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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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2017年3月期のCMベスト5

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 一昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、昨年からは毎月末に傑作CMを紹介しています。今回もこの2月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。

 1位 ブリジストン

 CMクィーンの綾瀬はるかが出演しているCMはどこかほっこり来るものが多い。「降りたくない」と言われれば、自分と一緒にいたいと思ってくれていると思わせて、「あなたは降りて」・・・笑える。

 2位 SMBC東京2020応援ムービー ひとりひとりが日本代表。「新社会人」篇   

 頑張れ新社会人をテーマにしたフレッシュさが滲み出た作品

 3位 ドコモスマホ学割 秋山

 ロバート秋山が店員に扮するお馴染みの人気スマホCMシリーズ。今回は初めてスマホを契約する新入生への学割提案。期待感を煽るような内容で、最後の秋山の表情がとっても良い。童謡「春が来た」に合わせて、合唱したくなるほど嬉しさが込み上げて来る様子も上手く表現されていて好感が持てる。

 4位 LIXIL

 この3月は毎日、何度もこのCMを目にして、「リクシル」というアナウンスと共に「取り替える~」というメロディーが耳から離れなくなった。それほどしょっちゅう流れたCMだ。何を隠そう、この月、LIXILのショールームを訪れ、システムバスを入れ替える契約を行った。余計に気になった。ちなみにLIXILはトステムとINAXが合併して誕生した。

 5位 お部屋探しはminimini

 新生活の期待と想いを描いたミニミニのテレビCM“愛犬との別れ篇”30秒バージョン。季節柄、旅立ちをイメージした作品が多かった。

 今月は、ランキングした5つのCMが繰り返し繰り返し放送され、特に印象に残ることとなった。


2017年春 福島を去ったアナウンサー

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 私が最も恐れていた異動が現実になってしまった。昨年、TUFの梅田澪理アナを見送った時もショックが大きかったが、その後、絶対に福島県に残ってほしいと思っていた2人のアナウンサーがこの3月に福島を去っていった。

 ひとり目は「サタふく」MCを2年間務め、通算4年の間、お茶の間にいつも笑顔で元気を与えてくれた鈴木康一郎アナと、「みんなのニュース」に出演し、そのお姉さん風で落ち着いた印象と、前職がNHK長崎放送局だっただけあって安定感抜群で、高いアナウンス技術を発揮し、ニュースを伝えてくれた名切万里菜アナが異動となってしまった。
 
 このふたりは私が大好きなアナウンサーだった。つい先日(3月14日付)の当ブログ記事で、名切アナの異動だけは現実に起きて欲しくないと訴えたばかりで、3月29日(水)の番組最後に行われた彼女から県民に向けた挨拶は衝撃的で、一気に気落ちしてしまった。なぜなら、何を隠そう、私は彼女が2年前に「みんなのニュース」に出演した時から、その雰囲気が大好きで、彼女の出演番組は欠かさず録画して来たからだ。仕事で疲れて帰った後、彼女の姿を見ることでどれだけ癒されていたことかしれない。

 同じ時期に入社した松永安奈アナと寺本緒麻里アナは契約継続で残るのに、どうして名切アナが福島を去っていくのか・・・・。契約アナは2~3年で任期切れとなるのは重々承知しているが、もったいないし、福島テレビの損失になる。
 そういうわけで今回は、お二人の最後の出演場面をお送りしたい。

 鈴木康一郎

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サヨナラ企画で一緒にロケをすることが多かったたんぽぽ白鳥久美子
がサタふく終わりの鈴木アナを内緒で連れ出した・・・
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お別れ会の企画が続々登場・・・福島の母親たちが登場!
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新人時代の鈴木アナで、福島にきて間もない頃の映像が紹介された
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涙、涙の鈴木アナ
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藺草アナも乱入 同じ早稲田大学の先輩後輩という2人は、入社したての新人時代の鈴木アナの教育係をしていたのが藺草アナだった!
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自称「斎藤工」と言って譲らなかった鈴木康一郎アナだった
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  彼は4年前に「サタふく」に初登場した時は、大学新卒で、大学生のノリのまま来たと思ったが、4年経つうちにすっかり福島県に溶け込み、県民に愛される「番組の顔」に成長した。最後の2年は「サタふく」には無くてはならない存在になった。安定感もあり、藺草アナとコンビで体当たりでチャレンジしたいた姿が脳裏に焼きついている。「サタふく」のオープニングでもう彼の愛嬌ある笑顔を見られないと思うとかなり寂しい。神谷アナとも掛け合いが上手く、こらからという矢先に、故郷の静岡に戻り、東海の或るテレビ局へ異動となった。FTVでは正社員だったので、京都出身の浜中アナや東京出身の藺草アナ、大阪出身の坂井アナと同じように、福島県にずっといて欲しかった。

 3月25日(土)放送の「サタふく」内でのお別れの言葉

 「私事ながら今日でサタふく最後になります。多くの方に本当にメッセージを頂いていました。メールだとか、あとは直接手紙を頂いた方もいました。その度に言ってくださるのが、鈴木さんの笑顔に元気を貰っていました。そういった言葉をいただきました。今日も2時間、笑顔で頑張ろうって思ってたんですけど、最後に涙出てきちゃいました。でも本当にこの笑顔で頑張って行こうと教えてくれたのは、自分の笑顔は誰かの力になるんだと教えてくれたのは福島の皆さんです。掛けて下さった温かいお言葉、数々の言葉、絶対に忘れません。この後は故郷、東海地方でアナウンサーとして勤めます。福島の今を外から伝えて行きたいと思っています。ありがとうございました。」

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書道13年間の集大成、最初の書初めと同じく、「LOVE」の文字で締めた。

 想い出のマネキンチャレンジ https://www.youtube.com/watch?v=EZRONypA_cg

 FTV公式HPのお別れの挨拶はコチラ 

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2017/03/post-320.html

 共演していた神谷アナのメッセージはコチラ↓

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2017/03/post-321.html

 

 名切万里菜

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気象予報士・斎藤さんの隣でいつも微笑んでいた名切アナ

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 みんなのニュースの顔、このツーショットもこれで見納め・・・

 プロフィールページ http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/nakiri.html

 3月29日(水)放送の「みんなのニュース」内でのお別れの言葉↓

 「このたび福島テレビを卒業することになりました。初めての東北での一人暮らしでしたが、美味しい食べ物、そして美しい景色、何より温かい人々と出逢い、本当に充実した2年間でした。ありがとうございました。」

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左から斎藤さん、寺本アナ、坂井アナ、そして名切万里菜アナ
2年間、この布陣で県内のニュースを伝えて来たことを忘れない

 FTV公式HPのお別れの挨拶はコチラ↓

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/nakiri/index.html

               FTVの公式HPより
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 彼女は恐らくは、他県のテレビ局、もしくは故郷の長崎県に戻ってアナウンサーを続けると思う。 彼女が福島にいる間に、TVイベントなどでひと目お目にかかりたかった。今頃後悔しても遅いが・・・。「みんなのニュース(月~水)」を見ても彼女が出ていない報道スタジオは見るのが辛い。それほど女神的な存在だった。2015年4月に「私のへんしん」の宣伝VTRで、彼女が桃をテーマにしたPR動画が流れたのがつい昨日のことのように思い出される。「この春、長崎県民から福島県民へ この桃も裏返すとハート、真心こめてお伝えします。皆さんと一緒にがんばっぺ!」と訴えたPRCMだ。
 それ以来、「みんなのニュース」やお昼の「FTVニュース」など、主にニュース報道をメインに活躍した。

 やはり春は出会いと別れの季節を実感してしまう。ニュース番組のラストということもあり、4月からのことや、プライベートのことは触れなかったが、もし結婚が退社理由だったら、素直に喜び、お祝いしたいと思う。もしかすると契約満了以外の理由だったら、家庭の事情や彼女が帰郷のために退社を希望したのかもしれない。たぶん4月以降「名切ロス」に陥っている視聴者が多いと思う。、私が2年間、彼女が出演した番組を録画し続けた中から名場面を紹介した記事もいずれ掲載したい。

 それにしてもFTV(福島テレビ)は契約アナが多すぎる。福島県に馴染み、県民にも親しまれた頃(2年前後)に退社を迎えてしまう。岸野文絵アナや鈴木康一郎アナは正社員だったのに、それでも福島県を去って行ってしまった。残念でならない。毎年、この3月末の番組を見るのが怖かった。番組のラストで今日の番組がラストですという紹介と、ご本人からのお別れの挨拶があると、一気に落ち込むからだ。

 そしてこの記事を書いた後の3月31日(金)、またひとり福島テレビを巣立っていった。それは郡山支社前の路上から「郡山リポート」を担当していた富永琴美アナだ。いつも笑うと目が無くなるほどの笑顔で私たち視聴者を和ませてくれた。これで今春のFTVの異動は3人。ちょっと多すぎる。では富永さんの最後の出演場面をどうぞ!

 富永琴美

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  3月31日(金)放送の「みんなのニュース」内でのお別れの言葉

 今、私の目の前にいる大好きな皆さん、毎日毎日画面を通して皆さんと出逢うことが出来て、本当に幸せでした。夢のような2年間、毎日の取材を通して福島のいいところ、温かいところをたくさん発見しました。私がこうして育ってきた故郷が福島県であることを心から誇りに思います。改めまして今まで温かく見守っていただきまして本当にありがとうございました。

 最後の出演では、福島から仲の良かった寺本アナも駆けつけ、花束を手渡した。すると富永さんは号泣しながらも、最後までしっかりとした口調で挨拶を行った。最後には、来週から出演する公認で喜多方出身の新人アナウンサー、菅家ひかるアナも登場し、バトンを渡した。

 プロフィール http://www.fukushima-tv.co.jp/announcer/tominaga.html

 FTVの公式HPに挨拶が掲載され次第、アップします。

 彼女は福島県郡山市出身で、番組とFTVは卒業したが、福島を去るわけではない。同じ市内に過ごす者として、いつかどこかで会える日を楽しみにしたいと思う。j実は郡山支社のあるホテルハマツの東隣りは、私の実家から徒歩3分の場所。そんな場所から平日夕方に街角に立って、懸命にリポートしていたので、情が移りっぱなしだった。

  しかし、春は旅立ちの季節。3人の新天地での活躍をお祈りしたいと思う。私も4月からは心にポッカリと穴が開いたようになり、落ち込むような試練の日々になることが予想されるが、3人の活躍を福島の地からお祈りしたいと思う。

 なお、今回は、今日紹介した3人のアナウンサーに関するエピソードや想い出話を募集したいと考え、特別にコメント欄を設けたいと思います。
 また、今回はFTVのアナウンサーに特化しましたが、他局の異動も判明次第、編集して掲載したいと思います。

 記事作成:3月29日(水)~31日(金)

「塚本禎子水彩画展」を訪ねて

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 4月1日(土)に一か月半ぶりに散髪に出向いた際、「郡山JYOHO」というタウン誌(昔は有料で内容が充実していたが、今は完全広告化したフリーペーパー)に掲載されていた「塚本禎子水彩画展」という広告が目に留まり、これは必見とばかりに散髪を終え、午前11時頃、会場となる「開成柏屋」2Fのギャラリーを訪れた。

