2016年も日本では自殺者の数が3万人を超えた。同じく年間の交通事故死者数が4,000人を割ったことを考えれば、9倍以上にも上る。そして2013年の統計では、日本の自殺者数は世界で7番目に多い。これは先進国では1位で、アジアでは3位の韓国に次いで多い。
神様から与えられた、たったひとつのかけがえのない命を自らの意思で絶つからには、そこには人には言えぬ悩みや病気を苦に、あるいは介護疲れ、育児ノイローゼ、家庭問題、うつ病、仕事のストレス、人間関係、借金苦、生活苦などさまざまな理由があるにちがいない。
私は残された家族、周囲への影響、迷惑を考えれば、自殺を踏みとどまり、誰かのサポートを得ながら、生きていれば、やがていつかは光が見えることもあると信じている。残念ながら、日本では、自殺が大きな社会問題になりながら、そうした支援体制が十分ではないために、毎年、自殺者が絶えないでいる。
そこで今回は、過去、芸能人の自殺で世間に衝撃を与えたと思われる事例を、私の主観で10ケース選んでみた。自ら死を選んだその理由とは一体何だったのだろうか。
1 田宮二郎 猟銃自殺 まるでヘミングウェイ・・・
映画、ドラマ、さらにはクイズ番組の司会者としても大活躍した往年のスター・田宮二郎 が自殺をとげたのは1978年8月25日のこと。人気ドラマ『白い巨塔』(フジテレビ)の放映中に、自ら足で猟銃を引くという壮絶な最期だった。享年43歳で、これからもっと主演を張れる逸材だった。
過密スケジュール、心労が田宮の身体を蝕み、異変が表面化していく。現場で異常な言動を重ね、家庭内でもささいなことで激昂するようになったのだ。旧知の精神科医に診断されたのは「うつ病」だった。(exciteニュースより)
均整取れた日本人離れした顔立ちとクールな振る舞いで女性ファンを中心に人気が高かった。私も「白い巨塔」は大好きなドラマだったし、「クイズタイムショック」も大好きで毎週見ていた。それだけに彼の猟銃による自殺は当時、13歳だった私には衝撃的だった。血液型はB
彼の息子で俳優の田宮五郎も47歳で亡くなった。
2 沖雅也 高層ホテルから飛び降り
〈おやじ、涅槃で待つ〉 沖が養叔父だった日景氏に宛てた遺書にこう書き残して、ホテルの最上階から飛び降りたのは1983年6月12日である。「日景は、私に『沖の自殺は、事故みたいなものだった』と話していました」
「沖はホモではなく、女好きの普通の男でした。日景は嫉妬深くて束縛するタイプで、沖はそれに嫌気がさしていた。で、日景の財布から50万円抜き取って家出し、ホテルに2日間滞在。日景氏は生前、沖は自殺する3年前から躁鬱病だった、と明かしている。
「さらに沖が亡くなった後、日景は、彼が飛び降りる直前に声を掛けたというガードマンにも話を聞いた。すると、飛び降りたというより、バルコニーの縁に座っていた沖に“何やってんだ”と声を掛けたら、驚くような感じで振り向き、バランスを崩して落ちた、と説明したというのです」
沖が当時、精神的に不安定であったことは間違いない。ただ、日景氏は、沖は本気で死のうとは思っていなかった、と見ていたのだ。(デイリー新潮より)
私は「太陽にほえろ!」のニヒルなスコッチ刑事役、「俺たちは天使だ」の麻生探偵役、そして姿三四郎の桧垣源三郎役などを見ていたので、私も自殺以前に訪れたことがあった京王プラザホテルから身を投げて自殺を図ったというのは、衝撃以外のなにものでもなかった。血液型はB
映像はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=z-9SKUEI9HM&list=PLCE7E38DFAD043A2A
3 岡田有希子 所属事務所の屋上から投身
1980年代中期のトップアイドルの一人。ポスト松田聖子として期待され、活躍
していたが、アイドルとしての絶頂期に自殺してしまった。それは衝撃的だった。当時の報道では思いを寄せる俳優にフラれたことがきっかけで(真相は謎だが)、自宅マンションで手首を切り、それでも死に切れず、ガス自殺未遂、更にはその治療直後に所属する四谷の芸能事務所の屋上近くから投身自殺を遂げてしまった。
