今回から不定期ではあるが、スポーツでの名対決を回顧する記事を掲載したい。今年はオリンピックイヤー、サッカーW杯イヤーということもあり、何かとスポーツが脚光を浴びる年回りだ。
スポーツは筋書きのないドラマだけに、ライバル同士が鎬を削って闘う真剣勝負だ。それだけに観る者を魅了し、感動を誘う。
初回の今日はやはり私が学生時代に嗜んだ野球。野球といえば「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄。彼ほどファンに愛された選手はいないだろう。彼に纏わる名対決といえばもちろん、デビュー戦の球界の大エースとして君臨していた金田正一との対決である。
それは大学野球がプロ野球よりも人気があった時代の話だ。立教大学に在籍当時、「東京6大学リーグ戦」で通算8本塁打を放ち、鳴り物入りで巨人に入団したゴールデンルーキー・長嶋茂雄。
プロ入り後、初打席が当時、剛腕投手として名を馳せていた国鉄の金田正一。後の400勝を挙げた名投手だ。
その初対戦で、金田は速球で長嶋を空振り三振に仕留めた。物語はそれだけではない。その後、第二、第三、第四打席といずれも空振り三振に押さえ、デビュー戦でプロの実力とレベルの高さをまざまざと見せつけたのだった。
実は、次の5度目の対戦も長嶋は空振りの三振に倒れていた。したがって、デビュー戦での4打席連続三振ばかりが神話になって語り継がれているが、試合日こそ違うが、5打席連続三振というのが正しい。
ここまでを見ると、現役時代の長嶋は金田には切りきり舞いの連続でまったく歯が立たなかったと思うだろうが、それは早計。
デビュー戦で対戦した当の金田は、長嶋のスイングを目の当たりにし、新人とは思えぬスイング速度の速さに言い知れぬ戦慄を覚えたという。
それが証拠に長嶋は徐々にプロの水に慣れ、次第に実力を発揮し、金田との対戦でも決して引けを取らない結果を残している。
具体的な生涯対戦成績は以下の通りである。
211打数66安打 打率.313 18本塁打 35打点 31三振
金田は日本一の最多勝投手であるが、個人でもっとも多くホームランを浴びたのは長嶋で、あの豪腕で鳴らした金田が、内心もっと恐れ、そして実力を認めていたのが長嶋茂雄だったという。長嶋と対戦する際は、特に力を込めて投げていたと述懐している。
それが証拠に、デビュー時の5打席連続三振を除けば、長嶋は金田に206打数で26三振しかしていない。これは8回打席に立って三振1回という数字だ。
現役時代の長嶋は、いかに優れた投手が相手でも、本能的に対処する適応力があって、楽観的な性格に加え、動物的勘が冴え、苦手を作らなかったかが窺い知れる。これはやはり天性のものだったと思う。
長嶋の名対決と言えるものには、ほかにも阪神のエースだった村山実との対戦が挙げられる。
昭和34年の天覧試合での劇的なサヨナラホームランが印象的だが、村山は終生、「長嶋にだけは負けたくない」とライバル心むき出しで闘志を燃やした名投手だった。
やることなすことすべてが派手で、何をやっても華麗で絵になるスター選手だった長嶋とは対照的に、村山は黙して語らずが似合う投手で、内に秘めた闘志と寡黙ながらも人一倍熱心な練習スタイルは他の手本として賞賛に値した。
背負い投げのように全身をばねにして大きなモーションから投げ下ろす「ザトペック投法」で、剛速球を投げ込み、相手打者のバットはことごとく空を切り翻弄しまくった。
村山は天覧試合での借りを返したいとリベンジを誓い、「1,500奪三振、2,000奪三振」を長嶋から奪うと宣言し、その通りにやってのけた野武士のような選手だった。
村山実は引退後、阪神の監督を経た後、すでに亡くなられてしまったことが残念でならない。
話を「長嶋VS金田」に戻すが、この両者は共にB型だ。どちらも典型的だ。自分が一番好きなB型にとっては、他人の才能を認めたがらないが、唯一B型はB型しか認めない部分がある。同じB型に対しては、その高い才能を褒めちぎる点がある。
野球界ではイチロー、清原、野茂、野村、福本、大谷など超一流選手は大部分がこの型で、やることなすことが派手で独自スタイルを追求する。イチローは「振り子打法」に加え、ボックスでのバットを立てる独特なパフォーマンスでえ日米の野球ファンを虜にした。野茂は熱狂的な「ノモマニア」を創出するほど「トルネード投法」という超個性的な投球フォームを編み出した。フォームを修正しようとした鈴木監督と衝突してメジャーに移籍したが、結果的にこれが日本人のメジャー挑戦の契機になったという点で、その貢献度は大きい。
福本は自慢の俊足で世界一の盗塁記録を樹立した。足に当時としては破格の1億円
の保険をかけた。また、国民栄誉賞を打診された際には、「そんなもんもろたら立ちションもできへん」と辞退したのは有名な話だ。
イチローもまた授章を二度打診されながら二度とも断っている。 また、清原は高校1年次から名門PL学園で4番を打つほどの天賦の才能を発揮した。B型は型にはまらないので、早熟で年齢不相応の活躍を見せるのが、ファンをひきつける要因になる。
野村克也はプレーイングマネージャーとして南海時代に得意のつぶやきで相手打者を翻弄。心理戦で手玉に取った。監督ではデータ野球で何度も優勝し、個性を生かす指導で伸ばし、選手の育成も上手い。その後継者は同じ捕手でB型の古田に徹底的に叩き込んだ。彼も大卒捕手ながら2,000本安打を達成するまでに成長した。
今季からメジャーに挑戦する大谷翔平は、NPB初の「二刀流」を実現させた。何かB型は過去にこだわらず世にないものを生み出す活力と原動力に満ちている。
B型が活躍できる要素は、肉がつきにくい細身体型に加え、骨が丈夫な選手が多く、ストイックな練習を行うため、ケガや故障が極端に少ない。だから長く現役を続けられる。そしてマイペースで楽天的発想の持ち主で、プレッシャーを楽しむことができるため、長嶋・清原もそうだったが、大舞台にめっぽう強い。
個性的なスタイルもファン心理をガッチリ掴み、カリスマ化するのもわかる。
往年の名対決として今回は「金田VS長嶋」を取り上げたが、何を隠そうその対決が行われた昭和33年は私はまだ生まれていない。父親の話や過去、何度も名勝負として語り継いできたTV放送によって、この名勝負があったことを知った口だ。
しかしながら語り継がれる理由はわかる気がする。戦後復興で力道山が日本のシンボルや打ちひしがれた日本人の心に植えつけられたヒーローになりえたのと同様、国民的スポーツとなりつつあった日本のプロ野球においてこの燃える男の入団は、次代のヒーローをその時代の人々が待ち望んでいた機運と見事に合致した。
そして日本一の豪腕投手として名を馳せていた金田との初対決はもはや国民的行事として注目の的だったに違いない。
私はライブで見ることは叶わなかったが、こうして語り継ぐことは出来ると思い、栄えある今シリーズ記事の第1回目としてお送りした次第だ。
第2回目は「野茂VSイチロー」をお送りしたい。
記事作成:1月24日(水)