 記帳後、品の良い女性に話しかけるが、主催されている塚本画伯のお母さまとのことで、30点近く展示された額縁に収められた作品を眺めながら、その後、塚本先生ご本人に作風や描写方法、構図、色や筆遣いなど、そして苦心した点などを尋ね、解説していただいた。会場には多くの個展開催の祝いの花々が並び、先生の素晴らしい作品が並んでいた。
 地元の身近な題材をモチーフにした絵画を目の当たりにし、目の保養になったことはもちろん、心和む傑作揃いに勉強になった。「猫と風景の水彩画展」というテーマの通り、ほのぼのとするような微笑ましい作品が素敵だった。

 壁には、作者の塚本先生がSNS等をされておらず、写メや撮影OKで、しかも自由にアップして広く知らせてください旨の表示があった。そこで多くのデッサンの中から、特に私が気に入った作品を撮り収めた。その秀作がコチラ

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「麓山の滝」と「鶴ヶ城」の作品は、写真を基にイメージされたそうだ。なんでも10日で完成したそうだ。実際は、車の往来が激しいのと、夏の麓山公園は虫に刺されるからだそうだ。
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左上の作品は、雨上がり、水たまりに映った電柱の絵が細かく描写されていた。
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上は阿武隈川の金山橋を描いたものだと思う。
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郡山の公会堂(公民館)から見下ろした市街地 紅葉が鮮やかなコントラストで描かれていた。
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こうした構図が卓越し、色の対比はもちろん、明暗や陰影も克明に表現されていた。
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上の4作品は猫がどこかに描かれている。この彩りが素晴らしい。私はスケッチは得意だったが、絵の具を乗せるといつも粗雑になって出来栄えが悪くなってしまった。独学でここまで描けるのは、天性の才能も有ると思う。

  下の写真の黒い服を来た女性が「塚本禎子」先生Img_1887_r

 先生曰く、毎日キャンバスに向かうのは2時間程度で、10日ほどで完成するという。その鮮やかな色使いはもちろんだが、全体のバランス、色の濃淡、風景の切り取り、荒池公園や阿武隈川など、身近な場所を描いた作品が多いため、その情景が浮かんできそうな出来栄えだった。
 驚くべきは、なんと誰かに師事して絵を習った訳ではなく、見よう見まねで我流でここまでやってきたそうだ。小さい頃から絵を描くことが好きで、時間をみつけては描いてきたそうだ。「好きこそものの上手なれ」を実感した。
 そして、その風景で足を留め、写生することもあるそうだが、長時間立ち止まれない場所では、デジカメ写真を見ながら、自宅に帰ってからイメージを膨らませて描くのだそうだ。15分程度しかいなかったものの、思わず見とれてしまった。
 芸術に触れていると感性が磨かれることを実感させてくれる作品の数々に、私もチャレンジ精神が芽生えてきた。

 今回は9年振りの個展開催だったそうだが、過去には「イタリア紀行」など外国旅行で描きとめた作品展もされたそうだ。最後に、先生の写真をお願いしたが、それは固辞されてしまった。身長が高く、モデルさんのようにスタイリッシュな美人な方だった。 そして、今回は郡山市内の風景画(荒池・麓山の滝など)6枚(600円)のポストカードをセレクトして購入した。お母さまが柏屋名物の檸檬を同封してくれた。その心遣いが嬉しい。

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 毎週木曜日に放送している「プレバト」のデッサン対決で、私も退職後は、生涯続けられる趣味として、水彩画をやろうと思っている。私自身は絵は小学生の頃にスケッチした程度なので、下手の極みだが、少しずつ上達できれば良いと思っている。おそらく退職後、旅行で鈍行に揺られ、ふと車窓で気にかかった風景に途中下車して、のんびり、ゆったり、田舎の田園風景を中心に描きたいと思う。そういう時間の使い方をしてみたい。また、海釣りに出かけた時、釣れない時間を利用して、小さなスケッチブックを持参し、海の見える風景や港の情景を描きたい。

 記事作成:4月1日(土)

FCT・小野紗由利アナウンサー28

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 FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第28弾。つまり2年4ヶ月にも及ぶ。
 では今回も、主に3月期の彼女の出演番組(ゴジてれChu!!とゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。今月は出演した回数が多いのに加え、私自身が仕事の都合で、編集に時間が費やせなくなったため、1回あたりの写真を2~4枚程度に減らし、ベストショットだけを掲載したいと思う。

3月1日(水)

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3月5日(日)ゴジてれSUN×SUN

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3月7日(火) 福島パンマルシェ

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3月8日(水)

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 小野アナは胃もたれしやすいタイプらしく、お寿司を食べる順番は、好きなものから食べることが判明。まぐろ、うに、いくらの順に食べていた。

3月12日(日)ゴジてれSUN×SUN

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3月14日(火) 福島パンマルシェ

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3月15日(水)

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3月19日(日)ゴジてれSUN×SUN

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3月21日(火) 福島パンマルシェ

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3月22日(水)

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 小野アナの家に代々伝わっている料理を自らが調理した。

3月25日(土) 中テレ祭り

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3月26日(日)ゴジてれSUN×SUN

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3月29日(水)

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 今回は中テレ祭りに向けた特別企画があって出演場面が多くなったため、一回当たりの掲載画像数を減らしました。ご容赦ください。

甲子園優勝投手のその後

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 「球春」という言葉があるが、文字通り春を告げるセンバツ高校野球が甲子園で始まり、つい先日、史上初の大阪同士の決勝戦となり、「大阪桐蔭」が優勝を飾った。今年はWBCがあるため、久し振りに野球が注目される年回りを迎えた。
 「優勝旗を東北へ」の長年の悲願は未だに叶っていない。過去に三沢商業、磐城、仙台育英、東北、花巻東、光星学院(2回)が、あと一歩のところまで行ったが、未だに白河の関を越えることはない。今年こそはの願いを毎年のように繰り返している。
 さて、私は高校野球でいろいろと疑問を持っているのだが、その一つとして、全国4,000校を超える頂点に立つ高校の優勝投手は、それはそれは凄い投手で、その後、プロ入りしてエースとして活躍して当然と思っていた。しかし、実情はそうでもない。今回は、甲子園の優勝投手に焦点を当てたい。

 1 現在プロでエースとなった凄い投手を揃えても優勝できない東北のチーム

 過去に、太田幸司を擁した三沢商業(青森)が決勝で敗れた。小さな大投手の田村の磐城、豪腕・大越投手の仙台育英も、ダルビッシュの東北、そして最近は岩手・花巻東の菊池、そして球界の宝である同じ花巻東の大谷でも優勝を成し遂げられなかった。中には現在、プロ野球の球団に所属し、エースとして活躍している面々だ。これだけの凄い投手をもってしても甲子園優勝は出来なかった。

 これを前提として考えたいが、これらの投手に打ち勝って全国一を成し遂げたチームのエース、つまり優勝投手はもっと凄い選手になっているのだろうか?実はそうでもない。

 2 甲子園優勝で全国一になった優勝投手なのに打者転向した選手

 王貞治(早稲田実業) 高2の時に甲子園で優勝したが、プロ入り後打者転向
              世界のホームラン王となった 通算868本

 柴田勲(法政二) エースとして優勝 しかし巨人入団後は俊足を買われてスイッチヒッタ
           ーとなり、V9時代には一番打者として活躍した。

 愛甲猛(横浜) 決勝では無失点記録の1年生、早実の荒木と投げ合って勝った。しかし
          ロッテ入団時は投手だったが、やがて打者転向した。

 金村義明(近鉄) 報徳学園を優勝に導いたが、やはり投手としては開花せず。野手転
           向

 西田真二(PL学園)・・・逆転のPLの立役者 エース兼4番として活躍して優勝投手に
              広島入団後は外野手として打撃で貢献した。

 他にも帝京の吉岡雄二(巨人・近鉄など)、中京大中京の堂林(広島)らがいる。

 ちなみに優勝していないが、元投手で野手に転向したプロ野球選手を挙げると

 イチロー(愛工大名電)

 3 甲子園優勝投手でプロ入り後も活躍した投手

 桑田真澄(PL学園)・・・ご存知、高校野球史上最高の投手。23勝3敗という戦績。巨人
             入り後もエースとして君臨した。怪我さえなければ200勝していた。
             パイレーツでも活躍した。 

 野村弘(PL学園)・・・大洋に入団し左のエースとして活躍 101勝88敗

 松坂大輔(横浜)・・・西武でエース、その後、レッドソックスなどメジャーへ移籍したが鳴
            かず飛ばず WBCでは2大会連続でMVPに輝いたものの、晩年は
            日本球界に復帰したが、給料泥棒状態
            しかし高校時代はすごかった。甲子園春夏連覇の立役者にして、3年
            の夏は死闘を演じた。準々決勝のPL戦は延長を投げ抜き、準決勝
            の明徳義塾戦では6点差を逆転。決勝はノーヒットノーランの快挙。平
            成の怪物の名をほしいままにした。

 

 田中将大(駒大苫小牧)・・・厳密に言うと、2年次の駒大苫小牧優勝時はセンターだっ
                 た。しかし、実際に投手として投げても入るため、あえてここ
                 に掲載した。

 藤浪晋太郎(大阪桐蔭)・・・阪神のエースとして活躍しているが好不調の波が激しい。H
                 28シーズン終了時点で40勝32敗 最速160km/h

 4 優勝投手だが、プロではイマイチだった選手

 松本正志(東洋大姫路)・・・阪急にドラフト1位入団 通算1勝3敗で引退

 中西清起(高知商業)・・・阪神 63勝74敗
 
 畠山準(池田高校)・・・南海に入団したが、6勝18敗で、その後野手に転向

 水野雄仁(池田高校)・・・巨人に入団したが、39勝29敗

 渡辺智男(伊野商業)・・・西武に入団したが、45勝40敗で引退

 正田 樹(桐生一)・・・日本ハムに入団したが通算24勝37敗

 西村健太朗(広陵)・・・巨人に入団し、リリーフエースとして活躍したがその後、イマイチ

  辻内崇伸(大阪桐蔭)・・・巨人に入団したが、あまり一軍登板もないまま引退

 斎藤佑樹(早稲田実業)・・・大学までの活躍は素晴らしいが、プロ入り後は6年間で14
                 勝20敗。ハンカチ王子として人気者になった過去の栄光で
                 今もプロを続けられているが、大卒で即戦力にならなけれ
                 ば、引退勧告されても不思議ではない。今年が正念場だ。

 他にも優勝投手には済美の福井優也(広島)、沖縄尚学の東浜巨(ソフトバンク)、興南の島袋洋奨(ソフトバンク)、清峰の今村猛(広島)らがプロ入りした投手だが、まだ入団してキャリアが浅いので今後に期待したい。

 記事作成:3月20日(月)~4月4日(火)

