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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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超レア映像~忘れかけていたアイドル③~

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 このシリーズ記事も今回がラスト。あなたの好きだった贔屓のアイドルは登場しましたか?さっそく話を進めたい。最終回の本日も1980年代に活躍された5人の元アイドルを紹介したいと思う。。

 伊藤美紀

 日本の女優、歌手、元アイドル。 愛知県 名古屋市名東区出身。かつてホリプロに所属していた。血液型はB型。
 1986年 - ホリプロタレントスカウトキャラバン・グランプリ。
 1987年5月21日 - CBS/SONY(HOLLYWOOD LABEL)より『小娘ハートブレイク』で歌手デビュー。ロリ顔が売りでアンニュイなイメージだった。
 1987年 - 『生徒諸君!』で初主演。
 1989年 - 総理府の消費税導入を告知するポスターに採用され、消費税アイドルとして有名になる。
 2002年 - 一般のサラリーマンと結婚し、翌年出産。

 「小娘ハートブレイク」

https://www.youtube.com/watch?v=bWGEaZxYQRM

 佐藤恵利  

 日本の女優。元アイドル。千葉県船橋市出身。血液型はA。
 東京都立代々木高等学校卒業。ポスト山口百恵として売り出され、『レッツゴーヤング』のサンデーズのメンバーとして活動した。期待の新人であったが、なかなか人気が出なかった。アイドル活動終了後は、女優として活動している。最近は時代劇への出演が増えている。

顔立ちが山口百恵に似ていたことから、曲調や振り付け、仕草、表情など、ポスト百恵を意識した印象が強かった。

 「ラブ・スケッチ」

 浜田朱里  

 東京都出身の元女優・元アイドル 歌手。1980年6月21日CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)から「 さよなら好き」でデビュー。デビュー当時の所属プロダクションは、プロダクション尾木。血液型はO。
 1980年のデビュー当時、芸能界引退を表明した山口百恵の持つ独特の雰囲気に彼女が似ていたため、周囲のスタッフは「ポスト百恵」を狙っていた。だが同期に松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、柏原芳恵、三原順子などの強豪がいたため、セールス的には伸び悩んだ。それでも、ややハスキーで独特の雰囲気の歌声と整ったルックスのアンマッチさは、当時の女性アイドルの中では目立つ存在だったため、現役時代も現在も根強いファンが存在している。。しかし当時はまだ、アイドルがグラビアやバラエティだけでやっていくのは難しかったようで、結局一時休業状態になる。
 芸能界復帰後は主に女優として活動。脇役としてはコンスタントに仕事をこなし、一定の評価は得るが、歌手同様こちらでも一線級になることは無かった。1990年にはヌード写真集の発売で一時期話題になるものの徐々にフェードアウトしていき、結婚後1995年に一人目の子供を出産するために引退した。

 彼女はA級アイドルと呼んでもいいくらい人気も実力もあった。しかし、ヒット曲に恵まれなかった。O型の特徴を汲んでいて、私が好きな顔立ちだった。落ち着いたしっとり感のあるお姉さん風のアイドルは当時は斬新だった。アイドルとしては歌が上手かった。

 「あなたに夢中」

 小出広美  

 元アイドル歌手、元グラビアアイドル。愛知県海部郡大治町出身。堀越高等学校中退。血液型はA型。
 1981年、『ぱろぱろエブリデイ』に火曜日アシスタントとしてレギュラー出演。番組内で彼女をモチーフにしたドラマも作られ、番組を見たキングレコードの関係者にスカウトされ、東京に進出。 『レッツゴーヤング』(NHK)の番組内グループサンデーズのメンバーに選抜され、1983年にはキングレコードより「タブー」でアイドル歌手としてデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「'83 誰もがKOIDE(恋で)狂いです」。マイナー調の中森明菜路線の歌謡曲で、“ポスト明菜”として注目を浴びた。サードシングル「水色の輝き」のリリース発売直後所属事務所を研音へ移籍。清楚なイメージとは裏腹に山口百恵や中森明菜(いずれもA型)を意識したような過激な歌詞の歌が多く、やや太めの声がミスマッチだった。
 1984年に、シングル「最近のム・ス・メ」を発売する予定がお蔵入りとなり、研音から契約を破棄され、事実上の引退となる。引退の真相は未だに謎である。彼女の存在は不可解で、シングルはことごとく発売中止になるし、「YouTube」の動画は削除の憂き目に遭っている。

 「タブー」

 本田理沙

 元アイドル歌手、タレント。血液型はB。 大分県中津市出身。PRISM所属。立花理佐と並んで太い眉毛がチャームポイントだった。
 1986年夏、「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」の全国大会に出場し、フロム・ファーストプロダクションからスカウトされて芸能界に入る。
 1988年7月、歌手デビュー。テレビ朝日系で放送されていたテレビアニメ『おぼっちゃまくん』の第2期エンディングテーマとなった5thシングル「容赦なく愛して」を発売。
 1987年、夕やけニャンニャン終了後の「桃色学園都市宣言!!」「曙橋みすずや学園」(1988年、フジテレビ系)やテレビドラマ『花のあすか組!』(フジテレビ系)などに出演し、後にセミヌードで写真集を多数発売。『スーパーマリオクラブ』の司会も務めた。
 1997年、結婚し引退。2008年5月、週刊誌『FLASH』のグラビアにて復帰する。

 「Lesson2」 (「本気!」は削除されましたのでこの曲をリンクします。)

 同じB型の「田村英里子」と同時期に活躍した。B型の体型は骨と皮の華奢な感じか、骨ばっていてムチムチ肉質の両極端だと思う。

 さて、3日連続でお送りした「忘れかけていたアイドル」。いかがでしたか。今回紹介した1970~80年代アイドルは、ほんの一握りで、ほかにも仰山デビューした。しかし、売れるのはほんの僅かで、1年も持たずに芸能界を引退したり、芸能人や野球選手と結婚したり、あるいは歌手から女優、モデルに転身した方も含めれば星の数ほどいる。だからスターなのだろう。流行り廃りや出入りの激しい芸能界では、厳しくも儚い夢を散らした乙女たちが数多くいたのは事実だ。一度でもスポットライトや脚光を浴びた者は、引退後、普通の生活をするのは難しいものがある。どこかで誰かが覚えていて、街角で握手を求められたり、知らず知らず、写メに撮られていたり、息も休まらない日々があるかもしれない。芸能人になるというのは、或る意味、一般社会からはかけ離れた夢社会で、足を踏み入れれば別世界なのかもしれない。
 ただ、言えることは、彼女たちが概ね10代の若い頃に、アイドルを目指し、夢を追いかけ、必死にトライしていた姿をどこかに残しておきたい。おそらく30年余りが経過した今、人の母親となっている方も多いだろう。私は胸を張って息子・娘に若い頃のことを話してほしい。ドラマ「あまちゃん」の天野春子のように、好きなアイドルに憧れ、夢を掴んだ時期があったことを私は忘れずにいたいと思う。

* 参考 : 「Wipipedia」

 記事作成:10月11日(土)


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