当ブログで何度も書いてきたが、芸能界とは流行り廃りが激しい世界で、一時期飛ぶ鳥を落とす勢いで売れた歌手やユニット、芸人なども、一過性のブームを過ぎれば、時代遅れと見向きもされなくなる。また、知らないうちに引退していたり、解散しているケースも少なくない。震災があった2011年の1月に「一時期大ブレイクした有名人」という記事を掲載したが、今回はそのユニット版としてお送りしたい。それにはアイドル全盛だった1980年代後半から90年代初期にかけてデビューしたユニットが多い。
1 BaBe
ベイブと読む。女の子2人組のダンスユニット
1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「 Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、洋楽のカバーを多数 リリースししたことでも知られたが、1990年に解散した。以下「Wikipedia」より引用
近藤智子
1968年2月17日東京都狛江市生まれ、神奈川県川崎市高津区育ち。愛称:こんちゃ
ん。川崎市立西高津中学校、橘女子高等学校卒業。
二階堂ゆかり
1967年8月29日 東京都武蔵野市出身。愛称:にかちゃん。
1987年、「I Don't Know!」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得。
Give Me Up(1987年2月21日)マイケル・フォーチュナティのカバー。フジテレビ系ドラマ『あまえないでヨ!』主題歌。
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2 セイントフォー
加瀬邦彦が音楽プロデュースをしていた80年代のアイドルグループで、激しい踊りと宇宙服のようなコスチュームは、ももクロを彷彿させる。同時期には「スタボー」というテクノカットのボーイッシュガールユニットもいた。
1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。結成当初は岩間、鈴木、他2名による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入しオリジナルメンバーとしてデビューを果たした。 デビュー当初は板谷・浜田・鈴木・岩間(立ち位置順)で構成され、後に板谷に替わっていわお潤が加入した。曲間にバック宙をするなど、アクロバティックなパフォーマンスが話題になった。
岩間沙織
1964年7月7日生まれ。血液型O型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当。技は側宙。イメージカラーは緑。称号:ファッショナブル・サオリ
※初代リーダー。グループ結成時からデビューするまでの2年間を務めた。
浜田範子
1965年2月22日生まれ。血液型A型。埼玉県出身。リードボーカル担当。技は後方宙返り。イメージカラーはピンク。称号:ドラマティック・ノリコ
鈴木幸恵
1966年5月15日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。リードボーカル担当。技はピルエット。イメージカラーは青。称号:エキサイティング・ユキエ※二代目リーダー。デビューから解散まで務めた。
1968年3月5日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。コーラス&バックダンス担当。技はバック転。イメージカラーは赤。称号:パッショネート・ユミコ ※1986年3月脱退。
いわお潤
本名、岩男潤子。1970年2月18日生まれ。血液型AB型。大分県出身。※板谷脱退後に加入し、またグループ解散声明前に脱退。
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意外にも長編になりそうなので、今日はここまでにしたい。明日も2組のユニットを取り上げるが、男子がジャニーズに集約されていた人気グループに対し、女子はピンクレディーやWINKなど2人組ユニットは人気が爆発したが、3人組はキャンディーズ以降、あまり大成しなかった。
そこで続編となるが、明日は3人組の歌唱ユニットを取り上げたいと思う。どうぞ明日までこのテーマでお付き合い下さい。
記事作成:5月21日(日)