歳をとると、なぜか神社や仏閣を訪れたくなる。古都・鎌倉や京都、奈良など歴史と文化の中心地に思いを馳せ、数年ぶりに訪ねたくなる。とりわけ奈良は高校時代の修学旅行で訪れて以来、ご無沙汰である。古の歴史浪漫に触れたくなるのも無理からぬこと。
しかし、わざわざ遠くに足を運ばなくても、我が福島県にも歴史的かつ伝統的な建造物がある。しかもそれらは、映画やテレビドラマのロケで撮影に使用された物も少なくない。本日は、古浪漫を感じることができるノスタルジックな郷愁誘う建造物を紹介したい。秋の行楽のひとつに加えていただけたら幸いです。
伊達市 保原歴史文化資料館・旧亀岡家住宅
伊達市保原町歴史文化資料館は、伊達市のほぼ中央、保原総合公園の中にある小さな資料館です。
公園の緑と野鳥の声に包まれた資料館では、郷土に関する様々な歴史資料や文化資料の収集、保存、整理をしながら、常設展や企画展を開催、年間を通じて、様々な講座や体験イベントを行っています。
併設の旧亀岡家住宅は、明治の面影を残す疑洋風建築。
洋風の外観に純和風の内装は、当時の職人らが、西洋人の建築家が設計した建物を参考に見よう見まねで建てた西洋風の建築物であることをよく表しています。
郡山市 公会堂・合同庁舎・安積高校・金透小・如宝寺
郡山には「世界遺産」もどきの建造物が多数散らばっている。このことは以前、当ブログの「郡山にある世界遺産」という記事で紹介した。しかし、歴史を感じる建造物はたくさんあって、スペインのドバコ聖堂と瓜二つの造りなのが郡山市公会堂。郡山ではもっとも古い建造物のひとつ。今でもバリバリ現役の公会堂。私の祖母が昭和62年5月に亡くなった際に、ここで葬儀告別式を執り行った。
また、細沼にある県の出先機関が集中している合同庁舎は、子供の頃は私の遊び場だった。ここの土台の石垣の隙間から床下に侵入し、ろうそく片手にかくれんぼごっこをしたものだ。今では不法侵入で御用だろうが、とうの昔に時効だろう。ここは三島由紀夫が割腹自殺した自衛隊市ヶ谷駐屯地の建造物と造りが似ていたことで、1985年のアメリカ映画「MISHIMA」の撮影に使われた。三島役は今は亡き名優・緒形拳が演じた。
安積歴史博物館(旧福島県尋常中学校)
1984年に安積高校の創立百周年記念事業により博物館として整備、一般公開され現在に至る。2009年(平成21年) NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で秋山真之と正岡子規が通った神田共立学校という設定でここでロケが行われた。
また、昭和の時代には、この前で「ザ・ベストテン」の追っかけ中継が行われた。ここで歌った歌手は「中森明菜」だった。
金透小は郡山市内で最初に設立された小学校で歴史が一番古い。1874年当時は郡山小学校の名称だった。市内の堂前、如宝寺と郡山消防署の間にあり、丘の上に建つ。校庭がかなり狭い。校庭の斜面には滝が流れる。校歌以外に「金透讃歌」という歌がある。また、一角には記念講堂が残されている。
如宝寺は、郡山で最古のお寺。檀家の数も最も多い。市街地の一等地にある。境内には数多くの古碑があり、鎌倉時代の刻銘のある石造笠塔婆、板石塔婆は、重要文化財に指定されている。ここには戦時中に郡山空襲で爆撃を受け、保土谷化学に学徒動員で務め、命を落とした白河女子高校や郡山商業高校の生徒を供養する学徒動員戦没者慰霊碑も建つ。
会津若松市 市役所 さざえ堂 渋川問屋
市役所は1937年に竣工された歴史的建造物。外見は石造りである。郡山市の県合同庁舎と似ている。私は平成元年~2年まで同じ東栄町の、市役所の東隣りにある新築マンションに1年間住んでいたので、毎日、鶴ヶ城と市役所を眺めながら生活した。
さざえ堂は飯盛山の中腹に建ち、県の重要文化財に指定されている、ユニークなお堂。急なスロープを頂点目指して螺旋状に登るが、最高点まで達すると下りスロープに変わる。しかし一度も交差しない不思議な構造物。ぜひ一度体験してほしい。
