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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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今は亡きお笑い芸人 後編

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 本日は、昨日に引き続き、天国の芸人さんを取り上げる「今は亡きお笑い芸人」の続編をお送りしたい。「花王名人劇場」や「THE MANZAI」などかつて高視聴率をマークした漫やコント専門のお笑い番組が多かった。漫才ブームは一定の周期で訪れるようだが、主におめでたい正月番組には欠かせない貴重な存在となっている。しかし、芸を磨き、その漫才ブームに活躍し、一世を風靡した名人たちも、寄る年波には勝てず、多くの方が鬼籍に入られた。実に惜しい方たちを失ったものだ。では昨日と同様、彼らの足跡を振り返り、在りし日のお姿を偲び、自分自身の生涯と照らし合わせて懐かしんでみたい。

 佐々木つとむ

 昭和後期に活躍 したものまねタレント。本名:佐々木宏幸(ささき ひろゆき)。はたけんじ、団しん也、堺 すすむと共に"元祖ものまね四天王"と呼ばれていた。ものまねタレント神奈月の師匠。
 渥美清、高倉健、森進一、田中角栄などの物真似で人気を博した。昭和50年代のものまね芸人ではトップクラスの存在で、ものまね芸では田中角栄、大平正芳、三木武夫、春日一幸の4人の声を使い分けた"ロッキード麻雀"のネタや、ネタ落ちで出す渥美清のマネ「それを言っちゃ~オシマイよ」のフレーズが有名だった。その実績から、1974年と1977年に放送演芸大賞部門賞を受賞した。
 私生活では大変なギャンブル好きとしても知られていた。ギャラはその日の内に全てを賭け事に費やしてしまうこともしばしばで、多額の借金を抱えていたという。晩年の佐々木に師事していた神奈月も、借金取立人に神奈月自身の持ち合わせを取られてしまうなど、佐々木の借金にまつわる苦労について話している。彼の突然の死はそうした金銭トラブルによるものだった。
 1987年9月4日夜、当時佐々木が同棲していた東京都板橋区高島平の39歳女性宅において、所属事務所の社長に刺殺体となって発見された。享年40。9月5日の高松公演を前に連絡が取れなくなって事務所のスタッフらが捜索しており、発見時には死後1週間が経過していた。殺害した女性もまた、犬を入院させた後消息を絶ち、2日後の9月6日に青森県むつ市大湊の陸奥湾で入水自殺しているのが発見された。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=Ecnw3pk4kes

 内海好江

 本名;奥田 好江、1936年2月23日 - 1997年10月6日。東京市 浅草区(現・台東区)出身の漫才師である。1945年にデビュー。女剣劇や父娘漫才を経て、1950年に内海桂子とコンビ結成。横浜放送映画専門学院で講師、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)では審査員を務めたのが縁で、同校出身で同番組にも出演したウッチャンナンチャンを自身が所属していたマセキ芸能社へ招いて芸能界入りのきっかけを作ったため、ウッチャンナンチャンは師匠と仰いでいる。また、1990年代は『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)へ準レギュラーとして出演し、「ちょっと聞いてよ!おもいッきり生電話」のコーナーで江戸っ子ならではの歯に衣着せぬコメントをしていたことでも知られる。その後も桂子とコンビで活動していたが、1997年10月6日、胃癌のため死去。享年61。江戸っ子の血を引いていたため、非情とも取られかねないほどの毒舌家で、バラエティ番組では共演者に対して容赦ない辛口コメントを度々飛ばした。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=Dv9I45VFbOs

 たこ八郎

 1940年11月23日 - 1985年7月24日 )は、日本のコメディアン・俳優で元プロボクサー。本名は斎藤 清作(さいとう せいさく)。 宮城県仙台市宮城野区新田出身。プロボクサーとして日本フライ級王座を獲得している。引退後、同じ宮城県出身ということでコメディアンの由利徹に弟子入りし役者として芸能界デビューする。元々、由利はたこを弟子にするつもりはなく、ボクサー時代に弟子入りを希望してきたたこに、断る口実として「ボクシングでチャンピオンになったら弟子にする」という条件を出し、その時には王者になるとは思ってもいなかったが、実際に日本王者になり、それならと弟子入りを認めたという。
 芸名の由来は、自宅近くの行き付けの居酒屋「たこきゅう」から採った。いつも酩酊状態(のような演技)で、「たっこでーす」という決まりの台詞と、コミカルな風貌でお茶の間の人気者になり、映画にも出演している。金粉を全身に塗って走ったこともある。この様なTV画面などでみせる姿は、コメディアンとしての彼の完璧なる「演技」で、自分の役割を心得て計算をしていたといわれる。たこの面倒をよく見ていたあき竹城は、飲酒が多いことを心配し、「(お酒ばかり飲んでないで)ちゃんとご飯を食べなきゃダメだよ」などと、彼の世話を良く焼いていた。そのため、「たこの情婦」と言われたこともあったという。
 人気絶頂期の1985年7月24日午前10時20分頃、神奈川県足柄下郡真鶴町の海水浴場で飲酒後に海水浴をし、心臓マヒにより死亡(死の直前、その姿を週刊誌に写真を撮られていた。また、その頃にはパンチドランカー症状はかなり改善していたともいわれている)。この訃報は、当時レギュラー出演していた『笑っていいとも!』の放送中、タモリによって全国に伝えられた。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=p2sA5A64ehM

 いかりや長介(ザ・ドリフターズ)

 1931年11月1日 - 2004年3月20日)は、日本の コメディアン、俳優、ベーシスト、タレント。「ザ・ドリフターズ」(略称:ドリフ)の3代目 リーダー。本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)。愛称は「長さん」。「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして、TBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』で一世を風靡。その後は俳優、タレントとして活躍。先に挙げた2番組での「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深く「渋い」演技を見せた。1997年に放映されたドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)のベテラン刑事・和久平八郎役では、『全員集合』をリアルタイムで見たことがなかった若いファンからも支持を受ける。1999年、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。晩年は独特な語り口調を生かし、ナレーションを務めたことでも有名。
 2003年5月末、「原発不明頚部リンパ節がん」により緊急入院。闘病生活の末、同年7月17日に一旦退院する。2004年3月15日、がんの転移が判明し東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院に再入院した。2004年3月20日、死去。72歳没。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=8XIMwOdsPOI

 クレイジーキャッツ(犬塚弘を除く)

ハナ肇とクレージーキャッツは、ジャズ・バンド、お笑いタレント、歌手グループ。元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが面白く、"You, crazy."と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。数多くのバラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。しかしながら、下記の通り各人は音楽の経験やテクニックという点で卓越した点を持っており、単なるコントグループ、コミックバンドとは全く違う、「音楽の質の高さ」を兼ね備えた異色のバンドともいえる。略称「クレージー」。音楽+コメディという芸能活動を広めた第一人者である。そして後にザ・ドリフターズに大きな影響を与えた。

 メンバーは以下の通り

 ハナ肇(故人)(1930年2月9日 - 1993年9月10日、ドラムス)
 植木等(故人)1927年2月25日(実際は1926年12月25日) - 2007年3月27日、ボーカル、ギター)
 谷啓(故人)(1932年2月22日 - 2010年9月11日、ボーカル、トロンボーン)
 安田伸(故人)(1932年9月19日 - 1996年11月5日、四代目テナーサックス)
 石橋エータロー(故人)(1927年9月30日 - 1994年6月22日、三代目ピアノ)
 桜井センリ(故人)(1930年3月20日(実際は1926年3月20日) - 2012年11月10日、四代目ピアノ)
 犬塚弘(1929年3月23日 -存命、ベース)

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=Pn029qV9U9I

 夢路いとし喜味こいし

 戦前から21世紀初頭にかけて 活動した、夢路いとしと喜味こいしの兄弟による日本の漫才コンビ。1937年に少年漫才 コンビとして活動を開始、2003年9月に兄の夢路いとしが死去するまで活動を続けた。1999年、大阪市指定無形文化財に指定。「上方漫才の宝」と呼ばれる。コンビ結成の1937年から、2003年9月25日に兄の夢路いとしが死去するまで活動を続けた。その間、数々の漫才における賞を総なめにしてきた。私は特徴あるだみ声が印象に残っている。また、昭和40年代の黄金番組、「がっちり買いまショウ」の司会者として番組を大いに盛り上げたシーンが想い出に残っている。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=VVSPN4NTw1A

 横山やすし(やすきよ)

 本名:木村 雄二(きむら ゆうじ)、1944年3月18日 - 1996 年1月21日)は、かつて吉本興業・大阪本社(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー・ 大阪本部)に所属していた漫才師、タレント。身長163cm(本人談)。愛称は「やっさん」。口癖は「アホンダラ」。
 まぁ、この人はB型の典型で、自分勝手、自己中、我がままマイペースで、なりふり構わぬ「歩くトラブルメーカー」的な存在だった。しかし、なぜか友人や彼を慕う芸人は多かった。浪速の春団治のような性格で、独りよがり的な言動や行動が多かった。やすきよの漫才はその世界の頂点に君臨した。豪遊が過ぎる印象で、パイロット免許を取得し、仕事には自家用セスナ機を使うこともあった。また、武勇伝として、毎日散髪することが日課となっていた。
 1987年12月に『スター爆笑Q&A』で酒気帯びのまま出演をし、同じ司会の桂文珍、山田邦子の制止を振り切ってゲストの片岡鶴太郎らに食ってかかった。見兼ねた当時のマネージャーの大谷由里子が激怒し、やすしを舞台裏でビンタして諫めたことは有名。これがとどめをさす形で番組を降板する。さらに1988年10月にも二日酔いを理由に『三枝やすし興奮テレビ』の出演を直前にキャンセルしたために降板。1988年11月下旬、一八がタクシー運転手に対する傷害事件を起こして逮捕され、一八はやすしを通じて契約解消を言い渡された。1989年4月17日、愛車を運転中にバイクとの人身事故を起こし、バイクに乗っていた男性(58歳)に軽傷を負わせた。大阪府警が取調べた結果、体内からはアルコールが検出され、その知らせを受けた吉本興業は、遂にやすしとの専属芸能家契約を解除することを決断。事実上の解雇通告を言い渡されたやすしは多くの報道陣に対し「やめる、もう漫才をやめる」と号泣しながら話した1996年1月21日の夜、摂津市の自宅で寝たまま意識を失っているところを啓子夫人が発見、救急車で病院に運ばれたが、すでに心臓と呼吸が停止しており、意識が戻ることなく急逝した。51歳没。死去前日、大量にビールを飲んで吐き出し、啓子夫人が病院で診てもらおうと思った矢先の死だった。最後の言葉は夫人と娘に対して「水を欲しい」「ちょっと調子がおかしいから病院に行かんとあかんなぁ」「明日病院に行くわ」であった。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=cnJZgGO24-E

 小野ヤスシ

 1940年2月11日 - 2012年6月28日。タレント、 コメディアン、俳優、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称『鳥取が生んだ天才“ スーパースター”』。本名は小野泰。「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーで、1960年「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」とグループ名が変わってから正式に参加。1964年、桜井輝夫の脱退後にリーダーの座を譲られた碇矢長一(後のいかりや長介)のワンマン体制に反抗し対立。同じくメンバーだったジャイアント吉田、飯塚文男、猪熊虎五郎と共に4人で脱退。この4人に祝勝を加え、コミックバンド「ドンキーカルテット」を結成し、演芸ブームの追い風の中、人気を獲得する。
 1970年、ブームも下火となり解散。以降はタレントへ転身し、バラエティ番組では司会やリポーターなどで、映画やテレビドラマではコミカルなバイプレーヤーとして活躍した。
 2010年1月に腎盂腫瘍で右腎臓を全摘出。2010年3月に開いた自らの芸能生活50周年記念パーティーの席上で、これががんによる手術であることを公表していた。それ以降は治療に専念しつつ、体調を見ながら芸能活動を継続していたが、2012年6月28日、腎盂がんのため都内の病院で死去。72歳没。
 もしかすると彼がドリフターズに所属していたことを知らない人が大勢いるかもしれない。たぶん、ピン芸人かあるいは司会業などのタレントだと思っているに違いない。そして亡くなったこともご存じないかもしれない。我が福島県では、槙原寛巳と一緒に「さがみ典礼」という葬儀会社のCMに出演していたので、結構親しみがあった。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=Z4VEjHZfVu8

 春日照代

 「春日三球・照代」として活躍した夫婦漫才コンビ。 「地下鉄の電車 はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの。」のフレーズで有名な 地下鉄漫才で1970年代後半に一世を風靡し、立川談志をして「漫才でトリがとれる」と言わしまた。
 1965年に三球と照代で『春日三球・照代』を組み直し、夫婦漫才コンビで再出発した。 売れる前は三球がウクレレ(実際には三球は、ウクレレは弾けなく弾いていなかった事が多い)を、照代がギターを持ち、テーマソングの『線路は続くよどこまでも』を歌ってから音曲漫才を展開していたが、次第にボケを活かしたしゃべくりに徹するようになり、1970年代中頃には『地下鉄漫才』が大ブレークして全国区になった。地下鉄ネタに続き、新幹線ネタや山手線ネタなどの鉄道ネタ、タクシーやエスカレーターといった乗り物全般に関するネタをシリーズ化して人気を維持した。
 1987年に妻の照代が急逝し、三球は再び人気絶頂で相方を失う憂き目に遭う。失意の三球を見兼ねた周囲が、子役出身の声優で漫才経験のある若手女性芸人・芳賀みちるを世話してコンビを組ませ、舞台に復帰させたものの、くすぶったまま約1年で解消。

 春日照代(かすが てるよ、本名:近馬 せつ子<ちかま せつこ>1935年12月8日 - 1987年4月1日) 妻、ツッコミ担当。大阪府大阪市出身。テレビ番組『新伍のお待ちどおさま』(TBS系)に出演中、くも膜下出血に襲われた。舞台袖で急変し、近くの大学病院に搬送されたが、手遅れで手術できず、意識の戻らぬまま帰らぬ人となった。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=WNnnGeoroUI

 桜塚やっくん

 1976年9月24日 - 2013年10月5日)は、男性お笑い タレント、声優、俳優、歌手。以前はジャニーズ事務所に所属しており、本名の斎藤 恭央 (さいとう やすお)で活動していた。神奈川県出身。血液型B型。
 1999年には竹内幸輔とお笑いコンビ「あばれヌンチャク」結成。ツッコミ(ネタによってはボケ)の「(桜塚)やっくん」として、絵描き&ネタ作りを担当したが、2005年に、相方の竹内が声優に転向することを決意したことを機に、斎藤が竹内の希望を優先した結果、コンビを友好的に解散した。コンビ解消後、ピン芸人としてのネタを模索していたところ、「スケバン恐子」が作られた。現在はコンビ時代の愛称「桜塚やっくん」と改名している。スカート丈の長いセーラー服(2006年10月からスカーフが水色、竹刀、ロングのパーマかつらを装備した女装。関東スケバン連合の初代総長という設定で一人称は「アタイ」。ネタの内容は、初めに数名の観客を指名し、スケバン恐子のボケに対して指定された言葉を観客にツッコませるというもの。2006年4月からは有名な童話やテレビ番組などの紙芝居をするという内容になり、観客には作品に登場する人物などの役をやらせるようになった。巧妙なアドリブと、自らが描いた玄人はだしのイラストで、観客とやりとりし、場を盛り上げた。
 2013年10月5日、山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線、伊佐パーキングエリア付近で、自らがハンドルを握ってワンボックスカーを運転していた際に中央分離帯に衝突する単独事故を起こし、車外の路上に出たところを後続車にはねられた。その後病院に搬送されたが、同日18時16分、心臓破裂により死亡が確認された。37歳だった。

 動画はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=ntrglkyikb8

 他には、三遊亭圓楽も名人芸が冴える惜しまれて亡くなった方だろう。

 続いては、今もご健在で、活躍中の優れた芸をお持ちの方々はこちら

 「なんでかセレナーデ」の堺すすむ

 松鶴家千とせ 「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」のギャグと、「いぇーい」で決めるピース。

 

 さて、思いがけず、2回シリーズとなった今回の記事だが、いずれもその人にしかできない熟練の技を持ち、その技を見るために観客は寄席なり、公演会場に足を運んだに違いない。そういう名人芸は一朝一夕にできるものではなく、日々の絶えまぬ努力と厳しい鍛錬が陰ではあったに違いない。最高のエンターテナー達に敬意を払い、個々のご冥福を祈るとともに、彼らの技を後世に継承する若手芸人の誕生を心から願ってやまない。

 記事作成:1月25日(土)~26日(日)


今週の山岸舞彩キャスター(1/28~1/30)

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毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 1月28日(月)

 この日はブルーレイレコーダーの予約不履行(不作動)により、録画できていない事態に陥りました。したがってこの日の山岸キャスターの様子を掲載する画像がありません。ご了承願います。

 1月29日(火)

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 1月30日(水)

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 1月31日(木)

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日本政府を震撼させた事件・事故

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 本日は少々堅い話で恐縮だ。「危機管理能力」という言葉がある。会社や企業でも機密事項は守秘義務を負うが、こと国家存亡を揺るがすような大事件や大事故がこの100年を回顧しただけでも無数にあった。対応を一歩誤ると、取り返しがつかない重大な危険に陥っていたと思われる事件や事故があった。日本では、クーデターや暴動はおそらくは起こりえないだろうが、中国や韓国の約一世紀越しの怨恨は一向に衰えることを知らない。それどころか、領土問題や従軍慰安婦問題など未だにくすぶり続け、それを火種にして抗日や反日を叫ぶで、自分たちの結束力を高める手段や材料にしているきらいがある。歴史認識をネタに日本に猛省を促し、謝罪と賠償を吹っかけている外交手法はいかにも両国らしい。断わっておくが、先の戦争に対して、日本は両国に経済発展のための技術伝達のための人材派遣や工場設営に伴う雇用確保、さらには資金提供といった方法で、十分に償いをしているはずだ。それを今でさえ、戦争を知らない世代が、積年の恨みとばかりに、ことあるごとに日本を悪者にし、亡き者と陥れようとする工作が現代社会においてもありありと窺える。結局は、日中関係および日韓関係は根本において相容れないし、真の友好関係を構築するなどあり得ないことだと悟った。それが政府間、国家間という公であるならなおさらだ。

 さて、今回は、日本という治安がすこぶる良く、安心して暮らせる国において、身の危険など微塵も感じないが、この100年で国家存亡の危機ともいうべき事件や事故が相次いで起きたことをご存じだろうか。今日は、政府がそうした重大な決断を迫られた事象や出来事をお送りしたい。

