この記事は、決して特定の芸能人を非難したり、批判したりするものではない。芸能界という独特な世界で、運良く成功し、テレビやドドラマ、CM、映画に引っ張りだこだった人気芸能人やタレントだったにもかかわらず、事務所移籍や独立に絡む問題や契約不履行問題などで、一時期出演を見合わせたり、引退に追い込まれた方々も決して少なくは無い。一般人から見ると、ファンの存在を無視したこうした内輪もめで業界から去る行為は、実にもったいなく、特に人気絶頂期に干されたりするのは、残念で忸怩たるものがこみ上げるし、慙愧に堪えないものがある。
今回は過去の事例として、このような本人、ファンともに災難に遭った残念至極なケースを取り上げたい。
1.森進一
かつては超大物ばかりが所属していた渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)に、デビュー当時から14年間所属していたが、1979年に独立。自身の「森音楽事務所」を設立した。やはり、契約問題からの亀裂で、所得配分に差があった。
2.小林幸子
私自身は、彼女は「おもいで酒」は確かに大ヒットしたが、この一曲しか恵まれない印象。どちらかといえば、紅白のド派手衣裳合戦で生き残った感が強い。なのに、NHKを始め、多くの歌謡番組に出演し、「大御所」と呼ばれるまで上り詰めたのは人脈としかいいようがない。
1987年に所属していた「第一プロダクション」から違約金2億円を払ってまでして独立した。その後、「幸子プロモーション」を設立して独立を果たしたが、2012年には、長年のビジネスパートナーだった女性社長と専務を強制解雇に踏み切った。プライドの高いA型の小林幸子は、社長とウマが合わず、口論が原因でクビを切った形。
3.小柳ルミ子
1970年代に、清楚にして純情少女のイメージで一世を風靡した。「瀬戸の花嫁」が大ヒットし、「星の砂」では妖艶な魅力を醸し、世の男性を虜にした。その後、私生活でも年下のダンサーの男性との結婚・離婚などでイメージダウン。めっきり出演番組が減った。
彼女は最大手芸能事務所の「渡辺プロ」所属だったが、音楽に対する方向性の相違から軋轢が生じた。元からポップス系やミュージカルを志向していた小柳ルミ子だった、事務所の方針と意見の食い違いや対立があった。待遇面でも不満が生じ、独立問題に発展。強権的だったナベプロから仕事を干され、その後、出番が無くなった。
4.鈴木あみ(現在は亜美)
所属事務所でマネジメント契約を結んだエージーコミュニケーションおよび専属契約を結んだミュージックトライブに対して「契約終了の確認」とレコード会社や広告代理店などから事務所に支払われた大もとの「契約出演料明細の交付」を求め、鈴木本人と親権者である両親が東京地裁に民事訴訟を提起した。(Wikipediaより)
当時彼女は「浜崎あゆみ」と並び、10代の若手歌姫として人気絶頂だった。それをこの一件を発端に干され、一切の芸能活動を停止された。10年以上ものブランクによって、ファンも去り、芸名を漢字にして再出発したが、もう歌手としての役目は終わってしまっていた。
5.坂本一生・加勢大周
1991年に加勢が実母を社長に据えて個人事務所を設立し前事務所(インターフェイスプロジェクト)からの独立を画策した際に、前事務所が芸名の使用の停止を求めて裁判所に提訴し揉めた。新加勢大周(坂本一生)問題が連日ワイドショーの賑わせた。
この二人は、もう日本での芸能活動はしていない状況だ。やはり不祥事トラブルは人気低下を招くし、テレビ局側も起用したがらない傾向が強い。
6.GLAY
1990年代後半から2000年代にかけて、「レコード大賞」を受賞するほど時代の寵児となり、人気バンドだった彼らが、その後、表舞台から姿を消し、疑念を抱いたファンも多かったことだろう。もともと「アンリミテッド」という音楽事務所に所属していたが、ドームツアーの売り上げやチケットの収入などを持ち逃げされたことなどから鬱積が爆発。その後、事務所を独立し、「loversoul music &associates」に移籍するが、このイメージダウンが大きく、表向きの活動が減った。
