見られたが、昔は「時間ですよ」「ありがとう」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」など、どこにでもある家庭のひとコマを描いたホームドラマが主流だった。今でも「渡る世間は鬼ばかり」はあるが、あのような家族の絆や結びつきが薄くなった気がする。昔ならおじいちゃんおばあちゃんと同居し、大家族が主流で、そこには様々な人間模様があった。しかし、今は鍵っ子や核家族が当たり前の世の中。逆に老夫婦の二人暮らしや一人暮らしの老人が多くなり、身寄りのないお年寄りが孤独死などというニュースも多くなった。私の幼少の頃は、7時頃には一家全員が揃って夕食の食卓を囲み、その日の出来事を報告したものだった。そしてナイターを見ながら親子で共通の話題を設けたり、お気に入りのチームに声援を送ったものだ。そして曜日ごとに一緒に見る番組は決まっていた。例えば月曜日は「クイズ100人に聞きました」「水戸黄門」、火曜日は「ぴったしカンカン」と「連想ゲーム」、「プロポーズ大作戦」、木曜日は「木曜スペシャル」「ザ・ベストテン」、土曜日は「クイズダービー」、「8時だよ全員集合」、「どてらいやつ」、日曜日は昼に「家族そろって歌合戦」、夜は「グランド劇場」、「花王名人劇場」といった具合だ。 

 「日本の生活や文化から姿を消しつつあるもの」

 蚊帳・・・真夏に屋根や壁の柱に吊るして蚊に刺されないようにした。

 ハエ取り紙・・・巻紙になっていて、伸ばして天井から吊るして使用。見栄えはよくない。

 ブタの蚊取り線香入れ・・・どこの家庭にもあった。

 打ち水・・・真夏の夕方に道路に水を撒き、気温を下げる効果があった。

 行水・・・気温の高い夏の昼下がりに、たらいに水を汲み、そこに入って涼をとった。

 寒風摩擦・・・タオルで背中をゴシゴシこすり、摩擦熱で体を温める行為

 小刀で鉛筆を削る行為・・・50代以上の方なら日常的に行ったはず

 文通・・・メールとネットの普及によって遠方の方と手紙のやりとりはなくなった。

 アマチュア無線・・・別名ハム。携帯の普及でアマチュア無線愛好家が激減。昔は自宅の庭に鉄塔を立て、大きなアンテナを立てた無線家が多かった。

 BCL(ベリカード)・・・海外の短波放送を受信し、報告書を書いて送ると貰えるカラフルデザインのカード。これを集めてコレクションする人が多かった。

 スキー・・・若い人はスノボが人気。スキーから始めるのは小学生くらいなもの。

 日記・・・ブログが主流。交換日記は過去の物になりつつある。逆に自分史を書く人が増加した。

 ポッタン便所・・・田舎に行くとまだあるが水洗が普及したため、あまりみかけなくなった。

 トレーナーのペアルック・・・1980年代に流行った若者文化。VANやポパイのロゴ入りのものが街を闊歩していた。

 テクノヘア・・・もみあげを斜めに刈り上げるショートヘアー。イギリスのパンクから日本にも取り入れられて流行った。

 レコード鑑賞・・・かつてはステレオコンポによるオーディオブームがあった。各装置ごとにメーカーを変え、クリアな自分好みのサウンドでレコードを聴いたものだ。趣味がレコード鑑賞ということが多かった。兄貴は凄かった。プレーヤーはテクニクスのターンテーブル式のプレーヤー、チューナーはトリオ(現・ケンウッド)、アンプはサンスイ、デッキはナカミチ、スピーカーはBOSEという装備だった。私はダイアトーンが好みだったが、このようにステレオにはうるさかった。CDが初めて出たときには確かデンオン製だったと思う。

 切手集め・・・かつては趣味の王者だった。切手シートや珍しい切手を集めてコレクションしていた人が多い。何を隠そう私もそのひとり。今は無き「第2うすい」で切手を購入したり、通販で「東京切手センター」にて世界中の珍しい切手を収集したものだ。

 丸い郵便ポスト・・・田舎や地方にはまだ存在するが、最近は四角で郵便受けが2つ空いたポストが街角の主流。よく見るとポストは赤色というイメージだが、最近は朱色とか、中にはオレンジっぽいものまであるように思う。これも時代の流れか・・・。

 空気椅子とうさぎ跳び

 私が中高の頃、部活での練習といえば、雨天時の屋内で行うトレーニングの代表格として、うさぎ跳びや空気椅子があった。これは予想外にきつく、膝がカクカクするほど苦しい練習だった。だから雨天時が恨めしかった。今は、膝を痛めたり、毛細血管断裂の懸念により、実施されなくなった。筋力トレーニングも今は、さまざまなマシンやウェイトトレーニングに変化したため、より効果的なトレーニングが日常化したためであろう。

 記事作成:平成24年11月~平成25年5月5日(日)

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