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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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奥の細道を辿る旅路~福島市周辺~

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 9月に入っても怒涛のチョイ旅ラッシュは続く。今回は9月4日(水)に休暇をとって単独強行しようと練っていたが、3日に台湾旅行に同伴した職場の同僚から誘いを受け、土曜日に変更した。予定としては、メインに県立美術館で開催中の伊藤若冲展を据え、加えて松尾芭蕉の足どりを追い、更には飯坂温泉周辺で、彼や歴史上の人物にゆかりのある寺院を巡ろうという腹積もり。しかるにその予定行程とは・・・。

 ①県立美術館(伊藤若冲展)ー②中華料理「万里」ー③文知摺観音・石ー④医王寺ー

 ⑤飯坂温泉街(駅・松尾芭蕉像・鯖湖湯)ー⑥大鳥城ー⑦松原寺ー⑧中野不動尊

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 では当日の模様をお送りしたい。9月7日(土)

 8:23 自宅発 天候はくもり。分厚い雲で照度不足。肌寒いのに半袖短パン。
      白のオデッセイとろい。
 8:28 同僚宅発 4号バイパスに乗る。交通量多いが流れはまぁまぁ。21℃表示。
 8:38 本宮IC通過。車内では松尾芭蕉談義。信号停車時「相馬物流」のダンプ運転
     手、ゴミクズを平気で投げ捨てる。こういう輩に運転させるな!
     本宮の手前左側の田んぼに石碑。「ひととり橋の戦い」の古戦場。これも初耳。
 8:50 二本松分岐。バイパスは80km/hペースで流れている。
 9:08 伏拝交差点。順調。同僚、走行中のメモ書きに慄く。弁天山鬱蒼として気色悪
     い。

 9:16 大仏橋渡って左折。県庁前。9:20福島駅前。ここまで44.5km。芭蕉と曾良の
     像見えるが超ミニサイズ。左折して曽根田方面へ。青信号になって交差点を渡っ
     たら、後続がついてこない。変速信号?Y字交差点を美術館方面へ右折。見覚え
     のある並木道の通り。右カーブした正面に図書館と隣接の美術館が見える。すで
     に人が大勢並んでいる。最後尾のプラカードを係員が示して整理。左折して駐車
     場へ。何とか一番奥に縦列駐車。他県ナンバーばかり。

 9:26 県立美術館着。「伊藤若冲展」を観賞。この展覧会は、東日本大震災復興のた
     め、被災三県(岩手・宮城・福島)で開催。プライスコレクションと銘打って、プライ
     ム氏所蔵の絵画類を貸出して実現したもの。9月23日までだが、土日は連日、
     満車になるほど超満員。既に200人以上が列。周囲は秋の装いなのに、自分は
     半袖短パン。場違いの格好。曇り空で肌寒いくらい。円を描くように列に並び、25
     分待ってようやく9:58に受付へ。800円で入場券を購入。同僚とはそこで一旦
     別れ、自由見学。台湾の故宮博物館ほどではないが、土曜日なので人の波でご
     った返し。まずは来場記念スタンプを押して中へ。パンフ取り忘れ、戻る一幕有
     り。ショーケースの中の作品を列に並んで覗き込むが、ゆっくり観賞していられな
     い。来場者、20代~80代の女性が多い。若くて美人も多数来場。若冲にたどり
     着くまでに疲れる。水墨画や油絵、水彩画まで多数展示。円山応挙や応震の名
     画も多数展示。でも作品よりも人を見に来た感じで、気づかれ。私が目を引いた
     のは、応挙の作品も秀逸しているが。花鳥風月が際立った作品が目白押しだが、
     鶴や虎、猿、像などの動物を描いたもの。我々が今日訪れる、義経物語で、身代
     わりとなって討ち死にした佐藤忠信と継信の絵巻も物語風に描かれてあった。ま
     た、文庫本サイズで描かれた、源氏物語も細かい絵づらに人気が集中。私自身
     も鮮やかで細かい描写の技法に魅了された。達磨、柳の下の幽霊も迫力があっ
     た。濃淡、陰影に優れ、立体感がある絵が多かった。36歌仙なのに35人しか描
     かれていない構図や屏風絵も数多く展示されていた。1年を通し、各月の代表花
     と季節の風物詩のコラボ作品も目を引いた。他にも動物園をテーマにしたコーナ
     ーや美人が専門もコーナー(なぜかタイトルが「恋文」ではなく「ラブレターを読む
     美人」)もあった。狐の嫁入りの作品も、その細やかさに圧倒された。これで800
     円は安い。なかなかショーケースの前に立つのが難しいほどの混雑ぶりだった。
     11:15に外の売店前で待ち合わせだったが、100作品あるうち、80番代以降
     の若冲の作品が展示されているコーナーへ辿りついたのが10:58.のこり15分
     程度でメインを観賞しなければならない。あまりここで時間を取ると、本日盛りだく
     さんの行程を消化できなくなる。「ブドウの木」の水墨画は圧巻。そこで人だかりが
     できた。「足をなめるトラ」も立体感がすごい。オーラスは、小さいタイルを貼り合
     わせたような巨大な横長の「鳥獣花木図屏風」。説明図も長い。11:12に待ち合
     わせ場所へ。すると同僚が鑑賞中、ふと、隣りに福島市在住で、職場で私の座席
     の隣りの女性同僚と鉢合わせになったという。偶然にしては出来すぎ。次の予定
     があるので、そこで見学終了。外へ。朝方より、更に人の列が長く続いていた。
     広場から車に戻る際、旅館やまとが確認できた。ここは曰くつき。私も泊まったこ
     とがあるが、昨年、除染で連泊している工事関係者が酔っ払って女風呂を覗いた
     りする事件が頻発したり、苦情が多い旅館。昔の民宿そのもので、隣りの声はバ
     ンバン聞こえるし、畳は古くてダニやゴキブリまで出そうな部屋だ。注意されたし。

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http://www.art-museum.fks.ed.jp/exhibition/jakuchu.html

11:19 県立美術館発。帰り道、この駐車場に入ろうとする長い車列が300mほど続い
     ていて大渋滞。朝のうちでラッキーだった。駐車場所も確保できたし、並ぶのも30
     分かからなかった。ここから交差点までも長い列で、信号3~4回待ち。次は西口
     のビューホテル地下にある「万里」という中華料理店で昼食。立体でJRと新幹線
     の間を渡らずとも、その手前を右折し、2つの踏切を渡って、駅西口へ。そしてビ
     ューホテル前を右折。200mほど離れた場所にあるゲート式の専用駐車場へ。

11:35 福島ビューホテル駐車場。ほぼ予定通り。ここまで48.1km。歩いて戻る。
11:41 中華料理「万里」着。テーブルは10席程度。幸い、予約なしの飛び込みで4人が
           けソファー付きのテーブルを確保。昼食飲茶ランチのみ。大人1,500円でメイン
           ディッシュやデザートを1品ずつ選び、それ以外の8つの料理は1時間の制限時
     間で食べ放題というシステム。ワゴンで女性店員が運んでくる。主菜は牛肉とピー
     マンの炒め、デザートからは胡麻団子をチョイス。烏龍茶は4~5杯おかわり。食
     べ放題の飲茶はシュウマイ、小龍包、海老蒸し餃子、翡翠餃子、春巻き、水餃
     子、焼き饅頭を食べた。どれもパリパリで、プロの技が凝縮。また、鮭入り炒飯が
     旨くて、2杯おかわり。スープも美味。サラダと漬物も付いて十分満腹。デザート
     は、胡麻団子が2つ入りで、メタボには最悪の状況。中華料理は苦手だったが、
     舌ベロ麻痺の辛い料理はセレクトしなかったので、何とかやりそこねた。12:45 
     までだったが、盛りだくさんの行程を控え、12:40に切り上げて会計。いつ来れる
     かわからないが、スタンプカードを作ってもらった。3時間無料の駐車券も貰う。I
     崎さんというべっぴん店員さんが処理。鼻が高く、シンクロ選手似。

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http://www.fukushima-viewhotel.jp/restaurant/banri/

12:50 駐車場発。架線の立体交差を渡り、直進なのに間違えて右折レーンに入ってし
     まい、遠回りして元の路線に。信夫山方面へ向かい、右折。
13:00 サタふくが終わったばかりのFTVの社屋の前を通過。4号線にぶつかり、左折し
     て合流。緑色が派手な福島赤十字病院の前を素通り。
13:07 岩谷下交差点を右折。片側2車線の広い道路へ。阿武隈川にかかる橋を渡る。
     標識とナビを頼りに歩道橋のあるY字路を左折し、文知摺観音方面へ。県道317
     だ。しばらく進むと正面に文知摺観音の文字が。行き過ぎて、戻るように駐車場
     へ。
13:13 松尾芭蕉も訪れた文知摺観音着。55.6km地点。ノート記入。小さな川の向か
     い側に鐘楼。小川の橋を渡ると、右手にいきなり松尾芭蕉の立派な銅像が。しか
     し、拝観料を支払う社務所に看板が・・・。なんと「8/17~9/30まで除染作業中
     につき拝観できません」の文字が・・・。本来なら400円かかる。作業員はジェット
     噴水の音もけたたましく、作業に従事しているが、目と鼻の先にある「文知摺石」
     見たさに、内緒で30mほど往復。目の前に石碑と一段高い位置に元禄時代に建
     立された芭蕉の句が刻まれた句碑が。今にも崩れ落ちどうな気配。その奥に、今
     回の目玉である「文知摺石」が鎮座していた。それを見て驚く。予想外に巨大。こ
     れを300年以上前、当地を訪れた松尾芭蕉と曾良が同じ光景を見ているという
     現実。そして歴史ロマン。感慨深い。奥の細道の記述通り、その医師の周りには
     柵が張り巡らされてあった。順路はあったが、隠密行動なので、すべてを網羅で
     きず、その場所の上にあった人肌石のみ見物。同僚は、虎女(とらめ)の墓を見
     たがっていたが、除染作業中では仕方ない。私は初めてだが、彼は3回目の訪問
     らしい。落胆は少ない。そそくさと退散。ここで思いがけず時間短縮となった。

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13:25 文知摺観音発。僅か12分の滞在。来た道を戻り、阿武隈川の手前から右折。
     東部体育館の前を通る。先行車はダンプで、砂を積み、ドクロのようなマーク。や
     がてY字路で合流。右斜め方面へ。県道4という記載。道端に放射線量の表示。
     0.28だった。郡山より低い。
13:32 ローソンのT字路を左折。月の輪方面へ。ももの果樹園が多い。阿武隈川を渡
     る。松尾芭蕉はここを渡し舟で渡っている。県道387号。黒のノアがちょこまか車
     線変更してウザイ。R4を渡り、アンダーパス。瀬上。阿武隈急行の福島学院駅の
     ガード下を潜る。JAへ続くお馴染みの道。このあたり
     も右手にはりんごの果樹畑。
13:40 右折して国道13号へ。本来はもっと手前を右折して、ショートカットしたかったあ
     が、迷い込みそうなので安全パイを選択。飯坂インターを過ぎて飯坂線の線路を
     渡ってすぐ右折。線路沿いの道へ。姉と姪っ子が暮らしている家の近く。
13:45 途中、飯坂線の医王寺前駅の崎で、標識に従い左折。住宅街の狭い道を進
     む。通りを2つ横切る。駅からは結構遠い、住宅街で右折。200m先の行き止ま
     りが「医王寺」だ。第2と第1駐車場があった。砂利の大きな第1駐車場へ。

13:48 医王寺着。68.5km。竹林が横一列で聳える。昔、私が小学生の頃、姉が文通
     していた飯坂の女の子に会いに来た際、私も同行したが、もしかしてここかと思っ
     たが、違う印象。入口の右手に下り坂があり、芭蕉が歩いたとされるその名も「芭
     蕉坂」。竹林で薄暗い小路が下っていた。社務所で人の良さげなおばあちゃんが
     門番。入場料300円は同僚が運転代として払ってくれた。念のため撮影禁止箇
     所を尋ねる。宝物殿のみダメ。門をくぐると圧倒される景色。300m先までまっす
     ぐ伸びた杉並木の参道。時代劇に出てきそうな瓦が乗った白い石壁。
      まずは銅像を観て、その後、松尾芭蕉の句碑。「笈も太刀も五月にかざれ上幟」
     と石碑に刻まれるが風化して読み取れない。隣りの黒の御影石に同じ文言。続い
     て本殿へ。何故か菩提寺である如宝寺に似た造りだと思ったら、なんと医王寺は
     開祖が同じ弘法大師空海の真言宗豊山派の宗派と判明。内部に潜入。参拝。掛
     けてあった心経が全く同じ。その後、境内に入って来た20代後半くらいの男と同
     一行動。福島の緑百選に選ばれた美しい杉並木の参道をゆく。途中、石碑が多 
     数。墓地の手前の右手の駐車場のような砂利の空き地の一角に、横並びで佐藤
     忠信像、中央に源義経像、右に佐藤継信像が鎮座していた。妙な場所に建てた
     ものだ。どうやらライオンズクラブが出資して寄贈したようで、平成17年に建立。
     奥の場所に薬師堂。それを囲むように医王寺の歴代住職の墓が立ち並んでい
     た。その奥に、佐藤忠信・継信兄弟の墓、その一族の墓、そして父母(佐藤元治)
     公の墓もあった。一帯は背丈のある木立に囲まれ、曇り空と相まって薄暗く、夕
     方や夜に訪れたら不気味極まりない雰囲気。しかもあの夏の暑さが嘘のようにめ
     っきり肌寒くなった。神妙に参拝を済ませた。周辺はやぶ蚊が多く、腕に止まった
     蚊を一撃で退治。しかし、何箇所か刺された。蜂も飛び回っている。実がつかない
     という乙和の椿が聳えていた。戻る際に、墓地内の一際大きな半球体状のこんも
     りした塚へ。心経を納めるお堂のようだ。そして宝物殿へ。いきなり大きな芭蕉の
     上半身像が鎮座。46歳で彼は飯坂を訪れたようだ。その割には老け顔。人生
     50年と言われた時代なので、どうみてもおじいちゃん。私より若いのにおじいちゃ
     ん風。人生50年の時代だ。宝物殿内、やぶ蚊を持ち込んでしまい、また蜂が飛
     び回ってブンブンうるさくて気が気でない。内部は多数の戦で使われた武器や道
     具が陳列。忠信公、継信公ゆかりの品や、いかにも重そうな甲冑や錆び付いた
     手刀などどれも貴重。絵画も展示。社務所でおばあちゃんに礼を言って去った。

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14:35 医王寺発。47分も滞在したようだ。元の計画では15:15発なので40分早い。
     小雨がパラつく。フロントガラスを打つ。来た道を戻る。途中で大きな通りを左折。
     T字路を右折。イチイの交差点。穴原温泉の帰りに何回か通った。左でゲートボー
     ル大会。クランク状の道。やがて飯坂線の線路沿いの県道3へ左折。飯坂温泉
     郷へ向かう。この路線は民家沿いで柵もないので、小学生や幼児が多数電車に
     ひかれて命を落としている。やがて温泉街へ。しかし、駅がコンビニだったので、
     見落として通り過ぎる。川沿いに温泉街が連なる橋を渡って、直進し坂を上り、交
     番で左折。迂回して元の道へ戻る。橋を渡り、コンビニの駐車場へ。小雨は降り
     止まず。 
14:45 飯坂温泉駅着。71.4km。駅前は広くないのが意外だった。芭蕉の像がある場
     所はちょっとした広場。小雨の中見物。若い女性2人組と遭遇。句碑も交えて芭
     蕉像の写メ。ここを訪ねた芭蕉は、ひどい体験をしたようだ。筵のような粗雑な寝
     床に、やぶ蚊に刺されまくり、大変な目に遭ったと記されている。コンビニの裏手
     に階段があり、その下の階が駅の改札口。降りて写メ。切符売り場と改札、その
     先に終点駅であるプラットホームがあったあった。スタンプをノートに押印。上に上
     がるとちゃっかり同僚はりんごを5個で180円という激安特価で購入していた。雨
     が強まる気配。付近の案内板で鯖湖湯の位置を確認。

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14:52 飯坂温泉駅発。左折して狭い商店街の坂道を上る。
14:54 鯖湖湯。狭いのに路駐。対向タクシーとすれ違えず通過待ち。一度入ったことが
      あったが、こんな場所だったか?車窓のみ。写メ。その後、ひときわ大きいホテ
     ル聚楽の前で停車して写メ。よく潰れず持っているものだ。次に向かうのは同僚
     のたっての希望の大鳥城址へ向かう。場所が分からず、ナビの示す方角へ向
     け、狭い温泉街の道をさまよう。堀切邸の入口を素通り。右左折を繰り返す。飯
     坂線と並行する県道3号へ入り、花水板から右折。舘ノ山公園方面へ。更に右
     折し、穴原へ行くトンネルを潜り、すぐに左折。戻るように坂を上る。左に飯坂球
     場が。山の麓に沿って右にカーブし、貯水場のような施設の左に駐車場があっ
     て、一旦入ったが、登山できず、車で山頂手前まで行けることを確認し、狭い山道
     を上る。黄色い電力会社風の軽ワゴンが先行する。途中で見失う。ベンチのある
     見晴らしの良い丘があって、その先に包丁塚の石碑。そして左手にトイレと遊歩
     道の階段有り。分からず、同僚の指示に従い進むと、一周して同じ場所へ。

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15:06 大鳥城着。76.2km。小雨の降りしきる中、階段を上って本丸跡へ。そこにモニ
     タリングポスト有り。何と0.76とホットスポット並みの高い値。本丸後はだだっ広
     い野原。一番奥に巨大な大鳥城址を示す石碑。説明板もあり。二本の柱がある
     だけの神社があり、左隣には祠。放射線量が高い場所なので長居無用。先に降
     りて包丁塚と展望台から眼下の温泉街を見下ろしながら写メ。雨で視界悪い。トイ
     レの横の登山道の土手には「土塁跡」と「空濠跡」の標札が建っていた。見失った
     黄色の軽ワゴンがエンジンをつけたまま駐車していた。松原寺はキャンセル。

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15:15 大鳥城発。曲がりくねった狭い峠道を下り、飯坂球場沿いの道へ。ここで停車
     し、中野不動尊方面にナビで目的地設定。しかし、左折する場所を通り過ぎ、Uタ
     ーン。右折して舘ノ山公園の西側のヘリを進む。中野不動尊はもっと近い場所に
     あると思ったら、結構遠い。左側にあると思ったら、標識は右折3.4kmとあった。
     そしてそのT字路の合流地点は栗子方面へ向かう国道13号だった。交通量多
     い。登坂車線あり。左折してマイナス方向へ細い道を下る。しかし対向車有り。競
     輪選手のような格好のロードランナーが40km/hで下って、なかなか抜けない。す
     ると前方に橋の上に築かれた駐車場が。しかし、道なりに直進した先の駐車場
     へ。右急カーブの左側だ。峠の途中にあった。これも意外。もっと平坦な場所にあ
     ると思っていたが、山の中腹で、坂の途中にあり、しかも正月に初詣客でごった返
     す場所なのに、駐車箇所が少ない。一番奥に駐車。競輪選手が追いついた。

15:29 中野不動尊着。83.4km。ここは私の希望で、朱塗りの境内と不動滝のCMが
     頭にこびりついて離れず、一度は訪れたいと思っていた場所だった。20m先に入
     口があるが、ここは参拝無料。参道に露店が並び、ビニール傘持って行ってとお
     ばさん店員が仕切りに勧める。でも小雨程度なので、帰って手荷物増えて動きづ
     らいので丁重に断る。念のため写真撮影不可の場所を尋ねるが、ここは大丈夫
     との返答。さっそく順路に沿って石段を上がる。もう目の前に朱塗りの境内と滝の
     音が聞こえる。大日堂と書かれた矢印。小さな神社でお参り。その先の携帯へ。
     風光明媚。台湾のお寺を彷彿させる赤・赤・赤のオンパレード。2階部分から見
     物。その裏手に不動滝が。しかし、あまりの小ささに唖然。もっと大きいと思ってい
     た。高さはそれなりにある。階段を降りて1階部分へ。すると洞窟の入口になって
     いる。洞窟めぐりができる。ロウソクを2本100円で購入。それを灯代わりにし
     て、防空壕のような洞窟内を探険。内部は等間隔で、20体の童子像が点在。Y字
     路の左が12体。数の多い右側へ。一体ずつこうべを垂れて礼。中はひんやり。し
     かし、途中でろうそくの火が消えて、先輩同僚が供えた童子像に戻って、再点火。
     滝の裏を回り込むように進み、寂光門から出た。その出口にロウソクの火が付い
     たまま供えた。そして滝行を行際に滝壺まで降りられる階段を下りてみた。見ず
     に触れたらかなり冷たい。その後、鎌倉時代に疫病を鎮めたあんど釜を見た。茶
     屋があったが、ここでUターン。洞窟めぐりの左側の童子を回った出口らしき穴が
     2つ開いていた。同僚もここを訪れて良かったと話した。初めてデジカメを取り出し
     て撮影していた。最後に、岩窟の清水で口をすすぎ、ミネラル豊富な飲料水とわ
     かって2口飲み干した。小雨に濡れはしたが傘は不要だった。露店のおばさんか
     らは声を掛けられなかった。以上で、福島界隈の見学は終了。同僚は疲れて17
     時までに帰宅できることを切望。ナビを福島西ICに設定。

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15:53 中野不動尊発。急カーブを下る。清水の舞台のような鉄骨を組んだ高い駐車場
     を回り込む。1億円は下らないだろう。広大な面積の十六湖公園を通る。ドーム型
     屋根の施設にはどでかいゴムまり状のトランポリン遊具。アスレチックも。その先
     に左カーブの右手には大笹生養護学校。フルーツライン経由でも西ICに行ける
     が、ナビが示す通り、直進。果樹園がそこかしこに点在。
16:03 Y字路。飯坂線沿いへ。交通事故に遭った同僚が入院していた福島第一病院の
     前を通過。姉の自宅がある泉駅を通過。ちょうど電車が駅に停車。

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16:07 西道路の立体交差を潜り、すぐ右折して合流。国体記念体育館、右手には天気
     予報で情報カメラでお馴染みのTUFの社屋を通過。こじんまりしてひっそりしてい
     る印象。小野美希アナも中にいるだろうか?西道路の途中から福島西IC方面へ
     入るのに、一旦バイパスを降りて、交差点を右折しなければならないのに、追い
     越しレーンを走行してしまい、オーバーパスを降りたところで、次の交差点の右折
     レーンからUターン。左折して国道115号線へ。

16:15(推定) 福島西IC。100~120km/hペース。小雨。路面はドライ。結構交通量多
     い。対向車線で白のアスリート覆面。パトライト回転し走行。取締場面。登坂車線
     の一番左側からめちゃ飛ばす車が2台、カーチェイスするかのように猛スピードで
     追い越して、走行車線を斜めに跨いで追い越し車線へ。公道でカーチェイス。こう
     いう無法者こそ取り締まれ!すると前を行くAKBUSとピンクで目立つように書かれ
     たワゴン車が・・・もしかしてAKBが乗って移動する車。追い抜く時に、車を見た
     が、後部座席は一面スモークで目張り。外からは一切中は見えず。もしかしてメン
     バー乗車?

