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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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洋楽80s SONGS サビメドレー集

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 1980年代は私にとって青春だった。高校生から大学生の頃で、私が北海道と東京で暮らしていた時期で、その頃、土曜日に放送されていた「POPSベストテン」などで、エアチェックしていた。近くのレンタルレコード店で片っ端から洋楽を聞きかじって英語の勉強に役立てていた。
 特に思い出深いのは、カリキュラムの関係で毎週、土日が講義が休みとなり、週末はバイクを駆って北海道中を旅したし、洋楽と一緒に浜田省吾にも夢中になっていた時期だった。旅先でウォークマンから流れる彼や洋楽の「イカしたスタンダードナンバー」を聞きながら旅情に浸ったり、生きている実感を感じ取ったものだ。

 そんな中で、私がお気に入りだった洋楽ナンバーを集めた動画がYouTubeにアップされていたのでそれをここで紹介したい。出来る限りのナンバーを取り上げたいので、敢えてサビを集めたメドレーをリンクしたい。

 80年代のヒットナンバー曲を日本人シンガーがカヴァーした曲も多かった。

 私が好きだったユニットやシンガーは以下の通り

 シカゴ、TOTO、カルチャークラブ、ワム、a-ha、Journey、Queen、ペットショップボーイズ
 Air Supply、Europe、イーグルス、ポリス、バグルズ、REOスピードワゴン、Survivor、
 フィルコリンズ、スターシップ、ボンジョビ、ブルーススプリングスティーン、ホール&オーツ、シャカタク、エアロスミス

 バンヘイレン、ボズスキャッグス、マイケルジャクソン、ビリージョエル、ケニーロギンス、
 スティービーワンダー、ブライアンアダムス、スティーブペリー、ガゼボ、ライオネルリッチー、クインシージョーンズ  

 シーナイーストン、バナナラマ、ノーランズ、バングルズ、ベッドミドラー、オリビアニュートンジョン、シンディローパー、マドンナ、ダイアナロス、ホイットニーヒューストン、ユーリズミックス、アトランティックスター、シーラE、エイスワンダー

 こうしたアーティストを列挙すると、この時代は華やかで、洋楽全盛だった気がする。今でもCMソングなどに多く使われている。人生の一番多感の時期にこのような秀逸した楽曲と出逢えたことを幸せに思っている。

 記事作成:9月17日(日)

 


傑作!「プロフェッショナル仕事の流儀」パロディ動画集

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 近年、若者だけでなくいい歳をこいたオッサンの常軌を逸した投稿動画が社会問題化しているが、本当にこれは合法なのかと目を疑いたくなるものも多い。今日は誰が作ったのかは特定できないが、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」をパロった秀逸の作品を特集したい。
 それは皮肉たっぷりだったり、的を射たズバリを風刺したもの、更には私たちが普段思っていることを完璧に言い当て、代弁してくれているような抱腹絶倒間違いなしの秀作ぞろいだ。秋の夜長をぜひ笑い飛ばしてほしいと思う。

 プロフェッショナル仕事の流儀

 1. 「北のアナウンサー 北側クリステル」北朝鮮水爆実験パロディ

 2 「金正恩編」

 こんなの作って・・・。湘軍様の逆鱗に触れてこの世にいなくなるかも・・・。

 3. 「ブチギレ議員豊田真由子」   

 別バージョン → https://www.youtube.com/watch?v=5o_ZAlc57bY

             https://www.youtube.com/watch?v=scfPjUsvw7w

 ヘビーローテーション 

 ヤバすぎ・・・。誰だこれ作ったの!逆に名誉棄損で訴えられないか?

 4. 「野々村竜太郎」

 5. 松居一代編

 離婚騒動が泥沼化している彼女。被害者感情むき出しで訴えかける言いようや鬼気迫る表情は、常軌を逸している。女の執念は恐ろしいと彼女を見ていてつくづくそう思った。

  これらの動画は偶然「Youtube」で見かけたもので、私が制作したものではない。たぶん、放送コードギリギリか越えてしまっているものもあり、おそらくはすぐに削除されるだろう。でも昨今、こうしたダメな政治家が増えすぎている。不倫議員も多いし、偉そうに振る舞うアホな議員もいる。でも私たちは、彼らを面白おかしく持ち上げて、肝心の断罪まで行かず、個性的と見逃してはならない。れっきとした国民や有権者への裏切り行為だ。
 また、金正恩は現代の独裁者で、気に入らない者すべてを処刑してしまう暗黒の支配者だ。北朝鮮はこの凶悪な独裁者のために、運命共同体の如く破滅と地獄への道を突き進んでいる。この国がダメなのは、彼に歯向かうもの、クーデターや革命を起こす人物が現れないことで、だからなおさら不幸だ。北朝鮮だけは、21世紀の現代にあって、第二次世界大戦前の思想と生活を送っている。
 国際社会からも取り残され、自分たちだけの価値観で生きている。外の裕福な民主国家や経済発展し豊かな民族が大勢いることも知らされずに死んでいくのだ。哀れとしか言いようがない。
 
 今回取り上げた動画は、そうしたダメダメ社会や国家を痛切に皮肉っている。話題を振りまいた方々を風刺し、パロった方々は目の付け所が違う。

 記事作成:9月19日(火)

2017シーズン巨人の採点簿

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 今年、巨人は3年連続でV逸となった。DeNAとのCS出場争いをするのが関の山の散々たる状況。不運にも高橋由監督の2年目は故障者が多数出て、またFA3人組が大枚を叩いた割りに、想定外の不振に喘いだ。またあらぬことか不祥事もあってBクラスに低迷した。毎回指摘している通り、よほど巨人のスカウトは人を見る目がないとみえる。獲得した選手は、前年を大幅に下回る成績に甘んじ、逆に巨人を追われた選手が他チームで大活躍する悪循環は今年も健在だった。特にその傾向は外人に顕著で、3年前に巨人を自由契約になったDeNAのロペスは主力としてなくてはならない戦力だし、日本ハムへトレードされた太田も出番を得て、巨人時代はくすぶっていた実力を遺憾なく発揮している。
 では今年、シーズンワーストの13連敗と泥沼を味わった巨人の低迷の原因を探りたい。「戦犯」とまでは言わないが、各選手を私なりに採点したい。

 プラス

 宇佐美 劇的な本塁打を放つなど小林の打撃をカバー 正捕手の座を狙う。せっかく有
      望な若手捕手が伸びてきたのだから、中村奨成は獲得しないでほしい。小林か
      ら正捕手の座を奪い、小林を脅かし焦らせてほしい。
 マチソン 山口、澤村の背信を彼がカバーした。登板過多の面が否めないが、上出来。
 マギー 楽天ペゲーロの真似で2番に抜擢した高橋由監督の采配はブレまくり。常に打
      率でリーグ1~2位をキープしていた。 
 マイコラス 安定したピッチングで着実に勝ち星を積み上げた印象
 田口 美人の奥さんを貰い、張り切ってシーズンへ突入し、マウンド上で躍動していた。
 菅野 初の15勝以上をマークし、最多勝を獲得したが、彼が投げると味方が打線沈黙
    は旧態依然だった。打線は2点くらいで安心してしまう。可哀想すぎる。
 畠  ルーキーながらシーズン途中からローテーションに抜擢されて結果を出した。 

 可もなく不可もなく

 坂本 打率3割を割り込み、去年の首位打者がまぐれだったことを自らが証明した。
 阿部 2,000本安打達成は見事だが、4月当初の長打力は影を潜め、怪我もあって一
    時戦列を離れ、打線がガタガタになった。足が遅いので併殺打は多く、凡退の山を
    築くのに貢献した。もし清宮が巨人に入り、一塁を守るようになれば、引退もありえ
    る。たぶん代打専門になるだろうが・・・。私自身は400本塁打を達成するまでは現
    役を続行してほしい。歴代捕手で最強の成績を残しているのだから。

 カミネロ 彼も登板過多。セーブは多いが、負け数が5つでは心もとない。速球は申し分
      ないが、コントロールに難がある。安定度に欠けた。 

 マイナス

 小林 相変わらず打てない いくら強肩でも打率1割台では・・・WBCで出し尽くした?
 内海 連勝ストッパーとして今年は活躍した。もう年齢的にはきつく、来季だめなら潔く引
    退してほしい。複数年契約で給料泥棒も甚だしい。勝てなくても4億円もらってい
    る。1勝で1億はおかしい。
 宮國 出れば負け 負の連鎖だった。なぜ彼を使い続けたのかが疑問
 長野 前半出遅れ。根気強く使ってくれた監督の恩に報いることが出来なかった。後半、
    帳尻合わせとばかりに水平打法で打ちまくったが・・・。
 森福 ソフトバンクでは完璧な投球で打者を牛耳っていたが、巨人では萎縮して腕が縮
    こまってしまった。ファームで捕手を殴ったり、イラつき感が半端ない。巨人に来て
    成績はガた落ち。
 陽   前半の出遅れが痛い。打線に厚みがなかった。相変わらず打てない貧打線。
 村田 巨人でクリーンアップを打つにはもう年齢的にも無理。かつての長打力もない。
 大竹 広島時代から成績はガタガタ FAで大金を手に入れるとそれだけで満足か
 高木勇 2年前に颯爽とデビューした光彩はその影もない。期待感薄だ。
 桜井 2年前に立命館大から鳴り物入りで入団した割りに、一軍にすら残れない。巨人
    のドラ1は松井秀喜以降は活躍できないジンクスは続く
 山口鉄 往年の凄みがなく、登板機会も激減した。防御率4点台ではセットアッパーは無
      理だ。 

 論外

 澤村 故障で登板機会がなかった トレーナーの針治療ミスが原因だった・・・
 杉内 故障が長引き、この2年、登板機会がない。そろそろ潮時か 18番が泣く
     来季も現役続行を表明したが、復活への道は険しい。
 山口俊 故障で出遅れただけでなく、暴力事件を起こし、謹慎と罰金の処分を受けた
 吉川尚 大卒ルーキーなので即戦力を期待されたが、4年時に高打率をマークした実力
      は影を潜め、後半戦に入るまで一軍定着できなかった。
 岡本和 高校時代は本塁打を量産し、将来の4番候補として入団し、早3年、一軍に這
      い上がれない。村田に翳りが見えてきた今こそチャンスなのに、持ち前の打力を
            アピールする場面すら与えられない。太田泰示の二の舞か?

