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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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2014年1~3月に注目された人々

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 年間4回に渡ってお送りする新シリーズ。各四半期ずつの期間の顔ともいうべき方々にスポットを当てて紹介したいと思う。

 1月 小保方晴子 30歳

 日本の細胞生物学者。理化学研究所発生・再生科学総合研究センター・細胞リプログラミング研究ユニット・ユニットリーダー。外からの刺激で体細胞を初期化することにより、すべての生体組織と胎盤組織に分化できる多能性を持った細胞(STAP細胞)を作製する方法を世界で初めて確立したと発表し、1月29日深夜以降、ニュースで大々的に取り上げられて大きな話題となった。千葉県松戸市出身。東邦大学付属東邦高等学校を経て、AO入試で早稲田大学理工学部応用化学科入学。2006年3月、早稲田大学理工学部応用化学科卒業。研究中、祖母からもらった白い割烹着で取組む姿も話題となった。また、研究室の壁を鮮やかな色彩に塗ったり、アニメキャラクターで飾ったりする特異な部分も報道された。その後、この研究発表について、DATAに重大な問題が見つかり、立て続けに論文の酷似や画像の不適正処理を巡って騒動が起きたのは残念でならない。

 http://www.youtube.com/watch?v=lziqbqQu7C0

 2月 二山治雄 17歳 

 ローザンヌ国際バレエ優勝した高校2年生。若手バレエダンサーの登竜門として知られる第42回ローザンヌ国際バレエコンクール最終選考が1日、スイス西部ローザンヌで行われ、長野県松本市の松本第一高校2年、二山(にやま)治雄さん(17)が優勝した。日本人の優勝は2012年以来、2年ぶり。日本人男性としては1989年に最高賞の金賞を受賞した熊川哲也さん以来の快挙とみられる。 2位には横浜市の高校1年、前田紗江さん(15)、6位にもモナコ在住の加藤三希央さん(18)=東京都出身=がそれぞれ入賞。入賞者6人のうち3人が日本人だった。

 http://www.youtube.com/watch?v=j4ofQ2EmByU

    平野歩夢(ソチ五輪銀メダル)15歳

 ロシアのソチで行われている冬季五輪で、中学生の平野歩夢が銀メダルを獲得した。男子はハーフパイプ予選を全体の2位で通過した平野は、決勝2回目に93・50点をマークして2位に滑り込んだ。15歳2カ月でのメダル獲得は、98年長野大会ショートトラック男子500メートルで金メダルを獲得した西谷岳文の19歳1カ月を大幅に更新する冬季五輪日本選手最年少記録。今大会日本選手団初、日本スノーボード史上初のメダルでもあった。2回目で92・25点を出した平岡卓(18=フッド)が銅メダルを獲得。新潟・村上一中3年の平野と大阪・上宮高3年の平岡が、同時に表彰台に立った。

 http://www.youtube.com/watch?v=k7YajovQDzE

    羽生結弦(ソチ五輪金メダル)19歳 

 ソチオリンピックの男子フィギュアスケートで、羽生結弦選手が280.09点という高スコアを叩きだし見事金メダルを獲得。日本男子フィギュアスケート初の快挙の金メダルとなる。また羽生結弦選手は個人のショートプログラムで101.45点という史上最高得点を叩きだしフリーに挑んだ。フリーでは1回目の4回転の際に転倒したものの178.64点という高得点を出し、ショートとあわせて280.09点となった。後に続いて競技をおこなったパトリック・チャン(カナダ)選手が銀メダル、デニス・テン(カザフスタン)選手が銅メダルとなった。
 また町田樹選手は5位(253.42)、高橋大輔選手は6位(250.67)となった。
 早熟の天才はやはりB型だった。

 http://www.youtube.com/watch?v=Gbm9tLQoPhU

 2月はいずれも10代が光り輝いた。最近、こうした若年層の国際大会での活躍が光る。期待の高梨沙羅(17歳)は4位に終わったが、今回のソチ五輪では、どうしても10代の若い選手にメダルの期待をしなければならなかった責任は重い。一体大人は何をしているのかと。プレッシャーを10代にかけてしまい申し訳ないだろう。逆に10代は失うものが何もないし、チャレンジスピリットは強いため、堂々と自分の力をぶつけられて良かったのかもしれない。

 3月 佐村河内守の疑惑問題が露呈

 中途失聴とされる聴覚障害がありながら『鬼武者』のゲーム音楽や「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などを作曲したとして脚光を浴びたが、2014年2月5日、自作としていた曲がゴーストライターの代作によるものと発覚(「ゴーストライター問題」の項を参照)。聴覚障害の程度についても疑義を持たれており、新垣隆は全ろうは18年間嘘であると『週刊文春』に掲載された独占手記で主張した。横浜市による再検査では中度の感音性難聴と診断され、聴覚障害者ではあるが、障害者手帳の交付の対象となるレベルではなかった。記者会見では記者の質問に逆ギレ。虚言癖と合わせ、嘘で塗り固めた性格や人生が暴露された。この保身的な態度は、政治家の渡辺喜美と同じで、自己弁護のための釈明やおとぼけ発言を繰り返す往生際の悪さだけが際立った。(一部「Wikipedia」から抜粋)

 http://www.youtube.com/watch?v=oaLy6naEWrQ

 http://www.youtube.com/watch?v=P7S8Ug9Hth0

 3月は有名人の汚職やスキャンダル暴露が目立つ月回りとなった。今後も4半期ずつに区切ってこの記事をシリーズ化してお送りしたい。

 

 記事作成:2月15日(土)~3月30日(日)


2014年春・福島の女子アナ異動

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 3月下旬の年度末は異動の季節。福島県で活躍しているアナウンサー達もその例にもれず、特に契約アナウンサーは、3~5年で契約切れとなるため、新天地を求めて異動するケースが多い。福島テレビの名物看板娘だった名和田さんが福島を去ってから1年が経ち、今年も、慣れ親しんだ女子アナが退社を迎える時期となり、注意深く夕方の自社制作のニュースを見ていたところ、3月27日のFTVスーパーニュースのラストで、北海道出身の堤友香アナウンサーが番組卒業の挨拶(同時にFTVを退社)をし、涙でのエンディングとなった。同僚の長澤彩子アナも泣きじゃくっていたシーンが印象的だった。このように、今春も別れの季節を迎え、昨年と同様惜別の意を込め、特集で福島県を去ることとなったアナウンサーを紹介したい。

 堤友香(FTV)

  • Tsutsumi

     1987年8月13日生まれの北海道札幌市出身。血液型はO型。
  •  フェリス女学院大学在学中にBSフジNEWSの学生キャスターを務めた。同大学を卒業後、2010年入社。同期入社は延増惇、藤川貴央、長澤彩子。
     2010年4月10日のサタふくに4人揃って出演し、特技のフラメンコを披露した。
  •  2010年7月24日、25日の二日間に渡って放送された26時間テレビ、12時間耐久三輪車レースでは、福島テレビチームのメインドライバーを務めた。
  •  2011年7月から、退職した原田幸子アナウンサーの後任として、金曜日と土曜日のFTVスーパーニュースキャスターに就任した。
  •  FTV公式HPでの彼女のお別れの挨拶

     http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2014/03/post-147.html

     彼女と入れ替わりに入社したアナウンサーを紹介したい。

     岸野文絵アナウンサー

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    Kishino4Kishino5

     プロフは・・・

    出身地:秋田県潟上市
    生年月日:1991年10月29日 現在22歳
    血液型:B型
    出身校: 日本女子大学文学部英文学科
    趣味:カフェめぐり、映画鑑賞
    特技:英会話
    性格:B型らしくマイペース。ふらっとどこかに出掛けてしまう癖がある。

    BSフジで第21期女子大生キャスターとして午前中の時間帯のニュースや天気予報を担当していた。色白の秋田美人。

    BSフジの自己紹介 http://www.bsfuji.tv/caster_blog21/kishino/0805.html

    福島テレビの紹介 http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/kishino.html

     <NHK福島放送局の異動>

     NHKでは数少ない福島県ご当地出身のアナウンサーだった杉本麻紀さんが、この度、福島放送局を退社された。TBSサンデーモーニングのキャスターを5年間務め、やはり今春番組を“卒業”した滝本沙奈アナにも似たぽっちゃり系で明るいアナウンサーとして活躍されたが、この度契約満了に伴いNHK-BSニュース担当のため異動となった。

     杉本麻紀 編

    Sugimoto000037050

     <プロフィール>

     福島県福島市出身。担当番組は「ふくみみ」「はまなかあいづToday」「ニュース」等

     趣味は「映画鑑賞」「料理」 
     血液型は不明

     「アナウンサーブログ」はコチラ

    http://www.nhk.or.jp/fukushima-blog/2012/11/09/

     他の画像

    Pc292681Pc292682

     NHKでは数少ない県内出身者のアナウンサーのひとり。私好みの色白でややぽっちゃり系の顔立ちをしている。この画像は12月29日の県内ニュースの模様。何故か眉毛メイクが太い・・・。昔の古風な印象だったが、それでも清楚な印象は素敵だ。

     NHK-BSニュース移動後の公式HPの彼女の姿はコチラ

    http://www4.nhk.or.jp/P1325/ (一番下の画像です)

     彼女と入れ替わりに入社したアナウンサーを紹介したい。

     岩間 瞳アナウンサー

    Iwama

    出身地・・・宮城県大河原町
    担当番組・・・ひるはぴ福島
    趣味・・・ラーメン食べ歩き、日本酒、電車に乗って出かけること
     NHK公式HPのひとこと
     
     福島県とは学生時代から今年で5年目のおつきあいです。
    これまでも福島の温かい人・おいしい食べ物・きれいな景色にたくさん出会ってきました。
    でもまだまだ知らない魅力がたくさんあります!
    これから時間をかけて、もっともっと福島県と仲良くなっていきたいです。
    そして皆さんに温かくてほっこりする地域の情報を伝えていきたいと思います。
    福島県の市町村を全て訪れるのが目標ですので皆さんどうぞよろしくお願いします!
     
     木下歌織アナウンサー

    KinoshitaKinoshita2

    出身地・・・岩手県釜石市
    担当番組・・・はまなかあいづToday
    趣味・・・舞台・ミュージカル鑑賞 
    血液型・・・O型 
     3月まではSBS(静岡放送)勤務。リポーターやキャスターとして活躍していた。
    NHK公式HPのひとこと
     福島の皆さん、どうぞよろしくお願いします。 東北出身の者として、復興を願う皆さんの声を発信していけるよう頑張ります。 

     記事作成:3月29日(土)~4月1日(火)

     当ブログの記事は、通常は執筆後、一か月半後に掲載していますが、今回の記事については早期に告知したい内容であることから、執筆翌日の掲載としました。

    惜しかったユニット回顧

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     21世紀の今、芸能界、特に歌謡界(J-POPS)を見渡せば、多人数アイドルユニット花ざかりだ。その牽引者は、「モー娘。」と「AKBグループ」(AKB48・SKE・NMB・HKT・乃木坂46・JKTなど)である。男性もまた負けてはいない。多人数アイドルの代表格は今も昔も「ジャニーズ事務所」所属の歌手たちであるし、今ではEダンスユニット「XIL」Eが時代をリードしている。しかし、ひと昔前の20世紀には、あともう少しでブレイクするはずだったグループやユニットが数多く存在した。まずは、ファンだった人たちには申し訳ないが、勝ち組ユニットと惜しかったユニット(敢えて負け組とかB級とは言わない)に分けてグループ分けして、その惜しかった方たちの中にもいい曲を提供していることを紹介したい。その勝ち組と惜しかった組の線引きの基準は、オリコンの上位やベストテン番組に入ったか否かで決めたい。そして今回は男性ユニットは除外して考えたいのであしからず。

