Quantcast
Channel: 時遊人SUZUのひとり言
Viewing all 1757 articles
Browse latest View live

事務所トラブルに遭った芸能人

$
0
0

 この記事は、決して特定の芸能人を非難したり、批判したりするものではない。芸能界という独特な世界で、運良く成功し、テレビやドドラマ、CM、映画に引っ張りだこだった人気芸能人やタレントだったにもかかわらず、事務所移籍や独立に絡む問題や契約不履行問題などで、一時期出演を見合わせたり、引退に追い込まれた方々も決して少なくは無い。一般人から見ると、ファンの存在を無視したこうした内輪もめで業界から去る行為は、実にもったいなく、特に人気絶頂期に干されたりするのは、残念で忸怩たるものがこみ上げるし、慙愧に堪えないものがある。
 今回は過去の事例として、このような本人、ファンともに災難に遭った残念至極なケースを取り上げたい。

 1.森進一

 かつては超大物ばかりが所属していた渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)に、デビュー当時から14年間所属していたが、1979年に独立。自身の「森音楽事務所」を設立した。やはり、契約問題からの亀裂で、所得配分に差があった。

 2.小林幸子

 私自身は、彼女は「おもいで酒」は確かに大ヒットしたが、この一曲しか恵まれない印象。どちらかといえば、紅白のド派手衣裳合戦で生き残った感が強い。なのに、NHKを始め、多くの歌謡番組に出演し、「大御所」と呼ばれるまで上り詰めたのは人脈としかいいようがない。

 1987年に所属していた「第一プロダクション」から違約金2億円を払ってまでして独立した。その後、「幸子プロモーション」を設立して独立を果たしたが、2012年には、長年のビジネスパートナーだった女性社長と専務を強制解雇に踏み切った。プライドの高いA型の小林幸子は、社長とウマが合わず、口論が原因でクビを切った形。

 3.小柳ルミ子

 1970年代に、清楚にして純情少女のイメージで一世を風靡した。「瀬戸の花嫁」が大ヒットし、「星の砂」では妖艶な魅力を醸し、世の男性を虜にした。その後、私生活でも年下のダンサーの男性との結婚・離婚などでイメージダウン。めっきり出演番組が減った。

 彼女は最大手芸能事務所の「渡辺プロ」所属だったが、音楽に対する方向性の相違から軋轢が生じた。元からポップス系やミュージカルを志向していた小柳ルミ子だった、事務所の方針と意見の食い違いや対立があった。待遇面でも不満が生じ、独立問題に発展。強権的だったナベプロから仕事を干され、その後、出番が無くなった。

 4.鈴木あみ(現在は亜美)

 所属事務所でマネジメント契約を結んだエージーコミュニケーションおよび専属契約を結んだミュージックトライブに対して「契約終了の確認」とレコード会社や広告代理店などから事務所に支払われた大もとの「契約出演料明細の交付」を求め、鈴木本人と親権者である両親が東京地裁に民事訴訟を提起した。(Wikipediaより)

 当時彼女は「浜崎あゆみ」と並び、10代の若手歌姫として人気絶頂だった。それをこの一件を発端に干され、一切の芸能活動を停止された。10年以上ものブランクによって、ファンも去り、芸名を漢字にして再出発したが、もう歌手としての役目は終わってしまっていた。

 5.坂本一生・加勢大周

 1991年に加勢が実母を社長に据えて個人事務所を設立し前事務所(インターフェイスプロジェクト)からの独立を画策した際に、前事務所が芸名の使用の停止を求めて裁判所に提訴し揉めた。新加勢大周(坂本一生)問題が連日ワイドショーの賑わせた。

 この二人は、もう日本での芸能活動はしていない状況だ。やはり不祥事トラブルは人気低下を招くし、テレビ局側も起用したがらない傾向が強い。

 6.GLAY

 1990年代後半から2000年代にかけて、「レコード大賞」を受賞するほど時代の寵児となり、人気バンドだった彼らが、その後、表舞台から姿を消し、疑念を抱いたファンも多かったことだろう。もともと「アンリミテッド」という音楽事務所に所属していたが、ドームツアーの売り上げやチケットの収入などを持ち逃げされたことなどから鬱積が爆発。その後、事務所を独立し、「loversoul music &associates」に移籍するが、このイメージダウンが大きく、表向きの活動が減った。

 7.安室奈美恵

 所属していた「ライジングプロダクション」と揉めた。当初は弁護士を立てて事務所と対決するなど意気盛んだったが、関係者からのリークと思われるバッシング記事が相次いで飛び出し、瞬く間に形成は逆転。「Dimension Point」に移籍。

 彼女は運命に翻弄されているシンガーと言える。沖縄の歌姫が、10代で華やかにデビューし、「アムラー」と呼ばれる一大ブームを巻き起こしたが、私生活では母親が殺害された事件や、結婚・離婚でシングルマザーとして歌手活動を継続していたが、この事務所トラブルに遭ったり、浮き沈みが激しい芸能人生を送っている。同じ境遇を辿った同じO型の美空ひばりと通じるものがある。

 8.水嶋ヒロ・綾香

 2009年に事務所に無断で歌手の絢香(25)と入籍したことからトラブルに発展。翌年に絢香と夫婦そろって研音を離脱し、個人事務所を立ちあげた。これに研音側が激怒し、水嶋は芸能界を干される形となり、同年公開の映画『BECK』を最後に芸能活動は休業状態に。夫・水嶋ヒロが所属していた「研音」を退社したことをきっかけに、絢香も2009年末をもって同社を退社していたことが明らかとなった。絢香は自身の楽曲管理会社「A stAtion」を設立した。またワーナーミュージック・ジャパンとの契約が2010年3月に終了したことも判明。(Wikipediaより)

 9.SMAP

 2016年1月に降って湧いたような解散問題。原因は長年SMAPを育ての親としてサポートしてきたベテランマネージャーをジャニーズ事務所が解雇したことによる。母親のように慕っていたメンバーの中居・香取・草なぎ(共にA型)が同調し、事務所移籍を画策。これがメリー喜多川副社長の怒りを買い、一気に解散騒動に発展。仲裁に入ったのは事務所に育てられたという恩を感じていた木村拓哉だった。メンバーが事務所側に謝罪し、解散は免れた。日本だけでなく世界中にファンを持つSMAPの一連の騒動はこうして事態が収拾されたが、SMAPのこれまでの特権は剥奪され、事務所内では新人アイドル並みの扱いというペナルティーを科せられた。

10.能年玲奈

 NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で一躍大ブレイクした能年玲奈の“独立騒動”はドロ沼化の一途をたどっている。「所属事務所に無断で個人事務所を設立したことで、大きなもめ事に発展している。最近「のんちゃん」と改名して芸能活動を継続すると発表があったが、今まで以上の事務所のサポートやマネジメントを得られるとは考えにくく、芸能活動も一定の制約を受けるのは免れない。

 他にも、西嶋秀俊(渡辺プロダクション)、水野美紀(バーニング)、野久保直樹(ワタナベエンターテイメント)、沢尻エリカ(スターダストプロモーション)、田原俊彦(ジャニーズ事務所)、さとう珠緒(プチスマイル)、眞鍋かをり(アヴィラ)、小倉優子(アビィラ)、爆笑問題(太田プロダクション)、沢田研二、浅香唯、若槻千夏なども所属事務所とトラブルによって移籍や独立を強いられ、一時期芸能活動を制約された。

 こうしてみると、最近あまり出演しなくなったと疑問を抱くタレントは、もしかするとこうした内輪もめのトラブルによって干されたり、出演できなくなったことが原因かもしれない。噂が噂を呼ぶのがこの世界の特徴で、根も葉もないことだったり、逆に火のないところに煙は立たないという部分も無きにしも非ずだが、せっかく出演チャンスを掴み、芸能界で華々しい活躍があっても、このような不祥事で姿を消すのは残念としか言いようが無い。そこにファンの存在はないし、手前勝手な事由によってファンの感情を逆なでするのはいたたまれない。

 記事作成:7月17日(日)


個性派&コミック系バンド

$
0
0

 かつて「ヤマハ音楽振興会」主催の音楽イベント「ポプコン」が行われていた。そこで大賞を受賞した曲やバンドは、その後、世界歌謡祭に出場し、グランプリを獲得すれば、メジャーデビューが約束され、決まっていいほど大ヒットに結びついていた。代表的な人に、中島みゆき、世良公則とツイスト、クリスタルキング、円広志などがいた。中にはユニークな個性派バンドも数多く登場した。
 まだ「コスプレ」が市民権を得る前の1980年頃、世の中はアイドル全盛期を迎えていた。そんな中、派手な出で立ちでコミカルな楽風で魅了したバンドがあった。今日はそれをテーマにしたい。

 TOM★CAT

 1978年に東京造形大学で結成されたバンド「FUNKY NOISE」を前身とする。その後、「NOISE MAKER」を経て1984年に「TOMCAT」を結成。同年10月、第28回 ポピュラーソングコンテストに出場して「ふられ気分でRock'n' Roll」でグランプリを受賞。同年11月、第15回世界歌謡祭グランプリ受賞曲でもある同曲でデビュー。顔からはみだす大きなサングラスと宇宙服を思い起こさせるようなビニール地のコスプレが特徴だった。彼女自身はとても小柄で、小学生を髣髴させる外見ながら、キーボードを叩きながら歌い、しかも早口でまくしたてる歌詞で息継ぎもなく一気に歌い上げていた。

 アラジン

 名古屋商科大学フォークソング同好会のメンバーを中心に結成された。1981年、『第12回 世界歌謡祭』グランプリを獲得した「完全無欠のロックンローラー」でヒットを飛ばしたが、あとはヒット曲に恵まれず、2年ほど活動したのち1983年に解散。後に「一発屋」と呼ばれるバンドである。
 彼らもまた世界歌謡祭グランプリ受賞バンド。多人数バンド。ヴォーカルでリーダー高原は、バリバリリーゼントにきんきらきんのド派手衣裳に身を包み、コミカルな振り付けとフィフティーズ時代を彷彿させるコスプレで踊りも決めていた。元祖コミカルバンドのような登場ぶりだった。

 たま

1984年に3人で結成され、1986年に4人となり、1990年にメジャーデビューして「たま現象」とも言われるほど話題になった。1996年から再び3人になり、2003年に解散した。フォークロックを基調とした独特の音楽で異彩を放った。
1990年にリリースされた「さよなら人類」では、独特なリズム回しと山下清ばりのランニングシャツで歌うスタイルは評判を呼び、その個性的すぎる楽曲で第32回日本レコード大賞・最優秀ロック・新人賞を総なめにした。

 聖飢魔II 

 1982年(魔暦紀元前16年)12月末に結成。1983年(魔暦紀元前15年)3月23日に初黒ミサ(コンサート)を行う。1985年(魔暦紀元前13年)に大教典(アルバム)『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』で地球デビューし、翌年に発売した小教典(シングル)「蝋人形の館」の大ヒットで一躍有名になる。デビュー時の公約では1999年(魔暦元年)7月で活動を終えるはずだったが、事情を知らない侍従(マネージャー)がその後の予定を入れてしまったために解散を延期。1999年12月31日23時59分59秒、「地球征服を完了した」として解散し、光の中に消えていった。

デビュー当初は、バンドのコンセプトに沿った奇異な外見や、デーモン小暮閣下らによる独特のパフォーマンスで世間の話題を集めた。赤色や金色に染めて逆立てたヘアスタイル・歌舞伎の隈取り風の顔の模様(本魔たちによれば、それが素顔であり、メイクではない)や、文字通り悪魔的な世界観に則った歌詞、ヘヴィでラウドな演奏などである。音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」であると主張している。目的は地球征服を完遂して解散すること。各構成員は地獄から来た悪魔だとしている。

 デビュー当時は「KISS」の二番煎じかと思ったほど、派手な化粧とハードロック調やヘビメタの路線で、他のバンドと一線を画した。

 米米CLUB

 文化学院のサークル仲間だった石井竜也、小野田安秀、大久保謙作らにより、卒業後の1982年秋に結成。アマチュア時代から積極的にメディア出演を繰り返し、1985年にレコードデビュー。主な代表曲は「浪漫飛行」、「君がいるだけで」。
 正式メンバーであるダンサーチーム「SUE CREAM SUE(シュークリームシュ)」の他に、サウンド的に必要不可欠であるインストバンド「BIG HORNS BEE」を筆頭にサポートメンバーを多く抱える大所帯バンドである。石井の手掛ける本格的な舞台美術やコンサートでの寸劇、映像製作などを特徴としていた。
 石井の監督作品映画『ACRI』の興行失敗などが影響しバンドの維持が困難になり1997年に解散。

 彼らをコミックバンドと評するのは、ファンの怒りを買うし、失礼な話だと思うが、ファンクミュージックをベースとした楽曲や演奏技術、メンバーの音楽センスは、高く評価する声もあったが、奇抜な衣装やメイク、コントのようなMCやキャラクター重視で寸劇混じりの演出などにより、デビュー当初は“イロモノ”として扱われることが多かった。当時、同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。

 ビジー・フォー

 こちらはコミックバンドの典型だが、ものまね主体のコンセプトで1980年から今日まで、ものまね番組には欠かせない存在となった。結成時は4人組だったが、リーダーだったウガンダ・トラが他界。以降はグッチ裕三とモト・冬樹の2人組ユニットとして活動継続し、お茶の間の人気を得た。特に、洋楽を完全コピーしたグッチの歌の上手さと、もはや芸人化したモトとの絶妙なやりとりが好評を博し、ひっぱりだこになった。

 ゴールデンボンバー

 ヴィジュアル系エアーバンド、パフォーマンス集団。メディアでの略称は金爆(きんばく)。2004年にボーカル鬼龍院翔とギター喜矢武豊を中心に結成。エアーバンドという形式を採っているため基本的にボーカル以外のメンバーは「当て振り」であり、ライブではメンバーによるコントや楽曲に合わせた個性的な振り付けなど様々なパフォーマンスを行っている。キャッチコピーは「笑撃のライブパフォーマンスと、奇才・鬼龍院翔の創り出すクオリティーの高い楽曲で注目の究極のエアーバンド」。

 2009年10月、7枚目のシングル「女々しくて」がCMソングに起用され、大ヒット。その独特なコスプレが話題を呼び一気にブームに乗り、紅白歌合戦にも出場した。

 こうして見ると、現代では「ヴィジュアル系」と呼ばれているが、1980年代は「変った奴ら」くらいにしかなかった。竹の子族が原宿を席巻していた時代頃から、こうした個性派揃いのバンドやコスプレをコンセプトにしたユニットが世に登場してきた印象が強い。

 今後はどんな個性派バンドが登場するのか、1990年代を彩った「イカ天」バンド世代が親となり、その子供たちが必ずや影響を受け、再ブームが起きるのは間違いないとみている。それは80年代のアイドルブームの影響で、モー娘。やAKBなどの多人数アイドルユニットが再燃したのと同じだ。どうやらミュージックシーンは、ファッションと同じで時代回帰を繰り返すものらしい。

 記事作成:7月18日(月)

人間の記憶~この人の名前覚えていますか?~

$
0
0

 私の人生も半世紀が過ぎた。気持ちは若いつもりでいても、寄る年波には勝てず、記憶には自信がなくなってきた。特に酷いのは、なかなか人の名前がでて来ない点だ。つい最近話題になったばかりの人でさえも、時間の経過と共にどんどん記憶が薄れてしまっている。この分だといずれは認知症かアルツハイマーを発症するのではという危惧さえある。おそらくは、私と同年代か先輩諸氏は私以上に不安を抱えている方々も多いのではないだろうか?これが人間、年老いていくということなのかもしれない。では、簡単な記憶に関するクイズを出したい。ちょっと前に話題になった方々なのだが、それぞれの名前が正確に言えるでしょうか?