 飼い殺し

 立岡 俊足巧打でかつては先頭打者として活躍していたのに、実にもったいない。
 片岡 西武からFAで入団し、1~2年はレギュラー確保したが、ここ2~3年はかつての
     輝きを失っている。一軍での出場機会がなく、勝負強さを発揮できない。三拍子     
     揃った有能な選手だけに、ベテランの味も発揮させられていない。
 中井 長打力もあって、出番を作ればそこそこ活躍できる公算が立つのに、層が厚くて
     二軍暮らしが多い。一軍昇格しても先発出場のチャンスが巡ってこない。

 今年限りで進退(引退・FA移籍・トレード等)がありそうな選手

 片岡・相川・實松・松本哲

 若手が育てられない巨人は、育成上手で選手を大事にする広島には到底勝てない。今、巨人は暗黒時代だ。3年間優勝から遠ざかった。第1次長嶋、王監督、堀内監督時代に同じような暗黒時代を経験したが、今のままではあと1~2年は優勝に絡めないだろう。それくらい広島が群を抜いている。
 3年契約の最終年に当たる高橋由監督も来季が正念場だ。4年連続V逸となれば、契約延長はない。私は落合博満を監督に迎え入れたいが、契約上難しいか?ならば原監督の再々登板だろう。松井は監督への意欲がないし、桑田真澄も自己理論が卓越しすぎており、気難しくて経営者からは敬遠されている。過去の実績を踏まえれば、巨人愛が強い原の三度目の就任だが、もしかすると阿部慎之助が来季いっぱいで引退となれば、即監督就任という電撃交代があるかもしれない。原監督の采配をすぐそばで長年見てきた彼ならば、同じA型だけに緻密な野球をやってくれそうな気がする。

 最後に、巨人の伝統だが、スタートダッシュして有利な状況を作れば、そのままブッチギリで優勝まで突っ走ることが多いが、劣勢から逆転して粘り強くというのがない。特に、勝負を分ける後半戦の粘り強さに欠ける。今年も残り10試合になって、負けが続いた。肝心な時にプレッシャーで潰される印象だ。それに巨人は若手を育成できないため、FAで他球団の有望選手を獲得してきた。つまり32歳を越えて加入するため、ピークを過ぎての入団になるので5年が関の山だ。カープのように、若くてイキのいい選手がレギュラーを張れるような環境にない。ファンの一体感も凄く、サポートが素晴らしいカープの天下はあと3年続くだろう。
 

 記事作成:9月中

芸能人「慶早」戦

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 一般的に「早慶」という呼称が通例かもしれないが、私はOBでもあるので「慶早」と呼ぶのがなわらしだ。
 テレビ業界には、とりわけアナウンサーを中心に、この両校の出身者がやたらと多い。在学中にミスキャンパスになれば、半ば在京テレビ局への就職が約束されたかのような有様だ。 また、歌手や俳優などの芸能人の中にも両校のOBが多いことに驚く。
 そこで今日は、芸能人を始めとする著名人の中で「慶應義塾大学」と「早稲田大学」の出身者を列挙したい。流行り廃りが激しいこの業界では、やはり賢くないと生き残れないということが顕著になると思う。なお赤字表記は亡くなられた方

 <アナウンサー>

 慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

 榎並大二郎               三宅正治 
 中村光宏                 軽部真一
 松尾由美子               宮澤  智
 竹内由恵                 三上真奈
 青木裕子                 宮司愛海
 弘中綾香                 竹内友佳
 大木優紀                 長野翼
 大下容子                 石本沙織
 上條倫子                 鈴木  唯
 久保田裕佳               菊間千乃
 久保純子                 八木亜希子
 岩本乃蒼                 近江友里恵  
 中島芽生                 寺門亜衣子
 徳島えりか                古閑陽子
 郡司恭子                 宮崎宣子
 水ト麻美                  馬場典子
 鈴江奈々                 下平さやか
 永井美奈子               須黒清華
 宇内梨沙                 岡副麻希 
 秋沢淳子                 上野優花
 福島弓子                 半井小絵
 松村未央                 堀尾正明
 秋元優里                 吉田照美
 平井理央                 寺川俊平 
 中野美奈子                久米宏
 紺野あさ美                酒主義久
 秋元玲奈                 野島 卓
 小川知子                 佐野瑞樹
 遠藤玲子                 笠井信輔
 萩野志保子               藺草英己(FTV)
 内田恭子                 土井敏之
 井田由美                               阿部華也子
 根本美緒              鈴木康一郎(元FTV)
 小澤陽子
 伊藤利尋
 角澤照治
 森本毅郎
 脊山麻理子
 坪井直樹
 立本信吾
 田中大貴
 須田哲夫
 藤井弘輝
 辻岡義堂
 藤井貴彦
 ラルフ鈴木
 寺島淳司
 藤森祥平
 釜井美由紀(TUF)
 宮崎緑 
 大橋照子
 

 <俳優・女優・歌手・タレント>

 慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者
 
 石原裕次郎                 堺  雅人
 加山雄三                   内野聖陽
 石坂浩二                   藤木直人
 中村雅俊                   北大路欣也
 石原良純                   松本幸四郎
 小出恵介                   長塚京三
 水嶋ヒロ                    藤村俊二
 ミッツマングローブ             森繁久弥
 櫻井翔                     石田純一
 岩田剛典                   タモリ
 尾崎裕哉                   上田晋也
 市川猿之助                 ラサール石井
 中田敦彦                   小島よしお
 DaiGo (メンタリスト)             小田和正
 KABAちゃん                   小室哲哉
 別所哲也                     デーモン小暮
   中川勝彦                               渡瀬恒彦
                            假屋崎省吾

 竹内まりや                 市川紗椰
 二階堂ふみ                吉永早百合 
 トリンドル玲奈                室井  滋
 菊池麻衣子                橋田壽賀子 
 黒柳徹子                  箕輪はるか 
 miwa               
  一青 窈
 谷村有美
 二谷友里恵
 紺野美沙子
 
 <スポーツアスリート>

 慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

 高橋由伸                 鳥谷 敬
 武藤嘉紀                 青木宣親 
 反町康治                 斎藤佑樹
 柳田将洋                    岡田彰布
 山縣亮太                    岡田武史
                           釜本邦茂
                           川淵三郎
                           瀬戸大也
                           五郎丸歩
                           萩原健司・次晴
                     坂井聖人
                     渡辺一平
                     羽生結弦
                     有原航平
                     ディーン元気 
                     柿谷曜一朗
                     福井優也   

                渡部香生子
                星 奈津美
                福原 愛
                荒川静香
                八木沼純子
                

 <文化人> 
    
 慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

 池上彰                 田原総一朗
 木村太郎               辛坊治郎
 櫻井よしこ               尾木直樹
 宮崎哲哉               乙武洋匡
 阿川佐和子             やくみつる
 八代英輝               北村晴男 
 荒俣 宏                村上春樹
 玄侑宗久               野坂昭好
 向井千秋               永 六輔
 
梅沢由香里            筑紫哲也
 
壇ふみ               大橋巨泉
 つかこうへい               五木寛之
                        綿矢りさ
                        俵 万智
                        小保方晴子

 <政界>

 慶応義塾大学出身者    早稲田大学出身者

 小泉純一郎             竹下 登
 小沢一郎               海部俊樹
 海江田万里             小渕恵三
 石破 茂                森 喜朗
 石原伸晃               福田康夫 
 甘利 明                野田佳彦
 河野太郎               渡邊喜美
 長妻 昭                東国原英夫 
 橋本龍太郎             橋下 徹
                        稲田朋美
                        小渕優子

  記事作成:9月15日(金)
 

2017年9月期のCMベスト5

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 一昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、昨年からは毎月末に傑作CMを紹介しています。今回もこの9月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。

 1位 「ツール・ド・東北」メッセージCM『この道』

 福島県民の私にとってこのCMは琴線に触れる。未だに放射線の影響で故郷を離れ、見知らぬ土地で生活を送っている方々が多くいる。この道は少年期を過ごした頃のままで、やがて未来へと続いている。39歳で父親を病気で亡くした自分は、子供のころに父親にしてもらった数多くのことを、自分の子供に返せてはいない。

 2位 吉岡里帆 「DIC」企業ブランドCM「今日は何色?」編 

 3位 ゼクシィCM「私は、あなたと結婚したいのです」噴水篇   

 ゼクシィCM「私は、あなたと結婚したいのです」風船篇   

https://www.youtube.com/watch?v=FuH-38iyOD0

 4位 JRA タオラブユー

 5位 雪見だいふく 土屋太凰

FCT・小野紗由利アナウンサー34②

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 FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第34弾②。
 では今回も、主に9月期の彼女の出演番組(ゴジてれChu!!とゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。
 今回は出演回数が少なかったものの2回目です。お宝映像も・・・

 9月17日(日)ゴジてれ×SUN

 なんと山猿のテーマソング作りの旅では、小野アナの幼少期の写真とご両親の写真も!小野アナにそっくりでお母さんも超美人!

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下の写真が小野アナのお母さん 小野アナにそっくりで超美人!     
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  9月20日(水)

 この日は小野アナが夏休みのため、久保アナが代役を務めたため、番組出演はありませんでした。

 9月24日(日)ゴジてれ×SUN

 この日も小野アナが夏休みのために、長江アナが代役を務めました。

  9月27日(水)

  久しぶりの出演。髪を切って登場

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 10月1日から流れた「ゴジてれchu !」のリニューアル番宣に小野アナの姿がない・・・。ということは「ゴジてれchu !」を降板し、「ゴジてれ×SUN」の一時間拡大版に専念するのか?

NHK福島・平川沙英アナウンサー⑪

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 大阪出身の新人アナウンサー「平川沙英」さんを勝手に応援する記事を書き始めたが、今回は第10弾。NHK福島放送局で平日の18時10分から19時まで放送している「はまなかあいづtoday」のMCを務めている彼女だが、出演は宮間瞳アナと交互に隔週出演している。したがって、週単位で2週間に一度、初々しい彼女の成長を見守るために、この記事を「サポーター」的な立場で掲載していきたいと思う。
 皆さんも、ぜひ彼女を温かく見守り、応援していただければ幸いです。では、第11弾の今日は、9月25日(月)から9月29日(金)までの出演場面をどうぞ!

 9月25日(月)

18時から安倍首相の解散表明LIVE中継のため、平川アナは残り10分で登場した。

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 9月26日(火)

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 9月27日(水)

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 9月28日(木)

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 9月29日(金)

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  1週間おきの出演だが、彼女が出演する週は心が癒される。一年でも長くNHK福島放送局に留まってほしいと思う。

今月の名切万里菜アナウンサー⑥

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 2017年3月で福島テレビを退社し、フリーアナウンサーが集う会社「ライムライト」に所属し、日本テレビのニュースキャスターに就任した名切万里菜アナ。福島県で2年間、「みんなのニュース」のキャスターとして親しまれた彼女。異動先でも活躍している姿を見れることは、福島県民として純粋に嬉しく思う。長崎県出身の彼女が、何のゆかりもない当地に赴任し、福島のニュースを伝えてくれたことに感謝すると共に、今後の活躍にエールを送る意味で、これからの彼女のキャスターとしての出演場面を伝えたくて、この記事を執筆することを決意した。そして今夏、めでたく彼女は結婚した。左手の薬指にキラリと光るマリッジリングが確認できる。

 今日は2017年9月の彼女の出演場面を紹介したい。

 9月7日(木)

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 9月14日(木)

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 9月21日(木)この日は出演日だった筈が、他のキャスターと交換した。

 9月28日(木)

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  結婚してさらに落ち着いた印象。ニュース原稿を読みながら時折、左手の薬指に光る指輪が幸せを物語っている。私も心から彼女の幸せを願っている。


THE 緊急事態シュミレーション

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 近年は予断を許さない国際情勢が続いている。I.Sが下火になって来たと思ったら、「世界終末時計」の針を進ませる輩が登場した。それは金正恩だ。彼のなりふり構わぬ暴挙によって世界中が振り回されている。日本はこのまま憲法を改正せずに、従来の平和が保てると本気で思っているおめでたい国民が多い。第二次大戦後、70年近く平和が続いたのは現行憲法であることは事実だが、その間、社会情勢は大きく様変わりしている。極東の平和は、安保統制によって、日本国内にアメリカ軍基地が点在しているからにほかならない。もしこれが韓国のように米軍が全面撤退となれば、軍隊を持たない日本は、一体誰が守れるというのか?丸腰で近隣諸国の脅威とどう戦うというのか。自衛隊ではその抑止力にはなっていない。それが証拠に中国漁船の領海侵犯による密猟を許し、北朝鮮には舐められ、周辺海域の領土問題はまったく進展がないし、その解決の糸口すら見えない。尖閣、竹島、北方領土などは軍隊が無い日本はおちょくられ放しである。

 そしてもっとも気になるのが北朝鮮のミサイル発射に、何一つ有効な軍事的対抗が出来ない点だ。毎度おなじみのように己の無力さを暴露するかのような厳重抗議を繰り返すだけで何の解決にも至っていない。そして2度あった「Jアラート発動」にも慣れてしまい、本当に攻撃を受け、ミサイルが着弾した場合にも、オオカミ少年の如く軽視し、避難行動に移さなくなるのではないか。本当の有事の際にしか、国民保護サイレンは鳴らさないで欲しいものだが、「いざ」がどれなのか判断が付きにくくなる北朝鮮の暴挙は、日本人の正しい判断をも狂わせる。私は危機管理は人一倍強いので、何かにつけ大騒ぎする性質だが、本当の危険が差し迫っている状況下でどんな対応をするのか、懸念が強い。
 論より証拠、各方面の緊急事態時の対応を見てみたい。

 テレビ局の危機管理能力

 8月29日早朝のJアラートの各局の放送体制

 意外にもテレビ朝日がトップで視聴者から受信料を巻き上げているが敗れるという波乱。しかも「報道のTBS」が最下位という非常事態。JNNは信用できないというレッテルを貼られた。

 9月15日朝のJアラートの各局の対応

 やはりTBSの報道態勢には「?マーク」が付く。フジがテレ東京に負けるのもいかがなものか?

