私は昭和30年代生まれなので、だいぶ年輪を重ねてきた。だがB'zの稲葉浩志や俳優の高橋克典と同い年と言えば、多少は聞こえがいいだろうか。私の学生時代は、フォークブームやニューミュージック、高校時分のアイドルブームと洋楽ブームというように様々なミュージックシーンのごった煮だった気がする。自分の趣向と合う曲を探しては、聴き入っていたものだ。とりわけ中学時代はアリスとオフコース、サザンオールスターズに狂い、高校時代は洋楽にハマリ、大学時代には浜田省吾一辺倒、社会人ではレベッカ、山下達郎、佐野元春、稲垣潤一、HOUND DOG、佐野元春、ZARDと渡り歩いた。そんな直感力と好奇心だけで音楽を取捨選択したいた私だが、こと学生(小中高大)時代に世間一般に流行っていた曲というのは一味違う。好みも一枚咬んでいるが、では早速タイトルが示す通りに、「私の青春ソング」と呼べる名曲をここで取り上げて紹介したいと思う。同年代の方々には共感できる懐かしい名曲がズラリ登場するに違いないと思う。選りすぐりの12曲をどうぞ!
1 「青春時代」 by森田公一とトップギャラン
「青春時代」、1976年8月にリリースされた森田公一とトップギャランのシングルである。このグループの代表曲でもある。青春時代の心情を巧みに綴った歌詞として、当時の若い世代を中心に多大な支持を得た。発売から半年でミリオンセラーとなり、大ヒットした。森田公一とトップギャランはこの曲で翌1977年の『第28回NHK紅白歌合戦』に出場した。
私の小6の頃の思い出深い一曲。
2 「翼をください」 by赤い鳥
「翼をください」はフォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に「竹田の子守唄」のB面曲 として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で 開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった。1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。
赤い鳥はその後解散し、「紙ふうせん」として独立。「冬が来る前に」という名曲を生み出した。
3 「卒業写真」 by荒井由実
「卒業写真」(そつぎょうしゃしん)とは、荒井由実(現・松任谷由実)の代表的なヒット曲の 一つで作詞・作曲も本人によるもの。卒業ソングの代表曲としても知られている。1975年 リリースのアルバム『COBALT HOUR』に収録されている。曲調はおとなしめのバラード調。卒業シーズンの定番曲だが、実際には卒業した後のことを歌っている曲である。卒業後に卒業アルバムを開いたときに出てきた青春時代の「あの人」と、面影が変わらない姿で街中で見かけたが、自分があまりにも変わってしまっている事を気にしたために声をかけられず、遠くで叱ってくれたり、見守っていて欲しい…という淡い願いを詞に綴っている。
4 「振り向くな君は美しい」by ザ・バーズ
「ふり向くな君は美しい」はザ・バーズのシングル · B面「きらめきの日々」。1976年10月25日発売。全国高等学校サッカー選手権大会の大会歌として第55回大会(1976年)より冬の高校サッカー予選・本大会の会場や、テレビ中継で演奏される。かつては全国大会決勝戦の国立競技場において、ハーフタイムショーとして歌と踊りが披露されていた。高校野球の『栄冠は君に輝く』はそのタイトル通り華々しい青春讃歌であることが特徴となっているが、この曲は勝者の陰に隠れやすい戦いに敗れた者の健闘を讃える曲で、長年高校サッカーファンに愛されてきた。
5 「青春貴族」 by 中村雅俊
作詞:山川啓介 作曲:いずみたくの名曲。学園青春ドラマ「われら青春」の挿入歌としてヒットした。
いちばん大事なものは 何? きまっているよ 友達さ
いちばん嫌いなものは 何? おあいにくさま 勉強さ
頭のできは よくないが 心の できは 最高さ
根っから気のいい やつばかり 青春貴族だ おれたちは
6 「ふれあい」 by中村雅俊
1974年放送の「われら青春」の主役の教師役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『ふれあい』が100万枚を超える セールスを記録した。東北出身だけに泥臭さがあるが、慶應義塾大卒という超エリートとのギャップが何とも言えない味を出していた。
http://www.youtube.com/watch?v=SuHzH05ygzE
7 「帰らざる日のために」 byいずみたくシンガーズ
1974年、NTV系列の学園青春ドラマ「われら青春」の主題歌として60万枚を超える大ヒットした。
生まれてきたのは なぜさ 教えてぼくらは だれさ
遠い雲に 聞いてみてもなにも言わない
