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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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想い出の曲⑪

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 1980年代中頃に大流行した歌手がいた。トレンドを地で行くようなパステルカラーのスーツにサングラス姿というファッションセンスに加えて、時代とマッチングしたその楽曲。もちろん出す曲出す曲がベストテン入りし、若い女性なら誰もがその甘いハートボイスに酔いしれた。彼の名前は「杉山清貴」。今でも現役バリバリの歌手だが、華々しいデビュー当時は「杉山清貴&オメガとライブ」というバンドユニットだった。ドラマやCMの挿入歌として使われ、バンドを解散し、日系ブラジル人のカルロス・トシキにヴォーカルを譲り、自らはソロシンガーに転身した。ここでは懐かしい彼のプロフと私の好きだった楽曲7曲を取り上げ、1980年代後半の青春時代にタイムスリップしたい。

 杉山清貴

 杉山清貴&オメガトライブの前身となる「きゅうてぃぱんちょす」で第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場し、「GOSPELの夜」で入賞。ポプコン入賞後、メジャーデビューのオファーを受けながらもオリジナル楽曲の完成度に納得できず、誘いを断りデビューへの道を模索していた。後の所属事務所はポプコン入賞以降同バンドに注目しており、デビューの条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示、バンドはこれを受け、「杉山清貴&オメガトライブ」と名を変え、『SUMMER SUSPICION』でレコードデビューした。杉山清貴&オメガトライブ時代の曲では『君のハートはマリンブルー』『ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-』などがある。1985年オメガトライブ解散。翌年『さよならのオーシャン』でソロデビューし、20万枚のヒットとなる。横浜市磯子区出身。血液型はAB。

 ふたりの夏物語

 

 ガラスのPALM TREE

http://www.youtube.com/watch?v=H-OLRt2lDa0

 さよならのオーシャン

http://www.youtube.com/watch?v=-O45dXhi23M

君のハートはマリンブルー

 最後の Holy Night

 ワムの「ラストクリスマス」を意識した楽曲。クリスマスソングの定番として持て囃された耳に心地よい綺麗な曲調。

  風のLONELY WAY

 この曲はソロになってからの最初のヒット曲。2時間ドラマ「火曜サスペンス劇場」のエンディング曲として使われた名曲。私のカラオケの十八番でもあった。

 他にも「サイレンスがいっぱい」や「SUMMER SUSPICION」、」「Real Time to Paradise」も代表作である。

 彼の甘い声に魅了された女性は多かったに違いない。その登場スタイルもオシャレだったし、そのコンセプトも当時の若い世代にはウケた。トレンディという言葉は彼のためにあるような印象だった。

 記事作成:2月17日(月)


あまちゃん感動名場面ベスト10

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 東日本大震災からの復興支援策のひとつとしてNHKが制作し、昨年9月まで放送された連続テレビ小説「あまちゃん」。過疎化が進む東北地方のとある架空の漁師町(北三陸市)に光を当て、その田舎町を舞台に、はちゃめちゃな人間たちが織り成す数々の人間模様を巧みに描いた秀作だった。かつて「先代あまちゃん」として注目された「大向美咲」さんが「北限の海女」としてブームの下地を築き、それに肖って脚本家の宮藤官九郎氏がそれに色を加えて鮮やかに表現し、それを個性的かつ実力派の名優たちが見事に演じ切った。その甲斐あって、ドラマの放送開始以降、空前の「あまちゃん」ブームが沸き起こり、久慈駅や小袖海岸などのロケ地には大勢の「鉄オタ」や一般の観光客で溢れかえり、廃れる一方だった町は活気を取り戻し、復興の一翼を担ったことは言うに及ばない。さらには、この地方の方言である「じぇじぇじぇ」が流行語大賞を受賞し、半年に渡る放送終了後もこのドラマで元気をもらっていた視聴者たちが、このドラマの余韻を引きずるあまり、その後に生きる活力を削がれたことで「あまロス」なる言葉まで生まれた。
 その後も、その火種は3か月過ぎてもくすぶり続け、大晦日に放送された紅白歌合戦の目玉企画として劇的に復活したことで、それは揺るぎない伝説と化したと言って過言ではない。久し振りに視聴者たちは、あの愛すべき出演者たちの雄姿を目の当たりにした視聴者たちは、放送終了後も3か月間、変わらぬ姿で懸命に生き続けていたことを知り、誰もが嬉しく感じたことだろう。そして違和感もないままあの時の映像をよみがえらせに相違ない。それが証拠に、彼らが登場したコーナーでは視聴率はうなぎ上りとなり、この年の最高視聴率である「半沢直樹」(最終回)を優に超える42%を記録したのだった。
 アットホームで、昔ながらのドラマのスタイルを踏襲し、都会では味わえないような理想的なコミュニティと家族愛を描き、一方では震災で打ちひしがれた被災者に夢と希望を与えてくれることとなった。そして何より、過疎化で苦しむ地方都市に、町おこしの成功のヒントを与え、そのモデルケースとなりえるものとなったことが賞賛に値する。それほどこれまでにない秀逸した作品であった。誰もが「あまちゃん」の続編を期待するのもうなづける。主人公以外にも脇を固める共演者にも愛すべきキャラも多く、個性派ぞろいの俳優陣を束ね、結び付けていた象徴は、紛れもなく「北三陸鉄道」(三鉄)だった。

 さて、いよいよ今回の記事の本題に突入するが、すでに放送終了から半年近く経とうとしている今、あのドラマの素晴らしさを再認識する上で、全話ブルーレイに録画した私が、かつて「てっぱん」でも同様の記事を書いたように、全体を振り返りながら、個人的な趣味と、独断と偏見に基づいて、「感動場面」と「傑作場面」とに分けて、それぞれについてランキング形式で発表したい。

 「あまちゃん感動名場面ベスト10」

 第1位 「ユイがやっと東京に行けると思った矢先、電車内で東日本大震災に巻き込まれる場面」

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 突如、東日本大震災が発生し、列車がトンネル内で停車。トンネルの向こうで見た悲惨な光景に大吉が「見ちゃ駄目だ!」、ユイが「ごめん…もう、遅い」と口にするシーン。トンネルの先に見えた悲惨な光景が実際とダブり、被災者の一人として、当時を思い出してしまい、涙が止まらなかった。

 第2位 「若き日の天野春子(有村架純)の家出した場面を回想し、春子(小泉今日子)が
      真実を知るシーン」

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 アイドルを夢見る若き日の春子が、北三陸鉄道開業の日に家出を決行する場面で、大反対だったナツばっぱがこっそり浜辺で彼女が乗る汽車に向かって大漁旗を振りながら人知れず見送っていたことを、口止めされていた元さんが告白するシーン。
  

 第3位 「若き日の春子がオーディションを受けるために上京するのを夏ばっぱに許しを
      乞う場面」

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 夏ばっぱ「本気か遊びか聞いてるんだ。負けたときのこと考えてどうする。0か10かどっちだ?」
春子 「・・・10です。」
前半で一番好きな場面。本気度が伝わり、ビシビシ来た。 有村の演技と聖子ちゃんカットがすばらしい。本当にキョンキョンの若い頃そっくり!

 第4位 「アキ(能年玲奈)が東京へ旅立つシーン」

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 駅長(杉本哲太)と母親(小泉今日子)に見送られた後、1984年の春子の時と同じように、夏ばっぱが当時と同じ浜辺からアキに大漁旗を振って見送るシーン。

 第5位 「夏が春子に25年前のことを謝るシーン」

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夏「すまなかったな、春子。25年かかった。このとおりだ、許してけろ」
春「お母さん。顔、顔上げて、お母さん。お母さん」
夏「ふぅ~。スッとした。やっと言えたべ」
春「あたしもスッとした」

 2人にとって、関係悪化の基となっていた出来事だったが、25年間もお互いに引きずっていたわだかまりが多少修復できた。同じようなことが原因で家出をした経験がある人には堪えたはず。

 第6位 「震災後に帰郷したアキを北三陸の方々がホームで出迎えるシーン」

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 震災後、津波によって大きな被害を受けた北三陸地方の袖ヶ浜海岸。東京でアイドルになるために頑張っていたアキだが、急遽帰郷することを決意した。無人の駅舎の改札の窓口に100円玉を置き、ガラガラの臨時列車に乗り込んだ。そして袖ヶ浜に近づくと、大歓声で大漁旗を振って出迎えに来てくれた海女仲間と観光協会の面々。窓から身を乗り出してその歓迎にこたえるアキ。涙なくして見られない名シーンとなった。

 第7位 「足立よしえの帰郷シーン」

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 足立ユイの母親よしえ(八木亜希子)の夫が脳の病気で倒れてしまい、将来を悲観して介護を放棄して失踪。1年半後に北三陸市に戻ってきて、周囲から批判されながらも、温かく迎え入れられる場面。土下座して謝罪する場面はぐっと来た。ユイはこれが原因で、母親の代わりに父親の介護を担当することになり、高校を中退してしまった。ヤンキーになったユイの変わりようも凄かった。

 第8位 駅長の大向大吉(杉本哲太)がふたたび安部ちゃん(片桐はいり)にプロポーズするシーン。

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 ふたりはいったん離婚した身の上だったが、すったもんだの挙句、再婚を決意した大吉。本人は知らなかったが、彼が乗り込んだ北鉄の車両には、大きな落書きで再プロポーズの言葉が・・・。

 第9位 海女カフェで鈴鹿ひろ美が歌う場面

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 音痴だった鈴鹿ひろ美がどういう因果かかつて吹き替えをやらされた天野春子の猛特訓を受けることとなった。海女カフェで開催されたリサイタル本番で、周囲を驚かすほどの美声を轟かせ、若き日の天野春子(有村架純)が笑顔で見守るシーン。これ以来、若き日の天野春子の亡霊は見えなくなった。

第10位 種市をバイクで遥々追いかけて来た「梅頭」の本心が明らかにされたシーン

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 「無頓鮨」の大将・梅頭(ピエール瀧)が黙って店を辞めた種市浩一(福士蒼汰)を追いかけて北三陸市まではるばるとバイクでやって来た。うに丼を何杯も頬張って、「こんなに美味いモンを食える奴は東京に戻ってこなくていい」とはなむけの言葉を伝え、てっきり殴りかかると思ったら、彼を激励する感動シーン。何時間もかけてバイクでやってきた梅頭だが、滞在時間40分だけで惜別し、うに丼をぶら下げて帰っていくシーンはかっこよかった。

 次点 アキが奈落をあがっていくシーン

 何気ない場面でしたが、階段をあがるところは、奈落をあがるという意味だった。それと同時に、太巻の長年の自責から解放され、春子の夢が形になった瞬間でもあったように思えた。鈴鹿ひろ美はその立会人の役割を果たした。

 いかがでしたか。あの名シーンを懐かしく思い出したのではないでしょうか。このドラマには、場を盛り上げる愛されキャラが多く存在した。そこでおまけとして、私が選ぶ、「あまちゃん」愛されキャラ(名脇役たち)ベスト5を挙げたい。

 第1位 磯野心平(皆川猿時) 北三陸高校潜水土木科教師 ナイスキャラ

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 第2位 吉田正義(荒川良々) 北三陸駅副駅長 あの訛った喋り方が心地よい

Yoshida

 第3位 花巻珠子(伊勢志摩) 海女カフェでなぜかフレディマーキュリーに仮装

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 第4位 長内まつ枝(木野花) メガネ会計ババァ

Osanai

 第5位 小田勉(塩見三省) 琥珀命の考古学者

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 さて、本日の記事はいかがでしたか。個人的な好みで感動場面は選んでみた。見どころが多々あったこの卓越した内容のドラマにおいて、感動場面は随所にちりばめられていた。放送終了から半年近く経過する中で、昨年大晦日の紅白での「全員集合」は嬉しく思えた人は多かったに違いない。それほど再放送や続編を心待ちにしている人が多いということだ。このドラマで数多くの方が、生きる元気をもらい、毎日の生活の活力にしていた。放送終了後には「あまロス」という現象が生まれたほどだ。見られなかった人は、ぜひDVDを借りて見ていただきたい。きっと「あまちゃん」の魅力に取りつかれることと思います。
 明日は、「てっぱん」の時と同様、「傑作場面ベスト10」をお送りしたいと思う。

 記事作成:1月14日(火)~2月25日(火)

あまちゃん傑作場面ベスト10

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 この記事を執筆するに至ったあらましについては、昨日長々と記述したため、本日は前置きはなく、いきなり本題に突入したい。今日は、高視聴率をマークし、大好評だった国民的番組「あまちゃん」を振り返って、傑作場面を10シーン取り上げてランク付けしてみたい。思わず吹き出してしまったシーンや微笑ましい場面など、私が個人的に印象深いシーンを中心に取り上げたい。

 第1位 アキの妄想①「種市先輩への恋心」

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 三陸鉄道リアス線の車庫での一節。ふたりっきりで薪を焚いて暖をとりながら会うシーンだが、実は種市先輩はユイが好きだとも知らず、「潜水士の試験に合格したらデートしてけろ」と約束を取り付けたアキ。種市が発した映画「潮騒」の名セリフを誤解し、「それってその火を飛び越えて来いって意味ですよね」と勝手に妄想。たき火の火を飛び越えて彼の胸に飛び込もうとした矢先、火の用心を心配して走って来た吉田副駅長がアキを追い越して飛んでいくシーン。彼女の思い込みの激しさが笑えた。若い娘によくありがちな「恋は盲目」を肌で感じ取れる場面だった。

 第2位 ユイとアキの家出作戦を町ぐるみで阻止するシーン

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 アイドルを目指して内緒で上京を企てたふたりだが、ストーブさんを始め、地元の人たちの監視の目は厳しく、駅周辺を見張られていた。その網を必死にかいくぐって上野行きの夜行バスに乗り込むことに成功したふたりだが、気づけば「袖ヶ浜行き」に変わっていて、逃走がバレてオジャンとなった場面。