 もし本当に鬼気迫る状況に置かれたら、人はどう豹変するのか?日本人は最後まで他人事にようにパニックにならずに平静を保てるのか?震災時のように避難もせず、みすみす津波に飲み込まれて命を落としてしまうのか?ではシュミレーション動画をみてほしい。設定は映画「インディペンスデイ」が現実に起きたら・・・

 首都直下型地震想定シュミレーション映像

 富士山噴火シュミレーション

 これらはすべて絵空事などではなく、近い将来、必ず起こり得る災害である。日本は四方を海に囲まれ、台風の通り道になっている。それだけではない。日本は有数の温泉地を抱えていることでもわかるが、国土の8割が山でしかも火山帯だ。いつどこで噴火が起きても不思議はない。桜島や阿蘇だけでなく、雲仙普賢岳の火砕流被害、御嶽山の噴火被害は甚大だった。このような度重なる自然災害に見舞われても、日本人は呑気で災害への備えが万全ではない。対岸の火事にしか認識ができていない。大災害が目前に迫っていてもどうせダメだと諦めている。高を括っている気がする。こういう甘い考えでは助かるものも助からない。「天は自らを助くる者を助く」というが、ミスミス命を無駄にしているようなものだ。

 次に堕ちたらまず助からない飛行機搭乗時に起きたトラブルで、緊迫した状況の様子を見てみよう。

 これを撮影した当人は生きた心地がしなかったに違いない。酸素マスクが飛び出して来たら一巻の終わり。30年前の「日航機墜落事故」の機内の画像を思い出した人も多かったに違いない。念のため家族に宛てた遺書を書いたものまでいたかもしれない。足がガタガタ震え、緊張していたことだろう。しかし、上ずったCSのアナウンスとは裏腹で、日本人乗客は冷静だ。悲鳴を上げる者も皆無。皆、優等生になっている。死を面前にしても取り乱す乗客はいない。これが日本人の優れた点でもあるが、私は逆にこの冷静さが怖い。おそらく日航機墜落時もキャビン内は同じ状況だったと予想される。

 私はもしもの時に備えて、私が死んだ後のことをまとめた備忘録を書き留めてある。何の前触れもなく、事故で突然命を絶たれる場合を想定し、死後、周囲の者は何をすればいいのかまで記録したある。「備えあれば憂いなし」だ。用意周到くらいがちょうどいいと思っている。そうすればいつ死に直面しても慌てる必要はない。

 記事作成:9月29日(金)

もったいない楽曲

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 大々的に売り出したり、華々しくデビューを飾ったのに、なぜか不完全燃焼で終わったユニットやソロシンガーがいる。実にもったいない。しかし、それを逆手に取れば、そのために印象に残ったり、貴重な曲がある。私が長年音楽を聴いてきた中で、そうした記憶に残っている「もったいない楽曲」やユニットを取り上げたい。

 1 「YAKIMOKI」 コスミックインベンション

 Y.M.Oが登場し、シンセサイザーを使った斬新なテクノポップミュージックが隆盛を極めた1970年代後半から1980年代初頭、その妹分として颯爽とデビューしたのが「コスミックインベンション」。なんと当時全員が小中学生というユニット。ドラムが女の子でしかもリードボーカルというこれまでにないスタイルだった。そのドラマーの森岡みまはチャーミングガールだった。そしてキーボード奏者の井上能征は「井上ヨシマサ」名義で今や音楽プロデューサーとして光GENJI・中山美穂・安倍麻美・AKB48など多くの有名歌手に楽曲を提供している。
 NHKの「レッツゴーヤング」などに出演した。
 デビュー曲の「YAKIMOKI」も印象深いが「みんなのうた」で使われた「コンピューターおばあちゃん」も軽快なリズムで人気があった。Y.M.Oの影響を受けたのがC-C-Bだ。

 2 「アドベンチャードリーム」 アイドル夢工場

 このユニットは実にもったいなかった。「夕やけニャンニャン」から生まれたおニャン子クラブの妹分として1986年にデビューしたが、僅か2か月程度でトーンダウンし、表舞台から姿を消してしまったユニットだ。可愛い女の子ばかりを集めた7人組で、秋元康提供の「アドベンチャードリーム」はリズムやメロディーも良くてヒットしたのに、残念だった。「夜のヒットスタジオ」にも出演し、期間限定でフジテレビのみ出演のユニットだった。

太田千秋 桜川佳世 時田成美 仲地さより 村岡英美 安原万里子 渡辺恵

「夜ヒット映像」 https://www.youtube.com/watch?v=5U1w1ll3oG4

「別バージョン」

https://wwwhttps://www.youtube.com/watch?v=YAHG1_sHdRA.youtube.com/watch?v=Mm3JoA2-ZLM

「イベントで生歌を披露するアイドル夢工場」

 心配そうに見守るおニャン子たちの表情も垣間見える。

 私は皆藤愛子似の桜川佳世がお気に入りだった。

 3 「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」 中原めいこ

 中原めいこが1984年4月5日にリリースした6枚目のシングル。彼女の名を世間に広め た代表曲でもある。本曲はカネボウの夏の化粧品キャンペーンのテーマソングとして企画され、「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」というコミックソングのようなタイトルは広告代理店が指定したものである。中原はこのタイトルを「太陽の日差しを浴びて色とりどりに輝く女性をイメージしたもの」と捉え、得意のトロピカルでラテン・テイストなポップソングに作詞・作曲した。

https://www.youtube.com/watch?v=hfdFtGWNSKE

本曲はCMソングとして各媒体で繰り返し流され、突飛なタイトルとノリの良いリズムも話題を呼んだ。オリコンチャートも初めて10位以内にランクイン(週間最高8位)、レコード売り上げ27万枚、音楽番組『ザ・ベストテン』で最高6位にランクインするなど、中原自身最大のヒット・ソングとなった。
 しかし、中原めいこといえば、この曲のイメージしかなく、歌唱力もビジュアル的にも良かったのに残念に思った。

 4 いまのキミはピカピカに光って

 1980年の夏、一世を風靡した「ミノルタX7」のCM。当時、熊本大学の女子大生だった宮崎美子を起用し、木陰で服を脱いで水着姿になるCMがバカウケした。はにかんだ宮崎さんの笑顔と、その後の真顔になるギャップにやられた男性諸氏も多かったに違いない。私は当時高1だったが、速攻で斎藤哲夫が歌うこのレコードを買いに行った記憶がある。その後、彼女もヤングジャンプなどのグラビアに度々登場し、雑誌が売れ切れになるほどの人気を博した。

https://www.youtube.com/watch?v=YSKNVztOED8

 昔からクイズダービーの回答者になるなど才女として有名だったが、今や漢検1級を取得するなどクイズの女王としてもその地位を確立した。

 斎藤哲夫のこの曲は、CMで使われたサビの部分だけが良くて、ほかは帳尻合わせして繋いだ印象が強く、もったいなかった。斎藤哲夫もこの一曲だけヒットして、あとはあまり聴かなくなった。

 さて、今日は4曲お送りした。ややミーハーかもしれないが、青春時代にリリースされ、よく聴いたのだが、思いのほかヒットしなかったり、その後が続かなかったもったいない印象が強い。他にも堀江淳の「メモリーグラス」、さとう宗幸の「青葉城恋唄」、伊藤敏博の「サヨナラ模様」、五十嵐浩晃の「ペガサスの朝」、シュガーの「ウェディングベル」などももったいない曲。なぜ次の曲が続かなかったのかが不思議だ。

 記事作成:9月30日(土)

未完成記事一挙蔵出し!第五弾

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 一度は執筆を始めながら、時期を逸し、旬でなくなったために掲載できなかった記事や途中で断念した記事がわんさかある。
 今回も未完成だが、途中まで書きかけで、ほったらかしにしたボツ記事を一挙公開したい。

 1 気づけば年下になった故人

 私が幼少から青年期に見ていたテレビなどで活躍されていた芸能人やスポーツ選手。早くして亡くなった方も多いが、気づけば、私より年上だった方々よりも自分の年齢が上回ってしまった。つまり私のほうが長生きしているというか、いつの間にか年上になってしまった。今日はそうした方々を取り上げたい。(なお、年齢は2017年8月現在で計算)

逸見政孝 48歳 ご存命なら72歳
松田優作 40歳 ご存命なら67歳
村下孝蔵 46歳 ご存命なら64歳

河島英五 48歳 ご存命なら65歳
古尾谷雅人 45歳 ご存命なら60歳
沖 雅也 31歳 ご存命なら65歳

石原裕次郎 52歳 ご存命なら82歳
美空ひばり 52歳 ご存命なら80歳
江利 チエミ 45歳 ご存命なら80歳

田宮二郎 43歳  ご存命なら81歳
川口 浩 51歳 ご存命なら80歳
三浦洋一 46歳 ご存命なら63歳
三波伸介 52歳 ご存命なら87歳
三島由紀夫 45歳 ご存命なら92歳

 私が好きだった天知茂さんは54歳で亡くなった。そう考えると働き盛りの時に亡くなったのだ。 女性は美人薄命なる言葉があるが、こういう方々を見ていると、人生は太く短く生きるか、細く長く生きるかのどちらかだと思う。その密度は同じで、本日のテーマは前者に当たる。
 そして昔の人は、随分大人だったと思う。彼らの年齢を自分が越えてみてつくづくそう思う。

 2 歴代夏季オリンピックの注目選手たち

 1964年 東京

 アベベ(エチオピア)・円谷幸吉(男子マラソン)
 東洋の魔女(女子バレーボール)
 ボブ・ヘイズ(男子100m走)
 ドン・ジョランダー(水泳)
 猪熊功・アントン・ヘーシンク(柔道)
 遠藤幸雄(体操)

 1968年  メキシコ

 親友のために走った君原健二(男子マラソン)

 1972年 ミュンヘン

 1976年 モントリオール

 白い妖精コマネチ

 1980年 モスクワ

 1984年 ロサンゼルス

 カールルイス、山下泰裕

 1988年 ソウル

 ベンジョンソン、池谷西川コンビ

 1992年 バルセロナ

 古賀稔彦

 1996年 アトランタ

 ジョイナー

 2000年 シドニー

 イワンソープ

 2004年 アテネ

 2008年 北京

 北島康介

 2012年 ロンドン

 2016年 リオデジャネイロ

 記事作成:1月31日(火)~

 3 イメージがダブるプロ野球選手

 打者

 清水隆行(巨人)と亀井善行(巨人)