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16:38 本宮IC下車。ETC休日割引で500円。同僚が悪がって、GSに入れてガソリン代
     を折半しようと提案するが、私が却下。高速代も辞退。その後は、4号国道を法
     定速度遵守で走行。アサヒビール工場、JUSCO前を通過。
16:50 4号バイパスを下車。16:51、同僚の家に送る。この時点では雨が上がって曇
     り空。りんご2個を頂く。

 16:55自宅着。 走行距離 137.7km

 <費用> 

 伊藤若冲入場料 800円 昼食代 1,500円 ろうそく代 100円 高速代 500円

 合計 2,900円。

 (後記)

 単独であれば、早朝6時出発で時間を最大限有効活用し、「ふくしまスカイパーク」まで足を伸ばしたかったし、廃墟と化した高子沼グリーンランド跡を探険したかった。両者に思惑があって思うようにいかないのが同伴旅行だ。しかし、天気には恵まれなかったが、主だった観光予定地を概ね網羅できたのは幸いだった。芭蕉の足跡を訪ねる旅だったが、県内の道中で、まだ訪れていない箇所もある。できるだけ今年中に回れれば幸いだ。差し当たって近場を攻めたい。守山の田村神社には足を伸ばす必要がある。白河から福島の先までの県内のルートを隈なく歩ければいいのだが、如何せん仕事を持つ身。今後も、出来る範囲で先人たちの偉業に間近で触れられる機会を持ちたいと思う。

 さて、8月・9月は怒涛の旅ラッシュとなったが、今後、年内に実施したい予定を列挙したい。

 ① 被災地訪問(大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸町・石巻周辺)

 ② 芸能人の墓参り(村下孝蔵・坂井泉水・美空ひばり・石原裕次郎)

 ③ 磐梯吾妻スカイライン(紅葉・吾妻小富士一周)

 ④ 磐梯山登山(八方口登山道)9月実施 往復5時間(7:00~12:00)コース

 ⑤ 御霊櫃峠~大将旗山~額取山トレッキング(7:00~10:30)コース
 
 

  


今週の山岸舞彩キャスター(9/1~9/5)

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 毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 9月1日(日) 「おしゃれイズム」に出演した際の山岸舞彩キャスターの様子です。

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 実家の玉子焼屋だけでなく、彼女の部屋や祖父、実父まで登場!ゴルフの豪快なスイングまで惜しげもなく披露した!お父さんは若い!

  9月2日(月)

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 9月3日(火)

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 9月4日(水)

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 9月5日(木)

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郡山の魅力再発見!②~悲恋物語~

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 郡山はその昔、奥羽街道の宿場町として栄えていた。故に、歴史に名を轟かせる有名な偉人たちの足跡が残る土地柄でもある。それには、真偽のほどは定かでないものの、神話に等しいような歴史上の人物の言い伝えや伝説めいた話が幾つある。念のため断っておくが、私は郷土研究家でもないし、まして歴史愛好家でもない。ただのもの好きが高じた好奇心オヤジである。

 初回の松尾芭蕉に続く第2回目の今日は、鎌倉時代に、愛する源義経を追って奥州路を旅し、悲劇のヒロインとしての末路をたどった、かの有名な「絶世の美女」と誉れ高い「静御前」に纏わる逸話である。信じる信じまいは受け手の勝手だが、ここ郡山に遺る、古くからの伝記を紐解いてみよう。

 まずは、静御前の生涯について振り返りたい。

Sizukagozen 生没年不詳。平安時代末期から鎌倉時代初期の女性、白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾。
 『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。

同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は

                                                               

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)。

と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。9月16日、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという。その後の消息は不明。

 静の死については諸々の伝承があるが、はっきりしたものはない。自殺説(姫川(北海道乙部町)への投身、由比ヶ浜への入水など)や旅先での客死説(逃亡した義経を追ったものの、うら若き身ひとつでの移動の無理がたたったというもの。静終焉の地については諸説ある)など列挙すればきりがないが、いずれにせよまだ若年のうちに逝去したとする説が多い。

  •  福島県郡山市には、平泉での義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂がある。
  •  この伝記を知り、 私がそこを興味半分に訪ねたのは、この夏のことだった。チョイ旅の道すがら、8月17日(土)に静御前堂を、そして8月24日には、彼女が命果てた場所としての伝承話が残る美女池を歴訪したのだった。

     静御前堂(H25.8/17訪問)

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     案内板によると「静御前堂は里人が静御前の短い命をあわれみ、その霊を祭ったのがこの堂であると言い伝えられています。静御前は、平家滅亡後、頼朝に追われて奥州の藤原秀衡のもとに下った義経を慕い北に向かい、この地までたどりつきましたが、すでに義経は平泉にたったと聞きとほうにくれてついに池に身を投じたという言い伝えがあります。かつぎを捨てた所が「かつぎ沼」(大槻町南原地内)、身を投じた池が「美女池」(大槻町太田地内)であると伝えられています。また、静御前は乳母と下僕の小六を共にして来ました。小六の碑もここに残っています。小六の碑があるのは、全国の静御前遺跡の中でも例が無く珍しいものです。 郡山市観光協会 」とあります。静御前堂は三間四面の宝形造り、鉄板葺きの建物で一間の向拝が設えられ天明年間(1781~89)に造営したとされます。床下には石造塔婆が安置されていて郡山指定重要文化財に指定されています。背後には古墳時代後期につくられた針生古墳があり郡山指定史跡となっています。

     美女池(H25.8/24訪問)

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     美女池は静御前伝説の残るところである。源義経の奥州下りの跡を慕い、従者小六、乳母のさいはらとともにこの地までやって来た静御前が、小六の死と平泉までのあまりに遠い道のりへの落胆から、乳母のさいはらと共にこの池に身を投じたとされている。それにちなんで毎年3月28日、郡山市では御霊を祀る「静御前堂」で例大祭を行なっている。

     また、美女池から東北自動車道を挟んだ西側」(大槻町南原地内)には「かつぎ沼」があり、ここで静御前がかつぎものを捨てたという言い伝えが残っている。

     <関連ブログ>

    http://homepage2.nifty.com/Tetsutaro/Top/Hyoshi-Shiseki/Shiseki01.html

     さて、これらの伝説はの真偽は不明だが、このような話が残るからには、根も葉もないようなでたらめではなく、何かしらの証拠に値するような痕跡があって、それを確証として後世に伝わっているからだろう。確かに義経や静御前に纏わる伝説は、日本全国に存在する。一説には平泉で討たれたとする義経の死亡説が有力だが、それは影武者で、義経自身は蝦夷地に逃げ延び、その後、大陸に渡ってモンゴルのチンギスハンになったという北記行説まである。当の静御前も、様々な憶測が多様な伝記を生み、そこかしこに伝説として伝わっているのも事実。自殺説(姫川(北海道乙部町)への投身、由比ヶ浜への入水など)や旅先での客死説(逃亡した義経を追ったものの、うら若き身ひとつでの移動の無理がたたったというもの。静終焉の地については諸説ある)など列挙すればきりがないが、いずれにせよまだ若年のうちに逝去したとする説が多い。墓もまた兵庫県淡路市、埼玉県久喜市、新潟県栃尾市などに存在する。

     様々な憶測を呼び、伝承されてきた静御前の末路はいかがなものだったのだろうか。追っ手から逃れる身であった義経が、命からがら当地を訪れ、駆け抜けるように縦断したのは揺るぎない事実だし、その愛する義経を追って、奥州路を旅したのもまたありえる話だ。いずれにしても、歴史の重要人物であるこのふたりが、郡山に足跡を遺した事実を正史として考えたいのは、郡山市民共通の願いであろう。これを研究したり、彼らの足跡に触れることで、壮大な歴史絵巻に思いを馳せ、古の偉人たちに畏敬の念を払う機会を得られるのである。郡山に義経と静御前あり。それは900年の時を越えて辿り着いた、現代の歴史浪曼を掻き立てる格好の材料になり得るものである。

     記事作成:9月1日(日)

    あまり見なくなった企業CM

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     本日は、当該企業には失礼かもしれないが、最近とんと見かけなくなった名物CMをお送りします。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進した企業だが、バブル崩壊以降、斜陽したり、流行り廃りの真っ只中で、次第に時代に置いてけぼりを喰ってしまった感がある。栄枯盛衰を感じるが、私が個人的に思い出深く、忘れがたいCMばかりだ。

     コスモ石油

     「ココロも満タンに~コ・ス・モ~石油!」

     コスモ石油は丸善石油と大協石油が合併して誕生した。日本の石油元売りといえば、バブルの頃は、日本石油、モービル石油、エッソ石油、出光興産、昭和シェルが大手だったが、そこに殴り込みをかけたのが新生コスモ石油だった。企業イメージ先行でCMがイメージアップを果たした役割は大きかった。今でも違うバージョンを放送しているそうだが、福島県内ではめっきり見かけなくなった。

     ブルーダイヤ

     「嬉しい~白です~ブル~ダ~イヤ~、金~銀~パ~ル、プレゼ~ント!」

     このCMはたぶん、10年以上流れたと思う。私が小学生の頃から大学生の頃までは頻繁に制作されて、放送された。それだけこの洗剤はヒット商品だったということ。洗濯済みのTシャツが何重にも干され、青空の下、風にたなびいている絵がとても印象に残っている。

     小学館

     「ピカピカの一年生」

     こちらもシリーズ化し、長きに渡って放送された。微笑ましく誰が見れも笑顔になれるおもしろいセリフが凝縮されていた。かつては本屋の陳列台を華々しく飾り、一世を風靡した「小学~年生」シリーズが、次々廃刊となり、CMも減り、今ではほとんど新作が作られなくなった。残念でならない。

     積水ハウス

     「住まいの参観日」

     バーバババが出てくるCM。積水ハウスと言えば「大きく~ふくらむ~夢~夢~夢~」が有名だ。しかし、この「参観日~参観日~住まいの参観日~」も覚えやすい節回しとメロディーで耳に残った名作。

     山本山

     こちらも70年代から80年代にかけて一時代を築いたCM。「江戸っ子だってね」という清水次郎長一家の森の石松をモチーフにしたキップのいい作風。「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」のフレーズは知らない日本人はいないだろう。回文。

     桃屋

    「ごはんですよ」

     このCMもロングランで、長く続いた。黄金期は70年代。大村崑をイメージした主人公が様々な場面で「佃煮海苔」である「ごはですよ!は桃屋ですよ」の言い回しでPRする。

     アデランス

     アデランスの登場は衝撃的だった。イメチェンどころか、世のお父さんに光を与え、生きがいややる気まで再生させてしまった画期的な商品で、革命をもたらした。その後、「アートネーチャー」と「リーブ21」が同業者として登場。需要もあって、一気に市場は拡大した。

     黄桜

     「カッパっぱ~ルンパッパ~」

     この歌は誰でもおなじみ。色っぽい女性カッパの誘惑。妻のひざ枕でほろ酔いでいい気分になったカッパがリズミカルな曲調に乗ってアニメーションを繰り広げた。「カッパッパ~ルンパッパ~カッパ黄桜ルンパッパ~」という日本人なら誰でも口走れる名曲だ。

     クレアラシル

    http://www.youtube.com/watch?v=21Yh2MAcqvM

     このCMも1980年代頃に隆盛を極めた。リレーメッセージ形式で、中高生の期待の星だった。ニキビをこれほど大々的に取り上げたCMは珍しかった。日本人、外国人を問わず、多くの若者が元気にCMに登場。ニキビに悩める青春たちを明るくサポートした。

     個人的に好きだった島田奈美の懐かしいCMはコチラ

     http://www.youtube.com/watch?v=fQlwNe4BFe0

     http://www.youtube.com/watch?v=GP_tQRPJmS0

     http://www.youtube.com/watch?v=8ecI18boI-0

     今回は9社の懐かしいCMとしてお送りしましたが、もし好評であれば続編も考えたいと思う。

     記事作成:8月20日(火)

    超感動動画・・・

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     YouTubeを検索していると、時々涙なくしては見られない超感動的な動画に出くわすことがある。今日は前置きは少なめに、そうした涙腺がヤバイ動画をご覧いただきたいと思います。

     1 東日本大震災で卒業式が延びた被災地の中学校での感動的な答辞

     この動画に寄せられたコメントを紹介します。

     忘れかけていた大切なものを思い出しました。震災直後はコンビニやスーパーマーケットでもよく節電をしていま­した。しかし今はどうでしょう。以前の行い、気持ちが薄れつつあると思います。この震災を忘れずにこれからも自分にできることをしていきたいと思いました。素晴らしい投稿です。

     日本政府に聞かせたい。幼い子供がこう言っているのに、なぜもっと動かない。景気回復ばかりに目を向けないで復興に力を入れるべきだろう。

     「命の大切さを知るには、あまりにも大き過ぎる代償でした。」っ­て所で無意識に涙が出て来ました。元気にたくましく生きて行って­欲しいとしか言えないです。

     2 少女の国歌斉唱、マイク故障から思わぬ感動シーンに・・・

     

     これが国歌、そして自分の国を愛している人たちの集まり。日本も­見習うべきところがありますね。

     国の忠誠を強制・強要するのは真の自由な国とは言えんわな。皆が自発的に歌い出すからこそ感動がある。

     3 シークレットサンタ

     自らの生活が苦しいにもかかわらず、貧しい人や困っている人に100ドル紙幣を渡すことを終生続けたシークレットサンタ。彼にこうした行動へと駆り立てた出来事とは何だったのか。

    http://www.youtube.com/watch?v=hrgMZOnwjTc

    http://www.youtube.com/watch?v=WgDYfrJ9Fw8

     日本でも2011年の正月に「伊達直人」ブームが起きた。見ず知らずの人が、これを小学生に配って欲しいとのメッセージを残し、或る福祉施設の前に数多くのランドセルを置いて立ち去った。それがニュースで取り上げられると、同じようなプレゼントが全国各地で相次いだ。物騒な事件や事故が相次いでいただけに、日本人も捨てたもんじゃないと思った。そして3ヶ月後に起こった東日本大震災。日本中で被災者に対する善意の輪が広がった。住む家を追われても、暴動や略奪が起きず、理性を忘れず、冷静な行動を取り続けた日本人の姿に、多くの外国人たちは大きな驚きと賞賛で迎えた。

     折しも本日は「9.11」。あれから12年の月日が流れ去った。そして日本では、東日本大震災から2年6ヶ月目を迎えた。徐々に震災の記憶が薄らいでいくこの頃。しかし、今も汚染水問題など原発問題が収束せず、厳しい局面にさらされいる我が町福島は、決してあの日の出来事を忘れる訳にはいかない。そしてオリンピック決定の知らせに沸く日本列島だが、福島県の原発問題だけは、絶対に忘れては行けない。今でも命の危機にさらされながらも、第一線で作業に当たられている作業員がいる。一日も早い帰宅を望み、一日も早く、生まれ故郷や自宅での平穏な生活を取り戻せることだけを夢見ている仮設住宅に暮らす方々、そして今も行方不明の家族を探し続けているご家族の方々。被災者の苦しみを決して忘れないでいて欲しいと思う。

     記事作成:8月23日(木)

    物見遊山で訪れてはいけない場所

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     今年の夏も、全国の川や湖、または海水浴中の思わぬ事故で大勢の方が亡くなった。まさか自分がその日、そこで死ぬなどと思わずに、死んで逝った人もいる。人の寿命とはなぜ儚いのか。全国にある事件事故現場。そこでは大勢の方がな命を落とした場所。それら大惨事になった場所を訪れる際は、決して心霊探険や軽はずみにも物見遊山で行ってはならない。亡くなった方に心からご冥福を祈るような畏敬の念を持って行くべきだ。では、日本中に大勢亡くなった悲劇的な場所はどこかを列挙したい。しかし、スペースの関係で、東日本を中心にお送りしたい。西日本については、申し訳ないが、場所のみを掲載したい。

     苫前(三毛別)

     1915年に北海道開拓民の家を3mを越す巨大なヒグマが次々襲い、7名の死者を出した惨劇があった地。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    http://www.youtube.com/watch?v=ijIcxPGDp2o

     豊浜トンネル

     1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000m3・重さ27,000tと推計)が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した。死因は圧死で、即死だった。一週間後に坑内から運び出されたバスは、高さ1mほどのぺしゃんこ状態で、ビニールシートに覆われていた。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%B5%9C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

     奥尻島

     1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者202人、行方不明者28人を出した(このため、奥尻島地震とも呼ばれる)。さらに、ロシアでも行方不明者3人。

    http://www.youtube.com/watch?v=RsHT4LtwVhk

    http://www.youtube.com/watch?v=YneZXe8gkig

     函館七重浜(洞爺丸事故現場)

     1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85

     北炭夕張炭鉱

     1981年(昭和56年)10月16日、北海道炭礦汽船(北炭、以下略称で表示)の関連会社が経営する夕張炭鉱の一つ、夕張新炭鉱(北海道夕張市)で発生したガス突出・坑内火災事故である。最終的に93人の死者を出す大惨事となり、日本の石炭産業の崩壊を早めた。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%82%AD%E5%A4%95%E5%BC%B5%E6%96%B0%E7%82%AD%E9%89%B1%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%AA%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

     南大夕張炭鉱

     1985年に三菱南大夕張炭鉱にてガス爆発事故発生、死者62人。この事故があったとき、私は事故現場から20km離れた岩見沢市に住んでいた。事故後、連日のように上空を報道取材のヘリが往来していたのを覚えている。事故の翌年、私は実際、事故現場の工場を訪れた。


     網走刑務所

     本来は刑務所は観光で訪れるべき場所ではない。しかし、ここは高倉健主演の映画「網走番外地」の上映後、北海道でも有数の観光地になった。また、白鳥由栄が脱獄した刑務所としても有名だが、「網走監獄」の異名があるくらい厳冬期には、道路開発など重労働で獄中死した囚人が多かった。また、北海道開拓に駆り出され、過酷の労働を強いられた末に、過労死や凍死する者も多かった。ここに送られてくる受刑者は、殺人などの凶悪犯がほとんどだった。

     恐山(青森県下北半島)

     下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、 高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。また、霊場内に数種類の温泉が 湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されている。標高878m。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せを聞く。

    http://www.youtube.com/watch?v=hqq6wTUl2yg

     慰霊の森(岩手県雫石町)、

     この場所は全日空の旅客機と自衛隊の戦闘機が空中衝突し、人間が空から降ってこの地に落ちてきた悲劇の場所。1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。

     岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。全日空機が墜落した現場は「慰霊の森」として整備され、三十三回忌に当たる2003年まで同所で毎年慰霊祭も開催されていた。現在でも地元住民や全日空社員によって大切に維持されている。

    http://www.youtube.com/watch?v=t32do07Hz7M

     次の動画は、不謹慎極まりない輩の投稿動画。最近、このような神聖な場所で、常識もない罰当たりな振る舞いを行う若者らが多すぎる。これを遺族が見たらなんと思うか。猛省を促したいし、やめてもらいたい。

    http://www.youtube.com/watch?v=770fLVab4eE

     東日本大震災被災地(岩手・宮城・福島沿岸部)

     2011年3月11日午後2時46分。私たち被災者は、決してこの時刻を忘れるわけには行かない。誰も体験したことがない、あの連続する巨大地震によって、大津波が発生し、岩手県から千葉県まで東日本沿岸部まで大津波が襲来し、多数の犠牲者を出すこととなった。死者・行方不明者は2万人近い。宮古、大槌、山田、田老、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸町、女川、石巻、東松島、若林区、新地、相馬、南相馬、鹿島区、浪江請戸地区、小高、いわき市四倉久之浜地区、薄磯地区、豊間地区、江名、小浜、山田町。多大な犠牲者を出した場所を訪れる際には心して訪れて欲しい。間違ってもピースサインで笑顔で写真に収まるような非人間的な振る舞いは避けて欲しい。

     飯盛山・旧西郷頼母邸

     会津戊辰戦争の最大の悲劇として語り継がれる場所。

     飯盛山は、江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。

    http://www.youtube.com/watch?v=iUQNIzsEXt0

     西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言しました。そのため容保公から怒りを買い、家老職を解任されました。戊辰戦争がおこると、家老職に復帰し、白河口総督として、戦いますが、「白河口の戦い」で敗れ、会津へ戻ります。その後、長男・吉十郎を連れて会津から脱出します。
    西軍が城下町に乱入したとき、家族ら21人は、屋敷の中で辞世の句を残して自決しました。
    http://www.youtube.com/watch?v=BhDk_2ZDKnU

    http://www.youtube.com/watch?v=VQmdq-zZ4gA

     弥彦山神社(新潟)

     1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で大晦日から元日にかけて行われる二年参りにおいて、前年から始められた紅白の「福もち」蒔きに約3万人が殺到。拝殿に向かう者と、参拝が終わり戻る者とが中央の15段ある石段付近でぶつかり合い、滞留した。1月1日午前0時10分頃、この重さにより玉垣が崩壊し、支えを無くした参拝客が後ろから押し出されるように次々と石段下へ落下、折り重なるように倒れ込んだ。
     当時の弥彦神社は照明設備が整っておらず周囲が暗かった事、多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかった事も事態に拍車をかけ、この状態が午前1時近くまで30~40分間続き、死者124人・重軽傷者77人を出した。

    http://www.youtube.com/watch?v=nJN-EvHVta4

     御巣鷹山(群馬)

     御巣鷹山は群馬県多野郡上野村にある標高1,639mの山である。ここで航空機史上最大の事故が起きた。1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、羽田発伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。

    http://www.youtube.com/watch?v=0W_7uS3HVpY

    http://www.youtube.com/watch?v=ciDERYL06lk

     ホテルニュージャパン跡地(東京)

     1982年(昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故。33人の死者を出した。火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。主に火元の9階と10階が中心に同日12時半過ぎまで9時間にわたって燃え続けた。炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。東京消防庁の調べでは、出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因であった。

