かなり強烈なタイトルをつけてしまい、多方面からお叱りを受けそうですが、これまで希望と期待を持って制作(製作or製造)された様々な製品なり商品なり、あるいは車なりが、どういう理由か世間には受け入れられなかったものが数多く存在する。あるいは、「24時間風呂」や「痩せる石鹸」など一時期は日の出の勢いで躍進し、売り上げを伸ばした物品であっても、ブームが去ったり、問題箇所や健康被害が見つかり、やむなく製造中止や販売停止、廃車や廃盤状態に追い込まれ、憂き目に遭った残念なグッズが多数ある。今日は、人によっては価値観の相違から判断が分かれるだろうし、好みの問題もあって意見も食い違うことは必至だが、私なりに「負け組み」に相当すると判断している品々を取り上げてみたい。
<自動車編>
アルシオーネ(スバル自動車)
アルシオーネ (ALCYONE) は、富士重工業(スバル)が過去に製造していた2ドアクーペ タイプの乗用車である。キャッチコピーは『4WDアヴァンギャルド』、『オトナアヴァンギャルド』。1985年6月8日、富士重工業はパーソナル・スポーツクーペ「アルシオーネ」シリーズを発売した。日本国内発売に先立つ1985年1月に、すでにスバルXTクーペとして「デトロイト・ショー」で初披露され、富士重工業としては初の海外先行発売車種となった。しかし、「廉価でスタイリッシュなクーペ」から「先進的な高級パーソナル・クーペ」への突然の趣旨変えが受け入れられたとは言い難く、期待されたアメリカ市場での販売を回復することはできなかった。すぐに転換を図り、SVXとしてデザインもスペックも一新してV字回復を狙った。
デザインは、超スポーツクーペ。近未来思考で、宇宙船やUFOをイメージするような流線型ボディ。飛行機のコックピットをイメージした運転席回り。しかし、見た目は不恰好で、何か無理やり詰め込んだ違和感やいいとこ取りの雑多感があった。バブル期は、ソアラ、プレリュード、シルビア、スカイライン、セリカ、86レビンロードスターが大人気で、若者ウケを狙い、そのコンセプトをパクッった印象がありありだった。
この車を愛した人は、相当な変わり物好きか目立ちたがり屋、そしてスポーツタイプの車なら何でもOKというこだわりのない方々だろう。中古市場も値崩れし、かなり安く買えた。もっともこの頃は、前述した車以外にも、NSXやMR2、CR-X、ビート、GTO、スープラなどカッ飛びスポーツカーが大挙して登場した時期だけに、スバルはそれまでスポーツカーとは無縁だっただけに、かなり無茶して市場投入した印象があった。スバルはレオーネ、ランサー、レガシーいうとファミリー向けの大衆車というイメージを一新しようとして、改革を図ったのだが、墓穴を掘った感じは否めなかった。
逆に、その時期に躍進したのは三菱自動車で、1980年代後半のスキーブームに伴い、クロカンタイプや4WDブームが巻き起こり、主力のパジェロを中心に、デリカワゴンの売れ行きが好調、さらにはシャリオグランディス、RVRと次々新車を投入。これが売れに売れた。さらにはファミリー車も、ミラージュや高級セダンのギャランVR4だけでなく、デボネア、BMWと瓜二つのディアマンテ、レグナムそしてスポーツカーもGTO、FTO、ランサーエボリューションと攻勢を仕掛けた。パジェロも軽のミニや女性にターゲットを絞ったイオ、そしてJr.など選択肢を増やし、チャレンジャーやアウトランダーで完結した。しかし、その後リコール問題が相次いで起き、三菱はその対応に追われ、新車販売台数を伸ばせず、失脚した感があった。
https://www.youtube.com/watch?v=C6_hNy58984
https://www.youtube.com/watch?v=ETPKpw-Zhjo
1980年代から90年代にかけて、湯水の如く発売された新車。今はもう製造中止になった主な車種は以下の通り。
スープラ、セリカ、スターレット、ソアラ、カルディナ、カリブ、セルシオ、セラ、トルネオ、スプリンター、クレスタ、チェイサー、アリスト、アバロン、MR2、カリーナ(ED)、カムリ、カレン、ビスタ、カローラⅡ、レビン、トレノ、スパシオ、グランビア、カローラセレス、コルサ、サイノス、コロナ、プレミオ、セプター、セリカXX、ナディア、ハイラックスサーフ、ハリアー、ファンカーゴ、プロミネント、プログレ、タウンエース、プレサージュ、マークⅡ、ヴァンガード、アベンシス、イプサム、アルティッツア、エスティマエミーナ&ルシーダ、ウィンダム、ガイア、オーパ、ランクス、グラシア、グランドハイエース、クルーガー、コロナエクシブ、サクシード、スプリンターシエロ、マリノ、ターセル、レジアス、ビスタアルディオ、ベルタ