 どちらも共通しているのは左打者のダウンスイングが売りで、ライナー性の打球を外野席に運ぶ。ここぞと言うときにホームランを放ち、危機を救う。足も速く、一番打者として最適だったが、なぜか両者共に固定されなかった。

 金本知憲(阪神)と片岡篤史(日本ハム)

 パワーがあって、全力で強振するバッティングフォーム。力で外野まで打球を運ぶ印象が強い。

 中村紀洋(近鉄)と平田良介(中日)

 豪快なバッティングフォームは瓜二つ。やや太めの体型も似ている。

 清原和博(西武)と中田翔(日本ハム)

 体型や顔つき、打撃フォームまでそっくりだ。PL学園と大阪桐蔭と大阪にゆかりのふたり、坊主頭まで同じ。

 松井秀喜と筒香嘉智

 どちらも日本を代表するような長距離スラッガー。意外なのはWBCでも4番を張った強打者の筒香だが、昔スイッチヒッターだったと聞いてびっくり。スイッチは俊足巧打の一番打者に多いのだが、あのパワーヒッターで右も打てたら、どうなってしまうのか・・・。両者ともに高卒でプロ入りしながら即戦力のホームラン打者だった。入団当初は細身だったが、みるみる体が大きくなった。

 ほかにも福本豊と島田誠、柏原純一と落合博満、高木守道と仁志敏久はダブってしまう。

プロ野球監督のデータ分析 

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 今日はプロ野球の監督についての話題に触れたい。以前にも当ブログ記事において、いったいどういう性格の人が野球の監督に向いているのか書いたことがある。今回はその続編で、歴代プロ野球の監督で、通算勝利数や勝率を基礎データに、誰が優秀監督に当たるのかを考えながら、血液型やその性格の特徴や傾向をまとめたい。
 なお、血液型別性格診断等に興味のない方、その話題に批判的な思想をお持ちの方はここで退室ください。

 プロ野球監督の歴代勝利数(500試合以上)

順位 監督名 年数 試合数 勝利 負数 引分 勝率 優勝数(リーグ・日本一)の順

1鶴岡一人23299417731140810.609112
2三原脩263248168714531080.53764
3藤本定義29320016571450930.5339
4水原茂21278215861123730.58595
5野村克也24320415651563760.50053
6西本幸雄202665138411631180.5438
7上田利治202574132211361160.53853
8王貞治19250713151118740.54042
9別当薫202497123711561040.517
10星野仙一17227711811043530.53141
11川上哲治1418661066739610.5911111
12長嶋茂雄1519821034889590.53852
13仰木彬141856988815530.54831
14原辰徳111577876646550.57673
15古葉竹識1418018737911370.52543
16森祇晶111436785583680.57486
17中西太141640748811810.4801
18大沢啓二131547725723990.5011
19山本浩二101359649681290.4881
20梨田昌孝91263645594240.5212
21落合博満81150629491300.56241
22松木謙治郎111255628602250.511
23根本陸夫111351598687660.465
24白石勝巳111359581736420.441
24岡田彰布81141581521390.5271
26浜崎真二101203535639290.456
27石本秀一121115528553340.4882
28藤田元司7910516361330.58842
29広岡達朗8966498406620.55143
30若松勉7975496461180.51811

 血液型

 O型 藤本定義・水原茂・西本幸雄・上田利治・王貞治・星野仙一・古葉竹織・森祇晶・
    落合博満・秋山幸二・東尾修・バレンタイン

 A型 三原脩・川上哲治・仰木彬・原辰徳・梨田昌孝・岡田彰布・広岡達朗・渡辺久信
    ヒルマン

 B型 野村克也・与那嶺要・中西太・山本浩二・藤田元司・若松勉

AB型 鶴岡一人・大沢啓二・ 

  プロ野球選手はもととも球技に滅法強いO型やB型の社会。加えて親分肌で勝負勘が強いO型が有利の世界だ。ゆえにO型監督がもととも多い。ゆえに長く監督業に携わる者が多いことから通算勝利数で見るとこのようなO型上位の順位となる。

 プロ野球監督の歴代勝率(500試合以上)

順位 監督名 血液型 年数 試合数 勝利 負数 引分 勝率 優勝数(リーグ・日本一)の順

1鶴岡一人23299417731140810.609112
2川上哲治1418661066739610.5911111
3藤田元司7910516361330.58842
4水原茂21278215861123730.58595
5天知俊一6777439316220.58111
6原辰徳111577876646550.57673
7森祇晶111436785583680.57486
8濃人渉8813442343280.5631
9落合博満81150629491300.56241
10秋山幸二7865456369400.55332
11広岡達朗8966498406620.55143
12仰木彬141856988815530.54831
13若林忠志7740390324260.5462
14西本幸雄202665138411631180.5438
15王貞治19250713151118740.54042
16上田利治202574132211361160.537853
17長嶋茂雄1519821034889590.537752
18三原脩263248168714531080.53764
19東尾修7937489425230.5352
20藤本定義29320016571450930.5339
21星野仙一17227711811043530.53141
22岡田彰布81141581521390.52721
23与那嶺要6780388349430.52651
24渡辺久信6864438395310.52611
25古葉竹識1418018737911370.52543
26バレンタイン7966493450230.52311
27ヒルマン5683349320140.52221
28梨田昌孝91263645594240.5212
29西村正夫8721365339170.5185
30若松勉7975496461180.518311

 監督在任が長いO型は勝利数こそ多いが、勝率を見ればさほど上位ではない。やはり緻密な野球を実践するA型には敵わない。しかし、O型選手は豪快さが持ち味で、細かいことは嫌い。だからA型の細かさに嫌気が差す。基本的にO型は年上には媚を売り、年下には命令するタイプなので、A型監督には嫌々でもうまく取り繕って取り入れられようと努力する。B型監督ではその天性の才能を感じ取り、立てることが出来る。O型監督ではのびのびやれるが、成績はあまり芳しくない。野球が雑になるからだ。それにO型はなんでも肯定的に結果をとらえる傾向が強く、自己反省もあまりしない。悔しいのは一時だけで立ち直りが早い。同じ轍を踏むことも十分ある。

 注目すべきは2015年を最後に監督を退任した原前巨人監督だ。データは2014年までのものだが、あの西武黄金時代を築いた森元西武監督の勝率を上回っている。やはり巨人愛が強い彼は、球団やチームへの思い入れが強く、どうすれば常勝チームを築けるか、真剣に考え、分析し采配を振るったことが見て取れる。12年間巨人一筋に監督を務め、Bクラス(4位)はたった一度で、11回はAクラス。リーグ優勝7回、日本一3度はずば抜けた成績だ。原監督は川上監督、広岡監督、藤田監督の流れを組む管理&分業野球の推進者だ。彼の洞察力は秀逸しており、川上監督以降最高の成績を残した功労者だ。彼が他球団の監督に招聘される前に、三顧の礼を持って再び彼を巨人に招くべきだろう。

 

 こうした血液型を含めた分析は私的な印象も受けるだろうが、こうしたデータを基にすればなるほどと納得できる部分もあろう。

 記事作成:10月1日(日)

ただいま充電期間

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 今日から一週間程度、新しい記事の更新を中断させていただきたいと思います。

 当ブログを開設して9年目、震災の5日間を除き、ほぼ毎日のように更新を続けて参りましたが、今年から部長職となり、過労死?になりそうなほど多忙な日々に加え、土日も休暇がない状況が続き、ブログ記事を書く時間がとれないためです。

 また、ここ数ヶ月、閲覧数が毎日2千5百件程度に減り、私自身が毎日更新する必要性を感じなくなったことも理由のひとつです。

 毎回、更新を楽しみにしてくださる読者の方には申し訳ありませんが、諸般の事情をお汲み取り頂き、ご了承願います。

 今のところ、再開は10月15日(日)の予定ですが、事情によっては延びる可能性もあります。(SUZU)

命の洗濯(紅葉と温泉)

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 現在ブログを休止中ですが、15日の再開を前に、本日12日(木)、久々の休暇を利用して命の洗濯をさせて貰ったため、今日だけ特別に記事を掲載いたします。

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 ブログを休んでいる間、念願の休暇を取った。夏に土日なく働きづくめだった日々から、ようやく解放され、振り替え休暇が貰えた。
 本音を言えば、ゆっくり家でゴロゴロするか釣りに出かけたいところだったが、天気がイマイチで風も強く、波も2m、小潮という最悪のコンディションで、山に切り替えた。といってもトレッキングや登山ではなく、かねてから行きたかった磐梯熱海温泉の「ケヤキの森」遊歩道を歩き、その後、母成峠を北へ向かい、中ノ沢温泉の露天風呂に入りたいという計画を練った。もちろん、働きに出ている家内に言える訳もなく、内々に仕事に行く振りで、いつもと同じ7時前に家を出て行くことになった。以下は経過を綴りたい。

 10月12日(木)くもり/小雨/晴れ

 6:59 自宅発ー東原セブンイレブンから喜久田街道へ。
 7:12 喜久田のトライアルへ 店内ガラガラ 気温19℃ ヨーグルト、お茶、生寿司、お
     にぎり、のど飴、パン、そして衣料品を購入して1,486円 7:19発
 7:32 「ケヤキの森散策路」のため駐車場探し 美術館のPはダメ 清稜山倶楽部Pへ
     従業員が見回り、監視カメラもあって断念 華の湯方面の足湯の先に「ケヤキの
     森」専用駐車場という表示あり その中へ入って駐車 湯溜槽タンク2つの西隣り
     ここまで13.7km走行
 7:35 標識入口から入り、橋を渡ると目の前に朱い鳥居 源泉神社 標識に従って散
     策 お茶を持って飲みながら歩く。川沿いの清稜山倶楽部の裏手を進む 木の説
     明や野鳥の説明図などが所々にある。森林地帯 紅葉はまだまだでまだ木々の
     葉は緑。緩やかなアップダウンでまさに散歩コース しかしインターロッキングに苔
     が生えて滑りやすい。マムシ、ミツバチの巣注意の看板 熊は大丈夫か 蜘蛛の
     巣多い。「天空のケヤキ」という標識あり 木立の中なので意外に暗い カメラの感
     度を上げる。展望スペースに向かう三差路で犬連れのおじさんと挨拶「この急な階
     段はきついですか?」と尋ねたらさほでもないらしい。熊出ますか?と聞いたら出
     ないという返答。一応は「365日の紙飛行機」を口ずさみ、口笛を吹くなど警戒し
     ながら進む。息切れは多少。時々写メしながらなのでそんなにきつくはない

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 7:53 展望スペースへ ベンチあり。帰りは雨に濡れた散策路で靴底が汚れる。足元を
     気遣いながら下る。東屋あり。元の石畳みの散策路に戻る。そのままカーブして
     200m歩けば朱塗りの橋で終点。川も風情があって素敵。橋の先のゴールはなん
     と美術館の駐車場。

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 8:00には散策路終了 実際の散歩はゆっくりでも30分かからない。ここから風が強い 
     中、旧49号線沿いを歩く。結構遠くて時間かかる。太田熱海病院前、すると磐越
     西線を2両の電車が郡山方面へ走って行った。さきほどの犬連れのおじさんと再
     びすれ違う。東屋のある温泉街入口を左折。清稜山倶楽部の斜め向かいに足湯
     を発見。

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 8:10 登山の疲れを癒すのに入ってみる。無人で貸し切り。結構暑い。脚の疲れがとれ
     る。なんとテレビまである。フリーWI-FI完備。12分くらい湯につかる。誰も来ない。
     そして駐車場に戻る。メモ書きする。腰痛が・・・。目の前に容量130㎥ものでかい
     黄緑色の丸い貯湯槽が2つ並ぶ。

