本日は昨日の記事「あの事件・事故の今 」の続きをお送りしたい。突如予期せぬ出来事に遭遇し、非業の死を遂げるケースが毎年のように繰り返される。その理不尽とも思える事件事故があまりにも多い。工事現場を歩いていて、頭上から落下してきた鉄パイプに当たって突然に命を奪われるケースもあれば、高齢者の運転する車が暴走し、何の前触れもなく、そして何の罪もない人の命が絶たれる。本当に神様などこの世にいるのかと目を覆いたくなるような惨劇が現実として起きている。今日もそうした無慈悲にして強い憤りを覚える事件・事故を取り上げ、日常生活の危険を排除しつつ、厄払いも兼ねて警鐘を鳴らしたい。
11 「玄倉川水難事故」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=Yc5ZhH2KS7E
長雨による増水でダム放流のため避難するよう呼びかけたにもかかわらず、職員に暴言を吐き続け、キャンプを続けたグループが、中洲に取り残され、終いには激流に流され、滝つぼに落ち、13人が死亡する事故が起きた。警告を無視し、救助に向かった消防隊員にも「早くしろもたもたすんな」と暴言を吐き続けた結果、死ぬ羽目に陥った。中には赤ちゃんを抱いた母親までおり、危機管理が甘いためにこのような災いを招いた。動画のコメントでは、自業自得だとか自滅などと弁護する言葉は一切無い。
12 「福知山線脱線事故」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=-NbAQjmJ0IA
https://www.youtube.com/watch?v=8krcyRdffSg
2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した。これも悪魔のような愚かな運転士ひとりのせいで100人を超える乗客が犠牲となった。遅れを取り戻そうと加速し、相当な速度でカーブを曲がりきれず脱線。沿線のマンションの駐車場に突っ込む事故を引き起こした。現場からの生中継はまさに修羅場で原型をとどめないほどグシャリとL字型に折れ曲がった先頭車両やその上に覆いかぶさる2両目以降の車両もあり、一見して絶望感が一帯を包んでいた。
13 「秋葉原無差別殺傷事件」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=wILgXjTL5lk
2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。加藤智大というひとりの男の身勝手な理由により、たまたまその場に居合わせただけの善良な市民や通りすがりの買い物客らがトラックで跳ね飛ばされた末に、鋭利なナイフでめったざしされ、17名が巻き込まれ、そのうち5名が死亡した。
14 「三毛別羆事件」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=xz2UV6uaySY
https://www.youtube.com/watch?v=3jr2uVLwq2Y
現在https://www.youtube.com/watch?v=2OwuUpV-uoM
この事件も強烈なインパクトを世間に与えた。1915年(大正4年)12月9日から12月14 日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢で発生した、クマの獣害としては記録的な被害を出した事件。六線沢熊害事件、 苫前羆事件、苫前三毛別事件とも呼ばれる。エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。
私は2年間、北海道に住んでいたが、このような凄惨な事件があったなんて知る由もなかった。バイクツーリングで苫前は2度訪れ、近く通過しているにもかかわらず、そんな痕跡すらなかった。現在そこは、100年以上も前の出来事にもかかわらず、テレビで再現ドラマや映画化されたこともあって、大きな羆を象った置物と当時の住まいが再現されており、観光名所となった。冬眠しない羆が蝦夷地開拓で入った民家を襲い、7名も殺したとは恐怖以外の言葉が見当たらない。
15 「津山30人殺し事件」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=g5bfzJk_8U8
https://www.youtube.com/watch?v=eD8nAEOkreI
1938年(昭和13年)5月21日未明に 岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生 した大量殺人事件。犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。逆恨みから村八分にした村人の大多数をひと晩で殺し、最後は山中に逃げ込み、自らも猟銃で自殺した。
映画「丑三の村」と「八つ墓村」のモデルにもなった実話。
https://www.youtube.com/watch?v=bkndGn-Mo7E
16 「彌彦神社将棋倒し事故」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=OYSHkOv-KkA
http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030019_00000
つい数ヶ月前までは、動画サイトにこの事故に関するニュース映像がアップされていたが、最近になって神社の関係者がイメージが悪くなるのを危惧してか、すべて削除となった。しかし、昭和31年に、ここで初詣客が将棋倒しとなり、124人が圧死するという惨劇が起きたのは事実だ。神社の境内で大勢が死ぬ事故は神のご加護がなかったという悪い噂が立つと、神社の面目が立たないのだろう。
17 「安田講堂事件」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=nD08GHYAur8
https://www.youtube.com/watch?v=zoWRtxombjw