 1 東京電力福島第一原子力発電所爆発事故

http://www.youtube.com/watch?v=AwwdYbpLOio

 平成23年3月11日、午後2時46分に発生した巨大地震によって東北地方から関東地方の太平洋沿岸部にかけて、大津波が押し寄せ、未曽有の大災害が発生。2万人近い死者・行方不明者を出すこととなった。福島県沿岸部もその例にもれず、高さ15mを越える想定外の巨大津波が押し寄せ、大熊町にある原子力発電所を直撃。施設の大部分が浸水し、全電源を喪失するというあるまじき非常事態が起きた。これにより、原子炉内部の核燃料棒を冷却できず、高温となり、原子炉が溶け、放射性物質を多分に含む核燃料が漏れるメルトダウンが発生。その数日後には、高温にさらされた原子炉建屋内で充満したガスにより水蒸気爆発が起きた。三重四重に安全策が施された筈の原子力発電所でアンコントロール状態に陥り、こともあろうに放射性物質を拡散させる重大事故に発展した。テレビでは官邸と東電本社、さらには原発の制御室での緊迫したやりとりが展開され、連日のように報道された。この福島第一原子力発電所は原子炉を六基兼ね備えた国内最大級の発電能力を誇る施設であったことから、事態を一層深刻化させた。
 これは、私の居住地である地元・福島で起きた重大事故だけに、身近すぎるし、ひょっとすると故郷を捨てて遠くに避難しなければならないと一大決心を迫られたものだった。今もって内心は穏やかではないが、何事もなかったように、以前と同様の生活を送れていることは奇跡に近い。この出来事を腫れ物に触るような過去の遺物とさせては断じてならない。

 2 よど号ハイジャック事件 

 1970年3月31日、羽田 発福岡行き日本航空351便「よど号」(乗客131人、乗員7人)を赤軍派9人が乗っ取り 平壌行きを要求。犯人グループは説得に応じず、乗客乗員の身を案じた政府が超法規的措置により、条件に応じた。しかし、燃料不足を理由に福岡・板付空港に着陸して平壌へ向かったが、 ソウルの金浦(キンポ)空港に到着した。韓国当局は空港の表示を隠し、政府関係者に北朝鮮風の軍服を着せるなどして偽装したが、空港内に米民間機が止まっていたことなどから犯人が気づいた。日韓政府の説得を受け、犯人らは山村新治郎運輸政務次官を身代わりとして乗客らを解放。事件4日目、平壌の美林(ミリム)飛行場に到着した。犯行メンバーらは有本恵子さんら日本人拉致にかかわったとされる。日本政府は、北朝鮮に残る4人の引き渡しを求めている。

 

 3 旧ソ連ベレンコ中尉亡命事件

 米ソ冷戦時代の1976年9月6日 、ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコが、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日本の 函館市に着陸し、亡命を求めた事件である。

 4 霧社事件

 1930年10月27日に起こった台湾の霧社高山(こうざん)族の抗日蜂起事件。暴動の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に日本人巡査が原住民の 若者を殴打した事件である。遠因は,長年つづいた権謀術策と欺瞞(ぎまん)に満ちた理蕃政策への総反抗,近因は,部落民への過度な強制労働ならびに指導者モーナ・ルダオ一族への凌辱などが積み重なって引き金となったことが考えられる。蜂起高山族の計画的な一斉襲撃に日本官民側の犠牲は老幼男女を含んで134名にのぼった。霧社(現,南投県仁愛郷)は,〈蕃界〉中もっとも開化が進み,教育水準も高いと折紙をつけられていた部落だった。

http://www.youtube.com/watch?v=Wm3ygpGqw9M

http://www.youtube.com/watch?v=W9ZFlP6GePo

 5 黒い霧事件

 1964年の県議会議長選挙に絡み、自民党県議に投票依頼の目的で金が配られた贈収賄事件。66年に発覚し、県議や元県議20人が起訴された政治不信事件。89年1月、最高裁で11被告の有罪が確定。-

 6 ロッキード事件(現職首相の犯罪)

 米ロッキード社から日本の政界などへ流れた資金をめぐり、1976年に明るみに出た戦後最大の疑獄事件。田中角栄元首相ら政治家、丸紅、全日空の幹部ら計16人が受託収賄、贈賄などの罪で起訴された。丸紅の檜山広元社長ら幹部3人は、田中元首相への5億円の資金提供に関与したとして逮捕。檜山元社長については、95年2月に最高裁で有罪が確定した。

 7 北朝鮮による拉致と人質解放

 1970 年代から1980年代にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員や土台人、 よど号グループなどにより、多数の日本人が極秘裏に北朝鮮に拉致された国際犯罪事件。日本では国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすテロとされている。北朝鮮は長年事件への関与を否定してきたが、2002年平壌で行われた日朝首脳会談で日本人の拉致を認め、謝罪し、再発の防止を約束した。
 日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人。 北朝鮮政府側はこのうち13人(男性6人、女性7人)について拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と明らかにした。しかし、日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっている。

 8 日本を取り巻く領土問題(北方領土・尖閣諸島・竹島)

 現在、オホーツク海から日本海にかけて存在する領土問題は3つある。日露間の北方領土、日韓に存在する竹島問題。そして魚釣島がある尖閣諸島の問題。いずれのケースも、双方とも自国の領土だといって譲らない。過激行動で上陸したり、連日のように領海侵犯を繰り返す中国の監視船や漁船の横暴行為。日本政府はこれに対応する術を持ち合わせていない。
 かつて物言わぬ中国が、年を追うごとにあれほどズケズケと日本への徹底抗戦を叫び出したのは、GDPにおいて日本を抜き、世界第2位の地位を確立するほど経済大国化し、民族が裕福な生活を手に入れたからに相違ない。もとから人口が10億を超える巨大国家。そこにイデオロギーや思想や個々の主張、言論統制が緩和すれば怖いものなし。もとより著作権や肖像権などの法整備は疎く、ネットを介しての抗日行動も可能となれば、それを扇動する輩も出現するのは必然。どんどん日本を悪者に仕立て上げ、戦争の火種を模索するようになり、一触即発の危険性は高まる一方。中国はその機を虎視眈々と狙っているだろう。日本憎しの恨みの感情や復讐心に雁字搦めの発想からは友好の概念など生み出される訳がない。

 9 オウム真理教事件

 

 松本サリン事件、目黒公証役場仮谷さん拉致殺害、坂本弁護士一家殺害、そして地下鉄サリン事件で大勢の無実な人を死に追いやった悪魔のカルト集団。麻原彰晃こと松本智津夫を教祖とする絶対命令服従のピラミッド型の君主社会を構築し、医師も巻き込み、ポアの名のもとに多くの犯罪を実行した。今、事件にかかわった犯行グループが逮捕され、裁判で死刑を含む重罪が確定している。最後まで逃亡していた平田信、菊池直子、高橋克也らが捕まり、最後の詰めとなる裁判が開かれている。裁判で事件に関与した全ので刑が確定次第、順次執行されると見られている。

10 瀋陽の日本領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件

 2002年5月8日、金高哲一家など5人の亡命者は日本国総領事館に駆け込みを画策、失敗し中国人民武装警察部隊に取り押さえられた。その際、総領事館の敷地内に無断で足を踏み入れていたこと、逮捕された亡命者が北朝鮮へと送還される可能性があったこと、日本国内の中国大使館および駐中大使・阿南惟茂の事件への対応を巡り批判、問題が発生した。その後中国政府は「同意は存在した」と主張を変更。訪中した、現地調査チームトップの外務省小野正昭官房領事移住部長が、羅田広中華人民共和国外交部領事司司長と面会し、日本側職員は中国人民武装警察部隊の警官が瀋陽総領事館に入り亡命者を連行することに同意していないとの日本側調査内容を説明したのに対し、羅司長は、中国側の調査結果と食い違うとし、副領事の同意を得ていたなどとする反論を行った。日本側外務省が情報を小出しにして事態の沈静化を図る。その後韓国への亡命が認められた金高哲は日本での講演に際して、北朝鮮における体制、事件の際の領事館の対応、日本の一部マスメディアなどを批判している。

11 イラク戦争の自衛隊派遣

 海上での給油活動やサモーアでの後方支援活動に終始した。国際協調という観点から、紛争地に自衛隊を派遣することが、憲法違反に当たらないかと批判され、国会で連日白熱した論議が展開された。結局は時の政権の自民党が一方的に押し切って断行した経緯がある。もし派遣先で、テロや反撃の標的にされ、命を落とすようなことがあれば、いかなる責任をとっていたのだろうか。アメリカの顔色をうかがう日和見外交では、中立的立場を貫く主義主張などあり得なかっただろう。

12 憲法改正論議

 今年から来年にかけてもっとも議論が高まり、与野党間や有識者を含めた政府の専門機関、当該委員会において白熱した議論やギリギリの折衝や攻防があることは容易に想像できる。もしこれが実現すれば、第二次安倍内閣の目玉になるような政策になるが、これほど危険極まりない論議はあり得ない。再び日本が軍事国家の道を歩む契機になるかもしれないからだ。中韓などアジア周辺諸国は、このことを酷く恐れている。日本人の賢さに加え、万が一再び武力を持てば、世界征服もあり得るという脅威が常に渦巻くからだ。憲法改正=第9条の改正にほかならない。つまり、恒久平和を願う日本が、戦後70年近くも戦争に加担しない平和な世が保たれたのは、この憲法9条に定める「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の三原則と「非核三原則」 (核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない)の遵守を励行してきたからに他ならない。この基本原則や根本精神を捻じ曲げて実行するほど日本は追い込まれているということだろう。

 ほかにも日本で発生したり、日本人が関与した事件や事故には「阪神淡路大震災」やソ連戦闘機による「大韓航空撃墜事件」、金賢姫による「大韓航空機爆破事件」、日本に滞在中にホテルから連れ去られた「金大中氏拉致事件」などがある。また、外国で起き、政府の対応が迫られた事件・事故にはフジモリ大統領が対応にあたった「ペルー日本大使館人質事件」、記憶に新しい「アルジェリア日本人質殺害事件」などがある。

 よくぞまぁ平和な日本でこれだけの事件や事故が起きたものだと感心してしまう。もちろん当事者にしてみれば、決して楽観すべきことではないし、いたたまれないであろう。

 記事作成:1月20日(月)~23日(木) 

映画・ドラマの全国ロケ地ガイド

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 私は昔から俗物根性が染みついているらしく、映画やテレビドラマで取り上げられた場所を訪れてみたくなる衝動に駆られる。それは大学生の頃からで、約30年もの間変わらない。これまでに訪れた場所は、北海道を舞台に描かれた「北の国から」(富良野・麓郷・布部)、「昨日、悲別で」(上砂川・歌志内)、「少女に何が起こったか」(抜海)を始め、本州でも「土曜ワイド劇場・江戸川乱歩の美女シリーズ」(伊豆半島・三浦半島ほか)、「男女7人夏(秋)物語」(隅田川周辺)、「白虎隊」と「八重の桜」(会津若松・喜多方ほか)、「フラガール」(いわき・常磐湯本界隈)、「てっぱん」「転校生」(尾道)などが主な場所だ。他にも東京に住んでいた時は、「いい旅夢気分」や「路線バスの旅」が放送されると、すぐにその位置を確認し、実際の場所を訪ね、その雰囲気を味わい満喫したものだ。感化されやすい性格が災いしてのことだが、まぁ簡単に言えばミーハー以外の何物でもない。
 これは特異なケースなのかもしれないが、世の中には私のような変わり種の趣味を持つ方々は大勢いて、「全国ロケ地ガイド」や「マップ」を題材にしてホームページやブログにまとめ、公開している私以上にマニアックで貴重な方々が存在している。上には上がいるものだと感心してしまう。
 私はこうした性格を逆手にとって、このようなテレビドラマや映画のロケ地やCMで背景に映っているスポット、あるいはミュージックビデオ(MVやPV)などをテーマにしたガイドブックを編纂し、発売すれば、かなり売れるのではないかと考えている。昨年から今年にかけて、我が故郷、福島県の会津が大河ドラマ「八重の桜」に取り上げられて以降、全国から観光客が訪れ、震災復興の一助となった。また、岩手県の三陸の何の売りもない長閑な漁村にすぎなかった久慈市周辺が、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台として取り上げられるや否や、脚光を浴び、大変なブームとなり、わんさか観光客が押し寄せる現象が随所に見られた。
 したがって、出版社の方には、ぜひとも検討をお願いしたい。「まっぷる」や「るるぶ」などでドラマや映画の場面に登場する場所を現地取材し、その詳細を記事にまとめて発売すれば、大変な売れ行きになること間違いなしだ。もちろん、ロケ地を写真入りで解説付きで紹介することはもちろんだが、そこまでのアクセス方法を記した交通案内や詳しい見どころを記載し、名産品やお土産、さらには食堂やホテルも掲載し、それぞれの売りも書いておけば、経済効果もあって地域振興にひと役買う筈だ。ぜひ一考をお願いたい。

 さて、今日は、タイトルが示す通り、私がぜひ訪れてみたいロケ地を列挙し、1千万アクセスを超えるほど人気が高い「全国ロケ地ガイド」のページをリンクしたい。これらを参考にしてガイドブックに落とせば、それを片手にロケ地巡りを容易にできるという腹だ。

 まず私がぜひ紹介したい貴重なロケ地を取り上げたホームページとブログを紹介したい。

 1 「全国ロケ地ガイド」 http://loca.ash.jp/indexname.htm

 2 「ドラマロケ地案内」 http://location.la.coocan.jp/

 これらのサイトの人気は凄まじく、1千万アクセスを超えるほどだ。このサイトでロケ地をチェックして、それをもとにして目的地に出掛ける人も多いようだ。それでは早速だが、私が好きだったドラマをメインとした、主な映画・ドラマのロケ地情報をどうぞ!

 「青い鳥」(豊川悦司・夏川結衣・佐野史郎)・・・長野県諏訪郡富士見境

 http://loca.ash.jp/show/1997/d199710_aoitori.htm

 「あまちゃん」(能年玲奈・小泉今日子・宮本信子・橋本愛)・・・岩手県久慈市・小袖漁港

 http://loca.ash.jp/show/2013/a2013_amachan.htm 

 「俺たちの旅・朝」(中村雅俊・田中健・秋野大作・勝野洋・長谷直美・岡田奈々)・・・鎌倉・湘南海岸・極楽寺駅・江の島・藤沢市

 http://mojim.net/tw_search_u2_jtDBV3mfiS8.html

 http://ke-ta.iza.ne.jp/blog/entry/1023815/
 

 http://toshimc.blog103.fc2.com/blog-entry-980.html

 「ウォーターボーイズ」(妻夫木聡・玉木宏・山田孝之・平山あや)・・・静岡県・千葉県

 http://loca.ash.jp/show/2003/d200307_waterboys.htm

 「ゆうひが丘の総理大臣」「あさひが丘の大統領」(中村雅俊・宮内淳・井上純一・藤谷美和子)・・・藤沢市・八王子市

 http://loca.ash.jp/show/1994/d197810_yuuhi.htm

 http://www.geocities.jp/mayudan3/

 「毎度おさわがせします」(中山美穂・木村一八・小野寺昭・篠ひろ子)・・・多摩ニュータウン
 http://tamalocationmap.blog121.fc2.com/blog-entry-20.html

 http://ameblo.jp/akotirin/theme-10049446210.html

 「白線流し」(酒井美紀・長瀬智也・柏原崇・京野ことみ・遊佐亮子)・・・長野県松本市

 http://loca.ash.jp/show/1996/d199601_hakusen.htm

 「季節はずれの海岸物語」(片岡鶴太郎・可愛かずみ・渡辺美奈代)・・・湘南海岸

 http://keikyubus.cocolog-nifty.com/diary/2010/09/10que-6d3e.html

 http://asmic.com/blog/index.php?c=27-11

 「幸福の黄色いハンカチ」(高倉健・倍賞千恵子・桃井かおり・武田鉄矢)・・・網走市・夕張市
 http://www.ac.auone-net.jp/~takizawa/hokkaido2011.html

 「金田一耕助シリーズ」(古谷一行・加藤武・ハナ肇)・・・長野県・群馬県界隈

  http://loca.ash.jp/info/2004/e2004_yatsuhaka.htm

 http://loca.ash.jp/show/2004/e2004_yatsuhaka.htm

 「スクール☆ウォーズ」(山下真司・松村雄基・伊藤かずえ・岩崎良美・岡田奈々)

 http://loca.ash.jp/show/1994/d198410_schoolwars.htm

 「振り返れば奴がいる」(織田裕二・石黒賢・加賀丈史・佐藤B作・西村雅彦)・・・都内

  http://loca.ash.jp/show/1994/d199301_furi.htm

 「家政婦のミタ」(松嶋菜々子・長谷川博己・相武紗季・忽那汐里・本田望結・白川由美)・・・神奈川県・埼玉県

 http://loca.ash.jp/show/2011/d201110_kaseifu.htm

 「3年B組金八先生」(武田鉄矢・赤木春江・名取裕子・たのきん・杉田かおる・三原じゅん子・沖田浩之・伊藤つかさ)・・・荒川区

 http://loca.ash.jp/show/2004/d200410_kinpachi.htm

 「生徒諸君!」(上田美恵・松村雄基・田島理司・金久保美幸・古川雅子・北詰友樹)

 http://loca.ash.jp/show/2007/d200704_seito.htm

 「東京ラブストーリー」(織田裕二・鈴木保奈美・有森成実・江口洋介)・・・東京都内・愛媛県 
 http://loca.ash.jp/show/1994/d199101_tokyolove.htm

 「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」(豊川悦司・加藤あい・峰岸徹・風吹ジュン)・・・倉敷市・瀬戸内

 http://www.f3.dion.ne.jp/~arision/page-dousoukaiheyoukoso-1.htm

 http://www.f3.dion.ne.jp/~arision/page-dousoukaiheyoukoso-2.htm

 「花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~」(堀北真希・小栗旬・生田斗真・水嶋ヒロ)

・・・茨城県牛久

 http://loca.ash.jp/show/2007/d200707_hanakimi.htm

 「ROOKIES」(佐藤隆太・市原隼人・小出恵介・城田優・水嶋ヒロ・中尾明慶)

 http://loca.ash.jp/show/2008/d200804_rookies.htm

 「私をスキーに連れてって」(原田知世・三上博史・布施博・高橋ひとみ)・・・東京都内・志賀高原・万座温泉

 http://yukihitorigotobeya.blog25.fc2.com/blog-entry-805.html

 http://mecsite.jugem.cc/?eid=541

 「キスの温度」(鈴木保奈美・織田裕二・石黒賢・山口智子・岩城滉一)・・・・東京都内

 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-26309

 「波の数だけ抱きしめて」(織田裕二・中山美穂・松下由樹・別所哲也)

 http://kobaq.aor.fm/2013/07/24/%E6%B3%A2%E3%81%AE%E6%95%B0%E3%81%A0%E3%81%91%E6%8A%B1%E3%81%8D%E3%81%97%E3%82%81%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B1%E5%9C%B0%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%99%EF%BC%81/