1986年4月8日の夕方に【放送していた「夕やけニャンニャン」の番組中、ニュース速報で伝えられ、我が目と耳を疑った。その時、自分は大学3年生で東京(三軒茶屋)に住んでいた。私は彼女の熱烈なファンではなかったが、人気アイドル歌手の衝撃の急死のニュースはショックだった。もちろん若者にも大きな影響と波紋を与えた。
彼女は名古屋市熱田区の出身で、1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りした。1984年4月に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。「ユッコ」の愛称でファンから慕われた。1986年1月、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がオリコン初登場1位となる。憧れだった歌手として順風満帆そのものだったのに、あのようなショッキングな自殺をしたことがあまりにも唐突で信じがたい事実だった。その後、後にユッコ・シンドロームと呼ばれることになる、類例のない規模の後追い自殺(ウェルテル効果)が起こり、当時の衆議院文教委員会で取り上げられる大きな社会問題になった。その人数はなんと115人とも言われた。O型。
4 沖田浩之 首吊り
アイドル歌手から俳優に転身を図ったが、師匠の津川雅彦から「芝居が下手」とか強く叱責され、思いつめることが多かった。そして1999年3月27日首吊り自殺を遂げた。自殺の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでの自殺ではないかと囁かれた。なお沖田だけでなく、弁護士の祖父、企業経営者であった父(1996年9月)、父の生前から経営を引き継いでいた兄(2002年4月)など、置鮎家は3代で4人の自殺者を出している。血液型はA
5 上原美優 首吊り
「貧乏アイドル」として貧しい家庭でのエピソードを明るく話し、プラチナムプロダクションの看板タレントの一角までに成長。グラビアタレントとしてその愛くるしい笑顔を振りまき、人気があった。
2007年のクリスマス(当時20歳)に恋人に振られた寂しさから睡眠薬を服用し自殺を図ったが一命を取り止めた。
2010年3月29日に母親が心筋梗塞で他界した。本人は仕事で最期を看取れなかったものの、家族全員で揃って葬儀を終えたが、彼女のショックは大きく以後精神的に不安定な様子が見られたという。
2011年5月11日午後11時頃、東京都目黒区のマンション自室で交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間ほど一人にしてほしい」と男性を外出させたという。その後、外出先の男性の携帯電話に死をほのめかすメールが送られ、折り返し電話をかけても彼女が出なかったため、男性が上原宅に向かったところ、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分、病院で死亡が確認された。満24歳没 血液型はA
1997年5月9日、当時、交際が噂されていた元ヤクルト投手、川崎憲次郎の自宅マンションから飛び降り自殺を図った。その年の七夕婚が噂されていただけに、突然の破局が自殺の引き金となったといわれた。その後、川崎氏は交際報道があった女性が、自分の住むマンションから飛び降り自殺を図ったにもかかわらず、ノーコメントを貫いた。
私は同年代だったが、高校時代に放送していた「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で「中森明菜」になりきって歌っていた姿や、片岡鶴太郎主演の「季節はずれの海岸物語」の準ヒロイン「徳子」役を演じていた姿を忘れることはできない。血液型はA
7 松本友里 首吊り
1984年にアイドル歌手としてデビューした。2004年10月に、松平健だけが出演した舞台を松本が観劇したことで交際に発展した。2005年10月11日、松平と入籍した。
2010年6月に母・和歌鈴子が死去した。その頃から母親の介護疲れや死別の影響などにより、うつ状態となる。
2010年11月15日午前3時ごろ、自宅のドアノブにロープで首をつっているのを泊まり込みのベビーシッターが発見し警察に通報、死亡が確認された。遺書の有無は明らかにされていない。血液型はA