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 8:27 駐車場発 母成方面へ向かう いったん西に走り、セブンイレブンから右折して
     熱海トンネル経由で左折。磐梯熱海ICの前を素通り 県道24へ 高速の高架橋
    下をくぐり、観音様の石仏が並ぶ駐車エリアで停車し、いつもの卑猥な岩を撮影
 8:33 進行方向に虹が・・・。

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 8:38 やがて目と鼻の先に虹が最接近したところで路肩に停車して写メ。
     取り締まり警戒でのろのろ走行 小雨ぱらつく ピラミッド形の三角山

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 8:42 釣り堀&あやめ園通過
 8:43 石莚ふれあい牧場入口(25.9km) そして母成峠へ ゆっくり走行
     すこしずつ葉が色づき始める 後続車を気にしながらのんびり走行
 8:48 水無川 気温は16℃ 路側帯で停車して紅葉の写真 やっとバス通過
     谷を挟み、向こう岸の山肌は紅葉が綺麗  路面がウエットに

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 8:56 畜産試験場手前にあるP入口から右折 すると探し求めていた「戊辰戦争古戦
     場」を示す石碑があった。私に釣られて別の乗用車も来たがすぐ退参。トイレを探
     していた模様。その後私ひとり 一礼して戊辰戦争の活躍に感謝
     確かに石碑には大鳥圭介や土方歳三の文字が・・・。ここで会津のために戦って
     くれたことを感謝 周辺の防塁や砲台跡などを記した地形図があるが、風が強い
     一度、紅葉の写真を撮りながら、ガードレールの先まで歩いて砲台の方へ向かう
     が、万が一熊に襲われでもしたら、発見されないと思い、怖くなって、引き返す。
     タバコの箱を捨てて行った不届きものがいるようなので、周辺のゴミを拾い車内へ
     私も腹ペコでトイレに行きたくなるが、神聖な場所で立ちションは出来ない。
     デジカメのメモリーカード残量不足に 車内で不要な画像を50枚程度削除し容量
     を確保する。気温は14℃に さすがに山の上は寒い

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 9:15 母成峠のPを出発 するとすぐその先の右側に「戊辰の役戦没者慰霊碑」の標識
     時間があれば帰りに立ち寄りたい。 また牧場草原地帯の坂の途中で右側に、沼
    尻スキー場の男坂・女坂の急斜面の壁が見えた。
 9:20 農園食堂あり そして下り坂から中ノ沢温泉街へ HPで見て興味があった大坂
    屋を探す。先に花見屋があって、その先の左側に建物、そしてその斜め向かいに大
    阪屋の専用P
 9:22 大阪屋P到着 ここまでで37.5km 店先に入浴500円の小さい標識あり
    呼び出して店主のおじさん登場 これから温泉入浴できますか?と聞くといつでもO
    Kという返事 9時からだと思って時間を調整して来たがそれも不要 500円を払い
    通路に従って10m先の浴場暖簾をくぐる。すぐに脱衣場 そして無人の温泉へ
    硫黄の香りが凄い 屋内を素通りしていきなり「夢の湯」という石段を下って露天風
    呂へ。紅葉もあり。湯船の地面が青白い塗装により、乳白色。岩風呂であちこちか
    ら岩が湯船から突き出し、右側に戻る感じで洞窟風呂がある。探検気分。念のため
    デジカメと財布、メガネを持参。奥まった先にも旅館宿泊者専用の入口があり、脱衣
    棚と籠がある。そこに財布類を置いた。気持ちよく無人の貸切風呂状態で湯に浸
    かっていると、おばさんが掃除にやって来た。いろいろ話しかけた。温泉宿自体は昭
    を思わせる造りと、古民家、民芸茶屋を想像させる雰囲気で旅情を誘うが、平日の
    朝ということもあって、ガラ空き状態は有り難い。湯気でメガネが曇る。他に客が誰も
    いないことをいいことに、写メ撮りまくる。最後に屋内風呂で体を洗い、上がる。
    洗面所で髪と体をドライヤーで乾燥させ、服を着て出ようとして、メガネが無いことに
    気づく。慌てて戻る。しかし、ジャージのズボンをまくり上げ、飛び石をジャンプしなが
    ら洞窟内を捜索しても脱衣カゴにも見当たらなく焦る。すると、岩風呂の石の上に置
    き去りしてあった。硫黄の香りが全身を包む、これは家内に一発でバレる。
    ロビーへ戻る。右手に食事会場と思しき囲炉裏が4つ並ぶ和室がある。雰囲気が
    あってGOOD!民芸の調度品が素晴らしい。天狗や昭和初期の三菱製のミシン
    中ノ沢温泉街のパンフとドライブマップを頂戴した。おじさんに声を掛けて退去

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 9:57 車へ戻り、宿全体の写メ 出発 次はせっかくここまで来たので姫沼へ
    下り坂で工事のためS字カーブ 片側通行 右手に旧沼尻軽便鉄道の駅舎だった
    建物を写メ その先の丁字路を右折して国道115へ 前回訪問で入口見つから
    なかった反省から、注意してスローペースで進むと、すぐにそれらしき場所を発見
    左折して林へ分け入ると、何もない廃墟同然の姫沼からおばさん運転の軽が出て
    きてびっくり・・・なぜあそこから出て来た?犯罪の匂いが・・・・。死体でも捨てに来た
    のか?
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10:01 4年前に続き2度目の訪問。正確には幼少の頃、亡き父親に連れられ、ここで釣
    りをした想い出があるので3回目。昔は姫沼ハートランドというレジャー施設だった。
    ひっそりと誰もいない秘境。今日も訪問者は私くらい。しかし、紅葉には早過ぎ。や
    はりここは隠れた紅葉スポットだが、11月の晴天青空の日に来ると湖面に映る紅
    葉もあってなおさら綺麗。車でその先まで行ったが、電力会社の施設があって、U
    ターン。もう使われることのないブランコや滑り台などの遊具が放置されていた。

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10:07 姫沼レストランの廃屋を見送り、退去。交通量が多く、なかなか国道に出られな
    い。わかくさ幼稚園のマイクロバスを追って再び母成峠へ向かう。途中、沼尻スキー
    場が見える地点で停車して写メ。14℃あったので、まだ紅葉も雪も先のようだ。
    途中、車が左側の路側帯に停車し、ポリタンクに清水を汲んでいた。
    幼稚園バスが意外に飛ばす。煽るつもりもないので十分車間距離をとって、ゆった
    り走行。怖くなって慰霊碑は立ち寄らず。くねくね。この道はおそらく20回以上は
    走っているはず。仕事終わりにナイタースキーに随分通った。凍結した雪の峠道を
    よく走ったものだ。怖さを知らず若かった・・・・。

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10:23 ゆっくり制限速度を守っても交通量がほとんどないのでスイスイで料金所へ
     前を飛ばす幼稚園バスはそのまま「ふれあい牧場」へ。どうやら遠足だったよう
    だ。懐かしいCDを聴く 三角山へ 古墳ではないのか?
10:32 高玉城址へ 石碑が見えた。その先の磐梯熱海ICのすぐ先の歩道にロケ隊
    が!5人ほどの撮影スタッフとカメラに向かって話す若い女性。知っているアナウン
    サーかと思ったら、全く知らない顔だった。旅番組か食べ物屋の紹介か?もしかした
    ら地元の高校生女優、「箭内夢菜」のVR動画の撮影?
       18℃ そのままバイパスを郡山方面へ。
10:41 トライアル左折し、喜久田小学校方面へ右折 喜久田街道をばく進 
10:48 帰宅 走行距離は73.3kmだった。

 仕事を休み、ブログも休止中の12日、命の洗濯をさせていただいた。しかしやっぱりそこは習慣と言うのは恐ろしいもので、やはりチョイ旅でもこうして記録として残して置きたいと思うのはやはり悲しい性か。
 先週金曜日、仕事のストレスから血圧が180に上昇し、下も100を越えるという非常事態に見舞われた。これ以上働きすぎると、脳血管障害か心臓病の危機と思い、今回の休養となったが、まさしく命の洗濯をさせていただいた思いだ。今週末と来週末、いずれも仕事で休めないことから、ここいらで休息をとらないとマジで過労死するかもしれないとの不安感いっぱいだった。半日でも体を休め、精神のリラックスを図れて何よりだった。

 しかし磐梯熱海温泉よりは多少遠いが、硫黄泉が強く湯量も多い中ノ沢温泉も片道30kmちょっと思えば楽。平日ならば他の客の視線を浴びることなく、ゆったりとした気分で温泉に浸かれ、しかも貸し切り状態だ。タオル持参で入浴だけなら500円ポッキリ。ワンコインで旅情満喫は嬉しい。大阪屋さんの露天風呂はなかなかいい。ぜひ4か月に1回、年3回は訪れてみたい温泉場だ。他には花見屋、西村屋、平澤屋旅館も日帰り入浴が500円。

 さて、今日は7時から11時前の4時間弱だけでこれだけのことが出来た。今日の一日は、7年後に退職する私のモデルケースになるかもしれない。たぶんこんな休日を過ごしているに違いない。    

浜田省吾に心酔した学生時代

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 一週間の充電期間の中で、自分がこのブログを通して何を伝えたいのか考えたときに、まず自分自身の足元を見つめ直したいと考え、原点回帰してみた。すると、私の人生の応援歌であり、大きな影響を与えてくれた人物のことを書こうという考えに至った。
 この9年間、拙い記事の連続で、恥ずかしい思いを自分自身で感じながら書き続けてきましたが、下手くそでも続けることで何かを感じとってもらえればそれでいいという結論に達し、ブログを再開することにしました。もうしばらくお付き合いいただければ有難いです。

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 学生時代の私は北海道で過ごした。今思えば34年も前の出来事で、懐かしい青春時代の想い出だが、当時は初めての親元を離れての生活のためか、自炊すらしたことがなく、すぐにホームシックになった。それでも同じアパートの隣室が同郷の友人で、浜田省吾を聴き、流行のスタジャンを格好良く着こなすオシャレなナイスガイで、私も彼の影響を受け、「sand castke」というLPレコードを聴いて、徐々に浜田省吾ワールドに引きずり込まれていった。毎日のようにラジカセで聴いて、彼の詩の美しさと楽曲に心酔していったのだった。
 以来、彼のアルバムはすべてレコード(当時はまだCDが無かった)からカセットテープに録音したものだった。貧乏学生だった私はすべてのLPレコードを購入できる訳も無く、専らレンタルレコードで我慢していた。
 たぶんここまで読んだだけでも、私の「浜田省吾愛」は感じ取っていただけたと思いますが、ではここで個人的趣向になって申し訳ないが、私が好きだった楽曲を挙げると以下の通りになる。

 1位 19のままさ             11位 陽のあたる場所      
 2位 家路                 12位 風を感じて
 3位 愛という名のもとに        13位 路地裏の少年
 4位 America                   14位 ラストショー
 5位 Midnight Flight                15位 遠くへ
 6位 もうひつとの土曜日              16位  散歩道
 7位 J boy                   17位 終わりなき疾走
 8位 丘の上の愛              18位 傷心
 9位 片想い                     19位 いつかもうすぐ
10位 君に会うまでは           20位 愛の世代の前に

 <この曲に寄せられたコメント>

 どんなに遠くても、孤独でも『この道(現在)』が『空(理想)』に出会える場所を目指し、懸命に生きるしかないんだと。深いね...。人生の応援歌です

 昔、別れた妻を思い出しました。辛い時、この曲を聞いています。毎日を一生懸命生きています。与えられた命、頑張って生きて行きます

 この歌で自殺するの止めました

 トラックに乗って30年目の秋に慢性腎不全になり緊急入院し透析が必要な体に。仕事を失い夢も希望もなくしてた時、この曲を聞いたらこみあげてくるものがあり涙が....思い切り泣いた。そして勇気をもらい前向きになれて社会復帰して10年。負けそうな時もあるけどこの曲を聞いて頑張れます。