     この火災でこのホテルの設備が欠陥だらけだと判明。スプリンクラーはただの飾り。増築を重ね、避難経路は極めて複雑。社長の横井英樹は悪玉に挙げられ、一方、命懸けで救助活動に当たった東京消防庁レスキュー隊の隊員は英雄視れた。

    http://www.youtube.com/watch?v=BszKkM2nmAU

     この翌日には羽田沖で日航機が着陸に失敗して墜落。多数の死傷者を出した航空機事故が発生したため、前日の火災が薄くなってしまった。流行語を生んだ逆噴射という言葉が有名になったが、乗客を見捨てて真っ先に救命ボートに乗って吸湿されたK機長。連日世間の非難を浴び、マスコミに叩かれた。

    http://www.youtube.com/watch?v=wes8j5gufuo

     新宿西口バス放火事件(東京)

    1980年8月19日(火)21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番乗り場で、発車待ちのため停車中だった京王帝都電鉄の運行する中野車庫行きバスの車内に、男が後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両後方へ投げ込んだ。火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。
     刑事裁判で、検察側は犯人に死刑を求刑したが、一審の東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護・検察双方が控訴したが、二審の東京高等裁判所も一審判決を支持。犯人は罪の重さを認識してか「死刑になってみんなにお詫びしなければ」と語っており、死刑になると考えていたが、無期懲役=無罪と勘違いしたのか、「罪にならないんですね」と言った後で傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座した。犯人は1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

    http://www.youtube.com/watch?v=3dvFQEFHG3A

     地下鉄日比谷線・千代田線・丸ノ内線(東京)

     1995年(平成7年)3月20日に東京都の 地下鉄で宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発 テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件である。霞ヶ関駅、国会議事堂前駅、小伝馬町駅。

    http://www.youtube.com/watch?v=UvM_s1FotsU

     秋葉原通り魔無差別殺傷事件現場

     2008年(平成20年)6月8日に東京都 千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷した。 マスメディアや本件に言及した書籍においては「秋葉原無差別殺傷事件」として報じた。
     2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員である加藤智大の運転する2トントラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷した。さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。
    http://www.youtube.com/watch?v=D6D-pKCh3TM

     新宿歌舞伎町雑居ビル火災現場跡

     2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル(みょうじょう56ビル)」で起きた火災である。44名が死亡し、日本で発生した火災としては戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であった為とされる。出火原因は放火とみられるが、2013年7月時点では未確定である。

    http://www.youtube.com/watch?v=LSfNju4yD-M

     硫黄島

     1945年2月19日 - 1945年3月26日は、太平洋戦争末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。未だに収集されない遺骨が多数残されている。

    http://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY

     玄倉川(神奈川県)

     1999年8月13日より玄倉川の中州でキャンプをしていた横浜市内の廃棄物処理業者の男性社員、子供6人を含むその家族、さらに社員の婚約者・女友達を含む18人が、翌日の熱帯低気圧の大雨による増水によって流され、社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の13名が死亡した。当日は、ダム決壊の危機に有り、放水のため、ダムの係員が二度も警告したにもかかわず、指示に従わずに居座り、放水によって急激に増水した激流に飲み込まれて流され、みすみす命を落とした現場。

    http://www.youtube.com/watch?v=p-CQe8sRm8Q

     碓氷峠(群馬・長野)

     碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境に ある日本の峠である。標高は約960 m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺 である。熊の平トンネル工事中、土砂崩壊が発生し、復旧作業中の職員と駅前にあった職員用宿舎5棟を直撃。作業中の職員38名と宿舎に居た家族12名の合計50名が死亡、24名が重軽傷を負うという大惨事となった。
    また、明治26年(1893)、明治政府が威信をかけて建設した横川~軽井沢間の旧碓氷線。
    まだ重機がない時代、標高差553m、約11kmの今では考えられない難所を工事期間わずか1年半で完成させた。レンガ焼きから建設までの、この凄まじい突貫工事を完成させたのは囚人や朝鮮人に対する強制労働によるもの。工事期間中の死者は500名にものぼっており、ここで噂される幽霊は事故死した工事関係者とも言われている。
    特にアプト道の終点にあたる、めがね橋は幽霊出没の噂が絶えない。1892年(明治25年5月15日)水害による崖崩れ害。10日頃よりの連日の雨のため第16トンネル東口の国道に接する崖の高さ15間巾20間崖崩れ。工事の宿泊所1棟を全壊、3棟を半壊して4人圧死し、3人負傷した。

     山梨県旧上九一色村跡

     かつてのオウム真理教の拠点があった。サティアンと呼ばれる施設が点在していた。猛毒サリンを精製していた建物や、信者と共同生活を送っていた建物、修行と称して頭に電流を流すヘッドギアや被せ、洗脳した。警官隊が毒ガス警戒の鳥を携えて、麻原彰晃を逮捕しに乗り込んだ光景を覚えている。

    http://www.youtube.com/watch?v=ZRVU77I-8ko

     富士青木ケ原樹海

     自殺の名所。一度散策路を離れて森の中に迷い込めば、磁石やGPSが受信できない迷路へと入り込む。年間50体以上の自殺遺体がみつかることでも知られている。

    http://www.youtube.com/watch?v=JCt2pd0PhQQ

     静岡日本坂トンネル

     1979年(昭和54年)7月11日18時40分ごろ、東名高速道路 日本坂トンネル下りトンネル内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む追突事故が起きた。直前に前方で交通事故が起き、トンネル内で事故渋滞が発生していたが、これに気がついた大型トラックが急ブレーキをかけた。しかし、後続の鋼材10トンを積んだ大型トラックが前方不注意でよけきれずAに追突。この大型トラックBにサニーが追突。後ろを走っていたセドリックは追突した3台を左へ避けて大型トラックBの側部に接触して停車。乗用車の後ろを走っていた、合成樹脂を積んでいた大型トラックはなんとか停車したが、これに松脂を積んだ大型トラックが時速100km/hで追突した。Dによって大型トラックCは前に押し出された。サニーは大型トラックCに押されて大型トラックBの下部に車体全体がめり込み、セドリックは車体後部をCに潰され、漏れたガソリンが発火。上記の多重衝突で、大型トラックBとDの運転手、サニー乗車の2名が即死。セドリック乗車の3名も脱出できず焼死。あわせて7名が死亡し、加えて2名が負傷した。合成樹脂や松脂といった可燃性の強い積載物も災いし、火はトンネル内で道を塞がれ立ち往生した後続車に次々に燃え広がった。トンネルはスプリンクラー設備や排煙装置など当時最新の消防用設備を備えていたが、火災の勢いが強すぎて有効に機能しなかった。死亡者以外のドライバーや同乗者たちは全員無事に避難できたが、鎮火まで65時間を要した。日本の道路トンネルにおける火災として史上最大規模の事故である。

     以下、西日本については、場所のみを掲載。

     黒四ダム(富山県)、東尋坊(福井県)、関ヶ原合戦場(滋賀県)、大阪大日デパート跡(大阪府)、大阪教育大附属池田小学校(大阪府)、三菱銀行北畠支店(大阪府住吉区)、津山事件現場(岡山県貝山地区)、明石歩道橋(兵庫県)、化野念仏寺(京都)、広島平和記念公園(原爆ドーム)、三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)、雲仙普賢岳(長崎県)、沖縄(ひめゆりの塔・ガマ・平和の礎)

     その他

     合戦場や戦争の激戦地となった場所や殺人事件現場、処刑場、墓地、霊場、心霊スポット、廃病院、廃校、廃トンネル、曰くつきの廃墟、自殺の名所等・・・。

     このような場所は、人が大勢亡くなっている。死霊に呼ばれたり、とりつかれる恐れ大。絶対に肝試し的は安易な発想では近寄らないことだ。日本人の悪い点は、場所に関係なく写真を撮りまくり、おまけに大勢死んだ場所でも笑顔でピースサインしてしまうことだ。TPOをわきまえた分別ある行動をお願いしたい。

     記事作成:8月24日(土)~25日(日)

    お騒がせ事件簿

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     最近、世の中を騒がせている事件と言えば若者の不適切な投稿による企業への損害を与える行為で、これが後を絶たない。どこかで自分を誇示したいのか、目立ちたい性分なのはわかるが、あまりにも常識を逸脱した軽率極まりない行動が多すぎる。こうした自分勝手(つまり自己中)な振る舞いは過去においてもあった。それが未成年ではなく、いっぱしの大人も例の漏れず、世間を騒がし続けた。日本全国には、他人の迷惑を顧みず、自分本位の生き方をして、大顰蹙を買う愚かな人間が山ほどいる。今日はそうした方々を取り上げたい。

     風船おじさん

     このおじさんは、東京都出身でピアノ調律師だった鈴木嘉和氏。
     1992年4月17日に風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに、多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指してヘリウム風船で飛び立った。座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個が外れて急上昇して、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、ライターの火で5メートルの風船を切り離したところ落下して、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、成功すれば次はハワイを目指す予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。一方、民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、弁償も挨拶もなかったという。

     1992年11月23日、当時52歳でヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行う。120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃、「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープを外した。「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発した。

     翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と連絡が取れたものの、2日後にSOS信号が発信され海上保安庁の捜索機が宮城県金華山沖の東約800m海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし捜索機に向かって手を振ったり座り込んだりして、SOS信号を止めた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切った。

     以後、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出した。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっているという。ただその時点で失踪宣告の手続きをしようかと思うようになったとも語っているが、未だ行方不明で、安否不明のまま。

     ゴミ屋敷おじさん

     平成17年(2005年)に我が町、郡山市でそれは起きた。連日、マスコミがこぞって取り上げて全国にその模様を報道したしたため、「郡山の恥」とばかりに、市が対策に乗り出した。

     福島県郡山市の男性が自宅に大量のごみをため込んで近隣住民から苦情が出るなど問題になり、郡山市は8日までに、集積場に出された家庭ごみを持ち去ることを禁止する条例制定の検討を始めた。8日、市議会の一般質問で市が明らかにした。

     男性が郡山市赤木町などで集積場からごみを持ち帰るなどしてため込んだ家は
    4軒で、それぞれ数百メートルの範囲にあり、すべて男性の所有。1メートル前後
    積み上げて庭や敷地を埋め尽くし、一部が路上にはみ出していた。

     これがマスコミに取り上げられてから、日本全国で同様のケースでゴミを溜め込んで屋敷化している事例が数多く報告されるようになった。

     騒音おばさん

     わざと迷惑行為に及び、町内会や近所を恐怖に陥れたおばさんがいた。CDラジカセで大音量の音楽を流し 続けて近所の女性に睡眠障害を負わせたとして傷害罪などに問われたのだった。その舞台は奈良県。

     奈良県生駒郡平群町の主婦が約2年半にわたり大音量の音楽を流すなどの方法で騒音を出し続け、それにより近所に住む夫婦を不眠・目眩などで通院させた事件。布団をたたいて大声で喚き散らしたり、夜中にラジカセで音楽を大音量でかけて睡眠を妨げるなど。2005年4月、傷害罪の容疑で奈良県警に逮捕され、2007年に最高裁で実刑判決が確定した。騒音を出す現場が被害者夫婦により録画、マスコミ各社に提供され、テレビのワイドショーで主婦が「引っ越し、引っ越し」と大声で叫ぶ様子が何度も流れ、騒音おばさんの名前で有名になった。

     人の振り見て我が振り直せではないが、人間なまじ歳を重ねると、なんでも自分の思い通りに行くと勘違いする輩がいる。思い通りにいかないことがあると、他人に八つ当たりして、さも自分の行いが正しいかを堂々と主張するのがこの手のタイプ。こうした反社会行動をとるには、不平不満などの心に闇を抱えているのは間違いない。

     私は個人的に大嫌いだったが、故横山やすし(B型)もまた、勝手な振る舞いをして周囲に迷惑をかけまくった人物だと認識している。司会者の宮根誠司(B型)や政治家の橋下徹(B型)も独自の基準で物事を処理する、そうした傾向がある。

     冬山登山での遭難や今年起きた、辛坊治郎氏(B型)のヨットでの太平洋横断冒険もまたしかり。この救助のために、海上保安庁が嵐の海で命懸けの救助作戦を展開。多額の税金が投入された。個人の夢を追いかけるのは勝手だが、そのために他人や家族を巻き込むことだけではやめてもらいたいものだ。

     記事作成:8月31日(土)

     追記(9月12日)

     またしても海外で日本人が命を落とす痛ましい事件が起きた。今度は親日で知られるトルコで、しかも観光客が大勢訪れる世界遺産の「カッパドキア」で惨劇があった。新潟大学の4年生の女子大生2名が、暴行目的のトルコ人に襲われ刃物で首を刺されて死傷した。こういう事件が起きるたびに、神も仏もないものかと嘆きたくなる。まったく何の落ち度も罪もない被害者を、自己の欲求を満たす目的で襲い、殺害に及ぶ行為は鬼畜以外の何者でもない。そこにあるのは本能だけで、理性もなければ規律もない。そういう輩が海外にはうようよいるということだ。被害者となった女子大生の方もあまりにも無防備だったと言わざるを得ない。通常の観光コースではなく、人気のない山中の探索コースを、うら若き女性が2人で歩く行動はいかがなものかと思う。「犯罪に巻き込まれるのでは」という危機意識や身の危険を感じなかったのか。これはプランニングの問題で、十分に回避できた事例だと思う。日本人はあまりにも人を信用しすぎるし、日本と同じような振る舞いは海外では通用しないという点を肝に銘じて行動すべきだろう。
     昨年もルーマニアで、単独で行動し、空港で降りた途端に暴行目的で近づいた男に声をかけられ、疑うこともなく、その男の言われるまま車に乗り、無残で哀れな姿で発見された日本人女性がいた。あまりにも危機意識が欠如している。よもやアバンチュールを求めての軽率な行動ではあるまい。結果、甘すぎる判断が災いをもたらす結果となった。この点を日本人は猛省し、個人行動は慎み、安全な確実な観光ルートを選ぶことが肝要だ。命を奪われてからでは遅い。前途ある若者が、これ以上事件に巻き込まれないためにも、不用意な言動や行動は慎むよう願いたいものだ。

     

     

     

    古代浪漫へのタイムスリップ

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     最近の「進撃のチョイ旅」は留まるところを知らない。何かに追い立てられるかのように、週末になるとどこかへ出かけたくなる。実は、忙しい仕事からの現実逃避もいいところで、何か寒くなる前に、癒しを求めて「何処かに行ってしまいたい」という意識が働く。この8~9月に、俳人・松尾芭蕉の足取りを追う旅を繰り広げて来たが、芭蕉が訪れたとされている、守山にある「田村神社」を見落としていたため、ここだけはどうしても外せなかった。
     更に、8月末のKFBの自社制作番組の「ドミソラ」で紹介され、郡山東部にあり、千原礼子アナが訪れた150本鳥居で有名な「高屋敷稲荷神社」が気になって、そこをどうしても訪れたくなった。この2か所だけでは物足りないため、周辺の名勝旧跡など見所を模索したところ、一度ですべて網羅し、この目でしかと見届けたいとの衝動に駆られ、欲張りにも合計で9か所の訪問を企画した。このところ、週末に天候が崩れるパターンが続いたが、今週もその例に漏れず、台風襲来。秋の行楽シーズンも台無し。せっかくの3連休、気仙沼で解体が始まった第18共徳丸を見に行くプランもちらついたのだが、やはり天気が心配なので近場で堪えた。3連休中、土曜日だけが晴れ間が期待できることから、決行日をこの日に決定。しかるにその訪問先とは以下の通り。

     ①日和田町(西方寺)ー②蛇骨地蔵堂ー③高柴デコ屋敷ー④鹿島神社(ペグマタイト岩脈)

    ー⑤雪村庵ー⑥白岩町(高屋敷稲荷神社)ー⑦小川蝦夷穴ー⑧田村神社ー⑨大安場古墳

     見ての通り、テーマはズバリ「古代浪漫に触れる旅」で、古代にタイムスリップしたかのような、大昔の人々の暮らしや文化に触れることで先駆者たちの偉業を讃え、同時に当時を偲びたい。

     約40km、約4時間コース 7:00自宅発で、半田屋経由でも12時前には帰宅見込み。

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     9月14日(土)くもり/晴れ

     6:40 起床 朝はひんやり肌寒いくらい。PC作業に没頭し、予定より出発が遅れる。
     7:54 自宅発。東原セブン廻り。バイパスへ。土曜でも交通量多い。台風のため風強
         い。23℃の表示。日和田から右折。ジョイフル方面へ。信号タイミング悪い。
         東北本線の高架橋の右の坂を下りる予定が、通り過ぎ、T字路を右折。緩やかな
         下り坂を下りる途中、右側に西方寺の駐車場を発見。旧4号沿いにあった。

     8:03 西方寺着。5.7km地点。大きな観音像が立つ。境内を通り抜けて墓地と田んぼ
         の一本道を左へ。100m離れた左側にお堂を発見。「蛇骨地蔵堂」に到着。
         いかにも歴史を感じる佇まい。震災の修復工事が終わり、綺麗な外観。墓参のお
         じさんとバッティング。その隣りにまるで傘のように広がった松の木。これが「笠
         松」。立派で風情を感じる。先客なし。無人。奥には何かの慰霊塔(おおきな石
               碑)が建つ。732年に別の場所に建立されたが、西方寺へ移築。1599年の大
               火で焼失。現在のお堂は1718年に再建されたもの。参道の途中に「日和田のイ
               チイ」という名木が立つ。旧国道側には火の見櫓が聳える。帰りは旧4号線沿い
         から駐車場へ。

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    Img_2119_rImg_2121_r

    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-46.html

     8:14 西方寺発。郡山方面へ100mほど下りて、三春方面へ左折。もみじマークの軽ト
          ラに割り込まれ、スローペース。次に向かうは、久々の「高柴デコ屋敷」だ。
          昨春までの通勤ルートだ。小和滝橋を渡り、セブン前を左折。県道115へ。西
          田方面へ。前が詰まっているのにプリウスが煽る。西田中入口を通過。標識が
          あるので迷わず走行。やがて、標識から左折。山間に向かう。しかし、300mほ
                どで高柴の集落へ。片側通行あり。やがて古民家風の佇まいの集落へ。左折し
                て大黒屋の手前の駐車場へ滑り込んだ。

     8:25 高柴デコ屋敷着。13.4km地点。昔の彼女とデートで訪ねて以来22年振りの訪
         問。順路の表示に沿って歩く。民家の庭を跨ぐように設けてある。店自体は9時か
         ら開店のところが多く、まだやっていない。恵比寿屋の軒先を抜け、壁に三春駒
         の模様のある店でT字路。左に折れて小道を20mほど下がると井戸を発見。その
         右の建物が、大きな三春駒の置物が店先を飾る「彦治民芸」。店構えも前庭もと
         ても美しい。茅葺き屋根だ。店先にはお面や張子細工がたくさん展示。店内に入
         ると、主人がすでに製作作業を行っていた。店内には所狭しと民芸品が並び、天
         井には古いランプや古時計、年代物の写真機が吊るしてあったり、壁掛けてあっ
         たりした。有名人が数多く訪れているようで、あべ静江やシブがき隊、王貞治、中
         畑清、高見知佳、沢口靖子の来店時の写真が飾られてあった。天狗や十二支の
         張子細工、三春駒にキーホルダー、ひょっとこのお面なども販売されていた。店主
         がわざわざ明かりをつけてくれたが、意外にも値段が張って手が出ない。パンフ
         をもらって店を出た。標識に従って「夫婦桜」を見に、坂をアップダウンし左へ。土
         手を歩いて上り、写メ。周辺は朝一のせいか観光客は皆無。大黒屋まで戻った
         が、店内に入らず素通り。そのまま車に乗り込む。

    Img_2124_rImg_2127_r

    Img_2129_rImg_2131_r

    Img_2134_rImg_2135_r

    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail3-0-66.html

    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail4-0-129.html

     8:43 デコ屋敷発。左折して高野小学校方面へ。次は鹿島大神宮にあるペグマタイト
         岩脈だが、ナビや手書きの地図(略図)に頼らずとも標識あり。T字路にぶつか
         り、本宮方面へ左折して100mほど先ですぐ右折。沿道にマリーゴールドが咲き
         誇る整備された道へ。高野小の南側を通り、左折。見通しの良い下り坂で、道端
         に鳥居とそれらしき標識、左奥には社務所らしき建物が。しかし、駐車場らしきも
         のがない。しかも社務所の周辺は、雑草狩りの人たちの軽トラの群れ。一旦通り
         すぎ、Uターンして、やや広い路肩へ。
     8:48 鹿島大神宮着。17.5km地点。鳥居の下が細い砂利だが、そこを潜って車のま
         ま行けるようだ。鳥居が立つ入口には間違いなく「ペグマタイト岩脈」の標札が。徒
         歩で散策。あちこちで草刈機の爆音。社務所の右側が参道。急斜面の石段を上
         がる。いずれ磐梯山登山を目指すので、いい足腰の鍛錬になる。石段の途中に、
         クリスタルっぽい白の岩石があちこちにある。登りきった場所に、本殿。宮司や他
         の人たちが慌ただしく動き回っていた。清掃作業?左手が神楽殿。その間に高さ
         10m、幅5~6mほどのペグマタイト岩脈の岩群が聳え立つ。世界遺産もどきとし
         て取り上げたことがあるが、不思議にもその一帯だけに散在。周辺は杉林に囲ま
         れて、鬱蒼として静かな佇まい。パワースポットとしての厳かな雰囲気が漂う。帰り
         際、草刈りの人と話す。石川からずっと岩脈帯になっているとか、先の震災で本
         殿の石垣が崩れ、修復に500万円費やしたなど。ふと石段の脇を見ると、歌碑の
         ような石碑を見つけ、それを見ようと跨いだら、大きな蜘蛛の巣に頭を突っ込む。
         思い切り引っかかった。髪が蜘蛛の巣だらけに。振り払うがなかなかとれない。そ
         の石碑には薫風という文字が・・・。結構新しい歌碑だ。竹のようににょきにょきと
         白い岩石があちこち顔を出している。台風接近の影響か蒸し暑くなってくる。

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    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-71.html

     9:04 鹿島大神宮(ペグマタイト岩脈)発。県道116へ。T字路左折。本宮から来た道と
         合流。更には西田方面から繋がる県道とも合流。そして延べ9年間通った通り
         へ。雷医院の交差点を右折。懐想記念館の前で工事の片側通行。ダンプに煽ら
         れながら、右へ折れて迂回路へ。

