今回、このテーマで記事を書くのは実に17回目。そろそろネタ切れかと思いきや、日頃起きている社会的事象で、疑問を持たずにはいられない性質で、自らの不勉強さ故の悩みと言えそうだ。今回は疑問だけではなく、最近思う「雑感」めいたことも記載したい。何せ3月末までの記事は12月時点で完成しており、今回の記事が日の目を浴びるのは、実に3ヵ月後という時期遅れの状況。それを前もってご了承いただき、今日の記事をご覧ください。
どうして週末になると決まって天気が崩れるのか?
天気予報で一週間予報を見ると決まって土日に雨マークが付いている。これはなぜなのか?この傾向は最近だけでなく、私が小学生の頃からそうだ。何度旅行や部活動の試合で雨に祟られたか知れない。統計上も月~木は好天が多く、週末が近づくと天気は下り坂になる傾向がある。ヤフー知恵袋の回答でなるほどと思えるものがあったので掲載したい。
よく、そのことに気づきましたね。
もちろん週末以外にも降りますが、週末に降る方が多いという気もしますよね。
正式な因果関係は証明されていませんが
以前、気象学会で、そのことが発表されたことがあります。
東京などの都市部では、統計をとると週末の方が雨のことが多いです。
雨が降るためには、空気中の水蒸気が水滴になることが必要なのですが
その水滴ができるためには、空気中のチリやホコリなど小さな核が必要です。
空気中のチリやホコリは
人間活動が活発に続いて、週の初めよりも、週末になるにつれて増えて行きます。
なので週末の方が雨ができやすく、回数も多いのでは?という発表です。
特に人間活動が活発な都市部でその傾向が強いということです。
もちろん気圧配置など雨になる条件が必要ですが
そのような理由で週末に降ることが多くなっているようです。
どうしてtoto(サッカーくじ)はあるのに野球くじはないのか
スポーツ振興のためには、日本で一番人気があるスポーツ「野球」のほうが収益があがるのに・・・。
過去、日本において「野球くじ」が導入された時期があった。日本の戦後初期の1946年~1950年頃にかけて、プロ野球の試合を対象に日本勧業銀行(現・みずほホールディングス)が発売した予想投票くじの一種。対象となる試合の得点合計の下一桁の数字と勝利チームを予想するものであった。正解者には売上金の中から50%を配当金として配分した。1946年6月29日に発売される。しかし射幸心を煽るとともに八百長(不正)行為を行う可能性も危惧されたことからこのシステムは1950年で廃止となった。実際に黒い霧事件や最近も巨人の若手投手の間で賭博行為が明るみになる事件が発生し、無期限出場資格停止処分となった。 東京五輪で正式競技に復活した暁には、運営費や競技場建設の財源不足を補填する名目で、時限立法的に採用する可能性がある。
B型はどうしてB型同士で群れ、リスペクトしあうのか?
