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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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昔話⑭ ~郡山のあの場所は今~

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 昭和50年頃、私が小学生時分に遊び場だった駅前周辺が、ここ数年激変している。一世を風靡した建物やビル、店舗が次々姿を消し、かつての経済県都としての商業都市の面影は駅前周辺には無くなり、寂しい限りだ。昭和50年代にあった有名スポットが、今はどう変わったかというテーマで今回はお送りしたいと思う。

 1 郡山中央スケートリンク
  昔の画像や写真は一切残っていないし、ブログ等で掲載している方も少ない。今はビ
 ッグアイの西向かいの三共郡山ビル(北館)がある辺りだ。入口から入ると、まっすぐ進
 めばスケートリンク場(貸し靴ロッカーなど)で右側の鉄製の階段(よくマンションの外付
 けにあるようなスチール製の非常階段)を半2階ほど上がると、一列しかないベンチつき
 の観客席の通路があって、そこから真下で滑っている人たちをガラス越しに見学できた
 ものだ。リンク自体は狭くて、テニスコート一面分くらいしかなかったと思う。娯楽が少な
 かった時代なので、駅前でこの施設は、逆に若者にとっては有難かった。その見学でき
 る通路も寒くて長く居られなかったと記憶している。
         40年前の駅前             現在の駅前

Ekimae1Sanko

 中央スケートリンクがあった方面を撮影した画像です。

 2 丸井郡山
  空洞化により駅前に長らく空きビルとして放置されていたが、2年ほど前に再建策が
 まとまり、東京資本のダイワロイネットホテルが土地を買い取り、建設が始まった。駅前
 には信じられないほどのホテルが林立しているが、平日は予約がとれないほど満室らし
 い。
  アパホテル、大八、ワシントン、シティホテル、ビューホテルアネックス、α1、コンフォー
 ト、ドーミーイン、ホテルロイヤル、プリシード、東横インなど過当競争気味だが、それで
 も満室というから凄い。
  ここへ来て駅前の一等地に新築されるこのホテルはビジネス系で一泊6,000円程度
 の安さなので、利用者は多い筈だ。
    10年前の丸井        現在の旧丸井跡地
MaruiDaiwa_roinet
 ホテル誕生に水を差して申し訳ないが、丸井時代にここの屋上から飛び降り自殺があったし、またここの工事中に人間の遺体が出てきた話は事実だ。そこを都市型ホテルって、心霊スポットや都市伝説になりそうだ。昭和の頃、西友、丸光の屋上から、平成20年代にも駅前の全国チェーンのホテルでもカップルが飛び降り自殺しているので駅前は稀に見るミステリースポット化している。
 3 丸光百貨店
  今年2月初旬に、旧丸光百貨店があったエリートビル42(通称朝日生命ビル)が解体
 されるニュースが飛び込んできた。かつては地下にあった食品売り場やラーメン屋で買
 い食いした想い出があるし、エレベーターが珍しい時代に、木製ヘリボーンタイル張りの
 フロアの7階おもちゃ売り場もよく訪ねたし、屋上の回転遊具やスマートボール型ゲーム
 機で遊ぶなど慣れ親しんだ場所だけに、少年時代の想い出が染み付いたスポットとして
 残して欲しかった。
        昔の丸光             現在の旧丸光

Marumitsudepart

  4 第一うすい、第二うすい(百貨店)
  第一は中町中央パーキング、第二はリニューアルしたうすい百貨店となって改築され
 た。一時期は高級志向が災いし、客足が遠のき、経営難に陥ったが、三越の支援を受
 け、再建された。今では7階ワンフロアにジュンク堂書店が入り、十分楽しめる仕様とな
 った。
   
    昔の第2うすい            現在のうすい
Usui1Usui2
 5 ダイエー(トポス)
  郡山駅前周辺に数多くの駐車場を構える「三井のリパーク」に生まれ変わった。高架
 橋で本館と別館をつなぐほど、巨大スーパーだった敷地を利用し、これまた巨大駐車施
 設が誕生した。
            30年前のダイエーの様子
 
