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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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70年代フォークをあなたに

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 1970年代後半に突如沸き起こった「ニューミュージックブーム」よりも時を遡ること数年前、世の中は長髪にジーンズ素材のパンタロンやベルボトムスタイルが流行り、それに呼応して学生運動が盛んに行われて、カレッジフォーク集会やら新宿駅西口地下広場でのゲリラライブが開催され、学生同士の強固な団結力がその時代の象徴だった。安保闘争、安田講堂事件、ベトナム戦争反戦、成田空港管制塔占拠など学生の過激なまでの運動やデモは、その時代の圧政や風潮に強く反発するものだったし、自由と限りないイデオロギーを追求した。そして個々の学生がポリシーや主義を抱き、それらを正々堂々と主張した時代であった。
 一方では、高度経済成長期にあって、「負の遺産」とも言うべき公害問題が全国で問題になった。勢いと陰の部分が同居する複雑な世相を反映した歌が、その時代の象徴として彩っていた。

 さて、今日のテーマは、そうした時代の中で、人知れず流行った70年代フォークを取り上げることとしたい。輝かしい邦楽のミュージックシーンの変遷において、ともすれば埋没しそうな知名度が低い名曲ということになるが、特に50代以上の先輩諸氏にこれらを捧げたい。どことなく光と影が交錯し、寂寥感漂う悲しみの描写が多い楽曲が多いのは玉に瑕だが、ぜひともご自分の青春時代と照らし合わせながら、その時分に何気なく口ずさんだ曲を懐かしんでいただけたら幸いです。

 1 20歳のめぐりあい by シグナル

 1975.9.21に発売された名曲。シグナルのデビュー曲。

 2 白いページの中に by 柴田まゆみ

 当時、人気のあったラジオ番組「コッキーポップ」でも、テーマ曲(1978年7月~9月)として使用されるなど、順調なデビューを飾った柴田まゆみでしたが、その後、新曲がリリースされることがなく、たった1枚のシングルを残して引退。独特の雰囲気をもつジャケット、当時のニューミュージックと一線を画したようなサウンドがとても印象的だった。サビが車のCMのテーマソングとして使われた。美しい曲調だと思う。

 3 真夜中のギター by 千賀かほる

 1969年8月10日発売。第11回日本レコード大賞新人賞受賞曲。オリコン4位に入る大ヒットとなった。

 4 あなたの心に by 中山千夏

 1969年9月にビクターレコードより 発表されたポップス「あなたの心に」(自作詞 / 作曲:都倉俊一)。当年度レコード大賞 新人賞にノミネートされるほどのヒット(オリコン2位)となった。

 5 恋人もいないのに by シモンズ

  ふりむかないで https://www.youtube.com/watch?v=ctIWv-1gOxo

  チェルシーの唄 https://www.youtube.com/watch?v=9s5rdne0ILM

 田中ユミ、玉井タエの女性デュオである。ともに大阪府出身で、いわゆる関西フォーク系に属する。甲高い歌声で美しいハーモニーを奏でるデュオだった。恋人もいないのには彼女たちのデビュー曲で、1971.08.05にリリースされた。

 以下は曲の説明を割愛し、埋め込み映像のみとさせていただきます。

 6 愛のスカイライン by ケンとメリー

 1972年の楽曲。このCMは一大ブームを巻き起こし、ロケ地となった北海道には観光客が多数押し寄せた。

 7 池上線 by 西島三重子

 1976年4月25日 発売された、セカンド・シングル『池上線』が極めて息の長いヒットとなり、自身の代表曲と なった。

 8 ごめんね by 谷山浩子

 1981年3月21日発売

 他にも「丸山圭子」(どうぞこのまま)、「やまがたすみこ」(風に吹かれていこう)らがいた。

 この頃はGSブームがひと段落し、新しい音楽を時代が要求していた端境期で、GSの名残を継いでそれをフォークにアレンジしたようなメッセージ性の強い楽曲を多く生み出した。ソロでメジャーだったは、吉田拓郎や井上陽水、小室等、南らんぼう、かまやつひろし、小椋圭、泉谷しげる、因幡晃、大塚博堂などがその当時のミュージックシーンをリードしたパイオニアだった。

 グループユニットでは、「バンバン」、「ふきのとう」、「NSP」、「古井戸」、「六文銭」、「ガロ」、「赤い鳥」、「ペドロ&カブリシャス」、「ダ・カーポ」、「トワエ・モア」、「チェリッシュ」、「ベッツィ&クリス」、「シモンズ」、「クラフト」などが次々登場し、華やかさを添えた。

 参考記事

駅構内のフォーク集会(ゲリラライブ)

http://www.geocities.jp/sunak_film/guerrilla.html

 記事作成:6月24日(火)

 


CMの彼女⑯

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 俳優や女優は仕事を選べないようで、若い女性があまり出演したくないCMがこの「痔」のものかも。女性用の下着や生理用品なども、あまり男性としては目に触れないものだが、最近はオシャレな使いやすいグッズをCMで大々的にPRしている。そんな中、「ボラギノール」がある意味革命的に「痔」の特効薬としてTVCMに登場して久しい。しかも若手女性タレントを起用し、痔は決して蓋をしなければならない恥ずかしい病気ではなく、特に便秘に悩む女性も多くいることから、できるだけ明るい作品に仕上げる傾向になって来た。そこで、今回は、このCMに起用された可愛い女子タレントを取り上げたい。

 「福吉真璃奈」のプロフィール

Fukuyoshi2Fukuyoshi1

生年月日:1995.09.08(現在19歳)
出身地:兵庫県
血液型:AB 型 星座:おとめ座
身長:169cm
所属:ティートライブ・エンターテインメント

  公式プロフィールはコチラ

 http://t-tribe.co.jp/actress/fukuyoshi.html

  では、私が気に入っているCM作品をどうぞ

 女子大生役だが、いかにも女子大生にいそうな雰囲気をうまく出している。艶やかなロングの黒髪は私好み。 

 「痔」の薬と言えば、私のような世代だと「ヒサヤ大黒堂」を思い浮かべる。新聞の広告によくお馴染みの会長さんが、お悩み相談のような図柄で、アドバイスしている写真入りのもので、決め台詞が「誰にも知られぬようにこっそりお送りします」という文言までついていた。これが「痔」のイメージを悪くしていた感がありあり。それをこの武田薬品のTVCMが打破したと言って良い。

  記事作成:6月22日(日)

通販業界に見る販売戦略

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 金儲けのヒントはどこにも転がっていて、日常の何気ない生活から便利グッズを開発してひと山当てた方もいるし、インスタント麺のアイディアを提供したとされる大阪の主婦は、毎年のように特許税が入り億万長者になったと聞く。また、青色発光ダイオードを研究開発した一流メーカーの技術者だった男性は、その特許権を巡って裁判で勝利し、こちらも巨額の富を得た後、その大企業を辞めて自らが会社を設立して新たに起業することとなった。かといえば、ドクター中松氏のように、発明してもなかなか商品化に至らず、あるいはヒットに結びつかないご苦労の絶えない方もいる。だから世の中は面白いのかもしれない。
 では通販に見る戦略として「ジャパネットたかた」を例に、いくつかの視点で話をしてみたい。発想次第で一攫千金も夢ではない。大阪の商人風に言えば「儲けのヒント」になれば幸いだ。

 1 客のニーズに応じた季節限定商品を販売

 かつては、通販の王道商品といえば、家庭用ルームランナーとリクライニング式のマッサージ器だった。もちろんそれらは、高価ながら絶大な人気を誇ったロングセラー商品であり、健康志向の高い日本人ならではの売れ筋商品だと言える。
 時代は移り、今、同社のベストセラー商品になっているものに「レイコップ」というダニ取り専用クリーナーがある。画期的なその製品は、今爆発的な人気で、生産が追いつかず在庫切れの状況が続いているらしい。どうしてこんなに売れるのか。それは主婦にとってとても助かるグッドアイディア製品だからだ。特に、梅雨時は重宝する。現代のライフスタイルを考えた場合、少子化で夫婦共働きが当たり前のご時世だ。日中は仕事に出るために自宅を空けることが多い。したがって布団を週末くらいしか干せない。梅雨の時は、曇天や雨天が多くなり、なかなか布団をベランダや庭に干せない。じめじめした湿気がこもり、カビやダニが発生しや環境下に置かれる。そんな時に、帰宅後にコンセントに繋いで電源を入れればすぐに使える「レイコップ」は、家庭の心強い味方だ。布団の上からクリーナーを上下左右にスライドさせるだけで紫外線で除菌クリーニング完了。ハウスダストやアトピー皮膚炎、気管支炎などを未然に防いでくれる。これはありがたい。

 また、少し前までなら、一般的な家庭の主婦は掃除や洗濯などの家事全般を午前中にのうちに片付けて、昼過ぎのメロドラマや韓流ドラマ、あるいは情報バラエティ番組を見て過ごす方が多かった。午後3時を過ぎると夕飯の買出しに出かけ、メニューを思案し、保育園や幼稚園に子供を迎えに行き、夕食の支度に取り掛かる。それが毎日続くのだから、息のつく間もないほど忙しい。ところが今は、社会保障制度や育児支援制度が充実し、奥様たちは、結婚後も出産後も引き続き仕事を継続し、あるいはパートなどでも限られた時間で生活の経済的支援を行っている。こうした多忙を極める日常でストレスを抱える主婦も多い中、家事や育児を軽減してくれるグッズほどあり難いものはない。

 それに目をつけた(聞こえは悪いが)製品を開発すれば、ヒット商品につながる可能性はより高まる。そういえば思い当たる節がある。かつてそのようなコンセプトで大ヒットした商品があった。24時間いつでも入れてお湯の入れ替え不要の循環風呂(湯名人)がそれで、家事の中でも重労働だった風呂洗いの手間を省いてくれた。これが当たると、各メーカーは、こぞって類似製品を開発して販売したが、その後、サルモネラ菌が繁殖で肺炎や皮膚炎が蔓延し、ブームはたちどころに去ったのは言うまでもない。

 ところで、ベストセラー商品として、部屋の隅々を全自動で勝手に動き回り、フロアの清掃をしてくれる「お掃除ロボット」があった。こちらも複数のメーカーで製造しているが、その草分けが「ルンバ」という「iRobot社」製の製品で、可愛いらしい円形のデザインが功を奏して独身女性や主婦に大いにウケた。

 更には、ペットが飼えないマンションなどでは、癒し効果を与えてくれる犬型ロボット「アイボ」が流行した時代もあった。ハウスダストを除去する「空気清浄機」や肩こり解消の「低周波治療器」が売れに売れた時期もあった。また長年ベストセラーを続けているのが数々の調理器具だ。野菜ジュースが簡単に作れるマシーン「マジックブレット」や何でもすぱすぱ切れるダイヤモンドシャープナー(包丁鋭ぎ器)、そしてどんな野菜でも簡単にスライスしたり、どんな切り方でも自由自在に行える「スピードスライサー」。これも包丁扱いが苦手な主婦には大助かり。そして取っ手を付け替えるだけで焦げ付かないマルチフライパン(中央に赤い丸印が描かれたおなじみの品)や熱効率の良い一枚で5役の5層鍋もバカ売れ。こちらもまた何枚も鍋をそろえる必要がない分、キッチンスペースを有効活用できる優れもの。

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 また主婦をターゲットにすれば、美容や健康グッズもヒットする可能性が高まる。運動しなくても、腰に巻き、バイブレーターの働きで腹筋を引き締めウェストを細くする効果のある「スレンダートーンエボリューション」(腹筋ベルト)なども家事をやりながら効果があることでヒットに結びついた。もちろん日ごろ運動不足気味のサラリーマンにも爆発的に売れた。やはり売れるキーワードは時短(時間短縮)と節約(エコ)らしい。加えて手軽でより効果的な成果が望めるグッズに人気が集まるようだ。

 この通販番組がウケるもうひとつの理由は、数日間無料で使用でき、気に入らなかったら返品可能というお試し期間が設定されている点。買う意思がさほどなくても、試用してみて、もし効果が絶大だと確認でき、期待がもてるようであれば、そのままお買い上げに結びつく。知らず知らずに期間が過ぎていて、半強制的に購入させられる場合もあるし、返品時の手数料は客負担になることで、煩わしくて面倒くさいので返品せず、そのまま購入と思う人もいるかもしれない。これも戦略のひとつだ。

 さらに通販の販売戦略として、売ったらそれで終わりではない。アフターサポートもしっかりしている。客が購入し、実際に使った後の感想や改善点をアンケートし、逐一改良し、再販売するという顧客密着型のサービスを行っていることで、信用を得られ、その後のリターン客の取り込みにも繋がる。

 デジカメやビデオカメラ(everioが多い)、パソコン(NECとダイナブックが多い)などのIT関連は、モデルチェンジごとに年々機能がアップする。ジャパネットでは古い洗濯機や掃除機を下取りしてくれることで、買い替えの決断にも弾みがつく。

 そして、ジャパネットの戦略で優れているのは、分割で買っても金利手数料はジャパネット負担。つまり、一括で買っても分割でかっても支払い総額は一緒。会社側からしてみれば、売り掛けを作ることになる。消費者としてみれば、月々いくらまでなら生活に支障は出ないという判断で、決断力は高まる。さらに複数のカード会社と提携し、支払いも口座からとなる。つまり手持ちの財布から現金が出て行かないため、喪失感や出し惜しみ感が軽減される点も実は大きい。主婦は特に、財布の紐を握って日々、家計のやりくりをしているため、倹約や節約には相当気を配っている。ここを切り崩す戦略が重要なのだ。

 2 TV通販番組放送の時間帯

 どの商品が生活に直結し、便利で役立つかが通販業者の成功の鍵で、文字通り「時間の節約」となるグッズを開発することが重要なキーワードとなる。しかも同社が優れているのが、主婦がテレビを観ている時間が多い昼下がりの時間帯に通販番組を生放送で行っていることだ。自社スタジオを持つ同社は、一番放送権料が安い時間帯を狙って、あえてBS放送チャンネルで放送するからコストも大幅に抑えられ、その分、価格に反映できる。

 さらに戦略のひとつとして、期間限定、台数(本数)限定で販売していることだ。これが購買意欲を掻き立てる。人間、限定品にありつけたときの喜びは倍加する。希少な製品をゲット出来た時のうれしさは半端ない。多少高額でも買ってよかったと満足感も増すのだ。そこに目をつけ、本当は在庫があるのに限定品と謳って販売しているのかもしれない。

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 3 折り込み広告

 店舗型の家電量販店やデパートなどは週末近くになると広告が入るが、通販はあえて月曜日や火曜日に出す。火曜日は百貨店の休業日になっているケースが多く、買い物にいけない主婦層にはカタログショッピング感覚でフリーダイヤルの電話やメール、インターネットなど様々な媒体でお気に入りの商品が容易に選べて購入できる通販は、買い物には有利。しかも平日の昼間の空き時間にウィンドーショッピングにも似た雰囲気で各通販サイトをネットサーフィンしてめぼしい商品を品定めできる。商品も複数の画像や映像で確認できるものもあるので、現物を直視しなくても、おおよその見当はつく。
 週末は大概、数多くの折込が入るので、目移りしてしまい、なかなか判断できず、購入を先延ばしにするケースが多くなる。そしてウィークデーに発注すれば、週末に商品到着。家族が揃っている前で購入商品のお披露目ができる。わざわざ高いガソリン代や交通費を払ってお店に出向き、あれやこれやと各フロアを疲れるまではしごしたり、たくさんある製品を見比べ、価格を相談し、支払いを行うなどしなければならない手間は相当な負担で、通販は、そこまでせずとも時間と無駄な出費を抑えられ節約になるという寸法だ。しかも支払いは現金不要のカード決済だ。出不精の方にはもってこいだし、週末は家族サービスにも専念できる。これは楽出だ、便利で重宝すること請け合いだ。

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 4 顔の見える販売体制システム

 「ジャパネットたかた」が凄いのは、高田社長じきじきに通販番組に登場し、商品を自らが説明する点だ。自社製品を社長自身がPRすることは大きなメリットがある。最高責任者が登場し、その商品をきちんと説明できるということは、隅々まで熟知していることになり、責任感が増す。販売への強い意欲と信念という点で猛烈なアピールとなる。この高田社長、若く見えるが実は60歳を優に超えている。しかし滑舌がよく、物真似までされるほどのトレードマークの甲高い声とユニークな話し方も、まるで実演販売に似たスタイルの通販番組には好都合。購買意欲をくすぐる話術にも実に長けている。しかも細身でイケメンなので、主婦層に絶大な人気がある。無論社長としての求心力は半端ないし、商品説明も力説する分、説得力がある。

 また、他の社員も大勢テレビ出演し、アットホームで明るい社風をPRしている。社長自身が強烈な個性を発揮し、番組のPR用にアニメキャラで登場し、オリジナルソングまで制作し、その中で「申し込み電話番号」を覚えやすい語呂合わせとフレーズで流すという熱の入れよう。

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 極めつけは、イメージアップのために社員総出で「恋するフォーチュンクッキー」のPVを制作し、出演している点も大いに評価できる。これにより、明るい社風と、とかく通販業界ではありがちな見えづらい部分が取り払われ、不透明性が薄れ、信頼度が増し、実に見通しの良い販売形態が敷かれたことが奏功している。リレーションも良い印象を受ける。消費者は商品を画面を通してじかに見れ、性能や機能などを目で見て確認できることから有益性を実感する。まがい物は一切なく、信用できるまともな製品であることを認識し、安心感や信頼度がアップする。見よこの和気藹々で楽しげな職場環境!さすが九州に本拠を構える会社だけのことはある。

 「恋するフォーチュンクッキー ジャパネットたかた編」

 5 メーカーとタイアップしたオリジナル商品

 ここでしか買えないオリジナルの製品をメーカーと共同開発している。ケルヒャーの高圧洗浄機やスチームクリーナーでは、7~9種類ものノズルやブラシをセットで提供。価格も据え置き。これは買い得感やお値打ち感がぐっと増す。また。よく見かけるものに、通常よりも蔵書数や使えるアプリを増量した電子辞書、PCとセットでデジカメやメディアカード、さらにはプリンターがついたり、ビデオカメラにはセットでDISCにコピーできるブルーレイやDVDライターなるユニット、さらには三脚までついてくる。その分、価格を下げてほしいと思えるようなおまけまであるが、一緒に買おうと思っていた方にはかなり割安。最近はタブレットもついてくるケースもあるし、ネットと契約すれば100円でPCが買えたりする製品まで登場。いやがおうにも購買意欲をそそられる。また、ジャパネットならではのユニークな商品も期間限定で登場したりする。リビングでテレビを観ながら腹筋を鍛えられる座椅子「腹筋くんDX」とか暑い夏に快適な睡眠を約束するひんやりシート「ドライミングパッド」もまた売れ線らしい。