 「JIN-仁-」(大沢たかお・綾瀬はるか・中谷美紀・小出恵介・武田鉄矢・麻生祐未)・・・ワープステーション江戸・日光江戸村

 http://loca.ash.jp/show/2009/d200910_jin.htm

 「半沢直樹」(堺雅人・上戸彩・及川光博・香川照之・北大路欣也」・・・・東京都内

 http://loca.ash.jp/show/2013/d201307_hanzawa.htm

 「東京コントロール・エアポート」(川原亜矢子・時任三郎・深田恭子・瀬戸朝香)・・・所沢市・羽田空港

 http://loca.ash.jp/show/2011/d201101_tkcontrol.htm

 http://loca.ash.jp/show/2012/d201210_airport.htm

 「八日目の蝉」(永作博美・井上真央・森口瑤子・小池栄子)・・・小豆島・足利市

 http://loca.ash.jp/show/2011/m2011_8kame.htm

 「時をかける少女」(仲里依紗・中尾明慶・原田知世)・・・東京都内・郡山市

 http://loca.ash.jp/show/2006/s2006_tokikake.htm

 「夏子の酒」(和久井映見・中井貴一・萩原聖人・高松英郎・若村麻由美)・・・新潟県長岡市

 http://loca.ash.jp/show/1994/d199401_natuko.htm

 「逃走中・戦闘中」(眞鍋かをり・オードリー春日・清原和博・ハンターほか)・・・ワープステーション江戸・愛知県明治村

 http://www.ibarakiguide.jp/db-kanko/warpstation_edo.html

 http://www.meijimura.com/

 「スィングガール」(上野樹里・本仮屋ユイカ・貫地谷しほり・竹中直人・白石美帆)

 http://loca.ash.jp/show/2004/m2004_swinggirls.htm

 MV(PV)やCM ・・・なぜかファンモンが多い。

 「もう君がいない」(戸田恵梨香)・・・関東鉄道常総線・騰波ノ江駅(とばのええき)

 http://18kipper.blog.fc2.com/blog-entry-191.html

 「SAKURA」(いきものがかり)・・・小田原線・富永駅

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B4%E9%A7%85

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 念のためにこれまで私が訪れたロケ地も紹介しておきたい。

 「北の国から」 http://loca.ash.jp/show/1994/d198110_kitakara.htm

 「てっぱん」「転校生」 http://loca.ash.jp/show/2010/a2010_teppan.htm

 「フラガール」 http://loca.ash.jp/show/2006/m2006_fulagirl.htm

 「男女7人夏物語」 http://loca.ash.jp/show/1994/d198607_danjyonatu.htm

 「男女7人秋物語」 http://loca.ash.jp/show/1994/d198710_danjyoaki.htm

 「土曜ワイド劇場江戸川乱歩の美女シリーズ」(天知茂・五十嵐めぐみ・荒井注)・・・伊豆半島・三浦半島界隈

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ce75.html

 「白虎隊」「八重の桜」

 http://loca.ash.jp/show/2013/t2013_yaenosakura.htm

 さて、今回の記事はいかがでしたか。ドラマや映画の撮影は、その大部分がスタジオセットでの撮影していることが常だが、屋外ロケも決して少なくはない。繰り返しになるが、我が故郷で地元の福島県では、会津若松と喜多方地方が昨年、NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台として取り上げられ、ロケ地を中心に全国から観光客が大挙して訪れ大変な賑わいを見せた。その経済効果は計り知れず、震災復興の一助となったことは言うに及ばない。また、岩手県の三陸海岸もまた、大勢の方が津波の犠牲になった被災地だ。そこはご承知のように、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となり、大人気を博し、ロケ地となった久慈市周辺は連日大勢の観光客が押し寄せ、三陸鉄道を始め、地元の観光協会も予想だにしない空前のロケ地ブームが沸き起こった。それほどテレビや映画、CMなどの影響は大きいということだ。

 一方では、私たちもまた、テレビドラマや映画などで取り上げられた場所は、得体の知れぬ付加価値があるように思えてしまう。ドラマのワンシーンに登場した風光明媚な場所が何か特別な場所に思えたり、、都会の雑踏を離れて実際に足を運んでみれば、思いがけず普段の自分とは違う新たな自分に出会える可能性も広がる。また地元の人々との触れ合いや予期せぬ出会いも期待できる。さぁあなたも部屋に閉じこもっていないで、こうしたロケ地を旅してみませんか?主人公になった気分でロケ地に立ち、同じ雰囲気を味わってみるのも一興だ。また、その土地の名物や名産に触れ、おいしいものをたくさん食べ、お土産を買って帰りましょう。話のネタにもなるし、新しい発見や刺激を求めて、日常生活では味わえないような体験ができるにちがいありません。未知の世界へといざなう扉をあなた自身の手で開けてほしいと思い、今回の記事を企画し、執筆した次第です。

 記事作成:1月24日(金)

O型女性に惚れやすいA型男性

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はじめに・・・「血液型別性格診断」に興味のない方は閲覧をご遠慮ください。

 

昨年の12月初旬に、当ブログで「B型男性に惚れやすいA型女性」という記事を書いたところ、今でも毎日100件を越えるアクセスがあるほどの反響がある。「血液型別性格診断」は、賛否両論あり、しばし批判的なコメントを寄せる方もいるにはいるが、人間相手の職業に就いている私には格好の判断材料だし、人間関係を円滑に遂行する上で、即効性の高い有効な資料にも成り得る。私のように長らく人間観察をしていると、血液型の差異によって、発想や持論、性格、行動までもがこれほど異なるものかと、興味津々になる半面、深入りすればするほど怖くもなる。しかし、そうした異なる性質の傾向をつかめば、たとえば時間に対してルーズで、自分勝手なマイペースのB型を前にしても、「血液型のせいにしてしまえば、あまり目くじらをたてずに済む」という具合だ。まぁ、人間関係を円満に行うための、ひとつの参考資料にしておけば、誰にも何の迷惑もかからないというものだ。

 

 さて、今回は、日本人の約4割を占めるA型の特徴の第二弾として、「A型男性がO型女性に惚れやすい」という視点で検証してみたい。

                                        
 私の友人の
A型男性は、これまで好きになる芸能人は圧倒的にO型女性が多かったと言っている。

 古くは天地真理、岡田奈々、木之内みどり、80年代には伊藤つかさ、小泉今日子、有森也実、鶴田真由、森高千里、最近でも小野真弓、安田美沙子、長野美郷、吉高由里子、桜庭ななみ、瀧本美織、山岸舞彩らがいる。上に挙げた方々は、実は私も大好きだった面々だが・・・。

 理由を聞くと、何でも許してくれそうな雰囲気と色白で丸顔なのが人懐っこい印象を与えるという。そして何より、おおらかであまり細かいことにこだわらない点が、癒しになるという。私はこれはA型男性が、日頃から几帳面で神経質、正義感や責任感が強く、自分を上手に表現できないような自制心で抑圧された生活を日々送っていて、そのストレスを溜め込みやすい性質を、こうしたO型女性の持つ雰囲気や性格が癒しの元になると考えてのことだと思う。

                                       
 では、まずは
O型女性の性格や行動面での特徴を挙げ、O型有名人を列挙したい。
                                      
                                     

 <O型女性の特徴>

 社交的でバイタリティがある。個性的な人が大好き。自己顕示欲が強い。力関係に敏感で長いものに巻かれやすい。風見鶏傾向。甘え上手。おおらか。くよくよしない。物事を肯定的にとらえる。細かいことに執着しない。赤色を好む。年下には命令したがる。恋愛問題(三角関係など)に巻き込まれる傾向が強い。

早婚傾向。体の特徴は、色白美肌だが肉がつきやすい体質。丸顔だが、とんがり顎に特徴があって、口と歯が大きい。

 

 <歌手・女優・モデル・タレント>

 

 吉永小百合、天地真理、麻丘めぐみ、桜田淳子、伊藤蘭、増田恵子、小泉今日

子、河合奈保子、伊藤つかさ、新田恵利、高井麻巳子、石原真理子、島田奈美、有

森也実、鶴田真由、森高千里、優香、川島海荷、壇蜜、松井玲奈、本田翼、上戸

、深田恭子、神田うの、田中美佐子、千秋、広末涼子、北川景子、三田佳子、宮

崎あおい、後藤真希、相武紗季、加藤あい、井上真央、南沢奈央、桜庭ななみ、小

池里奈、篠原愛実、徳永えり、戸田恵子、山田優、小雪、熊田曜子、深津絵里、蛯

原友里、内山理名、天海祐希、松任谷由実、大塚愛、中山美穂、一青窈、美空ひば

り、坂本冬美、和田アキ子、矢田亜希子、真矢みき、中島みゆき、市毛良枝、香

由宇、スザンヌ、平愛梨、北乃きい、倉科カナ、成海璃子、小嶋陽菜、指原莉乃、

川栄李奈、横山由依、木崎ゆりあ、田部未華子、中村玉緒、はるな愛、富司純子、

南明奈、蓮沸美沙子、絢香、安室奈美恵、平野綾、ほしのあき、大沢あかね、片平

なぎさ、川口春奈、剛力彩芽、菜々緒、原幹恵、西山茉希、橋本愛、宮本信子、板

谷由夏、辻元舞、大久保佳代子、リン・チーリン、キム・テヒ、イモトアヤコなど

 

 

 <文化人>

 

 梅沢由香里(女流棋士)、林真理子、戸川昌子、林芙美子

 

 <スポーツアスリート>

 

 安藤美姫、浅尾美和、荒川静香、大林素子、高橋尚子、野口みづき、吉田沙保

里、木村沙織、諸見里しのぶ、有村智恵、宅島美香

 

 

 <女子アナ>

 

 相内優香、石本沙織、加藤綾子、生野陽子、高橋真麻、長野美郷、山岸舞彩、夏

目三久、西尾由佳理、馬場典子、枡田絵理奈、松尾翠、山崎夕貴、豊田綾乃、佐藤

渚、唐橋ユミ、曽田麻衣子、高見侑里、橋谷能理子、丸岡いずみ、宮澤智、井上あ

さひ、徳島えりか、佐藤良子、高橋真麻、三上真奈、竹内由恵、松尾由美子

 

 何か顔ぶれを見ると、皆、透き通るような色白で丸顔の人ばかり。いずれも癒し系の雰囲気を持っている。ほのぼのし、誰からも好感を持たれる感じがある。40年前に「サユリスト」として多くの男性先輩諸氏が熱を上げたとおり、多くの熱狂的なファンがつくのもO型の醸し出す雰囲気によるところが大きい。

 

 また、職業で見ると、O型は水商売や風俗、AVタレント、キャバ嬢などの分野で、O型が牛耳っている節がある。社交的で人付き合いが巧な性格により、力や金を持っている人間に媚を売ったり、すり寄って行き、そのおこぼれをもらう傾向があるので向いていると言える。

 

 では、次に、テーマのように、なぜA型男性がO型女性を好きになりやすいのか、その性格傾向から見てみたい。

 

 <A型男性の特徴>

 

 真面目。礼儀正しい。法令順守(きまりや規則などに厳しい)。責任感が強い。神経質。几帳面。勤勉。厳格でしっかりした印象。とっつきにくい。性格にムラがあって、表と裏を使い分ける。堅物でとっつきにくい印象。公私を分ける。壁を作りやすい。現実逃避傾向。旅行好き。マンネリを嫌い、刺激を求める傾向。気難しく、自己PRや人間関係ベタでストレスをためやすく、自信を失いやすい。失敗すると尾を引く。取り越し苦労なまでの心配性。プレッシャーに弱い。我慢強い。周囲に気を使いすぎ。 

 

 <俳優・歌手・タレント>

 

坂口憲二、唐沢寿明、織田裕二、市原隼人、佐藤健、桑田佳祐、小出恵介、中居正広、香取慎吾、草なぎ剛、嵐(大野智、二宮和紀、櫻井翔、松本潤)、滝澤秀明、東山紀之、佐藤隆太、藤木直人、押尾学、大沢たかお、渡辺謙、玉木宏、山田孝之、成宮寛貴、柏原崇、藤原竜也、谷原章介、舘ひろし、竹中直人、平井堅、Gackt、氷川きよし、小田和正、さだまさし、藤井フミヤ、玉置浩二、長渕剛、郷ひろみ、太川陽介、有吉弘行、加勢大周、田代まさし

 

<お笑い芸人>
                                       

矢部浩之、田村亮、タカトシのトシ、アンジャッシュ児島、よゐこ濱口、石橋貴

明、浜田雅功、さまぁ~ず三村、キャイ~ン天野

 

<司会>

  

久米宏、みのもんた、萩本欽一、関口宏、志村けん、糸井重里

 

<スポーツアスリート・監督>

 

 ダルビッシュ有、田中将大、阿部慎之助、原辰徳、藤浪晋太郎、仰木彬、斎藤祐

 

樹、田臥勇太、藤田寛之、宮里優作、船木和喜、原田雅彦、岡田武史

 

 偏見は一切無いが、A型男性は浮気性の人が多いし、むっつりスケベが多いとされる。レンタル店でこっそりとAVを借りる人が多かったり、「盗撮」容疑で捕まる人の大部分はA型が多いという統計がある。規律にうるさいA型がなぜこうなるかというと、普段から自分を上手に公の場や社会でアピールできない人が多く、本音と建前を使い分ける。表の顔と裏の顔がある。外面が良い反面、内弁慶で家庭内暴力に訴えやすい。それだけ抑圧され、自分を押し殺した日常生活を送っているため、箍が外れるとストッパーが利かなくなる。田代まさしや押尾学のように麻薬に手を出し、正常な判断ができなくなるケースもある。そして日常を離れ、旅行に出かけると、「旅の恥のかきすて」とばかりに豹変する人もA型男性が多いようだ。逆に言うと、人付き合いに疲れ、そのストレスを発散したり、解放されようとするために、現実逃避とばかりに新たな刺激を求めて旅に出て、一時の快楽(スリル感やアバンチュール)に走りたがる。そこにO型女性の存在が大きくなるし、救いとなる。つまり、あまり細かいことにこだわらず、甘えることも甘えさせることも上手でその術を心得ているO型女性は、一服の清涼剤に役目を果たしてくれる。自分のことだけを愛してくれている人を好むO型女性は、実は独占欲も自己顕示欲も強い。もし、自分の夫が人から悪く言われたら、自分も言われていると思い、徹底的に庇って反論する筈だ。

 

 一方のA型男性は普段、人前ではべたべたしたりいちゃつくのを人目を気にしすぎて出来ない。しかし、二人っきりになるとO型の前ではと単に癒しや安らぎを求めて甘える傾向が強くなる。大げさかもしれないが、それほどA型は「男は外に出ると7人の敵がいる」という感覚で過ごしており、心の休まる隙がないということだろう。したがって心のよりどころになってくれるクッション材がO型という理由だ。そしてO型は感情表現が豊かで、恋愛表現もいたってストレート。感受性も強い。裏表が少ないこともA型男性には安心して心を委ねられる気がする筈だ。プライドが高く、弱みを人に見せたがらないA型男性を柔らかく包み込むスポンジのような存在になるのである。

 O型女性は、男性側からすればアイドルやマドンナになりやすい。可愛ければなおさらそうで、A型男性同士、あるいはB型男性との奪い合いになる傾向がある。O型の河合奈保子が歌った「けんかをやめて~ふたりを止めて~私のために~争わないで~もうこれ以上」という図式がズバリ成り立つ。

 

ただし、短所ももちろんある。O型女性が、独占欲が強いあまりに高飛車に出たり、或る意味ナイーブで気を使ったり、サービス精神から相手をもてなしたり、あるいはさりげない気配りすることを生き甲斐にしているA型男性に対し、大雑把な本性が多くなったり、無神経に振舞ったりすると、男性は嫌気が差す。とたんにA型男性は無口になり、会話が激減する可能性がある。また、A型男性は年下のO型妻とは歳が離れているほどうまくいくと言われる。O型は力関係に敏感で、年上には気に入られようと甘え上手になる面がある。だから歳が離れれば、それだけ夫唱婦随の関係が構築される。相手の立場やプライドが明確化するからだ。O型は黙ってついていけばいいから気も楽になる。

反対に歳が近いと、その操縦が難儀になる。O型同士は歳が近いと、どちらもグループを作り、そのお山の大将に収まりたい性格なので、ライバル関係となり、敵対しやすくなる。ビートたけし、タモリ、和田アキ子などがいい例だ。またO型が年上でA型が年下夫の場合は気をつけなければならない。力関係からみてもO型が断然強い。年下対しては親分肌を吹かせる性格のため、命令口調になったり、夫を顎で使い出す。こうなるともともと何事も真面目にやろうと考えているA型夫はプライドを傷つけられて逃げ腰になる筈だ。そして家に帰るのが億劫になる。

 

 一般的に結婚後に女性は強くなる傾向が強く、人によっては結婚前とは別人のように変わる人もいる。O型女性がA型男性の才能を高く評価しているうちは円満夫婦として丸く収まるのだが、そのA型特有の人当たりのよさが裏目に出ることがある。さほど社交的ではないA型男性は、人付き合いが極端に狭い傾向がある。社交的に振舞いたいO型がその才能に見限ったり、見切りをつけ出すとイライラし始める。一歩誤ると、A型男性を尻に敷き、ケツ叩きを始め、恐妻家となる傾向が大である。ノッチとその嫁(佐藤友美)、野々村真と坂上とし恵、Take2深沢と田中美佐子、劇団ひとりと大沢あかねなどがいい例だ。また、ダルビッシュ有とサエコもこの型だった。

 

 さて、あることないこと思いのまま書き綴ってしまったが、今日の記事はいかがでしたか?いつも言うように「血液型別性格診断」は万全ではない。ましてこれは私の持論によるものが大半で、50年近く生きてきて、様々な人間を観察して来て得られた一考察にすぎない。もちろんこうだと決め付けるつもりはないし、そうすることは危険極まりない行為である。私は血液型で傾向をつかみ、その人に接する際の配慮や注意事項にしている。もちろんそれに加えて、その人が育った環境が最優先される。O型とAB型の親からはABしか生まれないように、家庭環境の中で、どんな育てられ方をしたかも人格形成の上で大きなウェートを占めるし、兄弟の人数や順番でも大きく異なると思う。長女と次女、長男と次男という組み合わせだけでも大きく違う。また、学校生活のような集団生活で、どういうポジションでどのような人生経験をしたかでも大きく変わってくる。

 

 皆さんは、この記事を読んでどのような感想をお持ちになったかわかりませんが、そういう傾向が他よりも強く表れるくらいに留めてもらえれば、血液型の話も面白く思えるのではないでしょうか。

 

 

 記事作成:1月31日(金)

雑感(最近の3つの疑問)

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1 日本の独善的かつ一方通行的なアフリカ支援

 