大阪市長を退任し、政界を引退した橋下徹はB型。もちろん大阪維新の会の代表として活動し、国政をも牛耳るほどの存在感を示した。彼はマイペースで、猪突猛進型で目的達成のためには苦労を厭わない典型的B型タイプ。一方、自民党総裁にして現総理大臣の安倍晋三もまた同じ型。与党と野党、異なる政党で袂を分かち合う二人だが、根底にある人間性や精神は同じで、妙に惹かれあう。やはり同じB型同士は、運命共同体で互いにリスペクトする。そのまんま東もB型だ。
政界では小沢一郎と谷亮子、スポーツ界では長嶋茂雄と野村克也もそうだ。芸能界では森繁久弥と森光子らがいる。B型は同じ考え方のB型をリスペクトし、個性大好
きO型の指示を得て若くして才能を発揮する。B型の長嶋とO型の松井を国民栄誉賞に推挙したのも安倍だった。他に、マイペースでありながら国民的人気を誇るアスリートは、イチロー、北島康介、野村忠弘、ジャンボ尾崎、釜本邦茂、福原愛、浅田真央らがいる。
かくいうB型は、日本人の4割を占めるA型人種に対しては極めて冷たい。未だに石原裕次郎、内村航平など国民的人気を誇り、実績も十分にもかかわらず、A型の有名人には目もくれない。おそらくB型の人は、同じ血液型という意識はまったくないと思うが、互いの感覚でわかるのだろう。結果的に、同じB型同士で群れ、リスペクトするという構図が成り立つ。
また、韓国人は、アジアの中でB型の比率がインドやタイに次いで多い。インドが40%で、タイが33%、そして韓国は31%と突出している。「インド人嘘つかない」とはよく言ったもので、それは正しいが、性犯罪は飛びぬけて多い。韓国の女優への性接待強要などで、犠牲になるのはA型女性ばかりで、自殺に追い込まれるのもこの型だ。B型が多い韓国人の性質を見れば、反発心や批判の塊のように思える。そうした傾向は顕著で、政府などの権力に対する団結力や対抗心はプライドの高いA型の比ではない。血液型による性格診断を極端に嫌うB型を悪く言うつもりはないが、こういう傾向はさまざまな調査から明白な事実なのだ。B型がマイペース行動が許されるのは、A型の大人しく、寛容的態度か
らであることを知っておくべきだ。図に乗りすぎると敬遠され、社会からつまはじきにされることを忘れてはならないのだ。
補足「血液型別の分布とその趣向」
一方、フランス人は「至上主義」と言われるほどプライドが高い民族。それはB型が7%と極端に少ないからだ。A型が半分近くを占める。ドイツ、ポルトガル、スペインも同じ傾向。
しかし、中国はO型が国民の半分近くを占め、次いでB型。A型は少ない。だから日本とは間逆で、日本精神や日本人的発想は受け入れられない。O型が多い国は南米に集中している。O型は自己顕示欲と自己防衛本能が高く、相手を傷つけても自分を守ろうとする。それに争いが大好き。肉食系が多く、体力が有り余っている印象だ。ベネズエラなどは殺人発生率が極めて高いが、O型が8割を超える。
海外旅行におすすめは、こうした血液型傾向を知っておいたほうが無難。
サバイバルに強いB型は、誰もが訪れるお決まりのコースは嫌い、カスタマイズし、自分で独自に組みあわせる。B型が多いフィリピンやベトナム、タイがお気に入り。誰もが行かないようなアフリカや北朝鮮などにもあの手この手を用いて上陸したがるのでは・・・。
A型はオーソドックスでオシャレで上品な場所を好む。イギリス、フランス、ドイツなどの欧州方面がぴったり。
O型は、バイタリティがあるため、おおらかな気分になれる国を好む。オーストラリア、アメリカ、ブラジルなどだ。
AB型は国際的な感覚を持ち合わせ、独自の価値観を持っている。そしてオシャレ。
ノルウェーやカナダでオーロラ鑑賞、世界一周クルーズ、世界各国の美術館めぐりで有名画家など名画に触れ、芸術鑑賞も考えられる。世界遺産めぐりや古い歴史的町並み、イタリアやギリシャもお似合い。
私が思うに、血液型によって趣味趣向まで異なり、同じ血液型の人で同じ傾向が見られる気がする。そう考えると、自分が住みたい家もまた血液型別で違う傾向が見られる気がする。一番個性的な家に住みたがるのはB型とAB型で、他の血液型の人がその人の自宅を訪問すれば、その桁外れの発想に驚くに違いない。
原辰徳巨人前監督は何処に向かうか?~注目されるその去就~
生涯巨人愛を貫いている原辰徳氏だが、おそらく長年の監督として労苦を癒すため、2年程度は何の役職にも就かず、休養と充電を行うに違いない。NHKの解説者としてしばらくは外から球界全体を見渡しアドバザー的な立場で関わることだろう。
私は、球界の発展を考えれば、王貞治氏のように、巨人にこだわらず、他のチームの監督を引き受けても面白いと思う。巨人に牙を剥いた者は、監督として巨人復帰を果たした験しがないのは事実だ。しかし、愛弟子の成長を願うなら、巨人の星の星一徹のように、巨人に立ち向かうスタンスも大事ではないのか。