 公式ホームページはコチラ → http://www.japanet.co.jp/shopping/

 以上、駆け足で「ジャパネットたかた」の販売戦略の一例を見てみた。では今後はどういう商品販売を心がければいいのだろうか。それはズバリ、高齢者を意識した製品開発と生活により密着した関連便利グッズの販売にあると思う。つまり、これからますます後期高齢者が増加するご時勢で、顧客ターゲットはもはや主婦層だけでなく、高齢者向けの医療機器や健康グッズ、さらには環境に優しい商品がもてはやされるようになる筈だ。これだけ70歳代以上の方が増えている現状を鑑みれば、老後を支える生活関連グッズは売れ筋商品の最上位にランクされてしかるべきだ。各通販会社はこのことも念頭において、販売商品の枠を広げていただけたら有難い。また、これだけ充実した販売網(ネットワーク)が確立している同社には、ぜひ海外進出をお願いしたい、九州に本社を置く同社なら。まずは親日家が多い台湾やタイ、ベトナムやフィリピン、さらにはシンガポールやインドという具合で販売戦略を拡張してほしい。そこには関税面や低価格の商品提供などクリアしなければならない障害は山積しているが、同社なら十分対応可能。元から日本製品は世界屈指のトップブランドで、家電は故障知らず性能はぴか一であることはお墨付きである。ただし、韓国と中国は外してもらいたい。両国は70年も前の戦争での遺恨がいまだにくすぶり、ビジネスパートナーとしては協力関係が得られない。何かと日本を敵視した対応や政策を押し通す。ことあるごとに、日本政府や日本製品を非難し、不買運動やボイコットなどありとあらゆる工作を断行し、悪者に仕立て上げようと画策するに違いない。このような国家とは絶縁し、取引関係も反故にすべきだ。もしジャパネットの関係者が当ブログのこの記事をお読みいただけているなら、ぜひ英断をお願いしたい。

 記事作成:7月8日(火)

 追記

 このような記事を書いた後で、7月12日に「ジャパネットたかた」の高田明社長(65歳)が来年1月で社長を退任することが明らかになった。後任は長男で現在副社長の旭人氏(35歳)。なんと東京大学卒。
 私が記事を書くと、なぜかそれが決まって注目を浴びるというジンクスは健在。不思議な力(神の手?)が働いている気がしてならない。

芸能人の意外な年齢(2014年版)

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 4年前の7月に同タイトル名の記事を書いたことがある。あれから4年が経過し、有名人(芸能人・スポーツアスリート・文化人など)たちも、寄る年波には抗うことは出来ず、多くの方々が惜しまれつつこの世を去った。前回の記事から4年の歳月が経過し、確実に年齢を積み重ねていることもあって、改定版の執筆が急務となったため、ここで一部修正の上で再掲載したい。もちろん亡くなられた方は削除し、新たに登場した方は追加したい。なお、枠を広げすぎると、収拾がつかなくなるので、20歳以上に限定してお送りします。
 また、年齢は2014年末時点で掲載します。

 1931年(昭和 6年)生まれ・・・今年83歳  

 八千草薫・高倉健・穂積隆信・大村昆

 1932年(昭和 7年)生まれ・・・今年82歳  

 寿美花代・野村沙知代・露口茂・三谷昇・岸恵子・田中邦衛・仲代達矢

  1933年(昭和 8年)生まれ・・・今年81歳  

 渡辺貞夫・高木ブー・永六輔・菅原文太・平幹二朗・宍戸錠  

 1934年(昭和 9年)生まれ・・・今年80歳  

 財津一郎・ケーシー高峰・大橋巨泉・田原総一朗・宝田明・白木みのる・中村メイコ・愛川欣也・天田俊明・藤村俊二・芳村真理  

 1935年(昭和10年)生まれ・・・今年79歳  

 倉本聰・浜村淳・小山明子・高田敏江・野村克也・吉行和子・八名信夫・芦川いづみ・美輪明宏

 1936年(昭和11年)生まれ・・・今年78歳  

 立川談志・市原悦子・野際陽子・長嶋茂雄・夏木陽介・毒蝮三太夫・桂歌丸・井川比佐志・里見浩太朗・山崎努 ・白川由美  

 1937年(昭和12年)生まれ・・・今年77歳  

 水野久美・山本學・柳生博・加山雄三・左とん平・伊東四朗・浅井慎平・養老孟司・平尾昌晃・コシノヒロコ  

 1938年(昭和13年)生まれ・・・今年76歳  

 鈴木史朗・中島誠之助・梅宮辰夫・久里千春・小林旭

  1939年(昭和14年)生まれ・・・今年75歳  

 かまやつひろし・千葉真一・佐久間良子・水島新司・なべおさみ・中村玉緒・森本毅郎・内田裕也・小川眞由美・若林豪

 1940年(昭和15年)生まれ・・・今年74歳  

 津川雅彦・中村敦夫・上條恒彦・鳥越俊太郎・板東英二・王貞治・張本勲・アントンウィッキー・井上真樹夫・篠山紀信・竜雷太  

 1941年(昭和16年)生まれ・・・今年73歳  

 岩下志麻・高橋元太郎・徳光和夫・萩本欽一・石坂浩二・長山藍子・倍賞千恵子・仲本工事・石橋蓮司・藤竜也・橋爪功・三田佳子・渡哲也 

  1942年(昭和17年)生まれ・・・今年72歳  

 小松政夫・福留功男・近藤正臣・山本陽子・上岡龍太郎・北野大・松方弘樹・中尾彬・松本幸四郎・青木功・江波杏子・十朱幸代 

  1943年(昭和18年)生まれ・・・今年71歳  

 樹木希林・小林稔侍・森本レオ・アントニオ猪木・加藤茶・林家こん平・橋幸夫・結城美栄子・桂文枝・田村正和・横光克彦・尾藤イサオ・車だん吉・星由里子・加賀まりこ・加藤登紀子・小野寺昭・関口宏

 1944年(昭和19年)生まれ・・・今年70歳  

 古谷一行・吉田日出子・小椋佳・江守徹・黒沢年男・山本寛斎・高橋英樹・清水紘治・草野仁・久米宏・渡瀬恒彦・杉良太郎・みのもんた・野川由美子・舟木一夫・平泉成

  1945年(昭和20年)生まれ・・・今年69歳  

 おすぎとピーコ・吉永小百合・栗原小巻・田辺靖雄・村野武範・鰐淵晴子・阿木耀子・長塚京三・セルジオ越後・タモリ・藤田弓子・水前寺清子・綿引勝彦

  1946年(昭和21年)生まれ・・・今年68歳  

 伊吹吾郎・藤岡弘・宇崎竜童・中条きよし・マギー司郎・上村香子・吉田拓郎・美川憲一・田村亮・西川きよし・木の実ナナ・堺正章・三遊亭好楽・西岡徳馬・菅直人・阿藤快・岡本富士太・倍賞美津子・中尾ミエ

  1947年(昭和22年)生まれ・・・今年67歳  

 ビートたけし・高田純次・尾崎将司・西郷輝彦・三遊亭小遊三・千昌夫・寺尾聰・稲川淳二・矢崎滋・寺泉憲・西田敏行・森進一・渡辺篤史・根津甚八・布施明・井上順・蛭子能収・大和田伸也・小田和正・小倉智昭  

  1948年(昭和23年)生まれ・・・今年66歳  

 岡本信人・あおい輝彦・笑福亭鶴光・森山良子・たかの友梨・北原照久・赤川次郎・宇津宮雅代・篠ひろこ・五木ひろし・いしだあゆみ・江夏豊・沢田研二・誠直也・瀬川瑛子・前川清・井上陽水・大塚範一・糸井重里・由紀さおり・舛添要一・桂文珍・Mr.マリック・都はるみ・泉谷しげる・柄本明・にしきのあきら・高田明 

  1949年(昭和24年)生まれ・・・今年65歳  

 市村正親・佐藤B作・南こうせつ・高橋真梨子・新藤恵美・夏純子・伊武雅刀・武田鉄矢・酒井和歌子・風間杜夫・大竹まこと・ガッツ石松・岸部四郎・沢田雅美・間寛平・勝野洋・つのだ☆ひろ・高岡健二・堀内孝雄・松崎しげる・森田健作・音無美紀子・テリー伊藤  

 1950年(昭和25年)生まれ・・・今年64歳  

 山本譲二・三遊亭円楽・島田陽七・奥田瑛二・堀内正美・舘ひろし・和田アキ子・阪東玉三郎・宮内淳・細川たかし・萩原健一・池上彰・八代亜紀・市毛良枝・木内みどり・辺見マリ・大和田獏・鹿賀丈史・梅沢富美男・由美かおる・イルカ・滝田栄・綾小路きみまろ・生島ヒロシ・奈美悦子・中野良子・渡辺哲  

 1951年(昭和26年)生まれ・・・今年63歳  

 吉田照美・五輪真弓・中村雅俊・本田博太郎・名高達男・多岐川裕美・田中健・桃井かおり・三宅裕司・モト冬樹・斉藤洋介・柴田恭兵・木之元亮・小林薫・志垣太郎・江藤潤・小倉一郎・天地真理・伊勢正三・オール巨人・大地康雄・あべ静江・長州力・山下真司・笑福亭鶴瓶・岡本麗・山本リンダ・小林薫 

  1952年(昭和27年)生まれ・・・今年62歳  

 楠田枝里子・坂本龍一・三浦友和・真野響子・中島みゆき・グッチ裕三・峰竜太・さだまさし・なぎら健壱・夏木マリ・風吹ジュン・小柳ルミ子・水谷豊・松坂慶子・池畑慎之介・ジョニー大倉・草刈正雄・清水クーコ・五大路子・清水健太郎・夏樹陽子・吉幾三・野村将希・浜田省吾 

  1953年(昭和28年)生まれ・・・今年61歳  

 山下達郎・中嶋悟・仁科亜希子・甲斐よしひろ・萩原流行・国広富之・島田陽子・研ナオコ・稲垣潤一・岡崎友紀・関根勤・円広志・竹下景子・三田村邦彦・平田満・結城しのぶ・金沢碧・松平健・小林麻美・小林幸子 

  1954年(昭和29年)生まれ・・・今年60歳  

 中畑清・尾崎健夫・萩尾みどり・ルー大柴・松任谷由実・根岸季衣・立川志の輔・吉沢京子・ジャッキーチェン・高見沢俊彦・壇ふみ・清水アキラ・南沙織・斉藤友子・秋吉久美子・五十嵐めぐみ・山口いづみ・水沢アキ・古館伊知郎・片岡鶴太郎・庄野真代・高畑淳子   

  1955年(昭和30年)生まれ・・・今年59歳  

 伊藤蘭・太田裕美・石田純一・所ジョージ・矢野顕子・佐野史郎・春風亭小朝・竹内まりや・西城秀樹・上沼恵美子・田中裕子・掛布雅之・江川卓・内藤剛志・千代の富士・藤真利子・長谷川初範・具志堅用高・明石家さんま・永島瑛子・アグネスチャン・麻丘めぐみ・郷ひろみ・ラサール石井・志穂美悦子・川中美幸・渡辺裕之・世良公則・松山千春・福島瑞穂・高橋恵・佐野史郎・山口良一 

  1956年(昭和31年)生まれ・・・今年58歳  

 大友康平・役所広司・小堺一機・榎木孝明・陳建一・大地真央・浅田美代子・野口五郎・新沼謙治・佳那晃子・佐野元春・竹中直人・島田紳助・加納竜・田中好子・宅間伸・叶和貴子・長谷直美・アンルイス・岡江久美子・岡田武史・山田隆夫・鈴木雅之・永島敏行・渡辺真知子・笑福亭笑瓶・原由子・石橋凌・村上弘明・佳那 晃子

  1957年(昭和32年)生まれ・・・今年57歳  

 小坂明子・秋野暢子・柴門ふみ・ラモス瑠偉・友里千賀子・桑野信義・かたせ梨乃・山下泰裕・木之内みどり・眞野あずさ・大竹しのぶ・孫正義・名取裕子・綾戸智絵・そのまんま東・天童よしみ・星野知子・宇都宮隆・大仁田厚・田口トモロヲ・山本みどり 

  1958年(昭和33年)生まれ・・・今年56歳  

 八神純子・CHAGE・石川さゆり・かとうかずこ・栗田貫一・未唯・田中義剛・田崎真也・森下愛子・萬田久子・小宮悦子・久本雅美・布施博・原辰徳・辰巳琢郎・陣内孝則・高橋ジョージ・玉置浩二・森昌子・石井めぐみ・小林明子・岩崎宏美・小室哲哉・原田真二・樋口可南子・假屋崎省吾・原田三枝子  

  1959年(昭和34年)生まれ・・・今年55歳  

 ダンカン・太川陽介・池上季実子・山口百恵・京本政樹・山下久美子・岡田奈々・竹井みどり・嘉門達夫・和由布子・片平なぎさ・古手川祐子・森公美子・赤井英和・原日出子・田中美佐子・小野みゆき・高樹澪・榊原郁恵・渡辺謙

  1960年(昭和35年)生まれ・・・今年54歳  

 大場久美子・熊谷真実・コロッケ・村田雄浩・川野太郎・神保美喜・東ちづる・山田邦子・浅野ゆう子・船越英一郎・渡嘉敷勝男・サンプラザ中野・蜷川有紀・大江千里・黒木瞳・氷室京介・真田広之・生瀬勝久・橋爪淳・室井滋・石田えり・川島なお美・佐藤浩市・西村雅彦・岸本加世子・涼風真世

  1961年(昭和36年)生まれ・・・今年53歳  

 柳葉敏郎・泰葉・上島竜兵・山田雅人・石野真子・黒田アーサー・田原俊彦・浅野温子・斎藤とも子・松本孝弘・高橋克実・馳浩・藤あや子・渡辺徹・哀川翔・辛島美登里・中村久美・黒田知永子・手塚理美・岩崎良美・清水圭・三谷幸喜・斎藤慶子・松原のぶえ・羽賀研二・ジャガー横田・藤吉久美子・マイケル富岡・梨本謙次郎・高橋ひとみ・城戸真亜子・杏里・中井貴一・松田美由紀・賀来千香子・石橋貴明・美保純・橋谷能理子・栗原景子・堤大二郎・今井雅之

  1962年(昭和37年)生まれ・・・今年52歳  

 速水けんたろう・石原良純・IKKO・岡村孝子・布袋寅泰・石塚英彦・寺脇康文・柳沢慎吾・豊川悦司・天宮良・山咲千里・藤井フミヤ・三上博史・高木美保・筧利夫・水道橋博士・風間トオル・叶恭子・軽部真一・風見しんご・渡辺いっけい・麻木久仁子・寺門ジモン・山本博美・小川菜摘・山下規介・小沢仁志・高田延彦 

  1963年(昭和38年)生まれ・・・今年51歳  片桐はいり・河合俊一・香坂みゆき・木村祐一・広田レオナ・藤谷美和子・肥後克広・今井美樹・加藤雅也・宮根誠司・浜田雅功・いっこく堂・片山右京・唐沢寿明・西川貴弘・勝村政信・若田光一・高樹沙耶・香西かおり・YOU・松本人志・福澤朗・川平慈英・伊藤さやか・NOKKO・あめくみちこ・小錦・伊原剛志・松村雄基・リリーフランキー 

  1964年(昭和39年)生まれ・・・今年50歳  

 竹内力・近藤真彦・杉田かおる・三原じゅん子・南果歩・真矢みき・磯野貴理・石原真理・出川哲朗・平松愛理・エドはるみ・薬師丸ひろ子・水島かおり・温水洋一・阿部寛・野々村真・堤真一・椎名桔平・内村光良・高島礼子・北原佐和子・麻生祐未・伊藤麻衣子・稲葉浩志・岸谷五朗・野村真美・山口智子・神取忍・パンチ佐藤・高橋克典・恵俊彰・高知東生・鶴見慎吾

  1965年(昭和40年)生まれ・・・今年49歳  

 一路真輝・田中裕二・井上あずみ・南原清隆・ヒロミ・勝俣州和・洞口依子・前田亘輝・野村宏伸・吉田美和・上川隆也・さくらももこ・奥田民生・太田光・小林聡美・大桃美代子・永井美奈子・江頭2:50・小牧ユカ・杉本哲太・藤田朋子・古田敦也・吉川晃司・別所哲也・仲村トオル・有賀さつき・大澄賢也・高嶋政宏・古村比呂・香川照之・福島弓子・本木雅弘・沢口靖子・松本伊代

  1966年(昭和41年)生まれ・・・今年48歳  

 住田隆・財前直見・長嶋一茂・三田寛子・石黒賢・小泉今日子・大槻ケンヂ・薬丸裕英・上野ゆい・今田耕司・宮川一朗太・RIKACO・坂本ちゃん・野村萬斎・ボビーオロゴン・松本明子・益子直美・吉川十和子・森尾由美・中村あゆみ・パパイヤ鈴木・渡辺美里・石川秀美・永瀬正敏・植草克秀・スガシカオ・森口瑤子・鈴木保奈美・小谷実可子・宍戸開・中村あずさ・斎藤由貴・彦麿呂・深沢邦之・東山紀之・高嶋政伸・見栄晴・安田成美・永井真理子・伊藤かずえ・有森裕子・江角マキコ・国生さゆり・トータス松本

  1967年(昭和42年)生まれ・・・今年47歳  

 若村麻由美・ジョイウォン・生田智子・堀ちえみ・伊藤つかさ・コージー冨田・三浦知良・七瀬なつみ・坂本冬美・鷲尾いさ子・ゴルゴ松本・倉沢淳美・佐藤恵美・武田修宏・坂上忍・山田花子・三村マサカズ・南野陽子・渡辺真理・とよた真帆・北斗晶・天海祐希・東野幸治・清原和博・早瀬優香子・田中美奈子・緒方直人・秋川雅史・香田晋・松田洋治・松岡修造・原田知世・蓮舫・大竹一樹・有森也実・保坂尚希・織田裕二・江口洋介 

  1968年(昭和43年)生まれ・・・今年46歳  

 松居直美・山崎邦正・飯島直子・大沢たかお・桑田真澄・小沢健二・大鶴義丹・菊池桃子・渡部篤郎・鈴木京香・夏川結衣・長嶋三奈・河合美智子・森口博子・大塚寧々・佐藤弘道・小島奈津子・武田久美子・羽野晶紀・高嶋ちさ子・三井ゆり・野茂英雄・モンキッキー・羽田美智子・井森美幸・つんく・名倉潤・岡田圭右・荻野目洋子・濱田マリ・夏川結衣