     勝ち組ユニット・・・ザ・ピーナッツ、リンリン・ランラン、キャンディーズ、ピンクレディー、おニャン子クラブ(うしろゆびさされ組・後ろ髪ひかれ隊)、WINK、Babe、Mi-ke、CoCo、シュガー、わらべ、ポケットビスケッツ、ブラックビスケッツ、モーニング娘。AKB48グループ、乃木坂46、Perfume、ももいろクローバーZなど。

     惜しかったユニット・・・リリーズ、コスミックインベンションアイドル夢工場スターボー、少女隊、制服向上委員会、ソフトクリーム、たんぽぽ、きゃんきゃん、SAINT-FOUR、SweetSなど。

     おそらく「惜しかったユニット」に入れてしまった方たちは、世間一般の認知も低いことから、あえて埋め込み映像処理で、このようなアイドルユニットがかつて存在し、頑張って活動していたことを残したいと思う。お断りしておくが、誹謗・中傷の意図は全くないことを先に記しておきたいので、くれぐれも誤解のないように・・・・。

     上記で下線部のあるグループユニットを取り上げます。

     「コスミックインベンション」

    http://www.youtube.com/watch?v=x-MVWSaQ1Ok

    http://www.youtube.com/watch?v=fsnwtwImSa0

     全員中学生によるシンセサイザーユニット。YMOの弟分妹分のような存在で、ライトポップ調のテクノサウンドを手掛けていた。ドラムの森岡みまがメインヴォーカルという珍しいシステムを敷いていた。当時は画期的で、電子音のドラムやキーボードを操っていた。レッツゴーヤングに出演した。「YAKIMOKI」や「コンピューターおばあちゃん」などNHKの「みんなのうた」にも楽曲が使われた。

     「アイドル夢工場」

    http://www.youtube.com/watch?v=5U1w1ll3oG4

    http://www.youtube.com/watch?v=Zj0TJQrxp78

    http://www.youtube.com/watch?v=17HWTtgZzMA

     フジテレビの真夏のイベント企画「夢工場」から生まれたユニット。「夕やけニャンニャン」や「夜ヒット」に数回出演しただけで終わってしまった。洗練された都会的な美少女の7人組で、当時はおニャン子クラブの妹分的な登場の仕方をしたが、いつの間にかテレビに出なくなった。「アドベンチャードリーム」は私も好きだった曲だった。今では伝説のグループになってしまった。鈴木あみのように所属事務所のトラブルがあったのではないかと勘繰ったほどだ。

     「スターボー」

    http://www.youtube.com/watch?v=ybE_XTrmj4Y

     1982年から1984年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ。スターボーとは星の虹(レインボーから の造語)という意味で「星の架け橋」という意味が込められているとされている。宇宙人的な衣装を身にまとい、「ももクロ」以上に素早くも激しい振り付けの踊りでステージを闊歩した。奇を衒った身なりも凄かったが、女子で超刈り上げショートヘアのテクノヘアーを実践したのも斬新である意味革命的だった。

     「SAINT-FOUR」

     こちらもスターボーと同様、カラフルな衣装で、激しいダンスが売りだった。「ももクロ」の元祖のようなグループだった。コチラはヒット曲に恵まれ、歌謡番組への出演や露出度も高かったが、活動期間が短かったことから「惜しかった」組に入れてしまった。「Fushigi Tokyo Cinderella」がデビュー曲にして代表曲。 曲中にバク転を披露するなどとにかく忙しく活発なユニットだった。

     「制服向上委員会」

     、“清く正しく美しく”をモットーにアイドルの王道を行くべく1992年秋に結成された グループ。メンバーは随時入れ替えられて継続していたが、2006年9月24日をもって“ 卒業”した。 お嬢様風の均整の取れた美少女集団のユニットだった。2006年9月24日の卒業記念公演に出演したメンバーはレッスン生2名を含む11名。コンサート「制服の日」、制服ファッションショーを始め、反戦集会、メーデーへの参加、社会貢献など多彩な活動を行っていた。初代リーダーの吉成圭子が中心だった。そしてなんと1期生から18期生まであった。

     「きゃんきゃん」

    http://www.youtube.com/watch?v=9e6lVE2tMrs

     3人組のアイドルユニットで、私も途中からセンターに変わった「山本博美」(現在・京本政樹夫人)が綺麗で大好きだった。テレ朝金曜日深夜に放送していた「MINT TIME」は欠かさず視聴していた。

  • 唐沢美香 (からさわ みか、東京都品川出身、1964年3月26日 - )東京女子高校卒 157cm 42kg 78-57-84 O型
  • 山本博美 (やまもと ひろみ、大阪府出身、1962年11月26日 - )大阪成蹊女子高等学校卒 162cm 48kg 81-60-86 A型
  • 桜井直美 (さくらい なおみ、東京都両国出身、1966年3月20日 - )嘉悦女子高校卒 160cm 46.5kg 79-60-86 A型
  •  さて、今回のミーハーが入った記事だが、いかがでしたか。懐かしんでもらえたでしょうか。アイドルフリークの方には、憤慨するような記載もあったかもしれなせんが、どうかご了承願いたいと思います。これまで幾度となくアイドルに関する記事を書いてきたが、いつの時代も女性が輝ける時期は10代後半から20代前半のような気がする。一番元気があってきゃぴきゃぴしてもっとも楽しい時期。この時代にアイドル歌手として脚光を浴び、時代をリードしたいと考えて活動していたアイドル予備軍。いつかメジャーになる日を夢見て踊りや歌のレッスンに励んでいたことは容易に想像できる。「あまちゃん」ではないが、女の子なら一度はアイドルを夢見たことがあるに違いない。それを行動に移し、実践しようとした彼女たちの頑張りに大きな拍手を送り、賞賛したいと思う。

     記事作成:2月26日(水)

    どーでもいい疑問 Part13

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     またまたこのシリーズが復活。今日で13回目を迎えた。まだまだ完結しそうにないほど、世の中クエスチョンマークだらけだ。今回は以下の疑問をテーマにしてみた。

     「曜日によって入るチラシ広告が決まっている不思議」

     私の自宅では、県内で最大発行部数を誇る地元紙をとっているが、日々疑問に思うのは、曜日によって目にする折り込み広告が決まっているということだ。さっそくだが、曜日ごとにどんな広告が入るのか確認してみた。

     日曜日 求人案内・不動産

     月曜日 通販関係、通信教育(AVIVA・ユーキャンなど)、カワチ

     火曜日 パチンコの新装開店、AEON、保険(県民共済など)関連

     水曜日 ホームセンター(ビバホーム・ジョイフル山新・カインズホーム・ダイユー8など)

     木曜日 ドラッグ系(ツルハ・マツモトキヨシ)

     金曜日 スーパー(ベニマル・Vチェーン・スーパー鎌倉屋・シミズストア・ヨーカドー)関係
          アパレル系(AOKI・洋服の青山・G.U・UNIQULO)

          ※ベニマルは「1・2・3の市」や「ど真ん中得の市」のセール中は曜日関係なし

     土曜日 スポーツ系(ゼビオ・DEPO)    
          車(TOYOTA・NISSAN・HONDA・SUZUKI・サンキョー・only Uなど)
                 家電量販店(コジマ・ケーズ・ヨドバシ・ヤマダ)
          携帯関連(a.u・docomo・soft bank)
          宝飾・眼鏡系(金美堂・トミタ・LOVELOVE・パリミキ・眼鏡市場・メガネセンター・弐
          萬圓堂・メガネトップ・メガネスーパー)
          ディスカウント(TRAIAL・ドン・キホーテ) 
     
     

     この傾向はどういうことなのか。何かルールがあるのかとさえ勘ぐってしまう。おそらくは各会社や店舗は、綿密な市場調査(マーケティングリサーチ)を行っていることは間違いない。例えば消費者(買い物客)の行動パターンや時期に応じた商品の購入状況をつぶさに把握して、在庫管理や注文をしているに相違ない。むろん、一般主婦は平日の午前に家事全般を済ませ、午後に夕食の買い出しに出ることが多いので、それに合わせてタイムセールを実施するし、ファミリーであれば、時間がとれる土日や旗日などに買い物に出掛けることが多い。従って週末近辺に、折り込み広告が集中して入ることが多いという理由が成り立つ。

     では各曜日ごとに詳しくその理由を探ってみたい。
     まず日曜日は、仕事探しにうってつけだ。ハローワークは月曜日からなので、その前日に求人広告を出し、前もってめぼしい仕事にあたりを付けさせる。思い立ったが吉日で、翌日の開所と同時に、気に入ったその仕事を求めて仕事探しの方たちが殺到する仕組み。早くいかないと人気の高い仕事は埋まってしまう可能性があるため、毎週月曜日は朝早くから長い車の列がハローワークにできるのはそのせい。
     火曜日はパチンコの新装開店が多い。日曜日は書き入れ時なので、月曜日を定休日にするパチンコ店が多い。その一日で新台入れ替えなどの工事に入る。たった一日ですべての台をチェンジし、火曜日から新台で営業を再開するという訳だ。JUSCOなどのAEONグループはわかりきっているが、イオンカード所有者は火曜日に5%OFFセールがある。週末は黙っていても客が押し寄せるが、火曜日には客足が遠のくことを懸念した経営者の集客作戦である。
     私が一番不思議に思っているのはなぜホームセンターの広告が水曜日に集中するのかってうこと。私の予想だが、週末に日曜大工やガーデニング作業を行う人が多い。そのために事前に何が必要かを消費者に考えさせる余裕が必要となる。他社の広告を見比べる時間も必要。
     木曜日はドラッグ系が多くなる。これは医師会(俗に言う学会)が木曜日に多く、休診日になることが多い。行きつけの診療所や医院が休診では、とっさの場合には薬局が頼りになる。品数の多い大手の薬局であれば、薄利多売で安値だったり、買い得感が増すので、それに照準を合わせてこの曜日に広告を入れるのだと思う。
     金曜日は、一般の方は金曜日で一週間の仕事が終わり、金曜の夕刻以降フリーになる。ホームパーティーや夕食を作る時間にも余裕が生まれることから、いつもより食料を大量に買い求める傾向がある。特に不便な土地柄に住んでいる方は、週末の夜に車で乗り付け、一週間分の買い出しをしてしまう家庭も少なくない。カート一杯に商品を投げ込み、レジを長時間占拠している買い物客を見かけるのも金曜日から日曜日にかけてが多い。しかも22時閉店の店だと、21時を過ぎれば、お惣菜を中心に値段が割引になる。これは賞味期限があって翌日までキープできない生鮮食品だったり食中毒の危険が高い夏場には、売りつくしてしまったほうが店側も得なのだ。売れ残りは処分するしかないため、無駄も多くなる。それを狙って来る独身者は思いのほか多い。意外な節約術を励行している客は思いのほか多いのだ。
     土曜日は家電量販店の独壇場。複数の店の広告が入る。同じ商品であっても店によってかなり異なる。仕入れ値と儲けを計算して、その店舗では価格を決めるが、おれが週単位でころころ変わる。同じ商品なのに週変わりで値上げしたり、大量に在庫があれば大幅値引きが可能になるのはそのためだ。それに同じ曜日に複数店舗の広告が入れば、消費者としては価格の比較がしやすい。また、休日で時間があるため、他店の価格を参考に、交渉が可能となる。私は絶対言い値では買わない。価格ドットコムで最安値を調べ、できるだけ店売りでもその差を詰めていく交渉を行うことにしている。土曜日の朝に広告を見た人が、大型量販店をはしごして値段交渉しやすくするために、敢えて休日に入れているように思う。

     さて、今回の記事はいかがでしたか。雑学的な知識だが、話のネタにしてもらえたらありがたい。ついでに広告について、最近疑問に感じていることを申し述べて今回の記事を締めたい。それは、最近少なくなったのが、裏面が白紙の広告。資源の無駄を極力省くための発想だと思うが、白紙面を好みのサイズに切ってメモ代わりにしている人はお年寄世代を中心に多いはず。勿体ないという発想からだ。しかし、最近は裏面白紙がないため、それも出来なくなっている。まぁこれも時代の流れなのだろう。