 第3位 忠兵衛さんが死んだことになっていたシーン

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 遠洋漁業に出たっきりだった忠兵衛さん。帰港してひょっこり地元に戻り、アキや春子の前に現れたシーン。仏壇に写真が遺影のように飾られていたことから、周囲はてっきり死んだものだと思い込んでいたが、ある日、駅弁を売りに電車に乗っていたアキの前に忠兵衛が現れ、てっきり幽霊と勘違いして後をつけたところ、まさかの自分の家へ。びっくりする春子に向かって忠兵衛が抱き付いた時の春子(小泉今日子)の困惑の表情と、年齢を聞かれた時の返答のやりとりは大ウケだった。死んだと聞かされた「ブティック今野」の今野あつし(菅原大吉)はあからさまに沈んだ面持ちで喪服で登場する始末。この思い込みも笑えた。

 第4位 アキの妄想②「種市先輩とキス?」

 種市先輩への憧れと、シーズンオフにも潜れることに魅力を感じ、アキは潜水土木科への転科を決意。磯野心平先生の心配をよそに実習中も種市先輩とのラブロマンスを妄想する。潜水スーツとヘルメットに身を包んだ二人が、水中でキスをしようとしてヘルメットで頭をゴツンとするシーンは、実に微笑ましかった。そして何度かキスするチャンスがあったのに、その都度いろんな邪魔が入るのも笑えた。

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 第5位 ストーブさん(小池徹平)に告白されて、戸惑うアキ

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 本気獲りを翌日に控えたアキが、いきなり駅の待合室でストーブさんに「好きだ」と告白され、「頭を使っちゃダメなんです」と言いながら、耳に蓋をして恥ずかしくてその場を後にするシーン。「ストーブさんて、いつも間が悪いですよね」と窘めて出ていく。案の定、困り果てたアキは、その夜、一睡も出来ずに「本気獲り」の本番当日を迎えてしまった。

 第6位 磯野心平のナイスキャラ

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 潜水土木科の担任である磯野心平(皆川猿時)の存在は笑える。「くのぉ野郎」が口癖で、一挙手一投足、そしてそのしゃべり方も笑えた。男だらけの潜水土木科に、アキに憧れて大勢の女子が入って来たことで、戸惑い、逃げ腰状態。教室に恥ずかしくて入れなくなった場面は最高傑作だった。

 第7位 鈴鹿ひろ美のステージでマイクが外れ、電池が大巻太一のオデコに突き刺さった場面

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 クライマックスに近い場面での一節。音痴だった鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の影武者として吹き替えを行った若き日の天野春子だったが、海女カフェでのコンサートで音痴がバレて真実が暴露されることを恐れた春子が会場にダッシュして歌おうとしたが、途中でマイクが外れ、電池が飛び出し、それがスローモーションで太巻プロデューサーを直撃。真後ろに卒倒した場面は圧巻だった。

 第8位 強かだが、町おこしに躍起になり周囲が見えなくなる観光協会と北鉄職員

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 いくつものイベントを企画&展開し、何とか寂れた町に観光客を呼ぼうと画策する北鉄の大吉と観光協会の面々。ミス北鉄コンテストやJJガールズ(後の潮騒のメモリーズ)に電車内でうに丼を売らせたり、お座敷列車を思案するなど、誘客のためには手段を選ばない。強かでしつこい面々。でもなぜか憎めない愛されキャラなのだ。

 第9位 黙って娘の布団に入り込む黒川正宗

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 アキの父親でタクシー運転手の黒川正宗(尾美としのり)は、妻・春子から離縁を迫られ、東京からタクシーで北三陸にまで押しかけ、妻の実家に入り込んで生活し始める。そんな折、夜、アキが悪夢にうなされて飛び起きたら、隣りに父親が同じ布団に潜り込んで添い寝していた。「パパがついているから心配するな」と言われ、いったんは「ありがとう」と布団に入った後、お決まりのパターンで絶叫。駆けつけた春子や夏ばっぱに非難される始末。中学までは一緒に寝ていた設定だった。

 第10位 夏ばっぱ、橋幸夫との再会に舞い上がる

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 昔、のど自慢大会で、大スターの橋幸夫に花束を渡し、デュエットした経験がある夏ばっぱ。孫娘のアキに会う名目で上京。ところが、鈴鹿ひろ美のはからいで橋幸夫に再会できることになり、おめかし。しかし、本人を前にしてのあのそわそわと慌てふためいた素振りは、一瞬で少女時代にあの当時に戻ってしまった。「いつでも夢を」は永遠です。

 もちろんこれ以外にも傑作場面は数多くあった。海女カフェでの花巻珠子の扮装(不レディーマーキュリー)は大笑いさせて貰ったし、勉さんが水口に恐竜の化石の骨を先に発見されてしまい、新聞に掲載されたことを悔しがっている場面も傑作だった。いろいろな名脇役がそれぞれの持ち味を出していて良かった。誰に焦点を当ててスピンオフを描いても制作可能だったほど各出演者が個性に溢れていた。

 「おまけ」・・・その他の名シーンはコチラ

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 さて、放送開始してから間もなく1年近く経過するが、未だに人気は根強い。DVDの売れ行きも好調で、レンタルコーナーも貸し出し中ばかり。私も今年の夏こそは、久慈市周辺のロケ地を巡りたいと考えている。このドラマは私たち被災者に勇気を与えたことはもちろん、過疎化や観光客現象の歯止め策や地域振興策の手がかりを与えてくれたと思う。三陸鉄道北・南リアス線の全線開通はまだまだ時間を要するが、このドラマで元気をもらい、再生と再興を誓った被災地の方々は大勢いる。ここでもう一度、この記事を読んでいただくことで、震災を過去の記憶や遺物にしないでほしいと思う。被災地の復興はここからが正念場なのです。

 記事作成:1月14日(火)~2月25日(火)

今週の山岸舞彩キャスター(3/10~3/13)

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毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 3月10日(月)

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 震災があった同じ日付の前日ということで、ZEROのキャスター陣がスタジオを出て、被災地から中継した。初日はなんと我が福島県の楢葉町から。私も行ったことのある、津波で破壊された富岡駅や請戸、原発への潜入ルポなどを敢行。櫻井翔自らも被災者へのインタビューを行った。山積みされた数えきれないほどの黒い袋が不気味さを物語っていた。

 3月11日(火)

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 震災から丸3周年目にあたるこの日、被災地の各地で追悼行事が営まれた。 私も職場の同僚が全員揃って、1分間の黙とうを捧げたが、3年間は長いようで短かったというのが率直な感想。

 3月12日(水)

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 この日は春らしい桜色の装いだった。美しい・・・。

 「ZERO」の放送終了後の舞台裏トークはコチラ

 

 3月13日(木)

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懐かしき角川三人娘

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 40代以上の方ならご存知だと思いますが、1980年代に一世を風靡した日本映画に「角川映画」がある。「野性の証明」、「横溝正史シリーズ」、「戦国自衛隊」、「復活の日」などがその代表作だが、本日私が紹介したいのは、当時、社長の角川春樹の一案で、路線変更でアイドル女優を生み出そうと打ち出した。オーディションで選び、角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子・渡辺典子・原田知世の3人は角川3人娘と称され、薬師丸は『セーラー服と機関銃』、原田は『時をかける少女』がそれぞれ出世作となった。彼女らはテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した。彼女たちが歌った主演映画の主題歌が『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』にランキングされても「事務所の方針」の名目で出演を辞退させていたが、自社雑誌『バラエティ』を1977年に創刊して情報の発信をしていた。私は同世代なので、もちろんライブで彼女たちの主演作や活躍ぶりをつぶさに見ていたため、この記事を執筆することは、自らの青春時代を回顧することに等しい。ではさっそく一人ずつ振り返りながら見ていきたい。

 薬師丸ひろ子

 現代の若い人には「あまちゃん」に登場した「鈴鹿ひろ美」役のイメージが強いかもしれないが、彼女は角川文庫の一般公募の中から選ばれたシンデレラガール。あの高倉健さんと親子を演じた「野性の証明」でデビュー。その後、「セーラー服と機関銃」、松田優作と共演した「探偵物語」や「メインテーマ」でその人気を不動のものとした。また、歌手としてもベストテン歌手の仲間入りを果たした。何を隠そう、私は彼女と同世代。同い年だ。彼女の登場時のセンセーション振りや彼女が高校を卒業し、玉川大学に進学を決めた際には、同大学への志願者が急増したエピソードがあった。

 原田知世

 彼女のイメージも「私をスキーに連れてって」のヒロインほうが強いかもしれない。清楚でおっとり系のお嬢さんという印象だった。「時をかける少女」で一躍有名になった。ショートカットのボーイッシュなイメージで登場したが、いつしか時代の要求とマッチして、歌手デビューしてもベストテンにランクインすることとなった。出演はほかに、映画を中心に「愛情物語」「天国に一番近い島」「早春物語」、「彼女が水着に着替えたら」などがある。

http://www.youtube.com/watch?v=lJoj08Zs280

 渡辺典子

 3人娘の中では一番美人だった。大人っぽいイメージで、お嬢様を絵に描いたような美少女だった。映画「晴れ時々殺人」や「いつか誰かが殺される」、「結婚難内ミステリー」、テレビドラマ「明日を殺さないで」など、ミステリー系を中心に、その時期に立て続けに出演し、マスコミやテレビへの露出度が高かった。

http://www.youtube.com/watch?v=sdTn6NCy2_E

 私は「花の色」が好きで、レコードまで持っていた。残念ながら、YouTubeなどの動画サイトにはアップされていないので掲載できない。ニコニコ動画のアドレスをリンクしますが、ログインが必要です。

http://www.nicovideo.jp/watch/nm12865571

 不思議なことにO型の角川春樹の趣味なのか、この3人娘の共通点は血液型がA型であったこと。当時は山口百恵、松田聖子、中森明菜など、大成する大物アイドルはA型が多かったせいなのか、同じようなお嬢様・お嬢さん風の3人を選び、自社制作の映画の主演に大抜擢した。しかし、いずれもこれらの映画は当たり、当の本人たちも女優だけでなく、歌手としても大ヒットすることとなった。ジャニーズに始まり、おニャン子、モー娘。、AKBグループとプロモーション戦略の重要性が認識できているが、この当時も販売戦略や宣伝効果によって、世間を巻き込んでの一大ブームを取り込んだのだった。

 記事作成:3月2日(日)

「お嫁さんにしたい女優」の変遷

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 1970年代後半から80年代にかけて、女優の竹下景子さんが「お嫁さんにしたい女優No.1」だったのを覚えているでしょうか?私より10歳年上だったが、高校1年生の時に、熱を上げていた女性だ。きっかけは、NTV系列の「姿三四郎」というドラマに、「お富さん」役で出演した彼女を見て、一目惚れしたのだった。彼女は東京女子大学出身の才色兼備の持つ主で、柔らかい印象と、にこやかな雰囲気が大好きだった。「クイズダービー」にレギュラー出演し、その賢明にして理想的な女性像を感じ取った。次いで、日曜グランド劇場「パパの結婚」に出演し、加山雄三の相手役として謙虚で控えめ、穏やかでひとりの人をお慕いする一途な姿にまたしてもゾッコンとなった。その後の昼ドラ「草野球草家族」もビデオに録画して欠かさず見ていた。また、彼女がパーソナリティーを務めるラジオ番組「竹下景子の話の片想い」(後の「この指とまれ」)も必ず聴いていた。そして彼女が出したSPやLPレコードもすべて購入して聴いていた。それくらい好きだった。そんな彼女が「お嫁さんにしたい女優No.1」の座を射止めた時は嬉しかった。私の好みが「標準」だと分かったからだ。
 さて、前置きが長くなったが、この「お嫁さんにしたい女優」も、時代の変遷とともに、選ばれる女性の顔ぶれもかなり違ってきた。そこで、「お嫁さんにしたい女優No,1」の各時代の顔を紹介したい。

 1 原 節子  戦後の銀幕の大スター。絶世の美女と形容された。

   http://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg

 2 松原智恵子 O型 色白でか弱い印象。守ってあげたい印象があった。

   http://www.youtube.com/watch?v=HYEkeLZW2KQ

 3 仁科明子(現在:亜希子)AB型 元松方弘樹夫人。 

   http://www.youtube.com/watch?v=5-VcI4_P970

 4 松坂慶子 A型 江戸を斬るの紫頭巾で一躍人気が出た。超美人女優だった。

   http://www.youtube.com/watch?v=CaS5V6VVPLE

 5 竹下景子 A型 関口照夫夫人。前述したとおり。

  http://www.youtube.com/watch?v=RhRX3Knli3g (51秒より)

 6 市毛良枝 O型 竹下景子に代わってNo.1になった。おっとり系でやさしい印象。

   映像は下部に掲示しました。  

 7 和由布子 AB型  五木ひろし夫人 落ち着いた物腰の出しゃばらない和服美人。

  http://www.youtube.com/watch?v=jRrYzOeuSgc

 8 宮崎美子 A型 熊本大学在学中に「ミノルタX-7」のCMが話題となり大ブレイクした。

  http://www.youtube.com/watch?v=ws-cQmyx6AU  

 9 田中美佐子 O型  深沢夫人 彼女も色白で可愛かった。今は恐妻家っぽくなった。

  http://www.youtube.com/watch?v=gkModXtJwFM

10 藤吉久美子 AB型 枯葉の中から登場する郵便局のCMが可愛くて大好きになった。

  http://www.youtube.com/watch?v=oWukYeyjux4

11 沢口靖子 A型 彼女は品行方正、穢れなき清純派の代表のイメージがあった。

  http://www.youtube.com/watch?v=IgRaU7vOz2g 

12 三井ゆり A型 野口五郎夫人。モデル出身だが、奥ゆかしさがあり、守ってあげたい存在だった。 

  http://www.youtube.com/watch?v=sjo_UsklKW4

13 和久井映見 A型 元萩原聖人夫人。 おっとり系でお嬢さん風。夏子の酒が出世作。
  http://www.youtube.com/watch?v=RWbXlCoe0Ug