  1969年(昭和44年)生まれ・・・今年45歳  

 吉田栄作・福山雅治・マルシア・かとうれいこ・渡辺梓・鈴木早智子・渡瀬マキ・富田靖子・山口智充・武豊・芳本美代子・有働由美子・的場浩司・田辺誠一・森高千里・加藤浩次・槇原敬之・KABAちゃん・橋下徹・ヒロコグレーズ・北村一輝・東幹久・横山めぐみ・丸山茂樹・鈴木杏樹・仙道敦子・渡辺美奈代・山瀬まみ・石田ゆり子・及川光博・堀内健・浅香唯・大黒摩季・千堂あきほ  

  1970年(昭和45年)生まれ・・・今年44歳  

 長井秀和・ウド鈴木・相田翔子・中山美穂・桜井和寿・天野ひろゆき・原田泰造・水野真紀・宮迫博之・工藤静香・鶴田真由・裕木奈江・辰吉丈一郎・坂井真紀・河村隆一・いとうあさこ・イ・ビョンホン・長谷川真弓・清水美砂・池谷幸雄・羽生善治・八嶋智人・伊達公子・なだぎ武・永作博美・原田龍二・城島茂・渡辺満里奈・奥貫薫・セインカミュ・和久井映見・吉岡秀隆・上田晋也・諸星和己

  1971年(昭和46年)生まれ・・・今年43歳  

 竹野内豊・高田万由子・工藤夕貴・酒井法子・ユースケサンタマリア・純名りさ・羽鳥慎一・西島秀俊・筒井道隆・竹山隆範・川原亜矢子・西川史子・つみきみほ・田中直樹・光浦靖子・中嶋朋子・中村綾・島崎ひとみ・藤原紀香・遠藤章造・坂本昌行・壇れい・萩原聖人・中島知子・細川ふみえ・若林志穂・進藤晶子・吉本多香美・矢部浩之・塚地武雅・松嶋尚美・茂森あゆみ・細川茂樹・山崎まさよし・濱口優・長州小力・牧瀬里穂・有田哲平  

  1972年(昭和47年)生まれ・・・今年42歳  

 田村亮・久保純子・新庄剛志・西田尚美・有野晋哉・藤井隆・稲森いずみ・IZAM・品川祐・常磐貴子・小高恵美・ゴリ・谷原章介・児島一哉・藤木直人・はるな愛・中居正広・土田晃之・中村獅童・宮川大輔・渡部健・木村拓哉・松雪泰子・高岡早紀・井戸田潤・半井小絵・寺島しのぶ・喜多嶋舞 ・ マツコ・デラックス

 1973年(昭和48年)生まれ・・・今年41歳  

 市川染五郎・深津絵理・中山忍・片山晋呉・島崎和歌子・羽田恵理香・大石恵・青木さやか・八木沼純子・宮沢りえ・梨花・中澤裕子・Gackt・小川範子・安住伸一郎・篠原涼子・水森かおり・藤谷美紀・普天間かおり・梅沢由香里・夏川りみ・松嶋菜々子・堺雅人・イチロー・マギー審司・浅野忠信・池谷直樹・稲垣吾郎・反町隆史・桜井幸子・中江有里・長谷川理恵・三浦恵理子・りょう

  1974年(昭和49年)生まれ・・・今年40歳  

 さとう珠緒・岡本真夜・吉田真由子・川本真琴・陣内智則・小松千春・戸田菜穂・後藤久美子・照英・伊藤裕子・馬場典子・原千晶・有吉弘行・和泉元彌・松井秀喜・細川直美・水野美紀・菊池麻衣子・坂上香織・華原朋美・ふかわりょう・内藤大介・井上晴美・ビビる大木・河口恭吾・室伏宏治・ケインコスギ・唐橋ユミ・山本未来・にしおかすみこ・山本太郎・いしだ壱成

  1975年(昭和50年)生まれ・・・今年39歳  

 赤江珠緒・持田真樹・相川七瀬・吉瀬美智子・あべこうじ・膳場貴子・中森友香・山田花子・神田うの・高橋由伸・河本準一・徳井義実・本上まなみ・山中すみか・遠山景織子・安藤政信・河相我聞・つるの剛士・波田陽区・杉山愛・葉月里緒奈・米倉涼子・なすび・鈴木蘭々・さかなクン・吉野公佳・谷亮子・大路恵美・上山千穂・原口あきまさ・坂口憲二・内田有紀・ユンソナ・東尾理子・鈴木拓・黒谷友香・加藤晴彦・中田彩・ミッツ・マングローブ・チェ・ジウ  

  1976年(昭和51年)生まれ・・・今年38歳  

   庄司智春・中谷美紀・hitomi・田中卓志・山本モナ・小島聖・くわばたりえ・乙武洋匡・木村佳乃・楢崎正剛・宇治原史規・森山直太朗・まちゃまちゃ・井ノ原快彦・里谷多英・井川遙・はなわ・須藤理彩・遊井亮子・一青窈・不動裕理・山本耕史・武内絵美・池内博之・観月ありさ・瀬戸朝香・辺見えみり・小雪

    1977年(昭和52年)生まれ・・・今年37歳  

 小沢真珠・松岡昌宏・北川悠仁・中田英寿・宝生舞・香取慎吾・劇団ひとり・田中美里・ほしのあき・柏原崇・黒田俊介・上原さくら・紺野まひる・玉城千春・一色紗英・大河内奈々子・矢部美穂・松たか子・山口もえ・矢部太郎・伊勢みずほ・鈴木紗理奈・西尾由佳理・菅野美穂・アンジェラアキ・安室奈美恵・城咲仁・佐藤藍子・滝川クリステル・石川亜沙美・藤崎奈々子  

   1978年(昭和53年)生まれ・・・今年36歳  

 パクソルミ・浜口京子・金子貴俊・雛形あきこ・板倉俊之・古瀬絵理・酒井美紀・中澤佑二・菊川怜・須藤元気・持田香織・遠藤久美子・原沙知絵・押尾学・山本舞衣子・釈由美子・中村俊輔・小泉孝太郎・白石美帆・岩崎恭子・矢井田瞳・GG佐藤・田丸麻紀・澤穂希・浜崎あゆみ・中山エミリ・京野ことみ・小西真奈美・小田茜・長瀬智也・堂珍嘉邦・椎名林檎・ISSA・松田悟志・矢田亜希子・高橋みゆき・Misia・DAIGO・堀北真希

    1979年(昭和54年)生まれ・・・今年35歳  

 堂本光一・元ちとせ・賀集俊樹・山崎静代・根本美緒・高島彩・森田剛・堂本剛・上地雄輔・窪塚洋介・国仲涼子・小林麻耶・奥菜恵・稲本潤一・蛯原友里・ともさかりえ・川村ひかる・仲間由紀恵・中野美奈子・吉川ひなの・押切もえ・中越典子・映美くらら

   1980年(昭和55年)生まれ・・・今年34歳  

 箕輪はるか・遠藤保仁・吉岡美穂・優木まおみ・山田まりや・佐藤良子・竹内結子・玉山鉄二・田中麗奈・眞鍋かをり・くまきりあさ美・三枝夕夏・優香・西野亮廣・石本沙織・広末涼子・根本はるみ・愛内里菜・高畑百合子・島谷ひとみ・酒井若菜・松坂大輔・夏川純・榎本加奈子・一柳亜矢子・鬼束ちひろ・岡田准一・小池栄子・大野智・大木優紀・妻夫木聡・壇蜜

   1981年(昭和56年)生まれ・・・今年33歳  

 新山千春・乙葉・北川弘美・知念里奈・要潤・杉浦太陽・小野真弓・長野翼・矢沢心・鳥居みゆき・岩隈久志・田中マルクス闘莉王・山本梓・斎藤舞子・松井大輔・野久保直樹・星野真里・柴咲コウ・安倍なつみ・西堀育実・森下千里・ビヨンセ・阿部勇樹・安達祐実・堂真理子・内山信二・MEGUMI・高橋真麻・今井翼・内山理名・片瀬那奈・池脇千鶴・江川有未・佐藤江梨子・荒川静香  

    1982年(昭和57年)生まれ・・・今年32歳  

 櫻井翔・鈴木亜美・狩野英孝・山川恵里佳・藁谷麻美・水野裕子・えれな・吉井怜・滝沢秀明・仲根かすみ・神戸蘭子・安田美沙子・黒田勇樹・遠藤玲子・熊田耀子・吉野紗香・大久保嘉人・宮瀬茉祐子・小林麻央・古閑美保・石垣佑磨・大塚愛・三船美佳・成宮寛貴・北島康介・中田敦彦・吉田沙保里・森泉・倉木麻衣・深田恭子・倖田來未・平井理央・椎名法子・岡本綾・加藤あい・木下あゆ美・山元香里・相葉雅起・小栗旬・東原亜希・向井理・瑛太・綾野剛

    1983年(昭和58年)生まれ・・・今年31歳  

 青木裕子・上原多香子・宇多田ヒカル・矢口真里・英玲奈・中島美嘉・近藤春菜・ソニン・藤森慎吾・松田龍平・福士誠治・後藤理沙・和希沙也・氷川あさみ・松尾翠・佐々木梨絵・松本潤・今井絵理子・潮田玲子・山田孝之・磯山さやか・秋元優里・小倉優子・伊藤淳史・柴田奈津子

    1984年(昭和59年)生まれ・・・今年30歳  

 平山あや・大島由香里・皆藤愛子・宮地真緒・香里奈・ベッキー・里田まい・島袋寛子・水嶋ヒロ・平原綾香・若槻千夏・滝本沙奈・ミムラ・赤西仁・山田優・原田夏希・椿姫彩菜・栗原恵・速水もこみち・八田亜矢子・生田斗真・関根麻里・木村カエラ・錦戸亮・えなりかずき・小出恵介

    1985年(昭和60年)生まれ・・・今年29歳  

 石川梨華・森下悠里・松下奈緒・藤本美貴・松山ケンイチ・綾瀬はるか・山下智久・吉澤ひとみ・中川翔子・酒井彩名・福田萌・宮里藍・相武沙季・加藤ローサ・加藤夏希・加藤綾子・中野友加里・鈴木えみ・上戸彩・後藤真希・益若つばさ・椿原慶子・斎藤祥太慶太・太田雄貴・宮崎あおい・ギャル曽根・貫地谷しほり・横峯さくら・池田勇太・ヨンア・秋元玲奈  

   1986年(昭和61年)生まれ・・・今年28歳  

 小池徹平・竹内由恵・山中章子・川村ゆきえ・浅尾美和・柳原可奈子・金田哲・市川由衣・川嶋あい・亀梨和也・三倉茉奈佳奈・篠田麻里子・佐藤唯・沢尻エリカ・上野樹里・本橋麻里・上田桃子・松浦亜弥・松村未央・木村沙織・北川景子・スザンヌ・片岡安祐美・サエコ・亀田興毅・長野美郷・石原さとみ・相内優香・本田圭佑・岡崎慎司

   1987年(昭和62年)生まれ・・・今年27歳  

 井上真央・市原隼人・香椎由宇・岩佐真悠子・織田信成・YUI・さとう里香・鈴木杏・上原美優・上戸彩・紺野あさ美・三浦奈保子・長澤まさみ・辻希美・福原美穂・マリエ・原幹恵・松井絵里奈・蒼あんな&れいな・本仮屋ユイカ・谷村奈南・時東あみ・渡辺直美・青山テルマ・手越祐也・有村智恵・木下優樹奈・絢香・安藤美姫 ・山岸舞彩・狩野恵理・倉科カナ

    1988年(昭和63年)生まれ・・・今年26歳  

 山本裕典・佐々木希・榮倉奈々・中田あすみ・黒木メイサ・玉置成実・新垣結衣・福島千里・中尾明慶・渋谷飛鳥・浅田舞・吉高由里子・国母和宏・戸田恵梨香・重盛さと美・多岐川華子・佐藤ありさ・堀北真希・大島優子・田中将大・福原愛・田中みな実・三浦翔平・内田篤人 

   1989年(平成元年)生まれ・・・今年25歳  

 亀田大毅・豊田エリー・多部未華子・南明奈・溝端淳平・柏原竜二・IMALU・仲里依沙・錦織圭・岡田将生・佐藤健・香川真司・内村航平・西野カナ・黒川智花・鈴木ちなみ・桐谷美玲・夏菜

   1990年(平成2年)生まれ・・・今年24歳  

 福田沙紀・浅田真央・三浦春馬・柳楽優弥・曽田麻衣子・鈴木あや・宮澤智・中島芽生・南沢奈央・宮澤佐江

  1991年(平成3年)生まれ・・・今年23歳

 前田敦子・柏木由紀・松井玲奈・坂口杏里・蓮佛美沙子・北乃きい・高橋みなみ・板野友美・北原里英・山本美月・小野彩香

  1992年(平成4年)生まれ・・・今年22歳

 指原莉乃・白石麻衣・篠崎愛・剛力彩芽・桜庭ななみ・足立梨花・峯岸みなみ・島田晴香・ざわちん

  1993年(平成5年)生まれ・・・今年21歳

 能年玲奈・有村架純・きゃりーぱみゅぱみゅ・ 志田未来・小池里奈・石田晴香・知念侑李・武井咲・西内まりや・小島瑠璃子・トリンドル玲奈・福士蒼汰

  1994年(平成6年)生まれ・・・今年20歳

 百田夏菜子・渡辺麻友・川島海荷・島崎遥香・村上佳菜子・筧美和子・日南響子

 やはり芸能人で驚くのは、その若さだろう。特に女優は、老化防止に万全の備えを施して、その若々しい肌を保っているに相違ない。以上の記載の中で、私が驚愕したのは、下記の方々だ。

 高倉健(83歳)、田原総一朗(80歳)、黒柳徹子(80歳)、浅井慎平(77歳)、加山雄三(77歳)、三田佳子(73歳)、岩下志麻(73歳)、渡哲也(73歳)、アントニオ猪木(71歳)、久米宏(70歳)、吉永小百合(69歳)、沢田研二(66歳)、ジャパネットたかたの高田明社長(66歳)、舘ひろし(64歳)、市毛良枝(64歳)、中村雅俊(63歳)、浜田省吾(62歳)、関根勤(61歳)というおじいちゃんおばあちゃんの年代になっていること。明石家さんまですら来年還暦を迎える。

 知らず知らずのうちに人間は歳を取っているという現実を痛感する。10年前の放送を見ると、その当時はトレンディだった筈なのに、なぜか古さと違和感を感じてしまう。化粧の仕方や流行の髪形、ファッションもガラリ異なる。

 しかしながら、芸能人が得なのは、自分が年老いて行く様をフィルムなり映像なりに残せるという点だ。つまり、人生そのものを演じ切っているし、それがそのまま生きた証として後世に語り継がれていくことだ。そして衆人環視のもと、周囲から好奇の目で見られ、中にはかっこよく歳を重ねている方も多くいらっしゃることも事実だ。そしてその作品に触れることで、その時代のご本人のありのままの姿を垣間見ることができるのも、後の世まで残ってい行くことだ。アンチエイジングとい言葉が使われて久しいが、今年、めでたく大台を迎える私にとって、私はむしろ時間に抗うのではなく、カッコよい歳のとりかたを目指していきたい。

 当サイト内で掲載した「芸能人の意外な年齢」はコチラ↓

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-b452.html

 記事作成:6月27日(金)

こどもの名前ランキングの変遷

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 生命保険会社で独自に行っている調査には、時々興味を掻き立てられるものがある。例えば、私も加入している「第一生命」は、ディスニーランドの公式スポンサーになっているだけあって、毎年それに纏わるオリジナルキャラクターグッズが貰える特典付きで、何かと重宝している。でもなぜか著作権絡みなのかは不明だが、同会社のグッズ(カレンダー・タオル・メモ帳など)に描かれるミッキーマウスには眉毛がない。その第一生命が毎年顧客に公募し、発表しているものに「サラリーマン川柳」がある。世の男性が家庭での居場所がない切ない状況やサラリーマンが共感してしまう日常体験の悲哀、時代風刺やその年の世相などが如実に反映している力作が多く、思わず吹き出してしまったり、あるいは一服の清涼剤となるものまであって、実に愉快だ。
 一方、同じく生保会社の「明治安田生命」が毎年恒例で実施している調査は、業種柄いかにもだが、「子供に付けたい名前ランキング」だ。こちらも顧客にアンケート調査を行い、同社が集計した順位を発表するというもの。今回のテーマは後者のものを拝借したい。

 かつて子供につける名前と言えば、概ね相場は決まっていた。男の子は「けん」が多かった。往年の有名芸能人を見ても、「高倉健」「上原謙」「宇津井健」「田中健」「緒形拳」などがそうで、長男なら「~一」や次男であれば「~二」や「~次」という具合だ。そしてやたらと「○○お」という名前が圧倒していた。同級生の中にも「和夫」「勝男」「隆夫」「幹夫」「正夫」「義男」「紀雄」「富士夫」「徳雄」「幸夫」「敦夫」「光男」など漢字は違えど、読みは同一だった。何か昭和を代表する名前のオンパレードだ。おそらく50代以上の方の多数が「○お」のような気がする。
 一方、女の子の名前は「○子」がやたらと幅を利かせていたように思う。中には「小百合」とか「恵」、「○美」という字を使う方も多かったが、昭和の時代は、「○子」は時代の象徴だった。一例をあげれば、「和子」「知子(朋子・友子)」「明子(晃子・章子)」「智子(聡子)」「美智子」「真理子」「美奈子」「節子」「広子」「雅子(正子・昌子)」「陽子(洋子)」「佳子」「良子」「紀子」「今日子(京子)」「康子(泰子)」「麻子」「真子」「美香子」「純子(順子)」「春子」「美佐子」「久美子」「美恵子」などである。こちらも女性の有名芸能人にいかに多かったか。「原節子」「三田佳子」「白川和子」「吉沢京子」「仁科亜希子」「坂口良子」「秋吉久美子」「岸田今日子」「南田洋子」「夏目雅子」「桜田淳子」などがそうだ。

 ところが、時代は移り変わり、現代においては、その傾向や風潮は異なり、その時代によって流行があるようだ。近年は、「雄」「優」「勇」「悠」「侑」「祐」の字を使った「ゆうた」「ゆうき」「ゆうや」「ゆうま」「ゆう」「ゆうすけ」などが多く見られる。また、「ひろみ」や「ちひろ」など男子にも女子にも使えるような名前も多く目にする。女の子も「子」がつく名前がめっきり減ってしまった。