続・社会の迷惑「DQN」~恩を仇で返す無法者たち~

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 前回、同名のタイトルで記事を書いたところ、結構なアクセスがあった。世の中には人の迷惑を顧みず、自分のペースで物事を進め、知らないうちに人に迷惑をかけまくっている愚か者がいる。自分本位で自分の都合の良いように解釈し、さも自分が世の中で一番偉いと勘違いしているDQNは始末におえない。こういう輩は、幼少からの躾がなっていなく、結局は蛙の子は蛙であり、その先祖から続く家庭そのものを表すことになる。
 では、今回第二弾となる記事を早速始めるが、こうした勝手気ままな輩は天罰が下って当然だと思える。

玄倉川水難事故

 1999年8月13日より玄倉川の中州でキャンプをしていた横浜市内の廃棄物処理業者・富士繁の社員と家族・友人18人が14日、大雨による増水によって流され、社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の13名が死亡した。
その内容から、ネット上では『DQNの川流れ』とも呼ばれている。

 静岡市藁科川水難騒ぎ

 静岡市富沢。2000年8月15日未明。前日からの大雨で増水した藁科川の中州に取り残された17〜19歳の男女9人。事態に気づいた通行人の通報で駆けつけた地元警察と消防による夜を徹しての救助活動の様子です。

 日本の未来は大丈夫かと懸念する若者たちの愚行

 自分たちが楽しく盛り上がればければそれでよしとする浅はかな発想で、他の迷惑を顧みない勝手な言動と行動。こういう輩が世に憚るようでは日本の未来は真っ暗だ。

 自分たちがいかにキチガイで社会のゴミでしかない振る舞いをしておきながら、それに気づかず、自ら動画サイトにアップするアホさ加減。こういう輩が自分の子供を躾や教育できるわけがなかろう。

 自分達が身勝手な判断と行動により、災難を招いておきながら、二次遭難の危険を顧みず命がけで救出にあたった、いわば命の恩人に、「早くしろ」とか「勝手に来たんだろ」と暴言を吐くなど言語道断。日本人としてはあってはならぬ言動だ。こういう輩は助ける必要などあるのだろうか?こういう連中が大人になって自分の子供にどういう躾をするのか?他人に迷惑をかけて平気でいるような奴らは社会から抹殺したほうが世の中のためではないのか?「天は自らを助くる者を助く」というのは、こうした無法者には該当しないのか?強い憤りを感じる。

 日本人ならば、人の迷惑になる行為を慎まなければならない。日本人は中国人や朝鮮人とは違い、高い知識と素養を兼ね備えた民度の際立った秀逸した民族だ。

 記事作成:2月21日(火)~

笑えるパクリPV、結婚式余興PV

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 生活にふと笑いを求める時が誰にでもあると思う。ストレス社会にあって「癒されたい」と思うことが年々多くなっている。ストレス解消を皆さんはどうしているだろうか?私の場合は、旅行だったり、気晴らしに趣味にのめり込むことが多かった。最近は寒くて出不精でぶくぶく太る一方だ。そんな自宅にこもってすることといえば、動画サイト検索だ。ものまね番組だったり、漫才・コントの類だったり。しかし最近は、人気CMをパクッた動画やシンガーのMVを真似た結婚式の余興用の自主制作PVだったりする。
 今日は、日々の忙しい日常において、一服の清涼剤や暮らしのオアシスになるような動画を紹介したい。

 1 深津絵里 JR東海 CM(オマージュパロディ化)   

深津絵里とパントマイムで現れる彼氏を演じたつもりだが、やはりそこは素人で、ぎこちなさがありあり。でもそこが実にいい味を出している。

 2本目は橋本環奈に似ている可愛い娘ちゃんだが、やはりオリジナルに比べると違和感あり。でも良くできている。

 2 Xmas エクスプレス パロディ結婚式余興

 こちらはJR東海のクリスマスエクスプレス第二弾、牧瀬里穂がエントランスホールを改札に向かって走り、他の客とぶつかるシーン。彼を見つけた彼女が柱の陰に隠れて・・・というシーン。結婚式でやるとウケること間違いなし。

 3 1989年JR東海 シンデレラエクスプレスCM 結婚式用 完コピ   

 これは凄い。本物とまったく同じ場所でロケを行い、同じシチュエーションで製作したことがわかる。ここまで完全コピーはなかなかできない。

 もっと笑えるのはコチラ とんねるずタカが、無賃乗車(キセル)でしょっ引かれる大笑いのパクリPV。

 4 ライザップパロディ

 なぜか「プロジェクトX」のオープニングで始まり、練習風景や撮影風景などメイキング風に仕上げている。招待客に喜んでもらいたい一心と、心から新郎新婦を喜ばせたいという気持ちが滲み出てて感動を誘う。

 5 結婚式お祝いビデオ HERO風 

 6 踊る大捜査線 パロデイ

 どのシーンもギリギリ路線。もしかすると、警察に連行されても不思議ではないコスプレ。

 7 【結婚式余興】 入場前 自主制作特撮アクションムービー

 結構凝った作り。たぶん新郎新婦が仮面ライダーなどの特撮HERO好きだったのだろう。私的にここまで完成度の高いCG入り作品を作るとは、相当技術が高い。

 8 ヤバい系 ACジャパン

 9 【AC】こだまでしょうか、児嶋だよ!   

 さて、笑っていただけましたか?現代社会はストレスが両肩にズリシと重くのしかかって、どこかで発散しないと行き場が無くなってしまう。そんな日常を少しでも忘れ、気持ちが晴れたら今回の記事の意味があったと思います。今後も折に触れて笑いをお届けできたら嬉しく思います。

 記事作成:2月22日(水)

日本人で良かったと思える動画集

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 日本は歴史的に見ても、島国だったせいか外国文化を取り入れる機会が少なく、独自に発展した和文化が主流だった。昭和の時代でも、1ドル360円の固定相場の時代には、海外旅行は高嶺の花であり、新婚旅行はもっぱら熱海がメッカだった。近年、「異文化交流」が盛んになった、高校の修学旅行が外国だったりするが、外国へ行ってみると、外から日本の良さを再認識でき、「日本人でよかった」と改めて実感するケースが多い。文化や生活習慣の違い、政治や経済の発達の度合いも異なり、ソフト面でも、国民意識や社会常識、公共心や民度まで千差万別だ。
 これまで当ブログでは、幾度となく日本へ来た外国人のコメントとして、日本人の凄さや日本の優れた規範意識や公衆マナー、秩序ある生活などを紹介したが、今回もダメ押しとばかりに日本を訪れた外国人が、日本についての感想を認めた動画をセレクトしてお送りしたい。やや自画自賛の部分もあるが、日本人の良さを改めて認識して頂ければ幸いだ。

【衝撃】日本を観光した中国人が日本に来て驚いたこと10選 中国と日本の違いに唖然・・・

中国人が日本に来て驚いたことが意外だった。中国のごみ問題、トイレ事情などと比べると日本の素晴らしさを改めて実感します。

 【海外が感動する日本の力】   

海外の反応 日本に来た外国人が驚いた日本のすごいところ「これが日本の普通の日々なのか・・日本大好きだよ!」   

 今日は焦点がブレないように長々とした私見は割愛しました。ただ言えることは、日本人がいかに秩序に優れ、他人に迷惑のかからない生活を当たり前のことのように送っていることに外国人たちは驚嘆する。列に割り込まない、ゴミが少ない、電車内での公共マナーなど、日本人は誰に教えられたわけでもないのに、自然に身に着いている。学校教育や家庭生活の中で、「人の振り見て我が振り直せ」という自制心や社会性が培われているからに違いない。日本人は島国で、海を越えなければ外国を訪れる機会が少なかった。日本人がいかに民度が高く、「日本人で良かった」と思えるような実体験となる場面が少なかったからだ。
 外国を訪れてみると日本人の生活がいかに優れているか認識できる。「国際化」とか「異文化交流」というのは、外国文化を取り入れるだけではなく、お互いの交流を通じ、自国の良さを再認識する場でもあるのだ。

 記事作成:3月5日(日)~


企業名を連呼するCM

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 いろいろなスタイルのCMがある。通常スポンサーとなる企業がCM作家やCMの制作会社に多額の制作料を払い、タレントなどを起用し、手間暇かけて1本のCMが完成する。しかし、せっかく1億円近い広告料をはたいて制作しても、その商品を認知してもらえなければ無駄に終わるし、どこの会社が作っているものなのか一般消費者に広く知らしめないと無意味だ。
 したがって、企業はまず、自社製品よりも会社名の売り込みに躍起になる。もっとも手っ取り早い方法は、マスメディアを効率よく利用し、訴えることだ、そのため、あの手この手をCMを制作する。その戦略のひとつとして挙げられるのが、CMに流れる歌詞や節の中で企業名を連呼することだ。では過去、どんなCMがあったのか、見ていきたい。

 1 「ロート製薬」

 「♪ロート、ロート、ロート、ロート、ロート、ロート、ロ~ト製薬~♪」

 池越しに社屋に迫るカメラワークと斜めに鳥の群れが横切る映像が始まると、土曜日を実感したものだ。TBSで19:30から放送されていた「巨泉のクイズダービー」のスポンサーだった。

 2 「ベネフィーク」

 蛯原英里が出演する美容化粧品のCMだが、最初から最後までメロディに乗せて「ベネフィ~ク」を連呼。絶対に頭に残る。これも企業戦略のひとつ。
                                                     

 3 「♪タケダ、タケダ、タケダ」

 薬品を扱う会社は競争が激しいせいなのか、まず名前を覚えて貰うためにこのように企業名を連呼するパターンが多い。

 4 「レナウン娘」

 「♪レ~ナウ~ン、レナウン娘がわんさわわんさか・・・」

 もう50年くらい前の古いCMだが、このような手法は1960年代からあったというから驚き。御馴染みのCM作曲家で大御所の小林亜星が作曲した「わんさか娘」のシリーズだ。

 一流企業であってもこうした戦略を練っていた。「ナショナル」や「東芝」などもそうだ。ナショナルは水戸黄門、東芝は「日曜劇場」などの冠スポンサーとして自社番組を持っていて、当時、誰もが口ずさむことが出来た「あかっる~いナショナ~ル」とか「光る~光る~とお~しば~」というCMソングは誰でも知っていた。

 また節に企業名を盛り込むのは大多数が実施している。

 「カルビ~かっぱえびせん」
 「イケイケGOGOこいけや~」
 「チョコレイト~はめいじ~」
 「も・り・な・が、ピポパ」
 「ハウスバ~モントカレ~だよ~」
 「ま~る~だ~い~ウィンナ~」
 「ジェイア~ル~東日本」

 記事作成:2月25日(土)~

 

 

テレビ東京の番組を放送するテレビ局!?