 1 ゴーストライターとして話題になった2人です。

Dare1

 佐村河内守と新垣隆

 2 元猿岩石 有吉のパートナーは?

Dare2Dare3

 森脇和成

 3 サッカー日本代表前監督

 現在の監督はハリルホジッチ氏だが、その前の方は?更にその前の監督は誰?

Dare4Dare5

  メキシコ出身のハビエル・アギーレはサッカー賭博に関与したとして解雇処分、その前はブラジル大会で采配を奮ったのがアルベルト・ザッケローニ(通称:ザックJAPAN)だったが、予選リーグ敗退に終わった。

 4 理化学研究所でSTAP細胞で一躍脚光を浴びた小保方晴子氏の直属の上司で、彼女を指導する立場だったが、一連の騒動で責任をとって自殺に追い込まれた研究者は?

Dare7Dare6

 笹井芳樹氏

 5 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東電本部や官邸とやりあいながら、最後
  まで現場で事態の収拾にあたり、自らも食道がんに倒れた原発の所長の名前は?

Dare8

  吉田晶郎。福島県民からしたら命の恩人のような人だ。

 たとえば、運良く名前が言えた方であっても、正確に漢字表記もできるのだろうか?

 自分の寿命と日本人の平均寿命を考えた場合、あと四半世紀程度しか生きられないと思う。つまり3分の2の人生が終わったと思う。残り3分の1。一体どんな人生が待っているのか?不慮の事故死を遂げるのか?それとも天寿を全うするのか?それは神のみぞ知ることなのだろう。しかし、自分が誰だかわからないまでボケてしまうことだけは死んでも避けたい。自分が誰で、どういう人生を歩んだかを感じ取り、生きた証をこの世のどこかに刻みたいと思う。そのために私はこのブログを書いているのかもしれない。

 記事作成:平成28年3月

芸能人に転身した元女子アスリート

$
0
0

 過去に、当ブログで「華麗なる転身」と銘打って記事を書いたことがある。しかし、私自身、昔のことはよく覚えていても、最近のことはまるで頭に入らない年代に入って来た。
 今回のテーマは、元々はアスリートとして活躍しながら、現在は転身し、タレントとして身を立てている女性たちを取り上げたい。

 木原光知子(故人)B型

  元アイドルスイマーにしてオリンピック選手。高校在学時に1964年東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。岩崎恭子や渡部香生子、池江のように10代で華々しい活躍をした。やはり女性アスリート選手は15歳前後がピークになる傾向がある。

 マッハ文珠 B型

  最近メディアで見かけなくなったが、元女子プロレスラー。長身大柄な体型で、私は個人的に和田アキ子とダブる。
 歌手志望で、1972年、13歳の時、『スター誕生!』に出場し、決戦大会まで進出したが、スカウトのプラカードは挙がらなかった。同決戦大会に山口百恵が出場していたことから後に「山口百恵に敗れた」という形容で呼ばれるようになった。
 公称180cmという長身、ルックスの良さ、もって生まれたスター性、前述のごとく歌も歌えることなどからすぐに注目され、旗揚げ後苦難が続いた同団体初のアイドルスター選手となり、従来の女子プロレスのイメージを変え、TVの人気も上がった。
 1975年3月、WWWA世界シングル王座(第17代)獲得。同年4月15日、赤城マリ子とのタッグでWWWA世界タッグ王座(第61代)獲得。選手として強いだけではなく、プロの歌手としてレコードも出しそれをヒットさせ、試合後にリングで歌を披露するなど、それまでの女子プロレスラーにはなかった明るいアイドル性も備えており、女性ファンも多数獲得した。マッハの活躍で全日本女子プロレスの隆盛が始まり、後のビューティ・ペアやクラッシュギャルズの雛形的な存在だったと言える。

 https://www.youtube.com/watch?v=JDqwl_KYGyo

 山崎浩子 B型

 鹿児島県揖宿郡山川町(現・指宿市) 出身の元新体操の選手・タレント・スポーツライター。身長154cm。新体操の全日本選手権で個人総合5連覇を果たし、新体操ブームの火付け役となった。1979年の世界選手権大会(ロンドン)個人総合で20位、1981年の世界選手権大会(ミュンヘン)個人総合で12位、1983年の世界選手権大会(ストラスブール)個人総合で34位。1984年、ロサンゼルスオリンピック個人総合で8位入賞し、この出場を最後に引退。

 ビューティーペア

 ジャッキー佐藤(1957年10月30日 - 1999年8月9日)とマキ上田(1959年3月8日 - )により、1976年2月24日に結成され、その日に行われたWWWA世界タッグ王座戦で、赤城マリ子・マッハ文朱ペアに勝利し、タイトルを獲得する。ブラック・ペア(池下ユミ、阿蘇しのぶ)との好勝負は人気を不動のものとした。
  またRVCより「かけめぐる青春」でレコードデビューし、試合前のリング上で歌う斬新なスタイルで、女子プロレス界のアイドル的存在となる。このレコードは80万枚を売り上げた。

 ダンプ松本 B型

 ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す。デビュー後の1984年、一番弟子のブル中野らとヒールのタッグチーム『極悪同盟』を結成。翌年にフジテレビで放送されていた『全日本女子プロレス中継』でヒールにもかかわらず人気を博し、クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争は女子プロレスを大いに盛り上げた。

Beauty_pair_2Damp_matsumoto

 クラッシュギャルズ

 1984年8月に結成した長与千種とライオネス飛鳥による女子プロレスのタッグチームである。初期活動期は、アイドルレスラーとして『炎の聖書』などのレコードをリリースするなど当時の女子プロレスにおいて絶大な人気を誇った。ダンプ松本、クレーン・ユウ(ユウ引退後はブル中野)、阿部四郎らの「極悪同盟」と激しい抗争を繰り広げた。

 北斗晶 O型

 1985年6月12日、札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー。入門当時は当時の本名・宇野久子をそのままリングネームにしていた。当時、デビュー時代から連戦連勝でありデビューからの連勝記録を保持していた。同年の新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった。
 1986年3月、大阪城ホール大会で先輩のコンドル斉藤が保持する全日本ジュニア王座を奪取。
 アントニオ猪木の主導により北朝鮮で行われたスポーツと平和の祭典で健介と出会い婚約。1995年6月4日、健介と結婚。

Crash_galsHokutoakira

 陣内貴美子 O型

 サントリーバドミントン部を経て、ヨネックスバドミントン部に所属。16歳で代表チームに入り、1992年バルセロナオリンピック日本代表として出場(女子ダブルスで森久子とコンビを組んだが、2回戦で敗退した)。1994年に第一線を退く。ヨネックス所属でバドミントンの普及に努める傍ら、フジテレビの『スポーツWAVE』の土曜日キャスターに就任。番組は1年で打ち切られるが、1995年から『プロ野球ニュース』のキャスター・リポーターを引き続き担当。
 2000年に、元プロ野球選手の金石昭人と結婚。
 2001年に、当時は婚約者だった夫の金石昭人と一緒に、自宅に入った強盗を捕まえた事がある。その際、犯人へ金的に蹴りを食らわしたという逸話が残っている。
 不妊治療などでも話題になったことがある。

 潮田玲子 A型

 元バドミントン選手。三洋電機 バドミントン部を経て日本ユニシス女子バドミントン部に所属した。チームメイトの小椋久美子とダブルスペア「オグシオ」を組み、全日本総合選手権大会5連覇、世界ベスト8に入れる実力派ペアとして活躍した。2008年12月にペアを解消。 
 2009年4月、ロンドンオリンピックでのメダル獲得を目指すべく、日本ユニシスに所属する池田信太郎と混合ダブルスペアを結成(愛称「イケシオ」)。また、三洋電機への所属形態を契約社員へ変更。同年7月に芸能事務所「セントフォース」と契約し不定期ながらもキー局で自らの名を冠したコーナーを持つ。
 2012年9月30日、29歳の誕生日にサッカー選手増嶋竜也と結婚。2015年長男を出産。

JinnaiShiota

 杉山愛 B型

 元女子プロ テニス選手、テニス指導者。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTA自己 最高ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。キャリア通算でWTAツアーシングルス6勝、ダブルスでは38勝。
 日本人選手として初のWTAダブルス世界ランキングで1位を獲得。日本人女子25年ぶりのグランドスラムダブルス優勝者で、現在日本人最後の4大大会優勝者。グランドスラム優勝4回は日本人最多記録。4大大会シングルス成績は2度のベスト8進出があり、現在日本人女子最後の全豪・全英シングルスベスト8進出者である。

 浅尾美和 O型

 元プロビーチバレー選手(元 インドアバレーボール選手)。三重県鈴鹿市出身。エスワン所属。その美貌からビーチの 妖精とも呼ばれる。
 高校卒業後は川合俊一のスカウトを受け、ビーチバレーに転向すると同時に、川合が社長を務める芸能事務所・ケイブロスに所属。モデル業及びタレント活動を競技生活と並行して行い、ファッションモデルやグラビアアイドルとしても活躍した。
 2008年2月より、ペアを組んでいる西堀健実と共に所属クラブをエスワンへ移籍した。その後、新コーチに2002年釜山アジア大会金メダリストの渡辺聡を迎え、北京オリンピック代表を目指し世界を転戦していたが、出場に必要なFIVB世界ランキングにおいて上位にはるか及ばず、代表権を得ることは無かった。なお、五輪期間中はタレントとしてテレビ中継番組に出演した。

SugiyamaAsaomiwa

 青木愛 A型

  •   8歳から地元の京都踏水会でシンクロを始め、小学4年生で国内大会のジュニア五輪で優勝。
  •   2006年、ワールドカップ代表。チーム種目で銀メダル獲得。
  •   2008年、北京オリンピック日本代表(チームで最年少)。チーム種目で5位入賞。北京五輪を最後に現役を引退。
  •   2010年、びわこ成蹊スポーツ大学を卒業。引退後は京都踏水会で指導を行う傍ら、モデルやタレント、レポーターとして活動している。
  •  ほかにも芸能界ではなくても政治家への転身を図った女性アスリートも数多い。

     橋本聖子、谷亮子、神取忍など、そのネームバリューに物言わせ、全く違う世界に飛び込んだ方々も数知れずいる。そういう有名人を政治道へ勧誘する政党も情けない。数合わせのために、有名人たちを引きずり込むのは如何なのもか。

     アスリートを引退し、芸能界に転向する女性というのは、何かと話題性があり、それより何より美人であることが共通項となっている。やはり美人は得で、現役時代から注目を浴び、マスコミにも取り上げられてきた経緯があって、ルック的にもビジュアル的にもモデルやタレントとして十分出演価値があるという理由になる。

     記事作成:7月16日(土)

    FCT・小野紗由利アナウンサー⑳

    $
    0
    0

     FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第20弾。すっかりFCTの若手の顔として頑張ってニュース報道やレポートをしている彼女。ベビーフェイスの愛くるしい顔立ちと、お嬢様風の風貌に心癒されている福島県民は私だけではないだろう。平日夕方に放送中の「ゴジてれchu !」や日曜日の「ゴジてれ×SUN」、あるいは夜半の「FCTニュース」などでお目に掛かれる。

     では今回も、主に7月期の彼女の出演番組(ゴジてれChu!!とゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。

     7月3日(日)ゴジてれ×SUN

    Img_8710_rImg_8713_r

     7月6日(水)

    Img_8716_rImg_8720_r
    Img_8722_rImg_8723_rImg_8725_rImg_8731_r

     7月10日(日)ゴジてれ×SUN

    Img_8737_rImg_8738_r
    Img_8740_rImg_8742_r

     7月13日(水)

    Img_8746_rImg_8747_r
    Img_8749_rImg_8751_r

     7月17日(日)ゴジてれ×SUN

    Img_8756_rImg_8757_r

    Img_8758_rImg_8761_r

     7月18日(月)海の日

    Img_8764_rImg_8765_r
    Img_8766_rImg_8768_r

     7月20日(水)

    Img_8771_rImg_8772_r
    Img_8773_rImg_8774_r
    Img_8775_rImg_8776_r
    Img_8777_rImg_8778_r
    Img_8779_rImg_8780_r
    Img_8781_rImg_8782_r