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 こういうコメントを読むと彼の楽曲はメッセージソングそのものだし、人生の代弁者のような気がする。偽りのない感情で率直に表現する彼の作風は、ぐんぐん魂に響き渡る。人生の応援歌として聴いている人も大勢いることがわかる。

 ところで、こうしてランキング表示してしまうとよくわかるが、何か30年以上前の古い楽曲ばかりだ。当時、それくらい彼の曲との出会いは衝撃的で、本気で聴いていたことが窺い知れる。長髪にサングラス、ジーンズというお決まりのスタイルに、ストラップで肩からぶら下げたギター。私が学生時分に傾倒した彼も、今年12月で65歳を迎える。彼の演奏スタイルや作風はあまり変わらない。彼の奏でる名曲は私の人生そのものである。未だに恋愛模様を創作できる才能は敬服に値する。

 彼のナンバーに耳を傾けると、その詩の情景が浮かんでくるから不思議だ。たとえば私が1位に挙げた「19のままさ」は、一年間予備校通いをして浪人生活をしていた自分の境遇とドンピシャで当てはまり、共感できるし、「America」では、アメリカンドリームを夢見ていた若き日の自分と重なる。その歌詞は当時、英語をマスターしたくて必死でもがいていた日々と相通じる。
 20代の頃になって一人前に彼女が出来た私は、浜田省吾の歌詞に出てくるような恋愛を手本に、そうした雰囲気を演出した。「もうひとつの土曜日」の世界観や「愛という名のもとに」のような別れのシーンも経験し、まるでそれらは若き日の恋愛ストーリーそのものだった。「家路」は辛いときに人生の応援歌になった。このように、自分の人生を写した鑑であるかのように、彼の独特な世界をオーバーラップして、追従していたような気がする。そして「真実の愛」を探し求めていた気がする。
 今、この歳になってさすがに恋愛ソングはギャップがあって厳しいものがあるが、若き日の佳き想い出として脳裏に深く刻まれている。私にとっては終生、人生の手本であり、宝物であると思う。

 最後に、私のHP「趣味-ING」内の「風越波海(SUZUの詩のペンネーム)の世界」に掲載した詩をここでお送りし、結びとします。今回もお読みいただきありがとうございました。

 「海とバイク、そしてSYOGOと歩いた青春」

 学生時代の僕は バイクを愛し ひたすら海を目指していた
広い大空と大地に憧れて やってきた北海道の片隅で
僕は自分自身と向き合い 本当の自分を探すことができた
今思い返せば 夢のような日々を送った


あの頃の僕は夢も希望もなく 魂を隠して 
ただ毎日を平凡に過ごしてきただけの ただの道化師
北海道に来て僕は生まれ変わった 生きていることに疲れた時
人生につまずいた時 僕は決まってバイクを駆り より遠くを目指した

心を癒す潮騒のメロディー オホーツクの調べへのいざない
あの日見た朝焼けと心地よい潮風 海を渡るさざ波との競走
蜃気楼の彼方に続く一本道 焼け焦げたオイルの匂い
道すがら 幾多の場面が一服の清涼剤だった

ひたすらスロットルを握り、コーナーと一体になり
まるで自分の居場所を探し求めているかのように
必死にブラインドの先にある何かを追いかけていた
とりとめのない詩を心に綴り 生きた証をどこかに残したかった

北の大地で僕を慰めた心の風景 それは神無月の竜宮
夕日を背負い サロマとオホーツクの隙間をバイクで駆けた
瞳の奥に刻み込んだあの日の記憶
徒然なる旅先で心を洗い 生きる勇気を取り戻した愛しき日々


もうひとつ僕の心の支えだったもの それは一人身の孤独に耐え 
その傍らでいつも聞いていたSYOGOのラブソング
人生の応援ソングは いつも決まって SAND CASTLE
それを心の拠りどころにして 命の炎を燃やし続けた

SYOGOの歌詞に励まされ SYOGOの旋律に魂を揺さぶられ
SYOGOの歌声に 自分自身と向き合う勇気をもらった
いつしか彼の歌を口ずさんでいる自分がそこにいた

自分の存在意義を確めて 耐え切れず涙した夜もあった
時の移ろいに ただ虚しくて 人を妬みやるせない夜もあった
自らの過ちを認めたくなくて 葛藤した懺悔の日々
SYOGOと出会い 僕はこれまでの生き方を悔い改めた

ワインディングロードは人生そのもの 容赦なく迫り来る
コーナーを登るにつれ やがて拓ける視界 太陽は近づき 
今にも手が届きそうな雲のかけら 時の礫と必死に闘いながら
霧に行く手を阻まれた時も 嵐の夜も ひたすら駆け抜けた

それでも諦めず根を上げず 自分を信じた末に待っていたのは七色の虹
何も飾らず 奢り高ぶらず ありのままの自分をぶつけて歩いて行こう
格好じゃなく 見せ掛けでなく うわべだけの人生に終止符を打って
タフな奴には女神微笑む それを合言葉に僕は 北の大地を後にした


かつて北の大地の片隅で孤独と闘い 自分探しをしていた奴がいた
やがてそいつは大人になって夢を追いかけることの大切さを学んだ
北の大地で手に入れたもの それは夢を紡ぎ生きることへの道しるべ
北の大地で過ごした2年の歳月は 本当の自分を見出すための日々

やがて訪れる筈の憧れ地 東京は 北の大地の前で霞んで見えた
今 静かに瞳を閉じれば 瞼の裏に焼きついた風景画の数々
夕焼けに染まるオホーツクの砂浜 確かな足跡をそこに刻み込んだ
あの日の情景を 僕は胸にしまい込み 証に変えて今日も生きている

 「風越波海の世界」はコチラ http://tsuriten.la.coocan.jp/kazakosi.htm

 記事作成:10月11日(水)

 

 


NHK福島・平川沙英アナウンサー⑫

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 大阪出身の新人アナウンサー「平川沙英」さんを勝手に応援する記事を書き始めたが、今回は第10弾。NHK福島放送局で平日の18時10分から19時まで放送している「はまなかあいづtoday」のMCを務めている彼女だが、出演は宮間瞳アナと交互に隔週出演している。したがって、週単位で2週間に一度、初々しい彼女の成長を見守るために、この記事を「サポーター」的な立場で掲載していきたいと思う。
 皆さんも、ぜひ彼女を温かく見守り、応援していただければ幸いです。では、第12弾の今日は、10月10日(火)から10月13日(金)までの出演場面をどうぞ!

 10月9日(月) この日は休日で特番のため、放送がありませんでした。

 10月10日(火)

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 10月11日(水)

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 10月12日(木)

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 個人的には、この日の髪型が一番お気に入りだ。

 10月13日(金)

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  この日はメイクがやや濃い目でソバージュ風のヘアスタイルに変身し、大人のエレガントな女性という雰囲気だった。髪型や化粧ひとつで印象がガラリ変わる。

 隔週でお送りしているこの記事ですが、女子アナフリークの私は、FCTの小野紗由利アナや元FTVの名切万里菜アナなどの出演の様子を記事してお送りしていますが、彼女たちが縁あって福島の地でアナウンサーとして頑張っている姿をみて、純粋に応援したいという気持ちからであり、それ以外の特殊な意図はありません。もし本記事をご本人がご覧になって不快な気分にならないよう、掲載する写真は最も映りが素敵だと思うものを厳選してお送りしております。
 ぜひそうした意図を汲んでいただき、彼女たちを応援して頂ければ幸いです。

訪れたい歌に詠まれしスポット

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 過去、何度も当ブログで、この手の記事を書いた。それほどその土地に思いいれのある歌がその時代を作ってきた感じを抱いている。その唄のおかげで有名になった場所がある。観光客の誘致に役立つし、訪れていなくて歌詞の中に、そこがどんな場所なのか織り込まれている。その曲に惹かれて、私は過去、何度もその場所を探し訪ねたものだ。
 では私がすでに訪ねた場所も含め、歌に詠まれし有名観光地を紹介したい。

 第1位 渡良瀬橋 森高千里

 栃木県足利市に実在する。私は4年前に訪問した。八雲神社も3軒、床屋の電話BOXなど歌詞に登場する場所は自分の眼で確かめた。残念ながら八雲神社はその前に不審火で火災に遭った。

 第2位 青葉城恋唄 さとう宗幸

 小学生の頃の遠足で訪れた場所。山頂の銅像の前で集合写真を撮影した。ここは伊達政宗が治めた地。天守閣は無い。昔、頭の良いカラスがここの坂道の車道に栗を落とし、車のタイヤに踏ませて堅い殻を割らせるというニュースがあった。また、7年前、慶應大学の通信課程に通っていた際に、試験を受けに行った帰りにここへ立ち寄ったが、駐車場が見当たらず素通りした苦い経験もある。

 第3位 みだれ髪 美空ひばり  福島県いわき市の塩屋埼灯台

 東日本大震災で、いわき地区でもっとも犠牲者と津波被害が多かった場所だ。灯台の真下には、美空ひばりの歌碑が建立されている。

 第4位 津軽海峡冬景色 石川さゆり

 今は無き、青函連絡船を謳った名曲。私も夜行急行で深夜に青森駅で降り立ち、連絡船に乗り換えて津軽海峡を渡った経験がある。おそらく6回くらい連絡船に乗った。凍てつく壮絶な冬の情景は訪れるものを拒絶しているかのようだ。

 第5位 天城越え 石川さゆり  伊豆半島

 こちらも女の情念が込められた怖い曲。「あなたを殺していいですか」という歌詞は衝撃的だった。放送禁止にならないのが不思議なくらいだ。伊豆の浄蓮の滝を訪れた際には、駐車場でエンドレスで流れていた。

 第6位 襟裳岬 森進一

 私は過去、一度だけ訪れたが、強風が吹きすさび、本当に何もない所だった。昆布干しと黄金道路の波かぶりロードだけだ。悲恋沼の夕日は見ごたえあったが。

 第7位 奥飛騨慕情 竜鉄也

 登山をやらない者にとっては無縁の場所。白川郷の合掌造りは見たいが。

 第8位 宗谷岬 ダ・カーポ

 私は2度、バイクでこの場所を訪ねた。1985年と1992年だ。もう25年も経ってしまった。でもこの地は、当時となんら変わっていないと思う。北のはずれという印象だ。

 第9位 恋の町札幌 石原裕次郎

 北海道に住んでいた頃、電車で郡山から戻る際、ウォークマンで聞いていた。旅情を誘うようなメロディーと石原裕次郎の甘い歌声に癒されていた。

第10位 人情岬 とんねるず  納沙布岬を歌った

第11位 函館の女 北島三郎

第12位 長崎の鐘 藤山一郎

第13位 長崎は今日も雨だった クールファイブ

第14位 有楽町で逢いましょう  フランク永井

第15位 小樽の人よ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ

第16位 伊勢佐木町ブルース 青江美奈

第17位 立待岬 森昌子.  函館

第18位 知床旅情 森繁久弥

第19位 石狩挽歌 北原ミレイ

第20位 霧の摩周湖 布施明

 なんと20曲中11曲が北海道関係。私の第二の故郷だ。私が北海道に住んでいたのはもう31年以上も前の出来事になった。やはり思い入れが違う。

 これと似た感覚の歌に路線曲がある。それに関するブログは以前に書いたことがあるのでコチラをどうぞ!