 これらの名前の変遷から、現代社会では時代背景や出来事、流行りものや思潮によって、何か特徴はないものかと思案し、好奇心を掻き立てられた。おそらくは、子供に命名する場合、画数を気にする親もいるだろうし、親の名前からひと文字貰うケースも多い。また、青春時代に自分がお熱を上げていたアイドル歌手や映画スター、俳優や女優、あるいはその年に話題を集めた有名スポーツアスリートの名前をそのまま自分の子供に付ける場合がある。江川が登場した時には「卓」が、昭和55年に早実の荒木大輔が華々しい活躍をした時と怪物松坂が登場した年には、「大輔」が持て囃された。最近は「翔平(大谷)」が人気だとか。また水谷豊や柴田恭兵、桑田佳祐が人気があった時代には、その名前が流行したし、木村拓哉が大好きだった女性は、息子に同じ名前を付ける例も多かった。

 それでは調査結果をもとに検証してみたい。お借りするデータは今世紀(2001年以降)の「明治安田生命」の調査結果であり、年ごとだとさほど変化はないと容易に想像できるので、隔年で見てみたい。なお、その年周りにどのような出来事があって、誰が話題となったかも資料として提示したい。果たして因果関係はあるだろうか。

 2000年 ミレニアム シドニー五輪開催 高橋尚子が金メダル 
 2001年 9.11テロ 浜崎あゆみレコ大賞

     男の子           女の子
 1位  大輝        1位  さくら
 2位  翔          2位  未来 
 3位  海斗        3位  七海
 4位  陸          4位  美月
 5位  蓮 /  翼     5位  結衣

 2002年 ソルトレーク五輪 日韓共催サッカーW杯 日本ベスト16
 2003年 浜崎あゆみレコ大賞

     男の子          女の子
 1位  大輝        1位  陽菜
 2位  翔          2位  七海
 3位  大翔        3位  さくら
 4位  翔太        4位   凛
 5位  匠          5位  美咲 / 葵

 2004年 アテネ五輪 谷亮子、吉田沙保里金メダル
 2005年 倖田來未レコ大賞

    男の子            女の子
 1位  翔          1位   陽菜
 2位  大翔         2位  さくら
 3位  拓海         3位  美咲
 4位  翔太         4位  葵
 5位  颯太           5位  美羽

 2006年 トリノ五輪 荒川静香金メダル ドイツW杯 斎藤佑樹ハンカチ王子
 2007年 ハニカミ王子石川遼 コブクロレコ大賞

     男の子           女の子
 1位  大翔         1位  葵
 2位  蓮           2位  さくら
 3位  大輝         3位  優奈
 4位  翔太         4位  結衣
 5位  悠斗 / 陸     5位  陽菜

 2008年 北京五輪
 2009年 EXILEレコ大賞

        男の子             女の子
 1位   大翔         1位  陽菜
 2位  翔           2位  美羽
 3位  瑛太         3位  美咲
 4位  大和         4位  美桜
 5位  蓮           5位  結愛

 2010年 バンクーバー五輪 浅田真央銀メダル 南アフリカW杯 本田圭佑
 2011年 東日本大震災 なでしこJAPANワールドカップ初優勝 AKB48レコ大賞

    男の子            女の子
 1位  大翔         1位    陽菜
 2位  蓮           2位  結愛
 3位  颯太          3位  結衣
 4位  樹            4位  杏
 5位 大和 / 陽子翔  5位  莉子 / 心愛 / 愛菜 
 

 2012年 ロンドン五輪 内村航平金メダル 吉田沙保里3連覇 卓球団体銀メダル
 2013年 EXILEレコ大賞

          男の子           女の子
 1位   悠真        1位    結菜
 2位  陽翔         2位  葵
 3位  蓮           3位  結衣
 4位  大翔         4位  陽菜
 5位  湊            5位  結愛

 ちなみに「ベネッセコーポレーション」の調査では以下の順位だった。

   男の子            女の子
 1位 大翔         1位 結菜
 2位 蓮           2位  陽菜
 3位 悠真         3位 葵
 4位 湊           4位 結愛
 5位 陽斗          5位 結衣

 2014年 ソチ五輪 羽生結玄金メダル ブラジルW杯

 以上、ここ13年を振り返っても、男の子の「翔」「蓮」が人気傾向は続き、女の子は「陽菜」「結衣」が上昇傾向。

 さて、いかがでしたか。予想通りか、はたまた意外な名前がランクインしていたでしょうか。いずれにしてもあと数年したら、小中学校ではこれらの名前が間違いなくクラスに複数いることでしょう。佐藤や鈴木、高橋、渡辺などの姓では、同姓同名のケースが多くなるかもしれない。これらは、一民間企業の調査結果なので、これがすべて正確な統計かと言えばそうとも言い切れない。あくまでサンプル調査の域から脱せない。
 いずれにせよ、親が子供に付ける名前には、「すくすくと育ってほしい」とか親の切なる願いや期待込められている。最近は、あまりにも凝りすぎて一度では読めないものや当て字が多くなっている。明らかに名前負けしているものさえある。「名は体を表す」という格言もあるが、親が頭を捻って考え抜いて命名してくれた名前に感謝し、それに相応しい人間になってほしいものである。
 最後に、私が見る限り、予想していたような因果関係を感じることはなかったのは少し寂しい気がする。

 記事作成:6月26日(木)

 

80年代を彩ったB級アイドルユニット

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 このタイトルも大変失礼だが、誤解が無いようにしたい。時代を築いたアイドル系のユニット、つまりかつてはグループと呼ばれた方々を取り上げるのが今回の主要テーマ。70年代は、紛れもなくキャンディーズとピンクレディーが時代をリードした。80年代はグループは少なくなったが、中盤以降に登場した多人数グループの草分け「おニャン子クラブ」と後期に彗星のごとく現れた「WINK」がその代表格だった。
 90年代初頭から中盤にかけては、小室哲哉が率いる「エーベックス」の実力派シンガーや「Trf」や「MAX」「Zoo」のようなダンスユニット、更には本格的なバンドブームが沸き起こり、音楽界を席巻したため、アイドルは不毛に追いやられたのは周知のところだろう。
 その後、90年代後半に登場したのは、ご存知「つんく♂」率いる「モーニング娘。」で、今世紀に入ると、華々しい活躍を見せているのが秋元康プロデュースの「AKB48」とその姉妹ユニットたち(SDN、MNB、HKT、SKE、JKTなど)。加えて美少女揃いの「乃木坂46」。「Perfume」や「桃色クローバーZ」もA級。ついでに託ければ、外国勢では「少女時代」、「KARA」、それに「ティアラ」がその代表だ。
 それで、今回取り上げるのは、80年代に、一時期華々しく活躍し、ヒット曲も持ってはいるが、国民が認知しているような「スーパーアイドルユニット」まではいかなかったグループや短命で終わってしまったユニットをB級と呼ぶことにした。すでに解散していて、人々の記憶から消えてしまっているかもしれない。したがって、彼女たちの活躍を、もう一度呼び起こして懐かしんでみたいというのが今回の記事の本旨だ。
 それでもファンだった方は、「B級」と聞くと憤慨するかもしれない。前述の通りの位置づけで今回の記事を進めることを予めご了承いただけたら幸いです。

 1 Babe

 もしかすると彼女たちは、ベストテンにもランキングしているし、知名度が高く、A級アイドルユニットと認識しているかもしれない。しかし、活動時期が短く、あえてここに含めてしまった。
 ダンスを踊りながら歌うスタイルで、色白で奔放な性格の近藤智子と、色黒で控えめな性格 の二階堂ゆかりというキャラクターの組み合わせであった。洋楽のカバーを多数リリースして ヒットしたことでも知られた。
 1987年、「I Don't Know!」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得。1990年二階堂の妊娠・結婚により解散。私の兄貴がファンだったため、彼女たちのシングルCDが数枚あった。

 2 Mi-ke

 Mi-Ke(ミケ)は、宇徳敬子、村上遙、渡辺真美の3人のB.B.クイーンズの音楽コーラス隊 であり、後にアイドルグループとしてデビューした。アイドルグループとしては、1991年にデビュー。振り付けを意識した当時のアイドルグループの形態をとりながらも、アルバムごとにテーマを定めたリバイバル・カバープロジェクトであった。グループ名の由来は当時ヒットした「たま」をもじり、メンバー3名の個性を活かして三毛猫から取っており、白が宇徳、茶色が村上、黒が渡辺というように色が分けられていた。
 ビーイングのサウンド、アレンジ、パロディを含めたプロデュースが光り、日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡大賞)、日本ゴールドディスク大賞と各音楽賞の最優秀新人賞を総ナメにし、『第42回NHK紅白歌合戦』(「想い出の九十九里浜」)にも出場。

 3 アイドル夢工場

https://www.youtube.com/watch?v=Zj0TJQrxp78

 1987年にフジサンケイグループが開催したイベント『コミュニケーションカーニバル 夢 工場'87』のメディアミックス展開に関連するものである。
 1987年7月にポニーキャニオンより発売された『コミュニケーションカーニバル 夢工場'87』のイメージソングだった『アドベンチャー・ドリーム』でデビューした、7人組のアイドルグループ。メンバーはいずれも1987年のミスマガジンの準グランプリ、各賞入賞者から成っている。アイドル夢工場としての曲は『アドベンチャー・ドリーム』一曲で終わっている。なおオリコンチャート初登場8位を記録した。特に「夕やけニャンニャン」の番組の中で、アイドル夢工場の「アドベンチャー・ドリーム」のPVが流されることが多かった。私はメンバーの中では古風な顔立ちでおっとり系美少女の桜川佳世がお気に入りだった。

 4 少女隊

 1983年にオーディションでミホ、レイコ、チーコの3人が選ばれ、結成された。翌年の1984年8月28日にシングル「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」、アルバム『少女隊Phoon』、12インチシングル「ESCAPE」、ビデオ『少女隊Phoon』を同時にリリースしてデビューする。そのプロモーションには総額30億円(一般的には40億円)をかけたとも言われた。キャッチコピーは「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」。
 デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー・トモが加入した。

 5 ラジオっ娘

 1981年末頃から「ラジオっ娘」(ラジオっこ)のグループ名でニッポン放送のDJとして 活動。3枚目シングル発売後、ラジオレギュラー番組内にて視聴者による電話投票により 「Lady oh!」のグループ名が付けられた。メンバーは3人で、いかにもB型の典型だった水島かおり、秋田県出身で俳優の古田新太と結婚した西端やよい、大学卒業後にニッポン放送アナウンサーになった高橋めぐみがいた。
 特に深夜放送「オールナイトニッポン」では中高生リスナーからの性に関する過激な悩み相談を受け付けていた。かなり濃厚で赤裸々な告白に、当時は聴視率は高かった。

 6 きゃんきゃん

https://www.youtube.com/watch?v=Nys8fci59uw

 こちらもキャンディーズを意識したような超ミニスカートで歌い踊ったアイドルユニット。デビュー当初、『きゃんきゃん』のメインは桜井直美だったが、全く売れなかった。そこで、 ミスコンのグランプリ獲得経験もある美形の山本博美をメインに変更した。これに伴い、 グループ名の表記もカタカナの『キャンキャン』から、ひらがなの『きゃんきゃん』に変更。唐沢美香(O型)、山本博美(A型)、桜井直美(A型)の3人組。なお、ピンクレディーのMeに似て超美形でスタイル抜群だった山本博美は、現在の京本政樹夫人である。

 7 スターボー

 1982年から1984年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ。所属 事務所は研音、所属レコード会社はポリドール。 「スターボー」とは星の虹(レインボーから の造語)という意味で「星の架け橋」という意味が込められているとされている近未来的なダンスや衣裳で活躍した。全員がショートカットでもみあげを斜めに刈り上げたテクノカット風。ややコンセプトに無理があった。

 8 セイントフォー

 昔のモモクロのイメージが強いグループ。運動量が半端じゃなく、常に歌の最中、激しく動き回っていた。どちらかと言うとアクロバティックな振り付けが売りだった。
 1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。 デビュー当初は板谷・浜田・鈴木・岩間(立ち位置順)で構成され、後に板谷に替わっていわお潤が加入した。曲間にバック宙をするなど、アクロバティックなパフォーマンスが話題になった。セイントフォー解散後、浜田範子・鈴木幸恵はロック系ボーカルデュオ「ピンクジャガー」 として再デビュー。

 9 寄せ鍋トリオ



 欽ちゃんの番組「欽ドン良い子悪い子ふつうの子」の中から生まれた女性のグループ。生田悦子、松居直美、小柳の3人で結成。イモ欽トリオの女性版。パロディソング調の「大きな恋の物語」はヒットした。

10 ソフトクリーム

https://www.youtube.com/watch?v=xib89HKomnw

 遠藤由美子、天野千英、大塚真美の3人で結成された音楽グループ(途中で天野千英が脱退し、大橋直美が入る)。
1982年12月5日にシングル「熱帯魚のタキシード」でデビューする。「ソフトクリーム」というグループ名になったきっかけは、デビュー曲の作詞者だった島武実の「食べ物の名前にしたら売れるかな」という一言からだったという。
2枚目のシングル「すっぱい失敗」以降は作詞:森雪之丞、作編曲:後藤次利コンビで楽曲が作られた。詞の中身は「ちょっとHな意味を含んだアブナいもの」で、曲の構成やアレンジが従来のアイドル歌謡とは大きく異なっていたため、後のおニャン子クラブのプロトタイプとも言われたこともあった。リードボーカルは遠藤由美子。グループ活動中と並行してソロ活動も行うことがあった。

 特に80年代はアイドル全盛で、明日のスターを夢見て数多くのグループやユニットがデビューした。私が高校生だった頃にブラウン管を賑わしていた面々だ。
 残念ながら、解散や引退で、現在もバリバリ芸能界で活躍している方はほとんどいない。ほんの一時期だけでも彼女たちは、光り輝き、精いっぱい若さを爆発させ、自己表現していた。今は青春時代の想い出の1ページになってしまったが、芸能界で輝いたことを私は忘れたくなくて、想い出がてら今回取り上げてみた次第だ。

 最後に、終わりまでお付き合いいただいた方に貴重映像をお送りします。これは正規のユニットではなく、「レッツゴーヤング」内で組まれたもの。倉田まり子、佐藤恵利、越美晴の3人が番組内で様々なヒット曲を熱唱した。

 記事作成:平成25年10月13日(日)~平成26年6月28日(土)

今週の山岸舞彩キャスター(7/13~7/17)

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  毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

 7月13日(日)

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 7月14日(月)

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 7月15日(火)

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 7月16日(水)

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 7月17日(木)

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貴重な映像Part14 ~有名人妻のアイドル時代~

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  今は有名人と結婚し、芸能界を引退したり、活動休止している方で、かつては一世を風靡したアイドル歌手やタレント、モデルだった方がいる。今日はそういう方を懐かしい映像を添えてお送りしたい。では早速どうぞ!

 薬丸裕英の奥さん(アイドル歌手・石川秀美)

 ミニスカートから覗く健康的な美脚が魅力で一世を風靡したアイドル。同世代に早見優、堀ちえみ、松本伊代、小泉今日子、中森明菜らがいて、全員A級アイドルだった。私は「ゆれて湘南」が好きだった。

 芸人ヒロミの奥さん(アイドル歌手・松本伊代)

 田原俊彦の妹としてデビューした。デビュー曲「センチメンタルジャーニー」は今で言う「メイド」のような衣装で色白でやや病弱そうな細さがチャームポイントだった。「♪伊代はまだ16だから~」という歌詞は伝説。

 俳優・渡辺徹の奥さん(アイドル歌手・榊原郁恵)

 私が中2に頃に大好きだったアイドル。弾けるような笑顔と健康的なぽっちゃり体型が魅力。実姉が郁恵ちゃんに似ていた。郡山の今は無き「市民会館」で行われたNHKのど自慢の公開録音にゲスト出演した時に、彼女を見て、そのまま郡山駅まで友人と移動。構内のプラットホームにて待ち伏せして、帰郷するために現れた彼女に直筆でサインしてもらった。

 ネプチューン名倉潤の奥さん(元おニャン子クラブ・渡辺満里奈)

 1985年に放送が始まったフジテレビ「夕やけニャンニャン」。その番組から誕生したのが「おニャン子クラブ」だった。公開オーディション「アイドルをさがせ!」のコーナーで、視聴者の面前でアイドルが誕生し、そのままメンバー入り。彼女はタップダンスを披露し、誰が見ても合格するだけの可愛らしさと個性・アイドルとしての素質を備えていた。

 SMAP木村拓哉の奥さん(元おニャン子クラブ・工藤静香)

 彼女はおニャン子メンバーの中でも異質で、ケバくて大人っぽい存在だった。彼女もB型の特徴そのままで細身。「後ろ髪ひかれ隊」という3人組ユニットからソロデビュー。個性的な楽曲が多かった。同じB型の後藤次利がプロデュースを手掛けた。まさか木村拓哉と電撃結婚するとは思わなかった筈だ。

 三浦知良の奥さん(女優・設楽りさ子)

 彼女はどちらかと言えば、女優というよりマルチタレントという印象が強い。特にCMやグラビアで活躍したモデルっぽい存在。

 中山雅史の奥さん(女優・生田智子)

 生田智子は、ゴンと結婚する前にはトレンディ女優だった。長身でスタイルの良い女性だった。

 和田毅の奥さん(仲根かすみ)

 彼女は清楚にしておしとやか、おっとり風でいながら、一方ではグラマラスなボディを披露し、グラビアアイドルとして世の男性を魅了した。個人的には「恋するハニカミ」に彼女が陣内智則と出演した時に、新幹線ホームで別れ際、号泣していたのを見て、その純情さに惚れてしまうほどだった。元ソフトバンクエースで現在はメジャーリーガーの和田毅と結婚し、芸能界から身を引いた。

 今回は、これで閉じるが、ほかにも関口宏の奥さん(西田佐知子)、これまで何度か当ブログで取り上げた秋元康の奥さん(元おニャン子クラブ・高井麻巳子)、野口五郎の奥さん(三井ゆり)も今日のテーマに合致する方たちだ。どうです?意外でしたか?彼女たちがアイドルとして輝いていた懐かしい映像でした。

 記事作成:平成26年4月~6月28日(土)


最高のプロポーズ大作戦Ver.2

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 7月4日付で公開した「最高のプロポーズ大作戦」。思いのほか大反響があり、アクセスが殺到した。これを受けて、調子に乗りやすい私が、凝りもせずに続編とも呼ぶべき第二弾を考えてみた。続々と動画サイトに同様の企画プロポーズがアップされている昨今、よほどこの映画のひとコマのような、記憶に残る最高のプロポーズを演出したがる若いカップルが増えていると見える。さて、今日はどんなサプライズ、あるいは感動を呼ぶ演出が見られるだろうか。乞うご期待。

