どの道にも「職人」と呼ばれるその道のプロはいるが、ことスポーツの世界には多いように思える。とりわけ多いのがプロ野球界だ。しかも優等生揃いの巨人にはあまり見受けられないが、阪神タイガースの選手に多いように感じる。では阪神に限らず、プロ野球を40年以上も見守ってきた私が、職人はだしだと思う選手を取り上げたい。
1 八木 裕 (阪神)
代打としての適性の高さを見せ、1997年には代打率4割、1998年には開幕からしばらく代打率5割以上をマークするなど、ここ一番の場面で登場する代打の切り札となった。その後も絶好の場面で好打を放つことから吉田監督から「代打の神様」と命名され、「代打・八木」のコールで球場を大いに沸かせる選手となる。
現役17年で1368試合出場 3303打数817安打126本塁打479打点打率.247
2 谷佳知(オリックス・巨人)
早いカウントから打ちにいく積極性を持ちながら、追い込まれた後でもミートできるバットコントロールを持ち味とし、三振が少ない。2003年には2ストライク後打率.351を記録。カウントによっては狙い打ってスタンドまで運ぶ長打力も兼ね備え、得点機にも強く]巨人移籍後2010年までの通算得点圏打率.332を誇る。巧みなバットコントロールで球種に関わらず打球を広角に打ち分ける技術を持ち、特に右方向へ流し打つ技術は球界屈指と言われる。外野守備では俊足を生かした広い守備範囲と強肩を誇り、2001年から2004年にかけて4年連続でゴールデングラブ賞を獲得する活躍を見せた。
個人的には、親友の故・木村拓也の追悼試合で魅せた逆転ホームランが印象深い。
通算18年で6465打数1923安打133本塁打738打点167盗塁 打率.297
3 桧山進次郎 (阪神)
1995年から2005年頃までレギュラー、2006年からは主に代打で活躍した。打席に立つたびにスタンドから盛大な声援を受けるほどの人気選手で、代打に定着してからは、メディアやファンから(八木裕に次ぐ)「代打の神様」と呼ばれることが多かった。
現役22年で1959試合出場4863打数1263安打159本塁打707打点打率.260
4 川藤幸三 (阪神)
彼は記録より記憶に残る選手だった。1974年までは一軍で代走・守備固めを務め、度々スタメンで出場もしていたが、アキレス腱を断裂する大怪我を負ってしまったため、足に負担が掛からない代打に自分の役割を絞り、後に代打の切り札として一軍に定着する。
男臭い風貌と、常に全力を信条としたプレースタイルで、特に男性ファンが多かったとされる。
通算記録に特筆すべきものはないが、一度もレギュラーに定着することなく主力に迫る人気を誇ったという点では、他球団も含め例が少ない。
通算代打成績は318打数、84安打、11本塁打、58打点、打率.264。1984年から引退するまでの3年間は代打一筋の野球人生を過ごしてきたため、この3年間の守備記録はない。
5 土橋勝征 (ヤクルト)
1986年ドラフト2位でヤクルトに入団。現役時代は選球眼の良さや打席での粘り強さを持ち味とし、スター選手 ではなかったがいぶし銀の活躍でヤクルトの黄金時代を支えた。打撃面では、追い込まれたカウントでもファウルで懸命に粘ったり、難しいボールを巧みに右打ちするなど、玄人好みの打撃が光り、良い意味でいやらしい選手との評価が高い(野村によると、ボールがバットに当たる寸前でも打球方向を変える事ができたという。
勝負強く、巨人戦ではよく打っていたので、個人的には対戦したくない打者だった。
通算19年で1464試合出場4208打数1121安打79本塁打427打点 打点.266
6 川又米利(中日)
1979年にドラフト外で中日ドラゴンズに入団。なかなか一軍に定着できなかったが、1985年には右翼手の定位置を獲得、初めて規定打席(21位、打率.290)に達する。シーズン中盤には谷沢健一の故障で一塁手としても出場した。翌1986年は谷沢に代り一塁手に回り、その後も1989年まで右翼手、一塁手のレギュラーとして活躍。1988年のリーグ優勝に貢献し、西武との日本シリーズは敗退するが、10打数3安打2打点1本塁打を記録。しかし落合博満が一塁手に定着し、外人選手の入団もあって、その後は段々と出場機会を減らし、代打の切り札や外野の準レギュラーとして起用される。特に相性の良い巨人戦には勝負強さを発揮した。町田公二郎に次ぐ代打本塁打16本(大島康徳に並ぶ)の記録を持つ。ナゴヤドームが完成した1997年に引退。
