爆発的なヒットはなくても、人々の心に響き、記憶に残る楽曲を提供した女性シンガーがいる。立て続けにヒット曲を飛ばしたわけでもないのに、何故か想い出の一曲だったり、カラオケの十八番にしている方もことのほか多い。個人的には名曲だと思っているが、今日はそうした懐かしくもミュージックシーンに確かな足跡を刻み残したシンガーを7人紹介したい。
尾崎亜美 「春の予感 I've been mellow」
http://www.youtube.com/watch?v=C06bCBGq22I
http://www.youtube.com/watch?v=BtuEsLNx2EA
彼女自身はもちろん歌手だが、多くのオリジナルの楽曲を他の歌手に提供していたことで有名。杏里から小林麻美、南沙織、松田聖子までバラエティだった。
京都府京都市北区出身。血液型はB型。8歳でクラシック・ピアノを習い始める。16歳頃からポップミュージックに興味を持ち、アマチュアのサークルに参加、作詞作曲をするようになる。
1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。
1977年、3rdシングル「マイ・ピュア・レディ」が資生堂のCMに起用されヒット、一躍注目を浴びる。また、3月から翌年2月までラジオ「オールナイトニッポン」金曜日第2部を担当している。
「南沙織のPVはコチラ」
http://www.youtube.com/watch?v=1Mu2Qud2kyk
飯島真理 「愛・覚えていますか」
茨城県土浦市生まれ。現在ロサンゼルス在住。
音楽好きな両親の影響で幼い頃からピアノを弾き、小学5年生から作曲を始める。クラシックのピアニストになるためドイツへ音楽留学する予定だったが、恩師の助言でシンガーソングライターの道を目指す。
1982年、国立音楽大学ピアノ科在学中にデモテープが認められ、ビクターと契約する。
1983年9月に自身の作詞作曲、坂本龍一プロデュースによるファーストアルバム『Rosé』でデビューする。同年12月にはシングル『きっと言える』をリリース。
1984年、人気ラジオ番組『ミスDJリクエストパレード』の木曜パーソナリティを担当。劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』でもミンメイ役を務め、主題歌『愛・おぼえていますか』をリリース。オリコン最高7位を記録するシングルヒットとなり、『ザ・ベストテン』などの歌番組に出演する。1989年にアルバム『Miss Lemon』の音楽プロデューサー、ジェームス・スチューダーと結婚し、アメリカに移住。以後はロサンゼルスを拠点にスチューダーとの共同制作で作品を発表する。
沢田聖子 「シオン」
東京都中野区出身、血液型:B型。文化女子大学附属杉並高等学校、文化女子大学短期大学部生活造型学科卒業。イルカの妹分としてデビュー。フォークソング歌手としての活動を基盤に、他の歌手への楽曲提供、レポーター、パーソナリティなど、積極的に各種芸能活動を行っている。一時期、仙台から仕事の度に上京していたが、現在は都内に拠点を置き音楽活動を展開中。2009年のデビュー30周年全国ツアー後に事務所から独立し、単身ライブ活動を行っている。
私の兄が彼女の大ファンで、レコードを随分たくさん持っていた。
白井貴子 「Chance!」
神奈川県藤沢市出身のシンガーソングライター。血液型はO。
1981年CBSソニーレコードの主催するオーディションに合格し女性ヴォーカリストとしてデビュー。佐野元春のバックコーラスにも参加。翌年、佐野元春の『SOMEDAY』をカバーする。その後、ロックバンド『白井貴子 & CRAZYBOYS』を結成し、自身の居場所をポピュラー音楽からロックミュージックへと移すが(こうした転身は先駆的)、この時代、音楽業界からは「女にロックは解らない」と冷淡な扱いしかされなかった。そんな周りの反応を吹き飛ばすかのように、ライブが始まると同時に観客が総立ちになる現象から当時は「総立ちの貴子」と呼ばれ学園祭クイーンにもなった。この当時の衣装はミニスカートばかりだった。