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 我が福島県には民放の放送局が4局ある。それぞれ東京のキー局をネットする局として存在する。県庁所在地・福島にあるのは「FTV」と「TUF」。FTVは福島テレビで、福島県で最初に開局した民放のテレビ局だ。TUFはテレビユー福島で、県内では一番新しい。当初は福島テレビがTBS系列とフジテレビをネットしていたが、福島市が2局体制になってからは、FTVがフジテレビを、TUFがTBSをネットするようになった。
 一方、福島県の中央に位置し、何をするにも便利な郡山市には「FCT」と「KFB」がある。FCTは福島中央テレビのことで、現在は日本テレビ系列をネットし、KFBが福島放送でテレビ朝日系列をネットするに至った。
 いずれも4局体制になったことで、県民は映画やドラマ、スポーツ、バラエティと選択の幅が広がった。しかし、どうしてもネット仕切れないのがテレビ東京だ。
 しかしながら、テレビ東京は、他局とは目に付けどころが異なり、秀逸した番組が目白押し。したがって、オンタイムではネットしていないものの、土日や深夜の時間帯に集中して放送している。それも数ヶ月遅れで。でも面白いのが、テレビ東京の番組はこの民放4局が、それぞれ番組を購入していて、バラバラに放送している点だ。そこまでしてでも流したい興味深い番組が多いということが言える。私もお気に入りで、毎週のようにレコーダーに録画している。ではどの番組をどこの放送局がネットしているか、一覧をどうぞ!

 1 開運なんでも鑑定団・・・・福島テレビ 毎週日曜日正午 再放送は土曜日12:55
        
 2 所さんの学校では教えてくれないそこんところ・・・・福島テレビ 毎週日曜日13時

KanteidanTokorosan

 3 出没アド街ック天国・・・・福島放送 毎週土曜日15:30

 4 YOUは何しに日本へ・・・・福島放送 毎週土曜日16:30

AdomaticYou

 5 世界!ニッポン行きたい人応援団・・・テレビユー福島 毎週土曜日12:10

 6 モヤモヤさま~ず2・・・福島テレビ 毎週土曜日16:00

NipponMoyasama

 7 関ジャニありえへん∞世界・・・テレビユー福島 毎週土曜日13:05

 8 世界ナゼそこに?日本人・・・・福島中央テレビ 毎週土曜日 13:30

AriehenSekainaze

 9 ソレダメ~あなたの常識は非常識~・・・・福島放送 毎週土曜日 14:35

10 たけしのニッポンのミカタ!・・・福島中央テレビ 毎週日曜日13:05 

SoredameMikata

11 和風総本家・・・テレビユー福島 毎週日曜日15:30

12 ポケモンの家あつまる?・・・福島テレビ 土曜日 14:30 

WahuPokemon

 こうやってみると週末の午後の民放テレビ局は、「テレビ東京」に席巻されている。しかも土曜日に同じ時間帯で同じ放送局がライバル状態で視聴率競争している事実。

 今はもうネットしていないが、かつては「ドライブ A GOGO!」や「空から日本を見てみよう」、さらには「路線バス乗り継ぎの旅」も放送していた。

 なぜ、こういうことが起きるかと言えば、やはりテレビ東京の番組は個性的で、他局の模倣をしない独自路線で番組を制作しているからだ。まったく目の付け所が良く、今までにないような趣向を凝らしたバラエティ番組には舌を巻く。ぜひ、これからも個性溢れる企画で私たちを楽しませてほしいと願う。

 記事作成:平成29年2月~4月3日(月)

ZARD百科事典 vs 北の国から

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 ファン待望の「ZARD百科事典」が創刊された。15年にわたるZARDの活動を余すことなく、すべてを網羅したこの書物は、なんと隔週(月2回)の発刊で、トータル52号にまで及ぶファンなら必携の宝物になるだろう。
 私も発売日の2月9日(木)に速攻で書店に駆け込み、990円で購入した。おそらく、2冊買って、一冊は開き、もう一冊は保存用としてパッケージも開封しないという方も多いことだろう。40代以上の方々にとって、ZARDは青春時代を彩る人気ユニットだったし、私が今も毎日のように出勤途中にかけて聴いているアルバムで、坂井泉水さんの透明で甘い声を未だに忘れることが出来ない。
 チケットがとれないため、一度もライブに出向くことはなかったが、4年前には彼女のお墓参りを実行したこともあった。また、以前に当ブログで彼女に関する記事を何度も書いたことがあったが、その都度、アクセス数がいつもより伸びたほどで、死後10年が経過しようとしている今も、彼女の歌声や存在を忘れたファンはいないことを証明している。

 「あなたを想うだけで心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて」(マイフレンド)

 この歌詞とメロディーがこびりついて頭から離れない。今、彼女を想うとこの歌詞が浮かんでくる。

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 しかし、その一方で、時を同じくして私が学生時代から愛してやまなかった「北の国から」のDVDマガジンも創刊された。こちらも全巻48号にまで渡る大作だ。昭和の時代に始まり、その後本放送終了後も、1~2年に一度の割合で続編が制作された。富良野の麓郷を舞台に、黒板ファミリーが織りなす人間模様。作者・倉本聰の世界観が網羅された「生き様」を描いた秀作だ。私は何度もロケ地を訪れているし、全作DVDを持っているが、マガジンで制作中の裏側エピソードなどは知らない。だから今回の特集はファン必携だし、死ぬまで手元に置いて、いつでも見たいライブラリーだと思う。

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 北の国からは私が1984年(昭和59年)4月から1986年(昭和61年)2月まで北海道に住んでいた時に、スペシャル版で制作・放送していた。中富良野のラベンダー畑をバイクで旅した時に、その撮影をしている場面に出くわした。以来、麓郷の森を訪れ黒板五郎のログハウスや竹下景子が働いていたログ調の雑貨屋もあった。長閑で北海道らしい雄大な風景を満喫できた。

 さて、本日取り上げたDVDマガジンはいずれも私にとっては「お宝」だ。 どちらも隔週発行で、1か月2冊のペース。創刊号は1,000円未満で購入できたが、2号目以降は倍近くする。よって毎月4冊ずつ買えば、6,000円程度の高額出費となる。サラリーマンの安月給に加え、子供ふたりが大学生で仕送りしている身としては、かなりきついが、この時期を逃すと購入できなくなるし、後悔はしたくないので、全巻買おうと心に決めている。

 記事作成:4月1日(土)

名切万里菜アナが福島で過ごした日々①

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 この手の記事を書くのは2度目だ。できれば避けたかった。前回は昨年3月にTUFを退社した「梅ちゃん」こと梅田澪理アナで、今回はこの春、福島テレビを卒業した名切万里菜アナだ。ふたりとも私の理想の女性で、お気に入りだった。
 特に、名切アナは長崎県出身で、平成27年3月に福島にやってきて、以来2年間、「みんなのニュース」のキャスターとして報道メインで福島県民に愛されて来た。容姿端麗で才色兼備、アナウンス技術もNHK出身だけあって秀逸していた。落ち着いた物腰で冷静に地元密着のニュースを伝えてくれた。時には「おでかけ金曜日」のコーナーで、県内をロケして地域の話題をリポートしてくれた。その愛らしい笑顔とお姉さん風の優しげな存在で、夕方、仕事疲れの体を癒してくれる存在だった。
 今日は、彼女が2年間在籍したFTV(福島テレビ)の番組で、私が2年間録画を続けた彼女の出演場面を中心に画像で紹介したい。それは一度もお目にかかったことがなかったが、名切万里菜というアナウンサーが、郷里を遠く離れ、確かに福島でアナウンサーとして存在した証をここに残しておきたいという意図からお送りするものだ。

 1 入社当時の名切アナ  「みんなのニュース」番宣CMと「私のへんしん」PR動画から

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 2  入社1年目

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 公式HPに掲載されていた彼女のページ
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自分の顔の形に合う髪型を郡山市虎丸の美容室よりリポート
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 福男&福女を決める「信夫山マラソン登山」に初参加し、完走
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 ニトリで家具選びをリポートする名切アナ

 3 入社2年目

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          夕方のいつもの光景だったニュース




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 その他の画像(FTV公式サイトより)

Ftv
左から鈴木康一郎アナ。松永安奈アナ、名切アナ(両端がこの春退社した)
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「みんなのニュース」キャスター勢ぞろい 
岸野アナの後任で松永アナが加入した
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会津若松・鶴ヶ城にて
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福島わらじ祭りを浴衣を着て中継
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元フジテレビアナの佐々木恭子さんと
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新人の伊藤アナと 
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右側の岸野アナも昨秋、福島を離れた
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武家屋敷で赤べこ塗り体験
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右は「みんなのニュース(月~水)担当の坂井アナ

 彼女のアナウンサー日記はコチラ  http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2017/01/

 私は見ず知らずの地、福島に赴任し、彼女は人間的に大きな成長をしたと信じている。震災に苦しむ福島県民の現状を取材を通して目の当たりにし、他県に行っても、私たちの苦労を伝えてくれると思う。

4月からはなんと在京キー局である「日本テレビ」の日テレ「NEWS24」のキャスターとして出演することになった。もう他県に行って、彼女の姿を見られないと思っていたが、全国区のTV局なので、「スカパー!」に契約すれば見られるし、「BS141」チャンネルで、毎日夜中の2時半4時までの1時間半の番組でも登場するかもしれない。また、ネットのYahoo!の映像ニュースでも見られるから嬉しい。もちろん担当者が日替わりなので、いつ出演するかは不明。彼女なら、地上波のキャスターに起用されることもあると思う。またお目にかかれる機会を得て率直に嬉しいし、今後は福島で過ごした者しか知らない被災地の現状や原発被害の実態を全国に発信してほしい。

Ntvnews24

 日テレNEWS24の彼女のプロフとあいさつ

 http://www.news24.jp/news24/profile/nakiri.html

 http://www.news24.jp/blog/diary/cat145/

 Yahoo!で見る場合はコチラ

 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn

 実際に出演したニュース映像はコチラ

 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170407-00000014-nnn-soci

  同じ番組のキャスターには、TUFの「グーテン」などのキャスターとして活躍された「山田幸美」さんもいる。

 たぶん私と同じ「名切ロス」に陥っている方への励ましも含め、今回の記事をしたためてみましたが、この2年間、彼女が出演したシーンはすべて録画してあるので、もしこの記事のアクセス数を鑑み、好評の場合には、蔵出しではないが、過去の出演シーンを特集してお送りしたいと思う。それもこれも、冒頭で話した通り、彼女が実際に福島県で暮らし、ニュース報道を通じ、私たちに癒しや元気を与えてくれたことに感謝すると共に、彼女が福島に残してくれた足跡をここに刻み込みたいからだ。そして、いつも気象予報士・斎藤さんの横で溢れていた彼女の笑顔を忘れないために・・・。

 記事作成:3月30日(木)

私のテレビ番組企画書⑤

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 この企画記事も第5弾を迎えた。今まで提案をするものの、未だにテレビ関係者は私の企画を取り上げたためしがない。
 最近、月9もそうだが、視聴率20%を越えるドラマが少ない。「家政婦のミタ」や「半沢直樹」を超えるような国民的ヒットがここ数年出てこない。

 1 番組タイトル「ラブストーリーをあなたに」

 概要

 視聴者の体験した恋愛物語や妄想恋愛を15分間のストーリーでショートドラマ化した60分番組

 視聴者から恋愛シチュエーションを募集し、毎週採用された3つの物語をドラマ仕立てで制作する。採用者は自ら出演でき、相手役の俳優を選ぶことができる。
 また、演技力に自信がない場合は、主演を指名できる。
 自らの体験談を再現ドラマにできるだけでなく、脚本家や放送作家を目指す人たちの創作ストーリーも実写化する。