     7月24日(日)ゴジてれ×SUN

    Img_8783_rImg_8784_r

     7月27日(水)

    Img_8787_rImg_8788_r
    Img_8789_rImg_8790_r
     
     7月31日(日)ゴジてれ×SUN

    Img_8791_rImg_8793_r
    Img_8795_rImg_8796_r

     ゴジてれchu! 水曜日

    主なコーナー紹介

    「水曜うぉ~か~」 県内各地から中継を結んで名所の紹介
    「新潟×福島 お国自慢」 新潟の放送局と二元中継でテーマに沿ったお国自慢を紹介
    「ころころサイコロゲーム」 サイコロの目が大きいか小さいかを視聴者が電話越しに当て
                   るゲーム。間違えると獲得していた商品がすべて没収される。

    「 I ♡ キッチン」 三瓶みや子先生監修のもと、今日の料理を紹介する。毎回、小野アナの           
             エプロン姿が見られる。これがまた可愛い。

    「情報コーナー」・・・地元のCMや商品などのPRを行う
    「オレンジポスト」・・・毎回異なるテーマでFAXを募集し、それを紹介するコーナー

    最近よく耳にする言葉

    $
    0
    0

     歳をとってきたせいか、最近の言葉についていけない。特に和製英語や横文字で新手の語彙が登場すると、頭の中が?マークだらけで訳がわからない。50の手習い状態で、人に聞くのも恥ずかしいし、いかにしたものかと思案することしばし。仕方なく、ネットで調べるのが手っ取り早いといつもWikipediaやYahoo!知恵袋と格闘している。
     今回は、ここ数年、急に登場した新出語を中心に、イマイチ意味のわからない語句を調べ、自身の備忘録としたい。

     「インスタグラム」

     Instagram(インスタグラム)は、iPhone、Androidから投稿できる写真共有サービス。写真の見栄えをオシャレにするフィルタが人気。日本の芸能人からアメリカの俳優さんまで愛用者が多く、有名人のナチュラルな姿を誰でも見られ、身近に感じることができるのでファンにとっても楽しみなアプリのひとつです。

      「SNS」

     SNS(ソーシャルネットワーキングサービス/ソーシャルネットワーキングサイト/ソーシャルネットワーク)とは、人と人とのつながりを促進・支援する、コミュニティ型のWebサイトおよびネットサービス。
     広義には、社会的ネットワークの構築の出来るサービスやウェブサイトであれば、ソーシャル・ネットワーキング・サービスまたはソーシャル・ネットワーキング・サイトと定義される。 この為、コメントやトラックバックなどのコミュニケーション機能を有しているブログや、電子掲示板も広義的にはソーシャル・ネットワーキング・サービスに含まれることがある。
     ソーシャル・ネットワーキング・サービスの主目的は、個人間のコミュニケーションにある。利用者はサービスに会員登録をすることで利用できるが、密接な人の繋がりを重視して、既存の参加者からの招待がないと参加できないシステムになっているものも存在する。
     ちなみに「SNS転職」とは、SNSを通じて情報交換するうちに自然な形で成立する転職のことをいう。「Wantedly(ウォンテッドリー)」「yenta(イェンタ)」など様々なアプリが無料で利用可能。

     「コンシェルジュ」

     ホテルの職域の一つで、宿泊客の様々な相談や要望に応える「よろず承り係」。航空券や観劇のチケットを手配したり、道案内やレストランの紹介をしたりするのはもちろん、時には人探しや物探しなどあらゆる要望を承り、「究極のパーソナルサービス」と言われる。顧客一人ひとりに応じたきめ細かいサービスが注目を集め、今ではホテルのみならず、観光案内所や駅、百貨店、病院など、多くの業界・企業に、コンシェルジュという制度が広がっている。

     「マルシェ」

     フランス語で「市場」を指す ; 外食チェーンストアの「マルシェ」; KICK THE CAN CREWのシングル曲「マルシェ」; 東京・浅草橋で年2回開催される帽子の展示会「マルシェ・ド・シャポー」の略称。
     福島中央テレビの名物看板番組「ゴジてれchu !」の中で「ふくしまパンマルシェ」というコーナーがある。福島県内の美味しいパンを「小野紗由利」アナが紹介している。

     「コンピレーション」(アルバム)

     音楽用語で「編集・編集物の意味」
      特定の編集方針に基づいて複数の楽曲を一つにまとめた CD やレコード。一人の音楽家の代表的な楽曲をまとめたり,あるジャンルの楽曲をまとめたりする。「コンピレーションアルバム」や「コンピレーションフィルム」という言い方をする。

     「鉄板○○」

     鉄板は「硬い」ことから、「堅い」にかけ、ギャンブルや芸人の世界で「間違いない」「確実な」といった意味で使われる。特にお笑いの世界では確実にうけるネタ・ギャグ(主に大御所芸人の定番ギャグ)を『鉄板ギャグ』という。また、これを略して鉄板ともいう。

     「コリジョンルール」

     衝突防止のための野球規則。走路をブロックしていない捕手に走者が強引に体当たりをすること、ボールを保持していない捕手による走者の走路を妨害する行為を禁じることが定められている。2015年にMLBで採用され、翌2016年に日本プロ野球(NPB)でも採用された。

     「ポケモンGO」

     2016年7月6日に米国・オーストラリア・ニュージーランドで配信開始となったスマートフォン用AR(仮想現実)モバイルゲーム。開発・発売元はNiantic,Inc.(ナイアンティック)で、株式会社ポケモン、任天堂株式会社などがパートナーとして参加している。株式会社ポケモンによるゲームソフトシリーズ「ポケットモンスター」の世界観そのままに、スマートフォンのカメラと画面を用い、街や公園などの現実世界を舞台としてポケットモンスターを探し捕まえ戦うなどする体験型ゲームとなっている。同年7月14日までに、すでに販売地域では爆発的人気を得ており、墓地などが敷地内で同ゲームをしないよう要請するなど社会現象化している。サービス開始とともに爆発的なヒットとなった「ポケモンGO」については、米国での社会現象化、各地で起きたトラブル、任天堂の株価急騰など、その影響による出来事が連日報道された。日本でも7月22日に配信を開始し、街角で歩きスマホをしている人々の姿を多く見かけるなど、社会問題化しつつある。

     「パナマ文書」

     パナマ文書は、パナマの法律事務所モサック・フォンセカによって作成された、租税回避行為に関する一連の機密文書で、匿名の情報提供者によって2.6TBの大量のデータがドイツの地方紙「南ドイツ新聞」へ提供された。80カ国約400名のジャーナリストが分析に協力し、2016年4月3日に分析の結果が発表された。

     ほかにも最近話題となった言葉が「生前退位」「2025年問題」「ノイジーマイノリティ」などがある。

     さて、最近何かと話題になる言葉を列挙したが、イマイチ意味がつかめないでいた。自分自身の備忘録としてもここに掲載し、したためておきたい。

     記事作成:5月29日(日)~

    「朝の顔」比較

    $
    0
    0

     夏は朝が早い。特に歳のせいか、夜に弱く、朝に強くなってきて、5時には起きるようになった。それに伴い夏場はどうしても睡眠時間が短くなる傾向にある。早寝早起きになったからとはいえ、早く起きても特に何をするわけでもなく、テレビをつけると、「朝の情報バラエティ番組」が居並ぶように放送されており、各局とも「朝の顔」とも呼ぶべき爽やか系を売りにしている顔ぶれが並ぶ。私は大塚さんと高島彩さんのコンビの時から「めざましテレビ」派だったが、加藤アナが番組卒業

     日本テレビ 「ZIP!」

      桝太一 北乃きい 山口達也 小熊美香 郡司恭子 尾崎里紗 曽田茉莉江

    Zip

     『ZIP!』(ジップ!)は、2011年4月1日より日本テレビ系列(NNS加盟)29局で月曜日から 金曜日の5:50 - 8:00に生放送されている朝の情報番組。コンセプトは「日本の朝 をもっと楽しくHAPPYに!」。キャッチコピーは「ニッポンの朝にエールを送り、HAPPYを届ける、情報エンターテインメント番組」。『ズームイン!!SUPER』の後継番組として、2011年4月1日に放送開始。番組名は「ZOOM IN!! PEOPLE」(ズームイン!!ピープル)の頭文字を取ったもので、「パソコンの『ZIPファイル』のように、開けると色々な物が飛び出す『玉手箱』のような番組」という意味も含まれている。また、英語の口語で「元気に」という意味もある。
     桝太一はO型で東大出身。北乃きいもO型

     TBS 「あさチャン!」

     夏目三久 井田寛子 藤森祥平

     TBS系列で2014年(平成26年)3月31日 より平日(月曜日から金曜日)に生放送されている朝の情報番組・報道番組。9年間にわたって放送されてきた『みのもんたの朝ズバッ!→朝ズバッ!』の後継番組として、「家族がつながる情報番組」というコンセプトで放送を開始。報道色の強かった『朝ズバッ!』から一転して、エンタテイメントやスポーツなどに関する情報も幅広く扱う。2015年3月30日から大幅リニューアルし、内容・一部出演者などが大幅刷新されて、新たにタレントによる曜日レギュラーMC制も導入され、澤部佑・野村修也・博多華丸・織田信成が夏目とともにMCを務める。夏目アナはO型で東京外国語大学卒。

    Asahan1Asachan2

     フジテレビ 「めざましテレビ」

     永島優美 三宅正治 宮司愛海 阿部華也子 岡副麻希 

     黄金期はやはり大塚アナと高島彩アナのコンビに加え、軽部アナ、お天気キャスターに皆藤愛子、長野美郷、曽田麻衣子、そして加藤綾子アナと時まで。朝から大声で笑い飛ばすのが特徴で、フジのアナウンサー勢ぞろいという感があったし、またセントフォースとのタイアップ番組という印象だった。しかし、永島アナにMCが替わってからは視聴率は軒並み低迷しており、急遽、曽田アナをめざまし土曜日から再起用したり、小野綾香アナを復帰させたりと苦慮している。以前はO型主体(三宅・軽部・加藤・生野・長野・曽田・三上・山崎)の編成だったが、今はA型(永島・岡副・倉田・小野・立本)とO型(宮司)が半々。ちなみに今年から新加入した阿部華也子お天気キャスターは皆藤キャスター以来、久々のB型起用。

    Mezamasi

     三宅アナ、軽部アナ、岡副キャスター、宮司アナ、三上アナは早稲田大学卒。
     中村光宏アナ、立本アナ、木村アナは慶應大卒

     テレビ朝日 「グッド!モーニング」

     松尾由美子 新井恵理那 田中萌

     2013年9月30日からスタートした朝の情報番組。、1985年9月30日開始の『やじうまワイド』から『やじうま』シリーズを継続してきたが、2013年9月27日終了の『やじうまテレビ!』を以って『やじうま』シリーズに終止符を打つと同時にその後番組として放送。全くの新番組というよりも『やじうまテレビ!』を改題した色が濃く、司会の坪井直樹・松尾由美子(両名ともテレビ朝日アナウンサー)コンビのほか、出演者の多くが続投するほか、番組テーマ曲も『やじうま』最末期のテーマ曲であるケツメイシ「Good morning」をそのまま流用している。

     2014年3月31日より、宇賀なつみ(テレビ朝日アナウンサー)がメインキャスターに加わった。
     2015年3月30日より、エンタメキャスターとしてフリーアナウンサーの新井恵理那(月〜水曜日)と山本里菜(木・金曜日)が加わり、各コーナーの内容・構成も大幅に変更された。
    2015年9月25日放送分で宇賀が降板。同年9月28日より、「朝の情報まとめ番組」をキャッチフレーズに据え、ほとんどのコーナータイトルに「まとめ」の文言が加えられた。メインキャスターを坪井・松尾の2人体制へ戻す一方で、2015年入社のアナウンサー・田中萌がサブキャスターに加わった。
     2016年以降は視聴率がうなぎ上りで、朝の情報番組でトップになる回もある。私は「朝の顔」では一番美人が揃っていると思う。ちなみに松尾アナと新井アナはO型で田中アナはB型。松尾アナは慶應卒。新井アナは立教大卒。

    Good_morning

     7月6日の視聴率比較(スポニチより) 

     1位 グッドモーニング 10.2%

     2位 ZIP! 10.0%

     3位 めざましテレビ8.4%

     4位 朝チャン5.2%

     かつての視聴率王者だったフジテレビの低迷振りは顕著。これは朝の情報番組だけでなく、ドラマも大不振。抜本的な経営改革や番組再編を断行しないと、今後ますます「フジテレビ離れ」に拍車をかけるものと見られる。逆に「テレビ朝日」と「テレビ東京」の躍進が凄い。テレビ朝日は、魅力的な番組が多く、通好みだったり、その道のスペシャリストというコンセプトの番組が目白押し。地方であまりネットしていないのが残念だ。

     しかし、朝の番組は爽やかさや元気や活力を与えてくれるところがウリ。したがってどの局もバイタリティーに溢れるO型キャスターをこぞって起用する傾向が強い。そして共通しているのは、MCは局アナやフリーアナを起用しているが、いずれも東京六大学出身者など高学歴者が多いということ。やはり頭が良くないと勤まらない職業らしい。

     記事作成:8月3日(水)

    福島県の局アナの出身大学

    $
    0
    0

     学歴や出身大学で人間の価値を測ることは到底できないが、今回の記事を読んでいただければアナウンサーという職業は賢くなければ務まらないということがよくわかる。やはりとっさに飛び込んでくる臨時ニュースにも即座に対応する物腰の柔らかさも必要だし、パニックに陥って視聴者に不安を与えてもいけない。冷静沈着な姿勢が求められる。

     ところで我が福島県には正式採用された局アナと2~3年在籍して、また他県の放送局に異動して歩く、契約アナがいる。どちらにしても縁あって我が福島県で県民にニュースを報道し、またバラエティ番組で明るい笑顔を振りまいてくれる地元放送局のアナウンサーは親近感が一味違う。