 1 映画館でサプライズプロポーズ

 映画館を貸し切ってニセの試写会を開催!!何も知らない彼女は突然スクリーンに映し出­された彼氏を見てビックリ!!サプライズプロポーズの一部始終です!!誰もが羨むようなシチュエーション。

 2 カフェレストランでのサプライズプロポーズ

 親友たちが心底2人の結婚を待ち望んでいたことが見て取れる。温かいし、良い友達を持ったと羨ましくさえ感じる。彼女の大泣きは一生素敵な想い出として刻み込まれるに違いない。双子の弟さんもいい人すぎ。周囲の祝福と感動の涙の嵐。BGMの選曲も涙を誘う。すべてが完璧の演出。末永くお幸せに。

 3 プラネタリウムで感動のサプライズプロポーズ

 プラネタリウムデートだと思っていた彼女。満天の空の下、大切な人に想いを伝えたいというアナウンスの後、天井に輝く満天の星空の下、ロマンチックムードたっぷりの状況にあって、友人たちからの思いがけぬメッセージ映像が流れ、感激はより一層盛り上がる。彼がどれだけ彼女を想い、時間をかけて念入りに練られたサプライズだと理解できる。

 4 BOVA NEW BALANCE 「プロポーズ大作戦」   

 2013年冬。何も知らない彼女は、映画館に呼び出される・・・ 
ランニングプロポーズ大作戦。リアルです。思いもよらない彼のスクリーン登場。彼女の元へ必死で駆けていく映像は、彼女の心を打つに違いない。

 5 チャペルでのプロポーズ

 目隠ししたまま、手を引かれてたどり着いた先は教会。覆いをとると、そこには見慣れた友人たちの温かなまなざし。そんな中、彼からの心のこもったメッセージが読み上げられる。 人目を憚らず大泣きする彼女の声がチャペル中に鳴り響き、彼女がどれほど感激し嬉しかったかを慮ることができる。このサプライズを成功させるために、彼の友人や仲間が一堂に会し、ダンスを踊って盛り上げてくれた。彼女にとっては最高の幸せのひととだったに違いない。

https://www.youtube.com/watch?v=nGWsTwm3zDg

 6 フラッシュモブ風プロポーズ

 山口県防府市のショッピングモールで行われていたブライダルフェアに立ち寄ったおふた­り。しばらくすると、彼はトイレに行くと言い席を立ち去りました。すると、突然ひとりのダンサーが現れ踊り始めます。これもブライダルフェアかイオンタウン主催のイベントだと思う彼女。しかし、ダンスを踊る人は少しずつ増えていきます。
「なんなんだろう?」
彼女がそう思っていると、彼女の友人も登場!!
そして、突如敷かれたレッドカーペットの向こう側には彼が!!
ようやく状況が把握できた彼女は感極まって涙...。

 ダンスに参加していたメンバーから「青い花」を受け取りながら近付いてくる彼。そして「青い花束」を手にした彼は彼女の前に。『出逢った日から今日までの間、楽しかったこと、辛かったこと、いろいろなことがあっ­たけど、これから先の永遠のパートナーとして僕を幸せに出来るのは千穂しかいないと思­いました。そして千穂を幸せに出来るのは僕しかいないと思います。千穂を世界一の幸せ­者にします。結婚してください。OKであれば、その花束の中の一輪の花を僕の胸ポケッ­トに入れてください。』
そして彼女は一輪の花を彼の胸ポケットへ!
すると、彼からエンゲージリングが彼女の薬指へ!!プロポーズは大成功!!!
そのまま、その場にいた全員で集合写真を撮影。

撮影が終わると、おふたりと友人を残し、参加者は人ごみの中へ...フラッシュモブ、彼女の友人、彼の友人、サムシングブルーの「青い花」、ブーケ・ブー­トニア伝説、エンゲージリング...。全てがサプライズで、全てが大成功でした!!(YouTubeの概要解説より)

 7 「アイのうた5」発売記念企画 サプライズプロポーズ

https://www.youtube.com/watch?v=VRu0rEbEsM0

 彼女へプロポーズをしたいという彼の熱い想いを受けて、今回振付を担当してもらった友­人であるダンサーの協力や、沢山の共通の友人を巻き込んでのサプライズプロポーズ大作­戦☆事前に行ったダンス練習などの映像や、本人コメントも合わせて、一人ではできない感動­的な演出を企画実施しました! 
"アイのうた"がお手伝いした"想いを伝える1日&q­uot;をご覧ください。

 彼女の「なんで~」を連発するシーンに、信じられない現実が目の前で起きていることを物語る。たぶん夢か現実の区別も難しい状況下で、文字通り「夢心地」だったのかもしれない。

 8 フラッシュモブでプロポーズ「Marry You」

 11月24日(日)心斎橋にて行われました!!!

今回のフラッシュモブはエンターテイナーと一般の方達みんなの力を合わせて行ったプロポーズモブです。

世界でただ1人の特別な笑顔がみたいから...
愛する人にとって一生忘れられない想い出にしたい
そう心に誓う男性を応援するために集まった
みんなでのぞんだサプライズ。サプライズ慣れ(?)している彼女さんに気付かれないようにするためプロポーズモブの前半は疑似カップルのプロポーズモブに遭遇したという
演出にしています。

 9 STORY3 距離と時間を飛び越えて結ばれる二人

別々の街に暮らす恋人。
お互いのことを想っていても、二人の日々は平行線のまま交わることもない。
距離と時間に試された二人は、逢いたい気持ちを日々募らせていく。
日々溢れる想いを伝えに、逢いたい人に会いに行く。
一緒に過ごす時間が過ぎるのは早く、また別々の日々が近づいてくる。
距離と時間に試された二人の、かけがえのない時間。
様々な"アイのカタチ"を映し出したドキュメンタリーショートム­ービー。

 

10  STORY2 初めて彼女の街で過ごす二人

別々の街に暮らす恋人。
お互いのことを想っていても、二人の日々は平行線のまま交わることもない。
距離と時間に試された二人は、逢いたい気持ちを日々募らせていく。
日々溢れる想いを伝えに、逢いたい人に会いに行く。
一緒に過ごす時間が過ぎるのは早く、また別々の日々が近づいてくる。
距離と時間に試された二人の、かけがえのない時間。
様々な"アイのカタチ"を映し出したドキュメンタリーショートム­ービー。

 さて、今日は10作品を紹介しましたが、いかがでしたか?羨ましいと感じましたか?自分もこのように手の込んだ彼からプロポーズをして貰いたいと思いましたか?ドラマチック演出の大切なのはお互いの気持ちだと思う。二人の想いが高まって、同じ時間を共有し、同じ生活を営み、ふたりの愛の結晶を育み、一生を共にする。良い出来事ばかりではなく、辛いこと苦しいことも一緒に乗り越える

 記事作成:7月4日(金)~7日(月)

自ら命を絶ったアナウンサー

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 アナウンサーはマスメディアを代表する花形職業だ。独特な緊張感の中、衆人環視の下で仕事にあたる任務を背負う運命。テレビの視聴者がその仕事ぶりを随時目撃し、その発言や言動には時として批判を浴びることも多々あるし、私生活も、タレントと同様、常に一般人の興味が注がれる始末。街を歩けば、断りもなく写メを撮られ、握手やサインをせがまれる。まったく、プライベートなどあったもんじゃない。
 しかも、睡眠時間が不規則で、ストレスが溜まりやすい職業とも言える。そんな超多忙を極めるアナウンサーという職業で、図らずも自ら命を絶ってしまった方も決して少なくない。そのアナウンサー自身が人気があり、著名であればあるほどその訃報は衝撃を伴う。
 今日は、ご本人の名誉やその家族にかかわるデリケートな話題に触れることになるが、決して誹謗中傷ではなく、彼ら(彼女たち)が活躍した同じ時代を生きた者として、彼らの生きた証を刻みたいという趣旨から掲載することを決意した。その点をご了承いただければ幸いです。

 1 松宮一彦

 久米宏と共にTBSの看板アナだった。昭和50年代の超人気番組「ザ・ベストテン」では追っかけ生中継を担当。お茶の間の人気者になった。

 1999年9月27日没

  私は中高生時代に、「ザ・ベストテン」は欠かさずに毎週見ていた番組だった。これを観ないと、翌日のクラスでの話題についていけなかったほど人気があった。久米宏と黒柳徹子の絶妙な司会に加え、毎回ランキング上位者が生出演する。もしスケジュールが合わず、赤坂のスタジオに来れない場合は、中継車を出し、それがコンサート会場であろうが、移動中の新幹線の駅であろうが、どこでもお構いなしに追っかけて生中継を行う凄技だった。その名物追っかけレポーターとして活躍し、有名となったのが彼だった。私は彼が自ら命を絶ったと知ったのは、だいぶ後になってからで、残念でならなかった。プライベートに関することが動機らしいが、テレビやラジオでの露出度が高く、人気アナだっただけにもったいない気がした。よほどの苦渋があったのだろう。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 2 向坂松彦

  早稲田大学を卒業し、1956年にNHKに入局。同期に山川静夫、松川洋右がいる。
 1962年春場所から大相撲の実況担当アナウンサーとなる。大相撲に限らず、競馬など幅広い種目のスポーツ中継の実況を担当した。
 1964年東京、1972年冬季札幌、1976年のモントリオールの各オリンピックでも実況を担当。特にモントリオールオリンピックの体操で金メダルを獲得した、ルーマニアのナディア・コマネチを、“白い妖精”と実況し、彼女のキャッチフレーズとなった。
 大相撲では、1981年初場所の千代の富士初優勝や、1990年春場所の千代の富士1000勝達成など、数多くの名勝負の実況を担当した。定年後は相撲ジャーナリストとして活躍した。フジテレビアナウンサーの向坂樹興は甥に当たり、NHK退職後は「日本大相撲トーナメント」中継での共演も見られた。
 NHK退職後にはフジテレビの『めざましテレビ』などで、大相撲関係のコメンテーターとして出演していたこともある。
 2000年11月8日、横浜市の自宅で左手首を切り自殺。66歳没。

https://www.youtube.com/watch?v=7NGeerNX4Ps

 3 米森(鈴木)麻美

 上智大学を卒業し、1989年日本テレビ入社。日本テレビの人気女子アナの一人で、永井美奈子、薮本雅子と共に業界初の女子アナユニット「DORA」を結成。血液型はAB。2001年9月16日没。第一子となる長男出産の約3週間後に急逝。34歳没。

https://www.youtube.com/watch?v=-k-yJQdx--0

 4 鈴木(大杉)君枝

 日本テレビの女子アナ。2007年2月2日没。血液型はAB

 東京都杉並区出身。姉はジャズシンガーの鈴木陽子。光塩女子学院高等科出身。立教大学社会学部卒業後、1987年に日本テレビに入社。
 1997年11月に不動産業を経営している男性と結婚したが、2002年2月に離婚。2003年8月に広告代理店電通に勤務する10歳年下の男性と再婚。仕事でも夫の姓である「大杉」姓に変更。不妊治療の末、2006年10月に43歳で第1子となる男児を出産。
 育児休業中の2007年2月2日、東京都渋谷区の自宅マンションから転落死。遺書らしきものが残されており自殺と見られる。出産後に全身の疼痛を伴う原因不明の病気である線維筋痛症を発症し治療を受けていた。

 自殺現場となったマンション https://www.youtube.com/watch?v=113nNJVvrL4

 5 川田亜子

 元TBSの女子アナ。2008年5月25日没。車内での練炭による一酸化炭素中毒死。
 石川県金沢市生まれ。2002年3月 白百合女子大学文学部卒業。2002年4月1日 TBSにアナウンサーとして入社。
 2008年5月7日から、オフィシャルブログに悩みを書き込むようになり、閲覧していたファンや関係者の間から心配する声があがった。5月12日には「私は悪魔になった」といった内容が書かれたが、この日の日記は数日後に削除された。日記の内容の問題は、週刊誌などの誌面でも度々取り上げられた。
 5月18日 「がっちりマンデー!!」ではいつもどおりリポートしていたが、フリーアナ転身後は不定期出演となっていた。この日のリポートが同番組での最後の出演となった。5月24日 「サタデースクランブル」とその後にMCを務めたトークショーでは、元気がなかったものの問題なく進行した。これが最後の公の姿となった。
 5月26日午前6時15分頃、東京都港区海岸の路上に駐車してあった車内で倒れていたところを発見され、警視庁三田警察署により死亡が確認された。車内から家族に宛てた遺書と練炭が発見されたことから、自殺と見られている。没年齢29歳4ヶ月。

 6 山本真純

  東京都杉並区出身。日本テレビ女子アナ。 010年7月27日没。仙台市青葉区広瀬町の高層マンションから飛び降り自殺したとみられる。学習院大学理学部化学科卒業。学生時代は放送研究部に所属。
 2009年3月4日、趣味のスクーバダイビングを通じて知り合ったマリンスポーツインストラクターの男性(当時32歳)と同年3月3日のひな祭りに結婚したことが日本テレビより発表された。2010年年明け頃より産休・育休に入り、2010年2月に第1子(長男)を出産。
 育児休暇中の2010年7月27日、宮城県仙台市青葉区内のマンション前で倒れているところを発見され、死亡が確認された。34歳没。山本の兄がフジテレビ系『情報プレゼンター とくダネ!』の取材に応え、2010年4月(一部報道では5月)ごろよりうつ病(いわゆる、産後うつ)の診断を受け治療を行っていた事実を告白した。事故現場となった仙台のマンションは実家の別荘で祖父に長男を対面させる旅行中の出来事であった。

 自殺現場となったマンション https://www.youtube.com/watch?v=uTc47E48x5k

 7 塚越孝

 フジテレビアナウンサー。なんとフジテレビ内の男子トイレ個室で首つり自殺。2012年6月26日没。
 神奈川県川崎市中原区出身。川崎市立橘高等学校を経て、日本大学藝術学部放送学科卒業。1977年、ニッポン放送入社。
 2006年4月、ニッポン放送再編に伴い、フジテレビジョン編成制作局アナウンス室に転籍、同年アナウンス室専任部長に就任。この再編はライブドアによる買収騒動が発端となっており、イベント等の自己紹介において「ライブドア問題で移籍した」ことを話すのが恒例になっていた。2012年6月26日、フジテレビ内の男子トイレ個室で首吊り自殺。57歳没。

訃報を伝える番組 https://www.youtube.com/watch?v=66OFmiHU50Q

 上記以外でも、自殺ではないが、我が福島県の民放ラジオ局に勤めていた奈良県出身の現役女性アナウンサーだった広瀬真弓さんが元交際相手に自宅アパートで殺害されるという悲劇が起きている。どこで運命の歯車が狂うかわからないご時世である。

 

 さて、今日の記事は謹んでご冥福をお祈りしつつ、襟を正して執筆したつもりだ。それぞれ理由は様々あると思うが、自ら命を絶つ覚悟を持ってそれを自らが決行したからには、それ相応の深い悩みや苦しみがあって然るべきだ。しかしながら、人生一度きり、死をもって清算すべき理由とは計り知れないが、周囲に打ち明けてそれを軽減する術はなかったのだろうか。人知れず孤独の中でもがいていた心中を察すると余りある。それがアナウンサーという逃げられない職業だったからなのだろうか。真相は本人のみぞ知ることだが、個人的見解を述べれば、優秀な人材を失ったことに対して痛恨の極みである。

 記事作成:6月28日(土)

 

追悼 大瀧詠一

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 大瀧詠一は、私にとって山下達郎や佐野元春、浜田省吾と同列に位置する、大好きだった重鎮「男性ソロシンガー」だ。常に流行の最先端を走り、トレンディードラマの主題歌として何度も使われ、LIVE活動にも長年に渡って携わって来た。何を隠そう私は彼のベストアルバム「A LONG V・A・C・A・T・I・O・N」を持っていた。オシャレなマリンリゾート風のジャケットが、いかにも彼の奏でる「今風」のサウンドとマッチして、真夏の海が良く似い、聴いているだけでウェストコーストや南国の美しい海岸線の風景、あるいは潮の香りが漂うテラスでトロピカルジュースを傾けて静かに読書に勤しむといったシーンが浮かんでくる。それは私が高3から大学生の頃によく聴いていて、都会への憧れを強くした時期のことだった。

Otaki1Otaki2

 そんな彼の早すぎる訃報に接したのは昨年の暮れのことだった。河島英五や村下孝蔵、坂井泉水が急逝した時もショックだったが、人生に多大な影響を与えてくれたミュージシャンが天国へと旅立ったことに、失望にも似た居たたまれない感情がこみ上げたことを昨日のことのように覚えている。なのになぜ、今日まで追悼記事を掲載して来なかったかというと、彼はサザンやTUBEと同様、あまりにも夏がよく似合い、そうした夏を彩る数々のドラマチックな名曲を世に送り出してくれた功績を、冬に掲載してもイマイチピンと来ないため、夏まで大事に心の片隅にしまっておいたのだった。
 今日は満を持して、彼の遺した作品の中から名曲と呼ばれしサマーソングを紹介し、彼の功績を讃え、作品を私の記憶に深く刻み込むとともに永遠のものとしたい。まずは今更だが彼のプロフからどうぞ。

 <大瀧詠一>

Otaki3 1948年、岩手県江刺郡梁川村生まれ。教師だった母子家庭で育った。1968年に早稲田大学第二文学部に入学。1970年「はっぴいえんど」というバンド名で、アルバム『はっぴいえんど』でデビュー。はっぴいえんど活動中の1971年にソロ活動を開始し、アルバム『大瀧詠一』(1972年)を発表。はっぴいえんど解散後はソロ活動に移行せず、当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、ごまのはえ、布谷文夫など若手のプロデュースを始める。
 1981年3月に『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。その後、太田裕美や小林旭、森進一などに楽曲を提供。
 1997年には12年ぶりとなる新曲『幸せな結末』を発表。月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成。
 2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートに林檎を食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。65歳没。血液型はAB

 では私が好きな曲をお送りしますが、リンクした「YouTube」映像は、予告なく削除されることがありますので、予めご了承願います。特に、大瀧詠一の楽曲は、版権が厳しく、削除される公算が高いと思われます。

 1 「君は天然色」

 イントロが最高。押し寄せて来る夏の気配に胸が躍り、ひと夏の経験を予感させてくれる。眩しい日差しの中で、真夏の砂浜を水着の上にTシャツを羽織った若い女性が歩いている絵が浮かんでくる。波がしらをキレキレのサーフィンテクで踊るようにボードを滑らせるサーファーの姿やエメラルドブルーの水平線と優雅に飛び交う鷗。そんな風景が浮かんでくる。

