人は人生の岐路に立たされた時に、重大な決断を迫られる。右に行くか左に行くかで運命は大きく変わる。今日は、私たちを熱狂と感動の渦に巻き込んだ球史に残る名場面を回顧すると共に、、その後の進路で明暗が大きく分かれ、運命に翻弄された2人の人気投手を取り上げ、それぞれの来し方・行く末を検証したい。
斎藤佑樹と田中将大
今からもう9年前になる。「三沢商対松山商」以来となる夏の甲子園大会決勝での引き分け再試合。主役は「早実」の斎藤佑樹と「駒大苫小牧」の田中将大。どちらも絶対的エースだった。しかし、延長15回でも決着がつかず、翌日の再試合でも1点差と拮抗。最後はドラマ仕立てのように、田中将大を三振に斬ってとって、斎藤佑樹が日本一の栄冠を掴み、駒大三連覇を阻んだ。優勝投手の斎藤は、マウンド上で上品にハンカチで汗を拭う仕草から、「ハンカチ王子」とのネーミングで甲子園ギャルの黄色い歓声を一身に集めた。一方の田中は、気迫で押し切るタイプ。2年時からエースに君臨し、前年度優勝投手。完全なライバル対決の構図だった。それでは高校時代の直接対決のハイライトを動画でどうぞ!
試合連続登板の斎藤は、9回を投げ切り、147キロの速球を維持。これは、「低酸素カプセルを宿舎に持ち込み使用。これにより、前日の疲労を劇的に取り去っていたことが判明した。高校生がこのような機器を使用することに対し、物議をかもしたが、高校卒業後、斎藤は、敷かれたレールを行くように東京六大学の早稲田大学へ進学。福井優也・大石智也と共に早稲田三羽烏と呼ばれ、早稲田の優勝に貢献。満を持して鳴り物入りで田中から遅れること4年、プロ野球へ進んだ。
一方の田中将大は、恵まれた体格から、早くからプロ向きと目され、高卒後すぐにプロの道へ。ルーキーイヤーから「持っている」実力を発揮。野村監督のもと、めきめき腕を上げ、負けん気の強い性格も奏功し、楽天のエースに成長した。あのノムさんをもってして、「マー君、神の子、不思議な子」と言わしめた。
ここで明暗は、プロ入り後の立場や戦績がまるで大逆転状態にある。人気抜群の斎藤だったが、日本ハムに入団後は、パッとしない成績。1軍と2軍を行き来した。田中は、巨人との日本シリーズで、王者の前に立ちはだかり、高校野球決勝を回顧するような奇跡の連投により、「楽天」を初の日本一に導き、その年のオフにメジャーへ。MLBへ移籍後もヤンキースのエース的立場に成長した。肘の手術に踏み切り、現在はリハビリ中だが、両者のプロ入り後の立場は正反対のものとなった。
伝説となった「楽天日本一」の気迫の連投
田中は前日の第6戦で先発。160球を投げて、最後に力尽きた。リーグ戦負けなしの24連勝した彼が、初めてつけられた黒星。しかし、彼はめげない。めらめらと勝負の炎を燃やし、前夜のリベンジを果たすべく再びマウンドへ。降りしきる雨の中、彼のテーマ曲、ファンモンの「あとひとつ」の大合唱。大声援のスタジアム。歴史を塗り替える男の姿。初優勝の歓喜の瞬間を待つ仙台のファン。もはや伝説だ。高校野球決勝の再現にファンは酔いしれた。仁王立ちで最後の打者を打ち取り、渾身のガッツポーズ。球場は涙の嵐。プロとしての真の姿を我々に残し、彼はヤンキースへと旅立ったのだった。
ではここで両者のプロ入り後の戦績を比較したい。NPB時代
登板試合 勝利 敗戦 勝率 奪三振 失点 防御率
斎藤佑樹(5年) 57 14 19 .424 166 150 3.97
田中将大(7年) 175 99 35 .739 1238 367 2.30
高校球界最大のライバルだった二人がここまで差がついた理由は何だったのか?もし斎藤佑樹が大学へ進学せずにプロの道を選んでいたらこうはならなかったのではないか?やはり、プロには性格的、体格的に向き不向きがあるようだ。高校レベルとプロレベルでは大差があり、いち早くプロの水に馴染んだ田中の方が早く順応できたということだ。
私は日本ハムはダルビッシュ有、斎藤佑樹、大谷翔平と知名度抜群の人気投手を獲得してきた。しかし、斎藤佑樹は、甲子園優勝投手が故の伸び悩みが大きい。これまで、甲子園優勝投手で大成した投手は、松坂大輔くらいなもの。その松坂でさえ、高校時代の登板過多によって肩や肘に故障を抱え選手寿命の危機にある。
それでも私は斎藤佑樹には過去の栄光で終わってほしくはない。9年前、あの暑い夏、熱戦を繰り広げた雄姿を復活マウンドで見せてほしい。そして私たちに、あの灼熱地獄の中で見せてくれた「爽やか佑ちゃんスマイル」で、再び感動を与えてほしい。そう願うばかりだ。そして、あわよくば、プロの世界でも、2人の手に汗握る投げ合いを見てみたい、あの暑かった夏の再現を心待ちにしたい。
記事作成: 12月9日(水)