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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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日本人プロ野球選手の世界記録

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 イチロー選手が間もなく金字塔を打ち立てようとしている。ピート・ローズが持つ通算安打の世界記録を来シーズンにも塗り替える。もちろん、日米通算なので、アメリカ人達は王貞治氏の868号本塁打と同様に参考記録にとどめるだろうが・・・。それでも前人未到の世界一に挑むのだからたゆまぬ努力にはただただ敬服するばかりだ。
 そこで今日のテーマは日本人のプロ野球選手で、実は世界記録保持者がたくさんいることに着目し、その方々を取り上げることで、改めて賞賛したい。

 1 世界のホームランキング  王貞治

 究極のバッティングフォーム「一本足打法(フラミンゴ)」により、ホームランを量産。13年連続ホームラン王を含む16度のタイトルを獲得。三冠王も2度獲得するなど、相手投手を恐れさせ、敬遠を含む四死球の数はNPB最多だ。1977年9月3日に、ハンク・アーロン氏の持つ755号を塗り替えた。その年はホームランフィーバーに沸き返った。通算868本まで記録を伸ばし、シーズン30本塁打を放った年に「王貞治としてのバッティングができない」と40歳で引退した。現在のメジャー1位はバリー・ボンズの762本。血液型はO

 2 世界の盗塁王  福本豊

 1972年に年間106個、通算939盗塁の世界記録、1983年には。現役通算1,065盗塁を成し遂げた。今でこそリッキーヘンダーソンに抜かれ、世界2位となったが、長らくトップの座にあった。彼は現役時代に、自分の足に1億円の保険をかけていた。それだけ走力にポイントを絞っていた。阪急の不動の1番バッターとして黄金期を築いた。国民栄誉賞を打診されたが、「そんなたいそうなもんもろうたら、おちおち立ちションもできへん」と断った武勇伝がある。血液型はB

 3 連続試合出場 衣笠祥雄

  1987年6月13日に2,215試合連続出場の世界記録
  「鉄人」の異名をとり、死球を受けて指を骨折しても試合に出続けた。山本浩二とともに、赤ヘル旋風の立役者となり、カープの黄金期を支えた。血液型はバイタリティと球技には滅法強いO型

 4 犠打数世界一 川相昌弘

 2003年8月20日に通算512犠打の世界記録。現役通算533個の犠打を達成した。No.1というよりオンリーワンを目指す職人という印象。小柄で長打力のなかった彼は、どうしたら大柄なプロ野球界で生き残れるか思案し、自分で編み出した処世術が「犠打」だった。確実に成功し、進塁打の職人として君臨した。血液型はB

 5 連勝記録 田中将大

  シーズン負けなしの24連勝、前年からの連勝記録28連勝
 負けん気が強く、不思議と彼が投げると味方打線が点を取り、負けそうで負けない。不思議な力を持ったピッチャーだ。あの野村監督に「マー君神の子不思議な子」と言わしめた。伸びのあるストレートと抜群のコントロール、鋭いスライダースプリットが決め球。他にもカットボールやツーシームなど6種類の変化球をコーナーに投げ分ける。
 血液型は器用の代表格のA型。この型は怪我や故障がなければ大成する。高校時代から大舞台を経験し、メンタルが強いので大試合になれば燃えるタイプだ。手術を回避したが、右肘の腱は大丈夫なのか?

 6 シーズン最多安打 イチロー

 イチローが2004年に記録。1シーズンに262本の安打を放った。ジョージシスラーが持つ216安打を84年ぶりに更新。彼の記録はこれだけではない。シーズン200安打以上を10回、シーズン5安打試合を4回達成、1シーズンの月間50安打を3回、シーズン安打試合数135、両リーグ最多安打7回、デビュー以来10年連続200安打など数えたらきりがない。文字通り、日本が生んだ世界のスーパースターだ。血液型はB

 7 代打ホームラン記録 高井保弘

  元阪急の高井選手が保有する27本。私が高校時代まで現役で、代打の切り札として敵ながらあっぱれな存在だった。お腹が出て、太った印象しかない。当時の阪急は黄金時代だった。上田監督、福本、長池、加藤秀司、マルカーノ、ウイリアムス、岡村、大沢、森本山田、米田、足立、今井、山口と鉄壁だった。そこに彼が控えていることで相手投手には脅威だった。
                           
