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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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日本で活躍した外国人女性シンガー

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 この手の記事は昨年10月10日付の「日本で売れた異国歌手」で執筆し、掲載したことがあったが、今回は女性限定でお送りしたい。1970年代以降の日本の歌謡界に彗星のごとく現れ、特異なキャラと楽曲で活躍した外国人シンガーがいる。今回はそんな方々をセレクトしたい。ただし、キリがないのでユニットやグループを除き、ハーフを含め、ソロで活躍した歌手に絞ってお送りしたい。今回は著作権抵触ですぐに映像削除になることを危惧するため、「Youtube」の埋込み処理は行いません。ご容赦ください。

 アグネス・チャン

 私が小学校高学年の時に突如ブラウン管に登場した。色白で真ん中分けの髪型。香港出身で多芸。幅広い活動を行い、5ヶ国語以上話せる元祖バイリンガルシンガーだった。「ひなげしの花」「草原の輝き」がヒットした。1973年日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

http://www.youtube.com/watch?v=uR8Idon6Q6w

 山本リンダ

 1966年、15歳でデビュー。『こまっちゃうナ』『どうにもとまらない』『狙いうち』などのヒット曲で知られる。身長168cm。「リンダ」という芸名は、アメリカ人の父親が生前山本に付けた愛称から。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。

http://www.youtube.com/watch?v=1JjN5TYI2n4

http://www.youtube.com/watch?v=qsprkHobiyg

 アン・ルイス

 父親がアメリカ人(アメリカ海軍の軍人)で母親が日本人のハーフ。兵庫県宝塚市に生まれ、横浜市中区本牧に在った米海軍の住宅街ベイサイドコートで育つ。子役として活躍。当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動し、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒット。ロック(歌謡ロックと言われる場合もある)に転向し1970年代から1980年代にかけて「ラ・セゾン」や「六本木心中」「あゝ無情」などヒット曲を放った。

http://www.youtube.com/watch?v=iuCipmyk_Fw

http://www.youtube.com/watch?v=vPW4h870JSc

 欧陽菲菲

 中華民国(台湾)出身の 歌手。1967年に台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした。その後日本のプロダクションより日本での歌手活動が打診されたが、本国での人気をご破算にしての日本行きに周囲は難色を示した。しかしその後観光ビザで来日し、1971年9月に『雨の御堂筋』で日本デビュー。同曲が約136万枚の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がり、同年の第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞。翌1972年には「第23回NHK紅白歌合戦」に在日外国人・日系人やグループを除く外国人ソロ歌手として初めての出場を果たした。その後も活躍を続け、1983年から1984年にかけての『ラヴ・イズ・オーヴァー』のロングセラーなど、数々のヒット曲を飛ばしたことや、その気さくな人柄や片言の日本語で日本の音楽番組のみならず、バラエティ番組でも人気が高い。ソウルフルな歌唱が日本や台湾だけでなく、アジア各地でも高い人気を誇る。「雨の御堂筋」はカラオケでも人気が高い。

http://www.youtube.com/watch?v=L_6CgFlgaTQ

http://www.youtube.com/watch?v=TIXIFDug4cY

 テレサ・テン

 中国名:鄧麗君(デン ・リージュン)、は、台湾出身の歌手。
 1973年に、香港で「日本の父さん」と呼ばれる舟木稔との出会いがきっかけで日本での活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の『今夜かしら明日かしら』により、鳴り物入りで日本デビューを果たす。しかし、売れ行きは思わしくなく、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる『空港』が大ヒット、第16回日本レコード大賞新人賞を獲得する。
 1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。レコード会社もポリドールからトーラスレコードに移籍、『つぐない』で日本再デビューを果たす。日本でリリースした『つぐない』と『愛人』はそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚を売る大ヒットとなる。1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』及び『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。
 1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さだった。