 2 「恋するカレン」

 1981年6月21日に発売された大瀧詠一通算8作目のシングル。これもベストアルバム「A LONG VAVATION」に収録された珠玉の一曲。

 3 「バチェラーガール」(稲垣潤一へ楽曲提供)

 1985年7月1日発売 横浜ゴム「インテック」のCMソング。私が1990年代、一番よく聴いていたシンガーがハウンドドッグと稲垣潤一で、これは稲垣潤一に提供した楽曲だった。 

 4 「幸せな結末」

https://www.youtube.com/watch?v=HOSmr1bzHuQ

https://www.youtube.com/watch?v=XVbgH_N6yjk

 1997年、活動停止から実に12年ぶりとなる新曲『幸せな結末』を発表。木村拓哉と松たか子が競演した月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成。

 私が好きなカラオケ映像はコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=M9tOMsl5ULg

 5 「風立ちぬ」

 この曲は1981年10月にリリースされた松田聖子の7枚目のシングルである。堀辰夫の同名の小説やジブリにもあるが、私の中では彼が手掛けた名曲のひとつに位置する。失恋した女の子の強がった心情を情緒たっぷりに描いた。「風立ちぬ」は秋の季語。当然、この曲は夏ではなく、深まりゆく秋に聴きたい曲。ご本人が歌うのは珍しく、貴重な音源。初のオリコン1位獲得曲となった。グリコ・ポッキーCM曲でもある。

 6 「恋するふたり」

 2003年5月21日に発売された大瀧詠一通算15作目のシングル。フジテレビ系ドラマ『東京ラブ・シネマ』の主題歌として制作された、約6年ぶりの新曲。

 他には「スピーチ・バルーン」や「ペパーミント・ブルー」、「さらばシべリア鉄道(太田裕美へ提供)」、「ハートじかけのオレンジ」、「冬のリヴィエラ(森進一へ提供)」も好きな曲だった。

 彼の声は良く通り、喫茶店のBGMで流れても耳に心地よかった。どことなく松岡直也の「ハートカクテル」と並び、若者が憧れるデートのシチュエーションや恋愛場面を想像させる作風が多かった。オシャレで時代の流行を先取りしている構図が作品に散りばめられていた。

 最後に、彼の魅力をメドレーで紹介した動画をご覧いただき、結びとしたい。

https://www.youtube.com/watch?v=hp7hslAeuCA

https://www.youtube.com/watch?v=1XXHlvilb0A

 記事作成:6月29日(日)

プレイバックスポーツ感動シーン

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 何をいまさらと言われそうだが、今年はスポーツ三昧となった。まず冬、ソチ五輪が開催された。羽生結弦が見事男子フィギュア界で初の金メダルを日本にもたらした。そして6月にはサッカーW杯で灼熱の国ブラジルは、戦前はデモや工事の遅れ、あるいはテロの脅威なおで開催自体が危ぶまれたものの、開けてみれば連日繰り広げられた熱戦に感動と希望をもらった気がする。

 そこで今日は、過去において、感動的なスポーツ名シーン回顧すべく、このような記事をしたためてみた。題して「プレイバックスポーツ感動シーン」。忘れかけていた筋書きのない感動ドラマをもう一度思い出していただけたら幸いです。

 ロンドンオリンピック

 内村航平、ボクシングの村田諒太、吉田沙保里らの金メダルに加え、悲願の銀メダルを獲得した女子卓球団体、なでしこジャパンの最後まで諦めない闘志、競泳陣のチームワーク、そして女子バレーボールでは宿敵中国を倒しての銅メダル獲得。毎日のように感動をもらった。深夜まで眠い目をこすり、テレビの前に釘付けとなって声援を送った2年前の暑い夏。寝不足に追い込まれた人も多かったはず。
 そして熱戦が終わり、東京の中心地で行われたメダリストたちの凱旋パレードは、群衆で埋め尽くされた。その数60万人。これほど人々に感動を与える原点は、筋書きのないドラマだということ。そしてメダルにたどり着くまでの努力は並外れたものではないということ。檜舞台の陰で、人知れずトレーニングに励み、肉体の限界に挑み、掴み取った栄光。それはまばゆい光に包まれた最高の栄誉。今、2年前の感動をここで振り返り、アスリートたちの頑張りを改めて讃えたい。

 そのTV中継を彩ったのが、NHKの五輪テーマソングとして使用された「いきものがかり」の「風が吹いている」だ。この曲が感動に色を添えた。

 ソチ五輪の名場面をバックに歌う「風が吹いている」

 人間の記憶は不思議なもので、あれほどのセンセーションと感動シーンを与えてくれたロンドンオリンピックも、時の流れと共に次第に過去のものとなっていき、忘れ去られる運命。したがって、スポーツは政治を越え、全世界の人々を繋ぐ架け橋となる要素を含んでいる。感動は海を越えて伝わり、素晴らしい演技やパフォーマンスには最高の賛辞と惜しみない拍手を送る。それがスポーツの良さであり、感動を呼ぶ筋書きのないドラマなのだ。

 最後に、月日が経つのは早いもので、アテネオリンピックの男子体操の復活劇から10年が経過した。私はこの快挙をテレビの前で自分の目に焼き付けていた。時々涙で霞んで見れなかったことを覚えている。あの日の感動を永遠に忘れ得ぬものとしたいので、ここで紹介して結びとしたい。もちろん五輪の公式テーマソングは「ゆず」の「栄光の架橋」だった。

 伝説となった刈屋アナの実況はコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=YxheBA8YwIo

 記事作成:7月2日(水)

CMの彼女⑰

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 このシリーズ記事も思いがけず長寿となった。始めた当初はよもやこれほど続くとは思わなかった。それだけ毎年、ニューフェイスが続々と登場しているという何よりの証明だ。然るに、今日お伝えする彼女は、これまで何度もCMに出演しているお茶の間での知名度も高いこの方です。

 三吉彩花のプロフィール

 1996年6月18日|ふたご座|埼玉出身|B型 現在18歳。

Miyoshi1Miyoshi2

小学1年生で読者モデルに、小学3年生の時に原宿でスカウトされてアミューズに所属。2009年に川越市立武蔵野小学校を卒業ニコ☆プチの事務所オーディションに合格し、nicola2008年7月号別冊2008年ニコ☆プチ夏号に初登場する。2010年6月号のニコ☆プチにて、専属モデルを卒業した。2010年5月、『さくら学院』メンバーとして活動開始。2010年8月18日 、ミスセブンティーン2010に合格し、Seventeenの専属モデルになる。
2012年3月25日、「さくら学院」メンバーとして活動終了。
趣味はB型に多い韓国の研究、K-POP鑑賞。特技はダンス、歌。

 この通りカモシカのようにスラリと伸びた長い美脚。そして細身スタイルはやはりB型ならではだ。慎重171cm、体重49kg。他には下のCMにも出演した。

https://www.youtube.com/watch?v=EYuPbnBAppE

 このように彼女は新進気鋭にして、すでに何本ものCMに出演している売れっ子なのだ。それはやはりぴか一のルックスにある。どう見ても完全無欠の美少女。

 彼女を特に有名にしたCMと言えばやはりコチラ

 この「SEA BREEZE」は青春のほとばしる汗やスポーツシーンを描いて話題になった。かつては北乃きいや川島海荷も出演した。

<彼女が出演したCM>

  • 味の素 Cook-Do(2006年5月 - )
  • 住友生命保険 企業(2006年10月 - )
  • 三井不動産販売 三井のリハウス(2006年10月 - )
  • BANDAI ふしぎ星の☆ふたご姫(2006年 - )
    Yes!プリキュア5 ピンキーキャッチュ(2007年1月 - )
    キッズケータイpapipo!(2007年3月 - )Yes!プリキュア5 ドリームコレット(2007年3月 - )
  • JOHNSON グレート消臭パフパフ (2008年6月 - )
  • SUZUKI WAGON R(2009年3月 - )
  • 協和発酵キリン 企業(2009年4月 - )
  • ベネッセコーポレーション 進研ゼミ中学講座(2010年2月 - )
  • オリエンタルランド 東京ディズニーシー 「クリスマス・ウィッシュ」(2010年11月 - )
  • SUNTORY なっちゃんオレンジ(2011年2月 - )
    企業 「見上げてごらん夜の星を」 / 「上を向いて歩こう」(2011年4月 - )
  • NTTラーニングシステムズ大学受験倶楽部(2012年10月 - )
  • リクルートジョブズ タウンワーク(2013年2月 - )
  • 資生堂 シーブリーズ(2013年2月 -)
  • 森永製菓 ベイク(2013年3月 - )
  • すかいらーく ガスト 秋の食いしん坊フェア(2013年9月 - )
  • はるやま商事 フレッシャーズキャンペーン(2014年2月 - )
  •  ヤングアイドル「さくら学院」時代の彼女の映像はコチラ

      記事作成:7月6日(日)

    今週の山岸舞彩キャスター(7/20~7/22)

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     毎週お送りしているこの記事は、フリーアナウンサーの山岸舞彩さんを応援するために、毎週彼女の番組出演の様子を掲載するものです。

     7月20日(日)ワンダフルライフ

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     7月21日(月)ZERO

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     7月22日(火)ZERO

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     7月23日(水)取材のため、この日の山岸キャスターの出演はありませんでした。

     7月24日(木)取材のため、この日の山岸キャスターの出演はありませんでした。

    私が好きな番組テーマ曲(NHK編)

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     加齢と共に「NHK」の番組を観ることが多くなってきた。若い時分は「連想ゲーム」と「レッツゴーヤング」しか見なかった私が、徐々にNHKの良さが分かるようになってきた。人生観を養い、人間の真価を悟って来たからだろうか。人間の本質を突くような鋭い描写やテーマ設定が自分好みに合うようになってきた。歴史や旅行、人生を描いたドキュメンタリー番組、人間の奥底にある深層心理や葛藤を取り上げた人間ドラマ、あるいは大河ドラマ、連続テレビ小説などジャンルは年々広がってきている。そこで、今日は、これまで私が観て来たNHKの秀逸した名番組の中から、特にお気に入りだったテーマ曲を取り上げたい。

     シルクロード 喜多郎

     どこか懐かしい、郷愁を誘うような曲調。幼少期、父と母、家族に囲まれて楽しく過ごした少年時代を思い出す。故郷の田園風景や山の稜線に沈む西日に茜色に染まる夕焼け空。さまざまな風景が胸に去来する。そんな日本の景色を彷彿させるスケールの大きな珠玉の一曲。

     映像の20世紀

     は1999年4月10日〜2000年3月25日にNHK教育で毎週土曜日に放送されていたテレビ番組。全国の放送局が視聴者に呼びかけて収集した地域の記録映像や証言をもとに、各都道府県単位で20世紀の歴史を見つめ、未来に向けて保存する番組。記念すべき第1回目は我が福島県だった。全50回放送された。

     NHK「世紀を越えて」

     1999年1月から2000年12月にかけてNHK スペシャル枠で放映されたドキュメンタリー番組。全45回の超大型シリーズ。オープニングでの戦争や爆破テロなどのクロスカッティング映像と共に流れる、アディエマスが手がけたテーマ曲「世紀を越えて / Beyond The Century」は、日本でアディエマスが広く知られるきっかけになった。ナレーションは松平定知アナウンサー。

     「その時歴史が動いた」エンディングテーマ

     壮大なスケールを感じる。歴史の重み、常しえに続く人間の営み、そして人生の悲哀。いろいろな交錯する。後半の盛り上がりは圧巻。この曲には人生の縮図を感じる。

     「新日本紀行」&「小さな旅」

     日本の春夏秋冬、四季折々の草花が咲き誇る長閑な原風景、そして各地で催される祭事、静かな田舎の港の景色、紅葉で埋め尽くされた美しい山々の神々しい姿。何人たりとも寄せ付けないそそり立つ切り立った崖に、荒れ狂う波しぶきが舞い上がる。足跡ひとつない新雪が埋め尽くした大平原。そんな日本特有の風景が目に浮かぶようなBGM。

     プロフェッショナル仕事の流儀

     現在、火曜日の22時から放送しているNHKの看板ドキュメンタリー。その人の仕事の流儀やこだわりに焦点を当て、ストーリータッチでその人の人となりや生き方を紹介する。何かに向かってひたむきに努力するその姿勢や頑張りがひしひしと伝わって来る。

     「坂の上の雲」 「Stand Alone」

     明治時代に起きた「日露戦争」。戦の道に突き進む時代の流れにあって、知られざる当時の軍人たちの葛藤やエピソードを描いた名作。本木雅弘の熱演に涙した方も多いことでしょう。命と向き合い、人間の本来あるべき姿を描き、浮き彫りにした。クライマックス部分は、深遠にして恒久、昇魂のイメージを掻き立てる。この歌は、日露戦争の戦場で若き命を散らした英霊たちに捧げるレクイエム(鎮魂歌」に思えて居たたまれない。

     「心に残るセリフ」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=sGPnbt-oeMo

     他には「プロジェクトX~挑戦者たち~」の「ヘッドライト・テールライト」も大のお気に入りだった。この曲に関しては、過去、何度も当ブログで取り上げてきたため、今回は掲載を見送らせていただきました。

     記事作成:7月9日(木)


    半世紀の衝撃事件・事故・自然災害

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     時間が経つのは早いもので、私がこの世に生を受けて、今年で半世紀を迎える。その人生の節目で記念すべき年に当たり、私の重ねて来た年輪と共に、様々な出来事があった。嬉しいニュースも数多くあったが、どちらかと言えば世間を震撼させる事件や目を覆いたくなる惨状のほうが記憶に残る。そこで今日は、自分の歩んで来た人生の中で、一体どのような出来事があったかを振り返りたい。

     1964年(昭和39年)0歳 

     東京オリンピック開催・東海道新幹線開通・新潟地震

     1965年(昭和40年)1歳

      アメリカ軍による北ベトナム爆撃(北爆)開始・全日空貨物機失踪事件・夕張鉱業所でガス爆発

     1966年(昭和41年)2歳

     ビートルズ来日公演・全日空ボーイング727型機が東京湾に墜落し133人全員死亡

     1967年(昭和42年)3歳

     ツイッギー来日。日本にミニスカートブーム到来・グループサウンズブーム・ミニスカー小大流行

     1968年(昭和43年)4歳

     三億円事件・川端康成ノーベル文学賞・霞が関ビル完成・十勝沖地震

     1969年(昭和44年)5歳

     アポロ11号月面着陸・東大安田講堂事件・パンタロン大流行

     1970年(昭和45年)6歳

     大阪万博・福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件・よど号ハイジャック事件・三島由紀夫割腹自殺事件

     1971年(昭和46年)7歳

     全日空機雫石衝突事故・明治公園爆弾事件・ボウリングブーム・大久保清連続殺人事件

     1972年(昭和47年)8歳

     札幌五輪(日の丸飛行隊)・あさま山荘事件・日中平和友好条約・千日デパート火災・パンダブーム・横井庄一帰国

     1973年(昭和48年)9歳

     熊本大洋デパート火災・オイルショック買占め・巨人V9達成

     1974年(昭和49年)10歳

     三菱重工爆破事件・モナリザ来日・小野田寛郎帰国

     1975年(昭和50年)11歳

     長嶋引退・第二次ベビーブーム・広島赤ヘル旋風・沖縄海洋博

     1976年(昭和51年)12歳

     ロッキード事件・モントリオール五輪・コマネチブーム

     1977年(昭和52年)13歳

     756号フィーバー・スターウォーズ封切り・青酸コーラ無差別殺人事件

     1978年(昭和53年)14歳

     ピンクレディーブーム・スーパーカーブーム・成田空港管制塔占拠事件

     1979年(昭和54年)15歳

     日本坂トンネル火災事故・第2次オイルショック

     1980年(昭和55年)16歳

     長嶋監督退陣・王引退・大平首相死去・一億円拾得事件・川崎浪人生金属バット両親殺害事件

     1981年(昭和56年)17歳

      深川通り魔殺人事件・北炭夕張新炭鉱

     1982年(昭和57年)18歳 

     ホテルニュージャパン火災・全日空機羽田沖墜落事故・ロス疑惑

     1983年(昭和58年)19歳

     イッキブーム・アキノ暗殺事件・勝田清孝連続殺人事件・日本海中部地震・大韓航空機撃墜事件

     1984年(昭和59年)20歳

     女子大生ブーム・三井三池炭鉱有明抗火災・世田谷局ケーブル火災・グリコ森永事件

     1985年(昭和60年)21歳

     おニャン子クラブブーム・バブル景気・つくば科学万博・日航機墜落事故・犀川スキーバス転落事故(日本福祉大学)・三菱南大夕張炭鉱爆発事故

     1986年(昭和61年)22歳

     チャレンジャー号爆発事故・私をスキーに連れてって(スキーブーム)・岡田有希子投身自殺・トリカブト保険金殺人事件・バブル景気

     1987年(昭和62年)23歳

     国鉄民営化(JR発足)・石原裕次郎死去

     1988年(昭和63年)24歳

     上海列車事故(高知学芸高校)・自粛ブーム・東京ドーム開場・青函トンネル開通

     1989年(平成元年)25歳

     昭和天皇崩御・東京埼玉幼女誘拐殺人事件(宮崎勤)・女子高生コンクリート詰め殺人事件・美空ひばり死去

     1990年(平成2年)26歳

     礼宮と川島紀子結婚・バブル崩壊・センタ-試験開始・猛暑で水不足

     1991年(平成3年)27歳

     雲仙普賢岳火砕流災害・溶岩ドーム・信楽高原鐵道列車衝突事故・石井舞ちゃん行方不明事件・加茂前ゆきちゃん行方不明事件

     1992年(平成4年)28歳

     バルセロナ五輪岩崎恭子金メダル・学校5日制スタート・長谷川町子死去

     1993年(平成5年)29歳

     北海道南西沖地震(奥尻島大津波)・皇太子・雅子さま御結婚・Jリーグ開幕・ドーハの悲劇・逸見政孝がガンで死去

     1994年(平成6年)30歳

     中華航空140便墜落事故・大江健三郎氏がノーベル文学賞・松本サリン事件発生

     1995年(平成7年)31歳

     阪神淡路大震災・福島国体開催・地下鉄サリン事件・八王子スーパー殺人事件・福島悪魔払い殺人事件

     1996年(平成8年)32歳

     豊浜トンネル崩落事故・羽生善治7冠・藤子F不二雄死去・O157猛威・ルーズソックス
     郡山市で男子高校生が女子高生を殺害し、母親が死体遺棄を幇助

     1997年(平成9年)33歳

     たまごっちブーム・神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔事件)・山一證券経営破たん・福田和子逮捕

