私が子供の頃に活躍されていた名選手が鬼籍に入られることが多くなった。それだけ私も歳をとったということだが、少年野球に夢を与え、誰もが野球選手に憧れた昭和の時代。「巨人・大鵬・目玉焼き」などという昭和を形容する名句まで誕生するほどの人気ぶりだった。
そんな野球が一世を風靡していた時代に、大活躍していた現役選手で、今は亡くなってしまった名選手をピックアップして紹介したい。現役時代の活躍は、動画サイトのリンクをクリックして頂ければご覧になれます。
山内一弘
1932年5月1日 - 2009年2月2日。愛知県一宮市 出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。旧名「山内 和弘」。所属球団は「毎日(大毎)」、「阪神」、「広島」。
2,235試合2,271安打。396本塁打。1,286打点 三振820 打率.295
https://www.youtube.com/watch?v=JutYvXphitc
https://www.youtube.com/watch?v=CIj3RkRWsFs
土橋正幸
1935年12月5日 - 2013年8月24日。東京都台東区 出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。 現役時代は東映で主力投手として活躍し、 引退後は東映・日拓ホーム・日本ハム、ヤクルトでコーチ・監督を務めた。
455試合登板162勝135敗 勝率.545 1,562奪三振 防御率2.66
土橋さんの映像が動画サイトにはありませんでしたので画像にてお送りしました。
西本幸雄
1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山 市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。選手よりも闘将としての監督業のイメージ。
西鉄、阪急、近鉄などを率い、リーグ優勝8回の名将ながら日本一には一度もなれず、悲運の名将とも呼ばれた。
監督としての戦績
2,665試合 1,384勝1,163敗118分 勝率.543 リーグ優勝8回(20年間)
https://www.youtube.com/watch?v=atqDZJ7EEms
青田 昇
1924年11月22日 - 1997年11月4日。兵庫県三木市出身 の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。 2009年、野球殿堂入り。巨人、阪急、大洋などで活躍。
1,709試合1,827安打 265本塁打 1,034打点 593三振 打率.278
https://www.youtube.com/watch?v=6EwqFKIok_4
川上哲治
1920年3月23日 - 2013年10月 28日。熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。 赤バットを駆使し「打撃の神様」と呼ばれた。好調時には「ボールが止まって見えた」との名言を残した。監督としても一流の管理野球理論で、ONなどを率いてV9を達成した。
選手時代
1,979試合2,351安打 181本塁打1,319打点 422三振 打率.313
監督時代
1,866試合1,066勝739敗61分 勝率.591(14年間で優勝10度は全て日本一)
https://www.youtube.com/watch?v=DgplX1BAisE
近藤貞雄
1925年10月2日 - 2006年1月2日。プロ野球選手(投手 )・指導者・監督、野球解説者。 現役時代は西鉄軍、巨人、中日・名古屋で活躍し、引退 後は中日、ロッテ、大洋、日本ハムのコーチ・監督を歴任した。
選手時代
222試合登板 55勝71敗 勝率.437 274奪三振 防御率2.91
監督時代(9年)
1,050試合 470勝521敗59分 勝率.474(優勝1回、Bクラス8回)
https://www.youtube.com/watch?v=HRrBbr4Kzt8
稲尾和久
1937年6月10日 - 2007年11月13日。大分県別府市 出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。現役時代は西鉄一筋に14年間。日本シリーズ対巨人戦で3連敗からの4連投4連勝で、奇跡の大逆転優勝を成し遂げた立役者。「神さま仏さま稲尾さま」は流行語になった。
選手時代
756試合登板 276勝137敗 勝率.668 2,574奪三振 防御率1.98
監督時代(西鉄、ロッテなど8年)
1,040試合 431勝545敗64分 勝率.442 (Aクラス2回、Bクラス6回)
https://www.youtube.com/watch?v=HDHlJc8yne8
村山 実
1936年12月10日 - 1998年8月22日は、兵庫県神戸市北区生まれ、尼崎市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、監督、解説者。
闘志むき出しで全身を使った「ザトペック投法」で知られ、二代目「ミスタータイガース」と呼ばれる。天覧試合で長嶋にサヨナラホームランを喫したが、1,500奪三振、2,000奪三振を長嶋から奪った。
選手時代(阪神14年)
509試合登板 222勝147敗 勝率.602 2,271奪三振 防御率2.09
監督時代(阪神5年)
528試合241勝271敗16分 勝率.471(Aクラス2回、Bクラス3回)
https://www.youtube.com/watch?v=bvEA6_87PII
宮田征典
1939年11月4日 - 2006年7月13日。群馬県前橋市 出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。日本野球界におけるリリーフ 専門投手の草分け的存在で「8時半の男」と呼ばれた。セーブという制度が無かった時代のリリーフ投手だった。
選手時代(巨人8年)
267試合登板 45勝30敗 勝率.600 460奪三振 防御率2.63