     9:09 雪村庵着。20.9km地点。狭い道にできるだけ路肩に寄せて駐車。晴れて急に
         暑くなる。ここを訪れるのは、3月30日に続いてのこと。通勤ルートで毎日通って
         いたが、桜の季節以外はいつ来ても閑散。前回は工事中で、柵があって中に入
         れず。今回は枝垂れ桜や朱塗りが美しい建物もすべて見物。竹林が周辺を取り
         囲む。昔のままの佇まいを残す。セミの鳴き声が響く。立て看板の説明によれ
         ば、雪村周継は16世紀初めから後半まで生きた禅宗の画僧・山水画やあ人物
         画、花鳥画を多く残した。晩年、この場所に居を構え、この建物の裏手の竹林に
         遺骨が葬られて、地元民によって供養されているという。見学中はあ訪れる客は
         なく、無人。寂しいが、侘び寂びを感じる。

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    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-42.html

     9:17 雪村庵発。予定より45分も遅れての出発だったが、いつの間にか予定を追い
         越してしまった。ここは三春ではなく、なぜか郡山市なのだ。磐越東線沿いの道を
         行く。太田小分岐を直進。狭いブラインドを抜けて、バイパス分岐の交差点を直
         進。左に線路と緑の高速の高架橋、リオンドールも見える。先月にここまで「甘い
         香りのモカブレンド」を買いに来た。右折してR288へ。セブンイレブンの向かいに
         ある、ポケバイが天辺に備え付けてある「みそとんかつ」の看板を通過。やがて
         SLの写真が展示してあるかんのやゆべしの工場側へ左折。9:19に踏切を渡
         る。S字カーブの坂を上がり、三春町内から来る県道54へ右折して合流。しばらく
         進み、右カーブでイベント会場ののぼりが続くのを発見。「田んぼアート」の文字
         が。コースを逸脱して寄り道。左折して迂回路に入り、その道へ。坂を200m進む
         とそのイベント会場。

     9:23 鷹の巣田んぼアート会場。26.1km地点。でも誰もいない。道端に駐車。道路右
         側から見下ろすと、田んぼの所所が刈り取られ、何かの模様が。写真入りの説明
         板によると、三春滝桜の絵らしい。その左上に富士山という構図。しかし、高さが
         ないので、全体像をイマイチ掴めず。Uターンしてすぐ出発。本道合流。ゆっくり走
         っていたら、白のアルファードがバックミラーに。一気に加速して距離を空ける。そ
         のせいで、途中から右折して農免道路へ横切る予定が、ハーブガーデン近くまで
         来てしまう。慌てて、ナビを頼りに細い路地へ右折。田んぼのあぜ道で、対向車が
         来たらすれ違えないような細い一本道を西へ。あちこちカーブしながら、何とか農
         免道路へ。右折。ロードランナーが飛ばして坂を下りて、また登っていった。右折
         した場所が奏功し、200mほど坂を上がったら、左手奥に赤い鳥居群が見えた。
         シャッターポイントを通り過ぎてしまったが、左折し、砂利の広い駐車場へ。

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     9:31 高屋敷稲荷神社着。自宅を発ってから29.6km地点。ここは8月末の「ドミドラ」
         で千原礼子アナが訪れて紹介した場所。朱塗りの鳥居が100本以上連なる謎の
         スポットとして紹介。今回のチョイ旅の中でも、田村神社と並んでメインスポット。
         一旦写真を撮影するため、鳥居の途中から潜りながら一番下へ。ベストポイント
         を探して、田んぼの一本道まで進む。途中、蜘蛛の巣多数。鹿島大神宮の引っか
         かった蜘蛛の巣が取れなくて気落ち悪い。そして再び京都の伏見稲荷を彷彿させ
         る、朱塗りの鳥居が連なる参道を登る。この鳥居は個人のご芳志により建立され
         たものらしい。柱にその名前が書かれてある。小高い丘の斜面に沿うように鳥居
         が続く。郡山の身近な場所に、このような景観があったとは・・・。御鎮座300年の
         看板が。最後の急な石段を登り詰めた場所が本殿。中で数名が正座し、神主が
         祝詞を捧げ、ご祈祷を行っていた。お宮参り?その右に御札を奉納する社務所
         があり、も5~6本、鳥居があった。こんなに鳥居の数が少なかった筈はないと、
         それをくぐって探索してみると、そこから先の下り坂も鳥居が20本ほど連なり、こ
         ちらは舗装路で、車が潜って来れるようになっていた。しかも苦労して登ってきた
         のに、本殿の隣には駐車場もあった。パジェロのナンバーが49で始まっていた。
         やっぱこの不吉なナンバーもあるのだ。そして神社所有の車は白のエスカルゴ。
         その側面の荷台に大きなお札が貼ってあった。そして本殿の奥には、白狐社とい  
         う別棟の小屋のような建物が。見ると数多くの白い狐の置物が祭ってあった。稲
         荷神社なので、これは当然。本殿の前の木のベンチで座って休んでいると、その
         隣りの建物に若い女性がいた。ここで疑問に思っていたことをその方に尋ねてみ
         たくて声をかけた。すると、その女性はとても美しい顔立ちの20代くらいで、お言
         葉も上品で丁寧、今時、このような古風で落ち着いた物腰の女性がいるとは・・・。
         驚きだった。実は前の職場に関連して、私が間接的にお世話になった方が鈴木
         宮司ではないかと聞いてみた。案の定そうであった。私に素性を話、昔、ここで採
         れたお米や割り箸を頂いたことを知り、よろしくお伝えするようお願いした。ドミソラ
         は、突然取材にやって来たらしく、オンエアを見ていなかったらしい。その女性は
         おそらく宮司のお嬢様だと直感した。挨拶すると、畳に三つ指ついて丁寧にお辞
         儀をするほどだった。本日は大安なのでお宮参りをする方が多いという。丁重に
         礼を言ってその場を去った。訪れて良かった。

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     9:48 高屋敷稲荷神社発。県道に戻る。道端に路駐し、ベスポジにて全景を撮影。再
         出発。続いて向かうのは、知る人ぞ知る超マイナーな観光スポットである。剣道を
         アップダウンしながら進み、三春ハーブガーデンから登って来る道と交差。そのま
         ま突っ切り、下り坂へ。500m先正面に荒井浄水場の構造物が・・・。途中で路駐
         して写メ撮影。道なりに進み、やがて昭和シェルの大きなGSがある交差点で右
         折。宮城中のある地点なのだが、新しい大きな道路になっていて、校舎は確認で
         きなかった。県道54+県道65の通り。細い川沿いで、前のダンプがとろい。
         500mほどで方八町から霊園に続く道にぶつかり、左折して毎年3回通う道路
         へ。ダンプを交わし、青花園という植木屋の前を通過。やがてR49から繋がる交
         差点へ。ここを一旦、大安場公園のほうへ曲がり、すぐに左折。狭い一本道の下
         り坂へ。標識もなく、本当にこの道で合っているのかも確認できないまま進むと、
         左側にこんもりとした塚らしき風景が・・・。そしてその下の方の岩肌に幾つかの穴
         が空いていた光景を目の当たりにし、確信を持った。

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    10:01 小川蝦夷穴着。38.4km地点。当初の予定より30分早い到着。ここは古代遺
         跡とも言うべき場所で、横穴式のお墓である。大小織り交ぜ10個程度、岩壁に穴
         が空いていて、そこに死者の遺体を安置したという。周囲はもちろん人っこひとり
         いない。今では誰も寄り付かなような陰の場所。写真を撮ってもいいものか思案し
         た。霊が写りこんでいたら怖いとか・・・。でもきちんと礼を尽くし、撮影した。向か
         い側には市の施設の建物と、周辺の案内図の看板。穴はとても人の遺体が入る
         のか疑問なほど狭い。昔の人は小柄だったという証明にもなる。

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    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-123.html

    10:04 小川蝦夷穴発。県道に戻って、R49までひた走る。
    10:07 R49の守山地区のセーブオン(山中交差点)へ。そのまま直進してすぐに、右手   
         に田村神社の参道と鳥居が見えたが、肝心の駐車場が見当たらない。一旦守山
         の古い建物が軒を連ねる迂回路に入り、信号の手前でUターン。工事の資材置き
         場の手前に斜めに入る細い道を発見。そのまま分け行った。すると運良く、別の
         鳥居があって、そこに空き地を見つけた。しかし、そこにどうみてもデート中の高
         校生らしいカップルがいた。動じず、空き地に駐車。カメラが床に落ちてしまった。

    10:09 田村神社着。ここはどうしても外せない場所だった。奥の細道を編纂した松尾芭
         蕉とその弟子の曾良が、須賀川からの道中、この神社を参拝したという記録があ
         るためだ。ここは、鹿島大神宮、高屋敷稲荷神社よりも急勾配の石段。参った。3
         度目の挑戦。途中で止まるときつくなるので、できるだけ上を見ないで、同じ歩調
         で登った。息切れ。山門には「鎮守門」の文字。そして左右には朱塗りの仁王像
         のような巨像が二体門番。なぜかわらじも吊るしてあった。山門をくぐったところ
         に、工事関係者が3人、休んでいた。挨拶をしたところ、「登りごたえあっぱい」と
         声を掛けられた。真正面に本殿、右にお清めの浄場などがあり、期待しなかった
         が、それは立派な神社だった。しかし、肝心の松尾芭蕉が訪れたことを記す説明
         書きも無いし、その痕跡らしき石碑もなかった。境内を一周してみたが、皆無。本
         店には「大元帥」の文字が・・・。一応、礼節に準じて鈴を鳴らし二礼二拍一礼の
         作法で参拝した。奥には泰平寺の桜が高さ20mほどそびえ立っていた。この時点
         では天候は快晴。蒸し暑くて汗ばむ陽気に。9月中旬とは思えない。30℃を越す
         真夏日になる可能性十分。帰りは山門を潜らず、端伝いに歩き、急な石段を踏み
         外さぬよう一歩ずつ確実に下りた。まだ高校生カップルはいた。でもいちゃつくこ
         ともなく健全で安堵。明日は筋肉痛必至。    

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    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-80.html

    10:18 田村神社発。長居したつもりだが、結局10分足らずで見物を終えた。R49へ右
         折して合流。次は今回の古代ロマンに触れる旅の最終目的地の「大安場古墳」
         だ。平成12年に文科省の指定を受けた古墳だが、子供が小さい頃に訪ねて以  
         来10年振り以上の再訪だ。ラゴーやコカコーラ、アメ商の前を通過。5年前の深
         夜に、釣りに行く途中、速度違反で青切符を切られた大善寺の交番の前を通りす
         ぎ、やがて交差点をマイナス方面にもどる形で右折。300m先の黄色い「萬壽園」
         の大きい看板を左折。副葬品の形をモチーフにした資料館が見え、その頭上に
         は青々とした斜面が前方後方墳が2つ、まるでラクダのコブのようにそそり立って
         いた。バスの駐車場を避け、右側の一般者の駐車スペースへ。

    10:24 大安場古墳着。43.8km地点。まずは、登山をくり返し、この暑さで喉がカラカ
         ラ。建物の外に自販機を見つけ。150円で綾鷹を購入。まずは乾ききった喉を潤
         した。お茶を飲みながら、建物内部へ。中は飲食・撮影禁止。ソファで寛ぎ、流さ
         れていた紹介DVDを見る。その後、他の客も現われた。資料館を一周。この場所
         が古墳と判明するまでの経緯や実際の発掘の模様、出土した遺骨や副葬品の状
         況などを再現する展示物や、実際に古墳から出土した品物も多数展示・陳列して
         あった。ここはどう見ても体験型学習施設の印象。スタンプを押印し、市の職員に
         断ってパンフを3~4種類頂き、屋外へ、いよいよ10年振りの古墳山頂へのアタ
         ック開始。案の定、私以外訪問客はいない。この数ヶ月、有名観光地を訪ねて
         も、私しかいないというお粗末さ。整備された遊歩道の階段を登る。これできょう4
         度目の山登り。足が重い。すぐに段差のある2つの古墳のてっぺんが見えた。左
         に円形の塚のような2号古墳があり、右側には高さが違う2段構えの後方墳が聳
         える。一旦階段を下がるのがもどかしい。改めて20m先の別の階段を登って山
         頂部分へ。

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    10:37 前方後方墳に登頂成功!(大げさな)市内が一望できる。西側を見ると左に日
         大の巨大な校舎群、右には帝京安積の後者と、その奥に郡山市街地のビル群が
         眼下に広がる。しかしカンカン照りで暑い。水分が足りず、ペット茶がぶ飲み。こ
         の山頂部から遺骨や副葬品が発掘された。その部分はすでに埋め立てて、アス
         ファルトで固められているが、出土場面を再現するように、どこから何が見つかっ
         たかを記すように刻んで描かれてあった。東側は桜ヶ丘団地の住宅街。目の前が
              古墳整備されて、住民はどう思っているのか。やがて公園ルートから親子連れが
         登って来るのが見えたので、その場を離れた。そして階段を2つ下りて、隣りの円
         形の2号古墳へ。一周した。すると今度は犬を散歩しに来た女性の姿を見つけ、
         とっとと下山。足を踏み外さないように注意深く歩足を進めた。帰りがてら、自販
         機の脇のゴミ箱に飲み干した緑茶のボトルをポイ。車載温度計は28℃になって
         いた。

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    http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-49.html

    10:50 大安場古墳発。当初はここを11:50に出発する予定でいたため、1時間早くな
         った。勝因は、一箇所に長く留まっていないからだろう。単独なので、見学時間は
         さほどいらない。R49へ合流。信号待たず。「田村」の緑色の幟が風にたなびく。
         その後、銘酒「田村」を置いている酒屋の前を通り、その隣りには、「県庁郡山移
         転を実現しよう」の大看板が・・・。旧森永乳業があった交差点から右折。もう更地
         になっていた。シミズストアに入る車3台連続。ここで失敗に気づく。R49を直進し
         て芭蕉が歩いた同じルートを行きたかった。金山橋に架かる阿武隈川を渡ってい
         るのに・・・。田村工業団地内を通り抜け、左折して行合橋を渡る。ここから東部幹
         線までは大渋滞。迂回すればよかった。その後、右折して昭和ドライバーズカレッ
         ジ前を通過。そして朝食&昼食を摂る「半田屋」へ。転がり込んだ。

    11:04 半田屋着。今日はいつもの玉子焼き・鮭・カツフライのセットとニラレバ炒めをセ
         レクト。更には納豆とめしミニ、味噌汁で540円。10分足らずで平らげた。大きな
         サーバーに冷水麦茶が作られてあった。冷えた緑茶と合わせて5~6杯飲み、乾
         きを癒した。その後は旧薬師堂火葬場&ドンキホーテの前を通り、逢瀬川沿いに
         右折。更に右折して旧国道に入り、また左折。4号線の下を潜り、会津街道へ合   
         流。ツルハ前で対向もみじマーク車が直前に右折して正面衝突の危機。変電所、
         踏切を渡り、工事中の迂回路を廻り、奥羽大の前を通過。ここでクリーニングの
         受け取りを忘れていたことを思い出し、ホワイト急便へ。ワイシャツ3枚と汗取りし
         たズボンだ。

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    11:28 自宅着。何とか無事故無違反で帰宅できたのが幸いだった。当初より40分遅
         れての出発だったのに、1時間程度も早く帰宅できた。一箇所の見学時間は短く 
         て内容薄かもしれなあいがあ、私には十分なチョイ旅だった。

         所要時間 3時間34分  総走行距離55.1km   出費 150円 

     <後記>

      今回のチョイ旅は、地元ながら古代浪漫に充分浸れる内容のものだった。郡山に通算で40年住んだ者として恥ずかしいが、未だに知らない名勝や旧跡は多数点在していることがわかった。また、何の気なしに訪れた場所でも深く探求したり、資料を読んでみたりして調べてみると意外な新発見にぶつかるものだ。歴史を紐解くと、今までわからなかったことも新事実にたどり着くことが証明できた旅でもあった。また、体力が続くうちに、季節を追って再訪したいと思っている。

     記事作成:9月14日(土)

      


    今週の山岸舞彩キャスター(9/9~9/12)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     「NEWS ZERO」に出演した際の山岸舞彩キャスターの様子です。

     今週はお天気の磯貝キャスター(東大在学中)がお休みで、代わって久しぶりにお天気も担当した。

     9月9日(月) 

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     9月10日(火)

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     9月11日(水)

     「笑ってこらえて」に出演した際の山岸舞彩キャスターの様子です。

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     「NEWS ZERO」に出演した際の山岸舞彩キャスターの様子です。

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     9月12日(木)

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    名曲をあなたに・・・Ver.4 ~美人歌手編~

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     このシリーズ記事も、今回が4回目。今日は懐メロではあるが、女性シンガーを取り上げたい。しかもいずれも超がつくほどの美人歌手である。

     木綿のハンカチーフ(太田裕美)

     おそらくこの曲は、50代の方々のバイブルとも言うべき青春ソングだと思う。この年代の方がこの歌をカラオケで歌う場面を何度目にし、耳にしたことかしれない。小柄で可愛らしい顔立ちに清純イメージ。そしてか細いファルセット。30年以上前のこの映像を今見ても、彼女の笑顔やあどけない表情にやられてしまいそう。

     異邦人(久保田早紀)

    http://www.youtube.com/watch?v=4mkBeoN44Og&list=RD02eu_Dlu0Wk70

    http://www.youtube.com/watch?v=hxNoqz79oX8

     タイトルの示す通り、シルクロードを行く旅人をイメージした「異国情緒」満載のエキゾチックソング。この頃(1970年代)は、外国への憧憬が「時代象徴」だった。平尾昌晃と畑中葉子の師弟コンビによる「カナダからの手紙」、庄野真代の「飛んでイスタンブール」や「モンテカルロで乾杯」なども流行歌として一世を風靡した。彼女の登場は衝撃だった。美しい顔立ちも魅力的だったが、当時はまだ珍しいソバージュも流行を生んだ。どこか艶っぽい横顔と日本人離れした謎めいた存在感とその雰囲気に世の男性諸氏はやられたものだった。彼女は今、本名の「久米小百合」として歌手活動を継続している。

     ZARDのカヴァーはコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=Fies3m82Hq8

     負けないで(ZARD)

     心をひらいて

    http://www.youtube.com/watch?v=wJQW1awYSfY

     私の中では永遠のヴォーカリスト。未だに亡くなったと信じたくないし、その事実を認めたくない。1990年代、彼女の歌声にどれだけ勇気を貰ったことかしれない。得体の知れない覆面歌手、蓋を開ければ絶世の美人歌手、少し影のある謎めいた微笑、名探偵コナンの挿入歌、どこかで区切りをつけなければならないのに諦めきれない想い。それが坂井泉水という女性・・・。彼女が旅立って早6年。今秋、彼女の墓参りに訪れて、心からの敬意と感謝の意を捧げたい。

     真夜中のドア(松原みき)

    http://www.youtube.com/watch?v=A-vlyPZhT_s

    http://www.youtube.com/watch?v=f4Me0NzdWdU

     彼女も坂井泉水と同じく、若くして惜しまれながらこの世を去った歌唱力抜群のヴォーカリスト。美人薄命とは彼女のためにあるような言葉だ。彼女はあのピアニスト世良譲が認めたジャズシンガー。しかし、ヴォサノバやバラードも秀でた歌唱力で自己表現し、独自のワールドを確立した。
     昭和50年代半ばは、こうした女性シンガー花ざかりだった。渡辺真知子、八神純子、庄野真代、竹内まりや、中島みゆき、ユーミン、高橋真梨子、大橋純子、久保田早紀らがそう。そう考えれば、シンガーソングライターたちが、私たちリスナーに新しい音楽の息吹と潤い、そして安らぎを与えてくれた佳き時期だった。

     記事作成:9月3日(火)

    とにかく貴重な映像集

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     今日は昭和を代表する「永久保存版」の貴重な映像を取り揃えてみた。懐かしさもあるが、珍重されて然るべき昔の動画集だ。「あの時君は若かった」を地で行くような映像をご覧下さい。もし好評ならば続編も考えたい。

     ON現役時代のカラー映像

     1960~1970年代のプロ野球界をリードし続けたONコンビ。ミスタープロ野球として球界トップに君臨し、スーパースターとしての称号を欲しいままにした長嶋茂雄と一本足打法を編み出し、世界のホームラン王としての地位を築き上げた王貞治。実は2人は好対照だった。燃える男としてチャンスにめっぽう強く、常に注目されるスタンドプレーで「動」のイメージが強かった長嶋と、地道な努力を重ね、苦労の末に栄光を勝ち取った「静」の印象が固定していた王。いずれも国民栄誉賞を受賞したふたりだが、両者とも大病を患い、ともに愛する夫人に先立たれるという不幸も降りかかった。彼らの生き様は人生そのものだ。

     巨人軍投手時代のジャイアント馬場

    http://www.youtube.com/watch?v=Aii1rP-4ntI

     16歳で巨人軍入りした2mの巨漢だったジャイアント馬場。投手として入団したものの、その大きな体格が災いし、動きが鈍く、投手としては大成しなかった。しかも3年目には突然視力が衰えるアクシデントに見舞われた。診断の結果は脳腫瘍。短い現役生活に幕を下ろした。長嶋茂雄が入団した時に、初めてキャッチボールをした相手がこの馬場正平だったというエピソードが残る。しかし、彼はこのままでは終わらなかった。その巨体を生かし、プロレスラーとしての道を歩み、全日本プロレスの中心的存在として、生涯現役を貫いたのである。肝不全により61歳という若さで亡くなった。

     プロレス25年史はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=sveDd_r-4_k

     未来の旦那さまとデュエット(山口百恵と三浦友和)

     実は私は「ラブラブショー」を子供の頃に見ていた。アントニオ猪木と倍賞美津子の出演回も生で見ていたし、この映像もしかと見届けていた。

     山口百恵に三浦友和が遠距離祝福電話

     大義のために死す~三島由紀夫の命懸けの演説~

     名作「金閣寺」の作家として知られた三島由紀夫。彼は昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の屋外バルコニーで、突如800人の自衛隊員を前に演説を繰り広げ、運命共同体としての決起を叫んだ。しかし、文字通り命懸けの魂の叫びも虚しく、願いが叶わぬと悟った彼は、割腹自殺という衝撃的な最期を遂げた。

     この実話は、後に緒形拳主演で映画化(1985年公開:A LIFE IN FOURCHAPTERS )されたのだが、私が高校時代に郡山市でロケが敢行された。しかもそれは、最も重要な、彼が自決する直前に行った市ヶ谷駐屯地での決起を訴える場面である。市ヶ谷駐屯地に似た造りの郡山市細沼にある「福島県合同庁舎」が使われたのだ。

    http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1:45:35以降)