     では本題に戻すが、福島県内の各放送局で活躍するアナウンサーがいかに頭の良いエリートかを証明するために、個人情報を暴露するようで申し訳ないが、彼らの出身大学をカミングアウトしたい。実はWikipediaやタレント年鑑、各放送局のHPなどに掲載されている情報から引用したもので、すでに公開されているのであしからず・・・。

     「福島テレビ」(FTV)

    名切万里菜・・・青山学院大学

    浜中順子・・・青山学院大学

    坂井有生・・・明治大学

    岸野文恵・・・日本女子大学文学部英文学科

    松永安奈・・・学習院大学文学部

    鈴木康一郎・・・早稲田大学

    藺草英己・・・早稲田大学

    FtvTeramoto

     ちなみに「みんなのニュース」のMCを担当している寺本緒麻里アナは、前職は銀行員だった。「自転車でGO!」でお馴染みの天然男、藺草アナも実は早稲田出身のエリートだった!人を見かけで判断してはいけない。
     私の大好きな名切アナはアナウンサーの王道の青学出身!昨年4月に着任した名切アナは長崎県出身者の契約アナなので、いずれ異動してしまうことになる。できるだけ長く福島県に留まって欲しい。切に願う。
     FTVのアナウンサーは、全員が県外出身者で占めている。浜中さんは京都、松永アナは神奈川、そして藺草アナは東京という具合だ。

     「福島中央テレビ」(FCT)

    徳光雅英・・・早稲田大学

    大橋聡子・・・関西学院大学

    中山可那子・・・横浜国立大学

    大野智子・・・共立女子大学

    須賀宣之・・・法政大学

    Fct

     私が毎月活躍を紹介している小野アナは非公開となっている。

     「テレビユー福島」(TUF)

    杉浦敦・・・明治大学

    水津邦治・・・中央大学法学部

    中村幹男・・・法政大学

    奥秋直人・・・福島大学教育学部

    渡邊文嘉・・・立教大学

    小野美希・・・大東文化大学法学部

    藤原梨香・・・国立音楽大学

    中嶋絵美・・・中京大学

    杉浦祐治・・・明治大学

    Tuf_2

     「福島放送」

    今泉毅・・・日本大学

    笠置わか菜・・・日本女子大学

    猪俣理恵・・・関西大学

    飯田麻菜美・・・立教大学

    池田速人・・・法政大学

    安藤桂子・・・早稲田大学第一文学部

    片山真人・・・日本大学法学部

    内田智之・・・関西学院大学

    KfbIida

     「ラジオ福島」(rfc)

    大和田新・・・中央大学

    深野健司・・・法政大学

    小川栄一・・・立教大学社会学部

    石田久子・・・青山学院大学

    山地美沙子・・・獨協大学

    鏡田辰也・・・東洋大学経営学部

    菅原美智子・・・聖霊女子短期大学

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     かつて在籍していた元アナウンサー (URLは近況を伝えるご本人のブログ)

     名和田知加 ・・・中央大学文学部 http://profile.ameba.jp/nawatachika/

     原田幸子・・・早稲田大学 

     梅田澪理・・・青山学院大学 http://www.tuf.co.jp/blog/?author=21

     金井淳郎・・・早稲田大学商学部

     原國雄・・・早稲田大学政治経済学部

     住友真世・・・国立音楽大学 http://www.mayo-sumitomo.com/

     中山由佳…慶應義塾大学

     坂本洋子・・・法政大学社会学部 http://ameblo.jp/mocchi815/

     山元香里・・・法政大学経営学部 
     http://www.centforce.com/profile/t_profile/yamamoto.html

     佐藤明日香・・・立教大学社会学部

     平方恭子・・・青山学院大学

     安齋敦子・・・上智大学 http://www.tuf.co.jp/blog/?author=20

     高橋雄一・・・中央大学

     岩田雅人・・・早稲田大学

     寺尾克彦・・・明治学院大学

     常盤秀次・・・大東文化大学

     上條麻里奈・・・学習院大学文学部 http://ameblo.jp/sunflower-2012/

     延増惇・・・立命館大学経済学部 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/enso/

     米田元気・・・早稲田大学第一文学部   
     http://www.radionikkei.jp/personality/motookiyoneda.html

     皆藤慎太郎・・・亜細亜大学

     二階堂絵美・・・成城大学経済学部 http://ameblo.jp/emiemi107/

     堤友香・・・フェリス女学院大学

     http://ameblo.jp/yuka-tsutsumi/entry-12181937832.html

     若槻麻美・・・フェリス女学院大学

     関口由香里・・・成蹊大学 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/sekiguchi/

     田部井華子・・・亜細亜大学

     荒井律・・・武蔵大学経済学部

     小川真由美・・・武蔵野大学

     海附雅美・・・武庫川女子大学文学部

     唐橋ユミ・・・実践女子大学文学部 http://www.sankeipro.com/pr/karapacino/

     丹野麻衣子・・・宮城教育大学 http://joseiana.com/archives/14238

     長澤彩子・・・東洋英和女学院大学

     http://www3.tvk-yokohama.com/anamaga/2015/09/post_563.php

     山田幸美・・・明治学院大学http://ameblo.jp/yukimi-yamada/entry-12169704602.html

    参考資料

    http://univranking.schoolbus.jp/00000272.htm#00000268

    http://homepage3.nifty.com/kdw/manuniv1.htm

     さて、繰り返し言うが、学歴で人を判断するのは良くないことは重々承知しているが、やはりアナウンサーと呼ばれる知性と教養を要求される特異な職業は、やはり高学歴を有する方々ばかりが採用されていることがわかる。しかもなぜか東京にある私立大学ばかり。
     そして驚くべきは、福島県の民放各局のアナウンサーは大多数が県外出身者で占めている。特にFTVは全員が県外出身者。東京や大阪、神奈川県、静岡県が多い。

     記事作成:8月4日(木)


    笑いが止まらないパクリ偽PV

    $
    0
    0

     今回の記事はパクリでも中国の海賊版ではない。むしろ大変な力作と言える模造PVだ。よくぞここまで自作したと感心したくなるような出来栄えのPVを動画サイトから発掘し集めてみた。真夏のうだるような暑さを笑いで吹き飛ばしてもらえたら幸いだ。

     サッカー日本代表(偽)PV

     香川や遠藤などはそっくり。長友もまぁまぁ似ている。

    R.Y.U.S.E.I. 再現PV 結婚式余興 三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE   

     お笑い完成度は高い!

      KPOP coverdance pitapat bestie   

     マジでK-POPアイドルに見えて来るから不思議だ。

     太陽にほえろ

     「缶コーヒーのBOSS」のパロディ版もあったが、これはズブの素人が作ったお笑い傑作版。走るシーンは見事としか言いようがない。それ以外は爆笑の連続!よくぞまぁ大の男たちがこの企画に賛同してここまでやってのけたと賞賛!

     現代版の創作「新太陽にほえろ!」はこちら

     こちらは本物の俳優陣が登場するので、臨場感や緊迫感に溢れている。

     「西部警察2016」

     渡哲也が演じた大門がなぜか長瀬智也。個々の好みで制作してあるのがよくわかる。ダイナミックな爆破シーンは健在。1970年代~80年代の頃の「刑事ドラマ」がいかに秀逸した中身だったかがよく理解できる。

     「特捜最前線2016」

     今は亡き俳優陣が織りなした情け深い刑事ドラマだった。二谷英明、荒木しげる、夏夕介、大滝秀治はもう天国へ旅立たれた。

     「大空港2016」

     1970年代、私が大好きだった空港を舞台にした警察の物語。鶴田浩二と石川さゆりが大好きで毎週見ていた。このOPのテーマ曲が大好きで、確かレコードを持っていた。

    本物はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=C4TL4LZRCmI

     「俺たちは天使だ2016」

     このドラマは探偵ドラマで、1970年に日テレ系の夜8:00から放送されていた。CAPに沖雅也、同僚探偵に渡辺篤史、柴田恭兵、マドンナに多岐川裕美が固めた。「運が悪けりゃ死ぬだけさ」というのが決め台詞だった。勧善懲悪がテーマで、しかしあまり金儲け(報酬)にならない依頼は、時代劇では「必殺」シリーズ、その後の「ハングマン」に引き継がれていった気がする。

     当時の番組を収めた画像 https://www.youtube.com/watch?v=OFCE6e_U5P4

     コイスルオトメ自主制作PV

     

     青春時代の恋愛模様を切り取ってひとコマひとコマをつなぎ合わせたような出来栄え。高校生が自主制作した割には上手く仕上げている。

     記事作成:8月5日(金)~7日(日)

    私の好きな青春ストーリーCM

    $
    0
    0

     またまた個人的趣向で申し訳ないが、私の大好物にCMがある。当ブログでも「CMカテゴリー」を設けるくらいだから、それは相当なものだ。これまで私の好きなCMを紹介してきたが、今日は、ネタバレ&ネタ切れのため、またしてもこのテーマに特化した。
     今日はCMの中でも「青春ストーリー」をテーマにしたものを取り上げたい。

     第1位 「Sea Breeze」 広瀬すず×中川大志

     広瀬すずは可愛すぎ。わざとらしさや恋愛ベタストーリーだが、女子高生が見たら胸キュン間違いなし。

     完結編

     Girl's Side https://www.youtube.com/watch?v=l2GZauHXkfk

      Boy's Side https://www.youtube.com/watch?v=UQg3rhgArWA

     第2位  ダイドーコーヒー

     恋愛シチュエーションとしてはベタだが、甘酸っぱい思春期・中学時代の恋愛感情や社会人になって彼女が出来たが、すれ違いで別れてしまう。そして愛すべき人と同じ道を歩くことを決意する場面を描いた恋愛ストーリー。
     それぞれの場面を盛り上げているのがチューリップの名曲たち。

     第3位 ダイアトーンサウンドナビ

    https://www.youtube.com/watch?v=UhVKSZHZDG4

    出演:河野達郎 團遥香 ♪山下達郎「さよなら夏の日」

     今は妻となっている女性と、昔を懐かしんで思い出の海までドライブ。若い頃の二人を回顧しながら当時の面影を偲ぶストーリー。

     本当は第5位まで紹介したかったが、ベスト3が薄れてしまうことを危惧し、今回は3本だけの紹介に留まった。

     今回見ておわかりのように、誰もが若かりし頃の思い出を懐かしく回顧する時期が訪れると思う。今、青春真っただ中という世代は、感じないかもしれないが、時が絶つほどに、青春時代の想い出は美しく美化されてしまうものだ。そして口々に「あの頃は良かった」と呟くようになる。かけがえのない青春時代はほんの一瞬だけに、余計に貴重で宝物のように思えて来るものだ。
     自分もそういう年齢になったということか・・・。

     記事作成:8月7日(日)

     

    リオオリンピックに関する雑感

    $
    0
    0

     リオオリンピックがブラジルで開幕し、連日熱戦が展開し、報道も過熱している。日本人が活躍すると、特番で報道し、選手を追いかけまわし、その家族やゆかりの人たちもこぞって出演し、生い立ちや幼少期の様子を紹介する。奥さんの内助の功をクローズアップして日本国民の情に訴えたり、美談にしてしまう。便乗もいいところだ。こうした偏向報道に違和感を覚えるのは私だけではないだろう。勝ち馬に乗るように、活躍した選手は論功行賞とばかりに、バカ騒ぎしてまるで神の如く崇めたて、メダルを取れず敗北した選手には目もくれない。頑張った時間は等しいのに、どうして殊勲者だけをチヤホヤするのだろうか?
     今回はオリンピックを見ていて感じることを取り上げたい。

     1 マスコミがメダルメダルと騒ぎすぎ

     知らないうちの過度の期待をかけ、選手にプレッシャーを与えてしまっている。メダルを取れないと見向きもしない。報道姿勢が大問題だ。逆にメダリストは崇め奉り、何度も繰り返し報道する。エピソードを紹介し、あまり関係が薄い人たちがコメントを寄せたり、ともにその快挙を喜んだり讃えたりする。メダルを獲らないと相手にされない風潮がある。

    選手は確かに金メダルを目指して日々、厳しい練習に耐え、努力に努力を重ねている。たとえ力一歩及ばず取れなくても、その栄誉を、その頑張りを大いに讃えて欲しいものだ。

     2 やはりプレッシャーに弱い日本人選手

     柔道は金メダルを期待されながら、道半ばの予選で敗れ、こぞって43位決定戦に廻った。何とか銅メダルは獲得できるものの、いずれも悔しい結果に終わった。体操もそう。世界王者の「内村航平」ですら「オリンピックには魔物がいる」と言わしめたように、今大会も鉄棒で落下し、種目別決勝に進めなかった。他の選手も連鎖反応で失敗の連続。これは目に見えないプレッシャーが襲い、知らず知らずのうちにリズムを狂わせられ、普段どおりの演技が出来ないことを示す。

     これは小学生の頃からの学校教育に問題がありそう。日本では、右ならえの体質が未だに根強く、一斉教育で、皆が同じことをさせられる。個性の伸張ではなく、百葉ひとからげで、皆同類にまとめられてしまう。
     アスリートは他人と同じことをしていたら絶対に世界では勝てない。心身の鍛錬は、同じ括りの教育の中では育たない。ロシアや中国などは、有能なアスリートは国直属のアカデミーでスパルタ式の猛特訓を受ける。競争原理も激しく、ついていけないと退所させられる厳しい世界だ。日本のようにクラブ活動の延長で生ぬるい体質のトレーニングでは、絶対に世界で勝てる選手にはならない。背負っているものが違いすぎる。

     それが証拠に、サッカーやバレーなどではシュートを外しても、点をとられても、たとえ負けても苦笑いしている。もっと悔しさを全面的に押し出せばいいのに。
     アスリートは、何年もかけて苦労してトレーニングを積んできたのだから、負けた時にはもっと悔しさを出すのが自然な姿だ。ところが日本人アスリートは外国人とは違う。
     周囲の目を気にしたり、視聴者に暗い顔を見せて落胆させたり不安にさせたくないという感情が働くのか?視聴者を不快な気持ちにさせたくないから、あえて取り繕っているように思えてしまう。あえて作り笑いを見せて周囲を安心させるのか?日本人の感情とはそういうものなのか・・・。