 「鉄道の路線が題名の歌

  記事作成:9月中

 

 
 

伝説の名投手十傑

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 往年の名投手といえば、400勝を挙げた金田正一を筆頭に、奇跡の日本シリーズ4連投で逆転優勝を飾り、「神様・仏様・稲尾様」と呼ばれた鉄腕・稲尾和久などがいる。他にも350勝を記録した米田哲也、フォークの神様と言われた杉下茂、ザトペッグ投法で長嶋茂雄と死闘を繰り広げた村山実など、それは個性的で記憶に残る投手だったに違いない。いずれも彼らは伝説といって相応しいほどの活躍ぶりだった。
 しかし、1964年生まれの私は、残念ながら彼らの現役時代の活躍は知らない。生で見ていたのはプロ野球をこよなく愛するきっかけとなった巨人V9の末期(昭和40年代後半)からだ。以来40年以上、プロ野球ファンとしてずっと見守り続けてきた中で、私が凄いと唸る名投手を10名挙げたい。
 今回は外国人投手を除き、現役も多少含めて、私が個人的に思う名投手10傑を挙げたい。

第10位 鈴木啓示
 
 近鉄のエースとして「草魂」をキャッチフレーズに球界を代表する左腕として君臨した。幼少の頃、訓練して左利きになったというから凄い。弱小球団だった近鉄で300勝を超える勝利数を挙げ、西本監督時、「ミラクル近鉄」として2年連続日本シリーズ進出の立役者となった。

 映像はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=q8yO7EdNiy8

 第9位 佐々木主浩 

 横浜ベイスターズ在籍時には「ハマの大魔神」のネーミングで守護神として立ちはだかった。150km/h前後の剛速球と角度のある高速フォークで三振の山を築いた。メジャーリーグのマリナーズに渡り、イチローや城嶋とチームメイトとなった。日米での通算セーブ数は381にも上る。

 映像はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=-8naSX2OoLQ

 第8位 ダルビッシュ有

 切れのある速球と数種類使い分けるスライダーを武器に変幻自在の投球を繰り広げ三振の山を築いた。WBCでも2連覇に貢献するなど、大物ぶりを発揮し、メジャーへ渡った。MLBでは登板過多や遠距離移動など慣れない環境もあって、肘にメスを入れることになったが、その後、復活。今季、シーズン途中で移籍したドジャースでの活躍が期待できる。
 私は東北高校在籍時から私は応援していた。東北に初の優勝旗をもたらすとすれば彼だと思っていたが、未だにその悲願は叶わない。 

 第7位 伊藤智仁 

 意外に思えた人も多かったかもしれないが、7位にヤクルトにいた伊藤智仁を推したい。彼の変化球は天下一品。僅か7年で現役生活に終止符を打ったが、個人的には伝説になり得る名投手だと思っている。彼の鋭く横に曲がるスライダーはバットにかすりもしない魔球だった。速球も150km/hを超えていた。相次ぐ故障に泣かされ短い現役だったが、個人的には秀逸した名投手だと今も思っている。

 第6位 江夏豊

 阪神では田淵と黄金のバッテリーを築き、剛速球を武器に決して逃げず、真っ向勝負。ONと名勝負を繰り広げた。とりわけオールスター戦では9者連続三振、広島ではリリーフエースとして優勝請負人とまで呼ばれ、対近鉄戦の日本シリーズでは、無死満塁、一打逆転サヨナラ負けという絶体絶命の場面でマウンドに上がり、「江夏の21球」で奇跡の優勝をもたらした。こうした数々の伝説を残し、記録にも記憶にも残る名投手となった。

 第5位 村田兆治

 ロッテのエースとして長年に渡り一筋に活躍。マサカリ投法という振りかぶった後に左脚を高く上げ、勢いをつけて投げ下ろすダイナミックなフォーム。150km/hを超える速球と、鋭く角度のあるフォークで三振の山を築いた。
 晩年、肘を痛め、ジョーブ博士の手術によって一線を離れたが、奇跡的に復活。サンデー兆治として日曜日ごとに登板。チームメイトだった落合博満が彼が投げると打ちまくった。通算215勝を挙げ、名球界入りを果たした。我が強いからなのかなぜか監督にはなれない。 

 第4位 大谷翔平

 若き球界のプリンス。誰もやったことがない球界初の「二刀流」に挑戦し、類稀な天賦の才能をいかんなく発揮した。同じプロ野球選手でも大絶賛で一目置く存在だ。190cmを超える伸張から低めに剛球を投げ込み、日本最速の165km/hをマーク。これだけでも凄いのに打者の腰を引かせるような角度のあるスライダー、150km/h近い速球から落ちる高速フォークは誰にも打てない。一昨年のプレミア12では160km/hを超す速球で韓国の打者をきりきり舞いさせた。残念ながら今オフにMLBに渡るという予想で、彼は一度も日の丸をつけてWBCに出場することがないかもしれない。

 第3位 野茂英雄

 社会人新日鉄堺時代からオリンピックに出場し、古田敦也とバッテリーを組み、メダル獲得に貢献した。近鉄に入団後も打者に背を向ける「トルネード」と呼ばれる独得な投球フォームから繰り出す伸びのある速球と鋭く落ちるフォークを武器に三振の山を築いた。鈴木啓示監督との確執から、メジャーに渡った。「ドクターK」と呼ばれ、「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを作り出した。とりわけ、メジャーで2度のノーヒットノーランは圧巻だった。メジャーへの門戸を開いたパイオニアという意味でも尊敬に値する偉大な投手だ。
 イチローの才能を見出したのは仰木監督だったが、彼の個性的フォームを一切いじらず、彼のそのダイナミックなフォームをそのまま活かし、成功に導いたのも仰木監督だった。

 第2位 津田恒美

 個人的に大好きな投手。広島のリリーフエース。鬼気迫る形相で全身を使ったダイナミックな投球フォームで相手打者に気迫で立ち向かった。私は彼が南陽工業の時代から、彼の甲子園での投球をスコアブックにつけていた。それくらい魅了される投手だった。ファールで当時の巨人・4番だった原辰徳の腕をへし折った一球は伝説となった。「炎のストッパー」と呼ばれ、「弱気は最大の敵」という名言を残した。
 惜しくも悪性の脳腫瘍で32歳という若くしてこの世を去ったことが痛ましい。

 第1位 田中将大 

 楽天のエースとしてシーズン負け無しの24連勝を挙げ、リーグ優勝、クライマックスシリーズ、日本シリーズのいずれもで胴上げ投手になるという快挙を成し遂げ、球界を代表するスーパースターになった。気迫を全面に押し出しての投球はファンを魅了し、剛速球だけでなく、スライダー、フォーク、スプリットなど、多彩な変化球で相手打者を翻弄した。
 ニューヨークヤンキーす移籍後は、肘の故障などもあったが、術後に復活し、本場のヤンキーたちを熱狂させる活躍を見せている。

 これ以外にも、緩急自在の中日の今中慎二や、サブマリン投法という個性的なアンダースローで通算284勝を挙げた山田久志、山田と一緒に阪急の黄金時代を支えた抑えのエース・山口高志、江川の犠牲になりながら自らの職責を果たした悲運のエース・小林繁、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔など伝説と呼ぶに相応しい名投手は大勢いた。

 記事作成:10月11日(水)

 

グループ・ユニットの物故者

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 10月に「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のヴォーカルの  が亡くなった。昭和のムード歌謡をリードしたひとりだった。私が幼少から学生の頃に活躍していた方々が、近年になって亡くなられるニュースを耳にすることが多くなり、同じ時代を生きた者として残念に思う。
 そこで今日は、懐かしいグループやユニットで亡くなられた方と、今もご存命で活躍中の方をトリアージの如く列挙したい。なお年齢は2017年10月6日時点

 <コーラスグループ系>

 内山田洋とクールファイブ

 オリジナルメンバーは全員九州出身。元々ジャズ、ラテンなど幅広いレパートリーを持つバンドであり、テレビで演奏する機会は少なかったもののコンサートでは各自のパートの楽器で独奏するコーナーが必ず存在していた。

Coolfive

 物故者・・・内山田洋 
 ご存命・・・前川清・宮本悦朗・小林正樹・岩城茂美・森本繁 
 旧メンバー・・・宮内タカユキ・なかえいじ・大沢充・西田涼馬・山上哲也

 ボーカルの前川清ばかりが目立つが、リーダーは故・内山田洋だった。もともとはバンドだったと聞いて驚きだった。「長崎は今日も雨だった」「中の島ブルース」、「東京砂漠」などヒット曲も多かった。

 和田弘とマヒナスターズ

 スチールギター奏者の和田弘をリーダーとする音楽グループ。ハワイアン、ムード歌謡の第一人者として知られる。山口銀次、和田弘、三島敏夫らが、「バッキー白片とアロハハワイアンズ」退団後、1953年にハワイアンバンド「山口銀次とマヒナスターズ」として結成。翌1954年、リーダーの山口銀次が脱退、アロハハワインズ復帰後は、和田弘がリーダーとなり「和田弘とマヒナスターズ」に改名する。
 ハワイアンのメロディ、作曲家・吉田正のコーラスを手本にして新しい歌謡曲の要素を作り出した第一人者でもある。
 1960年代には、松尾和子らの女性歌手をむかえるスタイルをとり、第2回日本レコード大賞を受賞した「誰よりも君を愛す」、当時としては驚異的な300万枚の売上を記録した「お座敷小唄」をはじめ、「寒い朝」「愛して愛して愛しちゃったのよ」「ウナ・セラ・ディ東京」など多数のヒット曲を残した。

Wadahiroshi

 物故者・・・和田弘・三原さと志・三島敏夫・日高利昭・佐々木敢一
 ご存命・・・田淵純・松平直樹・白片興・白片修・向坂卓人・山田敏夫

 ダークダックス

男性の重唱団(ボーカルグループ)で、全員が慶應義塾大学出身というエリートグループ。メンバー数は活動の中心時期には長らく4人だった。ただし、1951年の結成当初は3人。メンバーの逝去にともない、現在は1人。タキシードをビシッとキメてダンディのイメージがあった。

Darkdacks

 物故者・・・高見澤宏・佐々木行・喜早哲
 ご存命・・・遠山一(87歳)

 ボニージャックス

 男性4人の重唱団である。1958年に結成された。早稲田大学グリークラブに所属していたメンバーによって結成、アマチュアとして歌っていた。その後、レパートリーの幅広さでは他の追随を許さず、世界各国の民謡、歌曲、ジャズ、童謡から軍歌、CM曲、テレビ主題歌、ラジオ主題歌、社歌、寮歌など、通算5000曲以上にのぼるという。

Bonie

 物故者・・・元メンバー・大町正人
 ご存命・・・西脇久夫(81歳)・吉田秀行(52歳)・鹿島武臣(83歳)・玉田元康(83歳)

 デューク・エイセス

 1955年に結成された男性4人からなる日本の重唱団。黒人霊歌や「にほんのうた」シリーズなどをレパートリーとしているほか、ジャズコーラスグループとしても活動。

Duke

 物故者・・・元メンバー・和田昭治、谷口安正、飯野知彦
 ご存命・・・大須賀ひでき(61歳)・岩田元(47歳)・谷道夫(82歳)・槙野義孝(81歳)

 <お笑い系>

 クレイジーキャッツ

 元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが大受けし、“You're crazy!”と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。数多くのバラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。しかしながら、下記の通り各人は音楽の経験やテクニックという点で卓越した点を持っており、単なるコントグループ、コミックバンドとは全く違う、「音楽の質の高さ」を兼ね備えた異色のバンドともいえる。