     記事作成:1月28日(火)

    想い出の曲⑫

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     私が高校時代を過ごした1980年代初頭。感受性豊かな思春期時代に感化されたのは、やはり音楽だった。シンガーソングライターが全盛を迎えた1970年代後半が中学時代で、同じクラスだった箭内道彦氏と一緒にフォークギターを奏でていた。彼は松山千春が大好きで、よく音楽の授業やクラスのお別れ会などでも演奏していた。私は熱烈なアリスフリークだった。アポロキャップを目深にかぶり、彼らの楽曲をコピーして歌っていた。そんな私にとって佳き時代に、世間一般に流行っていた曲が今日紹介したい珠玉の5曲である。もちろんいずれも新しい分野を切り開いたようなソングで、今でも想い出深い曲たちだ。

     ダンシングオールナイト by もんた&ブラザーズ

     1980年 自身最後のチャンスとの決意で「もんた &ブラザーズ」として再デビューし、「ダンシング・オールナイト」をリリース。これが大ヒットとなり、この年、第22回日本レコード大賞金賞、第11回日本歌謡大賞放送音楽特別賞、第13回全日本有線放送大賞などを受賞、第31回NHK紅白歌合戦にも出場した。

     め組の人 by ラッツ&スター

     かつてはシャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)のバンド名で活動していた。4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた。長らく活動を休止しているが、正式な解散はしていない。1983年、『サヨナラ・シャネルズ・フェアー』開催に伴いシャネルズとしての活動を終了させ、「ラッツ&スター」に改名。ラッツ&スターとしてのデビュー曲「め組のひと」が80万枚を売り上げた。

     ルビーの指環 by 寺尾聡

    http://www.youtube.com/watch?v=eC6nKlBjShA 

     神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。俳優・宇野重吉の長男。 サングラスをかけ、ニヒルな表情がトレードマーク。ホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)。ルビーの指環」は寺尾聰の5枚目のシングル。1981年2月5日発売。同年3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。同時期に、TBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。同年12月31日には第23回日本レコード大賞を受賞。 2012年現在、日本レコード大賞と日本アカデミー賞最優秀主演男優賞の両方を受賞した唯一の人物。「

     同時期にリリースした「出航(SASURAI)」や「Shadow City」も大ヒットし、私も好きだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=1WPrp8gbMls

    http://www.youtube.com/watch?v=KrJI7BWHVRQ

     待つわ by あみん

      名古屋市の椙山女学園大学の同級生として知り合った岡村孝子と加藤晴子の2人によるデュエット。岡村の歌う主旋律に加藤がハーモニーを加える曲が多い。第23回ヤマハポピュラーソング コンテスト(通称:ポプコン)において「待つわ」でグランプリを獲得。その後メジャーデビュー。デビューシングルながら、1982年のオリコン年間売上1位となるヒットを記録した。週間チャートでは6週(8月30日 - 10月4日付)にわたり1位を獲得している。

     ウエディング・ベル by Sugar

    http://www.youtube.com/watch?v=JkOYOwdL3go

     1981年11月21日にフォーライフ・レコードよりリリースされた日本の音楽ユニット・Sugarのデビューシングル。恋人が他の女性と結婚することになり、その式場である教会に招待された女性の心情を綴る歌詞になっている。新郎新婦への怒りを込めた「くたばっちまえ! アーメン」に代表される皮肉たっぷりの歌詞と、3人(ミキ・クミ・モーリ)の美しく、かわいらしいコーラスのギャップが受けて、レコードが約70万枚を売り上げる大ヒットとなった。Sugarはこの曲で1982年の第33回NHK紅白歌合戦に出場。これが最初で最後の紅白歌合戦出場であった。メンバーだったモーリが、第一子の出産直前に、胎児が死亡し老廃物が母体に逆流する病気(常位胎盤早期剥離による羊水塞栓症と言われる)により逝去。29歳没。

     私にとって、音楽で感化され、もっとも影響を受けた時期は中学2年生だった。その時期に全盛を極めていた「ニューミュージック」。アリス、オフコース、ゴダイゴ、ツイスト、サザンオールスターズ、、甲斐バンドなどの珠玉のバンドを始め、ソロシンガーでも松山千春、さだまさし、中島みゆき八神純子、渡辺真知子、荒井由実、そして数多くの一発屋と呼ばれるシンガーが彗星の如く登場した。彼らの大ヒットした楽曲を見よう見真似でコピーしては友人と歌っていた。今思えばよき想い出の一コマになっている。

     記事作成:2月28日(金)

    今週の山岸舞彩キャスター(3/31~4/3)

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    毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     3月31日(月)

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     4月1日(火)

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     4月2日(水)

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     4月3日(木)

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    貴重な映像 Part 11~THE CHECKERS編~

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     今日は、1980年代に一時代を築き、鮮やかにミュージックシーンを彩ったアイドルバンド「ザ・チェッカーズ」について取り上げたい。私が高校3年から大学生の時代に華々しく活躍した彼ら。文字通り「チェック柄」の彩鮮やかな衣装に身を包み、ボーカルのフミヤの髪形を真似して、前髪を垂らしたショートカット(サイド刈り上げ)スタイルが女子高生を中心に大流行した。曲調は、当時は斬新なライトポップだった。カルチャークラブを彷彿させるような出で立ちと楽曲スタイルだった。今日は、私の青春時代にあって、彼らの楽曲に出会い、励まされた存在として、私が特に好きだった曲をショートエピソードを交えて紹介したい。

     THE CHECKERS(ザ・チェッカーズ)

    音楽の聖地、福岡県久留米出身の7人組のバンド。デビュー当時はチェック柄の衣裳を身にまとい、前列の3人(藤井郁弥、鶴久政治、高杢禎彦)がボーカル&コーラス&ダンス担当、後列の4人(藤井尚之・大土井裕二・クロベエ・武内享)が音楽担当。リーダーの武内がO型、ベースの服リーダー大土井がB型で、残り5人がA型という構成。1980年代の彗星の如く登場し、リリースする曲がベストテンで1位を獲得する大ヒットとなった。歌番組の常連だった。

     第1位 「あの娘とスキャンダル」

    http://www.youtube.com/watch?v=wjASdzKyhV4

     1985年3月21日発売。この年の年間5位。「夕やけニャンニャ」ンのオープニングとして使われ、チェック柄のタヌキ(映画TANTANたぬき)をモチーフにしたアニメ映像が、女子中高生に人気が出て、大ブレイクした。

     第2位 「涙のリクエスト」

     1984年1月21日発売の2枚目のシングル。この曲の大ヒット(ザベストテン第1位獲得)で、人気&実力を不動のものとした。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。以後このコンビによる楽曲提供が続きこととなった。1984年度年間4位(オリコン)。

     第3位 「Song for USA」

     1986年6月5日発売の11枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。
     東宝映画「SONG FOR U.S.A」主題歌。1986年度年間11位(オリコン)。

     どうみてもこの時期に大流行した「USA for Africa」のパクリ。アメリカンドリームに憧れて、海を渡った友達を想って作った一曲。私は、バイクで房総半島を一人旅していた時に、ヘルメットのシールド越しに聴いていた思い出深い一曲。銚子駅の前で寝袋にくるまり、一夜を明かした時も、イヤホンで流したし、翌日の早朝、犬吠埼の燈台の下で、朝日に撃たれながらこの曲を耳にした時には、生きていることを心底実感できた気がした。学生時代に夢中になっていた浜田省吾や洋楽と同様に、この曲にも思い入れは一入だ。

     第4位 「星屑のステージ」

     1984年8月23日に発売された4枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間8位(オリコン)

     第5位 「OH!POPSTAR」

     1986年2月21日発売の10枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。
     東宝映画「タッチ 背番号のないエース」挿入歌。1986年度年間9位(オリコン)。
      やはり当時一世を風靡した80年代洋楽を意識した楽曲。カルチャークラブとか「ラジオスターの悲劇」に近い印象。

     第6位 「I Love you, SAYONARA」

     1987年3月5日発売の12枚目のシングル。やや人気にも翳りが見え始めた頃に巻き返しの一発だった。作詞:藤井郁弥、作曲:大土井裕二、編曲:THE CHECKERS FAM。
     セイコー アベニューCMソングで1987年度年間15位(オリコン)。

     第7位 「ギザギザハートの子守歌」

     1983年9月21日発売の彼らのデビュー曲。この楽曲を引っ提げて衝撃のデビューを飾った。作詞:康珍化、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間20位(オリコン)。「仲間がバイクで死んだのさ」とか歌詞も大反響を呼んだ。

     第8位 「ジュリアに傷心」

     1984年11月21日発売。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1985年度年間1位(オリコン)彼らの音楽の生命線であったフミヤの弟・尚之のサックスが前面的に押し出されたジャズを意識した曲調。

     第9位「哀しくてジェラシー」

     1984年5月1日。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間5位(オリコン)

     イントロ部分のサックスが小気味よく響き渡る珠玉の一曲。

     第10位 「神様ヘルプ!」

     1985年11月1日発売。作詞:康珍化、作曲・編曲:芹澤廣明。1985年度年間44位(オリコン)。

     彼らの楽曲のテーマは、志半ばで死んだ仲間へのレクイエムがなぜか多かった。同じように、若世代の越えられない夢や葛藤、障壁、そして仲間意識や絆といったものがモチーフになっていた。時期的には、社会の権力に対する反骨精神も主張していた。それらが当時の若者たちの思想観や世相観とマッチングしていた。彼らは若者たちの気持ちの代弁者的なステータスを確立していたと思う。そしてバンドメンバーと前列の歌とダンスメンバーというように役割がはっきりしていた。 ご存知のように、チェッカーズは、フミヤを中心とした主流派と高杢と鶴久の反主流派との仲たがいがあって、そこからすれ違い、致命的な破局となった感がある。要は仲間割れでの泥沼解散なので、関係修復はまず不可能で、未だに多くのファンが再結成を望んでいるのに、実現に至っていない。かなり事態は深刻だったようだ。したがって、もはや伝説のバンドになった感が強いので、敢えて今回のテーマに加えてお送りしてしまったが、私自身は、一日も早く和解し、また素晴らしい楽曲を世に提供してほしいというのが本音だ。きっとまたいつか、彼らが同じステージで、懐かしの80年代ポップスを奏で、踊っている姿を心待ちにしつつ、この記事を結びたい。

     記事作成:2月21日(金)

    伝説の世界歌謡祭

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     ヤマハ音楽振興会が主催し、1970年から1989年までの20年間、毎年秋頃に日本武道館で開催された歌謡曲のコンテスト。通称東洋のユーロビジョンとも言われた。多くの著名なミュージシャンやシンガーソングライターを輩出した「ヤマハポプコン」とタイアップし、そこで上位に入賞すると、世界歌謡祭へのチャレンジ権が得られた。しかし、1988年の第19回大会が昭和天皇の容態悪化(翌1989年崩御)を考慮して開催を中止。1989年の第20回大会はユニセフとの共催で歴代グランプリ受賞者によるチャリティーコンサートとし、その大会を最後に20年の歴史に幕を下ろした。

     この世界歌謡祭では、日本人アーティストが大活躍し、ここでグランプリを受賞してメジャーデビューする例も決して少なくなかった。本日、このブログでは、そうしたグランプリを獲得した日本人のユニットやソロ歌手を取り上げたい。