 ODA(政府開発援助)のデータを見ると愕然と来る。

 日本は近隣アジアやアフリカ諸国に対し、毎年のように開発援助や人道的支援という名目で、多額の資金を無償で提供しているのをご存知だろうか。対アジアで42億ドル(約4,200億円)円、対アフリカでは10億ドル(1,000億円)を上回っている。みなさんは、この天文学的な数字を一体どう見るでしょう。

当然のことながら、その善意とも言えるような資金提供に対して、受領国である彼らからの見返りなど一切ない。無論、その財源は一般国民から搾り取った血税が使われている。特に、アフリカでは数十年も前から現状がさほど変わっていないが、蔓延する疫病や干ばつなどの自然災害、あるいは食糧不足や飢餓による餓死などで、生後間もない赤ん坊を含め、年間何十万人もの人々が死亡している。

日本を始めとする先進諸国は、このような悲惨な現状を鑑み、人道的観点や道徳的見地から継続的に資金援助を行っているのだが、当のアフリカ諸国の人々は、それらの善意を単純にありがたがっている一方で、心からの謝意を表明するどころか、今やそれが当たり前のことと高を括っているような節がある。そして先進国が競いあうように資金提供する状況を、黙って指をくわえて傍観し、あるいは面白がって待っているような傾向すら感じて仕方ないだ。もちろんそこにはお礼もないし、ギブアンドテイクのような概念も存在しない。

                                      
 一方、日本人がアフリカを観光などで訪れると、決まって命の危機にさらされるような事件に巻きこまれるケースが後を絶たない。アルジェリアの武装グループの銃撃による日本人殺傷事件、
W杯以降も治安がお世辞にも良いとは言い難い南アフリカ共和国、エジプト有数の観光地・ルクソールでもかつて武装派集団に日本人が銃撃され、多数の死者を出す惨劇が起きたことは記憶に新しい。日本人=裕福=標的(格好の獲物)という図式が現地人の概念である。まったく割に合わない。それどころか、アフリカに暮らす人々の大多数は、最低限度の教育を受けていないため、それ相応の困窮した生活をするのが精一杯なのだ。エジプトなどで頻繁に発生する大規模デモやクーデターを扇動し、政府に対し、処遇改善などの要求や抗議をすることはあっても、自らが苦労したり努力して生活力をつけるとか収入増に結び付けようという意図は感じられない。
 
 ところで、最近、テレビで「ナゼそこに日本人?」という番組を見た。アフリカの怠惰な日常生活を再現VTRを交えて強烈に描写していたが、日本人の感覚からするとあまりにも酷く愚直な生活ぶりである。たとえば、朝の8時から勤務開始という条件にもかかわらず、日本人の女性が時間前に出社したところ、8時どころか9時、10時になっても誰もオフィスに現れない。お昼近くになって、ようやく同僚社員が現れたと思ったら、鍵はほかの社員が持っていて、会社に入れない。就業できず困り顔の日本人を尻目に、当の現地社員はいたってクールで、そんなこんなでその日は仕事がなくなったと喜び、何の問題意識も持たずにそのまま帰るのだそうだ。何と言う愚弄さだろう。日本であり得ない所業だ。こんなことがアフリカの某国では日常茶飯事なのだという。それだけならまだいいが、反対に日本人の勤勉さが逆に疎まれて、非難されることもあるという。これは稀なケースかもしれないが、これが俗に言うアフリカ式というかアフリカ時間なのだろう。これは「郷に入っては郷に従え」という範疇ではない。

このような生活が常套化し、当たり前のように展開されている社会において、「これが普通」の感覚を抱いている以上、アフリカ諸国に「発展」や「未来永劫」、「希望」という言葉などないことがよくわかる。自堕落で、自分の都合のいいようにしか考えない。苦労を買ってでもするようなことはしないし、自分の欲求や欲望、本能の赴くまま生きている。もちろん、そこに法規範を遵守する意識や良識なるものは存在しないし、公共心など育まれる訳がない。日本や他国からの経済援助などなくて済むように自立する道を選択するなどという気はさらさらない。向上心も無に等しい。にもかかわらず、援助する側の人間に対し「額が少ない」と身勝手にも主張してみたり、中国人の騙しを信じ込み、洗脳されて一緒になって日本を批判したり、親切心をあてこするように、支援拒否まで表明する国まで現れる始末だ。このような概念に終始するという実態を踏まえれば、自立するための手段や方法を知らないことと、そのための教育がなされていないことが致命的なのだと思う。識字率は極端に低く、読み書きはもちろん、計算力もない。ただ感情で動くしかない。先を見越した判断や行動ができないのが実情なのだ。

 そんな日和見的な生活が日常であるアフリカ諸国に対し、日本人はどこまでお人よしなのかとつくづく思う。戦後の混乱期を乗り切った知恵で、助け合いの精神を培い、困っている人がいれば手を差し伸べる気の優しい民族に育った。これほど奉仕の精神に長けた民族は世界広しといえど、日本ぐらいしかない。これを日本人自身が「美徳」と考えしまっている部分も、或る意味問題なのだ。

 しかし、アフリカの諸国の政府や首脳は別として、一般国民たちからの謝意や返礼もない中で、額を競い合うように一方的に巨額の資金を送ることは、いささか疑念がわくし、違和感を覚える。バブル崩壊以降、不景気の長いトンネルを抜け出せず、自国の経済もままならないのに、自画自賛のための、一種の義務感に苛まれての資金提供に何の意味があるというのだろうか。本当にその義捐金が、目の前で死に掛けている子供たちを救うことに使われているのだろうか。北朝鮮のように、瀬戸際外交で世界中からせしめた外貨を、来るべき戦闘に備えて、武器の調達や戦争準備に流用されているとしたらぞっとするし、お門違いも甚だしい。しかも、その見返りが、何の罪もない丸腰状態の日本人観光客を巻き込むようなテロや強盗の標的に私たち日本人がされるとしたら、恩を仇で返す悪徳行為にほかならない。私から言わせれば、そんなお節介は一刻も早くやめて、金輪際アフリカには、ビタ一文として資金援助はもとより、物的支援、あるいは国境なき医師団などの人的派遣も中止にしてもらいたい。現地でボランティア活動をしている外国人をいち早く帰国させてほしいとさえ思う。それはアフリカのためにはならないし、反対にアフリカ諸国の人々を甘やかしているだけのように思えてならないからだ。度を過ぎた援助行為は、金をもらって当たり前という状況を作り上げるだけで、実は自立の道を歩む機会を奪い、その道を狭めているだけなのだ。そうした概念を植えつけたのは、ほかならぬ先進諸国であり、その代表格が日本であることに気づくべきだと思う。

 援助に頼らず、現状打破のために、自らがその改善策を考え、自らが行動して解決への道筋を導き出すようにしなければ、なんら変わらないし、旧態依然のままで現状維持しかありえない。いやむしろ破滅への手助けをしているにほかならないのである。

 

<善意の協力>

http://www.youtube.com/watch?v=jyf72nL-uZE

http://www.youtube.com/watch?v=OeexRyy6di8

http://www.youtube.com/watch?v=3dttXHI27mU

http://www.youtube.com/watch?v=AXJoqfoUuIc&list=PLF9C2C99E083FAD20

 

<負の遺産>

http://www.youtube.com/watch?v=IfNigvjvxjI

http://www.youtube.com/watch?v=OkcBlz5JE50

 

2 被災者からも「復興特別税」と称して税金をふんだくる安倍政権

 

 今年もまた、確定申告の時期を迎えた。この時期になると全くもって頭が痛くなる。私自身はサラリーマンの身の上だが、亡き祖父が残してくれた土地を駐車場として人に貸し、ごくごく少額だが副収入があるせいで、ここ8年、欠かさずに確定申告を行っている。しかしながら、今年については、従来とは多少様相を異にしている。副収入といってもすずめの涙程度の売り上げしかなく、昨年は年間の収入が規定以下だったため、確定申告をしなかった。そのことで、税務署からは特段お尋ねがあったわけではない。もちろん脱税などしていない。しかし、確定申告をしなかった場合でも、市県民税の申告が必要だったのだ。忘れた頃に、そのことで問い合わせが市役所から届き、思いがけず修正申告する羽目になった。今後、約半年間、給与から天引きされて定められた税額を支払うこととなり、こんなことなら初めから申告しておけば良かった。その申告書を記載する中で、今年は見慣れぬ「復興特別税」なるものが追加徴集されるとの一筆があった。私は罹災証明書を持つ被災者のひとりなので、貰うことはあってもよもや支払うことはないと高を括っていた。しかしそれは間違いで、日本国民の誰もが、収入の2.1%も税金を上乗せして税額を支払うことが義務付けられたのだ。10万円なら2,100円である。しかも平成26年1月から25年間も支払い続けることになったのだ。これはあまりにも負担が大きい。被災者で、避難生活を強いられている弱者からも絞り取るだけ搾り取る。これが現在の日本の税制度だ。しかも、収入が減り続けているにもかかわらず、この4月から消費税率が3%上がって8%となることが決まっている。今以上に財布の紐が固くなり、倹約生活を強いられ、消費は冷え込む一方だ。石川啄木の「働けど働けど我が暮らしいっこうに楽にならざり・・・」を実感してしまう。

 愚弄な政策断行で、日本国民の生活をこれほど苦しいものに追いやった張本人が、アフリカではプライドや意地を優先し、他国にいい顔をしたいばかりに、本来出さなくて事足りる巨額の援助資金を無償で提供する本末転倒さ。優先順位が違うのではないかと疑問を抱く。今の政治家に、経済全体を掌握し、的確な対策を講じるだけの手腕も度量もないことがよくわかるし、現安倍政権の「弱い者いじめ」の愚策を見ていると不信感だらけでつくづく政治が嫌になる。

 

http://www.youtube.com/watch?v=zbPUsdMyuQc

 

3 「危急存亡の時に流される緊急事態放送」とは

 

 まもなく震災から3年が経過しようとしている。「3.11」の前後、テレビやケータイで嫌というほど聞かされた「緊急地震速報」のアラーム音。P波検知による各地の震度予測を各メディアに発信して広く知らせる画期的なこの速報が実用化されたが、よもや即刻役に立つことが現実に起こるとは誰も夢にも思わなかったことであろう。

 ところで皆さんは、こうした「緊急」を知らせる放送が実際に存在することをご存知だろうか。

 緊急時の度合いに応じてJ-ALERTや公共放送のNHKでは3段階に分けて違うメロディ(チャイム)を流すことになっている。

しかし、日本人の大半はそのことを知らない。では、最高危険度を知らせる「レベル3」まで順追って聞いてほしい。断っておくが、レベル3のサイレン音は本来流してはいけないものなので、くれぐれもボリュウムを下げて聞いてほしいと思う。万が一これが放送された場合、多数の死者が発生する危機的状況ということなのだ。

 

 YouTubeの映像

 都市伝説「緊急地震情報があの音になった理由」

 

 

 

 J-ALERTの緊急放送(実際の放送例)

 

 

 「5分30秒」以降から流れる「弾道ミサイル情報」や「航空攻撃情報」、「ゲリラ攻撃情報」、「大規模テロ情報」の、この電子音のようなサイレンが「国民保護サイレン」である。これがテレビから流れたら、もしかすると私たちは死を覚悟しなければならないような非常事態が勃発することを意味する。

 

 NHKの非常事態宣言の場合の緊急放送チャイム(3段階)


 

 もし、某国が日本へのミサイル攻撃をしてきたとして、このチャイムをNHKを始めとする放送各社が、本放送中に突如流したとしても、日本人の殆どがその意味を認識できていないという事態が想定される。これでは何の意味も持たないことになる。最悪これが流れたら、日本人の誰もが直ちに命を守るためのあらゆる手段を講じ、行動しなければならないのだ。そうしたケースとは、敵国からの核攻撃やテロ行為、クーデター勃発、オウム真理教のようなカルト集団による無差別殺戮などが想定される。もちろん宇宙人が大挙して襲来し、地球を攻撃してきたなどは最高危険度だ。私自身としては、日本中に点在する原発が、某国からのウィルス攻撃によって誤作動したケースなども想定したい。近年の公共機関を狙ったサイバー攻撃や、内部情報を読み取るスパイ行為がまかり通っている現状から鑑みても、近い将来、絶対に必要となる事項だ。おそらくは、過去の遺恨をいつまでも引きずり、日本憎しの感情から中国や韓国、もしくは北朝鮮の工作が暗躍していることは容易に想像できるが。

 今、世界を取り巻く国際情勢は多岐にわたる諸問題を含み、不気味に推移している。ほとんどは利権絡みであったり、領土問題や捕鯨に対する妨害行為など自らの権利のみを主張するエゴがその発端になっていることは明確であることだけは断言しておきたい。

 

 さて、今日の記事、多少怖い面もあるが、今日本が置かれている立場を雄弁に、かつ狭義に物語ってみた。現在の首相である安倍晋三総理が一歩対応を誤ると、事態はいっそう深刻化し、戦争誘発、地球滅亡の危機がいかなる時でも切迫し、非常事態に陥ることが現実味を帯びるのだ。とりわけ、今、安倍首相が直近の懸案として進めようとしている憲法改正論議(憲法第9条の見直し)を断行し、武力の保持や軍備拡大がもたらす危険性を、少しでも日本国民であるならば現状を認識し、政治参加を啓発したほうがいいと思う。ただの傍観者でいれば、戦争に巻き込まれて命を落とす可能性が高まることになることを常に肝に銘じておかなければならない。

 

 記事作成:1月27日(月)

福島県の若手女子アナ特集

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 今日は、「女子アナフリーク」を自認する私が、地元の福島県において、昨年4月入社で新たな局の顔として頑張っている注目の20代の若手女子アナを5人紹介したい。中にはアナウンサーになる前の過去の画像や映像も含まれているが、悪意は全くなく、心から応援したいため、その人となりを理解してほしく、あえて掲載することを理解していただきたいと思います。ぜひ県内のテレビ業界に新風を吹き込んでほしい。

 <福島中央テレビ>

 小野紗由利(おのさゆり)

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 以前にも本ブログで掲載した今、ぴかイチの可愛さで頑張っているのが小野アナ。いわき市出身で、高校卒業後には上京して東京の大学に進学。在学中は「相沢紗由利」の芸名でモデルの仕事をこなしていた。特にカメラ雑誌の「CAPA」では、被写体のモデル役を務めながら、その撮影テクニックを生徒役として学んだ。また、「クリック証券」などのTVCMに出演した経歴もある。その後、アナウンサーへの道を志してからは、「東京アナウンスセミナー」という専門学校にも通い、ボイストレーニングやアナウンサーとしての資質を学んだ。ちなみに同じ13期生には、昨春に同期入社した野尻英恵アナがいる。珍しいダブル採用だった。良いところのお嬢さん風の彼女のプロフは以下の通り。

 1991年3月5日生まれの22歳。きゃぴきゃぴの新卒アナ。血液型はA型。趣味は早朝ランニングと物産展めぐりらしい。アイスクリーム好きとのこと。特技はバドミントン。小学生の頃に放送部に所属していたことが、アナウンサーになりたいと考えた契機となったようだ。

 モデル時代の「DrillSpin」掲載のプロフはコチラをクリック!

 「福島中央テレビ」の公式プロフはコチラ http://www.fct.co.jp/announce/profile/ono-s/

 「東京アナウンスセミナー」のHPはコチラ http://anasemi.jp/obog.html#mhokuhoku

 その他の画像

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 県内の女子アナの中でダントツに可愛い。以前モデル活動していたのもわかる!FCTの担当は、番組のリポーターや20:54からのFCTニュースなど。彼女を見ていると、女優の菊池麻衣子さんを彷彿させる。ロングの黒髪がオジサン世代には実にいい。

 野尻英恵(のじりはなえ)

 小野紗由利アナと同期入社。彼女と同じ「東京アナウンスセミナー」13期生出身。
 彼女はなんとイギリス生まれ。育ったのは「白線流し」で有名な長野県松本市。英語が堪能で、趣味も旅行、世界遺産、ダンスと多彩。活動的な性格。小野アナと同じ歳で新卒バリバリの新人アナなのに、とても大人っぽい印象。

 12月30日生まれ。血液型は測ったことがないが、本人曰くAかBとのこと。私はあの明るさからしてB型のような気がする。中学生の時に市内のPTAに向けて学校紹介の演説をし、ほめられてうれしかったことがアナウンサーを意識したきっかけだとか。

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 「東京アナウンスセミナー」の卒業に寄せての紀稿はコチラをクリック!

 福島中央テレビは「美人アナ」2名を採用し、他局より一歩抜きん出た印象。

 <福島放送>

 飯田麻菜美(いいだまなみ)

 彼女はとにかく明るい。ケラケラ笑う。たぶん笑うと止まらないタイプ。福島放送は、千原礼子アナや安藤桂子アナが若手女子アナにいるが、さらにフレッシュな超元気印のアナウンサーが加入したことで、ポジティブと明るさがアップし、良い意味で波及効果がある。

 彼女のプロフは以下の通り。

 東京都出身でふたご座のB型。趣味は、B型に好きな人が多い「韓流ドラマ」鑑賞。アクティブで体を動かすことが大好き。写真を撮ることも好きだとか。2013年3月立教大学卒。

 http://www.maniado.jp/community/neta.php?NETA_ID=19650

 福島放送(KFB)の公式HPはコチラ→ http://www.kfb.co.jp/ana/iida/profile.php

 担当番組は土曜深夜の「べしゃるーむ」や番組内の取材リポーター、お天気情報。

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 <福島テレビ>

 宍戸真詩美(ししどますみ)

 彼女はつい最近(平成25年12月)番組に出演するようになった。デビューはクリスマスの日のお昼の天気コーナー。その後、FTVの名物番組「サタふく」の中継リポーターも務め、徐々に出番と露出度が増えて来ている。外見はお姉さん&お嬢様風。長い黒髪がチャーミングで美人系。実に初々しい。プロフはコチラ。

 1987年2月10日生まれ。宮城県仙台市出身。ハーブティーアドバイザーの資格取得。血液型はA。

http://joshianamatome.blog.fc2.com/blog-entry-2549.html

FTVの公式HPはコチラ http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/shishido.html

 大学生の時にモデル事務所「Claudia」に所属し、テレビなどのリポーターをしていた。現場を積み重ねるうちに、喋る仕事に就きたいと思ったらしい。好きな食べ物は湯葉やカニ、ウニと若い子にしては珍しい。

 4年以上前の芸能事務所所属時代の彼女の画像はコチラをクリック!