14 鶴田真由 O型 男が好きになる顔立ち。色白でベビーフェイス。

  http://www.youtube.com/watch?v=PtE_MaLKgb8

15 水野真紀 A型 ナショナルの初代「きれいなお姉さん」。ロングの黒髪がトレードマークだった。妙に色っぽい雰囲気だった。 

  http://www.youtube.com/watch?v=8TIBbXDB4kw

16 山口智子 A型 唐沢寿明夫人。彼女は男っぽいが、サバサバしている。電撃結婚だった。記者会見では、他人行儀だった。本当に好きなのか?と疑問にさえ思った。

  http://www.youtube.com/watch?v=5587jD92Zl0

17 松嶋菜々子 A型 反町隆史夫人。こちらもドラマでの共演で電撃結婚。大人っぽい印象の彼女とガキがそのまま大きくなった感じの反町の組み合わせに誰もがびっくり!

  http://www.youtube.com/watch?v=RP0MHs-sesE 

 

18 矢田亜希子 O型 元押尾学夫人。毒牙にかかった清純派女優というイメージ。

  http://www.youtube.com/watch?v=CCsFyNGdnj8

19 山口もえ A型 セレブ婚したが、離婚。おっとりすぎて家事ができるか心配だった。

  http://www.youtube.com/watch?v=R3PvLZyrE3U

20 松下奈緒 AB型 テキパキ少女のイメージで才色兼備の印象がある。

  http://www.youtube.com/watch?v=R9aEFX6CnOY

MatsubaraTakeshita

 

 不思議なことに、B型の女優がひとりも選ばれていない事実。良妻賢母タイプは、あまり出しゃばらず、癒し系やおっとり型の方が選ばれる傾向が強く、その点、明るく元気はいいが、マイペースで自分中心的に物事を考えるイメージを持たれやすい(実際は違うと思うが)B型は敬遠されるようだ。それに自己主張が多いので口喧嘩が絶えない印象を持たれやすい。逆にA型は、日本人に一番多い血液型だから、日本のお母さんというイメージがつきやすい。おしとやかさ、落ち着いた物腰、包容力、尽くすタイプ、サービス精神などから「良い奥さん」のイメージに合致する。山口百恵もまたA型だし、相撲部屋に嫁いでおかみさんになった高田みづえもA型。「吉永小百合」が入っていないのは、サユリストにとっては、家庭の匂いを感じない神的存在だし、誰のものにもなってほしくないという思いが強い。「みんなの大女優」であって、抜け駆けは許されない「高嶺の花」だったと想像できる。

 また、上記の変遷は「結婚したい」という願望であるが、結婚後に子供が生まれるとお母さんになる訳だが、子供に聞いた「お母さんになってほしい女優」という統計もあった。また、日本人が描く理想的なお母さんという統計もある。この二つを統合した調査結果から、時代を追って変遷を回顧したい。

 1 音羽信子  私生活はいろいろスキャンダラスだったが、良いお母さんのイメージ。

 2 加藤治子 AB型 彼女は晩年に多くの映画やドラマに出たが、圧倒的に母親役が多かった。

 3 山岡久乃 O型 ありがとうや橋田寿賀子ドラマでお母さん役が多く、はまり役だった。

 4 京塚昌子 O型 昔のホームドラマでは肝が据わった笑顔が絶えない母親というイメージ。

 5 香山美子 O型 和服美人でオロナインH軟膏のCMが母親のイメージを作り上げた。

 6 八千草薫 A型 今ではお婆ちゃん役だが、30年前は理想的な母親像だった。

 7 池内淳子 O型 和服や割烹着姿で、台所に立つイメージだった。宮本信子と重なる。

 8 小林千登勢 A型 日本のおっかさんという形容詞がついたほど。

 9 久里千春 A型 あばれはっちゃくなどのホームドラマでの母親役が板についていた。

10 真屋順子 O型 欽ちゃんのどこまでやるののイメージ。見栄晴・わらべの母役。

11 高田敏江 AB型 ドラマでの母親役が圧倒的に多かった。

12 泉ピン子 B型 「おしん」の母親役として強烈な印象を残した。かなり厳しい母親像。

13 上村香子 A型 和服美人でおっとり系。見るからにやさしいイメージ。

14 三田佳子 O型 美人のお母さんというイメージがある。

15 富司純子 O型 てっぱんではお婆ちゃん役だったが、かつてはホームドラマでは母親役として数多くの作品に出演。寺島純子の頃のことだ。

16 森光子 B型 元気で明るい風変わりな母親のイメージ。晩年はお婆ちゃんの印象。

17 野際陽子 A型 冬彦の猛烈な教育ママゴンの印象。息子を溺愛しそう。

18 竹下景子 A型 お嫁さんNo.1だったが、時代の流れと共にお母さん役が多くなった。サザエさんの実写版で「お婆さん役」で出演した時は愕然とした。

19 中山美穂 O型 「ママはアイドル」のドラマの影響で、10代(当時)でランクインした。

20 松嶋菜々子 A型 実生活でもお母さんだが、CM(風邪薬)でも母親役が多くなった。

21 野川由美子 A型 時代劇の女将さん役が多く、安心できる印象が

 他には、音無美紀子(B型)や酒井和歌子(B型)、新珠三千代(B型)さんもいた。さて、結果をみると、日本的なお母さんの偶像は、O型が有利。O型は人間としての強さ、バイタリティ(生活力)、懐の深さや存在感などがプラスに働く。A型もやさしさ、躾、細やかさという点で日本のお母さん像に近い。面白いのは、やはりB型は少ない。マイペースで利己主義のB型には、家庭を温和かつ平穏に家庭生活を維持するイメージが持ちにくいのかもしれない。AB型よりも少ない点が気になるが。血液型の違いでこれほどまでに顕著に表れるのだから、やはり因果関係はある。 

 それにしても時代の流れは恐ろしい。あれほど美人女優としてならした若手女優も、時代と共にトレンディ系ドラマから、母親役が多くなり、やがてはお婆ちゃん役が多くなる。やはりどんなに美しい女優さんでも寄る年波には勝てず、次第にしわが増えたり、歳をとるということだ。自分が老けたことを実感するのは、実は与えられる役柄の変化によるところが大きい。「若いうちが華」。これを実感させる記事となってしまった。

 記事作成:2月7日(金)

 

 

懐かしき角川三人娘

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 40代以上の方ならご存知だと思いますが、1980年代に一世を風靡した日本映画に「角川映画」がある。「野性の証明」、「横溝正史シリーズ」、「戦国自衛隊」、「復活の日」などがその代表作だが、本日私が紹介したいのは、当時、社長の角川春樹の一案で、路線変更でアイドル女優を生み出そうと打ち出した。オーディションで選び、角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子・渡辺典子・原田知世の3人は角川3人娘と称され、薬師丸は『セーラー服と機関銃』、原田は『時をかける少女』がそれぞれ出世作となった。彼女らはテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した。彼女たちが歌った主演映画の主題歌が『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』にランキングされても「事務所の方針」の名目で出演を辞退させていたが、自社雑誌『バラエティ』を1977年に創刊して情報の発信をしていた。私は同世代なので、もちろんライブで彼女たちの主演作や活躍ぶりをつぶさに見ていたため、この記事を執筆することは、自らの青春時代を回顧することに等しい。ではさっそく一人ずつ振り返りながら見ていきたい。

 薬師丸ひろ子

 現代の若い人には「あまちゃん」に登場した「鈴鹿ひろ美」役のイメージが強いかもしれないが、彼女は角川文庫の一般公募の中から選ばれたシンデレラガール。あの高倉健さんと親子を演じた「野性の証明」でデビュー。その後、「セーラー服と機関銃」、松田優作と共演した「探偵物語」や「メインテーマ」でその人気を不動のものとした。また、歌手としてもベストテン歌手の仲間入りを果たした。何を隠そう、私は彼女と同世代。同い年だ。彼女の登場時のセンセーション振りや彼女が高校を卒業し、玉川大学に進学を決めた際には、同大学への志願者が急増したエピソードがあった。

原田知世

 彼女のイメージも「私をスキーに連れてって」のヒロインほうが強いかもしれない。清楚でおっとり系のお嬢さんという印象だった。「時をかける少女」で一躍有名になった。ショートカットのボーイッシュなイメージで登場したが、いつしか時代の要求とマッチして、歌手デビューしてもベストテンにランクインすることとなった。出演はほかに、映画を中心に「愛情物語」「天国に一番近い島」「早春物語」、「彼女が水着に着替えたら」などがある。

http://www.youtube.com/watch?v=lJoj08Zs280

 渡辺典子

 3人娘の中では一番美人だった。大人っぽいイメージで、お嬢様を絵に描いたような美少女だった。映画「晴れ時々殺人」や「いつか誰かが殺される」、「結婚難内ミステリー」、テレビドラマ「明日を殺さないで」など、ミステリー系を中心に、その時期に立て続けに出演し、マスコミやテレビへの露出度が高かった。

http://www.youtube.com/watch?v=Yu_x3P9ZWPM

 私は「花の色」が好きで、レコードまで持っていた。残念ながら、YouTubeなどの動画サイトにはアップされていないので掲載できない。ニコニコ動画のアドレスをリンクしますが、ログインが必要です。

 不思議なことにO型の角川春樹の趣味なのか、この3人娘の共通点は血液型がA型であったこと。当時は山口百恵、松田聖子、中森明菜など、大成する大物アイドルはA型が多かったせいなのか、同じようなお嬢様・お嬢さん風の3人を選び、自社制作の映画の主演に大抜擢した。しかし、いずれもこれらの映画は当たり、当の本人たちも女優だけでなく、歌手としても大ヒットすることとなった。ジャニーズに始まり、おニャン子、モー娘。、AKBグループとプロモーション戦略の重要性が認識できているが、この当時も販売戦略や宣伝効果によって、世間を巻き込んでの一大ブームを取り込んだのだった。

 記事作成:3月2日(日)

想い出の福島県内のテレビ局女子アナ(前編)

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 これまで何度も女子アナのテーマで記事を書いてきたが、今日は、縁あって福島県内民放テレビ局に就職し、報道局のアナウンサーとして活躍していた方を取り上げたい。福島県内出身者は少なく、主に関東地方出身者が多い。また、契約アナとして限られた期間だけアナウンサーとして勤務されていた方もいるし、契約切れ、あるいは寿退社したり、フリーに転向されるなどして福島県を去って行った方々もいる。一時期だけでも県内の放送局に在籍し、活躍された方々を紹介したいと思う。福島県民の方々は、懐かしく思い出されることでしょう。ではさっそくどうぞ!

 <福島テレビ(FTV)>

 住友真世(1988年入社、1993年退職) - 共同テレビジョンに移籍。

 FTVテレポートなど、主に報道番組で活躍。その後NHKのBSニュースのメインキャスターなどを担当していた。とにかく美人で才色兼備のアナだった。徳島県出身で血液型はA。

  • 徳島文理高等学校、1988年国立音楽大学声楽科卒業。
  • 1988年 福島テレビにアナウンサーとして入社。夕方のニュース番組「FTVテレポート」、「金曜ニュース一番星」など報道番組をメインに活躍。
  • 1993年 福島テレビを退社しフリーとなる。フジテレビ「FNNスーパータイム」のリポーターおよびスタッフ。日本テレビ 「関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!」アシスタント。
  • 1995年 福島女子短期大学 生活教養科・秘書科(客員講師)。
  • 1996年 NHK衛星第1「ワールドニュース」キャスター。
  • 1997年 NHK衛星第1「BSニュース50」キャスター。
  • 1998年 NHK衛星第1「ワールドニュースBS22」キャスター。
  • 2002年 NHK衛星第1「ワールドニュースBS23」キャスター 。
  • 2003年 テレビ東京「ワールドビジネスサテライト土曜版」キャスター。経済産業省主催「スピンオフ・ベンチャー推進フォーラム」総合司会。
  • 2004年 株式会社インテリジェンス主催「『はたらくを楽しもう』を考える2日間」司会。第38回日経健康セミナー21「家族で考える禁煙~タバコの問題は家族の問題~」コーディネーター。
  • 2005年 「NIKKEI 丸の内キャリア塾 Specialセミナー in 恵比寿」コーディネーター。日経BP社主催「人材活用戦略セミナー」モデレーター。
  • 2006年 「NIKKEI 丸の内キャリア塾 Specialセミナー12/4」コーディネーター。
  • SumitomoSumitomo2

     荒井律(1995年入社、2003年退職)

     1972年5月7日生まれ。会津若松市出身。武蔵大学経済学部卒業。1995年福島テレビに入社。フジテレビ社員と結婚後、2003年3月に出産のため退社。「FTVテレポート」のメインキャスターを務めた。私の自宅に高橋雄一アナが突然訪問し、生中継でサイコロ転がして、ボローニャのパンをもらったことがある。その時のスタジオでの「テレポート」MC担当が荒井律アナウンサーと金井淳郎アナウンサーだった。血液型はA。

    Arai

     長久保智子(1995年入社、2000年退職)

     福島県福島市出身。福島県立福島女子高等学校、日本女子大学生物学科卒業。高等学校教員免許(理科)を取得。福島テレビに1995年に入社、2000年に退社。女性アナウンサーとしては珍しい理系出身である。血液型はA
     フリーアナウンサーとしてはクリエイティブ・メディア・エージェンシー(現:キャスト・プラス)所属を経て、現在はセント・フォースに所属。

    Nagakubo

    http://www.youtube.com/watch?v=y4ioRq5KY4U

     原田幸子 (1996年入社、2011年7月退職)

     早稲田大学人間科学部を卒業後、1996年に福島テレビへ入社。夕方の報道番組を中心に活躍してきた。2005年春改編で「Lばんスーパーニュース」がリニューアルするのに伴い、産休に入ったが、FNS26時間テレビが始まる頃から復帰した。2011年7月末をもって福島テレビを退職した。第二子を妊娠しており、出産・育児に専念するためとのこと。風の便りでは、郷里の金沢に戻ったようだ。一時震災の原発放射線から避難するために長年勤めた福島テレビに辞表を出したと噂が渦巻き、県民は或る意味で失望したが、事実は不明。血液型はO