     渥美清の伝言

     彼の「遺言」とも言うべき、彼がこの世を去る2年前のインタビュー映像。

    http://www.youtube.com/watch?v=iPtX2Fofvak

     私は当ブログにおいて常々B型は、カリスマ的で国民的英雄になり得る天性の素質を持っていると説いてきた。スポーツ界では、野村忠宏、田村亮子、伊達公子、杉山愛、青木功、岡本綾子、長嶋茂雄、野村克也、イチロー、野茂英雄、清原和博、北島康介。芸能では、高倉健、森繁久彌、森光子、尾崎豊などがそう。その道の第一人者となり、代名詞として形容される人物となる。渥美清さんもまた然り。「男はつらいよ」の寅さんシリーズで、国民の圧倒的な支持を得、その飾らない人となりを慕い、誰からも愛された。

     原節子「1951年麦秋の一節」

     原節子といえば昭和を代表する銀幕の大スターの一人。小津安二郎作品に多数主演し、「永遠の処女」とまで言われた絶世の美女である。戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。1963年に43歳で女優業を引退した。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」で女優部門の第1位にノミネートされている。小津の監督作品において、原節子が「紀子」という名の役(同一人物ではない)を3作品にわたって演じた、いわゆる「紀子三部作」の2本目にあたる作品である。1949年の『晩春』に引き続き、父と娘の関係や娘の結婚問題を主なテーマにしているが、本作ではそれがより多彩な人間関係の中で展開されている。現在もご存命。

     私はもちろん同時代を生きたわけではなく、私が生まれる1年前に引退されている。しかし、私の亡き父が、常々、スクリーン女優といえば彼女の名前をいの一に出すほど、大人気だったようだ。

     愛国から幸福へ(埋め込み処理不可のため、アドレスのみ掲載)

    http://www.youtube.com/watch?v=aATCa9IJMW0

     昭和40年代に一大ブームを巻き起こした旧国鉄の広尾線にあった幸福駅。記念切符が飛ぶように売れ、日本全国からこの駅を目指し、カップルや鉄オタが大挙して訪れた聖地とも言うべき場所。私も北海道に住んでいた昭和59年と60年に訪れた。その頃はまだ廃止にはなっておらず、ディーゼル機関車がホームに滑り込んだ風景をしかとこの目で見届けた。まるで小屋のような小さな木造駅舎。そこに訪れた観光客たちが残した記念切符やメッセージが壁中に所狭しと貼られていた光景が今も胸に・・・。今はもう廃線となり、過去の遺物と化してしまった。栄枯盛衰を感じる場所である。

     記事作成:8月16日(金)~9月4日(水)

    THE 名称変更 

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     時代の変遷とともに、世の中も変わった。かつて栄華を誇った企業も、絶頂期を経て廃れてしまい、吸収合併や身売りによって、生き残りを図るケースも多く見られるようになった。また、大ヒットした商品であっても、今や店頭から消え去ったり、流行言葉もいつしか時代遅れとなって死語と化し、次第に使われなくなっていく。栄枯盛衰をひしひしと感じてしまう。今日は、そうした名称が変わってしまった企業や言葉・用語を一挙公開したい。左が旧名で、右側が新名称。初めにお断りしておきますが、非常に見づらいことを謝っておきます。

     旧名称   新名称(現行名)    補足

     トリオ    ケンウッド     ステレオなどの家電メーカー
     ママさんバレー  家庭婦人バレーボール  ライフスタイルの変化でシングルマザーや 
                                結婚しても子供を持たない家庭が増えた  
     Yahoo!オークション  ヤフオク  単に縮めただけだが。
     トルコ風呂   ソープランド  トルコのイメージダウンとして政治決着
     DION(dion)   au one net   プロバイダー
     常磐ハワイアンセンター  スパリゾートハワイアンズ   
     ハワイアンダンサー    フラガール

     ナショナル   パナソニック   家電メーカー  古い人間はナショナルの方がしっくり
     マイコン パソコン   1970年代よくつかわれた名称 私はMicroをMy だと思っていた
     デジタルツーカー J-phone  Vodafone  ソフトバンク  身売りが相次いだ
     助教授  准教授   今でも助教授と言ってしまう
     大蔵省 財務省  イマイチ財務省という名前が浸透しない アメリカ的?未だに我が家
                 の大蔵大臣は・・・という言い方をする。
     国鉄 JR      JNRがJRに変わった。昭和63年は民営化が相次いだ 
     電電公社   NTT   NTTが民営化して最初の株価が1株300万円だった  
     DDI  KDD  IDO   KDDI   これは3社が合併統合して今のKDDIになった
     専売公社  日本たばこ産業(JT)  今やたばこだけでなく、様々な事業を拡大
     国電  E電   E電という言い方も浸透しない 山手線など路線名で言ってしまう

     ミリバール ヘクトパスカル   天気予報の降水量の単位 
     中華料理   中国料理   「冷やし中華」というくらいだから中華は今でも残存
     ライスカレー  カレーライス   ライスカレーは古い言い方 田舎で耳にしそう
     MS-DOS  MS-WINDOWS   基本OSソフトも劇的に変わった
     都市温暖化   ヒートアイランド  昔は温室効果とよく言われた 

     省エネルック  クールビズ  大平内閣時代に導入された言葉 
     甘味 お菓子  スイーツ    スイーツは甘いもの全体を指す
     ビルマ  ミャンマー    民主化運動のアウンサンスーチーさんが有名 
     ハンサム  イケメン   しょうゆ顔ソース顔という言い方もあった 顔がかっこいい男子 
     ランニング  タンクトップ   インナー   タンクトップはそのまま外着として使える
     シミーズ  キャミソール   インナーだが、キャミソールは見せてもOK

     ジンギスカン  チンギスハン  モンゴル
     支那竹  メンマ    ラーメンなどの具だが、今はメンマが一般化
     焼き飯  チャーハン  これは昔から変わらないようだが・・・。
     輸入品 舶来品   アウトレット    
     社会党  社民党   新生党や新党魁、新進党、自由党などありすぎた 小沢一郎? 

     公共職業安定所  ハローワーク   職安が固定化していたが・・・横文字主流か?   
     ニチイ SATY    大手スーパー 
     日本石油 ジャパンエナジー    日石という名称だったがJOMOなども統合 
     日本交通公社 JTB     民間企業なのに「公社」を名乗っていた    
     大協石油 丸善石油  コスモ石油   
     昭和石油  シェル石油   昭和シェル石油  とにかく石油元売りは合併続き

     以下は説明を割愛し、簡略したい。左が旧名で右が現在主流となっている名称。

     日本電気 NEC     
     成人病  生活習慣病
     新進党  民主党
     若人あきら 我修院達也
     サラ金  消費者金融

     派遣社員  契約社員
     不良 つっぱり ヤンキー DQN
     東急新玉川線  田園都市線
     老人・お年寄り   高齢者
     ズボン  スラックス パンツ

     東京商船大 東京水産大 → 東京海洋大
     都立大学、都立科学技術大学、都立 保健科学大学、都立短期大学→首都大学東京
     東京教育大  筑波大
     月賦  クレジット リボ払い
     漫画喫茶  インターネットカフェ
     インターコンチネンタルカップ  トヨタカップ

     キングファハドカップ  コンフェデレーションカップ
     ナイター  ナイトゲーム
     大リーグ  メジャーリーグ
     90m級ジャンプ  ラージヒル(70m級はノーマルヒル)
     センタリング  クロス

     歌謡曲 J-pop
     派出所  交番   駐在所はそのまま
     必需品  必須アイテム
     オカマ  ニューハーフ
     精神分裂病  総合失調症

     コップ グラス  タンブラー
     ネッスル  ネスレ
     プロクター&ギャンブルサンホーム   P&G
     愛好家  オタク
     湾岸 ウォーターフロント ベイエリア

     ラジカセ  CDコンポ
      オーブントースター  オーブンレンジ
     ベランダ バルコニー テラス
     真剣 マジ ガチ
     おごり ゴチ

     共同合作 コラボ
     ナウい 流行り トレンディ
     知恵遅れ  発達障害
     父兄  保護者
     PTA  父母と教師の会

     変人   発達障害 精神異常者
     インターネット伝言板  BBS
     ただ働き 無賃労働 無料奉仕   ボランティア
     季節従業員期間従業員  契約社員
     出稼ぎ 派遣社員

     浮気 不倫
     手ぬぐい タオル
     おしろい  ベビーパウダー
     クビ   レイオフ  解雇 リストラ
     百貨店 ストア   スーパーマーケット    

     アベック  カップル
     人さらい  誘拐 拉致 人身売買
     猛打賞  マルチヒット
     中継ぎ  セットアッパー 
     抑えストッパー  クローザー

     頭にくる  キレる
     通産省   経産省 
     文部省  文科省
     防衛庁  防衛省
     乞食 ホームレス

     ブルーフィルム  AV  Mサイト
      バカルディ  さまぁ~ず
      海砂利水魚  くりぃむしちゅう 
     おさる  モンチッチー
     磯野貴理子  磯野貴理

     痴呆症  認知症
     ちり紙  テッシュ
     クーラー エアコン
     バイト  フリーター
     会津っぽ  幸楽苑

     スチュワーデス キャビンアテンダント  フライトアテンダント
     看護婦  看護師 保母さん  保育士
      おまわりさん(マッポ) 警官
     給食のおばちゃん  栄養士
     日生のおばちゃん NISSAY レディー

     ブランメル仙台  ベガルタ仙台
     福岡ブルックス  アビスパ福岡
     特撮  SFX  CG
     狂言  自作自演
     告知 告白 発表 公表   カミングアウト

     必勝法  攻略法
     馬鹿 変人  天然
     こうもり  傘
     絆創膏 サビオ  バンドエイド
     登校拒否  不登校

     中退 退学    進路変更
     美容体操  エクササイズ
     お菓子職人  パティシエ
     もやしっ子  草食系男子
     ムキムキ  肉食系男子 マッチョ

     古い言い回しエトセトラ

     衣紋掛け  ハンガー
     襟巻き  マフラー
     流し(台所) キッチン
     電信柱  電柱
     とっくりセーター  タートルネック

     コールテン  コーデュロイ
     お子様 キッズ
     チョッキ  ベスト 
     バンド  ベルト
     ジーパン  ジーンズ  デニム

     外套  コート
     縞々シャツ  ストライプ
     迷彩服  カムフラ
     チャック ジッパー ファスナー 
     ボイン  巨乳

     ペチャパイ  貧乳
     巻尺 メジャー
     ガソリンスタンド(GS)   サービスステーション(SS)
     レコード店  CDショップ
     レンタルビデオ  レンタルショップ

     ねずみ色  灰色  グレー
     橙色  オレンジ色
     サドンデス  ゴールデンゴール
     自殺点  オウンゴール
     連れ込み旅館、モーテル  ラブホ

     毛染め  ヘアカラー
     ビールス  ウィルス
     綜合警備保障  ALSOK
     プラスチックびん  ペットボトル
     フォン  デシベル

     どっきり びっくり 驚き   サプライズ
     よろずや、骨董屋   リサイクルショップ
     古本屋  ブックオフ 
     ビニ本  袋とじ
     スパゲッティ、マカロニ  パスタ
     

     結構あっとランダムに羅列しただけなので、見づらくて申し訳なかったと想う。時代背景や風潮、流行によって、昔ながらの言葉も今風にイメチェンしていることは確かだ。年齢を重ねるごとに、徐々について行けなくなっている気がする。ファッションも流行り廃りが激しいが、生活用品で最も劇的な変貌を遂げたのは、テレビ録画の媒体だ。

     ドカベンカセット→VHS(対ベータ)→S-VHS→8ミリ(DAT)→DV→DVD→ブルーレイ

     より便利により大容量に時代のニーズに対応して、劇的に進化していった。便利になるのは良いが、それによって切り捨てられたものが多数存在していることにも目を向けたいものである。このような発想に至ること自体、歳をとった証拠にほかならない。 

     記事作成:8月20日(火)

    松尾芭蕉~福島路を追って~

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     最近、江戸時代に活躍した俳諧人・松尾芭蕉に凝っている。9月7日(土)に、目的を供にする職場の同僚と、松尾芭蕉が印した足取りを追って、福島市近辺を訪ね歩いた。よくよく考えると、これまでに私は、無意識のうちに松尾芭蕉ゆかりの場所を訪ねて、県内各地を相当数訪れていることに気づいた。それならば「奥の細道」で、彼と弟子の曾良が県内を縦断した足跡を追いながら、自分なりに集約してみたくなった。そこで、彼が辿った福島県内の足跡から見ていきたい。

     まず、彼が江戸の深川を出発点とし、遠路はるばる徒歩にて「みちのく路」を旅し、その先々で遭遇した風景や出来事について、彼自身が体得した感慨や雑感を俳句という手段で表現し、それを散りばめて完成した紀行文「奥の細道」に編纂したことは周知のところだが、彼が現在の福島県に入境したのは、旧暦でいう元禄2年4月20日のことだった。これを今の太陽暦(新暦)に直すと、初夏の6月7日にあたる。松尾芭蕉の健脚ぶりは、忍者説があるほど強靭なもので、一日50km以上を踏破することも珍しくはなかった。そこを足がかりとして彼が歩いた旅路を日付を追って記載し、合わせて私が訪れた日付と重ね合わせ、その名勝や訪問時の様子やエピソードを記載したい。

     元禄2年
     4月20日(太陽暦6月7日)

     境の明神ー奥の細道自然歩道ー白河の関(H25.8.14訪問)

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     4月21日(太陽暦6月8日)

     白河の関(白河神社)ー旗宿ー庄司戻しの桜ー関山ー白河市街ー踏瀬の松の木ー矢吹

    Img_1594_rImg_1595_r

     心もとなき日数重ねるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。

     4月22日(太陽暦6月9日)

     矢吹ー鏡石ー須賀川

     4月23日~4月28日滞在

     須賀川(相良等躬宅)ー長松院ー神炊館神社ー翠ヶ丘公園ー可伸庵ー軒の栗小公園

     風流の 初やおくの 田植うた  世の人の 見付ぬ花や 軒の栗

     4月29日(太陽暦6月16日)

     軒の栗ー乙字ヶ滝ー男滝橋ー八流の滝ー守山宿(田村神社)ー金山橋ー郡山

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     乙字ヶ滝はH25.8.14訪問 田村神社はH25.9.14訪問

     5月1日(太陽暦6月17日)

     郡山ー牛ヶ池ー奥州街道松並木ー蛇骨地蔵堂ー安積山ー太郎丸観音像ー本宮ー

     安達太良神社ー二本松ー黒塚(安達ヶ原)ー観世寺ー松川ー福島

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     松並木と安積山はH25.8.19訪問、二本松黒塚はH25.6.29訪問

     5月2日(太陽暦6月18日)

     福島ー文智摺観音ー月の輪の渡しー瀬の上宿ー医王寺ー大鳥城跡ー飯坂温泉(鯖湖湯)(H25.9.7訪問)

    Img_1930_rImg_1932_r

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     早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺

     笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟

     5月3日(太陽暦6月19日)

     飯坂温泉郷ー十綱の渡しー不動寺ー松原寺ー桑折ー藤田ー弁慶硯石ー貝田宿ー伊達の大木戸

     松尾芭蕉が福島県内に滞在したのは、須賀川市の6日間を最長に、実に13日間に上る。その間、芭蕉の目に写ったものは何だったのか。緑豊かな田園風景か。それとも代わり映えのしない殺風景な景色だったのだろうか。

     参考ブログ

     http://azusamaya.web.fc2.com/oku/index.htm

     http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/oku/aaslow.htm#mt1

     今回の記事のとおり、最近、松尾芭蕉の奥の細道にはまり、どっぷりと浸かっている気がする。同じ職場に志を共にする先輩がいるので、仕事の合間に松尾芭蕉談義に花を咲かせることもしばしである。あの大偉人の松尾芭蕉が、当地を訪れたことも奇跡だが、その350年後に同じルート、同じ訪問地を私が歴訪するのも何かの縁かもしれない。しかし、こうして古の歴史浪漫に触れ、今まで気づかなかった数々の奇跡に出会え、何気ない風景に心を寄せることも多くなった。普段では心を砕くこともないであろう事柄や場所に、ふと足を止めてどっぷり浸かってみるのも一興かと思う。忙しい日常を離れ、一時のオアシスを心ゆくまで味わいたいと思う年齢になったのかもしれない。

     記事作成:9月6日(金)

    郡山の魅力再発見!③~合同庁舎秘話~

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     今回、このシリーズも第3弾を迎えた。今日は人物ではなく建物にスポットを当てたい。郡山市在住の方なら知らぬ人はいないだろう場所が「合同庁舎」だ。しかし、単なる一市町村の役場機能を担う公的な場所と思う勿れ。歴史的に価値があり、貴重な建造物というだけでなく、公私を問わず、様々な観点から自らのエピソードを交えてこの庁舎を眺めてみたい。

     ① 役場としての機能

     かつて郡山市役所は、現在のNTT付近にあった。大正13年9月1日に新生郡山市誕生に伴い、燧田にあった旧町役場を市役所と看板を付け替えただけの庁舎だった。その後、そこが手狭となり、新庁舎移転の気運が高まり、今の細沼町にある福島県合同庁舎が建設され、昭和5年に竣工し、再移転した。当時は斬新な石造りであり、大正浪漫を感じさせるような外観を市民は誇らしげに見上げていたという。しかし、第二次世界大戦の際に、郡山駅前周辺が大規模空襲に見舞われた不遇の時代を乗り越え、戦災復興都市に指定。その後、化学工業や紡績を中心として戦後復興を成し遂げ、昭和39年に新産業都市に指定された。郡部の町村を合併し、大郡山市が形成されると、やはり役場機能が窮屈となり、昭和43年に今の朝日一丁目に新庁舎を建設し、再移転することとなった。

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    燧田にあった最初の市役所  昭和5年竣工の市役所(現・合同庁舎)

     ② 世界遺産にも似た歴史的価値の側面

     以前、当ブログで「郡山市にある世界遺産」という記事で取り上げたが、実はこの合同庁舎の建物は、世界遺産に認定されているイギリスの「ブレア宮殿」にそっくりな外観をしている。いかにも厳かで貴品のある造りは、その建物を参考にした感が漂う。

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-00b7.html

     ③ 映画のロケ地として脚光を浴び建物

     名作「金閣寺」の作家として知られた三島由紀夫。彼は昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の屋外バルコニーで、突如800人の自衛隊員を前に演説を繰り広げ、運命共同体としての決起を叫んだ。しかし、文字通り命懸けの魂の叫びも虚しく、願いが叶わぬと悟った彼は、割腹自殺という衝撃的な最期を遂げた。

     大義のために死す ~三島由紀夫の命懸けの演説~

     この実話は、後に緒形拳主演で映画化(1985年公開:A LIFE IN FOURCHAPTERS )されたのだが、私が高校時代に郡山市でロケが敢行された。しかもそれは、最も重要な、彼が自決する直前に行った市ヶ谷駐屯地での決起を訴える場面である。市ヶ谷駐屯地に似た造りの郡山市細沼にある「福島県合同庁舎」が使われたのだ。その場面の映像は下のアドレスをクリックしてご覧下さい。

    http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1:45:35以降)

     ④ 子供の頃のエピソード

      最後は全くもって私的な観点から追記したい。この場所は、私の実家からほど近く、遊び場に乏しかった小学生時代には、格好の遊び場だった。それは、この建造物は、土台となっている石垣の基礎部分の床下に、人ひとり潜り込める秘密の出入り口(隙間)があり、友人とよく日中に忍び込んでは、奥深くまで探検したものだ。今振り返ると危険極まりなく恐ろしいの一言だが、暗闇の中、ロウソクに火を灯し、それを道標にして広い床下の基礎部分の隙間を伝っては、かくれんぼや冒険したのだった。バレないように息を潜めたり、それはスリル満点の遊びだった。

     また、小学生の頃は、この場所の駐車場を出発点として、さくら通りを西にパレードする鼓笛隊の集合場所となっていた。私のパートはトランペットで、当時流行っていたダニエルブーンの「ビューティフルサンデー」とH小伝統の「錨をあげて」を演奏した。実家近辺を練り歩くので、家族総出で沿道にて声援を掛けられたりして恥ずかしい思いをした記憶がある。また、今の一本松の資生堂付近には福島テレビのテレビカメラが足場の上に設置され、私の顔が大写しになり、翌日学校で冷やかされた想い出がある。

     この場所は、私にとって、貴重な幼少時代のかけがえのない想い出がぎっしりと刻まれた場所でもあった。現在は、複合的な県の出先機関として、各部局が詰め込まれている。かつては県中教育事務所や建設局の出向機関があった。未だに古い佇まいで、まるで倉庫のごとく、狭い廊下にはロッカーが場所を塞ぐように置かれている。歴史的には価値があるが、役場機能を果たすにはお粗末で、何かみすぼらしい印象すら漂う。私は、ここは現役を退き、かつての由緒ある貴重な施設として、見学できるように保存整備すべきだと思っている。

    Goucyo

     記事作成:9月5日(木)

    吾妻小富士ハイキング(我、噴火口に立ちて)

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     もともとの予定では、このハイキングは9月21日(土)の早朝に実行する予定でいた。しかし、気仙沼の「第18共徳丸解体」に次いで、突然舞い込んできた「南三陸町防災庁舎撤去」の報を受け、急遽スケジュールを変更し、「被災地慰問」を決意。一旦は3連休の最終日に移動した。しかし、もろもろの準備を万端に整えていた矢先の本日夜半、1時出発で携帯アラームをセットしたにもかかわらず、知らないうちに止めてしまい、目覚めたのは午前3時50分。その時刻からの被災地訪問は、さすがに時間的にアウトなので、キャンセルせざるを得なくなった。更に言い訳がましいが、秋の交通安全運動週間が本日から始まり、取締まりが厳しいこと、この前日の夜中に、「緊急地震速報」のアラーム音に起こされ、震度3の地震に見舞われ、寝不足だったこととで、その翌日にほぼ睡眠ゼロの状態で500kmも走れば、疲れて居眠り運転必至の状況だったため、これは天からの警告として受け入れ、この日の被災地訪問は断念し、再びこの日は当初の予定通り「吾妻小富士」往復に切り替えたのだった。

     まだ、楓やもみじ、ナナカマドの紅葉には早いが、シーズン中は「磐梯吾妻スカイライン」が大渋滞を引き起こすため、早めの行動とした。特段、紅葉見物が目的ではなく、ただ単に中学以来の再訪となる、浄土平から吾妻小富士に登り、火口を一時間かけて一周したかっただけなのだ。ここから見下ろす福島市の風景も一興だし、二本松の市街地を見下ろしたり、その真西に聳え立つ「一切経山」の噴煙もまた見所として打ってつけだと感じた。また、岳温泉の「足だけ湯」もまたそそられるものがあった。それでは、当日の模様の一切合切を報告したい。