 モデル時代の所属事務所の公式HPはコチラ https://archive.is/3Rni

 「スパイスプロダクション」在籍当時のプロフ http://www.spice-p.com/talent/13.html

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 芸能事務所に所属し、モデルやタレント活動をしていただけに、その外見からは想像できないほどのスタイルの良さだったようだ。2月1日のサタふくで、「アルツ磐梯」スキー場から中継したが、スキーウェアが眩しかった。宮城出身だが、ずっと長く福島県にいてほしい。

 <テレビユー福島>

 梅田澪理(うめだみおり)

 彼女は美人で癒し系の女子アナ。2013年新卒入社の新人アナ。早速プロフを紹介。

 生年月日 1990年6月15日(23歳)
 出身地   大阪府
 出身大学 青山学院大学
 血液型   A型
 趣味    ランニング、旅行(スペイン・フランス・オーストラリア・中国・ハワイ)、散歩
 特技    走り幅跳び、秘書検定2級取得、ひとりカラオケ
 担当番組 「はぴスタ」

 色白でおっとり爽やか風の印象とは裏腹で、かなりアウトドア派のアクティブ少女。昔いたアイドル歌手の岩井小百合に似ている。ロングヘアーとえくぼがトレードマークの彼女に目が離せない!
 

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 さて、昨年の4月に入社し、その後、研修やトレーニング期間終え、最近になって番組出演したばかりの新進気鋭の若手女子アナを紹介しましたが、そのフレッシュさが伝わったでしょうか。中には、思いがけない過去やびっくりするような素顔を持った方々もいるようだ。意外にも県外出身者が多くいて、この原発被害で大変な福島県に縁あって来てくれてうれしく思う。せっかくこの地を踏んだわけなので、県内の隅々を訪れ、福島県の美しい自然や観光名所、名産品や食べ物などを満喫し、それらを県内外を問わずPRしてほしいと思う。彼女たちの今後に乞うご期待!
 なお、まだ紹介しきれないアナウンサー(福島テレビ・安河内程子アナやテレビユー福島・藤原梨香アナなど)もいるので、折に触れて追加で紹介したい。

 最後に、掲載しました画像は、各テレビ局のHPにある「アナウンサー日記ブログ」から引用させていただきました。

 

 記事作成:2月2日(日)~2月3日(月)

想い出の曲⑧

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 断続的にお送りしているこのシリーズ記事も、今日で8回目となった。本日は1970年代に活躍した歌手の中で、特に私が好感を持っていた方々を紹介したい。

 高田みづえ 「硝子坂」

 昔風に言うと、女性ながら「パンチ」の効いた歌声。高音の伸びも素晴らしく、よく通る声で歌唱力抜群。私たちを魅了した。ピュアな印象とは裏腹に、お笑いの才能もあり、カックラキン大放送やレッツゴーヤング、8時だよ全員集合!には欠かせない人材だった。よく榊原郁恵と比較された。大関若島津と結婚し、現在も親方夫人としておかみさんとして部屋を切り盛りしている。A型だけあって、良妻賢母。

 榊原郁恵 「夏のお嬢さん」

 私が中学時代に好きだったアイドル。健康的な日焼けした素肌にぽっちゃり系。先に断わっておくが、巨乳だったから好きだったわけではない。ケラケラ笑いとにかく明るく元気印。当時高校生だった姉にそっくりだった。本人もすっかりその気になっていた。他にも「いとしのロビン・フッドさま」、「微笑み日記」も大好きな曲だった。郁恵ちゃんについては、郡山にNHKのど自慢のゲストで訪れた際、駅に先回りして、ホームでバッティングし、目の前で直筆のサインを書いてもらった想い出がある。血液型は天真爛漫で楽天的なB型。

 「微笑日記」はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=0vWAwFR9-bw

 「生徒諸君!」の上田美恵が登場した時、郁恵ちゃんの再来かと思った。

 http://www.youtube.com/watch?v=mRc7Z-wuJDo

 石川ひとみ 「まちぶせ」

 石川ひとみの11枚目のシングルとして1981年4月に発売された。作詞・作曲は荒井由実(現・松任谷由実)、編曲は松任谷正隆による。オリコンチャートで石川のシングルでは唯一10位以内にランクし(最高6位・同年年間ランキング33位)、またTBSテレビ『ザ・ベストテン』でもランクインした(最高3位・9週連続ベストテン入り、ザ・ベストテン同年年間ランキング21位)。さらに同年暮れの『NHK紅白歌合戦』にもこの曲で初出場を果たした。血液型はB型。
 倉田まり子が出た時に、顔立ちがよく似ていて、よく間違えられた。

 さて、懐かしんでいただけたでしょうか。石川ひとみの「まちぶせ」は1980年代だが、11枚目のシングルにあたることから、彼女がデビューし、活躍していた時期が1970年代末期であることから敢えて掲載させていただきました。今では懐メロやカラオケソングとして40代以上の方の十八番になっている楽曲だが、その時代、間違いなくヒットし、歌番組などテレビへの露出度が高かった3人だ。私は当時中学生から高校生の時期にあたる。彼女たちの生歌を聴いて青春時代を過ごしたといって過言ではない。それだけに今回の記事は感慨深いものがある。

 記事作成:1月8日(水)


今週の山岸舞彩キャスター(2/3~2/6)

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毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 2月3日(月)

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 2月4日(火)

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 2月5日(水)

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 2月6日(木)

 この日に放送された日本テレビ系の特番「ソチオリンピック2014生中継!櫻井翔&荒川静香のメダル大予想SP」に、彼女が出演しましたが、その模様は割愛させていただきます。ご了承ください。

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とにかく貴重な映像集 Part 8

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 今日は、今では希少な昔の映像を集めたこのシリーズ記事の中でも、1980年代を席巻したアイドルブームの中で、とりわけ貴重であまり目にすることがないような映像をお送りしたい。永久保存版だが、私がアップしたわけではないので、リンクした動画が削除された場合にはご了承ください。

 松田聖子

 ①伝説の聖子カット

 当初は①の記事はマジ泣きの動画でしたが、記事作成後、公開前なのに直ちに削除されてしまいました。全くスパイに監視されているかのようだ。

 ダイジェストはコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=_qAgUbuUIcU

 ②セーラー服姿の聖子

 この記事作成後、公開前なのに直ちに削除されてしまいましたので、別の動画映像に差し替えてお送りします。まったく下書きの段階で誰かに監視&検閲されているかのようだ。

 ③トシとのロマンス(埋め込み処理不可のため下をクリック願います。

  http://www.youtube.com/watch?v=F612QpnIWgo

  http://www.youtube.com/watch?v=2vkp45h9Qc8

 ④その他の名シーン 

 ⑤デビュー当時からの変遷

 田原俊彦

 ①伝説のマイクキャッチ(11分40秒から)

 http://www.youtube.com/watch?v=F612QpnIWgo

 ②問題発言

 この記事作成後、公開前なのに直ちに削除されてしまいましたので、差し替えて掲載します。

 私はこの会見を見なかったので、急にテレビやマスコミから姿を消したのが不思議でならなかった。あれほど人気絶頂の時に、このようなトラブルで干されてしまい、ファンも訳が分からずショックだったに違いない。このように芸能界を干された例としては、事務所のトラブル問題がこじれて、芸能活動を一切できなくなった「鈴木あみ」や「加勢大周」も似ている。特に1990年代後半に、浜崎あゆみと人気を二分していた鈴木あみは、絶頂期に突然いなくなり(活動停止)、実に可哀想だった。芸能界は魔物が棲むというが、怖い一面を垣間見た気がする。というわけで、彼女に関してはこの後、取り上げることにする。

 鈴木あみ(亜美)・・・突然姿を消した歌姫

 この記事作成後、公開前なのに直ちに削除されてしまいました。よって別の動画を掲載します。

 1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でプロデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコンの集計では30万枚近いセールスを記録するヒットとなった。1999年1月25日に写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが握手を求めて集まった。写真集は発売から6日で早くも20万部を突破する異例の売れ行きとなった。1999年3月6日に発売したファーストライブのチケットは数分で完売。3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、約180万枚を売り上げミリオンセラーとなり、夏に発売されたシングル『BE TOGETHER』、『OUR DAYS』はオリコン週間ランキング1位を獲得した。さらに年末の第50回NHK紅白歌合戦にも初出場し、『BE TOGETHER』を歌唱。自身最大のヒット曲となった。
 2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセールスを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『infinity eighteen vol.2』も1位となった。しかしながら1999年7月、エージーコミュニケーション(以下、エージー)の社長が経営コンサルタントから他の芸能事務所と共に法人税の脱税指南を受けたとして、同社に対して東京国税局国税専門官の査察が行われる。これを受け、エージーの社長は脱税が公になった時の所属タレントの風評被害を躱す意図から専属契約部分を系列会社のミュージック・トライブへ名目上移籍させ、1999年10月から専属契約を締結した(後の訴訟での陳述で公にされた)。2000年2月に脱税指南をしたコンサルタントが逮捕され、東京国税局は2000年3月にエージー社長らを東京地方検察庁へ告発。同年7月にエージーの社長らが法人税法違反(法人所得の過少申告により約2億5千万円脱税)容疑で逮捕される事件となった(2001年に執行猶予付有罪判決が確定)。これにより芸能活動で多忙を極めた鈴木側と芸能事務所の間に大きな溝が生まれ、2000年10月26日に鈴木の父は専属契約を更新しない旨通告した。2001年7月18日、委任契約終了確認等請求事件の判決で、東京地裁はエージーコミュニケーション、ミュージックトライブとの「契約終了」については鈴木側の主張を認め、「明細の開示」については認めないとした。上告しなかったことから所属事務所との契約終了については確定。法的上、歌手以外の活動は事務所から独立してフリーランスになった。しかしSMEJとの訴訟は係争中のままであり、受け入れる新たな事務所も無く、芸能活動は停止したままとなった。

 問題が複雑すぎて、真相は外野の人間には知る由もないが、個人的には前途ある若いアイドルの歌手生命を奪い取った責任は重い。所属事務所を正式に移籍し、復帰シングルをリリースするまでに実に5年という月日が流れた。実力派アイドル歌手だった鈴木あみにとって、この長すぎる歳月は致命的だった。

 伊藤さやか「天使と悪魔」

 私が高校3年生の時に、日曜日の夜8時から放送していた青春ドラマ「陽あたり良好!」に岸本かすみ役で出演。高杉勇作を演じた竹本孝之と名コンビで、田園調布の同じ下宿先(ひだまり荘)で共同生活を送る様子を描いた。私より一歳年上で、B型の彼女は、ドラマの印象とはまるで異なり、CDデビューした曲はバリバリのロックンロール。地のツッパリ風の男っぽい性格で勝負した。ビーバーを彷彿させるベビーフェイスの可愛らしい顔立ちだったため、私は意外な印象を受けた。たぶんこの映像はリンクしてもすぐに削除されること必至の希少映像なので、早めにご覧あれ!

http://www.youtube.com/watch?v=WF7NeIueIJ4

 高井麻巳子

http://www.youtube.com/watch?v=px8MBhqBrIk

http://www.youtube.com/watch?v=mHHcWr0TC9k

 おニャン子クラブ会員番号16番。見るからに血液型はO型。髪が長く、お姉さんのような大人っぽい印象を与える彼女だが、「夕やけニャンニャン」や「おニャン子クラブ」の総合プロデュースをしていた秋元康(現在もAKBグループを主宰)に見初められて、結婚するに至った。ちなみに秋元康もO型だ。ソロデビュー前には「ゆうゆ」とコンビを組んで「うしろゆびさされ組」としてCDをリリースし、ベストテン歌手として活躍した。何を隠そう、私は今も彼女の直筆のサインを持っている。「おニャン子クラブ」がイベントで郡山市民文化センターを訪れた際、当時、私の実姉が職員として働いていて、楽屋でわざわざ書いてもらったのだった。また、1986年には「横浜スタジアム」で行われたコンサートを見に行ったこともあった。今は大学生当時の佳き想い出になっている。

 記事作成:1月25日(土)

卒業シーズンに聴いてほしい名曲PV

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 今年もまた「卒業シーズン」を迎える。新たな旅立ちのめでたい記念日であるが、一方では一緒に過ごした学び舎とかけがえのない友達や恋人との別れも意味する。進学や就職などで、新しい世界や新天地での出会いを期待しながらも、慣れ親しんだ場所を後にしなければならない一抹の寂しさ。誰もが経験する人生の一コマである。そんな別れと旅立ちを演出してくれる素敵な歌とPVを紹介したい。ぜひ、今日一日はその感傷にどっぷり浸ってもらい、明日からは前向きに新しい第一歩を歩みだしてほしい。ここ福島県は3月1日が、県立高校の卒業式にあたるため、その門出にこの記事をはなむけとしてお送りします。

 「未来予想図Ⅱ」 by  Acid Black Cherry 

 ドリカムのカヴァー曲だが、登場する女の子がめちゃ可愛いので気に入っている。女の子の妄想が入った、メルヘンチックでかわいらしい物語となっている。ぜひ削除されないでずっと残してほしい美しい動画映像だ。こういうPV映像を見ると、つくづく若いっていいなと思う。自分にも青春時代や恋愛時代はあったし、こうした映画やドラマの一コマのような出来事もあった。

 「記念日~Aniversary~」  by SoulJa & Missilim (松任谷由実)

 このPVも昔から大好きだった。立教大学出身のグラビアアイドルの長崎莉奈と、山形出身のシンガーソングライターのISSEI(吉見一星)が共演したPVは運命を感じさせる演出がウケた。卒業で離ればなれになった二人が、お互いの必要性を実感し、運命を感じ取る内容は同じ境遇の卒業生に共感され、アクセス数が急騰した。もちろん原曲は松任谷由実だが、珠玉の一曲に仕上がったと思う。

 桜color  by GReeeeN

 春は出会いと別れの季節。そのドラマの一コマを彩るのが薄紅色に咲き誇る桜。涙という名の花びらを散らし、乾いた頃に、人は新しい世界に旅立っていく。日本に四季があるからこそ、さまざまなドラマを生む。人を想い、人恋しく、そして人に傷つきながらも、また人を愛す。この繰り返しを演じながら、人は人生を謳歌する。そんな一コマをサポートしてくれる珠玉の一曲だ。

 Someday  by 佐野元春

http://www.youtube.com/watch?v=H2g_7NpxuDI

 これは1980年代後期に、JR東海のCMとして制作された「ファイトエクスプレス」のシリーズCM。春は旅立ちの季節。新幹線で遠くに旅立つ若者の群像を描いた。学生時代にお世話になった方々に挨拶し、新しいステージへと歩んでいく。私の息子もそうだが、今年、高校を卒業する皆さんにこの曲を贈ります。

記事作成:2月2日(日)

時代の寵児とその後の顛末(天国と地獄)

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 今日はもしかすると批判続出になるかもしれないが、これまで芸能界の緩すぎる体質に誰も「喝」を唱えることはしなかった経緯から、あえて公開したい。タイトルは「時代の寵児とその後の顛末」である。八面六臂の活躍でその時代を築いたり、その時期を象徴するような人物として脚光を浴びたにもかかわらず、その後、どういうわけか不遇に見舞われ、天国から地獄へ突き落され、運命のいたずらに弄ばれたとしか言いようがない、いわば極端すぎる芸能人にスポットを当てたい。もちろん個人を非難したり、揶揄する意図は毛頭ないことを先にお断りしたい。自分自身の教訓になるような内容なので、ぜひ目をそらさずご覧いただければ幸いだ。

 横浜銀蝿 (翔)

  • 1979年9月21日 - 翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。「TCR横浜銀蝿RS」とも表記する。
  • 1980年9月21日 - アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。
  • 「銀蝿一家」として、弟分グループ「紅麗威甦」(ぐりいす-杉本哲太在籍)、嶋大輔、妹分アイドルの岩井小百合などがデビュー。
  • 1983年7月23日、テレビドラマ『ザ・サスペンス・川崎探偵団』に出演。
  • 1983年12月31日 - 解散。
  • 1998年1月1日 - 「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成。
  • 2002年 - 7月23日に「横浜銀蝿」解散。

     リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装をギミックとして登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り一気に若者の人気を獲得した。楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。ツッパリHIGHSCHOOL ROCK'NROLLは私が高校時代に大ヒットし、同じ格好をした若者で街は溢れかえった。言葉遣いは荒く、額にはソリ入れ、カバンはぺしゃんこ。訳もなくとんがっていきがっていた。

  •  地獄は、1997年に翔が覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後不起訴処分となったが、1999年にも同取締法違反の罪で再び逮捕され1年4ヶ月の実刑判決をうけた。さらには2003年4月24日に覚せい剤取締り法違反で現行犯逮捕。警視庁北沢署によると同署員が渋谷区内で路上駐車していた不審な車を見つけ職務質問し車内を捜索したところ、所持していたバッグから覚せい剤数グラムを発見、現行犯逮捕した。3度目の逮捕の際に責任を感じたのか、実兄である嵐が髭を剃り、坊主頭となった。

  • http://www.youtube.com/watch?v=lQnkxbE4b_A

     小室哲哉

    1990年代にavexを率いてtrf、安室、MAX、華原朋美、篠原涼子、ダウンタウンなどとコラボして次々とヒット曲を世に送り出したキングオブヒットメーカー。自らもTMN、globeでメガヒットを連発した。しかし、多額の借金返済に困り、詐欺行為で逮捕。夫人のKEIKOも脳溢血で死線をさまよった。栄華と挫折の両方を味わったアーティスト。

     すると、この記事を書いた後、今度は小室哲哉本人が事故に遭い、怪我をするというハプニングが起きた。何か、私が記事を書いた人が、脚光を浴びるという不思議な現象がずっと続いているのが気にかかる。

