私が高校時代を過ごした1980年代初頭。感受性豊かな思春期時代に感化されたのは、やはり音楽だった。シンガーソングライターが全盛を迎えた1970年代後半が中学時代で、同じクラスだった箭内道彦氏と一緒にフォークギターを奏でていた。彼は松山千春が大好きで、よく音楽の授業やクラスのお別れ会などでも演奏していた。私は熱烈なアリスフリークだった。アポロキャップを目深にかぶり、彼らの楽曲をコピーして歌っていた。そんな私にとって佳き時代に、世間一般に流行っていた曲が今日紹介したい珠玉の5曲である。もちろんいずれも新しい分野を切り開いたようなソングで、今でも想い出深い曲たちだ。
ダンシングオールナイト by もんた&ブラザーズ
1980年 自身最後のチャンスとの決意で「もんた &ブラザーズ」として再デビューし、「ダンシング・オールナイト」をリリース。これが大ヒットとなり、この年、第22回日本レコード大賞金賞、第11回日本歌謡大賞放送音楽特別賞、第13回全日本有線放送大賞などを受賞、第31回NHK紅白歌合戦にも出場した。
め組の人 by ラッツ&スター
かつてはシャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)のバンド名で活動していた。4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた。長らく活動を休止しているが、正式な解散はしていない。1983年、『サヨナラ・シャネルズ・フェアー』開催に伴いシャネルズとしての活動を終了させ、「ラッツ&スター」に改名。ラッツ&スターとしてのデビュー曲「め組のひと」が80万枚を売り上げた。
ルビーの指環 by 寺尾聡
http://www.youtube.com/watch?v=eC6nKlBjShA
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。俳優・宇野重吉の長男。 サングラスをかけ、ニヒルな表情がトレードマーク。ホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)。ルビーの指環」は寺尾聰の5枚目のシングル。1981年2月5日発売。同年3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。同時期に、TBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。同年12月31日には第23回日本レコード大賞を受賞。 2012年現在、日本レコード大賞と日本アカデミー賞最優秀主演男優賞の両方を受賞した唯一の人物。「
同時期にリリースした「出航(SASURAI)」や「Shadow City」も大ヒットし、私も好きだった。
http://www.youtube.com/watch?v=1WPrp8gbMls
http://www.youtube.com/watch?v=KrJI7BWHVRQ
待つわ by あみん
名古屋市の椙山女学園大学の同級生として知り合った岡村孝子と加藤晴子の2人によるデュエット。岡村の歌う主旋律に加藤がハーモニーを加える曲が多い。第23回ヤマハポピュラーソング コンテスト(通称:ポプコン)において「待つわ」でグランプリを獲得。その後メジャーデビュー。デビューシングルながら、1982年のオリコン年間売上1位となるヒットを記録した。週間チャートでは6週(8月30日 - 10月4日付)にわたり1位を獲得している。
ウエディング・ベル by Sugar
http://www.youtube.com/watch?v=JkOYOwdL3go
1981年11月21日にフォーライフ・レコードよりリリースされた日本の音楽ユニット・Sugarのデビューシングル。恋人が他の女性と結婚することになり、その式場である教会に招待された女性の心情を綴る歌詞になっている。新郎新婦への怒りを込めた「くたばっちまえ! アーメン」に代表される皮肉たっぷりの歌詞と、3人(ミキ・クミ・モーリ)の美しく、かわいらしいコーラスのギャップが受けて、レコードが約70万枚を売り上げる大ヒットとなった。Sugarはこの曲で1982年の第33回NHK紅白歌合戦に出場。これが最初で最後の紅白歌合戦出場であった。メンバーだったモーリが、第一子の出産直前に、胎児が死亡し老廃物が母体に逆流する病気(常位胎盤早期剥離による羊水塞栓症と言われる)により逝去。29歳没。
私にとって、音楽で感化され、もっとも影響を受けた時期は中学2年生だった。その時期に全盛を極めていた「ニューミュージック」。アリス、オフコース、ゴダイゴ、ツイスト、サザンオールスターズ、、甲斐バンドなどの珠玉のバンドを始め、ソロシンガーでも松山千春、さだまさし、中島みゆき八神純子、渡辺真知子、荒井由実、そして数多くの一発屋と呼ばれるシンガーが彗星の如く登場した。彼らの大ヒットした楽曲を見よう見真似でコピーしては友人と歌っていた。今思えばよき想い出の一コマになっている。
記事作成:2月28日(金)