Crazycats

 物故者・・・ハナ肇・植木等・谷啓・安田伸・石橋エータロー・桜井センリ
 ご存命・・・犬塚弘

 チャンバラトリオ

 時代劇風のチャンバラを主題とした、剣劇に加えハリセンを使っての体を張ったネタを披露した。 結成時は3人組だったため名前をトリオとしたが、4人組だった時代が長い。最末期の生存メンバーが2人となって以降も一貫して名前は変更されなかった。

 物故者・・・山根伸介・南方英二・前田竹千代
 ご存命・・・志茂山高也・伊吹太郎・結城哲也・山根一輝

 レッツゴー三匹

 ルーキー新一率いる「ルーキー爆笑劇団」の座員だった正児、じゅん、一修(のち脱退)が、同劇団の活動停止に伴い旗揚げした。

Lets_go_three

 物故者・・・レッツゴー一修・レッツゴーじゅん
 ご存命・・・レッツゴー正児(77歳)・長作(74歳)

 <アイドル系グループ>

 フォーリーブス

 1967年4月1日結成、1968年9月5日レコードデビュー、1978年8月31日解散したジャニーズ事務所のアイドルグループ。1968年9月5日、CBSソニーの国内契約第1号アーティストとして、シングル「オリビアの調べ」にてレコードデビュー。
 1970年にはブロマイドの売上げが男性歌手部門の1位になり、衰退期にあったグループ・サウンズのザ・タイガースなどに代わり、新御三家が台頭するまでの間、トップアイドルとなった。「ブルドッグ」など奇抜な衣裳と振り付けで人気があった。

Fourleaves

 物故者・・・北公次・青山孝史
 ご存命・・・おりも政夫(64歳)・江木俊夫(65歳)
 脱退メンバー・永田英二 

 ザ・ピーナッツ

 日本の双子の元女性歌手(デュオ)、女優である。愛知県知多郡常滑町生まれ、同県名古屋市育ち。略称「ピーナッツ」。 発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。私は「シャボン玉ホリデー」や「モスラ」のイメージが強い。しかし、今でもカラオケで歌われるデュエット曲で一世を風靡した。「コーヒールンバ」。「ふりむかないで」「恋のバカンス」など大ヒット曲を連発した。

The_pinuts

 物故者・・・伊藤エミ・ユミ
 
 キャンディーズ

 1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ。「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑がえし」など大ヒット曲を連発した人気アイドルだった。しかし「ふつうの女の子に戻りたい」という名言を残し、解散した。後楽園球場で行われたラストコンサートは伝説となった。

Candies

 物故者・・・田中好子
 ご存命・・・伊藤蘭(62歳)・藤村美樹(61歳)

 ザ・チェッカーズ

 1980年代から1990年代前半にかけて活動した男性7人によって構成された日本のポップスバンド。福岡県久留米市にて結成。「ギザギザハートの子守唄」でデビュー後。「涙のリクエスト」、「星屑のステージ」、「あの娘とスキャンダル」、「OH !POPSTAR」など大ヒットを連発した。仲違いによって解散したのは残念だ。

Checkers

 物故者・・・徳永善也
 ご存命・・・藤井郁弥・武内亨・高杢禎彦・大土井裕二・鶴久政治・藤井尚之
 

 <シンガー系グループ>

 シュガー

 3人組女声コーラス・グループ。元々はバンドとして結成されたため、デビュー当初は3人とも楽器を演奏しながら歌っていたが、活動後期には得意分野であるコーラスに特化して楽器を持たずに歌うこともあった。代表曲『ウエディング・ ベル」

Sugar

 物故者・・・毛利公子(29歳)
 ご存命・・・笠松美樹(57歳)・長沢久美子(57歳)

 X-Japan

 ヴィジュアル系ロックバンド。1989年にX(エックス)としてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストステージで活動を一旦終了。2007年10月22日に再結成。通称、X。
 1982年、千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKIとToshlを中心に結成。LAメタルに影響を受けた派手なルックスで、後続のバンドにビジュアル、音楽の両面で大きな影響を与えた。

Xjapan

 物故者・・・HIDE・TAIJI・TERRY
 ご存命・・・Toshi・PATA・HEATH・SUGIZO・

 L⇔R

1991年にミニアルバム「L」でデビュー。以後 13枚のシングル、7枚のアルバムを発表するが、1997年に活動休止だが現在は事実上解散状態。その後メンバーは個々にソロで活動。

 物故者・・・黒澤健一
 ご存命・・・黒澤秀樹・木下裕晴
 元メンバー・・・嶺川貴子

 class

 男性デュオグループ。デビュー曲の「夏の日の1993」は販売枚数170万枚を超えるミリオンヒットを記録した。1996年に解散したが、2003年に再結成。

 物故者・・・津久井克行
 ご存命・・・日浦孝則・岡崎公聡

 柳ジョージ&レイニーウッド

 柳ジョージを中心に結成された、日本のロック及びR&B バンド。1975年結成、1981年解散。名曲「雨に泣いてる」

 物故者・・・柳ジョージ(63歳で死去)
 ご存命・・・上綱克彦・石井清澄・ミッキーヤマモト・四ツ田ヨシヒロ・鈴木明男

 記事作成:10月6日(金)

金髪とヤンキーが多い都道府県

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 今日の記事は批判や誹謗ではなく、中立的な立場から事実を指摘したい。世の中には変なくくりがある。「日本三大××」などもその類だ。最近知ったことが、女性蔑視と受け取られかねないのが「日本三大ブス」というのがあって、仙台・水戸・名古屋なのだそうだ。私はその全ての都市を訪問したが、いずれも女性の美しさのレベルが高く、とてもブスなどとは言えない状況だった。私は美人との誉れ高い秋田県に4度行ったが、素肌や色白という点ではダントツだが、ファッションや化粧して美しく見せる技量は3県のほうが上に思えた。
 さて、今回お送りしたいテーマは、田舎に行くにしたがって、身なりや外見が柄が悪く、派手になるという点だ。大都会ではまずひと目を気にして出来ないド派手な服装や髪型も、地方のほうが多くいるし、車も改造し、酷くなる。人はどこかで目立ち、注目されたいという意識があるようで、地方に行くほどその歯止めが利かなくなる。そう論じる根拠を示したい。「ド派手ヤンキーが多い都道府県はどこか?」というアンケートの結果を見たら、私の予想通り、あの県が1位だった。

 1位 茨城県        11位 兵庫県
 2位 千葉県        12位 東京都 
 3位 福岡県        13位 愛知県
 4位 大阪府        14位 岡山県
 5位 沖縄県        15位 京都府
 6位 神奈川県       16位  青森県
 7位 広島県        16位 滋賀県 
 8位 栃木県        18位 静岡県
 9位 埼玉県        18位 奈良県 
10位 群馬県        20位 佐賀県 

 資料:Uタウンネット調べ「全国ヤンキーが多そうな県は?」

http://j-town.net/tokyo/research/results/188543.html?p=all

 イメージどおり茨城がダントツで901票。2位の千葉が368票なので、3倍近い票を集めた。それほどガラが悪く、垢抜けしない。派手で目立とう精神が多い県だというのが認識できる。東京から比較的近いのに、こうなるのは、バカにされないように目立ちたいという心理の表れのような気がする。
 不思議だが、ヤンキーや金髪が多いのは関東地方に集中している。東京を除き、ベスト10の中に6県すべてが入っている。世間の人はそういうイメージを持っていることにほかならない。
 また、関東以外では、もともと福岡と広島はヤ~さんが多い。何か意気がっている印象で、自分を大きく見せ、威圧するようなイメージがある。これは個人的見解かもしれないが、任侠映画に多く出演した「菅原文太」さんの影響が強い。また、沖縄、千葉、神奈川は「成人式」での悪態行為で有名だ。人口が多いから目立つということもあるが、まさに「やんちゃ」な県と言えそうだ。
 それに関東出身者に言わせると、関西人は「我が強く、怖い」という印象がある。ズケズケと人の心に土足で踏み込んでくるイメージがある。

 逆に東日本大震災で大打撃を受けた東北の太平洋側の3県はヤンキーは少ない。全国の方々に支援をしてもらい、善意のありがたさを十分身にしみて知り、そんな意気がっていられないのだ。苦労を分かち合い、絆の力で復興を目指している福島県は、あれ以降、ヤンキーはグッと減った。震災3年後に行われたこのアンケート調査では宮城は21位、福島は29位、岩手は40位。昔に比べ、ガラが悪いという印象はかなり薄らいだ。
 このアンケートは決してイメージ先行ではなく、地元茨城県民もその自覚があるようだ。茨城県民がヤンキーで金髪が多いと思う人は72%とダントツに多かった。

試しにヤクザが多い都道府県の統計を調べてみた。

 1位 大阪府
 2位 京都府
 3位 岡山県
 4位 三重県
 5位 福岡県・愛知県

 続いて暴走族が多い県

 1位 福岡県 (59グループ921人)
 2位 広島県
 3位 神奈川県(横浜ナンバーの暴走族が圧倒的に多い)
 4位 埼玉県
 5位 茨城県
 6位 千葉県

 東京は江戸川区や足立区が突出して多い。

 ちなみに茨城県出身の有名人(芸能人)を挙げると

 鈴木奈々、劇団ひとり(デビュー当時は茨城県民のヤンキーネタ)、池内博之、白石美帆
 アントニオ猪木(でしゃばって北朝鮮へ単独訪問)、梅宮辰夫、田村英里子、永作博美
 栗山千明、倍賞美津子、本田博太郎、三浦春馬、羽田美智子、中島ゆたか、柳生博
 渡辺篤史、渡辺徹、渡辺裕之、磯山さやか、来栖あつこ、高橋朱里、マギー司郎
 松居直美、江戸むらさき、綾部祐二、渡辺直美、ノブ、武双山、雅山、稀勢の里、高安
 水戸泉、瀧本誠、塚田真希、小林孝至、豊田泰光、仁志敏久、広澤克実、美馬学
 曽ヶ端準、大津祐樹、京川舞、片山晋呉、柴田国明、藤田菜七子、梶山静六

 歴史上の人物

 中臣鎌足、平将門、徳川光圀、徳川斉昭、徳川慶喜、間宮林蔵

 さて、これを読んで、さぞかし茨城県民はご立腹かと思うが、これは私の私見ではなく、全国の方々がイメージしているアンケート結果から明らかになった事実だ。全国の人は茨城をこいうイメージで見ているということだ。「やっぱり」と共感できる部分も多いと思うが、茨城は関東の一角として埋もれてしまっている。この現状を打破できるかどうかは県民の意識改革にかかっているのはいうまでもない。

 記事作成:10月7日(土)

  追記

 この記事を書いた後の10月12日(木)に、「2017全国都道府県魅力度ランキング」が発表された。この記事に相通じるものがあって、茨城県が5年連続最下位となった。東京からも近いにもかかわらず、それがかえっていつでも行けるというドキドキ感やワクワク感を掻き立てないということか。日本三大名瀑の「袋田の滝」や水戸の偕楽園など、観光地はあるのになぜなのか?我が福島県も原発事故の風評被害もあり、2011年以降、ジリジリと順位を下げているが、それでも34位。せっかく今年、NHKの朝ドラ「ひよっこ」の舞台となったのに、あまり誘客に繋がっていない。それは観光協会などが、大々的な誘客キャンペーンなどのPR作戦をしていないのではないだろうか。
 そして何より、今回のテーマのように、茨城は田舎臭くて、三大ブス、垢抜けしないヤンキーが多い、納豆などのマイナスイメージが多いからではないだろうか。
 茨城県民がこうしたデータを紳士に受けとめて、危機感を持つことこそが重要なのではないだろうか?

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