     堀江貴文

     日本の実業家。株式会社 ライブドア元代表取締役社長CEO、SNS株式会社オーナー兼従業員、株式会社7gogo ファウンダー。愛称はホリエモン。1991年(平成3年)東京大学教養学部文科三類に合格・入学、八女を離れて上京、駒場寮の北寮へ入寮し、1・2年次を駒場寮で過ごした。大学1年の時に赤本(東京大学・文系)に合格体験記を寄稿している。 1996年(平成8年)4月、有限会社オン・ザ・エッヂを設立(なお、堀江はオン・ザ・エッヂを設立後に大学を中退している)。設立資金600万円は当時のメンバーの父親により出資された。1997年に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目を集め、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していった。2002年、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した。
     2004年に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズ買収を申し出たことから一挙に注目を浴びる。買収の申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを招聘すると発表した。またサラブレッド馬を購入したりと、やることなすことが派手でその都度注目を浴びることとなった。
     2005年2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後から当時ニッポン放送の子会社だったフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
     2006年1月16日 - 証券取引法違反容疑により、六本木ヒルズのライブドア本社や堀江貴文の自宅など、東京地検特捜部による家宅捜査が行われる。1月23日 - 証取法違反(風説の流布、偽計取引)容疑で東京地検特捜部により、財務担当の取締役宮内亮治、ライブドアマーケティング社長岡本文人、ライブドアファイナンス社長中村長也とともに逮捕される。2月13日、公判請求。2月22日 - 証取法違反(有価証券報告書虚偽記載)容疑で再逮捕。同時に熊谷史人代表取締役も逮捕される。3月14日、追起訴。3月16日に岡本、翌3月17日宮内と中村、熊谷は4月5日にそれぞれ保釈されたが、堀江の保釈請求は通らなかった。4月26日 - 東京地裁は、堀江から出されていた3回目の保釈請求に対し、保釈を決定した。保釈保証金は3億円。堀江側はこれを小切手ですぐに支払ったが東京地検が準抗告したため、保釈の執行は停止された。翌4月27日、東京地裁は東京地検の準抗告を棄却し堀江の保釈が認められる。
      2007年1月26日 - 最終弁論が開かれる。堀江は涙声で「取り調べなしに突然逮捕された」「おまえをつぶすという意気込みで、こちらは商売できない」などと、検察とは逆に堀江側が検察を痛烈に批判した。3月16日 - 東京地裁で判決公判が行われ、小坂裁判長は「上場企業の責任者としての自覚が微塵も感じられない」などと述べ、懲役2年6ヶ月の実刑判決(求刑懲役4年)が言い渡された。主任弁護士の高井康行弁護士は後の記者会見で「非常に不当な判決」として東京高裁に即日控訴した。保釈金2億円を追加納付して再保釈。
      2008年2月22日 - 東京高裁にて控訴審が行なわれたが、堀江自身は混乱の恐れがあるとして出廷しなかった。
      2008年7月25日 - 東京高裁は堀江の控訴を棄却し、1審の懲役2年6か月の実刑判決を支持した。弁護側は最高裁に即日上告した。
      2011年4月26日 - 最高裁(第三小法廷)は上告を棄却。懲役2年6か月の実刑判決が確定した。これに対して28日、「被告の職業を不詳とした決定は不当」と異議申し立て。5月20日、同小法廷は異議申し立ても棄却し、収監される事が決定した。

     千昌夫

     彼は岩手県出身の歌手だが、東北弁丸出しで、泥臭いコスチュームで登場した。出世の象徴とされる額に大きな黒子がトレードマークだった。すぐに彼は歌手としての頭角を現した。「星影のワルツ」が大ヒットし、巨額の富を手にした。貧乏根性が染みついた印象で、成金根性がありありだった。アメリカ人歌手のジョーン・シェパードと結婚。「サンキューベロマッチョ」が口癖となった。しかし、小学生の頃に父親を亡くし、それ以降目的のためなら苦労を厭わず、努力を惜しまぬバイタリティーに溢れていた。また、交友関係が広く、芸能界でも顔が利いていた。また、郷愁誘う「北国の春」が大ヒット。再び大金持ちになった。すると彼は投資に手をだし、実業家として大儲けに走るようになった。何軒もの飲食店を所有し、数軒のホテルを次々買収。次第に彼の周りに人や金が集まりだした。そして、ホテル王との異名がつくまでになった。しかし、バブル崩壊により、彼は多額の負債を抱え込む事態に陥った。1,000億円を超える借金を抱えていると言われていたが、その借金の殆どは旧長銀から借り入れた金であり、一時国有化による公的資金投入で一時期3,000億円を超えた借金は、1,000億円にまで棒引きされた。その後、民事再生法の適用により2002年「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」ということになった。金の切れ目が縁の切れ目。長年連れ添った夫人と離婚し、トレードマークだった黒子も除去し、本業の歌手として再出発を図った。

     モー娘。

     今でも彼女たちの根強いファンが多いので、批判的なことを言うつもりはない。しかし、2000年代初頭のあの日の出の勢いは影をひそめてしまった。初期メンバー(中澤裕子・安倍なつみら)が「LOVEマシーン」などの大ヒット曲を世に発表し、若い子らがあの踊りを真似してはカラオケで盛り上がっていたあの絶頂期から比べれば、今や風前の灯である。そのかつてのメンバーにも災難ともいうべき不祥事が降りかかっている。「ミニモニ。」の3人のメンバーのうち2人が、今や表舞台に立てない状況。加護亜依と矢口真里だ。また後藤真希も実弟の不祥事によって無期限活動停止状態に陥っている。つんくプロデュースだが、オーディションでメンバーを増やしていく手法は、かつてのおニャン子クラブの秋元康と同じアイドル商法だし、その天才秋元のリベンジによって、返り討ちにあった印象は否めない。今では「AKBグループ」や「乃木坂46」の猛威の前に歯が立たず、細々と活動を継続しているように見えてしまう。それは「アイドリング」も同様だ。

     田代まさし

     彼もまた懲りない面々ということになる。覚せい剤などの不祥事を繰り返し、転落人生を歩んでいる典型例。うわべだけの謝罪や反省態度に終始し、中身や内面は全く変わらない。彼を「神」と称してチヤホヤしているファンも悪い。彼の心底からの復帰を願うならば、彼には厳しい態度で接するべきだ。かつてはシャネルズやラッツ&スターのメンバーとして君臨。ヒット曲にも恵まれ、スターの階段を着実の昇っていた。そしてソロ活動としても番組の司会やMC、志村けんとのコンビでバラエティにも次々と出演した。とりわけ「夕やけニャンニャン」の司会や「いたずらウォッチング」は冠番組で、視聴率も高く、若者を中心に人気を博した。

     地獄の始まり

     2000年9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で女性の下着を盗撮しようとしている様子を目撃者が通報。不審人物として警察が任意同行し事情聴取、東京都迷惑防止条例違反で書類送検。同年12月14日に東京簡裁から罰金5万円の略式命令が下り、田代は一時芸能活動を休止した。
     2001年12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕された。さらに自宅から覚醒剤が発見され、覚醒剤所持・使用容疑で12月11日、再逮捕された。これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクションは同年12月11日付で田代を契約解除した。2002年3月、裁判で懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。  
     2004年春頃にはテレビ界復帰も検討されるようになったが、同年6月17日に青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンした後、オートバイに乗った男子学生に衝突する人身事故を起こしたため復帰が白紙に戻る。さらに執行猶予中の2004年9月20日夜に再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして銃刀法違反と覚醒剤取締法違反の現行犯で逮捕された。
     2005年2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等を主な理由とし懲役3年6月の実刑判決が下され、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定、事実上の芸能界引退となる。
     刑期を終えた2008年10月に公式サイトおよび公式ブログを開始。トップページの画像には「神降臨」の文字が記載される。インターネットにおいて話題となり、100万を超えるアクセス数を記録した。2010年9月16日午前2時10分頃、横浜市中区新港1丁目赤レンガパークの駐車場内にてアジア太平洋経済協力会議(APEC)国際会議の応援警備に当たっていた福岡県警察本部の警察官に職務質問を受けた際、コカインをポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で神奈川県警察本部横浜水上警察署に現行犯逮捕された。後日には一緒にいた女性のバッグや玄関から覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年10月14日に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑などで2人とも再逮捕された。
     2011年7月1日、横浜地裁で開かれた判決公判で薬物の常習性が顕著等を主な理由とし懲役3年6か月の実刑判決が下され、同年7月15日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定した。2014年1月現在、府中刑務所に服役中。

     追記(芸能人絡みのドラッグ事件・・・復帰された方もいるので、埋め込み処理は自粛)

    http://www.youtube.com/watch?v=4W_6KyDOhbw

     懲りない面々は、ほかにも清水健太郎、岡崎聡子、小向美奈子、押尾学らがいる。一度手を染めると常習し、善悪の判断を鈍らせ、再び依存症となり、なかなか止めて真人間に戻ることが難しくなるようだ。

    http://www.youtube.com/watch?v=DvrMeTvdH00 (清水健太郎)

    http://www.youtube.com/watch?v=KbTHKMSSovk (岡崎聡子)

    http://www.youtube.com/watch?v=ZIryv5IAMpI (小向美奈子)

     さて、今回の記事に対しては批判があることでしょうが、身から出た錆と言えるような人も含まれてはいるが、人間いつもいいことばかりではないということを彼らを見ていてつくづく感じてしまう。運命のいたずらなのか、それとも神が仕組んだことなのか。栄華がいつまでも続くことはなく、その見返りとして試練を与えるのだと。そう考えれば、人間欲張らず、堅実に生きるのが一番良いように思える。一生一度、野心をもって悔いがないようにやりたいことをやるのも男のロマンだが、そううまい話は転がってはいない。バイオリズムのように浮き沈みがあるのが人生だろうが、たった一度の夢のためにその見返りが長年続くようでは意味はない。太く短くか、細く長くかはその人の判断に委ねられているように思えてならない。これが半世紀近く生きた私自身が得た人生訓であり、結論になると思う。

     記事作成:平成25年10月5日(土)~平成26年1月26日(日)

     

    ドラマチックCM集~JR編~

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     JR東海のCMシリーズは、1980年代のJR発足以降、毎シリーズとも華々しくてドラマティックな演出が施されていた。もちろんその最高峰は「クリスマスエキスプレス」だが、季節や時代、あるいは時期ごとに、人生模様を美しく、かつ繊細に描写し、人生観を巧みに映し出していた。今日は「生きていること」を実感させてくれるCMを特集でお送りします。

     1 JR東海プレイバック・エクスプレス

     1988年制作。これは元気が出るCMだ。人のつながりや絆を感じさせてくれる。バックに流れる「Heaven is a Place Earth」が心地よい。いろいろな想い出の一コマが一つになってその人の人生を形成しているということを感じさせてくれるCMに仕上がっている。

    2 クリスマスエキスプレス

     http://www.youtube.com/watch?v=hBWgSmmskw8

     こちらは人生模様というよりも恋人たちの甘いロマンスを演出している。このようなシチュエーションを女の子の誰もが夢見ていたことだろう。1990年代のひと冬の夢物語。そんなほのかな憧れを叶えてくれたJR東海からの粋なクリスマスプレゼントだった。

     JR東日本SKI SKIスキー

     「青春は純白だ JR SKI SKI」 (本田翼編)

     

    http://www.youtube.com/watch?v=a062CUI7G8Q

     「ゲレンデマジック~全部雪のせいだ~」(川口春奈編)

     空前のスキーブームが巻き起こった1980年代。誰もがカラフルなスキーウェアに身を包み、一シーズン限りの「ゲレンデ冬物語」を夢見ていた。後楽園、新宿、汐留発着のスキーツアーバス、仲間とドライブ、あるいは東北&上越行きの新幹線でトレンディーに決めて往復した。カップルで乗るリフト、ゲレンデでの他愛のない会話、レストハウスやペンションでの気の合う仲間との語らい。様々な場面が時代を作った。もちろん私もその時代に20代だったので、その雰囲気を満喫し、一シーズン30回のスキーを経験した。このようなカップル向けのドラマチックなCMが多数制作された。JRスキーだけでなく、VICTORIAやアルペンもオシャレな出会いを演出するCMを多数制作し、放映した。とにかくバブル期や80年代は夢多き時代だった。

     最後のトリはトレイン(ケツメイシ)!

    http://www.youtube.com/watch?v=cVTe3FdXlm0

     私たちの生活に切っても切れ離せない鉄道。まるで人の人生どこまでも続く線路のように、延々と続き、終わりが見えない。命を終える瞬間まで果てしない旅は続く。その間に目る風景はどんなものだろう。綺麗な大海原を眺めながらの心地よい車窓か。激しい風が窓を叩く嵐のような悪天候の中をひたすら突っ走っている情景か。はたまた山あり谷ありの険しい道のりなのだろうか。たぶんそれは、死ぬ寸前に、自分の人生を振り返った時に感じるものだろう。このPVを見ると、そんな感慨を素直に感じてしまう。「よくぞ日本人に生まれけり」を実感できる人生を最後まで歩んでいきたい。移り行く日本の四季を肌で感じ取りながら・・・。

     記事作成:2月8日(土)

    テレビの影響力

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     「テレビっ子」を自負する私が、これまで幾度となくそれに関する話題を提供してきましたが、本日はまた異なった角度、視点から第二の矢を放ちたい。テレビの影響力の凄じさを2つのトピックで記述したい。

     

     1 金儲けのヒント

     

     流行り廃りはこの世の常である。かつてはいろんな一過性のブームがあった。古くはヨーヨー、エリマキトカゲ、スライム、ロン毛、テレビゲーム、ガングロ、今世紀を見渡してもたまごっち、ルーズソックス、美白、韓流ドラマなどがある。しかし、えてしてそれは爆発的なブレイクであればあるほど、長続きはしないものである。それも束の間、1年後にはもはや流行遅れとなり、あれほど有難がった対象物であっても、誰も見向きもしなくなる。やはり本物志向のほうが長続きするようだ。一例を挙げれば、先祖代々守り抜いてきた、その店でしか出せない味などがそうで、和菓子だったり、せんべいだったり、パンだったり、あるいはラーメンのスープだったり、蕎麦の秘伝のタレなどがこれにあたる。しかしながら、そうしたブームに乗じることで、今を生きている実感を得ようとする輩は、若者を中心にいつの時代もあるもので、これを逆手にとって商売に利用しない手はないように思える。

     とりわけ、テレビの宣伝効果や影響力は絶大で、ヒットする商品のイメージはCMの出来いかんに係っているといって過言ではない。トヨタはこの宣伝広告費に年間数十億もかけてCMを制作し、流している。もちろんテレビ番組のスポンサーもいくつも掛け持ち、莫大な制作費用を捻出し、冠スポンサーや優良大企業としての地位を確保して、庶民に良いイメージを植え付けるべく、そこはかとなくPRしている。

     私はテレビで紹介された様々な製品や商品が、放送翌日以降に爆発的に売れ、売り場から無くなるという

    現象があることに着目した。そして同時に一年間の暦にも不思議なマジックともいうべき商売のヒントが隠されていることに気づいた。

     それは時期や季節に応じて商品を販売するという手法だ。バレンタインの時期にチョコが、ホワイトデーにはマシュマロやキャンディが年間の販売数の大半を売り上げるのと同じ考えで、日本人が重視する二十四節気や四季などの季節の節目、あるいは様々な記念日に行事やイベントを行う日本人の感性に訴えるものだ。そうした風習や慣習をとても大事にしている日本人には打ってつけの販売戦略となりえる。

     ところで、それを証明するかのような珍事がごく最近に起きた。現在フジテレビの月9で放送中の「失恋ショコラティエ」だが、或る洋菓子店が、劇中に出てくるのと同じ名前の同じ形状のショコラを売り出したところ、用意した2000個が瞬く間に売り切れとなり、その特製コーナーだけがすっからかんになったそうだ。もちろん購入者は9割方が女性だったという。このような女性が飛びつくような商品には健康食品やダイエット絡みの商品がに多いという傾向もあるようだ。

     また、昨年放送され、驚異の視聴率と地元ブームが沸き起こったNHK連続テレビ小説「あまちゃん」。そこに登場した「まめぶ汁」や久慈駅限定の「うに丼弁当」が大人気で、発売から数時間で完売するほどの売れ行きだそうだ。放送前は、「まめぶ汁」は、田舎の郷土料理であまりぱっとしないことから見向きもされなかったそうだ。それがマスコミでちょっと取り上げてもらっただけで、この変わりようである。更には、昨年大流行し社会現象にまでなったAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」。昨年暮れの紅白を機に再びCDが売れ、未だにオリコン3位にランクされているブーム再燃。もし、この「フォーチュンクッキー」を日本でも大量生産し、大手でパートやスーパーで売り出したら、相当の売り上げを記録したであろう。おそらくは、彼女たちがこの楽曲を発表していなかったら、「フォーチュンクッキー」の存在すら知らなかっただろう。もし、ブームが最高潮の折にひと箱1,000円という高値だったとしても、予約は殺到するはずだ。全国1,000個限定で売り出せば、100万円の売り上げとなる。それを入手した人は自慢になるし、話のネタにしたい人は、喉から手が出るほど手に入れたいに違いない。

     これらの前例から、私は大儲けのヒントを提案したい。ブームは所詮一時期燃え上がり、すぐに下火になってしまうもの。しかし、これを商売に利用しない手はない。そこに行かなければ手に入らない土産だったり、なかなか入手できない希少性の高い名産品や特産品を全国や世界各国に売り込むチャンスである。

     だが、そこには次の条件を盛り込む。あくまで期間限定販売で、しかも数量限定にて製造販売するのだ。こうすることで、それがめったに手に入らない代物ということになり、それだけ希少価値が増す。その時期にならないと食べられないものであれば、その季節まで待ってでも手に入れたいと、予約が殺到する。人気の商品は1年待ち2年待ちが当たり前の商品があるが、これは一時のブームなどは関係ない。いくら待ってもほしい代物なのだ。受注が間に合わないからといって大量生産に踏み切るのはご法度。簡単に手に入れば、庶民感覚からしてそれだけ価値が下がったように錯覚をうけるからだ。どうですか?この記事を読んでいただいただけでも金儲けのヒントはどこにでも転がっている。あなた自身がちょっとしたヒントで青年実業家ばりに大金を手にするのも決して夢物語ではないことがわかったでしょう。

     

     2 役のイメージによる俳優たちの苦悩

     

     私は一時期、俳優を志し、東京にある某劇団に所属していた。それは大学生の頃で、自分に合う職業選びに行き詰まり、路頭に迷ったり、難儀していた頃のことだ。されど日々の生活に困窮するあまり、高額なレッスン料が払えず、自ら断念し、田舎に帰った。まるで「あまちゃん」の天野春子を地で行くストーリーだが、今はそれで良かったと感じている。なぜなら、芸能人は有名になればなるほど、世間一般からは隔離された狭い社会でしか生きられない。どこぞの店に入るにも、外出するにも人目をはばかる様に変装しなければならない窮屈さだ。ひとたびファンや通りすがりの人に見つかれば、無断で写真を撮られたり、握手攻めにあったり、サインまでする羽目になる。また、そのことがすぐにブログに書かれて、瞬く間にそれが世に知れ渡るようになる。迂闊にだらしない格好で町に出れないし、鼻もほじれない。窮屈な生活を強いられるようだ。

     それが若いうちや駆け出しの頃は嬉しいまでも、年を追うごとに辛くなるようだ。パパラッチがネタを探して狙っているし、最近は一般の人がケータイで写メを撮り、決定的場面を週刊誌に売る輩まで出現している。単純に好きな人とデートもできやしない。私はもともと地方出身者なので、そうした四六時中監視されているような生活はこりごりだと感じたのだ。

     しかし、当の俳優さんたちはそうした目にも耐え、よく活動していると関心させられる。しかも、俳優は映画、ドラマ、舞台などいろいろな役を演じなければならず、その役のイメージが付き纏いやすい。フィクションで、本人の性格とは180度違っていても、その役のイメージのままの印象である。かつて、すこぶる高い視聴率を記録した国民的番組の「おしん」で、奉公先で主人公のおしん(小林綾子)を虐める役を演じたベテラン女優がひどいバッシングを受けた。中にはカミソリ入りの封筒を送りつける輩まで現れた。これには本人も困惑し、その後の出演にも影響したそうだ。本人はいたってまじめに、脚本どおりに演出家の思うままに演技したのに、本人とは違うところで思わぬ影響があったのだ。それが特異な役柄であればあるほど、そうしたイメージが着きやすい。ではこれまでにそういう独特な個性溢れる役柄を演じてしまったために悪影響があったと思われる俳優を列挙したい。