 一般公募だけでなく、芸能人の恋愛ストーリーも受け付け、ご本人に出演してもらう。

 視聴者ターゲットは10代~20代の恋愛世代や30代以上の方々も、若い頃の自分の恋愛体験とオーバーラップして懐かしく見ることが出来る。
 昔、日本テレビ系で放送していたアニメの「ストーリーランド」という感動番組があったが、その恋愛実写版の位置付けだ。

 2 スポーツ名場面 「その時感動は生まれた」

 概要

 様々なスポーツシーンで感動する場面や記録達成の瞬間をまとめて週一回放送する。
 大会と言えば、オリンピックやW杯が最高峰だが、例えば野球、ソフトボール、バレーボール、競泳、柔道、大相撲、陸上など、様々な競技種目を毎週取り上げ、そこで実現した名場面を名実況と共に振り返る。そして、特に日本人の活躍場面や裏エピソードなどを「プロジェクトX」風に紹介する。

 3 往年の名優回顧録

 概要

 昭和の時代から銀幕のスタートして一世を風靡した大女優や名俳優を取り上げ、代表作とその人となりを生前のエピソードを交えて紹介する。その人ゆかりの方々をゲスト(コメンテーター)に迎えて、スタジオで在りし日の姿を偲ぶ。

 例えば、三船敏郎、渥美清、高倉健、菅原文太、上原謙、二谷英明、森繁久彌、石原裕次郎、美空ひばり、大地喜和子、大原麗子、志村喬、萬屋錦之助、緒形拳、乙羽信子、森光子、山岡久乃、坂口良子、原節子などだ。

 毎年、多くの芸能人が天国へと旅立っていく。亡くなった直後は追悼番組を放送するが、代表作だけで、その人の一生を振り返る番組はよほどの大スターじゃないと特番を組まない。

 4 なんでもベストテン

 概要

 オリコンスタイルというのがあるが、毎回、いくつかのテーマでランキングして、その順位を取り上げる番組。昔、「クイズ100人に聞きました」というのがあったが、テレビのdボタンを活用して、いろいろな世代に次回のテーマを予告して投票して貰い、その結果をもとに順位を出す。そしてVTRを編集し、次週その結果を発表する。

 たとえば以下の通り

 1 人気の駄菓子ランキング
 2 人気の鉄道ランキング
 3 国民的アニメランキング
 4 歴代人気ドラマランキング
 5 季節ごとの歌ランキング、行事ごとのソングランキング
 6 世代別人気CMランキング
 7 流行ったファッションランキング
 8 今は廃刊になった懐かしの雑誌ランキング
 9 全国人気スイーツランキング
10 人気駅弁ランキング
11 全国の人気観光地ランキング
12 乗りたい電車ランキング
13 日本にある世界遺産そっくりランキング
14 人気のスポーツマンがランキング
15 アニソンランキング
16 日本人が選ぶ洋画ランキング
17 外国人が選ぶ日本の映画ランキング
18 退職後にやってみたい趣味ランキング
19 子供の頃遊んだおもちゃ世代別ランキング
20 

 5 私のおすすめ旅行プラン

 概要

 旅行愛好家やプロのツアコンが推奨する旅行プランを紹介する番組

 たとえば、3泊4日で楽しめる旅行先を実際に体験しながら紹介する。一泊目はここを観光して、昼食はどこで食べ、午後は何をするという細かな提案を、交通手段や時刻表、そして運賃も含めて費用がいくらかかるか紹介する。また、地方の絶品料理やお土産はこれを買うとか、アドバイスをする。言ってみれば旅の指南役のような番組だ。

 6 全国謎のスポット100選

 概要

 全国津々浦々、ガイドブックに載っていない地元の人にしかしらないスポットを紹介する。レアだったり、ミステリースポットだったり、今まで知られざる場所に光を当てる。

 7 老後を生き生きと

 概要 

 お勧めの趣味を毎回紹介する。お年寄りが、晩年を生き生きと生活するために、実際に行っている方の趣味を紹介する。そして毎年の費用がいくらかかるとか。50の手習いという言葉があるが、退職後に始められる手軽な趣味を毎回取り上げる。

 例) カメラ、グランドゴルフ、山菜、登山、ガーデニング、水彩画、俳句、熟年ライダー、
    陶芸、カラオケ、生け花、茶道、スポーツ、骨董、鉄道模型、旅行記、自分史、
    水泳、トレッキング、写経、工場見学など

 今回は7つの企画を提案したが、これからますます少子高齢化が進む。世の中、65歳以上の高齢者が増加するので、ターゲットも世代に合わせた企画立案がテレビ業界に必要となる。最近のテレビは同じ時間帯に類似した番組ばかりだ。例えばクイズ番組も、19時台は同じような変わり映えしないような番組編成ばかり。これでは視聴者は魅力を感じない。他にない個性あふれるような番組をぜひ企画して欲しい。そういう点では、私はテレビ東京の独自路線が大好きだ。昔、シャープのCMで「目のつけどころがシャープでしょ」というコピーがあったが、テレビ局にはそうした視点が求められている。他の真似事ではなく、他にないような面白い番組を提供して欲しいと願う。

 記事作成:3月中

 

北朝鮮に纏わる時代錯誤の勘違い動画

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 最近、「Youtube」に頼り過ぎの傾向が否めないが、今回もその例に漏れず、動画の独断専行でお送りしたい。用はネタ切れだ。すでに一か月先までの記事は完成しているが、ワンパターン化し、以前に類似のテーマでお送りした内容の繰り返し気味になってきているのは否定しようがない。そうした事情をご理解いただき、ご覧ください。

 1 勇ましき北朝鮮軍

 時代錯誤も甚だしく、この国だけは昭和初期のまま。世界がどんなに文明が発達し、超高層ビルが立ち並ぶ物質的に裕福で暮らし向きが良い時代にあっても、北朝鮮だけは50年以上の時代おくれのまま。未だに将軍様と仰ぎ、絶対君主政治を貫き、将軍様のためなら死をも恐れず、国家に身を捧げる国民たち。世界の高度に進んだ科学技術や平和の世の中を知ることもなく、井の中の蛙で死んでいくさだめ。
 21世紀の現代にあって、富国強兵こそが生きる唯一の道とばかり、核開発に走り、見境なくミサイルを飛ばし、隣国を威嚇し続ける瀬戸際外交が常套手段。外国と敵対関係を貫く術しか持ち合わせていない偽善国家。事実を捻じ曲げ、歪曲することで自国の主張を行い、大国の正当な意見を事実無根とはねつける。金正男氏暗殺を起こした張本人のくせに、実行犯に罪をなすりつける悪徳国家だ。軍事力強化で国威発揚を扇動し、自国民が飢えで死に行くことに蓋をし、逆らうものはいやおうなく処刑や強制収容所送りで醜い拷問にかけて死にいたらしめる。この国に神など存在しない。

 2 北朝鮮の核ミサイルが日本列島を覆う日

 米韓の演習に反旗のミサイル発射で警告し、核開発を続ける北朝鮮。日米韓の対応を誤れば、ロシア・中国・北朝鮮対日米韓が宣戦布告し、第三次世界大戦の引き金になる危険性を大いに孕んでいる。圧倒的な軍事力とミサイル保有で、ソウルは火の海。アメリカの基地を多数抱える日本も標的にされる。万が一核弾頭を搭載したテポドン攻撃を受ければ、たちまち東京に死の灰がが降り注ぎ、東京は死滅する。日本中が核攻撃に遭い、一面の焼け野原と化す。

 3 東京核戦争(閲覧注意)

 東京が核攻撃を受けた場合を想定したシミュレーションだ。恐ろしい結末が待っている。灼熱の炎が東京中を包み込み、人間など一瞬で溶けて無くなる。平穏だった人々の暮らしが悪魔(金正恩)の命令ひとつで一瞬にして消え去ってしまうのだ。

 したがって、北朝鮮の暴走をこれ以上傍観するだけでは済まない。喰うか食われるか?やられる前に日本は対抗措置をとらなければならない。今の日本の憲法では攻撃相手と交戦っすることすら許されていない。丸腰で通用するような相手ではない。憲法第9条を擁護するのは昔の平和理論であり、北朝鮮の脅威に対抗するには、一刻も早く憲法改正して、日本も列強諸国に対抗できるだけの軍備を整えなくてはならない。軍事力の均衡こそが相手に手出しをさせない防衛戦となるのだ。旧態依然の防衛スタイルでは通用しないということを日本人自身が気づかなければならないのだ。

最後に日本と北朝鮮の軍事力を比較する動画サイトを見つけたので、それをご覧いただきながら結びとしたい。

 記事作成:4月10日(月)

THE 閉店・閉館

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 長い歴史があるのに、経営危機によって、惜しまれながら閉店を余儀なくされた百貨店がある。また、客に長らく愛された劇場や会館にもかかわらず、老朽化や客離れでやむを得ず閉館したスポットがある。
 我が街・郡山ですら、過去、「丸光」、「津野」、「ダイエー」、「西友(後に西武)」、「丸井」とひしめきあっていた百貨店も、すべて姿を消した。現在は「イオン」、「イトーヨーカドー」、「うすい」、「THE MALL郡山」くらいしかない。過当競争によって閉店を余儀なくされ、駅前は活気が失せた。

 今は無き百貨店

 そごう(有楽町・札幌・錦糸町・多摩・船橋・木更津など)

 ダイエー(碑文谷・赤羽・大崎・練馬など多数)

 三越伊勢丹(新宿店・池袋店・吉祥寺店・横浜店など)

 丸井(中野本店・成増店・ヤング渋谷・高円寺店・大井町店・蒲田店など)

 西武(宇都宮店・大宮店・市川店・鎌倉店・八王子店・春日部店・静岡店・札幌店など)

 今は無き劇場

 日劇(有楽町)

 「日本劇場」(1933年12月24日 - 1981年2月15日閉館)は、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場。日劇(にちげき)の通称で親しまれた。戦後は東宝映画と実演の二本立て興行を行い、特に実演は日劇ダンシングチーム (NDT) のレヴューと人気歌手のショーが注目を浴びた。とりわけ「日劇の舞台に出る事」が人気芸能人の登竜門となっていた時期があった。昭和30年代はロカビリー旋風に乗り、「ウエスタン・カーニバル」は大盛況となった。

https://www.youtube.com/watch?v=7UdcXXUqOak

 新宿コマ劇場

 東京都新宿区歌舞伎町一丁目にあり、 1956年(昭和31年)12月28日から2008年(平成20年)12月31日まで株式会社コマ・ スタジアムによって運営されていた劇場である。「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演された。コマ劇や新コマとも言う。

https://www.youtube.com/watch?v=BARDQLPdaXw

 中野サンプラザ(取り壊し後、新築)

 1973年(昭和48年)6月1日開業。東京都中野区にある宿泊・音楽などの複合施設で、特にコンサート会場として、またアイドルの「聖地」として有名である。

 渋谷公会堂(建て替え)

