私が北海道で学生生活を送っていたのが1984年4月から1986年2月までの約2年間だった。もう33年も前の出来事になった。その間、時の経過と共に劇的に変わってしまったものが数多い。私にとってはちょっと前の出来事なのに、「歳月人を待たず」は確かだった。
そこで、今日のテーマはタイトルが示す通り、劇的に変貌してしまったものを取り上げたい。
1 駅舎
①岩見沢駅
残念ながら 年に漏電が原因とみられる火災が発生し、昔の青い屋根の駅舎が影も形
も無くなり、近代的な赤レンガとガラス張りの駅舎に生まれ変わった。
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②足寄駅
国鉄時代は木造の小さな駅舎だったのに、最近立て替えられて、現代風にリニューアルされた。道東の小さな田舎町だった足寄を全国区に押し上げたのは松山千春の功績だ。
私は千春の生家を2度訪ねたことがある。自宅のガレージの上に。彼のでかい肖像画が立てかけられ、一発でそれとわかる。彼はこの町のヒーローであり、この町の功労者だ。足寄と言えば松山千春、千春と言えば「足寄」なのだ。
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③ 上砂川駅
歌志内線が廃止になり、その後、「昨日、悲別で」の悲別駅として登場した上砂川駅も解体か保存かで揺れた。しかしファンの聖地として残すことになった。線路は撤去されたが、駅舎自体は90度角度を変え、移築された。私がいた頃は、廃止前で、テレビドラマそのままの風景画展開されていた。ホームから見える、炭鉱の黒いズリ山など、雪とのコラボが悲壮感や荒廃感を醸し出していた。
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④ 函館駅
私がいた頃は、青函連絡船が現役バリバリで就航していた。それが今や北海道新幹線が函館北斗まで開通し、函館がぐっと近くなった。古くさい駅舎だったのが、一新された。要塞っぽい鉄の塊のような印象になった。かつてはゴチャゴチャしていたが、スッキリスタイリッシュに変貌を遂げた。
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⑤ 稚内駅
最果てを思わせるような萎びた駅舎だったのが、改築と言うより完全リニューアルして超近代的な駅舎に生まれ変わった。
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⑥ 幸福駅
旧広尾線にあった幸福駅。昭和50年頃に「愛国から幸福へ」という記念切符が発売され、一大ブームを巻き起こした。その後、廃線になり、今は駅舎と僅かなレールが保存されているだけ。カップルの聖地として未だ根強い人気を誇る観光地だが、実際にディーゼル列車が運行していた当時を知る私としては、何か物足りなさを感じる。
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2 函館五稜郭タワー
私はここを4回訪れていて、2回ほど昔の五稜郭タワーに上ったことがある。しかし、1964年竣工の昔のタワーは高さ60mと低くて、星型の五稜郭の全景を見渡すことが出来なかった。それが今やタワー自体が建て替えられて、2006年に完成したタワーは107mと1.7倍も高くなって全景が収まるようになった。
私が北海道に住んでいたのも31年も昔の出来事になった。当時はバイクを駆って北海道中を旅してまわった。今でも心の中にある原風景は色褪せることはないが、そんな想いとは裏腹に、この30年で、建造物は劇的に変化してしまっていた。3年前は道北や道東までは足を伸ばせなかったが、時間に余裕が出来たら、当時の面影を探し求めて旅してみたいと思う。
逆に、当時とあまり変わっていないスポット
① ラーメン横丁
② 羊ケ丘展望台
③ 札幌テレビ塔
④ 時計台
⑤ 富良野駅
記事作成:4月9日(日)