学生の自発的組織である全学 共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠し ていた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日にに封鎖解除を行った事件である。
現在、還暦を過ぎた方々が学生時代に安保闘争や授業料値上げ反対を叫び、学生運動を盛んに行った。当時の学生は団結力と行動力に満ち溢れ、イデオロギーや主張を重視していた。
18 「三島由紀夫割腹事件」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=bprGPmEwiw0
https://www.youtube.com/watch?v=6VhZ5k2PDfk
https://www.youtube.com/watch?v=-CAnVEMbkyE
1970年(昭和45年)11月25日に、日本の作家・三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれる。
私は個人的に三島作品(仮面の告白や金閣寺など)のファンなので、彼の改革を呼びかけ、叶わぬと見るや潔く壮絶な死を遂げる彼の美学には敬服してしまう。
現在の市ヶ谷陸上自衛隊駐屯地 https://www.youtube.com/watch?v=5cI5i9Y8rco
19 「ホテルニュージャパン火災」のあらましと現在
https://www.youtube.com/watch?v=ogPcgtSYRkM
1982年(昭和57年)2月8 日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故。33人の 死者を出した。偽のスプリンクラーで消防法逃れを実施するなど、ニュージャパンは欠陥だらけの違法ホテルで、当時の社長・横井英樹の傲慢ぶりやワンマン経営に世間は非難のまなざしを向けた。この翌日に、羽田沖日航機逆噴射墜落事件が発生し、焦点がぼやけてしまった感がある。
20 帝銀事件
https://www.youtube.com/watch?v=rWo8YUDSgZ8
https://www.youtube.com/watch?v=UF5aWHiMslA
https://www.youtube.com/watch?v=dZMrSINACmo
https://www.youtube.com/watch?v=hwyVgQNNtWw
https://www.youtube.com/watch?v=KMINzx84xYk
1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎の 帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950年に統合閉鎖され 現存しない)で発生した毒物殺人事件。 太平洋戦争後の混乱期、GHQの占領下で起きた事件であり、未だに多くの謎が解明されていない。1948年1月26日(昭和23年)午後3時過ぎ、閉店直後の帝国銀行椎名町支店に東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官の名刺を差し出して、「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい」、「感染者の1人がこの銀行に来ている」と偽り、行員と用務員一家の合計16人(8歳から49歳)に青酸化合物を飲ませた。その結果11人が直後に死亡、さらに搬送先の病院で1人が死亡し、計12人が殺害された。そして1948年(昭和23年)8月21日、松井と名刺交換した人物の一人であるテンペラ画家の平沢貞通を北海道小樽市で逮捕した。逮捕当初、平沢は一貫して否認していたが、拷問に近い平塚八兵衛の取り調べの末、逮捕されて1か月後の9月23日から自供を始め、10月12日に帝銀事件と他の2銀行の未遂類似事件による強盗殺人と強盗殺人未遂で起訴された。だが12月20日より東京地裁で開かれた公判において、平沢は自白を翻し無罪を主張するも、1950年(昭和25年)7月24日、東京地裁で一審死刑判決。1951年(昭和26年)9月29日、東京高裁で控訴棄却。1955年(昭和30年)4月7日、最高裁で上告棄却、5月7日、死刑が確定した。しかし、一貫して死刑執行は行われず、最終的に法務大臣も死刑執行命令にサインしないまま、1987年(昭和62年)5月10日、午前8時45分、平沢は肺炎を患い八王子医療刑務所で病死した。95歳没。
この事件も不可解だった。この頃は警察による冤罪事件が数多く発生した。取り調べでの肉体への苦痛で自白を強要した。私が大学生の頃まで彼は生き抜いた。死刑執行されなかったのは、再審こそ行われなかったが、彼は真犯人ではないという疑念があったのと、冤罪を主張し、彼を支持する民衆が多いことへの配慮があったと思われる。彼が獄死したというニュースが流れた際、ひとつの時代が終わったことを感じた。
彼の死後も、この事件を取り上げた再現ドキュメンタリーや映画が数多く制作された。
帝銀事件の舞台となった現・三井住友銀行は現在取り壊されている。
帝銀椎名町支店は新しい帝銀(現在の三井住友銀行)が継承したが、1950年3月に閉鎖されました。
「帝銀事件を歩く」 http://www.tokyo-kurenaidan.com/teigin.htm
現在はなんとマンションになっている。詳しくは下記を参照(閲覧注意)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10144000740?__ysp=5bid6YqA5LqL5Lu244Gu54%2B%2B5Zyo
他にも「福岡大ワンゲル部員羆襲撃事件」や「三菱銀行北畠支店猟銃立てこもり事件」も印象に残る。
これらのニュースは重大事故や事件として「報道特別番組」として取り上げられた。
過去に凄惨な出来事が起きたのに、何事もなかったかのような平穏を取り戻している。それはそれで騒ぎ立てるつもりもないので良いことなのだが、亡くなった方々の無念は消えることはない。
記事作成:2月21日(火)