だから 探すんだ きみと でかい青空の下で
この若さを すべてかけていいなにかを
愛する人がいるなら 求めるものあるなら
なんにも怖くはないさ そいつが青春
涙は こころの汗だ たっぷり 流してみようよ
二度と戻らない 今日のために
8 「太陽がくれた季節」 by青い三角定規
「太陽がくれた季節」は、1972年に発売された青い三角定規のシングルである。作詞は山川啓介、作曲はいずみたくによる。1972年版の編曲は松岡直也による。1972年2月にシングル盤が発売された。日本テレビ系列で放送された青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌として採用され、売り上げが80万枚、または100万枚を超えるヒットとなった。オリコンの集計では50万枚。この曲を歌った青い三角定規は、この曲で1972年度の『第14回日本レコード大賞』新人賞を受賞。またNHKの『第23回NHK紅白歌合戦』に出場し、紅白初出場を果たす。
9 「時代遅れの恋人たち」 by中村雅俊
1978年放送の「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌。青春ものとか学園モノには中村雅俊が欠かせない存在だった。他には教師役に由美かおる、神田正輝、生徒役に井上純一、藤谷美和子、斉藤とも子、北村優子らが出演していた。
10 「なごり雪」 byイルカ
1974年、かぐや姫のアルバム『三階建の詩』の収録曲として発表された。翌年8月の吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋でも歌唱され、同DVDにて視聴することができる。翌1975年にシングル発売されたイルカによるカバーバージョンがヒットを収め、以降、日本の早春を代表する歌の一つとして歌い継がれ、また、さまざまなアーティストによってカバーされている。歌詞の中では東京の駅が舞台となっているが、伊勢本人は出身地である大分県津久見市の津久見駅をモチーフにしたと語っている。2002年にはこの歌の世界観に対する独自の解釈に基づき、大林宣彦監督が大分県臼杵市でロケを行い『なごり雪』として映画化した。『第56回NHK紅白歌合戦』の「スキウタ」アンケートで白組18位にランクインされた。
11 「22才の別れ」 by風
「22才の別れ」は、日本のフォークデュオ「風」のデビューシングルである。1975年2月5日に日本クラウンより発売された。元々は「かぐや姫」の伊勢正三が1974年のアルバム『三階建の詩』のために書いた2曲のうちの1曲(もう1曲は「なごり雪」)で、シングルカットの要望が出るなど当初から評価は高かったものの、かぐや姫LIVEに収録されるにとどまり、かぐや姫のシングルとしては発売されなかった。かぐや姫解散後「風」を結成しデビューシングルとして発売すると、「風」のシングルとしては最大のヒット曲となった。累計売上はミリオンセラーに達した。オリコンチャートでは売上70.8万枚、オリコン年間チャート7位。
1984年、日本テレビ系列で放送した倉本聰脚本のドラマ『昨日、悲別で』のエンディングテーマに使用された。
12 「ああ青春」 by吉田拓郎・トランザム
1975年に放送された松田優作・中村雅俊コンビによる刑事ドラマ「俺たちの勲章」の主題歌として使われ、爆発的なヒットを記録した。
「あヽ青春」は、歌唱付きのバージョンでオムニバスCDなどに収録されることの方が多いが、「俺たちの勲章MUSIC FILE」(1992年11月発売)や「俺たちの祭+俺たちの勲章オリジナルサウンドトラック」(2004年1月発売)ではインストゥルメンタルバージョンを聞くことが出来る。
13 「SOMEDAY」 by佐野元春
アルバム『SOMEDAY』を1982年5月に発表。サウンド・エンジニアに吉野金次を迎え、フィル・スペクター並みのウォール・オブ・サウンドを導入したことで、シングルでは注目されていなかった「SOMEDAY」が注目を浴びるようになり、アルバム『SOMEDAY』はオリコンアルバムチャートで最高位4位を記録。JR東海の「ファイトエクスプレス」のCMに起用されてリバイバルヒットした。
http://www.youtube.com/watch?v=GmAO6beYxYY
他にも長渕剛の「グッバイ青春」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、甲子園ソング「嗚呼栄冠は君に輝く」もこのテーマに合致する曲だ。
いかがでしたか。同世代の方には感慨深いものがあったと思うし、同じ時代を過ごした同輩として相通ずる共感めいたものもあったかもしれない。いずれにしてもひとつ言えること。それは名曲は色褪せないという真実だろう。さてあなたの「青春ソング」は何ですか?
記事作成:6月14日(金)