    上條恒彦(1971年)『第2回 世界歌謡祭』 グランプリ・歌唱賞 「出発の歌-失われた時を求めて-」

    http://www.youtube.com/watch?v=rWNbtM2jHc0

     中島みゆき(1975年)『第6回 世界歌謡祭』グランプリ「時代」

     私は彼女のデビュー曲というより、「徳光和夫のTVコロンブス」のED曲という印象のほうが強い。根暗な代表のような彼女の楽曲だったが、桜田淳子、研ナオコなど様々な歌手に楽曲を提供。ヒットメーカーとしての地位を確立した。北海道出身の歌姫として「オールナイトニッポン」では、イメージとは似つかわぬほどはっちゃけたDJぶりを見せた。

     世良公則&ツイスト(1977年)『第8回 世界歌謡祭』グランプリ「あんたのバラード」

     http://www.youtube.com/watch?v=TszTuGlbdO4

     大股開きでド派手なアクションが売りだった。この衝撃的なデビュー作で人気が爆発。中高生に絶大な人気を誇った。「宿無し」「銃爪」「性(さが)」「燃えろいい女」と立て続けにヒットして人気、実力ともに不動のものとした。

     円広志(1978年)『第9回 世界歌謡祭』グランプリ「夢想花」

     「飛んで飛んで・・・・」「まわってまわってまわってまわる・・・・」を繰り返すリターンソング。

     クリスタルキング(1979年)『第10回 世界歌謡祭』グランプリ「大都会」

     私が中学生の頃に大ヒットした名曲。特に杯ハイトーンヴォイスの田中昌之の声量は凄まじかった。カラオケで真似してもできる芸当ではなかった。

     明日香(1982年)『第13回 世界歌謡祭』グランプリ「花ぬすびと」

     1982年、第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト優秀曲賞受賞。世界歌謡祭グランプリの「花ぬすびと」でデビュー、30万枚を売り上げた­。86年には曲を提供した 。
    高井麻巳子さんの「メロディ」もヒット。2007年に乳がんが判明、闘病しながら歌手­を続けていた。昨年10月、49歳の早すぎる死を遂げた。愛知県犬山市出身。

     辛島美登里(1983年)「雨の日」

     http://www.youtube.com/watch?v=Ir0x-Xoa-TM

     彼女=「サイレントイブ」というイメージだが、この「雨の日」でポプコングランプリを受賞した。正統派のピアノ弾き語り。優しくて綺麗な歌声が特徴。

     TOM★CAT(1984年)『第15回 世界歌謡祭』グランプリ「ふられ気分でRoc'n' Roll」



     1978年に東京造形大学で結成されたバンド「FUNKY NOISE」を前身とし、その後「NOISE MAKER」を経て、1984年に「TOMCAT」を結成。同年11月、第15回世界歌謡祭グランプリ受賞曲「ふられ気分でRock'n' Roll」(作詞・作曲:TOM)でデビュー。メンバーチェンジを経て、1987年に事務所を離れ、自主運営での活動を開始した。ヴォーカルのトムこと松崎淳美は超小柄。しかし昔でいうパンチの効いた歌声で私たちを魅了した。どこでブレスしているのかわからぬほどテンポが速すぎる歌だった。歌詞の「たかが~されど・・・」はこの時期、高校野球を席巻した池田高校の蔦監督の名言をパクったと思う。

     武内千佳(1987年)『第18回 世界歌謡祭』グランプリ「No, No, No」

     残念ながら、この曲は映像がない。どちらかというと、竹内千佳の曲で有名なのは「立志社」のCMで流れている「どこま~でもどこま~でも♪」の「夢は終わらない」だ。

     http://www.youtube.com/watch?v=vfcEN0yNhMQ

     さて、かつてはポップス歌手への登竜門だった「ヤマハポプコン」。チャゲ&飛鳥、アラジン、雅夢、伊藤敏博、あみん、

    メジャーデビューを果たした実力派シンガーたちがこぞって応募してチャレンジしたコンテストだった。それとリンクして行われた世界歌謡祭。日本だけでなく、腕、いや喉に覚えのある歌自慢たちが出演し、その自らが制作した曲を競い合った。かつて日本テレビのスター誕生などもそうだったが、ファンの目の前でスターが誕生する瞬間が見れたコンテストだった。世界歌謡祭でグランプリ受賞=メジャーデビューが確約された。名だたる名シンガーが誕生し、次々ヒットチャート上位を独占し、街角は彼らの楽曲で溢れかえっていた。世界歌謡祭は、ヒット曲を生み出すためのコンテストだったように思う。今では古き佳き時代の遺産となってしまったことが悔やまれる。

     最後に「ポプコン」の歴史に関する動画をリンクして今回の記事を閉じたい。

     記事作成:2月27日(木)~28日(金)

     

     

     

     


  • 私が好きだったCM41

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     ご無沙汰のこのシリーズが復活。今日は、ずいぶん前に放送されたCMでアバンチュールを期待しつつ、ほのぼのする感じ。更には女性から男性を意味深げに誘惑するようなシチュエーションを楽しめるCMだ。場所はとある病院の診察室。看護師との一対一の会話のやりとりで、積極的な誘いに医師がたじたじになる。まさに巧みな心理戦を彷彿させる恋愛ゲームじみたやり取りが楽しめる。女性にはたまらない場面設定かもしれない。

     TOSTEM

     初共演の堤真一と満島ひかり。医師と看護師に扮し、意味深な誘いを仕掛ける。演出もさることながら、このキャスティングも実にいい。堤真一の困ったようなリアクションは最高。マジ顔で迫ったり、問いただす恋愛上級者のような素振りの看護師に、年上の医師もたじたじで、弱腰に。どうこの場を取り繕っていいものか焦っている様子が実にいい。男性でもこのようなシチュエーションは憧れではないか。誰もが年下の若くて可愛い看護師に迫られてみたいと思っている節があるはずだ。浮気心と平常心との葛藤を迫られ、何とも悩ましいストーリーだ。

     おまけ・・・満島ひかりのお宝映像はコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=GsNzIMSTomM

    http://www.youtube.com/watch?v=0ZO4M9hMn14

     記事作成:3月3日(月)

    血液型別向いてる職業

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     血液型の話題がこのところ再燃しているが、これをテーマにすると賛否両論。事犯も多い。「男のくせに」とか女性に多い迷惑コメントやら血液型で人の性格は決まらないといったB型人と思えるような中傷があったりといろいろだ。だがこのブログのタイトルのように、あくまでこれは私の「ひとりごと」であって、世間に対して「主義・主張」があってのものではないので、あまり目くじらを立てずにご覧いただきたい。しかるに、今日の「血液型ネタ」のテーマは、血液型別の向いてる職業についての一考察だ。あくまで主観論である。とくとご覧ください。

     A型が向いている職業

     銀行員、会社員、公務員、監督、司会者、警官、教師(全般)、バイクレーサー、キャビンアテンダント

     A型の性格考えると、勤勉で真面目、几帳面で緻密、実直で派手さはないが、細かい気配りに長けている。周囲をよく観察し、決して出しゃばらず、自分を押し殺して周囲に合わせることが可能。自己犠牲も厭わない。地味な仕事でもそつなく完璧にこなして期待に応えようと努力する。こつこつタイプが多い。マメでサービス精神旺盛。スピード狂の面或ある。ハンドルを持つと人が変わる。プレッシャーに弱いが開き直ると強い。

     A型監督・・・真鍋正義(バレー)、川上哲治・広岡達朗・原辰徳・仰木彬・近藤貞雄・栗山英樹(野球)、岡田武史(サッカー)、

     O型が向いている職業

     政治家、医師、看護師、自衛隊員、警察官、球技(野球・サッカー)のプロアスリート、英語・体育教師、ダンサー、営業、水商売、AV女優、キャバクラ嬢、ホスト、俳優、作家、パイロット

     O型は目的意識を持つと強い。その達成のためには苦労を厭わない。金儲けもうまい。脱サラしてラーメン屋や自営をする人の多くはO型が多いという。金儲けがうまく、社交的で人付き合いがうまいので、様々な支援を受けられる。また、体力は人一倍あるので、力仕事も耐えられる。力関係に敏感で、人を使うのがうまい。出世欲があり、社長など人の上に立つ仕事に就きやすい。太りやすい体質の人が多いので、体型維持に注意。物事を肯定的にとれる性質で、高見の見物を決め込む。

     O型アスリート・・・王貞治、張本勲、星野仙一、江川卓、

     O型作家・・・石川達三、江戸川乱歩、落合信彦、唐十郎、北杜夫、木下恵介、倉本聡、堺屋太一、戸川昌子、野坂昭如、畑正憲、林芙美子、星新一、村上龍、森村誠一、横溝正史、与謝野晶子、渡辺淳一

     B型が向いている職業

     漫画家、芸能人、アナウンサー、ものまね芸人、プログルファー、スポーツインストラクター、芸術家、アナリスト、イラストレーター、パチプロ、ゲームクリエーター、企画の職種、建築デザイナー

     B型はマイペースで束縛されることが嫌い。固定概念を打ち破ることが楽しくてしかたない。プレッシャーに強く、独創的で他人の真似ごとは大嫌い。外車や原色が好き。個性を重んじる。体つきが骨ばっていて肉がつきにくい体質。普通のサラリーマンではつまらないし、魅力を感じないだろう。手に職をつけたり、自分にしかできないオリジナリティーを追及する。発想がユニークで独自路線を追求する。反骨精神が旺盛で、批判好きだが、話が上手い。我が儘で自己中心的。

     B型アナウンサー・・・徳光和夫、土居まさる、玉置宏、小川宏、宮根誠司、高島彩、中野美奈子、大橋未歩、膳場貴子、狩野恵理、

     B型漫画家・・・はらたいら、えびすよしかず、青山剛昌、藤子A不二雄、井上雄彦、松本零士

     B型芸人・・・明石家さんま、横山やすし、清水ミチコ、青木隆治、栗田貫一、オードリー春日、はんにゃ金田、アンタッチャブル(山崎・柴田)、インパルス(堤下・板倉)、フットボールアワー岩尾、ピース又吉、くり~むしちゅう有田、松本人志、ナインティナイン岡村、タカトシ(タカ)、柳原可奈子、出川哲郎、江頭2:50、アンガールズ田中

     B型プロゴルファー・・・尾崎3兄弟、青木功、丸山茂樹、片山晋呉、松山英樹、岡本綾子、宮里藍、古閑美保

     B型アスリート・・・長嶋茂雄、イチロー、野村忠宏、谷亮子、山口香、中野浩一、福原愛、浅田真央、クルム伊達公子、福本豊、川相昌弘、野村克也

     B型の有名人・・・矢沢永吉、陣内孝則、佐野史郎、大橋巨泉

     AB型が向いている職業

     易者、大学教授、研究者、落語家、古典的芸能(歌舞伎、能、狂言)、ファンションデザイナー、心理カウンセラー、マジシャン、秘書、接客業、ボランティア、介護、霊能者

     AB型の性格は、よく二重人格と言われたり、天才肌と言われているが、私は特にそうは思わない。ただ、争いを好まず、柔和で温厚な平和主義者が多いと感じている。男性はダンディズムを追及するオシャレなイメージがある。冷静沈着で頭が良いイメージがある。女性は小悪魔的な雰囲気で、容姿端麗なイメージがあるし、一方では男っぽい方人も多い。AB型は、日本人の1割しかいないため、目立つ存在ではない。有名人でAB型の人を挙げると・・・

     AB型の芸能人・アスリート

     男性・・・稲葉浩二、ウッチャンナンチャン(南原・内村)、ウド鈴木、木村祐一、土田晃之、カラテカ矢部、三浦春馬、岡田将生、DAIGO、堤真一、反町隆史、三浦友和、水嶋ヒロ、相葉雅紀、柳沢慎吾、稲川淳二、市川海老蔵、香川照之、内野聖陽、小林旭、武田真治、堂本剛、古舘伊知郎、竜雷太、井上陽水、先代の三遊亭円楽、鈴木雅之、谷村新司、アントニオ猪木、石原慎太郎、海江田万里、小泉進次郎、ジャッキーチェン、本田圭佑、遠藤保仁など。