      9月21日(土) くもり→快晴

     4:37 起床。身支度を整える。標高1,000mを超える山登りになるため、気温低下を
         想定し、半袖半ズボンを改め、長袖とヤッケを用意する。しかし、下は軽くて登り
         やすい短パンで挑む。PC作業の後、出発にこぎつけた。以下、主な出来事は以
         下の通り。

     5:45 自宅発。肌寒い。車内で昨日購入したコッペパンを齧る。バイパスの温度表示は
        16℃。バイパスから見る安達太良山の稜線はくっきり。雲が一切かかっていない。
              全 国秋の交通安全週間初日のため、安全運転励行。しかし、周りは70~80 
         km/hで流れている。人取橋古戦場で対向して来たパジェロのパトカーがUターンし
             て追いかけてきた。自重。サイレンも鳴らしていないのに、赤信号の交差点を直進
         して走り去って行った。トラック、赤信号を平気で無視して通過。ありえない。

     5:58 本宮IC前通過。16:04プラント5の交差点から左折。県道30号で岳温泉方面
              へ。大山コンビニの先で工事現場の片側通行信号1分半も待つ。高原道路の木
         立におしゃれな店点在。ピザ屋、あんぽん炭など。13℃表示。風はない。東の空
              朝焼け。ニコニコ共和国議事堂交差点24.5km。右折。鏡池碧山亭方面へ。狭い
              下り坂の「桜坂」へ途中、道端の右側に「岳温泉足湯」を見つけるが、周辺に駐車
              場なし。駐車スペースを探して右往左往するが、見当たらず路駐。

     6:18 岳温泉足湯着。無人。さっそく靴とソックスを脱いで浸かるが、めちゃ熱い。でも
         心地よかった。本当は登山(トレッキング)の後が好ましいが、帰りに寄っても人
         だらけを予想して先に入る。5分で終了。

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      6:24 足湯発。前を行くもみじマークがのろのろ。国道459号を土湯方面へ。前方にあ
         だたらエクスプレスのゴンドラ山頂駅が見通せる。

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     6:29 塩沢・サファリパーク入口。30.3km。木立の一本道。二本松から福島へ。ラジ
         オのFMはB’z。Lady Navigattion。
     6:31 右折して土湯「道の駅」からR115へ。30.3km地点。先行者をパスし、そのまま
             先頭キープ。右手に吾妻小富士の茶色の山肌が望める。38km地点のトンネルの
             直後、右折。旧土湯道路へ。懐かしい。20年振りに走行。当時、交際していた彼
         女と来て以来。裏覚えだが、記憶にあり。狭い峠道。山の斜面伝いに道が連なる。
              林の中の一本道。時折視界が開け、絶景が・・・。青空に山の緑や山の稜線が映
              える。紅葉はまだまだ先。深い緑に芒が転々。気温は14℃。バイクが数台。

     6:42 絶景ポイントで停車して写真。すぐその先に野地温泉。
     6:45 野地温泉ホテルP停車。42.8km地点。湯けむりと湯気立ち上る。硫黄の匂い
         が鼻につく。ここから先は温泉宿が点在。200m先に赤湯、更には鷲倉温泉が隣
         接。そして右に分けいれば幕川温泉の分岐路あり。そして福島方面から上がって
         くる道路と合流。右折してスカイライン方面へ。日本の道100選の標示立つ。幼
         い頃の記憶では、スカイラインの入口の周辺はもっと広いと思っていたが、廃墟
         の峠の茶屋(ドライブイン)もなく、寂れた印象。

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     6:50 磐梯吾妻スカイラインゲート。無料通過。山の中腹を辿る狭い一本道。くねくね
         で、左側は谷底で、遠景では磐梯山が望めるパノラマ道路。親に連れられて小学
         生の頃に通ったり、中学時に遠足で来て以来30年は経過している。紅葉は一切
         していない。快晴青空。風も全くない。絶好のドライブ日和。早起き出発が奏功し
         てスカイラインは車少ない。バイクと半々。絶景ポイントの国見台、石碑のある路
              肩広場で停車し、写メ。磐梯山の絶景が同じ目線で見渡せる。やはり有料道路だ  
         っただけのことはある。V字谷の風景が広がる「天風境」は素通り。帰りに寄ること
         に。ところどころ、福島交通のバス停あり。ここまで路線バスが上る?

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     7:01 湖見台(48.1km地点)の路肩で停車して写メ。木立ち、山の稜線に沿って進
         む。浄土平まであと8km。結構通り。時々きついタイトコーナーあり。ぐんぐん空に
         上っていく感じ。だからスカイライン・・・。納得。道路に標高1,500mなどの標
         示。こんなに高く上ってきても、この日は風がない。白樺。気温13℃。長袖だが下
         は半ズボンの軽装だったが、これならイケそう。双竜の辻というポイントあり。スペ
         ースなく素通り。ここも帰り寄る。ここから西側の風景が最もシャッターチャンスの
         抜群のロケーション。磐梯山が間近に。木立の直線後、正面に茶色い一切経山
         が見え出す。そこのアップダウンが激しい直線がスカイラインの最高地点。標高
         1,622mの道路表示と道路脇にその標示板。その先で駐車。 
     7:12 1,622m地点到達。自宅からは55.8km地点。徒歩で戻って写メ。ひんやりす
         るが風が全くないので寒さは感じない。再出発後、1kmほどで兎平駐車場。そして
         その先で視界が開け、正面に茶色い山肌の「一切経山」、右手に本日上る「吾妻
         小富士」が聳え立つ。

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     7:17 左側の広大な「浄土平レストハウス」駐車場へ。入口にバイク軍団が陣取ってい
         る。無人のゲートを素通りしてシャッターが閉まっているレストハウス前に駐車。自
         宅を出てから1時間32分で到着。58.4kmだった。ひとりで格好悪いが、バイク
         の連中をの視線を尻目に、道路を横断し、吾妻小富士の登山口へ。入口に大き
         な標示板。「1,707m」の文字。私はこの山を一周するつもりだが、半周した東側
         の最高地点から見える福島市街を一望する景色を見たかった。写真はいつもの
         ように逆光・・・。登山道は急勾配。これを目の当たりにすると普通の人は登りたく
         なくなるかも。

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     7:20 登山道を早速アタック開始。誰も登山していない様子。先陣を切る。登山道(散
         策路)は整備されていはいるが、丸太を飛んで上るため、意外と登りづらい。岩も  
         突き出ているので、大股で歩くため、丸太同士の設置ポイントが幅広くてやばい。
          個人のブログを見ると、10分かからないで火口の上に出ると書いてあった。一気
         に上る。ライダー達が注目しているので、息切れや疲れている姿を見られないた
         めに、時々広大なパノラマ風景を写メしている振りで休み、息を整える。結構あま
         り休まずにいいペースで登った。なんと登り始めから4分ほどで火口まで着いてし
         まった。来年大台を迎える年齢なのに、まだまだ体力も捨てたものではない。最
         近、週末ごとに険しい階段を登るショートトリップばかり繰り返していたので、あま
         り苦にはならなかった。しかし、この体力では磐梯山登山など不可能に近い。ジグ
         ザグに設置された散策路(登山道)を上る途中、レストハウスがどんどん遠ざかっ
         ていく。目の前には2箇所白い噴煙を立ち上らせる一切経山が朝日に映えて明る
         く見える。

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     7:24 吾妻小富士の火口上到着。直径500mくらいのすり鉢状の火口を囲むように登
         山道が一周しているが、見たところ、誰も歩いていない。一番乗りだったようだ。
         風もなく穏やかだった。周辺は硫黄の臭いが立ち込める。あちこちに石を積み上
         げた造形物があった。ネットの公式観光案内HPには時計周りをお勧めするとの
         記載があったため、それに従う。しかし、北側の急勾配の坂を見て、恐れ慄く。あ
         れを登るのか?肺と足腰、それに筋肉や呼吸は持つのか・・・。しかしせっかくここ
         まで来たのだから、この機会を逸したら二度と登れないかもしれない。悔いを残さ
         ぬように意を決して進む。眼下を見ると、スカイラインの北側の道路は、森の中で
         はなく、岩石の山の中腹を伝って道がくねりながら続いていた。やがて最初の急
         勾配。向こう側が見えないようなそそり立つ壁のような焦げ茶の岩山が迫る。そ
         の険しさにすぐ息切れ。急坂にへたれながら、途中、突き出た岩で腰掛けて休
         憩。胸が苦しくてきつい・・・。唾を吐く。大きく深呼吸するが、硫黄の臭いがきつ
         く、余計に呼吸困難に。
          すると、ライダー風の男が、遊歩道から時計回りで私の後を追うように、歩き始
         めたではないか。抜かれるのが癪に障るので、懸命に上っていく。もちろん3~4
         回は息継ぎと肺機能回復を図って休み、更に気力を振り絞って上る。火口側は極
         めて危険、怖くて覗き込めない。万が一、足を滑らせて転落したら、まず助からな
         い。火口の最深部は高さ200mくらいありそう。急な坂道はスポシューだと滑って
         危ない。何度も滑ってひやっとした。やっと一番険しい壁のような岩山部分を制
         圧した。

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     7:40 吾妻小富士頂上到達。ゴツゴツの巨岩なので、あまり休憩場所がない。この時
         はまだ、半周していないので、ここを下ってもう一度坂を上った100m先の場所が
         最高地点だと勘違いしていたが、この最初のそそり立つ壁を登りきった岩場が吾
         妻小富士の最高到達点だった。東側の眼下の福島市街地を望めるが、逆光に加
         え、きらきら反射して眩しくてイマイチ街の風景が確認できない。残念。更に一旦
         緩い下り坂の後、また50mほど坂を上らなければならない。この時はそこが吾妻
         小富士の最高地点だと思い込んでいたということだ。途中何度も写真を撮った。

     7:44 距離を縮められながらもやっとこさ2つめのコブを制覇。ちょうど半周した形。個
         人ブロガーの記載には1時間程度かかる見込みとあったが、半周を20分で完
         歩。なぜか蠅や虻が飛び回っている。硫黄の臭いに誘われてなのか?青空で気
         持ちが良いが、唾を吐きながら、よろよろ状態。これが風がなかったからいいよう
         なものの、幅員5mくらいしかない周回路は自然のままなので、所々岩が飛び出て
         いて危険。滑落防止のロープも柵も何もないのが不思議でならない。小学生の遠
         足も実施されるが、誤って転落や滑落する危険は大だ。ここからは下り。こちらの
         ほうが体力的には楽だが、神経は倍遣う。その直後、2箇所、幅が狭く、岩の隙
         間を縫うような道しかなく、慎重を要する。下手すれば崖下転落死の可能性大。こ
         んな場所小学生や子供は無理。ふざけたら間違いなく死ぬ。ただでさえ幅が狭い
         のに、大きな岩が進路を塞ぐようにゴロゴロ転がっていてライン取りが難しい。足
         場が悪いし右も左も崖で滑ったら一貫の終わり。そこを脱した後は急な下り坂。     
         スポシューは滑りやすく、何度も足を取られた。後続に抜かれまいと、逐一確認を
         入れながら進む。途中しっかりと何枚も火口や360度パノラマの風景写真を撮影
         した。外側は、見渡す限りの壮大な風景が広がっていた。障害物が何もなく、普
         段は吹きっさらしの筈なのに、奇跡的にも無風なのが不思議だった。ゆっくり足元
         を気にしながら坂を下る。落ちたらマジでシャレにならない。時々火口に近寄り、
         写真撮影。すり鉢状の火口を隔てた対面の斜面が険しくて、よくぞまぁあそこを登
         ったものだと感心した。

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     7:55 火口の時計周りでの一周を終了。正直きつかったが、今トライしないと多分二度
         とできないと思い、無理して何とか完歩制覇した。何と通常なら1時間近くかかると
         ころを、31分で周回してしまった。レストハウスからでも35分。これは早い。体力
         激減している私だが、まだまだ捨てたものではない。私に釣られたのか、その後、
         12~13人ほどが火口の周りを登っている人影が確認できた。日差しが強く、し
         かも逆光なので、写真撮影に苦慮。そのまま登山道を下りようとしたら、下からギ
         ャル3人を含む4人が上がってきたため、しばらく火口周辺を見納めする。ハエや
         らアブやらがうるさい。帰りも斜度のきつい斜面を転がり落ちるように続く難しい遊
         歩道で、岩に足を取られないよう細心の注意を払った。コケて足を捻ったりしたら
         ヤバイ。下から軽装備の50歳くらいの男性がひとり、ひーひー言いながら休み休
         み上って来る姿が見えた。すれ違いざま、思わず「キツですよね」と声を掛けた。
         帰りは3分程で地上へ帰還・・・。 

     8:03 登山道入口着。結局、駐車場から登山道を上り、火口を一周して駐車場へ戻っ
         て来ての往復は、時間にして43分ほどだった。レストハウスのシャッターが自
         動?で開きだした。標識を入れて写メ。道路を横切り、ライダー達の前を通って車
         へ。正面入口はまだ閉まったままだが、その前で店員の女性2人が団子を焼きだ
         した。美味そう。ひと串300円という文字が。

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     8:09 浄土平レストハウス駐車場出発。隣りはすべて県外ナンバー。つくば、多摩、岐
         阜だった。3連休遠出か?来た道を引き返す。
     8:16 双竜の辻手前で磐梯山の写真。左コーナーでは磐梯山に突っ込むような形の走
         行となる。駐車して写メ撮る度に、バイクが素通りして行く。急なタイトコーナーが
         続く。

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     8:18 天風境のPへ。69.9km地点。右カーブの左に少し大きめの駐車スペース。そこ
         から見える風景は格別。V字形に谷間が広がる。中腹に森に隠れて見えなかった
         が、幕滝という大きな滝があるらしい。その左には、道なき道に旅館風の建物の
         一部が見え、更にその右下には吊り橋らしき構造物が・・・。爆音を響かせてライ
         ダー軍団がコーナリングを決めて下って行った。尾根伝いに作られた道を進む。

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     8:31 スカイラインのゲートを潜った。右折。瞬時に判断。R115を猪苗代方面に向か
         い中ノ沢から母成経由で帰路に着くことを決めた。ということは横向きロッジの前
         を通ることとなる。県道70号線へ。72.4km地点。この道でいいのか不安だった
         が、何度か急カーブを越えるうちに確信が持てた。一度ここは通ったことがあり、
         九十九折の急な坂の途中から真下方向にパラマウント磐梯のホテルが見おろせ
         た。するとまもなく予想通り、廃墟の横向きロッジの裏側へ。

     8:37 横向きロッジ。75.2km地点。8月のミステリーツアーで立ち寄った全国No.1の
         人気心霊スポットだ。左カーブして写メを撮ろうとしたら、70歳くらいのおじいさん
         がロッジから飛び出してきた。私の車を見るなり慌てて道路を横切った。車窓から
         ロッジが見える場所で緊急停車して車内越しに写メ。そのじいさんも私を警戒して
         いた。心霊マニアか?まさか朝から幽霊では・・・。ちゃんと足はあったが。スルー
         して下るとすぐホテル前。そして木立の中を進むと左に箕輪スキー場の建物と、
         奥にゲレンデが見えた。箕輪のゲートを素通りして、R115土湯道路へ迂回して
         合流(8:39)。車4台の先行を許し、横向大橋を渡る。道端に「松たけ販売」の看
         板が置かれている。ほどなく左側に膨らんだ路肩に販売車。誰も客はいない。

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     8:43 ドライブイン高森前通過。やはり営業していない。途中で停車中の黄色の道路公
         団のRV車をパス。それに追いかけられる。姫沼の入口も素通り。先行車4台が高
         速で追いつけない。ネズミ捕り大丈夫か?秋の交通安全運動だぞ?やがて中ノ
         沢の分岐を待たずに沼尻駅前の分岐から左折(8:45)。更に200m先で左折
         し、中ノ沢温泉へ。この時、ガンメタ車に煽られる。前に2台詰まっていてどうしよ
         うもない。腹立つDQN野郎だ。8月以来の母成グリーンライン(無料)を通行。本日
         は山頂付近にあると思われる「母成峠古戦場」の石碑を見落とさないように注意
         深く走行。途中、煽りガンメタは路肩に停車。厄介なDQNを振り切った。しかし、前
         の会津ナンバー銀のハイブリッドホンダ車がとろい。しかし、どこにも石碑は見当
         たらない。そのまま急なコーナーに入る。その下りカーブの途中、右側に銚子ヶ滝
         登山口の駐車場を確認した(8:55)。この急な坂を走って登ってくる人が1名。ラ
         ジオ福島「大和田新のラジオ長屋」でアナウンス噛みまくり。電話はアニマル浜口
         以上の豪快に笑いすぎるオッサンとの対話。

     8:58 母成峠旧ゲートの駐車場。ようやくここで前の車が譲る。ふれあい牧場入口通過
         した。この道路、8月以降でもう4度目の走行。21℃の表示。梨畑収穫作業。
     9:05 奇岩前。高速のガード下を潜る。田んぼは黄金色で稲穂が頭を垂れていた。高
         玉城址通過。
     9:10 味噌屋前から左折してR49へ合流。104.5km地点。23℃の表示。暑くなって
         きた。もし、今日被災地(岩手~宮城)に行っていたら、最高のドライブ日和だった
         筈。なんとも悔しい。寝過ごしと睡眠不足が災いした。帰宅後のブログまとめを考
         えたら本日しかなかった・・・。安子ヶ島の追い越し道路も自重。

     9:17 トライアル。111.0km。食料を818円分の買い物。9:32発。喜久田駅前を通
         り、会津街道(県道286号)に合流。

     9:38 ベレシュに立ち寄る。しかし駐車場は満杯。特設テントで彼岸花販売に客が殺
         到。きゅうり高くなり買えず。試食の枝豆だけ口にし、何も買わずに店を出る。

     9:43 帰宅。走行距離は116.6km。 出費は818円のみ。撮影121枚。

     (後記)

     予定通りなら被災地に訪れるハズだった。天気予報も準備も万端だったが、睡眠不足の中、高速にて500km往復する自信がなくなった。秋の交通安全運動で取締りの危機があり、また気持ち的に、私のような者が大勢の方々が犠牲になった聖地を訪ねていいものかどうか熟慮を重ねた。第18共徳丸はまもなく解体完了、南三陸町の防災庁舎もまた、近いうちに取り壊されて撤去されてしまう。大川小や門脇小校舎でさえ、いつまでもあのまま放置しておけないだろう。震災遺構がどんどん失われて行く中で、指を咥えて待っているのも辛いが、私自身が運転に自信が無くなったことと、申し訳ない気持ちが先立ってしまった。たぶん行かずには後悔しか残らないだろうが、今の私には被災地を訪れる勇気も資格もないように思えてしまう。難しい判断だ。
     さて、その代案という訳ではないが、当初の予定に戻り、「吾妻小富士トレッキング(実はハイキング)」を決行出来たことは何より。たぶん徐々に体の自由が利かなくなるであろう前に、吾妻小富士一周まで実行できて良かった。今夏メタボの診断を喰らい、それからというもの、毎週末には体を動かそうという意図で、様々な旅行プランを組んできた。だんだんネタ切れになっているが、今後も出来る限り、遠出やショートトリップを継続し、健康の保持と体力の増進を図っていきたいと思う。

     記事作成:9月21日(土)

     追記

     帰宅後、ネットでさんざん検索して「母成峠古戦場址の石碑」の位置を掲載したブログを発見。ようやくその場所を探り当てた。本日を含め、過去3度探したが見つからず終いだった。忘れぬようリンクしておきたい。

    http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/2013/06/post-3ce1.html

    http://mo6380392.exblog.jp/18552924


    名曲と出逢う旅 ~渡良瀬橋編~

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     このプランは、11月4日(月)に、職場の同僚と訪れた「田中正造記念館」がきっかけとなった。館林市まで出向いたのに、その隣りにあった、ぜひとも私が訪ねてみたかった足利市をすっかり忘れていた。学生時代に、バイクで通りがてら、「足利學校」を訪れた経験はあったが、じっくりと見た記憶がない。そして、合わせて私の20代のマドンナ、森高千里の名曲「渡良瀬橋」の歌詞に登場する場所をいつか巡ってみたいと思っていた。今回、近辺まで行ったことで、ぜひここで実現させたいという思いを強くした。しかるにそのプランとは・・・。

     自宅→郡山南IC→清滝IC→足尾銅山(松木村跡・本山精錬所・足尾駅・わたらせ渓流

    鉄道トロッコ列車・沈殿湖)→草木ダム→桐生→足利市(緑町八雲神社・バーバー小沢電

    話BOX・八雲神社・織姫神社・足利駅・足利学校・渡良瀬橋歌碑・渡良瀬橋ほか)→足利

    IC→岩舟JCT→郡山南IC→自宅      参考ブログはコチラ  歌詞はコチラ

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     <経緯と経過>

     このプランの実施は正直きつかった。11/4(月)の佐野・館林往復で、風邪をひいてしまい、体調を崩して病院通いをし、今も7種類の薬を服用している身の上での強攻策。放射冷却は厳しいが、天気が良いのと雪が降ってからでは身動きがとれなくなること、更には思い立った時に動かないと、興味関心が薄らいでしまうなどを総合的に勘案して決めた。本当はこの日、先輩同僚宅で、採れたての大根祭りを実施しようと約束していたのに、それを反故にしての決行となった。では、さっそく当日の模様を見ていきたい。

     11月9日(土) 晴れ→くもり

     5:51 起床。家内は子供のための朝食作り。出づらい。風邪薬の顆粒剤をばらまく。食
         事なしで服用。台湾で着用したダウンを着込む。
     6:18 自宅発。朝日。気温は4℃。放射冷却で冷え込む。バイパス空いている。安積通
         りを右折。静町から左折してコスモス通りから市場前へ。まうちゅう。「統商」のトラ
         ックを交わす。カルチャー先で右折して県道47へ。Nシステム通過。
     6:32 郡山南IC。気温6℃。統商トラック暴走140km/h以上出し追い抜く。
     6:39 ループコイル。95km/hで通過。2℃。手巻き寿司齧る。伊藤園のペット茶まず
         い。
     6:44 矢吹IC。晴れ。BGMはZARD。坂井泉水の声が切ない。100~120km/hペー
         ス。統商を抜き返す。
     6:49 白河中央IC。昨日のゴミ箱から焼死体発見の「メガステージ」の近くを走行。那
         須連邦の山々の稜線がくっきり。また統商猛追を振り切る。:54栃木県へ。
     6:58 那須高原SAへ。57.4km。ハイウェイウォーカーあり。入手。ナビを足尾にセッ
         ト。7:03発。
     7:07 那須黒磯IC。7:11黒磯板室IC。蛇尾川渡る。
     7:13 西那須野塩原IC。順調。紅葉した那須の山々に朝日が当たり美しい。
         150km/hで前の車を煽る那須ナンバー車。
     7:22 矢板・氏家IC。:25鬼怒川通過。:26レーダー95km/hで通過。
     7:28 上河内SA。120km/h~。
     7:32 宇都宮IC出口。1,450円。ETC出口を通過してから日光道路へ。交通量多い。
         道路の両側の木々が紅葉。
     7:39 大沢出口。料金所ETC通過200円。茶色の禿山に向かって突っ込んでいく。
     7:42 土沢出口。:44今市出口。料金所150円。50km/h制限。対面通行。910mトン
         ネル。楓や紅葉、黄色や赤彩りめちゃ綺麗。