シルビア、ローレル、セドリック、グロリア、シーマ、ブルーバード、サニー、パルサー、セフィーロ、センティア、180SX、アベニール、エスカルゴ、インフィニティ、サファリ、ステージア、ダットサン、テラノ、フィガロ、プレーリー(ジョイ)、ホーミー、リバティ、ルキノ、ルネッサ、レパード、Be1、パオ、スタンザ、バサラ、プレセア、ADバン、ステージア、ティーダ、プリメーラ、プレジデント、プレサージュ、ホーミーコーチ、ミストラル、ラシーン、ラルゴ、オースター、ガゼール、タイタン、チェリー、ラングレー、フロンティア
シティ、CR-X、HR-V、NSX、インスパイア、ビガー、アスコット、インテグラ、エリシオン、コンチェルト、シビック、ストリーム、トゥディ、ビート、プレリュード、モビリオ、ライフ、レジェンド、ラファーガ、ドマーニ、オルティア、キャパ
ミラージュ、GTO、FTO、エアトレック、エクリプス、エテルナ、エメロード、ギャラン、コルト、グランディス、シグマ、シャリオ、ストラーダ、チャレンジャー、スタリオン、デボネア、ディアマンテ、パジェロジュニア、パジェロミニ、パジェロイオ、ミナカトッポ、ランサー、エボリューション、レグナム、リベロ
カペラ、デミオ、ペルソナ、デリカスター、スペースギア、トッポ、AZ-1、AZ-3、CX-7、RX-7、アンフィニRX-7、クロノス、ファミリア、プロシードボンゴフレンディ、レンティス、ルーチェ、レビュー、エチュード
シャレード、フェスティバ、サンタナ
今思えば、バブルに踊らされた自動車産業繁栄期の遺産でもあるが、多くは「兵どもが夢の跡」と言えるような「過去の遺物」状態である。
<バイク編>
MVX250F(ホンダ)
1980年代に一大ブームを巻き起こした「スポーツ250CC(クオーター)」。各メーカー共にこぞって新製品を開発・販売し、シェア獲得を目指し、熾烈な凌ぎを削った。ホンダのVT250FとNS250F/R、ヤマハのRZ250/RR、YZR250、カワサキはKR250、そしてスズキはフルカウルのレーシング使用の2ストマシンのγ-250だった。いずれもオンロードのかっとび怪物マシンと言える代物だった。新車価格は35~40万円で、このクラスでは群を抜く高さだった。それでもバブル経済真っ只中であり、飛ぶように売れ、私が北海道と東京に住んでいた1984年~1988年頃には、ツーリングライダーはもとより、東京のストリートライダーは、このクラスが街中に溢れていた。250ccは車検が無く、バッテリーとオイル交換程度のメンテナンスフリー。さらには比較的取り回しが楽で、大学生でも手軽に乗れたし、何より女性ライダーが多数登場した時期だった。
問題のMVXは大流行したV型ツインエンジンの4気筒マシン、VT250Fの後継マシンだった。しかし、どういうわけか、中途半端な3気筒。しかもリアシートの脇にセリ出た小型マフラーの変則レイアウトは、それが売りだったにもかかわらず、いびつに映り、逆効果。その不具合をド派手なトリコロール系のカラーリングと若者受けしそうなVTの二番煎じのようなマスクデザインで無理やりカバーしていた。エグゾーストノーズも中途半端。4気筒の重厚感と2ストの乾いたカラカラ音の中間で、スロットルワークでの吹き上がりイマイチだった。トルクもなく、ゼロヨンなど、交差点の青信号スタートダッシュの伸びも悪かった。データの割りに馬力も無く、よって市場では敬遠され、「イモVX」と揶揄されたのだった。
https://www.youtube.com/watch?v=qmRQ6R5o9RI
この頃は、免許試験場で実技試験を受け、限定解除しなければ大型に乗れ無かった時代。教習所で教習を受け、技能試験免除という措置は無かった。従って、10回以上試験を受けてやっと合格した人も少なくなかった。750cc以上のバイクに乗れたのは、旧免許制度で、普通免許についてきた棚ボタの年配者と何度も挑戦してやっと手にしたマニアが多かった。逆に400ccに名車が多かった。今でも多くのファンが愛してやまないCBX400F。カワサキZ400GP→GPZ400、スズキのGSX、ヤマハFZRもまた売れに売れた。