     女性・・・青木裕子、大江麻理子、中村仁美、江角マキコ、大原麗子、菅野美穂、佐々木希、菊川怜、小西真奈美、佐藤江梨子、志田未来、杉本彩、鈴木えみ、鈴木杏樹、戸田恵梨香、藤吉久美子、ベッキー、松下奈緒、水川あさみ、水沢エレナ、宮地真緒、山口もえ、今井美樹、川嶋あい、長山洋子、BoA、YUI、渡辺麻友、高橋みなみ、横峯さくらなど

     AB型はデータ不足の点は否めないが、血液型による性格の違いが、職業観にも微妙に影響を与えることは間違いなさそうだ。

     さて、今回の記事だが、かなり独断と偏見交じりだが、私が50年近い人生経験の中で、特に血液型を研究して35年、血液型と向いている職業について何かしらの因果関係があると思っている。例えば、バイタリティ豊富なO型女性は、患者を元気づける上で、血を見ても平気なO型が向いているし、CAなどは気配りに優れたA型が天職だと思っている。上下関係や力関係がものをいう自衛隊や警察官、医師などの独特な世界ではO型幅を利かせそうだし、がめつく、話術に長け、説得力があって社交性があるO型は、営業には適任。セールスマンやノルマを課せられると俄然燃える。また、B型は独創性があって、固定概念に囚われない自由な発想が可能なので、企画や建築設計やデザインをやらせればぴか一。AB型女性は、才女のイメージがあり、人間関係をそつなくこなし、事務能力や接客能力も高いので秘書をやらせたら右に出る者はいない。会社経営にもこうした血液型の特徴を踏まえて適材適所で配置&起用すれば、持ち場で存分な働きがあるように思う。ぜひ一考を!

     記事作成:3月3日(月)

    貴重な映像Part 12~芸能人の意外な過去~

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     このシリーズ記事も12弾となった。今日は現在も活躍する芸能人たちが、昔頑張っていた過去を懐かしんでみたいとい企画で、特に中傷したりする意図はない。今では俳優として第一人者の人も、下積み時代やその地位を築くまでは違うジャンルを目指していたとか。初めて知る事実もあると思う。ではさっそくどうぞ!

     陣内孝則

     今でこそ個性派俳優としての地位を築いたが、かつてはバリバリのロックンローラー。パンク系の化粧や衣装に身を包み、かっとんだステージパフォーマンスで有名だった。やはりB型の典型。

     「可愛いアノ娘」 by ロッカーズ

    http://www.youtube.com/watch?v=kjMl2-lq8h8&list=PL20g9n3GfDTS3SXc_rqdi0z2e48fDLTHG&feature=c4-overview-vl

     きゃりーぱみゅぱみゅ

     竹村桐子名義でジュニアアイドルとして活動。ロリコンDVD出演に出演していた。

     大島優子

    少女モデルとして活動し、あちこちのローカルCMにも出演していた。

     浜崎あゆみのジュニア時代

    http://www.youtube.com/watch?v=Xb10yaK4XOg 衝撃の援助交際役

     戸田恵梨香のジュニアタレント時代の映像

     高校時代の矢田亜希子

     

     座布団運びの山田くんのアイドル時代の映像


     

     他にも驚きなのは、松嶋菜々子がハイレグ水着を着てモデルをしていたことや、女優の安田成美がアイドル歌手として歌を歌っていた。また、1970年代初期に時代を闊歩したのがザ・ビートルズに感化された面々によるGS(グループサウンズ)ブーム。そのバンドの主要メンバーとして活躍していたのが堺正章、沢田研二、萩原健二の3人が有名。その後、ソロ歌手や司会業、俳優と三者三様の道を歩んでいる。

     THE SPIDERS(堺正章・井上順)

    http://www.youtube.com/watch?v=VTjwMchSy3g

     THE TIGERS(沢田研二・岸部シロー)

    http://www.youtube.com/watch?v=qpmfjWXxdb0

     THE TEMPTERS(萩原健一)

    http://www.youtube.com/watch?v=wiIEDA0Mqi8

    <参考HP>

    http://matome.naver.jp/odai/2135074068442819001

     記事作成:2月28日(金)~3月2日(日)

    想い出の曲⑬

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     3月13日付けの当ブログ記事「想い出の曲⑪」で取り上げた「杉山清貴&オメガトライブ」。このバンドユニットが、解散後、再結成された時、ヴォーカルに抜擢されたのが日系ブラジル人の「カルロス・トシキ」だった。甘いマスクと独特のハートフルボイスで、世の女性を魅了した。杉山清貴が大人の魅力なら、カルロスは爽やかな親しみやすいキャラだったと記憶している。1986年頃、私は東京で大学生活を送っていたが、その頃、おニャン子クラブと並んで人気があった。もちろんミーハーではなく、正統派のミュージックバンドユニットであった。惜しむらくはもう少し、息の長いグループであってほしかったが、ヒット曲を立て続けに飛ばした割に、いつの間にか音楽業界から消え去り、その後どうなったかは音沙汰がない状態であった。まずは一般的なプロフをどうぞ。

     「オメガトライブ」

     主に1980年代に日本で活躍したバンドで、プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称(計3回)。ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷した。夏・海・リゾートをテーマとした作品の数々は『サザンオールスターズ』や『TUBE』などとともにサマーソングのヒット曲として知られる。1986年にヴォーカルにカルロス・トシキを迎え、ユニット名を「1986オメガトライブ」に変更。「君は1000%」、「Super Chance」など立て続けにヒット曲を生み出した。その後、1988年には「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改称。「アクアマリンのままでいて」はフジテレビの「抱きしめたい」の主題歌に起用され、ヒットした。それまでベストテン番組や歌謡番組は常連だった。1990年6月の6枚目(1986時代からは11枚目)のシングル「時はかげろう」をリリース後、突如解散を発表。ファイナルツアーを行い、1991年3月16日日清パワーステーションでのライブを最後に惜しまれながら解散した。
     解散後はソロ活動を開始する。1994年にシングル「FOREVER」発売を機に「鷹橋敏輝」と改名し独立。1995年にアルバム『Shake It Down』発売後、同年、鷹橋のCDに記載されている、INES MUSICA内、鷹橋敏輝ファンクラブ「Clocs Tie Club」の時間外限定のテレホンサービスにおいて、スタッフからカルロスの結婚が発表。その後、椎間板ヘルニアを患い、静養の為に帰国し、音楽活動を休止する。
     2000年『あの人は今!?』に12年ぶりにテレビ出演、ブラジルでレストランを経営している様子が放送され、緊急来日して大ヒット曲「君は1000%」と「アクアマリンのままでいて」を歌唱した。血液型はO型。22歳でメジャーデビューしたが、現在は49歳になっている。

     それでは大ヒット曲で、私が好きだった3曲をどうぞ!

     1 「君は1000%」

     28年前の映像とはとても思えないほどきれいな映像。今見てもさほど古さを感じない風貌。楽曲もアップテンポの今風で、新鮮な印象を与える。

     2 「Super Chance」 *音量が大きく音割れがあるので注意

     曲調はファーストシングルの「君は1000%」に似ている。「爽やか」系で浜辺で聴きたい印象を与える一曲だ。この曲もトップテンで1位を獲得した。

     3 「アクアマリンのままでいて」

     12年ぶりにテレビ出演した時の貴重な映像もご覧ください。

     「人に歴史あり」という言葉がそのまま当てはまるような映像だと思う。異国からやって来たのに、日本語が話せ、かっこよくて好青年風。どちらかといえば「子犬顔」なのも女性に好かれた理由だろう。決して奢らず、自然体で一生懸命さがウケ、人気があったのも理解できる。歌唱時に体を左右に揺らしすぎの気はある。鷲掴みにするマイクの握りにも特徴があった。私と同い年のため、ファッションや髪形、あるいは同世代でありながら落ち着いた物腰など参考にしていた。

     記事作成:3月5日(水)

    今週の山岸舞彩キャスター(4/7~4/10)

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     4月7日(月)

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     4月8日(火)

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     4月9日(水)

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      4月10日(木)

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    往年の男性大御所歌手列伝

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     今は亡き芸能人の中で、独特の存在感で君臨し、時代を築いた大物歌手を取り上げてみたい。私が幼少の頃、昭和40年代頃に活躍されていた、「大御所」との呼び声の高い実力派歌手がいた。その人がゲストで歌謡番組に出演すれば、周囲の空気が変わるような方が。もちろん現在も現役バリバリの橋幸夫や五木ひろし、森進一、小林旭、細川たかしなどもそうだが、今日は亡くなられた方を偲び、在りし日の活躍ぶりを振り返って懐かしみたいという趣旨だ。簡単なプロフも交えながら、主に代表作を列挙したい。

     三波春夫

     1923年7月19日 - 2001年4月14日、本名・北詰文司(きたづめ ぶんじ))は、新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の国民的演歌歌手。紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。血液型はO型。「お客様は神様です」という名言を残し、着物姿で、その大物感を漂わせていた。しかし、彼はそういう堅苦しい印象は薄く、「チャンチキおけさや」や「ルパン音頭」などハイカラにしてユニークな楽曲を数多く世に送った。

     代表作・・・「チャンチキおけさや」、「東京五輪音頭」、「ルパン音頭」など

     村田英雄

     1929年1月17日 - 2002年6月13日)は、演歌歌手、 俳優。 佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・ うきは市)である。本名、梶山 勇。彼の大物ぶりは誰もが認めるところ。硬派で一見怖そうな風貌。しかし、ものまね芸人、清水アキラの悪影響で、くだけた存在になってしまった。彼もまた、純日本風の着物で演歌をせつせつと歌い上げた。そのドスの利いたような低音が魅力だった。血液型はAB。晩年は、脚を切断する憂き目にあった。杖を突きながらも懸命に大好きな歌を死ぬまで歌い続けた。

     代表作・・・「王将」、「無法松の一生」、「人生劇場」、「夫婦春秋」、「人生峠」、「皆の衆」

     春日八郎

     本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年(大正 13年)10月9日 - 1991年( 平成3年)10月22日)は、日本の演歌歌手。福島県河沼郡 会津坂下町塔寺出身。彼は我が福島県が生んだ昭和の大スター。しかし、清水アキラのテープ芸のものまねで、その大御所としての地位が危ういものとなってしまった。東北人らしく、泥臭さと寡黙さを兼ね備えた、本物志向の老練というイメージがぴったりな実力派歌手だった。三橋、村田らと共に「三人の会」を結成するほど仲が良かった。

     代表作・・・「別れの一本杉」、「赤いランプの終列車」、「お富さん」

     三橋美智也

     1930年11月10日 - 1996年1月8日)は日本の演歌歌手。 本名は、北沢 美智也。北海道函館市近郊の上磯町(現・北斗市)で生まれ、函館市で 育つ。愛称は「ミッチー」。彼もまた大御所ながら、意識的に若い世代にも人気が出るようにイメチェンを断行した。「ミッチー」の愛称で親しまれ、彼は演歌というよりも民謡が主流だったが、若者ウケするような楽曲も提供した。和服スタイルだが、堅苦しいイメージは払拭できていた。村田、春日と共にキングレコード三羽がらすと呼ばれた。18曲もミリオンセラーという金字塔を打ち立てた。

     代表作・・「おんな船頭唄」、「哀愁列車」、「おさらば東京」、「夕焼けとんび」、「星屑の町」

     フランク永井

     1932年3月18日 - 2008年10月27日)は日本のムード 歌謡歌手である。本名は、永井 清人(ながい きよと)。宮城県志田郡松山町(現・大崎市 )出身。独特の低音で多くの人を魅了し、歌謡界に大きな軌跡を残した。血液型はB。演歌とムード歌謡の両方を手掛けた。独特の低音と太い声がセールスポイントで、昭和40年代には絶頂期を迎えた。しかし、晩年はヒット曲に恵まれず、精神的な病を患い、自殺未遂をするなど、苦しかったようだ。夫人の発見が早かったこともあり、一命は取りとめたものの脳に障害が残り、会話が不自由となったほか、記憶が乏しくなるなどの後遺症を患った。紅白歌合戦の常連だった。