もし、巨人以外の監督に就任し、チーム力を向上させ、優勝を果たそうものなら、原監督の株は再び急上昇するだろう。並外れた選手起用、卓越した采配、そして選手を育てる力。WBC優勝監督、アジア王者、そして他チームを率いても優勝となれば、誰も彼の指導力を疑う者もいない。高橋由伸監督やその後の松井秀喜への政権移譲という規定路線では、原監督再登板の機会は無に等しい。歴代巨人軍監督の中でも川上や水原茂に次ぐ、優秀な成績を収めた原氏に対して、あまりにも球団は冷たい対応だ。こうした球団
に愛想を尽かし、敵チームの監督に就任すれば、原氏の有り難味を痛切に感じる筈だ。私は再三再四招聘話がある横浜DeNAが向いていると思う。また、梨田監督が3年間、チーム作りを行った後の後任として原監督を是非「三顧の礼」でお迎えしてほしい。それが球界発展の起爆剤となると思うからだ。原氏も巨人にばかり未練たらしくしがみつくのではなく、球界全体の発展に寄与してほしいと思う。
どうして徳川幕府の250年の栄華であった江戸城は再建されないのか
明暦の大火により、江戸の街の大半が焼き尽くされ、江戸人口50万人のうち10万人以上の生命が奪われました。この未曾有の大災害に陣頭指揮で対処したのが、3代将軍家光の異母弟で、4代将軍家綱の後見役となった会津藩主保科正之でした。保科正之は、被災者の早急な救済と民生安定、長期的展望に基づいた江戸市街の災害復興を最優先の課題と考えました。江戸城天守は、江戸幕府の権威と権力の象徴と考えられていましたが、今はその再建のために、国の財産を費やす時節ではないと判断し、先に延ばすことを決定しました。時は移ろい、世は替わり、江戸城天守は再建されないまま、360年が経過しました。 (江戸城再建のHPより)
再建されなかった理由としては、現在は江戸城があった一帯が、今は天皇家のお住まいである皇居となっているため。そして戦後の混乱期の中で、昭和天皇が江戸城再建を望まず、戦争で住む家を失った方々の救済を最優先してほしいとのお考えがあったからだとされる。また、別の見方として、東京に城を築くことは、悲しい戦の記憶を甦らせること、そして現在は国民の象徴である天皇のお住まいとして、古式の城郭はふさわしくないとの世論による。
干支の表記と数え年の不思議
漢字で書く動物と干支の動物の表記はなぜか異なる。また、人が亡くなった時に、墓標には数え年で記載する。そこで、まずは干支から。
鼠(子)、牛(丑)、虎(寅)、兎(卯)、竜(辰)、蛇(巳)、馬(午)、羊(未)、猿(申)、鳥(酉)
犬(戌)、猪(亥)
十二支とは、子、丑、寅と12の周期で月を表す記号でしたが、これを覚えやすくするために動物を割り振ったもの。干支の文字は本来の「動物」とは関係ならしい。
参考:http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/eto.html
数え年とは数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つである。生まれた時点、基点となる最初の年を「1歳」、「1年」とし、以降元日(1月1日)を迎えるごとにそれぞれ1歳、1年 ずつ加える(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳とも、単に数えともいう。
これに対し、誕生日前日午後12時に加齢、加年する数え方を満年齢、あるいは満という。
また、享年と行年の違いは以下の通り。
「享年」→「数え年で記載する場合又は、何年いきたか」という意味で「歳」はつけない。
「行年」→「満年齢で記載する場合又は、何歳まで生きたか」という意味 で「歳」をつける。
理論的に数え年と、享年・行年を比較すると、数え年は、生まれた時に1歳、以後正月ごとに1歳加齢。
享年・行年は、誕生日の十月十日前から、死を迎えるまでの年を数えたもの。だから、必ずしも数え年と享年・行年が一致するわけでもない。そして地域や各寺院の考え方により、享年・行年の考え方も違ってくる。
風流な日本人 この日にはこの食べ物
バレンタインデー・・・チョコレート
クリスマス・・・ケーキ、七面鳥
お彼岸・・・牡丹餅、お萩
正月・・・おせち・おとそ・もち
冬至・・・かぼちゃ・ゆず
土用・・・うなぎ、うどんなど精の付くものを食べる(丑の日)
大晦日・・・年越しそば
中秋の名月・・・だんご
花見・・・だんご・酒
忘年会・新年会・・・酒
中には欧米の行事も混ざったが、食文化など何でも取り入れる日本人は、節操が無いと言われればそれまでだが、その季節感や古来からの日本ならではの催事をとことん満喫しようという日本人の性質の表れだ。
どうして顧客ではなく、新規の客を大事に扱うのか?