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     7:52 清滝ICで有料道路を出る。車多い。2℃表示。R120号。山間道路。細尾大谷
         左折。橋を渡って足尾方面へ。紅葉超綺麗。左沢川。山の斜面にいろは坂のガ
         ードレール。日足トンネル。2,675m。R122小さな隧道急カーブ連続。神子内
         川。河原。木立の間。
     8:02 堰堤で写真。5℃。絶景スポットでUターン。
     8:08 セーブオンPの端っこから徒歩往復。写メ。160.7km地点。:12リスタート。イ
         チョウも綺麗。赤のアーチ橋。

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     8:15 田元交差点右折。県道250号へ。細いガード下の道。断崖の川沿いの縁の道。
     8:17 古河キャスティック工場の路肩に駐車。歩いて戻って「藤間駅」へ。ちょうどチョコ
         レート色の電車(1両)が到着。展望台に登って写メ。WC。駅舎でパンフ貰い、ス
         タンプ。乗降客数名。

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     8:23 藤間駅発。赤倉郵便局。地元の住民が道路沿いに。川向こうに青い屋根の作
         業夫の住居が連なる。やがて前方左に、足尾銅山精錬所のシンボルの煙突
         が・・・。意外に近い。「足尾みんなの家」。やがてロータリー分岐路へ。古河橋は
         ここにあった。赤茶けて古ぼけていた。崩落危険で立ち入り禁止。地面は木製の
         板。細い道を川沿いに進む。川向に巨大煙突。タンクが2~3個。廃墟の工場。し
         かし、大部分は解体撤去された。結構車が来る。狭い道も何箇所かある。旧線の
         踏切が放置。線路はなく、アスファルト。右にお寺。渓谷沿い。愛宕下で右に住居
         跡と石塁。向かい側はお地蔵尊。旧松木村までは道路無し。川向こうの左の山の
         斜面に滝が2つ流れる。前方左に吊り橋。カモシカの道から写真。高原木の看板
         あり。九段に九十九折の段差となった堰き堤。段々畑のように滝になっている。や
         がて「銅親水公園」で行き止まり。ゲートあり。一般車はここまで。ダンプは自動で
         ゲートオープン。左急カーブして吊り橋へ繋がるところの駐車場へ。

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     8:37 銅親水公園着。168.0km。松木渓谷の吊り橋。立派。まるで仮面ライダーのエ
         ンディングでショッカーが滝から次々振り落とされる絵づらのまま。その大壁状の
         滝の左隣には、武者返しのようにそそり立つ壁に巨大壁画。ここは何と渡良瀬川
         だった。周辺はV字谷間渓谷。紅葉はまだ上のほうだけ。降雪した形跡あり。東
         側は断崖で、落石防止の工事。寒くはない。徒歩にて橋の渡り終わりまで散策。

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     8:44 銅親水公園発。ゲートから旧松木村方面のV字谷を写メ。帽子をかぶった女性
         が道沿いをウォーキング。結構写真撮っている。バッテリー持つか心配。くもり
         空。来た道を戻る。古河橋のロータリーから右折。どうやら足尾銅山精錬所はゲ
         ートが閉まっていて、立ち入り禁止。その先の鉄道のガードを潜って道が細くなる
         手前に駐車。ここまで170km地点。マップ確認。赤茶色に変色した沈殿湖に行き
         たいのだが。マップで何度も確認してタイムロス。熊出没の注意書き看板有り。そ
         の立ち入り注意の橋を渡り、何とその頭上にも吊り橋のようなものが。向こう岸か
         ら鉄道のガードを先を眺めるが、中には入れず。雑木林や枯れ草を分け入り、レ
         ールへ。ガード側の反対側の短い隧道確認。クマの心配はなさそう。マップ確認。
         行きたい箇所をピックアップ。どこにも負の遺産の沈殿湖の表示無し。

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     9:05 松木渓谷方面に戻って、左側の「龍蔵寺」の駐車場へ。何と親水公園のウォー
         キング女性が早くも到着して墓地周辺を歩き回っていた。ここにはまるで墓石が
         ピラミッドのように積まれた「無縁仏の供養塔」がある。短い坂を上がって境内
         へ。本堂の左には霊安堂があり、その向かい側に小高く積まれた無縁仏塔
         が・・・。真っ黒で不気味。しかもその背後には、あの精錬所の煙突が聳える。そ
         れを死後まで見守るかのように眠っていた。礼を尽くし、何度も頭を垂れた。その
         傍らには「つばめ来る・・・」で始まる句碑が置かれていた。その後、来た道を引き
         返す。途中、左折して細い急坂を上がる。発電施設のようなものがあったが、そこ
         は赤煉瓦防火壁だった。その裏手には桜の木の植樹。Uターン。穴ボコでタイヤ
         ショック。パンク心配。R250へ。
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     9:18 道沿いの山の麓に団地が2棟並び、そのそそり立つ崖下に藤間の旧水力発電
         所のパイプ菅のモニュメントを発見。空き地のような駐車場に停車。昔の写真と
         解説板あり。赤茶けた歴史を感じる銅管。旧踏切、藤間駅、キャスティック前を通
         過。田元交差点を右折してR250へ。次は足尾駅。
     9:25 橋を渡った先の左に水掛赤煉瓦倉庫を発見。通り過ぎてバックで戻る。草ボウ
         ボウボウのテニスコート。立ち入り禁止。外観の写真のみ。そこは水掛倶楽部と
         いう迎賓館なのだが、休み。ジジババの団体観光客20人以上。そこの渓谷にか
         かる橋が何と「渡良瀬川」に架かる「渡良瀬橋」という。足利のそれと同名。3階建
         ての立派なアパートの先右側に足尾駅あり。そのご老人グループが列車待ち。駅
         舎の前に陣取っていた。

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     9:30 足尾駅着。174.4km地点。駅の右の空き地に駐車。オレンジ色の昔の国電を
         払い下げたような車両がポツンと置いてあった。駅舎内でスタンプを押し、ホーム
         の風景を観察。写メ。長居無用ですぐ出発。川沿いの昔ながらの街道。コンビニ
         やGSもある。ほどなく右折して通洞駅へ。客待ちタクシーが3台占拠。右に入り、
         蓮慶寺の路肩に駐める。100m歩いて駅舎へ。隣が公園。駅舎は何もない無人
         駅。ホームで写メのみ。海抜636mにある駅らしい。沈殿湖まで続く九十九折の
         道がちらっと見えたが、その入口が車両通行禁止。つまり登山しないとたどり着け
         ない?案内図の看板ではわかりづらいし、沈殿湖の表示が無い。タクシーの運ち
         ゃんに聞けばよかった。わたらせ渓谷鉄道なのだが、トロッコ列車も走っている。
         本数が極端に少ない。鉄道唱歌足尾編という看板があった。7分ほどで出発。

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          結局、沈殿湖の入口見つけられず。足尾銅山観光のテーマパークが左下に確
         認。マイナス方向へ戻る形で右折して坂を登り、足尾歴史館とその先のグラウン
         ドに迷い込み、Uターンしたり、廃墟工場群を通過。更には右折して住宅団地に入
         り込んだり、道に迷う。この時点で沈殿湖は断念。紅葉が綺麗な川沿いルート。
         青い鉄橋と紅葉と河原の図。カメラマン三脚撮影。その先の分岐点。右折。銅山
         の遺構を探りに谷間の道を行く。R293の山道へ。秘境感あり。紅葉美しい。測
         量中。くねくねですれ違えない箇所あり。いろいろな銅山の跡がある。小滝の里
         P。182.5km地点。カップル紅葉見。石碑。小滝応援歌と小滝小学校歌が刻ま
         れ、裏には、かつて住んでいた村民全員の名前が刻まれてあった。反対側の斜
         面に石塁あり。探索。その後、旧小滝橋の迂回路。実は参加し回っていた浴場が
         あった。10mほどのアーチの錆び付いて朽ち果てた橋。坑道跡は鉄製の門扉で
         立ち禁。その先、左には火薬保管庫跡。行動閉鎖。狭い道。小川沿いルート。紅
         葉絶景スポットで写真。適当にUターンするつもりが奥地の銀山平キャンプ場、そ
         の先のかじか荘の庚申山登山口の通行止めまで来てしまう。184.4km地点。結
         構距離走る。ラジオはNHKの寄席。チャーリーカンパニーの漫才と松鶴亭千歳の
         懐かしの「わかるかな、わかんねぇだろうな」のフレーズ。中国人の慰霊碑もあっ
         た。すると帰り際、坑夫浴場跡を発見し、緊急停車して写メ。 

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    10:25 小滝坑夫浴場跡発。

    http://www.nishida-s.com/main/categ4/ashiodouzann/ashiodouzann.htm

    10:32 右折してR122へ復帰。交通量少ない。前方にパトライト回転のパジェロパトカ
         ー。足尾トンネル後、群馬県に入り、道を譲ってくれる。対向バイクにパッシング。
          次は関東の水瓶の群馬県草木ダムへ。水不足のたびにTVに出る。一本道。
    10:42 草木ダムの北側の端へ。赤いアーチの橋が湖に架かる。サンレイクの文字。
    10:47 赤い橋のたもとへ。何故か電話ボックスが。投身自殺を未然に防止?徒歩で橋
         を50mほど渡って絶景スポットで両側の風景を写メ。対岸の展望台にセットした
         が行かない。そこは199.3km地点で、草木橋という名前で昭和51年7月竣工。
         向かい側が喜龍苑という蕎麦屋?石庭公園。
    10:49 道の駅へ。草木ダム展望台Pへ。駐車場満車。斜線部分に停車して顰蹙。バイ
         ク多い。ダムの真上の通路を写メのみ。スケールがよくわからない。御霊橋。そ
         の先長い車列。後ろ車間距離取らずくっつく紺の車。50km/h道路を45km/h走
         行。イラつく。予定よりも1時間近く早いがノロノロ運転。10台連なる。渋滞の先頭
         は気づいていない。花輪。どんよりした空模様。

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    11:02 桐生市に入る。足利渡良瀬橋での夕日は難しそうな分厚い雲。天気予報大外
         れ。11:04 水沼へ。わたらせ渓流鉄道水沼駅。
    11:08 道の駅くろほねやまびこ。城下トンネル。川沿いだが併走してレール。貴船神社
         表示。R333とR122が共有。紺の車くっつきすぎ。スリップストリーム状態。右
         折。バイパス方向へ。左折。なかめ公園。踏切ちょうど列車通過で待たされる。菊
         人形。ノロノロ。T字右折。左方向。右方向。踏切り。ダンプを避けようと左折却っ
         て遅い。右折。桐生市街地へ。桐生高校先を右折。渡良瀬川の北側の川沿いル
         ートへ。街道沿い。じいちゃんが自転車で中央を逆行。230km地点で県道67
         へ。信号多い。何回も引っかかる。30~40km/hゆったりペース。
    11:46 橋の先から栃木に入る。ようやく足利へ。「とちぎ」ナンバー車。やっぱり天気はく
         もり。R67。300~500mごとに信号アウト。電化された両毛線の単線の線路沿
         い。
    11:54 足利工大入口。:59右に巨大な「赤十字病院」。渡良瀬橋方面へ向かう。左折し
         て坂を上がってR40の立体へ。進行方向に電話ボックスがある目印の高層マン
         ションを確認。下ってすぐに左折。T字路を左折。右手に八雲神社を見つけた。駐
         車場にタクシー3台客待ち。先客1組。
    12:02 緑町八雲神社着。242.1km。ここは昨年12月に不審火で火災になり、本殿が
         消失してしまった。森高千里のPVでも紹介され、ここを「渡良瀬橋」の歌詞のモデ
         ルになった。早速、「渡良瀬橋」にBGMを変更。早速見物開始。左側のお水取りで
         手を洗う。石段を上がるとすぐ目の前に仮の本殿。中から工事の人の話し声が。
         一応お参り。ここに彼女も来ている。裏手に回る。酒樽が置かれていた背の高い
         社殿は跡形もない。右には神社の鳥居。おじさんが一人お参り。ここの絵馬はカ
         ラーで「渡良瀬橋」の絵と「心の通う渡良瀬橋」の文言入り。夕日期待薄。

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    12:07 八雲神社発。すぐにR40へ戻り、通7丁目の交差点へ。赤信号時にデジカメスタ
         ンバイ。通過時に電話ボックスの写メ。予告信号で停車。慌てて左折。迂回した
         ら、ちょうどお寺(三宝院)の第一駐車場が。ここを借りて床屋と電話ボックスを訪
         問。
    12:10 三宝院着。R67方面から攻めるが、交差点の車の視線を気にして恥ずかしくて
         写メ撮れない。通り過ぎる。電話ボックスの中を覗き込むと、森高千里の写真もな
         ければ、「渡良瀬橋」のパンフもない。このままでは埒があかないので、勇気を出
         して床屋「バーバー小沢」に入った。「こんちは~」と声を掛けても誰も出てこない。
         すると待合の椅子とテーブルにあのパンフがあった。一枚貰い、そのまま店を出
         た。一旦R67側から戻る。メモ後、再び逆側からアタック。歩きながら、森高のPV
         の目線で写メ。信号待ちの車が少ないことを良いことに道路を渡って反対側から
         写メ。すると、族車が爆音を立てながら走行。結局3周した計算。最後は車で通
         過。この電話ボックスが「渡良瀬橋」に登場する。NTTは維持費が掛かるために
         撤去を申し出たが、地元の強い要望で残されたという。訪問した今日もまだ残っ
         ていて嬉しく感じ、安堵した。

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          続いて、県道40を東へ。次は3つある八雲神社の2つ目に向かう。すると西宮
         町の主要交差点で、左側に朱塗りの神社と石段を確認。右手がどうやらそれらし
         き社殿の屋根と境内。ちょうど右手に駐車場らしきスペース。右折して入った。し
         かし、10台分のスペースは満車。反対側の入口からも車が。すると運良く、私の
         後方の車が出て、速攻で割り込み駐車。
    12:25 243.7km。早速対面にある織姫神社から攻める。信号待ち長い。すると長い
         石段の中腹に、コスプレ制服にピンクのカツラを纏った少女が・・・。三脚を立てて
         渡良瀬橋方面の風景を写真撮っている。石段を一段飛ばしで一気に駆け上がっ
         た。残り何段の表示あり。コスプレ少女を追い越し、石段を登った。最後から2つ
         目の段で息切れ。でも歩調は確か。振り返ると、視界が開け、待望のシルバーの
         下路平行弦6連ワーレントラス橋が見えた。橋長243.27m、幅員5.5mもある。一気
         に登りきると右にこじんまりした茶室のよう食事処。すると砂利で色鮮やかな本殿
         が。
    12:31 織姫神社到着。ここは縁結びで名高い。右に塔。すると丘の上の展望台からス
         カイツリーが眺望できるとのフレーズが。あいにく雲がかって見えず。周辺には6
         ~7名もコスプレマニア。今日はここでコステレのイベントを実施。受付があった。
         景色を堪能。今目の前に夢にまで見た「渡良瀬橋」が・・・。信じられない光景。月
         曜日の館林訪問に続いてのドライブ。寒くはない。逆に階段上りの汗で暖かい。
         地上の鳥居には大正12年の文字が。  

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    12:42 続いて八雲神社着。参道ではなく、脇道から侵入。誰もいない。寂しい感じ。参
         道は長いが、萎びた印象。一応鳥居まで往復。入口には大イチョウ。その後、車
         でマップ確認。順調に予定を消化。1時間程度早い。次は足利學校跡。織姫交番
         前を左折。県道67号線へ。そして通2丁目交差点を左折し、鑁阿寺のお堀の手
         前を右折。駐車場を探すが一周半しても見つからず。お寺では門前町でイベント
         らしきことをしていた。R293昭和通りを横切った先に市営駐車場があったが、有
         料っぽかったので素通り。ぐるぐる回って、R67に戻り、R116へ左折し、踏切を
         渡る。中橋が正面に。しかし、その手前の信号を左折。渡良瀬川の北側の川沿
         いを渡良瀬橋方面へ向かう。途中、歌碑がある場所を見つけた。しかし、50代く
         らいの夫婦が先客。車を停められそうもない。そのまま左折して、シルバーの「渡
         良瀬橋」を渡ってみた。走りながら写メ。結構長い。幅が狭いのに対面通行だし、
         右側に並走して歩道有り。渡った後、信号を左折し。川沿いに走り、また左に曲
         がりS字カーブ。R116で中橋を渡って、市街地方面へ戻る。どうしていいのか右
         往左往しても仕方ないので、予定表を見て、駅へ向かうことにした。踏切をいった
         ん停止して渡り、右折。R67の目抜き通りを東に走り、標識に従い、右折。小さな
         足利駅へ。ロータリーの左に交番。そこで停車し、駅舎の写メ。盗撮と間違われる
         のでは・・・。対面には青のFE機関車が展示。駐車できないので、たまたま通りか
         かった駅前の「はなまるうどん」のPへ。

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    13:10 はなまるうどん着。まず駅舎へ。スタンプのを駅員に尋ねる。何と改札の脇に設
         置。ちょうど電車の発車時刻だった。駅構内を散策。パンフを目一杯もらう。駅前
         の案内板見やすいが3つ目の八雲神社は載っていない。そしてうどん屋へ。注文
         のシステムがわからず。トレイにトッピングとして150円のイカゲソ(太い2本でこ
         の値段)とレジで「塩豚ネギうどん400円」を頼んで、合計550円の会計。天かす
         追加し、水を汲んでテーブルへ。バックを違うテーブルに置き去り失敗。メモしな
         がら昼食。水を何杯もおかわり。食後には持参した風邪薬5種類を服用。撮影済
         みの写真もチェック。この後、学生時代からの持ち越しである「足利學校」へ是が
         非でも行くことに。

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    13:33 駅前うどん屋発。通1の交差点を右折。R293昭和通りへ。歩道橋のある「太平
         記館」から右折。先ほども通った、市営駐車場へ逆方向から回り込んで入庫。「観
         光ですか?」と聞かれ、観光なら2時間程度無料ですと言われた。車線部分に停
         めさせられた。
    13:35 太平記館駐車場着。251.1km。デカイ案内看板。さっそく歩道橋を渡って、順
         路に従い足利學校方面へ。古書屋の前を歩き、T字路を右折。
    13:39 30m先右手に門が。するとその真向かいの「銀丸本店」の店先で、小柄な女性
         店員が小さな紙コップに入った味噌汁を振舞ってくれた。参拝路の50m先に見覚
         えのある「校學」の標札が。まず、右側の社務所で拝観料400円を支払う。写真
         は方丈のみフラッシュ撮影不可で、フラッシュを炊かなければすべてOK。ボランテ
         ィアガイドが仕切りに勧めて来る。門を潜って中へ。植樹した方々の木々がお出
         迎え。湯島聖堂諧樹やかなふり松など。直進方向には孔子廟大成殿。孔子坐像
         など。南庭園は立派で格式高い。茅葺き屋根の方丈へ。皇太子夫妻もここに来て
         いる。展示物多数。歴代将軍の金位牌まで。衆寮、土蔵、菜園場、北庭園、歴代
         学長の墓所、木立の中、北京語が響く。前の夫婦。竹林も見事。境内は銀杏の
         刺激臭が強い。見学終了。寒くはない。日差しなし。マジで夕日は無理。同じタイミ
         ングで見学した中年女性10名の集団が角の店へ。陸橋の下の横断歩道を渡
         る。太平記という観光案内兼売店のような建物へ。パンフを根こそぎもらう。する
         と、ここで3つ目の八雲神社へ行くのを忘れていた。再度、横断歩道を渡り、また
         しても銀丸本店前を通る。味噌汁は1回のみ。声もかけない、T字路を右折してす
         ぐ左折。松村記念館の前を通り、その隣りに八雲神社があった。

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    14:18 3番目の八雲神社着。しかし、ちょうどのタイミングで、わざとらしく中年オバンが
         乗った薄い緑色の配達用バンが停車。シャッターチャンスを逃した。苦慮して撮
         影。この八雲神社は、森高千里が訪れていない筈。PVには見られない作り。通り
         沿いすぐに境内。どうも雰囲気が違う。そして、3度銀丸本店前を通過。横断歩道
         を渡って、再び太平記館(インフォメーション)案内所へ。ここで重大なことに気づ
         く。新品の渡良瀬橋のパンフを探していたら、足利學校の入校許可証が無くなっ
         ていることに気づく。多分、来る途中、どこかに落としたに違いない。再び横断歩
         道を渡って、銀丸の前へ。5度目。すると門の前に落ちていた。助かった。

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    14:32 市営駐車場発。次は時間的に早いが、メインの「渡良瀬橋」だ。夕日が期待でき
        ない天候の今、その時間まで待つ必要はないという判断。BGMは、運転中は繰り
        返し「渡良瀬橋」をリピートし、気分を高める。しかし、付近を車で周回したが、駐車
        場らしきスペースは無し。踏切渡り郵便局を探すが一方通行。歌碑の下のT字路を
        右折。渡良瀬橋を正面に見て、右折。隕石が中央にある狭い路地に入り込む。四
        輪通り抜け不可に迷い込み、Uターン。左折して、再び踏切を渡る。すると信号の左
        斜め前にスーパーが。そこは「FRESSAY」という大型スーパー。
    14:40 スーパーの駐車場着。ようやく駐車スペース確保。今度は歩いてR67を渡り、
        踏切を渡って、200m先のT字路を右へ。その公園には、歌碑という立て看板があ
        って、青い螺旋階段があって、それを上がった先がちょうど「渡良瀬橋」の歌碑に出 
        られる近道。やっと無人のその歌碑へ。14:43着。本当に離れた場所にあった。
        石碑は大きい、写メすると歌詞のプレートに影が映り込む。脇の鉄柱にある森高本
        人も押した再生ボタンをプッシュ。すると頭上から彼女の歌声が。何とフルコーラ
        ス。そして紛れもなくシルバーに塗装された渡良瀬橋が目の前に。渡良瀬川沿いの
        道路は交通量は多い。反対車線に横断し、橋の写真を撮っていると、緑色だが黄
        色の2本ラインを入れたロードスターが歌碑で急停車、妙にはしゃいで「あったここ
        に!」と叫んでいた。駐車できないので、そのまま走り去ったが、これが目当てだっ
        たのは一目瞭然。また戻ってくるだろう。結構ここは観光客が多いようだ。もう20年
        前の曲なのに、未だに観光地としての価値は十分。風邪をひいている身だが、歌
        の通り、河原への土手を降りてみた。やぶ蚊がいる。車からの視線を気にしつつ、
        橋桁の下をくぐった。何枚も写メ。西側へ。ここで森高千里がPVの撮影を行った。
        東西の各側では表情が違う。寒さは感じなかったが、曇り空で、この分では綺麗な
        夕日や夕焼けは無理と判断。橋の名前のプレートを至近から撮影。竣工のプレート
        は無かった。歩き回って汗をかいた。そして、戻ってみると、案の定、公園に横付け
        して、見物を終えたさっきの緑のオープンカーの若者が。立ち去ったのを見届けて
        から、歌碑へ。再生ボタンをまた押した。螺旋階段に公園の前にある酒屋(大黒
        屋)で、「渡良瀬橋」という清酒を販売しており、その宣伝が貼られていた。歌が鳴り
        止まないまま、歌碑を後にした。

