かつて当ブログで「郡山の魅力再発見!⑮~郡山城の所在ミステリー~」という記事を書いた。城下町でもなく、単なる奥州街道の宿場町だった郡山だが、ここ郡山には、意外にも判明している分だけで約190か所もの城館があったとされる。中には城とは呼べない陣所や詰め所のような場所もあったが、福島県内の他の市町村と比べても、その城の数は多いほうと言える。そんな中、私が興味を持った場所を5つ取り上げたい。
1 現在、小学校が建つ城跡
そこは大槻小学校だ。ここはかつての大槻城の跡地に建てられている。昭和55年、小学校の改修工事に先立って行われた発掘調査で、堀、土塁、礎石建物などが発見された。堀は幅が20m以上ある防御能力を高めた大規模な遺構だった。
1590年に中通り南部と中部が蒲生氏郷の領地になると、大槻城は氏郷の本城である会津若松城の支城となった。
参考:「城跡ほっつき歩記」の詳細はコチラ
2 郡山館
前回の記事で「陣屋跡」と紹介したが、古地図によると「郡山館」というのが正式らしい。そこは現在、うすい百貨店の東隣りの寿泉堂病院があるシティタワー。郡山館の中心となる曲輪(くるわ)は、現在でも周囲より高くなっているため、それと判別できる。その南側半分がシティタワー建設で失われてしまった。一方で、高層建築物のない北側半分は、その地下に遺構が眠っていると思われる。
1588年6月、佐竹・蘆名両氏の連合軍が郡山館を攻囲したため、伊達政宗は建て主の郡山氏救援のため、自ら出陣する。そして7月に講和が成立するまで、両軍は逢瀬川を挟んで対陣する。郡山合戦だ。これを機に、富久山久保田にあった「久保田館」も伊達方の最前線の拠点となったことで、今後の合戦に備えて改修している。伊達政宗もたびたび、この地を訪れていた。戦国時代の英雄として登場した彼が、平定のためこの郡山市に足を運んでいたのだ。
3 山王館
1588年の郡山合戦の際に築城された城は多い。富久山町久保田にある山王館もまた伊達成実が建てた陣所だ。2で触れた久保田館の北西500m、久保田集落西側の小山の上にある。佐竹・蘆名連合軍が伊達方の郡山館を包囲した際に、その様子を視察するために「山王山」に上った。敵軍がこの山方面に来襲すると予想した政宗が重臣の成実に築城を命じた。
現在その場所はそれとわかる森に覆われており、日吉神社の背後に立派な土塁も現存している。山王館は政宗の予想通り、合戦の舞台となった。蘆名軍が撃退され、合戦の舞台は久保田館と郡山館の中間地点へと移る。その戦で政宗の家臣の伊藤肥前が討ち死にしてしまう。山王館には肥前を顕彰する碑が移設された。
郡山合戦の舞台となった富久山周辺にはこうした城館が多く、ほかにも同町福原には「福原館」があった。北小泉を渡し舟で結んでいた阿武隈川のほとりに建っていた。現在は288号国道バイパスの橋が架けられている南側だ。合戦を機に福原館は伊達政宗に接収され、その南に政宗の本陣が置かれた。そこが今「陣場」という字名が残ることからその謂れが窺い知れる。
4 富田町にあった2つの城館
私が居所からほど近い富田の地に2箇所も城館があった。ひとつは毎週のように食べに訪れる「まるまつ」から至近の「水神館」と今は亡き祖父が晩年暮らしていた希望が丘に隣接した「向舘」だ。今も地名として残っている。
まず、「向舘」は49号線の西側、富田町の集落から逢瀬川を挟んた対岸に富田氏によって築城された。戦国期の郡山の安積周辺は大名の係争地であった。富田周辺は蘆名氏の影響が強く、富田氏は臣従したとされる。蘆名家中で頭角を現した富田氏は重臣となったようだ。
そして「水神館」は現在の郡山ICの目と鼻の先にあり、隣りには「福島県擁護教育センター」(旧名は郡山擁護学校)がある。水神という地名はそのまま残り、その名を冠した小公園があり、城館がそのまま森に囲まれ公園化している。ただし舗装道路工事により、遺構の一部が損壊している。公園とセンターの間の道路が掘切だ。城内は丘陵を三段の平場に整備されていて、中央と西手の平場の縁には土塁が築かれてある。その角地が狭くなっており、櫓が建てられていたと想像できる。
「城跡ほっつき歩記」の「向舘」はコチラ
「城跡ほっつき歩記」の「水神舘」はコチラ
5 城や館があった町
最後は別個ではなく、どの町に何があったかを記したい。前述した場所は除く
安積町・・・佐々河城、篠川御所、荒井猫田遺跡
熱海町・・・安子島城、高玉館、母成峠防塁
逢瀬町・・・栗生館、大久保館、多田野館、高館
片平町・・・片平城、片平下館
湖南町・・・鞍馬館、横沢館、小倉山館、新城
小原田・・・小原田館
大平町・・・大平城
喜久田町・・・前田沢館
田村町・・・宇津峰城、守山城、守山藩陣屋、御代田城、正直館
中田町・・・下枝館、中津川館
西田町・・・鬼生田館、木村館
日和田町・・・日和田古館、日和田館、高倉館
三穂田町・・・片岸館、下守屋館
いろいろ調べてみると、意外な事実に突き当たるもので、だから郡山在住期間が長い私でも知らないことがまだまだある。「温故知新」を地で行く企画として「郡山の魅力再発見」を数年前から掲載している。しかし、最近、KFBで池田速人アナが同名のコーナーを夕方のニュースの中で始めた。こちらが元祖だということを断っておきたい。
参考文献:郡山の城館(歴史春秋社)
郡山の城館 http://www.geocities.jp/sisin9monryu/fukusima.nakatoori.html
記事作成:9月18日(月)