これまで「ABBA」、「カーペンターズ」、「Bee Geez」とお送りしたシリーズ記事の第4弾。今日は、新たな時代を築いた3つのバンドを取り上げることにする。ほぼ同時期の1970年代から1980年代に頂点を極めたといって過言ではない「イーグルス」、「ポリス」、「シカゴ」の現在は伝説となっている至宝のバンドだ。洋楽ファンには堪らないだろう。いずれも時代をリードし、大ヒット曲に恵まれた。ではプロフと代表作を列挙したい。
「イーグルス」
1971年にデビューしたアメリカのロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇り、トータルセールスは1億2000万枚を超える。
主な代表曲は、「テイク・イット・イージー」「ならず者」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」など。メンバーはグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミット。
「テイク・イット・イージー」が、1972年にデビュー曲でいきなりシングル・ヒットを記録。続く「魔女のささやき」も全米ヒットとなった。
2枚目のアルバム『ならず者』はコンセプト・アルバムで、基本的にはファースト・アルバムと同様のサウンド構成に留まり、バーニー・レドンのカラーが強いブルーグラス的な楽曲と、ロック的な要素の曲が共存しているものの、その音楽的成熟度としては格段の向上を見せた。
1975年、大ヒット・アルバム『呪われた夜』を発表。タイトル曲「呪われた夜」をはじめとし、グラミー賞、ベストポップボーカル賞を獲得した「いつわりの瞳」、ランディ・マイズナーがボーカルをとる「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」と3つのヒット曲を生んだ。
初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』をリリースした。このアルバムは全米だけでも2,900万枚以上の売り上げを記録し、全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた。
1976年、彼らの代表作となる『ホテル・カリフォルニア』を発表。当時のロック界ひいては都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったフェルダーの曲にヘンリーが詩をつけたタイトル曲「ホテル・カリフォルニア」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロックの凋落を皮肉るように、田舎町にやって来た新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「ニュー・キッド・イン・タウン」、エゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことを言外ににじませた「駆け足の人生」など、単に人間の性(さが)や振る舞いを唱っているように見えながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲に散りばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録し、バンドを押しも押されもせぬロック界の代表格にまで押し上げた。
名曲「ホテル・カリフォルニア」
「ポリス」
1970年代後半から1980年代半ばにかけて活躍した、イギリスのロックバンド。ロックの枠組みの中に、レゲエの要素を加えるという斬新な音楽性は、ホワイト・レゲエとしばしば呼称される。ジャズバンドのラスト・イグジットで活動していたベーシスト兼ボーカリストのスティング、プログレッシブ・ロック・バンドのカーヴド・エアで活動していたドラマー、スチュワート・コープランド、ギタリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニの3人で結成。後に、元後期アニマルズのギタリスト、アンディ・サマーズが加入し4人編成となるが、ヘンリー(アンリ)が脱退しトリオとなる。当初は、パンク・ブームメントに乗ってデビューしたが、その後は安住することなく、メンバーの音楽的素養を柔軟に取り入れたロックを生み出した。
1977年に結成、翌年にはアルバム『アウトランドス・ダムール』でデビュー。
1983年には、5作目のアルバム『シンクロニシティー』 (Synchronicity)が、Billboard 200に於いて17週連続1位。先行シングル「見つめていたい」 (Every Breath You Take) も、Billboard Hot 100で8週連続1位、さらに年間チャート1位にも輝いている。1984年1月に活動停止を宣言した。
2003年に、ロックの殿堂入りを果たし、授賞式ではスティングの結婚式以来11年振りに集結。
代表作は「白いレガッタ」、「孤独のメッセージ」、「見つめていたい」
「シカゴ」
Chicagoは、アメリカ・ロスなど西海岸を拠点として活動したロックバンド。ロックにブラスを取り入れた形式のバンドとして先駆的な存在であり、同じ ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデュースしたバンド、ブラッド・スウェット&ティアーズやバッキンガムズなどと共に“ブラス・ロック”と呼ばれた。
1969年にジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースによりコロムビア・レコードからデビュー。その後、"シカゴ・トランジット・オーソリティ(シカゴ交通局)"から"シカゴ"とバンド名を変えたが、これはシカゴ交通局からの苦情がきっかけであった。バンドはデビュー・アルバムから3作連続で2枚組アルバムを発表。1970年にはシングル「25 Or 6 To 4(邦題;長い夜)」が世界的に大ヒットした。
その後も「ぼくらに微笑みを」「ビギニングス」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「愛のきずな」「君とふたりで」などを発表し、シカゴは人気ロック・バンドとなる。初期には政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜め、1976年にはラブ・バラードである「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」が全米ナンバーワンになった。
その後、メンバーの不慮の事故死や度々メンバーの入れ替えが激しくなったが、1980年代に奇跡的に復活。1982年の「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」(1982年年間10位)、1989年の「Look Away(ルック・アウェイ)」(1989年年間1位、作曲はダイアン・ウォーレン)など、ラブ・バラード路線のヒットを連発した。
「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」
私が好きだった「Will You Still Love Me」と「The Glory of Love」はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=uFM6R53gui8
https://www.youtube.com/watch?v=XWHOF_0-6Hg
さて、1970年代~80年代の外国の代表的なバンドと洋楽の大ヒット曲をお送りしましたが、今日の記事は皆さんにとってどう映ったでしょうか?青春時代のシンボリックな存在として崇拝していた方や、彼らの音楽と出逢い、感化されて、あるいは影響を受けた、楽器やバンドを始めた方も大勢いることでしょう。それほど彼らは新たなロックシーンを切り開き、時代のパイオニアとして君臨したのだった。
かくいう私も、1980年代に、こうしたお気に入りの洋楽を聴くことで英語の勉強をしていた。おかげで「英語検定2級」を取得できた。この頃は準1級とか準2級がなかったので、2級は合格率が24%程度で、結構取得が難しかった。特に2次の面接が大変だった。私は中1の頃に、英語検定5級を受けて落ち、それ以来トラウマで英検を毛嫌いしていた。しかし、洋楽を聴いて勉強していたために、3級も持っていないのに、いきなり2級を受験し一発で合格したという遍歴の持ち主だ。1970年代後半から1980年代にかけて、中高生から大学生だった私に多大な影響を与えてくれた彼らに心から感謝し、結びとしたい。
記事作成:9月24日(水)