<ヤクルト対阪急の日本シリーズ>

https://www.youtube.com/watch?v=lHf7_b6KpRo
https://www.youtube.com/watch?v=nOEG3LrXsSM
https://www.youtube.com/watch?v=XIJCRqsQiKo
https://www.youtube.com/watch?v=dbIGeZIEHP4
https://www.youtube.com/watch?v=VSu86LpQ6YI
https://www.youtube.com/watch?v=yDBkH_YoJMM
https://www.youtube.com/watch?v=aRumFseufoY

 8 シーズン最多勝利 稲尾和久

  1961年に42勝。今では分業制となり、先発投手は1シーズン中に25試合前後しか登板しなくなったが、昔の選手は毎日のように投げていた。特に巨人との日本シリーズは語り草となっている。0勝3敗からの4連投4連勝で巨人を破って優勝し、「神様仏様稲尾様」と呼ばれた。この頃の西鉄は黄金時代だった。中西太、豊田、大下などスター揃いだった。

https://www.youtube.com/watch?v=hnOuXsfBlb0

 9 通算奪三振 金田正一 

  1962年9月5日に達成した通算3,509奪三振 現役通算4,490奪三振 これは引退維持には世界1位だった。その後、ノーランライアン、ランディ・ジョンソン、ロジャー・クレメンスに抜かれたが、それまでは長い間、世界として君臨した。
 さらに、通算勝利数400勝は世界3位だ。これは当時、弱小でお荷物球団だった「国鉄」においては群を抜く成績だ。よって300敗近くしているのが玉に瑕。とにかくストレートが速く、あの長嶋でさえ、デビュー戦で4打席4三振を食らった。巨人に移籍したのは晩年も晩年だった。

 長嶋との初対決 https://www.youtube.com/watch?v=BmHaKopOZ6A

10 シーズン最多奪三振 江夏豊

  1968年に年間401奪三振の世界記録

  彼の名声はオールスターでの9者連続三振と、伝説となっている近鉄との日本シリーズでの「江夏の21球」だ。前者は阪神時代、後者は広島での功績だ。9回無死満塁の最大のピンチで、彼は登板し、スクイズをとっさに見破りウエストし、三本間に走者を挟みタッチアウト、最後の打者の石渡を鋭いカーブで三振に斬り、見事優勝を果たした。敵将n西本監督は、一度も日本シリーズで優勝できなかった悲運の名将として名を残すこととなった。

「伝説の21球」 https://www.youtube.com/watch?v=m1E4dTGyECM

11 金本知憲

 2006年4月9日に904試合連続フルイニング出場の世界記録

 彼は記憶に新しい。広島からFAで阪神に移籍後も、試合に出場し続けた。丈夫な体で、死球を受けて骨折しても試合に出た。肩が弱まり、まともに送球ができない時も、辛抱強く使ってもらえた。「あにき」と呼ばれ、選手にもファンにも愛された選手だった。

 さて、過去WBCで2大会連続優勝を成し遂げた日本プロ野球界(NPB)。実力は古より折り紙付きだった。しかし、この時代、あの王貞治を持ってしても、世界(メジャー)挑戦など夢のまた夢の世界だった。その門戸を開いたのは野茂英雄だった。それ以来、日本人選手が幾多も海を渡り、活躍しているのは周知の通りだ。
 今の選手が活躍できるのも、こうした先人たちの努力と温かく声援をくれるファンの存在があってこそだ。私も日本プロ野球を見続けて約45年。「巨人大鵬目玉焼き」と言われた球界の盟主・巨人軍の強さを身をもって知った世代だ。今は、年俸ばかりが吊り上げられ、FA導入で自由に移籍も可能な時代になった。メジャーへの選択肢も広がり、引退するまで同じ球団に骨を埋めるつもりの選手は少なくなった分、心技体を磨く選手もまた少なくなった。往年の選手が努力し、築き上げた今の地位や名誉を傷つけぬよう、練習に身を投じてほしいものだ。

 記事作成:8月15日(土)~16日(日)


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