     代表作・・・「有楽町で逢いましょう」、「おまえに」、「君恋し」、「東京ナイトクラブ」

     菅原洋一

     最初にお断りするが、彼は今でもご健在で、今年夏には81歳を迎える現役歌手である。兵庫県加古川市 出身。兵庫県立加古川東高等学校卒業。国立音楽大学大学院修了の声楽家でもある。NHK紅白歌合戦には1967年から1988年まで22年連続で出場した。本物の歌唱力を兼ね備えた大ベテランである。

     代表作・・・「今日でお別れ」、「知りたくないの」、「誰もいない」

     田端義夫

     1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は 、三重県松坂氏生まれの歌手、ギタリスト。本名は田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21 世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークであった。平成元年(1989年)には勲四等瑞宝章を受章。

     代表作・・・「島の舟唄」、「里恋峠」、「ズンドコ節」、「ふるさとの燈台」、「島育ち」

     ディックミネ

     1908年10月5日 - 1991年6月10日。82歳没。徳島県徳島市出身の日本の ジャズ・ブルースの歌手、俳優である。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根耕一と名乗った。立教大学卒。創成期のテイチクレコードの立役者で、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画に多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍し、ドル箱スターとしての地位を確立した。

     代表作・・・「ダイナ」、「二人は若い」、「リンゴの樹の下で」、「ラモナ」、「人生の並木路」

     鶴田浩二

     1924年12月6日 - 1987年6月16日。兵庫県西宮出身の俳優、歌手。 本名は小野榮一。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画や ドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、耳に手を当てながらの独特の歌唱スタイルでも有名だった。任侠や博徒シリーズや戦争ものの映画に数多く出演した。。第二次世界大戦中に海軍軍人として多くの戦友を失ったことから、戦争の悲劇に対する思いは人一倍であり、それが役者人生の原動力にもなっていたといっていい。

     代表作・・・「傷だらけの人生」、「同期の桜」、「夜霧のブルース」、「名もない男の詩」

     他にも藤山一郎、岡晴夫、近江敏郎も今回のテーマに合致する大御所歌手だった。しかし、私と世代が異なるので、今回は割愛させていただきました。また、石原裕次郎はこうした大スターの記事には欠かせないが、これまでことあるごとに、彼の記事を書いてきたことに加え、私の中では彼は名優としての印象が濃いため、今回は掲載いたしませんでした。ご了承願います。

     さて、今回の記事は、60歳以上のシルバーエイジの方々にはきっと懐かしんでいただけたと思います。きっと夜な夜なカラオケの十八番として歌っておられるのでは。私は昭和39年生まれなので、ぎりぎりで、それぞれの歌手の方々の晩年のお姿しか知らないのが実情だ。でも、戦後間もない時期から国民を元気づけ、銀幕のスターとして、あるいはテレビ創世期からの困難な時期にスタートして華やかにステージで大活躍し、国民的スターとしての地位を確立したことを紛れもない事実だ。敬服に値するし、今の芸能界の隆盛は、彼らの存在なくしては語れなかったと言って過言ではないはずだ。大部分の方はすでに天国へ旅立ち、VTRで偲ぶしか方法がないが、当時の自分の生活とオーバーラップしてご覧いただき、各々が「古き佳き時代」を懐かしんでいただく契機になれば幸いです。

     記事作成:2月20日(木)

    ダンディズムを追求する歌い手

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     このタイトルで誰を思い浮かべるでしょうか?たぶん想像できないと思う。では、ヒントを差し上げましょう。ロックキャンディーズ、アポロキャップ、アコースティックギター、70年代後半にフォーク&ニューミュージックの頂点に君臨した男。まだわからないでしょうか。20代~30代の方には難しいかもしれません。では愛称が「チンペイ」だっと人というヒントはどうでしょう?たぶんここまで聞けば、「アリス」というグループと共に「谷村新司」という名前が出て来る筈だ。そう、今日のブログで取り上げる人は彼をおいてほかにいない。
     私は中学生の頃に、「アリス」の奏でる軽快にして重みのある楽曲に惹かれ、その虜になっていた。「今はもう誰も」「遠くで汽笛を聞きながら」「明日への讃歌」「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」など次々とヒット曲を飛ばし、新しい音楽シーンを築くと共に、時代をリードしたその貢献は著しい。そしてその結実した曲が「チャンピオン」だった。レコード大賞では作詞賞を受賞し、また、山口百恵などにも楽曲を提供するなど、彼の奏でる作風は時代背景とマッチし、大いにもてはやされた。そして高校時代、彼のコンサートを見に行ったこともあるし、彼のソロアルバムも何枚か所有していた。もちろん彼の曲をコピーしてギターを弾いて叫んでいた。つまり「アリス」と谷村新司は私の青春時代のシンボル的な存在だった。

     ところで今日は、以前に「アリス」について記事に書いたことがあったので、今回に至ってはソロとしての活動として私が気に入っている曲を7曲紹介したい。彼の詩の特徴は、漢字が多く、難しめの表現や堅苦しい古典的な言葉を敢えて用いる点にある。見るからに堅物的ないかつい印象を与えるが、それが彼が目指した究極のダンディズムであるかのように思えた。

     1位「群青」

     映画「連合艦隊」のエンディングでも使われた非常に重みと深みのある曲。私のカラオケの十八番でもある。人生とは何か、生と死の意味、戦争とは、愛とはなど様々なテーマを意識する曲だと思う。

     2位「玄冬記ー花散る日ー」

     私が所有していた「海を渡る蝶」という彼のアルバムにあった意味深にして重過ぎる曲。葬式の帰りに満天の星空を見上げ、亡くなった方の在りし日の姿を偲びつつ表現した一曲。高校時代に聞いた私は、かなり衝撃と影響を受けた一曲だった。

     「通夜の夜には不釣り合いなほど空一面の銀の星~」などとても歌詞とは思えない描写に驚愕したものだ。

     3位「Far away」

     こちらも私のカラオケのレパートリーとして長らく歌い継いできた一曲。愛する人と遠く離れていても心は通じ合っている。遠距離恋愛していた私の境遇にもっとも響いた曲だった。

     「どんなに遠く~離れていても~夜ごと心は~空を駆けていく~」

     4位「今ありて」

     春のセンバツ高校野球のテーマソングとして作られた。私は「栄冠は君に輝く」よりも好きな歌だ。スケールの大きさを感じる。

     「嗚呼甲子園~草の芽萌たち~駆け巡る風は青春の息吹か」 鳥肌物の一曲だ。

     5位「いい日旅立ち」

     あの伝説の歌姫・山口百恵に提供した名曲。あの難しい作風を百恵ちゃんに歌わせたチャレンジも凄かったが、漢字のもつ重厚感を彼女なりに歌い上げた。「♪少年は魚釣り~紅い薄の小径を帰るのか~」など、何か運命的で抒情的すぎる。

     6位「サライ」

     ご存知日本テレビ24時間テレビのエンディングテーマソングとして使われて久しい。加山雄三とのデュエットとしても知られる名曲。合唱で歌えば、かなり鳥肌・・・。

     7位「陽はまた昇る」

     こちらは運命的な曲。絶望の淵に置かれ、どん底の状態に陥っても、決して諦めないで頑張って縋り付いていれば、いずれまた陽は昇り、日の目を浴びる日が来るということを暗示する名曲だ。イントロ部のピアノソロがそのスケールの大きさと運命を感じさせてくれる。

     8位「昴」

     ザ・ベストテンで流れた時、壮大なスケールのセットに、人生を実感し、自殺を思いとどまった人のハガキが番組中に紹介されたのには驚いた。いばらの道を重い十字架を背負いながら、それでも歩き続ける男の悲哀や人生観が滲み出ている名曲だ。

     9位「三都物語」

     JR西日本のキャンペーンソングとして製作された。壮大な歴史浪漫に引きずり込まれるような一曲。旅情を掻き立てられ、明日にも見知らぬ街を訪れて見たくなる旅情あふれる曲だと思える。

    10位「忘れていいのー愛の幕切れー」

     女優・小川知子とデュエットが話題になった。唐突に身を寄せ合い、彼女の胸元に手を忍ばせるパフォーマンスは衝撃的だった。

     他にも「未青年」、「秋止符」もまた好きな曲だった。

     いかがでしたか。リンクした曲を聴くと、歌詞も曲調もかなり暗い印象。しかし、その重厚感あふれる詩の紡ぎ方によって、よりいっそう人生観や死生観を高める曲に仕上がっている。究極のダンディズムを追求する彼の姿勢の顕れだと感じる。使われる言葉一つ一つに重みと厚さを漂わせ、人生をとことん追い求めるその手練の技はかれでしか成しえない独特な谷村ワールドなのだろう。彼は服装もオシャレで、親父臭さもあるが、ややアジアンティストの雰囲気を漂わせている。今後も年老いて行くたびに、ますます年相応の格好良い曲を提供してくれることは間違いなさそうだ。

     記事作成:4月7日(月)

     


    天才の定義

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     広辞苑で「天才」と引くと「生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能。また、そういう才能をもった人」。「数学の―」「―肌のプレーヤー」」とある。つまり、「天才」の定義は、広義でいえば「先天的」に他に類を見ないような特異な才能を持ち、そして決して真似できない突出かつ卓越した力を発揮する人ということになる。
     一方で、かの大発明家のトーマス・エジソンは「天才とは1%の閃きと99%の努力だ」との明言を残してこの世を去った。これはたとえ凡人としてこの世に生を受けた者でも、不断の努力を怠らなければ、やがては一瞬の閃きを機に大成功を収める可能性を秘めていることを意味し、私のような凡人にも希望の光を与えてくれるものだ。しかしそれは、凡人にはとうてい考えが及ばない、究極の域に達した者しか実感できない部分であろう
     それでは、私が個人的に、「天才」だと思える人物を取り上げて、その理由も述べたい。

     スティーヴン・スピルバーグ

     ご存知、ジョージルーカスやヒッチコックと並ぶ世界で最も有名なアメリカの映画監督だ。次々と大ヒット作を生み出し、大英帝国勲章を授与されるほどの誰もが憧れる天才だ。彼はもともとはユダヤ系のアメリカ人だ。
     1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
     1975年に公開された『ジョーズ』はそれまでの『ゴッドファーザー』の記録を破り1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり一流監督の仲間入りを果たす。その他ヒット作に『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズなど多数存在し、1982年の『E.T.』では2度目の世界歴代興行収入1位を記録し、1997年に『タイタニック』に破られるまで続いた。他にも代表作には「ジュラシックパーク」、「シンドラーのリスト」、「プライベートアイアン」などそうそうたる名作が目白押し。現在67歳。生涯監督だ。

     ビル・ゲイツ

     ウィリアム・ヘンリー・ビル・ゲイツ3世(William Henry "Bill" Gates III、1955年10月28日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。マイクロソフト社の共同創業者・会長、ビル&メリンダ・ ゲイツ財団共同会長。称号はイギリス女王より名誉騎士(名誉大英勲章ナイト・コマンダー)、立教大学及び早稲田大学より名誉博士を贈られている。シルバー・バッファロー章、アメリカ国家技術賞も贈られている。

