昭和の時代、その存在感を示した巨星とも言うべき方々が相次いで亡くなった。私が幼少の頃から、テレビやラジオを通じて見ていた雲の上の存在だが、それぞれの分野で一世を風靡した。ここ数年立ち続けにそうした巨星たちが天国へと旅立っていくことに一抹の寂しさを感じてしまう。
永六輔
「見上げてごらん夜の星を」の作詞者でもあり、作家でもあった永さん。私は「咳こえのどに浅田飴」のキャッチフレーズCMのほうが印象深い。昨年4月に86歳の天寿を全うした。
名もなき星たちへ 毎日100通程度届く手紙に、懇切丁寧に返事を書いていた。決して表沙汰にしない、密かな活動であった。そして年間100日は地方行脚を重ね、多くの方々と膝を交えて語り合う人柄は、亡き後も多くの人々に慕われ愛されている。
小沢昭一
夕方のラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で聞かせた陽気な語りと流暢な話術は今でも脳裏に焼きついている。そしてOPとEDの名調子のお囃子も小気味いい。
大橋巨泉
正直、生前はあまり好きなタイプではなかった。B型そのもので自己中心的で金に物を言わせるような人を見下した偉そうな態度。しかし、昭和時代、若くしてテレビの分野で活躍した。万年筆のCMで「はっぱふみふみ」という名言を残し、自分が企画し、司会を担当した番組はいずれも高視聴率の長寿番組となった。まさにテレビの申し子的な存在だった。
晩年は全身がんとの闘いとなった。それでもテレビに出演続けた。
一時は民主党から政界進出を果たしたが、我の強さから執行部に見切りを付け、さっさと引退。いかにも巨泉さんらしい振る舞いだ。
永六輔さんと親友で、彼を追うように巨泉さんも続けてこの世を去った。
他にも私が崇拝する故人に名ナレーターだった芥川隆行さん、ジェットストリームで魅せた痺れる声の持ち主・城達也さんがいる。
記事作成:6月5日(日)
追記
この記事を書いた後、名母親役など女優として活躍した「野際陽子」さんが亡くなられた。中学時代に「キーハンター」の再放送を深夜の時間帯で見て、あのアクションドラマに虜になったことを思い出した。それにしても81歳とは、私の母親より年上で、芸能人はやはり若く見える。謹んでご冥福をお祈りしたい。