最近、江戸時代に活躍した俳諧人・松尾芭蕉に凝っている。9月7日(土)に、目的を供にする職場の同僚と、松尾芭蕉が印した足取りを追って、福島市近辺を訪ね歩いた。よくよく考えると、これまでに私は、無意識のうちに松尾芭蕉ゆかりの場所を訪ねて、県内各地を相当数訪れていることに気づいた。それならば「奥の細道」で、彼と弟子の曾良が県内を縦断した足跡を追いながら、自分なりに集約してみたくなった。そこで、彼が辿った福島県内の足跡から見ていきたい。
まず、彼が江戸の深川を出発点とし、遠路はるばる徒歩にて「みちのく路」を旅し、その先々で遭遇した風景や出来事について、彼自身が体得した感慨や雑感を俳句という手段で表現し、それを散りばめて完成した紀行文「奥の細道」に編纂したことは周知のところだが、彼が現在の福島県に入境したのは、旧暦でいう元禄2年4月20日のことだった。これを今の太陽暦(新暦)に直すと、初夏の6月7日にあたる。松尾芭蕉の健脚ぶりは、忍者説があるほど強靭なもので、一日50km以上を踏破することも珍しくはなかった。そこを足がかりとして彼が歩いた旅路を日付を追って記載し、合わせて私が訪れた日付と重ね合わせ、その名勝や訪問時の様子やエピソードを記載したい。
元禄2年
4月20日(太陽暦6月7日)
境の明神ー奥の細道自然歩道ー白河の関(H25.8.14訪問)
4月21日(太陽暦6月8日)
白河の関(白河神社)ー旗宿ー庄司戻しの桜ー関山ー白河市街ー踏瀬の松の木ー矢吹
心もとなき日数重ねるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。
4月22日(太陽暦6月9日)
矢吹ー鏡石ー須賀川
4月23日~4月28日滞在
須賀川(相良等躬宅)ー長松院ー神炊館神社ー翠ヶ丘公園ー可伸庵ー軒の栗小公園
風流の 初やおくの 田植うた 世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
4月29日(太陽暦6月16日)
軒の栗ー乙字ヶ滝ー男滝橋ー八流の滝ー守山宿(田村神社)ー金山橋ー郡山
乙字ヶ滝はH25.8.14訪問 田村神社はH25.9.14訪問
5月1日(太陽暦6月17日)
郡山ー牛ヶ池ー奥州街道松並木ー蛇骨地蔵堂ー安積山ー太郎丸観音像ー本宮ー
安達太良神社ー二本松ー黒塚(安達ヶ原)ー観世寺ー松川ー福島
松並木と安積山はH25.8.19訪問、二本松黒塚はH25.6.29訪問
5月2日(太陽暦6月18日)
福島ー文智摺観音ー月の輪の渡しー瀬の上宿ー医王寺ー大鳥城跡ー飯坂温泉(鯖湖湯)(H25.9.7訪問)
早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺
笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟
5月3日(太陽暦6月19日)
飯坂温泉郷ー十綱の渡しー不動寺ー松原寺ー桑折ー藤田ー弁慶硯石ー貝田宿ー伊達の大木戸
松尾芭蕉が福島県内に滞在したのは、須賀川市の6日間を最長に、実に13日間に上る。その間、芭蕉の目に写ったものは何だったのか。緑豊かな田園風景か。それとも代わり映えのしない殺風景な景色だったのだろうか。
参考ブログ
http://azusamaya.web.fc2.com/oku/index.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/oku/aaslow.htm#mt1
今回の記事のとおり、最近、松尾芭蕉の奥の細道にはまり、どっぷりと浸かっている気がする。同じ職場に志を共にする先輩がいるので、仕事の合間に松尾芭蕉談義に花を咲かせることもしばしである。あの大偉人の松尾芭蕉が、当地を訪れたことも奇跡だが、その350年後に同じルート、同じ訪問地を私が歴訪するのも何かの縁かもしれない。しかし、こうして古の歴史浪漫に触れ、今まで気づかなかった数々の奇跡に出会え、何気ない風景に心を寄せることも多くなった。普段では心を砕くこともないであろう事柄や場所に、ふと足を止めてどっぷり浸かってみるのも一興かと思う。忙しい日常を離れ、一時のオアシスを心ゆくまで味わいたいと思う年齢になったのかもしれない。記事作成:9月6日(金)