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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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郡山の魅力再発見⑧ ~伝説のワンステップフェスティバル~

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 時を遡ること41年前の1974年(昭和49年)。当時私は10歳だった。その当地・郡山の地において伝説として語り継がれる或る音楽のビッグイベントが開催されたのだった。
 それは郡山市が新産業都市に指定されてから10周年を記念しての一大スペクタクルショーだった。その名は「One Step Festival 1974」。おそらくは50代以上の郡山市民ならば、懐かしく当時を思い出すことだろう。では早速当時を回顧したい。

 <イベント概要>

 ワンステップフェスティバルは、1974年8月4日から5日、同8日から10日に福島県郡山市開成山公園内の総合陸上競技場で開かれたロック・フェスティバル。出演したロックバンドやシンガーの数は5日間で36組もあった。全国のロックファンが郡山に一堂に会し、それは華やかで興奮と熱狂的なイベントになった。

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 「広報こおりやま」掲載記事はコチラ

 <出演者一覧>

  • あんぜんバンド
    イエロー
  • 異邦人
  • ウエスト・ロード・ブルース・バンド
  • 上田正樹&サウス・トゥ・サウス
  • 内田裕也&1815ロックンロール・バンド
  • オリジナル・ディラン
  • かまやつひろし
  • クリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジ
  • 神無月
  • キャロル(矢沢永吉)
  • 久保田麻琴と夕焼け楽団
  • クリエーション
  • グレープジャム
  • 外道
  • サディスティック・ミカ・バンド
  • 沢田研二&井上堯之バンド
  • サンハウス
  • シュガー・ベイブ
  • センチメンタル・シティ・ロマンス
  • ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
  • つのだひろ&スペース・バンド
  • トランザム
  • 南無
  • はちみつぱい
  • ブルースハウス・ブルースバンド
  • ミッキー吉野グループ
  • 宮下フミオ
  • めんたんぴん
  • ヨーコ・オノ&プラスチック・オノ・スーパー・バンド (→プラスティック・オノ・バンド)
  • 四人囃子
  • ラヴ
  • りりぃ
  • VSOP
  • ソウルパワー
  •  
  •  では「動画サイト」に投稿してあるその時の模様を垣間見てほしい。(予告なく削除される場合がありますのでご了承ください)
  •  1 サディスティック・ミカバンド 「塀までひとっとび」

     真夏の祭典だったたけに、上半身裸でパフォーマンスする出演者や観衆がいた。この当時、サディスティックミカバンドは過激な部類で、あまりテレビの歌番組などには登場しなかった。

     2 上田正樹 「戻りたいなんてあらへん」

     観衆も興奮状態で踊りまくった。昔流行った「ゴーゴー」や「モンキーダンス」のような踊りが主流だった。「ロックンロール」や50’s風の「ツイスト」もあった。

     3 キャロル

     今ではレアな「お宝映像」。ビートルズの影響を受けていることを実感できる。上下の皮ジャンスタイルはお馴染み。ポマードにリーゼントスタイルが当時のロックの象徴だった。同時期には「クールス」も活躍していたし、その後で宇崎竜童率いる「ダウンタウンブギウギバンド」も活躍した。昨年、メンバーだったジョニー大倉が亡くなったことで、伝説度が増し、貴重な映像となった。

     4 沢田研二&井上堯之 内田裕也

     昭和の大スターとして名を馳せた沢田研二は、グループサウンズ時代「ザ・タイガーズ」のリードヴォーカルだった。人気絶頂で、このような井上堯之との臨時のコラボバンドは珍しい。

    5 オノ・ヨーコ

     オノヨーコと言えば、ザ・ビートルズのジョンレノンの妻。彼女のようなビッグネームの大スターも郡山へ来て、この記念すべきイベントに出演したのだった。なんと上の映像の中に、私の実家が映っている。

     当時は、フォークイベントは嬬恋や中津川フォークジャンボリなどがあったが、大掛かりなロックの祭典は少なく、これほどの威容を誇ったロックフェスは、郡山が最初の試みだった。私は当時、小学生だっため、ロックのロの字も知らず、自宅から徒歩で15分ほどの会場だったにもかからず、こんな貴重なイベントを見逃してしまった。たぶん中学生くらいだったら、絶対に友達と見に行き、ロックの洗礼を受けていたに違いない。

     余談なるが、その時、開成山公園内とその周辺において一大子ども祭りが同時開催され、ヘリコプターの体験乗車や健康診断、期間限定のジェットコースター運行も行われた。また五十鈴湖では軍艦のラジコン操縦も出来たし、空気で膨らませる巨大トランポリンなどの遊具もあり、それは大盛況だった。何を隠そう、私は当時小4だったが、友達3人でのど自慢大会みたいなのに応募し、仮設舞台の上で「母に捧げるバラード」を歌った記憶がある。でもあまりに大勢の人の前で、緊張し、あまり声が出なかった。

     この一大イベントが行われてから41年が経過した。私も歳をとる筈だ。モノクロの映像が時代や歴史、歳月を感じてしまう。2011年には私の同級生の箭内道彦が主催し、熱海のスケート場で大規模な「LIVE福島」が開催されたり、昨年、郡山で「B-1グランプリ」が開催されて大いに盛り上がった。再び被災地が活気を取り戻す意味でも、こうしたイベントは切らさずに継続して実施してほしい。そして「福島は元気です」と全世界に向けて発信できたらこの上ない喜びに思う。

     記事作成:平成27年1月10日(土)

     


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