平成26年11月24日(日)は3連休の中日だったが、実家に戻ったら、兄の嫁に頼んでおいた或るものを見せてもらった。それは9年前に亡くなった祖父のアルバムだった。そこにはお宝と言えるような貴重かつ希少な写真が山ほどあった。アルバムで30冊以上、バラの写真でも数千枚以上もあり、「郡山の昔」の写真集の編集者が泣いて喜ぶ、昔の町並みや歴史を偲ぶような写真がわんさか出てきた。残念ながら、郡山の開成山球場で日米野球(巨人対オリオールズ)が開かれた時、私の姉が花束贈呈をしていた写真は見当たらなかったが、ここでぜひ取り上げて一般公開しておきたいスナップ写真が含まれていた。
今回は、それらを「昔話」のタイトルで掲載したいが、いっぺんに掲載せず、小出しにしたい。理由は、写真に纏わるエピソードや私の感想なども述べたいからだ。
私の祖父は明治生まれであり、市議会議員を務め、「政治家は長くやるとろくなことは無い」と2期でスパッと引退し、後は市の役員として慈善活動に専念し、内閣総理大臣賞や文部大臣賞(当時)を受賞、さらには天皇から勲章まで授かった。私腹を肥やす真似は一切せず、市民のことを第一に考えて活動していた。だから私が一番尊敬してやまない、自慢の祖父だった。
そんな祖父は、当時としてはハイカラな人間で、いつもカメラをぶら下げ、日本全国や中国などさまざまな地を視察で訪れ、昭和初期や戦後の郡山市内の発展をつぶさに垣間見れるような古い写真を撮影し、平成17年に94歳で亡くなった後も書斎には多数存在していた。
そんな中に、私が生まれた1964年に開催された「東京オリンピック」で、男子マラソンに出場した、須賀川市出身の円谷幸吉選手がいる。自衛隊の痰飲で、マラソンでは無名だった彼が日本代表に選出され、栄えある東京五輪に出場した。国立競技場に2位で帰ってきたが、トラックを一周中に、大観衆が見つめる中で外国人選手に抜かれ、3位でゴールしたのだった。しかし堂々の銅メダル獲得は快挙であり、彼は日本の英雄的存在となった。
その彼が故郷に凱旋し、戦績を報告に郡山を訪れた。そして後援してくれた関係者に銅メダルを披露したのだ。その時の模様を撮影した写真が下のものだ。
驚くなかれ。自衛隊の制服で写っている円谷幸吉の右側でにこやかに笑みを浮かべているのは、後に郡山市長となった若かりし頃の藤森英二氏だ。私の祖父が、藤森氏がまだ郡山市の職員として勤務していた時に、可愛がっていた部下だった。だから9年前の祖父の死去の報を受けて、当時は現職市長でありながらわざわざ弔問に訪れてくれた。もちろん供物や香典は公職選挙法で違反となるため、仏前に名刺を置いていってくれた。とても誠実で律儀な振る舞いに、私たち遺族は恐縮した覚えがある。
この写真自体は、私がこの写真の上からデジカメで撮影しなおしたものなので、多少ぼけている。そこにいる円谷幸吉は、実に誇らしげであるが、次回開催のメキシコオリンピックへの過度なまでの期待を一手に背負い、重圧がのしかかり、あわせて故障した怪我が響き、精神的に追い込まれた末に自ら命を断つこととなった。
祖父のアルバムには、といつ、何のイベントで撮影されたものであるか、新聞記事の切り抜きと共にきちんと保存され、祖父の几帳面さが偲ばれた。写真には昔、画家だった青木久元郡山市長が描き、祖父に贈ってくた花の絵の写真まで残っていた。小さい頃、祖父の応接間で見た記憶が或る懐かしい写真だった。ほかにも、秀瀬市長とテレビ出演した時の模様や、1968年のメキシコオリンピックに出場した重量挙げの大内仁選手の送別会の写真もあった。
また、円谷幸吉選手と同じページには、「郡山オリンピック」なるイベントで撮影したお宝写真が数枚あった。昔、現在の合同庁舎が郡山市役所だった頃のもので、当時、郡山の開成山陸上競技場で大々的に開かれたスポーツ大会のものらしい。テレビ局も取材に来ている様子も伺え、かなり規模の大きな大会が郡山で開催されたようだ。
祖父がその団長を務め、入場行進の先頭をひとりで歩き、正面スタンドに向かってポーズを決めているものもあった。そして開会式では、国道4号線の栄町あたりを聖火リレーする場面のもの(下の写真)や開成山陸上競技場の東側のスタンドで、聖火を点火する瞬間の写真もあった。いずれも貴重かつ希少な写真ばかりだった。
残念ながら、子供の頃の私を撮影した写真を収蔵したアルバムは見当たらなかった。ひょっとすると、祖父が亡くなった際に、遺品を整理した際に処分してしまったかもしれない。そこには当時まだ砂利道だったさくら通りや、周囲は一面の田畑で何も無かった「ゼビオスポーツ&ケーズデンキ」前の軍用道路(現在のうねめ通り)の写真もあったはずだ。また、開成山にあった野鳥園で遊ぶ私と兄の姿も映っていたし、オープンしたばかりの開成山プールの幼児プールで脚をバタバタさせている私のものもあった。見つかり次第掲載したいと思う。
さて、今日の記事は、戦後間もない頃の郡山市内を撮影した懐かしい風景写真やイベント時の記念撮影を行ったアルバムが30冊以上出てきたため、それを紹介する趣旨で掲載した。今日紹介した2枚はその中のほんの一部で、全体の1%にも満たない。ネタに困った時など、折を見て掲載していきたい。60代以上の先輩諸氏が見たら、特に懐かしく思うものばかりだと思う。昔の郡山の街並みだけでなく、多くのイベントで集合写真として撮影されたものも多く、今は亡きご先祖様も多く写っているかもしれない。一般家庭にカメラが普及する前の、昭和30年代からのお宝写真がざっくざっくある。ぜひお楽しみにお待ちいただきたいと思います。
記事作成:11月23日(日)