          FCTのニュース映像より
 現在は・・・・

Repark

 あの広大な敷地全体を平面駐車場に

 6 東北書店
  ここも郡山一の蔵書数を誇る書店だった。市民のオアシスとして、待ち合わせや駅前
  などの飲み会までの時間つぶしによく利用した。確かフロアごとに書の種類が異なり、5
 階くらいまであった。奥に向かって細長い売り場だった。
  ここも昨年、ダイエーと同様、リパークに吸収された。

     20年ほど前の東北書店(左がアーケード入口で右が西側の裏口)
TouhokusyotenTohokusyoten2
 7 津野デパート
  銀色のパネルの外壁で、ここは呉服呉専門店という位置づけだった。昭和の時代に閉 
 店し、今では「ホテル第一イン」として改築されて使用している。
  50年前の津野本店       現在の旧津野本店の跡地

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 8 山ノ井(山乃井)
  かつては雑貨屋、文具など多種多様な店が同居していた。内部がL字型にドッグレッグ
 していて、床が土間であり、照明がやたら暗かった想い出がある。中央通側と、駅前大
 通側の両方に出入り口があった。その後、改築し、エスカレーター完備の近代的ビルに
 生まれ変わり、「カルチャーセンター」として多彩なスクールを開業した。

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 左上の写真は「郡山商工会議所」のHPより引用させて頂きました。ここでの想い出は、漫画を描くのに、インクやケント紙、羽箒、ペン先、スクリーントーンなどを買いに行ったことだ。私は金遣いの荒いバカ息子だった。

 9 郡山東宝
  かつてゴジラやモスラなどの怪獣映画を上映した映画館があった。今では富士館ビル
 として雑居ビルになり、飲み屋街となっているが、その前は「ワタナベスポーツ」だった。
 その数軒隣りには、よく父親に連れて行ってもらったが、県内初の回転寿司だった「元禄
 寿司」があった。こちらも暗くて狭くて細長い店だった。
                                              
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10 映画館ストリート(駅前アーケード界隈&2丁目周辺)
  アーケードにあった大勝館やスカラ座、テアトルなどが犇めき合っていた。もっと昔には
 駅前に松竹や大映などの映画館もあったと聞く。パレス系は駅前に「東映パレス」や「洋
 画パレス」、「パレス1、2」などの映画館を所有していたが、庶民の娯楽が映画だった古
 き佳き時代だった。
  ロマンポルノの殿堂だった大勝館も2009年11月をもって閉館し、今は駐車場。そし
 てスカラ座は現在、第2増子ビルで、居酒屋「まめ膳」などが入る雑居ビルになった。  
  ほかにも駅前大通沿いにあった佐藤書店、少し離れるが、清水台の八幡坂にあった
 叶屋書店、ピカデリー郡山(ライブハウスになっていた時期あり)、染本ホテル(現在駐
 車場)があった。また、堂前には「郡映」という、まるでほったて小屋のような入口の映画
 館もあった。私はピカデリーでスターウォーズ第一作、郡映でキングコングを観た。
                                                        
