1970年代はアイドルの走りだった。天地真理、麻丘めぐみ、浅田美代子、安西マリア、あべ静江らがその先駆けとなった。今日はシリーズ記事の続きであるが、これまで「大場久美子・林寛子・早瀬優香子・岡田奈々・木之内みどり・斉藤とも子」とお送りしてきた。今日は、その第7弾として、私が中学時代に夢中になった或るアイドル歌手を取り上げたい。
昭和52年、日本テレビの名物看板番組だった「スター誕生」から一人のアイドルが生まれた。彼女は、誰からも愛されるあどけないロリフェイスと超ミニスカートで愛嬌を振りまく国民的なアイドルになった。チャームポイントはたれ目と八重歯。純情で健気。いつもニコニコの可愛らしいスマイルが世の中高生を虜にした。たびたび雑誌「明星」や「平凡」、あるいは「GORO」や「プレイボーイ」の表紙やグラビアを飾った。
彼女は私が中学生の頃のドンピシャアイドルで、大場久美子、榊原郁恵と並び、ブロマイドの売れ行きもNo.1。正真正銘、血統書付の正統派アイドルと誰もが認識していた。そう、彼女の名前は、もうおわかりだと思うが、「石野真子」だ。中1の頃、私は何を隠そう彼女の「ファンクラブ」に入会していた。後にも先にもファンクラブに入ったのは彼女だけだった。それくらい好きだった。彼女の出演する歌番組は必ずチェックしていた。当時は、キャンディーズ、山口百恵、ピンクレディーが3大女性スターで、彼女たちには及ばなかったものの、ヤングの間では絶大な人気を誇った。私が夢中になったのは、彼女のほかには岡田奈々、木之内みどり、菊池桃子、森高千里くらいなものだった。
では、彼女のプロフと当時の人気がどれほど凄かったかを証明するために、「Youtube」にアップされている動画の中から、私がお気に入りの楽曲をべスト10形式で紹介したい。
~石野真子のプロフ~
生年月日:1961年1月31日生まれ
出身地:兵庫県芦屋市
血液型:A型
家族:実の妹はタレントとして活躍した石野陽子
来歴:下記の通り
1977年1月26日、石野真子は『スター誕生!』の予備審査と予選会を勝ち進み、本選の大阪大会(豊中市民会館、テレビ放送日1977年2月13日)に出場。ダニエル・ビダルの『天使のらくがき』を歌った。審査発表では会場の一般審査員からの得点だけで合格点を超えてしまい、阿久悠ら専門審査員を驚かせる。合格ラインは250点((5人出場時の大会では300点)で、この日の石野の最終得点は530点になり1,000点の過半数を独占した結果になった
3月23日、『スター誕生!』第20回決戦大会に出場 (会場:東京・後楽園ホール、放送日: 1977年4月3日) 。父親から「これに落ちたら、もうオーディション番組を受けたいなんて気持ちを起こすんじゃないぞ」と念を押されて挑戦した。再びダニエル・ビダルの『天使のらくがき』を歌う。「11番、石野真子、一所懸命頑張りました、どうぞよろしくお願いします!」と挨拶した石野に対し、スカウト意向の芸能事務所プラカードが16社挙がる。
1978年3月25日、デビュー・シングル「狼なんか怖くない」 がビクターから発売。アイドル歌手として芸能界にデビューした。当時のアイドルには必ずと言っていいほどキャッチフレーズが付けられており、石野に付けられたものは「100万ドルの微笑」。ファースト・アルバム『微笑(ほほえみ)』の帯にもその記述が見られる。また、八重歯と垂れ目であることをチャームポイントにしていた。
私が好きな楽曲ベスト10
1位 「私の首領」
2位 「プリティープリティー」
https://www.youtube.com/watch?v=GZhv8xf11rc
3位 「日曜日はストレンジャー」
4位 「ワンダーブギウギ」
https://www.youtube.com/watch?v=9_NI0lfkqhA
https://www.youtube.com/watch?v=AziP514UhW8
5位 「春ラ!ラ!ラ!」
6位 「ジュリーがライバル」
https://www.youtube.com/watch?v=o5X_GtxPPy4
https://www.youtube.com/watch?v=2gZcIJhG1KI
https://www.youtube.com/watch?v=UN8jZLU88ww
7位 「狼なんか怖くない」
https://www.youtube.com/watch?v=u376jkx-F_E
8位 「失恋記念日」
https://www.youtube.com/watch?v=-y6yqpzqVFk
https://www.youtube.com/watch?v=OHy4m2M8IM0
9位 「ハートで勝負」
https://www.youtube.com/watch?v=uAGiMLt6OOY
10位 「彼が初恋」
https://www.youtube.com/watch?v=QoZaIuYCllM
https://www.youtube.com/watch?v=Tik6qz_VREU
おまけ「3人娘の水着映像」
https://www.youtube.com/watch?v=PMySOAzwijo
さて、彼女の魅力が伝わったでしょうか。彼女がアイドルとして人気絶頂の20歳の時に、ファンにとってはショッキングな出来事が2つあった。ひとつは、コンサートの最中に、彼女の実家が火事で全焼し、想い出が消えてしまったこと。もうひとつは、1981年8月に同じ歌手でシンガーソングライターだった長渕剛と電撃婚約と芸能界引退を発表したことだった。当時は純粋無垢の彼女が、遊び人の長渕の毒牙にかかったと誰もが哀れむとともに羨んだ。その時の模様をどうぞ!
ハワイで挙式を挙げた時の模様はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=l_c75Vzq_PA
https://www.youtube.com/watch?v=hRbbPNNVaSQ
しかし、幸せな結婚生活は続かず、1983年5月、僅か2年足らずで離婚し、同時に芸能界へ復帰の記者会見を開き、本格的な芸能活動の再開を発表した。
歌のトップテンで石野真子が司会を務めている際、長渕の曲がランキングし、公開生放送番組の会場に長渕が登場し、元夫婦のふたりが鉢合わせになった時の模様はコチラ。
*残念ながら「長渕剛SUPER STAR in トップテンwith石野真子」n動画は削除されてしまいました。
どちらかと言えば、石野真子が未練たらたらのような印象。結局この離婚で傷ついた彼女は、その後、1990年に人気俳優だった広岡瞬と再婚したが、6年後の1996年に再び離婚。その後は18年間、53歳になった今まで再々婚をしないで独身を貫いて来た。
私は彼女のことで印象に残っている他のことは、レッツゴーヤングで太川陽介と共に司会を務めていたことと、ドラマ「熱愛一家LOVE」というドラマが大好きで、毎週楽しみに観ていたことだ。
彼女は私より3歳年上だが、年齢差を感じさせないほどロリフェイスだった。時々、彼女の若かりしアイドル時代の動画を眺めながら、自分の中学時代と重ね合わせて想い出に浸っている次第だ。
記事作成:10月2日(木)