     そして、あの内村航平もまた、緊張を和らげようと「ポケモンGO」に傾倒。請求額が50万円というのもどこか感覚がズレている。緊張のほぐし方が根本から間違っている。これで日本中の期待を裏切った。オリンピックには魔物がいると名言を吐いたが、実はその魔物を創り出したのは自らの不摂生だったのではないか?自信が過信となってしまった典型例のような気がしてしまう。残念すぎる。幸い、団体で挽回して金メダルを獲得したので、そのバッシングの矛先は避けられたが、もしふがいない成績で終わったら、かなりの批判を浴びたに違いない。

     3 日本に勝てばそれでいい韓国

     韓国人の日本に対する憎悪の感情は消えることがないことがスポーツをみてもありありだ。過去、国際試合で政治的なプラカードや横断幕を掲示し、場にそぐわない批判行動をして厳重注意を受けたことが何度もあった。
     サッカー男子がナイジェリアに5失点で負けた試合でも韓国国内では日本を酷評。常に上から目線で日本をこき下ろしたいようだ。バレー女子も一回戦で韓国に負けた時もネット上では日本はスポーツ後進国で韓国の足元にも及ばないと囃し立て、柔道男子でも海老沼が韓国人に負けた時も、国旗を振りかざし馬鹿騒ぎ。
      彼らの言動や行動を見ていると、世界一になれなくても日本にさえ負けなければそれでいいという風潮がある。

     完膚なきまでに日本を叩きのめしたい。それが韓国人の本性で、こんな歪んだ国家と友好関係など築けるはずがない。
     従軍慰安婦問題も、日本側が百歩譲って政府間で解決策を妥結しても、肝心の国民は納得していないし、たとえこの問題が円満解決したとしても、次は竹島領土問題や靖国問題を盾に日本をバッシングして金銭を巻き上げようと画策するのは見え見え。もう韓国とは国交断裂で良いのではないか?一切日本には関わらないで貰いたい。

     4 天国と地獄

     これは毎回見ていて痛切に感じる事例。例えば、今回の競泳は連日メダルラッシュで日本を勢いづける起爆剤というか原動力になっているが、その中でも萩野公介は400m個人メドレーでは金メダルを獲得して一躍ヒーローになったが、その後に出場した200m自由形では7位と惨敗した。
     また、あの無敵の絶対世界王者の内村でさえ、団体で悲願の金メダルを余裕で獲得したと思ったら、最終種目の鉄棒を前に1位のウクライナの選手に対して0.91の第2位。絶望的な状況の中、最高の演技を最後の着地まで成し遂げた。そして相手の選手も失敗無く終えたため、銀メダル確定かと誰もが思った。しかし、結果は14.80で0.09の僅差で大逆転2連覇を果たした。腰痛に見舞われながら、失敗無くすべての演技を美しい体操を成し遂げた結果が金メダルという最高の栄誉で完結した。

    https://www.youtube.com/watch?v=WK5AouiHna4

     昔から良いことがあると、次は悪いことが交互に来ると言われる、運も相殺されてプラマイゼロとなる。彼の場合、金メダルを獲得したことで運を使い果たした感じがしたのは私だけではないだろう。
     良いことは長く続かない典型例かもしれない。団体、個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手には、そういう意味でも、別の意味で注意を払ってほしい。たとえば自身や家族の健康面とか事故、怪我などだ。

     5 メダリストは生い立ちや家族まで丸裸にされる

     メダリストになるとその取材は半端ない。家族や親族の反応や友人、知人にまでコメントを求められ、殊勲者との関係まで暴露される。その過熱振りは異様で、両親、兄弟、妻、子供までに及ぶ。連日のようにワイドショーで取り上げられ、そのフィーバー振りは凄まじく、その快挙の余韻に浸りたい日本人の感情を代弁してくれている。
     確かに競技に専念するためには、家族の理解や支え、内助の功は欠かせない。そうした普段見られない感動エピソードを紹介するのはわかる。日本中を感動させる演出やその裏にあった苦労を取り上げたいのはわかる。しかし、大フィーバーしすぎると、ひとたび負けると見向きもされなくなる。現に一回戦で敗退した卓球の石川佳純選手は、テレビに出なくなった。
     また、メダルを逃した選手もスポーツニュースですら取り上げられない。この差は日本人特有の「勝ち馬に乗る」という概念そのものだ。

     そしてひとたびメダリストとして注目されれば、次の東京五輪での活躍を過度に期待しすぎる傾向になる。すると、銅メダルに甘んじたり、メダル獲得を逃したりした場合、バッシングが凄まじいのでないかという危惧が浮かぶ。こうした悪い風潮は絶対に避けなければならない。そうしないと我が福島県の英雄、円谷幸吉選手のような悲劇が再現されてしまう危険性が高くなる。そのことは日本国民は温かく見守ってほしいと切に願う。

     

     さて、オリンピックは「スポーツの祭典」といわれる国際試合だ。それだけにその努力や技術は世界最高峰だ。筋書きのないドラマだけに真剣勝負が展開され、その努力の数だけ感動を呼ぶ。今オリンピックは4年後の東京オリンピックの前哨戦となるだけに日本の底上げや技術力の向上が求められていた。しかし、前回のロンドンで金7を含むメダル総数38を上回る勢いで連日メダルラッシュが続いているのは明るい兆しだ。
     きっと日本選手が帰国する際には、前回を越えるフィーバーが予想される。心からお疲れ様を言いたい。そして4年後の「東京オリンピック」に向けて、私たちの夢を繋いでほしいと願う。

     記事作成:8月8日(月)

    企業の意識改革を求む!

    $
    0
    0

     いよいよ私も退職まで10年ない状況にあって、いかに賢く支出をおさえて生活するかということを念頭に置くようになった。当初は子供が社会人になる55歳を機に転職をしようか?あるいは脱サラでもして畑仕事でもしてのんびり暮らそうかと思案した時期もあった。しかし、よくよく退職後のことを考えれば、やはり先立つものがないと、老後を安心して過ごせないと気づいた。
     そこで今日は、中高年の方々が、私と同じ不安を抱えていることを鑑み、生活がより潤うために、企業側に努力をお願いすべく、物申したい。

     1. 安くなるどころか実質値上げの携帯料金

     安倍首相の肝いりで、日本のバカ高い月々の携帯料金が安くなると誰もが思っていた。しかし、現実は値上げとなっている。キャッシュバックや携帯本体代が無料となる実質ゼロ円プランが姿を消し、その分10万円前後の高い携帯本体料金を払う代わりに、使用月額が大幅に安くなると誰もが期待していた。しかし、その期待は大手3社によって完璧に裏切られた。まったくもってがっかりだ。

     ドコモショップやauショップ、そして家電量販店の店頭に、新入学や新社会人シーズン以外にいつ訪れてもフロアはガラガラだ。それもそのはず、携帯を新規契約してもメリットが何もない。唯一2年ごとに携帯会社を乗り換えたり、機種変でお得なキャッシュバック制度が無くなれば、まったくもって意味をなさない。

     月々の使用料が一機あたり1万円近いこのバカ高い携帯料金は何とかならないのか?ドコモ一社の寡占状態から、ソフトバンクやKDDIが参入し、競争が始まっても、いっこうに月額使用料が安くならない。スマホやi-phone6が一台当たり月々1万円近い使用料を払って所有している国は裕福な日本くらいなものだろう。それもごく限られた世代だけがその恩恵にあやかっている。

     もう少し関連企業は、ユーザーの実態を把握し、消費者の懐に優しい対策を練ったらどうだ。70歳過ぎの高齢者が、多機能すぎるスマホ機能を使いこなせるわけがない。また、年金受給生活者にとって、月々8,000円程度の使用料金を払ってまで携帯を持つとは考えられない。生活費の10分の1近くを携帯代に奪われたら、生活が成り立たない。

     企業側はそうした高齢者や低所得者のことを一切考えていない。今後、ますます少子高齢化が進む中で、も企業として戦略を練ったらどうだ?3人に一人は高齢者になる時代に対応していない。

     高齢者は、ただせさえ老眼で小さな液晶など見られないし、ボタンが小さいと手が震え、まともに操作ができない。
     大きな画面で、1GB程度のネットとメール、電話機能、それにGPS機能や生活反応を遠隔操作で確認できる機能があれば十分だ。余分な機能やアプリを削り、その分4,000円程度に使用料を抑えれば絶対に普及する。

     家計を圧迫するのではなく、万民に使い勝手がよく、誰もが気楽に購入し、使用できる環境整備に尽力して欲しい。企業側の鋭意努力を期待したい。

     2.馬鹿高い「髭剃りシェーバー」の替え刃

     私は裕福な家庭ではないので、家電製品を購入するにもチラシを見比べ、さらに家電量販店を2~3店ハシゴして値段交渉して最安価格で購入している。
     ところが、値段交渉しても安くならないのがシェーバーの外刃だ。私は人一倍髭が濃いため、何度も電動シェーバーを買い替えた。ブラウン、日立、KOIZUMI、パナソニック、IZUMIなど。しかし定価1万円する本体も、購入時にはその半額程度で購入してきた。ところが、替え刃だけは安くない。1枚の外刃だけで3,500円はくだらない。外刃2枚で充電器付きの本体が買えてしまうほど高価だ。いったん本体を買ってもらえれば、あとはそれを担保に取られ、そのメーカーに対応した替え刃でなければ装着できないため、そこで専売特許とばかりに企業は超強気で価格設定を行う。

     こんなの誰の眼にも異常だ。シェーバーのほんの一部の部品にしかすぎず、しかも使い捨ての消耗品。なのにこの価格の高騰は何だ?
     私は雑に電化製品を扱うため、網刃を破損させ、穴を開けてしまうため、過去に何度も外刃だけを買い替えてきた。そのたびに高い出費を強要される。

     これも企業努力で何とかして欲しい。かつてNTTが電話の寡占企業だった際、競争原理が働かなかったため、電話は8万円程度の「権利」が必要だったし、一社の殿様商売ぶりで通話料も馬鹿高かった。しかし、KDDIやau、ソフトバンクが市場参入してきて、価格破壊が進み、一気にサービス売りが始まり、電話代は激安戦争時代に突入した。このように競争原理がないと、価格が下がらない。消費者の財布の紐を緩めるためにも、企業努力で一円でも安く価格設定をしてもらいたい。特に年金生活者はそう願っているに違いない。

     大企業の変容

     我が福島県には超一流と呼ばれる企業の工場が数多く存在する。しかし、ここ数年で撤退や閉鎖が相次いでいる。今や県内にあるそうした大企業でも業績が悪化し、存続が風前の灯火の企業が多い。

     閉鎖した工場

     京セラ棚倉工場

     撤退した工場・企業

     日本航空支社・・・郡山市大町

     富士通・・・会津若松市の一箕町、今の会津学鳳高校がある敷地にあった。
            半導体製造などを行っていた。門田にはセミコンダクターがある。

     森永乳業・・・2015年まで郡山市田村工業団地にあった。

     JVC(日本ビクター)・・・郡山市田村工業団地にあった。

     売却

     ソニーエナジーデバイス・・・日和田、本宮にあり、今年7月下旬に、リチウム電池製造の業績悪化に伴い、子会社の「村田製作所」に完全売却するという衝撃のニュースが流れた。

     今やあの東芝でも台湾の企業と提携し、経営支援しなければならなくなった。また、液晶「アクオス」で一世を風靡した亀山工場も事業縮小。

     ちなみに郡山市周辺で頑張っている大企業を挙げると、三菱電機(栄町と西部工業団地)、パナソニック(田村工業団地と本宮)、日産自動車(いわき市)、住友ゴム(白河)、オリンパス(白河)、デンソー(船引)、コカコーラボトラーズ(富久山・守山)など。

     福島県は広大で企業用地が数多くあり、各自治体が雇用も活性化することから企業誘致が盛ん。特に中通り地方は交通の要衝で、高速や新幹線など立地条件がすこぶる良い。よって1980年代のバブル期から数多くの大企業が進出し、工場を建設した。地元の雇用にも貢献してくれた。しかし、好景気はいつまでも続かない。業績が悪化すれば、このように地方にある工場は閉鎖に追い込まれたり、事業撤退を余儀なくされる。

     企業は先見の明がないのか。先々のことを読み、社員や従業員の生活の安定と職場確保ため、雇用の供給に努めてほしい。「人は財産」の言葉を優先し、業績が悪化したからすぐにリストラや撤退というのはあまりにも利己的すぎる。そこで踏みとどまって、経営再建策を講じて欲しい。なぜ、業績が悪化したのか、その原因を徹底究明し、その改善策を練らないと、こうした消極的戦略では、消費者自体も強い不信感を抱く。現に我が家は家電はすべて「東芝製」で揃えていたが、あまりにも故障や不具合が多く発生していることや、修理相談窓口のあまりにも酷い対応に嫌気が差し、もう二度と購入しないことに決めた。

     企業側も一度失った信用を取り戻すことは容易ではないことを肝に銘じ、腰を据えた経営をしていただきたいものだ。

     記事作成:4月21日(木)~

    夏の高校野球都道府県別勝敗

    $
    0
    0

     夏の高校野球が真っ盛りだが、今年は「リオオリンピック」中継もあって、なかなか焦点が定まらない。しかし、一戦必勝で負ければそこで敗退となる高校球児にとっては、一球入魂で向かわなければならない。そしてあの元気溢れるはつらつとしたプレーや涙を誘う爽やかで真摯な態度に心を打たれる人々が多いのも頷ける。そして長年高校野球を愛してやまないのだ。