 東京・渋谷にあるコンサートホールである。渋谷区が設置し、指定管理者制度により株式会社パシフィックアートセンターが管理・運営を担当。後述の施設建て替えにより、2015年10月4日を以て閉館され、2018年に新装オープンする運びとなっている。ホールは1975年(昭和50年)頃から人気テレビ番組 『8時だョ!全員集合』(TBS)の公開録画会場としてしばしば使われた。また、歌番組 『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』、『歌のトップテン』(日本テレビ系)の公開生放送にも、1988年の秋頃まで使用されていた。有名だった回転舞台は撤去された。

Shibuya

 蔵前国技館

 両国国技館(2代目)が造 られるまで東京での大相撲の本場所を開催していた場所である。外観は純和風で独特 の雰囲気のあるものであった。東京都台東区蔵前2丁目1-1に所在していた。1984年(昭和59年)9月場所千秋楽を最後に閉館。翌年1月場所からは現在の両国国技館へ興行場所が移った。蔵前国技館跡地は東京都に売却し、その売却益が両国国技館建設の資金となった。

 映画館・・・銀座テアトルシネマ、シアターN渋谷、浅草名画座、浅草シネマ、新宿国際名画座、池袋テアトルダイヤ、シネセゾン渋谷、恵比寿ガーデンシネマほか多数)

 郡山でも大映(駅前)、郡映(堂前)、東宝(駅前アーケード内)、ピカデリー(さくら通り八幡坂)、東映(駅前)、スカラ座(駅前・現在まめ膳)、大勝館(現在は駐車場でスカラ座の斜め向かい)など多数あった映画館がことごとく潰れた。今はテアトルの一人勝ち。

 その他

 記事作成:1月15日(日)


重箱の隅をつつくケツの穴の小さい話

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 本日は、江戸っ子なら「べらぼうめぇ、不精な話をするんじゃねぇ」と叱られそうな小さい話をしたい。それは冷静に見れば、歴史が変わっていたかもしれないような出来事を取り上げたい。こんなことを話題にするなんて、よほど私は小さな人間で「ケツの穴が小さい野郎だ」と罵られても仕方ないと反省すること然りだが・・・。まぁ立腹せずに長い目で見てください。

 1 新庄が演じた「敬遠ボールのサヨナラヒット」はアウトだった

 あれは捕手のミス。打つ瞬間踏み込んだ左足が明らかにバッターボックスからはみ出している。通常ならアウトだが、対戦相手の巨人の槙原投手も村田捕手もアピールしなかった。審判もとっさの出来事で確認を怠ったとしか思えない。
 今さらだが、プロ野球は高校野球と違い、一回負けても次があるが、もしその試合が原因で1ゲーム差で優勝できなかったなら、責任は重大だった。

 2 近鉄、北川の奇跡の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランは幻だった!

 これも野球の話題だが、私は昭和50年代から大の近鉄ファンだったが、2001年に劇的な優勝を遂げた。優勝がかかったオリックス戦で、2-5の3点差で迎えた9回裏、無死満塁のチャンスで、梨田監督は、前の試合で代打サヨナラホームランを放った北川を代打で起用した。その緊迫した雰囲気の中で、彼はセンターバックスクリーン左へライナーで叩き込み、歓喜の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定アーチをかけた。球場内はわれんばかりの大拍手と熱狂的な状態だった。
 しかし、問題はその時に起きた。まだ、走者が全員ホームベースを踏んでいない状況下にあって、大興奮した近鉄のメンバーがベンチから飛び出し、ダイヤモンドの中に入って、踊り狂って大騒ぎしたのだ。これは明らかにアウトを宣告されるプレーだ。打者の本塁打が取り消され、一死満塁でプレー再開になっていたプレーだった。

 プロは打たれて、打球がスタンドに届いた瞬間に勝負を決していると認識しているらしく、潔く負けを認めてしまっている。もう少し冷静な対処していれば、近鉄の優勝は帳消しになっていたのだが、そうした不精な行為をしないのもまたプロの心意気のようだ。

 3 稀勢の里のV2は反則負けだった?

 2017年の春場所で、全勝街道まっしぐらだった横綱・稀勢の里。しかし、13日目の日馬富士戦で、土俵から落ちた際、利き腕の左肩を痛打し、救急車で搬送されたほどの重傷を負った。翌日から休場が危ぶまれる中、誰もが無理だろうと思った筈だ。しかし彼は横綱の面子にかけて強行出場。しかし、横綱・鶴竜との14日目はなすすべなく完敗。左腕が使えない状況に、もう2場所連続優勝は潰えたかに思えた。しかし千秋楽、逆転を許した照ノ富士を1差を追う稀勢の里は、満身創痍の身体で、本割、優勝決定戦で大関・照ノ富士を倒し、観客や日本中を感動に巻き込む大逆転優勝を果たした。誰もが涙し、この快挙を心から祝福したに違いない。
 さて、ここから先の話をすると、きっと熱狂的な稀勢の里のファンから批判を浴びそうだが、実は本割の突き落としで照ノ富士に勝った相撲で、画面上では叩き込んだ際に、稀勢の里の左手が照乃島のまげを掴んでいたように見える。もしこれが事実ならルール上は反則負けだった。だから優勝決定戦自体存在しなかった。
 しかし、あの場内の雰囲気の中、稀勢の里のテーピングを見れば、それを指摘する者は誰もいなかった筈だ。久々に日本人横綱が誕生し、あの大怪我を押して横綱の面目を保った彼は、まさしく英雄だし、カリスマ的な存在になるのも理解できる。おそらく今回の優勝は、長い相撲史に残るような奇跡の復活劇として伝説となって語り継がれることになるだろう。

 さて、このような感動劇場に無粋な難癖をつけ、水を注いでしまい、ファンの方々には申し訳ないが、冷静に見ると、もしかして形勢逆転していても不思議ではない状況だったケースを取り上げた次第だ。こうした名勝負にはとかくこのような曰くが付き物で、いろいろな角度から検証すると新たな発見があるものだ。

 記事作成:4月2日(日)

往年の視聴者参加型番組

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 昔から、視聴者が参加するテレビ番組があった。現在も続く「NHKのど自慢」や 「飛び出せものまね大作戦」、「どっきりカメラ」、ご対面番組の草分けだった「それは秘密です」などが有名だ。今日は、昔懐かしい視聴者が参加できた番組を取り上げたい。

 <スター発掘番組>

 スター誕生

 日本テレビ制作。萩本欽一が司会を務め、多くのスターを生み出した。山口百恵、桜田淳子を始め、ピンクレディーや中森明菜、小泉今日子らのスターがグランプリで芸能事務所からスカウトされ、デビューを果たした。

 お笑いスター誕生!!

 ルパン三世の声でお馴染みの山田康雄と女優・中尾ミエがMCを担当した。勝ち抜き戦で、プロとしてデビューできる。B&B、おぼんこぼん、とんねるず、コント山口君と竹田君、ウッチャンナンチャンなどが出場した。

 夕やけニャンニャン「アイドルをさがせ」

 フジテレビの夕方に革命を起こしたこの番組は、鶴太郎が初代司会を務めたが、このコーナーは「とんねるず」が担当した。一週間通して公開オーディションを行い、100点を超えた応募者が合格。晴れて「おニャン子クラブ」のメンバーになる。このコーナーで誕生したアイドルは、河合その子、高井麻巳子、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香などがいる。

 <体力アピール番組>

 風雲たけし城

  天才ビートたけしの数多い冠番組の一つ。1980年代後半から90年代にかけて制作・放送された。同じ時期に、「オールナイトニッポン木曜日」、「スーパーJOCKEY」、「天才たけしの元気が出るテレビ」などを手掛けた。私はこのたけし城はあまり好きではなく、見ていなかったが、素人参加番組で、これがSASUKEに引き継がれた感が強い。

 SASUKE

 いろいろな障害を乗り越えながら、制限時間内にゴールする「マッスル競争」の番組。SASUKEオールスターズなど、これに賭けて、仕事を捨てた者や、自宅に同様の障害物を設置して体力向上に専念した兵までいる。生活や人生を賭けるのがSASUKEと言える。女性で初めてクリアした水野裕子もその後、TVから遠ざかってしまった。

 <歌番組>

 家族そろって歌合戦

 1966年4月24日から1980年12 月28日までTBS系列局で放送されていた歌謡番組である。毎週日曜日の昼過ぎから放送され、NHKのど自慢、ロッテ歌のアルバム、そしてこの番組が御三家だった。 てんやわんやの司会で、市川昭介や笠置シズ子などが審査員を務めた。各チームは動物の名前でゾウさんチームやウサギさんチーム、リスさんチームなどに組み分けされていた。

https://www.youtube.com/watch?v=am3OHpfbW8w

 <記録チャレンジ番組>

 びっくり日本新記録

 日曜日のゴールデンタイムに日本テレビ系列で放送していた。毎回一般からの参加者たちが、風変わりなスポーツアトラクションで記録を競いあっていた視聴者参加型番組である。私は4代目司会者の大野しげひさの印象が濃い。
 毎回エンディングテーマが流れると同時に「記録…それはいつも儚い。一つの記録は一瞬ののちに破られる運命を自ら持っている。それでも人々は記録に挑む。限りない可能性とロマンをいつも追い続ける。それが人間なのである。次の記録を作るのは、あなたかも知れない」のナレーションで締めくくられ、その間は挑戦者たちが記録ならずといったシーンがスローモーションで流れていた。ナレーターの志生野温夫の名セリフは、番組終了して32年が経過した今でも忘れられない。

 鳥人間コンテスト

 讀賣テレビ放送主催による人力飛行機の滞空距離及び飛行時間を競う競技会。琵琶湖の一角に、巨大なプラットホームを築き、そこから湖に向かって飛び出す。グライダー方式と自転車で漕いで滑空距離を稼ぐ部門があった。1977年に第1回大会が開催され、2016年で39回を数えた長寿視聴者参加番組。最高距離はなんと501.38m。
 
 <クイズ番組>

 クイズ100人に聞きました

 1979年4月2日から 1992年9月28日までTBSで放映されていたクイズ番組である。司会は関口宏。一般人100人に対して行ったアンケートを設問とし、その結果を推測して回答するという独自形式のクイズ番組である。観客の「ある!ある!ある!」の声援も定番のフレーズに。

https://www.youtube.com/watch?v=c0LdjsTinNg

 巨泉のクイズダービー

毎週土曜日の19:30 - 20:00にTBS系列で放送されていた、ロート製薬一社提供のクイズ番組・ゲーム番組である。初回は1976年1月3日、最終回は1992年12月19日で、全862回放送された。出場者が解答者の中から正解すると思う解答者1人に自分の持ち点を賭け、得点を増やしていく競馬方式の番組である。言い換えると、誰が正解するかを予想する番組である。解答者がユニークで大学教授(篠沢秀夫・北野大)、女優(長山藍子、竹下景子)、漫画家(はらたいら)、タレント(宮崎美子・齋藤陽子・井森美幸など)が出演した。

https://www.youtube.com/watch?v=NzgeXWkQ12g

 アメリカ横断ウルトラクイズ

 1970年代に始まった巨額の費用を投じたNTV制作のお化けクイズ番組。後楽園球場で勝ち抜いたクイズマニアたちが、クイズに答えながら最終決戦の地ニューヨークを目指す。成田のじゃんけん大会や、機内テストにより、グァム島の地を踏めず、タラップで機内に強制送還されたり、ハードなクイズ番組だった。福留功男の「ニューヨークへ行きたいか~」という絶叫が売り。そして成田では徳光和夫がじゃんけんを行い、負けた人間にプラスチックハンマーで頭を叩かれていた。

