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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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超レア映像~忘れかけていたアイドル②~

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 今回のシリーズ記事は、1970年代から80年代にかけて、アイドルブームに乗って、続々登場したアイドル歌手の中から、私が結構気に入っていたのだが、どういうわけかB級止まりで終わってしまった方たちを紹介している。語弊が無いように断わっておくが、ここでいうB級とは、「アイドルパンチ」や「ヤンヤン歌うスタジオ」、「スーパージョッキー」などの歌謡バラエティー番組への出演など露出度が高かったにせよ、ベストテン番組にランキングされなかったアイドルを指している。たぶん、親衛隊など熱狂的なファンはいたかと思うが、長続きせず、1~2年の活動期で姿を消してしまったり、活動停止や芸能界を引退してしまった方々である。では、第二弾として、本日も5名をお送りしたい。

 桑田靖子

 福岡県出身のアイドル。身長156cm、血液型はA型。1980年(中学1年)に梓みちよの「よろしかったら」を歌い福岡音楽祭にてグランプリを獲得、1981年(中学2年)には文化放送主催のオーディション「全日本ヤング選抜スターは君だ」で優勝、1982年には「東芝・タレントスカウトキャラバン」でも優勝し、大手事務所サンミュージックプロダクション所属となる。
 1983年3月21日、シングル「脱・プラトニック」で東芝EMIからレコードデビュー。当時は16歳だった。キャッチフレーズは「16才の戒厳令」、「クラスで5番目に可愛い女の子」。抜群の高い歌唱力が売りだった。一重瞼にそばかすが特徴的なアイドルだった。私の実兄が大好きで、レコードをたくさん持っていた。

 「脱・プラトニック」

 水野きみこ

 1980年代前半に活躍していたアイドル。愛知県名古屋市出身。血液型はA。
 中学3年生の時、渡辺プロダクションの音楽学院(名古屋校)に入学。名古屋のスクールメイツとして活動。1981年末、渡辺プロのオーディションを受け合格。
 1982年3月、上京。同年5月、ポリドールより「私のモナミ」でレコードデビュー。 キャッチフレーズは、「は・に・か・む・キ・ミ・が・好き・な・ん・だ」。清純派アイドルで、笑顔が可愛かった。
 上京してからわずか2年程の活動で芸能界を引退し、地元名古屋に戻る。 その後は、名古屋市中村区の名鉄百貨店に勤務。

 「私のモナミ」 https://www.youtube.com/watch?v=TPXa-g7XsFk

 志村 香  

 1980年代後半に活動した 歌手、タレント。堀越高等学校卒業。血液型:B。現役当時の所属 事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア。1969年7月30日、東京都墨田区出身。
  中学3年在学中の1984年9月、映画「パンツの穴」第2作目のオーディションに応募、最終オーディションにおいて58,117名の中から選ばれヒロインの座を射止めた。
 翌1985年4月公開の映画「パンツの穴 花柄畑でインプット」で主役デビューを果たすと共に、4月21日には「曇り、のち晴れ」で歌手デビューも果たす。
 シングルは1985年から86年までの間に5枚発売されたが、オリコンチャートでベスト10入りした曲はない(最高位は「曇り、のち晴れ」「星のシンフォニー」の22位)。
 アイドル雑誌のグラビアや国内2輪ロードレースのイベントなどにゲスト出演することもあった。 しかし、代表作と呼べるものはデビュー時の映画とファーストシングルのみであり、アイドル歌手としても女優としても大きく花開くことはないまま、所属事務所との契約が満了したことを機に引退に至った。

 「曇り、のち晴れ」 https://www.youtube.com/watch?v=X8dC2XtVfzE

 「潮風のオルゴール」

 吹田明日香  

 京都府生まれで大阪府豊中市 出身のタレント・放送キャスターである。本名同じ。同志社大学文学部英文学科卒業の才媛。 血液型B型。株式会社アデッソ所属。

 大学在学中にテレビ番組『スター誕生!』に出場し、1982年5月、第41代グランドチャンピオンとなる。休学し上京、1983年に「バ・ケー・ショ・ン」で歌手としてデビュー。シングル4枚、LP1枚をリリースしアイドルとして活躍していたが、1986年に復学し、卒業。
 1990年代に入りタレント・放送キャスターに転向。『読売新聞は~い朝刊』(日本テレビ)や、『NNNニュースプラス1・いちなな情報』(日本テレビ)、さらには『BSニュース50』(NHK)のキャスター・リポーターを担当した。
 1997年から、NHK総合テレビ『生活ほっとモーニング』でリポーターと「健康スペシャル」の司会を9年間務めた。
 2007年にアクターズエージェンシーから浅井企画へ移籍した。移籍後は、それまでの経験を活かし、「健康」を主なテーマとする、シンポジウムコーディネーターとしての活動も行うようになった。
 1985年の日本航空123便墜落事故で母親を亡くしており、そのショックから一時期芸能界を離れていたという。やはりB型なので、メルヘン少女チック。ロリコン好きにはたまらないベビーフェイス系アイドル。舌足らずで「さしすせそ」「らりるれろ」が上手く言えなかった。

 「Vacation」

 「二人はmagic」  https://www.youtube.com/watch?v=kwqu3RmQf4Q

 原 真祐美   

 1980年代前半にデビューしたアイドル歌手。出身は北海道札幌市で血液型はO型。
 札幌の街でショッピング中にスカウトされる。その後、モデルとして、各種ポスター、スチール、CM出演などで活躍。「ミルクランド北海道」のCM出演中に、第一プロダクションにスカウトされ、芸能界入り。三角形の小顔でえくぼがチャームポイント。
 1983年3月21日に「妹みたいじゃだめですか?」のキャッチフレーズで、「決心」でアイドル歌手としてデビュー。テレビ等に出演の際、帽子をトレードマークとすることが多かった。また同期のアイドルと比較し、おっとりめの大人びた感じのキャラであった。
 サードシングル「Bye,Bye,September」は、FNS歌謡祭優秀新人賞をはじめ、あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭で銀賞、ヤング歌謡大賞でアイドル賞、銀座音楽祭で銀賞、新宿音楽祭で銀賞、日本歌謡大賞放送音楽新人賞など、各種新人賞を総なめにした。
 堀越高等学校卒業後、いきなりの芸能界引退、第一プロダクションを退社。1年後、ヌード写真集「彩どり」を発売し、女優復帰宣言もしたものの、その後の活動は一切なく、事実上の引退となった。 南沙織を彷彿させる小麦色の焼けた肌が印象的だった。

 「夏のレッスン」 https://www.youtube.com/watch?v=KE8Zd8ttKFY

 「決心」

優香が登場した時に、彼女に似ていると感じた。2人ともO型。

 さて、懐かしいアイドルで、ともすれば忘れ去られそうな方たちにスポットを当てる今回の記事はいかがでしたか?以前にもこのような趣旨のシリーズ記事を書いてはいるが、彼女たちが輝いた時代が確かにあったことを、頭の片隅に置いておいてほしくてあえて掲載した次第だ。いよいよ次回が最終回となる。最後までお付き合いください。

 記事作成:10月11日(土)


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