携帯などは10年以上もの長きに渡って同じ会社を使い続けている、いわば顧客よりも、他社から乗り換えた客を優遇するのか解せない。浮気ひとつせず、同じ機種を根気強く使い続けてくれる客こそ、本来は大切に扱わなければならない筈だ。携帯サービスは偏向していると言わざるを得ない。これと同じ仕組みがプロパンガスの事業者だ。長く同じガス会社を使っていると、知らぬ間に、少しずつ基本料金が上がっている。たぶん3年前と現在では雲泥の差だ。すると、高いから他のガス会社に変えると伝えると、慌てて基本料金を下げるのだ。このやり方もずるい。最も暴利な料金体系だと思う。
どうして日本人は本音が言えず、建前と分けるのか?
「YouTube」などの動画サイトを毎日チェックしてブログに貼り付けている私にとって、毎回見るのも嫌なことがある。それは、動画に添えられたコメントだ。
毎回、喧嘩や暴言、中傷などがどの動画にも見られる。
表向きは自分の感情を抑え、仕舞いこんでいる日本人が、こういう場所で普段言えない胸のうちを吐露したり、本心をさらけ出し、激しく本音を汚い言葉で応酬する。それほどストレスを抱え込んでいるのかと思えるような過激な記述が多い。
これは一見従順そうで、おとなしそうに見える者に多い。内面は気性が激しく、日常ではいえないことを、自分の素性や名前がわからなければ、そこで本心を暴露する。時にはTVゲームと同様自分だけの世界に閉じこもり、他人との交流ができない人ほど、自己観念にとらわれ、周囲が見えず、自分が気に食わないことに対しては攻撃(口撃)的となる。
たぶん自分の存在が世間バレた途端、こういう輩は急に小心者になって、その場から退去するに違いない。
これは、日本の学校制度や教育方法にも問題がある。小学生の頃から、右倣えのしつけや人と異なる行動や言動は、激しいそしりを受け、矯正される。教師によっては自分の意見や考えを押し付け、その通りに行動できない者を強制的に指導する。
抑うつされた不満の感情が内に秘められるようになり、たまりたまってどこかにそのはけ口を求め、ネット社会は格好の媒体となる。何を言っても何を書いても自分の正体が判明するわけではない社会では、日本人は本音がそこで炸裂できるというわけだ。
人に迷惑を及ぼす行為を嫌う日本人気質は、裏を返せば、表には出せない感情が鬱積し、どこかで反撃したい、一矢報いたいという本音の気持ちを溜め込ませているという状況を生み出すのだ。
どうして関西では大学生は「年生」ではなく「○回生」と呼ぶのか
日経新聞のウェブサイトでは、「大正時代、大学令が施行されて関西でも多くの大学が創立されましたが、そのころにはすでに京大では『○回生』という呼称が定着していたようです。ただし、公文書で使う正式な用語ではありません」。こう教えてくれたのは、日本近現代史に詳しい京大大学文書館の西山伸准教授(48)。最も古い資料では、1925年の学内新聞に「○回生」の表現が登場するという。
「○回生」の呼称の由来については「はっきりしません」。ただ「京大の成り立ちにカギがあるのでは、とにらんでいます」。
郡山市の方言で、語尾に「~だばい」と「ばい」とつける理由
方言とは不思議で、関西人は古より、文化や政(まつりごと)の中心であったという自負から東京に進学や就職しても、標準語に直さず、関西弁で押し通す傾向がある。
しかし、私は長年郡山に暮らしていて、語尾に「ばい」とつける方言に疑問を抱いていた。
同じ福島県でも他の地域はそうした発音はなく、会津では「~がよ」が主流で、いわきでは
「~だっぺ(よ)」と話す方が多い。この「ばい」文化はいかにして生まれたものなのか?