    Harada

     関口由香里(2000年入社、2013年7月退職)

     埼玉県朝霞市出身。成蹊大学を卒業後、2000年に福島テレビ入社。福島テレビの地上デジタル放送推進大使も務めていた。2003年には、『めざましテレビ』に専念するため降板した大学の後輩でもある高島彩(フジテレビ)の後任が決まるまで『スーパー競馬』の司会(福島開催分のみ)を務めたほか、2007年8月27日から31日までは、夏期休暇をとった島田彩夏(フジテレビ)の代理として『FNNスピーク』のサブキャスターを担当、1987年の開始以来初めて、オープニングの挨拶に番組名である「スピーク」を入れた。血液型はB
    2013年7月末、福島テレビを退社

    Skiguchi

    http://www.youtube.com/watch?v=3zD8We2xBF0

     山元香里(2005年入社、2007年9月退職)

     埼玉県さいたま市出身。身長162cm。血液型AB型。愛称はカオリン。セント・フォース所属。私立星野女子高校卒業後、法政大学経営学部経営学科に進学。在学中に政治・経済・社会・国際問題を扱うブロードバンド番組『ハイパー時事研究所』にキャスターとして所属、経験を積む。
     2004年第24代ミス熱海梅娘。2005年3月に法政大学を卒業し、同年4月に福島テレビ入社。2007年9月に福島テレビを退社、フリーとなり、セント・フォースに所属する。現在、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程在学中。

    Yamamoto

    http://www.youtube.com/watch?v=tqdMt3073do

  •  
  •  多田紗耶子(2007年入社、2012年3月退職)
  •  山形県出身。身長153cm。靴のサイズ22.5 - 23cm。血液型AB型。千葉県立千葉東高等学校、日本女子大学 卒業。
  • Tada

     田井麗花

  •  大阪府寝屋川市出身。血液型はAB。電波少年的放送局の専属アナウンサーオーディションでは決勝まで残ったらしい。
  • 2004年3月~2006年9月福島テレビ契約アナウンサー。「サタふく」やニュースを担当。
  • 2006年10月 フリー。
  • 2011年1月19日から同年12月29日までQVCナビゲーター。
  • 2012年1月から同年3月末までサンテレビ契約キャスター。
  • Tai

  •  名和田知加(2007年入社、2013年3月退職)
  •  東京都出身。 中央大学文学部を卒業後、2007年に福島テレビへアナウンサーとして入社。2013年3月に福島テレビを退社。2013年4月からエス・オー・プロモーション所属のフリーアナウンサーとして活動。血液型はB
  • NawataNawata2

    http://www.youtube.com/watch?v=kjLoglPAotc

     伊藤里奈

     三重県出身。青山学院大学法学部卒業。2003年から2006年3月まで秋田朝日放送のアナウンサー、2006年4月から2008年9月まで福島テレビの契約アナウンサーを経て、2008年10月からはフリーで活動している。

    Itorina

     <福島中央テレビ(FCT)>

     雫石多都子(1979年 - ?)

      報道部→制作部→編成部。福島第1原発3号機の水素爆発放送にも関わった。メガネがトレードマークの女子アナで、長らく報道部に籍を置いたが、その後、配置換えを経験。今では重鎮として重要ポストにいる。

     小林典子

     福島県会津高田町出身。宮城学院女子短期大学卒業。会津高田町主催のミスあやめを務めた後に1983年にFCTに入社。以後報道番組を中心に数々の番組を担当。2000年アナウンス職を離れ、福島支社報道部長、報道制作局報道部長を務める。そのため東京等での報道取材や福島支社などから中継で登場することがあった。報道部長時代に東日本大震災を経験、その後現職。

     中川久美

     山梨県甲府市出身。血液型A型。山梨県立女子短期大学国文科卒業後、1988年に福島中央テレビ入社。「ゴジてれシャトル」ではメインキャスターや18時台のニュース担当キャスター含め13年間務めた。ゴジてれシャトル降板後はアナウンサー職などを務める傍ら、在宅ホスピスなどといった医療問題に関する取材を行った。2009年3月に人事異動でアナウンサー職から離れ、現在は制作部に所属。

    Nakagawa

     岡部恵久子(1975年 - 1996年)詳細は未記載。

     安部真由美(1994年 - 1999年)

  •  静岡県富士宮市身。青山学院大学卒業後、1994年に福島中央テレビにアナウンサーとして入社。2000年に同社を退社後、ブルームバーグテレビジョンニューヨーク特派員、日本テレビ外報部記者、日経CNBC報道解説部キャスターを歴任。 日経CNBC在籍時には、2008年9月までキャスターとして出演。「ウィークリーラップ」の最終回(2008年9月26日放送)での本人の発言から、その後は英語放送を担当していたほか、2009年3月ごろにはレギュラー出演者の代役で番組出演することがあった。
  • その後出産を機に日経CNBCを退社して、キャスター業を引退。現在は一児のママ。
  •  田部井華子(1999年 - 2007年)
  • 埼玉県越谷市出身。亜細亜大学卒業。1999年アナウンサーとして福島中央テレビ入社。
  • 2007年育児専念のため、福島中央テレビ退社。
  • Tabeihanako

  •  中山由佳(1996年 - 2012年)
  • 福井県立藤島高等学校を経て慶應義塾大学卒業後の1996年、福島中央テレビに入社。かつては夕方の情報番組メインを張るほか、地上デジタル放送推進大使も務めていた(2010年現在は大橋聡子が引き継いでいる)。2012年9月、結婚。同年12月、福島中央テレビを退社と同時に妊娠をブログなどで公表。血液型はAB

    Nakayama

    *掲載した画像は、各放送局のHPのブログ等から拝借いたしました。

     記事作成:2月23日(日)


    想い出の福島県内のテレビ局女子アナ(後編)

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     本日は昨日に引き続き、「福島県内のテレビ局アナウンサー」として活躍された女子アナを取り上げた記事の後編をお送りしたい。本日は民放の「福島放送(KFB)」と「テレビユー福島(TUF)」の2局をお送りしたい。さっそくどんな女子アナがいたか振り返りたい。

     <福島放送(KFB)>

     羽藤淳子

     郡山市出身の女子アナとして活躍。毎週土曜日朝放送の自主制作番組の「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」のメインキャスターとして活躍。1990年4月から1998年9月末まで放送していた土曜朝のローカル情報番組である。開始当初は朝7時30分からの30分番組だったが、1991年4月からは放送時間を7時からの1時間に拡大し、タイトルの後に「Lサイズ」とついた。時には高視聴率を記録した時期もあった。この番組は私も大好きで、名物コーナーがいろいろあった。目玉焼通信(視聴者からハガキで天気予報の依頼を元に鹿野さんが解説する) 、お天気名人(羽藤アナが各地の名人に電話を掛けて、その地の言い伝えをもとに翌日のお天気を予想してもらう)、ゴイシが行く(初代キャラクターのぬいぐるみの「ゴイシくん」が、県内をかけまわる) 、福島お宝珍道中(池田アナが訪問した町の人の物を物々交換して県内各地を進むもの) 、ロマンティックレールトレイン(福島県内の鉄道の駅を巡るというもの) 、名探偵ポアン(視聴者から寄せられた福島各地の謎を解くというもの) など見所はたぶんにあった。その後、平日夕方のニュース報道バラエティ番組「ふくしまスーパーJチャンネル」にも出演した。寿退職。血液型はA

    Hato

     益子直美1990年入社)

  •  中央大学卒業後、1990年に福島放送に入社。
  • 1993年6月に留学のため退社。帰国後の1995年4月にテレビ新潟に移籍。
  • テレビ新潟時代の1995年7月に全日本プロレス中継でプロレス実況を担当、日本初の女性プロレスアナウンサーとして話題になった。週刊プロレス誌で、かなりのファンであることを報じられていた。1998年5月に退社し、関西を拠点に活躍。 退職後、テレビ新潟→現在関西でフリーアナウンサー。福島放送「益子直美」→テレビ新潟「川尻直美」→現在「益子なお美」。血液型はAB
  •  奥山美香(1993年入社)

      現姓・織田。2000年?退職

     立川陽子(1998年入社)

     とても可愛いらしい、テレビ朝日にいてもおかしくないほど洗練された美人アナだった。「ニュースステーション」にも地方局のアナとしてピンチヒッターでキャスターを務めたことがあった。2003年結婚退社。

    Tatikawa

     平方恭子(1993年入社)

     2003年退職後、現在は仙台でフリーアナウンサーとして活躍中。

    Hirakata

     丹野麻衣子(2006年入社)

    2009年報道部へ異動し、2010年3月に退職後、4月から北海道文化放送へ移籍。

    Tanno

     坂本洋子(2007年4月 - 2010年3月)

     神奈川県相模原市緑区出身。神奈川県立城山高等学校→法政大学社会学部卒業。
     大学在学中にテレビ神奈川の情報番組「みんなが出るテレビ」の女子大生リポーターの出演の他、家庭教師のトライの「T-1グランプリ」、マイクロソフトのパブリシティなどに出演した。
     2007年4月~大学卒業後、福島放送に契約アナウンサーとして入社。2010年3月、福島放送を退社。2010年4月、静岡第一テレビ入社。血液型はO

    SakamotoSakamoto2

     二階堂恵美

  •  成城大学経済学部卒業。2003年4月、本田技研工業入社。「Hondaスマイル」17期生として勤務。2007年4月、福島放送入社。2009年、ANN報道月間賞、KFB社長賞受賞(強盗犯逮捕の現場取材にて)。2010年9月、福島放送を退社。血液型はA
  • Nikaido

     高島英里奈(2010年4月 - 2013年3月)

     神奈川県藤沢市学歴白百合女子大学文学部フランス語フランス文学科身長148cm 血液型A型趣味クラシックバレエ。現在はレディオ湘南→ ジョイスタッフ所属。

    Takashima

    http://www.youtube.com/watch?v=MIeKOkQ14GU

     <テレビユー福島(TUF)>

     丸山有希子(1992年 - )

     外岡いつ美1992年 - )

     中野知美(1998年4月 - 2003年3月)契約アナで現在フリー

     福島県会津若松市出身。身長157センチ、血液型O型。
     福島県立会津女子高等学校、新潟大学法学部法学科卒業。
     担当番組「ニュースの森ふくしま」

    Nakano

     柳沼愛子(2001年 - 2008年3月)

     鹿児島県鹿児島市生まれ(その後福島県郡山市で育つ)。高校時代に、福島中央テレビのゴジてれシャトルに素人として出演したのをきっかけにアナウンサーを目指す。安積女子高等学校、玉川大学文学部卒業後、2001年テレビユー福島に入社、2008年3月末退社。

    Yaginuma

     佐藤明日香

  •  埼玉県飯能市出身。立教大学社会学部卒業。2002年越後湯沢ミス駒子。
  • 2003年 テレビユー福島入社。日本の伝統芸能が好きで、民謡、落語、盆栽を趣味としており、県内の民謡イベントで自らの民謡を披露したことがある(「まるとく」の最終週には佐藤明日香特集として番組の中で民謡を披露)。2006年4月 - 信越放送契約。
  • Sato

  •  
  •  唐橋ユミ1999年 - 2004年)

    福島県立会津女子高等学校から、実践女子大学文学部英文学科を卒業した後、高橋圭三主宰の圭三塾へ。その後テレビユー福島に契約社員として入社。朝の情報番組や夕方のニュースを担当したが、2004年3月に退社して上京した。三桂に所属して、在京キー局の番組に出演している。レギュラー出演中の『サンデーモーニング』では、手書きのフリップ、クレヨンで描いたイラスト、段ボールで作ったミニチュア模型など、全て自作の小道具を用いて、解説を行う。今山佳奈の退任後、2008年12月よりスポーツコーナー(週刊御意見番)担当となった。ナイロンフレームの眼鏡をかけて出演することが多い。血液型はO

    Karahashi

     山田幸美(やまだゆきみ:2006年 - 2009年3月)

  •  静岡県南伊豆町出身。中学はバレーボール部所属。高校では新体操部所属。
  • 明治学院大学国際学部卒業。テレビ朝日アスク受講生。
  • 2006年 テレビユー福島に契約アナウンサーとして入社。2008年正社員登用
  • 2009年3月30日、広島ホームテレビに契約アナウンサーとして入社。
  • 2014年1月31日、広島ホームテレビ退職。
  •  TUF時代は「グーテン」のメインキャスターとして活躍。福島県民に人気高かった。血液型はO
  • Yamada

  • http://www.youtube.com/watch?v=VAGLbrV78R4
  •  藁谷麻美(2005年4月 - 2006年3月) 
  • Waragai
  •  上條麻里奈(2007年4月 - 2012年3月)

  •  東京都出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。日テレ学院出身。
  • 大学時代は放送研究部所属。塾講師アルバイトも経験。
     2007年4月〜2012年3月 テレビユー福島契約アナウンサー。2012年4月からフリーへ転向。圭三プロダクションに籍を置いている。
  •  彼女はとにかく美人で、笑うとできるエクボがチャームポイントだった。血液型はO
     TUF時代は、「グーテン」や「DOエイトユアセルフ」に出演していた。今はNHKの夕方の番組のレポーターも担当している。
  • Kamijyo

    http://ameblo.jp/sunflower-2012/

     児玉理恵(2008年4月 - 2013年3月)

     2002年 - 秋田県立能代北高等学校卒業。秋田県山本郡三種町出身。跡見学園女子大学大学院マネジメント研究科マネジメント専攻修士課程修了。2008年4月 - テレビユー福島の契約アナウンサーとして、入社。2013年3月 - テレビユー福島を退社。
     2013年4月 - フリーアナウンサーとして活動フリー、転身後も2013年9月までTUF NEWS LIVE スイッチ!のキャスターを継続出演。血液型はA
     局アナ時代は「DOエイトユアセルフ」やニュース、天気予報を担当していた。鼻が高く、色白で、秋田美人だと思っていた。