     1998年(平成10年)34歳

     長野五輪・和歌山毒物カレー事件・黒澤明死去・タイタニックブーム・怪物松坂春夏連覇

     1999年(平成11年)35歳

    玄倉川水難事故・地域振興券・ジャイアント馬場死去・石原都知事

     2000年(平成12年)36歳

     ミレニアム問題・シドニー五輪高橋尚子金メダル・小渕恵三死去・有珠山大噴火・世田谷一家殺害事件

     2001年(平成13年)37歳

     うつくしま未来博・附属池田小事件・アメリカ同時多発テロ事件・歌舞伎町ビル火災・明石花火大会歩道橋事故・武富士弘前支店強盗殺人放火事件

     2002年(平成14年)38歳

     日韓共催サッカーW杯・韓流ブーム(冬のソナタ)・住民基本台帳

     2003年(平成15年)39歳

     コロンビア号空中分解事故・鳥インフル発生・オレオレ詐欺横行・郵政民営化

     2004年(平成16年)40歳 

     スマトラ島沖地震・新潟中越地震・アテネ五輪メダルラッシュ

     2005年(平成17年)41歳

     JR福知山線脱線事故・愛地球博

     2006年(平成18年)42歳

     トリノ冬季オリンピック荒川静香金メダル・大雪による被害・ライブドアの堀江社長が証券取引法違反容疑で逮捕

     2007年(平成19年)43歳

     赤ちゃんポストの設置を認可・新潟県中越沖地震が発生・ZARDの坂井泉水死去
     会津若松市高校生による母親殺害事件

     2008年(平成20年)44歳

     秋葉原通り魔事件

     2009年(平成21年)45歳

     桜島が爆発的噴火・裁判員制度開始

     2010年(平成22年)46歳

     チリコピアポ鉱山落盤事故・はやぶさ地球帰還・高速道路無料化・猛暑で熱中症

     2011年(平成23年)47歳

     カンタベリー地震・東日本大震災・福島原発事故・計画停電

     2012年(平成24年)48歳

     笹子トンネル天井板落下事故・東京スカイツリー開業・山中伸弥がノーベル賞受賞

     2013年(平成25年)49歳

     東京スカイツリーからの本放送開始・富士山が世界文化遺産に登録

     2014年(平成26年)50歳

     マレーシア航空370便行方不明事件・韓国フェリー沈没事故

     参考 

     「戦後日本で起きた大惨事事故」

     http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-757c.html

     「日本で起きた平成の大惨事」

     http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-dade.html

     記事作成:7月5日(日)~

     追記(7/29)

     今回、このような記事を書いたところ、長崎県佐世保市で女子高校生が同級生を殺害し、遺体を解体する事件が発生した。動機は「人を殺してバラバラにしてみたかった」というもの。人命を何だと思っているのか。理解しがたい。
     このような猟奇的な事件は後を絶たない。我が福島県の会津若松市でも男子高校生が母親を殺害し、首を切断して警察に自首する事件(この高校生は保護観察処分)があったし、郡山市では高校生同士のカップルの間で殺人が行われ、母親が死体遺棄を幇助する事件が起きた。また、神戸で起きた中学生が小学生を殺害し、生首を校門に吊るした酒鬼薔薇聖斗事件も異常としか言いようがない。

     個性重視、価値観の多様化、人間関係構築の欠落が招いた凄惨な事件は、危険ドラッグの蔓延も重なり、ますます増える危惧を抱く。早急の対策が急務であることは明らかだ。

    本日の釣行記(7/30)

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     6~7月に休日出勤が連続したため、7月下旬のこの時期にまとめて休暇を取得できた。本来であれば、この有給休暇を利用し、本日は昨年に引き続き「北海道旅行」に旅立つ予定だった。「幸福の黄色いハンカチ」の夕張、「三毛別羆襲撃事件現場」、学生時代に初めて北海道の観光地を訪れた「神威岬」等を周遊するプランを立てていたが、先週末、いわき(平)で3日間炎天下の中、或る屋外イベントの仕事をして来て、両脚のふくらはぎの肉離れや疲労が著しく、遠出は避けたかった。
     したがって、約2年振りに釣りを楽しむことにした。2日前に東北地方が梅雨明けしたばかりで、正直猛暑の中の釣りも厳しいし、迷いに迷ったが、久しぶりの感触を取り戻そうと決断した。場所はフランチャイズの中之作漁港白灯台。平日なのでたぶん空いているという安易な発想。しかし、放射線被害により、海洋汚染が深刻化し、釣った魚は食べられない。
     よって、今回のいわきでの釣りは、キャッチ&リリースとし、単なる釣り勘を取り戻すための「試し釣り」的な感覚で臨む。したがって最初からクーラーは持っていかない。

     前日(7/29)の夕刻に蚊に刺されまくりながら物置から釣り道具一式を2年ぶりに引っ張り出した。すると、バッカンやデイパックのチャックが開閉できなくなっていて、オイルスプレーとペンチで何とか開け閉めできるよう修復した。

     そして19時半過ぎに、これまた久し振りに「上州屋」を訪ね、アオイソメ600円分とコマセ350円を購入。オキアミは冷凍庫に眠っていた2パックを使用することにした。幸い店員のI氏もまだその店舗にいた。2年振りの再会。私のことを覚えてくれていた。2年間有効のカードが切れてしまい、用紙に住所氏名などを記入手続して新しいカードに切り替えた。I 氏はやはり気持ちがいい人だ。
     その後、カワチでお茶とパン4つを購入した。これに昼間トライアルで購入したおにぎり2個を携帯。23時に就寝し、夜中出発に備える。たぶん仮眠程度で睡眠不足は確定。

     <DATA>

    DATE: 7月30日(水)
    TIME: 3:43~10:10(6.5H)   
    PLACE: いわき中之作漁港白灯台
    WEATHER: くもり/晴れ 20.4℃~26.9℃ 日出4:39 日没18:49
    TIDE: 中潮 満潮5:11(136cm) 干潮11:48(32cm)
    WAVE:波の高さ 1m~1.5m 水温:19.9℃
    WIND: 弱風
    EFFECT: ドンコ1尾、フグ3尾、アイナメ1尾、サバ12尾 (計17尾)

      
    THEME:「2年振りのファランチャイズで爆釣サバサバ!」

     <往路経過>

     7月30日(水)

     1:38起床
     1:54自宅発 ドンキ前の交差点で対向したガンメタカムリ無謀運転。逃げて交わす。
     2:07旧森永R49 信号タイミング最悪 大善寺交番前後取締り警戒
     2:16谷田川セブン18℃。先行車全くなし。スイスイ。
     2:29平田セブン 霧
     2:38長沢峠(17℃)
     2:45トンネル 赤帽が道を譲る
     2:48三和IC
     2:54平中央IC
     3:02 R6バイパス合流
     3:05鹿島街道 工事で幅員狭い
     3:13中之作漁港 往路90.3km(1時間19分)

     <実釣経過>

     白灯台無人。市場も漁港全体に人いない。防波堤一段高くなる。白灯台、ステンレス階段(護岸工事用)。満天の星空。灯台の周辺も高くなり、先端部分幅狭くなる。テトラもうず高く積まれる。携帯ラジオ感度悪い。

     3:43 胴突き仕掛けでぶっこみ。2年振りの実釣。懐かしい感覚。
     3:53 天秤仕掛けでぶっこみ。
     4:10 天秤仕掛けに21cmのドンコかかる。リリース。根が漂流。市場前で12時から味
          釣りしていた地元のオジサンが来て話。

    Img_7437_rImg_7439_r

     4:40 ウキふかせ(インターライン竿)スタート。チヌ針で餌はオキアミエビ
     5:05 朝焼け。全然鈴が鳴らず。睡眠不足解消のため寝る。幅狭く落ちる危険大。

    Img_7441rImg_7444_r

     6:04 円形オモリ付天秤と仕掛け根掛かりで失う。

    Img_7447_rImg_7448_r

     6:30 一斉に漁船が出港して沖へ。
     6:40 大型の作業船がエンジンスタートし、向きを変える。
     6:45 遠投サビキスタート。胸焼け(みぞおち焼ける痛み)&胃痛ひどい。UVクリーム塗
          る。じりじり日差しが強くなり、照り付ける。でも風が心地よい。
     7:20 胴突き仕掛けにフグ(リリース)作業船にコンテナ積み。ミキサー車入れ替わり立
          ち代わり来る。愛車大丈夫か?
     7:55 作業船出港時にフグ釣れる。針飲まれてリリースできず。仕掛けも失う。

    Img_7451_rImg_7453_r

     8:20 防波堤のヘチ際にぶっこんでおいた天秤仕掛けに15cmのアイナメかかる。
          久し振りだが、針飲まれてリリースできず。
     8:34 遠投サビキ(ピンク針)に20cmのサバかかる。ここからサバフィーバー開始。ウ
          キ根掛かり回収できず・・・。

    Img_7457_rImg_7458_r

     8:54 サバ20cm2匹(遠投サビキ)

    Img_7459_r

     9:02 ウキ&チヌ針、無事回収。
     9:07 サバ20cm(遠投サビキ)。すべてこのサイズ。すべてリリース。
     9:12 フグ
     9:13 大型作業船、江名沖から戻る。またミキサー車大挙襲来。
     9:30 サバ20cm(遠投サビキ)
     9:34 サバ18cm(遠投サビキ)
     9:40 サバ3尾すずなり。大きいウキが沈む。この手に伝わる反応久々興奮。
     9:43 サバ3尾再びすずなり(遠投サビキ)18cm×3。仕掛け絡まる。

    Img_7466_r

    10:01 コマセ切れでラストの一投でライン切れてサビキ仕掛けとオモリ失う。
    10:10 納竿。

     荷支度を整え、作業船とミキサー車いない隙に防波堤を歩いて車に戻った途端、「○木工業」と書かれたミニタンクローリーがエンジンかからず立ち往生していた。そこにいた作業着を着てサングラス姿の作業員が俺が車に戻ると、いきなりいちゃもんをつけてきた。来年の2月10日まで工事中だから「釣りは遠慮してもらいたい」だと。「防波堤に上がるあの階段も護岸工事用に設置したもので釣りのために架けた訳じゃない」とのたまう。しかも「今回はしょうがないけど次回から気をつけてくれ」と上から目線の発言。行政でも警察でもないのに言いがかり。どこにも「釣り禁止」などと書かれていないのに、嫌がらせか?こっちは誰にも迷惑をかけていないだろう。しかも防波堤の上の工事は既に完了してる。マジでムカついた。この一件で、せっかくの好釣果も気分台無し。

     車の窓閉めきり。高温でやばいと思ったが、意外に気温は24℃。でも日焼け必至。

     この後、普通なら帰路につくが、小名浜の湾岸工事の状況と先月「音楽のちから」で、嵐が野外ライブを行った三崎公園にある貝殻をあしらった「野外音楽堂」を見たくて寄り道。

    10:22 中之作漁港発。永崎海岸も護岸工事中。かなり立派。三崎公園方面へ左折。坂道の正面頭上にマリンタワー聳え立つ。野外音楽堂方面へ一方通行を左折し、下り坂の途中で路上駐車。右下には磯の岩場に降りられる空き地と道が・・・。

    Img_7467_rImg_7475_r
     

    10:29 三崎公園野外音楽堂付近着。94.5km。

     歩いて公園内を散策。無人。ゲートが閉まり野音の中には入れず。防犯カメラの存在を気にして柵を乗り越えることもせず。階段を上り、せめて写真だけでもと思うが、すべてベールに隠れた状況。外からはステージなどを見ることはできない。ここで6月に被災3県の被災者を招いて「嵐」がミニライブを行った。とても感動的で、私を含め、被災者には涙無くしては見られないものだった。腹痛くてトイレに行きたかったが、我慢。みぞおちの焼ける痛み、半端ない。

    Img_7471_rImg_7472_r

     「音楽のちから・嵐ミニLIVE」はコチラ

    https://www.youtube.com/watch?v=5_ihPqCLO1Y

    10:40 野音付近出発。坂を下りる途中、松下海岸付近で、小名浜港が一望。釜の前防
          波堤も綺麗になる。かなり整備進む。震災津波の爪跡感じられず。トンネルをくぐ
          り、ボッコ灯台付近。船舶多く、活気あり。復興を感じる。市場入口通り過ぎ、左
          折して戻る。

    Img_7476_r

     
    10:47 市場前T字岸壁着。車ごちゃごちゃ。釣りはファミリー1組くらい。工事用車両?漁
          船の所有者?小名浜の風景一変。防波堤の数相当増える。沖の岸壁を繋ぐ大
          橋も着実に建設進む。大規模国際港の気配漂う。写メのみ。

    Img_7481_rImg_7477_r

     <帰路経過>

    10:48 小名浜市場前発。ソープ街呼び込み2人。灯台を象ったビルあり。
    10:54 右折して鹿島街道へ。いわき東署前通過。レッドバロン、ブックオフ、ヤマダ。
    11:06 R6バイパスへ合流。白バイ警戒。
    11:15 平中央IC前。工事中。大型多く、ゆっくり50~60km/hペース。
    11:25 いわき三和IC。値上げしたためか誰も高速入らず。長い車列。50km/hペース。
    11:31 トンネル。ライト無灯火多数。
    11:40 長沢峠(29℃)
    11:52 平田セブン(31℃)ペット茶不明。前のシルバーのナディア目障り。
    12:13 谷田川セブン
    12:24 旧森永右折、左折して阿武隈川を渡り、300m先右折し、東部幹線へ。
    12:32 半田屋 181.3km ハムエッグ、納豆、野菜炒め、ミニめし、味噌汁510円。
          客は25人程度。
    12:44 半田屋発ー会津街道経由 クリーニング屋立ち寄り、スラックス受け取る
    12:55 帰宅 帰路2時間8分

     総走行距離 186.6km 
     
     

     <費用>

     おにぎり2個          136円
     パン4個、2L茶、               511円 
     餌代(コマセ・アオイソメ)  950円
     昼食(半田屋)         510円        
     合  計           2,107円

     <コメント>

     約2年振りの釣りとなった。放射線の海洋汚染被害により、セシウム高値で釣った魚を食べることはかなわないが、久し振りの釣りの感覚を取り戻せて良かった。この時期は暑さとの闘いを強いられるが、さほど影響はなかった。午前中で切り上げたのが正解。

     私の予想だが、結果、小ぶりながら17尾も釣れた理由は、上述した被害により、釣り人が激減していること。漁船の操業もまだまだで、海には多くの魚が溜まっていると見た。
     中之作漁港も護岸工事中で、2月10日まで立ち入り禁止のようだ。平日とはいえ道理で実釣中に誰も現れなかった筈だ。市場前にひとり、北側の岸壁や入り江も釣り人ゼロ。地元のオジサンの話では、みんな釣った魚を食べてると言うが、個人で釣った魚が安全かどうかは未知数。特にアイナメやカレイなどの根魚は厳しい。

     帰宅後、速攻でシャワーを浴び、釣り具の洗浄と炎天下の水切り干しを念入りに行った。

     記事作成:7月30日(水)

     追記

     夕刻の県内ニュースで、私が本日、釣りへの往復で通った田村工業団地内の道路で、車3台が絡む多重事故が起き、軽乗用車を運転していた43歳の男性1人が死亡し、幼い子供を含む3人が重軽傷を負った模様。午後2時前頃起きたので、私が通った1時間半後らしい。通行の時間帯によっては私が巻き込まれていた可能性があるため、人ごとには思えなかった。

    http://www.fct.co.jp/news/news_3079593.html?url_day=201407302008

    幸せが訪れる歌

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     今日は趣向を変えて「Happy Song」を特集でお送りしたい。一生の想い出に残る人生の節目となるイベントは幾つかある。卒業式、受験、成人式。そして死別を意味する葬式。しかし、人生の行方を左右する大きな出来事は「結婚」かもしれない。生活を共にする伴侶との運命の出逢い。愛を育み、やがてプロポーズ。大勢の証人の前で結婚の誓いを立て、一生を添い遂げると心に決める。それは人生の門出もあり、晴れ舞台でもある。家族、親類、友人、恩師、同僚ら大勢の顔見知りの祝福を受け、人生の至福を全身で感じるだろう。そんな結婚式の定番とも思えるこれらの曲は、文字通り幸せを運ぶ音楽の定期便のような存在。この曲を耳にするだけで、ほっこり感に包まれる。ぜひ最後までご覧いただきたいと思います。

     ビリーヴ Che'Nelle

    Destiny..
    この出会いは奇跡のように
    ほら、君と二人巡り合えた
    Suddenly...
    You have changed my life
    その全てが、いま
    きらめきを放つ memories
    明日への ray of light
    輝く空に続く道

    離さない(I Believe)
    このまま
    たとえどんなことがあっても
    もう離れない(I Believe)
    必ず
    君といくよあの場所へと
    一人じゃない
    I'll be by your side
    信じる勇気を
    強く胸に抱いて
    I Believe

     エルセレモの感動チャペルプロポーズ

     カップルは結婚式場スタッフとその専属司会者。彼女に内緒で仕掛けられたサプライズプロポーズの一部始終。チャペル結婚式の司会をいつもと同じように進行していた彼女に思いがけないサプライズが降りかかる。「ビリーヴ」のBGMで扉が開くと、新郎新婦ではなく、一人の男性がそこにいて、バージンロードをブーケを抱えて独りで歩いて来る。一瞬目を疑う彼女。よく見るとそれは長年付き合った彼の姿だった。ずっと待たせ続けたプロポーズ。彼はそんな彼女に応えようと、同僚や上司を巻き込んだ大掛かりなサプライズを計画していた。すべてを悟った彼女の返事は・・・。
     扉が開き、深々と一礼する彼の姿は、神聖な場面での臨場感と独特の緊張感が伝わってくるようだ。

     ちなみにこの「ビリーヴ」は2012年7月公開の映画「海猿の主題歌として使用された。

     Bruno Mars - Marry You

     動画サイトの「サプライズプロポーズ」のBGMで流れているハッピーソング。結婚式の披露宴で流せば盛り上がること請け合い。この曲を耳すれば、何か仕掛けが始まる予感がする。

    Marry You - Bruno Mars

    It's a beautiful night
    We're looking for something dumb to do
    Hey baby
    I think I wanna marry you

    Is it the look in your eyes
    Or is it this dancing juice?
    Who cares, baby
    I think I wanna marry you

    Well, I know this little chapel
    On the boulevard we can go
    No one will know
    Oh, come on girl

    Who cares if we're trashed
    Got a pocket full of cash we can blow
    Shots of patron
    And it's on, girl

    Don't say no, no, no, no, no
    Just say yeah, yeah, yeah, yeah, yeah
    And we'll go, go, go, go, go
    If you're ready, like I'm ready

    'Cause it's a beautiful night
    We're looking for something dumb to do
    Hey baby
    I think I wanna marry you

     「最高のフラッシュモブ サプライズプロポーズ」はコチラです。

     突然始まるミュージカル形式のダンス。自分たちの目の前で繰り広げられる予想外の展開。するといきなり隣に居た筈の彼氏が、その踊りの輪の中へ。置かれた状況を理解できない彼女。そして始まる人生最大の賭けとも呼べる儀式が始まる。

     「I Love You」  Sun Set Swish

     こちらもフラッシュモブ形式のプロポーズ。カリヨンの鐘の音を合図に、突如始まるダンス。彼氏が何の前触れもなくそのダンスの輪に参加し、しかもセンターで踊り出す。呆気にとられ戸惑う彼女。一般の通行人も巻き込んだ一大プロジェクト。軽快な「I Love You」のBGMに合わせて全員で楽しそうに踊り、皆で場を盛り上げる。周囲の優しい気遣いを感じる。レッドカーペットに照明が灯り、まるで夢の世界を創造する。そんな中、愛する彼からのプロポーズ・・・。これは「エモーションライズ」という会社が企画・演出・実演まで一手に引き受ける夢を現実にするお手伝いだ。

    I Love You I Love You I Love You 君を幸せにしたい

    君にささげる為のLyric 浮かべては消してしまう
    照れくさいカッコ悪い だからこの歌を聴いて欲しいんだ

    いつまでも二人で居られたらなんて素敵だろう オシドリっていいかも
    年食って飯食ってそれでもお腹はでないようにしよう Say! Yeah?