     スティーブ・ジョブズ

     アメリカ合衆国の実業家。スティーブ・ウォズニアックらと共に 、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続けた。
     1976年、スティーブ・ウォズニアックと共に初期のホームコンピュータ「Apple I」、その後「Apple II」を開発した。Apple IIは大成功を収め、自宅のガレージからスタートしたアップル社は、シリコンバレーを代表する企業としてサクセスストーリーを築いた。1980年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った。
     1984年に発売した「Macintosh」が搭載したグラフィカルユーザインターフェースは当時のあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたもので、新たなコンピュータ像を創造した。しかし、本人の立ち居振舞いが社内を混乱させたとして、1985年にアップルから追放された。
     アップル退職後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。また、自ら創立したNeXT Computerで、NeXTワークステーション(NeXTcubeとNeXTstation)とオペレーティングシステム (OS) NEXTSTEPを開発した。
     1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰、1997年には、暫定CEOとなる。同年には、不倶戴天のライバルとさえされていたマイクロソフトとの提携と、同社からの支援を得ることに成功し、また社内ではリストラを進めてアップル社の業績を回復させた。2000年、正式にCEOに就任。2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。その後はiPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。
     2011年10月5日、アップルはジョブズが死去したと発表。別の報道では死因は膵癌に伴う呼吸停止と報道している。56歳没。

     諸葛孔明

     ご存じ「三国志」に登場する名軍師であり、私がもっとも尊敬する人物である。日本でも、現在大河ドラマの主人公として描かれている黒田官兵衛もその類だが、血生臭い時代にあって、主君・劉備玄徳に仕え、「天下三分の計」を説き、幾多の戦闘場面において、その知恵を絞り、卓越した戦略を唱え、危機的状況を救った。まさに救世主的な存在で、劉備に天下を取らせ、安泰の世を築こうと、東奔西走する。蜀を起こし、孫権の呉と同盟を結び、曹操の魏に敵対し、「赤壁の戦い」で曹群壊滅の大打撃を与えた。あの手この手を繰り出し、名軍師の名をほしままにした。戦術に長け、凡人が及びもつかないような知力で策略を巡らし、魏の大群を蹴散らした。終生劉備のために身を捧げた。

     松下幸之助

     ご存知、松下電器産業(旧名ナショナル、現パナソニック)創始者で初代社長。「経営の神様」とも呼ばれている。
     和歌山市近郊の農家の三男として生まれ,生家の事情で9歳のとき小学校を中退,大阪へ奉公に出る。1910年大阪電灯会社に見習工として入社,かたわら関西商工学校夜間部予科に通い14年卒業。17年同社を辞し,みずからの考案によるに改良ソケット(かの有名な2灯用差込みプラグ)製造に着手,翌18年個人経営の松下電気器具製作所を創設。同社は23年発売の自転車用ランプの成功,また31年のラジオ生産開始で発展,総合電機メーカーとしての地位を確立,35年松下電器産業に改組した(彼は社長に就任)。

     彼の語録や名言はあまりにも有名で、的を射ている。

    ① 人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。

       けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、

       もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

    ② 志を立てるのに、老いも若きもない。

      そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。

    ③ 万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。

      その時はじめて新たなる風は必ず吹く。

     この3つの明言は私の人生訓にもなっている。

     イチロー

     彼の戦績は今更ここで述べるまでもないだろう。自己流のバッティングフォーム「振り子打法」を開発。独自の野球理論とトレーニング方法で数々のプロ野球記録を塗り替えた。20歳でシーズン初の200本安打、連続首位打者な絶対に抜かれない金字塔を打ち立てていった。日米通算4,000本安打など夢も記録を軽々クリア。抜群のバットコントロールに加え、全身羽バネでで鋼のような肉体から繰り出される強肩レザービームで3塁刺殺は数知れず。また、走攻守三拍子揃い、今でも現役を貫く「孤高の天才」だ。とりわけWBC決勝の韓国戦で魅せた勝ち越しタイムリーは神が乗り移ったとしか言いようがない。ストイックなまでに肉体を酷使し、プレッシャーを楽しみに変えるあたりはB型そのもの。ぜひピートローズの持つ通算安打の世界記録を破ってほしい。

     長嶋茂雄 

     ミスタープロ野球として現役時代17年間、監督としても彼の一挙手一投足に熱い視線が注がれた、文字通り球界のスーパースター。やることなすことが絵になり、とにかく派手で格好いい。デビュー戦で、金田正一の前に4打席4三振。天覧試合であの村山実から劇的なサヨナラアーチを放った。チャンスにめっぽう強く、燃える男という異名をとった。ファンに愛され続けたそのカリスマ性はB型ならではで、やはり天才としかいいようがない。

     明石家さんま

     独善的で自分がこの世で一番好き。自らが楽しむことで周囲をも喜ぶと信じてやまない。マイペースで相手のことはあまり考えない。自己中心的な発想は年老いても変わらない。B型だけに、O型のタモリやビートたけし、所ジョージとは違い、あまり弟子もとらないし、ファミリーも形成しない。束縛されず、周囲の柵にとらわれず、好きに振る舞う印象。特定の友人を持たず、誰とも平等に接する点は賞賛に値する。アドリブをメインとした話術に長け、女性ウケは抜群。プレイボーイでありながら嫌味な印象を与えないところも天才的だ。

     秋元 康

     この人は金儲けの天才だ。かつて1980年代におニャン子クラブの総プロデューサーとして君臨。本業の作詞家として出す曲出す曲が大ヒット。とんねるずや美空ひばりまで幅広い歌手に曲を提供し、一流作家となった。中央大学出身で、人脈も広い。その後、おニャン子世代が親となる時代になって、再び多人数ユニットによるブームを仕掛ける。AKBグループでは出す曲が連続でミリオンヒット。総資産額は50億円を超えているとも言われている。奥さんは、私が大好きだった高井麻巳子。おっとり系のお姉さん風の印象を持ったO型女性だった。彼女もまた、秋元マジックにより才能を見いだされ、ユニット「うしろゆびさされ組」やソロデビューし、ベストテン番組にもランクインした。現在、芸能界でもっとも影響力を持っている男で、しかし彼が凄いのは、自らの身の振り方を知っていて、歌手より決して出しゃばらず、裏方に徹していることだ。ファンが直接参加する「AKB総選挙」でセンターを決めたり、ファンと同調し、ファンが育てるアイドル育成を実践している点が素晴らしい。AKBグループ内での移籍や全国各地やインドネシアなどアジア各国にも姉妹グループを築くなど様々な仕掛けをし、ファンを飽きさせない点も他にないアイデアである。やはり天才肌なのだろう。血液型はO

     他に今日のテーマに合致しそうな人は、矢沢永吉(B型)、氷室京介(B型)、桑田佳祐(A型)などだ。

     さて、今回の記事はいかがでしたか。やはり、平凡な生活を送っていては、「天才の域」には到達できない、まさしく「神の領域」であり、荘厳にして究極の最高到達点ということになる。平たく言えば、幼少期から親や教師の指示に従順で、人と同じことをやっている人間は、決して「天才」にはなれないということを意味する。加えてその生まれながらにして備わった才能を開花させるためには、継続的な努力は不可欠ということだ。逆に言えば、せっかく「天才」と呼ばれる天賦の才能を持っていても、それを活かすために行動を起こさなければいけないし、その才能を発揮する場がなければ何の意味もないということだ。つまり、一歩間違えば原石を磨き忘れては宝の持ち腐れで終わる危険性も併せ持っているということだ。

     記事作成:1月25日(土)~27日(月)

     

    貴重な映像 Part13~スポーツの名場面~

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      私が幼少期から大のテレビっ子だったことは、これまで当ブログで折に触れて語って来た。刑事ものや青春ドラマ、バラエティ、特撮ヒーローもの、歌謡系、エンターテイメント系など様々なジャンルの番組を見て来た。その中で、今回は特に好きだったスポーツ系の名シーンにスポットを当てたい。もちろんその興味の頂点にあったのは、プロ野球中継だった。子供の頃から巨人ファンだった私は、親に連れられて、後楽園球場や神宮球場の試合を見に行ったこともあるし、昭和40年代は、ONが全盛で、ちびっこの誰もがマイバットやグローブを持ち、放課後はソフトボールや野球に勤しんでいた。そんな懐かしい少年時代だったが、野球と同じくらい興味を掻き立て、テレビに噛り付きで夢中になって見ていたのが「プロレス中継」や「大相撲中継」、更には「高校野球中継」だった。では懐かしい映像の数々を一緒に振り返りたいと思います。

     燃える闘魂アントニオ猪木の必殺技炸裂!

     私が小学生の頃は、スポーツと言えばプロ野球(ON)とプロレスだった。特にプロレスは平日のゴールデンタイムに放映され、それは庶民にとって痛快娯楽だった。体格で勝る外国人レスラーたちと互角以上に戦い、力技でねじ伏せたり、個性あふれる得意技でブチ負かしたものだ。日頃のうっぷんを晴らしてくれる、子供たちの稀代のヒーローだった。その中心にいたのがアントニオ猪木だった。無茶苦茶な異種格闘技にも果敢にチャレンジし、柔道家のウィリアムルスカやヘビー級王者のモハメド・アリとも対戦し、話題をさらった。この映像は、彼の必殺技のオクトパスホールド(卍固め)が決まった瞬間を集めた貴重な映像だ。中には馬場とタッグを組み、リング中央で、猪木が鳥人ミルマスカラスを卍固め、馬場がもうひとりのレスラーをコブラツイストという、演出じみた豪華共演映像もある。

     アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガージェットシン、ザ・デストロイヤー、カール・ゴッチ、ルーテーズ、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ミス・マスカラス、ビル・ロビンソン、鉄の爪エリック、吸血鬼ブラッシー、ボボ・ブラジル、ドリーファンクJr.、テリーファンク、ストロング小林、上田馬之助など名だたる有名レスラーと渡り合った映像は、我が幼少期に見たお宝映像だ。

     技のデパート舞の海

     八艘飛びやくるくる舞の海など奇想天外の技を繰り出し、自分より巨漢の力士を倒して仕留める。時には立ち合いに猫だましで相手の意表を突いたり、伝家の宝刀・内掛けで相手を土俵に転がす卓越した技能。小柄な体型を逆手に取り、すばしっこい動きで数多の技を繰り出し、相手に怖がられた。その研究熱心さはもちろんだが、その予想できない動きに観客も惜しみない拍手を送った。やはり彼はB型。オーソドックスな相撲とは無縁。何をしでかすかわからない魅力があり、人気抜群だった。だれからも愛された力士だった。

     珍しすぎる大相撲決まり手

     掛け投げ(隆の山) http://www.youtube.com/watch?v=u70ntU267zU

     二丁投げ(千代の国) http://www.youtube.com/watch?v=nVOFGWnGRTI

       〃   (貴闘力) http://www.youtube.com/watch?v=J2BYTXDHcYM   

     呼び戻し(白鵬) http://www.youtube.com/watch?v=EdVlfoTEPyw

     一本背負い(朝縄) http://www.youtube.com/watch?v=72xPwjqxmoA

     居反り(智ノ花) http://www.youtube.com/watch?v=OSPP7xgviis

     河津掛け(貴ノ浪) http://www.youtube.com/watch?v=7pwL93r2dHU

     珍しい決まり手20選 http://www.youtube.com/watch?v=Y21ArPlHmxk

     私が幼少期から好きだった力士は、横綱・輪島、関脇・大受、大関・魁傑、大関・増位山、小結・富士桜、関脇・巨砲(おおづつ)、関脇・高見山、関脇・鷲羽山、関脇・金剛、関脇・麒麟児、関脇・黒姫山、大関・琴風、小結・旭道山、関脇・出羽の花、関脇・琴若だった。いずれも努力家で、技に長け、個性的な力士だった。
     一方で、強すぎたために嫌われた力士もいた。私も苦手だったが、横綱・双羽黒、横綱・北の湖、横綱・若乃花、横綱・貴乃花、横綱・曙、横綱・朝青龍らはあまり好きになれなかった。