    KodamaKodama2

    http://www.youtube.com/watch?v=yaILtW7DPIY

     さて、今回の記事はいかがでしたか?何か、局アナとしてテレビに出演していた時には、これといって特別な感情はなかったが、いざ辞められたとなると、寂しいものがある。中には退社されたことすら知らなかった方もいるのではないでしょうか。僅か数年の契約で限られた期間しか福島県に滞在しなかったかもしれませんが、縁があって同じ空間で同じ時間を共有できたことを嬉しく思う。幸福な時間を提供してくれた彼女たちに感謝し、新天地でのご活躍を心からお祈りしたいと思う。

     記事作成:2月23日(日)~24日(月)

     福島県いわき市出身。2000年、地元の高校卒業後大妻女子大学短期大学部に進学。その傍ら東京アナウンスアカデミーにも在籍し、幼少期の頃から憧れていた声優を目指す。  
     2002年、短大卒業と共に81プロデュースに入所し声優活動を開始。
     2005年に声優業を辞め、同年4月地元のテレビユー福島に入社し、契約アナウンサーとして1年間勤務。契約満了後の翌年4月テレビ大阪に移籍し5年間勤めた。女性アングラーとしても知られる。血液型はA

    3分間のオシャレTIME~ハートカクテル~

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     震災前の2010年12月にも同様の記事を当ブログで書いたことがある。1980年代から90年代は豊かな時代だった。バブル景気に踊り、物資的にもメンタル的にも誰もが明るい毎日だった。私が20代だったそんな時代に、まるで恋愛バイブルとも思えるようなアニメがあったのをご存知でしょうか。わずか3分ほどの短い時間に凝縮されたドラマティックな時間。美しい映像と、ほどよくマッチしたオシャレなBGM。わたせせいぞう著の「ハートカクテル」だ。天井の回転扇がゆったり回る深夜のカクテルバー。カウンターに横並びの男女。色とりどりのカクテルに気の利いた甘い会話。珠玉のひととき。シェイカーの小気味よくリズミカルな音がオーバーラップするように重なる。そんな映画の一コマのようなストーリーが展開した。今日は、私が夢中で見て、真似ていた「ハートカクテル」を回顧し、昔の自分や時代を振り返ってみたい。

     1 「サリーの指定席」

     2 シンデレラエクスプレス

     3 「2秒で通過した駅」

     4 「夜行列車」

     5 「ノックをしなかったサンタクロース」

     6 「ボクたちのテーブル」

    http://www.youtube.com/watch?v=aQNPp8DO_PQ

     7 「セピア色のスマイル」

    http://www.youtube.com/watch?v=iDtPYx7nZKM

     8 「3年前の切符」

    http://www.youtube.com/watch?v=CtKkPVbaP6w

     9 「ジェシイの店」

    http://www.youtube.com/watch?v=Z1CrjfQT5Gc

    10 「コスモスアベニュー」

    http://www.youtube.com/watch?v=Le3YMFhtbP0

     何を隠そう、私はこれらのCDを所有していた。今も実家のどこかに閉まってあるはずだ。「タイトル」もオシャレだし、絵のタッチも最高。あの時代に、大人の世界観を描き、時代をリードするかのような恋愛模様。男としての憧れの生き方であり、究極の到達点でもあった。多少キザでもあり、ダンディズムを彷彿させるようなハイセンスでいて、それでいてどことなくセピア色の記憶にスポットを当て、彩を添えるかのような独特な世界。ファッションのお手本であり、恋愛バイブルでもあった。いずれにしても、僕が一番大好きな時間だった。

     また機会があったら夢の続きを一緒に見ていきたいと思います。

     記事作成:2月8日(土)

    特命リサーチ傑作選

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     かつて日テレ系で日曜日の20時から放送していた「特命リサーチ200X」という番組を覚えていますか。従来の概念では証明できないような謎や不思議な現象を、敢えて科学の力で分析し、検証しようという番組コンセプトだった。毎回、クライアントと呼ばれる情報提供者からの依頼を受け、さまざまな視点から、その謎を解き明かしていく。佐野史郎、高島礼子、稲垣吾郎、菅野美穂などもFAR-EASTリサーチ社の研究員として、数々の難題に挑み、調査にあたる。そして結論は調査ファイルとして保存されるが、時に調査続行となる場合もあった。では、記憶に残る依頼をいくつか取り上げ、例証したい。

     1 スノーボードは危険なのか?

     今や、スキー場に行くと、若者の大部分はボードに勤しみ、その割合は、7:3らしい。かつてスキーブームがあった1980年代は、どこのスキー場も大変な賑わいで、リフト待ち30分はザラだった。しかし、ボードは怪我をする割合がスキーの比ではないという。両足を1枚の板に固定され、斜め方向や横向きで滑るそれは、ちょっとした段差でも後方に倒れやすく、一度点灯すると、急所である後頭部を打撲しやすい。しかも初級用のなだらかな緩斜面では、倒れる際の角度が大きすぎるため、倒れ幅が長くなり、衝撃が大きくなる。特に、自分の腕前を過信し、障害物やハーフパイプなどでジャンプを多用するこのスポーツは、それだけ衝撃を大きく受けやすい。進行方向が前向きのスキーに比べ、視界が確保しにくく、少しのコブや段差でもエッジが引っかかり、転倒しやすいということだ。愛好者はぜひ注意されたし。

     2 謎の現象 ドッペルゲンガーの正体を調査せよ!

     自分に瓜二つの人は世界中に3人いるといわれているが、それを目撃すると、自分の死期が近いことを意味する。怖い前兆を意味する。

     3 死後の世界は存在するのか①

     続きはコチラ http://www.youtube.com/watch?v=5GYyY8jJ6bY

     臨死の際に見る映像には、或る特徴がある。仮死状態にあったり、死の淵を彷徨った人が見る残像。それは、幽体離脱して、自分の亡骸を天井付近から傍観している。また、暗いトンネルを抜けると、明るく、温かいお花畑が広がり、天使たちが遊び、そして川の向こう岸に、先に亡くなった身内や家族が出迎えてくれる。思いがけぬ再会に、その川を渡ると、あの世へ行ってしまうというもの。果たしてこれは本当なのだろうか。死ぬ寸前は、神様が苦しみから解放し、ご褒美を用意してくれているのか。その真偽は自分が死ぬ間際でないと体験できないだろう。

     4 血液型に秘められた謎を追え①

     続きはコチラ http://www.youtube.com/watch?v=w9eP51Hwigg

     私が尊敬する「能見正比古」の「血液型別性格診断」の本が一大ブームを巻き起こしのはもう35年以上も前。私がバイブルとしてそれに感化され、自分なりに人間観察を重ねて得られたデータを、これまで本ブログで紹介して来た。この番組でそれを取り上げたなどとは知らなかったが、血液型ごとに面白いほど共通事項があったり、傾向が似通っているのは興味深い。能見氏はB型で、野村克也(B型)張りの凝り性で、緻密なデータ分析が信条だった。これらをさらに専門的解析を施したのがこの番組だった。

     他にも、日本人が興味を持ちやすいようなテーマを取捨選択して調査を繰り広げた。以下、面白そうなテーマは以下の通り。

    「やってはいけない禁断のダイエット方法」

    http://www.youtube.com/watch?v=gUdZINDYbGM

    「バミューダトライアングルの謎」 http://www.youtube.com/watch?v=RWu2N2E2EEg

    「ピラミッドパワーの謎を解明せよ」 http://www.youtube.com/watch?v=Jp5foXaB0yM

    「巨大地上絵の謎を追え!」 http://www.youtube.com/watch?v=5wDcFz1ahho

    「地球外生命体は存在するのか」 http://www.youtube.com/watch?v=l1fSawPFDPc

    「日本人はなぜ英語が苦手なのか」 http://www.youtube.com/watch?v=AHOvtMZKmsA

    「人は眠らないとどうなるのか」 http://www.youtube.com/watch?v=YUvnfg5fOv8

    「幽霊トンネルの謎を解明せよ」 http://www.youtube.com/watch?v=DUYjJJWvVws

    「熊に襲われない方法」 http://www.youtube.com/watch?v=hp7ZiObiuac

    「忍び寄る放射線の恐怖」 http://www.youtube.com/watch?v=sMdLyVVstK4

    「宇宙からの落下物を調査せよ」 http://www.youtube.com/watch?v=7Xh0ZEgWtKY

    「死者の呪いは存在するのか」 http://www.youtube.com/watch?v=N74P2_XUcwE

     さて、懐かしんでもらえたでしょうか。この番組は1990年代に高視聴率をマークしていた。誰しも得体の知らないものや解明できない謎に興味や関心を寄せる。その難しい命題に果敢に挑んだ結果、企画的に成功を収めたということだ。こうした不可解な事象を科学的に解明する番組はNHKのウルトラアイが草分けだった。実験を通して得られた正確なデータからある結論を導き出そうという狙いの番組だ。最近は、このようなノンフィクションのドキュメンタリー番組が少なくなった気がする。あるある大事典などはヤラセやデータ捏造や改ざんが問題となり、番組打ち切りの憂き目にあった。しかし、21世紀を迎えた現代においても、まだまだ科学では証明できないような心霊現象や奇怪な事象が世界各地で起きている。ぜひこのような番組を手本として、視聴者が飛びつくようなコンセプトとテーマで番組を制作してほしいと思う。

     参考(Wikipedia)

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%91%BD%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81200X

     記事作成:2月9日(日)~2月10日(月)

    今週の山岸舞彩キャスター(3/17~3/20)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     3月17日(月)  

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     3月18日(火)

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     3月19日(水)  

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     3月20日(木)

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    今では懐かしい「武富士ダンサーズ」

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    以前、当ブログの同様の記事で「メジャー化する消費者金融」について書いた記憶があるが、最近CMで「武富士ダンサーズ」を見かけないと思ったことはないだろうか。1990年代のテレビCMで、「コカコーラ」と並んで人気No.1と言えば、このCMだった。まずは歴代のCMシリーズをご覧いただきたい。  

     

     

     


    It's got to be your love
    The only love I fall
    And oh… You are the angel of my life

    It's got to be my heart
    Beating besides you all night long
    And oh… I wanna get closer to you my love

    Until the day I die girl
    I'll be your everything and
    Woh…(Woh…)Woh…

    Won't you take my hand  ←CMで使われた部分はここから
    For I will be your man
    So tonight we gonna dance the night away
    One and one is two
    Don't you be so cruel
    Synchronize this love is what we've got to do
    All the time we'll be together
    'cause it's yours and mine
    Forever we're in this love thing

    Tomorrow never knows
    Wise man can tell me so
     
    But oh… He never saw your dark brown eyes

    I love the way you smile
    Shine on me babe all day long
    And oh… I wanna get stronger for you my love

    I feel the love in motion
    All together all in time so
    Woh…(Woh…)Woh…

                                        
      

    ジョーリノイエの「SYNCRONIZED LOVE」に乗せて「武富士ダンサーズ」たちが、フラッシュダンス張りの小気味いい、躍動感溢れるダンスを披露し、一躍大ブレイクした。そのCMは瞬く間に話題となり、学校の文化祭や結婚式の余興などで早速真似して踊られ、場を大いに盛り上げたものだ。

    1990年に始まったこのCMだが、当初は女性3人がレオタード姿で踊る寂しいものだったが、ちょうどジャスダンスが隆盛していた時期と相まって、問い合わせが殺到し、翌年には「武富士」が正式にCMとして採用。12名の男女混成チームユニットを結成して、曲に合わせてよりパワフルに踊りまくり、一種のブームとなった。そして幾つかの異なるヴァージョンが制作された。例えば、踊る前のロッカールームの場面を台詞入りで流し、次第にドラマ化していった。1998年にはメンバーを15名に増やした。

    この頃の「消費者金融」業界は日の出の勢いで、昔の「サラ金」のような暗いイメージや「ヤクザが取り立てにやってきて脅迫する」という怖いイメージを払拭し、誰でも気軽に借りられるお手軽キャッシングを謳い文句にしていた。それで多重債務や自己破産した人も大勢いたが。特に各社のイメージアップ作戦はすさまじく、イメージソングを作り、キャラクターとして、若い女性を相次いで起用した。アコム(むじんくん)は小野真弓(O型)、プロミスは安田美沙子(O型)、プロミス(現在はSMBCコンシュマーファイナンス)がマイケル富岡を起用した「いらっしゃいマシーン」と井上和香(O型)、さらに「ほのぼのレイク」や「アイフル」(清水省吾とチワワ犬のくぅ~ちゃん)などで親しみやすい雰囲気作りに躍起だった。その最たるものがこの「武富士ダンサーズ」だった。

    懐かしい各社の代表的なCMはコチラをクリック!

