常々私が当ブログで書いていることは、震災以降、復興に向かう福島県民への激励が先立つため、いわゆるマイナス面は避けてきた。しかし、私が思うに、福島県に関することで、私が劣等感を持ってしまうのは、我が故郷には、文豪と呼ばれる作家がいないことだ。東北を見れば、その厳寒な気候風土により、それを題材にし、その過酷な気象条件と闘う人々の苦悩そこで暮らす人々の生活を描いた作品も数多く存在する。例えば青森県出身の太宰治は「津軽」を、岩手県出身の宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を書き、文壇でもその名が知れ渡る存在となった。
残念ながら、我が福島県には、それに相応する大作家は不出のようだ。県内の優れた若き作家に贈られる久米正雄賞や宮本百合子賞という褒章はあるが、どちらも福島県にゆかりはあるが、県内出身者ではない。久米は幼年こそ郡山市桑野で育ち、旧制安積中学校までは育つが、生まれは長野県。一方の宮本百合子は東京文京区生まれだ。唯一名が知れているのは、「日輪」や「旅愁」を書いた北会津郡生まれの「横光利一」だが、彼の本籍は大分県となっている。
では47都道府県ある中で、出身別に有名な作家を取り上げてみたい。
北海道・・・渡辺淳一、伊藤整、井上靖
青森・・・太宰治、寺山修司
岩手・・・宮沢賢治、石川啄木
宮城・・・志賀直哉、土居晩翠
秋田・・・小林多喜二
山形・・・藤沢周平、井上ひさし、斉藤茂吉
福島・・・草野心平
茨城・・・長塚節
栃木・・・山本有三
群馬・・・萩原朔太郎、田山花袋、土屋文明
埼玉・・・森村誠一
千葉・・・伊藤左千夫、国木田独歩
東京・・・夏目漱石、樋口一葉、芥川龍之介、谷崎潤一郎、堀辰雄、中島敦
大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作、尾崎紅葉、高村光太郎
上田敏、小林秀雄、永井荷風、有島武郎、武者小路実篤、尾崎紅葉
二葉亭四迷、幸田露伴、遠藤周作、北杜夫、横溝正史、西村京太郎
神奈川・・・吉川英治、北村透谷
山梨・・・山本周五郎
長野・・・新田次郎
静岡・・・大岡信
愛知・・・江戸川乱歩
新潟・・・坂口安吾、宮柊二
富山
石川・・・石川淳、室生犀星、徳田秋声
福井・・・水上勉
岐阜・・・島崎藤村、坪内逍遥
滋賀・・・山部赤人、額田王
京都・・・与謝野鉄幹、村上春樹、山村美紗
三重
和歌山・・・佐藤春夫
大阪・・・川端康成、梶井基次郎、三好達治、百田尚樹、与謝野晶子、司馬遼太郎、
開高健、福沢諭吉、田辺聖子、東野圭吾、山崎豊子
奈良
兵庫・・・野間宏、宮本輝、柳田国男
岡山・・・吉行淳之介
広島・・・井伏鱒二
鳥取
島根・・・森鴎外
山口・・・林芙美子、中原中也、種田山頭火
香川・・・菊池寛、壺井栄
徳島
高知・・・安岡章太郎
愛媛・・・正岡子規、高浜虚子、大江健三郎
福岡・・・北原白秋、松本清張、火野葦平、赤川次郎
大分
宮崎・・・若山牧水
佐賀・・・北方謙三
長崎・・・村上龍
熊本・・・徳富蘆花
鹿児島
沖縄
こうして見ると、東京や大阪が人口に比例して突出して数多くの有名作家を輩出していることがわかる。もちろん記載がない県も決して作家がいないということではなく、私が無知なために、存じ上げている有名作家はこれくらいしかいないと、自らの不勉強を暴露してしまっている。
やっぱり我が福島県には代表的な作家は少ない。図らずも劣等感を抱くが、残念至極だ。というのも福島県の方言は、いわゆる「づーづー弁」で、もとよりイントネーションが無い地域。標準語を話す地域から見れば「盲音地域」と言われている。たぶん他県から来た人は、言葉が汚く聞こえ、相当の違和感があるに違いない。垢抜けしないというか田舎臭い、辛気臭い言葉に映る、都会に行くと、皆、無口になり、福島県出身者を隠し、懸命に訛りを直そうとするに違いない。
しかし、或る程度の年齢になると、こうした聞きづらい言葉にも馴染み、愛着が湧いてくる。こうした無音・無抑揚地域という土地柄もあって、秀逸した文学作品が生まれにくかったのかもしれない。全国規模で物事を考えず、特に地方の町村では、あまり就学意欲も高くない。こうした点が、向上心が薄く、自己満足で納得してしまう県民性を生んでしまうのかもしれない。
私自身、あと8年4ヶ月で定年退職を迎えるが、暇を持て余さないように、死ぬまでに素晴らしい文学作品に触れておきたいと考えている。歳を重ねるうちに、そうすることが、日本人としての義務であり務めであるように思えて来た。自分もそんな年齢になり、確実に死に向かって進んでいることの表れだろう。
記事作成:11月26日(木)