2015年7月24日(土)に、PC内の画像を整理していたら、今でももう見ることが叶わない懐かしくも、希少な写真を発見したので紹介したい。
「第18共徳丸」
この画像は、2008年1月6日に、小名浜ボッコ灯台の堤防で釣りの最中に撮影したワンショットだ。釣りの最中、いきなり巨大な漁船が近づき、やがて目の前を通過して行ったため、とっさにシャッターを切ったのだった。
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上の写真の船名表記部分をアップにすると・・・
紛れもなく「第18共徳丸」だ・・・。
普通ならこの1枚は、何気ない釣り場の風景を撮り収めただけだし、被写体が単なる漁船なので、記事にもならないのだが、この3年2か月後、東日本大震災の大津波で気仙沼に停泊中だったこの船が陸地奥深く流され、「鹿折唐桑」駅近くでようやく止まったのだ。その後、この大型船は、保存か解体かで揺れ動き、結局は2013年秋に解体された。したがって、この船はもはやこの世に存在していない。かつてはいわき市小名浜漁港所属で、サンマ船として遠洋漁業で活躍した船だった。
気仙沼で震災により受難した時の「共徳丸」
何かの運命の悪戯なのか、私が小名浜で釣りの最中、偶然見かけた、その5年9か月後に、郷里の小名浜から遠く離れた北の地でこの船と再会を果たすことになった。そこにあった「共徳丸」は、あの時の勇ましい雄姿とは裏腹に、変わり果てた惨い姿だった。
2013年10月12日に気仙沼を訪れた際の「第18共徳丸」
しかも驚くべきは、この写真(最初の一枚)が極めてレアなのは、今は無きボッコ灯台も一緒に映り込んでツーショットという点だ。この日、おそらく釣果が芳しくなかったのだろう。思いがけず、ボッコ灯台を撮影していたのだった。
このボッコ灯台、2011年3月11日に発生した大地震の大津波襲来で、波に飲まれ、海の藻屑と消えたのだった。
ここで釣りをした経験があるアングラーの方なら、涙が出るほど懐かしい筈だ。今見れば、「奇跡の一枚」と呼ぶにふさわしいショットだ。
在りし日の「ボッコ灯台」
すべて違う日に、私が撮影したボッコ灯台の日常風景です。まさか、この数年後に、大津波が押し寄せてすべてが消え去るとは思いもしなかった。
波に飲まれ姿を消す瞬間の映像はコチラ(閲覧注意)
15分55秒時点では、辛うじて踏みとどまっていたが、16分30秒にはもう跡形もなくなっている。つまりこの30数秒の間に脆くも崩れ去ったことになる。しかも土台の堤防ごと切れてしまっている。津波の威力をまざまざと見せつけられた瞬間だった。
いにしえに建造され、長らくそこに君臨していた歴史的遺産とも呼ぶべき「ボッコ灯台」。あの日、一瞬にしてその姿を消してしまったのだった。実に呆気なかった。あまりにも儚すぎる。私もその堤防の先端のボッコ灯台の周りで何度釣糸を垂れたか知れない。先端付近は根が深く、何度も根掛かりして、仕掛けをダメにした。ここはアイナメのほかに、良型のカレイが釣れることでも有名なスポットだった。
その目と鼻の先にあった沖堤防の小さな白灯台も海に土台ごと落ち、傾いたまま放置された。この地震の数か月前(2010年11月10日)に、その白灯台のすぐ先で海中から不発弾が見つかり、爆破処理されたばかりだった。
不発弾処理の映像はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=l4i0_YOZi7Q
https://www.youtube.com/watch?v=wKACbY1sWBs
さて、震災前の懐かしい小名浜周辺の映像をご覧いただきました。震災前と後では私たち福島県民の暮らし向きは一変したが、あれから4年、全国各地の方達の温かい支援のおかげで、すっかり平静を取り戻している。唯一、原発事故による海洋汚染の影響で、水産業は活気を失ったままで、釣り場は人影まばらの状態だ。釣った魚を口にできない不安が色濃く残り、アングラーを釣り場から遠ざけてしまっている。この現状は払拭できないままであり、真の意味での復興は道半ばということができる。
結びにいわき市民の方が制作した感動する動画をお届けし、結びとしたい。
記事作成:7月24日(土)