     

    「アコム」 http://www.youtube.com/watch?v=OP2JRAY3c5I

    「レイク」 http://www.youtube.com/watch?v=EtG5EiZLhOQ

    「アイフル」http://www.youtube.com/watch?v=W8yEHPJQja8

    「プロミス」http://www.youtube.com/watch?v=DtUlF-T_FTc

     

    しかし、好景気は長く続かず、バブル崩壊以降、徐々に下火となり衰退の一途をたどった。2001年には武富士の会長が逮捕され、CM放送が自粛。その後TRFSAMなどが振り付けを担当して、武富士ダンサーズを復活させて巻き返しを図ったが、2010年に「武富士」が東京地裁に会社更生法を申請し、倒産した。その煽りをもろに受けたCM制作会社も自己破産に追い込まれ、事実上「武富士ダンサーズ」の活動にも終止符が打たれた。

     1990年代の当時は、郡山市内のあちこちに「消費者金融」の店舗や無人ATMが設置されていた。もちろん武富士も例外ではない。その店舗跡はコンビニや他業種の店舗が入っている。また潰れたGSを買収して「武富士」に改装開店したケースも多かった。

     そして今、時代は流れ、かつての金回りの良かった時代は終わり、長引く不況で金融業界は統合や吸収合併や買収などを繰り返し、今に至っているのは周知の事実だ。よもや旧大財閥同士が経営統合しようとは思いもしなかったし、証券会社や大手銀行が潰れるなど予想した方はいなかった。私が大学生だった1980年代は、三菱銀行、三井銀行、住友銀行、第一勧銀、日本興業銀行、富士銀行などが最大手で、山一、日興、野村、フコクなどを始めとする証券業界も花盛り、生命保険会社も日生を筆頭に、第一、明治、住友、朝日などが幅を利かせ、また損害保険なども幅広く事業を展開し、商社と合わせて、金融業界への新卒就職希望者も多かった。それが今や、かつての業績とは雲泥で、株価や円相場は頭打ち。各社とも経営は火の車状態が長く続いている。バブルで踊ったそのツケを、こんなに長く背負わせられるとは思いもしなかった。

     私が思うに、景気回復の尺度はこうした金融業界の復活と復権にかかっているように思う。収入アップの実感もないまま、消費税をはじめとした増税傾向では消費活動が停滞するのは当然のことで、一般庶民を苦しめる一方である。江戸時代当時の厳しい年貢の取立てと何ら変わらない。唯一違うのは、庶民が政府の言いなりで、自分の意見や主張をしなくなった点だ。百姓一揆や一向一揆のような反乱がおきることはまずない。生活が苦しいのは事実なのだから、もっと政府に物申す庶民にならなければならない。我々から巻き上げた血税を、政府は外国に年間何百億円も援助目的で無償で提供しているのだから、まずは国内の景気回復や地域振興の名目で経済回復に取り組むべきなのだ。アベノミクスというと何か特別な政策を施行しているようで聞こえはいいし、見栄えはするが、期待感だけで、実効が伴っていないのだ。我々は見せかけだけの景気回復策に騙されてはいけない。かつてのオリンピック景気、岩戸景気、いざなぎ景気、バブル景気、高度経済成長期のような発展的かつ継続的な経済成長がなければ、日本経済は中国経済にやられっぱなしで終わってしまう。中国のわがままや横暴を許してしまう結果に陥るのだ。

     政府には、目に見えてわかりやすい経済政策、あるいは金融政策と実感のある景気回復策を期待したい。そしてテーマにあるように、懐かしさで終わらずに活気ある「武富士ダンサーズ」が再び復活できるような日本経済を構築してほしいと願いたい。

     

     記事作成:2月5日(水)

    究極の選択 Part 2

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     だいぶ前に第一弾と称してこの記事を書いたが、後が続かなかった。今回ようやくネタらしきものが溜まったので、この機にどうにか紹介したい。でもはっきり言って今日の記事はつまらないので、更新時間も21時としたい。

     さて、この記事を書こうとしたきっかけは、幼児体験にまで遡る。少々汚い話で恐縮(というより食事中にご覧になっている方はご遠慮願ったほうが無難)だが、小学生時分に。よく友達とした話題で「うんこの味がするカレー」と「カレーの味がするうんこ」。どちらか食べないと死んでしまうと言われたら、あなたはどちらを選ぶ?というような類の選択がそれだ。当時は、ほとほと返事に思案したものだ。今回は決まったテーマに沿ってではなく、アット・ランダムで「エトセトラ編」としたい。ではあなたならそれぞれのお題があった時にどちらを選ぶか。究極の選択に断を下してほしい。

    1 彼氏にするならどっち?

     ①超イケメンだが、女遊びなど浮気ばかりしている。
     ②ブサメンだが、性格が良くて自分だけを見てくれている。

    2 結婚するならどっち?

     ①金持ちだが愛のない家庭
     ②愛に溢れているが、貧しい家庭

    3 タイムマシンでどちらかの時代に行けるとしたら

     ①戦国時代
     ②第二次世界大戦中

    4 妻になれるとしたらどちらを選ぶ?

     ①柴田勝家
     ②東条英機

    5 もし嫁に行くとしたらどちらを選ぶ?

     ①アフリカケニアのマサイ族(一夫多妻制の国)
     ②ベネズエラ(世界一治安が悪い国)

    6 もし住むならどっち?

     ①マイナス30度以下にもなる極寒の地
     ②日中は40度以上にもなる灼熱地獄の地

    7 どちらの交通手段を選ぶ?

     ①飛行機で1時間で到着できるが、航空券が3万円もする。
     ②各駅停車で丸2日かかるが、青春18きっぷで4千円で行ける。

    8 どちらの人生を選ぶ?

     ①太く短い人生(豊富な体験をするが30歳で死ぬ)
     ②細く短い人生(80歳まで生きるが想い出になるような出来事が何もない)

    9 見るとしたらどっち?

     ①北欧諸国から見えるオーロラ
     ②宇宙から見る地球

    10 どちらがいい? 

     ①透明人間で何でも見れるが、自分の存在が相手には一切気付いてもらえない。
     ②普通に会話ができるが、相手の本心が読み取れてしまう。

    <ここから先はブラック>

    11 どちらかに絶対立ち会わなければならないとしたら

     ①凄惨な殺人場面の現場
     ②死刑執行場面

    12 前世がそれで終わっているとしたら、どっちがいいか?

     ①ライオンに襲われ食い殺される。
     ②罪人として処刑される。
     ③蛇に丸のみされたカエル

    13 どれなら耐えられる?

     ①毎日カレー ②毎日スパゲッティ ③毎日とんかつ

     ④毎日ラーメン  ⑤毎日ハンバーグ ⑥毎日パン

    14 体験できるとしたらどっち?

     ①人食いザメがうようよいる海でのスキューバーダイビング
     ②高度3000mからのスカイダイビング

    15 怒られるとしたらどっちに怒られたい?

     ①アントニオ猪木 
     ②サザエさんの波平

     人生には重要な決断を迫られる場面に出くわすことがある。人生の岐路でどちらを選択するかでその後の人生が大きく変わることがある。それは就職と結婚が人生最大の転機となることが多い。その会社に入ったがために転勤ばかりで一生を外国で過ごすことになるかもしれないし、思い余って勢いで結婚したが、不幸になったなど。もしタイムマシンがあれば、人生の決断場面に戻って、自分にアドバイスを送れることだろうが、現実ではありえない。いずれにしても即決ではなく、周囲の状況をよくよく考えて的確な判断をしたいものだ。

     記事作成:1月29日(水)

     

     

    貴重な映像集Part 9

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     このシリーズも今日で9回目を迎えたが、今日は、私が幼少期から好きだったアイドルの方々の貴重にして希少な映像をお送りしたいと思う。たぶん、昭和40年前後生まれの方々には懐かしく思い出されるのではないでしょうか。

     1 岡田奈々 「青春の坂道」

    http://www.youtube.com/watch?v=WZzGlOOnM0g

    http://www.youtube.com/watch?v=Sq8xdlNzqKA

    http://www.youtube.com/watch?v=GT6nAttwf_c

    http://www.youtube.com/watch?v=iE8lJ0XwSCc

     1970年代のこの時代には、林寛子、松本ちえ子、桜田淳子、麻丘めぐみらがいた。

     2 桜田淳子 「わたしの青い鳥」

    http://www.youtube.com/watch?v=8zgPXDi9AOE

    http://www.youtube.com/watch?v=rpp1f1Bcn5I

     純白のエンジェルハットがトレードマークだった彼女。色白の秋田美人だった。その後、山口百恵、森昌子と3人娘を結成。「中3~高3トリオ」と呼ばれ、絶頂的な人気を博した。この頃には、アグネス・チャンもいた。

     3 石野真子 「私の首領」

    http://www.youtube.com/watch?v=ukj_u4GVSfo

     この頃(昭和53年)は、ピンクレディーが全盛だった。私が中1の頃のアイドルで、事実私はメロメロで、ファンクラブにも入ってしまったほど熱を上げた。八重歯が可愛くて、ロリフェイス。この「私の首領(ドン)」のメイド風の赤のミニの衣裳が大好きだった。

     4 木之内みどり「横浜いれぶん」

     http://www.youtube.com/watch?v=hzGja1FADUA

     この時代には、小林麻美、大場久美子が人気があった。その中でも木之内みどりは、人気が抜群だった。あまりレコードはヒットしなかったが、ドラマ「刑事犬カール」や映画「野球狂の詩」は人気が高かった。ブロマイドの売り上げは1位だった。

     5 小泉今日子 「素敵なラブリーボーイ」

    http://www.youtube.com/watch?v=X8Cu-0cE7I0

     昨年ブレイクした「あまちゃん」で主人公天野アキの母親役を演じたが、彼女は正真正銘A級アイドルだった。明るくて朗らか。それでいて元気があってファッションセンスがあった。典型的なO型アイドルだと思っている。色白で丸顔。ややぽっちゃり系で顎に特徴アリ。桜田淳子や河合奈保子とも重なる。

     記事作成:2月9日(日)


    年配の方々が泣いて喜ぶ番組OP(前編)

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     人生も半世紀近く生きていると、懐かしい名ドラマや名番組が妙に心に残っている。最近は「YOUTUBE」で簡単に当時の映像を再現でき、嬉しい反面、心の奥に大切に美しい断片映像のまま閉まっておきたいという想いもあった。今回は前編・後編の2回に分けて、そうした特に年配の方々(50代以上の先輩諸氏)が泣いて喜びそうな、懐かしい映像の数々を10番組ほどセレクトして紹介したい。もちろん個人の好みによるため、独断と偏見による部分はご容赦願います。まずは5番組どうぞ!

     まんが日本昔ばなし(常田富士男・市原悦子)

     OP映像は著作権が厳しく白黒映像しか存在しません。あの有名な竜の背中に乗って宙を舞う有名な作品だ。

     実際私の家にあった懐かしいソノシートレコードの「三枚のお札」

     小学校から高校生時代まで、このレコードを自宅にあった卓上プレーヤーで針が擦り切れるまで何度も聴いた記憶がある。

     1975年(昭和50年)に開始。放送枠は30分で、作詞家の川内康範が監修に携わり、川内の娘で童話作家である川内彩友美が企画。毎回日本各地に伝わる昔話が映像化され、市原悦子と常田富士男の両名が一人で何役もの声を使い分ける独特の語りによって紹介する。スタッフに一流のベテランアニメーターやイラストレーターを多数起用された。

     エンディングはコチラ http://www.youtube.com/watch?v=Utn6QUpv5iM

     ありがとう

     看護婦役の水前寺清子、石坂浩二、山岡久乃、沢田雅美、長山藍子、児玉清らが熱演したホームコメディドラマ。ホームドラマ全盛期の1970年代を代表するテレビドラマで、同年代に放送された『時間ですよ』や『女と味噌汁』と共に“ドラマのTBS”の象徴的作品のひとつである。『肝っ玉かあさん』と並んでホームドラマの金字塔を打ち立てた。なおシリーズ最高視聴率は、民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録した。

     どてらいやつ

     1973年から1977年まで関西テレビの企画・制作によりフジテレビ系列で放送され­たテレビドラマ。全181回。もともと関西テレビ放送の開局15周年を記念して制作さ­れた連続ドラマだったが、3年半に渡るヒットシリーズとなり、西郷輝彦が俳優としての­地位を確立したドラマとなった。しかし、VTRの現存状況については上書きされて残っ­ていないとされている。地元福島テレビでは土曜日の「8時だよ全員集合」の後の21時から放送していた。ちなみに22時からは「大江戸捜査網」だった。この頃のドラマは11話完結の今と異なり、1年間ぶっ続けのロングランで放送していた。ちなみにどてらいやつは裸一貫で商人として成功を収める男の物語で、西郷輝彦が熱演した。その後番組は柴俊夫の「さわやかなやつ」だったが、このドラマの印象があまりにも強く、二番煎じの感じだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=M6DVEpZIQrI

     木枯し紋次郎

     フジテレビ系列で1972年1月1日より放映された中村敦夫主演のテレビドラマ。孤独主義者で世捨て人。又旅姿で口に葉っぱを加えたスタイルがトレードマーク。事件へかかわるのを嫌うが、毎回巻き込まれる。「あっしには県関係のないことでござんす」が決め台詞だった。現実を生きながらどこか義理人情が捨てきれない。優しい男気がカッコよかった。上条恒彦の歌声と、このストップモーションで竹藪を突き進むOP映像は大人気だった。

     時間ですよ

    http://www.youtube.com/watch?v=WgmZYn3kp5I

     堺正章、悠木千帆(樹木希林)、森光子、浅田美代子、天地真理らが繰り広げたドタバタホームコメディドラマ。これが当たって、その後「寺内貫太郎一家」や「ムー一族」に引き継がれた。現代も「渡る世間は鬼ばかり」もこの路線だと思う。

     さて、いかがでしたか。青春時代の想い出が蘇りましたか。昭和40~50年代を中心にお送りしましたが、懐かしんでもらえたでしょうか。今更ながらだが、「YouTube」の存在は大きい。こうした動画を当時のメディアに保存し、大切にそれを保管し、同じ気持ちでこれらを動画サイトにアップしてくれるオールドファンあってこその今回の企画である。本当に感謝したいと思う。どこかに生きた証を残したと常々思っているが、時代背景や当時の世相を語り時に、欠かせないのはやはりテレビメディアであると思う。
     さて、明日は後編になるが、あなたのお気に入りだったドラマや名物番組は登場するでしょうか。

     記事作成:2月19日(水)

    年配の方々が泣いて喜ぶ番組OP(後編)

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     今日は、昨日に引き続き、昔懐かしいテレビドラマのOPや心にいつまでも残る名作番組を取り上げるシリーズ記事の後編。前書きは野暮ったいので、さっそく続きをどうぞ!