7.安室奈美恵
所属していた「ライジングプロダクション」と揉めた。当初は弁護士を立てて事務所と対決するなど意気盛んだったが、関係者からのリークと思われるバッシング記事が相次いで飛び出し、瞬く間に形成は逆転。「Dimension Point」に移籍。
彼女は運命に翻弄されているシンガーと言える。沖縄の歌姫が、10代で華やかにデビューし、「アムラー」と呼ばれる一大ブームを巻き起こしたが、私生活では母親が殺害された事件や、結婚・離婚でシングルマザーとして歌手活動を継続していたが、この事務所トラブルに遭ったり、浮き沈みが激しい芸能人生を送っている。同じ境遇を辿った同じO型の美空ひばりと通じるものがある。
8.水嶋ヒロ・綾香
2009年に事務所に無断で歌手の絢香(25)と入籍したことからトラブルに発展。翌年に絢香と夫婦そろって研音を離脱し、個人事務所を立ちあげた。これに研音側が激怒し、水嶋は芸能界を干される形となり、同年公開の映画『BECK』を最後に芸能活動は休業状態に。夫・水嶋ヒロが所属していた「研音」を退社したことをきっかけに、絢香も2009年末をもって同社を退社していたことが明らかとなった。絢香は自身の楽曲管理会社「A stAtion」を設立した。またワーナーミュージック・ジャパンとの契約が2010年3月に終了したことも判明。(Wikipediaより)
9.SMAP
2016年1月に降って湧いたような解散問題。原因は長年SMAPを育ての親としてサポートしてきたベテランマネージャーをジャニーズ事務所が解雇したことによる。母親のように慕っていたメンバーの中居・香取・草なぎ(共にA型)が同調し、事務所移籍を画策。これがメリー喜多川副社長の怒りを買い、一気に解散騒動に発展。仲裁に入ったのは事務所に育てられたという恩を感じていた木村拓哉だった。メンバーが事務所側に謝罪し、解散は免れた。日本だけでなく世界中にファンを持つSMAPの一連の騒動はこうして事態が収拾されたが、SMAPのこれまでの特権は剥奪され、事務所内では新人アイドル並みの扱いというペナルティーを科せられた。
10.能年玲奈
NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で一躍大ブレイクした能年玲奈の“独立騒動”はドロ沼化の一途をたどっている。「所属事務所に無断で個人事務所を設立したことで、大きなもめ事に発展している。最近「のんちゃん」と改名して芸能活動を継続すると発表があったが、今まで以上の事務所のサポートやマネジメントを得られるとは考えにくく、芸能活動も一定の制約を受けるのは免れない。
他にも、西嶋秀俊(渡辺プロダクション)、水野美紀(バーニング)、野久保直樹(ワタナベエンターテイメント)、沢尻エリカ(スターダストプロモーション)、田原俊彦(ジャニーズ事務所)、さとう珠緒(プチスマイル)、眞鍋かをり(アヴィラ)、小倉優子(アビィラ)、爆笑問題(太田プロダクション)、沢田研二、浅香唯、若槻千夏なども所属事務所とトラブルによって移籍や独立を強いられ、一時期芸能活動を制約された。
こうしてみると、最近あまり出演しなくなったと疑問を抱くタレントは、もしかするとこうした内輪もめのトラブルによって干されたり、出演できなくなったことが原因かもしれない。噂が噂を呼ぶのがこの世界の特徴で、根も葉もないことだったり、逆に火のないところに煙は立たないという部分も無きにしも非ずだが、せっかく出演チャンスを掴み、芸能界で華々しい活躍があっても、このような不祥事で姿を消すのは残念としか言いようが無い。そこにファンの存在はないし、手前勝手な事由によってファンの感情を逆なでするのはいたたまれない。
記事作成:7月17日(日)