通算19年で1415試合出場2897打数771安打74本塁打364打点 打率.266
7 立浪和義 (中日)
日本プロ野球記録である二塁打の日本記録487を持ち、プロ初安打もプロ最終安打も二塁打であることから、「ミスター二塁打」の異名もある。プロ入り以降遊撃手→二塁手→左翼手→二塁手→三塁手→左翼手→三塁手とメインの守備位置を変えつつ、現役晩年は代打に役割が変わっても、与えられたその役割を全うした。
通算22年で2586試合出場8716打数2480安打171本塁打1037打点打率.285
8 高井保弘(阪急)
代打という一振りに懸け た選手で「世界の代打男」と呼ばれた。通算代打本塁打世界記録保持者である。高井はバットコントロールに長けた巧打者として評価されている。憧れの選手に山内一弘を挙げ、彼のインコースの打ち方を目標にしていた。
代打での通算成績・526試合・457打数114安打・27本塁打・108打点・打率・249
9 秦 真司(ヤクルト)
1984年、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。もともと捕手だったが、1991年には右翼手の定位置を獲得し、規定打席にも到達(12位、打率.292)。同年のオールスターゲームに出場。稲葉篤紀、真中満らの台頭で控えに回った後も、左の代打として計3度の日本一に貢献したが、1998年、打率が2割にも満たず本塁打も0に終わり、戦力外通告を受ける。彼もまた巨人戦では滅法強く、右の土橋、左の秦として恐れられた。
現役16年で1182試合2790打数732安打97本塁打341打点 打率.262
10 前田智徳(広島)
1989年のドラフト4位で広島に入団。基本的にプルヒッターであり、安打方向の内容は50%が引っ張り方向で、逆方向はわずか18%である。通算打率.302は、7000打数以上の選手中では歴代5位に位置する。アキレス腱を故障する以前は俊足好守の選手としても活躍し、中堅手を務めていた。1998年からは足の負担を軽減するため中堅手から右翼手へコンバートされ、2003年以降は移籍した金本知憲に代わって左翼手を守った。
現役23年2188試合7008打数2119安打295本塁打1112打点 打率.302
かつては中心選手としてレギュラーでスタメン出場していた選手が、年齢を重ね、体力的にきつくなり、徐々に先発での出場機会が減り、やがて、代打の切り札として晩年を過ごす。もちろん卓越した技術を取得し、熟練の職人技を披露するようになる。巨人では、バントの達人、川相や足のスペシャリストの鈴木尚広、ベテランとして存在感抜群の高橋由伸や怪我で選手生命を危ぶまれた吉村禎章がそうだ。職人という印象では柳田も捨てがたい。他の阪神の選手には、真弓明信、平尾、今年ユニホームを脱いだ関本もいた。広島には巨人を追われた萩原や、町田や浅井、西田がいた。ダイエーには大道典嘉。そして横浜にいた進藤、近鉄の新井もいぶし銀を効かせた打撃がこのテーマに沿う職人だった。
いずれにしても、これらの選手が重要な場面で起用されれば観衆の声援は大いに盛り上がる。期待感は半端ない。それは全盛時代のその選手が残した足跡への感謝と、ここ一番で何とかしてくれるという期待によるものだ。私自身は、重大な局面であればあるほど経験がものをいうと思っている。一か八かではなく、経験に裏打ちされた自信こそが精度を高めると。そして野球評論家の江川卓氏が、TVの野球中継の解説で語ることが多いが、役者が違う。格の違いでその結果までが見え透いてしまう。たとえば、全盛期の松坂を打ち込めるのは、清原とか落合とかイチローくらいの実力者でないと、始めから敵わないと思えてしまう。これが役者の違いというか「格」の違いなのだ。それ相応の経験者や実力者で無いと太刀打ちできないのだ。そういう意味では、上記の選手たちは、文句のつけようの無い大打者たちだと思う。
記事作成:9月30日(水)