     クイズタイムショック(田宮二郎編)

     初代司会は田宮二郎。博識で頭脳明晰。落ち着いた司会ぶりが好評だった。彼が衝撃的な猟銃自殺を遂げた後は、山口崇、生島博、そして中山秀征に受け継がれた。残念ながら田宮二郎さんの映像は残されておりません。

     山口崇さんのOP音声はコチラ http://www.youtube.com/watch?v=iLfbNGLSqHk

     生島博さんの映像はコチラ http://www.youtube.com/watch?v=L0GXhQ26Atg

     JET STREAM(城達也)

     FM東京の深夜零時に繰り広げられる、心地よい音楽の定期便がこの番組で、番組発足当初からのパーソナリティー(パイロット)はその美声で世の女性を魅了した城達也だった。海外旅行が高嶺の花だった1970年代に、日本にいながらにして世界各国を旅する雰囲気を与えてくれた。情緒感たっぷりで、かけるレコードも洗練され、イージーリスニングの新ジャンルを確立した。ナレーションもオシャレだった。城達也さんが亡くなられて、一つの時代が終わった。伊武雅人さんや鹿賀丈史さんがその後を引き継いだが、やはりあの低音で囁くように切々と語る口調は、彼でしか出せない味わいだった。今でも根強いファンがいる。

     大岡越前

    http://www.youtube.com/watch?v=DZuR0XbYMNU

     1970年 - 1999年にTBS系列の『ナショナル劇場』で 月曜20時から放送されたテレビドラマ。制作はC.A.L。全シリーズ一貫して主演は加藤 剛(全402話+スペシャル1本)。加藤剛(大岡忠相)、竹脇無我(小石川療養所・榊原伊織)、山口崇(徳川吉宗)、宇都宮雅代(大岡忠相夫人・雪絵)が出演した。

     大岡裁きはコチラ http://www.youtube.com/watch?v=dq5-bzlr5nE

     白い巨塔(田宮二郎)

    http://www.youtube.com/watch?v=QvQt_ZtUYAE

     日本の暗躍する医師の世界に鋭くメスを入れた話題作だった。数々の難手術を成功させ、天才外科医として君臨。しかし同時に多くの柵や学閥争いに巻き込まれ、それとも戦うことも余儀なくされた。自らも末期がんに苦しみ、壮絶な最期を遂げた。大病院の全医師、看護婦(現・看護師)に見送られてストレッチャーがその間を進む様は、圧巻演出となり、大好評を得、高視聴率をマークした。彼の演じた財前五郎は、その後、リメイク版で唐沢寿明が演じたが、元祖の田宮二郎には到底及ばない。山本學と大地喜和子の名演技も心に残る。

     スター誕生

     最終回はコチラ http://www.youtube.com/watch?v=ypqLyr0fV1k

     1970年代に大人気を博し、山口百恵、桜田淳子、森昌子、石野真子、ピンクレディー、中森明菜、小泉今日子などそうそうたるスターが巣立ったお化け番組。公開オーディションで素人が歌を披露して勝ち抜き、チャンピオンになると更に決勝大会があり、会場に30社程度の芸能プロダクションのスカウトマンが審査し、お眼鏡にかなうと晴れて芸能界に歌手としてデビューできるという、当時としては画期的な番組だった。視聴者は、目の前で明日のスターの誕生に立ち会えた。
     私の想い出としては、小学生の頃、郡山市民会館に公開録画が来て、親と親と見に行った。ゲストは西城秀樹だった。とても大好きで、毎週欠かさず見ていた。

     司会者はもちろん萩本欽一。彼が番組を卒業後、坂本九ややすきよが担当したが、どこか違和感があった。この番組が終わった時、「ザ・ベストテン」も同様だが、ひとつの時代の終焉を感じたのは私だけではなかったはずだ。

     さて、2日間に渡ってお送りしましたが、いかがでしたでしょうか。このような名物番組が最近はめっきり少なくなった感じがある。これがこの時代を知る私を含め、先輩諸氏の方々の正直な感想ではないでしょうか。かつては、1年や3年がかりで制作・放送されたドラマや家族全員で楽しめる歌謡番組が目白押しだった。一家団欒の真ん中にはテレビがあり、共通の話題で盛り上がったものだ。そこから比べるとテレビの衰退ぶりは甚だしいし、残念の一言だ。それは制作側のイマジネーションの欠如と情熱が不足しているからに他ならないし、アイディアや新しいコンセプトも出尽くした感がある。視聴者が何を求めているのか、真摯に見つめ直してほしいと願う。奇を衒った方法ではなく、地に足をつけた番組作りを。

     記事作成:2月19日(水)

    貴重な映像集Part 10

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     私が大学生活を送っていた時はJRではなく、国鉄だった。北海道に住まいを構え、当時は分割民営化による人員整理や赤字路線廃止の方策を断行していた真っただ中にあった。私が住んでいた1984年4月~1986年3月までの2年間だけで、かなりの路線が赤字によって廃線に追い込まれた。もっとも有名なのは1970年代に「愛国から幸福へ」の謳い文句で大ブームをもたらした旧広尾線だった。他にも興浜北線南線、万字線、美幸線、勇網線など大部分の田舎のローカル線はこの頃に廃線となった。当時は広尾線も歌志内線、砂川線なども現役バリバリだったが、相次いでバス転換されてしまった。生活の足を奪われた沿線地域の方々の落胆は想像を絶するものがあった。
     また、私が郷里の郡山からは貧乏学生だったこともあって、飛行機は使えずに、すべて在来線の夜行急行(八甲田・津軽)や当時は盛岡駅までしか通じていなかった東北新幹線で、更にはつかり号で青森まで向かい、そして青函連絡船で函館に渡り、その後、道内をディーゼル特急や室蘭本線まわりの電化特急で16時間半もかけてアパートまで旅した想い出がある。もちろんその時分は「日本国有鉄道」(JNR)の時代だった。

     では、さっそくだが、今回のテーマに沿って、今日は希少な国鉄時代の懐かしいCMを特集してお送りしたい。

     1 「いい日旅立ち」 by 山口百恵

     国鉄と言えば真っ先に思い浮かぶのがこのCM。1978年、山口百恵の「いい日旅立ち」キャンペーンのCM。旅の楽しさを余すことなくアピールしたCMで、思わずどこかに出掛けたくなる。

     2 DISCOVER JAPAN

     1970年のかなり古いCM。時代や世相観は、女性の髪形やファッション、化粧の仕方を見るとすぐわかる。このCMは日本各地の名所を紹介する形でシリーズ化した。

    野付半島編 http://www.youtube.com/watch?v=-Tl_0YeD1-I

    木曽路編 http://www.youtube.com/watch?v=5wLmnhtn7Es

    永平寺編 http://www.youtube.com/watch?v=Ru55rf38neo

     3 「ひかりはタイムトンネル」

     1977年の国鉄CM。「ひかり&奈良・大和路」をPRする作品。1964年開業から13年後で、ハイスピード合戦たけなわの頃のCM。国鉄でも集客力アップに余念がなかったし、PRに懸命だったようだ。

     4 いい旅チャレンジ20000キロPR曲

     当時、青春18きっぷで日本全国ローカル線で回ることが大学生を中心に大流行した。現に私と同じアパートの地理学科の友人は、実際にこれを実行し、日本全国津々浦々、すべての駅舎で途中下車し、各駅に置いてある記念スタンプをノートに押し、更にプラットホームの標識を入れて記念写真を撮り収めたアルバムを私に見せびらかしては自慢していた。

     5 フルムーンパス

     1982年、国鉄末期に販売促進用キャンペーン企画として制作されたCM。加山雄三の実父である上原謙と昭和の生んだ大女優・高峰三枝子が夫婦という設定で作られた。このキャンペーンがあたり、熟年や老夫婦によるちょっとした旅ブームが起きた。これと似たような趣旨で「ナイスミディパス」という企画もあった。女性を優遇し、旅へといざなうようなプロモーションCMだった。詳しくは下をクリック

    http://www.youtube.com/watch?v=0nGfC9sgNlc

     6 TOKYO ON STAGE

     こちらも国鉄末期の頃の作品。オシャレな明るいイメージを醸した。

    <さよなら国鉄>

    http://www.youtube.com/watch?v=JQUdLq5FyQo

    http://www.youtube.com/watch?v=7gmLLXRCLr0

    http://www.youtube.com/watch?v=hkHFnrakfPM

    <さようなら青函連絡船 83年の歴史にピリオド>

    http://www.youtube.com/watch?v=of4mqErK3bo

    http://www.youtube.com/watch?v=it6j6HPNBqg

     それでは最後に、1988年4月に国鉄から新生JRが誕生した際のCMをどうぞ!

    <JR東日本>

    http://www.youtube.com/watch?v=0p6s4_po0KI

    http://www.youtube.com/watch?v=4c5TfcuOl-U

    http://www.youtube.com/watch?v=jGyOIuwenXg

    <JR西日本>

    http://www.youtube.com/watch?v=ybiQpGwLBfw

    <JR北海道>

    http://www.youtube.com/watch?v=ydEHTCKKvwc

    <JR東海>

    http://www.youtube.com/watch?v=-sCaVJpB62Y

    <JR四国>

    http://www.youtube.com/watch?v=iCixEbk4ygQ

    <JR九州>

    http://www.youtube.com/watch?v=7PAn2DyhG0U

     1988年は劇的な年だった。日本国内、様々な分野で民営化の風が吹き荒れた。専売公社が日本たばこ産業に、電電公社はNTT各社に、そして最大の分割民営化の象徴がこの国鉄解体であった。国労を中心に反対運動は各地で起き、一部紛争化した地域もあったが、それでも時代の波風は強く、この年を境に劇的に変わった。目的は赤字撤廃と営利目的と自由競争原理、更には利潤追求、そしてサービス向上がその主たる理由だった。私自身、幼少期から慣れ親しみ、想い出が多かった国鉄が無くなることは衝撃的だった。しかし、民営化されても、鉄道自体がなくなるわけではないと自分に言い聞かせた。結果、今も経営は存続し、ほぼ黒字経営で営利企業としては順調に再発進したと言える。これから先も高速化の競争は激化するだろう。その推進役としての役割を果たすのは、紛れもなく時速500キロを可能にするリニア新幹線だ。私が小学生の頃は、21世紀(34歳)には実用化し、東京大阪間を1時間で行き来しているものと思っていたが、予算や用地買収が難しく、ようやく品川~名古屋ルートが決まった程度である。なかなか現実は難しいが、私がこの世に生のあるうちにぜひ実現してほしいものだ。

     2005 リニアモーターカー(愛知万博PRC用M

    http://www.youtube.com/watch?v=uE-dnRTvj10

    記事作成:2月19日(水)

    今週の山岸舞彩キャスター(3/24~3/27)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。  

     3月24日(月)

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     3月25日(火)  

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     3月26日(水)

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     3月27日(木)

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    時代を牽引した日本の産業

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     日本人の卓越した科学技術や先端技術は、世界一だと思っている。特に手先が器用で細かい作業でも苦も無くこなす日本人の熟練の技や知恵、あるいはそれを提供する奉仕の精神も他の類を見ない。精密機械や金属加工な、ミクロな仕事を要求されるICチップや電気回路の極小化の技術は、外国人には到底真似できぬ分野である。自画自賛はこれくらいにして、今回のテーマについて語りたい。日本の産業界を見渡した場合、その時代背景や流行によって、隆盛を極めた業種が異なることに気付く。流行り廃りは産業にも当て嵌まるようだ。では各年代ごとに、どのような産業が繁栄したか、その変遷を辿りながら回顧したい。

     戦前(~1945年)・・・ 軍需産業・旧財閥系 

     戦時中は、鉄不足に陥るほど、武器の製造や軍艦、零戦製造などで鉄がもてはやされた。その昔、八幡製鉄所(後の新日本製鐵)、富士製鉄、日本鋼管などが最大手の鉄鋼業者として君臨し、日本の基幹産業として、あるいは新興の旗手として先導役を果たした。また、戦後、GHQによって解体された旧財閥だが、戦前は隆盛の一途をたどったことは言うまでもない。かつては「6大企業集団」と呼ばれ、強力な資本力にものを言わせ、日本の産業界や経済界、財界、更には政界までも牛耳っていた。「三井」「住友」「三菱」「芙蓉グループ(富士銀行・安田・森・一部の日産など)」「一勧グループ(古河・川崎など)」「三和グループ(日立・日産の一部など」)

     1950年代・・・軍需産業・鉄鋼業・石炭産業

     燃料を考えれば、蒸気機関車や暖房設備を思えば、「黒いダイヤ」として重宝されたのが石炭であった。化石燃料として重視され、北海道を始め、我が福島県には、常磐地方を中心に炭鉱が点在した。内郷、湯本界隈はまさに相当な賑わいだった。それは1960年代のエネルギー革命まで重工業として栄えた。SLがディーゼル機関車や電気機関車に道を譲った時期を考えれば一目瞭然だろう。

     1960年代…鉄道産業・映画産業・電器産業・建設産業

     ご存知「東京オリンピック開催」に伴う好景気によってもたらされた。「高度経済成長期」の走りで、戦後復興後、経済状態が回復し、人々の生活は劇的に改善された。郡山でも新産業都市に指定され、重化学工業(保土谷化学・日本化学)を中心に業績が上がり、経済状況がよくなった。また、オリンピック景気によって、五輪関連施設はもちろん、世界中からの観光客を収容するホテルなど空前の建設ラッシュが発生。首都高速開通や東海道新幹線建設、霞が関ビルなどの高層ビル、団地などの建設ラッシュとなり、建設業界は破竹の勢いだった。また、この時代は白黒テレビの開発・普及により、1950年代末から60年代初期にかけて、三種の神器(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)や3C(カラーテレビ・クーラー・自動車)の波が一般家庭に押し寄せ、庶民の生活は飛躍的に良くなった。また、テレビの普及まで、庶民の娯楽といえば「映画」だった。「大映」・「松竹」・「東映」・「東宝」・「日活」など大手映画製作会社が次々創設され、それぞれの所属俳優を映画に出演させた。公開オーディションや俳優養成所には多くの俳優志望者が殺到した。石原裕次郎・美空ひばり・小林旭・宍戸錠・吉永小百合・赤木圭一郎・加山雄三・上原謙などの昭和の大スターたちがスクリーンを華々しく飾ったのもこの時期だ。映画は金の成る木であり、豊富な資金から、プロ野球の球団経営に乗り出したのがこの映画会社だった。また、国鉄以外の私鉄の参入が相次いだのも1960年代後半から1970年代にかけてであった。「京成」・「東武」・「東京急行」・「京急」・「阪神」・「阪急」・「南海」・「西鉄(後に西武が買収)」などがそうで、テレビの普及で映画産業が衰退すると、プロ野球団を買収したのは、こうした鉄道会社だった。「阪急ブレーブス」「南海ホークス」「西鉄ライオンズ」「阪神タイガース」などこの時期の球団の親会社は接道関連だった。

