スポーツは筋書きの無いドラマである。そこに至るまで血の滲むような努力や膨大な練習量がある。そして華やかな大舞台で繰り広げられる熱戦の中で、名勝負が生まれる。振り返れば、過去に「世紀の大勝負」とか「伝説の一戦」とか呼ばれる試合が幾多もあった。今日は、私がセレクトした、伝説と呼ぶに値する一戦を紹介したい。
<プロレス>
アントニオ猪木対モハメドアリを誰もが思い浮かべるが、私はこの一戦を小6の時にLIVEで見たが、期待はずれだった。アリ圧倒的有利のルールの中、猪木がとった作戦は、マットに仰向けに寝そべって、組み合うことが無い超消極的戦法。そしてアリキックという言葉が誕生した通り、相手の脚を集中して狙うキック。私はこれを伝説とは思わない。逆に、日本のプロレスが分裂する前、猪木とジャイアント馬場がタッグを組み、メキシコの空中殺法ミル・マスカラス&アリオン戦いで、マット上で卍固めとコブラツイストを並列でかけた瞬間のひとコマだ。
<キックボクシング>
沢村忠の真空飛び膝蹴りも伝説だが、私は東洋ウェルター級チャンピオンで必殺の回し蹴りで相手をマットに沈めた富山勝治と花形満の戦いを挙げたい。1972年 日本ウェルター級王座決定戦でのひとコマで、名試合との呼び声の高い一戦だ。
1970年代は大相撲、プロレス、キックボクシングが三大格闘技だったように思う。
<柔道>
山下対ラシュワンも捨てがたいが、私は敢えてバルセレナオリンピックの古賀稔彦を挙げたい。バルセロナ入りしてから、吉田秀彦との稽古中、足に重傷を負った。出場が危ぶまれたが、強行で出場し、吉田の声援を受けながら逆境からの金メダルを獲得したシーンだ。
<プロ野球>(巨人・阪神戦)
V9がかかった甲子園球場での巨人阪神戦。前日、ナゴヤ球場で阪神が中日に敗れたことで、巨人が最終戦で阪神に勝てば優勝、V9達成という試合になった。前日、試合を行っていたナゴヤ球場のレフトスタンドのすぐ先を、新幹線で移動中の巨人ナインが素通りして行った。そして明けた決戦結果は予想外の一方的な展開。先発堀内は、阪神に二塁を踏ませない完璧な内容でリリーフした高橋一三の力投もあって完封継投。巨人がV9の大金字塔を樹立した。
私は当時、小学生で、生放送の画面を食い入るように見ていた記憶がある。
ほかにも楽天が日本一に輝いた2013年の田中将大のリリーフシーンが忘れられない。
<ボクシング>
私が真っ先に挙げたい日本人の世界チャンピオンは、ファイティング原田でも具志堅用高でもない。伝説のチャンピオンと呼ばれた「大場政夫」だ。大場はタイの挑戦者・チャチャイチオノイとの5度目の防衛戦に臨み、1Rにダウンを奪われ、右足をねん挫し、劣勢に立たされながらも、不屈の闘志で12Rに逆転KOでタイトルを防衛した。その三週間後、彼は自慢のスポーツカーで首都高速を走行中、スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れず外壁に激突し、反対車線に飛び出し大型トラックと正面衝突し、即死でこの世を去った。
彼の人生は波乱に富んだもので、輝かしさとともに事故で無くなった悲劇のヒーローという印象が濃い。太く短く駆け抜けた人生だった。
<大相撲> 北の湖vs貴ノ花 (昭和50年三月場所・優勝決定戦)
私が伝説の一番だと今でも思っているのは、初めて国技館(あの頃は蔵前)に座布団が舞った伝説の一戦だ。それは当時最強横綱の名声を欲しいものにしていた大横綱。北の湖と小兵ながら人気抜群の大関の貴ノ花の一戦だ。実は千秋楽までもつれこんだ優勝争いで、本割で貴ノ花は北の湖に敗れた。そして優勝決定戦となった。この大一番に勝った貴ノ花は初優勝を遂げた。強すぎて嫌われることの多かった北の湖を下しての悲願の優勝に、日本中が沸き返った瞬間だった。
さて、私が記憶しているのは昭和の名勝負が多い。冒頭でも書いたが、スポーツは筋書きのないドラマなので、何が起きるかわからないわくわく感と、勝利のために真剣に取り組む姿勢が人を惹きつけ、感動を巻き起こす。今日挙げたのは、ほんの一部であり、機会があれば、他のスポーツ、例えばバレーボール、スキーのジャンプ、競泳、テニスなど多種多様にある伝説の一戦を続編としてお送りしたい。
記事作成:1月7日(土)