 他にも「タイムショック」や「ベルトクイズQ&Q」、「三枝の国盗りゲーム」、「アップダウンクイズ」などが視聴者が参加して賞金を稼ぐクイズ番組として視聴率が高かった。今も続く「パネルクイズアタック25」は相当な長寿番組になった。


  <恋愛成就番組(カップル誕生番組)>

 プロポーズ大作戦(フィーリングカップル5vs5) 

 1973年4月2日から1985年3月26日まで朝日放送で放映された公開恋愛バラエティ番組である。メイン司会を横山やすし・西川きよしが務めた。前半はスタジオでの「ご対面」を実現させるというコーナーだった。
 コーナーの進行としては、最初に、司会者と依頼者がトークを行い、「見かけたきっかけ」や「お相手」に対する熱い思いなどを聞き出した後、やすしの「神の御前にて身を委ねたる、○○殿の願いを叶えたまえ~」という台詞とともに、「お相手」がステージのカーテンから登場するというのが、基本的なパターンだった。また、「お相手」の登場後には、キューピットが、「お相手」のプロフィールの紹介や、見つけ出すに至った経過の報告があった。
 後半の「フィーリングカップル5vs5」と題され、大学生が学校対抗形式で、それぞれ男性チーム・女性チームに分かれて5人ずつ登場し、集団お見合いをさせるというコーナーである。参加者はお気に入りの相手を第一印象で選んだ上で、それぞれの個性や学校生活などについて自由に話を持つ。そして最終的に出演者の目前にある大型テーブルを使って判断をし、両想いになるとカップル成立と判断するものであった。

 ねるとん紅鯨団

 フジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組である。関西テレビとIVSテレビ制作の共同製作。関西テレビやフジテレビでは1987年10月3日から1994年12月24日まで、毎週土曜日 23:00 - 23:30 に放送されていた。司会はとんねるず。
 進行は、スタジオ収録部分では、とんねるずとゲストが本編VTRを見ながらフリータイム前と後、告白タイムの後にトークをする。告白タイムや「ちょっと待ったコール」などが流行語になった。

https://www.youtube.com/watch?v=mn_b3zykosQ

 パンチDEデート

 桂三枝と西川きよしがMCを務めた。「見知らぬあなたと見知らぬあなたをデートでとりもつ」が番組の決め文句だった。たいていの場合、男性はYESボタンを押すが、女性が嫌い、ハートマークが点かず、割れたハートが虚しく点灯する。

https://www.youtube.com/watch?v=Ei0ssmR_mS4

 あいのり 

 1999年10月11日から2009年3月23日まで放送されていた 日本の恋愛バラエティ番組。放送時間は毎週月曜日の23:00〜23:30
 男性4人・女性3人の計7人が、ラブワゴンと呼ばれる自動車に乗って、様々な国家を旅する中で繰り広げられる恋愛模様を追う番組。放送開始時のコンセプトは「地球一周無期限の旅」となっていたが、地球2周目に突入後は「地球無期限の旅」に変わった。

 現在放送中のこのテーマに沿う番組は、「ナイナイお見合い大作戦」がある。

 <エンターテイメント系> こちらは現在も放送中のものが多い。

 欽ちゃんの仮装大賞

 今では香取慎吾と2人MCに。こちらもご長寿番組に。グループや学校の友達や会社の仲間などが扮装する。絆が強まり、アイディア勝負で面白い。

 開運なんでも鑑定団

 島田紳助と石坂浩二、吉田真由子が司会を担当し、現在は今田耕司と福澤朗のコンビに。掛け軸、陶器、骨董品やおもちゃなどありとあらゆるアンティーク品がお宝に化ける。出張なんでも鑑定団など、発足当時のコーナーが今も続く。最近、アシスタントが替わってしまい、新妻さと子さんが見られないのが寂しい。

 ものまね

 各局で同じようなものまね(形態模写・声帯模写・顔そっくりさん)番組が数多い。素人からセミプロやプロになった兵も多い。私は40年以上も前に放送していた「あのねのね」が司会の「飛び出せものまね大作戦」が懐かしい。野外ロケで「新宿中央公園」から素人を集めてものまね合戦を展開していた。

 いたずらウォッチング

 田代まさしと桑まんが司会をしていた番組。仕掛け人が街角でいたずらを仕掛けるが、その時の周囲の反応を見るというもの。悪気がなく、明るい、人に迷惑をかけないような仕掛けが多かった。

 他には、大学生たちが街中で、指令をクリアしていく「6大学対抗どっきりマラソン」も好きだった。

 <人探し・ご対面番組>

 それは秘密です!!

 『それは秘密です!!』は、日本テレビ系列局ほかで放送されていた日本テレビ製作のヒューマンバラエティー番組である。日本テレビ系列局では1975年10月7日から1987年9月29日まで、毎週火曜 19:30 - 20:00 に放送。桂小金治が司会を、秋本圭子(前期)と清水由貴子(後期)がアシスタントを務めていた。
 ゲスト(各チームの一番端)が会おうとしている恩師や肉親などがシルエットで登場し、レギュラー解答者がヒントを示唆するような形で解答していた。さらにゲスト解答者が当てて正解が出ると、その恩師や肉親、思い出の人などを登場させて感動の再会シーンを紹介し、思い出等の(秘)話などを披露していた。

 プロポーズ大作戦の冒頭・・・前述の通り

 私はオープニングのキャンディーズのテーマソング「ラッキーチャンスをのがさないで」が好きだった。

 現在では「ずっとあなたが好きでした」とか「あいつ今何してる」がこの手の番組だった。

 さて、主に昭和の時代に高視聴率を稼いだ人気名物番組を特集したが、いずれも素人が参加できるものだった。なぜかこうした趣旨の番組は関西系のテレビ局制作が多かった気がする。司会者が芸人さんが多いからか?いずれにしても、昭和の時代にお茶の間で家族そろって食卓を囲んで見た懐かしの番組ばかりだと思う。
 近年、こうした番組コンセプトがめっきり減った。どの局も個性がなく、どこででも見られるような単調な番組ばかりでつまらない。
 テレビ制作会社やプロデューサー、番組ディレクターは、視聴者が何を求めているか的確に判断し、ぜひ国民的な番組をこの世に送り出して欲しいものだ。

 記事作成:平成28年12月6日(月)~

我が家の風呂リフォーム大作戦①

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 1月のとある寒い日、ふと家内が呟いた。平成7年に購入した新築建売一戸建ての我がマイホームも21年が経過し、22年目を迎え、「これからはヒートショックが命取りになる年齢になることから、温かい洗面脱衣所が欲しい」と・・・。確かに我が家は夏は異様に暑く、冬はすこぶる寒い。幼稚園・小学校・中学校がすべて近くに揃う、子育てには抜群の教育環境が整っていることから、即決して高額の土地付き建売住宅を決めたのだった。銀行ローンがようやく終わったと思ったら、あちこちボロが出て、修繕が必要になったのだ。
 すでに風呂のボイラーやトイレ、洗面台、換気扇を入れ替えるなど、姑息にも手直ししてきたが、温かいお風呂でゆったり疲れを癒したいと思うようになったのが、今回、リフォームを決意した理由だ。
 今日は、1月から始まった、我が家のリフォーム大作戦を備忘録として残したいという意図と、これからシステムバスへのリフォームをお考えの方に、我が家の顛末を紹介したい。

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  今のユニットバスがどう変わるのか楽しみだ。では経緯をどうぞ!

 1月22日(日)

 リフォームを考え始めたこの日、たまたま桑野の業者の広告が入り、下見に行くことに。ひとまず、午前中にひとりでパナソニック(フォローラ)とLIXILのショールームを見に行く。そして午後に、さらにはこれまで何度もリフォームを依頼し、工事を請け負ってもらった、自宅から至近距離にあるリフォーム専門店を家内と訪ねた。こちらからの希望を言い、どれくらいの予算が必要か探りを入れる。幸いそこにはモデルルームも兼ねていて、LIXILとTOCRUSのモデルがあった。

 応対した従業員の若いI氏は、音楽なんて必要ないのにしきりにYAMAHAの音源が綺麗だとか言って、「TOCRUS」製品を勧めて来た。胡散臭い感じがした。工事自体は気温が温かくなる春過ぎに行うと決めたので、下見だけに留めた。

 帰り際、3月初旬に自社でキャンペーンイベントを大々的にやるとのこと。そこで契約すると、様々な特典が得られ、大変お徳だと聞かされ、その案内を待つことにした。

 この日のうちに、並木のauの隣りにある「TOCRUS」のショールームも覗いてみた。こんなところにあったとは、週一で車で通っている通りなのに、まったく気づかなかった。

 ほかにもヤマダ電機も覗いたが「HOUSETEC」専門店と言われ、断念した。インター線沿いにはクリナップやHOUSETEC、LIXILなどのショールームが集中してあるし、内環状線沿いには、パナソニック、TOCRUSも点在している地の利もあった。

 下見には1月22日(日)に、パナソニックやそして本命のLIXILを事前に見た。この頃はLIXILのCMが盛んに流れ、攻勢を強めていた。あまり知らなかったが、LIXILはトステムとサンウェーブ、INAX、そして東洋エクステリアなど5つの会社が統合して誕生したようだ。自宅のトイレは全面自動のINAXにリフォームしたし、もともと備え付けのユニットバスがトステム製だった。したがって、LIXILに対して悪い印象はなかった。何度かひとりで訪ね、カタログを貰ったり、実際に現物を写メしたり、バスの中に入ったり、機能性や操作性、オプションなどに触れてみた。ここは飲み物が無料で飲めるのが嬉しい。ホットでもアイスでもコーヒーからお茶など至れり尽くせりで、ショールーム店内も綺麗だし、店員さんも美人が多い。

 3月4日(土)

 家内とふたりでリフォーム店のイベントにお邪魔する前に、LIXILのショールームへ。すると何と、カタログを見て気に入っていた「Remore」シリーズが5月で廃盤になり、すべて「Arise」というシリーズに統合されるという。これはまずい・・・。リモアが標準で付いている便利な機能が、アライズではすべてオプションになり、かえって高くついてしまうのだ。

