昨日に引き続き、1970年代から80年代を中心に活躍した、懐かしいグループやユニットを紹介したい。本日は男女混合や女性グループを特集してお送りしたい。どのユニットも歌唱力があって、プロ根性が備わった実力派ばかりである。
<男女混合編>
サーカス
サーカスは、私が中学生の頃から高校にかけて一世を風靡したグループ。兄弟・親戚で構成されたグループだが、大人の雰囲気を漂わせたハーモニー抜群のコーラスユニットだった。「Mr.サマータイム」や「アメリカンフィーリング」は大ヒットし、深夜放送でよく聴いて、都会や外国への憧れを強く抱いた。
ZOO
私が20代後半の社会人の頃に、大流行歌「Cho-Cho-Train」を引っ提げて華々しく活動したユニット。ヴォーカルは女性で、ダンスパフォーマンスを取り入れた斬新なコンセプトだった。JRのSKIブームと相まって、CMも人気が高かった。EXILEの前身グループとして君臨した。
サンデーズ
サンデーズの面々は、定期的に入れ替わったが、その時期旬のヤングアイドルが出演した。ひかる一平、川崎麻世、渋谷鉄平、新田純一、植草克秀、佐久間レイ、小出広美、佐藤恵利、坂上とし恵、横田早苗らがオープニングダンスやところどころでの踊りを披露した。私はカエル顔の橋本清美が大好きだった。
<女性編>
スク-ルメイツ
ヤング歌謡番組やバラエティ番組のバックダンサーとして欠かせない存在だった。ショートのフレアスカートでわざとらしくアンダースコート見え見えの露出で、世のヤングの視線を釘付けにした。今で言う絶対領域(太もも)を露出して明るく元気に踊りまくった。何を隠そうキャンディーズはこのスクールメイツから誕生した独立ユニットだ。
トライアングル
このユニットは、キャンディーズ解散後に、いかにも二番煎じというかポストを狙ったキャンペーンで登場した。しかもキャンディーズが命名。あまりにもキャンディーズ路線が過ぎ、真似という印象で、二匹目のドジョウとまではいかなかった。
Babe
この2人組ユニットは斬新で、ダンスと共に、ヒット曲にも恵まれた。確か兄が大好きで、実家にシングルCDが何枚かあったと思う。「Give Me Up」や「I don't know」などは大ヒットした。Winkが登場するまでは、彼女たちがその時代のミュージックシーンをリードしたといって過言ではない。
ザ・リリーズ
とんねるずの「雨の西麻布」のラストで「双子のリリ~ズ~」という歌詞でその存在がリバイバルされたが、文字通りそっくり双子のユニット。好きよキャプテンがあまりにも強烈で、それ以外の楽曲はあまり知らない。
キャプテン
キャプテンは、2人組ユニットで、独立してCDデビューした記憶がない。松本伊代なバックで、ダンスと時々コーラスを歌っただけだった。やはりミニスカートでスカートから覗く脚(太腿)が眩しかった。清潔感があって、いい感じだった。
カントリー娘
当初は、プロデュース担当の田中義剛が経営する酪農を中心とした農場の花畑牧場で働きながら芸能活動をする半農半芸をコンセプトとしていた。2003年に芸能活動を中心にする為に拠点を東京へ移した以降も年に一度は花畑牧場にてイベントが実施されていたが、2006年は恒例の花畑牧場ではなく軽井沢でイベントが実施される等、北海道との関係は希薄になり、現在農業関係は100%行っていない。里田まいが所属したことで有名になったが、結成当時、メンバーだった柳原尋美がカントリー娘。のオーディションを受ける以前から事務所に所属していたが、、デビュー直前の1999年7月16日に、修業と称して行われていた田中義剛の牧場での作業中に交通事故で急死(19歳没)するという不幸があった。
Mi-Ke
1990年代初期に活躍したユニット。宇徳敬子、村上遙、渡辺真美の3人のB.B.クイーンズの音楽コーラス隊 であり、後にアイドルグループとしてデビューした。アイドルグループとしては1991年にデビュー。振り付けを意識した当時のアイドルグループの形態をとりながらも、アルバムごとにテーマを定めたリバイバル・カバープロジェクトであった。グループ名の由来は当時ヒットした「たま」をもじり、メンバー3名の個性を活かして三毛猫から取っており、白が宇徳、茶色が村上、黒が渡辺というように色が分けられていた。
ビーイングのサウンド、アレンジ、パロディを含めたプロデュースが光り、日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞、日本ゴールドディスク大賞と各音楽賞の最優秀新人賞を総ナメにし、『第42回NHK紅白歌合戦』(「想い出の九十九里浜」)にも出場。
曲のタイトルをパクったようなパロディ風の楽曲が多かった。「ブルーライトヨコスカ」「好きさ好きさ好きさ」、悲しきテディボーイ」、「サーフィンJAPAN」などがそうだ。
それ以外には、ソフトクリームや少女隊などが懐かしいユニットだった。この時代は、おニャン子クラブ解散以降、バンドブームまでの橋渡し的な役目を果たしたユニットが多い。いずれもベストテンにランキングするほどの大ヒットばかりである。だから記憶にも記録にも残るユニットが多かった。
記事作成:2月~4月2日(水)