ロックンロールエンジェルの名の下に、日本武道館、西武球場など、大規模なコンサートを次々と成功させていった。しかし、そうした活動とは裏腹に、売り上げトップ10に入るのはアルバムだけで肝心のシングルは1984年に出した『CHANCE!』(シチズンリビエールCMソング)が最高位12位で終わっている。
2006年、デビュー25周年を期に、バンド活動を再始動。
井上昌己「Yell~16番目の夏~」
愛媛県八幡浜市出身。愛媛県立八幡浜高等学校、日本大学文 理学部卒業。 血液型はB。デビュー当時は楽曲提供を受けたものが多かったが、2002年以降はほとんどの楽曲において自ら作詞、作曲を行っている。
第1回トーラスレコードスーパーボーカリスト新人オーディションで優勝。これをきっかけに1989年5月24日、シングル「メリー・ローランの島」、アルバム『彼女の島』でトーラスレコードよりデビュー。
翌月には「瞳」と「YELL!-16番目の夏-」の2枚のシングルを同時リリース。「YELL!-16番目の夏-」は夏の高校野球のテーマソングとして『熱闘甲子園』などでオンエアされ、テレビ朝日系列のローカル局では長年に渡り夏の地区予選のテーマ曲として使用された。毎年、高校野球の季節になると決まって彼女の曲が流れる。「恋が素敵な理由」も名曲。
やまがたすみこ 「風に吹かれていこう」
東京都北区出身のフォーク、歌謡曲等のシンガーソングライター、スタジオミュージシャンである。
小学校6年生の頃から作詞作曲を始め、上野学園高校1年生在学中の1972年にTBS系の視聴者参加番組『家族そろって歌合戦』に出場して中学生の時の自作曲「夏になったら」を歌い優勝。これをきっかけに日本コロムビアからスカウトされ、芸能事務所のバードコーポレーションに所属。翌1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」で日本コロムビアよりデビュー。マルベル堂には現在もデビュー当時のブロマイドが売られている。
1973年12月に発売されたシングル「日立ミュージック・イン・ハイフォニックのテーマ/白い船白い鳥」では1960年生まれとある。ニッポン放送の番組のテーマ曲で、毎週やまがたすみこの歌声が流れていた。
ファーストアルバム『やまがたすみこフォークアルバム第一集 風、空、そして愛』(1973年3月)は自作曲のほかに森山良子などの曲をカヴァーし本田路津子風のカレッジフォークのスタイルを取っていたが、その後次第に当時「ニューミュージック」と呼ばれていたジャンルに移った。
1985年には、つくば科学万博「住友館」のテーマ曲「空に会おうよ」(作曲・編曲:坂本龍一、作詞:矢野顕子)をモモと言う名前で歌っていた。
私は個人的に島田奈美が登場した時に、彼女の再来かと思ったほどだ。
シモンズ 「恋人もいないのに」
最後はソロシンガーではなく、女性2人組のユニット。美しいハーモニーやコーラスを響かしていた。ベッツィ&クリスを意識したようなサウンドとユニットコンセプトだった。こういう映像が残っているのが凄い!
田中ユミ、玉井タエの女性デュオである。ともに大阪府出身で、いわゆる関西 フォーク系に属する。 シモンズの名前は二人がファンであった「サイモン&ガーファンクル 」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたもの。 毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションで合格。高校卒業後に上京しRCAレコードから「恋人もいないのに」でデビュー。デビュー曲は「あの素晴しい愛をもう一度」になる予定であったが、この曲は北山修と加藤和彦が唄うことに決まったため、急遽「恋人もいないのに」になった。この曲は60万枚を超える大ヒットとなった。しかし人気絶頂の1974年、玉井タエの後藤次利との結婚を期に休止した。
他にも山崎ハコ、石川優子、小比類巻かほる(以前、当ブログで紹介済)、椎名恵(当ブログで紹介済)、松原みき(当ブログで紹介済)、永井真理子(当ブログで紹介済)らもこのテーマに沿う実力派シンガーだった。
さて、いかがでしたか。40代以上の方々には懐かしくその時代を思い出されたのではないでしょうか。脱帽なのは、今でも現役で活躍されている方が多いという点だ。歌は限界がない証明と言えそうだ。色褪せることもなく、今でも耳に心地よい曲ばかり。
記事作成:6月30日(日)