 14時過ぎにリフォーム店へ。1月の際に対応したI氏が別の客と打ち合わせをしていた。そこで代わりの女性店員のK田さんが応対してくれた。その彼女がめちゃ可愛くて、私好みの若い女性だった。女優の連佛美沙子似の店員さんで、親身になって話を聞いてくれたが、まだ入社したてくらいで、深い話はまだ対応できていないが、一生懸命さが伝わり、好感を持った。そこで、LIXILのシステムバスを間近で見た。LIXIL製品はトータルバランスが良く、デザインも機能性も操作性も私好みだった。でもアライズにランクダウンするつもりなどさらさらない。よく聞くと、5月受注文まではリモアも販売可能だという。廃盤になる前の車が大安売りされるように、大幅値引きを期待した。現に、ネットではリモアが60%OFFとか56%OFFという景気の良い文言が踊っていた。
 この日のリフォーム店のイベントは凄まじかった。来場記念でスタバ1,000円カード、どんべいひと箱、ミスタードナツ、さらには福引きを回したら銀の玉が出て、10万円文のリフォーム割引券が当たる。10本中1本の確率。すでに金が出て、白ばっかり。銀は初。白い玉が多い中で100万円以上購入で10万円引き。凄い。
 記念写真は断る。名前が貼り出されるかも・・・。カランカラン鳴らされる。さらには外でクレープ(いちご)貰う。タダで5つのもらい物(スタバ1,000円カード・どん兵衛ひと箱・ミスド・10万円リフォーム券・クレープ)。
 
 こちらの希望を伝え、見積もり作成を依頼した。担当者はI氏とKさんの二人でやることになるかもと聞かされたが、その後は、残念ながらI氏ひとりが担当になり、Kさんが出てくることはなかった。

 3月11日(土)

1 6:25~17:55 リフォーム業者のI氏が家に来る。現地調査。工事費嵩み、170万も行く可能性 浴槽入らないかも 壁壊し 配電盤も交換 6回路を8~10回路 30Aを50Aへ 月々基本料940円が1620円になる。

 3月18日(土)

  17:30に家内が帰ってきて、50分発でオノヤへ。見積もり魅せてもらうが、I氏、間違いのだらけの大チョンボ 俺の名前も違うし、LIXILから来た仕様がリモアではなく、アライズになっているし、信じられないミス。本体50%OFFになっているが、もしかすると、リモアが廃盤のため、アライズにオプションを組み立てて、リモアと同じ仕様にしている可能性大。余計な費用まで入っていて、逆に定価を吊り上げている。
 もう一度、連休明けに作成してもらうことに。Kさんが不在。164万円(税込)なので、余計なものカットし、10万円のクーポン券を使えば、150万円で何とかなるかも・・・。
 工期は窓は既存のものを使用し、壁を壊さないが、電気工事(30A→50A)があるので2週間かかる見込み。

 18:52発で:55に帰宅。よく見積書とLIXILから来た仕様書を分析&検討。間違いだらけなのを見つける。
 19:20にTELし、アライズにオプションくっつけてリモアと同じ仕様にしたことや、照明がアライズの一番安いものになっていると指摘。すべて作り直してもらうよう、I氏に再依頼。

 19:40過ぎにまたTELする。リモアKMは定価105万円なのに、131万円の記載。浴槽パンや他のオプションが含まれているのに、見積もりには本体一式に何が含まれているのかの詳細内訳の明記が無し。これではダメ オプション4つ(浴槽パン、ランドリーパイプ、握りバー、開き戸)足してもその金額にならない。怪しすぎる。大丈夫なのか?信用問題だぞ!

 浴槽側の水栓25,000と工事の人の仮設トイレ18,000円を削れば160万円を切り、10万円のクーポン券を使えば総額150万円を切る。

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 3月20日(月)春分の日

 12:00 LIXILへ。クレーム 5月まで移行期間で5月まで受注するといったのに、アライズ嫌いなのにリモアではなくアライズで見積もり作ったのはダメとクレーム。お茶飲む。伊藤さんから明日TELある筈だから、必ずリモアで組むように指示。

 3月21日(火)

 18:15~18:40 業者のI氏とTELで2回話す。浴槽パンが入っていなかっただと。
 その105,000円分は業者で持つ リモアだと45%OFFで高くなるだと LIXILのご好意でアライズでリモア仕様にして50%OFFにしてくれた。不要なものカットしてアライズとリモアの2つ見積もり出してもらう。どんどん先延ばし。4月6日までに出来るのか?
 かなり声荒げて話す。このI氏、毎回言うことがコロコロ変わるため、イマイチ信用できない。

 3月26日(日)

 10:00~10:40 リフォーム業者往復で契約 なんと肝心な時に、担当のI氏がインフルエンザにかかり、不在。代理の男性従業員Sさんが対応。1,625,000円で契約。最初は100万円程度の予算が、なんだかんだで巨額に・・・。やっとK田さんに会える 顔小さい。ランドリーパイプ付くというが怪しい。

 4月15日(土)

 16:00前に業者に行ったら、I氏はLIXILに行ってしまった。現地集合だった?飴もらう
 LIXIL混雑 今日だけで20人も打ち合わせ ひとつひとつオプションを選ぶ 

 風呂の形状をアール入りのロングタイプに変更 蓋は一個で固定だが、頭がぶつかりそう。。ベンチタイプは狭苦しい。足の指も出る メタルタイプで追金。バスタブはベージュ系のパール仕様。
 最後までフロアの色を白かベージュかで迷う バスタブ、カウンター、壁パネルなど色の組み合わせがイメージしやすいように小さな模型で何パターンも入れ替え可能。

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  完成はおそらく上の画像に近い感じになる見込み

 <今後の予定>

 4月30日(日)に打ち合わせ 5月13日(土)電気屋との打ち合わせ
 5月22日(月)着工で5月29日(土)には完成予定

 4月16日(日)

 午後、I氏TEL。最終確認。フロアの色(ベージュ)、バスタブの水抜き栓のボタンが入り口側に来るようにLとRタイプを間違えないように釘を刺す。

 その後、夕方、またしてもI氏からTEL 今後の打ち合わせスケジュールをメモ取るの忘れてしまい、いつだったか教えて欲しいだと。本当に営業か?こんなんで信用できんのか?あとから追加料金なんて言われないだろうな・・・。胡散臭い。

 明日にはメーカーへ発注かける もう変更無し。廃盤寸前で何とか間に合わせた感じ。

 すったもんだの挙句、着工までの目処がこれで立った。決して安い買い物ではないし、20年以上は使える代物を購入するため、これだけ慎重になった。もう少し時間があれば、複数の業者で見積もりを取りたかったが、10万円分の無料券が当たったのは大きい。

 実際に工事が開始される5月下旬に、この続編をお送りしたいと思う。

 記事作成:4月16日(日)

名切万里菜アナが福島で過ごした日々②

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 名切アナウンサーが福島県を旅立って一か月近くが経過した。未だに彼女が夕方のニュースに出なくなったことを認めたくない自分がいる。彼女が2年間、この福島の地でアナウンサーをしていた足跡を残したく、今回も、彼女の出演場面をまとめた第二弾記事を掲載したい。今回は、FTVのみんなのニュースの過去の画像から抜粋させて頂きました。
 なお、放送順ではなく、アットランダムに掲載します。

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左上の名切アナの表情が大好きだった。どうみてもお嬢様風。
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 県内をくまなく、いろいろな場所に取材に行き、まぎれもなく福島県に溶け込んでいた。

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今日は、彼女が「FTVみんなのニュース」に出演した場面を多く集めた特集記事をお送りしました。彼女を忘れてほしくない一心でこのような記事をしたためました。彼女がFTVに入社したての頃から、約2年分の彼女の出演した回は、ほとんど録画してDVDに保存してあるので、この記事のアクセス数を見て、機会があればさらなる続編を掲載したいと思います。

 記事作成:4月2日(日)

アナウンサーが感情が溢れ出た瞬間

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  テレビ番組の司会者やMCは、進行の妨げとなる涙はNGとされる。どんなに悲しい映像を目の当たりにしても、どんなに感動する場面であっても、ぐっと堪えるのが職業上美徳であり、プロ意識であると思われてきた。しかし、最近、こうしたタブーがなおざりになりつつある。それは感極まって、生放送中にボロボロ涙をこぼして泣くアナウンサーが増えて来たからだ。個人的には、それがダメとは思っていない。逆に、涙脆い方が冷血な原稿読みマシーンではなく血の通った人間的であって親近感が沸くからだ。視聴者として、そういうアナウンサーの反応を見ると、こちらまでもらい泣きしそうだ。
 では、動画サイトにアップされている映像で、そうした涙の場面を取り上げてみたい。

 夏目アナ、泣き祖母への想いを告白

 夏目三久はアナは日テレからフリーに転身したが、アナウンサー生命を脅かされるような記事や画像がネットに暴露された後も、図太く、かえって視聴者の同意や同情を得て、その事件の後も、好感度が高く、人気の女子アナランキングでも上位にランクインしている。
 優しい性格の彼女はまた、バンキシャの「笑点」の林家木久扇さんの病気を押して高座に立ち続ける姿を目の当たりにした時も人目を憚らず生放送中に号泣した。ちなみに血液型はO

 バンキシャ https://www.youtube.com/watch?v=U5Vp_syK0GQ

 武田アナ、郷里の被災を想い、激励の涙

 武田真一アナと言えば、NHKのエースとして長年「ニュース7」を報じて来た。その安定感は抜群で、そのワンちゃんのような愛くるしい顔立ちで女性ファンに心を鷲掴みにしてきた。この3月で、ニュースキャスターは卒業し、クローズアップ現代のMCに就任した。
 その彼が、故郷の熊本が大地震に見舞われ、多くの被災者が出たニュースを伝える際、涙を堪えて、必死に呼びかける様子は感動を誘った。ちなみに血液型はB

 大江麻理子アナ、愛川欣也の訃報を涙ながらに伝える

 テレ東の人気番組「アド街」のメインMCが愛川欣也で、その初代アシスタントが大江麻理子だった。長年番組を共に制作・放送した旧知の中で、その愛川氏が亡くなった際に、訃報を伝えたのも大江アナだった。最初は気丈に振る舞っていたが、共演していた映像が流れると、次第に声が震え、感極まって詰まる場面が・・・。

 お天気お姉さん・岡田みはるが突然の号泣

 この放送事故は、NHK山形放送局の夕方のニュース番組中に起きた。気象予報士の岡田みはるさんが突然に号泣してお天気を伝えられない非常事態に。原因はせっかく覚えた原稿とは違う町の空模様が画面に出て、混乱して取り乱したようだ。一時は局内のいじめとか失恋とか様々な憶測が飛び交った。しかし、NHKのような厳粛な局ではあってはならない放送事故だった。

 気象予報士、神谷ゆりさんが番組卒業で号泣

https://www.youtube.com/watch?v=KOPn0YDTYlE

 狩野恵里アナ、モヤさま卒業で大号泣

 「モヤさま2」で、大江アナから狩野アナに交代した直後は、何かおばさん風のアナウンサーで、大江アナの抜けた穴を埋められるのか?と心配があったが、彼女のB型丸出しの天然と類まれな才能(運動神経・英語力・ピアノなど)と強烈な個性で、すっかり彼女の虜になっていた。柔軟性に欠け、猪突猛進型だった彼女だが、最後は番組になくてはならない存在になっていた。番組で結婚報告したり、心機一転でモヤさま卒業を発表したり、いつも彼女の一挙手一投足はB型らしく神出鬼没で電撃的だった。
 最後のハワイロケで、まるで子供のように大泣きし、山口百恵張りのマイクを置くパフォーマンスで卒業した。

 記事作成:4月9日(日)

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