私が思うに、明治時代、猪苗代湖から飲料水や上水道を引くためにオランダの技師「ファンドールン」が来日し、その疎水技術を指揮した。いわゆる安積疎水工事だ。
安積疏水(あさかそすい)は、水利が悪く不毛の大地だった郡山の安積原野に猪苗代湖から
の水を引いた大事業。疏水とは、潅漑や舟運のために、新たに土地を切り開いて水路を設け、通水させることをいいます。
農 民たちが二千年にわたって築き上げてきた疏水の総延長は、国内だけで約40万kmという途方もない長さ。 実に地球10周分に相当する距離となります。この安積疏水の開さくは、明治12年から始まった国直轄の農業水利事業の第一号。
当時、日本の技術者として最高位の職にあったオランダ人技術者ファン・ドールンが政府
の命を受け、実地調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開さくを政府に決断させました。
そして、3年の年月を費やし、延べ85万人の労働力を注ぎ込み、総経費40万7千円(現在の貨幣価値に換算すると約400億円)を投じ、明治15年8月、幹線水路の延長52km、分水路78km、トンネル37か所、受益面積が約3千ヘクタールという安積疏水が完成しました。
その国家事業を遂行するのに、郡山の地元民や周辺の元藩士だけでは人手が足りず、その難工事を支援するために、九州の久留米藩の士族など多数の人夫が入植し、その工事に携わった。したがって、郡山市の「久留米」という地名が誕生したと言われている。
その際、九州の方言である「~ばい」が広く郡山に広まったのではないかと見ている。
ほかにも郡山特有の方言には「~だべした」(~だよねの意味)とか「んだばい」(そうで
しょの意味)がある。
では、ヤフー知恵袋に掲載してあった、これが正答ではないか?という記載について掲載したい。
①福島の 「だばい」 は意味から推して 「べし」 の転訛でしょう。関東・東北地方に広く
分布する 「だべ」 「だんべ」 「だっぺ」 「だべす」 系の方言の由來は、助動詞 「べし」。
「であるべき」 → 「でぁんべい」 → 「だんべえ」 → 「だべ」
関東・東北地方では普通 ai → ee と母音が転訛するので、「べい」 → 「ばい」 の変化は
起こりにくいんですけどね、福島では何かのはずみに間違っちゃったのかも知れない。また、次のようにも想像されます。
「であるべきや」 → 「でぁんべいや」 → 「だんべえや」 → 「だべや」
→ 「だびゃ」
→ 「だびゃい」 ( 終助詞 「い」 が附加 )
→ 「だばい」
「終助詞 『い』 なんてあるのかい」 と言うと、あるんですな。「あるのかい」 の 「い」。
旧い方言の音を正確に写した文書なんてないので、方言の由來は臆測のしほうだい。語源説なんてそんなもんだ。
九州弁の 「ばい」 は意味から推して、
終助詞 「わい」 ( 「あるわい」 「知らんわい」 ) と同系
接続助詞 「ば」 + 終助詞 「い」
「とは言う」 → 「とばい」 → 「ばい」 ( 用法拡大 ) 等が考えられる。
② 特に九州とは関係ないと思います。「~でしょう」を表す福島弁は地域によって様々で、「だべ」「だばい」「だっぱい」などがあります。いずれも地域ごとに独自に訛ったと考えるのが妥当かと思います。
九州だと「行くよ」と言う時「いくばい」と言ったりしますが、郡山の人は「いくばい」とは言わずに「いぐ」と言うと思います。そう考えると九州の「ばい」とは同じ言葉でも全く別の系統の言葉なのではないかと思います。
記事作成:平成27年12月21日(月)