<家電製品>
1.ベータマックス
ビクター開発のVHS方式と市場を二分したソニー陣営のベータマックス。録画方式も異なれば、テープの大きさも違う。VHS方式は、ビクター、シャープ、日立、松下電器が製造。一方のベータ方式はソニーベータマックス、三洋電機、東芝ビュースター陣営が製造し、全面対決の様相を呈していた。
私は最初からVHS派だったが、テープがコンパクトで、録画映像も綺麗なベータを羨ましく思っていた。正直に言えば、VHSデッキではシャープ、日立マスタックス、ビクター、日立、ソニーのHi-8とVHSの一体型という変遷で所有していた。
https://www.youtube.com/watch?v=3leG3fXlTQk
この対決は、意外にもテープの大きなVHS方式が勝利を収め、ベータ方式はやがてVHSに淘汰された。今では当の昔に製造終了し、リサイクルショップのジャンク品を探すしかないようだ。ベータのテープに録り溜めた番組はほぼ見れなくなった。私の兄はベータ派だったが、大好きだったオールナイトフジを数多く録画していたが、見れなくなり、あえなく処分してしまった。
2.HD-DVD
こちらも「ブルーレイ」と一大シェア戦争を繰り広げたが、消費者を迷わすことなく、早期決着がついた。もちろんソニーが開発したブルーレイの勝利。たいていはアメリカ映画が採用した方式が勝利する図式があった。次世代大容量光ディスク規格の行方に決定的な影響力を持つ大手ハリウッド映画企業は、2005年までにソニー・ピクチャーズ、ディズニー、20世紀フォックスのBD陣営とHD DVDを支持するパラマウント映画、ユニバーサル映画、ワーナーの2陣営に分かれた。両陣営の現世代DVDでのシェアは拮抗している。
この以前には、パイオニアのレーザーディスク対ビクター陣営のVHDのシェア争いもあったが、高画質を可能にしたDVDの開発で、前者は一気に斜陽を迎え、DVDの次世代録画方式として登場したのがブルーレイとHD方式だった。HD方式は東芝が主流とした新方式だったが結果は裏目。時代はブルーレイを選んだ。
<大ヒット商品の末路>
湯名人(ジャノメ)
https://www.youtube.com/watch?v=xWnHGdWWFpE
この商品は平成8年頃に大ヒットした。24時間循環し、いつでも熱いお風呂が入れるという触れ込みで、主に通販で大ブレイクした。この製品のメリットは、一週間以上、お風呂洗い不要で風呂を沸かし忘れを防ぐというのがアピールポイントで、忙しい主婦や一人暮らしのサラリーマンに大いにウケた。確かこの頃に中国製の痩せる石鹸なども流行った。しかし、或る事件をきっかけに製造販売中止。この大ヒット商品は急遽お蔵入りとなった。それは風呂洗いをしなかったことで湯垢が溜まり、細菌が培養。湯気からそれを吸い込んだ利用者がサルモネラ菌により肺炎や皮膚炎を引き起こし、同じような症状の患者が急増したことによる。健康被害が報告されて以降、この製品は売れ行きがガタ落ちとなり、当時の厚生省も調査に乗り出す始末。もちろんメーカーや販売元はジャノメだけでなく、類似商品が多数出回っており、これが原因で倒産したメーカーもあった。
さて、今日の記事は、それを選んで購入した方々や、熱烈なファンにはお怒りを買うような内容になってしまった。しかし、「長いものに巻かれる」や「勝ち馬に乗る」みたいに、主流派となる物品に人々は傾倒してしまうようだ。時代の変遷と共に、自動車や家電製品はどんどん進化していく。ケータイもまさにそうで、i-phone6が出ればすぐに飛びつく新し物好きの方もいる。かつてはwindowsやゲームソフトの最新版が出れば、深夜から長い行列を組むのが日本人の恒例行事になった。しかし、一方で、技術者たちの涙ぐましい不断の努力で開発にこぎつけ、販売されながら、世間には受け入れられずに儚く散っていった製品が数多くあることを私たちは忘れてはならない気がする。
もっとこのテーマでは膨らませたかったが、続きは続編という形で、時期未定でお送りしたい。
記事作成:9月1日(月)~9月13日(土)