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    15:00 FRESSAYへ。ベニマルと同規模店舗。店内を見て回り、安くなった弁当を購
        入。278円のチキンステーキ弁当。レジでポイントカード持ってるか聞かれる。「旅
        の者だ」 と告げると、丁寧に教えてくれた。休憩所で食すことにした。箸を一膳貰
        い、そのスペースへ。隣りのばあさんがずっと見ている。レンジなし。お茶はがぶ飲
        夕日を断念し、この時点で15時半を目安に足利から帰路に向かうことを決断。

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    15:23 スーパー発。252.9km地点。最後にあと一回、渡良瀬橋を渡ってUターンして
        逆方向からも横断してみた。これが見納めとなった。橋を渡りきった後の信号を右
        折。川沿いへ。歌碑には別の30代くらいのカップルがいて、森高千里の歌に聞き
        入っていた。やはりここは人気のスポットになっているようだ。滞在中の車内では、
        エンドレスで「渡良瀬橋」を聴いていた。この歌に出てくるスポットは網羅した。雰囲
        気を味わい、旅愁に浸れたし、歌詞の通り綺麗な街だと悟った。残念ながら、天気
        予報が外れ、肝心要の夕日が拝めなかったのが唯一の心残り。次回再訪する際
        の宿題にしたい。左折してR116へ入り、踏切を渡り、R67へ左折。通1を直進。足
        利ICを目指す。足利と惜別時刻は15:30。もうすでに薄暮。北関東自動車道の標
        識があって、その通りに右折したら、急に標識が消える。ここから無駄な走りを展
        開。右折左折を繰り返し、迷って遠回りに。足利女子高の手前を右折し、さらに左
        折。市民会館横、ブックオフを通過。右折し350.1kmでようやく標識が出てくる。
        高速入口まではずっと「渡良瀬橋」をBGMにして流して余韻に浸っていた。  

    <今回の足利市内の観光ルート>

     「ashikaga.jpg」をダウンロード

    15:43 足利ICから、すったもんだの挙句、ようやく高速に乗る。結構車の量多い。
    15:48 佐野田沼IC。トンネル多い。何故か走行車線のほうが右の追い越し車線より早
         い珍現象。

    15:51 岩舟JCT。:52レーダー。12℃。3車線でも交通量多い。
    15:56 栃木IC。バイク車線変更斜めに横断して危険。
    16:10 大谷PA。滅茶苦茶飛ばす。:11 LHシステム。
    16:15 上河内SA。飛行機が前方正面に浮かぶ。
    16:21 矢板IC。飛ばしまくる。抜く方が断然多く、抜かれたのは数台。120~130km/h 
         ペース。10℃。
    16:31 西那須野IC。
    16:34 黒磯板室IC。359.0km。SA寄らず。遅い車が追い越し車線をブロク。腹立つ。
    16:42 那須SA。立ち寄らず。9℃。独走状態。白のエスティマとバトル勃発。
    16:45 福島県内に突入。
    16:47 白河IC。ループコイルくぉ100km/hにてクリア。燃料メーター急落。
    16:55 矢吹IC。11℃。眠いが一気に帰る。
    17:01 須賀川IC。かなり暗い。こっち曇り空。
    17:06 郡山南IC下車。1,950円。左折、カルチャー前左折。市場前走行。そしてまう
         ちゅう前。信号が変わり、右折して左折して住宅街へ。柴宮の住宅街に入る。柴
         宮幼稚園からの道。大東前。しかし、R4バイパスの合流地点大渋滞。失敗タイム
         ロス。右折車がいて、信号一回棒に振る。
    17:18バイパス合流。
    17:27 自宅着。  総走行距離 451.4km    撮影枚数 199枚

     <費用>

     高速代 1,450円+200円+150円=1,800円
     食事代   550円+278円=828円
     拝観料   400円

     合計  3,028円

     その他 前日の朝食代(巻き寿司・くるみパン)、ペット茶2本分
           GS   40Lは使用

     「渡良瀬橋」に関する動画 

     ご本人登場バージョン

    渡良瀬橋で見る夕日を
    あなたはとても好きだったわ
    きれいなとこで育ったね
    ここに住みたいと言った

    電車にゆられこの街まで
    あなたは会いに来てくれたわ
    私は今もあの頃を
    忘れられず生きてます

    今でも 八雲神社へお参りすると
    あなたのこと祈るわ
    願い事一つ叶うなら
    あの頃に戻りたい

    床屋の角にポツンとある
    公衆電話おぼえてますか
    きのう思わずかけたくて
    なんども受話器とったの

    この間 渡良瀬川の河原に降りて
    ずっと流れ見てたわ
    北風がとても冷たくて
    風邪をひいちゃいました

    誰のせいでもない あなたがこの街で
    暮らせないことわかってたの
    なんども悩んだわ だけど私ここを
    離れて暮らすこと出来ない

    あなたが好きだと言ったこの街並みが
    今日も暮れてゆきます
    広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
    夕日がきれいな街

     森高千里25周年記念コメント

    http://www.youtube.com/watch?v=IYpYAsHNmWc 「渡良瀬橋 歌碑」

    http://www.youtube.com/watch?v=4VY3N17bTg4 「床屋と公衆電話」

    http://www.youtube.com/watch?v=DNo5p-AHcDA 「八雲神社」

    http://www.youtube.com/watch?v=XnzTV8RBjSs 「渡良瀬川の河原」

    http://www.youtube.com/watch?v=tcAL_I_DJUM 「渡良瀬橋と私」

     「関連ブログ」

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-98af.html 

     「後 記」

     風邪をこじらせている中での強攻策だった。何かに急き立てられているかのような進撃の旅行ラッシュを今回も実践。二週連続で栃木県・群馬県界隈を周遊することとなった。今回は、以前から思い描いていたプランだった。20代の時分に大好きだった森高千里の名曲「渡良瀬橋」。情緒に溢れ、昔付き合っていた彼氏を今でも忘れられず、その思い出に浸るという、私好みのストーリー。そこに美しい足利市内の風景が絡み、旅情と郷愁を誘う作品に仕上がった。学生時代に、寄り道して「足利學校」を訪れたことはあったが、それ以来、実に27年振りに訪れた。
     実際に訪問してみての感想は、歌詞を裏切らない、とても綺麗な町並みで、人を優しい気持ちにさせてくれる印象。長閑で、それでいて日本らしい風景や人情など大切なものがたくさん残っている。願わくは、「夕日が綺麗な街」を実感したかった。天気予報はこの日一杯晴天で、日曜日から下り坂となる見込みだったのだが、あいにくの曇天に「不完全燃焼」となったのが心残り。でももう一度来るための口実になった。今度は緑町の八雲神社が再建された時に訪れたい。

    今週の山岸舞彩キャスター(11/4~11/7)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

      11月4日(月)

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     11月5日(火)

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    この日のキャスター舞台裏トークはコチラ

    http://www.ntv.co.jp/zero/movie/index.html?embed=t5cDZ2Zzp9OB9O3FQZU32wqZdeNB9My3

     11月6日(水)

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     11月7日(木)

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    坂井泉水が歩んだ道のり①

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     公開後に、タイトルを「ZARDが歩んだ道のり」から「坂井泉水が歩んだ道のり」に変更させていただきました。ご了承願います。

     今秋、6年越しでようやく実現した坂井泉水さんの墓参り。そして転落事故現場でも手を合わせ、彼女のご冥福を祈ることができた。それ以来、何故か彼女の存在が日に日に大きくなり、今更ながら彼女が遺してくれた作品やその存在までもが愛おしく感じている。彼女が不慮の事故でこの世を去ってから6年半。亡くなった人は早いというが、私たちファンを置き去りにして天国へと旅立った彼女。彼女が命をかけて残してくれたものを、いつまでも大切な宝物として守り抜き、決して過去のものとしてはいけないような気がする。それが彼女への何よりの供養だし、ファンとしてできることだと思った。
     従って、今週は5回に渡ってZARDのPVを特集したい。特にシングルとしてリリースされた彼女の作品の数々を、その容姿端麗な映像を交えてお送りしたい。もしかすると映像は、心無い方の通報によって予告なく削除されるかもしれないが、彼女を永遠に忘れないために、敢えてここにその足跡を記し、生きた証をここに刻みたい。

     1 Good-bye My Loneliness(1991年2月10日)

    http://www.youtube.com/watch?v=JggXmhSV7xc

     記念すべきZARDの坂井泉水としてのデビュー作品。最高位9位。フジテレビ系ドラマ『結婚の理想と現実』主題歌。クラリオンCMソング。

     2 不思議ね・・・(1991年6月25日)

    http://www.youtube.com/watch?v=Vc02fJvqoEU

     美しい長髪、色白の肌、均整のとれた顔立ちと抜群のプロポーション。すべてが完璧で美少女ぶりを早くも発揮。最高位30位。日本テレビ系『マジカル頭脳パワー!!』エンディングテーマ。

     3 もう探さない(1991年11月6日)

    http://www.youtube.com/watch?v=I-lIRNi9624

    http://www.youtube.com/watch?v=g3-Kj9y8yrQ

     素敵な曲の割にブレイクとまでは行かなかった。最高位39位。雰囲気は1990年代のOL風。清楚なイメージでお嬢様的な印象を醸していた。当時、人気絶頂だった森高千里にも雰囲気が似ていた。マイナーコードの楽曲。失恋した女性の都会に生きる孤独を歌っている。テレビ朝日系ドラマ『七人の女弁護士』の主題歌。

     4 眠れない夜を抱いて(1992年8月5日)

    http://www.youtube.com/watch?v=Sx3ufRF97hU

    http://www.youtube.com/watch?v=qviao2BXbzM

    http://www.youtube.com/watch?v=PbmvB3wQyqQ

     私がZARDを知るきっかけとなった曲。当時はマスコミやテレビ番組に姿を見せない覆面歌手のような存在だった。しかし、この曲がヒットして、徐々に歌番組に出演するようになった。ボーカルの顔を見て、あまりの美人にびっくり仰天し、ますます惹きつけられた。もちろん当時は8cmCDだったが、購入した。最高位8位。テレビ朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ。

     5 IN MY ARMS TONIGHT(1992年9月9日)

    http://www.youtube.com/watch?v=ILqNPvaPPwU

    http://www.youtube.com/watch?v=FHIW2cmx1Nk

    http://www.youtube.com/watch?v=Nr_FEk66zJI

    http://www.youtube.com/watch?v=J4g_0DJjaQg

    http://www.youtube.com/watch?v=fJBybpPZ7NU

     最高位9位。Mステに頻繁に出演し、顔が売れるようになった頃。どんどんメジャーになっていく手応えを感じていた。TBSドラマ『学校があぶない』主題歌。

     6 負けないで(1993年1月27日)

    http://www.youtube.com/watch?v=7pdJwS-OJy8

    http://www.youtube.com/watch?v=cmq124bsvWQ

     翌年の春のセンバツ高校野球の入場行進曲に選ばれた名曲。200万枚を売り上げ、ZARD初となる1位を獲得した。今でも「24時間テレビ」のマラソンでBGMとして使われている。この曲で励まされ、勇気と希望をもらった人は多いに違いない。
     「負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて」
     素直で前向きな詩は共感を呼んだ。

     7 君がいない(1993年4月21日)

    http://www.youtube.com/watch?v=sG125PIpltg

     最高位は2位ながら売上げは80万枚を記録した。日本テレビドラマ『彼女の嫌いな彼女』の主題歌となった。

     8 揺れる想い(1993年5月19日)

    http://www.youtube.com/watch?v=zVvy4jNUMxc

    http://www.youtube.com/watch?v=ZqsTp1S3b38

     「ポカリスエット」 CMソング。爽快なボーカルとサウンド、透明感のあるブルーのジャケット写真も印象的­なZARD夏の定番ナンバー。個人的にZARDの楽曲で、一番のお気に入り。坂井泉水らしさがもっとも素直にストレートに出ている気がするからだ。声質と声量にぴったり合っている。2曲目のミリオンセラーを達成し、最高位はもちろん1位。

     9 もう少しあと少し…(1993年9月4日)

    http://www.youtube.com/watch?v=x8znjeekLdc

     歌詞中に「神戸」や「追伸:」などのユーモアを少し取り入れてある。不倫のことを歌っている。最高位2位。テレビ朝日系ドラマ『ララバイ刑事'93』エンディングテーマとして使われた。

     さて、初回はここまで。毎回9曲ずつ取り上げ、5回シリーズでシングル全曲45曲を網羅したい。彼女が亡くなってからというもの、心にポッカリと穴が開いたままだ。未だに「悲しいくらい君があふれている」。彼女のPVを観るのが、正直切なくて居た堪れなくなるが、聡明で賢明な女性像というのが彼女の印象そのものだった。ファンだった方は、ぜひこの記事とPVをご覧になって、いつまでも彼女を青春のシンボルとして忘れないでいてほしいと思います。

     記事作成:10月30日(水)

    坂井泉水が歩んだ道のり②

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     本日は、私が20代から30代にかけてもっとも光り輝いていたZARDの坂井泉水さんを偲んでの、追悼記事の第二夜となる。今日はシングルCDの10曲目から18曲目までの楽曲を取り上げたい。

     10 「きっと忘れない」 1993年11月3日

    http://www.youtube.com/watch?v=oxZNcr52xsw

    http://www.youtube.com/watch?v=MbtFqqrpKNg 

     最高位1位。累計80万枚を突破し、ZARD自身5番目のヒット曲となっている。テレビドラマ『白鳥麗子でございます!』エンディング曲で使用されたが、最終話のタイトルともなった。

     11 「この愛に泳ぎ疲れても」  1994年2月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=uOp6FrSIjYU

     最高位1位。シングル売り上げでは「負けないで」、「揺れる想い」、「マイ フレンド」のミリオンセラー作品に続く4番目に当たる曲である。フジテレビ系ドラマ『愛と疑惑のサスペンス』エンディングテーマ。読売テレビ製作映画『夏の庭 The Friends』エンディングテーマ。

     12 「こんなにそばに居るのに」 1994年8月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=p5dfwZWCF_A

     最高位1位。三貴「ブティックJOY」CMソング。

     13 「あなたを感じていたい」 1994年12月24日

    http://www.youtube.com/watch?v=Cp8HFFNdI1k

     最高位2位。NTTドコモ・ポケベル「パルフィーV」CMソング。

     14 「Just believe in love」 1995年2月1日

    http://www.youtube.com/watch?v=FybLJAGHohY

     最高位2位。TBS系ドラマ『揺れる想い』主題歌。

     15 「愛が見えない」 1995年6月5日

    http://www.youtube.com/watch?v=BZMox8vtWwQ

     最高位2位。PVにはジープが登場するが、坂井泉水がハンドルを握っているのはクライスラー製で、走行シーンに出てくるのは三菱・ジープ)である。エフティ資生堂「SEA BREEZE 1995」CMソング。

     16 「サヨナラは今もこの胸に居ます」 1995年8月28日

    http://www.youtube.com/watch?v=vY1MkAqiO8w

     最高位1位。テレビドラマ『白鳥麗子でございます!』の映画版の主題歌として起用された。『J-ROCK ARTIST Count Down 50』エンディングテーマ曲。

     17 「マイフレンド」 1996年1月8日

    http://www.youtube.com/watch?v=iZ_qTmT9BW4

    http://www.youtube.com/watch?v=q3_oXhysXV0

     最高位1位。アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマに起用され、ZARD初のアニメ主題歌となった。ZARDのシングル作品で最高の初動枚数と初登場1位を記録し、累計枚数は前作を倍近く回復した。チャートイン最終週の21週目にミリオンセラーを記録。

     18 「心を開いて」 1996年5月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=WJUqSbxTqac

     最高位1位。ポカリスエットのCMソングとして使用された。累計枚数は70万枚を突破している。

     「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉であるかのように、彼女はファンに、子宮頸がんを患っていたことも知らせないまま、人知れず命の病気と闘っていた。命の炎の灯火が弱まっていることを、誰にも悟られず、そして静かに「坂井泉水」としての歌手人生を締め括り、やがてエピローグを迎えた。
     彼女の聡明さ、シャイな感じ、そして大好きな歌に真っ直ぐな気持ちで、ひたむきかつ真摯に取り組んでいた。彼女の紡ぐ詩の世界は、どれも人間の深層心理を如実に物語り、意味深で女性らしさ、言葉ひとつひとつに魂が宿っているような印象を与えた。それは死と向き合い、「人生知」をも表現しているように思えてならない。未だに「YouTube」でZARDと検索すると、ファンが独自に作成・編集した映像の数々がアップされ、彼女が輝いていた時期を、当時のまま残そうという意図が見て取れる。彼女とともに歩み、同じ時代を生きた証をどこかに残しておきたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。生前、多くは語らなかった彼女だが、寡黙な中に煌くその美しさ、内面から滲み出て来るその人柄。そんな奥ゆかしさの魅力に人々は心惹かれるのだと思う。彼女の死後、6年半が経過してもなお、私も含め多くのファンがZARD・坂井泉水の幻影に取りつかれているのは、そういう理由によるところが大きい。

     さて、明日は、徐々に円熟期に入った1997年の19曲目のシングルから1998年27曲目までをお送りしたいと考えている。

     記事作成:10月31日(木)

    坂井泉水が歩んだ道のり③

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     今週はZARD特集をお送りしています。第三弾の今日は、1990年代末期にあたり、ZARDにとっては完成期を迎えた時期にあたる。今日の記事では、シングルカット19曲目から27曲目までをお送りします。

     19 「Don't you see !」 1997年1月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=SO9T1LY-b3Q

     最高位1位。アニメ『ドラゴンボールGT』エンディングテーマ。

     20 「君に逢いたくなったら・・・」 1997年2月26日

    http://www.youtube.com/watch?v=hwYMQhQVQ6w

    http://www.youtube.com/watch?v=nXCYhmJgoHs

     最高位2位。初動売り上げは30万枚を突破(オリコン調べ)し、初登場2位。累計売り上げは、前作を上回る65万枚近くを記録した。TBS系ドラマ『理想の結婚』主題歌。

     21 「風が通り抜ける街へ」 1997年7月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=Jpa8ywqnPfE

     最高位3位。'97 SUMMER JRA キャンペーン・ソングとして、ZARD初の競馬CMタイアップとなった。

     22 「永遠」 1997年8月20日

     最高位1位。当時の流行語にもなった日本テレビ系ドラマ『失楽園』の主題歌。キヤノン「Eos kiss」CMソングにも起用されている。

     23 「My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~」 1997年12月3日

    http://www.youtube.com/watch?v=wAKIzqRhqk4

     最高位3位。タイトルの「Baby Grand」とはレコーディング時に音程チェックのため、愛用していたトイピアノのことを坂井自身がそう呼んでいた。NTTドコモ'97冬CMソング。「あなたを感じていたい」以来の同CMソングのタイアップとなる。

     24 「息もできない」 1998年3月4日

    http://www.youtube.com/watch?v=KdTRuRKSvJk

     最高位3位。フジテレビ系アニメ『中華一番!』2代目オープニングテーマ。「Don't you see!」以来のアニメタイアップシングル。ZARDの楽曲の中では最もミックスの多い楽曲であり、タイアップのオープニングテーマ(TV Mix)版とシングル版ではアレンジが異なっている

     25 「運命のルーレットを廻して」 1998年9月17日

     最高位1位。自身初の『名探偵コナン』のタイアップ。以降生前に6回、その後3回担当することになる。

     26 「新しいドア ~冬のひまわり~」 1998年12月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=2iSQO8mEn3A

    http://www.youtube.com/watch?v=fOXlJ8SkvPw

     最高位3位。27thシングル「GOOD DAY」と2枚同時リリース。カップリング曲なしのワンコインシングル(500円)として発売。サッポロビール「冬物語」CMソング。

     27 「GOOD DAY」 1998年12月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=ZefzqOM8deA

    http://www.youtube.com/watch?v=vR8ss85Mv_I

     最高位2位。ビューティーラボ「ナチュラルカラー」CMソング。

     

     「彼女が生涯をかけて残した足跡を決して忘れたくない」という一途な思いが今回の記事執筆の出発点となっている。今でも彼女の歌声を聴くと切なくなる。そして過去の人と思いたくない自分がいる。ZARDのコンサートを一度も行ったことがなく、全シングルCDを所有し、ドライブ中のBGMや「YouTube」のPVで見たり、聴いたりしているにすぎない私だが、1990年代に一番輝き、そして彼女の楽曲を心待ちにしていた私にとっては、常に特別な存在だった。シャイで、あまりテレビに出たがらなかった彼女。ピュアで控えめ、それでいて慈しみの心を持ち合わせていて・・・。摩訶不思議な魅力を持った女性だった。彼女の歌やその存在に触れていたくて、今も毎日のように聴いている。
     彼女が生前、歌を通して伝えたかったことは、すべて彼女が自ら作詞したその中に包み隠さず表現されている。素直で飾らない言葉の数々。まるで自らの死期を暗示しているかのような謎めいたタイトルの数々・・・。今日紹介した曲のタイトルを見ても、「別れ」や「死」を意識しているかのようなネーミングだ。彼女の人生の最終局面もまた、多くの謎を秘めたエピローグだったが、覆面歌手としてのデビュー当時、実体がないとまで騒がれた。蓋を開けてみれば超美人アーティスト。その「坂井泉水という歌手」としての存在は、彼女に自身にしかわからない「偶像」だったのかもしれない。

     明日は第4弾。いよいよ後半に入る。ぜひ最後までお付き合い頂きたいと思います。

     記事作成:11月1日(金)

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