     今回は、この長い高校野球の夏の甲子園大会において、各都道府県の通算勝敗を分析してみたい。どういう傾向が見られるのか検証もしたい。

     勝率ランキング

     第1位 大阪府 .656 162勝85敗  優勝12回

     PL学園や大阪桐蔭などの甲子園常連や強豪校がひしめき合い、しのぎを削る激戦区。全国大会進出が神奈川県と並んでもっとも難しい地区と言える。地元の利もある。

     第2位 愛媛県 .642 115勝64敗 優勝6回

     古豪・松山商業が稼いだ勝数が今も健在。新居浜工業も強かった。

     第3位 神奈川県 .639 122勝69敗  優勝7回

     桐蔭や横浜など甲子園優勝経験校がズラリ。

     第4位 和歌山県 .611 1118勝75敗 優勝7回

     昭和50年代に「やまびこ打線」で甲子園を沸かした「箕島」や「智弁和歌山」などが居並ぶ。尾藤監督や高嶋監督など名監督の指導の賜物だ。

     第5位 広島県 .609 112勝72敗 優勝7回

     かつては広島商業が常連で、宗徳も優勝経験がある。

     第6位 高知県 .607  88勝57敗 優勝2回

     高知商業が強豪校として甲子園を沸かせた。1980年代以降は明徳義塾が圧倒している。他に高知高校もかつては強豪だった。

     第7位 兵庫県 .598  134勝90敗 優勝7回

     「逆転の報徳」というフレーズが定着するほど「報徳学園」の強さが光った。また、昭和52年の「東洋大姫路」の優勝も大きい。ほかにも尼崎北や神港学園など甲子園でお馴染みの高校が多い。他にも育英も強い。

     第8位 愛知県 .596  127勝86敗 優勝8回

     中京商業(現・中京大中京)、東邦、大府、愛工大名電など強豪校揃い。

     第9位 沖縄県 .591 68勝47敗  優勝1回

     興南、沖縄尚学、沖縄水産が常連で春夏通じての優勝経験校。

     第10位 奈良県 .588 77勝54敗 優勝2回

     天理、智弁学園、郡山などが甲子園常連校。天理も智弁学園も春夏通じて優勝経験がある。

     第11位 京都府 .576 118勝87敗

     こちらも古豪平安(現・龍谷大平安)が勝ち星を稼いだ。京都商業、京都成章や東山、鳥羽、福知山成美も強い。

     第12位 東京 .563 168勝130敗 優勝7回

     こちらは東東京と西東京に現在は分かれているが、両方あわせての戦績。日大三高や法政二高、桜美林、岩倉、帝京、東亜学園、早稲田実業などが強豪校。

     第13位 千葉県 .563 92勝71敗 優勝3回

     銚子商業、習志野、印旛、拓大広陵など常連校がいる。

     第14位 徳島県 .539 62勝53敗 優勝1回

     徳島商業、鳴門工業、池田高校が有名。蔦監督が率い、全国制覇(2連覇)を果たした打線は強力だった。

     第15位 岐阜県 70勝62敗 優勝1回

     県立岐阜商や市立岐阜商が強かった。さらに中京もいる。

     第16位 福岡県 .529 91勝81敗 優勝4回 

     久留米商、福岡大大濠、西日本短大附属、柳川、九州国際大付が強豪

     第17位 山口県 .521 73勝67敗 優勝1回

     宇部商、柳井、下関商、岩国、南陽工業など有名な学校は多い。 

     第18位 静岡県 .515 85勝80敗 優勝1回

     常葉菊川、浜松商、静岡など春夏を通じて優勝経験がある学校が多い。 

     第19位 宮城県 .512 66勝63敗 優勝0回

     東北高校や仙台育英高校がいるため、強豪という印象だが、ダルビッシュや大久保投手を擁しても名将武田監督を持ってしても、未だ優勝経験は春夏通じて一度も無い。

     第20位 岡山県 .508 62勝60敗 優勝0回

     岡山南、理大附属が常連

     第21位 熊本県 .504 59勝58敗 優勝0回

     名門・熊本工業や鎮西、九州学院など甲子園でも馴染みの学校で、毎回上位に勝ち進んでいる印象だが、熊本県も優勝回数はゼロ。愛媛代表の松山商業との決勝では、延長10回サヨナラの場面で、あのライト矢野の奇跡のバックホームで初優勝の夢は潰えた。

     第22位 香川県 .503 65勝64敗 優勝2回

     香川といえば高松商業が昔から常連だったが、丸亀や尽誠学園なども最近は多く出場している。位

     第23位 群馬県 .503 67勝66敗 優勝2回

     桐生一高が初優勝。前橋工の松本投手が完全試合を達成した。他にも高崎商や東京農大二高が強いイメージ。最近は前橋育英や高崎健康大付属が出ている。

     第24位 鹿児島県 .500 64勝64敗 優勝0回

     鹿児島県がここにいるのは意外。鹿児島実業、樟南、鹿児島商、鹿児島商工、神村学園など強豪ぞろいの印象。

     第25位 埼玉県 .500 59勝59敗 優勝0回 

     花咲徳栄や浦和学院、熊谷商、埼玉栄、聖望学園、春日部共栄など甲子園でも上位に入る強豪ばかり。しかし、ここまでが勝率5割の学校。

     第26位 栃木県 .473 52勝58敗 優勝1回

     宇都宮南、作新学院、足利学園、宇都宮学園、佐野日大、文星芸大付、国学院栃木、足利工業などもっと強い印象がある。

     第27位 宮崎県 .462 49勝57敗 優勝0回

     都城高校がまず思い浮かぶ。宮崎商や高鍋も有名。日南学園、延岡学園、日章学園などの私立も甲子園では有名どころ。

     第28位 大分県 .459 56勝66敗 優勝1回

     唯一の優勝は昭和47年の津久見高校。大分商も有名。柳ヶ浦、日田林工、明豊も常連。

     第29位 茨城県 .455 50勝60敗 優勝2回

     木内監督で取手二高や常総学院が全国制覇を果たしているため、強豪というイメージだがそれほどでも無かった。他にも水戸商

     第30位 山梨県  .440 40勝41敗 優勝0回

     私の中では強いイメージ。それは東海大甲府が強豪だからだ。他にも日本航空高校、甲府工業、市川、日川が続く。

     第31位 青森県 .434 43勝56敗 優勝0回

     準優勝は過去複数。太田幸司投手を擁した三沢、青森山田、2度準優勝の八戸工大光星が常連。

     第32位 福井県 .427  53勝71敗  優勝0回

     以前はセンバツ準優勝の福井商、現在は敦賀気比が常連。

     第33位 佐賀県 .409  38勝55敗  優勝2回

     平成19年の佐賀北のフィーバーは凄かった。それまでは佐賀と言えば佐賀商業、唐津商が常連で、近年は鳥栖や佐賀学園も台頭著しい。

     第34位 滋賀県 .395  30勝46敗  優勝回

     比叡山、八幡商、近江などが常連。比叡山は選抜で前橋工に完全試合をやられた印象が強い。

     第35位 長野県 .389  58勝91敗  優勝1回

     1980年代頃までは必ず松商学園が出場しては一回戦負けだった。他にも丸子実業、東海大三、佐久長聖が有名どころ。

     第36位 石川県 .380  35勝57敗  優勝0回

     石川と言えば星稜高校。松井の母校でもある。伝説の5打席敬遠や箕島との延長死闘などが思い浮かぶ。金沢高校や遊学館も出場機会は多い。

     第37位 長崎県 .378  37勝61敗  優勝0回

     長崎と言えば海星が一番有名。最近は長崎日大、佐世保実業や清峰も有望。

     第38位 秋田県 .369  41勝70敗  優勝0回

     金足農業、秋田商、大曲工、秋田経法大が常連だった。

     第39位 福島県 .365  31勝54敗  優勝0回

     かつては磐城が小さな大投手を擁して準優勝した。福島商、学法石川、日大東北が常連だったが、今は10年連続で聖光学院が出場している。聖光学院が常連になってから勝率が上がった。

     第40位 三重県 .361  30勝53敗  優勝1回

     三重も海星高校と三重高校が有名。宇治山田商、四日市工業も複数回出場。

     第41位 鳥取県 .352  38勝70敗  優勝0回

     旧制中学時代は鳥取一中や米子中が大活躍した。現代は米子東、倉吉北が常連。この学校も外人部隊が多くなってきた。さらに近年では、八頭や鳥取城北が出場機会が多くなった。

     第42位 島根県 .330  29勝59敗  優勝0回

     かつては浜田、江の川、大社が常連。 最近では立正大淞南、開星が多い。

     第43位 新潟県 .329  27勝55敗  優勝0回

     中越、新発田農業、日本文理、新潟明訓が常連。日本文理対中京大中京の攻防は見ごたえがあり、9回2死2ストライクから6点差を1点差まで追い上げたあの粘りは感動の渦に巻き込んだ。

     第44位 北海道 .318  68勝146敗  優勝2回

     こちらも東京都同様、北北海道と南北海道を合わせての戦績。東海大四、北海、駒大岩見沢、駒大苫小牧などが頑張った。

     第44位 岩手県 .318   34勝73敗  優勝0回

     菊地遊星や大谷を擁した花巻東、盛岡大附属、専大北上などの私立が圧倒。 

     第46位 富山県 .309  25勝56敗  優勝0回

     失礼だが富山はあまり常連校が思い浮かばない。氷見高校と富山商、高岡商くらいか?新湊、桜井などもあった。

     第47位 山形県 .295  23勝55敗  優勝0回

     山形は徹底して私立上位。外人部隊が多い日大山形、東海大山形、羽黒、酒田南などが常連。県外出身者を積極的に受け入れてからは、一回戦突破は珍しくなくなった。

     総括

     残念ながら東北のチームの優勝は皆無。2年連続で駒大苫小牧が優勝したが、津軽海峡を越えて一気に北海道の地に深紅の優勝旗が渡ってしまった。そして西高東低が顕著だ。西のチームは冬でも練習時間が長く取れるメリットが大きい。北国や日本海側のチームでは雪に阻まれ、満足のいく練習が出来ない。基礎体力は鍛えられても、連携プレーや外野守備練習、シートノックやバッティング練習が不足しがちだ。東北のチームは強豪の仙台育英や東北高校が常連の宮城県を除くと5県が30位以下という散々な結果。

     また、設備的に練習環境の整った私立高校が圧倒的に強い。私立は特待生として有望な選手を全国からかき集めている傾向があるし、全寮制で共同生活を送ることで、チームプレーや連携プレーに役立っている。

     また政治的や歴史的に中心となった都道府県や地域のスポーツ大国振りが目立つ。加えて総理大臣を輩出した県は以外にも強い。鹿児島、山口、群馬などだ。

     最後にわが福島県は10年連続で聖光学院が甲子園出場を果たしているが、レギュラーの半数は他県出身者で占められている。いわゆる外人部隊だ。要は野球はチームプレーなので、強力スラッガーが独りいても勝てない。まして千葉県や東京、神奈川など強豪校が犇めき合っている状況では、甲子園出場の道のりは険しいし、レギュラー獲得すら難しい。近年、酒田南、羽黒、青森山田、敦賀気比、遊学館や山陰地方の私立高校が台頭してきたが、いずれも大阪や首都圏出身者が野球留学しての結果である。出場機会を増やしたり、少しでも甲子園出場の可能性が高い県へ移住するのだ。

     かつての国体も開催県がこぞって外人部隊を県内出身者として出場させ、優勝を果たしたように、高校野球もそのような体制になりつつある。

     高校野球は純粋な高校球児たちの夢の祭典であって、各県の面子のぶつけ合いの場ではない。3年間汗まみれになってグラウンドで歯を食いしばって練習を重ねてきた選手のひたむきさや一生懸命さに人々は心を打たれ、そのプレーの一挙手一投足に感動を覚える。その根本精神を見る側は決して忘れてはいけないと思うのである。

     参考サイト

     http://www.fanxfan.jp/bb/ranking4.html

     記事作成:8月10日(水)

    絶対懐かしく感じるCM集

    $
    0
    0

     ネタ切れの際には必ず登場するテレビCMの話題。今回も1か月半あったストックが、忙しさの余り執筆を怠っていたため、3~4回分の余裕しかなくなったため、その場凌ぎの記事だ。

     1 武富士ダンサーズ

    武富士の歴代の主なダンスCM集です。
    1990年の白いレオタード編から2012年の最新のCMまで
    9作品あります。それと最後にオマケをつけました。

     2 燃焼系アミノ式

     「回転少女篇(2003年)」「上昇サラリーマン篇(2003年)」「くるくるピクニック篇(2003年)」「ダブル登校篇(2004年)」。

     何を隠そう私は男性が鉄棒を鯉のぼり状態でよじ登ってくシーンを実際に生で見た。中国雑技団のショーで、CGなど一切使わなくても自力(人力)で登ったのを目の当たりにして愕然と来た。

     3 アイフル

     1990年代に一世を風靡した消費者金融のイメージアップCM。アコムが小野真弓を起用すれば、武富士はダンサーズ、そしてアイフルは清水さんチワワ犬の「くぅちゃん」。あの愛くるしい物語はお茶の間の人気を集めたのだった。

     4 鉄骨飲料

     今は仲村トオル夫人となった鷲尾いさ子さんがアイドルタレントだった時代に出演した人気CM。健康的な魅力に溢れた作品に仕上がっていた。

     5 爽健美茶

     「(♪~ハト麦玄米月見草~ハッピー~爽健美茶~♫」のメロディで一世を風靡した。

     松下奈緒、滝沢沙織、冨永愛の3人が出演したお色気編が大好きだった。

     本当はもう少し多くお送りしたかったが、スペースの関係でここまで。機会があったらこの続きをお送り出来ればと思います。

     1980年代後半から1990年代は私が20~30代を過ごした時期で、恋愛、結婚、子供をもうける人生の中でも劇的に変化した過渡期にあたる。そんな人生でもっとも充実した時期にテレビをつけると流れていた、いわば思い出の宝箱を開放したような感じだ。

     同じ年代の方々は懐かしんでいただけたと思う。

     記事作成:8月10日(水)