https://www.youtube.com/watch?v=qh2zsMpJ22E
津田恒美
1960年8月1日 - 1993年7月20日。山口県出身
「弱気は最大の敵」と帽子のつばに書き記し、闘志を剥き出し、ピーク時153km/hの剛速球と縦横の鋭いカーブを武器に相手打者に敢然と立ち向かう姿は、『炎のストッパー』と形容された。広島の黄金期にリリーフエースとして活躍した。
野球人として絶頂の時に、悪性の脳腫瘍を発症。復活を信じ、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていたが、1993年7月20日14時45分に同病院において32歳の短い人生を閉じた。
選手時代(10年)
286試合登板 49勝41敗90S 勝率.544 542奪三振 防御率3.31
https://www.youtube.com/watch?v=HbppXZYaGYk
尾崎行雄
1944年9月11日 - 2013年6月13日。大阪府泉大津市 出身
甲子園で優勝投手となり、怪童と呼ばれ、鳴り物入りでプロ野球東映入り。1年目の1962年には初登板で勝利投手になるなど20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王に選出された。18歳での新人王は現在に至るまで史上最年少である。1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得した。しかし指にマメの出来る体質に苦しみ、また酷使の影響もあって肩を痛め、1968年以降は勝星から遠ざかる。1973年に29歳で現役を引退。プロ通算107勝を挙げ、夏の甲子園の優勝投手としては戦後初のプロ通算100勝投手となった。
選手時代(12年)
364試合登板 107勝83敗 勝率.563 1,010奪三振 防御率2.70
https://www.youtube.com/watch?v=p5Usd0RDTTM
大杉勝男
1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡 奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。 NPBにおける通算本塁打数・通算打点数共に 歴代9位(2015年シーズン終了時点)。月に向かって打つというキャッチフレーズだった。日本シリーズ、対阪急戦の疑惑のホームランが印象深い。
選手時代(東映・日本ハム・ヤクルトなど19年)
2,235試合 2,228安打 486本塁打 1,507打点 打率.287
https://www.youtube.com/watch?v=HReAsyyhGQA
小林繁
巨人のエースだった小林は、江川事件で阪神へのトレードを余儀なくされた。その騒動の際も、冷静かつ紳士的に振る舞い、その翌年以降、巨人戦には滅法強く、移籍後、初の20勝投手となり、見事成績でリベンジを果たした。
2010年より日ハムの一軍投手コーチに昇格し、新シーズンへ向けて準備を進めていたが、キャンプインを2週間後に控えた1月17日、福井市内の自宅で「背中が痛い」と体調不良を訴え、福井県立病院に救急搬送された。病院搬送時には心肺停止状態であり、蘇生措置が施されたが午前11時頃に心筋梗塞による心不全で死去した。57歳没。
選手時代(巨人6年、阪神5年)
374試合登板 139勝95敗17S 勝率.594 1,273奪三振 防御率3.18
https://www.youtube.com/watch?v=K9T4VnlCYi4
土井正三
1942年6月28日 - 2009年9月25日。プロ野球選手(内 野手)・監督、野球解説者。兵庫県出身。二塁手として巨人のV9に貢献した。阪急との日本シリーズで魅せた彼の、捕手のブロックを掻い潜った奇跡の走塁術は圧巻だった。
選手時代(巨人14年)
1,586試合 1,275安打 65本塁打425打点 135盗塁 393三振 打率.263
オリックス監督では3年間でいずれも3位と優勝できなかったが、195勝183敗12分。
https://www.youtube.com/watch?v=nMxGX2_701g
仰木 彬
1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ 野球選手、プロ野球監督、野球解説者。. 昭和30年代の西鉄ライオンズ 黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を 歴任し、優勝請負人になり、オリックスではイチローを育てた。ベンチでは、パンチパーマにサングラスに腕組みがトレードマークで、親分スタイルだった。
選手時代(西鉄14年)
1,328試合 800安打 70本塁打 326打点 116盗塁 打率.229
監督時代(近鉄・オリックスで14年)
1,856試合 988勝815敗53分 勝率.548 優勝3回(Aクラス11回)
https://www.youtube.com/watch?v=OGrBgE4Z97Y
盛田幸妃
1969年11月21日 - 2015年10月16日。北海道茅部郡 鹿部町出身のプロ野球選手(投手)。現役時代に脳腫瘍に罹患しながら、リハビリにより復活を遂げた。
選手時代(大洋・横浜・近鉄で14年)
345試合 47勝34敗29S 勝率.580 434奪三振 防御率4.05
https://www.youtube.com/watch?v=MFJP_Psi1bs
ちなみに勘違いされると困るので、2016年7月現在、今もご健在で、評論家などで活躍されている往年の名選手をピックアップしたい。
王貞治、長嶋茂雄、野村克也、金田正一、豊田泰光、中西太、福本豊、吉田義男、森昌彦
子供の頃、憧れの的だったO.Nですら寄る年波には勝てず高齢になり、両者共に命に関わる大病を患った。強靭な肉体と、凡人には及びもつかない体力の持ち主であるプロ野球選手でも、引退後の衰えは著しく、あたかもビフォーアフターのようだ。
記事作成:平成27年3月~