Taisyoukan
11 角海老
  昔の郡山市は凄かった。市街地の一等地である駅前大通りと中町商店街への入口と
 なる中央通りの角、つまり現在、郡山ビューホテルアネックスが建つ場所に焼き鳥屋が
 あった。その名は「角海老」。近くを通ると食欲をそそる焼き鳥の香ばしい香りと煙が漂
 っていた。何を隠そう、そこの外国人を思わせる風貌のべっぴの娘・Oさんと私は中学生
 の頃、同じクラスだった。現在は移転し、安積黎明高校の南向かいに建つ、立派な塀構
 えの高級割烹料理の料亭「京香」になっている。
  「角海老」は、郡山では知らない者がいないほど有名店で、明治17年創業の老舗。今
 では郡山唯一のスクランブル交差点のある繁華街にど~んと店を構えていたから凄
 い!専門は「すき焼きと牛鍋店」ということだが、私の印象では「焼き鳥専門店」という
 認識だった。
  時代を越える味とおもてなし
  「京香」のHP= http://www.kyo-ka.jp/about.html 
12 旧三森峠
 世の中、私と同じことを考えている方々はいるもので、今はトンネルで便利になった「県道6号郡山湖南線」。通称三森峠だが、今から20年以上前に新道が開通し、ヘアピンカーブが連続した旧三森峠と山頂部にあった旧三森トンネルは閉鎖された。その後、20年ほど時が経過し、6年前には未曾有の大震災に直面した。おそらく土砂崩れや草木の増殖により、道路も寸断され、トンネルまでは足を踏み入れられない状況に陥った筈だ。
 当時、私は会津に1年間住んでいて、この峠を通ったり、スキーの帰りに、あるいはバイクで何度も走行した想い出が詰まった場所だった。特に頂上部にあったトンネルは暗くて不気味。心霊スポット化するほど不気味な所だった。そこの広場からは郡山市街を一望でき、夜は夜景も楽しめた。またトンネルの上には、遺跡の発掘を記念して、縄文式住宅を再現した「古代の村」もあったし、黄色い建物の「峠の茶屋」も存在した。団子が名物だったらしい。
 ここを最近、歩いて山を登り訪れた方がいた。やはり、閉鎖後、どうなっているか気になったのだろう。閉鎖前までは、皆、この勾配がきついクネクネ道を必死で登ったに違いない。想い出がいっぱい詰まった生活用道路だったに違いない。では、その方のブログと映像をどうぞ!
 なんと旧三森峠トンネルは埋め戻されていた。おそらく、心霊スポット化して、訪問者が訪れるのを恐れた市が業者に頼んで土で塞いだのだろう。もし肝試しで訪れて、土砂崩れや落石で怪我や死亡すれば、まず発見されないだろうし、熊に襲われれば一巻の終わり。また、滑落でもすれば行方不明となってしまう。だから懸命な措置だと思う。
 ついでに昭和45年の郡山の映像もおまけに見てください。三森峠は 3分15秒から登場します。
 さて、半世紀前に思いを馳せれば、「あそこに昔○○があったなぁ~」とか、「あの店の人は今どうしているかな」とかいろいろな感慨が去来する。それだけ長く我が街・郡山に暮らし、愛着が湧いたということだ。若い頃は、こんな田舎から出て東京で暮らしたいと思っていたが、震災を契機に、さらに地元愛が深まった。東京は年に数回遊びに行く場所であって、土地や物価は高いし、隣りに住む人の名前も知らないなど人間関係が希薄で、地方出身の身からすれば人が住む場所ではないと悟った。
 今後も、こうした地元の話題を続々提供する予定ですので、ぜひ懐かしんで欲しいと思う。
 おまけ
 こんな記事を書いた途端、残念な知らせが届いた。
 2月12日(日)に昔から行きつけの理容所に行ったら、いつも置いてある「街こおりやま」が、この5月を以って、その役目を終えたという理由で、廃刊になることがわかった。郡山の歴史や人など様々な情報を掲載し、地元密着型で親しまれた老舗タウン誌だった。昭和50年の創刊以降、昨年、500号を迎えたばかりなのに、この報に残念がる市民も大いに違いない。
 以前、当ブログで、郡山にあるタウン誌を特集した記事を書いたが、まさかの老舗人気タウン誌がその役目を終え、自らの意思で廃刊を決めた。郡山の歴史や昔の写真など、当ブログも参考にする点が多々あったので、心から感謝し、ご苦労様を言いたい。

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 記事作成:2月10日(金)~12日(日)


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