http://www.youtube.com/watch?v=abQ7IQ3O7pM

http://www.youtube.com/watch?v=YRZucY1BLk8

http://www.youtube.com/watch?v=YxFPNKLaO10

http://www.youtube.com/watch?v=paQ-8suxPSA&list=RD02S1n8OsfwGXo

 ジュディ・オング

 台湾名:翁倩玉(ウォン・チエンユィ= Wēng Qiànyù)、英語名:Judy Ongg)は1950年1 月24日・台湾出身の歌手・女優・版画家(版画家としてはジュディ・オング倩玉という。
 1972年、日中国交回復を機に日本に帰化。
 1979年に『エーゲ海のテーマ~魅せられて』が200万枚の大ヒット。女性下着メーカーワコールのCMソングだが、彼女自身のエキゾチックで妖艶な雰囲気と、同年の日米合作の映画『エーゲ海に捧ぐ』のイメージともマッチし(同映画の主題歌ではないが、CMには映画にも主演したチチョリーナが出演し映画上映と同時期に放映されており、一種のタイアップである。英語のサビの歌詞の「Wind is blowing from the Aegean」は、「風はエーゲ海からふいている。」という意味である)、見事第21回日本レコード大賞を受賞。第30回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たす。彼女自身のデザインによる、扇状に広がる袖がついた優雅な衣装も話題になった。

http://www.youtube.com/watch?v=viUqswA8QYk

http://www.youtube.com/watch?v=Xiz-NYChMi8

 マルシア

 ブラジル・サンパウロ州モジダスクルーゼス市出身の日系三世。
 1985年、ブラジルで開かれたTBSの『TBS歌謡選手権』で準優勝。これを契機に翌年、祖父の佐登里と共に来日した。来日後、芸能界にスカウトされ、作曲家の猪俣公章に師事する。デビュー前の当時、日本テレビの情報番組「追跡」にて、猪俣公章の内弟子修行で悪戦苦闘する姿が紹介されている。厳しい修業を乗り越え、1989年1月、「ふりむけばヨコハマ」でメジャーデビュー。『第31回日本レコード大賞』や『FNS歌謡祭』では最優秀新人賞など、多くの新人賞を受賞。マルシアがブラジルに凱旋帰国公演をする直前に、父の千秋は心不全で急死。父はとうとう日本の土を踏むことは出来なかった。後に、テレビドラマ、バラエティー番組などにも出演、女優・タレントとしても幅広く活躍。

http://www.youtube.com/watch?v=Cs57YKmNCpU

 キム・ヨンジャ

 韓国光州出身の演歌歌手。1974年韓国TBCテレビの「全国歌謡新人スターショー」で優勝し、歌手デビューする。1977年には「女の一生」で日本デビューする。しばらくヒットに恵まれなかったが、1981年にトロットアルバム「歌の花束」が韓国のレコード史上最大の360万枚の売上を記録する。1984年、NHKホールコンサート・公演ライブテープ、レコードが日韓同時発売。1988年、ソウルオリンピック讃歌「朝の国から」で日本再デビュー。同曲をソウルオリンピック閉会式エンディングセレモニー会場のメインスタジアムにて10万人観衆の前で歌唱。1989年にNHK紅白歌合戦に「朝の国から」で初出場。その後、「川の流れのように」、「イムジン河」で3回出場している。

http://www.youtube.com/watch?v=GOFFjpyVmvI

http://www.youtube.com/watch?v=xrqrr6zP0t0

 桂銀淑

 韓国ソウル市永東 出身の演歌歌手である。ジャンルは演歌に分けられているが、曲調はド演歌ではなく、 歌謡曲やバラードに分類される。独特なハスキー・ヴォイスで数々のヒット曲を飛ばし、 多くの音楽賞を受賞。身長160cm、体重47.5kg、血液型B型、天戸商業高校(韓国)卒業。作曲家の浜圭介に見出され1984年に来日。浜の元でレッスンに励んだ後、1985年に「大阪暮色」で日本デビュー。以来「すずめの涙」「夢おんな」「酔いどれて」「真夜中のシャワー」「ベサメムーチョ」など次々とヒット曲を連発し、数々の音楽賞を受賞。1988年、「夢おんな」で第21回日本有線大賞グランプリを獲得。同年、『NHK紅白歌合戦』に初出場し(歌唱曲は「すずめの涙」)、以降1994年まで7年連続出場。また、日本レコード大賞の常連にもなり、1990年にはアルバム『真夜中のシャワー』で第32回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。
 1987年に発売された、浜圭介とのデュエット曲「北空港」は、数あるデュエット曲の中でも人気が高く、現在でも多くのカラオケファンに愛され、常にカラオケランキングでは上位に入っている。

http://www.youtube.com/watch?v=GBsyXZbNNHA

 記事作成:5月3日(金)


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