本日は、身内が勝手に履歴書を送ってジャニーズ入りしたとか、たまたま街を歩いていてスカウトされたとか、あるいは友人が応募したミスコンやオーディションに行ったら合格したなどというシンデレラガールなどのラッキー棚ぼたの俄か芸能人ではなく、苦労に苦労を重ね、這い上がって来た、いわばたたき上げの性根の座った有名芸能人を取り上げたい。芸歴が古く、下積みが長いほど、実は芸能界に長くとどまり、成功しているという点がわかると思う。
タモリ
今では想像がつかないが、人気漫画家だった赤塚不二夫の家に転がり込み、お世話になりながら、芸を磨いた。当初は「イグアナ」の形態模写で脚光を浴びた。早稲田出身で賢く、やがて、トランペットや独特な話術が認められ、平日のお昼の人気番組「笑っていいとも」の司会に抜擢され、それで大ブレイクし、現在の地位を築いた。
トランペット https://www.youtube.com/watch?v=octJWMIbj9A
https://www.youtube.com/watch?v=eZyecGtUSm0
https://www.youtube.com/watch?v=rsbKxq24Qfo
片岡鶴太郎
オレたちひょうきん族などでは、派手な衣装にバンダナを巻き、「マッチで~す!」と近藤真彦の真似や今の出川哲郎のような体当たりの芸人芸ばかりをしていた。それがいつしか芸術家として身を立てるまでに至った。大変な変わりようだ。また、ボクシングのセコンド免許を取得し、若手ボクサーのマネジメントも行っていた。
この二人以外にも、ビートたけしもまた、浅草演芸場や客のいない演舞場で漫才を磨き、這い上がって来た芸人だ。当初は毒舌が過ぎ、批判を浴びたが、そこで培った苦労は、今に生きている。
実の奥さんとの夫婦漫才
https://www.youtube.com/watch?v=9FuLi_UYGbk
ホンジャマカ(恵俊彰・石塚英彦)
1980年代後半に、新人歌手だった立花理佐のバックダンサーとして踊っていた。しかも巨体には似合わぬ軽快なダンスで、顔がバレないように覆面姿で踊った。それが彼らの下積みで、その後、TBSの「東京フレンドパーク」で、ハイパーホッケーコーナーを担当し、毎回、大掛かりな仮装や肉襦袢スタイルながら、なかなか勝てないほどコンビネーションが良かった。それが今や恵は「ひるおび」のMC、石塚もグルメリポーターがすっかり板についた。
唐沢寿明
彼は、今でこそ各ドラマで主役を演じるような一流の人気俳優として活躍中であるが、駆け出しの頃は、芽が出ず苦労した下積み時代があった。
あの爽やか好青年っぽいルックスからは想像もつかない役ばかりしていた。デビュー当初は無名ゆえに食べていけず、コンビニエンスストアなどでのアルバイトや東映の『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』などの特撮番組に脇役やスーツアクターとして出演することで凌いでいた。また、東映では斬られ役や吹き替え、スーツアクターなどの他に照明や衣装の手伝いなどの裏方も担当していた。そのほか、「今日の自分があるのは過去のおかげ」として、キャバレーの客引きを行っていたことも積極的に開示している。
https://www.youtube.com/watch?v=-K_Yjouok9Y
堺雅人
彼は早稲田大学在学中に劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。大学を勝手に中退してしまい、親に勘当され、仕送りも打ち切られ、極貧生活に陥った。アルバイトで家計を支えながらも、コンビニのレジ打ちが苦手でクビになったこともあったとか。ドーナツ店でも無断欠勤でクビ。他には新聞配達やモデルもあったそうだ。
今を時めく時代の寵児たちも、かつては売れない時期があった。初めから万事が順調だったわけではなく、下積みの苦労が今の地位を確立する肥しとなっているのは間違いないことだ。だからこういう方々は精神的に強く、壁にぶつかってもへこたれない。だから演技にも幅が広がるし、トークも経験に裏打ちされた自信ともなる。
成金ではなく、頑張った分だけ神様もご褒美を与えてくれている気がしてならない。
記事作成:12月30日(水)