今年もドラフトなどで多くの新戦力が加わり、プロ野球ファンはご贔屓チームの来季の成績に心を躍らせているに違いない。特に高卒ルーキーに逸材が多く、数年後には一軍の試合を賑わしているに違いない。一方で、かつてチームの柱や主力として活躍したベテラン選手が、今年もまた引退を表明し、ユニホームを脱いだ。今日は、そんな選手たちの現役時代を回顧し、その功績を讃えたい。
谷繁元信
横浜ベイスターズで大魔神・佐々木とバッテリーを組み、日本一になった時の正捕手。2001年秋に、FAにより中日に移籍後もスタメンとしてチームを支え、落合監督の下でリーグ優勝も果たした。落合のGM就任に伴い、プレーイングマネージャーとしてチームの指揮を執るが、このたび、27年に渡る現役を退き、監督業に専念することに。血液型はA
3021試合出場 8774打数2108安打 229本塁打 1040打点 打率.240
盗塁阻止率.368
和田一浩
今年6月に通算2000安打、8月に史上3人目の両リーグ1000安打を達成。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。血液型O。今季推定年俸2億円。プロ19年目の今季はシーズン129試合を終えてスタメン出場は56試合。レギュラーに強いこだわりを持つ男にとって、歯がゆい状況が続いていた。今年6月には史上最年長で通算2000安打を達成。類いまれな打力はまだ大きな魅力だが、ユニホームを脱ぐ決意を固めた。
彼の真骨頂はフルスイングとあの極端すぎる水平打法だった。
小笠原道大
千葉・暁星国際高からNTT関東を経て1997年にドラフト3位で日本ハムに入団。打力を生かすため捕手から内野手に転向し、2002年から2年連続で首位打者となり、06年には本塁打と打点の2冠を獲得し、パ・リーグMVPに選出された。フリーエージェント(FA)で巨人に移籍した07年にはセ・リーグMVPに選ばれた。11年5月に通算2千安打を達成した。 13年オフに中日に移籍してからは代打の切り札として活躍。12日のヤクルト戦でも6回に代打で勝ち越し打を放ち、今季は出場48試合で打率は3割1分8厘をマーク。通算成績は打率3割1分1厘、2119安打、378本塁打、1169打点。
山本昌
50歳まで現役を貫いた選手は彼をおいて他にない。中日ドラゴンズ一筋30年。これほど長く現役生活を続けてこれたのは、並々ならぬ努力とトレーニングの賜物だったことは容易に想像できる。決して剛速球ではないが、緩急を上手く使い、多彩な球種で芯を外し、凡フライの山を築いた。巨人キラーとしても名を上げた。
581試合登板219勝165敗5S、79完封試合、勝率.570、2310奪三振、自責点は1285、防御率3.45
以上、いずれも名球会入り済みの40歳以上の中日の大ベテラン選手。この4選手が引退し、来季は大幅にチームが一気に世代交代というか若返りを果たすこととなる。
谷 佳知
2000本安打まであと77本に迫りながら、今季は出番なく球界を去ることを決意した。彼の一打で思い出深いのは、親友だった木村拓也コーチが急逝し、その追悼試合で、天国の木村拓也に捧げる満塁ホームランをかっ飛ばしたシーンだった。彼は田村亮子の旦那としての印象が濃いが、私はオリックス時代から三拍子揃った好選手だと思っていた。
通算1888試合6492打数1928安打133本塁打741安打167盗塁、打率.297
斎藤 隆
故障がちで1軍昇格の可能性が低くなり、若手の出場機会をつぶさないためにもとシーズン中に身を引く決断をした。指導力も高く、将来の監督候補として球団も期待。日米通算112勝139セーブの名投手が、プロ24年目でユニホームを脱いだ。
高橋尚成
巨人、メジャー、DeNAで活躍。元巨人の左のエースだった故・高橋一三とダブる。99年ドラフト1位で巨人に入団。即戦力左腕として1年目から先発ローテの一角を担い、9勝をマークした。07年には自身最多の14勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルも獲得。リーグ優勝の原動力として大きく貢献した。09年オフに海外FA権を行使し、活躍の舞台を米国に移した。メッツ、エンゼルスなど4球団でプレー。渡米2年目以降は、リリーバーとして存在感を発揮してきた。昨季からDeNAと2年契約を結び、5年ぶりに国内復帰した。 巨人時代から兄貴分として後輩から慕われ、誰からも愛されるキャラクターとして、球界を引っ張ってきた。下半身主導の投球動作はプロ、アマ問わず多くの投手の手本になるフォームだった。日米、多くのファンに惜しまれながら左腕がユニホームを脱ぐ。(日刊スポーツ記事より)
