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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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知られざる事実

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 「事実は小説より奇なり」というが、現実離れした実話というのはどこにでも転がっている。世の中には既知の出来事より未知の出来事のほうが遥かに多く存在する。今日の話題は、「知られざる事実」だ。マスメディアが発達した現代においても、意外と知らなかった話などは山ほどある。今日はそんなテーマに触れたい。
 ところで、日本人はよく本音と建前を使い分ける。口では調子を合わせて言うものの、いざ行動となると、急に尻込みしたり、言動と行動が伴わないことが多々起きる。外国人が驚いた日本人の振る舞いで、「じゃあ今度一緒に遊ぶ?」と外国人に言われた日本の若者が、「いいね」と返事。しかし、間髪入れずに「じゃあいつにする?」と話を具体化しようとしたら、「えっ?」とすかさず引かれて愕然としたそうだ。日本人は理解できる日常茶飯事だが、こうした愛想遣いとか社交辞令なるものが外国人には理解できないらしい。日本人は裏表があって信用できない人種と思ってしまう人も少なくないようだ。
 今回のテーマは、そうした何気ないニュースや話題を掘り下げてみれば、意外な事実が浮かび上がったりする。それを取り上げてみたい。

 1.ピンクレディーのサウスポーの曲がまったく違うものだった。

 「サウスポー」は、1978年3月にリリースされたアイドルデュオ・ピンク・レディーの7枚目のシングルである。スター誕生から生まれ、1970年代のトップアイドルにのし上がった彼女たちは、作詞・阿久悠、作曲・編曲・都倉俊一の名コンビの手ほどきで毎回ミリオンセラーを連発し、「UFO」ではアイドルとして初の日本レコード大賞を受賞した。

 そのピンクレディーが歌って大ヒットした「サウスポー」だが、企画当初は、発売された現曲とは歌詞も曲もまったくの別物だった。

 最初にレコーディングされた作品は都倉による案外地味で大人しいミディアムテンポの曲調で、阿久も別の詞をつけていた。しかし、ディレクターの飯田久彦が「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」として都倉の新しい曲を持って来て阿久に歌詞の作り直しを願い出た。翌日の夜にレコーディングという予定の中、阿久は深夜から新たな歌詞を創作した。阿久は最初の大人しい曲のまま世に出ていたら、ピンク・レディーの人気の失速のきっかけとなっていたかもしれないとしている。

 では、その模様を取り上げた番組を紹介したい。(削除されたので別の動画をどうぞ)

 2.企画段階の仮面ライダー(本郷猛)役は藤岡弘ではなく、近藤正臣だった。

 『仮面ライダー』の初期企画「十字仮面」で、毎日放送側は主人公・本郷猛役に、新人俳優の近藤正臣を決定していた。番組宣伝用のポートレートなども作成されたが、製作日程が合わず藤岡弘に変更された。これは柔道一直線で個性溢れる演技で人気が爆発し、各番組で引っ張りだことなり、撮影のスケジュール調整が取れなくなったためであった。

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 しかし、順調に撮影を重ね、好評を得ていた仮面ライダー・本郷猛役の藤岡弘が収録中の事故で大怪我を負い、しばらく休業を余儀なくされてしまう。1クール終了を待たずして早くも番組存続の危機に陥った制作側は、「本郷はヨーロッパへと転戦した」という扱いにして急遽、仮面ライダー2号・一文字隼人を登場させる。それと同時に変身ポーズの導入や相棒・滝和也の定着、ライダーガールズの採用などの新機軸を盛り込み、明るい雰囲気のヒーロー番組へと作り変えた。

 もし、スケジュールに不都合が無く、仮面ライダーに近藤正臣が主役として登場していたら、かなりイメージが変わり、スマートなライダーになっていただろう。そして今ほどのロングランでシリーズ化するほどの人気は得られなかったかもしれない。唯一の共通点は両者ともO型ということだけ。

https://www.youtube.com/watch?v=vAML9Mvu5QM

 3.「ニュースウォッチ9」の大越健介キャスターの経歴は半端じゃなかった!