    私の好きな観光名所

    $
    0
    0

     私がこれまでに訪れた都道府県は36県。北海道や沖縄には4回以上訪ねているのに、九州4県、四国3県、それに山陰地方2県、山陽地方1県、近畿地方1県は訪ねていない。私の半生の中で、旅行は私にとって切っても切り離せない大切な趣味だが、今日はこれまでに私が訪れた観光地や名所のうち、「ベスト30」とまだ足を踏み入れていない11県でぜひ死ぬまでに訪ねたいスポットを備忘録もかねて書き記したい。

     第1位 知床(北海道・カムイワッカの滝・知床五湖)

     32年前、私が北海道に住んでいた時に一番感動した場所。滝壺が露天風呂になっている。

     第2位 千光寺公園(広島県尾道市)

     ここからの尾道水道を見下ろす光景は抜群。NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」のロケとして使われ、瀧本美織が好きになり、訪れた。震災の年の8月だったが、被災者ということで高速代が無料になったために2泊3日、車で往復したのだった。

     第3位 伊豆(静岡県・戸田から見える富士山)

     バイクと車で3回訪れているお気に入りの場所。昔、江戸川乱歩の美女シリーズによくロケで使われ、好きになった。特に修善寺や西伊豆の戸田が大好きで2回「さくら」という民宿に泊まった。料理が素晴らしかった。

     第4位 京都嵐山(京都府・竹林・神護寺・嵯峨野)

     高校時代の修学旅行で気に入り、これまでに4回訪れた。化野念仏寺が不気味だが気に入っている。神護寺では座禅を組んだ記憶がある。紅葉シーズンは最高。

     第5位 裏磐梯(福島県・五色沼・檜原湖)

     我が福島県が誇る磐梯山の大パノラマを拝める場所。五色沼でハートの鯉を見つけてみては・・・。

     第6位 美瑛・富良野の景観(北海道)

     CMに登場する丘陵や木々、並木が有名。ロール状の干草が点在したのどかな風景が広がり、広い空と緑豊かな大地のコントラストに魅了されることうけあい。

     第7位 下郷美観地区(福島県・大内宿・塔のへつり・湯野上温泉駅)

     江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。茅葺屋根の民宿&古民家街、曲がりねぎ一本で食べる高遠そば、塔のへつりは奇岩群が川に沿ってせり出す風光明媚な場所。ここでは鮎の塩焼きが名物。茅葺屋根の珍しい駅舎の湯野上温泉も見ごたえあり。駅に隣接して無料の足湯が温かい。

     第8位 山寺(立石寺)(山形県)

     ずっと行きたかった場所で、4年前に訪ねて、頂上まで息を切らしながら歩いて登ったことを覚えている。

     第9位 厳美渓(岩手県)

      ここは2回訪れた。中学生の頃、亡き父親に車で連れて行ってもらった。渓谷の上をロープで団子を運ぶカゴが往復していた記憶が鮮明に残っている。

    第10位 秋田県田沢湖

     金色のタツコ像で有名。日本一深い。青い湖面が息を呑むほど美しい。

    第11位 鎌倉高校前駅(ホームの前が湘南の海、江の島、スラムダンクの踏切)

     ホームのベンチに座って江ノ島を望むのが好きで2回訪れた。その北側の踏切が多くの台湾人で賑わう「スラムダンク」のOP映像に登場する有名スポット。

    第12位 日本ライン木曽川下り~犬山城

     今は亡き父親に高校合格祝いで旅行に連れて行ってもらった場所。明治村の日本を代表する由緒ある建物の再建を見て感動した。犬山城には3回訪れたが、あの風景が大好きだ。

    第13位 奈良(長谷寺&室生寺)

     高校の修学旅行で訪ねた。侘び錆の世界。特に室生寺の五重塔は必見の価値あり。落雷で木立が倒木し、屋根が壊れたが、見事に修復された国宝。

    第14位 日光東照宮

     ここも国宝にして世界遺産。徳川家の菩提寺。我が松平容保もここの宮司となった。陽明門や見猿言わ猿聞か猿、天井に描かれた龍が見ごたえ抜群。

    第15位 函館の教会群と夜景

     ここは日本三大夜景(神戸、長崎)だけでなく世界三大夜景(ナポリ、香港)に挙げられる大人気スポット。ハリストス正教会やキリスト教会などが混在している。旧函館公会堂がお気に入りだ。

    第16位 鎌倉・長谷寺(紫陽花)

     5月下旬から6月にかけて境内の傾斜を利用して見事な紫陽花が見頃となる。その頃は人だかりでとてもゆっくり立ち止まって見学などできない。ここは郡山市ゆかりの久米正雄の胸像などがあり、映画のロケ地に使われるほどの見晴らしは抜群。

    第17位 磐梯吾妻スカイライン(吾妻小富士・紅葉)

     すり鉢状の噴火口の周囲を1時間かけて歩くことができる。春先、福島市内から見上げると、雪ウサギが見られる。

    第18位 美幌峠

     ここから見下ろす屈斜路湖の眺望は最高。夏は濃霧が立ち込める神秘的な場所と化す。

    第19位 襟裳岬周辺(黄金道路)

     私は一度しか訪れていないが、魅了された。岬ではなく、その先の太平洋岸に沿って連なる波避けと土砂崩れ避けのシェード付きの道路。時々波が道路にも打ちつけるスリリングな道路。バイクで走るとマジ怖い。悲恋沼も哀愁漂う。

    第20位 富士五湖周辺(忍野八海・風穴)

     日本の昔の郷愁誘う懐かしい田園風景が広がる。忍野八海は水車小屋などが点在。

     他にも奥入瀬渓流は見逃せない場所。

     訪ねた都道府県だが、まだ行っていない観光地

     京都・天橋立。日本海側の山陰に近い場所はまだ一度も行く機会がなかった。私にとっては日本の中で一番遠い存在となっている。

     

     死ぬまでに一度は訪れたい場所

     錦帯橋

     唯一山口県で行きたい場所はここ。山口はかつて長州であり、私の祖父母の生まれが会津のため、幼少の頃から敵賊と思っていた。

     桂浜

     かつては「はりまや橋」に行きたいと思っていたが、日本三大がっかり観光名所になってしまい、行きたくなくなった。坂本龍馬も会津人から見れば、薩長同盟を築いたパイプ役だけに敵にあたる。

     鳥取砂丘

     やはり山陰地方。鳥取県にあるが、行く機会がない。お隣の島根も出雲大社や宍道湖など見どころはあるのに、交通の便がイマイチのせいか疎遠になっている。

     軍艦島

     世界遺産として脚光を浴びる30年以上も前から、私はここに足を踏み入れてみたいと願っていた。それは昭和50年頃、公共広告機構のCMで「資源と共に消えた島」として紹介された。それを見て、こんな狭い島に、街があり、5,000人もの島民が石炭ドリームを夢見て共同生活をしていたのかとガク然としたからだ。

     怖いが一度は訪ねたい場所

     津山貝山地区

     「八墓村」の舞台となった30人殺しがあった場所。巡礼というか慰霊が目的。

     群馬・御巣鷹山

     決して冷やかしではない。慰霊登山に訪れたい。山中に日航機が墜落し520名も亡くなった場所。歌手の坂本九さんも巻き添えとなり、犠牲となった。

     群馬・あさま山荘

     かつて連合赤軍が立てこもり、警官隊と銃撃戦が展開され、数名が犠牲になった。昭和47年の厳寒期の事件で、テレビでは連日緊迫した攻防戦が生中継された。

     さて、日本全国、まだまだ行きたりていないスポットがわんさかある。日本人に生まれたからには死ぬ前にぜひ尋ねてみたい。

     記事作成:8月7日(日)~


    郡山の魅力再発見!40~専門学校編~

    $
    0
    0

     郡山は学生の街とも言える。その根拠は私立高校4校を含め、大学3校、そして数多くの専門学校が点在している。立地条件がよい駅の東口に巨大カレッジが構え、各ジャンルごとに異なる専門的職業を養成する学校があちらこちらに設置されている。では地元で流れている紹介CMや学校紹介PVを幾つか取り上げたい。

     FSGカレッジリーグ

      郡山情報ビジネス、郡山テクノデザイン、国際情報工科専門学校、国際メディカルテクノロジー、国際ビューティー・ファッション、国際アート&デザイン、WIZ国際情報工科、と30周年の間にこれだけ名称変更や分離を繰り返し進化した。そして、郡山情報ビジネスが郡山情報ビジネス公務員専門学校に校名変更。

    そして平成29年度からFSGは校名をまたまた変更し、「国際情報工科自動車大学校」となる。

     郡山健康科学専門学校

     CMはコチラ http://school.js88.com/scl_sen/409/douga?scl_movie_id=189

     国道4号線にある医療系の専門学校。図景という交通至便で立地条件抜群の場所に聳え立つ大きな学校。学科も「こども未来学科」「介護福祉学科」「柔道整復学科」「作業療法学科」「理学療法学科」「応用理学療法学科」とバラエティに富む。健康や医療を追求した専門的な分野で活躍できる人材を育成している。

    HPはコチラ http://www.k-tohto.ac.jp/Introduction/kids.html

     郡山ヘアメイクカレッジ

     郡山市の南部、郡山東高校の向かい側にある老舗の美容系の専門学校。来年には安積永盛駅の近くに移転する。

     HPとCMはコチラから http://www.khc.ac.jp/

     https://www.youtube.com/watch?v=H9LTyEp-j0Q

     日本調理技術専門学校

     郡山市安積町の国道4号線沿いにある。通称「Nitcho」。調理師本科(1年制・2年制)と製菓衛生師科(2年制)がある。

     HPはコチラ http://www.nitcho.com/

     福島医療専門学校

     以前は「福島柔整専門学校」だった。郡山市の並木町にある。柔整科、鍼灸科、歯科衛生科がある。

     HPはコチラ http://www.f-iryo.ac.jp/

     ケイセンビジネス公務員専門学校

     ほかにも今泉女子専門学校や東北歯科専門学校、東北医療福祉専門学校、郡山準看、太田看護、ポラリス保健看護、郡山テクノアカデミーなど専門学校は数多くある。それゆえ、過当競争気味で、学生集めのためにこうしたCM制作でイメージアップを図り、勧誘に余念がない。

     かつてはジェイク国際専門学校やICビジネス、郡山アイシーケア専門学校もあったが不祥事などで廃校となった。近年は少子化の影響で学生の数が減り、私立高校を含め、経営に苦慮しているようだ。

     しかし、街に若者がいるということは活気に溢れることを意味する。ファッショナブルな若者が駅前に闊歩し、生き生きとした印象をもたらす。地方は少子高齢化しがちだが、郡山は人口約32万人だが、私のこのテーマ記事でわかる通り、魅力溢れるものが数多くある。もう放射線被害は除染が進み、心配ない。ぜひ郡山のいいところを見に来て欲しい。そして若い人が躍動する点を肌で感じ取って欲しい。

     記事作成:8月13日(土)

    劇的な幕切れ

    $
    0
    0

     スポーツは真剣勝負で筋書きのないドラマと実感できる映像を紹介したい。最後まであきらめないで頑張れば何かあることを実感でき、ドラマ以上にドラマティックというのがよく理解できると思う。

     横澤由貴 アテネ五輪女子柔道

     アテネオリンピック準決勝。相手は世界女王のキューバ人のサボン。先にポイントを奪われ、敗戦確定的の中で迎えた残り10秒。最後の捨て身の一発を狙い、組み合ったのが残り3秒前。そして袖釣りこみ腰の技をかけたのが、残り1秒前だった。相手を回転させ、畳の上に背中から投げ下ろした。その瞬間、実況の三宅アナは大絶叫、会場は大騒ぎとなった。横澤選手が見せた執念の奇跡の大逆転劇は、人々を感動させた。「諦めなければ何とかなる」を身を持って示してくれた劇的勝利だった。

     残り0.9秒の奇跡 バスケ

     それはインターハイの山口県大会決勝戦。徳山商工高校VS誠英高校の一戦だった。最後、残り1秒未満という絶体絶命の中で、一か八かで遠投したボールが、まるで魂が乗り移ったかのように、ゴールネットに吸い込まれていった。これは練習の賜物ではなく、運命の一投であって、それを神様が導いてくれたような劇的な逆転だった。努力を重ね、最後まで勝利を信じ粘って行けば、勝利の女神が微笑むことがあるという運命的なシーンだと思う。地獄から天国。誰もが諦めかけた場面で起死回生のショットだ。会場は狂喜乱舞の大騒ぎ。

     小学生のミニバスケットボール決勝で起きた奇跡の一投はコチラ

     ゴール前の油断 スノーボードクロス

    https://www.youtube.com/watch?v=LZR91ogniVE

     トリノ五輪でそれは起きた。アメリカのジャコベリスは独走状態であったにもかかわらず、最後の油断で金メダルを逃す事態に。彼女は圧勝ムードでゴール手前の山へ。そこで普通にゴールすれば金メダルだったのに、観衆にアピールしようとボードに手を当てて、カッコよく決めようとしてバランスを崩し、着地に失敗して転倒。その脇を2位の選手がすり抜け、ゴール。気づいたときには後の祭りの結末となってしまった。まさにゴール3m直前での悲劇であった。後悔してもしきれないワンシーンとなった。この日のために猛練習を重ねてきたのに、ほんの一瞬の気の緩みや油断で、手中の金メダルを逃してしまった。

     棚ぼたの金 オーストラリアのショートトラック選手

     2002年のソルトレイクシティ五輪で起きた世界一幸運の持ち主。オーストラリアのショートトラック選手のブラッド・バリーは幸運に恵まれすぎた選手だ。最終ラップで前を行く4人の選手が相次いで接触して転倒。最後尾を滑っていた選手が悠々とゴールして金メダル獲得。こんな嘘のようなシーンが現実に起きてしまった。これは決勝だけでなく、準決勝でも同じことで棚ボタで決勝に残り、最大の見せ場の決勝でも再現された。このオーストラリアの選手は神様の手厚いご加護で守られているようだ。ありえないことが実際にオリンピックという最高の舞台で2度も起きてしまったのだから。