https://www.youtube.com/watch?v=TF85LarRj1I
8 甲斐智枝美 首吊り
もっとも衝撃的な亡くなり方をした元アイドル。愛息の目の前で首を吊って亡くなったのだ。
彼女は1979年、日本テレビの人気オーディション番組「スター誕生!」で第29代グランドチャンピオンを獲得。これをきっかけに芸能界入り。1980年、ポスト山口百恵を狙ったホリプロ所属のアイドルとしてシングル曲「スタア」で歌手デビュー。
2006年7月10日、2階の寝室で首を吊っていたところを中学校3年生(当時)の長男が発見した。救急隊員が駆けつけたが、午前6時45分ごろ、心肺停止を確認。習志野署が検死を行い、自殺と断定した。43歳没。血液型はA
https://www.youtube.com/watch?v=vFwLp-m0Re0
9 古尾谷雅人
味と曲のある細身の俳優として活躍していた。2003年3月25日、東京都文京区の自宅で首つり自殺を図り死去。45歳没。晩年は事務所兼自宅マンションの住宅ローンや、亡父の遺産相続をめぐって継母との民事裁判を抱えていた。
彼の姿は「北の国から」のダンプ運転手役や「丑三つの村」での殺人鬼の役が強く印象に残っている。血液型はB
https://www.youtube.com/watch?v=jdbmZjSHTsw
10 牧伸二 川への飛び込み
ウクレレ漫談で寄席や演芸を大いに盛り上げた。
2002年に脳出血で療養とリハビリを余儀なくされるが、復帰後の2003年に文化庁長官賞を受賞。
2011年7月3日、自宅でタバコの火の不始末からボヤを起こした。自身と妻、娘の3人で消火にあたり、消防車が到着した頃にはほぼ鎮火していた。
2013年4月29日午前0時15分頃、東京都大田区の多摩川丸子橋付近で投身し、病院に搬送されたが死亡が確認された。入水自殺とみられる。78歳没。
前日の28日午後1時半に上野広小路亭で舞台に出演し、その後、午後4時10分から浅草東洋館でも舞台に出演する予定だったが、「少しお茶を飲んでくる」と言って席を立ち、午後3時頃に喫茶店を出た後行方不明になっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=PNDsZksxkAU
他にも日本テレビの米森麻美、大杉君枝、TBSの松宮一彦、川田亜子アナらが衝撃的な自殺を遂げ、当時は大きな話題となった。米森と大杉は日テレ出身の女子アナで、持病や育児ノイローゼがその原因と見られている。ほかにも時を置かずに日テレは山本真純アナも自殺を遂げた。いずれも育児ノイローゼからうつ病に陥ったとも言われている。若い方の自殺は、ことのほか衝撃が大きい。
また自殺するのは落語家や漫才師にも多い。桂三木助や二代目桂枝雀、Wヤングの中田治雄、大平シロ―などもそうだ。
シンガーでは「X-JAPAN」のhideの死も衝撃的だった。女優では戸川京子さんの死も当時、大きな話題となった。宇多田ヒカルの実母の歌手・藤圭子もまた投身自殺で自ら命を絶った。
不審死
尾崎豊、伊丹十三、坂井泉水、飯島愛
政治家の自殺
新井将敬、松岡利勝、中川一郎、永田寿康
作家
芥川龍之介、川端康成、太宰治、三島由紀夫
作家は自殺しているケースが多い。特に太宰治は二度、心中を図り、無実の女性を巻き込んでいる。芥川龍之介は服毒、私が崇拝する三島由紀夫は自衛隊駐屯地で隊員に決起を呼びかけたが誰も賛同せず、もはやこれまでと割腹自殺を図った。ノーベル賞作家の川端康成は執筆稼動をしていた逗子市のマンションでガス管をくわえて自殺を遂げた。
今回の記事は、故人の名誉を傷つけるものではなく、かつて芸能界で、しかも第一線で活躍されていた方々の姿を偲ぶためのものであり、絶頂期の時にファンを置き去りにしてどうして死を選んだのか、それを明記したかったのだ。愛する家族を残し、自ら死を選ぶからにはそれ相応の苦しい胸の内や誰にも言えぬ悩みを抱えていたに相違ない。
そして若ければ若いほど、その自殺という手段での絶命は、ファンの衝撃度は大きいだけに、ぎりぎりのところで踏みとどまって欲しかったというのが私の切なる願いだ。
記事作成:平成28年12月初旬~1月4日(水)