 3月で降板することになったNHKの「ニュースウォッチ9」で、井上あさひさんと共にメインキャスターを務めている「大橋健介」さんの経歴を知って驚いた。東京大学文学部を卒業したスーパーエリートであることはもちろんだが、決してガリ勉だけの人物ではなかった。進学校の新潟高校時代から高校野球のピッチャーとして文武両道を実践し、あと一歩のところで甲子園出場はならなかったものの、県大会準優勝などの実績を挙げ、さらには東大進学後も東京六大学で野球を継続。弱小の東大野球部において歴代5位の通算8勝(27敗)を残した。以下Wikipedia掲載の彼のプロフを掲載したい。

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 新潟県立新潟高等学校卒業。新潟高校では2年次に強肩の捕手として甲子園を目指した。翌3年次に投手へ転向し、春の県大会で準優勝したが、夏の県大会はベスト8で終わり、結局は甲子園出場の夢はかなわなかった。
 東京大学(文科3類)進学後は野球部に所属し、右アンダースローの投手として活動。エースとして東京六大学リーグで通算50試合登板、8勝27敗、防御率3.52、142奪三振。8勝は東大の投手では5位タイ。「東大だったんだから頭脳派だったんでしょう」とよく言われるというが、むしろその逆で力と気迫を前面に押し出す投球が身上だったという。本人は「8勝も東大としてはまずまずだと思うけど、それよりも27敗を誇りに思う。よくここまで使ってもらえたと思うし、よくここまで投げぬいたな、と思う」と語っている。1982年の新人戦では3連投し、立大に5-1、法大に2-0で勝利し、決勝で早稲田に0-1で惜敗。東大新人戦最高の準優勝に貢献した。
 1983年には太田誠(駒澤大学野球部監督)によって、日米大学野球選手権大会の大学日本代表メンバーに史上初めて東大から選出された。その時の大学日本代表メンバーには明治大学の広澤克実、竹田光訓、日本大学の和田豊、法政大学の小早川毅彦らがいた。大越は第三戦で二番手投手として登板している。大リーグのセントルイス・カージナルスで活躍したマーク・マグワイアとの対戦経験もある。

 東大文学部国文学科卒業後、1985年NHK入局。以後国内各放送局での勤務を経て本部報道局政治部に配属。政治記者として、橋本龍太郎(第82代内閣総理大臣)の番記者や、自由民主党竹下派経世会担当記者などを務める傍ら、NHKのニュース番組での国会のレポート及び『クローズアップ現代』などに出演するようになる。

 アメリカ総局ワシントン支局長を2005年6月より4年間務め、滞在中はジョージ・W・ブッシュ大統領への直接単独取材や、バラク・オバマの大統領就任式取材総指揮などを行った。2009年6月帰国し政治部復帰、2010年3月29日、『news Watch 9』アンカーとなった。ニュース内でまとめとして政治色を絡めつつ自分の意見を表明することが多々あり、NHKの歴代ニュースとしては異例の構成となっている。

 しかし、今回の人気キャスターの降板劇に関して、さまざまな憶測がとどまらない。番組内で、たびたび原発慎重論の見解やコメントを行って来た大越キャスターに対し、原発再稼動を目指す首相や官邸が横槍を入れ、NHKが彼を更迭する形で降板させるという見方がもっぱらだ。政治の世界が国営放送の人事に首を突っ込むのは表現の自由を侵害するあるじき越権行為だし、その圧力に屈して人気キャスターの首を挿げ替えるとしたら、NHKの存在意義に疑問を抱くこととなる。あってはならない事態で、NHKは厳粛に受け止め、政治的圧力には断固立ち向かう姿勢を明確に見せて欲しい。

 記事作成:1月22日(木)


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