久しぶりにこのテーマで記事を書く。我が街・郡山には伝説に残る場所が幾つもある。古くは静御前が義経を追って、この地で自害した曰くつきの場所があったり、あるいは江戸時代にかの有名な松尾芭蕉がこの地を訪れた足跡が残っているなどだ。しかし、今日、取り上げたいのは昭和以降の比較的新しい時代に、歴史や文化に残るような第一歩を記した場所で、多少独善的でマニアックな内容かもしれないのであしからず。
~オノ・ヨーコが歩いた残した爪痕~
① 郡山駅1番ホーム
郡山駅の在来線1番ホームは、在来線の改札を抜けて、地下道を行かずに、そのまま磐越西線乗り場に向かう低くて短い階段がある場所。実はここを1974年、「One Step Festival」に出演するために当地を訪れたオノ・ヨーコがファンにもみくちゃにされながら歩いた場所なのだ。オノ・ヨーコは語るに及ばないと思うが、ザ・ビートルズのメンバーだったジョン・レノン夫人だ。アメリカ一有名な日本人となった彼女が、いわば凱旋して訪れたのが郡山だった。彼女を迎え入れた郡山駅は騒然となった。その時の貴重なフィルムが下。
1分32秒後からどうぞ!
現在の郡山駅在来線改札口から一番乗り場を望む
1番線ホーム側から見た中央改札口
② 開成山陸上競技場
1974年に日本を代表するロック歌手やバンドが、開成山公園陸上競技場に設けられた特設ステージで生演奏を行うロックフェスティバルを開催し、全国から数多くのロックファンが郡山に集結したのだった。そこに彼女も出演したのだった。
この恩ステップフェスティバルは、その後の日本のロック界を変えたと言える一大イベントで、矢沢永吉率いる「キャロル」や沢田研二の「ザ・タイガース」、「サディスティック・ミカバンド」など一流のミュージシャンがこぞって郡山へやって来て、5日間連続で演奏した夢の競演でもあった。ジョンレノンは当時、ベトナム戦争の反戦運動に参加し、平和へのメッセージソングを歌っていて、オノ・ヨーコもその影響を受けた。
現在の開成山陸上競技場
我が街「郡山」にも人々の記憶に残る伝説のスポットがあって嬉しく思う。1974年と言えば私は10歳の小学4年生。およそロックとは無縁の生活を送っていたが、私の実家の前をオノ・ヨーコが通り、開成山であの伝説のステージを繰り広げたかと思うと、感慨深いものがある。
次回、開成山公園を訪れる際に、今から43年前に、全国のロックファンを熱狂させた伝説のロックフェスティバルが行われたことをぜひ、思い出して欲しい。
記事作成:8月6日(日)