     1970年代・・・自動車産業・家電産業・流通産業

     1970年代は高度経済成長の真っただ中にあり、池田隼人の「所得倍増計画」や田中角栄首相の「日本列島改造論」の経済政策の発動により、日本列島が高速交通網で結ばれ、物流や食品流通の分野で発達した。とりわけ、自動車産業はトヨタ、日産を中心に、本田技研、三菱自動車、富士重工、マツダなどの各メーカーが競い合うように発売した自家用車が飛ぶように売れた。一家に一台のマイカー時代ん到来である。それを煽るかのように、オシャレなCMも登場した。「ケン&メリーの愛のスカイライン」がその代表だ。また、ダイハツやスズキなどが軽自動車を開発し、道路には自動車が溢れ、工場から出る煙と合わせ、首都圏を中心に騒音や光化学スモッグなどの大気汚染、水質汚濁などの公害問題が深刻化したのもこの時期だった。今の中国のPM2.5などは40年前の日本を見ているようで、健康被害が懸念される。当時の人気車種は、スカイライン、コロナ、セドリック、グロリア、プリンス、クラウン、セリカを始め、大衆車でもカローラやサニーなどが街角ではいくつも見られた。小林旭の自動車唱歌に出て来る懐かしい車たちだ。また、スポーツカー「フェアレディ」や「コスモスポーツ」、日本で初めてロータリーエンジンが搭載された「RX-7」が登場し、若者たちのマイカーブームの火付け役となった。
     ファッションではベルボトムやパンタロンにブーツ、長髪が街を闊歩したし、その後恋人同士のペアルック、VANやポパイのトレーナーなどが流行ったし、トラッドが大流行した。ファッション誌は「POPYE」と「HotDogPress」がファッションリーダー役を果たした。

     さらに、この年代を彩った産業には、百貨店や大手スーパーなどの流通業界が欠かせない。何でも揃う夢のデパートを売り文句に、首都圏だけでなく、地方都市にも進出した。郡山市にもスーパー「ヨークベニマル」が登場し、年々店舗を増設し、事業を拡大していった。最初は、桜通り沿い虎丸にあった「さくら通り店」が第一号店で、その隣には必ず東邦銀行があった。また、1970年代に入ると百貨店の競争が激化した。それまでは「うすい」と「津野呉服店」だったが、首都圏の大資本の「西武百貨店」、「ダイエー」「丸井」が昭和52年頃に相次いで参入した途端、競争が激化し、大掛かりな値引き合戦が展開された。

     1980年代・・・金融業界(証券・銀行・保険・サラ金・クレジット信販)・レジャー産業・
               物流業界・飲食産業・風俗産業・貿易関連産業ほか

     この時代の中頃に突如出現した「バブル景気」により。空前の好景気に賑わうことになる。株価は3万円を突破し、金利は上昇。銀行金利は一時7%にも跳ね上がった。100万円を1年間預ければ、107万円になった時代だった。円高が進行し、空前の海外旅行ブームやスキーブームを創出した。
     まずは、金融業界は株価急上昇により、買い手が殺到。国や地方公共団体が経営してきた企業や特殊法人が相次いで民間企業に改組された。これにより、国鉄や電電公社、専売公社などのが民営化され、NTT株が一時一株300万円を超えるなどの値をつけた。JRもまた、各ブロックごとに分割民営化された。専売公社も日本たばこ産業(JT)となり、民営化や規制緩和の波が加速した。収入が増え、一般庶民の暮らしもよくなり、消費はスパイラル状態となり、金の回転が良くなった。銀行業界は、各会社やメーカーへの財政投融資を増やし、設備投資が容易になった。地方もまた箱ものを次々建設。日本生命・第一生命・朝日生命・明治生命・富国生命などを中心に保険業界も潤った。また、この頃には金のめぐりが良くなり、サラ金(後の消費者金)も次々出現した。アコム・アイフル・プロミス・レイク・武富士などがそうだった。各信販会社がこぞってクレジットカードを市場に投入。アメリカンエキスプレス(ゴールド)、VISAカード、ミリオン、ニコス、JCBカードなどが登場。プレミアカード(ゴールドカード)を所有することが一種のステータスであった。また、ファッションやブランド品が売れに売れた。シャネル、グッチ、バレンチノ、クリスチャンディオール、ロレックス、ルイヴィトン、エルメスなどのバッグや時計、財布などが飛ぶように売れたのもこの時期だった。
     また、この頃には宅配業者も登場した。クロネコヤマトの宅急便、日通のペリカン便、佐川急便、赤帽などがそうだ。そして外食産業も一気に急増。居酒屋チェーン「つぼ八」「村さ来」などを始め、オシャレなビアガーデンやビヤホールが相次いで登場。バドホールなどもあった。イッ気飲みやコンパが流行ったのもこの時期だ。また、お立ち台などのジュリアナやマハラジャなどのディスコも登場し、若者を中心に週末は大変な賑わいを見せた。そしてAVが登場したのもこの頃で、VHS方式のレンタル店があちこちに建設され、お色気むんむんのAV女優(代表的なのは八神康子、小林ひとみ、桜樹ルイなど)にお世話になった方も多いのではないだろうか。また、キャバクラやテレホンクラブが登場。歌舞伎町や吉原から全国に飛び火した風俗関連産業が全国に展開された。その情報の発信は新宿であり、テレビでも「11PM」や「トゥナイト」、「独占大人の時間」「テレビ海賊チャンネル」が深夜の時間帯に放送された。「イメクラ」「ソープ」「ファッションマッサージ」「ノーパン喫茶」「のぞき」「おさわりバー」「キャバクラ」「デートクラブ」「愛人バンク」などありとあらゆるジャンルが登場した。また、レジャー産業は花ざかりだった。ビリヤード台を備えたプールバー、武豊の出現と名サラブレッドを輩出して競馬ブームが生まれたり、カラオケボックスやパチンコ業界も躍進した。そして家庭用ゲーム機が開発されたのもこの時期で、ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、DS、プレステなどのゲーム機を次々生み出した。
     さらに、この時代に流行したのは特ダネを競い合うように創刊した写真週刊誌だった。その筆頭は「FOCUS」と「FRIDAY」、後に廃刊になった「エンマ」など次々発売された。芸能人のゴシップネタや政治家のスキャンダルなどを鋭く抉った。音楽業界では、横浜銀蠅のツッパリブームやなめ猫ブーム、竹の子族も時代を彩った。歌謡界は松田聖子のぶりっ子や聖子ちゃんカットが大流行し、男性アイドルは「たのきんトリオ」ブームで、後に「チェッカーズ」旋風が吹き荒れた。

     また、この時代は、好景気を反映して日本企業がアジアを中心に外国に進出した時代だった。企業戦士なる言葉が生まれ、人件費が安いことから海外に工場を数多く建設し、日本の技術を輸出した。日米貿易摩擦という言葉のように、日本は精巧な自動車輸出を中心に貿易により、膨大な黒字を溜め込んだ。そのかじ取りをしたのは商社である。三井物産、三菱商事、住友商事、日商岩井、伊藤忠商事、丸紅などの大手商社が、この分野をリードした。
     また、首都圏を中心に土地代が急騰。地上げ屋が横行し、都心に一戸建てを持つことはもはや不可能で、都心のマンションですら「億ション」と呼ばれた時代だった。この好景気によって、大規模なリゾート開発も相次いだ。各地に巨大アミューズメントパークを建設。東京ディズニーランド、ハウステンボス、USJなどテーマパークが完成した。「私をスキーに連れてって」の放映により、空前のスキーブームと4WDブームが生まれ、深夜発着のスキーバスでスキー場へ日帰りするツアーも大人気だった。新幹線沿線にはオシャレなゲレンデを開発していった。GALA湯沢やキャプテン加山スキー場などがいい例だ。またペンションやホテル業界、更には観光・旅行業界も賑わった。しかし、この時代は、まだ通信機器は、携帯用の移動電話は大型の肩掛け式の送受信機で持ち運びが不便な代物。自動車電話やコードレステレフォンがやっと登場。ポケベルが女子高生に大人気となった。

     このように、この時代はバブルのように資本が湧いて金のめぐりが良い絶好景気だった。日本人はいつまでもこの景気が続くと夢を見すぎてしまった。そのツケがバブル崩壊後、90年代以降の長引く不景気だ。

     1990年代・・・IT産業・通信産業

     この10年間は「バブル景気」のツケを払わされた経済面では暗黒の時代だった。唯一景気が良かったのはポケベルから技術開発が著しい通信産業だった。つまりは移動電話や自動車電話から携帯電話やPHSの登場である。PCが各家庭に普及し、インターネットが開発され、家にいながらネットショッピングや様々な情報を入手できる優れもの。ハイテクという言葉が生まれ、手のひらサイズのビデオカメラやデジカメなどいわゆる「デジタル家電」開発と流通の波が押し寄せた。特に携帯電話の普及は目覚ましかった。今やひとり1台の時代だ。メールもまた画期的だった。相手の状況に関わりなく、一方的に連絡やメッセージを送れる。高校生を中心に大流行した。そして各地に24時間営業の漫画喫茶やネットカフェが登場した。街角には「プリクラ」が登場したり、たまごっちが流行した。つまりあまり金のかからない倹約的な遊びやブームだった。ファッションではルーズソックスが大流行した。

     2000年代・・・健康・美容&医療機器産業・通販産業

     この頃は、ノストラダムスの大予言やハレーすい星ブーム、そしてミレニアム問題などが沸き起こった。それを経て、空前の健康ブームが起きた。痩せるせっけん、サプリ、健康茶、アロマテラピー、健康マッサージ、韓国式あかすりなどが代表格だ。2002年のサッカーW杯日韓共催や韓流ドラマの上映を皮切りに、ちょっとした韓国ブームが起きた。また、低周波治療器や鍼灸、ダイエットブーム、ビリーブートザキャンプなどのエアロビクスも隆盛を極めた。「あるある大事典」などの影響で、○○式ダイエット、サプリで自分の健康状態を維持する方、ジョギングやウォーキングブームも起きた。また田舎暮らしや自給自足を実践するガーデニングや家庭菜園も流行した。経済状態にかかわらず、いつの時代も「衣食住」は普遍的のもののようだ。そんなに流行り廃りはない。また、この時代も倹約が流行った。民主党政権が政権交代に成功し、政権奪取し、改革を断行した。無駄を徹底的に省く政策を次々実行。事業仕分けで公共事業を見直し、「八ッ場ダム」建設中止を打ち出したりした。また、テレビショッピングや実演販売、カタログショッピングなどは景気が良かった。その最たるものはジャパネットたかた、トーカ堂で、セシール、日本直販、良品生活、無印良品もまた宣伝広告費を費やし、業績を伸ばした。またPC利用のネットショッピングやオークションも流行した。
     また、この時期は世界経済は最悪だった。ギリシャで財政危機が発生し、EU全体に悪影響を与え、リーマンショックでは不良債権が発生し、多重債務に陥り、多くの企業が経営統合や吸収合併で生き残りを図った経緯がある。あの山一證券が潰れるとは思わなかったし、大手銀行が経営破たんに追い込まれるなど誰が想像できただろう。今や都市銀行も再編され、4代金融グループや旧財閥ですら経営協力を厭わない。三井住友グループ、みずほフィナンシャルグループ、三菱東京UFJグループの3大メガバンクグループと化してしまった。かつて第一勧銀を中心とした銀行業界も生き残りに必死である。

     2010年代・・・復興関連産業

     2011年3月11日に発生した「東日本大震災」は国家の危急存亡の時であった。特に、東京電力福島第一原発を襲った大津波により、全電源喪失、メルトダウン発生、2度にわたる水蒸気爆発により、放射性物質が地上に放出。汚染水流出も起き、福島県の農林水産業は再開の目途すら立たない。浜通りの方々の大半が避難し、郷里を離れての仮設住宅での暮らしを余儀なくされた。このような危機的状況で、復興関連業種は潤っている。除染業者と建築メーカーだ。津波などで家を流されたり、岩手県界隈の港町では壊滅状態に陥り、その復旧や復興を支える建設業界がちょっとした建設バブルをもたらしているという。産業廃棄物業者もまたフル操業状態だという。このあたりに経済回復の手がかりがありそうだ。

     さて、戦前から21世紀を迎えた現代社会までの変遷を見てきたが、今後を考える場合、やはり言いたくはないが、日本だけでの内需拡大は所詮限度がある。輸出黒字で外貨を獲得することが手っ取り早い経済再興策である。かつては精密機器や自動車産業の輸出で潤った日本経済。やはり画期的な新技術の開発により、世にないような便利な生活用品なり、家電製品なりを開発して商品として売り出し、爆発的な需要と売上を獲得するしか方法はない。日本は発想の転換と世にないものを生み出すことにかけては天才的である。したがって、新たなアイディアで、世界的に売れる大発明や飛躍的に生活が便利になったり生活状況が大幅に向上するような画期的な商品を製作・販売して大ブームを生み出すしか道はない。幸い、その旗振り役の手本として「リケジョ」の小保方晴子さんが「STAP細胞」で先陣を切ってくれた。こうしたたゆまぬ努力と研究開発で新しい道を切り開いていくことが大事で、日本人に課せられた責務だと思っている。

     <参考資料>

     1 「日本企業の歴史と考察」 http://homepage3.nifty.com/54321/kigyou.html

     2 「有力企業集団変遷図」 http://homepage3.nifty.com/54321/kigyouhensenzu.html

     記事作成:2月6日(木)

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