郡山の出来事で懐かしいことと言えば、過去何度もこのブログで書いてきた「ワンステップフェスティバル」を思い浮かべるが、それ以外にも記憶を掘り起こせば様々な出来事があった。今日はそんな懐かしいイベントを取り上げたい。
1 零戦が郡山上空を飛んだ日
これは、戦時中の出来事ではない。確かに郡山駅東側一帯には、化学や紡績に関する軍需工場があったと戦史には記されており、そこを米軍のB29が飛来し、4度に渡って爆撃し、数多の民間人が犠牲になった。学徒動員で奉公勤務していた白河女子高校や郡山商業高校の女子生徒も多数若い命を散らした。慰霊碑が如宝寺に建立されている。
戦時中、零戦が郡山市内の上空を飛んだか否かは知る由もないが、私が小学生だったか中学生だった頃に、一度だけ零戦が郡山上空を舞ったことがあった。それはメモリアル企画として悲惨な戦争を風化させてはならないという趣旨から、全国各地で零戦が行脚飛行を行ったのだ。深緑色の機体に赤い日の丸模様。ブーンという独特のエンジン音が郡山じゅうにこだました。
戦争体験世代には涙が出るほど懐かしく、かつ過去の記憶を甦らせたことに違いない。具体的な飛行日付は、どこの書物にも掲載されていないし、あの日の出来事を記載したブログやホームページも見当たらない。
或るHPによれば、昭和53年に戦後33年振りに九州の熊本空港を飛び立った「海上零式艦上戦闘機52型」が緑色の機体を太陽光線に照らし、銀翼を翻しながら全国を里帰り行脚飛行を行った旨の記載があった。九州から仙台までを飛行した回った際に、当地・郡山の上空を旋回したようだ。
私は中学生だったので、記憶にはあったが、その日が幻ではなく、実際にあったことを証明したくて、今回、その記憶を手繰り寄せ、ここに記載した次第だ。
今回は特別に、コメントの受付をしますので、当時のことを覚えている方はお教えいただければ幸いです。
まさしくこの映像にある「零戦」が全国を回り巡って、郡山の上空を旋回したのだった。
また、今年1月下旬、昭和53年の里帰り飛行から17年振りに再び鹿児島では零戦が空を舞った。何か安倍首相の憲法改正への起爆剤として「デモンストレーション飛行」を行い、PRしているように思えてならない。
2 巨大飛行船が旋回したイベント
これはかつて郡山に複数店舗あった「カフェ&レストラン」の「飛行船」のことではない。私が小学生時代、一週間くらいだったか、郡山の上空をジャンボ飛行船がゆっくりとしたスピードで旋回したイベントのことだ。
私の記憶が正しければ、それは市制50周年を記念した郡山市最大級のイベントで、昭和49年7~8月にかけて「新しい未来への祭り・・・緑と広場、そして大きな夢」と題して行われた。開成山公園をメイン会場に、県内初のジェットコースターを建設し、五十鈴湖にはリモコン操縦の軍艦を浮かべて競争したり、あるいは郡山市役所周辺では、ヘリコプターの搭乗体験で、市内を空から眺めるアトラクションなども行われた。
そして、同時期開催のロックのビッグイベント「ワンステップフェスティバル」が大々的に執り行われた。全国からロックファンが大挙して押し寄せ、会場となった開成山陸上競技場には、防音用の壁を張り巡らした。
そのイベントのPR宣伝だったかと思うが、8月3日と4日にかけて、大型の飛行船が郡山の上空を飛びまわったのだった。シルバー色の機体で、「ツェッペリン号」、あるいは「ヒンデンブルグ号」を彷彿させる大型飛行船に、なぜか大きな魚の目のような模様がデザインとして描かれていた。その巨体がゆったりとしたスピードで郡山の上空を悠々と飛び回っていたのだ。
これは、「郡山市史」続編2に記載されてあったので、事実だ。
そして郡山上空を周回するもので思い出したのは、20世紀の時代、どこからともなくセスナ機が、ある目的のために郡山の空に現れ、数十分間旋回して行ったものだ。それは二本松にある「北風木工所」の宣伝カーならぬ宣伝飛行機を飛ばし、上空から強力なスピーカーで家具類の大売出しのPRを大音量で宣伝するというものだった。それはさながら韓国が行っている「宣伝放送」のような様相を呈していた。最近は現れないが、新聞広告よりもアドバルーンよりも効果覿面の宣伝だった。
HPはコチラ http://www.kitakaze.co.jp/
3 天空を切り裂く「ブルーインパルス」編団、いざ降臨!
郡山市の上空を過去何度か、松島航空自衛隊所属の「ブルーインパルス」がデモ飛行をしているのをご存知でしょうか?
1986年に初めて「ワールドインポートバザールふくしま輸入博」という全国規模のイベントが南東北卸センター(喜久田町)で開催された。その開催を記念して祝賀飛行を行ったのがブルーインパルスの編隊だった。
1994年に、郡山インターチェンジ付近を航過飛行を行い、イベントに花を添えた。当日、その勇姿をひと目見ようと多くの群集が喜久田界隈に詰め掛け、大変な渋滞と混雑を引き起こしたのだった。その後、2004年にも「T-2ブルー」が飛行したという記録が残っている。
4 巨大迷路が造られた時代
人気テレビドラマだった「男女7人秋物語」でも撮影で使われたが、昭和から平成にかけて、バブルの名残とも思われる大型の遊園アトラクションがここ郡山に造られた。それは「巨大迷路」だった。平成2~3年頃だったと記憶しているが、今ではもう跡形もない。その巨大迷路、一体郡山のどこにあったかご存知でしょうか?
中心市街地も中心の市役所の北西側にあったのだ。詳しく言うと、社会保険事務所がある東隣りの空き地だった場所で、現在は駐車場になっている長方形型の敷地だ。木製のログが組まれ、複雑怪奇に造られたそれは、ゴールするまでに相当の時間を要した。途中、チェックポイントあったり、高低さもあって、見晴らし台から全体の作りを観察し、ルートを確認することも出来た。
途中、迷って出られなくなった体験者のために、リタイア用の非常出口が幾つか設けられていた。しかし、意外と入場料が高額で、一度やれば十分で、リターン客はほとんどいなかったのではないか?私も物珍しさもあって、昔付き合っていた彼女と一度やってみたが、一度で飽きてしまい、二度と足を向けなかった。確か入場料が1回500円と高かったことも足を遠のけた原因だった。
今では役場が集中する行政の中枢とも言える場所に、そんな遺物があったことを知る人は少ないのではないだろうか・・・。
男女7人秋物語に登場した「巨大迷路」はコチラ(18分頃)
さて、今日の話題は、実際に見た人しか理解できないと思う。しかし、これらは郡山市内でまぎれもなく行われた実話なのだ。私はすべてこの目でしかと見届けたし体験もした。郡山の昔を辿る時、自分も歳をとったことを実感するが、故郷がありて今の自分が存在する。苦い想い出も多くあったが、長年住んでいると「住めば都」を実感し、ますます離れにくい土地柄であることを痛感する。
私が昔話や懐かしい出来事を回顧するのは、大切な想い出を忘れないために記録しておきたいという心理が働いているからにほかならない。
記事作成:1月28日(木)