     

     佐野史郎・・・・マザコンでSM好きの冬彦さんを演じ、しばらくそのイメージが定着

     高森和子・・・ 「おしん」でおしんの姑役を演じ、何かにつけおしんに辛く当たる役どころで講義殺到。

     保坂尚輝・・・ 冷酷で一匹狼の雰囲気。ウラの顔を持ち、陰険で主役と敵対し、様々な手を使ってコケにしようとする役が多く、悪役のイメージがついた。私生活でも高岡早紀と離婚し、良いイメージが失せた。

     小沢真珠・・・ 小悪魔で悪知恵使いで主人公を陥れる役どころが多かった。うらおもてがありそうで、裏切りや憎悪、嫉妬というサスペンス系の香りが漂う。

     杉本彩・・・  兄貴を自負する彼女だが、どうも男勝りで、男を掌でころころ操っているイメージ。しおらしさが役からは感じない。奥さんにしたら、怖くてびくびくしながら生活する羽目になる感じ。

     

     また、それまで主役を張っていた俳優が脇役を演じるようになったときに自分の演技や人気に陰りが出たと認識するようだ。また、女優(男優もそうだが)は、子役としてブラウン管に登場したのに、年とともに若手のトレンデイーの主役に起用され、その後、いつからか母親役、そしていつの間にか孫のいるおばぁちゃん役とその起用方法が変わることで年齢を感じるそうだ。しかし一方では良いこともある。これは向井理が語った言葉だが、役者はその役の中で、いろんな職業をそれぞれのドラマなり映画で演じられる利点がある。たとえば、自分ではとうていなれなそうな医者の役とか弁護士、あるいは刑事、パイロット、学者までさまざまだ。

     しかし時には自分に合わない役柄でも、起用されれば責任を果たさなければならない。アクションシーンは体力勝負だし、危険を伴う場合もある。また、英語を話すシーンやキスシーン、場合によってはベッドシーンまで演じなければならない。一番困るのは、監督から普段しているようにやってくれという指示らしい。また、大雑把なアドリブ依頼も困るらしい。つい最近も「いちゃいちゃしてくれ」という注文で、竹ノ内豊が尾野真千子と勢い余って本当にキスしてしまったようだ。その場の雰囲気を瞬時に悟り、台本に無いことまでしてしまうプロ根性も見上げたものだ。

    また、役者の苦悩として台詞覚えが大変な点も挙げられる。「半沢直樹」のような専門用語が長々と出てくるシーンでは、何度もNGを出すようだ。すると共演者に多大な迷惑がかかる。1~2度ならいいが、難しい監督だとTake10まで、納得するまでやらされた役者もいるやに聞く。役者という仕事は、凡人が思うよりも、かなりきついようだ。

     

    記事作成:1月28日(火)

     

    想い出の曲⑨ ~パロディソング編~

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     今回は少し軌道を外れ、パロディ風の楽曲で懐かしいものをセレクトした。甲乙つけがたいので、いつもより増やして6曲お送りしたい。歌にも癒しや笑いを求めてというコンセプトから生まれた作品たちだ。これらを聴いて憂さや悩みを笑い飛ばしてください。

     1 ゆけゆけ川口浩 by 嘉門達夫

     私が1990年代にハマった異色の芸人歌手。彼はこの分野の草分け的存在で第一人者。独自の世界観で「嘉門ワールド」を築いた。
     他には「替え歌メドレー」や「小市民」が大好きだった。血液型はA。紅白歌合戦にも出場し、場を大いに盛り上げた経歴がある。

     「小市民」はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=h4roWWORKkg

     思わず共感してしまうし、思わず吹いてしまう。ストレス発散にうってつけ!悩んでいることがバカらしくなってしまいそう。

     2 無理だ! by 爆風スランプ

     3 私の彼はサラリーマン by シャインズ

     

     一気(イッキ)飲みが流行った頃のパロディ風流行歌。コンパなどの盛り上げ曲。後に東プリンがカバーしたが、元祖は彼らシャインズ。実際に飲み会のカラオケでの一場面を再現してレコーディングした。

     4 日本全国酒飲み音頭 by バラクーダ

     1979年の楽曲。これは企画の勝利。何かにつけ酒を飲みまくれるよう既成事実を作り上げた知能犯的な要素がある。宴会ソングの定番化になって以降、「チャカ・ポコ・チャ」「演歌・血液ガッタガタ」と3年毎に連続ヒットを飛ばし、人気者になった

     5 帰って来たヨッパライ by ザ・フォーククルセダーズ

    http://www.youtube.com/watch?v=4OfTo0N1ulE

     この曲は、私が幼少の頃に流行り、家にレコードもあった。1967年発売のパロディソングの元祖的神曲。飲酒運転で事故死した「オラ(自分)」が天国へ登るが、その天国でも酒と女に浮かれ、「神様」から「お仕置き」を受ける顛末を、テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。語り手の「オラ」は、巻頭いきなり「自分は死んでしまった」という内容のフレーズを繰り返し、田舎言葉でみずからの行状を語る。途中で2度挿入される「神様」の説教は通常速度で録音され、早回しの伴奏にオーバーダビングしてある。「神様」の説教は北山修によるスローな関西弁で、バックに流れる天国と地獄とギャップがある。

     「走れコウタロー」 by ソルティー・シュガー

     1970年発売の楽曲。楽曲としては徹底的なパロディ精神で貫かれているのが特徴であり、ダービーの風景(出走前・観客席・出走後ゴール直前まで)を描写しているものの、出走している馬名が他の博打に関連する言葉であったり、当時の人気ギャグであったりとメチャクチャであり、更には競馬とは全く関係ない「引っこ抜け」という応援が入ったりする。また、東京都知事として公営ギャンブルの廃止に取り組んでいた美濃部亮吉の声色をまねたナレーション、早口の実況中継が曲中に含まれている。都知事のナレーションに関しては、麻雀の役の馬名に釣られて他の麻雀の役を言ってしまうというミス(「(公営)ギャンブル廃止とか言ってるけど、実際影では麻雀やってんだろ」という強烈な風刺を含んでいる)をやらかす。また実況中継に関しては、(出走している馬名がメチャクチャである事自体がギャグであるものの)実況の末に興奮しすぎて、馬名からの連想ゲームになり、蛍の光の歌詞の一節を実況してしまうという展開になるなど、二重三重のパロディが織り込まれている。

     他にも「クレージーキャッツ」や「ザ・ドリフターズ」などは、こうしたパロディ曲が多く、時代の顔ともいうべき八面六臂の活躍ぶりだった。また、「自動車唱歌」(小林旭)はこのジャンルに入りそうだ。

     さて、腹腹絶倒して嫌なことを吹き飛ばしてくれたでしょうか。1970~80年代は、時代背景を痛烈に風刺した楽曲が多く、このようなパロディは関西や九州から火がつくケースが多かった。その後も何度か芸人がこのようなパロディ風の歌を出しているが、上述した曲ほどヒットしている例は少ない。個人的に「泳げたいやき君」や「山口さんちのツトムくん」、「だんご三兄弟」、「おさかな天国」などは、NHK「みんなのうた」や子供向け番組からヒットしており、私の中では「童謡」のイメージだ。
     もし、今回の記事がアクセス数が多ければ、続編も考えてみたい。

     記事作成:1月23日(木)


    今週の山岸舞彩キャスター(2/10~2/13)

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    毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     2月10日(月)

     この日はソチオリンピック中継のため、放送はありませんでした。

     2月11日(火)

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     2月12日(水)

     この日はソチオリンピック中継のため、放送はありませんでした。

     2月13日(木)

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    裏方なのにテレビで脚光を浴びた人たち

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     以前、「異色のおじさん芸人」という記事を執筆して当ブログに掲載したところ、今でも多くの方がアクセスしてびっくりしている。芸能界とは不思議なところで、例え犯罪に手を染めた人でも、容易に復帰できてしまい、世間一般の法規範や概念、あるいはモラルが通じない特異分野のような気がする。それをいとも簡単に許してしまう社会通念や今の感覚もどうかと思うが。流行り廃りが激しいこの世界で、話題性があって珍しければそれで脚光を浴び、テレビのレギュラーにまで抜擢される世界である。それが例えば本来、タレントや芸能人を陰で支えるスタッフや裏方であってもだ。今日は、そうした方々に焦点を当て、芸能人でもないのに売れてしまった方々を紹介したい。

     1 石井光三

     東京都出身のタレント・芸能プロモーター 。また、自分の名前を冠した芸能事務所、石井光オフィスの会長(前社長)でもある。
     幼少から子役や端役をこなすも突如裏方に転身。芸能マネージャーの中においても、タレントの売り込みのための押しの強さ、挨拶のやかましさなど、彼の強烈な個性は業界内でもインパクトが強かった。そのため、内輪ネタとして所属タレントのラサール石井に『オレたちひょうきん族』などでものまねされ(『ひょうきん族』では1985年頃から)、一般視聴者にもよく知られるようになる。東京出身であるにもかかわらず、関西弁を使うことでも知られる。かつて松竹芸能に所属しており、1977年に独立したため。放送局の仕出し弁当が大好物で、『ひょうきん族』では石井社長に各局の弁当を当てさせるクイズを行なったことがある。とにかく元気がよく、営業向きで、バイタリティの塊である。現在82歳。

     http://www.youtube.com/watch?v=l5bjbcgwshQ

     2 太田光代

     芸能事務所「株式会社 タイタン」の代表取締役社長・芸能プロモーター、タレント。夫は太田光(爆笑問題)。 かつては本名(松永 光代)で活動していた。血液型はB型。
     吉本興業などの大手事務所の芸人が主要な昨今に無名時代の太田光を支え、個人事務所社長として手腕を振るう。爆笑問題が干されていた時期に、どちらも下戸である爆笑問題に代わって、お笑い番組のディレクターやプロデューサーを積極的に接待し、「爆笑問題の漫才を見てやってください!」と土下座するなど、熱心に営業活動をしていた。
     2009年、バラエティ番組『魔女たちの22時』(日本テレビ系)に「女性企業家のスペシャリスト」として初期にレギュラー出演していた。現在49歳。

     http://www.youtube.com/watch?v=69-HoO76gzY

    IshiiOhta

     3 日景忠男

     日本の実業家。芸能プロダクションJK プランニング元社長。美少年評論家。俳優の沖雅也の養父。東京都出身。
     台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は台湾の大病院で、裕福な少年時代を過ごし、台湾の大学を卒業後、東京大学大学院に進学。その後は就職もせず、親の仕送りでゲイバーを開いたりと、本人曰く「放蕩息子のような生活を送っていた」。
     ある日、ひょんなことから役者志望の青年(後の沖雅也)と出会い、間も無く共同生活を始める。彼の夢を叶えるべく、プロダクション・JKプランニングを設立。1975年、沖の実父の逝去に伴い養子縁組、養父となった。当時は現在と異なり、同性愛者は完全に奇異の目で見られていた時代であり、生まれながらのホモである日景は、自分は沖の黒子だと言い聞かせ、裏方に徹した。しかし、沖雅也が京王プラザホテルから投身自殺し、マスコミに登場して、その風変わりな容姿に世間の関心は集中した。
     沖の死の翌年である1984年には著書『真相・沖雅也』を発表。この本では自身の生い立ちやセクシャリティについての悩み、沖との出会いから別れなどを赤裸々に綴っている。この頃から、それまで隠してきたホモキャラを前面に押し出したタレント活動を開始した。現在77歳。

     http://www.youtube.com/watch?v=tPzwd6tBTM0

     4 横澤 彪(1937年12月15日 - 2011年1月8日)

     元テレビ プロデューサー。通称「オジン」。東京大学文学部卒業。1995年から2005年6月までは吉本興業で常務東京 本社代表、専務取締役東京本部本部長などを務める。鎌倉女子大学児童学部教授を 経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。
     1974年に『ママとあそぼう!ピンポンパン』で初プロデューサーを経験し、1980年に『THE MANZAI』で頭角を現し始めた。その後も『らくごIN六本木』『スター千一夜』『笑ってる場合ですよ!』『森田一義アワー 笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛け、視聴率低下で苦境に立たされていたフジテレビの立て直しを果たした。また、お笑い界のビッグ3ことタモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターダムへと押し上げることに一役買った。『オレたちひょうきん族』では、同番組内コーナー「ひょうきん懺悔室」で神父役として出演していた。ただし、家族は彪の娘がキリスト教系列の学校に通学していた関係から、彪が演じていたこの役を嫌がったという。同じく『ひょうきん族』時代には、TBSテレビで裏番組として放送されていた『8時だョ!全員集合』を意識した、今では考えられない数々の演出を行った。

     http://www.youtube.com/watch?v=g64J-9zicxo

    HikageYokozawa

     5 保沢紀(おさむ)

     日本のテレビ番組のスタッフであり、元東京衣裳 社員である。「フジテレビ衣裳部の鬼・保沢紀」としてバラエティ番組に出演したことで知 られる。栃木県出身で、地元の高校を卒業後、東京衣裳に入社し、フジテレビ衣裳部詰めとなり、番組の多くの衣裳を手がけた。1985年(昭和60年)7月2日、『爆笑 オールスターものまね王座決定戦』に「フジテレビ衣裳部」という肩書きで審査員として登場、その後、1980年代から1990年代にかけて、同局のバラエティー番組に出演。『ものまね王座決定戦』や、『夕やけニャンニャン』の「アイドルを探せ」コーナーでの審査員として、自らのつくったラメ入りの衣裳を着用し、審査対象の出来に関係なく常に10点を押していた。『ものまね王座決定戦』では、当初、他の審査員同様、1人で1投票枠をもっていたが、ピーコや神山三岬と2人で1枠となった時期もあった。
     フジテレビの組織上「衣裳部」は実在しないが、テレビスタジオ、撮影所に伝統的慣習的に存在する職能名である。保沢の所属した東京衣裳は、フジテレビ衣裳部のほか、東映東京撮影所衣裳部にも常駐している。現在73歳。

     6 渡部陽一 

     日本の戦場カメラマン、フォト ジャーナリスト、タレント。初代・富士市観光親善大使。

     スローテンポと独特なイントネーションで切々と語るその口調に加え、いかにもカメラマンらしいベレー帽とチョッキ姿がトレードマーク。その存在がウケて2010年頃からテレビ番組からオファーが集中し、マスコミやテレビ番組への露出が多くなった。
     平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をしており、これまでにルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材している。EMBED(従軍記者)として紛争地域に赴く。雑誌、テレビ番組などで作品を配信しているほか、ラジオ番組でも現地から直接リポートをしている。血液型はA

     http://www.youtube.com/watch?v=z_1n5pJpgEM

    HozawaWatanabeyouichi

     他にも演出家の和田勉さんや付き人から人気が出て正式にメンバー入りした志村けんや斎藤清六もまた、本業よりもメジャーに躍り出た変わり種だった。やはり何より他を圧倒する個性が光った面々だった。

     また、「モヤモヤさまぁ~ず2」に時々出て来るADの円城寺や「サンジャポ」に登場するジャーナリスト軍団もこの類だろう。曵地伊智朗; 十文字岳; 小日向アツシ;  山田晃久. 宮川剛史; 秋山健太; 海老原沙季. ヒロ田中; 内堀杏美; 鈴木秀明. 小林のん;  山川俊司らがそうだ。特に、サスペンダー姿のぽっちゃり系中年男の鈴木秀明は、番組内で嫁さんさがしのコーナーまで立ち上がったし、番組の裏の顔としてエンディングには欠かせなくなった。

     一方、アットホームな番組作りを提供してきたフジテレビの名物ディレクターやプロデューサーも画面に突出することが多かった。港浩一ディレクター、石田弘プロデューサーなどは、よくその顔が放送されていた。

     また、確かに芸人ではあるが、一時期露出度が激しかった方をピックアップしたい。

     南洲太郎

     かつて1980年代に、フジテレビの「夕やけニャンニャン」の準レギュラーとして出演し、おっさん顔と体型ながら、「南洲ちゃんですっ!」というそのなよなよした喋りで脚光を浴びた。

    Nansyu

     参考記事 「異色のおじさん芸能人」 

     http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-ad72.html

     記事作成:1月26日(日)

     追記

     このような記事を書いた後に、「サザエさん」の磯野波平お父さんの声を担当された永井一郎さんが急逝された。ずっとあの声を聞いて育った私としては、あまりにも急で信じられない気持ちで一杯だ。知らないうちに歳を重ねていた。彼は80歳を越えていたとは・・・。フネの声を担当されている声優さんも87歳で、もうすぐ90歳になられる。「ドラえもん」のように声優を総入れ替えになる時期が近いかもしれないが、できるだけサザエさんファミリーは今のスタッフのまま頑張っていただきたいと思う。永井一郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。

    芸能人政治家のビフォー・アフター 前編

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     なかなか堅そうなタイトルだが、実はそうではない。かつては芸人として活躍していた方、あるいはスポーツ選手だった方、はたまた水着モデルや歌手だった方が、どういう因果か180度も立場や存在も劇的に変わる政治家に転身した人が大勢いる。変わり身が早いというか、本当に政治を理解して、あるいは勉強した上で選挙に立ったのか甚だ疑問だ。一般的には、タレントや芸能人のネームバリュー(抜群の知名度)を利用しての一種の気まぐれのように映ってしまう。本当に強い決意で出馬したのか。あるいは本当に国民のために粉骨砕身で働く覚悟があるのか?そして問題山積の政治的課題に真摯に取り組むための資質や個々の思想や政治哲学はあるのか?その資質を含め、じっくり高みの見物をさせていただきたい。
     それではテーマに沿って早速そうした方々(元芸能人・スポーツ選手→政治家)の覚悟と資質のほどを検証していきたい。まずは一芸能人が政治家へ華麗なる転身を遂げる前と後の姿について、それぞれの比較をまじまじと見てほしい。

     山本太郎

     ビフォー

     「天才たけしの元気が出るテレビ」の名物コーナー「ダンス甲子園」で、江頭2:50並みに奇抜な格好で目立とう精神を発揮し、裸で踊り狂っていた。全身にペンキを塗りたくった意味不明の言動や行動で世間の関心を引こうと躍起になっていた。

     アフター(それが今や参議院議員・・・)

     

     国会議員としての資質の問題はあるように感じる。「田中正造」ばりに、天皇陛下に直接陳情の手紙を手渡したり、国会内を登山靴やスパッツで歩いたり、常識のない言動や振る舞いで「品位を下げている」と厳重注意を受けることしばし。小泉チルドレンだった杉村太蔵も今やお笑いタレント化してしまい、騙された感は否めない。国民はよくよく考えて国民の代表者たる議員を選んだほうがよさそうだ。他に立候補者を知らないだけで、いくら知名度が高い芸能人といえども、物珍しさや個性的で面白おかしければ票を投じるという基準は持たないほうがいい。