    君が生まれて君に出逢えて君と歩いてゆく きっと奇跡なんだろう
    何があっても頑張るからさ 死ぬまでそうずっと付いてきておくれよ

    I Love You I Love You I Love You 君を幸せにしたい

    君に見た目以上の何か ビビっと感じてしまう
    馬鹿じゃない? そう言われるからノロケも大概にしようか

    やっと来たグッときた あれから時は経ち今じゃもう かけがえの無い人
    愛だって夢だって見せてやらなくちゃなぁ だからおいでSay! Yeah?

    君と話して君が解ってまた解らなくなって苦労もしたんだけど
    お互い様ね これから先も真っ直ぐ向き合うこと大切にしようよ

    I Love You I Love You I Love You 君を幸せにしたい

    君のことを最高に 想っている本当に
    揺るが無いよ絶対に 離さないと誓う
    だから君もClose To Me それだけでもHappyに
    光射してSo Shiny 笑い合えるだろう

    君が生まれて君に出逢えて君と歩いてゆく きっと奇跡なんだろう
    何があっても頑張るからさ 死ぬまでそうずっと付いてきておくれよ
    そばにいておくれよ
    Are You Ready? Say! Yeah !! Yeah!! Yeah!!

    I Love You I Love You I Love You 君を幸せにしたい

     原曲 「I Love You」  Sun Set Swish はコチラ

    https://www.youtube.com/watch?v=frDTJewhrwg

    「フラッシュモブ代行会社「エモーションライズ」のホームページはコチラ

    http://www.emotionrise.com/

     この楽曲は「ゼクシィ」のCMでも使われた。

     「Louder」 Charice

     彼女のために精一杯苦手な踊りをマスターしようと陰でレッスンに励んでいた彼の頑張りが伝わってくるようだ。ここまでしてくれる彼氏を持った彼女は幸せでいっぱいだろう。大勢の人に祝福されて、プロポーズを受ける場面を想像しただけで、メルヘンチックだし、少女の頃に夢に描いていたシチュエーションかもしれない。彼女も超美人。大島優子に似てると思ったら、彼女の名前も「ゆうこ」というらしい。私はこのPVが大好きで、もう100回以上繰り返して見ている。 

    I'm staring out of my window
    And the rain is pouring down
    When you left, I was so low
    But I'm not gonna drown

    I don't need no shoulder
    I'm gonna be a soldier
    I just wanna feel somethin' I don't understand

    I'm just gonna run right through the rain
    I'm just gonna dance right through the pain
    I just wanna feel that rhythm, feel that drum
    Let my heart beat louder
    Let my heart speak louder than my head (head, head, head)
    Heart beat louder than my head (head, head, head)
    Heart speak louder
    Wanna feel that rhythm, feel that drum
    Let my heart beat louder
    Let my heart speak louder than my head

    I, I am over overthinking of how to get you back
    I'm checking out for the weekend
    And I ain't going back

    I don't need no shoulder
    I'm gonna be a soldier
    I just wanna feel somethin' I don't understand

    I'm just gonna run right through the rain
    I'm just gonna dance right through the pain
    I just wanna feel that rhythm, feel that drum

    Let my heart beat louder
    Let my heart speak louder than my head (head, head, head)
    Heart beat louder than my head (head, head, head)
    Heart speak louder
    Wanna feel that rhythm, feel that drum
    Let my heart beat louder
    Let my heart speak louder than my head

    https://www.youtube.com/watch?v=vnkqL2eDXLc

     Baby I Love U  Che'Nelle

     結婚式に流せば最高潮。新郎新婦の幸せの絶頂を迎えること間違いなし。

     ずっと  Che'Nelle

     NTT docomoのCMでも使われたラブソング。黒島結菜主演作。披露宴のエンドロールにも使える名曲。

    https://www.youtube.com/watch?v=PYb2Lc7WQ78 (黒島結菜PV)

    https://www.youtube.com/watch?v=g4jwm72TI9A (90秒Ver.)

    https://www.youtube.com/watch?v=rKo6zo12Fno (60秒Ver.)

    https://www.youtube.com/watch?v=kryBidCqKcI (30秒Ver.)

     Butterfly  木村カエラ

     CM企画で、本物の木村カエラが結婚式の会場に登場するサプライズムービーはコチラ

     幸せを運ぶ使者がこの「Butterfly」。美しいメロディと感動を呼ぶ詩作。天にも昇る幸福感を巧みに描写し、女性の気持ちを代弁しているし、共感を呼ぶ名曲だと思う。

     さて、今日の記事はお気に召しましたか?人生、どこでどう転ぶかわからない。あなたが今い付き合っている彼氏はどんな人だろう。もし、あなたのことを大切に想っていて、結婚したい、あなたと一生添い遂げたいと考えていれば、内緒でこのような企画を密かに準備しているかもしれない。愛は形で表現できないだけに、こういう演出で感動させる方法も一興だ。サプライズの好き嫌いは別として、相思相愛で、大好きな彼の率直な気持ちを受け止めるあたなは日本一、いや世界一幸せ者かもしれない。
     この記事があなたの心に真っ直ぐ響きますように・・・。

     記事作成:7月11日(金)~12日(土)

    ミュージックシーンの先駆者②

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     前回は「ABBA」を紹介した同名タイトルの記事が評判が良かったため、気を良くした小生が第二弾を考えた。今回は、70年代ミュージックの王道を行く定番デュオを紹介することにしたい。そのグループは兄妹のコンビで、その美しいハーモニーで世界中を魅了し、知らない人はまずいないでしょう。中学校の英語教材には今でも取り上げられ、世界中で歌われた楽曲をこの世に送った。
    しかし、予想もしない出来事により妹が急逝し、解散を余儀なくされた不運のユニットでもあった。もうおわかりだと思う。そう、今日取り上げたいユニットは「カーペンターズ」だ。では彼らの人となりをおさらいし、私が好きな6曲をセレクトし、PV(MV)を紹介する。

     「カーペンターズ」

    Carpenters アメリカの兄妹ポップス・デュオ。楽器を兄のリチャード が受け持ち、ヴォーカルを妹カレンが担当。ロック全盛の1970年代において独自の音楽 スタイルを貫き、大きな成功を収めた。1983年の拒食症によるカレンの死により活動を終えた。
     代表曲に「遥かなる影」、「雨の日と月曜日は」、「スーパースター」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「プリーズ・ミスター・ポストマン」等がある。
     アメリカ合衆国のバンドカーペンターズのディスコグラフィは、14枚のスタジオ・アルバム、2枚のライブ・アルバム、11枚のコンピレーション・アルバム、3作の音楽ビデオ、1枚のトリビュート・アルバム、46枚のシングル、2枚のサウンドトラックにより構成される。その経歴を通じて、カーペンターズは解散までにリード・アーティストとして30枚のシングルをリリースした。この30枚のうち13枚がRIAAによってゴールドディスクに認定され、22枚がアダルト・コンテンポラリー・チャートのトップ10に到達した。またカーペンターズは1969年から1983年までに10枚のアルバムを発表した。

     ~私の好きな曲集~

     1 「トップ・オブ・ザ・ワールド」

     私がこの曲を聴いたのは中1の頃。なぜかハッピーソングの印象が強い。このカレンの綺麗な歌声に衝撃を受けたのは間違いない。英語学習(ヒアリング)に一躍買ったのは間違いない。

     2 「青春の輝き」

    https://www.youtube.com/watch?v=mTVpNXG7iBk

    https://www.youtube.com/watch?v=j1tjFIuyCAU

     英語のタイトルは「I Need To Be In Love」。イントロからしてそうだが、青春時代の古き佳き想い出を回想したくなるようなメロディライン。あまりにも甘酸っぱくて郷愁を誘うし、「青春」そのもので美ししすぎる。その後、「学校へ行こうMAX」の「未成年の主張」のコーナーのBGMとしても使われた。

     3 「イエスタデイ・ワンス・モア」

     私が中学時代に歌詞を覚えて初めて歌えた曲。聴き取りやすい英語のリリックで、ビートルズの「Yesterday」とこの曲はすぐに覚えられた。

     4 「遥かなる影」(Close To You)

    バート・バカラックとハル・デイヴィッドが作った楽曲。この曲を収録したアルバムのタイトルから、Close To Youと略記することも多い。
    1963年にリチャード・チェンバレンが歌い、1965年にはディオンヌ・ワーウィックも歌った。
    1970年にはカーペンターズがリチャード・カーペンターの編曲で歌い、カーペンターズにとって初の全米1位獲得シングルとなった。その後も多くの歌手によってカヴァーされ、「愛のプレリュード」と共にグラミーの殿堂入りを果たすなど、名実ともに現在も高い人気を保っている。

     5 「シング」

     1973年発表。これも中学生の頃の英語の授業で聴いて歌った記憶がある。子供たちの合唱と絡む場面はなぜか感動して涙が出そうになる。
     カーペンターズは、ABCテレビの番組に出演した際、子供たちがこの曲を歌うのを聴いて、自身も取り上げることにした。
     カーペンターズのレコーディングでは、ジミー・ジョイス少年少女合唱団がコーラスで参加。コンサートでこの歌を歌うときも、児童合唱団をバックコーラスにして歌うことが多い。
     1974年の日本ツアーでは、地元の合唱団と共に日本語で歌われた。

    https://www.youtube.com/watch?v=4Doz-9ME2uY

     6 「Please Mr. Postman」

     リズミカルなポップス調のご機嫌ソング。もともとは1961年にアメリカのマーヴェリッツによる楽曲を1975年にカーペンターズがカヴァーしたもの。彼らによって瞬く間に大ヒットした。ビルボード誌では、1975年1月25日に週間ランキング第1位を獲得。カーペンターズにとって3作目の全米1位獲得シングルとなった。ビルボード誌1975年年間ランキングは第59位。この曲は「ビートルズ」もカヴァーして大ヒットしたものをリバイバルアレンジしている。

     ~その他~

     「スーパースター」

    https://www.youtube.com/watch?v=SJmmaIGiGBg

     「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)

    https://www.youtube.com/watch?v=__VQX2Xn7tI

     「ジャンバラヤ」

    https://www.youtube.com/watch?v=-4o86juvMEE

     「Love Songs 集」

    https://www.youtube.com/watch?v=Zn0Dy3Y-y1I

     日本でも現在に至るまでその人気は確かなもので、CM・ドラマの主題歌などさまざまなメディアで耳にする機会は少なくない。私の中学時代の洋楽と言えば、「ザ・ビートルズ」、「ABBA」、「ザ・ビージーズ」、「ビーチボーイズ」、「ドゥービー・ブラザーズ」、「サイモン&ガーファンクル」、「ベイシティ・ローラーズ」などのアメリカンポップスやフォークが世の中を席巻していた。当時は英語の意味も良く知らずに、美しいハーモニーや覚えやすいメロディーというだけで好んで聴いていた。日本語に訳された曲のタイトルと原曲の意味がまったく異なっていることも知らずに、雰囲気だけを楽しんでいた。
     私の住む街は、外国文化が少なく、街で外国人を見かけることは稀で、貴重な場面に出くわしたら「ガイジン」と言って指を差してビックリしたものだ。
     そんな時代に、日本にその存在感を示し、大きな影響を与えた功績は筆舌に尽くしがたい。リードヴォーカルだったカレン・カーペンターのあまりにも早すぎる死の知らせは日本のファンに大きな衝撃と深い悲しみを与えた。私は、「ZARD」もそうだが、彼らの遺した名曲を忘れないためにドライブ中にはCDをよく聴いている。

     今後は、機会があれば「ザ・ビージーズ」や「The Beach Boys」などをお送りできたら光栄に思う。

     記事作成:7月20日(日)

    70年代フォーク名曲集

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     1970年代はフォークが全盛だった。カレッジフォークブームが巻き起こり、長髪にパンタロン姿が流行し、駅構内でフォーク集会がゲリラライブで開催されたり、「中津川フォークジャンボリ」や「嬬恋」などのフォークイベントが「真夏の祭典」として毎年の風物詩となった。吉田拓郎を筆頭に、南らんぼう、かまやつひろし、小室等らがその中心的役割を果たし、井上陽水、因幡晃なども参戦しその存在感を示した。また、かぐや姫やガロがヒット曲を生み出した。今思えば古き佳き時代と言えるが、この時代は、世相や思潮を反映して文学青年や苦学学生なる若者が多かった。「神田川」はその最たる描写だった。そして学生運動などが盛んで団結力があり、若人たちのパワーが漲っていた。
     そんな1970年代を振り返れば、私は小学生時分だったが、あたかも時代の流行や風潮に逆らうかのような自己主張を堂々と繰り広げていて、そうした面々を幼心に鮮烈に覚えている。今日は、その中でも私が印象に残るシンガーとお気に入り曲をお送りしたい。

     1 吉田拓郎 「旅の宿」

     アコースティックギター一本に首からぶら下げたハーモニカ。これが彼のお馴染みの演奏スタイル。長渕が彼を手本にして登場した。旅の情緒満載で、細かい描写は彼ならでは。匂いまでも伝わって来そう。
     

     「夏休み」を歌う嬬恋コンサートはコチラ 

    https://www.youtube.com/watch?v=a1dTEpxZ17o

     「結婚しようよ」はコチラ

    https://www.youtube.com/watch?v=ryutpbPwrz4

     2 かぐや姫 「妹」

     このライブ映像は超レアで涙もののお宝映像。コンサート会場に詰めかけたファンと誰が呼びかけた訳ではないのに、一緒に口ずさみ、やがて合唱に。鳥肌が立つ歌手冥利に尽きる映像だ。歌詞が生活感が溢れ、実に生々しい。「神田川」は、田舎から出て来た苦学学生の東京での暮らしをありのまま飾らぬ姿で描写した秀作。他にも「赤ちょうちん」も珠玉の一曲だ。

     「神田川」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=JSgyHiKESGw

     3 風 「22才の別れ」

     私が学生の頃にハマったのがアリスと風。特に「北海道」に住んでいた頃に彼らの楽曲を夢中で聴いていた。「

     4 チューリップ 「心の旅」

     財津和夫率いるチューリップの代表曲がこれ。個人的には「青春の影」や「虹とスニーカーの頃」がお気に入り。作風やコンセプトは「オフコース」とかぶるが、存在自体は地味だが、名曲を多く生み出した。心にしみわたる美しい歌詞が定評があった。

     「青春の影」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=yFa6czilRNU

     「虹とスニーカーの頃」 https://www.youtube.com/watch?v=SgAhcT4ifA0

     5 井上陽水 「夢の中へ」

     軽快なリズムに乗って裏声を駆使した斬新な歌唱法に当時はビックリしたものだ。彼の原曲を様々な歌手がカヴァーしていることから考えても名曲中の名曲。アフロヘアーにも当時の若者はカルチャーショックを受けたに相違ない。「傘がない」はあまりにも赤裸々で衝撃的な歌詞に度肝を抜かれた。社会問題化した事案を包み隠さずに真実を歌に託して世間に公表し、波紋を投げかけた問題作。鬼気迫るものを感じる。

     「傘がない」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=AqcBmO1En3M

     他にこの1970年代フォークを代表する名曲には「翼をください」(赤い鳥)、「花嫁」(はしだのりひことクライマックス)、「冷たい雨」「フィーリング」(ハイファイセット)らがいる。

     「翼をください」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=la35ph4gpuA

     「花嫁」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=m_CFnreaOes

     「冷たい雨」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=qJyLWYGHyrU

     「フィーリング」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=NFW6xU2aAFo

     ところで、私が居を構える郡山市で、1974年、私が10歳の時に、伝説のロックフェスが開かれた。なんと、日本初の野外でのロックコンサートだったのだ。その名は「ワンステップ・フェスティバル」という。その参加者は今では考えられないような伝説のメンバー達であった。プロデューサーに内田裕也、四人囃子、加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンド、沢田研二&井上堯之バンド、かまやつひろし&オレンジ、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、ミッキー吉野グループ、はちみつぱい、外道、クリエイション、ダウンタウン・ブギウギ・バンド、センチメンタル・シティ・ロマンス、サンハウスなど30組以上の日本ミュージシャンに加え、アメリカからはオノ・ヨーコも参加するなど、当時日本最大のロック・フェスティバルと呼ばれた伝説のイベントだった。(「Rooftop」から記事を引用させていただきました)

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    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB

     さて、今日は70年代を代表する5名のアーティストの名曲を取り上げた。この時代は1960年代後半のGSブームが下火になった頃、入れ替わるように、しっとりじっくりと聞かせるバラード系のフォークソングが台頭した。どこか牧歌的で懐かしい曲調。安心して耳を傾けられる不思議な魅力に溢れている。こうしたそのジャンルの先駆者がいたからこそ、今のミュージックシーンが存在する。そのことを胸に秘め、時々原点回帰してみることも必定なのではないだろうか。

     記事作成:7月11日(金)

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