     シティ、大逆転優勝

     それはイギリスプレミアムリーグ最終決戦で起きた奇跡。優勝を争う相手マンチェスターユナイテッドは、すでに勝利を収め、負ければ優勝を逃す極限まで追い詰められた局面で地獄から天国へのシーンが展開された。ロスタイム、2点リードされたシティ。観客も諦めムードを一変させた。勝つか引き分けでシーズン優勝がかかる最終試合で、2点差を追いつき、劇的な優勝を成し遂げたのだった。この最終試合までもつれ込み、1点勝負でロスタイムまで運命を託したゲームは日本でもあった。横浜マリノスだった。最終節で4チームに優勝の可能性がある緊迫した状況。3位のマリノスは負ければ優勝どころか4位に叩き落ちるゲームで、ロスタイムでゴールし、他球場の結果を待つ。首位に立った鹿島がロスタイムで同点ゴールを奪われ、優勝をもぎ取った。

     星稜高校、9回、8点差を逆転し、甲子園出場

     これを魔物と言わず何と言うのか?誰も予想しないことが起きた。野球の世界で9回ウラで8点差なら、誰の眼にも敗色濃厚で、逆転できる可能性は1%もなかった筈だ。それを最後まで諦めず、繋いで繋いで、ランナーを溜め、打者一巡の猛攻で大逆転劇をやってのけた。一回でも負ければそこで終戦となる切羽詰った状況下で、誰もが目を疑う大殊勲。これを奇跡と言わずして何と言う。

     さて、こういう奇跡のシーンを見ていると、何事も最後の最後まで諦めてはいけないということが理解できる。「勝負は下駄を履くまでわからない」という言葉があるが、それはこういう奇跡が現実的に起こり得ることを示唆しているのだろう。

     記事作成:8月13日(土)

    時代を映す古いCM集

    $
    0
    0

     今日は、1960年代から1970年代の古くて懐かしいCMを取り上げたい。年配の方々が見たら懐かしくて仕方ない作品ばかりだと思う。久しぶりに見れば「そういえばそんなCMあったな」というものばかり。

     1. コカ・コーラ

     最近は上映回数が激減したが、いつの時代もコカ・コーラは大人気CMだった。その映像も綺麗だし、青春時代の群像や生活のひとコマを美しく描写していた。

     2. 東鳩オールレイズン

     「♪小さな~出来事~オールレイズン、東鳩オールレイズン♪」

     3.「・・・と日記には書いておこう」 龍角散トローチ

     長い髪、セーラー服。1970年代初頭を飾る栗田ひろみと並ぶ伝説の村地弘美ミさんCM。

     4. 咳・声・のどに浅田飴

     今年亡くなられた永六輔さんのてっぱんCMだった。1980年代は浅田飴と言えば彼だった。

     5. エメロン・クリームリンス 振り向かないで

    https://www.youtube.com/watch?v=TWYsXRI9g7I

     6. クイントリクス 坊屋三郎

     テレビがまだ高価だった時代のCM。ネイティブ相手に英語の発音を正そうとする坊屋三郎。「英語でやってごらんよ」と説教し、「あんた外人だろ」とトドメの一言。それにしてもパナカラーは当時で138,000円だから3Cと呼ばれていた頃の遺産。

     7. マンダム

     

     チャールズブロンソンが長年出演した男くささがプンプン漂うCM。「ん~マンダム」が決め台詞。

     8. 丸八真綿 高見山

    https://www.youtube.com/watch?v=r3ySxLRkvec

     高見山関もこのCMに長らく出演していた。関取ながら生来のエンターティナーだった。

     9. エマニエル坊や

    https://www.youtube.com/watch?v=4QqtjO3GzDM

     昭和56年に日本でフィーバーした。

    10. サントリーホワイト  サミーデイビスJr.

    https://www.youtube.com/watch?v=gN4tVnAnFmM

    https://www.youtube.com/watch?v=yO5raUgBKaY

     リズミカルなジャズ風のテンポで独り芝居のCM。

    10. 1970年代その他・詰め合わせ

    ソニートリニトロン
    龍角散「・・・と日記には書いておこう」
    サントリーホワイト「サミーデービスJr.」
    サントリーオールド「・・・がある」
    クイントリックス(坊屋三郎)
    マスプロアンテナ「見えすぎちゃって困るの」
    ガードハロー
    カップスター「サッポロ一番カップスター」(麻丘めぐみ)
    バスボン(松本ちえこ)
    ハウスバーモントカレー(西城秀樹)
    不二家ハートチョコレート
    I'm a Champion.
    フジカラー「お正月を写そう」
    C.W.ニコル
    サントリーゴールド900「みんな悩んで大きくなった」(野坂昭如)
    資生堂(4連続) 小林麻美・サクセス

     他にも懐かしいと言えば、資生堂やカネボウなどのキャンペーンギャル出演のCMや国鉄の「いい日旅立ち」キャンペーン、ケンメリーの「愛のスカイライン」、更には野坂昭如主演の「サントリーゴールド」のCM、大原麗子さんの「少し愛して、長~く愛して」の「サントリーレッド」のCMも欠かせない。宮崎美子の「ミノルタX7」のCMも今となっては懐かしい。個人的には「わんぱくでもいい、逞しく育ってほしい」の丸大ハムやガリバーが出てきて「大きくなれよ」も印象に残る。

     CMは時代を映す鏡という気がしている。最近はauのCMがひとり勝ちという印象だが、その時代や季節を反映するCMがどんどん流れてほしいと思う次第だ。

     

    記事作成:5月8日(金)~

    福島県民にとって懐かしい映像集

    $
    0
    0

     我が福島県には民放テレビ局が4局あるが、昭和50年代後半までは2局だけだった。FTV(福島テレビ)がTBSとフジテレビ系列をネットし、FCT(福島中央テレビ)は日テレ系とテレビ朝日系をネットしていた。したがってLIVEでは見られない番組が多くあった。しかし、地元の自主制作番組や地元のCMはやはりいつの日も流されていて、特別な感情で見ていたものだ。今日はローカルネタで恐縮だが、今から25~30年前の、福島県のテレビ局ゆかりの映像を紹介したいと思います。

     1 福島のテレビ局の自社制作番組

     ① サタデーふくしま(FTV)

     金井淳郎アナと高橋雄一アナのコンビに、女子アナが吉田名保美アナという取り合わせ。これは1988年の頃の貴重な映像で、もう28年も前の映像。懐かしいオープニングとBGMだ。この頃の私は東京の大学を卒業し、地元に戻って来た年。ことさら感慨深いものがある。この頃はあまり女子アナにも興味が無かったが、FTVでは青木久美子アナウンサーと住友真昌世アナ、荒井律アナが好きだった。今は鈴木康一郎アナ、藺草英己アナ、岸野文絵アナがメインMCを担当している。

     ② あいうえお天気目玉焼きLサイズ番宣(KFB)

     今は県外(東京都世田谷区)に暮らすKFBの羽藤淳子アナウンサーがMCを務めていた土曜日、早朝の情報番組。大好きで毎週見ていた。その手腕を買われて、その後ふくしまJチャンネルの司会に抜擢されたのだった。寺尾アナも若い。

     羽藤淳子アナのブログはコチラ http://ameblo.jp/141junpe/

             Facebookはコチラ https://ja-jp.facebook.com/junko.hatou

     彼女のSLリポート映像はコチラ

     平成2年に放送された映像です。羽藤淳子さんが美しい!

     ③ いきなりのっTV 番宣(FCT)

     FCTの夕方の情報系番組は現在は「ゴジてれchu !」だが、その前は「ゴジてれシャトル」だった。この「のっTV」は週末に放送していた。今思えば、セットは昔の11PM風で安上がり。あまり制作費に金をかけていないのが見え見え。

     2 花春酒造CM集

     「会津の良さは酒の良さ」というキャッチフレーズが長らく使われた。1983年から1999年までの17年間の変遷を集めたCMだ。キャンペーンで花の種や酒造組合が「地酒まつり」と称して現金1万円プレゼントを実施した時もあった。実に懐かしい。

     3 "福島・懐かし映像"(1990年)「はたらくひとたち」

     1990年12月?に放送されたNHK教育「はたらくひとたち」です。
    冒頭には「できるかな」のエンデイングもおまけに収録しています。

     4 はまつグループCM集(1996年)

     品のある年配夫婦の「私たちは何の記念日だったかしら?」は非常に懐かしい。ホテルハマツが昔、ザベリオ学園だったとは、一体何人の人が覚えているだろうか。

     5 テレビ局のOP、クロージング映像

     KFB(福島放送)

     クロージング https://www.youtube.com/watch?v=HmQ01liAtfY

     FCT(福島中央テレビ)

     FTV(福島テレビ)

    OP https://www.youtube.com/watch?v=inxrrydPeR8

    OP https://www.youtube.com/watch?v=FTErhE48duc

    END https://www.youtube.com/watch?v=FH5oOuVIp-Q

     TUF(テレビユー福島) 

    OP https://www.youtube.com/watch?v=rMF9-urv2p4

    END https://www.youtube.com/watch?v=itj8agDeYfA

     さて、懐かしんでいただけたでしょうか?特に福島県を離れ、他県や都会で仕事を頑張っている方々にご覧いただき、故郷を懐かしく思い出して欲しい一心で今回のテーマを設定しました。これらの動画サイトの映像は私がアップしたものは一つもなく、私と志を同じくしている方々があってこその企画記事です。この場をお借りしてお礼申し上げます。

     記事作成:8月15日(月)

    人生の重みを感じる歌

    $
    0
    0

     これまで何百万もの歌が世に出た。恋愛沙汰をテーマにした楽曲やメッセージソングは流行り歌として数あれど、人生を実感できる重みのある曲は少ない。歌謡界は1970年代がその時代や世相を反映して最もメッセージ性が色濃かったように思う。それは反戦だったり、平和を訴えるものであったり、若者の葛藤やげ学歴社会への反発であったり、若者が自由に思想や己のイデオロギーを主張をしていた時代だ。そこには確固たる意見があり、それを歌にして訴えた。フォーク集会などもそうだったし、団結した学生運動もそうだった。そんな時代にあって、私が聴くと人生の重みを実感する名曲を取り上げたいと思う。

     1 一人の道 by 茶木みやこ

     52年前に開催された「東京オリンピック」の男子マラソン競技で銅メダルを獲得した福島県須賀川出身の円谷幸吉選手。一躍英雄になったが、その後、度重なる故障に苦しみ、そして過度の期待と重圧に押しつぶされ、自ら命を絶った悲運のランナー。その円谷幸吉さんを偲んで歌った曲。彼が家族に宛てた直筆の遺書を実際に彼の記念館で目の当たりにし、涙が出た。その彼の栄光と挫折を歌詞に託している。
     茶木みやこの歌で「泪橋」というのがあるが、これもこれも重い歌だ。

     遺書はこちら https://www.youtube.com/watch?v=TYWruGl8CoU

     

     2 イムジン河 by フォーク・クルセイダーズ

     「イムジン河」は、朝鮮民主 主義人民共和国のプロパガンダ楽曲。作曲は高宗漢、作詞は 朴世永。1957年7月発表。 日本語の歌詞がついたものとしては、ザ・フォーク・クルセダーズによって歌われた松山猛による日本語詞 (1968年)。
     臨津江(リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。

     この曲を巡っては、発売元の東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詞と完全な一致はしない物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある。いずれにしても政治的圧力が働いたことは間違いない。

     3 竹田の子守歌

     竹田の子守唄(たけだのこもりうた)とは、現在の京都府の被差別部落に伝えられた 民謡、およびそれを基にしたポピュラー音楽の歌曲である。日本のフォーク、ロック歌手 達によって数多く演奏されている。
      他のフォーク歌手が歌うのを聴き、赤い鳥も歌うようになった。最初は、この曲の由来や意味も理解していなかったが、ヒット後に背景を調べ自分達のものにしていった。1971年2月5日にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別部落絡みの楽曲であったために日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」(封印作品)として長い間封印されることになったが、1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。

     4 償い by さだまさし

    https://www.youtube.com/watch?v=MzNeMZqNwL4

     たった一度の過ちが取り返しがつかない悲劇を生むことを切々と歌い上げた名曲。命の重みや反省、後悔を詩に散りばめてあり、人生の重みを実感できる。

     34年前のこの歌を有名にしたエピソードは、東京地方裁判所の山室惠裁判官が、判決文よみあげた後、「さだまさしの償いの歌詞だけでもよみなさい」と被告をさとしたことから有名になった。判決翌日、被告の少年、少年の叔母が拘置中の東京拘置所あてに投かんしていた「償い」の歌詞を書き写した手紙を読んだ。
    接見した母親が「人に許しを請うのは簡単な事ではない」と言うと、「そうだね」と答えたという。
     判決文よむと、被告になった人もかわいそうだね。
    酔っ払った被害者に しつこく絡まれて、事件になったんだけど過剰防衛(正当防衛)認められなかった。

     5 手紙 by 岡林信康

     「友よ」や「私たちが望むものは」の代表作で知られる日本のフォークの神様と呼ばれた岡林信康の「手紙」。この曲も部落差別をテーマにしており、被差別部落出身のいうことで結婚できなかった女性が自殺をして、その遺書をもとに作られたからという理由で放送禁止になった。

     さて、こうした曲を聴くと、軽い気持ちで音楽を楽しめなくなる。命の重みや民族の対立、解決困難な溝、政治的な紛争など、背景にあるものが大きすぎて計り知れない。人生とは何か、愛とは何か、生と死とは・・・という人間の心理や人生の真理にも迫る意義深さを噛みしめる。のほほんとした気持ちで毎日を生活できなくなりそうだ。しかし、時々こういう重みのある歌に触れることで、自分の人生を振り返り、これから自分が何をすべきか、果たすべき役割を考え直す、あるいは自分を見つめなおす契機となる。残り少ない時間をどう過ごすか、そして人生のエピローグをどう迎えるのか、真摯に向き合い考えていきたいと思う。終戦の日にあたり、こういう気持ちをここに記しておきたい。

     記事作成:8月15日(月)

    Viewing all 1757 articles
    Browse latest View live