渋川問屋は古浪漫を伝える老舗宿。大正時代を彷彿させる色鮮やかな色彩の宿で、とにかくオシャレでハイカラな造り。中には囲炉裏があったり、古民家風の造りも落ち着ける。
南会津 大内宿・左下観音堂
江戸時代にタイムスリップしたかのような風情ある茅葺屋根の民宿が連なる街道。国道から山奥に入った場所にある。ここは「高遠蕎麦」といって、ネギ一本を箸代わりにして食べるのが名物。
左下観音堂は、今年、ようやく県の重要文化財に指定された。秘境感たっぷりで、山の奥にひっそり建つ。まるで京都・清水寺のミニチュア版。岩壁にひっつくように佇むそれは、来るものを拒むかのような印象。そして一周できる展望台は歩くたびに振動して、その揺れが怖い。今年5月、土曜日の朝に訪問したが、30分間の滞在中、誰も観光客が来なかった。熊が出そうな不気味な場所。入山口にそのありかを示す看板や観光案内もなく、まさかこんな辺鄙な場所に、これほどの威容の歴史的建造物があるなんて夢にも思わないだろう。地元美里町民しか知らないような穴場のスポットだ。
猪苗代町 天鏡閣
福島県猪苗代町にある旧有栖川宮・高松宮翁島別邸。本館、別館、表門は1979年(昭和54年)2月3日、国の重要文化財に指定されている。一部3階建てのルネサンス様式を巧みに取り入れた和洋折衷の建築様式で、白い板壁やバルコニーの外観が特徴。建築当時に流行した部屋の配置方法であるビリヤード室、大理石製のマントルピース、シャンデリアなどの豪華な調度など、当時としては極めて豪華なつくりとなっている。
「天鏡閣」の名は、漢詩を好んだ大正天皇が皇太子時代にこの地に滞在した折、李白の詩句「明湖落天鏡」より命名した(直筆の額が保存されている)。当時は、別荘から見える猪苗代湖の湖面を鏡に例えたことから命名したと考えられる。落成から100年を超え、まばらだった周囲の樹木が建物以上の高さまで成長したため、現在は館内から湖面を見ることはできない。
柳津虚空蔵尊
福島県内の児童は一度は遠足で訪れる場所。目の前が流れが緩やかな大川で、アーチ形の大きな橋がふたつ角度を変えて連なる。その岩壁に沿うように築かれた断崖の岩壁にそそり立つ境内。景色は最高。ここの名物は粟饅頭(あわまんじゅう)で、黄色い粒粒のふっくらした饅頭が美味。今冬に老舗の店が火災で焼失した。でもここを訪れたら一度は召し上がってほしい。
福島市 医王寺 中野不動尊
私は何度か訪れているが、最近は平成25年9月に、職場の同僚と「松尾芭蕉」の「おくのほそ道」の足跡を追って旅した時に訪れた。芭蕉の像が当時の状況を偲ぶ。しかし、飯坂温泉では、彼や曾良はあまりいい記載を残していない。よほど宿の寝床が酷かったらしい。また、医王寺の杉林と長い参道は必見の価値がある。飯坂温泉のお湯は熱すぎて入れない。中野不動尊は朱塗りの境内が鮮やかで、滝の内部が洞窟のようになっていて潜り抜けられる。
棚倉町 山本不動尊
山の急斜面に沿った長い石段の上に構えている境内。. 樹齢100年をこえる杉並木をぬけ、 130段の石段を登りつめると 巨岩の 洞窟に御本尊が安置された霊場が出現する。 大同2年(807年)、弘法大師が 東北 行脚の途中ここに護摩壇を築き、 八溝山系に住む悪鬼を調伏祈願したのが 山本不動尊の始まりで、 以後附近の住民は安穏な暮らしができるように なったといわれる。 山本不動尊を中心とした南北約5kmの渓流は 奥久慈県立自然公園に指定され、 春にはしゃくなげ・山桜・岩つつじ等が咲き匂い、 キャンプ、ハイキング、芋煮会、松たけ狩など 年間を通し豊かな自然が満喫できる。
https://www.youtube.com/watch?v=w1Dr4zL_zVk
https://www.youtube.com/watch?v=_dGYfFOBh1o
須賀川 芭蕉の足跡(可伸庵・芭蕉記念館・乙字ケ滝)