平野恵一
オリックスで9年、阪神で5年、闘志あふれるプレースタイルでファンを魅了してきたガッツマンが、14年間のプロ生活に別れを告げた。2001年に自由獲得枠でプロ入り。ただオリックスで9年、阪神で5年の現役生活は決して、順風満帆だったわけではない。
06年5月6日・ロッテ戦。ファウルフライを追って一塁フェンスに激突した。ボールは離さなかったが胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、手首と右股関節の捻挫…。選手生命の危機に立つ重傷を負った。
だが不屈の闘志で復帰を果たし、阪神にトレード移籍した08年にはカムバック賞を受賞。10年にはリーグ2位の打率・350をマークした。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回。オールスターには4度出場するなどファンにも愛されてきた。「支えてくれた方々のおかげ」とグラウンドで浴びた大声援に、涙を流したこともあった。駆け抜けた14年。多くの人に支えられながら、球史に確かな足跡を残した。(デイリースポーツの記事を引用)
1260試合4239打数1184安打18本塁打263打点516得点盗塁60
西口文也
1994年のドラフト会議において、西武ライオンズに3巡目に指名され入団。182勝118敗6セーブ。あと1死でノーヒットノーラン達成の場面が2度ありながら、あとひとつのアウトを取れず、夢破れた。
高橋由伸
晩年は代打の切り札として、試合終盤の勝負所での起用が目立った。阪神の桧山、広島の前田とダブってしまう。しかし彼の存在は、他球団の脅威以外の何物でもなく、球場の雰囲気を一発で変えてしまう不思議な力を持っていた。慶應大学の三冠王として、急転直下の翻意で巨人を逆指名。以降、巨人の主力として活躍。長嶋、堀内、原監督に仕えた。
私はてっきり来年も現役を続行すると思っていたが、原監督辞任に伴い、球団OBやフロントの信頼感抜群であった彼に監督として白羽の矢が立った。今季はコーチ兼任だったこともあり、自分をよく知る彼は、この要請を重く受け止め、真摯の態度で、これを受諾。二足の草鞋を履いて巨人の監督はできないと、きっぱりと現役を引退。その決断は早かった。
今季は出場77試合で打率は2割7分8厘をマーク。通算成績は打率2割9分1厘、1753安打、321本塁打、986打点。出塁率は.366、長打率は.503と高かった。
井端弘和
彼と言えば、球際に強いその卓越したグラブ捌きと粘り強く、勝負強いバッティング。中日時代は二塁手「荒木」とアライバコンビを組み、鉄壁の二遊間としてその地位を確立。遊撃手 としてゴールデングラブ賞を7度獲得するなど一時代を築いた。アクロバティックなゲッツーを完成させた。
https://www.youtube.com/watch?v=WTsTHnjL0is
一方、打撃も、ソフトバンクの内川を彷彿させるように、ミートが上手く、三振を取るのが難しい打者だった。左右広角に打ち分け、選球眼も良く、出塁率が高かった。小柄だが、野球センス抜群で、「職人」を思わせるような名手だった。特に思い出深いのは、前回のWBC東京ラウンドで、1点差であとひとりアウトで敗戦の場面で登場し、起死回生のセンター前ヒットを放ち、土壇場で同点に追いついた場面だ。
高橋由伸と同年代で、同年代の希望の星として崇拝していた高橋が辞めた時、迷わず自分も急いでユニホームを脱がなくてはと思い、名球会にあと少しのところで、現役生活にピリオドを打った。その決断力と仲間意識は凄まじいと思った。現役生活17年。
通算成績は1896試合出場6803打数1912安打56本塁打410打点149盗塁、通算打率は.281 失策は14年間で74と極端に少ない。併殺完成数はなんと987個!
今日は、2015年シーズン限りで現役を退いたプロ野球選手を取り上げた。体力の限界や出場機会激減など引退理由は様々だが、本日取り上げた方々は、まぎれもなく、各チームにおいて主力選手として活躍した方たちばかりだ。心からお疲れさまと慰労したい気持ちと、彼らが下した決断を賞賛したい。今後は、ぜひとも後進の指導に当たり、第二第三の名選手を育て上げてほしいと思う。
記事作成:2015年10月中旬~12月14日(月)