     三原じゅん子

     ビフォー(かつては三原順子として女優・歌手として活躍していた)

     アフター(今は参議院議員として婦人問題や医療問題などに真摯に取り組んでいる)

     私と同年代で、初期の「3年B組金八先生」に妙に大人びたツッパリ娘として出演。その後、「セクシーナイト」や「ドラム」など歌手としてデビューした。与党の一員として、政策に関して何事も一生懸命に取り組んでいる姿勢は評価できる。やはりテレビ慣れしており、物おじせず堂々と質疑しているし、緊張せず、持論を展開している。主義主張は明確で理路整然しているので、昔から政治家の資質は備わっていたのではないだろうか。

     青島幸男

     ビフォー

     直木賞作家でありながら、ドラマ出演やお笑いなどのマルチタレントとして活動していた。「意地悪ばあさん」の実写版などにも出演していた。

     http://www.youtube.com/watch?v=-UtQBXMibOo

     アフター

     鈴木俊一氏の勇退に伴い、参院議員を辞職し、東京都知事選に出馬して当選。第13代東京都知事に就任した。以降、石原慎太郎に譲るまで4年間、その座に君臨した。今見ても、政見放送でおちゃらけて歌を歌うなど、奇を衒ったおふざけ演説は異様だった。一時期、青島都知事と横山ノック大阪府知事という、日本の二大都市が異色の芸能人出の知事に都政や府政を委ねるという、ある意味「緊急事態」の状況下にあった。

     横山ノック

     ビフォー

     かつては関西を中心に活動したお笑い芸人だった。「横山ノック・アウト」という漫才コンビで活動。その後、漫画トリオとして活躍。突っ込み役として上方漫才をけん引した。しかし、その後、参議院議員に出馬して当選。華麗なる転身を図った。

     アフター

     1995年に参議院議員を辞職し、大阪府知事選に出て当選。2期目の途中で、車中でのアルバイトの運動員に対する強制わいせつとセクハラ事件が発覚し、引責辞任に追い込まれた。しかしながら、大阪市民の信任を受けて、4年8か月もその座に座った。

     アントニオ猪木

     ビフォー

     もちろん、ジャイアント馬場と共に、日本のプロレスの屋台骨を支えた名レスラー。「燃える闘魂」の愛称で、数々の名勝負を生んだ。新日本(ワールド)プロレスを主宰し、柔道家ウィリアム・ルスカ、ヘビー級王者だったモハメド・アリとの異種格闘技などを実現化し、プロレスの知名度を高めた功労者。「猪木ボンバイエ」の曲に合わせての入場シーンは語り草だった。

     アフター

     突如、国会議員に転身。抜群のネームバリューと存在感で、参議院議員に当選。当初はスポーツ友好を掲げていたが、突然に東京都知事選に出馬すると表明し、福田元首相に説得されて翻意して断念。その後も議員として活躍するが、無所属で国会の承認を得ぬまま北朝鮮を訪問し、懲罰動議が可決され、懲罰委員会で登院停止30日の処分を受ける。

     今回はここまで。続きは明日の後編で掲載したい。劇的な環境変化である。芸能界から政界への転身はそんなに簡単なのかと疑問符がつくほどだ。政治の「せ」の字も知らぬ者でも、少しの「志」と「知名度」があれば、誰でもなれてしまう典型例だと思う。
     さて、明日は後編をお送りするが、とっておきの5人をお送りするつもりだ。誰が取り上げられるか想像しながらお楽しみにどうぞ。

     記事作成:2月1日(土)

    芸能人政治家のビフォー・アフター 後編

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     何か期するものがあってなのか、このところ芸能人や有名人が政界入りする例が後を絶たない。抜群の知名度を背景に、政党が頭数合わせで苦し紛れに出馬要請するケースもあるが、国民の代表者たる国会議員を選ぶ神聖な選挙において、そうした打算的な発想は正直いただけない。最近はスポーツアスリートもまたその例に漏れない。特にオリンピック選手などは、マスコミへの露出度は高く、国民に広く顔が知れ渡り、かつその支持や支援を得た実績があるだけに、選挙ともなれば有利に事が運び、集票効果は群を抜いてしまう。国民感情もまた、どこぞの馬の骨かしれないような立候補者よりも、心情的に有名な人へ入れたいという情も働くため、事態はややこしい。志が高く、政党のいいなりではなく、実現可能な独自の政策を掲げ、論旨が一貫している候補者を自らの手で選びたい。
     では、前置きはこれくらいで、今日も5名、訳あって政治道を志した有名人を紹介したい。なお、本記事は、本人を中傷したり揶揄するための目的は一切ないのであしからず。

     蓮舫

     ビフォー

     台湾・台南県白河鎮出身。芸能界デビューは1985年、17歳の時に出演したNTTのテレホンカードCM。音響機器メーカーのキャンペーンガールである「1988年度クラリオンガール」として青山学院大学在学中に選ばれた。以後、水着キャンペーンやCMに出演したり、タレントとして芸能界活動をする。

     セミヌード編 (過激な露出があるため、本人の現在の地位と名誉を考慮し、埋め込み処理はいたしませんでした。)ご覧になりたい方は、下をクリックしてください。

    http://www.youtube.com/watch?v=QYEDauk4NC0

    アフター

     2004年に参議院選挙で当選して政界入り。参議院議員ながら、人材不足の民主党内閣において、僅か当選2期で入閣したホープ。内閣府特命大臣(消費者担当・行政刷新担当)や少子化担当などを歴任。「切れるやり手女政治家」を印象付けた。とりわけ、事業仕分けでその存在感を示した。スパコン開発競争に関して、「世界一じゃなきゃダメなんですか?」という、ずぶの素人と思えるような軽率発言で、重鎮と呼ばれる研究者や学者を一発で黙らせ、たじたじにした秘技を繰り出し、注目を浴びた。その後、その一言流行語にもなった。元モデルと言って侮るなかれ。かなりやり手という印象。

     橋本聖子

     ビフォー

     橋本聖子と言えば、スピードスケート界において、長らく現役生活を続け、女子の第一人者として冬季オリンピックに4度、そして夏場は自転車競技に鞍替えし、現役の競輪選手を差し置いて2度も自転車競技でオリンピックに出場したトップアスリート。アトランタ五輪では、現職国会議員として自転車競技に出場した。

     アフター

     1995年の参議院選挙で自民党として比例区で出馬し初当選を果たす。以降、4期務めている。スポーツの普及に努め、党副幹事長や外務副大臣などの要職も歴任している。今年のソチ五輪では日本選手団の団長を拝命した。派手さはないが、堅実にことを運び、周囲の評価も高いようだ。

     谷亮子

     ビフォー

     「YAWARA」ちゃんとして、各種の柔道大会で賞を総なめした。熱狂的な支援者が付き、マスコミにも早くから注目され、卓球の愛ちゃんや浅田真央(3人ともB型)と並んで、年齢にそぐわないような活躍を見せた。早熟の天才で、中学時代からカリスマ的な存在となった。「田村でも金、谷でも金」をキャッチフレーズに、「シドニー」と「アテネ五輪」で連続金メダルを獲得した。夫は巨人から古巣オリックスへ復帰した谷佳知選手。

     アフター

     ご存知「小沢信者」のひとり。小沢一郎に誘われて政治の道へ。何かにつけて「小沢先生」と崇め、小沢一郎の指示通りに動く印象は否めない。しかし、民主党が野に下って、離党し、新党結成以後は、あまり日の目を見ない。これからも小沢一郎ととことん行動と運命を共にするだろう。実際この方は、政治家として何を目指し、何をしたいのかが見えてこない。昔の「小泉散チルドレン」と同じで、人気取りと数合わせの道具に使われた印象はありありだ。小沢も谷もB型同士。結び付きが強固で、運命共同体的なのは、同じ匂いがしてわかりあえる部分が多いのだろう。当選直後は、「政治活動と並行して競技生活も継続する」と発表して、「片手間にできる仕事ではない」と世間のバッシングを浴びたことから、翻意し、現役引退を発表した。

     東国原英夫

     ビフォー

     もともとは大森うたえもんと共に「ツーツーレロレロ」という漫才コンビの一員だったが、その後、たけし軍団の一員に。「スーパージョッキー」のガンバルマンでは、他のメンバーと共に、熱湯風呂にお果敢にチャレンジして、ウケ狙いのリアクションを次々繰り出した。「講談社乱入事件」で有罪判決を受けたかと思えば、美人女優「かとうかずこ」との結婚も大きな話題となった。B型だけに猪突猛進で、目的達成のためには周囲が見えなくなり、ついていけなくなった夫人とは離婚。自分の興味があることに、周囲を顧みず、とことんのめり込む凝り性が災いした結末となった。

     アフター

     芸人を辞めて突然に政治家への道を志し、早稲田大学の大学院に進学して政治を学ぶ。その後、郷里の宮崎県知事選に出馬して初当選。選挙での「どげんかせんといけん」は流行語となった。知事就任早々、宮崎牛の「口蹄疫」問題が明るみになり、その対策に追われた。自らが観光大使として宣伝マンを買って出て、地元産品のPR活動に奔走した。宮崎県の財政を立て直し、1期で勇退。その後、東京都知事選挙に出馬したが、落選。現在は充電中といったところか。同じB型の橋下徹と協調路線を歩んでいたが、政策が合わないと離散した。今後の出方が注目されるひとりだ。

     橋下徹

     ビフォー

    http://www.youtube.com/watch?v=fH4zth8iCTA

     幼少期は苦労人。父親が自殺するという不遇に遭った。本職は弁護士で、「行列のできる法律相談所」のレギュラーとして出演していた。威風堂々とした物腰、その歯に衣を着せぬ発言で話題となり、結果的に顔を売ることとなった。その過激発言が故に周囲から批判を受けたり、裁判に訴えられることもあった。

     アフター

     目的達成のためなら苦労を厭わず、強烈な物言いで世論に訴える政治手法を展開。大阪市民や府民を圧倒的な支持を取り付けた。大阪府知事になり、「大阪都構想」をぶちまけ、実現に向けて奔走。政治のねじれを解消するために、大阪市長に鞍替えして再出馬。現在は大阪市長として存在感を示している。とりわけ、財政や教育で「非常事態宣言」を発令。なぁなぁ主義の大阪的発想を払しょくすべく、独断で様々な持論のを展開して断行。大阪の公務員の「刺青」問題を指摘し、次々処分。改革心は人一倍強い。ただ、浮気疑惑など私生活を棚上げして、他人を責める性質はいただけなかった。このほど「大阪都構想」に関して議会と衝突。その是非を民意を問うとして大阪市長を辞職し、出直し選挙に再出馬する方針。

     以上、2日間で10名の現役政治家および活動休止中の元芸能人の過去と今を比較してみた。他にもこのテーマに適合する方は、西川きよし、森田健作、ザ・グレートサスケ、馳浩、松浪健四郎、石井浩郎、萩原健司などもいた。

     さて、今回の2日連続の記事はいかがでしたか。特段、現状を批判するために本記事を掲載した意図はない。されど、かつて「一億総タレント時代」などと揶揄された時期があったが、「一億総政治家時代」は断じてあってはならない。誰でも政治家や国会議員になれてしまうようでは、日本に未来などない。杉村太蔵氏は、「小泉チルドレン」という宣伝文句で棚ボタで当選して代議士になれたが、今やその面影はない。「サンジャポ」などは、単なるタレントとしておちゃらけ出演しているに過ぎない。なぜ、当該選挙区民はこのような得体の知れない輩に一票を投じ、日本の未来を託したのかしれない。

     私の今は亡き祖父もまた地元の政治家だったが、決して私腹を肥やす真似などしなかった。それどころか、政治家を長年続けるといろんな柵が足かせとなり、不正や政治の停滞を招く温床になると、2期務めたらスパッと辞めて、その後は市の役員として、一銭にもならない慈善活動に没頭する後生を過ごした。やはり国会議員や政治家を目指すのであれば、自らの確固たる政治理念や信念を持ち、政策遂行者であってほしい。党の歯車として、政党の指示通りに動くだけではなく、自らの政治主張を正々堂々と展開してほしいと願う。

     記事作成:2月1日(土)

    今見ても可愛い80年代B型アイドル

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     前回、「今見ても可愛い70~80年代アイドル」という記事をお送りしたが、どちらかというと短いブームで終わってしまったB級的アイドルを9名特集した。しかし、その後、同じ時期のA級的アイドルも特集してほしいという要望があったため、急遽この記事を組んだ。私は個人的に1980年代はアイドル全盛で、その中でもB型アイドルがもっともテレビ(当時はブラウン管)を賑わしていたと考えている。B型は日本人の22%しかいないのに、こと芸能界では、その際立つ個性を発揮できる場として最適であることから、B型アイドルの根源になっていると考えている。現に、この頃のアイドルはB型とO型が圧倒的に多かった。そこで今回は、B型アイドルの中でも、80年代に活躍した方を今回はピックアップしたい。A級アイドルだった小泉今日子、中山美穂、岡田有希子はO型、松田聖子、中森明菜、石川秀美、早見優、立花理佐はA型なので、今回は掲載しない。しかるに今回は、この8人を取り上げることにする。ただし、リンクした「YouTube」動画は、希少映像のため、予告なく突然削除されることがありますので、予めご了承願います。

     南野陽子

     

     彼女=「スケバン刑事・少女鉄仮面伝説」のキャラが濃すぎて抜けない。土佐弁の「なめたらいかんぜよ」風の話し言葉が強烈に残っている。私は個人的に「はいからさんが通る」の時の着物姿が好きだったし、楽曲では「楽園のdoor」が印象に残っている。愛称「ナンノ」で、ラジオ番組「ナンノこれしき」のパーソナリティも務めていた。当時はCMクイーンだった。

    楽園のdoorはコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=BYSboNZFBlg

     河合その子

    http://www.youtube.com/watch?v=bmAM87GjKhs ←超かわいいです!

     ご存知「おニャン子クラブ」会員番号12番。立見里歌と並び、最年長20歳での入会。しかし、誰よりも早くソロデビューを果たした。少々ロリが入って少女趣味的な感じは否めない。現在は、作曲を手掛けた後藤次利(同じB型)と結婚。あのオリラジ藤森が、昔の彼女のPVを見てあまりの可愛らしさに思わず絶句した。

     松本伊代

     彼女は見るからにB型アイドル。骨と皮だけのようなかなり細身スタイル。デビューは田原俊彦の妹役だった。ヤンスタの常連。今でいうメイドのような赤いフリフリミニスカートで「伊代はまだ~16だから~」と愛嬌を振りまいて歌っていた。今ではヒロミ夫人。キョンキョン、堀ちえみと大の仲良しで、「パリンコ学園」でも共演した。アイドル番組や歌番組には欠かせないアイドルだった。

     堀ちえみ

     花の82年組のひとり。「潮風の少女」でデビュー。ちっちゃくって、妹的な存在。思わず守ってあげたくなる感じだった。それが「スチュワーデス物語」のあの強烈キャラが強くなり、イメチェンのような印象を受けた。とにかくこの世代はアイドル豊作。ベストテンにも数多くランクインした。個人的にはグリコセシルチョコレートのCMがお気に入りだった。今からは想像できないほど初々しかった。超ミニスカートがトレードマークだった。

     シングルメドレーはコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=MZwJB0DTsyY

     セシルチョコのCMはコチラ → http://www.youtube.com/watch?v=1yotICaXem0

     渡辺美奈代

     彼女もまた「おニャン子クラブ」のメンバー。B型だけあって根強い熱狂的なファンがついた。「TOO ADULT」や「瞳に約束」がお気に入りだった。彼女もまた超ミニスカートで熱唱した。ポニーテールがよく似合うロリ系な感じだった。夕ニャンの時期は、私はドンピシャ東京にいた大学生。観覧希望ハガキを何枚送っても絶対に当たらなかった。

    TOO ADULTはコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=2hOgGZxDayM

     渡辺満里奈

     彼女ももちろん元「おニャン子クラブ」メンバー。アイドルを探せに出た時に一発で合格を確信したほど異次元の可愛らしさだった。とんねるずの前でタップダンスを披露した場面を今でもはっきり覚えている。やっぱりB型に共通しているが、ロリ系で美少女的な印象だった。子犬のようなベビーフェイスの顔立ちで可愛らしかった。

    初登場時の映像はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=vZ99zE800Qk

     菊池桃子

    http://www.youtube.com/watch?v=95HkrMk9DYk

    http://www.youtube.com/watch?v=op6HgFcKPBY

     これまで彼女のことは何度も取り上げた。私が大学1年生の頃のスーパーアイドル。クレアラシルのCMや映画「パンツのア穴」に出演して大ブレイク。そのベビーフェイスでアンニュイなイメージが中高生を中心に爆発。雑誌「BOMB(ボム)」やマガジンなどのグラビアは飛ぶように売れた。「青春のいじわる」でレコードデビュー。歌はイマイチだったが、その大きな瞳と抜群の可愛らしさでベストテン1位にもなった。「SUMMER EYES」、「夏色片想い」、「雪に書いたLOVE LETTER」、「卒業」などがヒットした。

     「SAY YES!」はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=eLR_J5atQbU

     倉沢淳美

     ご存知「欽ちゃんのどこまでやるの」(水曜日21時テレビ朝日系列)の3人姉妹のわらべのひとりとして登場。彼女は「かなえ」役だったが、一番笑顔が可愛くて、すぐにソロデビューとなった。白い衣装が良く似合い、清潔感に溢れていた。一生懸命さに加え、B型特有のややマニアックな印象がマッチングしていた。或る番組で歌の途中、暴漢に切りつけられて負傷する事件もあったが、元気に復帰し、ファンを安心させた。

     デビュー曲のプロフィールはコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=O3_CW1yZRmk

    http://www.youtube.com/watch?v=JjRfVT9PuJY

    http://www.youtube.com/watch?v=GxcPr_gGFEU

     この時代のB型アイドルは、ほかにはノリピーこと酒井法子もいた。ご覧いただいたように、この頃のB型アイドルの可愛さは突出していた。個性的で明るくて裏表がない性格。熱狂的な親衛隊がつくのも理解できる。損得なく応援できる感じだったと思う。この時代はピンクレディーが下火となって山口百恵が引退した70年代と入れ替わるように次々とヤングアイドルがポスト百恵の座を狙って出て来た時期。そんな中でトップに君臨したのだから、やはり光る何かがあったのだと思う。今日は、少しミーハー的な要素も過分に含まれていたが、私の20代全般の若かりし頃の想い出も含めて記事にしてみた。また機会があれば同様の記事を書いてみたい。

     記事作成:2月15日(土)

     

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