     伝説の一戦 ~箕島VS星稜~

     「起死回生」が二度も起きた。それはまさしく奇跡の連続だった。延長戦、絶体絶命の二死無走者、アウトあと一球の崖っぷちから奇跡的な本塁打で二度も追いつき、最後の最後の18回裏で突き放し、勝利を収めた。ナイターになっても客は帰らず、両チームの健闘を最後まで見守った。そしてこの勝利で勢いに乗った箕島は春夏連覇の偉業を成し遂げた。実はこの箕島の奇跡は、その数年後のセンバツで、対明徳義塾戦でも再現された。筋書きのないドラマを強烈に印象付けた魂の一戦として球史に刻み込まれた。

     伊藤みどり「伝説のフリー」

     1989年の世界フィギュアスケート選手権で、女子選手で初のトリプルアクセルを成功させた時の映像。伝説として語り継がれている貴重なもので、技術点で5人のジャッジが6.0満点を出すという伝説の演技だった。これを見た日本人は、誰もが涙した。迫真にして自信に満ち溢れたパフォーマンスだった。彼女も浅田真央と同じB型。さすがプレッシャーにと世界大会に強い。

     アルベールビル五輪でのトリプルアクセルを始め、トリプルジャンプ連続成功の映像はコチラ!

    http://www.youtube.com/watch?v=fJxgmQ0IAXs4

     練習中、他の選手と衝突し、本番で勢い余ってジャンプの最中に場外へ転倒した「1991年世界オープンフィギュア」の映像はコチラ

     稀にみるドッグファイト 平忠彦 VS ワインガードナー

     このバイクレースは、モーターレースファンなら至宝のVTRだろう。舞台は1886年の日本GP500ccレースの鈴鹿サーキットでのひとコマ。実は私は当時大学生で、東京に住んでいたが、部屋のテレビでこの映像に釘づけとなった。この年の世界GPのポイントランキング2位で、絶対的王者だったワインガードナー選手と一騎打ちを演じたのが、我が福島県出身の平忠彦だった。映画「汚れた英雄」の草刈正雄のレーサーの吹替えを担当。世界GP2500ccで初優勝を飾るなど、実績を積んだ彼が、日本で行われた世界大会で、快挙をやってのけた。その日の彼は、VTRの通り、抜きつ抜かれつのデッドヒートを再三再四繰り広げ、力で世界お第一人者をねじ伏せた。解説の片山敬済も舌を巻くほどの壮絶レースを制した。実は、この年、彼は絶好調で、この後に宮城県の菅生サーキットで行われた世界GP500でも、世界王者でこの年のポイントランキング1位のエディ・ローソンもまた打ち負かすという全盛期を迎えたのだった。SUGO GP500でのエディ・ローソンとの一騎打ちの映像は下をご覧ください。

    http://www.youtube.com/watch?v=2CA2-kYdcXo

     

     フェアプレーの極致

     解説付きなのでとにかく見ていただきたいと思います。度量が小さいレフェリーは腹立たしいが、選手の振る舞いは紳士で、賞賛される。

     プロ野球感動場面

     昨季で引退シした横浜DeNAの小池が自らの引退試合で、2本のホームランを放った。チームメイトの後藤が感涙する中、本人も涙をぬぐいながらダイヤモンドを一周。実況も素晴らしい。

     最後はこれ。何度も当ブログで掲載した、残り1秒での大どんでん返し

     横澤、捨て身の技で大逆転勝ち

     スポーツの祭典、アスリート達の憧れの聖地・オリンピックという最高の舞台でそれは起こった。アテネ五輪女子柔道52キロ級の準決勝の試合での出来事だった。キューバの強豪サボンを相手に、ポイントを奪われて劣勢に立たされた横澤が、残り10秒を切っても決して諦めず、残りわずか3秒で、捨て身の袖つり込み腰という大技を仕掛けた。誰もが横澤の敗北を確信したその矢先、サボンの体が宙を舞い、綺麗に一回転。主審の手が高々と上がり、大逆転一本勝ちを収めた。一本のコールがあった時には、残り時間は0秒を差していた。大逆転勝利のその瞬間、会場のどよめきと共に大歓声が上がり、横澤の大健闘に観客は惜しみない拍手と賛辞を送った。試合終了の最後の最後まで諦めてはいけないことを教えてくれた。

     同じ舞台での塚田真希の大逆転金メダルはコチラ

     記事作成:3月5日(水)~6日(木)

     

    放送事故特集10連発

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     テレビを見ていると、時々段取りと異なるような突発事故が起きることがある。これがやらせなのかそれとも仕組まれたものなのか視聴者には判断しかねる場合もあるが。しかし、生放送中に起こるそれは、誰も予想だにできない。かつては「ズームイン朝」の名物コーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」で、右翼のような方がフレームインしてきたとか、笑っていいともの生本番中に、男が乱入し、タモリの隣りのゲスト席に座り、スタッフに連行されたり、世の中には得体の知れぬ人が実在するものだと感心してしまった。今日は、そんな予期せぬ「放送事故」動画を寄せ集めてみた。中には笑えないものも含まれているが、とくとご覧あれ!

     1 いろんな放送事故詰め合わせ

     2 笑っていいとも!生放送中の乱入者

     3 小倉キャスターの真実の姿が暴露された瞬間

     4 ひどいボクシング

     5 放送禁止の話題CM完全まとめ

     6 女性リポーター面白すぎるNG・ハプニング集

     7 NHKあの伝説の放送事故

     8 非難殺到 まゆゆが加藤浩次に足蹴にされる

     9 指原莉乃 千原ジュニアにキスされブチ切れ!

     日本で最も際市営されている女子アナの放送事故BEST10!

    <その他>

     ・QVC

     http://www.youtube.com/watch?v=dz0LaRb5wHs

     ・クワバタオハラ

     http://www.youtube.com/watch?v=H2NWDzNPaPg

     おまけ(最後までご覧いただいた方へのサービス映像です)

     1 放送事故エロいろいろ

     2 内村光良と八木亜希子(元フジアナ)のラブロマンス?を自分で報道!

     http://www.youtube.com/watch?v=eHv5QEQulSc

     さて、いかがでしたか。後半に行くに連れ、過激度が増す気がするが、お色気程度で終わればいいが、恥ずかしい映像が日本全国に流れてしまっては、取り返しがつかない。かつて「ザ・ベストテン」で、温泉場からの生中継で、男湯が登場し、フルチンのおじいちゃんの映像が流れて、モロ出しになってしまったことがあった。今では放送倫理委員会行きだった筈。放送する側は、最悪の状況を想定しておかなければならない戒めの映像集ということができる。

     記事作成:2月2日(日)

    想い出の曲⑭

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     1980年代がアイドル全盛だったことは、これまで当ブログで何度も触れて来た。当時私が高校生~大学生の頃で、テレビ好き、アイドル好き、女子アナ好きだった私は、テレビで彼女たちが出演した番組(アイドルパンチ・レッツゴーヤング・ヤンヤン歌うスタジオ・夕ニャン)は欠かさず見ていたし、レンタルレコードやCDを定期的に借りて、当時主流だったカセットテープに録音していたものだ。さすがに追っかけやコンサートにはいかなかったし、ファンクラブに入ることもなかったが。では、今日の想い出の曲は、アイドルたちの中でもヒット曲があって、これまでなかなか紹介しなかったアイドル5名にスポットを当てたい。

     1 浅香唯

     彼女が強烈に異彩を放ったのは、「スケバン刑事」シリーズ第三弾。3代目麻宮サキを演じた。風間三姉妹の(大西結花・中村由真とともに)三女の役で、事実と同じ宮崎県から上京したという設定。最初は芋ねぇちゃんだったが、徐々に洗練された。まぁ大映テレビ制作だけあって、現実離れした設定が実にクサかった。彼女の大ヒット曲で真っ先に思い浮かぶのは「CーCーGirl」だと思うが、私は個人的に「セシル」が大好きだった。サビの部分のメロディーとメッセージ性のある歌詞がお気に入りだった。小柄で丸顔の可愛らしい印象と、瞳が大きくて綺麗だった。1985年デビューで、血液型はA型。

     「セシル」

     2 荻野目洋子

     何度も記述したが、私が東京に住んでいた時、友人と原宿の竹下通りを訪れ、HARADA'Sという店の地下で、洋服を選んでいたら、いきなり彼女がカメラマンを伴って取材に現れた。2m先に彼女がいて、芸能人オーラがビンビンだった。個性的なダンスステップが特徴的で、「ダンシングヒーロー」や「六本木純情派」が大ヒットした。ボーイッシュで活発な印象を受けた。血液型はB

     実姉の女優・慶子を始め、家族そろって出演した番組映像はコチラ(お宝映像です)

     http://www.youtube.com/watch?v=-3kS_qrhLVo

     3 島田奈美

     とんねるずの妹分として「お坊ちゃまにはわかるまい」に出演して、ロリっぽいあどけない印象とその可愛らしい顔立ちや雰囲気がウケて人気が爆発した。ベストテン歌手の仲間入りを果たした。私も最近、懐かしくなってベスト盤CDをレンタルしてしまった。「内気なキューピッド」と「パステルブルーのためいき」は大好きな曲だった。彼女の魅力を余すところなく表現したメルヘン楽曲だ。血液型はO。現在は島田奈央子の名前で活動中。

    「パステルブルーのためいき」はコチラ

     4 芳本美代子

     私が北海道に在住していた頃(1986年2月開催)のさっぽろ雪祭りで、大通公園の巨大雪像の上で歌っていた場面に遭遇した。ベストテンに入るほどのヒット曲はなかったが、「みっちょん」という愛称で親しまれていた。血液型はB。曲のタイトルが身に着けるものが多かった。つぶらな瞳と褐色の肌が健康的アイドルだった。

     「青い靴」はコチラ

     5 岡田有希子 

     ご存知とは思うが、彼女はもう天国のスターになってしまった。今でもあの日のことが信じられない。その日、私が大学から帰宅し、いつものように17時からの「夕やけニャンニャン」を見ていたら、逸見政孝アナがニュースで、彼女の突然の死を知らせ、場に居合わせたおニャン子メンバーやスタジオ収録中の観客の驚きで騒然となったことを覚えている。彼女のデビュー当時は、甘ったるい感じの印象で、女の子女の子していた。清純派で正統派アイドル路線を歩んでいた。ファンも大勢いたし、ベストテンにもランクインするほど曲にも恵まれた。順風満帆で、これからという矢先の突然の悲報だった。彼女の存在を忘れてほしくはなく、あえて掲載させていただいた次第です。改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

     

     ヒット曲メドレーはコチラ

     さて、本日の記事はいかがだったでしょうか。1980年代に輝いていた女性アイドルを5名お送りしました。1982年組と1984年組は「花の」という冠がつくほどアイドルの当たり年となった。次々と新たなアイドルが彗星の如く登場しては、いつの間にか消えていった時代だ。チャンスはどこにでも転がっていて、1億総アイドル時代とも言われた時期だった。女子大生や女子高生ブームが沸き起こったのもこの時期だった。いつの時代もファッションリーダーやカラオケソングとなるのはアイドルの常だが、ここまで充実した芸能界もなかったと思う。今更ながらだが、彼女たちの頑張りに拍手を送り、我が青春時代の想い出に彩を添えてくれたことに感謝の意を表したい。

     記事作成:3月8日(土)

    今週の山岸舞彩キャスター(4/14~4/18)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     4月14日(月)

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     4月15日(火)

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     4月16日(水)

     神宮球場で始球式をした際の映像はコチラ

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     4月17日(木)

     アンビリーバボーに出演した時の様子です。

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     ZEROはコチラ

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     4月18日(金)

      めざましテレビに出演した際の様子です。奇跡のツーショット!

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     なお、4月20日(日)放送の「ボクらの時代」と「ワンダフルライフ」に出演した際の様子は次週の当ブログ内でお知らせします。

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