元禄2年(1689年)、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の際、須賀川に7泊8日滞在しま した。 このことから市内には芭蕉ゆかりの句碑や旧跡が数多く残されている。
白河市 関所跡
白河の関(しらかわのせき)は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、 奥州三関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設け られた関門として史上名高い。 この関所の場所を巡っては様々な説があった。1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた。1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された。
いわき 白水阿弥陀堂
福島県で唯一の国宝。いわき市内郷にある。日本庭園のような広大な敷地に池のほとりにぽつんと佇む古いお堂。毎年、ここで消火訓練が行われる映像でしかお目にかかることはない。
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蛇足だが、我が福島県には、全国にその名を轟かせる「ミステリー物件」がある。テーマにそぐわないが、問い合わせが多いため、ここで取り上げておきたい。
1 「横向きロッジ」
平成25年の夏に訪れた。土湯バイパスが完成するまでは、磐梯吾妻スカイラインへ通じる峠道で、野地温泉など旅館があった。問題のロッジは現在の箕輪スキー場と尾根続きだった「横向きスキー場」だった場所に宿泊用として建てられた施設。営業当時はかなり大きく、収容人数も多かった。しかし、採算が取れず、閉鎖してからは、山深い中腹にひっそり建ち、急コーナーが連続する峠道の途中にあり、ひっそりしていることから、噂が噂を呼んだものと思われる。内部は落書きだらけ。肝試しで訪れた輩がスプレーで残して行ったもの。
2 「翁島ペンション」
稲川淳二が訪れたことで知られる心霊スポット。バブルの頃まで使われた「翁島ペンション」は、オーナーが自殺したとか殺人事件があって無数の幽霊が浮遊しているなどとの噂が飛び交い、全国の心霊マニアや肝試しの輩が押し掛けるようになった。しかし、実際はそのような出来事はなく、事実無根。廃墟の状態が荒れ放題。震災以降、いつ崩落しても不思議ではない有様。私は平成25年にその場所を突き止め、訪れたが、森林地帯の奥にひっそり建つ佇まいで、どうしてこんな場所にオシャレなペンションを建築したかが疑問。夜に訪れたら確かに不気味だろう。
3 「国民宿舎五色沼」
ここはずっと廃墟状態で放置され、荒れ放題になっていた。心霊スポット化し、廃墟マニアが多数訪れていた。猪苗代から裏磐梯に向かう一本道路から見える場所にあって、5年ほど前に不審火で内部が焼けた。しかし、最近、この場所は解体され、現在は更地になっている。駐車場として活用するようだ。
http://2sk170.blog.fc2.com/blog-entry-289.html
4 「河鹿荘」磐梯熱海温泉街の旧国道49号線沿いに建つ。太田熱海病院の先、会津方面に向かって道路左側の雑草の中にある。不気味で、温泉街のイメージダウンになるのに、なぜ取り壊さないのかわからない。
5 「安達が原・黒塚」
歌舞伎にもなっている悲話の鬼婆伝説が残る。「三枚のお札」の昔話を地で行くような、山姥の鬼畜実話が残る。二本松市街の北東部、阿武隈川にかかる橋を渡った先にある。近年、「ふるさと村」なる五重塔を備えた広場を整備し、観光名所化した。その一角にあるお寺がそのいわく付きの場所。ここは昼間訪れても不気味。観光局も少ない。その周囲はおどろおどろしい雰囲気が漂い、呪われた場所という印象。敷地内に猫が放し飼い。
今はもう無いもの・・・・弁天山の洋館、旧うすい女子寮
記事作成:8月中~9月20日(土)